1read 100read
2011年11月2期14: 【大耳児】 劉備 【昭烈帝】 (992) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼

【大耳児】 劉備 【昭烈帝】


1 :07/01/19 〜 最終レス :11/11/20
 劉備(161 - 223年、在位221 - 223年)は、東漢末期から三国期にかけての武将で、蜀漢の建国者。西漢の
中山王劉勝の末裔を称し、字は玄徳、諡号は昭烈帝。
 三国演義においては、主人公格の待遇を与えられ、正義の君子として描かれている。

2 :
 劉備は自ら西漢の景帝の第8子、中山王劉勝(生年不詳 - 前113年)の末裔と主張していた。劉勝には、劉貞を初め、孫
も含めて120人以上の子を残しており、劉備の直接の祖とされる劉貞は、紀元前116年に涿郡涿県の列侯として爵位を賜
った。だが、紀元前112年の年始頃に、劉貞は皇族のみに課された漢朝への上納金を納めなかったために、叔父である武
帝の逆鱗に触れてしまい、侯の地位を取り上げられそのまま涿県に住居していたという。そのため、系図もそこで止まって
おり、劉備との系図の繋がりを確認することはできない。以降の劉備の家系は歴史研究学者の事実に基づいた検証の積
み重ねの成果と、まだ発掘されてない当時の記録書が発掘されることを期待するのみである。
 その一方で、当時の東漢では西漢以来の歴代皇帝の末裔に対して幅広い税の減免が認められていたため、一般の住
民が勝手に漢の皇帝の末裔の証しとも言える劉姓を名乗ることは重大な違法行為であり、もちろんそのような事を行なうこ
とは困難であったとされている。そのため、劉備の主張を単純に嘘と決めつける事はできない。
 また、中山王劉勝は色に耽った王として有名であり、子は50人以上もいたため、約300年後の当時には中山王の末裔
は中山国を初め、涿郡や常山郡などに拡がっていたと思われる。仮に劉備が中山王の末裔だとしても、あまり価値はなく
劉備同様に没落して庶民同様に零落した家は珍しくなかったと思われる。 逆に言えば、劉備が中山王の末裔だった可能性
も充分にあると言える。
 なお、『三国演義』では献帝の前で、劉貞から劉雄までの間の13代を読み上げられる場面が書かれているが、これはもち
ろん創作である。

3 :
最近三国志のスレが立ちすぎだと思う

4 :
何だかんだで狡猾な男だよね。
かなり「謀」も使っているし。
曹操ほど器用じゃないけど。

5 :
あちらこちらを転々とする疫病神だよな。
劉備を受け入れた勢力は、亡びへの道を歩み、
劉備はとっとと逃げるし。

6 :
それでも受けいられるのは凄いじゃないか。

7 :
( ゜Д゜)奪おー

8 :
>>6
多分、言葉では説明しにくい人間的な魅力があったんだと思う。
人物としての器があるとでも言うのかな。
結構、苦労しながらも付き従っている人が多いし。

9 :
正史で各人の劉備に対する評をまとめてみると結構面白いよ。

10 :
>>8
劉備と劉邦は似ているって言うしね。

11 :
劉備も、どうも劉邦を意識して行動していた節があるように思う。
高祖の再来と言われたかったんだろう。

12 :
たくさん負けたのも高祖を見習ってw

13 :
子供の時に塾で学んだりしたようだし、
豪族とまでは行かなくても、
全くの百姓というわけでもなかったみたいだな。

14 :
後援してくれる商人もいたらしい。
そういう点じゃ、やっぱり人間的な魅力があったんだろうね。

15 :
何だかんだでこの人、部下人材には恵まれているよ。

16 :
劉皇叔w

17 :
中山靖王劉勝ってすごい子沢山なんだし、その子孫と言うのが詐称なら、
劉備はいいところに目をつけたと言えるね。
ひょっとしたら劉備の先祖の代からの詐称の可能性もありそうだけど。

