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2011年11月1期31: 発車したらずっと走りっぱなし (176) TOP カテ一覧 スレ一覧

発車したらずっと走りっぱなし


1 :09/05/11 〜 最終レス :11/11/13
走り出したら停まらないぜ

2 :
横浜駅 → 戸塚駅
鈍行なのに15分近く走りっぱなしだぜ

3 :
懐かしくはないな

4 :
新幹線大爆破とかいう映画があったなぁ

5 :
横浜駅 → 戸塚駅
鈍行では日本一長い走りっぱなし

6 :
また糞スレか

7 :
>>5
絶対嘘

8 :
カサンドラクロス。
最強コックがたまたま乗り合わせた特急。

9 :
カサンドラクロス
懐かしいな
鉄橋から列車が墜落する
1977年度のアカデミー賞とったもんな

10 :
>>5
どう考えても落合〜新得や上川〜上白滝の方が長いと思うが

11 :
【特急 黄泉】
※あの世までノンストップ
※ただしナン20(ID:g0Zfb0Bd)専用

12 :
>>11
使用車両はトロッコで充分だなwww

13 :
>>5
347Mはどうなんだ?
種別としては鈍行じゃ…

14 :
鈍行で走りっぱなしって
すごいよな

15 :
発射してもずっと勃ちっぱなし

16 :
>>15裏山

17 :
特急有明の博多ー熊本ノンストップに触れる奴が何で居ないんだ?
始発駅出たら次は終点。

18 :
そういうのでよければ、キハ281系S北斗が出たての頃、
札幌→函館で東室蘭にのみ停車ってのがあった
のも懐かしい。

19 :
距離のノンストップで言ったら、デビュー当時の「のぞみ301号」の新横浜→新大阪が最長では?
もちろん、運転停車もなしでの話。

20 :
>>5
SM分離の前は、横浜出たら次は大船だったよ。
東戸塚はまだなくて、保土ヶ谷と戸塚は横須賀線の電車しか停まらなかった。

21 :
>>15
羨ましい!

22 :
>>19
あったなぁ。名古屋市、京都市が激怒したな

23 :
寝台特急つるぎもすごかったな、時刻表上では。
通過マークの連続。

24 :
>>19>>22
京都は停車したのでは?

25 :
子供の頃、母親が、山手線は、終点が無いから、運転手さんになりたての
人が配置される。
と言っていたのを忘れていない。そんな事は無いと思うが、、、
どこからそんな情報が?

26 :
>>19
継続すればよかったのにw

27 :
西宮〜梅田ノンストップだったころの阪神特急

28 :
20代の頃、抜かずの○発
朝までノンストップ

29 :
私鉄なら金欠特急が有名だが、昔の東武特急も下りは浅草出たら
下今市まで走りっぱなし。

30 :
走り出したら何か答えが出るだろうなんて

31 :
発車したら乗りっぱなしならアメリカのアムトラックのパイオニア号(シカゴ〜シアトル)
国内の時差を勘案しない時刻表(全て現地時間表示)で58時間くらい
時差を勘案したら61時間くらいだった

32 :
>>24
京都も通過。
名古屋は激怒したけど京都は静観してなかったっけ?
だから名古屋ばっかり目立ってたような気が・・・

33 :
開業当初の北陸(長野行)新幹線「あさま3号」
東京10:20発 ノンストップ 長野着11:39着

34 :
“走り出したら走り放し”というなら、昔の東京−北海道の看板列車だった「はつかり」「おおぞら」の
1、2系統は外すことはできないな。
上野を出れば、大宮、宇都宮、福島、仙台、盛岡、青森と各都県の県庁所在地を中心に各都県1駅停車、
道内に渡れば、函館、洞爺、東室蘭、苫小牧、札幌、滝川、帯広、釧路と、まさに停車駅では
「看板列車」としての風格は十分だった。
もちろん交換待ちもなく、ダイヤの作成はこの系統を真っ先に引いたとい話は知られたところだ。

35 :
♪トレイントレイン走ってゆけ
トレイントレインどこまでも♪♪♪

36 :
走ってもムダ、ってのもありましたな

37 :
急行『阿波』の一部の列車、始発の高松から終点の徳島までノンストップ(だった)。

38 :
20年以上前の仙石線の休日?の特別快速。ノンストップのやつがあった。
設定されてすぐに乗りに行った。石巻の「電車駅」では駅の人が
計数器で乗客の数を数えていた(確か一列並びで乗車待ち)。
幸い?全員が着席でき、103系は表定速度50`代で怪走した…

39 :
京葉線の通勤快速が好きだな。新木場、蘇我ノンストップ。
それから東海道線の通勤快速もいい。横浜通過が快感。

40 :
特急「あまぎ」
東京を出ると東海道線内は全て通過で、最初の停車駅は網代

41 :
ただし、その先は交換のため隔駅停車?

