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2011年11月2期7: 錦馬超を語るスレ 8代目 (416)
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錦馬超を語るスレ 8代目
- 1 :07/02/09 〜 最終レス :11/11/20
- 馬超を語るスレ8代目です
過去スレ
初代スレ【馬超ってどうよ?】
http://hobby.2ch.net/warhis/kako/1004/10042/1004216451.html
二代目スレ【続・馬超ってどうよ?】
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1043328418/
三代目スレ【錦馬超を語るスレ】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1079106831/
錦馬超を語るスレ・4代目
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108568480/
錦馬超を語るスレ 5代目
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1117464813/
錦馬超を語るスレ 6代目
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1142678946/
錦馬超を語るスレ 7代目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1155809273/
- 2 :
- 従兄弟スレ
馬岱の計り知れない魅力に萌えろ!!!その五
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1159715974/
- 3 :
- 8代目乙!!!
- 4 :
- こっちに移ったか。乙!
- 5 :
- 心機一転乙
- 6 :
- 前スレ埋まってたし、ちょうどよかったかな。
つか中英板でいいのか??
最近の三戦事情はさっぱりわからん…
- 7 :
- あんまり良くないな……>中英板
- 8 :
- 馬援も一緒に語るというのはどうだろうかw
- 9 :
- まあ一応ご先祖だしね
- 10 :
- 馬通も語れば
- 11 :
- ずっと先祖をたどっていけば馬服君趙奢まで行き着くね
- 12 :
- 馬岱スレと離れてしまったな
- 13 :
- いきなり過疎だなあ…
- 14 :
- ここに立ってたのか
- 15 :
- そうなんです
- 16 :
- 三国志演義でもいつの間にか死んでたからな・・・
影が薄い。
対曹操戦で一瞬パッと輝いて消えていったという感じがしないでもない。
- 17 :
- 吉川三国志の「彗星」という表現が好きだ
- 18 :
- age
- 19 :
- ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%B6%85
馬超(176年 - 222年)は、中国三国時代の蜀漢の武将。字は孟起(もうき)。諡は威侯。扶風郡茂陵県
の人。
後漢の名将馬援の子孫。祖父は馬平(子碩)。父は馬騰。子は馬秋・馬承。娘は安平王劉理の妻となっ
ている。弟に馬休、馬鉄、従兄弟に馬岱がいる。馬騰は羌族との混血であり、この血を引いている馬超も
漢王朝の支配を受けない民族からの信望が厚かった。
『三国演義』では、その雄姿から「錦馬超」として称えられ、五虎大将軍の一人に選ばれたとされている。
経歴
若い頃から勇名をうたわれており、202年、司隷校尉鍾繇の要請を受け、部下の龐徳とともに、一万の兵
を率いて平康の郭援と高幹を討伐した。その際、足に矢を受け負傷したが、その足を袋に包んで尚戦い続
けたという。詔勅によって徐州刺史となり、後に諌議大夫に任命された。馬騰が入朝すると、偏将軍・都亭
侯に任命され、父親の軍勢を引き継いだ。
- 20 :
- 211年、馬超は時の朝廷の権力者曹操と敵対し、韓遂、楊秋、成宜、侯選、程銀、李堪、張横、梁興、馬
玩らあわせて十部隊らと共に兵を挙げ、十万の軍勢を率いて黄河、潼水の地に布陣した。このとき、蘭田
の少将劉雄鳴が馬超に従わず、彼に撃破されて曹操のもとへ逃亡している。曹操もまた夏侯淵・曹仁らを
率いて潼関にて馬超らと対峙した。緒戦、曹操が黄河の渡河を試みると、馬超は精鋭を率いて船団に猛攻
をかけ、曹操の軍勢は混乱し、曹操自身も命を落としかけるほどであった。その後も激しい攻防が続いたが、
途中、馬超・韓遂と曹操の間に会談が設けられた。馬超は己の武勇を頼みに会談の場で曹操を捕らえよう
としたが、護衛の許褚がいたため実行できなかった。最後は曹操の臣の賈詡の離間の策により韓遂と不和
