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2011年11月1期21: 地磁気観測所がなかったら常磐線はどうなってた? 2 (510) TOP カテ一覧 スレ一覧

地磁気観測所がなかったら常磐線はどうなってた? 2


1 :10/09/27 〜 最終レス :11/11/13
前スレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/rail/1277400693/1258385348/l50

2 :
それでも納豆臭い

3 :
高濱にフル自改入ってたかもな。

4 :
通勤五方面作戦が多少ちがっていたかもよ。
中央線と同じ扱いぐらいはしてくれたはず。昔から。
逆に勝田以北は分断とかな。

5 :
・・・おまいら。
>>1の前スレが南武線スレになっているのに気が付いてないのか?

6 :
>>1
南武線ワロタ

7 :
>>5
スマソ。
適度にわろたから吊ってくる(つд`)
前スレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/rail/1258385348

8 :
平(いわき)が黒磯状態

9 :
>>8
18期間に、10両から2両になって大混雑ですか。
熱海や相生みたいでもあるな。

10 :
前スレが、1000一歩手前の983で落ちたのは誠に遺憾に存じるよね。
地磁気観測所さえなかったら、ヨンサントオで優等列車をごっそり東北線に持ってかれる
こともなかったかもしれないし、ヨンサントオ以後も東北への大動脈の機能を維持し続けていたら
四ツ倉以北もあるいは全線複線化されたかもしれない。
(但し、昭和40年代に入ると東北新幹線構想が出てきたので、常磐線複線化はそのまま東北新幹線
早期建設にスライドしたのは間違いないとも思う)

11 :
>>10
全線複線化はあったかもな。
逆に仙台以北はもっとこっちにまわされてたかも。

12 :
401・403系は博多ローカル用としてデビュー、421・423系は誕生せず、
EF81がEF80を名乗ったかも知れないんだなあ。

13 :
但しそうなると、黒磯以北の各停列車が上野へ直行できないように、
常磐線の場合も各停列車は交直切替え駅で完全分断されただろうね。
つまり近年まで残っていた上野−原ノ町とか上野−久ノ浜なんて長距離各停は
存在し得なかったと思う。

14 :
>>13
それが土浦か勝田か、いわきかが別れそうだな。
土浦は微妙だが。

15 :
その場合、勝田完全分断は問題外だな。
日立方面から見て不便すぎるから。
いわきが妥当。

16 :
いわきなら、なんかあまり変わりもなさそうな気がした。
ヲタの間で四ツ倉の知名度が下がる程度かな?

17 :
東北本線は「つばさ」や「やまばと」、「あいづ」のオンパレードで
「はつかり」「ひばり」は常磐線経由になったかも。

18 :
はつかりは常磐線経由ありそうだな。
北東北はかなり比率があがりそうだ。
途中の発展具合も違っていたかも。
少なくとも水戸はかなり影響ありそう。

19 :
なんと言っても、常総線が水海道まで電化されてたんじゃ?

20 :
流山線か野田線と同じぐらいになってたかもな。常総線。

21 :
逆に我孫子以北が減る。ってのは?

22 :
もし直流電化が、高萩または平まで進んでいたら、
少なくとも、電化後も北海道からの重量貨物列車の大半は常磐線経由だったのではないかな?
そうなれば、貨物輸送の動脈として四ツ倉以北の複線化は尚更必要だっただろう。
(ちなみに東北線は電化後も、貨物列車は定数確保のためにED71または75による重連運転を強いられた。
常磐線なら単機牽引で済む効率の良さを考えれば、水戸線経由ルートが貨物輸送の動脈として
現実以上に路線強化(水戸線複線化?)された可能性も捨てきれない。
その場合は、水戸線は全線直流電化でEF15や旅客機EF58が運用されていたと思う。

23 :
上野−勝田間に湘南電車が走ったよね?
小田原発勝田行き・湘南ときわラインとか名付けられて。

24 :
ありえること・・・
普通:1960・70年代は東海道から回ってきた70系・80系が、1990・2000年代は113・115
系が回される。
特急:国鉄民営化の頃まで181系が走っている。
なんとなくJR酉の阪和線と同じ扱いを受けていそう。

