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2011年11月1期13: 世界史なんでも質問スレッド95 (746) TOP カテ一覧 スレ一覧

世界史なんでも質問スレッド95


1 :11/10/15 〜 最終レス :11/11/11
前スレ
世界史なんでも質問スレッド94
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1316012726/

2 :
スレッドを立てるまでもない質問はここへどうぞ。
単発質問スレを立てる前にまずこちらへお越しください。
専門的な質問は各分野のスレにした方がいいこともあります。
回答に時間がかかったり、回答がもらえなくても怒らないでください。
回答者にソース、文献を訪ねることを禁止します。
天皇の権威に関する質問は他にふさわしい板、スレがありますのでそちらでどうぞ。
特定アジアの現代史に関する質問も、他のふさわしい場所でどうぞ。
なお、このスレは常時age進行でお願いします。
※まずは下記のFAQサイトでチェックすること。
世界史は妄想を超えて(世界史FAQ)
http://www.geocities.jp/asamayamanobore/
日本史・世界史FAQ
http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/index.html

3 :
去年ウズベキスタンのタシケントに行ってきたが
基本的にはモスクが林立するイスラム国家だねえ
人々の容姿も含め私が行ったところで一番近いのは
イスタンブールだね
ただトルコと違うのはロシア人らしき金髪の白人がチョボチョボいるところかな
そして彼らのこの国でのステイタスがはっきりしない
街中はほとんどがモスクでオーソドックス教会は発見できなかった
あのロシア人たち回教なのかなあ?あと職業とかも良く解らなかったし

4 :
>>3
外観だけではイスラムのモスクと正教会は似ているからな
中に入ってイコンとかが散りばめられていればそれはオーソドックだな
単純な答えで申し訳ないが

5 :
聖書に書かれてるのってどこまでが本当とされてるの?
創世記やモーゼあたりまでは作り話だろうけど
具体的に言えばユダ王国とかダビデ王とか
遺跡から存在は確認されてるの?

6 :
カザフスタンにもロシア系の白人は多いが
そのあたりを日本語の上手いロシア人から聞いた話だが
カザフスタンやウズベキスタンあたりは英国はじめ西欧からの入植者が戦前から多かったらしい
戦後はドイツやウクライナ辺の強制労働者が多く強制移住させられて来たとか
最近ではソユーズでも有名なバイコヌール宇宙基地で働くロシア人科学技術者だけでなく
欧米系の最先端の宇宙化学技術者やその家族が移住してきていると言う事だ
当然彼らはキリスト教徒だ

7 :
>>5
ダビデのナンタラって碑文が発見されてんじゃなかったかな。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/メシャ碑文
簡単にまとめるとイスラエル王に勝った敵側の戦勝記念碑にイスラエル王家を「ダビデの家」と呼んでいる
記述が有る、という説が有る。テル・ダン碑文という別の物にはもっとはっきり書かれてるらしい。

8 :
似た質問ですが
1800年以降
ハンガリーや東欧や中欧ではどんな反乱が何回くらいありましたか?

9 :
>>7
ソロモンが13年かけて作ったとされる神殿なんかは
少なくとも跡地すら存在しないんだろ

10 :
>>6
バイコヌールとか北東の人工都市の欧米系は、強制労働者と違いカザフ語を話さなかったよ。
だから民族識別はずっとロシア。

11 :
聖書外史料では、前13世紀末のエジプトの碑文に、
「イシリアル」という連中がパレスチナ方面にいた、とあるのがイスラエルの初出。
前10世紀末にエジプト王シェションク1世がパレスチナに攻め込んだ史実も、聖書には記載されている。
サウル・ダビデ・ソロモンについては定かでないが、前9〜前8世紀頃のテル・ダン碑文には、
イスラエルの王家を指して「ダビデの家」と呼んでいる記述があるらしい。
確実に実在したイスラエル王国の人物としては、前9世紀前半にサマリヤに都を置いたオムリ(フムリ)、
その子でアッシリアと戦ったアハブ、オムリ王家をクーデターで奪ったエヒウ(イエフ)らがおり、
オムリらの名前はアッシリアやモアブの碑文にも登場する。

