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2011年11月1期三国志・戦国54: 周瑜の天下二分の計考察スレ (773)
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3: 昼夜逆転が治らない・・・ (112)
周瑜の天下二分の計考察スレ
- 1 :09/12/13 〜 最終レス :11/12/12
- ただいま曹操は敗戦の憂き目を見たばかりで、
自分の身辺から変事が起こるのではないかと心配いたしており、
とても孫権さまと兵を動員して戦いを挑み合うといった余裕はございません。
どうか孫瑜さまとともに軍を進めて蜀を奪取することをお認めくださいますように。
蜀を手中にしましたあと、張魯を併呑し、そのうえで孫瑜さまにその地に留まって守りを固めていただけば、馬超との同盟関係もうまく結べます。
私は、蜀よりもどり、孫権さまとともに穰陽を根拠地として曹操を追いつめてゆけば、北方制覇も夢ではないのでございます。
周瑜が生きていたとして、この戦略について考察するスレです
- 2 :
- 問題点
・蜀攻めが上手くいくのか
・曹操軍の動向
・劉備軍の扱い
こんなところでしょうか
上手く行けば馬超の存在から、実際の天下三分よりは天下穫りには有利でしょう
- 3 :
- けいしゅうがこわい
- 4 :
- 周瑜を暗したのは劉備だからな。
この策に危険を感じてたって事だろ。
- 5 :
- >>2
馬超らの野心がいか程かにもよるんだが、
基本的に涼州から来る方が南方よりも遥かに都にアクセスが容易なんで、
曹操はそっちに神経を使わざるを得ないと思う。
我々はその後の歴史を知ってるから呉や劉備を重視するのを自然に感じるが、
当時10万人規模で軍を動かすなんて全盛期の袁紹勢力に匹敵する脅威で、
赤壁に合わせて五万程度の孫・劉連合よりよっぽど恐ろしい。
- 6 :
- >>5
だからこそ周瑜が蜀を素早く落とせたらかなり対曹操で有利にはなるんじゃないか?
馬超との同盟が上手く行けば長安奪取も余裕、さらに荊州からの進軍で曹操もヤバいだろう
- 7 :
- 馬超、曹操、臧覇
周瑜、劉備、孫権
で曹操をあぼーんする
- 8 :
- 馬超、曹操、臧覇
孫瑜、周瑜、孫権
- 9 :
- 魯粛の方が、天下二分の計を考案してた件について
- 10 :
- 劉備も孫権も上に立ちたい人間だから駄目だよ。
涼州連合みたいに内部分裂してあぼーんが関の山
- 11 :
- >>4
劉備が諸悪の根源のように感じる
- 12 :
- 劉備との関係は難しいところだわな
ただ蜀を抑えた時に劉備が何か出来るかってーと疑問
曹操押し込むまでは孫権と合流せざるを得ないんじゃないか
- 13 :
- そういや曹操、劉備、孫権それぞれの暗説があるんだよな
凄い状況だw
- 14 :
- 劉備が暗したのは周瑜とほう統だっけか
他にもいそうだけど
- 15 :
- >>6
5は>>2のいう「曹操軍の動向」に対応していて、
「馬超らへの対応がより重要なんで南部に手は出せないだろう」が俺の結論。
勿論攻略が早まる程有利だろうし、最悪滅んでいても南部をほぼ一元的に統治できれば史実よりは展望がある。
蜀攻めが上手くいくかどうかは、張魯の動向が鍵かな。
家族を劉璋にされてるんで、こいつが本格侵攻を開始すると劉璋の首がマジでヤバイ。
あっさり呉に靡く可能性すらアリ。
- 16 :
- 史実の周瑜死亡から馬超滅亡、劉備蜀奪取、曹操の漢中併呑までの年表ってどんな感じだっけ?
- 17 :
- 210 周瑜死亡。劉備の南郡進出
211 ドウ関の戦い
213 入蜀
214 成都包囲。馬超帰順。劉ショウ降伏
215 魯粛の侵攻。劉備が布陣。張魯降伏。荊州分割
- 18 :
- >>17
サンクス
じゃあかなりの短期間で張魯併呑まで持って行かないと馬超が危ないな
いけるのか?