になり、曹操に攻撃されて大敗北を喫し、西方の羌族の地に逃れた。この戦役の後、馬超の挙兵の責任を
問われ、父の馬騰と一族二百人あまりが皆しにあっている。曹操が引き上げようとしたとき、部下の楊阜
が、「馬超は韓信・黥布のような武勇を持ち、羌族に心服されているので、警戒を怠ってはなりませぬ」と進
言し、曹操ももっともだと答えたが、軍が既に引き上げを開始してしまっていたのでこの言を取り上げなかった。
212年、羌族の兵を集めて再び曹操軍を攻め、涼州刺史の韋康を害、冀城を根城にし、同州の他の城を
味方につけてみずから軍事総督と称した。さらに救援にやってきた夏侯淵を撃破し、氐族の千万・阿貴らを
味方につけてその勢力を盛り返す。しかし、韋康の復讐の為に挙兵した楊阜らの抵抗により冀城を奪われ、
漢中の張魯を頼って落ち延びていった。その後張魯に兵を借り、失地回復を試みたが、韋康の旧臣、趙昂
とその妻王異の抵抗に遭い勝利は得られなかった。また、張魯配下の楊白らに非難されるなど、張魯陣営
での立場も悪化した。そのため、214年、益州の劉璋を攻めていた劉備を頼って行った。劉備は馬超の来降
を聞くと、「私は益州を手に入れたぞ」と言って喜び、すぐさま督郵の 李恢を使者として迎えにやった。馬超
が劉備に帰順したという噂に恐れをなした劉璋は程なく降伏し、蜀は劉備の手中に入った。このとき馬超は、
平西将軍に任じられた。
- 21 :
- その後は、彭 羕の劉備に対する讒言と謀反の意を上表したり、漢中攻略に従軍しているものの目だった
功績はあげていない。
劉備が漢中王になると左将軍・仮節に昇進し、 221年には驃騎将軍・涼州牧になるが、翌222年、47歳で
亡くなり、子の馬承が後を嗣いだ。馬秋は張魯の元に残してきたが、張魯が曹操に降伏すると曹操は改め
て張魯に引き渡し、張魯は馬秋をした。また没する間際、馬超は「臣の一門宗族二百人余りは、孟徳め
にあらかた誅されてしまい、ただ従弟馬岱だけが残りました。途絶えんとしている宗家の祭祀を継承させ
てください。深く陛下にお託しいたし、もう申し上げることはございません」とも上疏している。
260年、威侯の諡号を送られた。
逸話
『三国志』の彼の伝に引かれる『山陽公載記』では、馬超は劉備からの待遇が厚いのをいいことに常々
劉備を字を呼び捨てにしたため、関羽と張飛が怒り馬超をそうとしたという一文がある。しかし関羽は
当時荊州の守りについており、益州に行った事は無い。よって馬超と関羽が共に劉備の傍にいた事実は
考えられない。正史に対して注釈を入れた裴松之も本件については否定している。
- 22 :
- 三国演義
『三国演義』では、初登場は長安を占拠した李カク一派と馬騰・韓遂が戦ったときである。弱冠17歳で
敵将の李蒙、王方を討ち取る活躍を見せたが、父の馬騰が敗れたため敗退している。演義においては
馬騰は曹操と対立する涼州の一勢力として描かれているため、高幹との戦いの際のエピソードは演義
においては採用されていない。
馬騰が曹操暗計画に加担していた為、後に謀略によって一族のほとんどを曹操に謀されてしまう。
涼州に留まっていたため難を逃れた馬超は、唯一生き残った従弟の馬岱と共に、復讐の為に兵を起こ
したとなっている。挙兵と一族の害の前後が演義においては正史と逆転している。
復讐戦で馬超は韓遂と連合軍を起こしたが、賈詡の離間の計によりで韓遂と決裂する。韓遂は曹操
軍に寝返り、馬超は敗走し、その後も挙兵するが敗れ、妻など残った一族をほぼ皆しにされる。
漢中の張魯の元に身を寄せて、劉璋への援軍として劉備軍と戦い、張飛と一騎打ちをしているが、こ
れは演義の創作である。この時に馬超は孔明の策によって、玄徳軍に降り、劉璋を脅し、劉璋は援軍
が来ない事を悟り、降伏したと記してある。
その後、馬超は五虎大将軍に任じられているが、蜀に身を寄せてからの馬超は精彩を欠き、西涼の
錦と言われた力は発揮出来なかった。
他に、劉禅即位後に魏の司馬懿の進言で曹丕が五つの道を使い蜀を攻めようとしたとき、その一つ、
北から攻めるはずだった羌族は守備する馬超を恐れ、攻め込まなかったという話があり、史実より延命
したことになっている。北伐の際、諸葛亮が馬超の墓を訪れる場面があることから、演義においてはこ
のときまでに(南蛮征伐の時期?)死去した設定と思われる。
- 23 :
- 乙
- 24 :
- 誰もいないのかな…(・ω・`)
- 25 :
- >>24
三戦板にいるよ。
- 26 :
- >>25
ありがとう!(´∀⊂
よかった…今から行くぞ(`・ω・´)
- 27 :
- こっちのスレはどうなるんだろうか
- 28 :
- 向こうも過疎っとる
- 29 :
- 過疎らない話題がゲームしか無いというのがな(´・ω・`)
- 30 :
- 成宜!成宜!
