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2011年11月1期26: 【紫にけむる】米子鉄道管理局【夜明け】 (269) TOP カテ一覧 スレ一覧

【紫にけむる】米子鉄道管理局【夜明け】


1 :08/09/17 〜 最終レス :11/11/13
昭和57年の電化まで蒸機と内燃で一貫した同局についてどぞ

2 :
2番取りました。
JRになっていた頃だけど、米子運転所の一般公開に行った。
キハ181の妻面側の電気連結器に萌えた。

3 :
鳥取駅にドムドム?だったかハンバーガー屋があった。
今で言うとハートインの前の待合室のとこ

4 :
米子駅の鉄道購買部の線路際に立っていると
石炭積込の建物とか、下りの急行出雲とかで
ずっと飽きなかった幼少期の頃

5 :
>>1
糞スレ立てたんじゃねーよ

6 :
浜田の購買部で買い物したよ。

7 :
俺は出雲市の物資部

8 :
松江、鳥取、出雲市と高架駅になってつまんねー。
特に松江駅に旧型客車が停車しているのを見てると凄いギャップがあったのを
覚えている。

9 :
>>8
まあ米子は今のままで生き残るだろ
松江は関東大手私鉄の中規模駅みたいだな。
鳥取はいかにも国鉄ぽいが

10 :
このスレと八神純子は関係あるんですか?

11 :
そうそう。私もパープルタウンのスレかと思った。
あれ、良い歌だよね。

12 :
パープルタウンは倉吉だろw

13 :
米子は車両基地があるからそのままでは高架化できないんだね。
どこか忘れたが山陰本線の小駅の木造駅舎に萌え〜
鬼瓦にJRと書いてあって萎え〜?
いえいえ良いセンスだと思いますよ他の素材で葺きかえるよりも。
沿線に和瓦の産地でもあるのだろうか。

14 :
大篠津駅に食堂車やら10系だったかな?寝台車が留置してあった。よく忍び込んだもんだ…

15 :
>>14
キサシ181。
やくもが電化したときに不要になったやつですわ。
数年後、河崎のスクラップ工場に残骸がありました。

16 :
昔、修学旅行で鳥取県へ行った時に、バスで弓ヶ浜付近を通ったら、ものすごく高く積み上げられた車やバス(日の丸バスの奴が多かった)のスクラップの山が忘れられない。その中に、国鉄特急色の車体の残骸があったと記憶してるけど、それがキサシだったのかな?
あのスクラップの山って、今も残ってるの?

17 :
>>16
米子で離陸に失敗して中海に突っ込んだ東亜のYSもあったけ。

18 :
境線を走ってた蒸気ってC11?
興味を持ち始めた頃にはDE10だった。
日曜日には毎週弓ヶ浜駅に遊びにってたなぁ…小坊の頃ね。

19 :
べいてつきょくの時代は、ダイヤ改正や臨時列車の発表のあと、地元紙に
列車ダイヤがそのまま掲載されてましたね。

20 :
>>18
確か、C11じゃなかったかな。
客車3両ぐらいで1両は半室荷物車。
境港を出発して、小さな駅には止まらずに
山陰線に入って、さらに関金まで行っていた気がする。

21 :
>>16
外浜線沿いの大成プレスの野積み場ですな。
キサシ180が2段積みになってましたなw

22 :
昔の時刻表を見ていて夜行ちどりに驚いた。更に境線に急行が走ってたのに驚いた。もっと驚いたのが大篠津から美保基地までの専用線…
今で言うタンカー列車だったんかな?

23 :
>>22
境線の急行は、隠岐汽船連絡の意味もあったのだろうか?

24 :
その当時は連絡なんて あまり考えて無かったんじゃない?随分後だけどマリンスター号って快速があったけどね。
境港駅を過ぎて臨港線で隠岐汽船の真ん前まで行くヤツが。

25 :
飛行場や七類港が整備されるまでは、境港が実質的に隠岐の入り口だったらしい。
NHKで放映された島田陽子が主演の花車のなかで、夜行便の隠岐汽船で隠岐に
行く話がある。実際に昭和の30年代には本当に夜行便もあったそうだ。
昭和の40年代でも、境港発着の隠岐行きは3便ぐらいはあった。
とりとめのない話でスマン。

26 :
花ぐるまだっけ?見てました。ヒロインが出自に疑義を抱く話。
隠岐の島のくだりは残念ながら覚えがない。
七類港、うちに帰ったらぐぐります…

27 :
>>21
いやぁ〜とにかく物凄いスクラップの山で
とにかくびっくりしました。

28 :
昭和50年ごろだったかガスタービン車が留置されていた。
川越線、田沢湖線、伯備線などでテストされたが通常のDCの5倍の燃料食うとか?
NHKで解説された記憶もあり、結局は実用化されなかった。
テストした線区は電化しているのは皮肉に思えるけど。

