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2011年11月1期44: ★★★名族 六角氏について語ろう★★★ (501)
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★★★名族 六角氏について語ろう★★★
- 1 :07/04/30 〜 最終レス :11/11/13
- 近江の名門で
楽市楽座の創始でもある六角氏
の繁栄と没落の歴史を語りましょう。
- 2 :
- 一時期は畿内に三好と並ぶ勢力を誇った六角が
あんなに簡単に信長に殲滅されたのは何故でしょう。
観音寺騒動はそれほど影響が大きかったのでしょうか。
- 3 :
- 野良田合戦で今まで傘下だった浅井にボロ負け
&
観音寺騒動の重臣処刑で臣下の信用を失う
のダブルコンボ
もっとも観音寺騒動は
前時代的な六角家の体質から仕方無かった事かもしれない。
同じような大名体質の毛利も重臣の井上を粛清してる。
- 4 :
- 秀吉の秀
- 5 :
- 承禎・義治親子とも弓の達人なんだな
秀頼の師範なんかをやってる。
今川氏真なんかも剣術の使い手だったりするし
なんか意外だ。
こういう家を滅ぼした大名って
惰弱で文化に耽ってるイメージがあるから。
- 6 :
- 承禎は長政には敗れたが
久政は破ってる
- 7 :
- だって久政は馬鹿だもの
- 8 :
- ここ読むと
久政はなかなか優れた人物に思えてくる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E4%BA%95%E4%B9%85%E6%94%BF
- 9 :
- >>6
信長に負けたり、優れた将ではあるんだろうがツメが甘い感がある。
- 10 :
- 一向一揆や浅井朝倉を徹底殲滅した信長はなんで六角はさなかったんだろうな?
その気になればいつでもせたろうに
止めささないからゲリラ活動されたりしてるのに
それとも信長初期=追い詰めて滅ぼす余力がなかった
信長末期=わざわざす価値もなくなった というふうに巧くやり過ごせたのかな?
義賢も義治も天寿全うしてるのは不思議だ
- 11 :
- 義治とか信雄とか氏真とか三国志の劉禅とかドラ息子は長生きしてる人多いね
- 12 :
- 信長を倒す絶好のチャンスだったとき
六角の野郎が単独講和したために…
- 13 :
- >>10
六角が名門だからかな
- 14 :
- 観音寺城の残骸は丹羽さんが安土城建てるのにリサイクルされました。
- 15 :
- >>14
土地勘がないんですが、すぐ近くなんでしょう?
- 16 :
-
- 17 :
- 六角の血を引く家というのは残っていないのでしょうか ?
- 18 :
- 俺
- 19 :
- 自称でいいなら佐々木高行とか。
- 20 :
- 岡倉天心らと日本芸術再興を図った六角紫水は関係ないの?
キリンビールのロゴマーク作った人でもあるが
- 21 :
- 甲斐武田と縁戚だっけ?
- 22 :
- 定頼は名君
- 23 :
- >>22
元祖・楽市楽座の人だっけ? 一城一国令(城割)とかも。
- 24 :
- 六角の家臣に松田蔵人正重って人いました?
- 25 :
- >>22
名君かどうかは別として
時代の中心にいた人物ではあるね
- 26 :
- 六角とは珍しい名字だが、由来は何だろう?
- 27 :
- のぶやぼで定頼の能力高過ぎ
- 28 :
- >>26
平安京の通りの名前から。
「姉さん六角たこにしき〜」
- 29 :
- その六角通りは六角堂に由来しているわけで……
- 30 :
- 頂法寺が寺の名前か。
聖徳太子や嵯峨天皇が縁起に出てきて すごく歴史があるね。
- 31 :
- 足利将軍家から、準管領として遇されたらしいね。
- 32 :
- 京極より格上でないと格好がつかないだろうからね
- 33 :
- >>31
定頼の頃?
- 34 :
- 太閤との奇縁と言うことが、六角義秀・義郷の二代にわたってwikiに書かれてるけど、
これを裏付ける一次資料とかあるの?
