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2011年11月1期26: イギリス帝国 (243) TOP カテ一覧 スレ一覧

イギリス帝国


1 :11/01/10 〜 最終レス :11/11/11
世界歴史上最大の帝国について語ろう

2 :
陸地総面積    148,890,000km2 (全地球の30%)
蒙古帝国(推定)   26,450,000km2  17.8% (↓以下対陸地比)
ロシア         17,075,200km2   11.5%
中華人民共和国   9,596,960km2   6.4%
日本最大版図(推定)7,450,000km2   5.0%
大英帝国       35,500,000km2  23.8% イギリス帝国・インド帝国・カナダ・オースト他

3 :
第4位 大清帝国/中国 14,700,000 km2
14,700,000 大清帝国 (1790年) 高宗乾隆帝 (愛新覚羅氏) Huangdi(皇帝)
7,700,000 中華民国 (1912年) 孫文大統領
9,700,000 中華人民共和国 (1950年) 毛沢東主席
※清と現代中国を同じカテに括るのは抵抗あるが,
元データが一緒のカテになっているので
第5位 スペイン王国 13,700,000 km2
7,100,000 km2 イスパニア王国(1640年) フェリペ4世 (ハプスブルク朝) Rex
13,700,000 km2 イスパニア王国(1780年) カルロス3世 (ブルボン朝) Rex
※神聖ローマ帝国皇帝カール5世の頃は, まだ新大陸の実効支配地域が少なかった
第6位 フランス共和国 11,500,000 km2
11,500,000 km2 フランス共和国(1920年) ポワンカレ大統領
11,300,000 km2 フランス共和国(1946年) ド=ゴール大統領

4 :
第7位イスラム帝国 11,000,000 km2
6,700,000 km2 カリフ帝国 (661年) アリー (正統カリフ) al-Khalifah
11,000,000 km2 カリフ帝国 (720年) ウマル2世 (ウマイヤ朝) al-Khalifah
10,600,000 km2 カリフ帝国 (787年) ハールーン=アッラシード (アッバース朝) al-Khalifah
第8位 9,670,000 km2 アメリカ合衆国 (1899) マッキンリー大統領
※フィリピン領有直後
第9位 9,000,000 km2 匈奴帝国(紀元前176年) 冒頓単于 Chanyu(単于)
第10位 ポルトガル王国/ブラジル帝国 8,510,000 km2
5,500,000 km2 ポルトガル王国(1820年) ジョアン (ブラガンサ朝) Rei
5,000,000 km2 ブラジル帝国 (1822年) ドン=ペドロ (ブラガンサ朝) Imperador
8,510,000 km2 ブラジル帝国 (1889年) ドン=ペドロ2世 (ブラガンサ朝) Imperador [→合衆国→連邦共和国]

5 :
新大陸発見以前と以後では世界が違うから
それも考慮すべきだとおもうけどな

6 :
イギリスがかつてのモンゴル帝国やオスマン帝国と違うのは
政治、文化、科学技術、経済力すべてで他を圧倒していたところ
他国は大なり小なり、イギリスのまねをしないと生き残れない状況になった

7 :
http://www.family.gr.jp/countdown/countdown/antichrist.htm
聖書的な予定。世界統一政府の誕生。これが、最大領土じゃないかな。

8 :
マッキンダー曰くシーパワーがどうのこうの

9 :
こんなに小さくなっちゃって・・・

10 :
イギリスは本当に植民地時代の遺産で助かっている部分が大きいよ
特にインフラ面なんて、とてもお金のかかる頑丈なものが使われている
あーいうのは、ずっと残るし、いいね

11 :
これだけの史上空前の大帝国が、ヨーロッパ中部にちょこんと存在してるだけの
ドイツを瞬できなかったのは何故なんだぜ?