29 :
何せガスタービン車開発の机上モデルは「やくも」だったからな。
もしもあれが成功していたら大変だったと思うぞ。
周囲の騒音は凄いし、燃費の悪さで今となったら短編成化は避けられん。
電車だからこそ「やくも」が6両とかで走るし

30 :
やくもは181系の時も6両だったような気が…
修学旅行で岡山に行った時EH10を初めて見て雄叫びを上げてなぁ。

31 :
DCやくもは食堂車付8両基本に米子−岡山3両増結で11両編成だったかと。

32 :
>>28
石油ショックがあったからね。
>>30
同世代でしょうか?
私は、下電の廃線跡や(旧)児島駅を見たときに感動しましたね。

33 :
ここに集まる 殆どの人が40年代生まれの人でしょ。
過去の物となった
急行列車全盛期の頃じゃないかな?

34 :
>>30
俺は逆に初めて米子に行った時に普通にオハ35とかオハ61とか走っていて
感激したよ。
さすがにDF50(当時は四国に残っていたが)やDD54がいたら発狂したかも?。

35 :
↑訂正
さすがにDF50やDD54はいなかったが、いたら発狂したかも。

36 :
>>33さん
山陰線は急行全盛期の時期があったが、
新幹線岡山開業までは伯備線は因美線・木次線レベルの
ローカル線が急行全盛期をすっ飛ばして、いきなり
特急幹線になった感じがある。

37 :
博労町も構内といって良いような距離ですな。

38 :
米子近辺ってトワイライトゾーンって
無くなったね〜。
倉吉まで行かんと
無理かな〜?

39 :
>>38
法勝寺電車?
山陰金属引き込み線?

40 :
法勝寺電車は分かるけど山陰金属ってどこ?境港の臨港線も全部消えちまったね…スレ違いだが「富士・はやぶさ」も
消えることに…
一回乗ってみたかった。

41 :
電化前の伯備線では、DC181系やくもと客車や貨物牽引のD51、DD54、DD51の
交換が普通に見られたんだよね。

42 :
俺はDD54は見なかったがDE10はいた。

43 :
生山始発と米子最終の客車がDE10だったかな。
DD54はD51の代替で伯備線に導入されたが、しばらくしてDD51に変わり
たしか播但線に転出していった。

44 :
DF50は伯備線に入線したことあるの?。

45 :
>>40
山陰金属は今の全日空ホテルのあたりにあった。
もっとも僕が小学生の時には、すでに途中まで廃止になっていた。

46 :
昔のディーゼル特急の風格はピカイチ!  11両編成のやくもが素敵でした。

47 :
>>46
+3両はガラガラで10号車を独り占めして
岡山で買ったケンタッキーフライドチキン食いまくったのが
子供のころのやくもの思い出

48 :
中坊の時1回だけ境線でDD16を見た
ヨを1両だけ引っ張って…なんかの試験だったんかなぁ?
米子には配備されてなかったよね。

49 :
DCやくもは車両基地が米子だったから、車両の回送区間が出雲市−米子の
60kmもあったんだよね。

50 :
>>48
浜田に配備されていたと思うが、検査明けの試験とか?

51 :
浜田?へぇ〜知らんかった。三江線用?DD16のやたら短い
ボンネットがお気に入り。

52 :
>>44
昭和30年代の一時期に当時の京都ー大社間(伯備線経由)の客車急行「だいせん」
をDC化されるまで岡山ー大社間でDF50が牽引していた。

53 :
>>52
ありがとうございました。

54 :
客車だいせんはSL牽引だと思ってました。SL全盛期の伯備線でDF50
で谷田峠越えしてたなんてびっくり。

55 :
>>51
25年前に現業からもらった基準運転時分表に山口線貨物(定数失念)
ってのがあって、速度種別は停貨J8とかだったか?

56 :
その昔、米子駅2階ホーム側にあった米吾の食堂のラーメン美味しかった。

57 :
米子駅と云えば
やっぱり大山そばですけん!!

58 :
自分は吾左衛門鮨(鯖)と大山そばのセットが好きで、行くと必ず喰べる。

59 :
>>56
北側は日本食堂だったけんな。
昔は(開いている・いないは別にして)窓口が多かった。
それだけ鉄道を利用していたのだろう。

60 :
>>58
最近、出汁の味が極端に落ちたような気がするのは俺だけだろうか?
増結停車の間に買って、やくもに持ち込んだ頃はおいしかったのに。

61 :
やくもには食堂車が付いてるのに…
カレーライスは美味しかった思い出が…

62 :
いつも利用していた やくも2号の食堂は伯備線に入ってからの営業なんだよ〜。
その前に清水寺信号所で おき1号と交換待ちするだろ〜。
そしたらちょうど月の輪そばの店の前に停まるから蕎麦モードになっちゃうんだよ。