25 :
>>24
国鉄時代はありそうだが、
JRなったらまた違うかも。

26 :
被害妄想かもしれないけど「車両トラブル」で遅延発生なんていう場合
交直両用車両ゆえの不具合が原因なのでは、と思うことはある。
流石に全てがそうだとは言わんが、逆にそういうケースは全く無い、とも言い切れんのでは。

27 :
常磐線で過去の歴史をさかのぼって「車両トラブル」が新聞ネタにもなったのは、
国内初の気動車特急キハ81系はつかりが最強。
デビュー後、エンジンから火を噴くとかのトラブルが続出したので、
「はつかりがっかり」とか新聞に面白おかしく書かれた。
国内初の特急型気動車導入によるトラブルと同様に、国内で初の交直流車両導入が常磐線(と北九州)だったから
当初はいろいろあったのかもしれないけど、新聞にはまったく別の面で叩かれている。
すなわち交直車両は高価で十分な両数が揃わず、大幅な減車になって沿線民から総スカンを食い、
再び長大編成の客車列車に戻されるなんて事態が起きたらしい。
今現在は、交直流車両もかなり安定してて、そうトラブルは無さそうにも思うけど、
頻繁に故障するE501系の場合は、車両そのものに何らかの欠陥があるのだろうか?

28 :
E501の場合、ドレミファインバータが原因って聞いたことあるが。

29 :
もし、交直流車両の開発が現実より大幅に遅れたとしたら、
昭和36年の勝田電化で生まれた取手−藤代間のデットセクションは、
車上切り替えではなく北陸線米原−田村間のようなSLによる接続が行なわれたかもしれない。
そうなれば、取手構内に直流機(EF58等)、藤代構内に交流機(ED75等)がたむろし、
その間をC57が連絡するという、マニアが泣いて喜ぶようなシーンがあり得たかもしれない。

30 :
筑波鉄道も廃線にならずにすんだかも。

31 :
土浦〜石岡間で京成水戸線快速特急とのデッドヒートを演じるEF58牽引の客レ仙台行き。
だが石岡〜水戸間を直進する京成水戸線快速特急に所要時間では敵わない。
ひたち・ときわでは逆転するが、特別料金が上乗せされるので、今度は運賃で負ける。

32 :
そこで起死回生の策として、東武と競争している東北線の上野−日光間と同様、
上野−水戸間に特急仕様の157系を導入して「準急つくばね」として京成に対抗するとか・・・

33 :
常磐線が直流電化されてたら、運用する機関車は、
東北線がEF58、常磐線がEF57に区別されたと思う。
EF57牽引のゆうづるなんかかなり魅力的だ。 

34 :
>>31
京成が一番可能性高いが、東武だったかもしれん。

35 :
>>34
春日部あたりで分岐して、
宝珠花→関宿→境→下妻→筑波→真壁→笠間→水戸・・・・じゃ、遠回り過ぎるな。
越谷で分岐して
野田→水海道→谷田部→土浦→石岡→奥の谷→水戸・・・これもちょっと遠回り。 

36 :
堤や五島が乗り出すのもあったかもな。

37 :
>>36
事業に旨みがなければ、彼らは出てこないよ。

38 :
戦前に実際に免許が認可された筑波高速電気鉄道上野−筑波間がもし現実に開通していたら
常磐線のライバルになったのは間違いないと思う。
もちろん「電気鉄道」とは謳っても電気運転は柿岡問題で不可能だから、蒸機または内燃動力運転になるけど、
常磐線も同様だから、東武vs東北線より拮抗した争いになったかもしれない。
ただ、この筑波高速度電気鉄道は、免許は下りたモノの実際に路線建設する力など無く
早々に免許を京成に売却しているそうなので(現在の京成上野−千住大橋間はそのときの免許認可区間の一部)
京成が筑波まで路線敷設していたら、京成は千葉・茨城をシェアに持つ大私鉄になった可能性もある。

39 :
地磁気観測所のWiki見てきた
なんだ地磁気観測所移転できるじゃん
・・・って移転してもしなくてもどっちでもいいけど。
1年に1回使うか使わないかぐらいしか乗らないし。

