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2011年11月2期40: 【映画解説者】荻昌弘【月曜ロードショー】2 (116)
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【映画解説者】荻昌弘【月曜ロードショー】2
- 1 :11/09/08 〜 最終レス :11/11/17
- 荻 昌弘(おぎ まさひろ、1925年8月25日 - 1988年7月2日)は映画評論家。東京都出身。東京大学文学部国文学科卒業。
TBSテレビ『月曜ロードショー』の解説者を長年務めた。
落ち着いた雰囲気で視聴者に語りかけるスタイル、そして映画が始まる前はストーリーには極力触れず、出演者やスタッフにまつわる話に絞った解説はおしなべて好評であった。
また、食通としても知られ、その方面の著書も多い。
長年日本レコード大賞の審査員を務めたが、関係者からの贈答品を受け取らないことで有名だった。
かつて毎年4月21日に放送されていた放送広告の日(現・民放の日)特番では、毎年司会を務めていた。そのためか、CBCの開局35周年特番でも司会を務めていた。
1988年7月2日死去。享年62。
前スレ
【映画解説者】荻昌弘【月曜ロードショー】
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/movie/1170404862/
- 2 :
- 猿メイクしたの覚えてる。
- 3 :
- サンデー毎日の食に付いての連載を愛読していました。
- 4 :
- ドラゴンへの道
http://www.youtube.com/watch?v=BBGNYRY59D8
- 5 :
- 映画に限らず、料理、旅行、オーディオなどいろいろな分野に見識のある人だったね。
こういうルネサンス的な教養人は今はほとんどいなくなった。
- 6 :
- 月曜ロードショーでセーラー服と機関銃を放送した回
邦画は初めてだったかもしれない
自分はひろ子ファンだから喜々として見てたんだけど
洋画専門の荻さんに邦画しかもアイドル映画の解説をさせたのは可哀想だった
映画の評論なんて楽な仕事だなと思っていたが興味がない映画を誉めるのは辛いだろうなと思った
淀川さんなら見てる方が直ぐ分かったけど
- 7 :
- 洋画専門ということもないんじゃないか。
それに荻さんはつまらない映画をヨイショするような人じゃないよ。
- 8 :
- けどB級映画の紹介でも愛が感じられたよね
- 9 :
- ミミズのホラー映画がカンヌだか映画祭出品したって話で
まあいい度胸てますねと呆れながら解説していて
正直な人だなあと思ったの覚えてる
- 10 :
- ミミズホラーってスクワームかな?
荻さん解説DVD化してほしいね
- 11 :
- 熱血と知性が両立してるところがいいんだよな
- 12 :
- 食通で寿命を縮めたという感じもしますね。
肝臓病で若くして亡くなられて。
- 13 :
- あれだけ旨いものを食べ、あれだけいい音楽を聴き、あれだけいい映画をたくさん観て
あれだけ世界各地を旅すれば62年の人生も短いとは言えないだろう。
むしろ凡人の何倍も充実した人生だったというべき。
- 14 :
- こんばんはオギーマサヒロです
最後の出演がつべに残ってて泣いた。
- 15 :
- 「ちゃらっぽこ」という言葉は荻さんの本で覚えました
- 16 :
- 荻萌
- 17 :
- エリミネーターズも放送したなぁ。
- 18 :
- 2010/12/17(Fri) 1238
12月11日、私はほんとうに幸福だった。この数年、私は「現代文学を語る」という連続講座をつづけているのだが、
この日は「戦後の映画批評について」語った。
たまたま、映画批評家、荻 昌弘の仕事を論じることになったのだが、令嬢の荻 由美さんが、わざわざ軽井沢から
聞きにきてくれた。おなじ軽井沢在住の作家、山口 路子さんが知らせてくださったという。ありがたいことであった。
おふたりに心から感謝している。
http://www.varia-vie.com/sunclip/page2.html
娘さん、今でも荻姓なのか。独身なのかな。
- 19 :
