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2011年11月1期24:  lll初代llll   始皇帝   lll皇帝lll  (202) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼

 lll初代llll   始皇帝   lll皇帝lll 


1 :06/11/03 〜 最終レス :11/11/09
中国史上初の皇帝・始皇帝を語ろう
始皇帝について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%9A%87%E5%B8%9D

2 :
ちなみにこのスレからの依頼
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161621239/l50

3 :

で、結局始皇帝の実の父親は誰なんだい?

4 :
>>3
ペルシャ系の帰化人。
と言うのは最近のガセネタ。

5 :
「しこしこ始皇帝」いか厳禁

6 :

真っ先に立ちそうな気がするが今までなかったんだな
政には長生きして扶蘇に継がせて欲しかった

7 :
始皇帝は晩年には自らを買いかぶりすぎたし、つまらない人間に騙されたりしたからなぁ。
中国統一まではよかった。

8 :
ロウアイってどの位スゴイんだろう?

9 :
車を引くことができるぐらいのスゴイものを持っていたらしいな

10 :
扶蘇が二世皇帝になっていたら名君になっただろうなあ。
秦はさらに強大な帝国になり、400年ぐらいは続いたと思う。
>>4
呂不韋は漢民族じゃなかったの?

11 :
ロウアイは`ンで車を引いたんじゃない。
した`ンに車輪をはめ込んで、持ち上げられたんだ。
車軸の穴にぴったりはまるほどの巨根で、持続力もあったんだよ。

12 :
ヤンジャンのキングダムって始皇帝の少年時代?

13 :
>>10
さすがに400年は難しいと思う。
中国のわりと成功した王朝でも、200年ぐらいが多いし。

14 :
400年は無理でももうちょっと続いたかもね
李斯がどっか行かされて法律が少しはゆるくなったと思われ

15 :
>>12
モチロンソウヨ

16 :
>>13-14
思えば中国統一後、秦は15年くらいで滅びてるんだよな
ユーラシアの西では同じ位の間、ローマとハンニバルが殴り合ってた事考えたらかなり短い

17 :
中国の王朝の平均持続年数はどれぐらい?
200年クラスが一番多いのかな。
>>7
政は政治・外交・軍略に長けた天才的な統治者であったと思う。
だが晩年にケチがついたな。宦官なんかを全面的に信用して依存しきったり
中国史上に名を残す詐欺師、徐福に引っかかったり。老いが彼を駄目にした。

18 :
一番長く続いたのは漢かな?前漢後漢あわせて400年。
宋王朝は北宋南宋合わせて300年。
唐も明も300年。
清は250年。

19 :
>>18
逆に統一王朝で短いのは新の15年と隋の30年、西晋も呉滅亡から西晋滅亡までだと35年か
あ、あと則天武后の周が15年になるのか

20 :
漢が長く続いたのは、秦のよい部分をそのまま引き継いだからだ。
劉邦は阿房宮にあった全国の戸籍を、大切に保存した。

21 :
秦を踏み台に

22 :
隋、短けえ!隋といえば日本ではけっこう影響を受けた大国というか唐に次ぐメジャーな国だよね。
漢民族の統一王朝では300年ぐらいが多いところかな。

23 :
日本は凄いよね。皇室は2000年続いている。
やっぱり島国で異民族の侵入が無いのが大きいのだろう。

24 :
だーれも取って代わろうとしないもんなぁ

25 :
中国五大愚朝
秦、新、晋、隋、順

26 :
順朝がすぐに潰れたことを、漢民族はものすごく悔しがっている。
満州族に取って代わられ、風俗を押し付けられたから。

27 :
秦は、天下統一前に数百年も続いているので、
必ずしも短命王朝と言えるかどうか。

28 :
統一してないのを含めると、
王朝の平均寿命はものすごく短くなるね。
平均30年てとこかな。

29 :
おいっ、誰かえーせーの話してやれ。

30 :
仲父殿の子供なの?