12 :

【新防衛計画大綱】 英紙「日本が専守防衛のレベル超える可能性」
日本の防衛力の再編について、英紙ファイナンシャル・タイムズ(以下FT)は記事で、
「潜在的には日本の『専守防衛』レベルを超えることになる」と指摘、
「北東アジア地域で議論を呼び起こすだろう」と懸念を示した。
過去の歴史問題にも言及し「日本はアジアで犯した残虐な行動を勘案し、慎重に行動しなければならない」、
「東アジアで拳を握るのではなく、手を差し伸べるべき」と主張した。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1292575194/

13 :
>>11
でも、ムガル帝国やオスマン帝国、マフディーやあのナポレオンさえイギリスに屈服してるんだぜ

14 :
>>13
ムガル帝国→(デリー周辺しか支配できてない)帝国
オスマン帝国→ロシアやフランスの脅威から身を守るために英と手を結んだだけ
マフディー→土人
ナポレオン→対仏大同盟の力

15 :
オスマンはイギリスの犬だろ
18世紀以後は半植民地に没落
イギリスの助けがないと、ムハンマドアリーにもボコボコにやられる重病人ぶり
イギリスに逆らうとナヴァリノや一次大戦でフルボッコにされて最後は滅亡

16 :
>>15
オスマン帝国がイギリスと関係を深めるのは19世紀から。
18世紀じゃ、まだそんなにイギリスと仲良い訳じゃないよ。

17 :
>>6
やっぱ英語の影響力の凄まじさだよな
あの華僑やユダヤ人すら英語を使いこなせなければ商売できない

18 :
イギリスがラテンアメリカに「非公式帝国」を作り上げたことも繁栄の原因。
1825年前後では、イギリスの輸出総額はほぼ4000万ポンドだったが、そのうち、
合衆国とラテンアメリカに1100万ポンドが流れており、ちょうど1000万ポンド程度だった
植民地(アジア・アフリカ・カナダ・カリブ海など)を凌駕していた。

19 :
>>10>>17
「国際公共財」と呼ばれるもの、鉄道・蒸気船のネットワークや海底電信網による
世界的規模での運輸通信網、国際郵便制度やグリニッジを基準とする国際標準時、
国際取引法などの国際法体系、世界言語としての英語、これらは国際秩序における
「ゲームのルール」の形成に直結していたからなあ。

20 :
>>19
やっぱりこういう部分は大きいね。
英米は「自由貿易」で成り上がったところがあるけど、
1980年代以降の米国みたいに、日本のような新興国が本格的に自由貿易のルールを
利用して挑戦してくると、ルールそのものを変えてやり過ごすことができる。これは強い。

21 :
イギリス帝国(16??〜19??)
イギリス帝国っていつ始まっていつ終わったんだぜ?

22 :
>>21
まぁ、イギリス帝国というのは正式な国号ではなくあくまで通称だから、
いつからいつまでというのが分かりにくいけど、個人的には、始まりは、
イギリスが積極的に海外膨張をし始めるようになった17世紀初頭頃で、
終わりは一般的に言われてるように第2次世界大戦後辺りが妥当だと思う。

23 :
>>17
学問面でも、英語でないと話にならない
権威ある学術雑誌はみな英語なんだよな
イギリスは学問で先行していたのも強みだな
ニュートン以後世界での存在感が増大している
イタリアはかつて科学先進国だったのにブルーノ火刑以後衰退

24 :
今英語が主流なのはアメリカがあるからだろ

25 :
>>24
でも、根本はイギリスにあると思うんだけど。多くの地域で英語が話されてるのも、
元はと言えば、イギリスが多くの地域を間接的直接的に支配したからでしょ。
まぁ、確かに現在はアメリカ英語のほうが強いけど、アメリカも元はイギリスの、
領土だった訳で、そういう意味ではイギリスの影響と考えてもそんなに間違ってはないでしょ。

26 :
>>25
19世紀のアメリカ合衆国(北部)は、ラテンアメリカ諸国と違って保護主義を採っていた。
南北戦争の原因も、保護主義派(北部)と自由貿易派(南部)の対立だったわけだし。
合衆国が元イギリス領だといっても、もしラテンアメリカのように消極国家と
開放経済を選択していたら、20世紀以降の繁栄はなかったと思う。

27 :
>>26
アメリカの繁栄がイギリスのおかげと言ってるんじゃなく、英語の、
繁栄がイギリスのおかげと言ってるんだけど。アメリカが英語を、
使ってるのも元はと言えばイギリス領だったからだし。影響と言うには、
少し微妙だけど。ところで、話が少し逸れるんだけど、アメリカの独立と、
その後の保守主義は旧宗主国のイギリスにもそれなりに影響あったね。
アメリカ独立以降の大英帝国は保護貿易から自由貿易に変えた訳だから。

