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2011年11月2期24: 戦国時代の食事5膳目 (657)
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戦国時代の食事5膳目
- 1 :11/02/06 〜 最終レス :11/11/21
- 戦国時代の食事4膳目
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/
- 2 :
- 立てるん早過ぎやろw
- 3 :
- そうか?
- 4 :
- 保守
- 5 :
- 戦国期に刺身と言ったら何魚なの?
マグロは漁獲料が近年多いだけで昔は遠洋にも行けないから、メインは秋刀魚とか鯵とかになるのかな?
- 6 :
- 当時は白身の魚がメインディッシュ、赤身は下魚
海のものだと鯛ヒラメ、川のものだと鯉鮒ナマズが”膾”の対象で記録(レシピ)に残る
ただ「記録にないから喰わなかった」とは言い難いのも現状
古くなるけど清少納言がイワシくって「お前息が臭い」言われた話とか
毛利骭ウの弁当に入ってた焼鮭をみんなで「それうまそう」といったとか
…まぁ 捕れた魚は何でも喰ってたと思われるので、その数だけ刺身はあったと思われ
- 7 :
- 凄いね清少納言がイワシを食ってたって
隆元の焼き鮭も美味そう
しかしわさび醤油で食うようになったのは江戸からかな?ただの醤油なら昔から食ってそうだけど
- 8 :
- 隆元じゃなく秀元だったような…
弁当の鮭はほとんどみんなにとられたほど人気だったようだ
- 9 :
- 当初は醤油でなくて”酢” 魚に合わせて、わさび酢 カラシ酢とかつかってた
合わせ調味料として使われてきたので、”わさび醤油”も醤油の登場とともにあったと思われ
えっと戦国時代の醤油は”たまり醤油”、日葡辞書(1604)にも記述があるくらいだけど、
醤油は主力輸出商品になので特に記載された可能性もあるので当時の一般化の度合いはよくわからないと思う
もともと製造に数年かかるので、都(近畿)周辺だけの消費に供給が追いついていたのかどうか、若干の疑問が……
めでたい席ではつかわれたけど、毎日の食卓上にあったかどうか、個人的には疑問に思ってる
現在の濃口やら薄口醤油が発明され大量生産始まったのは寛永年間(17世紀)
この頃から日本全国で日常的に醤油が使われるようになった
「刺身にわさび醤油」が常識になったのはもこの頃からじゃないかなぁ……
- 10 :
- なるほど酢ですね
わさび醤油は自分も江戸以降だと思う、て事は寿司の酢飯の方が歴史は古いのかな?
戦国期に寿司らしきものがあったとしたら酢飯だろうか?それともいわゆるちらし寿司?江戸前寿司は江戸以降だろうけど
- 11 :
- なれ鮨じゃない?
- 12 :
- 鮨は元々保存食だったからね
- 13 :
- 寿司はもともと酸菌発酵のなれ寿司だったのですが、これ作るのに数ヶ月もかかるわけで
室町時代になると発酵が進んでない(米粒が残る状態)うちに食べるようになりました
(なまなれ、生成と当時呼ばれてました)
そしてもっと早く(一晩)できる、すっぱさを酢で代用した早寿司(箱寿司)と言うのが考案されます
(いまだとバッテラとかマス寿司、柿の葉寿司なんかにあたりますね)
これはいつ発明?されたかわかりませんが、1600年代には記録が残ります
つまり戦国時代の寿司は、↑の生成もしくは早寿司であったのではないかと
ついでに…現在の主流のにぎり寿司は、酒造の廃棄物であった酒粕からの大量生産(1811年)が始まり
値段が格段に下がって江戸に持ち込まれ庶民に広まってから、つまり幕末の話になります
いなり寿司、巻き寿司もちょうどそのころ広まったんですよ
- 14 :
- 酒粕をどうするん?
