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2011年11月1期24: 1986〜88年の新日本プロレス (241) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼

1986〜88年の新日本プロレス


1 :11/08/21 〜 最終レス :11/11/14
UWF
世代闘争
飛龍革命

2 :
>>1
よ毎日涙目張り付き糞無職の 自演とルーターオンオフID変えキチガイの禿ジジィ

3 :
黒髪のロペスピエール、スーパーデンジャラスヒーロー前田日明

4 :
国技館使用禁止

5 :
猪木とシングルやった長州がリストカットして大流血。

6 :
ナウリーダーに武藤

7 :
コイントス長州vs藤波
巌流島猪木vsマサ
当時共に仲間チーム同士対決。

8 :
その特番のOPの音楽がカッコ良かったなあ

9 :
無人島かと思ったら仲間がいた思いです

10 :
名勝負数え歌
超中vs高田

11 :
黒人にムーンサルトボディプレスして勝った白人は???

12 :
人帝国建設の野望は打ち砕かねばならない!
その時、怒りの飛龍が!?

13 :
88ワールドプロレスリング

14 :
パステルカラーの街並みに
戦いの劫火が燃え盛る

15 :
俺の目標は何と言ってもアントニオ猪木!
猪木もう一度俺と闘え
死ぬまでやろう猪木
男だったら!

16 :
88年初頭までは藤原高田山崎安生がいたんだよな

17 :
87年IWGPシリーズより
高田伸彦 改め 高田延彦
88年スーパーファイトシリーズより
木村健吾 改め 木村健悟

18 :
>>16
藤原は残留して89年の春までいたよ

19 :
落日の闘魂は見たくない!

20 :
猪木戮包囲網

21 :
街は夜ごとのラプソディ♪

22 :
♪Trying 真夜中の吐息

23 :
>>21
チャゲアス
>>22
久保田

24 :
♪高州園 高州園
 高州園 高州園・・・

25 :
前田日明の全盛期ですね

26 :
>>11
1987年の春か夏。ムーンサルトボディプレスで勝利。

27 :
オーエン?

28 :
「610」

29 :
武藤、光る女に出演

30 :
3時間・篠崎

31 :
戦国合戦シリーズ

32 :
TPG

33 :
闘魂LIVE

34 :
マッドマックス来襲

35 :
青と赤の対戦テロップ

36 :
前田VSニールセン、前田VS藤波(大阪と両国)、前田VSアンドレ、
5対5イルミネーションマッチ 新日VSUWF(86年3月東京)
印象に残ってるのは、86年の前田絡みの試合ばっかり。
前田が、一番輝いてた時期だった。

37 :
金曜8時→月曜8時→火曜8時→月曜8時→土曜4時と短期間にめまぐるしく放送時間が変わったな
おまけに金曜8時をはずされてから潰れることが多くなったし

38 :
>>36
5対5イルミネーションマッチ!
ニューウエイブ・ダッシュの時のだね。
当時すげー楽しみだった。

39 :
>>38
当時としては斬新なルール、猪木と前田の直接対決、上田の参入、
個々に入場、スリリングな内容、上田が前田と心中、最後は猪木が二人斬り(健吾大喜び)
正当的な試合でないかもしれないけど俺の好きな試合だったな。

40 :
>>39
国際プロレスとでは違うシリアスさがあったもんね、団体による抗争。
この後、>>36にある前田vsアンドレの二日後に行われた坂口・山田を要した5vs5。
こっちも良かったなぁ。
藤波vs前田の大将戦から後の血染めの大阪城へと今でも興奮する。
しかし藤波はよく流血してたなぁ。

41 :
>>1
ちょうど観てなかった時期だw。
後に激しく後悔したが。

42 :
この頃の前田かっこよかった

43 :
長州Uターンを放送できなかったのが、惜しい。

44 :
86年2月の大阪、猪木、山田対高田、木戸もいい試合だった。
このシリーズから登場したUWF勢と猪木が初めて対決。
高田の打撃を捌いて、アキレス腱固め、張り手、ローキック、延髄斬りと
格の違いを見せ付けた。

45 :
86初頭と88暮れじゃ別団体のように違う

46 :
88年は猪木の欠場が多かった

47 :
86年のファンの期待を破るような対前田戦の回避
87年の相次ぐ暴動事件で猪木のカリスマが地に落ちた時期だったからね
狙ったのか偶然かわからんが、試合出場を減らすことでプレミア感を醸し出したことで
猪木の商品価値は引退まで持った