- ★映画評論や料理研究 ― 荻昌弘さん死去
映画評論を始めテレビの劇映画解説や料理、旅番組のリポーターにまで、幅広く活躍していた
荻昌弘(おぎ・まさひろ)氏が2日午前8時56分、肝不全のため、東京都文京区本郷三丁目の
順天堂大病院で死去した。62歳だった。
告別式は4日午後1時から荒川区西日暮里3の1の3の本行寺で。
自宅は文京区大塚4の16の16。喪主は妻、起久江(きくえ)さん。
26年に東大文学部国文学科を卒業、映画専門誌「キネマ旬報」「映画旬刊」を経て31年6月から
フリーの映画評論家として活躍し、45年4月からTBSテレビ系の「月曜ロードショー」の解説者として
親しみやすい語り口で、淀川長治、水野晴朗氏と共に人気を得た。
同局の映画解説は、昨秋スタートした火曜日の「ザ・ロードショー」でも引き続き担当。
さる5月まで18年間休むことなく続けた。
多趣味でも知られ、料理研究家、オーディオ評論家としても活躍した。
- 20 :
- 映画評論家の双葉十三郎さんの話
「若いころから評論家として、一家をなした人でした。
映画好きなのはもちろん、大変な博識で、独特の社会的視点を盛り込んだ名調子の文章が忘れられません。
実に人当たりがよくて思いやりがあり、嫌な思いをしたことは一度もありませんね。
真っ先にワープロで文章を書くなど新しもの好きで、時代を先取りする精神にはいつも驚かされたものです。
これから落ち着いて仕事をする年齢にさしかかり、期待していたのに、本当に残念でなりません」
※毎日新聞 1988年7月2日(土)夕刊より
- 21 :
- ★荻昌弘氏のめい福祈る
TBSテレビの「ザ・ロードショー」の解説に、荻昌弘氏の姿が見えないので、どうしたものかと
思っていたところ、氏の訃報を知り、大きなショックを受けた。
氏が倒れても代役を立てなかったのは、氏の回復を信じて待っていたのだろう。
映画を愛し博識と温厚、あの名調子を思いつつ氏のごめい福を祈ります。
(東京都・大学生。山本義浩20)
※毎日新聞 1988年7月6日(水)朝刊「放送塔」より
- 22 :
- 晩年ビートたけしと揉めて馬鹿と呼ばれたたりしてたけど
そんな人じゃないと思ってたよ
たけしがなぶってやろうという魂胆で司会の番組に出演させられても
堂々と応対してた
- 23 :
- >>22
ビートたけしと揉めたって初耳。なぜ揉めたの?
- 24 :
- その男凶暴につきを批判したの
たけしはおいらは荻さんを馬鹿と思ってると雑誌に書いてたけど
よつぽど悔しかったらしくテレビタックルに出演させてコケにしようとした
でも荻さんはゲストの大島渚に罵倒されたりしても堂々としたもんだったよ
- 25 :
- 荻昌弘が亡くなったのが1988年7月2日で
『どーする?!TVタックル』が始まったのは1989年7月3日、
それが『ビートたけしのTVタックル』になったのは1991年4月1日なんだが。
誰か他の人と勘違いしてないか。
- 26 :
- 『その男、凶暴につき』の公開は1989年8月12日で、これも荻昌弘の没後だね。
北野武は荻昌弘の生前は映画を作っていないので、やはり別人と勘違いしてるだろう。
- 27 :
- その男凶暴につきを批判したのは記憶違いだったか
たけしが司会のテレビ番組に出演してやりあったのは本当だよ
その後彼が僕を馬鹿というのは愛情ですからと書いていた
- 28 :
- 映画を作る前のたけしがどういう接点で荻昌弘と関係を持つのかわからん
- 29 :
- たけしはおすぎと水野晴朗も悪く言ってたし
映画評論家が嫌いなんでしょ
- 30 :
- TVタックルでたけしや大島渚とやり合ったのは田山力哉じゃないかな
- 31 :
- >1990年に北野武が当時の最新作『3-4X10月』を監督した際には、北野がタレント・ビートたけしとして司会だった
>テレビ番組『どーする!?TVタックル』の1990年11月12日放送の回にゲスト出演した。
>その回のテーマは「映画監督の逆襲」で、田山は1人で低い位置の被告席に座らされて、高いひな壇に座る
>大島渚ら5人の映画監督に集中攻撃を受けて孤軍奮闘した[2][3]。
本当だ。ID:0IQdjR9wは明らかに田山力哉と勘違いしてるね。
- 32 :
- いい加減なこと書いて荻さんと皆様にごめんなさい!
