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2011年11月1期48: 【今川】2万5千で上洛【義元】 (307)
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【今川】2万5千で上洛【義元】
- 1 :06/07/08 〜 最終レス :11/11/13
- 武田では上洛は不可能ということになりました
では当時最強(こっちは本物)の今川義元では?
というスレ
- 2 :
- 当時は三好や六角も力を持ってたし、難しいんじゃないかな。
もし信長を破り、尾張を制圧した場合は120万石ほどの大大名になるが。
- 3 :
- ちなみにこの時、美濃近江辺りには外交的になんかやってたの?よしくん。
そういうのってとんと聞かないけど。俺が無知なだけって可能性も大だけど。
- 4 :
- 伊勢を通るのか、近江を通るのか
- 5 :
- >>3
特にしてない
伊勢に対しては多少・・・長島の門徒に声かけたり伊勢湾の制海権掌握に努めたり
- 6 :
- 三国同盟を堅持できれば必然的に美濃、伊勢と進攻するだろう。
戦力差が桁違いなので、よほどの事が無い限り問題なく制圧できる。
家柄がいいのもプラスに働く。
- 7 :
- 桶狭間がなければ、武田より遥かに可能性は高い
ただ一気に上洛は無理だろう
尾張を早々に制圧すれば東海道に巨大勢力の出来上がり
家柄もいいし、先陣は家康だ
- 8 :
- >>1
実際にされて無理だったんだから無理。
歴史をねじまげる事は出来ない。
- 9 :
- まず義元に上洛する気があったのかどうかだな。
尾張攻めだって長年続いた小競り合いの延長だし・・・。
ついでに織田に勝ったとしても即尾張を占領することは出来るのか。
まあ、斯波氏(もしくは織田宗家)を復権させて尾張を押さえるんだろうが、
織田(信長系列)の残党やら斎藤のちょっかいやら一向宗やらで領国経営まともに出来るんかい。
尾張に足場を固める頃には氏真の代になってるよ。義元は不摂生で寿命短そうだし。
- 10 :
- 上洛ってあいさつして贈り物して帰ってくるだけでしょ
大げさなこと言ってるなあ
- 11 :
- 斉藤と六角は今川に従うって書面を交換してただろ?
六角が今川方になると浅井が邪魔するだろうが、源流の朝倉さえなんとかすれば
すぐに上洛できると思うがな
上洛しても上杉謙信みたいにすぐ帰ってしまうとなにもならんが
義元は足利には目を置かなかったらしいから、そのまま三好・松永を討伐できれば
征夷大将軍だろうな
- 12 :
- >>11
>斉藤と六角は今川に従うって書面を交換してただろ?
してないだろ
- 13 :
- >>11
その書面うp
- 14 :
- 今川上洛説は否定されてるでしょ。
- 15 :
- >>14
そんなこといったら信玄上洛説も・・
まぁ所詮ifだし
- 16 :
- >>9
尾張は今川家で直接統治するんじゃないかな。
三河でも吉良氏を立てた訳ではないし。
- 17 :
- 信長と戦う前に病死したので、色々と妄想可能な信玄と違って、
義元は実際負けてるからなあ。
- 18 :
- >>17
あれはとりあえず運が悪かった
部下も信玄よりかはずっと優秀だしかなりいけそうだ
- 19 :
- 本陣つっつかれるようなミスしといて運が悪かったって
- 20 :
- >>18
優秀な部下って誰のこと言ってるの?
太原雪斎以外に優秀な部下なんていたっけ?
家来ではなく部下って言い方がおかしい気もするがw
- 21 :
- 松平元康以下の三河武士団のことじゃないか?