42 :
東武特急きぬ、けごんも浅草出たら下今市まで走りっぱなしで爽快だったね。
北千住の発展と浅草〜北千住間の凋落ぶりの今からしたら考えられんが。

43 :
>>39
以前タモリ倶楽部で貸し切った京急の電車で横浜駅を通過したとき
「伊東美咲を振った」
と例えていたな。

44 :
>>43
今は、ウィング号もあるわけだが…

45 :
近鉄にノンストップ特急というのがあると聞いて乗りに行ったなあ

46 :
>>45
30年くらい前から、交通公社の時刻表にもノンストップと
わざわざ書いてありましたなぁ。
俺が乗ったときは名張で止まりかけたけど、セーフ。GJ?!

47 :
俺の「青春」

48 :
七条を出ますと、大阪の京橋まで停まりません。
(中略)
大阪の京橋には只今から約30分で到着いたします。

49 :
スーパーひたちの上野〜水戸ノンストップも、今となっては貴重だな。

50 :
急行「さちかぜ」ってのもありました。
札幌〜旭川間ノンストップ。1日1往復。
車両は711系orz
で、特急「いしかり」が設定されたとき格上げされましたが、
ノンストップは継続しました。
のちに「ホワイトアロー」という列車も設定され、
これもまた設定当初札幌〜旭川間ノンストップ運転を行っていました。

51 :
>>50
当初、そのノンストップ特急は「さちかぜ」と命名されるはずだった。
北海道でデビューの前に「白鳥」で足慣ししていた頃、大阪駅や青森駅の構内で
「さちかぜ札幌」「さちかぜ旭川」の方向幕をご覧になられた方も多いと思う。
因みに当初の計画では札旭間ノンストップ2往復(上下とも初列車と最終列車)
岩見沢、滝川、深川停車5往復設定の予定で、列車名は前者「さちかぜ」、後者
「いしかり」を予定していた。
しかしながら、急行「さちかぜ」の頃は札旭間1時間38分だったのに、特急に
格上げ後は同じノンストップなのに1時間36分。
『特急』の面子をかけて編成当りM車比率を二倍にして行ったスピードアップが
たったの2分(笑)。
元々711系はキハ22と同様、急行運用も考慮に入れた設計がなされていただけに
「かむい」「さちかぜ」の『遜色急行』呼ばわりには異論を唱える向きもあろうが
むしろ485-1500の「いしかり」の場合こそ、短編成、短距離、モノクラス。
当時の国鉄においては明らかに『遜色特急』だったと言える。
今日日、岩見沢・滝川・深川停車でも1時間20分。まさに隔世の感がある。

52 :
>>51
なるほど。
当時の札幌〜旭川間は最高速度120km/hで走れなかったということですね。
それゆえのわずか2分短縮…。
いくら485系といえど、モノクラス6両で、うち5両が自由席ともなると、
おっしゃるとおり「遜色特急」ですね。
このとき導入された485-1500も、ちょっと急場しのぎ的な車両で、
北海道で走らせるには酷でしたね。
後に781系が開発されて、その問題は解決したのですが。
で、その後120km/h運転が実現して1時間30分運転になり、
130km/h運転が実現して1時間20分運転になり、
いまや岩見沢、滝川、深川に加え、美唄と砂川にも停車して1時間20分運転ですから、
おしゃるとおり、本当に隔世の感があります。

53 :
有明も一時、博多ー熊本間ノンストップがあった。

54 :
>>49
運転初日の上りに乗った。

55 :
>>42
DRC程ではないが1800系りょうもうも中々だったぞ。
急行なのに浅草出ると館林まで走りっぱなし。
一部羽生と加須止まるのもあったが。
東武の優等は停車駅増えて昔のような風格は無くなったね。

56 :
6時から24時までで
在来線列車の運転停車も含めたノンストップ最長距離って
どこなんだろうね。

57 :
>>56
どこだろう?
上野発のはつかりが盛岡−青森ノンストップなのは覚えているけど(200km以上)