今日までなんで荻さんと思い込んでたんだろう
- 33 :
- ID変ってるけど間違い書き込んだ者です申し訳ない
しかし俺の記憶の中では荻さんが大島渚に言い返してたんだがなあ
- 34 :
- 四谷丸正に買い物に行った時のこと。
一階で休憩していた上品そうなおばあさんとちょっとしたキッカケで言葉を交わした。
おばあさんは「上でお茶でも飲みません?」と言ってくださった。
上にお茶を飲めるところがあるとは知らなかったもので、おばあさんと一緒に上の階へ。
初対面同士、いろいろ話をしていて分かったこと・・・娘さんのご主人=婿はな、
なんと映画評論家の荻昌弘さんだった! まだまだ荻昌弘さんがご健在の頃。
私がシナリオの勉強を始める前だったような。
まさに一期一会のでした。
http://see-saw.way-nifty.com/diary/2011/05/post-7e99.html
- 35 :
- 「この人、秋山さん。映画が大好きな人で、ぼくの長い、友だちです」
そう言って、紹介された人というのが、なんと、荻昌弘さんの奥様だった。
紹介されて、驚いた。正直、予期せぬ、うれしい驚きだった。
荻昌弘さんといえば、映画評論家として有名だっただけでなく、その他、料理のことも、世の中のいろいろなことについて、
博識であり、本当の意味での文化人、知識人と言える人だった。『大人のままごと』『男のだいどこ』などの本は、
ぼくの仕事場で原稿を書いているときにいつでも見えるところに並んでいる。本のタイトルが目に入るだけで、
うれしくなってしまう、そんな本なのだ。
また、20年程前に、TBSテレビの「そこが知りたい」という番組の中で、東京の水を取り上げたことがあった。
そのとき、ぼくは水質調査隊長ということで、番組に出演し、番組全体の総合進行を荻昌弘さんが務めた。立派な人だった。
その荻昌弘さんについて、奥様と、いろいろな話をした。
「東京や軽井沢の他に、大分にも仕事場があるって書いてあったんですけど・・・」
と、気になっていたことも尋ねてみた。
「あれね、実は、講演で大分に行ったときに、偶然、売りに出ていたのを見て、いい場所にあって、風景も
よかったので、それで、すぐに買うことにしてしまったんですのよ」(略)
越乃寒梅と銀座ナイルレストラン自慢の特製インド料理を味わいながら、話は大いに盛り上がり、最近の
映画の話もいろいろとした。
戴いた名刺には、印刷された荻昌弘さんの名前の横に、手書きで起久江とあった。郵便番号も3ケタのまま。
電話番号の東京の局番の3ケタのまま。それに、手書きで書き加えたものを戴いた。ありがたい。うれしい。
ぼくの大好きな、尊敬する荻昌弘さんの名刺が戴けるなんて・・・。
「もう、亡くなって17年にもなるのに、そんなにも主人のことを思っていてくれる人がいただなんて・・・」
と、言われた。が、とんでもない、うれしいのは、こちらの方である。
http://www.tsu.ac.jp/jinbun/subject03/kankou/2004/11.html
- 36 :
- 生前も没後も、これだけ悪口を言われない人というのも珍しい。
人徳であろう。
- 37 :
- 前スレは981レスで落ちたんだな
http://logsoku.com/thread/mamono.2ch.net/movie/1170404862/1-100
- 38 :
- 荻さん解説集出ないかな
- 39 :
- 惹句なんとかって本なら持ってる。
- 40 :
- ブリットの解説は印象深かったなぁ
感情が高ぶってしまったらしく涙目での解説だった
- 41 :
- ブリットの解説とかみてぇ〜
- 42 :
- 月曜ロードショーで放映されたコメディ映画
1978年4月17日(月) 「M★A★S★H(マッシュ)」
1978年5月22日(月) 「新・おしゃれ泥棒」
1978年8月28日(月) 「J=P・ベルモンドの交換結婚」
1978年12月11日(月) 「ニューヨーク→パリ大冒険」
1980年1月14日(月) 「激走!5000キロ」
1980年3月10日(月) 「スリーパー」
1980年4月7日(月) 「ピンク・パンサー3」
1980年12月1日(月) 「マッシュ・イタリアーノ/全員集合!」
1980年12月15日(月) 「オー!ゴッド」
1981年3月9日(月) 「メル・ブルックス新サイコ」
1981年5月18日(月) 「アニー・ホール」
1981年9月7日(月) 「冒険喜劇大出世」
1981年9月21日(月) 「シドニー・ポワチエ一発大逆転」
1981年12月21日(月) 「名探偵登場」
1981年12月28日(月) 「アウトローブルース」
1982年2月22日(月) 「グッバイガール」
1982年5月17日(月) 「天才悪魔フー・マンチュー」
1982年6月7日(月) 「名探偵再登場」
1983年6月13日(月) 「フライング・ハイ」
1984年3月12日(月) 「弾丸特急ジェット・バス」
1984年6月25日(月) 「ユーズド・カー」
1984年7月30日(月) 「クレイジーポリス大追跡」
1987年10月13日(火) 「ポリス・アカデミー」
- 43 :
- ビーバップ・ハイスクールの解説もやってたよね与太郎行進曲だっけか
- 44 :
- ホット・ロックは?
