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2011年11月1期18: 中国が由来の故事成語を挙げていくスレ (101) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼

中国が由来の故事成語を挙げていくスレ


1 :07/03/25 〜 最終レス :11/11/11
例えば日本でよく使われる「完璧」という言葉。
実は中国の故事成語なんです。
始皇帝の時代、璧を託された使者がいました。
使者の名前は藺相如。
一代の英傑といえる人物でした。
完全な形で璧を守るという任務を全うしたことから
「パーフェクト」という意味の故事成語となりました。

2 :
背水の陣

3 :
蛍雪の功
晋の車胤が蛍の光で、孫康が雪明かりで書を読んだという故事から、
苦学して成功する意味になったらしいです

4 :
愛国無罪

5 :
造反有理

6 :
【折檻(せっかん)】
 「漢書」の「朱雲伝」に由来。
 西漢の成帝の時代、朱雲が成帝の政治を強く諌めたため、朱雲は皇帝の怒りを招き、朝廷から追い出されそうに
なった。その時、朱雲は欄檻に掴まって動こうとしなかったために、それが折れてしまった。その様子に、成帝は反
省して朱雲の意見を受け入れたという故事。
 本来は厳しく忠告し、叱ることを意味していたが、現代では子供等の目下の者への体罰や虐待の意味が強くなっ
ている。

7 :
逆鱗に触れる
竜の顎の逆さに生えた鱗に触ると、竜が怒ってその人をすという故事から、
天子や主君をいさめてその怒りを受けること、という意味になったそうです。

8 :
画竜点睛を欠く
竜を描いて最後に睛(ひとみ)を入れない意味で、最後の肝心な仕上げをしないこと。
絵の名人である梁(りょう)の張僧繇(ちょうそうよう)が竜を描き、睛を入れたら
竜が昇天したという故事からきたそうです。

9 :
馬鹿

10 :
>>9
昔、西安郊外の「二世皇帝墳墓」を見に行ったけど
内部に趙高が胡亥を騙している「馬鹿」の状況を
説明している蝋人形館があった。

11 :
あまり知られていないのだと・・・・・・・
「散歩」
今でいうを散らすために歩いたことから・・・

12 :
杜撰
宋の杜黙の詩は格律に合わないものが多かった故事から、
誤りの多い著作のことや、いい加減なことを意味するようになったそうです。

13 :
蛇足
中国語は画蛇添足

14 :
共和
周代に不在の王にかわって諸侯の合議によって政治が取られた、
もしくは共伯の和によって政治が行われた時代が『史記』に「共和」と記されたことに由来し

15 :
大器晩成
鐘や鼎(かなえ)など大きな器物はなかなか簡単にはできあがらない意味から、
大人物は晩年に大成するということを意味するようになったそうです。

16 :
出藍の誉れ(青は藍より出でて藍よりも青し)
青い色は藍草から採るが、その色はもとの藍色より青い、という荀子の句より、
弟子が学問に励み、師より優れるという意味になったそうです。

17 :
死中に活を求める(死中に生を求める)
後漢の光武帝に最後まで戦いを挑んだ猛将延岑の言葉。
光武帝の軍に対し、何度敗れようと立ち上がりしぶとく戦い続けた。
しかし残念ながら死中に活路を見出せず、降服し斬られた。

18 :
推敲
唐の詩人・賈島(かとう)が、「僧推月下門」の詩句の「推」を「敲(たたく)」
にしようかと迷った故事から、詩文の字句を練るという意味になったそうです。

19 :
陳御大の弥縫録はみんな読んでるかい?

