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2011年11月1期39: 元阪急のマイナーな選手を懐かしむスレ その2 (936)
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元阪急のマイナーな選手を懐かしむスレ その2
- 1 :10/10/16 〜 最終レス :11/11/13
- 前スレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1093511599/l5
- 2 :
- 大隅正人
- 3 :
- 考えたら、ごく一般的には、阪急自体がマイナーでしたもんねえ。
パッと浮かぶとなると、福本・山田かブーマー・アニマル辺りなんかなあ。
優れたプレーヤーの宝庫やったのに・・・
- 4 :
- 他にも
足立、梶本、山口、今井、大橋、マルカーノ、箕田、加藤、スペンサー、
一杯いるよ。
- 5 :
- >>4
けど、知られてなかったという悲哀。
蓑田とかプレーだけでなく顔立ちもよかったのに、一般的には地味なほう
でしたしねえ。
それが阪急のカラーだったといえば、それまでなんでしょうけども・・・
- 6 :
- 昔、箕田はイケメン野球選手で女性誌に出てたよ。
他に出てたのが大洋の遠藤。
- 7 :
- MMコンビの松本三浦
何故使いモノにならなかったのか
- 8 :
- 三浦って福島商業・三浦広之のこと?
一応一軍で勝ってるし(3年で14勝)、2年目はシーズンを通じて投げてたし、
玉三郎と渾名されて貴重な女性ファンを攫んだ点で
戦力面でも営業面でも松本よりは「使い物」にはなってたと思うけど。
- 9 :
- >>3
山田と言えば1リ-グ時代に山田(伝)が居た。フライをお臍辺りでキャッチするので
通称「へそ取り伝ちゃん、へそ伝」と言われて居た。後年の福本などは好感が持てた
選手だった。
優勝時に2000型電車の妻部分に、社旗とブレーブスの旗が交差して取り付けられている
のを撮影している。
- 10 :
- 湧川
- 11 :
- 三浦広之について調べてみたけど、初登板からの4試合連続勝利とか
結構活躍してたんだね。オールスターにも出てたくらいだから、
使い物にならなかったという評価は過小評価し過ぎだと思うな。
この人も当時の投手にありがちな酷使で故障して短命だったみたい。
当時の阪急は山田、山口、今井らそうそうたる投手陣を誇っていたから
さすがにそれ程目立ってはいなかったけど。
- 12 :
- 日系ブラジルの佐藤滋って知ってる?
まだ若手で、もちろん実績なかったけど、当時石嶺がデビューする前ぐらいで
パワーからして日本を代表するスラッガーになるのは時間の問題と言われてて
キャンプで喧嘩の仲裁に入り目を殴られて視力低下で引退した。
- 13 :
- 一瞬輝いたリリーフの関口投手。
- 14 :
- >>12
それ覚えてるよ。
スポーツ新聞に小さく引退の記事が出ていた。
最初は意味がよく分からなかった。
長打力があるうえにイケメン風の容姿で将来を嘱望されていたのに・・・
目の怪我について、球団の事情聴取に対してケンカの仲裁を言い出せず、
「自分でトイレで転んだ」とか嘘を言ってたんだよなあ。
気の毒な話だよ。
佐藤選手を殴ったヤツはその後お縄になったんだっけ?
- 15 :
- このスレに辛うじて当てはまる選手 茨木東高→近大→阪急(87年D2位)の山内。
高校時代無名の公立チームながら激戦の大阪予選4強に進出、当時無敵と言われたPL学園をあと一歩まで追い詰めた。
余談だが大阪予選を制したPLは三連覇の懸かった徳島・池田高を破って全国優勝。世に言うKK時代の幕開けでもあった。
実は阪急時代の印象はそれほどでもないのだが、自分の実家が茨木東の近所にあって小学生の頃、山内らの練習風景などを見ていた。
大した選手には見えなかったのだが当時から球界関係者の間で評判になっていたらしい。
そんな選手でもプロではたった2年で通用しなくなるくらい、厳しい世界なんだね。
- 16 :
- 実力が通用しなくなったというよりは、肩か肘かを故障したのでしょう。
新人からいきなりリリーフを任されてニ年連続で二桁セーブを挙げたのだから
肉体への負担は相当なものであったと推察できます。
- 17 :
- アンダースローの金本誠吉
- 18 :
- 有り得ない名前の 淵上魔基
- 19 :
- 渡り鳥の永本裕章
阪急時代に一年だけ花開いた
- 20 :
- 中日で乱闘要員として花開き、引退後は町会議員→町長と出世した岩本ですが、
阪急時代ってどうだったんでしょうか?