江戸前寿司が文化文政からというのは聞いたことがあるけど
- 15 :
- >>14
酒粕酢はミツカンの創業者の話ですので……
ttp://www.mizkan.co.jp/story/change/01.html
- 16 :
- この時代も妊婦が食べるべきものとか食べちゃいけないものとかあったんだね
今でもダメって言われてるザクロなんかがちゃんと入ってて面白い
- 17 :
- 逆に目出度い時に食べる習慣は、例えば出産祝いに赤飯なんて戦国にあったのかな?
そもそも赤飯は江戸からかな?
- 18 :
- 米作の歴史と共にあったんじゃないかな
- 19 :
- 赤飯(豆入り蒸した餅米)自体は平安時代から記述が残ってます
さらに鎌倉時代には神に献げる”厄払い”の意味がありました(赤飯御供)
で、いつごろ厄払いから「おめでたい席に赤飯」と言う習慣に代わり広まったのか、
つまり戦国時代では凶事に食われたのか、吉事で食べたのか、わかんないです
でも「おめでたいときの赤飯」が庶民に広がったのは江戸時代天保くらいから(吉宗の頃)
なので、今のような赤飯の習慣は江戸時代からと言っていいかもしれません
- 20 :
- なるほどね
やはり江戸期に食事の習慣が出来上がるのかもね
戦国期は兵士が餅をぶら下げて出陣した記述はあるみたいだけど、これは醤油焼きなのかな?
またきな粉餅、アンコ餅なんかも江戸かな?
ずんだ、ミタラシ、色々あるけど、戦国期の餅は何が一般的なのだろう?
- 21 :
- 醤油は当時ぜいたく品です。兵卒は使えなかったと思われ
- 22 :
- では戦国期の餅には何をつけたんだろ?
味噌?餅だけ食べて美味しかったのかな?
- 23 :
- もちはもともと”鏡餅”神に捧げる供物でした、日常食ではありません
”雑煮”も、モチを一度神様に供えから料理して食べたのです
で、室町時代に精進料理とともに”点心”の習慣がひろまり茶の湯の流行とともに、
饅頭などと同時にモチも”お菓子”として食べられるようになったのです
つまり戦国時代では、モチは戦時食と言うより御菓子、に分類されます
当時の食べ方はそのまま焼いたり田楽のようにしたり(豆腐の代わり)、
また乾燥したものを煎った”アラレ”だったんじゃないでしょうかねぇ
江戸時代寛永年間になって庶民にもモチをついて祝う習慣や名物としての”力もち”が広まり
文政になると草加せんべいが発明されます
本格的な日常でのモチを食する習慣はやはり江戸時代から、といえるでしょうね
- 24 :
- 毛利元就は下戸で餅が大好きだった、とか
竹中半兵衛が矢で撃たれたとき懐にいれておいた餅のおかげで助かった、とか逸話があるね
- 25 :
- それでは信玄餅なんてのも実際に庶民に広がるのも江戸期っぽいね
また、きな粉じたいが戦国期にあっただろうか?
- 26 :
- >>25
「信玄餅」はあくまでお菓子の商品名で最近のものだと思うよ
武田信玄が戦のために切り餅を用意したところから取って名付けたらしい
元々静岡や山梨の方ではお盆に安倍川餅(=駿府名物)に黒蜜をかけて食べる風習があったとか
安倍川餅の名前を家康が付けたという話があるから
それがお盆の風習に取り入れられて黒蜜かけるようになるのはおそらく江戸時代の間だろう
黄粉は奈良時代には薬として作られてたし
室町時代の女房言葉の本にも「まめのこをばきなこともうす」と説明されているよ
江戸時代にも一般的に認識されてはいたみたいだけど
申し訳ないがどの時代にどれくらい一般的だったのかはちょっと知らない
>>25は色々疑問に思ったことを即書き込んでるみたいだけど
ちょっと検索すれば出てくることもあるから、一度ぐぐってから書きこむと効率よく疑問が解消するんじゃないかな
- 27 :
- wikiで陣中食を調べると結構いろんなもの食べてたみたいだね
餅の食べ方も現代と変わらない、ずんだ餅やらあんころ餅やら
戦場で兵達がお汁粉食べてるところを想像すると何だか面白いけど
- 28 :
- モチの部分は江戸時代の話だと思うなぁ
せんべいも八戸藩の非常食が始まり、戦国時代にはなかったし
他にも、刀傷を焼酎で洗う、ってのは確かに江戸時代には一般常識だったんだけど
18世紀くらいには「焼酎より水で洗う方がいい」ってものの本に書かれるくらいなので
あんまり効果があるとは思われてなかったぽいし、そこの各内容はかなり微妙なところ
丸々信じずに自分で調べてみた方がいいかもしれないよ?