- 22 :
- >>16
分裂状態の三河と違って、尾張は「織田一族」で一応まとまってるからな・・・。
今川直轄にしてしまえば今までいがみ合ってた織田一族が結束してしまう可能性が・・・。
- 23 :
- なぞの薬剤師
一宮随波斎
- 24 :
- あぼーん
- 25 :
- 最終的には徳川家康に領地も異名「東海一の弓取り」も、持ていかれたのを考えると、
- 26 :
- 義元の立派さが分かるな。
- 27 :
- 義元の好物は敷島パン
- 28 :
- 信長:「義元はどこまで来ている?」
家臣:「物見の知らせによりますと、浜名湖のパルパル辺りに…」
信長:「何ィ、既に遊園地パルパルにおるのか!?」
- 29 :
- 25000人で遊園地か。
- 30 :
- 「殿、今川殿より物資が届きました」
「ウナギパイか!?」
「いえ、ウナギボーンに御座います」
「ウナギボーン…」
- 31 :
- うじざね!うじざねはおらぬか
パパはこれから京見物に出掛けるぞ
そちも来るか
そうか、蹴鞠の稽古がしたいか なら、お留守番じゃの
- 32 :
- >>21
>松平元康以下の三河武士団のことじゃないか?
って、後の家康四天王の事? 井伊直政や本田忠勝が、今川のメイン戦力になってたわけ?
- 33 :
- 12歳の忠勝と産まれていない直政にどうしろと
- 34 :
- サンクス。
- 35 :
- 松井氏、由比氏、井伊氏、朝比奈氏、蒲原氏、岡部氏
こんなところかな
- 36 :
- 桶狭間の戦いというと、一番最初に読んだのが
小学館の学習雑誌の漫画で、義元が服部小平太を
一太刀で負傷させたシーンが印象に残ってる。
その印象が強くて、義元というとまず武勇の人というイメージが…。
実際、武術の方は得意だったのかね。
- 37 :
- 息子の氏真もそれなりの剣術の腕だったらしいし足利義輝や北畠具教ほどではなくてもそこそこはできたんじゃないのか?
- 38 :
- この時代の剣術は茶道や和歌のようなもので家柄がいい大名は
大抵剣は使えるみたい
- 39 :
- 1560年当時では今川家が戦国最大勢力?
- 40 :
- 毛利や大友のが石高はでかそうだな
畿内には三好もいるしな。
石高でみると北条のがでかそうだな
- 41 :
- 今川・駿河、遠江、三河、尾張南部の一部。太閤検地を参考にすると約70〜80万石。
北条・伊豆、相模、武蔵、上野の平井周辺、下総西部、約120から130万石。
武田・甲斐、信濃の最北部以外の大半。約60から70万石。
明らかに北条が強いと思うわけだが
- 42 :
- でも信玄の時の信長みたいな明らかに格上の敵がいないんだよね
尾張さえ併合できたら間違いなく上洛もできるかな、と
余談だが今川氏自体は三好同様、堺阿波公方派だから義輝は怖いだろうな
経済的には武田と比べてどうなの?
- 43 :
- 湊(貿易港)があるかどうかで、経済力は格段に違ってくるよ。
沿海商業の研究が進んでる上杉の例でいえば、直轄地の直江津と柏崎だけで、
津料(関税)が年間4万貫(4000万文)だったとされてる。
石高に直せば、1貫=10石として40万石。今川も沿海が史料にみとめられる
から、慶長年間の検地分と併せて軽く100万石以上はあったはず。
- 44 :
- へー
- 45 :
- 上洛説が間違っているとは限らないんだよなぁ。
上洛の為の地盤固めとして尾張を攻めた可能性があると思う。
なにせ、補給線が敵国のまま上洛しても物資の孤立を起こすだけ
ってのは過去に上洛した事例であったはず。
そうした教訓を活かさないとは思わない。
- 46 :
- >>43
湊なんて、織田領にも普通にあるよ
- 47 :
- 織田家がもし守護代中心にまとまってた織田家だったら
100万石クラスの動員は余裕でできただろうね
- 48 :
- 今川領には安倍や麓の金山もあるね。
- 49 :
- 駿河朝比奈氏です。今川氏のスレを見つけたので記念レスしときます。
(´・ω・`)ゞ
- 50 :
-
- 51 :
- ぶっちゃけ単純な石高だけじゃ何もわからんよな。
武田は金山あるし織田は畿内の経済圏を支配してたし
毛利は銀山持ってたし上杉は直江津あったし。
…まあ、武田は微妙だなw
- 52 :
- 湊と金山を持つ今川の国力はすごいぞ!!
