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2011年11月2期5: 【三法師】清洲会議を語る【天正十年】 (561)
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【三法師】清洲会議を語る【天正十年】
- 1 :07/10/17 〜 最終レス :11/11/21
- 参加者に滝川一益がいないとか、格がない池田恒興が参加してるとか、
丹羽長秀は何故秀吉を支持したとか、三法師擁立は誰の策とか、
賤ヶ岳の戦いの前哨戦とか色々な要素がありますが、多面的に語りましょう。
■関連スレ
【義理人情】柴田勝家【現代で酷評】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157097383/
丹羽長秀
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164615623/
池田氏について語るスレ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1159083125/
織田信雄を語る
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149993954/
【報いを待てや】織田信孝【羽柴筑前】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180257020/
賤ヶ岳の戦いを分析する
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152985790/
- 2 :
- 信雄や信孝の参加が許されなかった?って時点で、どうもアレなような。。。
- 3 :
- 丹羽長秀の馬鹿さ加減が際立つ会議
- 4 :
- >>3
長秀は後に悔いて自害してるなw
- 5 :
- まあ病死説もあるけどな。秀吉の策略がプンプンする会議なのは確か。
- 6 :
- >>3
窓際だったのに宿老として参加できてヒャッホイじゃねえの?
- 7 :
- >>6
窓際どころか、本能寺直前の時点では実務官僚として前途悠々だったぞ>丹羽
織田家内で既に武将の時代は過ぎ去り始めていた。秀吉も勝家も(勿論光秀も)中国と関東の
目処が付いた時点で暫時権力兵力を削がれていくことになっただろう。巨大な領土と兵力を持つ者は
織田家にとって脅威にこそなれ、もはや必要がなくなるからだ。
織田の天下がある程度確定すれば、権力を持つのは側近官僚のグループと、丹羽の様に築城や
城下町の整備など、平和な時代のインフラを構築できる能力を持った者たちですよ。
- 8 :
- しかし、>>1にも書かれているが池田の参加をよく柴田が認めたな。
織田一族の、信雄・信孝・信包・長益は蚊帳の外だし。
- 9 :
- お前らバカか
丹羽が後に秀吉恨んで死んだってのは完全に後世の創作だぞ
- 10 :
- ソース出して言えよ
- 11 :
- >>10
それは話が逆でしょう
逆に一次史料にあるという証拠が出せたら間違いだと言えるけど
貴方の言ってるのは悪魔の証明だよ
- 12 :
- そもそも勝家が織田家を守るためにうんぬんというところから大嘘
信孝かついで、足利幕府でいう管領的立場を狙ったのは明白だろww 勝家にも己の保身と野望が無いといえば嘘になるだろうしな
そもそも担いだのが信孝というのが… 信孝でいいなら信雄でもいいという話になって争いの火種が増えるだけ、信孝が信雄に比べて能力が高いというわけでもない
信忠死んだ時点で織田家オワタ
- 13 :
- 長秀切腹のソースは「藩翰譜」(江戸中期)、「名将言行録」(江戸末期)だったりしてなw
- 14 :
- >>12
> そもそも三成が豊臣家を守るためにうんぬんというところから大嘘
> 秀頼かついで、足利幕府でいう管領的立場を狙ったのは明白だろww 三成にも己の保身と野望が無いといえば嘘になるだろうしな
> そもそも担いだのが秀頼というのが… 秀頼でいいなら秀次でもいいという話になって争いの火種が増えるだけ、秀頼が秀次に比べて能力が高いというわけでもない
>
> 秀長死んだ時点で豊臣家オワタ
特に違和感は無いな。
- 15 :
- 秀吉に対して平伏しているのか、秀信に対して平伏しておりますのか曖昧であった
- 16 :
- >>12
あそこで信忠が死んだのは痛いな。仮に生きていれば天下は取れただろうという可能性が高いだけに。
尤も、いきなり謀略の塊みたいな光秀に謀叛起こされりゃ、頭良いヤツは策を二重三重に張り巡らしているって考えるのもわかるけどね。
- 17 :
- >>8
あくまで三法師付ってことで秀吉の味方という気は
さらさら無かったから柴田も認めたんじゃねーの?
