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2011年11月2期40代65: そろそろ新撰組でも語ろうか (522) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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そろそろ新撰組でも語ろうか


1 :10/08/12 〜 最終レス :11/12/05


2 :
天誅

3 :
見回り

4 :
池田ヤーン

5 :
起きた掃除

6 :
めこするぜよ

7 :
隊長

8 :
ハウス食品新鮮組のスレがあるときいて。

9 :
近藤ムイサム

10 :
ドカとしぞう

11 :
組頭ではない訳

12 :
コンドーム  イサム

13 :
闇に隠れて生きる

14 :
土方 

15 :
壬生

16 :
オールスター新春かくし芸大会の演目

17 :
年末は赤穂浪士

18 :
夏はお岩さん?

19 :
東海道四谷怪談(歌舞伎)、初演(中村座)時は仮名手本忠臣蔵と一緒に
かかったようですよ。文政八年七月だったそうです。今の暦だと8〜9月ですね。

20 :
怪談落ち

21 :
日本にとってマイナスでしかなかった馬鹿集団

22 :
正式名称
京都守護職会津中将様御預・新撰組

23 :
剣客の職探しだったそうな

24 :
函館では土方さんはヒーローとして扱われてるけど
調べたら榎本さんと組んで新政府側と戦った軍人なんでしょ?
新政府側について榎本さんと戦ったわけじゃないんでしょ?
榎本さん側が勝ったら今頃は北海道は共和国なんだよね。
北海道民の感じているありがたみがよく分からなくなっちゃいました(/_;)
そこんとこ教えていただけます?
助けて賢い人

25 :
土方の写真は函館で撮影したらしいね

26 :
北海道開拓に負け組士族が投入されたから幕府贔屓が多いのさ。
松前やアイヌはどっちが勝ってもインディアン役には代わりないし。

27 :
>>24負け組シンパシーが強く、歴史的無知が
日本人に多いから、歴史作家がやりたい放題。
函館は新政府側で、幕府残党は函館を襲い
900の家屋を放火して、松前まで襲ってる。
新政府は数回に渡り、降伏を促したのに、幕府残党は拒絶。
何で土方やらが函館ヒーローなのか?
日本人は本当、歴史を知らないよな。
書店で気軽に買える作家の主観本しか読まないからだろうな。

28 :
隊服を作ったのは今の大丸デパート

29 :
その唇を、吸いますよ

30 :
<<25-28
アリガトウ。
いつぞやのドラマではよく覚えていないけど勝海舟さんに「死ぬからには蝦夷を守ってこい」
と頼まれて行ったとか・・・守るってなにからじゃ!?
先住民にとっては「倭人の内輪もめなら内地で終わらせてくればいいっしょ!」と思われても
しょーがない戦争だったかもしれないよね?
ちょっと北海道の歴史に触れたものでw
なかなかすっきりしなかったんだ

31 :
新撰組はふめつです

32 :
一番 ショート おきた

33 :
ばかばっかし

34 :
わさびは新鮮組

35 :
山上の新撰組

36 :
何するつもりで組んだんだ

37 :
治安を守る為

38 :
で、斬られますた。

39 :
安心せい
見値打ちじゃ

40 :
坊主になるか

41 :
きんどーちゃんのゴリラダンス

42 :
会津藩の飼い犬的存在のテロリスト

43 :
新撰組は、少人数を集団で襲ったり
寝込みを襲う卑怯者集団で誠も糞もない。
池田屋事件もでっちあげの斬り込み。
近藤派が芹沢派を襲ったのも寝込み。
寝てる奴の首を斬り落とし、女まで斬。
この内ゲバを処理したのが会津藩。
近藤派はお咎め無し。揉み消しだね。

44 :
悪・即・斬!