- 19 :
- 最近の三戦にしては珍しくマトモに三国志を語るスレ
水軍中心の呉軍が山岳地帯の蜀を1〜2年ですんなりと攻略できるかどうかが疑問
劉備は騙し討ちから戦を始めた訳だし
- 20 :
- >>19
意外に忘れられガチなのが四川や三峡がモロに長江流域だということ。
むしろ優れた船舶装備は武器の一つと考えて良い。
そして揚州も中心部から離れた南部は山脈が多い。
例えば賀斉の伝を見ると険阻な山奥での戦闘の様子が窺える。
辺境で山越討伐に従事してるような人間は、山岳討伐の経験も少なくないんじゃないかな。
- 21 :
- 劉備と孫権が折り合いをつける
馬超が持久戦してくれる
入蜀が成功する
それまで周瑜が生きてる
四重の奇跡だな
- 22 :
- 劉備がごねれば終わり
- 23 :
- >>21
一番下から逆算して考えると、
周瑜がもし長生きした場合、侵攻は210年スタートする。
周瑜伝にある通り、この時張魯が侵攻を開始していることが契機なので、
防備は北方に重点的に割り振られていると思われる。
ここで考えられるのが2ケース
・劉璋が呉側の進軍にビビッて急遽張魯と講和する→侵攻が困難になる。
・二方面からの圧迫に益州内が更に混乱する →内応者の手引きも期待できる。
上にも書いたが、張魯にとっては肉親の仇なんで上の見込みは低いと思うが、
時は乱世なんでないとは言えない。下だと話は早い。
そもそも劉璋の国内での求心力の低下が、実際に劉備に国を取られた一番の要因。
益州を根拠地とする(だろう)劉備と比べると、内応する旨みにやや欠ける気もするが、
劉備の方も制圧後荊州派を基盤としてたりするんで、器の問題なんだろう。
馬超の動向だが、史実通りに進んでも戦争の終結は211年の12月、
都に戻ったのは明けて212年のことなので、仮に2年かけても侵攻自体に影響は与えない。
勿論、丸々二年かけて涼州勢力が滅んでしまうと、その後の南北決戦の勝率は下がる。
というわけで、作戦自体の成功の目はかなり高いと個人的には思うが、
劉備との折り合いが、多分一番難しい。
単純に考えると、勢力の大きい孫権側がゴリ押しできそうにも思えるが、
妥協の余地が大きいのも余力のある孫権側なんで、瀬戸際外交を迫ってこないとも言えず、
マジで>>22の一言でそのまま終わっちゃうことも十分考えられる。
- 24 :
- そこで劉備擁立説ですね
周瑜が関張使って北上となると曹操もチビる
- 25 :
- 皇帝:劉備
皇太子:孫夫人の子
太師:孫権
太尉:周瑜
司徒:張昭
司空:諸葛亮
大将軍:孫権
驃騎将軍:馬超
車騎将軍:韓遂
衛将軍:孫瑜
前将軍:関羽
後将軍:呂範
左将軍:張飛
右将軍:呂蒙
- 26 :
- 甘寧も天下二分を唱えたのに無視されてる件
- 27 :
- >>25-26
元々君主としての支配権が微妙で、張昭・周瑜がバックに立つことによって一応の確立をみたぐらいなのに、
形式上でも劉備の前の臣下として相対化されたら、孫権(孫家)の立場は崩壊するんでないかと。
- 28 :
- 劉備の漢を豪族連合にシフトしての吸収合併なんだから当然だろう
孫権がCEOから重役の一人になるだけの話
- 29 :
- >>28
その当然の帰結からして、孫権の取るべき選択肢としてはありえないのではないだろうか。
君主権の放棄を迫れるような局面とも思えない。
- 30 :
- だって周瑜の自己実現が第一の計画だし
- 31 :
- >>30
周瑜の自己実現って具体的になにさ?
