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2011年11月1期31: 【独裁者】山本五十六【暴走】3 (869) TOP カテ一覧 スレ一覧

【独裁者】山本五十六【暴走】3


1 :11/10/29 〜 最終レス :11/11/13
ハワイを独断で攻撃し(東条ら政府も知らない)、それによって
自国が攻撃でもされない限りアメリカは戦争に参戦しない
というルーズベルトの公約は反故になった。
全米国民が対日・対独全面戦争を支持と米国世論は一転。
これによって日本は大敗、300万の犠牲者が出た。
前スレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1318084881/

2 :
■山本五十六
皆のの反対を押し切って強行に米国本国であるハワイ、西海岸を攻撃し、
米国を無理やりWW2に引きずり込み、日米を全面戦争に突入させた張本人。
本国・ハワイ攻撃さえなければ大統領の非戦公約によって、
米国は欧州戦、太平洋戦線に本格参戦することは出来なかった。(世界大戦には発展しない)
国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)では、
米国との和平を視野に入れていたが、海軍の独断による
ハワイ攻撃(東条首相ら政府には知らされていなかった)によってそれは絶望となった。
中国戦線を拡大させた近衛内閣の海軍次官で、中国空爆推奨者。
海軍機の防弾装備を無くさせた海軍の欠陥航空機開発の責任者(航空本部長)
魚雷の装備を省いた特攻専用の特殊潜航艇の製作を命令。

3 :
日本では侵略戦争という言葉が良く使われるが
その意味を理解してる日本人は皆無といっていいだろう。
侵略戦争を定義すると
相手国に対する先制攻撃
このようになる。
では自衛とは関係ない「相手国に対する先制攻撃」を日本で
だれがやったかと言えば、明確なのは海軍・山本五十六しかいない。
だから太平洋戦争で日本が侵略戦争の罪をとわれるならば
真っ先に、真珠湾奇襲を企てた関係者が戦犯に問われるべき。
しかしそれと関係ない東条が、海軍の戦争犯罪の罪をなすり付けられて
処刑された。

4 :

■日本を支持し続けていた米共和党
1932年、フーバー大統領と共和党は満州国を承認する法案を議会に提出する準備を進めていた。
与党共和党は、ソ連を国家と承認せず、逆に満州国を国家として承認するする方針だった。
しかし大統領選でルーズベルト(左派・民主党 親ソ)に敗れたため反故にされた。
そして民主党ルーズベルトは共和党の反対を押し切りソ連を国家と承認した。
以下引用
 日米開戦に先立つ前の時期、共和党は日本よりもソ連を警戒しシナの共産化を怖れており、
日米開戦には否定的な主張をしていた。
当時、共和党のフーバー元大統領は「ソ連を助けて参戦することは、共産主義を世界に捲き広げることになる」と主張し、
真珠湾攻撃に至るまでは共和党議員のほぼ全員が対日戦争に強く反対しており、
「対日圧力を中止せよ」と民主党のルーズベルト大統領を批判していたのだ。
大統領時代にフーバーは、満州事変に対して「日本に経済制裁を加えよ」という民主党や
ヘンリー・L・スチムソン国務長官(共和党員ながら容共・親中反日であったために、
後のルーズベルト政権でも陸軍長官に起用)の主張を一蹴している。
また1932年10月の閣議においてフーバーは、ソ連によるシナ赤化工作を警戒して
「アメリカは日本と久しく深い友好関係にあったし、日本の立場をも友好的に見なければならない」という覚書を提出し、
満州事変は日本の正当な治安維持措置であり日本は共産主義の防波堤だと力説している。
http://jpn.yamato.omiki.com/documents/two_america/4-2.html

5 :
>>2
>>しかし海軍はこの国の基本方針を無視して独断でハワイを攻撃し
アウト
陸軍首脳も承知していた
11月5日の御前会議を終えてから、
永野海軍軍令部総長と杉山陸軍参謀総長から天皇陛下に陸海両軍の作戦内容を奏上し、御裁可を受けています。
この奏上には
>開戦劈頭退菲島及馬来ニ対スル先制空襲ト成ルベク時ヲ同ジク致シマシテ
>第一航空艦隊司令長官ノ率ヰル航空母艦六隻ヲ基幹トスル機動部隊ヲ以チマシテ
>布哇在泊中ノ敵主力艦隊ヲ空襲致シマス
>右機動部隊ハ千島ニテ補給ノ上開戦十数日前内地ヲ進発致シマシテ布哇北方ヨリ近接シ
>日出一、二時間前「オアフ」島ノ北方約二〇〇浬附近ニテ
>全搭載機約四〇〇機ヲ発進セシメ碇泊中ノ航空母艦、戦艦竝ニ所在航空機ヲ目標トシテ
>奇襲攻撃ヲ加フル計画デ御座イマス
>本奇襲作戦ハ桶狭間ノ戦ニモ比スベキ極メテ大胆ナル作戦デ御座イマスガ
>奇襲当日敵艦隊ガ在泊シテ居リマス限リ戦艦及航空母艦各二、三隻ヲ撃沈致シマスコトハ可能ト存ジマス
>尚敵艦隊ノ動静ニ関スル情報入手ノ方法ニ付テハ凡有ユル方法ヲ講ジテ居リマス
と、開戦日の設定以外(11月5日の時点で決定されているはずもありませんね)は
のちの真珠湾攻撃そのものと言って良いほど詳細に陛下に奏上されています。
この場には杉山陸軍参謀総長が同席していますから、
少なくともこの時点で陸軍にも確実に真珠湾奇襲の計画は伝わりました

6 :
■ビンラディン容疑者は、山本五十六並みの犯罪者だから害して当然。
アメリカ公式見解
アメリカ国内では、パキスタンに潜伏していたビンラディン容疑者が武器を所持していなかったにもかかわらず、
アメリカ軍の特殊部隊に害されたことについて、その正当性を問う声が出ています。
これについて、ホルダー司法長官は、4日、議会上院の司法委員会で証言し、
国際テロ組織アルカイダのリーダーであるビンラディン容疑者の害は、
アメリカを自衛するための行為だとしたうえで、「敵の司令官を標的にすることは合法だ。
第2次世界大戦中に行った山本五十六の害もそうだ」と述べました。
ホルダー長官は、このように、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六連合艦隊司令長官が乗った軍用機をアメリカ軍が撃墜した作戦を、
今回の作戦になぞらえて、ビンラディン容疑者害の正当性を強調しました。アメリカでは、同時多発テロ事件の直後に、
当時のブッシュ大統領が「真珠湾攻撃と並ぶ卑劣な行為だ」と非難するなど、同時多発テロ事件を、
アメリカの領土が奇襲されたという点で共通する旧日本軍による真珠湾攻撃と重ね合わせて論じることも少なくありません。

7 :
『山本五十六は生きていた』(第一企画出版)
日米の戦局を大きく左右することになったミッドウェー海戦です。
どう考えても意味が理解できないおかしな作戦になぜ踏み切ったのでしょうか。
この作戦は山本五十六が徹底的にこだわったと言われています。
反対の意見が多かったにもかかわらず、この作戦が採用されなければ自分は司令長官を辞任する、とまで言って強引に通しているのです。
そして、もうひとつ疑問に思ったことは、日米の戦力が全くの互角だったあの海戦では日本が勝利する可能性もあったはずなのに、
アメリカがあたかも勝利を確信しているかのように落ち着いて日本の艦隊を待ち受けていたのはなぜなのかという点です。
もし、あの戦いで日本が勝利を収め、アメリカの主だった空母が沈められることになれば、戦争は圧倒的に日本が有利になっていたからです。
この本によれば、その答えは、日本の艦隊を指揮していた山本五十六や南雲忠一はフリーメーソンだったから、
アメリカは安心していたのだというのです。必ず日本が負けるような作戦をとってくれるとわかっていたのだとか。
これで全ての謎が解けました。つまり、山本五十六は最初から負けるためにミッドウエー海戦を仕組んだのでした。
もともとあの戦争は日本を負けさせるためだったのです。そのことが具体的な情報に基づいて、大変な説得力をもって書かれています。
  要するに、日本の政界や軍部の中枢にはフリーメーソンの信奉者が数多くいて、
日本を敗戦国にすることを目的として戦争に突入していったということなのです。
これでは、純粋に日本の国益を守るために命を捧げた多くの兵士の魂は浮かばれない気がします。
そう言えば、戦後、東京で戦争責任が問われたのは陸軍ばかりで、真珠湾攻撃を計画した山本五十六や、
その指揮を執った南雲忠一らは全く罪に問われていないどころか、その後まるで英雄扱いをされているのです。
この落差は異様だと思いませんか?