- 31 :
- 馬超は混血だったから羌族からの信望が厚かったと言うけれど、
やっぱり血筋は、無条件の信頼につながるものなのだろうか?
- 32 :
- ヒント 袁兄弟
- 33 :
- 血筋の意味が違うだろ
例えば今後日本が中国に侵略されたとしてその統治者が100%漢民族よりは日本人とのクオーターのほうが少しは親近感わくだろ
というお話
- 34 :
- ttp://www.youtube.com/watch?v=LhjbazNuqvs&mode=related&search=
馬超Pé〜馬超Pé〜馬超Pééé ♪
- 35 :
- 岱は何処?
- 36 :
- むむむ‥‥‥
- 37 :
- 何がむむむ・・・だ
- 38 :
- 馬超Péかわええ
- 39 :
- 保守
- 40 :
- 左将軍・仮節か。関羽が気にするのも無理はないな。
- 41 :
- 三国志・蜀将討議スレッド17
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1180445040/
- 42 :
- 馬超好きやねん
- 43 :
- 蒼天航路32巻あたりの馬超の漢中戦での活躍ってほとんど創作?
- 44 :
- 演義じゃね? 路招や強端も斬ってるし
- 45 :
- 蒼天は潼関で女性読者率が跳ね上がったらしいからなぁ
- 46 :
- み みんな
みんなされた・・・
父上っ
休!
鉄!
おおおお
オオオオオ
- 47 :
- 馬岱「(´・ω・`)」
- 48 :
- 馬岱って族弟だろ? そんなに血縁濃くないんじゃないか。
とにかく何で彼だけ生き残れたのかも謎だな。
都に出仕せずに馬超と行動を共にしていたってだけか?
- 49 :
- 生き残れた事そのものより、なんで馬岱が都に行かなかったのかが気になる。
- 50 :
- 馬岱は馬超のお目付け役なのか、
それとも馬岱は素行が悪すぎて都に行かせるわけにはいかないとか
あるいは馬岱は西域の異民族の部族長と関連が強すぎて涼州から離れるわけにはいかなかったとか
- 51 :
- >>50
素行とかさすがには関係無さそうだし、
最後一行の理由だったら、蜀の北伐時にもっと重用されてそうなんだぜ?
一軍の将兵として組織に組み込まれてたとか、そんな感じなのかな。
軍事に携わらない身内=馬騰と共に都へ
軍事に携わってる身内=馬超の傘下となって槐里に残る
漢中から劉備に降る際、重臣ホウ悳や、妾子供は置いていってるのに
馬岱だけは連れていってるっぽいあたり、
(妾や子供は、距離的に連れてくの無理ってのもありそうだけど)
それなりに親族としての仲は良好だったのかも。
- 52 :
- ホウ悳が魏にいなかったら関羽の強襲ももう少し上手くいってたかな
個人的にはホウ悳嫌いなんだけど。
- 53 :
- 関羽の強襲失敗は、魏側の配属武将が一人二人違うだけで
どうにかなる事柄じゃないような気がする。
関羽統括下の内部不和と呉側の動きの問題で、
ホウ悳がいようがいまいが、対局面での大きな影響は無いというか…
いや、ホウ悳好きだけど
- 54 :
- 馬超って行政官の経験ある?
- 55 :
- >行政官の経験
徐州刺史の経験が数年と、
地方行政官に近い経験として、馬騰入朝後の独立軍閥の維持が数年と
入蜀後の臨沮の監督(「督臨沮」とあるだけで役職不明)が数年て所かな。
馬騰の下に居る間も、三輔〜涼州の住民慰撫や外交的な仕事はしてるだろうけど、
そこらへんは想像に拠る所が大きいのでなんとも言えない。
入蜀後は行政に関わってた涼州牧は予約っつーか仮手形みたいなものだろうし
経歴ではあっても「経験」では無いので除外。
- 56 :
- ほしゅ
- 57 :
- 馬超に付き従っていながら関羽と対峙した時は偉そうにしていたホウ徳よりも
保身のために積極的に曹操に取り入った閻行のが
好感が持てるんだよね。同じように感じる人はいない?
