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2011年11月2期31: 本から名文を抜粋して紹介するスレ (227) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼

本から名文を抜粋して紹介するスレ


1 :11/10/03 〜 最終レス :11/11/20
“愛を注ぎ込まれた「脳の道具箱」は鬼に金棒”
“愛がなければ目の前にチャレンジしようという欲求さえ生まれてきません。”
「Brain & Life 脳を活かす生活術 希望の道具箱」
茂木健一郎 PHP p200より

2 :
>>2なら障害年金更新絶対通る

3 :
「不安の力」五木寛之 集英社文庫 p236
“この世でただひとりの存在である自分
 人間は必ずどこかで、生きていることの不安定さ、生命のもろさというものを
感じています。こころで感じなくても、あるいは頭でそれを理解しなくても、
肉体で感じている。その感覚を覚えている。そういう感覚に耳を澄ませることが
大事なのではないか、という気がしてしかたがありません。
 これは当然のことながら、病気ということとも結びついてくるわけです。
 体の発する声に耳を傾けよう、というのは、ぼくのもう三十年来の長いテーマです。
体は必ず自分に向けて語りかけてきます。睡眠不足でこれ以上は保(も)ちませんとか、
気圧が下がってきて血管が拡張しかけているので要注意ですとか、いろいろな
声が聞こえてくる。
 ぼくらは、その語りかけてくる内面の声なき声のようなものに、もっと耳を澄ませる
べきなのです。それを聞く耳を持たないということは大きな問題だろう、という気が
ずっとしていました。ぼく自身、病院のお世話にならずに健康を維持するために、
体の発する声に耳を傾けるということを大事にしてきたのです。
 体は、人間の生命が有限であるという感覚を得ると、何かパルスを発して
その人に語りかけてくる。それに真摯に耳を傾ける必要があるのです。
『こころ・と・からだ』のなかでも何度も書きましたが、ぼくらは死と隣り合わせの
生というものを生きています。そして、自分が健康でなくなるのではないかという
不安、病気への不安を強く持っています。
 そのため、ガン保険とか、積み立て式でない保険にはいるとか、みんないろいろな
ことをしています。”
“しかし、ぼくは健康のありかたについても、治療のありかたについても、
一人ひとり違っているべきだ、と思うのです。地球上に六十三億人の人間がいるならば、
本当は六十三億通りの治療法が健康法があるべきなのです。ただし、実際には
そこまで細かく対応することが不可能なので、平均値で考えている。
六十三億人を全部平均して、同じタイプの人間だと考えなければ、治療などはできません。”

4 :
p239
たとえば、売薬の用法や用量などを読むと、便宜上、「十五歳未満」「十五歳以上」
というようにして子どもと大人のあいだに線を引いている。そして、子どもは
大人の用量の半分、とか書いてあります。
 しかし、体重が三十九キロしかない大人もいれば、子どもでも八十キロの人が
います。その人の年齢とは関係なく、一人ひとり体重も違えば体型も違っています。
もちろん、DNAも全部違う。それだけ違っているにもかかわらず、共通点だけを
探してそこに対して処方するというのは、どう考えても無理がある。
 そうすると、病気の治療などできない、という話になってきます。とりあえず
スタンダードな基準を決めておいて、その基準で治療するのが現実的だ、と言われればその通り。
 では、どうするか。やはり自分の体は自分で面倒をみて、できるだけ治療は
受けない、ということになってくるわけです。非常に乱暴で無茶なことを言っている
ようですが、ぼくがほとんど病院へ行かないのも、できるだけ化学的な薬を
飲まないようにしているのも、そのためです。
 紀元前六百、五百年のむかし、ゴータマ・シッダールタという青年が生まれました。
いまは釈尊とか釈迦と呼ばれている仏教の創始者です。
 そのゴータマ・シッダールタは、生まれるとすぐに七歩歩んで、「天上天下、唯我独尊」と
言ったという。もちろん、これは伝説のたぐいですが、ぼくは最初、この
「唯我独尊」という言葉の意味がどうもよくわかりませんでした。なんとなく、
「この世でただ自分ひとりが尊いのだ」と言っているように思えてしかたがなかった
からです。 
 この言葉の解釈はいろいろあります。いま、ぼくはこの言葉を
「世界中に自分という人物はたったひとりの存在である、そのことのゆえに価値があるのだ」
と受け取っています。 
 つまり、「唯我独尊」という言葉は、自分が自分だけの人間であって、
ほかの人とは違う人間であるということを伝えているのではないか。
そのことをぼくらはしっかり認識する必要がある、と思うのです。
自分という人間は誰とも似ていない。母親とも父親とも違っている。
顔は似ていても、体は違う。そして、昨日の自分は今日の自分ではないという
ことです。それがじつはとても大事なことではないか。
 子どものころは腺病質で扁桃腺が腫れてばかりいて、体が弱いと思われていた
人が意外に長生きしたりします。若いころはスポーツをやっていて、アメリカン・
フットボールのキャプテンまでやっていたのに、体をこわしてあっけなく亡くなる
人もいます。
 これは、昨日の自分は今日の自分ではない、ということがわかっていない、という
ことだろうと思います。
 自分は他人とは違うということと、今日の自分は昨日の自分ではなく、明日の
自分でもないということ。その刹那に生きている自己、刹那に生きている命
というものを、もっと真剣に考える必要がある、と思えてしかたがありません。
 そして、結局のところそこから出てくるのは、人間には一般的な
健康法などないということです。”

5 :
p244
 “自分は他人とは違う。「唯我独尊」なのです。
 人間の値打ちというのはどこにあるのでしょうか。それは、ほかに似た人が
いないということです。何かをしたから値打ちがあるとか、何かをしないから
値打ちがないとかいうことではありません。とにかく希少価値があるということ。
たったひとりの自分だから値打ちがある、と考えればいい。ほかに類がない
ということが、この世にあってひとつの値打ちなのです。
 たとえば、ピカソの絵を見たときに、オリジナリティがある、独創性があって
素晴らしいと考えます。オリジナリティというものは力です。こういう絵を描ける人
はほかにはいない、という人がいたらその人は天才です。誰とも似ていないということが、
その人にとってのすごい存在理由なのだと思う。
 そうは言うものの、誰とも似ていないということを不安に思う人が多い。
みんなと同じように、というのがいまの時代の合言葉ではないでしょうか。
そのため、雑誌やいろいろなメディアは、いまはこうあるべきだ、健康に
なりたいならこうしなさい、ということをさかんに言う。その時代の流行
に乗っていないと不安だ、という人も多いでしょう。でも、それは間違っていると
思います。「犀(さい)のごとく独りゆけ」というブッダの言葉をくり返し思い出します。
群れをなさず、ほかの仲間となれ合わず、ゆっくりとある方向へ向かって歩いていく
犀(さい)の姿。それは、なんとなく、人間が生きる大事な姿勢を表しているような
気がしてなりません。
 たしかに、みんなと一緒、同じなら寂しくないかもしれません。島国に住む
日本人は、これまでムラ社会のなかで折り合って暮らしてきました。それでも、
やはりそういうことから離れて、自分はひとりだ、と考えることが大事なのです。
「唯我独尊」で生まれてきたのですから、生きかたも死にかたも一人ひとり違って
いていい。自分のオリジナリティというものを選べばいいのです。そう考える
ことで、犀のごとく独り歩んでいくエネルギーがでてくるのではないでしょうか。”