8 :
日本帝国海軍の中枢は欧米派で色どられ、その内の主要な人物はユダヤ・フリーメーソンですらあった。
このため日本の海軍はあらゆる太平洋上の戦闘で不可思議な動きをする。
それは敵に手ごころを加え、まるで負けることを目的としたかの如き戦いぶりであった。
また陸軍についても同様のことが言えた。
大本営参謀本部の高級参謀たちはつねに無謀極まる作戦計画を立てては日本軍に多大な損害を与え、多くの将兵を失う結果を招来した。
陸軍参謀本部といえば陸軍大学を優秀な成績で卒業したエリート中のエリートである。
その彼らが、まるで痴呆のように拙劣な作戦を立案してはそれを強行し、日本軍に取り返しのつかない打撃を与え続けたのである。
参謀本部のエリートたちもやはり日本を敗北に導くために「世界支配層」によって操られた者たちであったのだ。
彼らの一部はユダヤ・フリーメーソンであり、またその一部はソ連と通謀した共産分子であった。
国家としてあろうことか、日本はこのような売国的戦争指導者たちによって太平洋戦争を戦わなければならなかったのである。
太平洋戦争は大きく分けると4つの局面で展開していく。
それは「開戦・進攻」、「戦局反転」、「特攻・玉砕」、「斜陽・終戦」である。
そしてそれぞれの局面で日本軍はいつも決定的な失策を犯し、戦局は暗転していくが、その失策を犯す人間はある特定の人物であり、
その人物の指導により日本軍は決まって壊滅的な打撃を受けるのである。
太平洋戦争は勝てるはずの戦いであった。いや、勝てないまでもこのように悲惨な負け方をするはずのない戦争だった。
日本軍の兵の士気、優秀さ、空母、戦艦、航空機など兵器や物量の点においても日本の戦力は充分にアメリカを凌駕できるものであった。
にもかかわらずこのような負け方をせざるを得なかったのは、戦略や作戦に携った司令官や参謀たちの多くが無能であったという以上に、
敵と密通し日本が敗北することを望んだ奸たちがいたからに他ならない。日本は戦う前にすでに敗れていたのである。

9 :
山本五十六は戦術兵器としての戦闘機改良には大いに貢献したと言えるが、
海軍の航空化には賛成しても、空軍の独立には一貫して反対であった。
イギリスではすでに大正7年(1918年)に空軍を独立、ドイツでもナチス政権が昭和10年(1940年)には空軍を創設していた。
あれほど航空戦力を重視した五十六に、空軍独立の必要性と重要性がわからなかったはずはない。
山本五十六は意図的に日本空軍の創設を拒んだのである。
その狙いは2つあった。1つは、日本が独立した空軍を持つことで(米英軍に対して)戦略的な優位に立つことを恐れたからであり、
もう1つは、来たるべき対米戦で真珠湾攻撃を行なう際に、すべての航空戦力を自分の指揮下に置いておくためであった。
日本の航空戦力を海軍の補助戦力として位置づけることによって、日本は確実にアメリカよりは劣勢でいることができる。
フリーメーソンの山本五十六はそのように考えたに違いない。
海軍大学校教官・加来止男中佐(のちに空母「飛龍」艦長。ミッドウエー海戦で艦と運命をともにした)と
陸軍大学校教官・青木少佐は連名で、陸・海大学校長あてに空軍独立の意見書を提出するが、
山本五十六を本部長とする海軍航空本部はこれに対して、正式に空軍独立反対を表明するのである。

10 :
連合艦隊司令長官に就任した山本五十六は日米開戦はもはや避けられないものとして、
いつの間にか真珠湾攻撃を口にするようになる。
欧州ではすでに昭和14年(1939年)9月3日、第2次世界大戦が勃発してドイツが破竹の進撃を続けていた。
欧州で苦戦を続ける英仏を救済しアメリカを参戦させることはアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトの
基本戦略であった。ルーズヴェルトは英首相チャーチルと共謀して日本を追い込み、
先に攻撃を仕掛けさせてアメリカの世論を激昂させ、その怒りで対独伊戦、対日戦を正統化しようと目論んだ。
フリーメーソン山本五十六はルーズヴェルトとチャーチルに協力してハワイ奇襲攻撃の構想を練ったのである。
山本五十六が連合艦隊司令長官に就任して半年あまり経った昭和15年3月、真珠湾攻撃を想定した
実戦さながらの雷撃訓練が行なわれた。五十六の計画の中には、すでに機動部隊による真珠湾攻撃の具体的構想があったのである。
ハワイ奇襲攻撃の猛訓練は鹿児島県志布志湾を中心に行なわれた。こうして訓練に訓練を重ねた第一航空艦隊
(空母6隻を中心とした機動部隊。司令長官は南雲忠一中将)は択捉島単冠(ひとかっぷ)湾に集結、
昭和16年(1941年)11月26日、秘かにハワイに向けて出航した。日本時間12月8日午前3時25分、
6隻の日本空母から発進した第一次攻撃隊183機は、ハワイ・オアフ島パール・ハーバーにある
アメリカ太平洋艦隊の基地を奇襲した。
アメリカ大統領ルーズヴェルトはこの奇襲攻撃を事前に知っていた。
日本の外務省が使用していた「紫暗号(パープル)」はアメリカに筒抜けであったが、
この裏には日本に暗号解読の協力者がいたと見なければならぬ。
真珠湾に集結していた米太平洋艦隊は、主なもので戦艦が8隻、重巡1隻、軽巡3隻、そして駆逐艦5隻で、総計17隻であった。
不思議なことに空母レキシソトンはミッドウェーに飛行機を輸送中であり、エンタープライズはやはり飛行機を輸送しての帰路で不在、
サラトガはアメリカ本土西海岸にいたために無事であった。

11 :
被害を受けた戦艦はいずれも1910〜1920年代に就役した旧式艦であり、
しかも攻撃し易いようにわざわざ真珠湾に沿って一列に並べて停泊してあった。
戦艦アリゾナは撃沈、他の艦は転覆、海底沈座、大破、中破、小破などの被害を受けたが、真珠湾は海底が浅く、
海底に沈座した戦艦等はいずれも引き上げが容易で、短期間のうちに修理、再就役し、
太平洋戦争中期からは攻撃力を発揮したのである。
  こうしてみると真珠湾攻撃というのは一種の茶番劇であったことがわかる。
山本五十六は真珠湾攻撃の「大成功」により英雄視されているが、
その結果残ったものは「日本の卑怯な騙し討ち」という非難と、アメリカの対日積極参戦の意識高揚、
そして今も観光地ハワイの真珠湾海底に沈む戦艦アリゾナの残骸だけである。
この時死んだアメリカ兵2403名は今でもアメリカ人にとって対日憎悪の原因となっている。

12 :
真珠湾攻撃にはいくつかの不可解なことが起こっている。
ひとつは宣戦布告の通知が遅れたこと、そしてもうひとつは攻撃の不徹底さである。
通知が遅れた件に関しては、これは最初からそう仕組まれたものであったと言うほかはない。
これは一体何を物語るものであろうか。答は2つ。
外務省の大使館員は天下一の無能集団であるか、さもなくば確信犯であったということである。
おそらく真相は後者であろう。
戦後ポルトガル駐在公使だった森島守人が、
帰国するなり吉田茂外相にこの最後通牒手交遅延の責任を明らかにするよう進言したが、
吉田は結局この件をうやむやに葬り去ってしまった。
吉田茂こそ日本を敗北に導いた元凶のひとりフリーメーソンであった。
当時の日本大使館員たちは戦後いずれも「功労者」として外務次官や駐米、国連大使となり栄進した。
  日米開戦の最後通牒が遅れ、真珠湾攻撃が卑怯な騙し討ちになったことで、
アメリカ人の世論は開戦派が以前の3%から90%にはね上がっている。
日本外務省と大使館の責任はまことに大きいと言わざるを得ない。

13 :
>>1-11
土足が何度バカスレ立てても無駄無駄w
57 名前:名無し三等兵 投稿日:2011/05/19(木) 00:01:56.28 ID:???
東京で東條はこう言ってるんだよな
「ハワイを攻撃するのみならず四つの地点を同時に奇襲することになっていました。すなわちハワイ、フィリピン、マレー、香港であります。その一つが暴露したならば奇襲とはならないのです。
しかし実際は四つの攻撃のなか、二つは実施以前既に暴露されていたのです」
「当時私は、奇襲の成功はとうてい覚束ないと思っていました。情勢から推して、ハワイ沖には巡視するものがあるだろうと私は考えました。
それにもかかわらず空母を含め大艦隊が、発見される可能性のきわめて大きい場所を数日間遊弋しなければならなかったのです。
米軍当局が峻厳なる警戒を命じていたことを私は終戦後に知りました。それはきわめて当然なことであると考えます」
「一つには米国の警戒が不十分であったという意味で奇襲は成功したのでした」
58 名前:57 投稿日:2011/05/19(木) 00:08:00.86 ID:???
……これで東條が真珠湾を知らなかったとかw
59 名前:名無し三等兵 投稿日:2011/05/19(木) 00:11:22.61 ID:InjRve++
>>58
東条が真珠湾奇襲を事前に知らなかったのは
日本人ならばそれは常識。
おまえ外国人だろw
60 名前:名無し三等兵 投稿日:2011/05/19(木) 00:18:55.01 ID:???
>>59
東條自身がこう言っている以上、事前に知っていたのは
人間ならばそれは常識。
おまえ猿だろw

