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2011年11月1期28: 劉備が天下統一できなかった最大の原因 (513)
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劉備が天下統一できなかった最大の原因
- 1 :09/04/16 〜 最終レス :11/11/09
- 劉表死後に荊州乗っ取らなかったから
- 2 :
-
- 3 :
- そんなに熱心でなかったから
- 4 :
- 袁紹程の人脈も名声もなきゃ、曹操程の資金力もなかったため。
- 5 :
- カンウの補佐が居なかったから【ホウトウ戦死】 イリョウで負けた為 エンショウと手を組まなかった為 赤壁でカンウがソウソウを見逃した為【これは演技だから除外】
- 6 :
- 中原から追い出された時点でじえんど
天下は袁紹と曹操の二択しかなかったよ
- 7 :
- >>6
もし袁紹が天下とってたら100年早い八王の乱が起こってたんかな。
- 8 :
- 逃げ回ったあげく
ムリヤリ蜀おっ立てただけの無能に
天下統一できなかった原因もクソもねーだろww
- 9 :
- >>8
お前曹操だな?
- 10 :
- 関羽が役立たずだから
- 11 :
- >>7
袁紹の天下だったら、劉備はその下についたのかね。
- 12 :
- 劉備は公孫サンの配下だから、顔良や文醜あたりの下につけられたかもね
- 13 :
- >>1
曹操が河北を制覇した以降、劉備に天下統一の目なんてものはない。
呂布に徐州を乗っ取られた時点で、天祐も曹操に劣ることを示しているから
天下統一ができるとも思えないな。
>>11
劉協を廃して、帝位に推戴されてたかも?
袁紹も曹操を倒したからと言って、即日禅譲を迫るとまではいかないであろうことと
出自は怪しくとも劉協より皇叔のお墨付きを貰っていて、帝位を継がすのに適当な人材だったから
- 14 :
- >皇叔
- 15 :
- >>13
もしそうなったら、すごい権力争いが行われそうww
実権を握る袁紹VS劉備家臣団
袁紹死後なんか、息子たちがやらかしてますますww
- 16 :
- 現実問題として、担ぐとしたら劉虞の息子、劉和だろ。
劉璋や劉曄など身元のハッキリしてる皇族が居るのに、劉備なんか担がれる道理がない。
- 17 :
- >>16
劉虞にはきっぱり断られているから、劉和も断られる可能性が高い
199年以降記述がないことから、官途の頃にはお亡くなりになってたりしている可能性もある
劉曄は曹操の傘下、劉璋は遠く巴蜀の地
史実の劉備は、演義と異なり野心満載の人物で引き受ける算段も高く、担げばそれだけ恩も売れる
(劉備がどれだけ恩に感じるか当てにならんが…、曹操なんかよりもよっぽど奸雄だからな劉備は)
道理については、元々臣下が主を廃することに道理もへったくれもないこと
懐に飛び込んできた皇叔の冠を持つ窮鳥を操るのは容易く、如何に扱うかは思うが侭
可能性ならないとは言い切れないと考える
けどまぁ、薄いか
なんせ劉備は袁譚と親密な関係だから、後を袁尚に継がせたいなら障害になりかねないものな
しかし、劉備を保護した裏に実はそんな企みがあったとしたら、度重なる劉備の失態を大目に見た理由にもなる
一説として、けっこう面白い考えだと思わない?
- 18 :
- >>16
問題は身元ではなく能力(徳)だよ
- 19 :
- >皇叔
>皇叔
>皇叔
- 20 :
- 見回りに来た役人が会ってくれないって理由だけで
キレて縛って鞭で叩いたから
- 21 :
- >>20
その時点でw
- 22 :
- 三国鼎立させただけで十分頑張ったって言える
野心なけりゃ曹操か袁紹の配下くらいでおわってた
- 23 :
- 国起こすのが遅かったからじゃん?
- 24 :
- 211年に入蜀したすぐさまに劉障を捕縛し、蜀に兵を2万程残し、一挙に漢中を抜き、
長安の韓遂らに合流する。劉備が何月に入蜀したとか、時間の問題等、いろいろあるが、ともかく劉備はこの機を逃さず迅速に動くべきだった。
ここで大胆に出れば歴史は流転したはず。
- 25 :
- >>25
後は荊州返還。蜀を手中に収めすぐさま荊南二郡を呉に譲渡し、長安と漢中、涼州を平定した所で更に荊南二郡を明け渡す。
とにかく1つ言えるのは、劉備は臨機応変でなかった事。出迎えに来た劉障を捕縛すれば、三年の月日も掛からず、何より無駄な血もなく蜀を平定できたのに。
劉備の優柔不断のせいで、張松や鳳雛ら貴重な者が死に、更に関羽の死に繋がったと言える。
全ては劉備に責がある。
- 26 :
- >>25
すまん、>>24と書くべきでした!すみませんでした!!