58 :
上りで郡山〜上野の226.7キロというのは知っている

59 :
スレチだけど高山線のひだも高山線内停車駅下呂だけってのが一時期あった。美濃太田通過っていうのが地元からすれば信じられなかった

60 :
福山〜広島ノンストップのスーパーラビットってのがあったよな。

61 :
>>56>>57>>58
S45.10の時刻表では「はつかり」「ひばり」に郡山ー上野間ノンストップは多かった。
S36.10では当時電車特急だった「富士」などが熱海ー名古屋(261.4km)
更にはS5.10では特急「燕」が国府津ー名古屋間がノンストップ。
スレチとなるがブレジネフの時代にソ連出張があったがモスクワから現在のウクライナ
のハリコフまで列車で約15時間乗車。途中停車駅が3〜4駅なので3時間位は走りっぱなし
だった。隣の駅まで100km位あった区間もあったな。まるで日本とは桁の違いを思い知ら
された。

62 :
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63 :
けごんは下りの一本だけノンストップが維持されていたんでしたよね。

64 :
ノンストップじゃないけど、新快速の新大阪通過は愉快だったな。普通列車がひかり号停車駅を無視するという快感はたまらんかったよ。

65 :
>>61
横浜〜名古屋無停車の「こだま」って無かったっけ?36-10以前に。

66 :
>>65
デビュー当初(S33,11)の「こだま」は横浜ー名古屋ノンストップだった。
スマン。

67 :
>>59
8年前に乗った大阪発臨時のワイドビューひだがそれでした。
岐阜から下呂までノンストップ。
>>64
新大阪にも高槻にも尼崎にも芦屋にも停まらない117系の新快速はほんとよかった…

68 :
客車特急「かもめ」。
京都ー博多間開業当初は岡山ー広島間無停車。その次は小郡。内田百關謳カの
「阿房列車」に乗車記録がある。
この時は牽引機がC59、間もなくハを増結することになり、牽引機をC62
にしたら水槽容量が不足し、福山で給水停車をよぎなくされたとか。

69 :
>>45-46
近鉄ネタだと、ついノンストップ特急の話題ばかりになるが、
高速伊勢志摩号の正月バージョン(東青山通過)、八木〜伊勢市無停車も
なかなか激しかった(臨時スジのため、走りは全然激しくなかったけどw)。
おれが乗ったのは、伊勢からの上六行きだったけど、
伊勢市駅では、誤乗防止のため「次は奈良県の大和八木駅まで停まりません!」
と県名入りの放送をしつこく繰り返していて、騒然とした感じになっていた。
ノンストップ特急慣れしている近鉄でも、一般車のああいう列車は
よほど特殊だったっつー事なんだろうな。
>>60
期待して乗りに行ったが、車両は115一般車3連(だったかな)、
ダイヤがきついのか、走りもイマイチだった。
鉄的な期待のない一般客も、少しうんざり気味っぽい空気になっていて、
「こんなボロな電車使ってんのか?」「次から高速バスにしよう…」と
いうような事を(広島弁でw)言ってたのを覚えている。

70 :
>>65
その列車、映画の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」にも出たね

71 :
>>61
中国の夜行列車のZ列車がけっこうすごい。
最高速度160キロで、1000キロ以上ノンストップ(運転停車もない)の列車がざらにある。
客レの癖に平均130キロ行っていたりした。速達系が今はE2系真似寝台列車に代って、一時より減少したけど。

72 :
>>65-66>>70
東チタと名カキの運転士は安倍川鉄橋の上で交替してたらしいね。
そのために東京〜名古屋ではロザ2席が待機用に使われていたとか。
>>68
揚げ足ゴメソ。
31-11改正で追加された停車駅は尾道と岩国。
C62はテンダが10-22なので140km程度が限界(RP1974年1月号寺本光照氏による)
…尤も「はつかり」ではC62で平〜仙台(151.3km)無停車をやってのけたわけだが。

73 :
>>72後段
『はつかり』は寧ろC61(12‐17テンダ)牽引の盛岡〜尻内(現・八戸)のほうが
より過酷だったとは言えまいか。

74 :
>>72
交代用座席はロザじゃなくて、運転席直後のハザ2席のはず。

75 :
一旦停まったら全然動かなくなる列車ばかり乗ってきたぜ。

76 :
>>50-52
当時の「さちかぜ」は、遜色急行なんかじゃない。
表定速度は急行区間のみに限れば80キロ越えで、当時最速だった。
ただし、全運転区間でみると、小樽〜札幌間普通列車ということで80キロを下回ってしまったが…。
ホワイトアローは運転初期のノンストップ783系の頃(国鉄末期)に乗ったが、やはり当時は在来線最速特急だったかと…。
なお、スレ違いになるが、ほかに表定速度80キロ超えの急行は、上記「さちかぜ」運転当時から東北新幹線開業(大宮暫定から)時までの「くりこま」の仙台〜青森間最速列車があった。
特に上りは瀬峰通過時にDCの定期急行を追い越した駿足ぶり。
車両は仙台運転所の455・457系電車で、こちらは全区間急行運転。