45 :
どん百姓からの成り上がりだから仕方ない

46 :
チッ

47 :
深浅愚民共こんぬつわ

48 :
新撰組局長近藤勇 新鮮な大根を突っ込みます
新撰組副局長土方歳三 もう無理〜 ひー裂けるー 

49 :
新撰組の中に妻帯した者がどれだけいたの
殆ど独男の集団でしょ、狂う筈だわ

50 :
『新撰組全隊士録』を見る限りでは妻帯者自体は意外に多いな。近藤勇、
伊東甲子太郎、新井只雄、山崎烝、三品一郎、中村玄道、篠原泰之進、原
田佐之助、永倉新八、島田魁、大石鍬次郎等々嫁さんどころか子供までい
る連中は幹部・平隊士問わず一定数いるな。愛人だけってやつも芹沢鴨、
土方歳三、斎藤一、山野八十八、田内知等々幹部から仮同志までいる。幹
部しか自宅を持てなかったって話はどこまで本当だか怪しい。
ただ、第二次長州征伐中に村田義雄という人物が友人の新撰組梁田三次郎
から聞いた話じゃ「何事か其実は雖不慥、必異変可有之、依て我党、此頃
は一人も他出不相叶」ってな状況が続いてたみたいで、池田屋事件のみな
らず、屯所に詰めっきりというようなことは日常茶飯事だったようだ。
しかも、屯所内は衆道騒ぎはともかくとして、ささいなことで流血騒ぎの
喧嘩しちゃうやつとか、柱に刀で切りつけたりして暴れてみたりするやつ
とか、相当物騒だったらしいから、気が狂っちまうやつがいても不思議じ
ゃない状況は確かにあったと思う。

51 :
>>1
おっつ!
新撰組は好きなんで嬉しいわ(^^)
又、語らしてもらうわ。

52 :
時代が狂ってたんで新撰組が狂ってたんじゃないけど
新撰組を単純に悪とするのは勘違いだよ

53 :
>>51
8月からスレ立ってるよ〜
新撰組が今もなお人気があるのは「幕末最後の武士達」というイメージ
があるんじゃないかな

54 :
武士に憧れた剣の好きだった百姓の息子達ってとこは好感が持てるよ

55 :
『ご用改めである!』

56 :
おお、最初頃は馬鹿げたレスが多かったのに何か感じいいじゃん

57 :
剣の達人は沖田と斎藤だったらしいね

58 :
元隊士阿部十郎は維新後に「史談会」(今でいえば戦争体験者の話を聞
く会みたいなもの)で近藤勇の門弟では沖田総司と斎藤一が強くて、彼
らよりさらに一段上だったのが永倉新八だと証言してるな。ただ、あく
まで近藤腹心に限っての話で、同時代の商人の記録には「武芸は伊東・
武田達者にして弟子持にこれある候儀」とあって伊東甲子太郎と武田観
柳斎が双璧を成していたとしている。不確かな情報だけど服部武雄なん
かは京都浪士中一番の腕前と評判だったとかいうし、谷三十郎なんかは
他の隊士は大したことなくて自分がいつも捕り物の先頭に立たされる、
なんて自称してるしw。
免許皆伝とか道場主だったなんて連中はごろごろいるから、隊士間の腕
前の優劣云々のナンセンスな議論はともかく、近藤勇以下幹部陣を中心
に猛者揃いだったのは確かだな。もっとも人物については「幹部以外は
ただ乱暴なものばかり」ってのが市中の評判で、人格については大概問
題ありだったようだが。

59 :
↑詳しいねー。
こういうマニアックな人、必ずいるよな。

60 :
子母澤ファンは、40代には少ないのですかね。
今日の新撰組人気は、結束信二ドラマの影響も大きいと思います。わたくしの母
なんか、はぐれ刑事を再放送含めて全話見てるのに島田順司を「沖田総司の人」
と呼びます。国民的テレビドラマだったんでしょうね。

61 :
証言は事実ではないからな。

62 :
ごもっとも。ただ新撰組の場合、本来基礎資料とす
べき同時代作成の「公務日誌」の類が残ってないか
ら、本来メインには成りえないはずの後年の証言や
記録に相当な割合で頼らないとどうにもならないっ
てな事情もあるにはあるし、慎重に精査しなければ
いけない度合いも高い。

63 :
新撰組は作家が美化してるだけ。
史実を知ったらファンなんかいなくなる。

64 :
そうか?
研究者タイプのファンは「史実」を材料に
未来現在過去を含めて現実的問題を考察す
るが、作品世界重視タイプのファンは「史
実」を材料に妄想する。「史実」を知るこ
と自体は殆どファンが着く離れるに影響し
ないと思うよ。「史料批判」じゃなく単な
る誹謗中傷して楽しんでるタイプの新撰組
ファンにしても、妄想のネタが増えて良い
んじゃね?