で、三法師付だから本人の意志関係なく自然と秀吉方に
なっちゃっただけで。実際、池田は柴田攻めの時、
適当に理由つけて?従軍してないしさ。
それに清洲会議以降、秀吉って池田懐柔に何か必死じゃん。
輝政を養子にしたり養徳院にまでごますってる感じの
書簡を送っているしさ。通説どおり最初から秀吉方ならここまでするもんかなと。
ただ、漠然とだから根拠を求められると困るけど
俺は池田が本当に清洲会議の場にいたのかすら
正直疑問に思ってる部分もあるよ。
- 18 :
- >>8
身内が外されたのは家督の当事者だからじゃないかな?
舎弟はともかく信雄と信孝は家督を相続してもおかしくない立場だったから。
- 19 :
- 他の大名家では当主と後継者がいきなり死んだ時どうやってたのかね
- 20 :
- >>19
死だけでなく似た状況を含めると、
諸分家入り乱れての後継合戦(南部氏)
重臣が傀儡の次男坊を立てる(能登畠山氏)
舎弟たちが雌伏して草の根でお家再興を頑張る(秋月氏)
舎弟たちが当主をたてて盛り立てる(毛利氏・筒井氏ほか多数)
曾孫を引っ張り出して隠居が長生きする(龍造寺氏)
- 21 :
- 池田が入ってるのそんなに変かな?
出世はかなり遅かったけど荒木の後釜として摂津一職支配しているんだから
別格の5人(羽柴・明智・柴田・滝川・信忠)以外では一番身上が上
かつ明智討滅にも加わってる
この人抜いたらじゃあ誰がかわりに入るべきなのか教えて欲しい
- 22 :
- ニワちゃんかわいいよニワちゃん
- 23 :
- >>21
とりあえず滝川一益じゃね?
- 24 :
- 滝川はまだ帰ってきてないから
- 25 :
- 間に合っていたとしても上野失ってたら伊勢半国
池田より格下扱いされそうだ
丹羽よりは上だけど
- 26 :
- 上野を支配下に治めてまだ3ヶ月弱、関東・甲信の基盤もまだ脆弱な上
自軍2万に対して北条軍五万、信長・信忠親子の突然の死によって家中大混乱、
ついでに関東も大混乱と一益にとってマイナス要素だらけの状況で上野死守なんて信長でも無理だろうけどな
- 27 :
- それでも信長なら、信長なら…
自軍は1万だろ しかもそれで突っ込んで負けたんだ
それなら守りに徹してたら相手の兵糧は勝手に尽きるし、勝手に引き上げてくれるだろう
- 28 :
- >>27
信長ならそもそもそんな火りな状況で戦わない。軍を出さない。
- 29 :
- >>28
火りってなんだよ、「不利」ねw
信長はとくだん戦闘戦争がうまいわけじゃ無い。そんなものより状況を有利に持っていく政治戦略が抜群に上手いから
天下取り直前までいけた。
- 30 :
- まあ史実の信長を考えれば信長ならなんとか出きるかもしれないと言うのはあるな
劣勢の兵力であっても突っ込んで勝ってしまうという戦歴の持ち主だし。
- 31 :
- >>19
信長の死の二年後、当主とその世継ぎが死んだ例がある。
池田恒興&元助親子なんだけど。小牧長久手の戦いのとき両方とも戦死。
驚くべきことに、年齢も信長・信忠のときと同じ。親49歳、嫡子26歳で。
しかも元助には信忠とまったく同じように2人の息子がいたのに、秀吉は
あっさりと弟の輝政を後継者として認めている。
- 32 :
- 森長可も26歳で死んで、後を弟の忠政が継いでるよな?
池田元助の具体的な戦歴わかる人いる?1580年の摂津花隈城攻めを父親との共闘と、
1581年の由良城攻めの羽柴秀吉との共闘、そんで小牧長久手くらいしか知らないんだが。
- 33 :
- >>28
だろうな、つーか別に信長じゃなくても、多少なりとも外交の心得のある奴なら
あの状勢で普通北条との和睦・・・というか、別に北条家はまだ敵対してないし、同盟国だし、上手く味方にするだろう。
北条から見てもいくら総合的な力では北条の方が上とは言え、上野のあの地がいかに攻めにくい場所かは
先代の氏康から争ってる北条家が一番良くわかってるわけで、無理押しするとは考えられない。
まして、信州を奪いに行ってる最中で、上杉・徳川とぶつかる事が必至な情勢、
無駄な争いは避けたいはず、普通に和睦できただろう。
- 34 :
- 柴田も滝川が戻ってくるまで、待てば良かったのに。
会議を開く時点では、滝川は生死不明の状態だったのかな?