- 27 :
- お抱え武将は多彩だったのにな。
やはり憎まれてもワンマンで冷血でなければトップはつまらぬということか。
- 28 :
- そんなに露骨に人を騙して、滅亡がはやまるだけ
- 29 :
- >>25
魯粛が劉備についてれば最強だったって事か
- 30 :
- >>24
あれでも劉璋は、蜀の民臣からの人気は高かった
その劉璋を騙まし討ちの捕縛で蜀の民臣が心服するとは限らない
逆に大いに反感を買う恐れが高く、すんなりと平定できるとは限らない
次に漢中。まるで遮る者がないが如く語っているが、五斗米道の張魯は10数年もの長きに渡り漢中を支配し、
民衆からの人気の高い統治者で侮ってよい存在ではない。生半可では討伐は難しい
さらに涼州の軍閥と盟を結べるかどうかも不確定。馬超のいない劉備は涼州とのパイプを持っていないからね。
曹操の漢中侵攻において涼州を侵略される事を恐れて挙兵したのと同様に、劉備の漢中侵攻に対して涼州への侵略を恐れて挙兵しないとも限らない。
そして、荊州・益州・涼州と漢中を制していたとしても、曹魏との戦力の差はまだまだ大きい
劉備が急性に力をつければ、史実同様、孫呉も劉備の力を削るような動きに打って出てくる
反三国志の道は楽ではないよ
- 31 :
- >>30
24〜25カキコした者だけど、30さんの言う通りなんだよね。よく考え直せば。
それでも劉障は早くに始末を着けるべきだったと思うよ。血もほとんど流さず、時間も掛からなかっただろうと思うしね。
- 32 :
- でも、ムシロ織りで、かつ、何度も国を失いまくったのに、良く蜀とか
立てれたよ。それだけでも凄いわ。曹操にしろ、孫にしろ、先祖代々の
人脈が分厚いわ。
- 33 :
- 自分の部隊を守る部隊長としては有能だけど
大守として土地や土地の人の財産を守ることが
出来なかった、もしくは意思が希薄だった
だからやばくなったらすぐ逃げちゃう
コーメーがいなかった時代にそういう戦略的な行動をとれず
中原を押さえられちゃったから?
- 34 :
- 劉備の皇叔って家譜による代数で見る中国ではあり得なくない?
確か献帝より二世代くらい後なんでしょ?
- 35 :
- そもそも劉備が群雄として一人立ちするのが赤壁後に独立してから
それ以前はずっと誰かの配下として立ち回ってる
- 36 :
- 「金が」とか「人脈が」とか言うけど、劉備も別にただの筵売りだったって
わけじゃないんだよな。
祖父も父も豪族だったし、親戚に援助を受けて有名な儒学者の塾に通い
そこで公孫サンと知り合ったり、身なりを派手に着飾ったり
乗馬が趣味だったり、結構貧乏とは言えないような暮らしをしてる。
むしろ劉姓+(自称)漢室の末裔ということで色んなとこで恩恵を受けてる。
彼の苗字が「劉」じゃなかったらどうなっていたか非常に興味深い。
- 37 :
- >>36
劉姓や皇室でそんなに恩恵は受けてないよ
明らかなのは皇帝になるときくらいだろう
- 38 :
- >>37
受けてるよ。つうかそれが最大の武器だった。
- 39 :
- 黄布の乱で、漢王朝終わってるよ。
- 40 :
- 劉備が下手に騒乱を起さなければ、
名宰相曹操の下で、漢王朝の再統一は実現出来た。
- 41 :
- >>40
その場合は漢朝がその後も存続したのだろうか。
- 42 :
- 史実と同じように曹ヒが纂奪するよ
尤も劉備は立場上曹操がギ王になった時点で諫言してるはずだから旬イク旬ユウのように死を命ぜられ、その頃までは生きていなかっただろうがな
- 43 :
- 劉備が統一した場合、元勲はどうなったのかな?
関羽生存している間の統一なら劉協が皇帝のままなので関羽は除外する。
一番の問題は張飛かな?