20 :
断腸の思い
東晋の将軍であった桓温が蜀地方に割拠していた成漢を征討しようとした際に、
兵士の一人が猿の子供を捕まえ、それを追いかけてきた母猿は百里あまりも追いかけた後で死に、
腹を割いてみると悲しみのあまり腸がねじ切れていた。桓温は怒ってこの兵士を罷免した。

21 :
>>10
阿呆の語源は秦の阿房宮であるという説もあります。

22 :
しゅっしゅっ
殷の(以下割愛

23 :
切磋琢磨
獣骨や象牙を切って磋(みが)き、
玉や石をのみで琢(くだ)いて磨く意味から、
互いに励ましあって学問や人格の修養向上を図ることを指すようになったそうです。

24 :
唇亡歯寒

25 :
破天荒
荊州は学問が盛んな土地だが、
科挙が始まってから長く合格して進士となるものがでなかったので、
土地の人はこの地を不作を意味する「天荒」と呼んで自嘲していた。
そして、やっと進士となったものが出たとき「天荒を破った」と喜んだのが由来と云われている。

26 :
上洛の洛は中国の洛陽の洛

27 :
登竜門
黄河上流の竜門を登りきった鯉は竜になるとされた故事から、
立身出世の関門や、人が栄達することを意味するようになったそうです。

28 :
むかうところてきなしって町費?

29 :
塩梅
臣下の心掛けとして偏り過ぎないバランス感覚が重要であると言う事を説くとき、
料理の味付けに塩と梅を使うが、両者のバランスが重要であることを喩とした。

30 :
指南
常に戦場において南の方角を指し示したと言う指南車から

31 :
捲土重来・国士無双

32 :
始めはの如く後は脱兎の如し
擬態を用い相手を油断させ、素早く行動して功を立てる。
出展は孫子
虎の巻
兵法書「六韜」は文・武・龍・虎・豹・犬の六巻があるが、
その中の「虎韜」には兵法の奥義が記されており、
最も重要視された事から秘伝書などの異名となった。
>>28
岑彭

33 :
>>29
古代の中国の料理では、塩と梅が二大調味料だったらしいね。

34 :
もしかしたらスレ違いかもしれませんが
質問してもよろしいでしょうか?
昔、中国周辺の異民族(遊牧民?)が
中国帝国の巨大さ強大さを知らずに
中国の皇帝(役人だったかも知れません…)の前で
恥知らずにも尊大な態度をとった話が元になりできた
四字熟語、もしくは故事成語をご存知の方いらしゃいましたら教えてください。
意味は逸話のまんまで「無知ゆえに、自分より優れた相手の前で
エラそうに振舞うこと」のような内容だったと思います。

35 :
『夜郎自大』かな?

36 :
>>35
まさしくそれです!
助かりました。ありがとうございます。

37 :
大樹将軍
後漢の名将馮異の渾名、
彼は他の将軍達が自分の功績を自慢している時、
それに加わらず、大樹の根元に座っていた。
その奥ゆかしい人柄から兵に慕われ、
みな彼の配下となることを望んだ。
日本では征夷大将軍に対する尊称(大樹公)として武士の間で使われた。

38 :
スレ違いでしたら申し訳ありませんが、質問をさせて下さい。
「人を慈しむ時の目は青く、人を憎む時の目は赤い」いう意味の言葉を知っている方いますか?
もしかしたら四時熟語ではないかもしれませんが…;

39 :
阮籍の『白眼視』は青眼と白眼だけど、違うのかな

40 :
万事休す

41 :
>32
風俗でやってけそう。

42 :
>>39
そうかもしれません。
すごいですね…
ありがとうございました!

43 :
後漢の初め頃に結構多いがとりあえず一つ
烏合の衆(耿エン伝・ヒトウ伝)

44 :
天知る、地知る、我知る、子知る
後漢の名臣として知られる楊震が東莱郡の太守だった時の事。
深夜、かつて彼が官吏に推薦した王密という人物が、その恩返しにと黄金を持って訪ねてきた。
清廉で知られた楊震が受け取るのを拒むと王密は「深夜なので誰も知りません」と答え、
黄金を置いていこうとした。
楊震は「天が知っている、地が知っている、我も知っている、子(君)も知っている。なぜ誰も知らないといえるのか」
と叱りつけたので、王密は恥じ入った。
これを人々は「楊震の四知」と言って褒め称えた。
ちなみに後漢書では「地知る」ではなく「神知る」と記されている。

