2011年11月2期14: 【陸奥】白河結城氏を語るスレ (83)
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【陸奥】白河結城氏を語るスレ
- 1 :09/01/07 〜 最終レス :11/11/21
- 南北朝期の威光もどこへやら
- 2 :
- 2?
- 3 :
- 不説斎の名に恥じぬしぶとさだったが
- 4 :
- 伊達家一門末席
- 5 :
- 南北朝期から戦国前期は奥羽で一番影響力あったのにな
- 6 :
- 政朝・政勝・晴朝・朝勝ら下総結城氏を語る
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1212098363/
- 7 :
- 義親は晴綱の嫡子です
家督簒奪などしていません
義顕側のでっち上げです
- 8 :
- 東国の戦国合戦(吉川弘文堂)に結構詳しく出てるな
- 9 :
- 葦名だったら
三浦一族で調べてみたら良いよ。
あと七宮とか言う著者が葦名一族って本出してような。
この著者の先祖は葦名旧臣でのち伊達に鞍替えしたらしい。
- 10 :
- 【戦争の日本史シリーズ】
『東国の戦国合戦』市村高男(吉川弘文館:刊)
- 11 :
- 白河結城の家臣ってどんなのがいたの?
調べてもあんま出てこないんだけど
- 12 :
- >>11
斑目広基と和知直頼は抑えておくべき。
- 13 :
- >>1さんへ。
スレ立てサンクス。初めてカキコしますね。
>>11-12さんへ。
和知は白川家の重臣で、佐竹などと書状の遣り取りをしているよ!!
- 14 :
- >>11さんへ
親朝注進状に載っている家臣
班目周防守惟秀(鶴生)、舟田三郎左衛門尉高衡(舟田)、競石江左衛門尉祐遠(双石)、和知三郎兵衛尉朝康(泉崎)、白坂治部左衛門尉祐長(白坂)・・・
奥州白川庄大村郷刑部阿闍梨明尊二所熊野壇に載っている家臣
班目周防守、斑目信濃入道、江因幡入道、白坂近江守、角田五郎兵衛尉、角田将監入道、芳賀大学助、和知和泉五郎、中木曾中務丞、盤沢橘之助、
岡部大炊助、羽田次郎兵衛尉、秦左衛門尉、深谷蔵人
親朝上洛日記に載っている家臣
白石大学助、芳賀五郎、清内左衛門尉、和知兵衛尉、小屋家出雲守、班目橘次、和知源三、芳賀刑部左衛門、黒木五郎、舟田兵庫助
親朝上洛日記(白川熊野御参詣之御供人数)に載っている家臣
江石見守、芳賀五郎、和知源三、班目橘次、清内左衛門尉、山本小三郎、井残将監、馬舟大炊守、和知和泉守、玉井式部丞、桜岡民部丞、桜岡主殿助、
江左京亮、伊香入道、山田筑後入道、弁王入道、小屋家出雲守、和知兵衛、舟田兵庫、黒木五郎、白石大学、白石刑部大輔、白坂甲斐守、
鉾山帯刀左衛門尉
※ 鉾山の「鉾」:本来の字は金偏がない。
鹿島神社一万句発句に載っている家臣
山井左衛門助政弼、田川常陸介立朝、原兵部少輔政広、白石治部大輔直家、班目安芸守直基、田代下総守親満、小峯三河守直常、小峯中務少輔政親、
新小萱刑部大輔道秀、大田和民部大輔直広、平山右馬助直家、和知美濃守直秀、舟田美作守直衡、中村左衛門尉朝宗、江石見守直秀、斑目信濃守禅喜、
芳賀越後守直高、芳賀備中守政清
- 15 :
- 続き
白河義親公御礼式帳に載っている家臣
北讃岐守、田川民部大輔、飯村薩摩守、原下野守、白川右兵衛、栃本右衛門、飯村源次郎
和知美濃守、和知右馬之助、斑目左衛門太夫、芳賀越後守、舟田左衛門尉
小針山城守、穂積大学、穂積右兵太夫、山井右馬之介、船尾山城守、芳賀遠江守、中畑大学介、中畑左衛門佐、
芳賀出羽之助、芳賀中務少輔、中村下野守、班目信濃守、班目兵庫之介、深谷伊豆守、深谷半七、和知大炊右衛門、
矢葺左衛門尉、川原田下総守、川原田大膳之介、石井遠江守、石井隼人佐、木ノ内若狭守、三森安芸守、大田和右馬之助、
白石刑部少輔、芳賀図書、和知周防守、白石主膳正、深谷修理亮、芳賀右近、芳賀弾正忠、・・・・・・。
もっといっぱい書かれているが疲れたのでここでやめます。
なお、この文書は天正13年の頃の文書とされているが、偽書の疑いもあるようです。
- 16 :
- 仙台藩にいった白河氏に取り立てられた旧臣
和知左馬之介の孫頼継→和知源太左衛門頼胤
班目 →斑目太郎左衛門基茂
渡辺左馬之介の子孫 →渡辺良助在賢
佐藤信重? →佐藤六左衛門信賜
遠藤備中守次男貞信 →遠藤七右衛門定形
小針孫右衛門の子? →小針孫右衛門頼生
- 17 :
- わざわざどうもってか悪いけど、
戦国期の家臣はわかるかな?