6 :
※唯我独尊(ゆいがどくそん)

7 :
『「脳にいいこと」だけをやりなさい! 頭のいい人は「脳の使い方」がうまい!』
マーシー・シャイモフ[著]茂木健一郎[訳] 三笠書房 p164
幸せを呼ぶ「脳の使い方」12 身体の声に耳を傾ける
「幸せの国の百人」は、いつも身体の声に注意深く耳を傾けるようにしています。
「そろそろ休みたい」「もっと水が欲しい」「風呂に入りたい」「運動したい」など、
身体の欲求を知ることは、自分を慈しむことであり、誰でもすぐに身につけられる
幸せの習慣なのです。
 私たちの身体はいつも、今何をすればいいかを的確に知っているものですが、
ついうっかりその声を無視しがちです。
 身体を気にかけてやり、尊重していれば、身体は私たちにとって、
“かけがえのない友人”になってくれることでしょう。
☆目をつぶったとき、何が聞こえてくるか
 まず、いつも自問してください-------「これは私の身体が本当に求めていることだろうか」と。
「私の身体は何を食べたいのだろう」
「私の身体は今リラックスしたいと思っているのではないだろうか」
「エネルギー補給するために、私の身体は何を欲しているだろう」
 きちんと耳を傾ければ、あなたの健康と幸せのためにいったい何がベストなのか、
身体はいつでも教えてくれます。
 そのときこそ「心のGPS」が役に立ちます。今計画していることが、
エネルギーを拡大させるのか、あるいは縮小させるのか、身体の声を
聞いてみてください。
 作家でありセラピストでもあるマーサ・ベックによれば、人は身体の声を聞く
ことによって「心の年齢を逆戻りさせる」ことができるのだそうです。
 ベックは、たとえ受け入れたくないことであっても、自分の身体に何が
起こっているかを知ることが大事だと言いますが、多くの人にとっては身体の
老化を認めるのはつらいことであり、なかなかそれができないようなのです。
「あなたが今感じていることを拒絶するのではなく、すべてを受け入れるのです。
そうすれば、身体の声が聞こえてきて、身体が何を求めているかがわかります」
 赤ちゃんやペットの世話をするときの気持ちを想像し、それと同じ優しさと
愛情を自分の身体にも注いであげると、脳の中の若々しさを司る部分が活性化します。
 歳をとってもなぜかとても若々しい人と、ぐっと老けこむ人がいますが、
それはどれだけ自分の身体に愛情を注げるかにかかっているのです。
自分のことが嫌いでいつもシワを気にしてばかりの人は、ますますシワを増やします。
 逆に、身体の言葉を理解し、自分に優しく接すれば、たとえちょっとシワが増えようと、
いつまでも気持ちよく輝いて暮らしていけるのです。
 さて、次のエクササイズで自分の身体の声を聞いてみてください。今、
あなたの身体が求めていることがわかります。自分に優しくすることは、
脳をいたわることとイコールです。”

8 :
茂木健一郎著「ピンチに勝てる脳」集英社 p178
 “自分の人生について、何らかの意味をそこに見いだそうとしているときというのは、
たいてい不調な時期であることが多いものです。今から振り返ってみても、
「ああ、あのときは不調なときだったな」と思う時期が僕の中でも
何回かあります。大学で物理学部を一度終えてから、再び法学部に入ったとき
などは、その典型的な例です。
「なんで俺は物理をやっていたんだろう」
 そう思い、法学部に行ったら行ったで、
「なんで俺は法律の勉強をしなくてはいけないんだろう」
 とグルグルと悩んでいる。なんとも非生産的な時間です。たいていそんなことを
考えている時期というのは、精神的に不調の真っただ中にいるものです。
 ただ、不調なときには不調なときでやるべきことがあるものです。
たとえば映画を見まくったり、本を読みあさったり、何かにとりつかれたかのように
オペラに通い続けたり。そのときは悶々と悩みながらも過ごしたことが、
あとになって役に立つのです。それについては、僕の人生を振り返ってみても
確信が持てます。自分の価値観や世界観がその間に培われるのですから。
 あるいはそれこそが、脳のオペレーティング・システムが書き換えられている
時期なのです。この作業にはそれなりの時間がかかると先に述べましたが、それは
自ら求めなくても、このような不調なときに自然に行われるものなのです。”
p179 考えるよりも行動するほうが、何かを生み出します
   人生の意味を問うのはときどきでいい
 人生の意味を問うのはときどきでいいと僕は思っています。
 数字にするならば、一パーセントくらい。あとの九十九パーセントは
踊っていればいい。「これをすることに意味はあるのか」
「そもそも生きていることに意味はあるのか」
 生きていれば人間誰しも、このような問いに自らとらわれてしまうこともあります。
その悩み自体が意味のないことだとは思いませんが、気をつけるべきは
このような問いには答えがないということです。考えて考え抜いた末に、
画期的な策や答えが出るならばいいですが、そもそも誰にとっても答えが
用意されていない問いを繰り返しつづけることは時間の無駄にもつながります。
 だとすれば、考えるよりも行動するほうが、まだしも何かを生み出します。
 たとえば「今の仕事に意味はあるのか」というような問いも、答えが
出なければ「とりあえずお金にはなるからいいのだ」と考えるほうがいい。
 お金は大切です。どんなお金であれ、やってくる機会を大事にしましょう。
マネーロンダリング(資金の洗浄)という言葉がありますけれども、お金は、
もうけた時点でもうロンダリング(洗浄)されていると僕は思っています。
ひとたび手にすれば、自分次第でいくらでも美しく使える。”

9 :
p180
お金のことを考えるのは品のないことだと思っている人もいるようですが、
僕はそうは思いません。そもそもプロは、お金をもらえなくてはプロとは呼べません。
お金を人生の第一義におくのはどうかと思いますが、お金を馬鹿にしたり、
必要以上にお金の価値を下におく必要もありません。お金があることにより、
その人ができることの範囲はぐんと広がるのですから。自分が使わないのであれば、
親を旅行に連れていくのでもいい、社会に役立てるのでもいい。
 実際お金がなくて日々の糧にも困るようになったら、人生の意味どころではなくなります。”

10 :
くたばれースレ。おまえらイカレテルゴミ

11 :
>>10
お前ら、って、、、今のところ書き込んでるのスレ主の私だよ。
>>2は違うけど。

12 :
私、漫画は好きだけど、活字だけの本を読むのは読書苦手。でも、
本を読むことって大事だと思う今日この頃です。

13 :
間違えた。活字だけの本を読むのは苦手。

14 :
本の内容がスラスラ頭に入ってこなくてもとりあえず読み進めるのがコツらしいです。
誰かから聞きました。

15 :
市川拓司著「いま、会いにゆきます」もいいよ。
今図書館で読んでる途中です。そういえば学生時代の方がいろいろな本を読んでたな。
卒業後は読まなくなった

16 :
ゴールズワージー著、渡辺万里訳「林檎の樹」新潮文庫は
高校の時に読書感想文を書いた。
いい本だった記憶があるので又読み返したい。

17 :
最近「読む力」がついてきた気がする

18 :
逆に考えるんだ、「あげちゃってもいいさ」

19 :
「ピンチに勝てる脳」茂木健一郎著 集英社 p83
“インターネットの登場で世界の倫理や常識が日本の中にも届くようになってきた
21 これからは自由人には楽しい時代になる
 これからは「ピンチをチャンスに」変えていく自由人にとっては、面白い時代
になるでしょう。やっとそういう時代になったのです。
 日本ではいまだに、「権威」に弱いところがあります。
 「本を書くなら○○出版でないと」、そのようないい方をしている人が
いまだにいることに、先日僕は驚いたばかりです。
「内田樹(たつる)さんは面白い」という話をしていたところです。
「でも彼は○○出版からまだ本は出していませんよね」という答えに、
僕は「えっ?」と数秒間絶句したものです。いまだにそういう考え方が
残像のように生き残っていたのか、という驚きでした。”