40 :
>>39
北海道の夕張にでも造れば赤字の村の財政に貢献できるのにな。

41 :
バブル期の週刊誌では西武グループが土飯線(土浦〜飯能)に関心を持ってたと書いてあった。
併せて霞ヶ浦のリゾート開発もやりたかったようで、西洋環境開発という関連会社が
一時期霞ヶ浦の遊覧船の経営に関わっていたとか、いなかったとか…。
土飯線には30年位前に成田空港の旅客機騒音の見返りに、新利根、河内近隣の住民が土浦〜成田間の鉄道敷設を
陳情していたという延伸計画もあったようで、実現していたら土飯線がつくばを経由するので
或いはTXも建設されなかったかもしれない。

42 :
>>41
ちょっとまって。
西洋環境開発は、コクド系(西武鉄道)じゃなくてセゾン系(西武百貨店)だぞ。
あの頃、拡大路線を突っ走っていた堤清二だったら、
義明に対抗して鉄道敷設する夢があってもおかしくないけど。

43 :
>>40
おい、夕張は村じゃねーぞ

44 :
>>41
でも考えてみると、国土の縦軸に路線設定すれば幹線輸送も期待できるけど、
土飯線のような横軸のルートだと経営は厳しそうだよね。
飯能からどういうルートで土浦に達するか分からないけど、
どの程度の勝算を見込んでの計画だったのか興味があるところ。
ちなみ土飯線は、東武野田線や武蔵野線のような東京外郭路線なんだろうから、
東京と直結するTXとは重複しないと思う。と言うより、TXがつくばまで開通したら
土飯線乗り入れして土浦直結なんてあり得たかもしれない。

45 :
土飯線は、空白地帯を縫うのか。繁華街に寄るのか。
一部、野田線とのバッティングもありそうだな。

46 :
改正鉄道敷設法では、土浦〜水海道〜境〜久喜〜鴻巣〜坂戸〜飯能。まだ八高線も川越線もないころの話。
国鉄バスの南筑波線がこの名残だった。

47 :
地磁気観測所が無かったら、
常磐線快速は全て松戸通過
ホームすら作られなかっただろう

48 :
確か埼玉の川口も京浜東北しか停まらないんだっけ?

49 :
でも、市川には快速は止まる。
昔は中距離電車は赤羽の次に停まるのは大宮だった。

50 :
そもそも常磐線綾瀬−我孫子間が複々線化された当初、快速ホームのある駅は松戸と我孫子だけだったろ。
さらに我孫子は、急行停車駅だったし(当時はまだ特急ひたちはキハ81系1本のみで水戸以南無停車)
いまでこそ柏は常磐線の中枢駅だけど、当時は快速ホームが無かったとは今では信じがたい事実。

51 :
将来は松戸駅が快速通過駅になるという信じたい未来

52 :
今や松戸は特急もとまらないしな。

53 :
>>52
スーパー7号ディスってんのか?

54 :
もし、取手−藤代ですら柿岡の影響を受けるような状況だったら、
昭和11年の松戸電化(直流)以後の常磐線電化は、全区間交流でということもあり得たかもしれない。
そうなると、国電区間は上野−松戸に限られ、戦後の高度成長期の柏、我孫子、取手の
人口急増は無かっただろうということは論を待たない。

55 :
>>54
総武線よりマターリしてただろうな。

56 :
もし土浦に千葉くらいの人口があったら、戦前の段階で柿岡問題が表面化し、
軍部の強力な要請で柿岡が強制移転させられていたかもしれない可能性もあるよね?

57 :
軍は電化反対だろ

58 :
>>56
・・・千葉と土浦じゃ距離が違いすぎるだろうよ。

59 :
取手の先に名古屋や大阪みたいな大都市があれば、変わっていたが、
それがない以上は今と殆ど変わらないんじゃないかな?