それが読み取れる部分と併せて教えて欲しいわ。
- 32 :
- ただいま曹操は敗戦の憂き目を見たばかりで、
自分の身辺から変事が起こるのではないかと心配いたしており、
とても孫権さまと兵を動員して戦いを挑み合うといった余裕はございません。
どうか孫瑜さまとともに軍を進めて蜀を奪取することをお認めくださいますように。
蜀を手中にしましたあと、張魯を併呑し、そのうえで孫瑜さまにその地に留まって守りを固めていただけば、馬超との同盟関係もうまく結べます。
私は、蜀よりもどり、孫権さまとともに穰陽を根拠地として曹操を追いつめてゆけば、北方制覇も夢ではないのでございます。
hore
- 33 :
- 所謂トラタヌ
- 34 :
- >>32
そこに劉備の擁立(孫権の君主権の放棄)をよしとするような部分は見受けられないが。
- 35 :
- >>29
要は劉協に対する曹操、劉備に対する孫権になるっ話なら選択肢としてもアリじゃないの?
- 36 :
- >>34
病死寸前の男だぞ
今の鳩山みたいな状態だったんだろう
肝心の部分に言及してないのは当然
- 37 :
- ふーん
キチガイドリーマー状態ということか
- 38 :
- 宮殿を作り美女をやって劉備を呉に置いとくって提案じゃないの
- 39 :
- 名だけ与えて実を取る作戦
- 40 :
- >>35
元々曹操は本人の代で建てた勢力だし、後漢組織の中でもエリート出身で、
しかも親族で中核軍を固めてた。
一方の孫権は勢力を兄から引き継いだ存在で、元もとの地位も部下たちと同格で、
軍権は広く拡散してる。
諸将に対する優位性が全然違う。
……ここまで書いて思いついたが、曹丕に引き継ぐ時はこの問題を解決するため、
曹操の生前に魏王国を建設して、曹氏の諸将に対する優位性をあらかじめ誇示していた。
これに倣って漢王朝・呉王国体制でもとればまぁなくはない、のかな?
- 41 :
- >>36
その「肝心の部分」とやらを示唆する根拠もなく、
「だって周瑜の自己実現が第一の計画だし」と当然のように断定されても困るぜ。
- 42 :
- >>41
自分という存在を最大限に好意的に解釈した結果の戦略だからな
俺がいればこうなる!という自負心ばかりで砂上の楼閣に等しい
魯粛の方が柔軟性があるんじゃないの
- 43 :
- 柔軟性に関して魯粛は諸葛亮よりも上だろうな
- 44 :
- >>25
なにこの「ぼくがかんがえたさいきょうのていこく」
- 45 :
- >>44
へへへ、どーだすごいだろー
徹夜で寝ないで考えたんだぜ
- 46 :
- 四征将軍や四鎮将軍がないぞ
- 47 :
- >>42
どうにも会話が成立していない気がするんだが……
>>30のような主張の根拠を聞いてるんだよ?
その「自分という存在を〜」って、俺の勘違いじゃなきゃ周瑜のこと?
もしそうなら話がズレてる。
- 48 :
- とりあえず周瑜に関しては天下統一が最大事業だったんだろう
その点に関しては魯粛、諸葛亮よりかは突出してたであろう
後の歴史が示す通り、天下三分では乱世の収束は難しい
延命策を取るか乾坤一擲の賭けにでるか、で言うと周瑜の策は本当に最後の策のように感じる
- 49 :
- 荊州、益州の利権争奪戦
- 50 :
- 天下統一
天下二分(南北or東西)
天下三分
天下四分(河北、山東、関中、四川、江南)
群雄割拠
- 51 :
- >>48
おいおい魯粛、諸葛亮の天下三分も最終的には統一が目標だったんだぜ
まあ曹操の死を待って魏に攻め込もうという弱腰な策ではあったが
- 52 :
- 曹操は凄いから仕方ない
- 53 :
- 現実的に曹操が死んだら漢王朝が破綻するという読みだったんじゃないかな?
そこで一気に攻め込んで光武帝のようになれれば完璧という戦略
- 54 :
- ちょっと思ったんだけど、天下二分の計とかよく言われてるけど、孫権、曹操、馬超の天下三分の計じゃないか
- 55 :
- >>54
天才現る
- 56 :
- 昔同じようなスレ立った時には呉ヲタのースレと化してたな
ちょっとでも否定的なレスをする奴が来ると「成功すると結論が出てる」と閉め出してた。
- 57 :
- 劉備と愉快な仲間達を皆しにして、兵だけいただいた方がまだ上手くいきそうだな。
劉備と組むのはメリットよりもデメリットの方がでかいだろう。
- 58 :
- >>57
やっかいな問題として、劉備が地域で一定の信望を集めてる点。
難癖付けて害した場合、孫権の信用に傷が付くし、
今後ある程度の勢力を抱えた有力者の帰順は難しくなる可能性が高そう。
- 59 :
- 蜀奪取成功した後に劉備が南、交州に向かったりはしないかなぁ
すんげぇグダグダになりそうだけど
- 60 :
- いつの間に劉備は全国区の名声をゲットしたんだろうか
- 61 :
- 十数万の民衆がわざわざついて来るくらいだから、人望はあるんじゃね?