20 :
p69
 “たとえば現在の日本社会で、「負け組」といわれているような人たち。
一見して社会の落伍者。でも彼らは逆に世界的な視点で見れば、オリジナルな
生き方を選んでいる個性的な人かもしれません。”

21 :
モルダー、あなた疲れてるのよ

22 :
お母さんは、ぼくを許してくださるだろうか

23 :
「脳を活かす生活術 希望の道具箱」茂木健一郎 PHP p195〜p197
Brain & Life 70 “複雑な世の中で決断力を磨く脳のメカニズム
 最後にどのようなバブルを起こすべきか、決断に迷っている人もいると
思います。では、どうすれば決断力を磨くことができるのか?自分が選んだ
道がすべて正解だと思えればいいのですが、現実にはそんなことなどあり得ません。
失敗したなと悔やんだり、また元の道に引き返したり。人生はそのくり返しです。
 しかしどうなるにせよ、僕たちは決断をしていかなくてはなりません。
二股に分かれた道どころか、実社会には、何通りにも枝分かれした道があります。
迷いながらも、どこかに決めなくてはならない。即断即決できる人もいれば、
優柔不断でなかなか決められない人もいるでしょう。この違いはどこから生じる
のでしょうか。
 優柔不断であることを周囲のせいにしたり、あるいは性格だから仕方ない
と諦めている人も多い。
 でもそれは間違いです。脳の中にある意思決定の回路。これを鍛える努力を
しているか否か。つまりどんな神経回路でも、使えば使うほど鍛えられるもの。
それは性格や才能などではなく、日頃の訓練によるところが大きいのです。
 人間はいろんな経験を積むと、その体験が側頭葉に蓄えられていきます。
それをもとに意思決定をしたり判断をするわけです。ただ、それだけであれば
歳をとって経験を積めば、みんなが素早い意思決定ができるはず。
ところがそうはなりません。単に経験を積むだけでなく、やはり意思決定の回路
を鍛えることが大切です。他人に決めてもらうのではなく、自分で考えて
判断を下すという訓練。その積み重ねこそが決断力には必要です。
 よくいわれるのは車の運転です。自分でハンドルを握っているドライバーは
道をよく憶えています。それは常に道を憶えようとする脳の道を憶える記憶神経回路
が働いているからです。実際にニューヨークのタクシー運転手の脳を
調べてみたところ、道を憶える記憶回路が発達していたのです。
 ところがいつも助手席に乗っている人は、ほとんど道を憶えていません。
要するに脳の道を憶える記憶回路が働いていないのです。同じ時間、
同じ道のりを体験しているにもかかわらず、ドライバーと助手席の人とでは
記憶がまったく変わってくる。これは記憶力の差などではなく、使う神経の差
なのです。
 そのような意味でも、カーナビゲーションに頼らず、自分の道を
自分で探して自分で判断していくことが、脳にとっては大切なのです。
 ましてや人生にはナビゲーションシステムなどありません。自らの道を
自らで選ぶ。人生の助手席に座って他人の人生を生きるのではなく、
たとえ道を間違えたとしても自分が主体となってハンドルを握る。
 その意思決定にこそ、脳、そして人生の喜びがあるのです。”

24 :
「脳を活かす生活術 希望の道具箱」茂木健一郎 PHP p188
 “われわれ日本人はこれから非常に不確実な状況の中に投げ込まれていくでしょう。
そこで一番大事なことは「人生には正解なんてない」ということをなるべく
若い時分に身をもって知ることです。それが分かれば、人生のほとんどの
問題が解決したといってもいい。 
 世の中には、元気な人がいればそうではない人もいるかと思います。
そこで脳がどれくらい、今調子がいいかということを簡単に識別する方法が
あります。それは何かというと、不確実性を楽しめるか、それとも
不安で逃げたいと思うかどうかということです。
 不確実性を楽しめている人の脳は健康であるといえます。この不確実性
を楽しむためのひとつの処方箋がバブルということなのです。
 人生というのは限りない往復運動です。一度は感染してみないといけない。
そうしてそこから戻って来ればいいのです。あなた自身の「バブル力」に
目覚めてください。
 たとえば友だちとのつきあいでも、友だちの魅力に感染してみるといい。
学問であれば、経済学でも国際貿易論でもフランス文学でも思い切り熱中すればいい。
それで戻って来る。そういうことをくり返していると、脳の中にその不確実性に
適応するための筋肉ができてくる。ぜひその筋肉をつくってほしいのです。”

25 :
「脳を活かす生活術 希望の道具箱」茂木健一郎 PHP p187
Brain & Life 66 “人生とは、限りない往復運動。失敗しても戻ればいい
 試験勉強をするというのも、脳の中にある種のバブルを生むことです。
つまり、今、目の前にある課題に自分の脳の注意資源を全部振り分けるということ
であり、とにかく集中しなければいけないという状態です。
 就職活動も、たくさんバブルを起こさなければいけないのです。
就職志望先を心から好きにならなければ結果としてうまくいきません。
一種の恋愛状態のようなもので、徹底的に恋焦がれ、思い切り揺れ動いたほうが
うまくいくのです。熱が冷めたら戻って来ればいい。そのくり返しです。 
 「私は一度好きになってしまうと戻ってこられません」という人は
少し困った人です。もしかすると、まだまだ熱狂が足りないのかもしれない。
振幅が大きければ大きいほど、反動で必ず戻ってこられるというものです。
それがバブルから「学ぶ」ということです。
 要するに一七九頁のグラフのような活動は、実は僕らの生命原理において
欠かせないものなのです。その時の、切れ味、エッジの立て方、つまるところ
グラフの急激な上昇が、人生の醍醐味であり、心の若さというものでは
ないのでしょうか。”

26 :
>>25
何でも本気でやれってことですね。

27 :
>>25
ちょっと違うか、「集中しろ」ってことかな

28 :
私はネット中はテレビ消して集中してやってます。

29 :
『脳にいいことだけをやりなさい! 頭のいい人は「脳の使い方」がうまい!』
マーシー・シャイモフ[著]茂木健一郎[訳] 三笠書房 p14 訳者のことばより
“●脳が「ダイナミックな変化」を起こす!
 絶対に見逃してはならないポイントは「人は変わることができる」ということ。
 これは脳科学でも実証されています。
 多くの日本人は「人は変わらない」という理論が好きです。たとえば、
血液型で人を分類して「A型は結局こういう人」という運命論や宿命論で
自分を決めつけるといった類(たぐい)です。
 あるいは、「日本人が英語をマスターするためには、○歳までに始めないとダメ」
とか「○歳までにピアノを習っておかないと絶対音感は育たない」など、
何事においても「限界説」が幅を利かせています。
 しかし、脳科学から見ると「人は変わることができる」ということこそ事実です。
この事実を活かすことで脳は感情や記憶の中心となる回路をつくり変え、
身体全体にダイナミックな変化が起こるのです。
 「自分はこのままだ」と思うことは、あなたとあなたの脳を息苦しくします。
 「私はなりたい自分になれる」と信じること、希望をもつことこそが、
あなたのこれからの道を大きく拓きます。
 この本は、読めばちょっとした驚きの連続かもしれません。
「こんなに楽観的でいいのかな」と周囲に思われるかもしれませんが、
それでいいのです。そんなあなたが、結局一番おもしろい人生を歩んでいけるのです。
 芋虫が蝶になるような変容をする----その変化を自分にも起こすことから
すべては始まります。
 あなたもこの本の「素晴らしい幸運をつかむ力」を活かしてください。”