劉備健在のうちはいいとして、劉備が死んだら先帝の義兄弟かつ外戚の立場は強力だろう
劉備存命、死後に関わらず誅出来ないだろうし
本来なら麋竺も有力だろうが弟絡みで官位は高いけど落ちる
後は孔明・李平含めた荊州・益州閥はどうなるか
孔明は誅?
- 44 :
- >>43
日本語でおk
- 45 :
- 劉備が曹操に帰順というか造反しなかったとしても、宿主をことごとく破滅させる寄生虫みたいな奴だから
曹操も劉協も無事では済まされなかったんじゃないか?
- 46 :
- 面白い意見だ。曹操が倒れ天下は麻のごとく乱れ、今こそ劉備の出番て訳だな。
- 47 :
- >>45 また珍説で荒らしですか
- 48 :
- 45の説は、説得力あるぞ。
- 49 :
- 劉備はただ宿主を破滅させるだけでなく、その混沌とした中で何故かいつもトップに立ってるからな
結果的には中央で曹操に仕えた方が上手く行っていただろう
- 50 :
- 曹操が「天下に英雄は、俺とお前だけだ!」って言われた時点で、
劉備は、逃げ出すしかないんかな?
- 51 :
- あれって演義の創作じゃないの?
- 52 :
- 史実でも言ってるよ
- 53 :
- 関羽が韓信見たいな性質じゃなかったから天下を取れなかったと言ってみる
少なくとも韓信のような性質だったら、荊州は取られず麦城の戦いは起きずその後の展開も変わるはず
- 54 :
- 神の意思には何人とて逆らえぬ。
劉備とて所詮・・・愚民の一人。
- 55 :
- 単純に力不足。
- 56 :
- 天の時に恵まれず
地の利を得られず
人の和だけでは、天下を盗るに適わず
- 57 :
- 関羽が韓信に勝るところなんて個人的武勇のみ
- 58 :
- >>57そうですね、関羽と韓信が戦場で戦えば間違いなく韓信が勝つでしょうね、
- 59 :
- ほぼ徒手空拳から一国の皇帝にまで成り上がったんだ、劉備は無能では有り得ない
蜀滅亡の大きな理由は漢室再興にこだわった事で、故に無駄な外征を繰り返す羽目になった
そもそも諸葛亮のような人材は内政に専念させ、ひたすら国力増強に励むべきだった
欲をかかず、せめて漢中王となった時点での勢力保持に努めていれば命脈を長く保てただろう
- 60 :
- ずっと天下三分ていうのいも、中国人の人も可哀想かも
- 61 :
- >>59
漢室再興を謳ったからやってきた人材(孔明とか)もいるわけだし
いまさら「うそでーす、すいませんでしたー」で済むことじゃないだろう
それこそ内部崩壊を引き起こしてしまうだろうから残念ながら無理だと思う
- 62 :
- 民主党が大風呂敷のマニフェストで自滅したのに似ている
- 63 :
- >>59
>ほぼ徒手空拳から一国の皇帝にまで成り上がったんだ、劉備は無能では有り得ない
まず、何に対して無能でないのかによって話しが変わる。
さらに無能でないのと有能とでは、大いに隔たりがある。
皇帝に成り上がることに、必ずしも政戦両略の才が必要とは言えず、
劉備の業績を見れば、政戦両略に才能は乏しいとしか言いようがない。
>蜀滅亡の大きな理由は漢室再興にこだわった事で、故に無駄な外征を繰り返す羽目になった
益州を得てから劉備が起した外征は、漢中と夷陵の2回で繰り返すというほど繰り返していない。
また、漢中王を僭称した時点で漢室とは決別している。
そして、夷陵の戦いは、直接的に漢室再興を目的とした戦いとは言いがたい。
>そもそも諸葛亮のような人材は内政に専念させ、ひたすら国力増強に励むべきだった
そもそもも何も、劉備存命中は、諸葛亮らに国政を任せていた。
ひたすら国力増強に励むというが、当時の劉備の年齢を考えれば、じっくりと国力増強に励んでいる猶予がない。
また、国力では、圧倒的に魏が優位にあり、時を費やせばその差は広がる一方になりえる。
>欲をかかず、せめて漢中王となった時点での勢力保持に努めていれば命脈を長く保てただろう
天下統一できなかった最大の原因を語るスレで、蜀漢の命脈を保つことについて語られても困る。
総じて、劉備存命中と存命後を混同して語っているようにしか見えない。
- 64 :
- 演義と勘違いしてるんじゃないのか・・・
- 65 :
- さらに言えば陳平や張良のような人材が居ない、ショウカのような人材は孔明がいるから問題ないけど
- 66 :
- >>65
謀士ならば、ホウ統、法正、黄権などがいた
戦死のホウ統、病死の法正は兎も角
黄権は活かしていたとは言いがたい
だから天下を取れなかった、との事なら納得
- 67 :
- >>66黄権と言う人はそのメンバーで見れば色んな意味で格下に思えるのですが
個人的にはとても三国時代の今張良や陳平になれる人材とは思えません、自分はメジャーな人間しか知らないモグリなので
- 68 :
- 〜しか知らないモグリなんだったら黙って見てればいいのに
なぜ反論する
- 69 :
- 劉備配下の謀臣としてはまず徐庶。その後釜がホウ統。次が法正。その次が黄権。そして孟達となる予定であった。
しかし全員が死ぬかギに投降してしまったため、畑違いの諸葛亮が軍を率いなければならなかった辺りが劉備陣営の限界と言えようか。
- 70 :
- 黄権は判るが孟達は如何なものか?費詩も言うように人物が小さい。
- 71 :
- 確かに陳平みたいな、口先三寸で国を何度も救うような奇才はいないが、
そもそもこいつ他の時代にも滅多に居ないタイプじゃないか?
