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2011年11月1期9: もしも小大名だったら、、、【和気藹々1】 (788) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼

もしも小大名だったら、、、【和気藹々1】


1 :10/05/05 〜 最終レス :11/11/14
戦国〜江戸期の独立系小大名に関するスレです。
命をかけて籠を護る、20人ばかりの大名行列とか
数人の腰元が奥の全てを執り行うとか楽しくね?

2 :
小早川が東軍に寝返った時、同調した連中も小大名だったよな。

3 :
まずは松前藩だな。米が取れないけどアイヌとの交易や海産物で財力はあったから、
大名として扱ってもらえる最低限度の一万石格にしてもらった。

4 :
何がしたいのかも、その後のレスも会話が成り立っていない

5 :
伝説スレも初めはそんなもんさ。

6 :
松前藩って10万石格だと記憶しているが、、、?

7 :
>>6
wikipediaによれば綱吉の頃に旗本扱いの交代寄合(これは知らなかった)。その後一万石の大名。
幕末に三万石に加増(これも知らなかった)。だそうだ。

8 :
吉良上野介なんて大名ですら無かったけど
5万石くらいの赤穂浅野に偉そうに出来たらしいから。
格を決める要素は、
・役職 官位
・財力の大中小
・由緒
この辺かな。

9 :
吉良は由緒ある家柄だから高家になった。高家だから官位も高い。朝廷や公家との
交際もあるから出費が多いが財力は無いので賄賂を要求したり、息子が養子に入っ
た上杉の身代を食いつぶしたりしてる。

10 :
お茶飲んでるだけで何に金使ってたんだ?
お茶会のたびに新茶器を披露しないといけなかったのかな

11 :
色んな貴人が1人で来るわけが無いから、
従者?への対応費とかも嵩んだのでは?

12 :
当時の斡旋とか仲介は費用は世話人持ちだから
賄賂といっても必要経費・礼金(他の関係者への)込みらしいから
現代のイメージとはちと違うかも

13 :
吉良と浅野の関係は斡旋とか仲介じゃなくて、勅使饗応役とその指導係だぞ。
必要経費は浅野が持つのが当然だろう。

14 :
一般的な茶会の事を言ってるのではないのか?

15 :
>>13
吉良に刺客送らない浅野を、バカ殿だと思ってはいたが
必要経費すら払わないとは、ひでー話になるのかな?

16 :
必要経費は浅野が支払うから指南役の吉良に渡す必要は無いということ。
刺客を送るなんて武士道に反した事を出来るくらいなら賄賂渡してる。

17 :
脱藩浪士が仇を取るのだよ。

18 :
武士道云々なら年寄りの寝首掻くのもどうかと思うけど( ^ω^)

19 :
2年も何やってたんだって話

20 :
成功したんなら、全ては作戦だったのでしょ。
>>18
おまい、このスレでは歓迎してやるよ。

21 :
>>7
松前氏は関ヶ原後に賄料200人扶持もらったのが当時の公式な禄だから
大名どころか武家としても微妙なところだお( ^ω^)
豊臣時代にも所領安堵の朱印状は貰っていないお(交易に関する朱印状のみ)
秀吉も初め賄料として近江に3000石を与えようとしたが
慶広は固辞し交易の認可を求めたため結局無禄だったようだお( ^ω^)
しかし米主体の豊臣政権に於いて石高ゼロの蠣崎氏の諸役は一体どおなっていたのだおうか( ^ω^)

22 :
ネットで必死に調べたんですね分かります。

23 :
赤穂浪士って10石程度の者まで何人も居るんだよな。
年収100万のワープアなのに、忠義を貫いたとは泣ける。
これが1万石とかの小藩だったら、もっと凄い事になるんだろうな。

24 :
逆に大身はほとんど居ない。討ち入りで武名をあげる事が再就職を容易にするという考えも
あったとされている。討ち入りの頃までに活動資金が底をついて、失敗しても良いからすぐに
決行したいという声も上がっていた。それを大石がどうにかなだめて成功に導いた。

25 :
何だかんだ言っても大石はたいしたものだおね( ^ω^)
完膚無きにまで上杉の惨敗だお( ^ω^)

26 :
いや、上杉も吉良の浪費に困ってる立場だから死んでくれてホッとしている。泣いたのは殿様一人だけ。

27 :
たかが金の為に千年後まで恥を残すとは
さすが謙信公以来の御家風ですお( ^ω^)おっおっおっ

28 :
幕府に超睨まれてた上杉は、下手に関われなかったのでは?

29 :
断絶させずに吉良からの養子認めたくらいだから超睨まれてたってほどのもんじゃないだろ

30 :
たかが金の為って言うけど、おかげで財政がどうにもならなくなって後に幕府に版籍を返上しようとしたくらい
だからなぁ。養子の綱憲も浪費家だったらしいし。

31 :
1万石程度の領地の人口って何人くらいなん?