30 :
「脳を活かす生活術 希望の道具箱」茂木健一郎 PHP p106
Brain & Life 35 “脳はバランスよく使えば疲れない
 このように、利き腕も利き目も脳が支配している領域です。
 一般的に、右利きの人は左脳領域である論理的思考が得意で、
左利きの人は右脳領域である芸術分野や直観力に優れているという傾向が
あるといわれます。ですから、利き目を知るのも自分という人間を知る術の
ひとつです。
 僕は日頃から、脳をバランスよく使うことを心がけています。
 右利きならば身体の右側の神経が発達しているわけですから、あえて左の
神経に気を配らないようにする。たとえば、遠くのものをつかむ時には
必ず左手で取るようにするとか、パソコンのキーボードを叩く時には左指
を意識するとか、そんなささやかな習慣です。
 しかし、習慣の威力とはすごいものです。いつの頃からか、食事の時でも
右手がふさがっていれば左手で箸を使えるようになりました。
 自分の脳をバランスよく使ってあげることは、脳を疲れさせない秘訣です。
 この本で最もくり返し述べたいことですが、脳とは結局、身体です。
脳が疲れれば身体が疲れ、身体が疲れれば脳が疲れます。悲観的になる。
怒りっぽくなる。何も考えられなくなる。そんな時は身体を休ませると
同時に脳のバランスを回復させることが大切なのです。
 頭が疲れたなと感じた時、最も簡単な疲労回復方法があります。
 利き手ではないほうの手を、できるだけ指を伸ばして開いたり閉じたり
するのです。一、二分ほど続けるだけで、頭がすっきりとしてきます。
 ただし、この方法も慣れすぎると効果が減じてきますので、これを参考に
自分なりの方法を編み出してみてください。要は、左右バランスのとれた刺激
を脳に送り続けようという意識を習慣にすることです。”

31 :
お魚さんは可哀想

32 :
>>31
「おさかな天国」柴矢裕美
ttp://youtu.be/-Ymld-3ZG2s

33 :
「Brain & Life 脳を活かす生活術 希望の道具箱」 茂木健一郎 PHP 58頁
17 “小学生の頃の記憶で、脳をメンテナンスする
 1時間目に挙げた小学生当時の日記にも、スピードに対する強い関心がありました。
僕にとって「走ること」が習慣になったのはこの時期からなのですが、改めて
読み返すと「具体的な数字を伴った喜び」が前面に表れています。少々長くなりますが、
三日分引用してみましょう。”

34 :
「The Brain wins the day for you ピンチに勝てる脳」茂木健一郎著 集英社 176頁
“意味など問わないで人生を踊る。
そのコツを身につけよう
03 ニーチェの舞踏
人生を思いっきり疾走する感覚。それは常に僕が自分自身に与えている
人生のリズムですが、このような感覚は、今から思えば高校時代に読んだ
ニーチェに影響をうけているのだと思います。
 ニーチェの重要な思想に、Tanzen(タンツェン)すなわち「舞踏」の概念
があります。大地を蹴って踊る。
 人生の中で自分がやっていることに意味を求め始めると、人生は
重いものになります。 ”
 

35 :
Stay hungry Stay foolish

36 :
3行以上は目が滑って
脳が不快感を感じる

37 :
「Brain & Life 脳を活かす生活術 希望の道具箱」 茂木健一郎 PHP 130頁
45 “他人とのかかわりは脳の栄養源である。
 4時間目では、毎日の人づきあいによって磨かれる、脳のコミュニケーション・ツールについて考えてみたいと思います。
 人とのつきあいほど脳にとって栄養になるものはありません。もうお分かりのように、それは常に予測がつかないものだからです。
他人とのかかわりとは、いわば悲喜こもごもの栄養源であり、望みさえすれば生涯通しての供給源です。人づきあいを通して本来の自分と向かい合うことは、
一生を通じての喜びとなります。では、さっそく考えてみましょう。
 僕らの日常は、他人とのかかわりなくしては成り立ちません。電車内でのちょっとした出来事が他人同士のいざこざを生んだり、
隣人間の些細なトラブルが深刻な事件に発展したりと、人とのつながりに臆病にならざるを得ないニュースがあとを絶たないにもかかわらず、
人間はひとりでは生きていけない動物です。 仕事にせよ、恋愛にせよ、僕らは不屈に人とのかかわりを求め続けます。いったい何がそこまで人間の気持ちを駆り立て、
他人の世界へ赴かせ、その扉を叩かせるのでしょうか。
 これは、「なぜ、人は協調するのか」という疑問に答えを求めることに他なりません。脳科学においてもこの問いは実に重要なテーマです。
なぜなら、人づきあいにおいて脳がどのような活動をするかを調べることが、人間本来の脳のしくみを解き明かすことにつながるからです。
 僕らは常々、「科学の恵みとは物事の本質を捉えるための距離感である」と感じていますが、コミュニケーションにおけるさまざまな問題も、
脳本来の働きを引き出すことによって見えてくるものがあるのです。いわば、脳を自然な状態に戻してあげること。それが解決策の第一歩だというわけです。”
>>36
なるべく行数を減らしてみました。

38 :
まだ読みづらいなぁ。(^_^;)

39 :
「本当にやりたい仕事を見つけるためには、自分の心の声を聴き、心の奥底を見つめ直す必要があります」(中越さん)
では、その「心の声」を聴くとは具体的にどういうことなのか?「今一度、自分の好きなことは何なのかをじっくりと考えてみましょう。
多くの人に当てはまるのが、じつはやりたいことは心の奥底にありながらも、それに自分で気づけないというケースです。
これには心理学でいう『否認』という心の働きが関係しています。『やりたいことをやるからには絶対に失敗してはいけない』という
プレッシャーを感じてしまい、『やりたい』『好き』という気持ちを思い出せなくなってしまうんです」(同)
中越さんは「好きなことをやっているときの充実感と没頭感を仕事で得ることができれば、それこそがまさに天職」という。
そして、その「好き」は誰の心の中にも眠っているものだとも。正直、損得勘定抜きに「好き」なことだけで生計を立てていくのは難しい。
だが、心のままに生きる覚悟ができたときに初めて「天職」は見つかるのかもしれない。(榎並紀行)
(R25編集部)
天職とは結局どう見つかる?
ttp://news.goo.ne.jp/article/r25/bizskills/r25-20110907-00021382.html