12 :
ソロモン王の城壁発見、聖書を証明か?
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100301003&expand

13 :
>>3
日本語の上手いロシア人から聞いた話だが
ウズベキスタンの白人は絶対数は少ないが大規模農場の地主が多いそうだ
そして大地主としての支配者階級的な存在もいるらしい
ソ連の国策農業で昔は綿花の計画栽培、今は小麦の大規模作付で生計を立てているそうだ
ソ連時代の計画経済で移住したロシア人やロシア人と西欧人のミックスがほとんどらしい
当然彼らはキリスト教徒だ

14 :
>>9
場所は神殿の丘だと思うけど今に残ってる中で一番古いとされる嘆きの壁が紀元前20年頃のヘロデ大王に
依る物なのでソロモンの神殿は跡形も無いとは言える。

15 :
19世紀は欧州でユダヤ人差別が激しくなっていた時期だけど
アメリカは有名だけどその頃の欧州での黒人やアジア人差別ってどうだったの?
同じバスに乗れないとかレストランの出口が違うとか
夏目とか森とか留学してたけど目に見える差別的な事されたんだっけ?
あるいはガンジーとかホーチミンとかネルーとか

16 :
ユダヤ人も多い

17 :
>>16
>>6 です

18 :
>>14
そりゃヘロデの神殿そのものがソロモンの神殿の改築だからヘロデの神殿を解体して掘り返さないとソロモンの神殿の発掘は不可能に決まってる

19 :
>>16
戦前から英国や西欧諸国からのソ連への移住が多かったという話
今ひとつピンと来なかったが
ユダヤ人だったとしたら納得できるね

20 :
>>19
ロシア系ユダヤ教徒とか
ユダヤ人のオーソドックス教徒とか
ソ連のユダヤ人って人種と宗教の垣根がはっきりしないが
イスラエルもそんなまだら模様状況で建国しちゃったのだろうね

21 :
19世紀から戦前ロシアとフランスが特にユダヤ人差別が酷かったって言うけどなんでなの?
有名なのはポグロムやドレフュスとかだけど
宗教的な理由?
それとも歴代の政策ミスをユダヤ人差別に向けて助長したの?

22 :
>>6>>13
キリスト教徒と決めつけるのはやや早計であろう
ユダヤ教徒であった可能性も高い
キリスト教の中でもオーソドックスはユダヤ教に近いこともあるが

23 :
英米型の文民警察が誕生する以前は、軍隊と警察は未分離だったの?
映画の「アマデウス」で兵隊がウィーンの城門を警備したりしていたけど、
日本でいえば旗本や大名の家臣が江戸城の城門警備をやってたようなもの?
日本の町奉行所の役人みたいな文官系の警察的組織はなかったの?

24 :
>>21
ドレフェス事件はパナマ疑獄事件があったために
ユダヤ人差別が生まれたのが原因。ただ「彼がユダヤ人だったから」かどうかは
実はよく分かっておらず、免罪派のプロパガンダな所がある。
ポグロムは移民制限を受けても違法に移住するユダヤ人が多く、それを斡旋する
現地ユダヤ人コミュニティの悪徳業者や賄賂を受ける警察機構が多かったために
治安が乱れ、疎まれていた。
>>22
シベリア鉄道以降、ロシアは東方植民を進めたが、ユダヤ教徒はその頃は
まだ名目上移住規制が入っていたからユダヤ人は少ないと思うよ。
ソ連期に自分達の自治共和国が与えられたからその移住の過程で一部は
流入しただろうけど小規模だろうね。
>>23
人や強盗は軍隊、細かい事件は警察が取り締まっていた。
あと予審を判事ではなく刑事が行ってた。

25 :
通信網や経験もない古代、どうやって黄巾の乱や白蓮教徒の乱みたいな組織的な大反乱が可能とできたんでしょうか?
特に中国なんか辺境から中央に移動するだけでも三ヶ月はかかりますよね?