- 45 :
- ちなみにロバート・レッドフォード作品は
1973年4月30日(月) 「逃亡地帯」
1976年6月7日(月) 「ホット・ロック」
1979年4月23日(月) 「華麗なるヒコーキ野郎」
1980年7月28日(月) 「ホット・ロック」(再)
1980年8月18日(月) 「大統領の陰謀」
1981年1月5日(月) 「明日に向って撃て!」
1981年12月7日(月) 「コンドル」
- 46 :
- >>43
ご指摘の通り、ビーバップの第3作「高校与太郎行進曲」は1988年4月12日(火)に
「ザ・ロードショー」枠で放映。荻さんの解説付きだった。
(その年の5月31日が荻さん最後の解説となった)
ちなみにビーバップ第1作の初放送は1986年12月30日(火)で
月曜ロードショーとは別枠。荻さんの解説はなかった。
第1作は87年12月1日(火)に「ザ・ロードショー」枠で再放送され
初めて荻さんが解説を務めた。
- 47 :
- >>46
知ってる人がいてうれしいよ、あの解説は薬師丸映画(たしか、野蛮人のようにって映画)にも
触れてて凄い印象に残ってる。
小学生だった俺には衝撃的な作品だったし荻さんが与太郎って言ってたのを思い出すと笑ってしまう。
その時代に無くなってたとは、、、。
淀川さんの解説も復活したりDVD化されてるし是非荻さんのもやってほしいね。
久しぶりに実家のビデオ整理してみるか。
- 48 :
- 007やエイリアン、ブレードランナーといった超メジャー映画の解説はつべで見れるけど
月曜ロードショーでよくやってた、B級邦画の解説も見てみたいなあ。
- 49 :
- 1987年東京国際映画祭の出来事。エトーレ・スコーラ監督の「家族」がフィルムの到着が遅れてなかなか始まらない。(公開名は「ラ・ファミリア」)荻さんに奮闘が無けれは20分以上遅れていたかも。
- 50 :
- B級邦画といえば渡辺典子主演の『晴れ、ときどき人』の解説はなぜかいまだ印象に残ってる。
- 51 :
- 『晴れ、ときどき人』なぜか映画館で観たよ。
犯人は松任谷由美の旦那。
- 52 :
- 9月8日にテレ東「午後のロードショー」でやったブレードランナーを録画して見たら
月曜ロードショーの時の吹き替えがそのまま使われていて懐かしかった。
- 53 :
- 若かりし頃、吹き替えより字幕にこだわってた時期もあったが
今となっては吹き替えも一つの作品だよなぁ。
ビデオで録画して繰り返し観た作品ほど、字幕で観ると違和感を感じたよ。
おかしな話だけど・・・
- 54 :
- 日本語吹き替えはDVD化されても違う声優やボンクラ役者の声が入ってる事が多々あるしね。
特に小学校の時に見た作品とかは凄い印象に残ってるな。
つべ見たら荻さん最後の出演のが上がってるね、DVD化する気が無いなら消さないで欲しいな。
- 55 :
- 吹き替えの翻訳のほうが正しいこと結構あるよ
テレ東のブレードランナーは荻さんが解説したときの吹き替えだったが
当時削除されていたレプリカントがタイレル社長の目に指突っ込む場面が追加されてた
- 56 :
- 月ローのブレランは寺田農さんがとにかく素晴らしかった。
戸田恵子のレイチェルは、アンパンマンと並ぶ戸田2大人造人間キャラと言えるな。
- 57 :
- 削除シーンの復活でデッカードもレプリカントだったということになったけど
自分には荻さんが解説し寺田農が吹き替えしたバージョンがオリジナルで観た回数が多い
- 58 :
- TBSの吹き替えでは藤田淑子、野沢雅子、坂本千夏の「グーニーズ」