31 :
当時から、噂はあったんだろうか?

32 :
史記が書かれたころは噂されていたんだから、当時も当然噂されていたであろう。

33 :
秦で、「どこの馬の骨とも知れぬ者を王に戴けるか」って反抗する者はいなかったのか?

34 :
政の父が人質から戻れて、王位についた事も奇跡的かと。
呂不韋の努力(賄賂?)の賜物ですかね。
政の父って異人?

35 :
政の母親は男狂いだったのかな。

36 :
秦を滅ぼしたのは始皇帝ではないよ。子の胡亥。
始皇帝は宦官に騙されたりして駄目な所もあったが
総合的に考えたら100点満点中95点位の凄い人だと思う。
つーか歴史上で初めて統一国家を創造and皇帝に即位したのは凄すぎる。
始皇帝が統一国家を作らねば、
中国は一つと言う概念すらできずにヨーロッパの如く多極化が進んでいたと思う。
始皇帝が毛沢東や明太祖より偉大なのは統一国家創造という概念すらない時期に
初めて統一国家を作り上げた事。
後の皇帝は始皇帝の猿真似に過ぎない。
始皇帝は中国史はおろか全アジア、全世界に勝る英傑です。

37 :
始皇帝の遺勅が握りつぶされてなければねぇ・・・

38 :
>>36
どうだろう?
世界初の帝国はアケメネス朝ペルシャだし、ヨーロッパも時代は下がるがローマがあった
いまオリエントや環地中海世界がどうなってるかはご存知の通りだ
中華地帯が統一されていた期間が長いのを始皇帝が「統一」した事だけに求めるのは問題だろう

39 :
始皇帝は好きな人物だが、やっぱり晩年の仙術かぶれが痛いなあ。
まああの時代の人だから当たり前なんだが、前半生からは
飛びきり合理的な人物に見えるからつい期待してしまう。

40 :
>>38
そりゃ、ローマやペルシャは始皇帝のような「統一政策」は行わなかったからなあ。

41 :
>>40
そりゃ状況が違いすぎる
周も秦も楚もそのアイデンティティとなる神話は同じだったのに対して
オリエントは各種様々な宗教が入り乱れていた場所だ
ぶっちゃけると統一難度で言ったら中華は当時からその辺に比べたらだいぶ下がるよ
(始皇帝はツメの部分をやればよかったとも言える)
まあそういう見方をしないんであれば、
始皇帝はダレイオスやアウグストゥスのようなバランス感覚が無かったので
帝国ごと吹っ飛んでしまったが、逆にその後の王朝の助けになったって感じになる

42 :
>>41
いや、それも「神話の統合」が行われたから、現在からするとそう感じるだけ。
例えば伏儀や女カが南方の神話だということはすでに証明されているし、皇帝や
神農も西方渡来が確認されている。

43 :
>>42
しかし、楚辞の天間では楚の神話は語られず、中原の事が語られていたりする
これなんかをみても、中原とは民族を異にした楚でも、
戦国時代末期には神話なんかでも中原化されてたのではないだろうか
まあ秦が統一した民族の神話の統合が、統一前の事なのか後の事なのかはよく分からないから触れられないが

44 :
あんなバカでかい土地が二千年以上まとまるなんて、それだけの素地がなけりゃあね。

45 :
>>44
まあ他にも
・宗教に比較的情熱を持っていなかった
・近隣地域に匹敵する文明圏がなかった
・表意文字の漢字の使用により口語が通じなくても行政が出来た
辺りがざっと考えつくけどね
で、始皇帝の業績の内最も偉大なのは漢字の統一ということになると思う
これは間違いなくその後の各帝国の統一維持に大きく貢献してるよ
(正直、他に始皇帝の統一事業の内ダレイオスがやっていないことが思いつかない、ってのもあるが)

46 :
始皇帝の成果は、まんまと劉邦の手に落ちた。

47 :
母親がああで、父親がああで、
やっぱり少年時代は精神的に荒れていたんだろうか?