- 58 :
- 韓遂の所業を見ると、閻行が曹操になびく気持ちは分かる。
でもホウ徳はなあ…
色々と悪いイメージが付きまとってるから、俺は色眼鏡を通してしか評価できそうにない。
- 59 :
- 8月31日 馬超検定実施予定
- 60 :
- >>59
詳細キボンヌ
- 61 :
- 最早語ることも尽きたのか?
- 62 :
- 根っからの中英住人としてはうまちょうごろきで8スレも何を語ってたのか知りたいぐらいだよ
- 63 :
- 静かに眠らせてやろうぜ
- 64 :
- 一度荒らされる前は、いくらでも話題あったよ。
三国志大戦に馬超伝追加されたし、感想ぐらい聞いてみたい。
- 65 :
- あげ
- 66 :
- 蒼天の場長って途中から地味になったよな
- 67 :
- 馬京者,漢將馬岱後也,年十六,得印,擲之地,誓?不服。
- 68 :
- 保守あげ
- 69 :
- >66 でも路招、強端を討ち取ると
地味に戦果も挙げてるよ。
馬超が登場するまで進んだ漫画って少ないよな・・・
- 70 :
- 馬超主人公の書物があるだけでも恵まれてる方ですよ
- 71 :
- 何だかんだで30年近く暴れ回ったわけだからな。
一生戦って暮らすドラゴンボールみたいな人生だ。
- 72 :
- 韋康をしたのって失策なんですかね?
敢えて言うなら、刃向かいそうな勢力を根こそぎ削いでおけば
良かったんじゃないかって気がするのですが。
- 73 :
- ■最強は■五虎将軍■誰だ■
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1188962254/
- 74 :
- あげ
- 75 :
- >>72
潼関後の馬超の再挙兵は、涼州〜三輔付近一帯の兵力を吸収しないと
どうにもならんので、『刃向かいそうな勢力を根こそぎ削ぐ』は出来ないよ。
出来るだけ穏便に傘下として取り込むのがベターだろうから
韋康をしたのは失策っちゃ失策だけど、
さなかったら上手くいったかというわけでも無いだろうし、
なんともいえないなぁ…
- 76 :
- あげ
- 77 :
- あげゆ
- 78 :
- 保守
- 79 :
- 話しのネタもなくなるわな〜。
正月休み利用して本読みたいので
皆さんの三国志オススメ小説とか教えてください。
- 80 :
- 小ネタ
杉田智和はラジオでよく
自分を馬超 字を孟起だと自称している。
- 81 :
- >>79
史実重視には勧めないが北方謙三の三国志。
馬超も斬新(過ぎ)だしこのスレ向きかと
- 82 :
- 馬超ヲタなら正月は血を吐いて過ごすべし
- 83 :
- 確かに北方三國志の馬超は斬新だな
張飛との友情、蜀を去った後も何気に劉備や孔明を気にしてるところが泣かせる
- 84 :
- 年賀の挨拶に来た董チュウ(禾中)は馬超の妾の弟ということですけど、
三族皆しといえば、妾の縁に繋がる人達もされるはずなのに、
なぜ彼は挨拶に来れているのでしょうか
董氏の弟であるとしても、董氏は閻温に引き渡されているのに、その弟が来るというのは考えにくいと思う
- 85 :
- なんつーか呂布が生きてたらこんな感じだったのかなっていう人生だ
けっこう被る所があると思うんだよね
- 86 :
- 史実重視だと誰の小説がオヌヌメ?
- 87 :
- とりあえず北方だけはやめとけ
- 88 :
- 「これぞ史書重視」って言える三国志の小説や漫画ってあるのかなあ?
- 89 :
- それなら宮城谷三国志で決まりだろう
個人的には面白くてしょうがない
- 90 :
- おー
ありがとう。チェックしてみる
- 91 :
- ほ
- 92 :
- ばちょん
- 93 :
- >>82
噴いた
- 94 :
- 向こうの正月はちょっと前ぐらいだったっけね
- 95 :
- 馬超スレの過去ログ保管してるところってないんですか?
- 96 :
- >>71
ほほう
- 97 :
- 保守る
- 98 :
- むむむ
- 99 :
- なにがむむむだ!
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