40 :
「不安の力」五木寛之 集英社文庫 236頁
“この世でただひとりの存在である自分
 人間は必ずどこかで、生きていることの不安定さ、生命のもろさというものを 感じています。こころで感じなくても、あるいは頭でそれを理解しなくても、
肉体で感じている。その感覚を覚えている。そういう感覚に耳を澄ませることが 大事なのではないか、という気がしてしかたがありません。
これは当然のことながら、病気ということとも結びついてくるわけです。 体の発する声に耳を傾けよう、というのは、ぼくのもう三十年来の長いテーマです。
体は必ず自分に向けて語りかけてきます。睡眠不足でこれ以上は保(も)ちませんとか、 気圧が下がってきて血管が拡張しかけているので要注意ですとか、
いろいろな 声が聞こえてくる。 ぼくらは、その語りかけてくる内面の声なき声のようなものに、もっと耳を澄ませる べきなのです。それを聞く耳を
持たないということは大きな問題だろう、という気がずっとしていました。ぼく自身、病院のお世話にならずに健康を維持するために、 体の発する声に耳を
傾けるということを大事にしてきたのです。体は、人間の生命が有限であるという感覚を得ると、何かパルスを発して その人に語りかけてくる。
それに真摯に耳を傾ける必要があるのです。 『こころ・と・からだ』のなかでも何度も書きましたが、ぼくらは死と隣り合わせの生というものを
生きています。そして、自分が健康でなくなるのではないかという不安、病気への不安を強く持っています。 そのため、ガン保険とか、積み立て式でない
保険にはいるとか、みんないろいろなことをしています。”中略 “しかし、ぼくは健康のありかたについても、治療のありかたについても、 一人ひとり
違っているべきだ、と思うのです。地球上に六十三億人の人間がいるならば、 本当は六十三億通りの治療法が健康法があるべきなのです。
ただし、実際には そこまで細かく対応することが不可能なので、平均値で考えている。 六十三億人を全部平均して、同じタイプの人間だと考えなければ、
治療などはできません。”
>>3を行数少なくしてみました。

41 :
「不安の力 turba mentis vigor meus」五木寛之 集英社文庫 239頁
“たとえば、売薬の用法や用量などを読むと、便宜上、「十五歳未満」「十五歳以上」 というようにして
子どもと大人のあいだに線を引いている。そして、子どもは 大人の用量の半分、とか書いてあります。
しかし、体重が三十九キロしかない大人もいれば、子どもでも八十キロの人が います。その人の年齢
とは関係なく、一人ひとり体重も違えば体型も違っています。 もちろん、DNAも全部違う。
それだけ違っているにもかかわらず、共通点だけを 探してそこに対して処方するというのは、
どう考えても無理がある。 そうすると、病気の治療などできない、という話になってきます。
とりあえず スタンダードな基準を決めておいて、その基準で治療するのが現実的だ、と
言われればその通り。 では、どうするか。やはり自分の体は自分で面倒をみて、できるだけ
治療は 受けない、ということになってくるわけです。非常に乱暴で無茶なことを言っている
ようですが、ぼくがほとんど病院へ行かないのも、できるだけ化学的な薬を 飲まないように
しているのも、そのためです。
>>4の行数を減らしてみました。

42 :
「不安の力 turba mentis vigor meus」五木寛之 集英社文庫 239頁
“たとえば、売薬の用法や用量などを読むと、便宜上、「十五歳未満」「十五歳以上」 というようにして 子どもと大人のあいだに線を引いている。
そして、子どもは 大人の用量の半分、とか書いてあります。 しかし、体重が三十九キロしかない大人もいれば、子どもでも八十キロの人がいます。
その人の年齢 とは関係なく、一人ひとり体重も違えば体型も違っています。 もちろん、DNAも全部違う。 それだけ違っているにもかかわらず、
共通点だけを 探してそこに対して処方するというのは、 どう考えても無理がある。 そうすると、病気の治療などできない、という話に
なってきます。 とりあえず スタンダードな基準を決めておいて、その基準で治療するのが現実的だ、と 言われればその通り。 では、どうするか。
やはり自分の体は自分で面倒をみて、できるだけ 治療は 受けない、ということになってくるわけです。非常に乱暴で無茶なことを言っている
ようですが、ぼくがほとんど病院へ行かないのも、できるだけ化学的な薬を 飲まないように しているのも、そのためです。
もう少し行数を減らしてみました。

43 :
>>41の続き。
「不安の力 turba mentis vigor meus」五木寛之 集英社文庫 240頁
紀元前六百、五百年のむかし、ゴータマ・シッダールタという青年が生まれました。 いまは釈尊とか釈迦と呼ばれている仏教の創始者です。
そのゴータマ・シッダールタは、生まれるとすぐに七歩歩んで、「天上天下、唯我独尊」と 言ったという。もちろん、これは伝説のたぐい
ですが、ぼくは最初、この 「唯我独尊」という言葉の意味がどうもよくわかりませんでした。なんとなく、
「この世でただ自分ひとりが尊いのだ」と言っているように思えてしかたがなかった からです。この言葉の解釈はいろいろあります。
いま、ぼくはこの言葉を「世界中に自分という人物はたったひとりの存在である、そのことのゆえに価値があるのだ」
と受け取っています。  つまり、「唯我独尊」という言葉は、自分が自分だけの人間であって、 ほかの人とは違う人間であるということ
を伝えているのではないか。 そのことをぼくらはしっかり認識する必要がある、と思うのです。 自分という人間は誰とも似ていない。
母親とも父親とも違っている。 顔は似ていても、体は違う。そして、昨日の自分は今日の自分ではないという ことです。
それがじつはとても大事なことではないか。 子どものころは腺病質で扁桃腺が腫れてばかりいて、体が弱いと思われていた 人が意外に
長生きしたりします。若いころはスポーツをやっていて、アメリカン・ フットボールのキャプテンまでやっていたのに、体をこわして
あっけなく亡くなる 人もいます。 これは、昨日の自分は今日の自分ではない、ということがわかっていない、という ことだろうと思います。
自分は他人とは違うということと、今日の自分は昨日の自分ではなく、明日の 自分でもないということ。その刹那に生きている自己、
刹那に生きている命 というものを、もっと真剣に考える必要がある、と思えてしかたがありません。
そして、結局のところそこから出てくるのは、人間には一般的な 健康法などないということです。”

44 :
>>43の続き
「不安の力 turba mentis vigor meus」五木寛之 集英社文庫 240頁 244n
 “自分は他人とは違う。「唯我独尊」なのです。 人間の値打ちというのはどこにあるのでしょうか。それは、ほかに似た人がいないということです。
何かをしたから値打ちがあるとか、何かをしないから 値打ちがないとかいうことではありません。とにかく希少価値があるということ。
たったひとりの自分だから値打ちがある、と考えればいい。ほかに類がない ということが、この世にあってひとつの値打ちなのです。
たとえば、ピカソの絵を見たときに、オリジナリティがある、独創性があって 素晴らしいと考えます。オリジナリティというものは力です。
こういう絵を描ける人 はほかにはいない、という人がいたらその人は天才です。誰とも似ていないということが、
その人にとってのすごい存在理由なのだと思う。 そうは言うものの、誰とも似ていないということを不安に思う人が多い。
みんなと同じように、というのがいまの時代の合言葉ではないでしょうか。そのため、雑誌やいろいろなメディアは、いまはこうあるべきだ、
健康に なりたいならこうしなさい、ということをさかんに言う。その時代の流行 に乗っていないと不安だ、という人も多いでしょう。
でも、それは間違っていると 思います。「犀(さい)のごとく独りゆけ」というブッダの言葉をくり返し思い出します。 群れをなさず、
ほかの仲間となれ合わず、ゆっくりとある方向へ向かって歩いていく 犀(さい)の姿。それは、なんとなく、人間が生きる大事な姿勢を
表しているような 気がしてなりません。 たしかに、みんなと一緒、同じなら寂しくないかもしれません。島国に住む 日本人は、
これまでムラ社会のなかで折り合って暮らしてきました。それでも、 やはりそういうことから離れて、自分はひとりだ、と考えることが
大事なのです。 「唯我独尊(ゆいがどくそん)」で生まれてきたのですから、生きかたも死にかたも一人ひとり違って いていい。
自分のオリジナリティというものを選べばいいのです。そう考える ことで、犀のごとく独り歩んでいくエネルギーがでてくるのではないでしょうか。”

45 :
読んでると気持ち悪くなるよこのスレ
文字の洪水に見える

46 :
>>45
どういう風に改善したらいいですか?