神谷明、内海賢二の「ポリス・アカデミー」も思い出深い。
- 59 :
- 邪道かもしれないが、ほんと吹き替えで作品の印象が大きく変わるよな。
- 60 :
- 吹き替えも立派な映像文化の一つだと思う。
それと、間延びした映画がカットされて見やすくなる事があるから
どの部分をカットするかも番組担当者の腕の見せ所だと思う。
- 61 :
- 荻さんはちゃんと映画をdisってたよね
- 62 :
- 確かに本当の意味での『解説』をしていたと思う。
淀長さんの解説もいいけど、今になって印象に残ってる解説は荻さんの解説かな。
蛇足だが日曜洋画劇場の解説にシュワちゃんが登場したときがあり、やたらシュワに触りたがる淀長さんが印象的だった。
- 63 :
- シュワルツェネガーに今度一緒にお風呂入りましょうねと言ったのは驚いたよ
荻さんや淀川さんの解説付きで映画再放送すりゃいいのに
水野さんは危ない刑事みたいな映画を
本当にいいものですねと言うのはストレスだったろうな
- 64 :
- >>63
淀川さんの解説は今週のダイハードで復活するよ。
荻さんの解説も是非復活してほしい、せめてDVDで出してくれたら、、、
水野さんは最悪な映画には本当にいいものですねって言わない回もあったって都市伝説があるよね。
- 65 :
- どんな映画でも必ず文明社会への批判にもっていく水野さん
どんな名作でも一言は辛口コメントを入れる荻さん
どうしようもない作品の時は、タイトルの説明に時間を費やす淀川さん
テレビの洋画劇場の解説者が、映画文化の発展に果たした功績は大きいよな
- 66 :
- 淀長さんは邦画の解説はしなかったね。
スタッフキャストはもちろんながら、その作品の製作年度や時代背景、
その国の文化風習を伝えることで、より理解度を深めてもらうための解説に徹していたと思う。
日本人に邦画の解説なんて必要無いしな。
- 67 :
- >>66
アナザーウェイD機関情報と夢の解説はしていた。
- 68 :
- 幽幻道士のロリコン解説も思い出に残ってるな〜、ほんとに素晴らしかった。
- 69 :
- >>68
あーテンテンちゃんか
「わたくしロリコンではありませんが、テンテンちゃんが本当にかわいい」って言ってたやつな。
何でこんな映画の解説をしなければならんのかという痛々しさもあったが。
- 70 :
- >>69
けど、
「トリックも使ってるが一人一人にちゃんとした訓練が出来て無いとあんな事は
出来ない、存分に笑いころげて下さい」って解説には凄く愛を感じたよ。
- 71 :
- >>69
…あれはあれで、B級映画として楽しんでらっしゃったのでは。
その後?に、金じいさんとかテンテンちゃんとか総出でスタジオにゲスト出演したのを覚えてる。
あと、キョンシーのお面被って解説したのも。
>>61
戦中派らしく、好戦的な映画は相当嫌ってたみたい。
ランボーとか、ジョン・ウェインのグリーンベレーとか。
- 72 :
- 幽玄道士シリーズはその後も月ロー枠で放送されてたしね。
でも氏の書籍や解説を見聞きする限りでは、意にそぐわない仕事だったと思わざるを得ないんだよ。
- 73 :
- 仕事と趣味趣向は両立しないという現実をまざまざと見せつけられた、ある意味名解説だったのかもしれない。
- 74 :
- >>5
戦前生まれでね、まだ安い二番館三番館が沢山あったような時代に育ってね(ただwikipedia
で見ると親や学校には隠れて映画館に行っていたようだが)、それで東大でしょ?