18 :
劉備個人の武勇はどんなものだろうね。
若い頃は、かなり勇ましかったのかな。
老いてからはあまり強い印象がないのだけど。

19 :
傭兵みたいなことやってたんでしょ。

20 :
「みたいな」事はやってないよ。

21 :
手は膝の下まで届く長さがあったって本当かなあ。

22 :
なわけない

23 :
>>11
見習ってるかなぁ?
劉邦の本紀と劉備の列伝見比べると、行動自体は似てない気がするんだが。

24 :
はっきりとしているのは、
劉邦 >>>>> 劉備
だな。

25 :
君主の器としては劉邦の方が上だが個人の能力としては劉備の方が上な印象がある

26 :
劉備に高祖のような数十万の総指揮を取れる能力があったかのかはわからない。

27 :
いやだから劉備は高祖ほど将の将としては優れてるわけじゃないけど
一部隊の将軍としては劉備の方が優れてるといいたいわけで

28 :
某三国志漫画の○天○路では劉氏なのは形だけで
タテマエがあれば漢朝復活できる〜とかいってだが?

29 :
野に育った奴と、学問しちゃった奴の差かもな。

30 :
劉備って一部隊の将としては実際そんなに弱くないんだよな。
負けた時の相手が馬鹿みたいに強い奴ばっかりだったわけで、
特に旗揚げ時代の傭兵部隊の隊長やってたころなんか、
腕っ節と指揮能力で頭角を現したようにも見える。

31 :
何を今更

32 :
たしかに。今は21世紀だからな
ならこのスレいらないじゃん

33 :
歴史は繰り返すのさ

34 :
諸葛亮先生が加わるまで領土拡大とは無縁だったな

35 :
関羽や張飛・趙雲なんかが「この人こそ主君!」と思った理由はよく分からん。
後世の俺らから見れば、負けるほど出世する愉快な男だったり
筵売りから天下を獲っちゃったり、最後はちょっとしょんぼりだったり
なかなか面白い人物だけどさ、共に生きてる彼らには先のことなんか分からないわけで
一体何を思って劉備に就こうと決めたんだ?
それほど見栄えが良かったわけでもなさそうだし、「劉」姓もそれほど効力があったわけではなさそうだし。
なんかオーラでも出てたのか?

36 :
人間的魅力が有り余るほどあった、というのはくどいほど正史に描かれてる
しまいにゃ曹操まで騙されてるんだからこれがよほどのものと気づけ

37 :
すまん、正史は読んでないんだ。
そこそこの魅力だったら長い放浪生活の間に見捨てられたりしそうなものだが
いくら負けても逃げても皆ついてきてくれるあたり、本当によっぽどのものだったんだろうな。
やっぱり全然具体的な想像はつかないけど。

38 :
劉備が人を食った話
劉備が感動した美談であるとされているが、出典がわからん。
なんか、いつもこの疑問を出してもさらっと流される。
他にも食人にはこんな例があるよ、っていうのを求めてるわけじゃないんだが。
「劉備が感動」の部分と「美談」の部分の出典がほしい。

39 :
蜀漢の成都って、城市としてはどれぐらいの規模だったんだろう。
地方政権とは言え、一応都城だしね。

40 :
>>38
何が聞きたいのかよく分からないけど出典は演義の19回、
劉備が感動したのは劉安が妻をしてまで自分をもてなそうとしたことでしょ
現代の日本人にとっては酷い話だが

41 :
>>40
該当部分をちくまから持ってくると、
>劉備は仰天してわけを聞き、はじめて昨晩食べたのが、劉安の妻の肉であったことを知り、
>胸つぶれる思いで、ハラハラと涙を流しながら馬に乗った。
これを読んでも劉備が感動してるようには思えない。
なぜこれが美談とされていると思われているかというと、この部分の
>玄コ不勝傷感
という表現を、日本で小説にする時に、
>玄徳は感傷してやまなかった
と書いてしまったのが原因だろうと思う。この後に鉢の木をもってきてることからも、
感傷=感動と解して、美談だとしてるんだろう。
しかし、もしかしたら美談の出典は他にあるのかもしれないと思った。