- 21 :
- >>19
俺、ケイブンシャのプロ野球大百科83年版持ってるけど、前年の15勝のおかげで、ページ最初のカラーグラビアでは山田久志と同じ大きさの写真が載ってるな
あと、成績は全く覚えてないが、栫(かこい)って名前のピッチャー居たよな
- 22 :
- >>20
全く記憶にない…
- 23 :
- 引退後コーチとしてそこそこ名を売ったけど、
内野の控えだった福原とか井上。福原の場合、同時期に福良がいたから
余計マイナー感があった。でも調べてみたら、福原は実働11年で158安打18本塁打、
井上は広島時代も含めてだけど同16年で245安打22本塁打132盗塁“も”していた。
あと、名前が思い出せないんだけど、中日から移籍してきて主にファーストの守備固めを
持ち場にしていた選手‥‥。やっぱ守備要員ってマイナー色強いね。
- 24 :
- 永本も木下もタイプが全然違うが
横手投げに改造してブレイクしたことと一年草に終わったうえにその後すぐに引退したから
俺的にはすごくイメージがダブる。
- 25 :
- >20
岩本は1年間セカンドでレギュラーだったよ
85年頃
「簔」田なんだけどな<みのだ
しかもマイナーじゃない…
山沖専用捕手内田強
デビュー二打席連続本塁打村上信一
- 26 :
- 谷村って投手居たよね、上田監督が抑えに指名したけど「自信が無い」って
固辞してた記憶がある。
- 27 :
- >>26、
●神から移籍で阪急で選手人生をまっとうした人ですな。
引退試合が西宮での近鉄戦で、
デー●スに一発打たれながらも完投勝ちでフィナーレ、男泣きしながら上さん{上田監督}に出迎えられたのを、よく覚えてます。
- 28 :
- >>25
そうそう。山沖専用捕手かどうか覚えてないけど、内田って捕手、確かブーマーに体当たりされて失神しちゃった捕手だよね。
それよりなにより、確か中日出身で新人年の1年だけ在籍してすぐトレードされたのが珍しく覚えてる
入団1年で放出されるってなんかあったの?
トレード癖が付いてしまったのか見るたんびに違うユニフォーム着てた記憶が。
- 29 :
- >23
島谷・稲葉と一緒に中日から移籍した大隅か
阪急大儲けのトレードでしたな
- 30 :
- オリックスで二軍コーチもやった米村理は代打の切り札“候補”だったのかな。
- 31 :
- 岩本は確かベンチのムードメーカーで86年の珍プレー好プレーにもゲスト出演したのは覚えているよ!
アニマルにヘッドバット喰らったり、牽制球で帰塁する際、落合が捕れずに二度も脚に当たったなど86年は目立ってたけどその年のオフに中日にトレード
- 32 :
- >>26>>27
81年後期に日ハムと優勝争いをしていた時に西宮の西武戦で、先発した宮田のリリーフに立ったが四球連発で傷口を広げただけで降板。
チームはこの敗戦をきっかけに首位日ハムとのゲーム差が開き、後期優勝も逃した。
上サンの谷村に対するコメントは辛辣を極めた。
上さんとしては期待が大きかった分、結果を出せなかった谷村に苛立ちがあったのだろう。
翌日のサンケイ新聞の見出しに大きく出ていたのを覚えている。
- 33 :
- 宮田はシーズン途中で阪神から来たんだね
- 34 :
- 一時期セカンドを岩本、福原、福良、村上が争ってたんだっけ?
村上なんて顔付きからセカンド向きじゃなかったのにな。
打撃が良いので福良がレギュラーになったらその内守備の人にもなった。
西武の辻と逆のパターンだったね。
- 35 :
- >>31
落合のことだから二度目は捕る気なかったりしてw
投手に対しての「ちゃんとしたとこに投げろ」というオレ流メッセージかもしれないし
単純にランナー岩本を「ウゼえなこいつ‥もう一丁当てたろか」と思ったのかもしれないww
>>32-33
宮田は社会人(鐘淵化学)で谷村の後輩ということになるんだね
- 36 :
- 榎田投手。
当時観たプロ野球ニュースで、ここ数年高卒の即戦力投手は、全く出てきてませんが
しかし、今年、突如この3人が即戦力高校生で出てきました。では投球フォームから、プロの目で
解説してもらいましょう。って当時、荒木大輔、畠山準、榎田と紹介されたの記憶がある。
結局何がいけなかったのかな?