63 :
出雲・やくも・まつかぜ食堂車の名物料理といえば大山おこわ(割子そば付)だったな…

64 :
清水寺信号所って
懐かしい響きだなぁ。いなば(寝台)が置いてあった頃の
米子駅がもう一度
見たいですなぁ。

65 :
>>64
それ以前はガスタービン車がぐれていました。

66 :
滝山信号所

67 :
米子駅もかつては、改札口と安来側の出口専用口に別れてたね。
列車が到着するたびに、改札口、出口とも混雑していたが、昔に比べて
米子も乗降客が減ってしまったなあ。

68 :
んん。
今のテレビのある待合所あたりだったっけ?>出口
ってか、大社駅もそうだった

69 :
米子局管内だから鳥取も語っていいよな?

70 :
鳥取とか松江の高架以前はよくわからんところがあるね。

71 :
松江は高架になってもう30年は経ってるよなぁ
小坊の頃だからもう忘れちまった。
米子駅にはしょっちゅう行ってたから
色々思い出も あるんだが…

72 :
スレのサブタイトルカッケえな
センスいいよ

73 :
>>70
鳥取駅が高架になる前は、豊岡や米子の様に、機関区が構内にあり、客車留置線や貨物側線もある、大きな駅でした。
高架化工事前に機関区などが湖山に移転して、跡地に高架線を建設したので、旧駅は線路切り替え前まで使用されていました。
丁度、現在の駅前広場にあたる付近が元のホームがあったところです。
今でも駅裏の公園にホームの一部が移築保存されていますが、とにかくホームの高さが低くて、ステップ付きの車両でも、乗降に
苦労した覚えがあります。

74 :
なるほどね。
どこでもそうなのかもしれませんが、新幹線・高架で裏口が
できても、最初はともかくだんだん尻すぼみになっていくのは
仕方が無いのでしょうか。
鳥取といえば、昔は大丸の裏手に日の丸バスの本店があった気がします。

75 :
今の大丸の建物のほうが、駅より古いはず。
南口(地元民は駅裏というが)は、つい最近まで何も無かった。ダイエーやジャスコができはじめて、ようやく
まともになってきた。

76 :
米子駅前にも大丸が日ノ丸自動車の営業所とセットであったんだよね。
米子大丸は天満屋に身売りして、場所も西福原に移転したけど。

77 :
>>74・75
駅から少し東に行った線路際には、日交バスの車庫もありましたね。高架化後も暫く残っていました。
南口は、高架化以前は機関区の裏手にあたる場所だったので、昔は家こそあっても、駅舎のある側とは全く違いましたね。

78 :
わかとりライナー

79 :
鳥 取 << [急行] 美  保 >> 出雲市

80 :
準急美保といえば境線を走った唯一の優等列車。

81 :
石立鉄男主演ドラマ「鉄道公安官」で
米子駅構内や境線が出てきた事があったな。
キハ17、35、55、58や旧客などが映ってた。

82 :
>>20
昔境線はDCと客車列車の2種類があって
言われるように、客車列車は、各駅に止まらず大きい(といっても知れてるが)
駅に止まっていた。でも、所要時間はDCと変らないかDCのほうが早かった
(はず)。 なのに客車列車の車掌さんが「この列車は快速列車境港行きです」
とか案内放送をしていて、「あれえ」と思ったことがある。
>>22
>昔の時刻表を見ていて夜行ちどりに驚いた。
乗ったことあるのよね。しかも寝台車代わりにグリーン車。
>>34
さすがにDF50やDD54はいなかったが、いたら発狂したかも。
見たことあるのよね、DD54牽引の列車。乗ったこともあるかも。
>>36
>新幹線岡山開業までは伯備線は因美線・木次線レベルの
>ローカル線が急行全盛期をすっ飛ばして
特急格上げ前の急行「おき」で大阪へ行った事があるのよね。
>>57
昔米子駅で食べたそばは、天ぷらがそばの下に隠れているというやつで
天ぷらそばを頼んだのにかけそばか?と不思議そうに眺めている俺を見て
「入ってますって」と店のおばちゃんが怒鳴ったっけな。
まだSLが引退しない頃、山陰線のSL(D51牽引)の客車の下り
方面に乗っていて、出雲市ー江津 の間のどこかの駅で同じくD51
牽引の客車の上りの列車と交換したことがあって、「おおおおっ」
と思ったことがある。旧型客車、白熱灯のぼんやりした灯り、ニス塗りの
座席、、、すべてがレトロで、今の電車全盛時代とは大違い。
そろそろおやじ年代からおじじ年代になるのかな、昭和30年代。

83 :
>>82
「あれえ」橋幸夫乙!