- 53 :
- 江戸も貿易港じゃなかったっけ。
北条は懐に余裕がありそうだな。
- 54 :
- 江戸は大したことないぞ。
北条は石高以上の力は無いと思うね。
- 55 :
- 江戸品川は室町から有数の港町でしょ
というか地政学的に栄えないはずが無いんじゃ・・・
関東に何の産業も無いんじゃ栄えないかもしれんが
- 56 :
- 実は桶狭間は上洛ではない説が90年代後半から有力
- 57 :
- >>56
新説だと尾張をただ単に併呑したかっただけなんだよな。
よく考えてみたら義元が上洛に踏み出したなら、武田や北条が黙ってられなかっただろうしな。
- 58 :
- 尾張を完全に抑えて、氏真に権力移譲。
その後あたりかね?上洛を目指すとしたら。
その前に、やはり代替わりした武田とぶつかるかな。
- 59 :
- http://www2.tokai.or.jp/marco/toukou/2-bakufu.htm
捏造記事?
- 60 :
- 猟官の為に尾張を攻めようとしたのでは、という話も読んだことあるな。
駿河守、三河守と併せて尾張守になろうとしたってことなのかなあ。
でも、義元って実権はあっても名目上は隠居なんだから、そんな人が猟官
してもなあ。
仮に、義元が守護だとか国守の肩書きゲットに燃えていたんだとすれば、
今川氏は完全な戦国大名とは言い難いな。まだ守護大名っぽい体質という
ことになるんじゃないかね
- 61 :
-
- 62 :
- ヘタレ義元
- 63 :
- はっきり言って信長さえいなければ間違いなく義元は天下取れたよ。
信玄なんぞ比較にならない
- 64 :
- 実際、桶狭間の義元本陣は高台みたいなとこにあるんだよなたしか
雨の中、尾張勢が駆け下って突撃してくるイメージがあるがさ
- 65 :
- >>63 返す返すも太原雪斎の去が悔やまれる
彼があと10年ボケずに生きていれば上洛も夢物語ではなかったのだが
- 66 :
- 豊臣家による秀長と今川家の雪斎死去は似ているのか。
一人の人間で終わるとは、
両家ともその程度なんでしょうが。
- 67 :
- 近代になる前ってのは、基本的に「教育」の概念が無い。
個人の有能が非常に幅を利かせていた時代。
だから天才、異才、奇才が現れやすかった。
これは西洋東洋を問わず。
- 68 :
- 今川家には、天才、異才、奇才が現れ、それに任す土壌はあったが
氏親の時の早雲(他国)・氏輝の時の寿慶尼(女性)・義元の時の
雪斎(僧侶)
氏真にはいなかったんだね。
- 69 :
- >>66
戦国において制度や法による基盤整備は限界があるかと思う。
将や部下の器量との両輪とバランスが大事で、その辺のさじ加減が
難しい。
- 70 :
- まぁ確かに一時的に厳しい状態にあったのは確かだがなかなか優秀な人間がいる時は他が育たないのは仕方ない
これから育つ芽はいくらでもあった
- 71 :
- >>68
義元としては、「そこで元康くんですよ」って感じだったんだろうか
- 72 :
- 家康が、氏真に代って軍を率いていたら、今川は伸びるだろうね。
北条家みたいに、後中国地方は任せたよ、みたいになったりして。
早雲のように、下克上の代名詞みたいな男が今川家を乗っ取らな
かったのは、させない何かが今川家にあったのかもしれない。
- 73 :
- >>72
時代が早かったから
というのもあると思うけど
- 74 :
- >>72
地方豪族程度の伊豆公方と違って、一拠点をのっとっても勢力が残ってしまうからではないだろうか。
- 75 :
- てか、義元に天下統一の野望があったのかが、そもそも疑問。
- 76 :
- 石高は、人間が生きていくための食料だから
高ければ、それだけ、その領国の人口は多いわけで
動員兵力も多くなる。
ただ、金銀とか関税に場合、人口にプラスされるかな?というのがある。
石高だけが国力ではないのは分かるが...