60 :
藤代あたりが取手と合併されず、単独で市になってたとかあるかもな。

61 :
ぬるぽ

62 :
>>57
もし土浦に相当数の人口がいて、京浜工業地帯の軍需工場への通勤輸送を考えたら、
電車化しないと対応できないことは当時の軍部も分かっていたはず。
昭和9年の西成線のガソリンカー横転事故後、すぐに西成線が電化されたのも、
大阪湾沿岸の重工業地帯の軍需工場への通勤輸送に逼迫していたからであり、
あくまで大都市圏の通勤輸送と、長距離軍需物資輸送は別物という考えに依るモノと思う。
電車の場合は、終着駅で機関車転向の必要もなく効率的な運転が可能なので、高頻度運転に適しており、
さらに増発も可能となれば、首都圏の軍需輸送の逼迫化の対策は電車化しかなかったはず。
だから、土浦に千葉程度の人口があったなら、霞ヶ浦海軍基地の存在とは別の意味で
上野−土浦間により強固な輸送力強化が求められただろう。

63 :
戦前に土浦から京浜までの遠距離通勤させるという発想があったのかどうか

64 :
>>63
ありえない。

65 :
中央線の大月までE233が走っているように
土浦までE231が走っていたという可能性はあっただろうな。
或いはE531は無かったかもしれない。

66 :
土浦が黒磯みたいな構造になって、
701が発着するとか。
E501くらいは作られてたかもな。
勝田まで行く程度で。

67 :
E501が企画設計されたというのは、東京までの通勤需要が取手から土浦まで伸びてきたから、
中電の輸送力では対応が難しくなって、103系〜E231的な車両の必要性に迫られて登場したんだよね?
少なくとも土浦は、中央線の大月の倍の乗車人員数があるわけだから、大月までE233が走るなら
当然、取手より先の土浦までの間もオールロング車が投入されてもおかしくはないと思うけど。
そうなると、E531よりE501系の方が輸送力で勝るよね?

68 :


69 :
土浦まで701系のワンマン列車が運行してたら(仙台発土浦行き)、通しで乗ってみたいよね?

70 :
もし701が出入りしてたら、水戸駅もホーム余らせるんだろうな。
あと高架駅も増えそう。

71 :
あげ

72 :
土浦駅で701系のワンマン2連を見れたら感動すると思うよ。

73 :
>>72
日中でもキツイと思うが、あるかもな。

74 :
国鉄時代を考えたら日製への貨物の出し入れがあるから日立までは直流化されたと思う。
そんでその先も電化を伸ばして高萩か平(いわき)が構内切り替えかな、と。
普通:80系→113系
急行:80系→153系
特急:157系・181系
電機:EF57・EF58
殆どは東海道線・東京口のお下がり。
交流区間乗り入れは451系・483系・583系
401系は福岡ローカルの形式名となり、EF80は北陸線で誕生したかな。

75 :
もし常磐炭坑が昭和40年代に入っても全盛期が続いていたら
まちがいなく平まで直流電化されてEF15牽引の石炭列車が
走っていたと思うよ。

76 :
テスト

77 :
平〜仙台間も全線複線化してたかもな。
輸送量に余裕が出来るんで常磐線経由の仙台・盛岡・青森への列車が誕生。
(東北線も余裕が出来て山形・秋田への列車が増えたかも)
但しローカル列車はかなり犠牲になりそうだ。

78 :
仙台の発展にも影響は大きいだろう。
数年早く政令指定都市になってたとか。

79 :
複線化は東北本線より常磐線の方が先行していたから、
電化さえ遅れなければ東北へのメインルートの地位は
本線に奪われなかったと思う。
現実に、新幹線開通までは夜行寝台のメインルートは
ずっと常磐線にあったわけだし。
そういう意味で、柿岡の存在が常磐線の足を引っ張ったのは間違いない。

80 :
>>69
思わないよ、
史上最低の電車だろ701は!
仙台〜原ノ町は、701が嫌われて、セミクロスの新車が主流になった。

81 :
いわき駅までは直流電化されただろう。車輌は東北・高崎線と共通運用され
1種類の形式が長く使われることもなかったはず。
常磐線利用者には交流電化のデメリットが、少なくなかったのは事実。

82 :
東北・高崎線は電化後は東海道線の中古車天国になったけど
常磐線は交直セクションが東京から至近距離に存在したから
否応なく新車を投入せざるを得なかったということも言えるよね。
ただ、その新車が高価なため、長年使われ続けることになったけどね。