28 :
調子に乗るなよライミー

29 :
>>21>>22
第二次世界大戦後の1947年にインドがパキスタンとともに独立すると、インドと
イギリスを結ぶコミュニケーションのルートも不必要になった。
またエジプトのナセルによるスエズ運河の国有化は、中東におけるイギリスの時代が
終焉したことを告げた。
さらに1950〜60年代にマラヤなどの東南アジア植民地が独立すると、スエズ以東で
イギリス軍が駐屯しているのは香港とペルシャ湾岸地域だけとなった。
1970年代にはイギリス軍がペルシャ湾岸地域から撤退し、この地域の首長国が独立する。
(この地域の民衆の間には独立運動が存在したが、首長たちはイギリスの撤退を
望んでいなかった)
そして1997年には香港が中国に返還される。
こうしてみるとイギリス帝国の終焉がいつか、明確に何年と決めることは難しいなあ。

30 :
>>29
>そして1997年には香港が中国に返還される。
香港の返還はイギリス帝国の完全なる終焉っていう感じがするね。
イギリスの帝国主義を象徴する最後の砦というイメージだったから。
まぁ、今もイギリスには帝国主義の名残である海外領土がいくつかあるけど。

31 :
>>28
イギリス帝国は300年以上続いたわけだが、最盛期は案外短い
ただその時代に世界のありとあらゆる地域がイギリスに屈服した
帝国の終焉も、戦闘に負けたわけでないし、国力に合わせて順次拡大、縮小した感じだな
イギリスが戦争に負けたのって、アメリカ独立以降あるんかな?

32 :
>>31
>イギリスが戦争に負けたのって、アメリカ独立以降あるんかな?
アメリカ独立以外だとアイルランド独立戦争も戦争によってイギリスが、
国家の縮小をした例かな?でもそれ以外はあまりないね。インド独立も、
抵抗が激しかったとは言え、明確な独立戦争があった訳ではないし。

33 :
つアングロ・アフガン戦争

34 :
>>33
あぁ、それもあったね。忘れてたよ。アフガニスタンも戦争によって独立した例だね。

35 :
>>31
かろうじて戦争には勝ったけど、実質的には敗北ではないか?と思われる例
つアングロ・ボーア戦争
つ第二次世界大戦における東南アジア戦線
つ英領マラヤにおける共産ゲリラとの戦い

36 :
>>35
まぁ、そこら辺は確かにギリギリ勝利って感じがするね。
それでも最終的には一応勝ってはいるんだけどね。

37 :
>>21
ああいうのは精神かねぇ
ソ連だって、特に戦争に負けていたわけでもないし、
経済だって、低迷はしていたけど最後のころは、餓死者を出すほど
悲惨な状態にはなっていなかっただろう。
ただ、単に国民がみんなでいっせいに職場放棄をしたような感じだろう。
イギリスもそれに似たようなところがあるのではないかな、
大東亜戦争後、インドや他のアジア諸国の連中が反抗的になって
植民地を維持するコストがかかりすぎるようになった。
自分たちとしては19世紀的な近代哲学を教えてやったのにと思っていたのに、
コイツ等恩知らずだ、縁を切れということで
潰れたと言うか、溶けてしまった感じじゃないのかな。

38 :
>>30
イギリスの海外領土は大西洋に多いね。
まあ、イギリス海軍の歴史を考えれば当然だけど。

39 :
>>37
末期のソ連はゴルバチョフのせいで経済かなりひどかったけどね。
まぁ、イギリス帝国の崩壊は時代の流れの中で自然に起こったという、
感じだね。戦争や革命などによって滅ぼされた訳では決してないね。
>>38
イギリスは伝統的に大西洋を基盤としてたからね。それに、
インドやアフリカなどの植民地と違い大西洋側の植民地は、
イギリス化が進んでるから独立しようという意識も薄いだろうし。

40 :
>>37
第二次世界大戦で「味方」だったはずのアメリカは、1946年8月15日に
武器貸与法の終了を宣言。
そして17日には対英援助をすべて打ち切ってしまった。
一般にイギリス人にしてみれば、アメリカに裏切られたような気分だったのかな。