32 :
日本全国が幕府か大名家の支配下かなと思うから
ざっと2000万石に約1000万人だから
5千人の人口なんじゃね?
独立勢力なんて皆無で良いよね?

33 :
物凄く適当に書いたのに、反応無いと不安になるじゃん(´・ω・`)

34 :
突っ込めるだけの知識が無い。

35 :
>>32
普通にそんなもんなんだと納得しかけたよw

36 :
じゃ5千人って事でw
2人くらいの重臣と、1万石の狭い領内をどう運営して行くかとか
のほほん殿様楽しそうだな。

37 :
逆に一万石程度なら運営もしやすそうだけどな
総人口5000人の藩主とかもはや村長のレベルだろw

38 :
江戸中後期で見ると1万石でだいたい8千〜1万6千の領民(武家は除く)を抱えていたお( ^ω^)
江戸時代より人の流動が激しかったかもしれない戦国時代は
更に地域差があった可能性があるお( ^ω^)
所帯が小さければ領内統治はしやすいかもしれないが家の自立を守るのがシビアになってくるお( ^ω^)

39 :
百姓博識だなぁ。初めて感心したw

40 :
譜代・外様系ですらない
完全独立系の小大名って、どんなのがあったのかな。
将軍拝謁の時、1人ぽっちで心細いだろうなぁw

41 :
朝夕の時代劇番組で、小藩が出て来るとそれだけでも萌えるw

42 :
小藩はいいよね
萌えがある
今年の冬に信州飯山城に野沢へスノボ旅行したついでに行ってみた
まず、めちゃくちゃ小ぶり・・・城×砦○?
それでもって江戸時代になってからはめまぐるしく大名が代わりまくり
おらが城は○○家が、みたいなのが全然無い
さらに戊辰では偽官軍に大金を騙し取られそうになるし2千くらいの官軍(とは
いえ信州他藩)に負けて城放火される(説明板にそんな事が書いてあった)
現代でも一晩で50cm〜1mの積雪は驚くことでもないらしく、まさに陸の孤島
とどめは名物が蕎麦
蕎麦だよ蕎麦
痩せた地に適した作物

43 :
小さくてマイナーな方が、知的好奇心が沸くんだよな。

44 :
小藩って士農工商がそこまで徹底されてなさそう

45 :
>>44
江戸期の中期以降だと士の身分中心に殖産に積極的だった小藩が多いね。
煙草・養蚕・木材とかの換金産物で米以外の収入源を得て財政再建するとかの。
あと小藩じゃないけど郡山藩の金魚養殖とかも。

46 :
筒井氏ってたった1万石で簡単に死んでるな。
ウィキ見てると興味あるリンクでどんどん広がって行って面白い。

47 :
完全独立系の小大名の生活とか凄く興味ある!

48 :
大名の仕事って判子押すだけ?

49 :
子作り

50 :
嫡子が居なくて断絶とかあるけど、
種無しが多かったのかなぁ?

51 :
養子じゃダメなん?

52 :
藩の上層部がむかつくんで
80人ほどで反乱起こしてのっとりますた

53 :
てか決死の30人でもいけるかも知れんぞw
1万石の動員兵力は、せいぜい300人だからな、、、

54 :
>>52
長州藩は国内屈指の大藩じゃねえか

55 :
このスレをいろんなスレにマルチ宣伝してるやつ
やりすぎると規制されるぞ

56 :
反旗の人数だけで何で長州藩ってなるの?

57 :
>>56
幕末の奇兵隊が80人でクーデター起こしたからじゃない?

58 :
>>9
ふとなんで官位が高いはずなのに上野介なんだろうとおもってぐぐったら
左近衛権少将や侍従も兼任してたのね
なんで官位を兼任してるのか
低いほうの上野介のほうで有名なのかわかる人いる?

59 :
帯回しとかしてた殿様って実際にいたんだろうか・・・

60 :
>>51
幕府は始めドンドン取りつぶす方針で末期養子を認めなかった。藩主がまだ若いから実子が出来るだろうと
思ってるうちに何かの拍子に死んだらそれで無嗣改易。
時が流れて、このままでは天下に浪人があふれて世情が不安定になるという事で末期養子が認められるようになる。
>>58
良いとこに気がついたねぇ。わからんけど。

61 :
>>60
付け足し。この末期養子で助かったのが米沢藩上杉家。死んだ藩主綱勝の正室が幕府の実力者
保科正之の娘だった縁で特別に末期養子を認めてもらい、綱勝の妹と吉良上野介の間に出来た子を
養子として迎える事が出来た。ただし、改易はされなかったが石高半減。30万石から15万石になった。
この辺を契機に末期養子を認めるようになっていくと思われる。

62 :
>>59
1万石大名家の奉行(100石)とか
それなりに身分さえ高ければ出来るんだから
確実にあったと思われる。

63 :
>>58
侍従兼上野介だから親王任国の実質的な守の上野介の方が武家的には通りがいいとか?