- 37 :
- 山越はいい選手だったぞ
- 38 :
- 山越って弓岡とショートで併用されてたというイメージが強いな。
結局最後までレギュラー定着はできなかったけど。
- 39 :
- 山越とか弓岡とか福原とか湧川とか同じイメージ
- 40 :
- >>36
榎田は高校時代かプロ入り後のかなり早い時期から腰を痛めていたと聞いた事がある。
初登板で西武に滅多打ちされ、力不足のレッテルを貼られたのかその後一軍で殆ど見かけなかった。
最初は上田監督にはュしてもらってたのに。。。
今はどうされているのだろうか。
榎田もそうだが野中(中京高)も甲子園時代の華々しさに比べるとプロではお寒い成績に終わっちゃったね。
- 41 :
- 確か榎田は腰椎分離症を患ってたはず。
とはいえ、それ以前に完全な実力不足だったとも言えるんだけどね。
何せ実勤3年間の通算防御率が13.97だったし。
一方で、野中は他球団でなんとか勝てただけ、榎田よりはマシだったと思う。
- 42 :
- >>40
榎田は引退後に会社員やってたけど、交通事故にあってしまい以後ずっと後遺症に悩まされ続けている。ってのを2・3年前に何かの記事で見た。
- 43 :
- ググったら記事があった。http://www.geocities.jp/abedra820/SOUKATU/s1.htm
ここに少し記事がある。>>41にある病気の影響に交通事故が重なってしまったのでしょうか。何とか回復してもらいたいですが。
- 44 :
- 連投失礼。
2・3年前ではなくて、10年前でしたね。大変失礼致しました。
- 45 :
- あの頃の阪急は、今と違って素材型指名してたんだね。
MMの松本、三浦、榎田、野中とあと拒否されたとはいえ、川村。
- 46 :
- クジ運が悪くて高校生を指名せざるを得なかった面もある
- 47 :
- 野中は足立さんと合わなかったみたいだな。
高校時代は巨漢のイメージが強かったけれど
中日やヤクルトでは小柄に見えた。
- 48 :
- 榎田は一応甲子園の優勝投手なんだけどねぇ・・
甲子園優勝投手がプロで成功すると限らないのは昔から数多くの投手が実証してきたが
彼ほど期待を裏切った投手は少ない。
野中については
プロ野球人名事典(森岡浩著)で引退後の職業が「探偵業」と書かれていてちょっと笑った。
- 49 :
- 高校時代の野中は本当に凄かったらしい
従兄弟が高校時代に普通の県立の野球部で公式戦で野中と対戦したことがあったが球が速すぎて全然見えなかったとよくネタにしてた
- 50 :
- 野球選手としての知名度があって面が割れてるから
探偵業が成り立ってるのかな
- 51 :
- 野中は球速は物足りなかったけど球の回転は良かったね、Jrオールスターで
2奪三振した球の軌道は江川のに似てた。
- 52 :
- あの頃の中京高校は先発野中で抑えが紀藤で、二人プロ入りしたからねぇ
甲子園常連だったけど優勝はしなかったはず
- 53 :
- 名古屋の野球ファンとしては、野中はやっぱり中日に入って欲しかった。
藤王の一位指名は「エー?野中だろ?」と言う声もあったよ。
ま、その後もろもろあって中日には在籍できたけれど。
- 54 :
- >>53
え?そうなの?
あの頃の藤王は松井までいかなくても、少なく見て中田翔以上のカリスマ性あったように感じたけど
名古屋からしたら、野中>藤王だったの?
俺の中では打者の甲子園怪物で清原、藤王、松井、中田翔がベスト4なんだけど。
野中はよくやったけど同時期でも荒木や水野ちょっと後で桑田らには劣るイメージ
あくまでも甲子園でのイメージだけで実力はさておきだけど
- 55 :
- >>48
プロ入り前は自分の身辺を調査され(ry
- 56 :
- 野中と同期で、ドラフト下位で高卒で北国出身で球がやたらおそい左投手がいたように記憶しているが彼はその後どうなった?
- 57 :
- >>56
来年から楽天の監督になるらしいよ
- 58 :
- >>56
はは〜ん
- 59 :
- あの年の高卒ドラフト組は、Y高の三浦が中日だったり、東京・創価の小野が近鉄だったり、
選手本人がどう思ってた知らないけどファンとしては違和感のある結果だった。
- 60 :
- 阪急ファンであり報徳ファンであった俺は83年ドラフトは当然岡本透が指名されるものと思ってたがなあ・・
野中は阪急ファンにとっても「エー?」だったよ。
岡本は社会人川鉄神戸を経て大洋へ。
- 61 :
- あの逸材揃いの83年組で岡本はほとんど注目されてなかったと思うが
社会人で伸びた口じゃない?