14 :
>>1
アウト
陸軍首脳も承知していた
11月5日の御前会議を終えてから、
永野海軍軍令部総長と杉山陸軍参謀総長から天皇陛下に陸海両軍の作戦内容を奏上し、御裁可を受けています。
この奏上には
>開戦劈頭退菲島及馬来ニ対スル先制空襲ト成ルベク時ヲ同ジク致シマシテ
>第一航空艦隊司令長官ノ率ヰル航空母艦六隻ヲ基幹トスル機動部隊ヲ以チマシテ
>布哇在泊中ノ敵主力艦隊ヲ空襲致シマス
>右機動部隊ハ千島ニテ補給ノ上開戦十数日前内地ヲ進発致シマシテ布哇北方ヨリ近接シ
>日出一、二時間前「オアフ」島ノ北方約二〇〇浬附近ニテ
>全搭載機約四〇〇機ヲ発進セシメ碇泊中ノ航空母艦、戦艦竝ニ所在航空機ヲ目標トシテ
>奇襲攻撃ヲ加フル計画デ御座イマス
>本奇襲作戦ハ桶狭間ノ戦ニモ比スベキ極メテ大胆ナル作戦デ御座イマスガ
>奇襲当日敵艦隊ガ在泊シテ居リマス限リ戦艦及航空母艦各二、三隻ヲ撃沈致シマスコトハ可能ト存ジマス
>尚敵艦隊ノ動静ニ関スル情報入手ノ方法ニ付テハ凡有ユル方法ヲ講ジテ居リマス
と、開戦日の設定以外(11月5日の時点で決定されているはずもありませんね)は
のちの真珠湾攻撃そのものと言って良いほど詳細に陛下に奏上されています。
この場には杉山陸軍参謀総長が同席していますから、
少なくともこの時点で陸軍にも確実に真珠湾奇襲の計画は伝わりました
出典が、戦史叢書の上記文章の反論に個人の主観が入りまくりの教訓書なんか出すのは
大馬鹿者のやることですよ。

15 :
「要スルニ宣戦ノ大詔ノ取扱ヲ真珠湾攻撃秘匿ノ手段トシテ取扱タル如キ意志ハ毫モナカリキ。
(中略)真珠湾ノ攻撃ガ其ノ奇襲ニ成功セルハ天祐ト考ヘアル処ニシテ、米大艦隊ノ同地集結セルハ明瞭ナル処ニシテ、
従テ其ノ警戒又厳重ナラントハ之レヲ創造シタル処、之レニ対シ吾レハ大艦船ヲ以テ接近スルコト故、其ノ成功ニハ多大ノ疑点ヲ有セリ。
其ノ際外交上ノ重大ナル不利ヲモ冒スコト、政府トシテ忍ビザルトコロニシテ、従テ毫モ斯クノ如キコトハ考エザリキ」
……出典は『真珠湾攻撃ヲ中心トスル諸問題ニ就イテ』。真珠湾攻撃が騙し討ちではないことを立証する際に必ずと言ってよいほど引用される、超有名な一級史料だ
著者? 東條その人だよ

16 :
いまだに真珠湾攻撃がアメリカの世論を激昂させたとかバカ言っているのかねw

17 :
>>16
だって土足だもんw
本格的に頭が悪いからなw

18 :
>これは一体何を物語るものであろうか。答は2つ。
>外務省の大使館員は天下一の無能集団であるか、さもなくば確信犯であったということである。
>おそらく真相は後者であろう。
いや、単にこれを書いた人が不勉強なだけ。
宣戦布告のタイミングについては閣議で話題になり、
作戦に適合するようにやるようにと陸軍から要請があり、
杉山が時期について預かることになっている。
つまり、外務省云々ではなく陸軍がそれを求めたから
外務省はその方針に従ってやったに過ぎない。
吉田が追求しなかった?
それはハルノートへの返事の話。
あんな交渉打ち切りにすらなってないのが遅れようが間に合おうが関係ないし、
(そもそも宣戦布告たる開戦の詔勅は12月8日正午に英米駐日大使に手交されているので本当に関係ない)
そんなの問題にならないほどの大事態で外務省の責任とかひまなことやってらんないだけでしょうに。

19 :
ところで「攻撃の不徹底」であるがそれには2つの意味がある。
ひとつは真珠湾上のアメリカ海軍艦船に対するものであり
もうひとつはハワイ太平洋艦隊海軍基地の陸上軍事施設に対するものである。
真珠湾攻撃で受けたアメリカ太平洋艦隊の実際の被害状況は当初発表された程大きなものではなかった。
戦艦8隻のうちアリゾナとオクラホマを除き残りの6隻はその後すべて水深15メートルという浅い海底から引き上げられ、
修理されて、いずれも戦線へ復帰して大活躍しているのである。
また陸上施設については南雲第一航空艦隊司令長官による第1次、第2次攻撃隊は全く手を触れておらず、
第3次攻撃隊を出すことも中止している。第3次攻撃に関してはほとんどの艦隊幕僚が実行の提案をし、
現に第11航空艦隊司令長官の山口多聞少将は第3波攻撃準備を完了していたが、
南雲中将や草鹿第一航空艦隊参謀長や源田参謀はおろか、
はるか後方の旗艦「長門」で高見の見物をしていた山本五十六連合艦隊司令長官までがその必要性を認めていないのである。
もし、この時第3次攻撃を敢行し、艦隊に対するもっと徹底した攻撃と、
陸上のハワイ空軍基地の格納庫、補給庫、給油施設、武器弾薬貯蔵庫、
さらにはアメリカ海軍基地の補給、修理施設、工場群、燃料タソク群を破壊しておれば、
太平洋の戦局は大いに変わったものとなったであろう。

20 :
ハワイがアメリカの太平洋艦隊の最も重要な海軍基地であったことを考えるならば、
この攻撃不徹底はいかにも奇異なものであると言わなければならない。
ハワイの燃料タンクに貯蔵されていた重油450万バレルを爆撃しておれば、
アメリカ本土からの補給は数カ月間にわたって不可能となり、アメリカの太平洋艦隊は身動きがとれなかったのである。
さらにもうひとつつけ加えるならば、ハワイ攻撃の日がなぜ12月8日であったかということだ。
もちろん日米交渉の行き詰まり、最後通牒の日程上この日になったというのはひとつの説明であるが、
山本長官が、この日は真珠湾にアメリカ空母がいないことをあらかじめ知っていたからであろう。
山本五十六はハワイを徹底攻撃する気は最初からなかった。
日本がアメリカを奇襲攻撃し、「卑怯な日本」という既成事実をつくればそれでよかったのである。

21 :
昭和17年5月、帝国陸海軍はニューギニア進攻作戦を実行する。
この作戦の主目的はニューギニアのポートモレスビーを攻略して強固な前進基地を構築し、
アメリカとオーストラリアの分断を計り、オーストラリアを孤立させることだった。
この頃、大本営では陸海軍の戦略思想の対立が再び深刻化、
陸・海軍省および参謀本部・軍全部で戦争指導計画の再検討が行なわれ、
「今後採ルペキ戦闘指導ノ大綱」が妥協によって3月7日に成立した。
そして「戦況の許す限り、できるだけ早く占領あるいは撃滅する必要のある地域」として次の3部に分けられた。
(1) ソロモン諸島のツラギ、およびニューギニア南岸のポートモレスビーの基地を占領し、
   珊瑚海とオーストラリア北部の支配権を確立する。
(2) ハワイ北西の太平洋上に広がるミッドウェー環礁を一挙に水陸両面作戦により襲
   撃する。
(3) フィジー、サモア、ニューカレドニアを結ぶ線を確保し、アメリカ合衆国とオーストラリ
   アとの直接連絡路を断つ。
  このうち(1)と(2)は山本長官の発案だった。計画(1)の暗号名は「MO」、計画(2)は「MI」とされ、
この2作戦が失敗した場合、計画(3)は中止するというものだった。
こうして先ず「MO」作戦が山本長官の強い意志で実行されたのであるが、その真の意図は、
この作戦によりアメリカ太平洋艦隊をこの海域におびき出して決戦を挑み、日本の連合艦隊を撃滅させることだった。
驚くなかれ、山本長官の狙いはアメリカの太平洋艦隊を撃破することではなく、その逆だったのである。
ニューギニア進攻作戦そのものは米豪連合軍の激しい反撃に遭って挫折、ポートモレスビーの陸路進攻も失敗するが、
海路からこの地を攻略するため井上成美中将の指揮する第四艦隊は、珊瑚海において5月7日、8日の両日、
アメリカ太平洋艦隊(司令長官チェスター・W・ニミッツ大将)と激突するのである。

22 :
この海戦で日米はほぼ互角のたたき合いとなり、7日の戦闘で日本側は空母「祥胤」1隻を失い、
米側は駆逐艦と油槽艦各1隻、続いて8日は日本側は空母「翔鶴」が被弾、
米側は空母「レキシソトン」が沈没、「ヨーククウン」は大破した。
ところがこの時、井上中将はなぜか「ヨークタウン」にとどめをさすことをせず、攻撃を中止して北上するのである。
この「ヨーククウン」がハワイの海軍基地に帰り、わずか2日間で修理されて2カ月後に起こったミッドウェー海戦に参加、
あの連合艦隊撃滅の立役者となるのである。
この珊瑚海海戦で井上成美第四艦隊司令長官の果たした役割は一体何であろうか。
それは「手ぬるい攻撃」によって引き起こされた戦術的勝利・戦略的大敗北に他ならない。
しかも真珠湾攻撃同様、暗号はことごとく米軍によって解読されていた。
ニミッツによる空母2隻の急派も日本海軍のMO作戦をすべて事前に知っていたからであった。
結果として日本軍はポートモレスビーの攻略に失敗、南太平洋の戦局は厳しいものとなり、日本軍の限界を示すものとなった。