曹操や公孫サンの例を見る限り、人心を集めている人物をすのは良策とは言えない
- 62 :
- しかも皇室に連なる人物で何もなしに害とかすりゃ対曹操での大義名分も何もなくなるしな
劉備の扱いは本当に厄介
- 63 :
- 大人しく領土と兵を提供すればいいよ
豪族連合以上の何でもないんだから天下取るにはそれくらいの無茶しなきゃな
元を取るのは王朝築いてからで十分
- 64 :
- この時代劉姓以外の天下を目指す者にとっては漢の存在が非常に厄介だよ
五胡南北朝の頃ならもっと好き勝手出来るのに
- 65 :
- >>62
劉虞をしたことで幽州での人望を失った、という事例もあるぐらいだしね。
まぁこれは本人の名声に拠る所も大きいと思うので、
「皇室に連なる人物」だったことだけが理由とは言い切れないが、
劉備の名声も高いので、すと都合が悪いには違いない。
更に言うと反曹云々より、荊州での影響力が大きいような気がする。
- 66 :
- 生かしてもしても厄介
やっぱこの策劉備への対応がガン無視されてるのが問題だわなぁ
それとも本当に直前の劉備を呉に留めさせるっていうのが対応なのかね?
そうなりゃ劉備擁立論も確かに考えられる
- 67 :
- >>54
馬超は公孫淵的扱い
- 68 :
- 擁立なのかな?
- 69 :
- >>66
>>23では瀬戸際外交の可能性を指摘したが、実際の歴史がそうだったように、
一度スタートしちゃえば(お互いに必要としてるので)止めるにとめられない部分も確かにある。
なんで抑留=擁立は早計だと思う。
- 70 :
- 結局は周瑜の策通り、骨抜きにして操るのが一番無難ぽいな
上手くいくかどうかは別にして
- 71 :
- >>70
その「上手くいくかどうか」が不安だから孫権やらなかったんじゃないの?
- 72 :
- じゃあ劉備視点から見てどう対抗するべきなんでしょう?
ガン無視されたままだと立場も糞もなくなるし、確か周瑜生存時は独立もしてなかったですよね?
その上でどのような瀬戸際外交が出来るのか、ちょっとあまり思い浮かばないんですが
擁立となると両者旨味はあるんだろうけど
- 73 :
- 荊州の豪族はほとんど劉備支持じゃなかったっけ
- 74 :
- いやでもこの時期の劉備孫権の関係がすっごい微妙じゃね?
共同体みたいな…
そこで劉備がこの策の中で何も出来なかったら靡くんじゃ
- 75 :
- 赤壁、南郡、荊南四郡の侵攻が形振り構わない共同作戦だったしね
- 76 :
- 周瑜のような家格も能力も主君以上な奴が四川のような拠るべき土地を持っておとなしくしているかね
韓信コースだろ
- 77 :
- つ孫瑜
- 78 :
- 周瑜が独立するって可能性はないっしょ
孫策の死直後の孫権への対応とか蒋乾に見せた忠、忠誠心溢れる遺書とか
でももし統一したとして韓信みたいな末路にはなりそうだなぁ…
- 79 :
- 周瑜は統一したら引退して毎日音楽を楽しんでそうなイメージがある
- 80 :
- 劉備脳神経 軍師
- 81 :
- >>70
50余歳にして子供ン十人も拵える劉備も魅力的
- 82 :
- >>79
トキと音楽を楽しむ感じか?
- 83 :
- 結論としては劉備の扱いさえ上手くいけば余裕のよっちゃんって感じ?
蜀攻略は上手くいきそうだけど、漢中はどうなんだろ?