- 29 :
- ですよね…ところどころは合ってる気もするんですが
戦国時代と念を押してあるわりにはどうも意外を通りこして正直違和感が
自分でもっと調べてみます、ありがとうございます
- 30 :
- でも戦国の武士の腰には餅を3つぶら下げて出陣したとあるみたいだけど
確か元就だったかな?
あとは乾燥させた米、味噌なんかやらを装備し出陣したみたい
- 31 :
- 餅も糒もおやつ(自前の食物)なわけで通常の兵糧補給と同じレベルで考えてよいものかどうか……
- 32 :
- 餅の件だと、室町初期に成立した今川了俊の今川大双紙に
「朝の出仕に相備えて餅を一ツ二ツも喰うべし。大小便とどこほる物なり。
僧俗ともに大小便しげきハあさましきなり。仮に隙なくて一日程物を喰わねどもこたへらるるものなり」
ってあるが。
- 33 :
- 餅で思い出したけどリンゴは刷ってジャムにして餅につけたのが江戸だったかな。
ところで戦国期の飲み物にリンゴジュースやミカンジュースはあった?庶民は麦飯お焦げ水で富裕層は茶だろうけど、果実をシェイクして飲み物にしただろうか?ミカンは江戸、リンゴ明治だから無い?一部の農園者はやってた?
- 34 :
- 延喜式でも読みなはれ
- 35 :
- 延喜式って平安?そんな昔から果実をシェイクしてたのか。まあ桃ならありそう。
- 36 :
- 食物と酒、嗜好品の歴史@世界史板 54皿目
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1311428758/
- 37 :
- 栄養学などの知識が全くないと思われる歴史学者に考えられている戦国食だと
戦国の足軽は疲労骨折、靭帯断裂しまくりだっただろうな
カルシウムや植物性では絶対摂取出来ない必須アミノ酸に必要な動物性蛋白質の絶対的不足が要因となる
炭水化物過多は特に男性にはろくなことない
- 38 :
- 当時の食事は(庶民含めて)おかずに魚が付いているのが普通
(現在の戦国食も必ず入ってる)
だったので「動物性タンパクの不足」は心配しなくていいと思うよ
- 39 :
- と、>>38が息を吐くように嘘を吐くw
- 40 :
- >>38
ちょっと>>36覗くと、それが嘘だということがすぐ分かる。
- 41 :
- >>40
ちょっと>>36覗いたら、知ったかだらけでまるで参考にならないんだが
- 42 :
- 言われたから言い返す子どもみたいなレスだな
そんなに自分の知識に自信があれば、向こうに言ってズバズバ斬ってみせればいいのに。
- 43 :
- また回りくどい荒らし依頼だな
自分で荒らせよ
- 44 :
- 面白いところではリンゴも戦国時代にあったみたいだね。
- 45 :
- >>43
いや、俺は向こうのスレの住人なんで荒してもらいたいなんて全く思ってないよ。
>>41は口だけの奴だと言っただけ。
何なら別に向こうのスレでじゃなくても、こちらのスレで知識を披露してくれてもいい。
まあどうせなんだかんだの言い訳ばっかりだろうけど。
- 46 :
- こいつ必死やな
キモっ
- 47 :
- >>39
よくわからんけど 向こうのスレで「戦国時代の日常オカズに魚」って否定されてる?