23 :
>>19-22
土足は本当に無能で屑だなぁw
だからソースの信憑性の高さが自分で判断出来ないから、バカコピペ
繰り返して自分で考えているつもりになれるんだろう。
何故かと言えば、自分がどの位無能なのか理解出来ない程度の能無しだからw
このコピペ元もちゃんと作戦や戦闘の推移を追えてないというのが
簡単に判る訳だが、土足は無能だからそれが理解出来ないw
ま、だから土足は今までも今もこれからも無能で屑の法螺吹き土足である訳だがw

24 :
>>22
翔鶴被弾で、残存機が瑞鶴に群がってきたから、着艦を優先するため損傷機をどんどん投棄して、
艦攻6,艦爆9氏か残ってなかったんだから、攻撃兵力として過小すぎたからだろ。

25 :
こうしてミッドウェー攻略作戦は陽動作戦であるアリューシャン作戦とともに陸海軍の合同兵力で推進されることになった。
ミッドウェーは太平洋上の最西端に位置する拠点であった。日本にとってもこの地点を攻略することにより
東京空襲の阻止はもちろんハワイの再爆撃も可能であった。当然この作戦は秘密裡に、しかも迅速に遂行されねばならなかった。
ところが日本海軍が用いていた暗号はことごとくアメリカの暗号解読班によって傍受され、
その全容はアメリカ海軍首脳部に筒抜けであった。
日本海軍は秘密保持のため「JN25暗号」を定期的に変更すべきところを怠ったのである。
本来、変更は4月1日の予定であった。これが5月1日に延期され、さらに戦闘開始直前の5月28日まで再延期された。
このおかけで米暗号解読班は「JN25」を完全に解読するチャンスを得たのである。
この暗号解読により日本軍が画策したアリューシャン列島への陽動作戦は全く用をなさず、
始まる前からアメリカ軍にはわかっていたので、ニミッツは全力をミッドウェーに投入するために迅速な手を打った。
6月4目の海戦に備えてフレッチャー少将の率いる第17機動部隊(空母「ヨークタウン」など)は
日本軍に悟られることなく絶好の位置に待ち伏せすることができた。
山本長官は暗号の変更を延ばし延ばしにし、アメリカ側に「MI作戦」の全貌を知らせた上で日本海軍の総力を投入し、
その壊滅を策謀したのである。
ミッドウェー作戦には、無能であり、しくじることがわかっている南雲忠一中将や草鹿龍之助少将を最も重要な機動部隊に起用し、
自らは後方400キロの北西海上で旗艦「大和」や戦艦「長門」「陸奥」などとともに主力部隊にとどまり、
これまた高見の見物をしていたのである。

26 :
米太平洋艦隊司令長官チェスター・W・ニミッツは珊瑚海海戦で空母「レキシントン」を失い
「ヨークタウン」を大破された第17機動部隊司令長官J・フレッチャー少将をハワイに急遽呼び戻し、
さらに珊瑚海海戦に間に合わず無疵でいたハルゼー中将率いる第16機動部隊を合衆国艦隊司令長官E・J・キングの
反対を押し切ってミッドウェーに急派、司令長官をハルゼーからレイモンド・A・スプルーアンスに交替させた上で
空母「エンタープライズ」と「ホーネット」の2隻を投入した。
ミッドウェー海戦に投入された空母3隻のうち「エンタープライズ」は、
真珠湾攻撃のときに取り逃がした空母のうちの1隻だった。

27 :
この時点において日本側は「ヨークタウン」「レキシントン」の空母2隻は珊瑚海で沈没、
「エンタープライズ」「ホーネット」もはるか南方海域にいるはずと固く信じていた。
日本側は連合艦隊始まって以来の大艦隊を編成。
山本長官の指揮下には空母8隻、「大和」、「武蔵」など戦艦11隻、巡洋艦22隻、駆逐艦65隻、潜水艦20隻など
合わせて艦船200隻、総トン数150万トン、さらに飛行機700機を含めて動員数10万人の将兵という堂々たる陣容を形成した。
これだけの大戦力を持ちながらミッドウェー海戦で日本側は大敗北を喫してしまった。
この海戦で日本は虎の子の空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻を一度に失ったのである。
アメリカ側の損害は空母「ヨークタウン」1隻にとどまった。このような大敗北は全く予期せざるものであった。
日本は勝てる戦争を敗れるべくして敗れたのである。敗北の「大原因」すなわち戦略的失敗をもたらしたのは山本五十六であり、
それは意図されたものだった。いくつかの予期せざる偶然、悪運が重なったとはいうものの、
戦術的「大失策」を犯したのは南雲機動部隊司令長官だった。
南雲は刻々と変化する戦況を的確に判断することができず、逡巡し、誤った判断を下した。
本来の目的であったミッドウェー島の基地爆撃も、上陸も果たせず、アメリカの艦隊撃破にも失敗した。
南雲の指揮した空母では帰投して上空で着艦を待つミッドウェー攻撃隊の収容と、
第2次攻撃のための爆弾および敵空母攻撃のための魚雷換装をめぐって判断が遅れ、結果的に米艦隊の猛攻を受けて次々と沈没したのである。
かろうじて山口多聞少将率いる空母「飛龍」が攻撃機を飛ばし米空母「ヨークタウン」に甚大な損害を与えた。
6月7日、ハワイに向けて曳航中の「ヨークタウン」を日本の潜水艦が撃沈した。
ミッドウェーで山本長官がなぜ空母部隊のみを突入させ、自らは戦艦とともに安全圏にいたのかは一種の謎であった。
空母を中心とする機動部隊本務はそもそも制空権の獲得であり、敵機動部隊の撃破もその一環であるが、
逆に攻撃を受けた時には艦隊防御能力は極めて低い。

28 :
日本海軍の誇る戦艦「大和」「武蔵」「長門」など高い防御能力を持った戦艦群ははるか後方にあって、
連合艦隊司令部の護衛などという戦略的に無意味な任務に就いていた。
機動部隊の空母を防御していたのは駆逐艦など数隻であり、その陣容にも大いに問題があった。
米機動部隊の陣形が空母中心におよそ1.5qの距離を保ち、1隻ごとに巡洋艦、駆逐艦を多数配置して輪陣を組み
空母上空に濃密なる弾幕を張り、防御能力を最大限に高めていたのに対して、
日本の空母は2隻並んでいる上にわずかの駆逐艦を横に配置しているだけであった。
これでは空母に対する防御が手薄であり、米機にとっていかにも攻撃しやすい陣形になっていた。
珊瑚海海戦で軽空母「祥鳳」が撃沈、「翔鶴」が大破するという苦渋を味わったのもこの艦隊防空能力の欠如であった。
連合艦隊は1カ月前の苦い教訓を生かすことができなかったのだ。
日本側が機動部隊に充分な対空防御能力をつけておれば、敵機襲撃に対しても時間的余裕が生まれ、
空母での攻撃機兵装を大急ぎで取り替えるという混乱は起こり得なかったであろう。
だが山本長官個人を守るために温存された強力な戦力はついに一度も投入されることなく、
大事な空母を米機の攻撃にさらし、海の藻屑と消えさせたのであった。

29 :
なに、この20年以上前に論破されたこぴぺ。

30 :
>>25-26
土足が使い古しのバカコピペ繰り返しても無駄だしw
そもそもミッドウェー作戦では日米双方で艦隊決戦が惹起する可能性
が存在していたことが、今日では判ってるからなw
後、ハルゼーは当時皮膚病が出たから病気加療の為に入院命令が出て
入院してるんで、フレッチャーが指揮を執る事に決まったのは言わば
「偶然」w
それ故かその後もフレッチャーはあまりいい扱いをされていなかったりする
ま、土足じゃ精々直ぐバレる屑駄法螺吹く以外何もできないけどなw
能無し土足w

31 :
真珠湾攻撃のときもそうであったが、ミッドウェー攻略作戦もまた山本長官の強引な主張によって計画されたものであった。
山本長官の主張とは「昭和17年(1941年)中に米太平洋艦隊をおびき出してこれを撃滅する。
そのためのエサとしてはミッドウェーが最適であり、ここを占領してハワイに脅威を与えればアメリカの戦意は著しく衰え、
それによって和平交渉への道が開かれる」というものであった。
だがこの計画に対して東京の海軍軍令部は強い反対論を唱えた。
その第一の理由は「占領後のミッドウェーの戦略的価値が疑わしい」というものである。
ミッドウェーはハワイからわずか1800キロしか離れていないため、ハワイの陸上基地から攻撃機が到し、
すぐに奪還されるに違いないし、ミッドウェーを占領しても、日本の奇襲以来ハワイの基地を強化し続けてきた
米軍にとって脅威にはならず、米国民の士気に影響を与えることはなく、
従ってアメリカが和平交渉を提案することはあり得ない、というのである。
それよりもニューカレドニア、フィジー、サモア諸島に対する攻撃を強め、オーストラリアとの分断をはかるほうが戦略的価値は高く、
アメリカ艦隊も本国基地から遠く離れているので、補給困難に陥るだろうとし、米艦隊をおびき出す目的であれば、
オーストラリアが自国の海岸線をおびやかされるためアメリカに救援をたのむのは確実である、と強く反駁したのである。
ところが山本長官は、「敵の空母勢力を撃破すれば自ずから米豪間は分断されるので、まずミッドウェーで敵の空母をおびき出し、
これを必ず撃破してみせる」と豪語したのである。山本長官の主張はかたくなにミッドウェー攻撃一点ばりであった。