41 :
アメリカは米英戦争でもイギリスを裏切ってるな
ナポレオン相手に大変な時に

42 :
プラッシーの戦いは英人900人
こんなんで数億のインドを征服するんだからやっぱりイギリスはすげーよ
統治能力、組織力が半端ないな

43 :
http://www.glocom.ac.jp/top/project/odp/library/gr199803.pdf
大英帝国と電信ネットワーク ―19世紀の情報革命―

44 :
イギリスにおいて一年中で一番日本という国が注目されるのは八月十五日の「VJ Day」。
VJとは「Victory over Japan」の略で、つまり対日戦勝記念日。普通、日本に住んでいる日本人は
そんな日がイギリスで毎年祝われているのも知らずに済むわけですが、イギリスの歴史上、大事な日なのであります。
毎年VJ Dayの時期になると、在英日本人は肩身の狭い思いをする。「日本はビルマで英人捕虜を虐待した」
「シンガポールで民間英国人を勾留し、女性をした」「日本は英人捕虜一人あたりたった七十六ポンドの賠償金を
支払って澄ませたつもりでいる」等々の非難が日本に対してつきつけられ、テレビは特集番組を流すし、やせ衰えて
飢え死に寸前の英人捕虜の写真も出回り、新聞各紙も「日本謝れ」の大合唱。
〜中略〜
日本が糾弾されているポイントを主要な点に絞ってまとめてみよう。
(1)日本はアジア諸国を侵略し、史上最悪の戦争犯罪(南京大虐)を犯したうえ、
シンガポールなどで英系民間人を抑留して虐待した。
(2)日本はパールハーバーを宣戦布告もなしに奇襲したうえ、ビルマやインドで収容した英軍捕虜を非人道的に扱い、
残虐な行為でその多くを死に至らしめた。
(3)日本は戦後もなんら反省することなく、英人捕虜に対して十分な償いも謝罪もせずに現在に至っている。
彼らの意識を要約すると、「日本はナチスより残酷な国民」で、「ヒロヒトはヒトラーより悪いやつ」ということに
なるのである。
イギリスはドイツと戦い、ヨーロッパを解放した(とイギリス人は認識している。フランスやベルギーを救ったのは我々だ、と。)
彼らにしてみればあれはヒトラーという悪に対する正しい戦争で、ついに正義は勝った。
だから毎年大いばりで勝利を祝う。 アメリカも日本と言う悪に対する正義の戦争には勝ったけれど、その後の朝鮮とベトナムで
「アメリカは常に正しい戦争をしている」という確信は揺らいでしまった。
一方イギリスの「我らはいつも正しいのだ信仰」は、その後のフォークランド紛争もイラク爆撃も「正義の戦争」とすることで
簡単にクリアしてしまった。
引用元 (一部省略あり)
緑ゆうこ『イギリス人は「理想」がお好き』http://www.amazon.co.jp/dp/431400911X

45 :
★★★イギリスはガチで反日。ヨーロッパで最も反日的★★★
誤解1.「イギリスと日本は日英同盟以来の誼で友好国」
イギリス人は全くそんな風に思ってません。むしろ、日英同盟を裏切って第一次大戦でイギリスを助けなかったことを恨んでいます。
また、イギリスには第二次大戦の捕虜虐待問題に関してれっきとした反日教育プログラムがあることを忘れてはいけません。
学校の先生が"Cruel Japs!"と罵りながら日本軍がいかに残虐で凶暴なファシスト集団だったかを教え込む光景は
イギリス全土の中学・高校で毎年ごく当たり前に見られる現実です。
もちろん、戦時中の捕虜虐待の復讐としてシベリア抑留ならぬマレー抑留・強制労働で日本人1万人をしたことなんて学校で一切教えてませんけどね。
誤解2.「同じユーラシア大陸の端の島国同士で親しみを感じる」
こんなことを言ったらイギリス人に嘲笑されます。イギリス人の脳内では未だにカナダやオーストラリアやニュージーランドも自国領ですし、
日本みたいな狭い島に閉じ籠もった未開人の国と七つの海を支配した大英帝国を同じにしないでくれと思うでしょう。
基本的にイギリスの文化の中に占める日本人のステレオタイプというのは
「チビ、釣り目の醜い顔、嘘吐き、残酷、」という戦時中のプロパガンダからそんなに進歩していません。
あなたが金持ちでなければ即人種差別の標的にされることなど当たり前です。
誤解3.「日本の皇室とイギリスの王室との友好の歴史は長い」
世界で一番皇室をバッシングしてる国はイギリスですが何か?「ヒロヒトよ永遠に地獄で呪われろ」
なんて恐ろしい見出しがいまだに大新聞のトップに載るなんて中国や韓国でも考えられないですね。
一般のイギリス人は日本の皇室と聞いたら「プリンセスマサコを虐待してる邪悪な所」程度のイメージしか持ってませんよ。