戦前戦後のある種の教養主義に浸って贅沢に育った幸運な人ですね。
だからこういう才能がもう出てこないのはそれは仕方が無いとは思います。
あとキネ旬に入れて業界とコネが作れたのも運が良かったと思う。キネ旬なんて昔から小さな会社だから
正社員ではそんなに簡単に入れないですよ。たまたま空きがあって東大生という
ことで面白がって入れてくれたんじゃないかと思うんだけど。
中平康や渡辺祐介と友人というのも面白いね。渡辺祐介なんて映画にTVに撮り
まくりの濫作商業監督ですよ。今の和泉や三池みたいなもん。そういう人と知り合いというのが興味深い。
- 75 :
- >>13
荻さんは生前はTV出演に講演に執筆にもの凄く忙しかったらしい。合間には映画
の試写も観ないといけないし、月ローの企画も見ないといけない。
それで命を縮めたような話ですけどね。
自分の趣味を語ってそれが仕事になって日本中に家(仕事場)が何軒もあってさ、
もう本当にいい人生だったと思いますよ。
>>72
淀川さんの生前はテレ朝の日曜洋画劇場の方が予算が無かったのか安い映画が
多かったけどね。淀川さんの方が気の毒だったと思う。
解説も荻さんの方がまだ真面目にやってたと思うし。
昔はTBSと日本テレビとフジは映画購入の予算があって有名作品が多くテレ朝
は本当にお金が無い感じだった。実際、昔のテレ朝はネット局も少なく弱小で
本当にお金が無かったのだろう。
- 76 :
- >>42 に、チャップリン映画を追加。
1975年4月28日(月) 「チャップリンの伯爵夫人」
1976年10月8日(月) 「モダン・タイムス」
1977年1月3日(月) 「ライムライト」
1977年5月2日(月) 「チャップリンの独裁者」
1977年5月9日(月) 「街の灯」
1977年5月16日(月) 「人狂時代」
1977年5月23日(月) 「ニューヨークの王様」
1977年5月30日(月) 「チャップリンの伯爵夫人」(再)
1977年12月26日(月) 「キッド」「偽牧師」ほか
1978年1月2日(月) 「サーカス」「給料日」
- 77 :
- サンダーボールもこの人の解説だったよね
- 78 :
- >>77
007サンダーボール作戦の初放映は1977年4月4日。11時25分までの延長放送だった。
- 79 :
- 日曜洋画で淀長さんのダイハード解説復活してるけど、正直それほどの解説でもない。
淀長さん自身すでに高齢かつ『さよなら』キャラクター化されて久しいころの解説。
このスレとは関係ないと思うが、日洋はCMが4回しか入らず(他の映画番組は6回)
入るCMもスタイリッシュなものが多くて、何となく大人のイメージが強かったなぁ。
- 80 :
- >>72
幽幻道士はTBSの金出す部署が買うかどうかで渋ってたのを、荻さんが「面白い」って言ったからGOサイン出たんだぜ。
ついでに香港映画って誤魔化さずに台湾映画として解説したのも荻さん。
- 81 :
- 台湾映画って言ってたよねすげー懐かしいなw
とっぴょーしもなく面白いでしょ、わたくしロリータ趣味は無いんですけど
テンテンちゃんなんてなかなか可愛いとおもうんです。
ガキの頃見たが凄く印象に残ってるわ
- 82 :
- 月曜ロードショー、TBSで放映されたキョンシーもの
87年1月12日(月) 「幽幻道士 霊幻道士にゃ負けられないキョンシー・ホラーはこちらが本家封切り版」
87年4月4日(土) 「幽霊道士 みんなが見ました幽幻道士キョンシー・ホラーの最新作・直輸入初公開また見てネ」
87年9月21日(月) 「幽幻道士・キョンシー・ホラーはテレビに限る・テンテン、チビクロ大活躍」(再)
87年10月4日(日) 「幽幻道士2 テレビ観るならキョンシー・ホラー・お待たせ続編ただ今到着初公開」
88年4月3日(日) 「幽幻道士3 テンテン・チビクロ・ベビキョンとみんなそろって大活躍・おなじみキョンシー映画の最新作」
88年5月17日(火) 「再来!キョンシーズ・見どころいっぱい、面白さ最高、おなじみキョンシー映画の新作TV初登場」
88年8月16日(火) 「幽幻道士2 大変・親方が狂暴キョンシーに、テンテン・チビクロたちの運命は?」(再)
88年10月9日(日) 「幽幻道士4 キョンシー人気またまた爆発・シリーズ最新作はやくもTV初登場」
- 83 :
- >>82
この中で荻さんの解説が入ってるのは87年1月、87年9月、88年5月。
月曜ロードショー末期とザ・ロードショー期の目玉コンテンツだったんだな。
- 84 :
- このスレいいなあ
荻さんの人徳を感じる
- 85 :
- ノスタルジックなスレだよな
解説の存在意義があった時代だったし
- 86 :
- 映画解説なんていらないじゃんて言った嫁をコンコンと説教したあの夏
- 87 :
- なんで映画解説無くなったんだろ?