65 :
函館の方で歳さんが良く思われているのは
 幕府軍は食料を農民から貰ってた(奪ったという方がいいのかな)んだが
 土方さんは立ち去るときその人たちに自分のお金を預けたんだと。
 もとが百姓だから気持がよく分かったんじゃないか?
まぁなかには新撰組や旧幕府軍を嫌う人もいるだろうが
嫌いだから悪く言ったりするのは自分の視野を狭めるから良くないと思うぞ?
俺は長州も薩摩も土佐も、どれも良いとこも悪いとこもあると思う。
史実を知っても嫌いにはならないしむしろもっと好きになった。
長州からの見方も幕府からの見方もどっちもいいと思う。

66 :
司馬さんの小説はすべて読んだがなぜか最初が竜馬でなく燃えよ剣だった
そんな理由もあってか新撰組は好きだな
ちなみに新撰組ものの中では子母澤さんのが一番入り込めた

67 :
子母沢寛の「新撰組始末記」はもう別格だよね。
自身も言っているけど、あともう少し遅ければあれらの証言は得られなかった。
油小路や池田屋事件の件は何度読んでもゾクゾクします。

68 :
>>58
永倉>沖田>斎藤ってのがまぁ、定説化してるよな。
ただ免許とか目録に関しては剣歴詐称をしていた隊士は結構いただろうとも思う。
天然理心流の生え抜きで免許が現存しているのは近藤、源さんくらいか?
沖田は塾頭を務めていたことと永倉の証言から免許持ちだったと思われる。
他流派の出身で免許が現存しているのは誰だろう?

69 :
>>68
ホクシン一刀流の
総長山南・八番組長東堂平助は免許皆伝だったはず

70 :
>>69
藤堂は北辰一刀流目録。山南が北辰一刀流ってのは本当か微妙で、天然理心流と小野派一刀流の使い手であったのは記録から確認できる。

71 :
因みに山南が就いたという「総長」なるポストは現実には存在しない。
敢えて別称として使用するにしても副長ではなく局長に使うのが自然。

72 :
おおぉ〜
あったあった
会津観光史学のたまり場がww
ここも徹底監視だな

73 :
伊東菓子太郎は山波さんのポストだったっけ?

74 :
無職だから新撰組に入りたい

75 :
>>73
山南は終始「副長」の筆頭。伊東甲子太郎は「参謀」(厳密には慶応2年夏頃まで組頭、元治元年冬または慶応元年夏就任説は誤り)。
今のところ「参謀」の役割はよくわかってないけど、近藤・土方路線と微妙な距離をおく隊士の受け皿とか、
反幕勢力内偵プロジェクト(御稜衛士としての分隊もこの延長とする説あり)の主任とか考えられてるようだ。
新撰組の洋式軍隊化に反対していたようだから、作戦参謀としての役割は実質的に期待されてなかったと思う。

76 :
そろそろ新撰組でも語ろうか
いやプー!

77 :
新撰組が店に来た
店内見回りして ナンモ買ント 出て行った
あいつらは見回りだけ 
来るな!!

78 :
>>75
油小路事件に興味がある。
まあ伊東が新撰組に暗されるんだけど、何かお詳しいようなので
隠れたエピソードでもあれば教えて下さい。
その後、藤堂平助も切られるんだよね?