26 :
第一次大戦後、英本国は日英同盟の継続に前向きだったが、
オーストラリアやカナダなどが、アメリカについて反対したので、
継続を断念したということでいいのかな?

27 :
始皇帝が儒家を弾圧したのはなんでですのん?

28 :
>>26
ロイド・ジョージは回廊・ダンツィヒ問題と共に
平和の条件としてたけど、全体的に見ればそこまで前向きでなかったろ。
第四条は本来対米時に参戦を外す内容ではなかったが、
気がつくとそれを理由に外されてたし。

29 :
1806年に西南諸邦がライン同盟を結成しましたが、きっかけは何ですか?
ナポレオンが三帝会戦に勝ってプレスブルクの和を結んで、
さらに調子に乗ってライン同盟を作り・・・という流れではないのでしょうか。
また、神聖ローマ帝国を滅亡させた という記述がありますが、主語は「ライン同盟」ですか?
もっと具体的であってもいいと思うのですが。

30 :
>>21
ロシアの場合、もちろんそれ以前からも差別はあったのだが、決定的に激しくなるきっかけは
1881年、爆弾テロでアレクサンドル2世を暗したグループにユダヤ人がいたこと
それでユダヤ人は無政府主義者だってことになって迫害が一段と激しくなり、アメリカやパレ
スティナへ脱出するユダヤ人移民が激増した

31 :
M資金
真偽の疑わしい話が色々ありますが
、本当に存在するんですかね?

32 :
>>27
本当に儒家を弾圧したのかはわからないけど。
天下統一したので古代の聖王たちに倣って封禅を行おうとして、
そういう儀礼面に詳しいと主張していた儒家たちを集めて儀式の方法を聞いたところ、
皆まちまちな回答でまとまりがつかない。
「こんな役立たずな連中や学問はいらない」ということで弾圧開始。
封禅自体は始皇帝自身が決めた方法で実施した。

33 :
>>25
もちろん、地方との連絡には時間がかかるから、そのタイムラグも考慮して、何月何日に蜂起しようと
計画を立てて、連絡する
また、そのように計画段階から実際の蜂起まで時間がかかるからこそ、黄巾の乱は3月に蜂起する
計画が事前に露見してしまい、あわてて予定より早く、2月に挙兵するはめになっている

34 :
http://uproda.2ch-library.com/441118Yw6/lib441118.png
フランス革命のナポレオンの登場の一部の問題を作ってみたのですが
文章に不備がないかとかどなたか添削して頂けますでしょうか。

35 :
>>25
黄巾の場合、中央と地方の教団組織が以前からしっかりしてて、
「何月何日に決起せよ」と指令が飛べば旬日(10日)で地方教会に伝わったという。
ただ便乗して蜂起した自称黄巾の盗賊・窮民も多く、辺境のは大体便乗組。
明清の白蓮教徒は中央の指令による一斉決起ではなく、各地でばらばらに蜂起して便乗組が呼応した。
>>27
思想統制。
儒家は今をそしり古を尊び、秦の政治を批判し、自分勝手に人民を教育してけしからんというので。
ただ儒家ばかりではなく、仙薬を作れなかった方士や学者も穴埋めにされた。

36 :
>>31
存在する証拠も存在しない証拠も、無い。
とりあえずいままで「M資金(またはそれに類する謎の資金)」といって明るみに出た事件は、
すべて詐欺だとされている。
もしM資金またはそれに類するものが存在して、巨額の融資を受けた人物が
いるとしても、その人が「私はM資金から融資を受けた」などと
口外するはずはないから、当分、真相は謎のままでしょう。
ただし、それとは別に、第二次大戦終結後の混乱のさなかに
行方不明になった政府や日本軍関係のカネは、
非常な巨額に上がると言われている。
その一部は実際に国会で追及されたこともあった(が、うやむやのまま)。
児玉誉士夫その他、そのカネを利用してのしあがったといわれる政商も
何人もいる。これも真相は当分不明だろう。