- 18 :
- 15で書いた「白河義親公御礼式帳」に載っている家臣などが戦国期の家臣ですね。
ただ、この書類は江戸時代になってから書かれている可能性がありますので、扱いは注意しないといけないかもしれませんね。
- 19 :
- 佐藤忠秀は仕える主君さえ間違わなければ
名将になれただろうに
- 20 :
- あげ
- 21 :
- うちの田舎はちょっとした家だとみんな結城宗広の子孫だと自称する…
まぁ、俺もそうだったらいいなーとは思ってるけど笑
- 22 :
- 佐竹スレで義親の話題で盛り上がってるのに…
過疎age
- 23 :
- 白河結城氏朝 > 下総結城氏朝
- 24 :
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- 26 :
- 過疎スレで聞いてもしょうがないとは思うけど
重臣の和知直頼とその一族っぽい常頼は同一人物って考えていいの?
白河市史で何の説明もなく普通にそう扱われてる部分があるんだけど
- 27 :
- 燃料にならんと思うけどもう一つ話題を
軍師の佐藤忠秀が進言したという白河城を空にする計略で、
領主に見捨てられたと思い込み佐竹勢に怯えた民衆が山中に逃げ惑って
領内は惨憺たる状況だったとか
結局この計も大して役に立たなかったし、
佐藤忠秀は軍師として優秀だったのか疑問に思う
- 28 :
- 白河城っていつごろまで居城として機能していたのだろうか
白川宗家と小峰家の統合により居城も小峰城へと移っていったようだが
- 29 :
- 不明。
本拠が小峰城に移ってからも
しばらくは支城として機能してたかもね
- 30 :
- 通字は「朝」「義」「綱」? 候補が多すぎて分からんぞ。
- 31 :
- >>14-15
芳賀姓多いな
高が入ってるし下野芳賀氏と同族?
- 32 :
- 所ジョージとか。
- 33 :
- 藤原秀郷の嫡流ですね
- 34 :
- 嫡流はないでしょお( ^ω^)
小山氏の庶流が結城氏で、結城氏の庶流が白川結城氏だし
- 35 :
- 関ヶ原の時
結城秀康は白河のどこにいたの?
- 36 :
- >>34
小山氏も本家結城氏も断絶したんだから白河が嫡流だろ
- 37 :
- >>35
白河?上杉配下じゃねーよバァカ
- 38 :
- ↑キチガイ上杉厨は巣から出てくんな
- 39 :
- か…上杉…?
- 40 :
- >>35
白河じゃなくて宇都宮でしょお( ^ω^)
>>36
小山氏は断絶してないお( ^ω^)
子孫は小山にいるお
- 41 :
- 途中から嫡流になった。
後醍醐天皇が決めたんだよ。
結城宗広、親光親子の忠孝をたたえて。
- 42 :
- それは結城氏の宗家になったと言う話しであって小山氏の嫡流になったわけではあるまいお( ^ω^)
- 43 :
- 白河主殿の妻・浅岡(芦名氏)
- 44 :
- いま気付いたが、結城と小山の間に庶嫡の意識はないんじゃなかろうか。
- 45 :
- >>44
元々は結城・小山とも八田の分家で(小山が四男、結城が7男そのため嫡男が小山小四郎と結城七郎を襲名)、一応初めは小山が上だったが、謀反を起こして小山が滅び結城から継いだため逆転、その後結城合戦で結城が滅び小山が再逆転。
結局小山はいつのまにかなくなり、結城は越前松平に発展的解消を遂げた。
一方白河結城も江戸時代伊達の一門として存続したが、「白川七郎」とやはり七郎を名乗っていた。
結論から言うと庶嫡といってしまうと両方庶流で、兄の小山が最初は上だった。しかし幕府での権威はかなり早い段階で結城の方が上回っていたのも事実
- 46 :
- ふむ、道理であるお( ^ω^)
それにしても下総結城は松平復帰の為に廃されるなんてとてつもなく屈辱だったおうね( ^ω^)
- 47 :
- 保科さんみたいに残してくれませんでした。家来らは越前、播磨、出雲、武蔵、越後、美作に散りました
- 48 :
- 小峰城は次々復元計画が進んでいるけど
白河城は訪れる者はマムシぐらいなもので憐れですお( ^ω^)
- 49 :
- だって白川城は史料が少ないし
- 50 :
- そうなのかお( ^ω^)
戦国時代もたけなわになると白川氏の居城も小峰城に移ったし
白河城は何度も落城してるからそれほど堅固な城でもなさそうだけど( ^ω^)
なんとなく赤館の縄張りと雰囲気が似てる気がしたお( ^ω^)
- 51 :
- 義綱の事跡についての史料が少ないな…
子の晴綱は豊富なんだが義綱と混同されてるのか?