48 :
ロウアイの|を見てしまったら更に荒んだと思うよ。

49 :
親の教育に問題があった、というのも大きいが、人質生活でいじめにあっていたのも大きい。
そのために全国統一した後、人質時代いじめた人間を皆しにしたとか。

50 :
でも、少年時代に養った冷酷さが、
天下統一の原動力になったかもね。

51 :
>>49
人質時代に過ごした村(?)だかを
消滅させたんだっけ?

52 :
>>51
趙の都邯鄲で人質生活を送っていた。冷たい待遇を受けたこともあったようで、
後に王となって趙を攻め邯鄲を落とした際、母親の家と仇怨がある連中をことごとく穴埋めにした。
なお邯鄲の破壊はこのときではなく、秦末動乱の際に章カンにより破壊されている。

53 :
始皇帝って親征してないよね?
なんかそれなのに、武ばったイメージを持ってしまう。

54 :
>>46
劉邦は事実上の始皇帝の後継者とも言えるんだからあまり無碍に扱うのも考え物だけどね
もし項羽が勝ってその方針で中華世界を治めたら、
始皇帝の功績が奪われるどころかすべて無駄に成ってたかも知れないし
>>53
武帝なんかもそんなイメージだね
ああいう自分の軍事能力を出さないで征服業を成すっていうのは凄いことだと思うが

55 :
漢が繁栄したのは、秦の遺産を上手く受け継いだからだな。

56 :
みんな詳しいなぁ

57 :
始皇帝は子供の頃から経済学を学んでいたのかな?

58 :
しかしエイ政という人は懐が広いんだか狭いんだか…

59 :
徐福について

60 :
>>57
帝王教育は受けたんだろうけど、当時の経済への認識ってどうだったんだろう。

61 :
呂不韋がいたから任せっきりだったとか…。

62 :
餅は餅屋だよね。

63 :
母親のことはやはり憎んでいたのかな?

64 :
複雑な心情だっただろうね。
憎しみは呂不韋に集中したと思う。

65 :
秦って結局戦国の六ヶ国を滅ぼす過程で数百万の兵士を
しまくったから、恨みを買いすぎたからでしょう。
数万の首を挙げただの、数十万を生き埋めにしただの・・
呂不韋とかの話、恨みや反感を持つ遺族とかが、秦や政王の
正統性を壊すために尾びれを付けたスキャンダルで、その話は
当時から出生のことはまことしやかな言われていたらしいしね。

66 :
それに、役人とかはやっぱり秦人中心で、旧六国の地域を支配する時にも、
威張りまくっただろうから、それで恨みを買っただろうね。
秦崩壊、楚漢戦争の過程で、旧六国地域じゃ秦人が報復の襲撃を受けただろうと思う。

67 :
そんな役人も始皇帝が死んで反乱が多くなると
自己保身のために秦を裏切ったりするので
民衆や落ち武者は天を仰ぎ大儀の意味について
問うのであった・・・・

68 :
昔NHKスペシャルでやった始皇帝特集がまた見たい。

69 :
漢は上手い具合に始皇帝の遺産を継承したね。

70 :
漢の場合、秦が苦労の末に統一した成果をそのまま受け継げた上、
かつ統一に伴う人々からの恨みは全て秦が引き受けてくれた格好だからね。

71 :
中国統一を成し遂げたのは始皇帝の秦ではあるけど、
それは基本的には秦の長年の政策の延長線上であって、
統一の功績を全て始皇帝個人に帰すのは無理がある。

72 :
あげ

73 :
秦が崩壊した原因はいろいろあるとは思いますが、私なんかは始皇帝が
統一事業を推し進めるのを急ぎ過ぎたのも一因と思ってます。
もっとも緩やかに進めたとしても、滅ぼされた他の6国の生き残りの反発は
免れないでしょうけど。
ただ、言葉も文化も違う広大な土地を統一したのは凄いと思います。
秦・漢ともに。