32 :
ミッドウェーがアメリカ最大の海軍基地ハワイの近くであり、戦略的に日本が不利なことは一目瞭然である。
にもかかわらず、山本長官がミッドウェーに固執し一歩も譲らなかったのはルーズヴェルトとの間に秘密の協定があり、
日本の連合艦隊をここで壊滅させる約束をしていたからに違いない。
そもそもハワイ真珠湾で航空機による奇襲攻撃を実施し、航空機のもつ破壊力と重要性を
わざわざアメリカに教えたことのみならず、生産力では圧倒的に勝るアメリカがこのことを教訓に大量生産のもと、
航空戦力の飛躍的増大をはかったことは山本長官の決定的ミス(実は陰謀)ではなかろうか。
以後アメリカはあらゆる戦局で航空戦を挑み、日本を圧倒していくのである。
ミッドウェー作戦自体も、真珠湾攻撃同様山本長官が立案したものであるが、
山本長官の表向きの主張はミッドウェー島の攻略と米空母部隊をおびき出した上で、
これと決戦をするという2つの目的であり、首尾よく米空母部隊を撃滅できた場合は、
続いて10月頃ハワイを攻略するというものであったが、真の隠された狙いは日本の連合艦隊を破壊に導くことであった。

33 :
アメリカは充分に航空戦の練習を積み、山本長官のさし出した獲物に向かって到したのである。
山本長官の作戦に対し大本営海軍部は大反対であった。だが山本長官はその反対にはまったく耳を貨そうとしなかった。
最後は山本長官とは腐れ縁であった永野修身軍令部総長の決裁でミッドウェー作戦は認可された。
いくら連合艦隊司令長官が特殊な立場であり強い権限を持っていたからと言っても、
大本営軍令部にこれほどまで楯つくことは異常であった。
フリーメーソン山本長官はルーズヴェルト大統領(フリーメーソン33位階)や
チャーチル英首相(フリーメーソン)との約束を死守したのである。
  ミッドウェー海戦で首尾よく日本の空母部隊を壊滅させた山本長官は、
次のガダルカナル、ソロモン海戦で日本軍敗北の総仕上げを行ない、
自らはアメリカ側と通謀の上、逃亡計画を実行する。
ブーゲンビル上空での戦死狂言である。ではそこに到るまでのプロセスを見ることにしよう。
乞うご期待!!

34 :
>>31
だから、一回却下されその後のの東京初空襲で、陸参謀本部と海軍軍令部で哨戒拠点の前進ということで、
陸軍の希望するアリューシャン作戦とミッドウエー作戦が復活して実施すっることになったのだが。

35 :
以下お手洗いタイム開始↓

36 :
土足が駄法螺を繰り返しても無駄無駄w
どうせこれらのバカコピペもどっかのサイト辺りから丸写ししてきたんだろw
土足の首の上についてるモノは自分で使うようにはどうやら
出来ていないみたいだからなw
土足が屑で能無し法螺吹きなのは、今までも今もこれからも変化しない公理だw

37 :
585 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:25:10 ID:???
コヒマの原文を読まず、約本に感化されてるJスが言うなよww
586 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:26:04 ID:???
>>585
じゃあ、原著の該当箇所の引用をよろしくたのむ。
587 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:27:38 ID:???
>>586
●アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、
ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって
占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、
英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

38 :
588 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:29:15 ID:???
>>587
原著で何で「日本語文」が出てくるんだ、バカ土足w
原著を求められたら、当然原著の英文の該当部分を「正確に」
引用するんだぞ。それ以外は全て土足の無断改変になるからなw
589 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:32:15 ID:???
>>587
ははは、こやつめ。早く原著の該当箇所を頼むよ。
あと、前から気になってたんで、そのコピペ元の書誌情報もよろしく。

39 :

 日本を救う道は、これしかない。。
______  ___________
         V
      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   真珠湾奇襲!    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)
 / _/           \____/
       ↑
      五十六

40 :
ガダルカナル戦およびソロモン海戦で極めて特徴的なことは、日本軍に戦略というものが全く存在しなかったことだ。
山本長官はソロモン海戦においても南雲忠一中将、草鹿龍之助参謀長、原忠一少将、さらにのちのレイテ沖海戦で
「謎の反転」を演じた栗田健男中将などの無能な司令官を投入し、日本艦隊の消耗を加速させた。
その分、アメリカ側の被害は最小限で済んだのである。
山本長官はソロモン海戦でも「大和」「武蔵」などの大型戦艦を攻撃隊に加えることなく、
戦力の小出し投入を行なった。このため戦艦「大和」はついに「大和ホテル」と呼ばれるありさまであった。
ガダルカナルの空軍基地からは、山本長官の指揮下にあるすべての空母や戦艦など58隻からなる
大艦隊と艦載機を駆使して全力投入していれば、奪還は可能であったのみならず、
ソロモン海域全体で大きな勝利を手にすることができたはずであった。
  戦後『大日本帝国海軍』の著者ポール・ダルは、その中で「山本長官はこの会戦をどう考えていたのか理解しにくい」と
指摘しているが、山本長官の行動は良心的なアメリカ人にすら全く理解のできないものであった。

41 :
>>33
壊滅したユークタウンの航空隊の代わりにハワイにいたサラトガの航空隊を急遽乗っけて行ったり、
ミッドウエーじゃ整備員の収容キャパがないので、航空機の搭乗員自体が乗機の整備をしたり、
模擬訓練で、燃料タンクをほんとに爆破したりのどたばたをやってるんだが。

42 :
591 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:34:43 ID:???
>>588
Mutaguchi was actually more correct. The after all correct one is correct.
Will this be the one "Timely" that Napoleon said?
A British army would have been stood in the cliff if the head of Sato division would occupy [dei;mapu-ru] in one month and it was bright.
「It made a surprise attack on a British army completely.
A preparation half road was pierced, and the surprise attack was definite.
There was not a preliminary group in capital [dei;mapu-ru], and either capture was the [yasuyasu] barrel one if it ..Japanese army.. ..one.. pushed like that.
On the other hand, it was far once and after it had retreated to the Calcutta district, the surprise of right or wrong like general Giffard of [mamoshou] as consulting as
total master Mountbatten more than the imagination the surprise of Imphal. planned the picture」
「Imphal was being occupied by a Japanese army and exists, too, if the regiment in Japan is rushing to [dei;mapu-ru].
From Imphal to withdrawal of the 4th army corps in Britain because when Sato division are rushing into [dei;mapu-ru]」
592 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:39:17 ID:???
>>591
で、その英文の出所はどこになの?
593 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:40:42 ID:???
>>592
アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
594 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:41:27 ID:???
>>593
書誌情報と引用元のページは?

43 :
こうして昭和18年4月18日、ブーゲンビル島ブインの航空基地視察のためと称して
山本長官は午前6時ラバウル東飛行場を一式陸攻で離陸した。
宇垣参謀長らを乗せた二番機もほぼ同時に離陸したが、これを護衛するのは第204航空隊の零戦わずか6機だけであった。
この日、山本長官はなぜか正式な連合艦隊司令長官の軍服ではなく、生まれて初めて着る草色の略装である第三種軍装を身にまとい、
護衛機の数を増やすことにも強く反対したという。
山本長官の前線基地視察スケジュールの情報は事前に暗号電報で前線基地に予報された。連合艦隊司令長官の詳細な行動予定が、
視察の5日も前に前線基地に伝えられるのは異例のことだった。
ショートランド第11航空戦隊の城島少将は、不用心な暗号電報に憤慨したと言われるが、
ご丁寧にもこの暗号電報を受け取った現地指揮官ひとりは、わざわざ儀礼的に低レペル暗号の無電で関係先に知らせたともいう。
米軍はこの暗号を解読して山本長官搭載機撃墜計画を練ったとされるが、むしろ山本長官自身ないしはその側近が、
事前に何らかの方法で米軍に詳細な行動予定を知らせていたというのが真相だろう。
山本長官はすべての役目を終了し、ルーズヴェルト大統領との約束に基づいて姿を消すことにしたのである。

44 :
596 名前:595 投稿日:2010/12/28(火) 01:43:37 ID:???
違うと言うなら、何で [yasuyasu] なんて言葉が出て来るのか説明よろしくw
597 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:48:29 ID:???
あと、>>591を貼ってくれた人は>>587のコピペを貼ってくれた人と同じってことでいいのかな?
もしも違うなら、>>587>>591に猛省を促し、速やかに引用元を提示したほうがいいと思うけど。
598 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:52:48 ID:???
>>591
能無し土足w
単純におまえが引いてきた日本語文をそのまま翻訳サイトへ
突っ込んだってのがサッと見ただけで直ぐ判るぞ屑。
第一に、「原文が英文なのに、なぜ「」(括弧)で括られている」んだよw
第二に、「日本語文の直訳英文形式」なのはなんでだよw
(このスレに、「ナポレオン」とされているところは原文ではクラウゼヴィッツだ」
と指摘されているのだ、アホ土足)
第三に、原文の英文が存在している筈なのに、何故「ディマプール」の
読みは発音表記なんだよww