37 :
>>34
語句的にいえばライン同盟は1658年にもあったから、混同させない方がいいぞ。
内容は色々云いたいことはあるが、面倒なのでとりあえず
ライン同盟に関してはゲルハルト論文も参考にしろと云える程度だ。
そのうちの一つ
http://hdl.handle.net/10086/8720

38 :
>>34
イエナの戦いと(12)の戦いの箇所だけど、
ティルジットの和約に至る2つの会戦といえば一般的にはイエナ・アウエルシュタットの戦いとアイラウの戦いになると思うから
アイラウでも正解になるんじゃない。

39 :
ローマ帝国はなぜ滅びたかとはよく言いますが、では実際に
ローマ帝国が西ローマ帝国が滅びなければどうなってたと思いますか

40 :
>>39
それは、オドアケルによって滅ぼされなかったら、という仮定でしょうか?
オドアケルによって滅ぼされなくても、どっちみちゴート人に滅ぼされて、
以後の歴史はたいして変わらないでしょう

41 :
>>36蛇足
一般人はM資金絡みの詐欺話とは無縁と思われがちだが、
案外そうでもない。私事で申し訳ないが、結構大きな病院の経営者である
親戚のところに、十年ほど前、「スイス銀行が日本の医療関係者に、
秘密裡に低金利の融資をすると言っているがのらないか」という話
がもちこまれた。
融資を受けるにも一定の条件があり、
その他いろいろな飾りつけがなされていたが、それらは伏せる。
親戚はM資金詐欺だと判断し断ったが、「もしかしたら本当だったかもしれない」
という気持はぬぐいきれなかったそうだ。
世界史との絡みで考えると、古くは中世欧州に「プレスター・ジョンの
黄金伝説」なんてものもあったらしいし、「隠された宝物」という線で
考えれば、この手の話のルーツはきわめて古い。
しかし、ルーツが古くてありふれているということは、
嘘だという証拠にはならないので、いつまでもこの手の話が絶えない。

42 :
>>39
ずっと滅びなかったらずっとローマ時代。
>>27
儒家を弾圧したというのは儒家の宣伝であり、実態は思想統制であって儒家以外でも政策を
批判するような連中はみんな弾圧された。

43 :
>>40
ともかくそこを何とか耐えて200年くらい続いたらどうなったかということが
聞きたいのです。例えばフン族の侵入がなかったらとか。
時々思うのですが中世への突入はもっとスムーズなやり方があったのではないか?
と思うのです。西ヨーロッパが暗黒時代にならないやり方があったのではないか?と思うのです。

44 :
そのずっと滅びなかった場合のローマの歴史の推移や文化などが知りたいのです。
初期のローマ帝国と西ローマとじゃもうだいぶ質が違うでしょ?
このローマ末期という時代は他の時代とまったく違いとてつもなく壮大な時代の
ような気がするのです。例えばフン族との戦いは圧巻です。まるで異なる宇宙との激突のようです。
この時代がもっと長く続いていたらと思うのです。

45 :
西ローマ帝国が始まった頃には、ゲルマン人の傭兵部族集団が西欧各地に割拠していた。
経済的・文化的中心は東ローマに移っていたし、キリスト教は国教化してるし、皇帝の権威もイタリア北部にしか及んでいない。
フンとの戦いだって、フランクと西ゴートを焚き付けたアエティウスが頑張っただけで、後継者のシアグリウスはフランクに滅ぼされとる。
よしんば古代以来の西ローマ皇帝が生き残っても、ローマ司教より大きな権威になれたとは思えん。
ユスティニアヌスが名目的な西ローマ皇帝を倒して統一皇帝になったりとか。

46 :
コンモドゥスはしょうがないとして、カラカラをもうちょいマシにするところから始めんといかんな。
ディオクレティアヌスの時代にはもう「古代ローマ」は手遅れだ。