口先一発で、英雄に恵まれて北方統一した時代の遊牧民を退けるわ、
呂氏クラスの官爵フルコンプの佞臣や君主権力を脅かす功臣を口先三寸だけで始末するわなんてのは。
- 72 :
- あえて挙げればミスターパーフェクトの藺相如か。完璧の逸話では秦王を相手に全くひるむ事なく、弁舌と
演技力で策略を成し遂げた。黽池(べんち)の会では秦の国内での会合に決死の覚悟で出向き、趙を
格下扱いしようとする秦側の策略をことごとくはねのけて面子を保った上で趙王を無事連れ帰っている。
その後も藺相如と廉頗将軍が健在であるうちは秦は趙を攻略出来なかったという。
- 73 :
- >>50
しかし「天下に英傑は君と余のみ」ってのは、考えれば考える程凄い言葉だな
恐らく「俺はライバルを全員蹴落とし、残るはお前だけだ。そのうちお前も倒してやる」という挑戦の意味を含んでいただろう
そしてまた、当時は客分に過ぎなかった劉備がその後三国の一角を建国して実際に自分を脅やかすわけだから、曹操の人を観る眼の確かさは見事としか言いようが無い
- 74 :
- そこまでわかっていて見逃す曹操の詰めの甘さは尋常じゃない
- 75 :
- >>74同感、他の時代の英雄(統一した皇帝)なら多分見逃さずに、どこかで仕留めていたのかと
- 76 :
- >>73
その手の発言は、外れたものは史書に書く必要がなく
当たったものだけが書かれるからすごいように見えるが
方々で似たようなこと、言ってたんちゃう?
>>74
窮鳥ををせば、降る者も頼ってくる者もいなくなるがな
袁紹との戦いが控えているのに罪なく「危険かも」だけでせないって
一応、左将軍の地位で懐柔もしてる
まぁ、恩知らずにかけては呂布に匹敵する劉備には何の意味もなかったけどなw
- 77 :
- >>75
曹操の人材収集癖はダテじゃないからな
旬イクや郭嘉、関羽以上に高く評価している劉備を部下にしたいと思うのも自然かもしれん
とは言え、その甘さが曹操が天下を統一出来なかった最大の原因だろうな
- 78 :
- >>76
君は一体何の根拠があって言っているんだ?
曹操は常に劉備を同じ車に乗せ同格の席に座り同じ食事をしたりとまるで兄弟のように扱っているのだが、これ程の厚待遇を受けた人が他にいるのか
曹操は劉備を高く評価して実際に劉備はそれに値する人物だった、それで良いじゃないか
何故不当に英雄を貶めようとするんだ?