83 :
スーパーひたちも置き換わるしな。
しかし普通車は長く使ったが。
特急はむしろ短いよな。

84 :
もし地磁気観測所がなかったら勝田が「ひたちなか」に改名されると思う。

85 :
どうも最近はひらがな市が増えたお陰で、駅名もひらがな表記が多くなったけど、
「ひたちなか」って表記はマヌケな感じがするなあ(日立駅があるから尚更)
どうせなら駅名は「常陸那珂」の方がカッコいいよね?
ついでに、いわきも「磐城」とか、ひたちの牛久も「常陸野牛久」とかね。

86 :
常陸那珂だと国名+地名という解釈もありうるので
上菅谷とかその辺の駅みたいな名前だなw

87 :

そういえば、勝田って勝倉と武田の合成地名なんだなあ・・・。

88 :
ひたちなか市って、勝田市と那珂湊市の対等合併だろ?
それなら「なか」が入って「かつた」が入らないのは旧勝田市民が納得しないんじゃない?
ひたちなか市のひたちは、旧国名の常陸から取ってるんだろうから完全に勝田無視だし。
そう言う意味で、本当なら「かつたなか市」が正しい。
そして駅名も「かつたなか」と改名されるのが正当だよね?

89 :
実質上は勝田に吸収合併なんだから名前ぐらい那珂湊にアドバンテージやっとくれ

90 :
水戸と合併の際は
実質吸収合併で新市名は「水戸市」だな。

91 :
ようやく藤代以北の交流電化が完成して勝田まで電化区間が伸びたとき(昭和36年)には
東北線はすでに仙台まで交流電化が完成していたという事は、
考えてみれば昭和35年度内に白河電化、福島電化と交流電化が進捗したわけだから、
常磐線より東北線の方が実質的に交流電化の進み方が早かったことになる。
(車上切替えを要する常磐線に投入する交直流車両の開発の遅れもそれに拍車をかけた)
首都圏で一番最後までSLが残ったり、電化が一番後手に回ったり諸々の常磐線の近代化の遅れは、
図らずも常磐線が全線平坦線で、東北線より線形が良すぎた事も原因の一つに上げられると思う。

92 :
柿岡の観測所も原因の一つ?

93 :
茨城県からの通勤に抵抗ってのが多少なりともあったかもな。
今や土浦から北千住まで一時間切るとはいえ、
住所出すと遠く感じるからな。

94 :
まあ取手より北からの通勤がこんなに増えるとは想定外だったんだろうな。
それにしてもTX開通にも拘わらず相変わらず牛久からは座れず取手ダッシュが無くならない。
つくば駅へのアクセスがある土浦市民がもう少しTXに流れてくれればと思う。

95 :
もし常磐線の水戸以北に、東北本線のような勾配区間が存在していたら、
柿岡の存在と相まって常磐線の地位に致命的なダメージを与えただろうね。
おそらく過去の歴史において、上野から仙台〜青森まで行く特急・急行は皆無
(すなわち動脈幹線としての機能を持たない)のローカル幹線だっただろうし、
そうなると、現実以上に藤代以北の交流電化は遅れた可能性も捨てきれない。

96 :
取手が、黒磯のような交直地上切り替え駅になってたら
長距離の一部優等列車以外すべて取手分断になってたかもよ。

97 :
逆にその方が取手〜土浦間の本数は増えていたかもしれないね。
仮に八〜十両編成でも日中一時間に五本程度走ってくれた方が取手乗り換えがあったとしても有難いし
その方が朝夕のラッシュ時間帯も、今より数多く走らせることが出来たかもしれん。
取手駅構内も今とは違った配線になっていただろう。

98 :
まあ、上野ー土浦が直流複々線になってて
千代田線はすべて北綾瀬行きになってただろう

99 :
上野−土浦が複々線化されたなら、当然常磐緩行線も地下鉄乗り入れではなく、
上野発着となるだろうけど、上野−北千住間の複々線化は難しいと思う。
そこで上野−北千住間は、総武線の東京−錦糸町間のように地下区間で直結して
常磐線は上野地下駅発着になっていたらスゴイよね。

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