47 :
長く持たせようなんて無駄だ。
軍人皇帝時代に解体していてもよかったのだ。

48 :
後漢が黄巾の乱と以後の戦乱でほぼ崩壊したように、
ローマも3世紀にはもう「中世」に片足突っ込んでんのよ
ゲルマンやフンがこなけりゃ保ったなんて幻想で、
鉱山の涸渇とかキリスト教とかササン朝とか、いろんな要素が絡んで衰退してる
西ローマなんかいきなり西ゴートがきてイタリア滅茶苦茶にしてくし、
476年から200年も続いてたら南からイスラムがやってくるじゃないの

49 :
>>44
そういう戦いの時代が長く続くと文化は発展しない。

50 :
魏晋南北朝時代は戦乱の中でも文化が発展してたぜ

51 :
そもそも“続いていたとしたら〜”を考えるためには
それを許す条件を考えなきゃだよね

52 :
>>51
黄金の国ジパングが地中海に浮上して
金銀が大量に取れて、金本位制が確立して
フン族のアッチラ大王を買収することができたら
ユスティニアヌスの時代までは何とかなったかもしれない。
そしてユスティニアヌスに西のローマ皇帝の位を禅譲して
その子孫がガリア地域を含めてライン川まで固めていたら、
一正面作戦でイスラムにあたることができて、ギリシャの火で
第二次統一ローマ帝国を防衛できたかもしれない。

53 :
ユダヤ人や黒ずくめのユダヤ教狂信者の連中って
モーゼの十戒を破ったらどうなるの?
たとえば人をすなって言ってるじゃん
自分はさなくてもユダヤ人がパレスチナ人を大量にしてると思うけど
それは別にユダヤの協議から見ても別にOKなの?

54 :
神聖ローマ同盟の説明で
「キリスト教的同胞愛に基づく君主同盟である」
とあるのですが、全く理解できません。
同胞愛とは「同一国民、同一民族が互いにいつくしみあう心。」
まあそれは分かるのですが、キリスト教との関わりがよくわかりません。

55 :
>>53
すなって書いてあるけど、ユダヤの神の敵は別。それを受けてイエスは「汝の敵を愛せ」と言った。
それが新しい教えだと。

56 :
どうわからないのか説明したまえ

57 :
>>54
キリスト教徒を対象とする同盟だという事。深く考え過ぎだ。

58 :
>>55
そんなことを言うイエスって当時のインテリだったの?
それともそうでもないの?

59 :
>>58
インテリか電波系か、どっちか。それ以前に本当にそんな事言ったのかも判らないし、
実際に言ったとしてもどんな意図で言ったのかはもっと判らない。
ところで「汝の敵を愛せ」とか「右の頬を打たれたら、左の頬を差しだしなさい」とか、聞いた事ないの?

60 :
少なくとも文字が読め、ユダヤ教の聖書を引用することはできたようで、
洗礼者ヨハネやエッセネ派系の教団と関係があったらしい。
「愛せよ」と言っても、「仲良くしろ、親切にしてやれ」ぐらいなニュアンス。
当時のユダヤは内紛やらテロやら反乱やら貧富格差やらでぐちゃぐちゃだったから、
まあ頭を冷やして平和にやろうや、争ってもろくなことはない、と説いたようだ。
それで済んでればよかったが、ついメシアをきどって劇的に死んだりするから…。

61 :
>>59 >>60
ありがとうございます。
大昔すぎるし、早死したしであまりはっきりわからないということですかね。
当時で文字読めるってかなりすごいことで、教育を受けられる
ぼんぼんの生まれだったのかな
>ところで「汝の敵を愛せ」とか「右の頬を打たれたら、左の頬を差しだしなさい」とか、聞いた事ないの?
それくらいは聞いたことあります。