46 :
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13364419
イギリスBBCのお笑い番組で広島・長崎二重被爆者を
「世界一運の悪い男」
と嘲笑
http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE0E0E2E5EAE6E2E2E0E0E2E3E0E2E3E38297EAE2E2E2;n=96948D819A938D96E38D8D8D8D8D
http://www.asahi.com/international/update/0122/TKY201101220228.html
(参考)
オーストラリアにおける核実験で
アボリジニ数千人を被爆させたイギリス
http://www.gensuikin.org/gnskn_nws/0403_3.htm

47 :
改めてこちらでお尋ねいたします。
(イギリス史総合スレはいまはないのでしょうか?)創作関連の質問をお許しください。
戦間期の英国、ロンドン。セントキャサリングドックを用いて新鮮さがウリの高級食材を
シティや、セントジェイムズ、ペルメル界隈のクラブや高級レストランに販売しているような会社の場合、
事務所(駐車場含む。新鮮食材なので倉庫はなし)はどのあたりにあるのが妥当と考えられるでしょうか。
地価、格式、商業地区であること、関連ルートの渋滞がひどくないことなど考え合わせまして。

48 :
崇高なムスリムがイギリス女王なんかに支配されるのは屈辱だったろうな

49 :
その世界中に植民地を拡大したイギリスが海を隔てた
チッポケな面積の北アイルランドの分離独立問題で苦しみ続けたとは‥‥
王族(マウントバッテン)までそのとばっちりでされたし。

50 :
まぁ実は植民地が増えても国が強くなるわけじゃないし・・・

51 :
実際インドでは、英国が植民地政策を進める前は分裂内戦状態の繰り返しだったw
イギリス軍が印度統一して、鉄道を敷きインド各地に工場を建設
綿花などの輸出で印度も英国も潤った好例
イギリスの植民地政策は現地に裁量権を与え比較的自由だった
これが他の欧州諸国の植民地と異なる所
イギリスで人種差別はあまり感じないよ。
ロンドンは日本人というか外国人には住みやすいと思う。
英語も通じるし同じ島国ですし。
イメージ
イギリス→インド、パキスタン、バングラデッシュや南アフリカ共和国出身者など英連邦加盟国多い。
フランス→アフリカに植民地が多かったせいか、アフリカ人多い。
ドイツ→トルコ人、東欧出身者多い。
スペイン→とにかく南米出身者多い。マドリッド&バルセロナ駅前から溢れてる。
失業率高く、治安も悪いからスペイン観光行くならツアーがお薦め。

52 :
>>46
http://m.youtube.com/watch?gl=JP&warned=True&client=mv-google&hl=ja&rl=yes&v=JWQ5NRBy0KI

53 :
イギリス連邦は植民地じゃなかった国も入りたがるぐらいだからすごい
文化力も強いな、例えば日本で一番人気のスポーツはサッカーだし
世界史上最大の影響力を及ぼした国だろう