45 :
間髪を容れず(間不容髪)

46 :
君子に三楽あり
孟子は「君子には三つの楽しみがある。
その一は、父母が健在で兄弟の仲が良いこと。
その二は、俯仰天人に恥じないこと。
最後は、すぐれた人物を教育することで、
天下の主となることは三楽には入っていない」と語った。
なお、孔子は驕楽(驕り)、佚楽(乱)、宴楽(酒食)の三楽を戒めている。

47 :
雲泥の差

48 :
泣いて馬謖を斬る
三顧の礼(孔明より前、伊尹が最初とか)
苦肉の計

49 :
烏合の衆は後漢初あたりに初めて出て来た言葉だが
日本だと漢書の訳本で麗β食其のセリフに「烏合の衆」が出て来て
秦末の言葉だと誤解された事があったらしい

50 :
大器晩成
後漢の名将馬援は、先祖が謀反人であったため立身出世の道を閉ざされていたため、学問に力を入れなかった。
しかしその後、前漢は王莽に簒奪され馬家は謀反人の子孫では無くなった。
そのため学問があった馬援の兄達は皆出世したが、馬援だけは小役人にしかなれなかった。
馬援が赴任のあいさつのため兄の馬況を訪れたとき、
況は「お前は大器晩成の人間だ、時間を掛けて自分を磨けば大人物になる」と忠告した。
馬援はその言葉を守り、光武帝に仕えて信任され、晩年交阯(ベトナム)の叛乱を鎮圧し、
娘は明帝の皇后となった。

51 :
楽此不疲
「楽しんでやる事は疲れない」と言う意味の言葉。
後漢の光武帝は毎晩遅くまで政務を勤め、
皇太子から働きすぎを心配された時、応えた言葉。
この言葉から光武帝の人柄が偲ばれる。

52 :
>>50
馬援は確かに、大器晩成と例えられたけど、言葉の語源は老子だね。

53 :
たぶん中国の故事成語で、女はロクなのがいない
みたいな意味の故事成語があったと思うんだけど何だっけ??

54 :
女子と小人は養いがたし
かな?

55 :
>>54それそれ
モヤモヤが取れたよ。ありがとう

56 :
井の中の蛙
荘子より

57 :
介より始めよ
時は春秋戦国時代、中華の覇者となった晋公重耳は、亡命期間中に自分のことを助けてくれた臣下たちに恩賞を授けた。
この時、重耳のために粉骨砕身して働いた介推という臣下がいたが、誰も彼の働きぶりを見ているものはいなかったため、恩賞を貰うことができなった。
これに失望した介推は故郷に帰り、山に篭ってしまう。
後に重耳は亡命期間中に自分が生きてこれたのは介推のお陰であったと知り、彼に恩賞を授けようとした。しかし介推は山から降りてきてくれなかった。
このことに重耳は自らの不明を嘆き、こう言ったとされる
「あぁ、私が愚かであったために、天下の忠臣を逃すことになってしまった。恩賞を授けるときに、まず介(介推のこと)より始めるべきであった」
このことから、介よりはじめよ、とはやるべき事は後回しにせずに先にやりなさいという意味になった

58 :
漢字が違う!郭隗の隗だと思う。

59 :
>>57
聞いた事無い。ググっても出てこない。普通は「隗より始めよ」でしょ?

60 :
釣られてんじゃねーよw

61 :
こんな餌に俺は釣られないクマー

62 :
隗推ってことですか?

63 :
>>62
だから郭隗だよ。

64 :
ちなみに57は元ネタを知った上で、全然違う話を持ってきてるので、あとはググれ。

65 :
このスレタイおかしい

66 :
なにゆえ?

67 :
満を持して
満とはなんのことでしょうか?