79 :
>>78
>>75です。油小路事件では藤堂平助・服部武雄・毛内有之助が斬られた。藤堂は真っ先に狙われ刀を抜くか抜かないかで斬られたという。
自分も新選組というか御陵衛士には興味があるので、分立の背景とか斎藤一が本当に間者だったのかとか何故斬られなければならなかったのかとか、色々考えてることはあるけど、それについて長々と正確に書くほどの能力も気力もないので。
隠れたエピソードに変えて、そういう点で十分満足できる好著を紹介しておくと、基本的な文献としては『新選組‐高台寺党』(市居浩一・新人物往来社)が最も適当。これを読めば通史・党員の履歴が詳細に把握できる。
史学的に補完するものとして『歴史のなかの新選組』(宮地正人・岩波書店)も外せないが、こちらはかなり専門的でいくらか学術論文を読んだ経験があって、かつ幕末維新期全体の予備知識をつけてないと難しい内容。
興味半分で読むにはきついが、学会レベルだと今やこれ読まずして新選組は語れない、らしいよ。
肩がこらず読めるのは『土方歳三』(相川司・扶桑社)で、ミステリ風に新鮮な視点を交えつつ書いてるし、率直に「へぇ〜」と思える話は一番多い。初心者には難しい原文の引用は極力避け、「わかりやすさ」を重視しているので安心して読める。
何れも変な偏見を交えることなく書かれている点が評価できるし、そこらへんのファンサイト眺めるよりかはよっぽど中身のある知識が得られるはずだよ。

80 :
>>79
うわっ、ご丁寧な解説ありがとう。
それにしても文才もあるし、お詳しいですねぇ。ちょっと、その本買って読んでみます。

81 :
>>79
お詳しい
ビジネス書ばかりで長いこと小説から離れいるけどまたいろいろ読みたくなってきた
『土方歳三』(相川司 さっそくアマゾンで注文させていただきました

82 :
新撰組だ、御用あらためである!
ぐはっ(喀血)
総司おめえ・・・
こんな感じ

83 :
実際には喀血するほど症状が進行していたころには
もう捕り物には出ていなかったようだがな。
当然だが・・・

84 :
昭和時代の回想になるが、
池田七三郎(新撰組最後の生き残り)の話では、慶応3年(1867)10‐11月くらいまで、
沖田は道場の稽古に顔を出していたらしい。翌12月に吐血するほど酷い状態になっている。
ま、どうやっても池田屋事件で吐血ってのは無理があるな。
翌年の健康診断で重病者は皆帰郷させられているし。
沖田がこの時点で吐血するほど重症化してたなら、当然その該当者に含まれているはず。
近藤勇が流派の後継者として見込んでたならなおさら。
池田屋で倒れたってのは夏バテらしい。血は吐かんでもゲロは吐いたかもしれん。

85 :
永倉の新選組顛末記にも「池田屋で吐血した」とは書かれていないしな。
ただ、なぜか時代劇では必ずといっていいほど池田屋で吐血する沖田・・・
このイメージを作ったのはシバリョー先生なのかね?

86 :
今、燃えよ剣を読み直したら池田屋で吐血してないな>沖田
大変申し訳ない・・・

87 :
新撰組好きな奴って
暴力至上主義の会津恨民族なんだろ?

88 :
>>87
その程度の低い煽り方は、あなた朝鮮民族の血が入ってますね
帰化するかご自慢の祖国にお帰り下さい
税金も納めない居候に、口を挟む権利等ありません

89 :
http://www.pink.ne.jp/~haiji/serene_bach/img/img372_hakuoki_05_1.JPG
テロリスト奇兵隊菅直人民主党政権(中国共産党日本支部)をきっちり取り締まろうぜ!
新世紀救世主伝説 会津 田母神俊雄閣下
http://www.youtube.com/watch?v=DFn2JXRO8N8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=DXw-94P9sDI&feature=related

90 :
川合?って居たよな?
会計の。
あいつは活躍したのか?