77 :
運転停車がなければすごいのだが…
下り寝台特急富士(50-3、53-10改正の頃)
名古屋22:54→4:27福山
※実際は大阪?と岡山で機関士交替のため運転停車

78 :
停まらない汽車に 二人で乗ってしまった♪
中山千夏せんせいが昔歌ってましたね

79 :
室蘭本線の直炭列車。追分を構内入換え機の後押しで発車すると室蘭のヤード
までノンストップ。これは止まらなかったのではなく、止まったら動きだせな
かったことによる。
この列車、D51かD50単機で最大3,000トンを牽引していた。ちなみに東
海道本線でF66が牽いている貨物列車で1,200か1,500トン程度。
途中では旅客列車、特に準急エルムを待避線にとめて追い越していったことも
あった。

80 :
ひぇ〜一体何`出せたんだろう。ダイヤグラム上速度種別はどうだったんでしょ。
今、東海道・山陽のコンテナ列車も最高1300d
機関助手の仕事量とか考えると気が遠くなりそう。

81 :
151系こだまは
横浜→名古屋ノンストップ

82 :
単線の土讃本線で、阿波池田から土佐山田まで本当に行き違い停車も無しにノンストップなんて急行列車が
特急「南風」がデビューする直前まであった(下り「土佐」最終列車)!
きっと、本州側のEC特急「うずしお」からの乗客を受けての連絡輸送だったのだろう。
なにしろ高松を出ると坂出・丸亀・多度津・善通寺・琴平と定番通りに停車したかと思えば、
あとは阿波池田→土佐山田→終点高知(23時36分到着)。
のちの「南風」よりも俊足で土讃本線を大疾走!!

83 :
【画像あり】「同級生の女の子に頼んでみた」中学生AVが流出 ★14
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1256707678/
551574707031249

84 :
昔、近鉄名古屋線に蟹江行き準急がありました
名古屋を出ると次は終点蟹江

85 :
>>84
何年頃?

86 :
>>85
70年代の初めくらいかな
その後富吉行きになったから
蟹江行きだとノンストップ(一応)w

87 :
誰か70年代前半の近鉄時刻表持ってませんか?

88 :
>>87
変わり種だと
準急湯の山温泉行きとか…
停車駅も蟹江から各停じゃなかった
富吉、佐古木なんかは通過でした

89 :
只見線
大白川〜只見
冬期は田子倉駅は通過扱いとなるため、事実上ノンストップとなります。

90 :
このスレも>>1が癌なんだよなorz

91 :
>>88
準急の佐古木・霞ヶ浦・川原町停車は1982-3以降
湯の山線準急(1965〜1971の間存在した?)停車駅は桜・菰野

92 :
>>91
湯の山準急もう少し走ってたはず
但し土日ダイヤのみかな…

93 :
嘗糞 出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』
嘗糞(しょうふん )は朝鮮古来の民俗医術の一つ。
人の糞を舐めてその味が苦ければその人物の体調は良くなっており、甘ければ体調
が悪化していると判断する。
過去には、6年以上父母の糞を嘗めつづけ、病気を治した孝行息子の話などの記録
があり、指を切って血を 飲ませる行為と共に親に対する最高の孝行の一つとされた。
中国の南北朝時代や唐代の説話として現れる。『二十四孝』や『日記説話』によれ
ば南斉時代に、庚黔婁と言う 役人が父親が病気になったので帰郷すると医者に、
糞を嘗めて見ないと状態が解らないと言われ、その味が 甘かったので憂いたと言う
「嘗糞憂心」の故事が残っている。ただし、これらの伝説と朝鮮における嘗糞との
関連性はよく分かっていない。
"後に娯楽化し、人の糞を舐めてその味で誰の糞であるか当てる遊びが流行した。"
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%97%E7%B3%9E

朝鮮人ってバカですね。

94 :
>>34
1964年9月の時刻表では
1D「おおぞら」は、洞爺、登別は季節停車にになっている。
冬季は函館〜東室蘭 189km 3時間45分
距離はともかく時間は 在来線横浜〜名古屋に匹敵する。

95 :
>>94
おっそいな〜ソレ
表定速度50km/hチョイ?
まさか、実はSL牽引の旧型客車だったり、と思うレベルだな
急勾配が延々と続くというわけでもなく、本当に交換待ちがないなら、遅すぎだな
まさに緊急時は、道南のキハ17やキハ12などでも代走できるようにしたか?と思う低レベル

96 :
おそらく2時間45分の間違いと思われる。
97 :
あぼーん

98 :
発射したらずっとシコりっぱなしのナン931-524

99 :
>>95
積雪時の遅れを最初から見込んでいたりw

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