- 84 :
- 漢中も南陽も南の勢力が影響力を持つ盆地らしい
- 85 :
- 漢中は呂岱が漢水遡って窺ってみたが
張魯に漢中への道を閉ざされて断念したような
周瑜なら呂岱よりもうまくいくのでは
- 86 :
- 益州の連中が劉備を引き入れたのは本拠地にしてくれるからであって
孫権の一地方扱いじゃ協力してくれないだろ
法正とかが敵として立ちはだかるわけで簡単にはいかない
- 87 :
- 法正は基本的に出世できそうな君主なら誰でもいいって立場だろ
- 88 :
- 蜀滅亡の混乱期に攻めかかったけど永安ひとつぬけなかった
土着豪族が協力的ならともかく、本気で抵抗したら周瑜がいようといまいと
簡単にはいかないだろ
- 89 :
- 呂岱は未開の山猿相手にしか威張れない小人物
周瑜より上とかありえない
- 90 :
- >>86-88
内応に傾いた「益州の連中」が、本拠地としてくれなければ内応はしないのだろうか?
張松と法正の会談からすると、「劉備に雄略あり」というのがその理由となってる。
確かに張松は曹操に冷遇されたのを恨み、法正も劉璋に用いられなかった。
この2人の不満点は第一に「劉璋の器量の無さ」と明記されていて、
第二に出世が思うようにいかないことは読み取れる。
しかしこれが孫権だと満たされないかというと、そうでもないように思える。
功労者として(劉璋政権よりは)尊重されるだろうことは疑いないし。
- 91 :
- もし呉が天下二分に成功していたら、孫権は南郡あたりに引っ越して来たんだろうな。
- 92 :
- 厳しいだろうな。
劉備は対張魯のための援軍だと騙して益州内部に入り込んだから上手くいったけど、
周瑜は正攻法で攻め込むわけだから永安あたりで阻まれてる間に、
曹操南下の報を受けて撤退といったところだろう。
- 93 :
- >>92
上にもあるが、張魯が北方からガンガン圧力かけてる時期なんで、
東方の永安方面にそんな大規模な備えは恐らく無いと思われる。
実際に援軍として東からきた張飛らはあっさり突破してるし。
とりあえずまだ短いんで、一通りスレを読んでみてくれると嬉しい。
- 94 :
- 長江流域を抑えてるから防備に専念さえすれば曹操が南下してもそう簡単には落ちないんじゃないの?
- 95 :
- 446 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:45:53
相変わらず蛆虫の巣窟だな、きもい
447 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:47:00
>>445
もりわかを弁護するお前も同罪
448 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:47:09
>>446
もりわか乙
449 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:47:57
>>445
盛岡県人乙
450 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:48:45
汚沢帝国キモイ
451 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:49:42
おれがもりわか?
まさしく脳味噌に蛆が沸いた奴の発想だな
452 名前: ◆0cm5bEPo3u.2 :2009/12/27(日) 22:50:10
小沢帝国なんてねーよボケ
あるのは希望王国いわてとかいうもっと恥ずかしい存在だ
453 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:51:12
汚沢帝国もりわか(笑)
454 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:51:30
>>451
もりわか帰れ
- 96 :
- 蜀滅亡時もろくに備えが無かった永安を突破出来なかったし難しいだろうな
- 97 :
- >>94
というか、曹操からみた敵対勢力としての孫劉勢力総体は、
史実上も仮定上も大差ないハズなので、いきなり危機に陥ることは考え難い。
史実ではない、大規模な南方遠征軍でも起こしそうなら別だけど。
- 98 :
- >>96
諸葛亮死後の話で、
呉側が巴丘の守兵を増員した際、即座に永安も増兵してこれに対抗するなど、
蜀の時代における東方意識・防衛態勢は、劉璋時代より遥かに高いと思われる。
- 99 :
- >漢中は呂岱が漢水遡って窺ってみたが
>張魯に漢中への道を閉ざされて断念したような
この辺のことが俺はよく分からない。
そもそも上庸のあたりは当時誰が領有していたのか?
張魯+申兄弟なのか?
呂岱が引き返したのは上庸の手前なんだろうか?
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55: 最近五胡十六国〜南北朝について調べてるんだけど面白いな (385)
56: 呉のスレ2 (767)
1: 【三戦板】 自治新党その252 【新秩序】 (229)
3: 昼夜逆転が治らない・・・ (112)
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