68 :
>>67
漢和辞典くらい引けるようになろうよ。
【持満】マンヲジス
@弓を十分にひきしぼる。《史記》李将軍
A物事が極点に達し、その状態を保つ。
B十分に準備して機会がくるのを待つ。
【満】
いっぱいになった状態。
など。

69 :
故事成語は中国が由来のものだからじゃない?

70 :
>>1
そもそも藺相如が「和氏の璧」を携えて秦へ赴いたのは、
趙恵文王(武霊王の子)と秦昭襄王(始皇帝の曽祖父)の時の話なんだが…
何故誰もツッ込まないんだ?

71 :
>>70
襄付いてたっけ。

72 :
秦昭王だと、同時代の燕昭王、魏昭王と紛らわしい。
昭襄王でも韓襄王、斉襄王、楚頃襄王と被るけど、間違うことはないからね。

73 :
臥薪嘗胆

74 :
依稚御都
【いちおつ】
三国時代、呉には依稚(いち)と言う大工がいた。ある時、大将軍・陸遜の命令で依稚が作った
州麗(すれ)という町を見た呉皇帝・孫権は感嘆のあまり
「御都(おつ。長安のこと)のようだ」と漏らしたという
そのことから、素晴らしい物を作り上げた者に対して依稚御都と声をかけるようになった
一時は絶滅しかけた風習であったが、現代日本のネット上で「»1乙」という形になって
蘇ってきている
民明書房「ねぎらいの言葉百選」より抜粋

75 :
ツマンネ

76 :
麻生太郎「死せる中川生ける保守を走らす」
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1255970291/
1 名前: ノイズa(東京都)[sage] 投稿日:2009/10/20(火) 01:38:11.91 ID:eCMGswrI ?PLT(12400) ポイント特典
http://img.2ch.net/ico/5ta.gif
麻生太郎前首相
保守理念を引き継ぐ
 
昭ちゃん。まさかあなたの弔辞を13歳も年上の私が読むことになろうとは。
100年に1度という世界同時不況時に、財務・金融担当大臣という要職を兼務し今回の総選挙で自民党が政権与党の座を失ったことが、
今回の悲劇を生んだ一端ではないかと、大変心苦しく申し訳なく思っている。
 
「政治家はわが身無念と思えども、国のためなら本懐なり」。あなたにこの言葉を贈りたい。
自民党は保守理念の再構築を果たさねばならない。中核を担うと期待していた中川先生を失い、われわれの気力がなえたことも事実だが、
われわれは中川先生の遺志を継ぐ義務と責任がある。
 
「死せる中川生ける保守を走らす」。これがあなたが最も望んでいることだろう。残されたわれわれは歯を食いしばって頑張る。
http://www.tokachi.co.jp/photograph/200910/THM20091016-0000000-0003310.jpg
http://www.tokachi.co.jp/news/200910/20091016-0003039.php

77 :
まあ、なんだ。「走」が敗走の意味という誤解は相変わらずなんだなw

78 :
「走」には、あわてて逃げ出す、という意味もあるけどね。
三十六策、走是上計。

79 :
朝飯前
休憩して飯にしようという光武帝の提案に反対し
自ら突撃して敵を敗走させた賈復に因む
と記憶してたんだが
ぐぐッたら江戸時代がどうのと出てきた
本当のところはどうなんでしょう?

80 :
日中辞典や中国語会話の本で「朝飯前」を引くと
「朝飯前」を表す成句として「軽而易挙」とか「易如反掌」とかが挙げられ
「そんなことは朝飯前だ」は「那好弁得很呢」とある
「とても簡単」とか「手の平を返すがごとし」とか言うだけ
あと「小菜」ともいうらしいがこれはa piece of cakeみたいなもんだね
少なくとも中国語では簡単な仕事の比喩に「朝飯の前」は使わない
ということは「朝飯前」は日本語とみるべきだが、日本人が後漢書・賈復伝の
光武伝召復曰:「吏士皆飢,可且朝飯.」復曰;「先破之,然後食耳.」
をもとに「朝飯前」ということばを作ったという証拠も見当たらない
どうやら言い出しっぺは後漢初のファンサイトらしい
ネット上に後漢初の情報が少なかった頃からの老舗サイトで
けっこう影響力があるみたいだから広まりやすかったんだろう