84 :
>>72
八神純子を知ってる?
俺的にはそちらがツボで。

85 :
>>83
ぼんちおさむ乙www

86 :
挙げ

87 :
伯備線経由の特急おきの停車駅は出雲市−玉造温泉−松江−米子−新見−倉敷
−岡山−姫路−三宮−大阪−新大阪でよかった?

88 :
保守上げ

89 :
鳥取駅の高架化の時、当時の新幹線主要駅は2面4線の高架駅が
定番的なイメージで、県庁所在地駅に相応しい十分に立派な駅に
生まれ変わったという印象を持ってました。
でも今思えば、2面6線?ではなく、もう少し頑張って福知山駅や姫路駅の
ように、3面6線?の高架駅だったらなお良かったかなと感じることがあります。
Sはくと、Sいなば、Sまつかぜ等の増発で、3番のりばなどで
下り方面列車と上り方面列車が同じホームに同時刻に停車していたりして
やりくりに苦労している印象ですし、お客にとっても(まあ間違えることは
そうそうないでしょけど)混乱を招きやすい運用になっているように思います。
実は3,4番のりばのホームの米子寄りは、カギ型のホームで5番のりば的な
ところがあるようですが、ホームが長いため端まで歩くのは不便なためか
どうかは知りませんが、乗降用には使われていないようです。
(現在は関東在住なので、最近の状況はよく知りませんが。。。)
○面□線の正しい書き方をよく知らないのですが、現在の鳥取駅は、
正確には2面6線+引込み線2線という表現になるのでしょうか、
それとも2面4線+△△用X線などになるのでしょうか。
Wikipediaだと、島式ホーム2面4線を持つ高架駅とあり、説明文の中でさらに
着発線や側線があるように書かれているようです。
やはり○面□線と書くときの□の数は、のりばの数のような。。。そうしないと
大規模な地上駅などでは□線部分を数えるのが大変なことになりそうですし。
詳しい方、教えてもらえると有難いです。長文失礼しました。

90 :
すみません。
wikipediaを見ると福知山駅は、ホーム:3面6線ではなく、3面5線
と書かれてました。
ちなみに米子駅は、ホーム:3面6線と書かれてますね。
確かに、0番のりば〜5番のりばの合計6ののりばがありますね。
やはり、□面○線という時の、○線はホームにおけるのりばの数と
考えればよいのですかね。

91 :
さらにすみません。。。orz
姫路駅は、すでに完成分2面4線ホームと、少し前に目にした建設中の
もう1本の島式ホームを見て3面6線と勝手に思い込んで書いてしまいましたが、
どうやら2010年には、播但線と姫新線を統合して、3面8線の高架駅になる
ようです。1本の島式ホームに、1面4線の構造で統合するみたいです。

92 :
連投すみません。
□面○線の考え方について、自己解決しました。
wikipediaを信じるかどうかは別として、きっと○線は乗り場の数と
考えるものなんですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
無知ですみませんでした。

93 :
出張や糊鉄で鳥取駅いつも使ってるが、定期の客車が完全に無くなったし、持て余してる感があるがな

94 :
上へまいりま〜す

95 :
>>93
まだ鳥取駅なんかええほうですよ。
福知山駅なんか深夜早朝の「出雲」のため「だけ」に無駄に長い1・2番線
ホーム作っておいて、半年もせんうちに「出雲が廃止」ですからorz
今鳥取駅に入線する最長編成って、増結した「はまかぜ」くらいかな?

96 :
鳥取は終点や始発駅になることが多いから、
ホームの京都寄りと米子寄りを別々の乗り場にしたら良いんじゃないかな?
2面のホームとも米子向きに切り欠きがあるが、
入れ替え用機関車の待機所か何かなのか、
旅客車両だと1両停まれるかどうかの長さしかなかったと思う。
長いホーム2面4線を6〜8つの「乗り場」に分ければ、
ホームの売店やそば屋の前に長距離列車を停めるなどの工夫もできると思うんだが・・・・。

97 :
>>96
四国の松山駅は地平なので、長い1番線に
特急列車を縦列駐車(誘導信号機?)させて、
乗り継ぎの便とバリアフリー化を図っていますね。
スレ&板違いかもしれないけど

98 :
>>97
「地平」ホームってのがミソなのかもしれないね。
高架駅で旅客用に使われている切り欠きホームってのも見かけない気がするし。
JRの松山駅ってホームの数が結構少ないんだったよね?
それにしても、「1番線」で2つの列車を縦列駐車ってのは、
松山駅が始発駅・終点である列車が大半だからできるんだろうなぁ。
日本一長いとされる京都駅の1番線は・・・・、通過列車が多いから切り欠きホームで対応したんだろうね。

99 :
米子駅にも切り欠きホームがひとつ眠ってるよね?(2・3番のりばの島の松江側に)

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