42 :
>35
関羽張飛よりも腕っ節が強かったりして。

43 :
劉備ってこんなヤツ
劉元起 「一門の人間の中で並みの子供ではないからだ」(先主伝)
麋竺 「劉備でなければ徐州を治めることが出来ない」(先主伝)
袁紹 「劉備は度量が広く立派な信義のある人物だ。劉備が徐州を治めることは私の希望に沿ったものでもある」(先主伝注)
呂布配下諸将 「劉備はしばしば態度を変えるしてなづけるのは不可能。始末するべき」(先主伝注)
程c・郭嘉 「ずば抜けた才能を持ち人心もつかんでる。最後まで人の下にいる人物ではない。始末するにしくはない」(武帝紀、程c伝、郭嘉伝注)
呂布 「この男が一番信用できんぞ」(呂布伝)*
曹操 「今、天下に英雄と言えるのは君と余だ。袁紹などは問題にならん」(先主伝)
程c・郭嘉 「劉備を自由にしてはいけない」(武帝紀、程c伝、郭嘉伝注)
董昭 「劉備は勇敢にして大きな野望を持ち関張がその羽翼となっているので信頼してはいけない」(董昭伝)
曹操・郭嘉 「劉備は人傑であり今攻撃しないと後の災いとなろう。袁紹は機を見るに敏でなく行動を起こさないだろう」(武帝紀、郭嘉伝注)
張遼他 「北方討伐の隙を突き劉表に説いて許を襲撃するに違いない」(武帝紀、張遼伝注)
傅巽 「劉備では曹操に対抗できない。仮に対抗できるとしたらいつまでも劉jの下位にはいないだろう」(劉表伝)
程c 「劉備は英名があり関張の武は万人に相当する。孫権は彼らと協力し我らに抵抗するだろう。それはやがて分裂するだろうが、その時にはもう劉備をすことは出来ないであろう」(程c伝)
曹操 「劉備はわしと同等だが、計略を考え付くのが少し遅い」(武帝期注)
劉巴 「劉備は英雄で受け入れれば必ず害をなすので断るべき」(劉巴伝)
黄権 「劉備は勇名を馳せており、部下として遇することは出来ず、賓客として扱えば二君を認める形になる。国境を閉鎖して入国させてはならない」(黄権伝)
劉巴 「劉備に張魯を討たせることは虎を野に放つのと同じことだ」(劉巴伝)
趙戩 「用兵は稚拙で逃走にあけくれてる。一方、蜀は小国と言えど堅固な地である。併合は不可能だろう」(先主伝注)
傅幹 「劉備は度量があり部下に力をふりしぼらせる事が出来る。また政治・戦略に優れた諸葛亮が大臣となり、勇敢で万人を相手に出来る関張が将軍となっている。成功しないことがあろうか?」(先主伝注)
張魯 「曹操の奴隷となっても劉備の上客にはならん」(文帝紀注)
劉曄 「劉備は人傑で度量もあるが行動は遅い。今蜀を手に入れたばかりでまだ治まってないので今これに付けこんで押しつぶすべき。さもないと政の諸葛亮、武の関張らを用い要害を利用して防備し再び犯すことは不可能となろう」(劉曄伝)
曹操 「玄徳がこのような策を考えつくわけがない。誰かの入れ知恵に違いない」(法正伝)
龐徳 「劉備は小物に過ぎない。わしは国家の鬼となっても、賊の将にはならん」(龐徳伝)
賈詡 「劉備は優れた才略を有し群臣にこれに匹敵するものがいない」(賈ク伝)
劉曄 「劉備と関羽の関係は道義では君臣だが恩愛では父子。小国といえども必ず報復の軍を起こすだろう」(劉曄伝)
曹丕 「劉備は戦争を理解していない」(文帝紀)
陳登 「傑出した雄姿を持ち王覇の才略を備えている点で劉玄徳を尊敬している」(陳矯伝)
裴潜 「中原にいれば乱を齎すことは出来るが太平を招くことは出来ない。しかし要害の地を占めれば一方面のあるじとなるだけの器量はある」(裴潜伝)
彭羕 「劉備は老いぼれて話にならん」(彭羕伝)*
(*付きは悔し紛れの罵詈雑言なので除外してもいいかな?)