48 :
88年4月の足の骨折での欠場をきっかけに
この際悪いところは全部直そうという事で
目とか肘も手術したらしい
おかげで多少はよみがえった

49 :
>>48
それ雑誌だかTV放送で言ってたな
確か足の指 骨折だっけ?
そん時は信じてたけど 今考えるとタイトル争いから離れる ストーリーなんだろな
俺高3だった

50 :
アントンが参議院に出る前だね。レスラーとしてあと何年できるんだろうか
と思ったものだ。議員になってたまに出る時は何気に心配だった。

51 :
骨折から復帰したシリーズで長州に二日連続フォール負けしたんだよね

52 :
でも形だけとはいえ、猪木は選挙に出る前にちゃんと長州に負けてみせた
のはエラかったよね。両国でラリアット6連発くらって。
これは札幌でのピン負けとか藤波のドラゴンスープでのフォールとは
全然意味あいが違って、猪木から長州への「新日本エースの座」の
バトンタッチの儀式だった。
実はこれをちゃんとやったエースってそれまで居なかったんじゃないか?
力道山はやる前に死んだし(生きててもやらなかったろうがw)、
馬場はアクシデント的に天龍にピンされたり(しっかり星を返させてるが)
はしてるが、結局はジャンボに一度も負けてやらなかった。
国際プロのエース交代はなんかウヤムヤだったしなあ。

53 :
>>52
ブル中野くらいかな

54 :
牙を剥いたカムバック・サーモン

55 :
そのブル中野は
「私はジャガーさんにもデビルさんにもダンプさんにもクラッシュの二人にも
勝ってない。上がやめて行ったから自然にトップに立っただけ。これだと
なかなか自信を持てない」
 と言ってるね。実際、エースがその座を降りたり、移籍したり引退したり
するときは、次を託せる相手に負けるのが仁義だよね。
これをやらないレスラーがいかに多いか・・・・

56 :
>>26
元・体操選手???

57 :
そういえば最近、中東情勢のニュースを見ると藤原組長を思い出す
つーかなんでUWFのカフダフィ大佐だったんだ?

58 :
当時、アメリカとリビアが揉めてたからだよ

59 :
前田の新生U旗揚げは一年遅かったな。
新日本復帰→猪木のアゴ蹴り→6人タッグで藤波瞬→アンドレと問題試合
→IWGPで藤波と名勝負→猪木とタッグ対決で勝利
で、87年春に旗揚げすべきだった。実際は一年遅くて87年末の長州顔面蹴撃
事件で同情を集めたのもエネルギーにはなっただろうが、前田のレスラーとしての
コンディションを考えると、ね。あと87年は年末の事件以外では主役になれてなかった
し。

60 :
Uターンした新日でイライラしてる前田が一番格好良かった。
軍団抗争とは違う、プロレスに対する考え方の違いがぶつかるのも面白かった。
ファン以外には分かり難いせいか視聴率に結び付かなかったのが残念。

61 :
87年新日は激動の1年だったと思うが「GIVE UPまで待てない!」もその1つ。

62 :
>>60
そうなんだよね。興行成績は良かったんだが、視聴率は低迷しちゃったからね。
テレ朝としては、前田は?になっちゃたんだろうね。

63 :
>>60
やっぱり猪木がUとあまり絡まなかったから視聴率につながらなかったんじゃないか
あと興行成績って良かったか?
大会場の単発興行は客入ってたけど80年代後半は全体的には低迷してた

64 :
>>63
猪木の自伝で、UWF参戦は、興行的にはよかったようなことを書いてたよ。
それでも、82、83年あたりよりは、当然落ちるんだろうけどね。

65 :
TVだけ見る一般のファン的には面白くなかったんだろうな。
TV的にはマッドマックスの方が受けてたのかも。
ただ、雑誌を熱心に見るヲタにとっては、UWFは魅力だったよ。
もっとシングルで見たかったな。
武藤VS高田もやればよかったのに。

66 :
Uのリターンで視聴率が落ちたって言うけどさ
それでも13、4〜17、8%は取ってたんだぜ。その前の猪木×国際軍団(1対3)
とか藤波×長州、初代タイガー×小林邦とか(25.5%!)とかが凄すぎた
だけだよw 今のド深夜30分に比べたら夢のような数字だけど、当時はこれでも
「Uは視聴率に結びつかない」とか言われたんだよな〜