54 :
★イギリスって核実験で他国の一般人を被爆させておきながら責任も取らずにトンズラしてる国ですよ?↓
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/090717.html
オーストラリアの南西部は50年以上にわたり、核による汚染にさらされてきた。ウラン採掘による汚染、
イギリスが行った原爆実験による汚染。
その上、核廃棄物処理場の建設計画まで持ち上がった。原爆実験で被曝したオーストラリア軍の元兵士たちや
アボリジニの人びとの証言と当時の記録映像、さらに核廃棄物処理場の建設計画に反対する専門家たちのインタビューを通して、
オーストラリアの核汚染の歴史を明らかにする。
1952年から63年にかけて、南オーストラリアや西オーストラリアではイギリスによる原子爆弾の爆破実験が行われ、
広範囲に渡って放射能に汚染された。実験に従事したオーストラリア軍の兵士たちは、
イギリスの科学者たちが防護服を身につけていたにもかかわらず、自分たちには何も与えられなかったと証言する。
その後、多くの兵士が体調の異変を訴え、皮膚癌などを発症した。しかし、病院からは被曝が疑われる15000人分の兵士の記録が1978年を境に喪失しているという。
オーストラリア政府は原爆実験による被曝の危険はなかったとしているが、記録映像には無惨な遺体となったアボリジニの遊牧民の姿が残されている。
その後、この地域のアボリジニの人びとは次々と癌を発症し、亡くなった。次世代にも不妊などの先天的な病気が受け継がれているとされる。
彼らが住んでいた地域は汚染のため暮らせなくなった。
オーストラリアは世界有数のウラン産出国だが、その多くはアボリジニの土地で採掘されている。
その過程で出る放射能を帯びた廃液は処理をされないまま、地下水に排出される。
さらに政府は、この地域にシドニー郊外の研究用原子炉ルーカス・ハイツから出る核廃棄物の処理場を建設する計画を打ち出した。
この計画にアボリジニの人びとだけでなく、南オーストラリア州議会や市民団体も猛反対する。

55 :
それがどうしたの?
イギリス帝国にとって、オーストラリアなんて
所詮世界の果ての流刑地に過ぎないんだよ。

56 :
★30年以上前から何の進歩も無いバカイギリス人
『英国からの手紙』(青木利夫 著 1979年朝日新聞社刊)「イルカ騒動顛末記」より引用
壱岐で起こった「イルカ虐事件」を怒る英国人の手紙が、一カ月たってもまだ日本大使館に届く。
天皇あての電報も含めて、この数、一千通に近い。〜中略〜
怒りの手紙の内容を分類すると、ざっと次のようになるらしい。
@今回の「虐」は吐き気をもよおすような事件だ。こういう蛮行が続くなら、われわれは日本製品をボイコットする(34%)。
A同じ趣旨だが、日本製品ボイコットは叫ばない(34%)。
B棒で殴りしたことが許せない。せめて射など苦痛の少ない方法を取るべきだ(17%)。
C日本政府がこの「虐」に対して一時間当たり6ポンドの奨励金を払ったことに抗議する(10%)。
D今回の事件は第二次世界大戦中の日本軍隊の残虐行為を思い出させる(5%)。
「注文したトヨタ自動車をキャンセルした」という手紙も一通あった。〜中略〜
テレビの画面では、いかにも棒でなぐりしたように見えたらしい。もちろん安楽死に越したことはない。
だが日本人からすれば、し方以前にすことが問題であり、イルカのみならず、キツネ、ミンクから牛、豚の類まで問い直したくなる。
人目のないところで手際よくせばよい、というのは偽善的すぎるだろう。〜中略〜
クジラの捕獲にまで及んで非難を繰り返す手紙もある。まともな提案はほとんどなく、
「日本は高度工業国なのだから、漁民も工場で働けばよい」
「海中に大きな網を張ってイルカを囲い込め」といった非現実的なものだった。
英国動物園協会は事件の直後、「100頭を国内の水族館で引き取る用意がある」と申し入れてきた。
だが、和歌山県太地漁協などと連絡してみると、空輸には一頭200万円かかるうえ、
一機のチャーター便に7、8頭しか積めないことがわかった。だいいち30万頭が九州沖にいるとき、
100頭を引き取るのは漫画的で、問題の解決にはならないだろう。専門家ですらこの程度の「善意」しか
ないことに、むしろがっかりさせられる。

57 :
こんな日本列島より小さな島国が、七つの海を制覇して世界最大の超大国になったのだから、
これほどグレートなことが人類史上で他にあろうか?