62 :
>>61
>それくらいは聞いたことあります。
それは失礼。新約聖書によればイエスは大工の息子である。30代で洗礼者ヨハネの洗礼を受けて修行を始め、
その後布教活動を始めた。受胎告知や生誕などのエピソードを別にすると生い立ちに関しては書いて無い。
いずれにしても福音書が書かれたのはずっと後、100年も200年も経ってからなので正確である保証も無い。
というか、布教の為に書かれたものだからその目的に遭うように創作されているのは言うまでもない。

63 :
不義(婚前交渉)の子であるイエスは被差別者達の気持ちが良くわかったんだろう

64 :
>>61
大工の親方だったから(聖書では大工の息子になっているけど
おそらく大工仕事をしただろうし、ヨセフが早く死んだから親方を受け継いだと
思われる)
四則演算はできただろうし、図面も引けたのではないかな
日本でも、古いお寺さんの解体修理のときに
大工の人たちの落書きがたくさん出るけど、きちんと字をかいたり、
わりとうまい絵を書いたりしたのがでてくるじゃないか

65 :
建築士

ドカタ

くらい階層差があったりしてな。

66 :
昔何かの本で読んだのでソースも出典もわからないが、
イエス在世当時は、建物の建材は土、日干し煉瓦、石材が普通で、
材木を扱う大工職は主に車大工。当時、車に乗ったのは貴族以上なので
車大工は高給の技術者で、ある程度のインテリだったそうだ。

67 :
材木を扱うなら船大工のほうがしっくり来るんでは?
ガリラヤ湖も近いから、寒村のボロ舟を修繕したり。
イエスには何か都会や金持ちに対する反感があるから、
貴族に頭下げて車大工の仕事をもらうなんてちょっとしっくりこないな。

68 :
>>68
>材木を扱うなら船大工のほうがしっくり来るんでは?
>ガリラヤ湖も近いから、寒村のボロ舟を修繕したり。
そういや、使徒にも、漁師出身者が複数いますね。
湖を舞台にした布教とか奇跡のシーンも出てくる。
逆に、大工関連の人物は出てこないイメージ。

69 :
家建ててから大工と訳したのに、
大工だから木材を扱っていたと勝手に解釈していたり。
本当は粘土を型に詰めて積むのが仕事だったのに……
……とかいうことは有るのか無いのか。

70 :
>>66を書いた者ですが、ラトゥールの名画『大工の聖ヨセフ』には、木材に穴を開けるヨセフが
描かれている。英語訳新約聖書ではcarpenter(木材限定の用語)。
少なくとも欧州ではヨセフは石工ではなく「木材の大工」と認識されている。
しかし新約ギリシア語のtektonはもっと意味が広かった可能性もある。
>>66で書いたのは本に書いてあった一解釈。ヨセフの生業は「ものをつくる人」
以外ははっきりしないのだろう。

71 :
>>70
それからイエスキリストって、英語式に言えば、カーペンター・キリスト
になるな
英語のyes って、イエスキリストから来てるの?
英語だと発音違うのか

72 :
>>70
欧州では東も西も偶像崇拝に変貌しきってしまうくらいキリスト教が変質しまくっているからな。

73 :
韓国のキリスト教ってさ、なんでああいう異様に変質するのかな?

74 :
っていうかそろそろキリスト教スレでも移動したらどうでしょうか

75 :
NHK−BSで放送してた「大聖堂」というドラマの中で、
前半の主役の大工トムのことを、いちいち建築大工と呼んでたのが、
どうにも気持ち悪かった。
なんで、ただの「大工」じゃだめなのか?
建築大工と大工で、なにか差異があるのか?

76 :
>>75
今の建築現場でも、大学出のインテリや親方から
茶髪のDQN、下手をすれば外国人まで
それこそいろいろな種類の人間が、ひとつの目的のために働いているじゃないか
その総合プロデューサーと呼べるような人と、
茶髪のDQNをひとくくりにすることができるのかね

77 :
ウィキで大聖堂を検索すると、トムの姓名はトム・ビルダーなんだよね。
単純にトム・ビルダーを建築大工のトムって訳してるだけなんじゃ・・・
ていうか、トム・ビルダーって、姓名というより大工のトムって意味?