47 :
>>44
おたく自己愛性人格障害か発達障害だな

48 :
>>47
うざい

49 :
長すぎたら重いでしょ
読む人のこと考えないの?

50 :
私は別に文章が長くても平気だし、読んで参考にさせてもらっていますよ。

51 :
>>49
読まなくていいよ
>>50
どうもありがとうございます。m(__)m

52 :
このスレで紹介したくていま「不安の力」と「脳にいいことだけをやりなさい!」
を読み返してます。読書、基本的に苦手です。
読みやすくするためのアドバイスがあったらお願いします。

53 :
本当は自分の言葉で書くのが良いんですが、表現力に乏しいんです (汗)

54 :
私に限らずそういう人多いと思う。自分の言いたい事をうまく表現できない人。
読書不足なんだろうな。苦手だー、、、活字だけの本。漫画は好きだけど。

55 :
お疲れ様です。
私は今まで通り長文でも読むのには問題ありませんが…。
お役に立てなくて申し訳ないです。

56 :
>>55
いえ、レスをいただいてうれしかったです。
どうもです。m(__)m

57 :
産業でまとめろ

58 :
このスレに抜粋するために今本を読み直してます。
>>57
まとめたら抜粋にならないよ

59 :
>>57
抜粋したいところが3行以上あるし

60 :
抜粋と一緒に自分の意見も書こうかな

61 :
けれども、一体何が一番の幸福なんだろう

62 :
多分、人間関係。

63 :
>>61 友人を庇って死んだカムパネルラの台詞だよ

64 :

 阿部公房の「砂の女」からの一節
 (百人に一人なんだってね、結局…)
 (なんだって?)
 (つまり、日本人における精神分裂病患者の数は、百人に一人の率だって
  言うのさ。)
 (それが、一体…?)
 (ところが、盗癖を持った者も、やはり百人に一人らしいんだな…)
 (一体、なんの話なんです?)
 (男色が一パーセントなら、女の同性愛も、当然、一パーセントだ。
  それから、放火癖が一パーセント、酒乱の傾向のあるもの一パーセント、
  精薄一パーセント、色情狂一パーセント、誇大妄想一パーセント、詐欺
  常習犯一パーセント、不感症一パーセント、テロリスト一パーセント、
  被害妄想一パーセント…)
 (わけの分からん寝言はやめてほしいな。)
 (まあ、落ち着いて聞きなさい。高所恐怖症、先端恐怖症、中毒、ヒステリー、
  人狂、梅毒、白痴…各一パーセントとして、合計二十パーセント…
  この調子で、異常なケースを、あと八十例、列挙できれば…むろん、
  出来るに決まっているが…人間は百パーセント、異常だと言うことが、
  統計的に証明できたことになる。)
 
  つまり、人間とは須く異常な存在だという事。周囲に異常呼ばわりされていたから
  これ読んでいいこと言うなあと。

65 :
>>64
励まされますね。
人間はみんな異常なんだと思うと。

66 :
“そのころは、不安ということよりも、生活するうえでの困難のほうがずっと多かったというしかありません。そんなふうに困難が山積みになっているときは、あまり不安などは
意識しないのがおもしろいところです。当時、ぼくは中学に通いながら、すでにいろいろなアルバイトをやっていました。地元の玉子を買いつけて村から町へ卸しに行ったり、
自転車に何俵もの炭俵を積んで運んで行き、帰りはラムネの箱を載せて戻ってきたりもしました。八女茶(やめちゃ)の行商で北九州や筑豊を回ったこともあります。やがて、
上京して大学のロシア文学科にはいり、大都会の片隅で生活と直面するようになります。そのころは希望なき時代です。とにかく明るい未来の社会をきずくため、という感じで
やっていくしかない。上京してしばらくは、お金がないため、住む部屋さえなかったのですが、なぜか不安などはありませんでした。その理由を考えてみますと、引き揚げ前の
平壌(ピョンヤン)の難民キャンプでの生活は、誰もが折り重なって暮らしている、という感じだったからです。その極限状態を体験しているので、ホームレスみたいに暮らして
いても平気でした。下宿先が決まるまでしばらくのあいだ、住む場所のないぼくは、神社の軒下などに寝ていたものです。これから先、食べていけるだろうかとか、生活して
いけるだろうか、というような不安はありませんでした。明日なにがあるかはわからない。でも、自分には未来があるのだ、と思っていました。”
不安の力 turba mentis vigor meus 五木寛之 Itsuki Hiroyuki 集英社文庫 23n〜25n

67 :
“そのころは、不安ということよりも、生活するうえでの困難のほうがずっと多かったというしかありません。そんなふうに困難が山積みになって
いるときは、あまり不安などは意識しないのがおもしろいところです。当時、ぼくは中学に通いながら、すでにいろいろなアルバイトをやって
いました。地元の玉子を買いつけて村から町へ卸しに行ったり、自転車に何俵もの炭俵を積んで運んで行き、帰りはラムネの箱を載せて戻って
きたりもしました。八女茶(やめちゃ)の行商で北九州や筑豊を回ったこともあります。やがて、上京して大学のロシア文学科にはいり、大都会の
片隅で生活と直面するようになります。そのころは希望なき時代です。とにかく明るい未来の社会をきずくため、という感じでやっていくしかない。
上京してしばらくは、お金がないため、住む部屋さえなかったのですが、なぜか不安などはありませんでした。その理由を考えてみますと、
引き揚げ前の平壌(ピョンヤン)の難民キャンプでの生活は、誰もが折り重なって暮らしている、という感じだったからです。その極限状態を体験
しているので、ホームレスみたいに暮らしていても平気でした。下宿先が決まるまでしばらくのあいだ、住む場所のないぼくは、神社の軒下などに
寝ていたものです。これから先、食べていけるだろうかとか、生活していけるだろうか、というような不安はありませんでした。明日なにがあるかは
わからない。でも、自分には未来があるのだ、と思っていました。”
不安の力 turba mentis vigor meus 五木寛之 Itsuki Hiroyuki 集英社文庫 23n〜25n

68 :
orz あまり変わらなかった。
あと、申し遅れましたがスレ主です。

69 :
本名を名乗っている理由は、
【新装版】精神病は病気ではない 精神科医が見放した患者が完治している驚異の記録 長江寺住職 萩原玄明 ハート出版
を読み終えて、個人的に(勝手にですが)思うところがあったからです。