45 :
599 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:55:46 ID:???
>>591-598
おらJス、IDが無い事を利用して自作自演するなw
600 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:58:31 ID:???
>>599
なんだ、反証されてまたJス連呼か能無し土足w
このスレでJス連呼するのは土足の屑しかいないし、
このスレでJス連呼が始まるのは土足の能無しが露呈
されたときに土足が逃げ回るための足掛かりだもんなw
さっさと原文を「正確に」「捏造・改変せずに」引用して来いよ、役立たずw
601 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 01:58:39 ID:???
>>599
じゃあ、みんなでID出る板行きましょうか。
602 名前:名無し三等兵 投稿日:2010/12/28(火) 02:06:35 ID:???
IDが出ることに後ろ暗い事がないなら、
そっちの方が擁護派の人にとっても都合いいでしょ?
次スレ立てるときは軍板以外でよろしくね。
それでも軍板に立てるってなら、
擁護派はIDが出ると都合悪いって
自分たちで認めたことになっちゃうからね。

46 :
>>43
そりゃ、第3種軍装が制定されたのが昭和18年で、山本五十六の視察の日に間に合って届いたからだろ。

47 :
>>39
 オレの思い付きは全て正しい!ソースなんか捏造で誤魔化せる!
______  ___________
         V
      ヽヽ〃 /
       ヽ〃   英文?翻訳文?区別なんか出来ねーよ    
      ( _)
       | |  シコシコ・・・ シコシコ・・・
       | | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ     
     /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     /  ゝ      |
    /  _  ゝ___)(9     (` ´) )j
   /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  /   )           (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)
 / _/           \____/
       ↑
      土足w
土足はいよいよ言葉に詰まるとバカコピペしか出来ない無能だからなw

48 :
山本長官を乗せた一式陸攻は高度2500メートルでゆっくりと飛行、6機の護衛戦闘機はその500メートル上空を飛行していたが、
ブーゲンビル島南端のブイン基地上空にさしかかったところ、ガダルカナル島ヘンダーソン基地を飛び立ったミッチェル少佐の指揮する
P−38米攻撃機28機が午前7時33分、正確に山本長官機と出合った。
ミッチェル隊はP−38の航続距離からしてわずか10分間という許容時間で攻撃を開始、山本長官機を撃墜したのであった。
右エンジンに弾丸を受けた長官機は火災を発し、黒煙を吐きながらジャングルの中に落下していった。
2番機はモイラ岬沖の海上に不時着、宇垣参課長ら3名は助かったが、長官機は翌19日午後2時頃陸軍の捜索隊によって発見された。
山本長官の遺体は機外に投げ出された座席に腰かけ、軍刀を握りしめたままであったとされているが、その死には深い謎がつきまとう。
大本営発表の「死体検案書」(死亡診断書)と「死体検案記録」(死亡明細書)によれば、
死亡日時は「昭和18年4月18日午前7時40分」である。傷病名は「顔面貫通機銃創及び背部盲貫機銃創」であり、
末尾には「右証明ス 昭和18年4月20日 海軍軍医 少佐 田淵義三郎」として署名捺印がある。
ところが墜落現場を最初に発見した浜砂陸軍少尉は次のように証言している。
「長官はあたかもついさっきまで生きていたかのような風貌で、機外に抛出された座席上に端然として死亡していた……
その顔面には創はなかったし、出血の痕もなかった。その発見は墜落後実に30時間前後も経った頃である」
  同様の証言は陸軍軍医・蜷川親博中尉も行なっている。
蜷川中尉は長官機遭難現場近くの歩兵第23連隊の次級軍医として勤務していた。このため、中尉は救難捜索行動に参加し、長官死体の検視も行なっている。

49 :
にもかかわらず、山本長官の秘蔵っ子と言われた渡辺中佐参謀は、
事故のあと19日、ラバウルより現地に急行、20日夕刻掃海艇上に運び込まれた長官の遺骸を検死して
大本営と全く同一内容の証言をしている。
渡辺参謀の証言内容とは「20日夕の時点で顔面貫通機銃創と背部盲貫機銃創は共にあった。
4月18日、機上での戦死は間違いない」というものである。
前出の田淵軍医は「私が検死した時点では顔面に創はあった」「姐(うじ)の侵蝕とは考えられぬ」とし、
さらに重要な証言「死後の作為が加えられたかどうか判らない」と言いながらもその可能性を強く示唆している。
 戦死が狂言であったこれだけの証拠
  山本長官の「死」は明らかに狂言であろう。その穏された真相は次の如くであると推測される。
1.山本長官は太平洋戦争前半における帝国海軍崩壊のためのすべての役割を完了した。
2.そのため急遽姿を隠す必要が生じ、側近の宇垣纏中将(連合艦隊参謀長)や渡辺中佐
  (参煤)と共謀し、あらかじめ暗号をアメリカ側に漏洩した上で長官機撃墜の一大ペテン劇を演出した。
3.当日、山本長官はわざわざ草色の第三種軍装を身にまとい、ジャングルを逃亡の際目立たぬよう略装にした。
4.米軍機攻撃の際、いち早くパラシュートで脱出、地上よりかねて打合せの場所からガダルカナル島
  米軍基地へと逃亡した。
5.捜索班が事故機を発見したとき、長官の身替りとされた男(恐らくは風貌の似た人物)を
  座席に縛りつけ毒した。
6.従って発見時には顔面の創も背部盲貫機銃創も存在しなかった。
7.その後、山本長官を「機上死」であると捏造するため、遺体に拳銃か鋭利な刀物で人工
  的な死後損傷を加えた。
事実、田淵軍医が検死をしている最中に長官のワイシャツを脱がせようとしたが、
渡辺参謀から突然大声一喝され、「脱がすな、これ以上触れてはならぬ!」と怒鳴られ制止されているのである。
人工的な死後損傷であったとする証言も数多く存在するが、これらのすべては黙され、
渡辺中佐の命令下、虚偽の「死体検案書」と「死体検案記録」は作成され、
「機上壮烈なる戦死」という大本営発表となるのである。

50 :
ここで「運よく」助かった宇垣纏中将とは何者かを知らなければならない。(中略)
三国同盟締結の折は賛成派に回ったため山本長官にうとんじられているとも言われたが、
どういうわけか昭和16年8月、連合艦隊参謀長に任命され、山本五十六大将を直接補佐することになる。
以後、連合艦隊の旗艦「大和」上の司令部内で山本長官の影武者に徹して常にその意向を尊重し、補佐してきた。
あれほど傲岸不遜な宇垣がなぜ山本長官に寄り添い続けたのか。
そのわけは宇垣がユダヤ・フリーメーソンに入信したことにあろう。
山本・宇垣のコンビは真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル、ソロモンと呼吸を合わせ、日本海軍の崩壊に尽力した。
ブーゲンビル上空で山本長官逃亡の手はずを整えたのも宇垣である。
宇垣もしっかりと生きのびており、昭和17年11月には中将に進級、昭和20年8月15日の終戦詔勅渙発を知るや、
沖縄の沖合に蝟集する米艦隊めがけて突入すると称して部下の操縦する飛行機に搭乗、そのまま行方を絶った。
日本の敗戦を見とどけて姿を消したと言うべきか。
戦後、山本長官の姿をどこやらで見かけたと証言する人もおり、
太平洋戦争を敗北に導いた功労者の多くは「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソン陣営によって手厚く保護されるのである。

51 :

■■■山本五十六は報告書資料を改竄していた。
週刊新潮8月30日掲載の「A級戦犯」遺族の告白(後編)p.58〜 
A級戦犯の佐藤賢了氏三男の巌氏の話による賢了氏の戦後述懐
「御前会議で、開戦になった場合に戦争続行が可能かどうか議論になった際、
海軍は艦船などの消耗量の数字を示し、戦えると答えたそうです。
しかし実際に開戦してみると、消耗量は海軍の予想以上に激しかった。
この日岡さん(敬純氏 A級戦犯 海軍省軍務局長)が持ってきた資料は、本来、御前会議に提出されるべきものでした。
それを見ると、とてもじゃないが戦争は無理だと判断せざるをえない。
そこで父(賢了氏)が事情を尋ねると、『山本五十六さんが数字を書き換えた資料を提出してしまった』と答えたそうです。
『どうして反対しなかったんだ!』と父は問い詰めたそうですが、
海軍の中では誰も山本さんに楯突くことはできません。という旨の答えしか返せなかった。
『山本は許せん』と父(賢了氏)は戦後も言っておりました」

52 :
>>48-51
土足が幾ら捏造駄法螺繰り返しても無駄無駄w
だから論破されたバカコピペ繰り返す以外何もできないんだよなw
屑の法螺吹き能無し土足くんw
51の内容も岡の保身のための法螺と論破されているw
そして保身のための法螺を無批判に貼り付ける土足は屑の能無しで確定ww