それにしても阪急で戦力になるのは社会人出ばかりで
高卒大卒組は相対的にダメな印象だな
- 62 :
- 北海道日大高→日大でD1の石井もダメだった。
プロに見切り付けるのが異様に早く、5年くらいであっさり引退してトラックの運転手に転職したと
新聞で読んだ記憶がある。
- 63 :
- 石井は日大にいた時でさえ、85年の頃の週ベの大学野球増刊号で、
“安定感がなく投げてみなければわからない”
と書かれてたくらいだったから、
ダメだったのは当然といえば当然だったのかもね。
- 64 :
- >>63
石井って石井宏?
阪神に移籍したよね
- 65 :
- 石井は高校時代に甲子園のマウンドを踏んでいるが、勝利を目前にしながら9回に崩れて逆転サヨナラ負けを喫している。
(1981年のセンバツ開幕戦 対高松商業)
実はこの試合を甲子園で観戦してた。(お目当てはその次の試合の早実・荒木大輔だった)
石井は、まだ1点リードがあるのにゲームの流れが劣勢に傾くや忽ち落ち着きをなくしていく様子がスタンドからもよく分かった。
ハートの弱さが不安定な投球につながってたのだろうな。
- 66 :
- 野中投手にはヤクルトをやめて選手生活から完全に引退した頃にお話しする機会があったが
高校時代の豪放磊落なイメージとは正反対の優しい人でした。
ただ体格がアレですから、威圧感は十分過ぎるくらい。
やはり苦労は人を丸くするものですね。
- 67 :
- 野中が他の選手と異質なのはその経歴だな。
選手生活を一旦断念した後全く異なる分野の仕事をいくつか転職している。
その一部はwikiでも紹介されてるが、普通こんな仕事を元プロ選手がやるか!?と思うようなものまで。
それほど野球にこだわりの無い性格なのかも。。
- 68 :
- 矢田
- 69 :
- >>61
いや、好素材として注目されていたし、
ドラフト関連の新聞記事でも指名の可能性がある選手に名前が取り沙汰されていたが
確かにこの年は逸材が多かったこともあって・・・・
知名度と言う点でも報徳のエースとはいえ甲子園では春に一勝しただけだし
夏は不調で予選で負けてしまったのもマイナスだったなあ
- 70 :
- やはりこの系統のスレは、野手より投手の名前の方がよく出てくるね。
- 71 :
- 小松健二
- 72 :
- 野手ってか、捕手で笹本。
外出かもしれないけど、珍しい俊足の捕手って事でトレードで、獲得出来た時、上田監督が嬉し泣きしたとか
- 73 :
- 笹本と笠間の球団遍歴って、間に阪急が入って、真逆だよな。
- 74 :
- 野手はまだそれなりのがドラフトでとれたけど、
投手がこのスレに上がるようなのばかりだからな…
やっと星野で当たり引いたくらいだし。
- 75 :
- ご存知の方いませんか?最強助っ人外国人ブーマーが背番号44を付ける前に付けていたのって誰ですか?
- 76 :
- 森厚三
- 77 :
- 森は広島から来たけど、
自己ベストの成績を残せたのは阪急での1年目の87年だったね。
あと、あだ名がなぜか“ウルトラマン”だったのを覚えてるw
>>75
81〜82年にいたケージ。
ホームランは多く打ってたけど、三振が多くて粗っぽかった。
- 78 :
- 一時期は森厚三と森浩ニがいて
ともに一軍半の中継ぎ要員だったから紛らわしかった。
- 79 :
- 1980年前半の阪急は投手王国だった記憶だけど、まともな左腕が白石しかいなくて、
あと数多くのマニアックなサウスポーいたはずなんだが思い出せない
- 80 :
- 敗戦処理投手の三枝
松本幸行のトレード相手とは知らなかった
それと西口何とかという背番号50のでっかい右打ちのバッター
- 81 :
- 宮本じゃないですか。
30過ぎてから先発ローテーションの一角に入って
二、三年間は頑張っていた。
- 82 :
- >>77
ありがとうございます。ケージですか!?82年のドラフト外で宮下というピッチャーではないでしょうか?早実〜ヤクルトの荒木と同じ年です。
- 83 :
- >>80
88年にいた西口順一ね。
確か南海のドカベン香川より体重が重かったはず。
でも、二軍のオープン戦で腰椎を骨折して、
公式戦に出れないまま再起不能→車椅子生活になっちゃったのはあまりにも可哀相だった。
今はこれまた昔阪急にいた竹本修が監督をしてる市立尼崎の試合に必ず来てるらしいよ。
>>82
当時の阪急に宮下という選手はいなかったよ。
中日にいた宮下(あのクロマティに殴られた)と勘違いしてない?