- 35 :
- 無いだろ
佐々木哲がいくら頑張っても、偽系図説が全否定されたわけでもないし
- 36 :
- あれって著者かその信者が無理やり載せてるよな
すごく胡散臭いとは思うがばっさり削るだけの見識もないので触らないでいるが
- 37 :
- >>35-36
「独自の研究」とか貼った方が良さそうだなw
- 38 :
- 横田高松に見限られた時点で既に終わってたよな
- 39 :
- 六角という家名は、人から好かれる家名。感性の勝利。
- 40 :
- 室町期前半は六角は京極より目立たないのだが、義尚〜義輝の時代は輝いたね
- 41 :
- 全部過去形だね
- 42 :
- 歴史の話だから過去形になるのは当然かと
- 43 :
- 今、六角さんって人あまり聞かないね
滅びちゃったの?
- 44 :
- 子孫は佐々木氏を名乗ってるからね。
京極も六角も
- 45 :
- 京極は明治になっても 丸亀 豊岡 峰山 多度津の各子爵家とも 京極だよん。
- 46 :
- 義治といい、義郷といい、秀頼との縁が深いですね
- 47 :
- どうして勢力争いで浅井家に負けたかが分からない。
- 48 :
- >>45
ごめんなさい
京極は庶家の一部だけですね
- 49 :
- 実力が
長政>>六角家(承偵・義治)>>久政だったから
- 50 :
- 六角、京極は家名(公家様)。
佐々木は名字(武家様)。
当初は使い分けていたが江戸時代にムチャくチャになったんだよ。
佐々木の宗家は、あくまで六角家。
京極家は、あくまで庶家(巨大すぎではあるが)。
六角家が京極に命令することはあるが、反対はない。
- 51 :
- 新潮文庫から出てる乱世疾走って戦国小説で、何故かこの六角氏がメインの悪役になってた。
- 52 :
- 六角と京極が共に近江の半国守護だったという説明を見かけるが
近江の守護は六角
近江の分郡守護と出雲・隠岐の守護が京極
幕府は別にして
佐々木氏族としてみると
京極家は六角家の支族にすぎない
- 53 :
- >>52
そうだけど、何か?。
- 54 :
- でも室町幕府(前期〜中期は)には京極より重視されないだよね。道誉のせいかな。
義材以降はそれはそれは頼りにされたけど。
- 55 :
- 御所に近い上に強大になられても困るから京極を優遇して争わせたんじゃないの
一族を争わせて漁夫の利を得るのは足利幕府がよくやる手口だしw
- 56 :
- ロッカクジョーテーと言う響きが好きだ。
- 57 :
- >>55
そうかもね。
でも近いがゆえに最終的には六角を頼りにせざるをえなくなった。
- 58 :
- 鎌倉幕府が倒れるとき、六波羅探題側についたこと
京極氏に高氏という名君がいて室町初期に差がついた
この2つも大きそうだ
- 59 :
- だれかwikiの六角関連の恥ずかしい記載を訂正しろよ
このままじゃ六角家じたいがトンデモ大名になるぞ
- 60 :
- >>58
>鎌倉幕府が倒れるとき、六波羅探題側についたこと
時信ですか。最期まで北条仲時に助力したようですね。
ところで時信の時は偏諱?誰の?
- 61 :
- そのまま仲時とか
もしくは高時や守時とか
- 62 :
- 佐々木哲って誰よそもそも。
wikipeの記事書いてんの本人じゃねーの?
>>59
あれはひどいな。
- 63 :
- wikiの六角氏の項目はどこまでホントなんだか判らなくなってきた
- 64 :
- ◆◇◆幻の戦国大名 出雲尼子氏(其ノ五)◆◇◆
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1185234886/
- 65 :
- 佐々木哲結構面白いけどね。
- 66 :
- 66get!
- 67 :
- >>63
当時の資料に系図の誰にあてはまるのかわからない六角さんが何名かいる、ってとこまでじゃないかな
- 68 :
- 六角と北畠のト学会ぶりは酷い>wiki
- 69 :
- 六角は六波羅方についたのか 復権に時間かかったね。
- 70 :
- 一回ごっそり削られたのに、またちまちま復帰させてるよ>wikiの江源武鑑厨
- 71 :
- >>65 そうだね。
- 72 :
- 佐々木泰綱は六角堂の側に住んでいたんであって 六角堂には住んでないよね。
- 73 :
- 佐々木信綱の長男重綱が大原、次男高信が高島(朽木はこの分かれ)、三男泰綱が六角、四男氏信が京極の祖
- 74 :
- 六角氏って甲賀忍者と関係あったの?