ぎゃくに庶民も小魚食ってた、ってレスは見つけたけど……
つか>>38の「植物性では絶対摂取出来ない必須アミノ酸」って存在しないし……
もしかして、あっちで相手されないからコッチに来ただけかな??
- 48 :
- >>37
そもそも
>栄養学などの知識が全くないと思われる歴史学者に考えられている戦国食
歴史学者がメニュー考えてるんじゃなくて資料を基に再構成してるもんでしょ?
よく主張がわからん。
いま戦国食とされているものは不完全で、実際はもっといろいろあったんじゃないかってこと?
それともこういうメニューしか食べてなかったから当時の足軽は怪我が多かっただろうなってこと?
- 49 :
- >>47
・現代人の発想で、日常的におかずとして魚がつく
・動物性タンパク源は多種多様で、魚はそのごく一部に過ぎない
って話だろ
- 50 :
- 訂正
・現代人の発想で日常的におかずとして魚がつく、というのは間違い
・動物性タンパク源は多種多様で、魚はそのごく一部に過ぎない
- 51 :
- >.49-50
いや、肉食があったとしても、
肉が現代みたいに大量かつ定期的に出回ってるわけではない。
狩猟で取れる分はわずかであり、農家で飼ってちょくちょく食べる分もわずか。
少なくとも
>動物性タンパク源は多種多様で、魚はそのごく一部に過ぎない
とは考えにくいだろ。
少なくとも入手しやすい魚がメインだろ。
まあ、俺の親戚は大きな農家だが「田んぼのタニシをたくさん食べてた」とは聞いた。
- 52 :
- >肉が現代みたいに大量かつ定期的に出回ってるわけではない。
なんで、現代ではゲテモノ扱いされている生物を、自分たちで不定期に捕まえて食ってたってことじゃ?
- 53 :
- だから、入手難度の問題だ。
タニシなら定期的かつある程度の量が入手できる。
冬とかはダメだろうけど。
「小魚」も田んぼにいるようなものなら食ったんじゃないかな?
ドショウをはじめとしてメダカとか。
なんにしろタニシに関しては机上の空論ではなく
実際に「たくさん食ってた」という証言があるんだから間違いない。
- 54 :
- >実際に「たくさん食ってた」という証言があるんだから間違いない。
www
当時の村人が一日何グラムのタニシを捕まえて、殻剥いて泥吐かせて調理して食ってたか考えれば、
それで十分な動物性タンパクが取れるかどうかすぐ分かるんじゃないの?
http://co-4gun.eiyo.ac.jp/food%20database/2gun/foods-dic-2-tanishi.html
タニシの可食部100gに含まれるたんぱく質はたったの13g
戦国時代の人の体重が50kgだとすると、一日に推奨されるたんぱく質量は50g。
推奨量の26%にしかならない。全然足りない。
さらに、村人全員がカラの重さを除いて、たったの100gでも、タニシを毎日食べたらどうなるか?
あっという間に村のタニシが絶滅するよw
- 55 :
- >>53
>タニシなら定期的かつある程度の量が入手できる。
だから、それが現代人の発想だっての
分業化、産業化がほとんどされていない時代だったら、同一種類ばかり集める必要はない。
つーか、同じ種類のものばかり食ってたら、また栄養が偏りやすくなるし。
永山久夫とか時代交渉家連中は、昆虫食についてほとんど書かないけど、全国的にごく当たり前に
行われていたことなんだよ。
>実際に「たくさん食ってた」という証言があるんだから間違いない。
証言も何も、タニシが食料なのは常識だろ
つい最近まで普通に食われていた。
- 56 :
- >>49
>・現代人の発想で日常的におかずとして魚がつく、というのは間違い
これの根拠を示してほしいな、ないと話が進まないので
とりあえず自分の「戦国時代の日常オカズに魚」は、フロイス日本史第一章(第一部四章)に
「食前に供されるものは、水だけで炊いた少量の米と、
煮たり焼いたりした少量の塩漬けの魚と、ひどく味付けが悪く、
そのうえ悪臭さえある一杯の野菜汁だけであったからである」
…とあるのも根拠の一つ
- 57 :
- >これの根拠を示してほしいな、ないと話が進まないので
俺に聞くなよ。
>>47に対して向こうのスレの趣旨を要約しただけなんだから
- 58 :
- 戦国時代の庶民の食事って相当不味そうだな。
- 59 :
- よくテレビで、「○○時代の食事を再現しました」とか言って、食べて見せてるけど、
リアルなやつは現代人には無理だろ。
- 60 :
- >タニシ
池波正太郎の描写だとすごいおいしそうに思えるから困る
>>59
そうでもない、てか、時代とどの階級の料理を再現するかによるだろうけど
- 61 :
- おまえら、タニシの佃煮って食ったことない?