91 :
>>90
河合耆三郎は武芸に優れていたという話は聞かないが
池田屋で報奨金を得ているので胆力はあったのだろう。
もちろん経理マンとしての能力を主に買われていたのだろうが。
河合の死の真相は今のところ不明。公金横領説に関しては創作のにおいが強く
土方がハメた説は必要性が感じられない。
勘定方という立場上、金関係のトラブルの可能性が強いが・・・どうだろう。

92 :
>>90
すまん、答えになっていなかった。
武勇での活躍は池田屋ぐらいしかないが経理で活躍。
勘定方のトップは岸島芳太郎だったが
その下で有能なソロバン力を発揮したと思われ。

93 :
>>91-92
おお、サンクス。
大河ドラマ「新撰組!」では、確か武田観柳斎に内緒でお金を貸して、
土方にバレてしまい、条件を付けられ、のちに切腹を命じられる
結局、金が却って来なかった為、実家に工面するが、何やかんやで
送金が遅くなり、切腹…その後すぐに金が届くんだよな。
見ていて切なかったわ。

94 :
>>93
俺もそのシーン思い出した。
山南さんの切腹の場面と同じくらい可哀想だった

95 :
新撰組オタや会津観光史学に信憑性は皆無
単なる悪徳商法と同じようなもんだろ。
某地上の楽園と日本を行き来するゴキブリどもと変わらん。
証拠の資料を出して来たところで学会で相手にされる代物
じゃないだろうしむしろ捏造がばれてやばいんじゃねーの。
それにしても都合が悪いと「 はぁ? 」で済ますのねお前
さん。ボキャブラリー狭っ! キャパも狭っ!〜(笑い)

96 :
>>90>>91
ちょいとつけ足す。河合耆三郎は結成から三か月以内に入隊した古参隊士。
勘定方として活躍したことは諸々の史料から明らかだが、それも元治元年11月頃まで。
翌慶応元年6月頃には八番組平隊士に降格されていたことが「山崎烝取調日記」から確認できる。
勘定方は別名小荷駄方といって事実上の九番隊だが、その枠にも入っていない。
よって切腹時は単なる八番隊平隊士であった可能性が高い。
ドラマにもなった切腹事件の内容は信憑性が低い。少なくとも経理の不手際で切腹はありえない。
因みに切腹事件頃の勘定方幹部は原田左之助・岸島芳太郎・酒井兵庫であったことが「新選組金談一件」から判明している。
細かいようだが参考までに。
>>95
そもそも、学会では君のようにオタだ観光史学だと叩くことしか能がない人は相手にされないべ。
新撰組が学問の対象になって久しい現状でまだそのようなこと言ってるやつもいるんだな・・・。

97 :
はぁーお詳しい。
切腹当時平隊士だったということは、経理がらみではない、つまり司馬遼の小説をはじめ
数々の河合切腹にまつわるエピソードは創作だったということですか・・・。
勘定方が九番隊ということは実動部隊だったのでしょうか?
原田左之助が経理に携わるなんてどうもしっくりこないw

98 :
>>97
毎度、長い割には分かりづらい内容で恐縮です。
八番まである「番組(隊)」と同じ13人前後の人数=「実質的九番隊」と考えたわけです。通説的にそう解釈する人は少ないけどね。
「第二次行軍録」を参考にすれば、小荷駄(勘定)奉行―伍長―平士という構成だった模様。戦時は輜重兵部隊として機能している。
普段の経理事務は主に奉行・伍長の三人で処理していたみたいだ。それ以下は雑用と思われるが、時に奉行以下で見廻りに出たかも。
原田は一見物騒な変人だったが、頭と顔は良かったようなので、一筋縄ではいかない商人相手の交渉には向いていたのかもしれない。
>>92が言ってる通り、原田が七番組頭になった慶応2年秋以降の勘定方トップは岸島芳太郎で間違いない。
因みに「河合耆三郎=加納惣三郎(「血風録」じゃなく壬生の伝承の方)のモデル説」があり、或いは遊興費に困って辻斬りをした、
という類の罪科で処断されたのかも。あくまで推定だけど。

99 :
ご丁寧なレスありがとうございます。
> 一筋縄ではいかない商人相手の交渉には向いていたのかもしれない。
> 或いは遊興費に困って辻斬りをした、という類の罪科で処断されたのかも。あくまで推定だけど。

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