- 84 :
- >>83
ありがとうございます。宮下という選手はいないんですか!?右の投手で在籍は1〜2年で故障退団なんですが…。
- 85 :
- 芦刈って投手が入団記念パーティーで交通事故にあい
なにもせぬまま数年で退団したけど
この選手?
- 86 :
- >>85
肩だか肘なので違うと思います。やっぱりいないんですね…(:_;)
- 87 :
- 中日にトレードされた森本。なにげに良い選手。
- 88 :
- ウィリアムス。黒人特有の鋼のような痩せた身体。
- 89 :
- 阪急最後の年にいたウイリアムズ。
ちなみにこの人も黒人で、長打力に欠ける典型的な1,2番タイプの選手だったが、
だからといって俊足というわけでもなかった。
まぁ、印象に残ってることといえば、西宮での日ハム戦で二塁にスライディングした時に、
白井一幸の足を骨折させたことぐらいかな…
- 90 :
- >>83
正式発表で130キロじゃなかったか?
- 91 :
- >>85
芦刈はオリックス初年度に入団だよね
- 92 :
- >>81
宮本は第二次上田政権下でただ一度優勝した84年だけ大活躍した
現役引退後スコアラーかスカウトに転じたが仕事が今ひとつで解雇されたという記事を読んだ記憶が。
- 93 :
- と書いてはみたんですが、>>88さんが書いてたウィリアムスって、
70年代後半にいた人の方ですよね?
もしそうじゃなければごめんなさい。
>>87
森本といえば中日にトレードされる前の年(76年)に、
日本シリーズ第7戦で逆転ホームランを打ったのが未だに印象に残ってます。
そして現役引退後のサンテレビでのマーティー・キーナートとの名解説コンビも懐かしいですね。
- 94 :
- 宮本は最後阪神で引退して打撃投手、スコアラー長くやった。
最終的にスカウトから台湾でコーチやったんだけど亡くなられた。
- 95 :
- バルボン←いたっけ?
- 96 :
- >>89
>ウイリアムズ
不思議と観に行った時に活躍したもんだから、プレーが結構浮かびます。
グリーンスタジアムでの南海線で、あわや公式戦第一号となろうかという
レフト直撃の3ベースや、西武戦で先制アーチを放ったり・・・
因みにその西武戦は、福良がサヨナラ満塁逆転ホームランで決めた試合です。
>宮本
左の中継ぎとして、よく登板してた時期がありましたよねえ。
星野と古溝が出てくる迄は、左が少なかったから、覚えてる。
そうか、亡くなられたんですか・・・
>>95
バルボン自身は、その時代にあってはそうマイナーでもないかと思われます。
というか、その頃は阪急自体がマイナーだったんでしょうけど、その中でも
バルボンさんは割に知られた存在だったらしいです。
当時はまだ外国人選手も少なかったから、ただでさえ目立ったでしょうしねえ。
- 97 :
- ブーマーが三冠王を獲った年に
NHK特集で外国人選手に注目した番組があった。
ブーマーやクルーズを中心に取材していたけれど
その番組で通訳のバルボンが目立っていた。
あの番組で流暢な関西弁を話すバルボンを初めて知った少年ファンは多かったと思う。
- 98 :
- >>96
>ウイリアムズ
そういやこの人って、ファールだったとはいえ、
東京ドームの屋根に打球をブチ当てた初の選手でもあったんだよね。
>宮本
優勝した84年の時は山田、今井、佐藤義、山沖に続く先発の5番手で投げてたのを憶えてるけど、
亡くなってたんだね。残念…
>バルボン
この人の日本語は結構面白い言い回しをしてたので私も好きだった。
そういやこの人って、今もオリックスの野球教室の顧問なんだってね。
身体に気をつけて今後も長生きしてほしい。
- 99 :
- バルボンといい、後、選手じゃないがアニマルの専属かな?
通訳でマッシュルームカットでいつも、
アニマルに弄られてたキャラの通訳ってどうしてるのかな?
あの人も、珍プレーの常連だったような
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