- 75 :
- >>74
あったよ。
- 76 :
- 観音寺城を放棄した後、六角残党は甲賀に潜んでたような?
- 77 :
- 最盛期には一族で十数ヶ国の守護だった佐々木氏だけど
近世まで大名として残ったのはまさかの復活劇を果たした京極だけ?
- 78 :
- 私の家、口伝で六角氏の残党って伝えられているんだけど信じていいの?今は佐々木という名字
- 79 :
- >>77
確か朽木の分家が福知山で大名になった気が・・・
- 80 :
- >>78
今時佐々木なんて腐る程いる
- 81 :
- 甲賀鈎の陣って正確な史料残ってないん?
- 82 :
- >>78
戦国武将だって家系の捏造しまくってんだ。
六角の末裔として誇りに思うも、信じないでスルーするもお前しだい。
- 83 :
- 佐々木なんて珍しい苗字でもなんでもないけど、
東北の佐々木率の高さは異常
歴史的な裏付けもハッキリしないし、一体なぜなんだぜ?
- 84 :
- 佐々木はありふれてるね
- 85 :
- 信長の生母が、六角氏の人間だって説はどこまで信憑性あるんだろ?
- 86 :
- 観音寺騒動の真相は……
義治の阿呆さはともかくとして、どうもあの騒動は、
誰かが明確な意志を持って巧妙な筋書きを書き、
義治に実行させたようにおもうのだが。
はて蒲生賢秀はどれほど、この件に関与してたかのかな。
- 87 :
- 毛利でも井上を誅してるし、根回しが不十分なだけであの時代よくあることじゃないの?
- 88 :
- >>86-87
比較するなら、能登畠山氏が重臣達から追放された事件か?
奇しくも六角氏と血縁関係にあるけど。
- 89 :
- 筋書きはないような気がするが。
- 90 :
- >>86
騒動の何の真相?
筋書きって何が目的? 誰か得をしたの?
何が言いたいのかよくわからない。
ただのよくある大名と国衆との揉め事と何が違うといいたいのやら。
- 91 :
- 大名の集権化とそれに対する反発ということじゃないの?
義治式目なんて、明らかに大名権力を掣肘する傾向があるものだし
- 92 :
- 山内と伊庭を潰したのに後藤と蒲生がでてきたからな
- 93 :
- ビックリするぐらいヒッソリと消えたな>六角
- 94 :
- >>93
秀次に深入りしたり、関ヶ原じゃ何故か中立を宣言したり、どうも世渡りが下手だったからなあ。
- 95 :
- >>94
詳しく。
- 96 :
- それは義秀とかの話じゃ
- 97 :
- 結局京極から養子もらった後どうなったんだっけ?
- 98 :
- 78ですが歴史マニアが自分の家系の捏造するなんてことは良くあることなんでしょうか?
- 99 :
- >>98
「歴史マニア」という定義があやふやすぎ。
小学生の歴史好きでも広義では「歴史マニア」だし、小学生レベルの捏造なんて簡単に見破れる。
しかし家系図学などに精通した「歴史マニア」だとそうそう簡単には見破れないはず。
また捏造することがよくあることなのかどうかはわからんよ。
家系の捏造は犯罪行為ではないし、捏造した本人が言い出さない限り表に出てこない。
ただ、歴史に詳しい者が家系図の捏造やデッチアゲに関わったのは事実かと。
戦国時代には公家がお金を貰って新興大名の家系図を作ってたのは
加賀前田家や秀吉の逸話からも間違いないと思われ。
まぁ、捏造捏造言う前に、自分ちの家系の伝承の傍証ぐらい自分でとってこいと思うがね。
菩提寺や過去帳、先祖代々の墓とか調べない奴が多すぎる。
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