78 :
知らないけど、両方かもな
英語の姓でビルダーとかカーペンターとかベイカーとかフィッシャーとかは、
そもそも職業が苗字になったものなわけで

79 :
メッセンジャー
グライシンガー
スパイアー

80 :
日本語でも宮大工、家大工、町大工、船大工、造作大工、数奇屋大工などいろいろある

81 :
>>71
イエスキリストはギリシャ語風。英語ではジーザス・クライスト。カーペンター・キリストってのは何だ?
ジーザス・ザ・カーペンターならまだ判るが。

82 :
>>55
ユダヤ人はユダヤ人をしてはいけないって事だけど
イスラエルのユダヤ人も当然人事件もあると思いますが
単なる法律での罰以外に宗教的な裁きってあるの?

83 :
ギリシャやローマの重装歩兵は西アジアの騎馬弓兵にどうやって対抗したのでしょうか?
亀甲陣形などではジリ貧になりそうですし、軽装歩兵や投げ槍も数が無いので決定的な攻撃はできなさそうですが。

84 :
キリスト教総合スレッド その9
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1312018555/

85 :
>>82
ああいった社会では法もまた神に由来するものであり、そういう区別はつけない。

86 :
>>83
ギリシャやマケドニアと戦ったアケメネス朝の場合、騎馬弓兵はまだ主戦力というほど多くない。
重装騎兵や戦車で突撃するのが主で、ほかは支配地域から徴集した歩兵やラクダ兵。
ローマと戦ったアルサケス朝(パルティア)でも主戦力は重装騎兵だったが、
カルラエの戦いでは騎馬弓兵を活用し、砂漠に敵軍をおびき寄せて勝った。
しかし、アルサケス朝はゆるい連邦国家で、ローマに攻め込むより国内をまとめるのが大事だったから、
相手をある程度叩けば威勢を内外に示せるし、攻め込まれてもスキタイ流の焦土(砂漠)戦術で対抗できた。
ただし連合が緩んでるときに叩かれると瓦解しやすい。
ローマ側も重装歩兵だけではなく、各地から騎兵を集めて対抗したし、国境防衛に専念すれば充分だった。

87 :
>>86
ありがとうございます。
フンやモンゴルほど徹底的にはやってないから重装歩兵でも大問題にはならなかったのですねl

88 :
歴史時代の直前に起こった食料生産革命()の関連として
某参考書が潅漑を挙げてるけど
この時代潅漑なんてあったの?

89 :
前6千年紀にはエジプト・メソポタミアなどで行われていたようで、
自然な降水だけでは生育できない大麦が栽培されていた。
エジプトの場合はナイルの増水を溝掘って耕地に導けばいいが、
メソポタミアでは急な洪水が起きるので貯水池整備が必要。
インダス川流域やペルーにも古い灌漑遺跡が見られる。

90 :
>>88
引数は無しでいいのか?
食料生産革命に考えられる引数とか訊かれると困るが。

91 :
粘土質の土を運んできてカナートみたいなものを作ったのかもしれないね。

92 :
一億と二千年前から灌漑中
っていうスレがあった
懐かしい

93 :
>>89
小麦の間違いだろ
大麦なんて斜面の焼畑でも作れる

94 :
一万年と二千年前から耕してる

95 :
晩年のアウグストゥスとイエスは、時代的に会う可能性があったと考えてOK?

96 :
NO。
アウグストゥスの死は西暦14年8月で、享年76歳。
病弱で老いたアウグストゥスは、晩年はイタリアの外にも出ていない。
ナザレのイエスはまだ10代で、親元を離れて遥かイタリアに旅するなんて無理。

97 :
イタリアの当時の資料に
キリスト関連の「イスラエルで王を語ったものが死刑」
みたいのあったの?

98 :
仮に会えたとしても、何語で会話する?
アウグストゥスはアラム語もヘブライ語も分からんし、
イエスもギリシャ語やラテン語は分からんぞ。

99 :
パンチして見る

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