58 :
イギリスは植民地を作るのは上手いが、同化させるのは下手だよな。
隣の島が同化できなかったばかりか、同じ島の中にさえ別の政府があるぐらいだし。

59 :
>>58
逆に中国は台湾の独立さえ認めない。
「黄河は水溜りを笑わない」という諺があるが、
実際の中国人はそうではない。
なぜ琉球王国は独立を維持できなかったのだろう。
なぜ東アジアにモナコやルクセンブルクのような小国がないのだろう。
相手が弱者と見るや侵略に動くのは東洋人の性だろうか。

60 :
東アジアにはヨーロッパのカトリック教会のような国家や民族を超えた普遍的な権威が存在しなかったからじゃないかな
仏教は宗派がバラバラで統一的組織じゃないし
そのために中国は中国、朝鮮は朝鮮というふうに国そのものが孤立した文化的枠組みとなってしまい
モナコやルクセンブルクのような境界の小国は存在しにくくなってしまったのではなかろうか

61 :
>>59-60
スレ違いな上に
シンガポールのこともたまには思い出して欲しい

62 :
東北アジア限定で言ってるのかと思った
東南アジアなら他にもブルネイとかあるし

63 :
イギリス人ブルックがボルネオ島に建てた王国も忘れないでください。

64 :
琉球王国も、幕末のドサクサでイギリスかアメリカの植民地になってれば、
シンガポールかブルネイみたいになれたかもしれんよ。

65 :
大学のレポートで、板違いだとは思いますが
規制でレポートに関する板に書き込めませんでしたのでお許しください。
以下の論題のうち一つを選び
イギリスの国際関係史という視点から論じなさい。
ただし講義内で述べたことを中心に論じよ。
1,主権国家イングランド成立
2,自由と帝国
3,第一帝国と第二帝国
4,帝国主義の時代
2400字以上って…
部活のケガで講義でれなくて
講義内容はわかりません。
ググってはいるのですがなんともなりません。
助けてください!

66 :
ごめんなさい、なんでも質問スレッドのほうが適切でしたね。

67 :
>>58
同化させようとする発想そのものがないからでないの?
イギリスの場合は、統治者を探し出して、
うまく手なずけて、利益を吸い取るやり方だから
そのおかげで社会学が発達したのだから。

68 :
>>58
ヨーロッパには昔から同君連合という形があるから。

69 :
>>59
ヨーロッパでも、ポーランドのように、分割されて国自体が消滅した
例があるけどね。

70 :
ポーランド分割の後もロシア領はロシアと同君連合のポーランド王国だったし、
プロイセン領はポズナン大公国、ハプスブルク領も地元のポーランド貴族が自治してたじゃん。

71 :
でもヨーロッパで同君連合というと、たいていは政略結婚の結果だよな。
あと、フィンランド大公国はスウェーデンが戦争に敗れてロシアに
譲ったんだっけ?

72 :
フィンランド大公国もロシア帝国と同君連合で、自前の国会や軍隊を持ってたんだよな。
時期によってロシア帝国政府からの締め付けが厳しくなったり緩くなったりしたんだが。

73 :
>>67
>そのおかげで社会学が発達したのだから。
逆にアメリカは科学など、普遍的なものを重視する傾向が強いね。

74 :
アメリカはヨーロッパからイデオロギー的理由で追い出された知識層の溜まり場。
追い出される前と同様に好き放題過激な主張ができる。
イギリスも亡命者を受け入れる側だが、居つく場合は空気を読んで過激な主張はできない。

75 :
アメリカはイギリスの植民地だろ
元宗主国だぜ

76 :
イギリスとアメリカが宗主国/従属国の関係にあったためしはないよ。
本国/植民地から闘争の末に独立と同時に緊張関係にある対等の国に。

77 :
元宗主国という意味では
実はリビアとアメリカは同格なんだな
イギリスすげー

78 :
イギリス帝国はローマ帝国と同様、支配の天才ではあったが、文化面ではイマイチだな。
実用的な面には優れているけどね。

79 :
>>70
プロイセン領とオーストリア領は知らないけど、
ロシア領のポーランドは結局王国も消滅して
ビスワ地方になったんじゃなかったっけ

80 :
>>78
文化面でもすごいよ
シェークスピアやトマスモアなんか文豪がいたし
音楽でもエルガーやビートルズ
さらにサッカー、クリケット、ゴルフ
世界はイギリス文化に圧倒されているといってもよい

81 :
少なくとも音楽・美術に関してはイギリスは不毛の地だろ

82 :
>>81はヒットチャートに入る音楽しか音楽と思わないタイプか
イギリス発の素晴らしい芸術もたくさんある
そんなにマイナーじゃなくてもターナーとかいるぞ
芸術面が一般的に見ると地味なのはプロテスタンティズムだろ

83 :
「皇帝」という君主号が通用した場所ってインド以外にあるの?