53 :
岡敬純と佐藤賢了は、A級戦犯とされるような
何の罪も犯してないにも関わらず、また権限も無かったにも関わらず
A級戦犯として最も長期間拘留された。
山本五十六を批判する真実を言う人間は
戦後の戦争責任を逃れた汚い権力者らによって
このような酷い報復をされたのだろう。

54 :
ここで山本長官の果たした役割についてもう一度まとめてみよう。
真珠湾攻撃の計画はもともと「世界支配層」およびアメリカ、それに山本長官の深慮遠謀から生まれた計画であった。
日本人フリーメーソン山本五十六は、連合艦隊司令長官にあるずっと以前、恐らくは海軍次官の頃からアメリカ側と連絡をとり、
もし日米が開戦になった時は先ず真珠湾を奇襲し、アメリカの対独戦を合理化させると同時に、日本へのアメリカ国民の参戦気分を
一気に高揚させるという計画を練り上げたに違いない。
アメリカ側でこの計画を推進したのはもちろんフランクリン・D・ルーズヴェルト大統領であった。
そしてこの計画にはヘンリー・スチムソン陸軍長官、フランク・ノックス海軍長官、ジョージ・マーシャル陸軍参謀総長、
ハロルド・スターク海軍作戦部長、そしてコーデル・ハル国務長官が加わっていた。
日本側でこの計画を知っていたのは、山本五十六以外にはほんのひと握りの人間であろう。
それはもと首相や海軍大臣、そして外務省の高官たちなど最高度の機密を保てる者に限られていた。
山本長官はこの計画を実現させるためにいろいろな手を打った。開戦の年昭和16年(1941年)夏の時点では、
真珠湾攻撃で使用する予定の軽魚雷はまだ開発中であったし、9月初旬においても攻撃用の直接部隊は不足していた。
山本長官は画策の末、こうした戦術面での問題を11月の末にはすべて解決した。

55 :
>>53
陸海軍の軍務局長で、軍政の要。両名とも開戦に向けて策動したからだろ。

56 :
ところが肝心の永野修身軍令部総長ら海軍首脳部はこぞって反対であった。
海軍上層部はまだ日米開戦に躊躇し、真珠湾攻撃が実際にどれだけ効果をあげられるか疑問を持っていたのである。
日本がアメリカを仮想敵国としたのは明治40年(1907年)4月に「帝国国防方針」が制定されてからであるが、
日本の陸海軍が立案した正式な作戦計画の中にはハワイ攻略は含まれていない。
攻略の対象はせいぜいグアム島どまりだったのである。
昭和15年(1940年)ルーズヴェルト大統領は米海軍首脳の反対を押し切って、
それまで西海岸カリフォルニア州のサンディエゴ軍港にあった太平洋艦隊を年次演習の目的でハワイの真珠湾に進出させた。
第2次大戦が勃発し、山本五十六が連合艦隊司令長官として対米戦を計画している最中であった。
ルーズヴェルトは山本長官と共謀して、日本側に格好の攻撃目標を提供したのである。

57 :
山本五十六連合艦隊司令長官が3年8カ月に及ぶ太平洋戦争の中で、実際に艦隊を指揮したのは真珠湾攻撃の始まった
昭和16年12月8日からブーゲンビル島上空で「戦死」する昭和18年4月18日までの1年4カ月である。
この間に山本長官は偉大なる貢献を「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソン陣営に行なった。
その貢献とは何であったかである。山本長官は太平洋戦争が日本の敗北で終わることを望んでいた。
日本を敗北させることがフリーメーソンである山本五十六の役目だったのである。
そのためには日本が圧倒的優位を誇る連合艦隊を速やかに壊滅させる必要があった。
そしてもう1つは、アメリカの太平洋艦隊に対し常に手ごころを加え、その戦力を温存させることであった。
このため山本長官が取った手段は次の通りであった。

58 :
つまり悪いのはフリーメソンかよ。
クズ土足は面白いなw

59 :
>>53-54
土足がID出そうが隠そうが土足の屑自演だと直ぐバレるぞ能無しw
土足のバカ妄想にソースは無いw
何故なら土足はソースを基に物事を語る、と言う知的生活は送って
来なかったからw
痴的な生活なら送っていたようだがwww
土足の屑捏造はあまりに其処が浅くて直ぐバレるw
あまりに簡単にバレるので朝鮮人から嘲笑を買うレベルw
そして土足がいよいよ何も騙れなくなると、今此処で見られるように
既に論破済みか既に使い古された駄法螺を大量コピペするw
これも土足が無能で屑である証左の一であるw

60 :
まあ、陸軍の特攻否定した瞬間に
土足の味方は軍板ではゼロだけどな。

61 :
>>60
それ以前に牟田口の愚行を駄法螺と捏造と改竄で擁護した時点で
土足に味方は出る訳がないがなw

62 :
土足の分際で牟田口を擁護するなんてハードルの高いことをするのが不可能だったw

63 :
これ、グーグルで山本五十六・フリーメーソンで出てくるサイトの全文コピペだろ
せめて自分の頭で考えて妄想書けよ

64 :
>>63
だったら、著作権法違反で削除対象じゃない?
できれば元サイトを教えて。

65 :
>>60
しかし何だな。
軍板にはIDを出して堂々と議論が出来る
骨のあるやつは一人もいないようだ。
腐ったオカマしかいないじゃないかw

66 :
>>65
匿名掲示板に何をしにきているんだ、お前?
IDを出して根拠のない妄想で他人を貶めるのは
堂々と議論するとかいうものではなく
腐ったオカマ以下のやり口だが

67 :
だいたい
ソースはなんだと聞かれたのに
自分の妄想を翻訳にかけてこれがソースでございと披露したのは
どれだけ腐った根性があるとできるんですか?

68 :
牟田口の擁護はいくらでも出来る。
調べれば調べるほど、高木のような嘘つき作家の批判が
事実とは全く違う事がわかる。
しかし山本五十六は擁護のしようがないw
調べれば調べるほど、救いようの無いアホだと
露呈されるのみw

69 :
>>68
妄想を出すたびに論破され、
ソースを出すたびに矛盾が指摘される腐ったオカマがいうことじゃないよ

70 :
>>68
駄法螺と捏造と改竄で出鱈目擁護してバレたらコソコソ逃げ回る
屑の能無し法螺吹き土足がどうしたって?wwwwwwww
土足が調べる?w
笑わせるなよ、"for a month"も理解出来ない無能の癖してw
土足脳内バカ妄想は幾ら撒き散らしても事実とは程遠いw
そして事実と程遠い妄想に縋らないと何もしゃべれぬ土足は
朝鮮人にすら嘲笑を浴びる屑w
土足が今までも今もこれからもしているのは土足自身が屑の
能無しと吹聴しているだけだなw

71 :
つかお前牟田口の擁護なんかまともにできてないじゃないか

72 :
牟田口はみなの反対を押し切って無謀な作戦を強行し
大損害を出した戦犯だと言われてきた。
これは調べると全くの嘘。
しかしこの批判、まんま山本五十六の作戦全てに
そのまま当てはまるw

73 :
>>72
調べてないだろ法螺吹きの能無し朝鮮人未満土足w
デリック・タラクの原文もそういえば持ってこずに逃げ回ってたよな、
屑土足くんw
ま、土足がデリックタラクが述べた原文を持ってこれる訳がないがw
英語全く判らないからなw
ドイツがアメリカに宣戦布告した文書が「日本語文」であると思ってる
能無しだしw
土足が捏造と改竄と駄法螺で牟田口を背中から撃った以外、土足
が何かしたって?wwwwww

74 :
これのことか。
デリック・タラクは牟田口を批判してるように
日本の書籍は伝えてきたが
大田の書籍よって、それは大嘘だったと判明した。
■デリック・タラク准将(ウィンゲート旅団参謀長)は
牟田口を高く評価し称えた。
ウィンゲート旅団参謀長だったデリック・タラクは
ウインゲート准将やスチルウェルらが、英国戦史家から
あまり評価されていないことについて不満を述べた後に、
さらにこう続けている。
『日本の15軍牟田口中将も、その作戦指導については、
全くといってよいほど、イギリス側から評価されていない。
彼はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、
その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。
インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。
しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして
戦ったのである。
私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価された
ことを知って、うれしく思う。』
大田 嘉弘『インパール作戦 』 P124

75 :
日本の15軍牟田口中将も、その作戦指導については、
全くといってよいほど、イギリス側から評価されていない
この部分だけを切り取って
デリック・タラク准将は牟田口中将を批判していると
嘘が伝えられてきた。

76 :
>>74
だから土足はバカで無能だと言われるんだw
原文を持って来いと言われて「日本語文」を貼るような屑には
何か語る事自体が無理無理w
お前が引いてきてるのは3次資料だ、屑の能無し法螺吹き土足くんw
さっさと「原文」持って来いよw
土足には無理だろうがなw

77 :
>>76
なんで英文の原文なんかおれが持ってくる義務があるんだ?
IDなしの分際がw

78 :
>>77
デリックタラクが通説に反して牟田口を評価してると土足が
駄法螺を喚き続けてるからだがw
IDだして駄法螺と捏造と改竄以外何もできない無能土足くん
には日本人らしい「恥」を感じる感覚が欠けてるんだよなwww