- 35 :
- >32
元助はよく恒興にくっついてたらしいから
年相応になってから以降は恒興が行ったあたりは
一緒にいたんじゃね?確か松永攻めあたりが初陣で
荒木攻めあたりの時や武田攻めにも行ってたらしい。
あと摂津攻略時は恒興隊とは別に信長から直に兵を
与えられているからかなり優秀だったんじゃないかな。
関係ねーが天正8年あたりになると実質元助が池田家を
継いでいたんじゃないかという話もある。
この頃の恒興は病になっていてどうやら出家ないし
隠居に近い感じだったらしい。確かに武田攻めの時も
恒興はなぜか留守番だったみたいだからね。
- 36 :
- >>34
滝川は結果的に柴田についたけど
柴田派ってわけでもなかったんじゃないの
- 37 :
- 秀吉主催の信長葬儀に参加しようとしていたしね、
ところが秀吉は拒絶、滝川なんていらねみたいな態度。
秀吉が滝川を敵陣営に追いやったような感があるが実際はどうだっただろ?
実際に戦争が起こってからは滝川に随分苦戦する羽目になるけど。
- 38 :
- 本能寺の変から数年で織田の重臣がいっきに死んだり引退したりしてるよね
- 39 :
- あの辺は幹部連中総入れ替えで面白いよね
- 40 :
- 全員いい年だったから、代替わりするのが本来だったんだろうけどな。
幹部連中皆、嫡子がぱっとしないか、そもそもいないかだから。
変なところで共通項作りやがって。
- 41 :
- 勝家は信孝を立てて秀吉と争ったと一般にはされてるが、
その確証はないらしい。
- 42 :
- >>40
>幹部連中皆、嫡子がぱっとしないか、そもそもいないかだから。
御家大事の時代に、後継者がいないって普通ありえないよな。
死後に遺領を収公するには、もってこいだとは思うが。
>>41
日独伊三国同盟みたいに、バラバラに戦ってたという感じか。
秀吉に各個撃破されてるし。
- 43 :
- 加久耕三氏が著書で言ってたことを思い出したんだけど、
信長によって取り立てられた秀吉はじめ、丹羽池田前田らと信長には
「同世代の共通価値観」みたいなものがあったんじゃないかと言ってたな。
(重臣の柴田・佐久間、
もっと後に取り立てられた上に他国者の滝川・明智は例外)
あったら面白い的なネタでしかないけど、
この面子の名前を見てると、ひょっとすると……と思ってしまう。
- 44 :
- 勝家に「お市の方」を再嫁させたのは信孝だよね?
時系列的に見て、秀吉&信雄に対抗するための策と見て良いかな??
- 45 :
- 勝家から堀秀政に宛てた手紙で縁辺の儀は羽柴と申し合わせたとおりにしたと書いているから
お市再嫁も清洲会議の決定と見る方が自然じゃないかと
- 46 :
- >>45
ということは、再嫁の件は秀吉も納得して決められたことか。
勝家を暴走させない為の鎖かな?
- 47 :
- >>35
詳しい情報サンクス
そう考えると池田って織田政権が長期続けば組織の中枢にいたと思うな。
池田は信忠よりの人間で人脈的にも申し分ないだろうし。
- 48 :
- >>47
信長・信忠が死なず織田政権が続けば、政権の中枢に参画するのは池田、森、蒲生、堀、あたりかな?
丹羽あたりも文官仕事が出来るから生き残るかも。
柴田や羽柴と言った方面軍司令官は、徐々に権限を剥奪されるか佐久間のように追放されるかになるだろうね。
- 49 :
- >>48
でも秀勝が居る限り、秀吉はそんな事ないんじゃない?