84 :
ビートルズなんかはおもっくそ「ヒットチャートに入る音楽」だよな

85 :
>>79
プロイセン領のポズナン大公国は1848年に消滅したけど、
ロシア領のポーランド王国は形式的には最後まで残ってた筈。

86 :
>>78
ビクトリア時代の価値観では
扇情的なものは全て非知性的として排除された
だから
音楽、美食、舞踏、服飾は特に徹底的に無視された
でもそれを除くと(絵画、演劇、文学など)文化不毛って程じゃない

87 :
>>86
オリエンタリズムを象徴する扇情的な絵画作品や文学作品が出回りだしたのも
ヴィクトリア時代だが。
ヴィクトリア時代は「プロテスタンティズムに基づく禁欲主義」を謳っていたが、
本当に禁欲主義だったら、扇情的な絵画作品や文学作品なんて存在しないわけだが。

88 :
>>86
法律で禁止されているから日本には使用者はいない(キリッ)と言うようなもんだなw

89 :
イギリス+帝国って、違和感あるね。

90 :
>>89
個人的には「イギリス帝国」という呼称より「大英帝国」のほうが、
しっくりくる。まぁ「イギリス帝国」のほうが適訳ではあるんだけど。

91 :
イギリスって言うとクラシック音楽はホルストやエルガー
まぁ安心して聞ける音楽だよね
それで不毛呼ばわりするのはどうかと思うが

92 :
エルガーはJingoistのレッテルを(日本でいう九条の会あたりの層から)貼られていたこともあったね

93 :
>>90
そんじゃ第一・第二帝政期のフランスも「大仏帝国」と呼ぼう。南無阿弥陀仏。

94 :
>>87
そうじゃなくて
何故イギリスにはヴェルディやビゼーやワーグナーが
出てこなかったという話なんだけど。
あと有名なラフェエロ前派にしたって
中心人物は移民の子孫でしょ
あと食文化の貧困は帝国絶頂期でも変わらなかったし

95 :
ここまで「イギリス帝国」の名称に突っ込みなし

96 :
>>95
突っ込みってどういうこと?僕自身は>>90で言ったように大英帝国という、
呼称のほうがしっくりくるけど、British Empireの訳としてはイギリス帝国の、
ほうが適してるよ。別にそんなにおかしな名称だとは思えないんだけど。

97 :
「アメリカ帝国」みたいなもんだろ?皇帝がいる国じゃなくて覇権国家って意味での帝国

98 :
>>97
まぁ、確かにそうだね。イギリスの君主号はあくまで国王だったからね。
インドにおいては皇帝を名乗ってたけど。「イギリス帝国」という呼称は、
あくまで通称にすぎないね。ただ、イギリス帝国がアメリカ帝国などと、
違うのは、その呼称が割りと公式の場でも使われてたという事。例えば、
ジョージ5世が作った大英帝国勲章など。あくまで本国のみを指してる、
UKとは違ってBritish Empireという呼称は植民地を含めたイギリス全土を、
指す言葉として、大英帝国の全盛期であるヴィクトリア朝時代の頃から、
すでに広く使われてたらしい。だから現在の歴史家も結構この呼称を使う。
そういう意味では、当時のイギリスの状態を指す言葉としてはそれほど、
的外れな呼称には思えないなぁ。まぁ、確かに覇権国家という意味での、
帝国には変わりないんだけどね、「イギリス帝国」という呼び方は。

99 :
>>94
エルガーじゃ駄目なのか?と言いたくなる。
食文化は、既に三大料理やイタリア料理、日本料理など確立している時代でなんか新しいものを作れたとも思えないな
今日本で通用するカレーが、インド料理でなくイギリス料理ですとか言えるならイギリス料理もまんざらでなかったが

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