70 :
>>67の訂正です。
“そのころは、不安ということよりも、生活するうえでの困難のほうがずっと多かったというしかありません。そんなふうに困難が山積みになって
いるときは、あまり不安などは意識しないのがおもしろいところです。当時、ぼくは中学に通いながら、すでにいろいろなアルバイトをやって
いました。地元の玉子を買いつけて村から町へ卸しに行ったり、自転車に何俵もの炭俵を積んで運んで行き、帰りはラムネの箱を載せて戻って
きたりもしました。八女茶(やめちゃ)の行商で北九州や筑豊を回ったこともあります。やがて、上京して大学のロシア文学科にはいり、大都会の
片隅で生活と直面するようになります。そのころは希望なき時代です。とにかく明るい未来の社会をきずくため、という感じでやっていくしか
ない。 上京してしばらくは、お金がないため、住む部屋さえなかったのですが、なぜか不安などはありませんでした。その理由を考えて
みますと、 引き揚げ前の平壌(ピョンヤン)の難民キャンプでの生活は、誰もが折り重なって暮らしている、という感じだったからです。その
極限状態を体験 しているので、ホームレスみたいに暮らしていても平気でした。下宿先が決まるまでしばらくのあいだ、住む場所のないぼくは、
神社の軒下などに 寝ていたものです。これから先、食べていけるだろうかとか、生活していけるだろうか、というような不安はありません
でした。明日なにがあるかは わからない。でも、自分には未来があるのだ、と思っていました。”
不安の力 turba mentis vigor meus 五木寛之 Itsuki Hiroyuki 集英社文庫 23n〜25n

71 :
金子みすづ
馬鹿って言ったら馬鹿って言う

72 :
脳はいくら使っても疲れることはない。活動を我慢するほうが疲れにつながる
The Brain wins the day for you-Part3
16 脳に強制はできない
仕事でも勉強でも、「自分が好きでやっている」と思い込むことは重要です。実際にはそうでなくてもいいのですが、
大切なのはそう思い込むことです。逆にいえば、自分が好きでやっていることでも、「ああ、面倒くさいなあ」と
思いながらやっているのでは、結果はあまり期待できません。なぜなら、どのような場合でも、脳に強制することは
できないからです。ここが脳とコンピュータの違うところです。コンピュータは強制的にプログラムすることが
できますが、脳を活動させるためには自発的な活動が根本になければならないのです。
The Brain wins the day for you ピンチに勝てる脳 茂木健一郎 集英社 213、214n        

73 :
>>71
なんか良い言葉ですね。あほゆーもんがあほと同じような意味かな?
今ググったんですが、金子みす「ず」さんですね

74 :
ちなみにこの動画大好きです。
AHO AHO MAN(昔やってた番組、「ダウンタウンのごっつええ感じ」のコント)
ttp://youtu.be/OGJH6tOS3Wg

75 :
>>72の続きです。
このテーマについてはかつて学生と共同研究をしたことがあります。脳は「嫌々やらされている」ときと「自ら望んでやっている」
ときとでは、仮に同じ作業をしていてもまったく違う働きをします。自発的に何か行動するときの脳の爆発力というのは本当に
すごくて、その人の持つ潜在能力がうまく活用されるのです。そのことをまざまざと知っているからこそ、僕はあらゆる仕事を
「嫌々やる」のではなく、「自ら楽しんでやる」状態を常としています。仮にこなせないくらいの量の仕事がたまってしまって
いても、「楽しい」と思い込んで仕事に向かうのです。
The Brain wins the day for you ピンチに勝てる脳 茂木健一郎 集英社 214n        

76 :
どうしよ…(^_^;)
本名を名乗ったのはやっぱり失敗だったかもとか思い始めています(^_^;)

77 :
名無しさんに戻りまーす

78 :
“幸せを呼ぶ「脳の使い方」16 情熱の傾け先を常に探す
もちろん誰もが目的をもって生きたいとは思うけれど、実際にどうすればいいのでしょうか。答えは簡単。
「立ち止まってみること」です。立ち止まって、忙しい生活を離れ、心の中をのぞいてみることです。
恐れることなく正直に、「私が本当にやりたいことは何だろう。心から好きだと言えることは何だろう。
私にとって本当にたいせつなこととはいったい何なのか」と尋ねてみることです。
「やみつき状態(フロー)」に脳を導け
あなたの胸を膨らませてくれるものは何でしょうか。魂を揺さぶってくれるものは何ですか。そして、
心から望むこことは何でしょうか。ほとんどの人は日々の生活に追われていて、
それを考える余裕すらもないのです。もしかしたら考えてもよくわからないかもしれません。
ヒントはあなたが関心をもったり引きつけられたりすることの中にあります。
心理学者ミハイ・チクセントミハイは、人が何かに没頭しているときの純粋な快楽状態を「フロー(流れ)」
と呼びました。これは、時が止まっているように感じられたり、実際には何時間も経っているのに
ほんの一瞬に感じられたりして、完全に集中している精神状態のことです。
「脳にいいこと」だけをやりなさい! 頭のいい人は「脳の使い方」がうまい! マーシー・シャイモフ[著] 茂木健一郎[訳] 三笠書房 194n〜196n

79 :
ペンシルベニア大学ポジティブ心理学センターによれば、「フロー」を生み出すような活動をしているとき、お金のためといった外的要因が目的ではなく、
単にその活動自体が目的で行っているのですが、結果、人間はそのことで大きな満足を得られるといいます。自分が日常生活で「フロー」を感じられるのは
何をしているときでしょうか。情熱を傾けられるものは、きっとその方向にあるはずです。脳は「フロー」を感じれば感じるほど活き活きします。
「脳にいいこと」だけをやりなさい! 頭のいい人は「脳の使い方」がうまい! マーシー・シャイモフ[著] 茂木健一郎[訳] 三笠書房 194n〜196n

80 :
>>79の訂正です。
ペンシルベニア大学ポジティブ心理学センターによれば、「フロー」を生み出すような活動をしているとき、お金のためといった外的要因が
目的ではなく、単にその活動自体が目的で行なっているのですが、結果、人間はそのことで大きな満足を得られるといいます。自分が日常生活で
「フロー」を感じられるのは 何をしているときでしょうか。情熱を傾けられるものは、きっとその方向にあるはずです。脳は「フロー」を
感じれば感じるほど活き活きします。
「脳にいいこと」だけをやりなさい! 頭のいい人は「脳の使い方」がうまい! マーシー・シャイモフ[著] 茂木健一郎[訳] 三笠書房 195〜196n