- 79 :
- 実は曹操と劉備は親友
劉備は他の武将を頼って曹操との戦いを煽り、
曹操に戦いの口実を与えて、曹操の天下取り
を手伝っていた
- 80 :
- >>79
それでも天下取れなかったのか・・・
- 81 :
- ・・・単純に、曹操がいたからだろ。
- 82 :
- 単純に最初期に色々短気だったのも問題だと思う。
それに起因することでもあるが、挙兵から頭角表すまでの期間が、先祖の劉邦やら同期の曹操やらに比べて遅い。
曹操でも歴代では遅いくらいなのに。
- 83 :
- >>73
> しかし「天下に英傑は君と余のみ」ってのは、考えれば考える程凄い言葉だな
> 恐らく「俺はライバルを全員蹴落とし、残るはお前だけだ。そのうちお前も倒してやる」という挑戦の意味を含んでいただろう
この言葉は、袁紹との決戦前で、まだ、ライバルを全員蹴落としてない。
カクすら降っておらず、四方敵だらけの状態。
そして、この言葉のあとに「袁紹なんてたいしたことない」と続く。
味方してくれる者を持ち上げ、敵対する者を虚仮おろしている発言。
この流れで「お前も倒してやる」という意味が含まれているようには見えないな。
また、未来を予見しての発言とも思えない。
この後の展開を知るものからすると未来を予見した発言ととりたくなる気持ちは
わからんでもないがね。
- 84 :
- >>67
黄権は、魏に降っていながら蜀志に立伝された人物。(蜀志十三 黄李呂馬王張伝)
さらに漢中占領は、元々黄権が立てた計略にそったものであったとされる。
また、曹丕から「君は逆(蜀)を捨てて順(魏)にならった。陳平・韓信に倣おうとしたのか?」と
黄権自身を陳平・韓信に準えて、魏に降った理由を問われている。
そして、直接、魏との戦火を交えての降将でないこともあるだろうが、
魏でこれといった功績をあげていないのにもかかわらず、曹丕、曹叡から厚遇を受けている。
劉備が使い方を間違えず、使いこなせていたなら、龐統・法正と共に立伝されてたかも知れない人物と考えても
荒唐無稽と言われるほどの人物ではないと考える。
- 85 :
- >>84そうなんですか、光栄の三国志シリーズではたいした事なかったので、少しは出来る雑魚かと思っていました
- 86 :
- >>50
英雄は君と俺だけだ!共に天下統一の為にがんばろう!
って感じじゃないよな〜
曹操と劉備が共闘したらそれはそれで面白そうな妄想ができそうだが
- 87 :
- >>86多分裏切らないかのカマをかけていったのかと思う
- 88 :
- 関羽が荊州の太守になった時、韓信の霊が乗り移ったままであるのなら劉備は天下を取れたかもしれない
- 89 :
- >>86
そうか?
言い方しだいだと思うが、「2人が手を組めば天下も平定できる」と
取れないこともない発言じゃないか?
「英雄は君と俺だけだ!」だけが取り座されているが、
その後に「袁家のボンボンなんてたいしたことない」が続くのを忘れずに
ここの間に”2人が組めば”って考えも込められていたとも取れるんじゃないか?
- 90 :
- 物語的には格好の挑発だけど、史実の状況考えたら共闘宣言のような感じだよな
- 91 :
- ライバルどうしが組んだら無敵だぜ
- 92 :
- シャアとアムロが組んだら無敵だ
- 93 :
- いま曹操と手を組めば、第二、第三の曹操が現れる。
すると何のために曹操と力を合わせたのかわからなくなる。
- 94 :
- >>89
ただ曹操は「○○なのは俺と××だけ!」って言い回しが好きだから、単なる口癖かもしれない
- 95 :
- そもそもそんな評価をくだす事自体がおかしいと思うけど
ただのジョークか皇叔のご機嫌取りじゃね
- 96 :
- そして真に受ける馬鹿劉備
曹操に軽く試されたな〜
- 97 :
- 才能でも勝ってるとは言えないのに親が大金持ちの曹操と
せいぜい富農出身の劉備じゃスタート地点まで違うんだからどうしようもない
劉備が袁家くらいの名門出身だったら勝つ可能性が出てくる
- 98 :
- 劉備みたいな無秩序な生き方は袁家みたいな保守的な出自の価値観じゃ出来そうにないがな
領地や国を持っていたとしても、それを運営できたかという問題もあるし
劉備って人はとにかく戦い続けて一生を送った人で、政治的な功績なんてほとんどねーから
- 99 :
- >>97
劉備が徐州を譲り受けた頃ならば、領土や軍勢面では曹操との差はそれほどない。
現に陶謙は、曹操の進撃を2度ほど追い返している。
人材面でも関張がいて、陳珪・陳登親子や陳羣もいた。
遜色がないとまでは言わないが、言うほど見劣りする陣容でもないはず。
これ以降の差は、結局のところ呂布の襲撃を防いだ曹操軍と防げなかった劉備軍の差でしかない。
即ち、本拠の守りの人選ミス。
この点から出自での差は、言い訳にできないと思う。
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