67 :
86年は3回ぐらいしか15%は超えてないよ
IWGPの猪木ー藤原、藤波ー前田
IWGP決勝
猪木ースピンクス、前田ーニールセンのときだけ
それでも2ケタは常にあったけどね

68 :
一番わかりやすかったのかな
当時のUはマニアックな感じで

69 :
http://www.youtube.com/watch?v=BDXvgsy1F74
http://www.youtube.com/watch?v=FJw6kdbqUEo

70 :
月曜移行は厳しかった
裏に時代劇とトップテンあったし

71 :
月曜ドラマランドもあったぞ!!

72 :
フジだったよね
そういえば結構観てたなあ

73 :
>>66
テレ朝としては、新日vsUWFで新日vs維新軍とかの再現を期待したんだろう。
個人的には、藤波vs前田は、両者の2月の両国での猪木vs藤原は、藤原にとっての
ベストバウトだと思ってるけどね。

74 :
>vs維新軍とかの再現を期待
前田に旗でも持ってきて入場して欲しいというのは
そういう含みだったんだろう

75 :
>>70
この年のトップテンはおニャン子効果で毎週視聴率は25%超えしてた。

76 :
>>70
番組自体特番でよく潰れてたしな

77 :
77GET!!

78 :
新日が前田潰しの為にニールセンにビデオ送りまくって、
前田には写真と資料しか渡さなかったとかって本当なのかな?
そのお陰で異種格闘技戦としてはいい試合になって、
新格闘王って呼ばれたんなら皮肉なもんだね。

79 :
>>78
あの時(前田×ニールセン戦 試合後)のマエダコールは本当に凄かったな。
それこそ猪木全盛期のイノキコール並だった。
なんかファン待望の「新カリスマ誕生!」という雰囲気だった。
なんていうかジュニア時代の藤波、初代タイガー、革命後の長州の人気も
凄かったんだが、この時からの前田人気はちょっと彼らの人気とは異質
な気がした。「猪木の次」が見つかった!的な興奮があった。実際、この日は
スピンクス戦で猪木が老醜をさらしただけに、余計にコントラストがくっきり
した。でも猪木ファンで前田を嫌いな奴ってあんまりいないと思うけど、どお?
自分たちが愛した英雄が老いていく中で、その英雄の若き日を思わせる新星が
登場し、かつての英雄を肯定して今の老雄を否定して闘争を挑む-----普遍的な
王座継承の儀式っぽさがあった。

80 :
>>79
前田には確かにカリスマという雰囲気があったな
日本のプロレス界でカリスマになり得たのは力道山、猪木、前田くらいだと思う
ただ思うに前年12月の「UWFで一年半やってきたことが〜」のマイクに始まって
2月の猪木vs藤原戦後のハイキック、4月のアンドレ戦、6月の藤波戦と
意外と新日側が大事に前田を育ててきた側面はあると思うんだ
(無論意図的な部分もあれば、意図しなかった部分もあるんだろうけど)
だから>>78さんが言ってるような「新日による前田潰し」って実際はなかったような気がするんだよね
前田自身も当時声高に言ってはいたが、
そこはソレ、アングル含みということもあっただろうし
まあ、前田のことだからその時は本気でそう思ってた可能性はないワケじゃないがw

81 :
前田「坂口さんならキック一発でKO出来る自信がある」
それを記者から聞いた坂口
坂口「アイツそんな事いったの?じゃあ前田に伝えておいてよ。
  春にアンドレとマードックが来るから覚悟しておけよと」

82 :
第二の前田(86'ver)登場に今でも期待している

83 :
長州は、この年(86年)の前田を見て、相当、危機感というか、焦っただろうね。
後輩の前田が、旧Uを経て成長し、猪木に取って代わって、古巣のエースに
なるかもしれないって、感じてたんじゃないのかな。

84 :
>>79
 入場シーンの前田コールも盛り上がってたね。
未知の外人との格闘技戦だったので、新日派もU派も気兼ねなしに前田の後押しをする雰囲気が出来上がっていた。

85 :
ただし
ニールセン戦直後に
「プロレスって言葉が嫌いな人この指とまれ」はいただけなかったな
あれで一辺に前田の事が嫌いになった
プロレスファンの金で飯食ってる人間が言っていい言葉じゃない