79 :
>>78
だれがどう読んでも、デリックタラクは牟田口を評価しているじゃないかw
それを法螺と捏造と改竄で、批判しているとだましてきた
おまえのようなアホが恥を知るべきだな。

80 :
それからスリム中将が牟田口を批判してるかのように
ずっと伝えられてきたが、これも大嘘だった。
スリム中将は抗命撤退した佐藤をひたすら
バカの無能で司令官失格だと痛烈に批判しているのみ。
牟田口に対する批判は全く無い。
牟田口批判はこのように、全てが大嘘だったわけだ。

81 :
>>80
それ、第31師団の補給状況が判明してない戦後直後のコメントだろ。
何回も土足スレで指摘しててるけど。
コヒマの旧市街を制圧した段階で、第31師団の実質2個連隊は攻勢限界にたっして、弾薬はないは、
食料はないわでそのごのディマプールからの英軍増援に散々に撃ち負けてるんだから、後退も当たり前。

82 :
>>78
土足は類を見ないレベルの無能だなぁw
お前が引いてきてるのは、
「デリックタラクが牟田口を評価している」と「翻訳された内容」を、
「大田が引用している」と言うだけだw
長尾訳文を翻訳サイトに放り込んだだけの「生の」英文をそのまま得々と貼り付けた、
無能土足くんw

83 :
● 海軍軍令部の強い反対を押しきって真珠湾攻撃を強行。ただしその攻撃は不徹底なものとする。
 忠実なる配下の指揮官
  南雲忠一中将(第一航空艦隊司令長官)
  草鹿龍之前少将(第一航空艦隊参謀長)
  源田実中佐(第一航空艦隊参謀)
● 珊瑚海海戦で米海軍に手ごころを加える。米空母「ヨークタウン」撃沈せず。
 忠実なる配下の指揮官
  井上成美中将(第四艦隊司令長官)
  原忠一少将(第四艦隊空母指揮官)
● ミッドウェー海戦で連合艦隊大敗北を画策。
 忠実なる配下の指揮官
   南雲忠一中将(機動部隊司令長官)
  草鹿龍之肋少将(機動部隊参謀長)
● ソロモン海戦でガダルカナル大敗北の原因を作る。
 忠実なる配下の指揮言
  三川軍一中将(第八艦隊司令長官)
  南雲忠一中将(機動部隊司令長官)
  草鹿龍之助少将(機動部隊参謀長)
  原忠一少将(軽空母「龍驤」指揮官)
● 「い」号作戦で日本の南東方面航空兵力を潰滅させた。
いずれの海戦においても忠実なる配下の凡将、愚将、怯将である
南雲中将、草鹿少将、源田参謀、井上中将、原中将、三川中将などを長期にわたって使い続け、
「攻撃の不徹底」ないしは「手ごころ」を加えさせている。

84 :
さらに大事なポイントは、海軍が使用していた暗号電報をアメリカ側に筒抜けにさせていたことであろう。
山本長官はアメリカが日本海軍の暗号電報をすでに解読し、連合艦隊のあらゆる作戦行動を見抜いていたことも
あらかじめ承知の上で、作戦を強行したふしがある。真珠湾攻撃のときもそうであるし、
モレスビー攻略作戦(MO作戦)における珊瑚海海戦は不充分な戦果に終わった。
ミッドウェー海戦(MI作戦)の時も、アメリカ側に充分な情報と対応のための準備期間を与えていたと考えられる。
長期間に及んだソロモン海戦のときも日本の艦隊や輸送船、飛行隊の動きはすべてアメリカによって把握されていた。
結局日本海軍は山本五十六の意図によってその初期戦力を激滅させていたのである。
この偉大なる「功績」により山本長官の役目は一通り終った。そして姿を消す時期がやってきたのである。
ブーゲンビル島上空における「戦死」がそれである。アメリカが暗号解読をしていることを承知の山本五十六は、
前線視察と称して連合艦隊司令部から一式陸攻に搭乗してブーゲンビル島のブイン飛行場に向かったのである。
山本五十六連合艦隊司令長官はこうして戦線から姿を消すのであるが、
山本長官とともに1年4カ月の海戦を戦った将官たちは、その極度な無能ぶりにもかかわらず
戦後さまざまな戦記作家によっていずれも名将、名参謀としてたたえられている。
戦後の日本がアメリカに占領され、民族心をことごとく失うまでに洗脳された結果、
「世界支配層」に迎合するフリーメーソン作家がこのような日本民族に対する背信行為をするのも、
いわば当然であろう。

85 :
いまどきフリーメイソン陰謀論かよ。ネタスレならもう見に来なくていいな。

86 :
>>85のような単純馬鹿にそう思わせるのが実は目的

87 :
土足はバカで屑で能無しの上に日本語読解力に大変問題を
抱えているので、今日日普通の歴史書にでも載っている
「山本と南雲は仲が悪かった」
(1KFの長官に親補されるまで南雲と山本は対立派閥に居た)
(大佐時代には井上と南雲は宴席で殴り合い寸前まで行くほど対立していた)
程度の知識すら持ち合わせていない事を、土足バカコピペで
またもや実証しているのであったw
フリーメーソン陰謀論に縋るのも、結局土足が無能で屑である、
と言う現実から逃れる為に、バカコピペをする以外考えが及ばない所為であろうw
そのようにしか自分の首の上に載っているものを使えないからこそ
何処に行っても「無能」としか評価されない訳だがw

88 :
>>74
それ、インパールでの牟田口をほとんど評価してないな。
唯一危険な時期があったということが書かれているだけで
それに牟田口がどう関与したかなんてかいてもなし。
だから直接関係ないほとんどの所で勝利してきたとか、
序盤以外はまともに働きもしなかったことをいわなきゃならない。

89 :

===ディマプールの追撃に関して===
日本で思われる以上に連合軍は苦戦していた。
牟田口の指令に従い31師団がディマプールを追撃していれば、連合軍は苦境に立たされ
インパール作戦は成功していたとする見解もある。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、
ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277
●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286
●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって
占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、
英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287

90 :

●マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、まだ兵力
の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同
じような有効さで切ることが出来る。さらにもっと重大な
全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」
●第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、師団の主
力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。佐藤中将は、私の
遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
大田 嘉弘『インパール作戦 』
■リデルハート「第二次世界大戦」
日本軍ビルマ方面軍の司令官河邉将軍は、コヒマの先30マイルの山間部から出口に当たる
ディマプール攻略を目指して進撃許可を求めた現地軍司令官牟田口将軍に対し、その許可を与えなかった。
日本軍がここを急襲して占領していれば、インパール救援のための英軍による反撃は阻止され、
不可能となっていたであろう。

91 :
>>89
で、一ヶ月の間に一度でも占領したらやばかったという妄想が
おかしいということに気づかないで引用し続けるオカマの腐った根性はどうすれば直るの?
原文までだされて、どうみてもそりゃ一ヶ月の間占領し続けたらやばいけどね、
んでできたのpgr以上のことは書かれてないことに気づいていませんかねえ
>「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
砲兵を取り上げて補給も送らなかった牟田口のせいです。
小銃装備の快速部隊に弾力性なんてありゃしません。
相手の弱い所をついてさっさと逃げる以外のことができないんですから。

92 :

『「太平洋戦戦争」は無謀な戦争だったのか』
ジェームズ・B・ウッド著、茂木弘道訳
訳者まえがき
 そもそも大東亜戦争に対する日本の基本戦略は、
東南アジアの資源地帯から米英蘭勢力を駆逐した後は、
対米、すなわち太平洋は防御、攻勢の主方向は、インド洋と中国であった。
開戦直前の昭和16年11月15日の大本営政府連絡会議で採択された
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」にはこのことが明記されている。
この基本戦略通りに戦ったならば、日本が負けることにはなりえなかったと思われる。
何もワシントンに日章旗を立てる、などという勝利の話ではない。
「腹案」はそのような愚かなことはこれっぽちも考えていない。
英を脱落させ、中を脱落させ、米をして戦争継続に意欲を喪失せしめる、
という極めてまともな勝利を目指しているのである。
http://devlin.blog.so-net.ne.jp/2010-02-21-4

93 :
つまり山本五十六のバカが日本を大敗させたわけだなw

94 :
つまり土足の屑捏造がまたバレたって訳だw

95 :
起きている時間はすべて土足叩きとはご苦労なことだ

96 :
>>92
第一段作戦の南方攻略後の第2段作戦としてインド洋制圧、その手始めとしてのセイロン攻略をを提案した海軍の作戦を却下したのは
総理、陸軍大臣の東条英機であった。また陸軍参謀本部の出してきた重慶攻略の5号作戦をも却下したのは東条英機でした。

97 :
グレンフェルは、東洋艦隊が二度目の壊滅を喫した場合には
ウィンストン・チャーチルの政治家生命がその時点で終わり、
イギリスは戦争から脱落、
日本は大東亜共栄圏の確立に成功して第二次世界大戦の結末が変わっていた可能性を指摘した[18]。

98 :
そもそも山本はインド洋作戦を打ち出しており
陸軍の反対でインド洋ではほとんど何も出来なかったってのを知らないのに
山本のせいにするあたりが救いようもねえ

99 :
>>97
東条英機が、インド洋制圧作戦を却下したから無理だね。

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