44 :
こうして見るとほんとに劉備って不思議な人物だね
三国志で一番得体の知れない人物だな

45 :
呂布と愉快な手下たちはそろって「こいつ信用できないよ」って思ってるのか。
お前に言われたくないよバーカバーカw
現代日本で抱かれているイメージだと
>傅幹 「劉備は度量があり部下に力をふりしぼらせる事が出来る。
ここらへんが一番近そうかな?

46 :
>>43これは稀に見る良レス
すばらしい
高祖、光武帝のDNAが含まれてると信じてしまうな。

47 :
もしかしたら高祖の血は引いているかもしれないけど、光武帝の血は引いてないよ

48 :
そうだった!

49 :
むしろ、程cとか予言者かと思ってしまう。

50 :
この大耳野郎が一番信用できねェ! by呂布

51 :
呂布配下に「しばしば態度を変える」なんてそこまで言われるって、
その頃の劉備にそんな前例あったっけか?

52 :
>>51]
公孫サン→田楷→陶謙→徐州牧→親曹操派
これくらいかなあ?世渡り上手。

53 :
袁術派だった徐州を問題起こさず袁紹派にするというアクロバチックな真似してるしなぁ
これ全然目立たないけど当時の中原のパワーバランスを一気に塗り替えてるよ

54 :
徐州が袁術派ってソースは何なの?

55 :
確かに陶謙は袁術寄りか、と言われると微妙だね。
公孫サンあたりは袁術寄りらしいけど。

56 :
最初に袁紹派袁術派とか言い出したのは誰なんだろうな?
ある場面を切り取ればそう見えなくもない一面もあるが、ほとんどはその場の都合でころころ変わってるのに。

57 :
その「都合」ってのが袁紹袁術を軸にしてるからじゃないの?

58 :
>>57
実はあまりしてない。
敵の敵は味方程度。

59 :
結局は、みんな自己利益中心に動いていて、
有利に見える方についていただけじゃないの。

60 :
こうしてみると
劉備恐ろしい子

61 :
しかし
糜竺が今一よくわからないんだよな
当時金持ちだったのに全財産を劉備に与え
妹を与え劉備が逃げるとき付いてきて
曹操に誘われても断ってるし
あまつさえ弟が裏切ったとき自分を縛り付けて宮廷に現れてるのだから
この男は劉備をどんなふうに思っていたのだろう

62 :
金持ちだけど器用貧乏な自分が余り好きではなく、
劉備みたいな抜けてる非常人に必要とされることで充足感を得て、
彼の天下取りに自分の人生を委託してる感がある。
高祖之風ってヤツかなあ。
大物ぶることが大物の証なんだろう。

63 :
乱世にあって皇帝にまでのしあがり、曹操も一目おいたほどの器量人。
高祖の風とか持ち出すまでもなく、その程度の力はあっても何も不思議はないんじゃないか

64 :
>>60
うん、本当に恐ろしい子だ。
普通なら死んでそうな状況を、なんだかんだでしぶとく生き残っている。

65 :
劉備の最大の英雄的行動は徐州の大虐に寡兵で抵抗したことだろう。
徐州の豪商だった麋竺が私財を投げ打つほど惚れ込んだのは分からなくもない。

66 :
人と時勢を見る目はたいしたもの

67 :
age

68 :
>>43
演義の劉備だけでなく、正史の劉備も知りたくなった。
今までなかなか手が出せなかったが正史を読んでみるわ。
このスレに感謝

69 :
正史の劉備ってかなり乱暴なことやってるんだよね。
例えば演技では督郵を殴りつけるのは張飛だけど実際
には劉備がやっている。『蒼天航路』の劉備はおおよそ
史実を元に作ってると思う。