農耕社会というのは、全般的にみれば
石高と国力はほぼ比例するものだと思う。
- 77 :
- 楽市楽座。
これ、織田よりも先に
六角や今川が導入してたんだよね。
- 78 :
- 人間、米だけじゃ生きて行けないよ。
薪もいるし、蝋燭、油、塩・・・いろいろ必要だし。
その流通をスムーズにする為に金は必要、それに携わる人達を養う農産物生産力も必要だけどね。
- 79 :
- 一番の問題は、天下統一なんて考えないってことだな。
信玄は信長を見たからその後釜を狙っただろうが、義元に関してはそんなこと考えるはずも無く。
上洛=天下でもないし。
でも有能な武将であったことは間違いない。
俺の中では、あの三国の中では義元>信玄=氏康だな。
- 80 :
- 戦国最強の戦略家としては
尼子恒久と毛利元就と徳川家康を評価しているよ。
- 81 :
- 戦略のでかさと実現に関しては信長が一番。
ま、戦略ってのは目標を達成するか否かだから、その点を踏まえれば有力大名はみんなそれなりに優秀。
- 82 :
- 桶狭間に関しては、信長は今川軍の前線の攻め疲れた兵に奇襲かけようとしたら、
今川の兵が既に移動してて周囲を探してたらたまたま義元の本体にぶち当たったとか、
降伏するって使いをやって、義元が進軍を停止してるところにだまし討ちをかけたとか、
いろいろ説があるよね。
馬で逃げるところを馬に流れ矢が当たって逃げられなかったとかいうことも聞くし。
ありがちなイメージの桶狭間を否定する意見は結構多い。
なにはともあれ、義元は不運だなって気はするよ。
そして、不運なヤツは天下には届かないだろうなぁとも思う。
- 83 :
- 当時、桶狭間で義元死すのニュースはどのくらいの驚きをもって
迎えられたんだろう?その手の記述に触れた覚えがないんだけど、
結構衝撃的だったのかね。
今現在の一般の人の印象としては、、
白塗りお歯黒で輿に乗ってるような武将は討ち取られて当然!
ぐらいなんだろうか。こないだのドラマ「太閤記」が放映された
ばっかりだし…。いくら娯楽作品とはいえ、あれじゃバカ殿…。
- 84 :
- >>82
疲れた兵に攻撃をしかれるつもりだった、というのは信長の発言からだな。
兵士に対して、「相手は疲れてるから云々」。
これは信長が勘違いしてたか、兵士にやる気出させるためか、どちらかだろうが、
前者をとるなら、そういうことだな。ちなみに奇襲ではなく、強襲ね。
「降伏するという使い」を出して、という説はありえんね。
- 85 :
- >>72
早雲が下克上の代名詞なんて説を今でもいってる人っているの?
- 86 :
- >>80
尼子恒久じゃなくて尼子経久。
経久の「経」は元の主君である京極政経の偏諱。
- 87 :
- >>84 最大の不運は雪斎禅師の去かな
禅師自身が指揮した小豆坂の戦いを敵の息子に再現されたようなものだからシャレにならんな
後10年長生きして従軍していれば桶狭間の狭さにビビって進路方向を変えていたかもしれん
- 88 :
- >>87
桶狭間の地形は、今川も知っていた。
織田軍に包囲されていた2砦を救援するためには、桶狭間に入って行かざるを得ない。
- 89 :
- ここ今川義元本スレでいいよな
- 90 :
- とりあえず、来年の大河で義元のイメージは変わる。
- 91 :
- そうだな。
晴信にとっては、怖い兄貴だったからにゃ。
- 92 :
- 晴信のお母さんは今川義元の何でしたっけ?
- 93 :
- 桶狭間(笑)
田楽狭間だろw
- 94 :
- はい、その通り。
- 95 :
- 今回の義元でようやく太源雪斎の畢生の大作義元がデビューする気がするよ
- 96 :
- ハニホー
- 97 :
- 勝ってたら鈴鹿越えをして、近江と伊勢を治めることは
簡単なことだったのかね。京に上洛した後の青写真はどんな
ものになってたんだろ。
- 98 :
- 自分が将軍になるんだろ。
管領でがまんしたかもしれんが。
- 99 :
- 大河の義元いいね。
いつも端役だっただけに、どう活躍してくれるのか期待。
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