今なんて映画始まる前にどうでもいいアイドル俳優が映画の宣伝して終わりじゃん
- 88 :
- ・コスト削減
・ザッピング防止
・番宣枠の確保
・ネットの普及
こんな感じだよね。制作費は削られるわ、つまらん解説してたら
他のチャンネルに移動される可能性大だわ、局の都合で番宣
入れなきゃいけない事が多いわ、ネットで映画の情報は手に入るしって感じ
- 89 :
- なるほどな、寂しい話
- 90 :
- 荻さんの没後、『ザ・ロードショー』の解説を小堺一機が引き継いで
それがあまりに中身のない解説だったので3ヶ月も経たずに小堺は降板。
あれが日本の映画番組から解説がなくなっていくきっかけだったような気がする。
http://homepage1.nifty.com/wsk/voice/histv.htm
- 91 :
- 小堺の映画好きは有名だが、確かにつまらないのではと思うw
記憶に全くない。CSでフジテレビの軽部が支配人とかいう肩書きで
解説者やってるね。これも最悪、映画好きなのはわかるが解説者
としては不愉快なだけ。男おばさんの笠井も同様。見るに耐えない
- 92 :
- リーサルウェポンとコットンクラブだけは、小堺じゃなく荻さんの解説を聞きたかったな〜
- 93 :
- 浜村淳みたいな糞ネタバレ解説者の責任もあるだろうな。
- 94 :
- なにこの良スレ
- 95 :
- ひとえに荻さんの人徳。
- 96 :
- うちの母親に「むかし、荻昌弘っていたよね」と話を振ると「ああ、あの上品な感じの人」という返事が返ってきた。
没後20年以上経っても、ただちに「あの上品な人」というイメージで思い出してもらえる文化人が
今の日本にいるだろうか?
- 97 :
- 荻さんの解説でご飯が三倍美味くなる
- 98 :
- ご飯は美味くならないと思うが、酒は美味くなると思う。
- 99 :
- 月曜ロードショーの、有名人の死去にともなう追悼放映
72年4月17日(月) 「雪国」(川端康成4月16日死去)
77年12月26日(月) 「キッド」「偽牧師」ほか(チャールズ・チャップリン12月25日死去)
79年6月25日(月) 「ブラニガン」(ジョン・ウェイン6月11日死去)
80年5月5日(月) 「ファミリー・プロット」(アルフレッド・ヒッチコック監督4月29日死去)
80年11月10日(月) 「華麗なる週末」(スティーブ・マックィーン11月7日死去)
85年9月16日(月) 「時代屋の女房」(夏目雅子9月11日死去)
85年10月14日(月) 「王様と私」(ユル・ブリンナー10月10日死去)
87年6月29日(月) 「傷だらけの人生・古い奴でこざんす」(鶴田浩二6月16日死去)
87年7月20日(月) 「俺は待ってるぜ」(石原裕次郎7月17日死去)
89年6月27日(火) 「伊豆の踊子」(美空ひばり6月24日死去)
89年11月8日(水) 「家族ゲーム」(松田優作11月6日死去)
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