70 :
>>69
蒼天の劉備は軍事弱すぎるし士大夫らしくもないから史実とまるで別物

71 :
こうして見ると、曹操と比べても遜色ない面白い人物だ。

72 :
>>69
蒼天劉備は何故か農民出身にされてるから全然話にならない

73 :
歴史にIFはタブーだけど劉備が漢中王になったあと関羽死なずに荊州も失わないで曹操どドンパチやってくれてればなぁ

74 :
>>73
確かに万全の状態の劉備と曹操で合戦をして貰いたかったな
もし関羽以外に荊州を守らせるとしたら誰が良かったんだろうか
あの時点での劉備陣営で一州任せられる将軍って他に誰か居たんだろうかね

75 :
張飛
魏延

76 :
どっちも一州レベルは難しいと思うが
関羽の他にはいないんじゃないかと思う

77 :
こいつ現代に女として生まれ変わってたら「魔性の女」なんじゃね

78 :
劉備ちゃん……むうう……

79 :
荊州出身といわれる魏延を荊州においたら、叛乱しろというようなもんだろw

80 :
劉備が生きてる限り、魏延さんが裏切るわけなかろう……

81 :
たしかに魏延さんは裏切らないけど、あれは魏延とは別の人だからさw

82 :
>>77
どの時代に生まれてても魔性の女だ。
日本の戦国時代に、女として生まれ変わるトンデモ漫画とか面白いかもしれん。
劉備としての記憶を持ったままあっちの君主、こっちの君主にフラフラしてみる。
信長に対してはお約束として「こいつ曹操に似てる」と思わせたり
謙信に対しては「確かに強いけど、こいつが天下統一したら民は暮らしにくいだろうな」と思わせたり。
それなんて無双オロチ?

83 :
>>43
> 麋竺 「劉備でなければ徐州を治めることが出来ない」(先主伝)
ごめん。これ病床にある陶謙が麋竺に向かって言った言葉だった。

84 :
高祖の風あり

85 :
毛だし

86 :
何か劉備が女とかいう設定の歌舞伎か何かやってなかった?

87 :
遺言からして只者ではないわな

88 :
仁義なき戦いの山守義雄が劉備のイメージ

89 :
有るためだ

90 :
>>87
なんだっけ?
劉禅が糞だったら孔明が後をつげだったっけ

91 :
曹操にとって最大の敵は袁紹で最悪の敵は劉備だな
あんなに高く評価してたのに徐州ごと裏切ったり赤壁で孫権を焚き付けるのに間接的に一役買ったり
夏候淵はしたり関羽を使って曹操に遷都を考えさせるほど脅かしたり曹操にとって最大の不幸は劉備と同じ時代に生まれた事かもしれない

92 :
>>91
まあ逆に劉備にも同じことが言えるわね
「劉備≒モーツァルトの天才に嫉妬する秀才のサリエリ」ってどっかで見たことある

93 :
>>91
劉備が曹操と戦い続けたのは、曹操の度量が自分を受け入れないと思ったから、
と陳寿は書いている。まさに孫権辺りとは次元が違う両雄並び立たず状態だったわけだ

94 :
>>91
劉備は、劉邦なんて雑魚に執着していなければ天下を取っていたのに。
漢王室を保護している人間に対しての謀反なわけだから。
劉備は逆賊。

95 :
>>94
今だからこそ劉備は忠臣なんて評価だけど当時の知識人や民衆の大多数はそう思ってたのかもな
そう思わなかった少数の奴やもしかしたら的に賭けた奴が劉備に仕えたんだろ
あと中国は出身閥が大きいから益州組は魏じゃ出世見込めないからほとんど劉備の下に入ったんだと思う

96 :
劉備は現在の北京近くで生まれ育ち、各地を流浪して最後は白帝城で亡くなるわけだが
彼が生涯で移動した距離はもの凄いと思う。
当然のことだけど体は丈夫だったんだね。

97 :
三国志・蜀将討議スレッド17
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1180445040/

98 :
漢高祖と比べたら劉備の移動した距離なんて大したもんじゃないな。
曹操と比べてもかなり少ない距離じゃないのかな?

99 :
とんでもない妄想なんだけど、
劉備たちって実はホモなんじゃないか?

100read 1read
1read 100read
TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