74 :
でも急速に進めたからこそ一気呵成に統一を達成できたという気もするな。
ゆっくり進めると、かえって統一は上手くいかなかったんじゃないかな。
統一に伴う旧六国の反発さえ上手く対応できれば、
それなりの長期政権になったんじゃないかな。
事実、漢はあれだけ長く続いたんだし。

75 :
始皇帝万歳!
史記などを読んでいるとこの人の哀しみ、弱さが見えてくるようで辛い
自分自身の生い立ちと重なる部分があってよくわかるところもある

76 :
始皇帝と呂后が同時代の人物であるをわかっていない人は意外に多い。
黒柳徹子なんかがいい例。

77 :
【塩野七海が語る】
第10巻で書きましたけど、世界の東と西で、ほぼ同時期、紀元前3世紀に
万里の長城とローマ街道がつくられました。技術的には似たようなもの
だったんです。違ったのは、それを縦にしたか、横にしたか。縦にして
城壁にすれば、侵入から守ることはもちろん、蛮族から自分たちを切り離す
こともできる。しかしローマ人はなぜ横にして、自由に行き来できる道路
をつくったのか……。つまり、そこからパクス・ロマーナが開かれました。
しかし、パクス・チャイニーズは実現しましたか?
   ↑
高校の教科書にも書かれている「始皇帝の軍用路整備」「漢王朝」を無視なさる
とはさすがは塩野様です本当にありがとうございました。

78 :
塩野先生は、東洋史に関しては無知だ、って自分で認めていたから、
まあ、あまり責めるのもちょっと可哀想。

79 :
ま、ローマ人の物語とかは、素晴らしいからな。
あまり墓穴を掘るような言動は慎んで欲しい。

80 :
>>77
>しかし、パクス・チャイニーズは実現しましたか?
つ「後漢の平和」
高校世界史で、ローマ帝国の同時代史として習った記憶がありますが、
今の学説では否定されてるんですかね?
検索しても雑談しか出てこないし…

81 :
東洋史、西洋史、どちらも片方に入れ込み過ぎると、
もう片方が見えなくなるんだな。

82 :
>>54
実は劉氏と秦とのつきあいはかなり古いのであった。
と左伝学者みたいなこといってみよう

83 :
呂不韋って簒奪する気はなかったのかな?

84 :
おとなしく臣下がついてくるとは思えん
政と争って勝てるとも
後見人として権力振るう方がはるかに得策

85 :
始皇帝日記
【前219】超高の笑い声で起床。まだ眠い。顔を洗わせる。歯をみがかせる。朕は皇帝だ。
【前219】朝食のかわりに不老長寿の仙薬をのみくだす。効果が無い。イヤになる。
「蓬莱山に行ってまいります」徐福の言葉だ。おそいんだよ。早くしないと死んじゃうだろ。
「気をつけて!」うるせぇんだよこの玉ナシが。
【前219】ダルい巡幸出発。道の脇は野次馬でひしめいているすぞ、って呟いたら部下
がホントにしてた。('A`)。
【前219】「大丈夫まさにかくの如し」野次馬の中、劉邦がつぶやいている。朕にどうしろって
いうんだよ。
【前219】今日は泰山だ。封禅のやり方がわからない。焚書坑儒決定だな。
【前219】超高がニヤニヤしている。
【前218】巡幸終了。
【前218】次の巡幸出発。
【前218】頭が痛い。不老長寿の座薬を詰めるが効かない。朕はもう寝る。
【前218】枕もとで二人が謀議。超高の笑い声に李斯が動揺しているようだ。 誰でも玉無
しには引く。
【前218】張良に襲われる。やばい。鉄槌が温涼車に命中だ。影武者のだが。
【前218】「陛下〜、大丈夫〜?」超高だ。タイミングが良すぎる。どこに行っていたんだ?
【前215】「新しい影武者よ〜!」さようなら、影武者127号、こんにちは影武者128号。
超高がニヤニヤしている。
【前215】巡幸終了。次は何時にしよう。
【前213】とりあえず焚書断行。
【前212】「王侯将相いずくんぞ種あらんや!」ただの叛乱だ。
「彼、取って代わるべし!!」叛乱には飽き飽きしている。
【前210】人生終了。超高「大丈夫?」格好だけだな。
【前210】徐福が来た。「陛下!蓬莱山に行くには資金が足りません!」遅すぎる。帰れ。
うだつの上がらない奴だ。
【前210】帰路。車の中は生魚でいっぱいだ。超高がニヤニヤしてこっちを見ている。
カモフラージュか? 遺詔は?