- 52 :
- 「白河市について徹底的に考えるスレ」が消えてしもうて漏れは悲すい。
- 53 :
- 義親が顕頼の子だったら
顕頼が60〜70代くらいの時にできた子供になるな
戦国時代にそういうのは珍しくないのかもしれんが
- 54 :
- 結城義親って愛姫との婚姻を所望してたらしいな
田村と組んでいたら、またどうなっていたんだろうな
- 55 :
- それは初耳だな>愛姫との婚姻を所望
- 56 :
- 晴綱は名君だったでFA?
- 57 :
- 白河結城氏の当主って現存するの?
- 58 :
- 現存してたらすげえよ
- 59 :
- ああ、子孫のことか
それなら嫡流も仙台白河も立派に現存してるが
- 60 :
- 心理学者の故・結城錦一氏が白河結城氏の子孫で、先祖の研究もしているな
- 61 :
- 故・錦一氏の子孫っているの?
- 62 :
- >>61
たしかお孫さんも心理学者をやってる
- 63 :
- 錦一氏が伝来の結城家古文書90点を市に寄託し、市が集古苑を建てて収納。
息子が相続し、すべてが国指定の文化財となり、市に寄贈した。
- 64 :
- ↑ 誤「文化財」
正「重要文化財」
- 65 :
- >>63
誤「市」
正「白河市」
再訂正スマソ
- 66 :
- 白河小峰城の石垣が地震で崩れたらしい。程度はわかりませんが。
- 67 :
- あの、
白河小峰城の立派な石垣が崩壊してる写真を見た。 想像を超えてがっくし来た。
俺は白河市民ではないが、
日本に残っている素晴らしいお城を見ると、
なんか誇らしい気持ちになる。
お城って、そういう大事な何かを支えてくれている存在だったんだと、
初めて気がついた。
浅はかだとは思うけど、
白虎隊の気持ちがほんのチョットだけわかった「ような」気がした。
- 68 :
- 白河小嶺城は模擬天守?
- 69 :
- 復元天守だよ
- 70 :
- 検索して写真見たら
かなり広範囲にわたって崩落したみたいだね>小峰城の石垣
白河は金ないし復元は相当先になるかな
- 71 :
- 小峰城は国指定史跡になったばかりですが、補修・再建費用は国が出さないのでしょうか。
法律上はどうなっているのでしょうか。
一方、宗広の居城だった白河搦目城跡の記念碑や神社などは、すべて完全に倒壊したそうです。
- 72 :
- 人の生活する場の復興が優先だろうから
城はこの先10年くらい放置されるかもな
- 73 :
- 小峰城は国指定史跡だから、完全復元しなければならない。
「復元」には元通りに石を積まなければならないので、調査だけでも何年もかかるんじゃない?
復元費用は国が7割、市が3割負担かな。
何億もかかるだろうから、そんな金は貧乏白河市は出せない。どうするんだ。
- 74 :
- なにげにかなり名門だよな
- 75 :
- 戦国期の小峰城の遺構はまったく残ってないのかな
- 76 :
- 白河小峰城の修復費用概算で15〜20億円。国の補助金を得ながら進める。
5〜7年はかかりそう。
- 77 :
- 昨日、白河小峰城の石垣見学会があった。震災で石垣が崩れ、立ち入り禁止となっていたが、
ヘルメットを被って被害状況を間近に見ることができた。
誰でも参加できたので、一般市民が二百数十名が参加した。
- 78 :
- 昨日、白河小峰城の石垣見学会があった。震災で石垣が崩れ、立ち入り禁止となっていたが、
ヘルメットを被って被害状況を間近に見ることができた。
誰でも参加できたので、一般市民が二百数十名が参加した。
- 79 :
- 操作ミスで二重カキコごめんね。
- 80 :
- 白河氏→秋田藩士
小峰氏→仙台藩士
中畠氏→水戸藩士
であってる?
- 81 :
- 義親系→仙台藩
義顕系→秋田藩
晴信系(中畠)→水戸藩
と言う感じ
白川と小峰に関しては色々と説があってよく分からない
白川と小峰は統合されていたとか、義親は初めから白川の後継者だったとか
- 82 :
- 晴信って誰だ?
晴常じゃ
- 83 :11/11/21
- 義親の家督簒奪を認めるかどうかだな
京や鎌倉は何か反応示してたっけ
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