81 :
おっと
那好「办」得很呢 だな

82 :
折檻みたいに、間違って伝わるのも困るが、最初の情報源って大事なもんだな

83 :
後漢書以前に左伝に朝飯云々という話があるし、求めるならそっちじゃないのかと
まあ負け戦だけど
てかまあ日本語だろうが

84 :
「上に政策あれば、下に対策あり」
お上が政策を決めれば、下もそれに倣う。
出典は何だっけ?十八史略あたりかな?勘だけど。

85 :
倣うってか、お上に従わず勝手にマイルール作るって意味じゃないの
あと政策って単語は歴代正史だと清史稿にやっと出てくるぐらいだし
近現代の言葉な気がする

86 :
「上有下策下有上策」じゃなかったかな。
お上は下策ばかりだが民衆は上策を持ってる、という言い回し。
政策なんて単語入ってたかな。

87 :
李承晩(イ・スンマン)ライン事件と言うのがあって、
韓国海軍が日本人の漁師数千人を拉致して
人質にして日本政府を脅迫した事があるんだよ
その時に、人質解放の条件として韓国側が
(1)韓国人犯罪者の釈放
(2)韓国人密入国者の滞在合法化
…を要求してきたの。当時日本はまだ自衛隊が無くて
戦争できなかったから仕方無く要求を呑んだのよ
今なら確実に戦争なんだけどね
本来、不法入国者=犯罪者である在日がのうのうと
日本で暮らせているのは韓国のこの犯罪行為のおかげ

88 :
カルト教団による言論弾圧の実態!(3/3)
http://www.youtube.com/watch?v=6-ngNngbtU8&feature=player_embedded

89 :
>>84
上有政策、下有対策。とは、
お上が政策を決定しても、下々も政策に対する対策を編み出す、という意味。
なかなか政策どおりにはいかないということさ。マイルール作るというのとはちょっと
ニュアンスが違うかも。
どこの国でも当てはまる言葉だと思うけど、そんなに古い格言じゃない。
だが出典はおれも知らん。知ってたら教えて。

90 :
上有天堂、下有蘇杭をもじったらしい。

91 :
虎穴に入らずんば虎子を得ず
  後漢の班超の言葉

92 :
賢者は適当にあしらって愚者は丁重にもてなせ という風な故事があったと思うのですが誰か知りませんか?

93 :
誰かお知恵をお貸し下さい。
ある王様が三階建ての家を造るよう職人に命じて職人が土台を建て始めたら
「そんな下の階はいらない。三階だけ造れ」と無理なことを言って職人が呆れた
という話は何という故事でしょうか?出典などがわかると助かります。

94 :
六朝・斉の求那毘地が訳した『百喩経』すなあ
http://unilab.gbb60166.jp/koten/kyudai2001.pdf
の7ページから何かの試験問題で出てるわ

95 :
男損女肥

96 :
>>92
「六韜」の12の文伐のなかにそういうのがある
他国の有能者が使者に来たら交渉を長引かせて
代わりの使者が来たら交渉成立させて彼らを仲違いさせよというもの

97 :
鶏鳴狗盗
風林火山

98 :

100円寿司食べ比べ ネタ別ランキング!
まぐろ、はまち、びんとろ、ほたて、あなご、サーモン、エビアボカド
ユッケ、〆鯖、鯵、たまご、エビ天、いくら、茶碗蒸し、デザート他。
お店別キャンペーン情報もあり。
http://blog.livedoor.jp/nigirizusi_maguro/archives/52418375.html

99 :
刎頚の交わりのレンパって
ただのドM野郎にしか思えない

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