81 :
>>78の訂正です。
五行目の「たいせつなこと」→「大切なこと」

82 :
>>70の続きを書くのを忘れていました。(^_^;)
無名で、若く、貧しかった時代。ぼくは二畳半の部屋に住み、冬は新聞紙を山ほどかぶってそのなかにもぐりこんで寝ていました。
足元が冷えるので、長靴をはいたまま寝たりもした。三度の食事を抜いて、そのあげくに血液を売ってわずかなお金を得る、
という日々。そんな時代のぼくの不安は、いつか自分がこの世界からはみ出すかもしれない、という不安でした。
金がないということで、自分を動物以下の存在にしてしまいそうになり、犯罪をおかすシーンを毎晩のように夢に見ました。
実際に万引きをしたこともあります。自分が人をすことがあるかもしれない、と実感として感じて心が震えました。
よくもきわどいところで踏みとどまったと思います。罪をおかすギリギリの線をふらふらと歩いていたのです。
真剣に自を考えたのもそのころのことです。しかし、その後、ついに学費が払えなくなって大学を追われることに
なりました。しばらくは貧しいフリーター生活を続けたのち、ぼくは小さな広告代理店にもぐりこみ、あわただしい
生活を送るようになります。やがて、不思議な縁で、CMソングをつくったり、テレビの構成作家としての仕事が
はじまりました。それはすごく愉快で活気にみちた生活でした。上昇期のマスコミの底辺を走りまわることが、
二十代のぼくにはおもしろくてしかたがなかったのです。
不安の力 turba mentis vigor meus 五木寛之 Itsuki Hiroyuki 集英社文庫 25n〜26n

83 :
引用の部分が長すぎるよw
もう少し「ここぞ」という文だけ書き出したほうが。。。

84 :
>>83
そ、そうですか…?(^_^;)
でもなー、、、これ以上削れないなー、、

85 :
>>61->>63
遅くなりましたが、レスをどうもありがとうございました。m(__)m

86 :
人間の「直感」と「何となく」はけっこう正しい
ロンダのように、目的がはっきりしていれば、ただ直感に従って進むだけでよいのです。直感は必ず進むべき道を
教えてくれるはずなのですから。『ザ・シークレット』の中で作家ジャック・キャンフィールドは、暗い夜道を
運転するときの話をしています。「ヘッドライトの明かりは五〇メートル先までしか照らしませんが、道を
それずに目的地に向かうには十分です」と。直感は人生のヘッドライトのようなもの。正しい道に沿って、
次にとるべき方法を少しずつ教えてくれるのです。あなたがすべきことは、それに従って進むことです。
脳にいいことだけをやりなさい! 頭のいい人は「脳の使い方」がうまい! マーシー・シャイモフ[著] 茂木健一郎[訳] 三笠書房 204n

87 :
カムパネルラ、ぼくたち、どこまでも一緒に行こうねえ

88 :
>>87
書き込み、どうもありがとうございます!

89 :
『昆虫は宇宙からやってきたのである』という、まゆつばもんの仮説がある。その仮説をまるごと素直に信じている痴(し)れ者がいる。----私である。
なにしろ、その仮説によれば昆虫の化石というのは何億年だか昔のナントカ時代から突然出現しているのだそうで、それ以前の進化途中の化石らしき
ものが見つからないのだという。地球上への突然の出現----これはもう宇宙からの訪問者としか考えられない・・・・・・私の安易で早急な思考回路は、
その仮説を肯定したと同時に、昆虫に対して宇宙的な規模の夢とロマンを求めてしまっていた。“ううむ・・・・・・虫のやつ、あんな小さな体で実は
地球征服を企んでいるのかもしれぬ恐るべき生物・・・・・・”
「もものかんづめ」さくら ももこ 集英社文庫 164n

90 :
『昆虫は宇宙からやってきたのである』という、まゆつばもんの仮説がある。その仮説をまるごと素直に信じている痴(し)れ者がいる。
----私である。 なにしろ、その仮説によれば昆虫の化石というのは何億年だか昔のナントカ時代から突然出現しているのだそうで、
それ以前の進化途中の化石らしきものが見つからないのだという。地球上への突然の出現----これはもう宇宙からの訪問者としか
考えられない・・・・・・私の安易で早急な思考回路は、その仮説を肯定したと同時に、昆虫に対して宇宙的な規模の夢とロマンを求めて
しまっていた。“ううむ・・・・・・虫のやつ、あんな小さな体で実は地球征服を企んでいるのかもしれぬ恐るべき生物・・・・・・”
「もものかんづめ」さくら ももこ 集英社文庫 164n
>>89の訂正です。

91 :
第四章 ネガティブなことに大きな価値がある
一見ネガティブに見える挫折や苦しみは、
神様があなたのために掘ってくれた穴ぼこです。
その穴に落ちることで、自分が見える、人生が見える。
その中でもがきながら、私たちは人生の宝に出会うのです。
「かけがえのない人間 愛されるより愛する人になる」上田紀行 講談社現代新書 115n、116n

92 :
これには驚きました。お釈迦様がライバルなのか!私は、そんなことを考えたこともなかったのです。しかし考えてみると、
すばらしいライバルに恵まれた人生は、幸せなものです。「あいつがいたから、私はここまでがんばることができた」
とよく聞きますが、それは幸福な競争がいかに大切なものかを物語っています。しかし、現代の競争は、勝者と敗者を生む
ものになり、それは相手を傷つける行為であると、ダライ・ラマはおっしゃいます。そうやって相手を傷つけると、
相手の中に恨みの心がかならず残ります。そして恨みの心は自分を傷つけた相手に復讐しようという心を生み出します。
「かけがえのない人間 愛されるより愛する人になる」上田紀行 講談社現代新書 42n

93 :
バカになればいい。賢くなればいい。バカになることと、賢くなることは、きっと同じなのだ。そこに生命の運動がある限り。人間である限り。
「クオリア日記」茂木健一郎 2011/04/09の記事より

94 :
>>93
ttp://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2011/04/post-4fc7.html

95 :
幸せな家庭に生まれ育ち、親からかけがえのない存在だというメッセージをたくさんもらい、友達にも恵まれ、学校の先生にも恵まれ、
太陽をいっぱい浴びて育った大樹のように、大地に広く深く根を張って、すっくと立ち、輝きを発している人がいます。私の友達にも
そういう人はいて、ほんとに素晴らしい人だなあと心から感嘆します。幸せなことだと思います。そんな人生が歩めたらどんなに
いいことだろうと、うらやましくその人を眺めてしまいます。しかし、私自身も含め、私の友人たちを見回してみても、そんなに
すべてに恵まれて、太陽さんさんという人は多くありません。誰もが何かしらの問題を抱え、歪(ひず)みや悩みに直面しながら
人生を歩んでいます。
「かけがえのない人間 愛されるより愛する人になる」上田紀行 講談社現代新書 117n

96 :
それはヨーグルトですか?
いいえ、ケフィアです。

97 :
>>96
書き込みどうもありがとうございます。m(__)m
ケフィアってヨーグルトの製品名だよね

98 :
03 脳にとって良いことは何か
本当に「脳に良いことは何か。」これをきちんと理解することは、実はピンチをチャンスに変える上ではとても大切なことだと、
僕は考えます。さて、脳にとって本当に良いこと。僕は、それは「偶有性」であるとお答えします。「偶有性」とは
何かというと、「自分が知っていること」と「自分が知らないこと」とが混ざり合っている状態です。別のいい方をすれば、
「予想できること」と「予想できないこと」とが混ざり合っている状態、「慣れ親しんでいて安心できること」と
「新しくて不安であること」とが混在している状態です。それが一番脳にとって良い刺激になるのです。
「ピンチに勝てる脳」茂木健一郎 集英社 25頁(ページ)

99 :
「勝ち組・負け組」は平等な競争の結果なのか
それにしても、これほどワーキングプアやネットカフェ難民と呼ばれる人たちが増えているのに、日本にはどうして「怒り」の声が挙がらないのでしょうか。
「かけがえのない人間 愛されるより愛する人になる」上田紀行 講談社現代新書 18頁

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