86 :
>>78
本当に無知と自覚してるならわざわざ秦を引き合いに出して墓穴を掘ることはないよな
ようは謙遜してるように見せるために無知って公言してみただけ
言動と行動が一致してないことに対して責めるのは酷でもなんでもないと思う

87 :
>>83-84
簒奪するにしても一代じゃ無理だっただろうな。
段階的に秦王から権力を剥ぎ取っていくべきだろうけど、
その秦王が実は息子なのだからややこしい。

88 :
昨日TVで殷やってたが、あの暴虐といわれる始皇帝でさえ、
人形埋めたんだよな…と思った
時代も文化も違うんだから、比べてどうこういったって仕方
ないんだが

89 :
>>87
簒奪した上で、また息子たる秦王に王位を譲る?
あほらしい作業になるなw

90 :
焚書坑儒はなかった

91 :
あぼうきゅうにいた五千人の美女が気になる
あぼう宮は高さ130mって、なんかで見たけどホントにそんなにあったのか
疑問。

92 :
秦の王室って趙の王室と同族だから氏は趙だよね?
ってことは趙高って秦の王族なのかな?

93 :
エイじゃないの?

94 :
>>91
劉邦に一時接収された後、項羽に献上されたと思われ>五千人の美女
その際に戦利品として楚の諸将に分配されたか
或いは秦の血統を絶やす為に虐したとか色々考えられる。

95 :
始皇帝は絶大な力を握り、その象徴として阿房宮とかが強調されるけど、
国力、経済力なら後の時代の統一安定期の皇帝の方がずっと上だよね。

96 :
>>93
エイは姓で 氏と違う 後世では混同されてるけどね
例えば 太公望は 姓は姜で 氏は呂 

97 :
一番長いのは周で、800年。確かに実質西周までともいえるが、
王朝として一番長いのは事実だ。
 思えば、この前法政大のある中国人の教授と井沢元彦との対談があったが、
あの趙という人は中国の王朝って一番短い「元」でさえ90年持てたから
今の共産党はまだ大丈夫云々言ったが、これは明らかに可笑しいだろう。
たとえ武則天や王莽を入れなくても、秦や隋など一杯あるだろう。
趙ってかなり恥ずかしい間違いをしたが、一応専門は政治学。
それより井沢ってしばしば中国の歴史に口出ししたり、日本のトンでも歴史本を
書いたりしているが、趙の発言を認めたのも呆れた。
この人って本を大量生産しているが、
もうちょっと充電してから出直せって言いたいものだ。

98 :
>>88
殷の時代も下ってくると、だんだん殉葬とか生け贄なんかが
非人道的だ、という雰囲気になってきて、殉葬者を減らした
りする、なんて記録が見られるようになって、周や春秋戦国
になってくると、はっきり非道な行為と認識されるようになってきた
ようだね。
紂王なんかは案外古風な人だったのかもね。
そういやあ、秦では穆公が死んだとき、177人も殉死して、
そのせいで国勢が衰えたというけど、なんというか、凄い話だよね。
春秋戦国の頃のエピソードでは、秦が「蛮夷の国」みたいに言われてること
あるけど、確かにちょっと他の国とは違うよね。

99 :
秦は商怏の法が布かれるまで、風俗という点で明らかに中原諸国とは違うわけで。

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