- 50 :
- 前田みたいに地方でそこそこの領地貰って終わりになるだけじゃね
- 51 :
- 秀勝がいるからこそ、秀吉はより一層追放しやすいだろ。
信雄や信孝を養子として送り込んだ北畠や神戸がどうなったかを考えればすぐわかること。
- 52 :
- あっ、そっか。
俺、馬鹿丸出しだvv
- 53 :
- でもそうやって譜代を追放しまくった政権に未来なんかあるかね。
組織の結束に血縁は重要だけど、血縁ほど組織を分裂させやすい要素も無い。
そういうときに間に入るのが譜代なわけだが池田、森、蒲生、堀辺りで務まるとは思えない。
実績的にも微妙すぎる。
- 54 :
- >>53
信長がそう言う事を考えるような人間なら、譜代もいい所の佐久間や林を追放なんてしないでしょ。
軍司令官の中で生き残りそうなのは信忠付きの滝川と信孝についてる丹羽、くらいじゃ無いかな?
- 55 :
- >>54
佐久間と林だけで、全ての譜代に当てはめると言うのはいささか暴論じゃないか?
折檻状にあるように本当に無能だったのかもしれないし、
別の視点で見れば佐久間や林は信長以前からの織田家の譜代で、
他家を見ても関係が深すぎる譜代は逆に都合の悪い点がある事は多い、
その点で秀吉や光秀らとは存在の意味が全然違う。
なのに一緒くたに考えるのは違和感を感じる。
- 56 :
- まあ徳川にしてもいくつか譜代を取り潰しているが
政権に未来が無いとはならなかったしな
- 57 :
- というか佐久間やらって信秀パパの時代に力関係から被官化しただけで譜代でもなんでもないんじゃないのか?
- 58 :
- それを言ったら徳川の井伊とかもそうなっちゃうし
- 59 :
- >>57
逆だよ、譜代ってのは本来の文字通り言うなら「代々の家臣」だから
佐久間や林こそ譜代であって、秀吉や明智や滝川は本来譜代とは言わない。
そういう意味でも彼らと秀吉らの存在の意味は違うな。
- 60 :
- 織田家の家臣である勝家は織田家中でのトップを狙った
信長個人の家臣だった秀吉は織田家を越えてトップを狙った
- 61 :
- 清洲会議の時点で、秀吉は天下人になろうと思ってたのかな?
- 62 :
- 思ってたと思う。
これ以後の行動に迷いが見られない。
- 63 :
- もし滝川が中国方面にいて羽柴が上野にいたらどうだったろうか。
滝川は毛利に攻めかかり羽柴は北条と友好関係を保ったまま
兵力を温存して撤退したのかな。
- 64 :
- >>63
まぁIFだから断定は出来ないけど多分ね、
北条があの時点で無理に上野と衝突するのはリスク高すぎるし。
むこうから攻めてこなければ直接ぶつかる必要性のある組み合わせじゃない。
- 65 :
- 信長の死が伝われば、上野の国人達は浮き足立つだろうな。
滝川君みたいに、秀吉が人質を返すとは思わんがw
- 66 :
- 待っても内部崩壊必至
攻めても勝ち目は極薄
引こうにも退路も危険
- 67 :
- 会議後の方向性として、信長の全国統一事業を続けることは決められたのかな?
本能寺前より随分勢力図は変わってるけど。
- 68 :
- 織田家としての統一行動は想像できんな
徳川家康の甲信占領も相当動き速い
みんな抜け目ないからね
- 69 :
- >>66
北条・上杉共に甲信にも兵を出しはじめているので、
座して内部崩壊を待つほど時間的余裕は無い。
篭られたら上野は簡単には落ちない地だし。
さらに徳川も混ざってくるのでどこも上野と争っている余裕は無い。
はっきり言って毛利といきなり和解して引き上げてくる事の方がよほど難しいように思う。
北条も徳川もいちおう同盟国だし。
そんな秀吉なら状勢の利を逆手にとって有利に運ぶくらいはやってのけると思う、
真田昌幸が実際にやってるし。
- 70 :
- 徳川や北条などが甲信上に進軍して占領した時に織田家から抗議しなかった
のでつか?
- 71 :
- 真田昌幸は「豊臣勢力」と言う大勢力をバックにしての身の処し方だ。
いくら秀吉でもバックが無ければあの情勢をどうにかするのは難しい。
- 72 :
- >>71
秀吉の勢力を盾にしたのは最後だよ。
織田に臣従した後は最初は滝川、次は北条、その次は徳川、そして上杉を経て、豊臣を頼る流れ。
上杉と繋がるまでは秀吉と接点なんか無いし。
- 73 :
- >>70
それ不思議だね。
清洲同盟が有効なら、保護占領でも文句言えると思うが。
- 74 :
- >>73
既に織田家に、家康や北条に文句を言えるような実力はないだろ。
まだまだ戦国時代な訳ですよ。
- 75 :
- 織田家としてなら抗議できただろうけど
その織田家が分裂した状態で代表者もはっきりせず、家内で主導権を握るためには徳川に抗議するより味方にしたい意向が働いたんじゃない?