86 :
猪木、藤波、佐山タイガー、長州、前田、
この5人が歴代新日で大人気ベスト5だろう。

87 :
>>84
前田も良かったし、テーマ曲のキャプチュードがまた良かったよね。
颯爽としたトランペット(?)が当時の前田にハマってた。
楽曲自体も素晴らしかったと思う。

88 :
>>85
あれはター山がつけたコピーじゃなかったっけか

89 :
>>78>>79
確かに皮肉だね。
でもこの試合から時を経て、永田からこの試合を指摘されたのも皮肉だ。
『あんたの試合(対ニール)と俺の試合(対ヒョー)は全然意味合いが違うだろう』
まあ前田の方から噛み付いたんだから自業自得ではあるけどね。

90 :
ジャンル違うけど、この頃の前田ってなんか尾崎豊っぽかった。

91 :
前田VSニールセンと同日の猪木VSスピンクス、当時から酷評されているが、
改めて見ると意外に異種格闘技戦らしい緊張感のある試合でけっこう好きなんだがな。
やはり評判からの先入観で見ずに、自分の目で見て自分の感想を持つのがいいね。

92 :
その時は酷評でも後々に評価される試合もあるからね。
逆にその時は高評価でも後から見ると大したことなかったり。
でも30年前のアンドレ☓ハンセンは今でも凄いと思う。

93 :
タイガーマスクの試合だって、いまニコ動なんかで「こんな試合見てたら
そりゃプロレスファンになる」と若い世代がよく書いてるものね。
ただアンドレ-ハンセンはリーグ戦なんかの短い試合の方が、ガチっぽい
狂気のド突き合いになってることが多くて、田コロの試合はなんだか
客の反応を見て間を取ってる大味な感じがしてテレビで見たときは
(放映前日の試合なので、もう結果は新聞で報じられていた)期待して
いたほどじゃなくてちょっとがっかりした気分だったんだよね。
しかしその後ビデオで見直したら「やっぱりスゲエ」、ニコ動なんかで
改めて見てみるとこりゃとんでもねえと吃驚する日々。やっぱりいいわ。

94 :
>>90
世の中全体が「嘘っぽいものをこき下ろす」っていう中二病に
とりつかれていた時代だったからね。
たけしの「水戸黄門なんてあんなジジイが全国を回れるはずがない」
なんていう他愛のない話が凄いと言われていたり、笑いも作りこんだ
手間をかけたものよりアドリブやアクシデントでいいって言われる
ようになったり、マンガやドラマも「ウソ臭さ」を徹底的に馬鹿にする
そういう風潮があって、古いものは全部破壊しろ、っていうアメリカの
60年代みたいな時代だった。
そうやって古いものを壊してみたら、新しい時代なんか全然来なくて、
今まで自分たちが壊したもののがれきを慌ててあさって「何かないか」と
と慌てるようになるのが90年代だったんだけどね。ター山がいきなり
手のひらを返して馬場を絶賛し始めるのも、中二病のなれの果てみたいな
ありがちな顛末でしかなかったんだよな。

95 :
自分自身もまがい物だったあたりは尾崎と同じだな

96 :
猪木がアンドレからギブアップ勝ち
世界初の大偉業

97 :
87年4月のシリーズを以てマードックが全日本にUターンする話があったが、どこでポシャったんだろうか?

98 :
俺は前田=尾崎って結構好意的な気持ちで書いたんだけどなんか逆
の解釈の人が多いね(笑)。二人ともミュージシャン、格闘家としての
技量は決して高くはなかったけど、ひたむきさ、必死さ、不器用さが
凄く伝わってきた。まがいものかもしれないけど、二人とも応援して
くれる人の為に必死にまがいものを演じてたと思う。
1986年の前田日明は間違いなく格好よかった。

99 :
同感。ガチバカ厨が何を言おうが、86年の前田はプロレスラーとして
最高にカッコよく、カリスマ性で猪木の域に迫っていたな。
ただ87年になって長州が帰ってくると、ペースを狂わされてトーンダウン
してしまった。しかし人気そのものは凄くて、サマーナイトフィーバーの
ニューリーダー軍の入場時の歓声を聞いてみて。
前田入場時の大歓声とコールは、長州のそれと並ぶかやや上回るくらいの凄まじい
ものだった。完全に人気で藤波を引き離しているのが分かる。
当然、マシンだのキムケンだのは問題外の外。

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