64 :
>>63
それなら左近衛権少将でいい気がするなあ
武官だし、官位相当でも上に来るし

65 :
初任官の官職で通りがいい方とかかね? 信長も弾正忠と右大臣の間の
右近衛大将とか参議は結構スルーされてるし。

66 :
世継ぎが居なくて取り潰されるくらいなら
その辺の腰元でも側室にして子供作らなかったの?
もしくは極秘で一門から赤子をもらうとか。

67 :
いつ実子が出来るとも限らないし無闇に養子を入れてはかえって御家騒動の素になるお( ^ω^)
それに正室の実家や家中の派閥の問題もあるし婢女に子供産ませても認知できない可能性もあるお( ^ω^)

68 :
ひでよし 「実子が生まれたら、その時点で養子とその嫁、側室、こども皆しにすればいいだけじゃん。」

69 :
北伊勢は桑名と長嶋除いて、徳川譜代系でもなければ
外様大大名系でもないな。
独立小豪族が多かった土地だからかな

70 :
>>69
津とか名張とか合わせると藤堂もなかなか大きいと思う

71 :
完全独立系の小大名って、1家でも残ったのだろうか?
西軍に寝返った朽木元綱あたりは、微妙なラインだからなぁ

72 :
>>71
大関、大田原とか忘れないで・・・

73 :
那須系は関東に残った唯一の外様大名だからな
喜連川も一応大名だけど

74 :
大関家を調べてみた、、、陪臣っぽいからダメだな。
喜連川藩、、、大名格式か。何で1万石くらいやらなかったんだろう?
格式だけ高いと出費がかさんで大抵没落していくんだなw

75 :
喜連川が奥州街道沿いの宿場町であったことで、奥州の大名、わけても仙台藩の参勤交代時には喜連川の宿場は潤った。
仙台藩が費用節約のために喜連川を通り過ぎたくても、宿場前にはいつも喜連川藩主(御所様)が待っていたという。
一度、仙台藩が喜連川を迂回して参勤交代した時には、御所様は義務もないのに江戸城参勤に赴き、伊達侯に嫌味を言ったと伝えられる。
ワロタ

76 :
つまり、
徳川幕府公認「ホテル喜連川グループ」
サービス満点、諸大名御用達!!(でもちょっと高い)
ですね。

77 :
会津藩あたりは会津西街道からたぶん日光街道で宇都宮に出そうだから通らなそうね。

78 :
藩主自らってのがさすが小大名

79 :
大身旗本程度で、宿場を活性化して旨味あるの?

80 :
>>79
宿場を活性化したんじゃなくて、伊達公の御一行がお金を落としてくれるんで潤ったって話。

81 :
ここまで露骨にたかられると
歴代の伊達藩主も苦労したんだなあ

82 :
吉良といいコイツといい、高家はたかる生き物なのか?

83 :
高家に限らず武士は皆たかりと借金踏み倒しで生活してたようなものだし

84 :
一万石程度の小大名からすれば貴重な収入源だろ
それに宿場町を領内に持つ藩なんてたくさんあるわけだし
それをたかるとか言うのは違うと思う

85 :
>>84
>>75はたかっているだろw

86 :
仙台藩ほどの大藩がこの程度のたかりを拒否るとかセコすぎ
実情が苦しくても見栄を張って目立つのが伊達者の美徳だろ?
伊達政宗が子孫のこの体たらくを見たらどんなに嘆くことだろう

87 :
「伊達じゃねーなー」とか言ってやりたいなw

88 :
名将の子孫は愚将と言うし・・・
親や味方ししないしなくなっただけいいんでないの

89 :
名将だと子孫が厳しい目で見られるだけじゃね?

90 :
>>86
むしろ政宗公なら無視して通り過ぎて、邪魔するなら蹴散らすぐらいはするはずだお( ^ω^)
無駄金遣うのは伊達でもなんでもないしただの浪費家だお( ^ω^)
それにしても家康もケチだお
元公方様とはいえ何の権威もなくなっていたしせめて5万石ぐらいあげればいいのに┐ (´ω`) ┌

91 :
森家だったらどうなるか興味あるなw

92 :
結局は徳川に乗っ取られる気の毒な名門だな。

93 :
>>64
実際はその官位で呼ばれていたかもしれないけど
忠臣蔵の影響で名前のような上野介の方が通りが良いからじゃないの?

94 :
森ってどの森? 欄丸?

95 :
そりゃあ鬼のほうだろ

96 :
豊後の森かと思った

97 :
まんがの森?

98 :
彫刻の森( ^ω^)

99 :
猫の森には(ry

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