甲信の国主も死んじゃったしね
- 76 :
- 織田家は誰が相続するかで揉めていて家康の甲斐・信濃平定に抗議する余裕はなかったし、秀吉も勝家も信雄もいざというときは家康を味方にしたいと思っていただろうから見てみぬふりしたんじゃないかな
- 77 :
- しかも混乱状態で上杉まで乱入してるもんだから、
「侵略に来たのではなく宿敵上杉を蹴散らしに来た」と言われてしまえば
それもウソじゃないし。
居座られてしまったらもう出て行かせる実力の無いとこがいくら吠えても無駄無駄。
- 78 :
- 毛利が宇喜田や南条を攻めなかったのは次は秀吉になると見越したから?
- 79 :
- カワユス
http://ryohto00.exblog.jp/
- 80 :
- >>78
約定など紙くず同然の乱世だが、毛利も攻める余力は無かったんじゃないか?
長年の織田家との抗争で、ジリジリ押されたし。
- 81 :
- 佐久間・林が飛ばされてなければ面白かった
譜代といえる家臣を信長がガンガン追放したのが
結果的に織田家衰退につながったと思ふ
- 82 :
- 佐久間・林を何で追放したんだろうな。
信忠軍団形成の為とかいう説もあったけど。
- 83 :
- 光秀にハメられた説から信忠の力を強化した説まであるけど…
- 84 :
- 秀吉は毛利の抑えに宇喜多を残して帰ってるから
毛利もそう簡単には動けなかったのは確かだね
毛利の本音がどこにあったかはわからないが
その後も秀吉に協力し続けたからこそ
毛利から五大老を二人も出すことが出来た
- 85 :
- 何で恒興が参加してかわからない。
- 86 :
- 普通に大身だし参加した方が秀吉が都合が良かったから
- 87 :
- 家康も参加しようと途中まで行ったらしい。
- 88 :
- およびでない
- 89 :
- >>87
「利家とまつ」だと途中まで行ったが結果を聞いて馬鹿らしくなって帰った
とか言ってたな。ソースは何処なんだ。
- 90 :
- >>89
多分伊賀越えの後信長の弔い合戦に出陣したけど天王山の結果を知って引き返したって話を脚色しただけかと。
- 91 :
- >>90
だよな。フツーに考えて同盟者が出るっていうのもな・・・
信長死後の家康の強かさが好き。
- 92 :
- 強かさってやっぱ大事だよな
- 93 :
- >>81
同意。
数合わせの丹羽や池田なんかの影響力を低下できたろうから、
織田家の行く末もまた変わったと思われる。
- 94 :
- 林や佐久間が追放されてなかったら、たぶん本能寺の変は起こらない。
- 95 :
- してしまえ、が仇になったか
- 96 :
- 遺領分配の件ですが、信長・信忠の旧領を分割し過ぎではないかな?
尾張→織田信雄
美濃→織田信孝(東美濃は争乱中)
伊勢・伊賀→織田信雄・織田信孝・織田信包・滝川一益
近江
湖北三郡→柴田勝家(坂田郡は全域ではない)
湖西二郡→丹羽長秀
湖東・湖南は空白地(堀・蒲生・山岡など)のようです。
近江坂田郡の一部&燃え落ちた安土城&→三法師
その他の遺領分配。
山城→羽柴秀吉
摂津→池田恒興・中川清秀・高山重友
和泉→蜂屋頼隆
河内→羽柴秀吉
大和→筒井順継
丹波→羽柴秀勝
柴田・羽柴・丹羽・池田は亡き主の所領を分割し、
自身の所領に組み込んで権力闘争に突き進んでいるように見える。
- 97 :
- 早いモン勝ちになったら・・・
いや誰も早いモン勝ちで盗ろうとはしないだろうね。
やっぱり話し合いで獲りたいだろうね。
- 98 :
- >>96
素人な質問で申し訳ないんだけど、東美濃の争乱についてkwsk
遠山氏のこと?
- 99 :
- >>96
織田家の直轄地が殆どゼロだなw
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