子供の頃、よく食べてたよ。
ネタでなくて、ガマカエルやヘビ(まむし、シマヘビ)も食べたよ。
今でも捕まえて食べている。
そう言う俺は東海地方の新幹線の駅から車で15分のところに住んでいる。
- 62 :
- >>60
だから、スレの流れから言って、戦国時代の庶民の食事のことだろ。
土だの、タガメだの、ゴミムシダマシの幼虫だの、俺には食えないよ。
- 63 :
- あと、川の近所だからウナギ、鮎、ウグイなんかも食べたな。
長野だと川虫とか食べるらしい(現在でも食べられている。)
カエルは、穴の中にいるから手を突っ込んで採る。
ナイフの柄で頭をたたいて仮死状態にして、頭、手を取り皮を剥いではらわたを出す。
それを川で洗って、七輪で炭火焼き。塩や醤油で味付けすると美味。
ヘビは口から裂いて、皮とはらわたを出す。
岩の上で干して(カラスに持ってかれないよう注意)炭火焼き。
サバイバルでなく、俺の地元では普通。
高校時代は、弁当のおかずにも入っていたな。
- 64 :
- >>57
要約って、あっちのスレのどこに「魚否定」のレスあるの?
- 65 :
- あとタニシだけど……
宮城県の御弥陀羅施の池の伝承(山火事から仏をタニシが守ったから食べてはいけない)みたいに
当時タニシを普通に食用にしていたから成立する”仏教説話”が日本各地に残ってるし
戦国時代”も”普通の食材だったと考えるのが普通だと思う
…つか、動物性タンパクにこだわる前提に突っ込みたいのだけど……
必須アミノ酸のナニが植物食で取れないというの?
- 66 :
- >>64
ちゃんと読んだの?
- 67 :
- 何だか分からんが>>38の言う『戦国時代の食事でも 「動物性タンパクの不足」は心配しなくていい』に対して
「どう考えても不足してる、タニシを取って食うくらいじゃ不足分は補えない」って書いただけなのに
ID:vdQ370jKはなぜ、必須アミノ酸とか意味分からんこと言い出すのだろう?
そもそも>>38も「植物性では絶対摂取出来ない必須アミノ酸」なんて一言たりとも言ってないが
>>47でなぜか発言したことにされてるw
- 68 :
- >>59
当時の食事は現代の感覚では超しょっぱい上に、
おかずはもとより、米も汁も大概冷え切っていたので美味しくはないと思うよw
- 69 :
- 平均寿命も短いしな
- 70 :
- ていうかタニシを「ゲテ物料理」と決め付けるのが現代人ならでは。
魯山人も「ごちそうだ」と発言している。
あと昆虫食やカエル食いも確かにあったろうね。
ただ、こういうのを現代人の感性で「そんなゲテ物料理が一般的であるわけがない」
と決め付けるのは間違ってるぞ。
現代人にとって「マトモな動物性タンパク食」とは
「肉(哺類、鳥類の)、魚、製品、鶏卵」ってことか?
- 71 :
- 『パッケージに入った』が抜けてるぞ
- 72 :
- ・慢性的にたんぱく質が不足しがちだから律令貴族ですら免疫不全気味の
病み、死亡の記録が少なくない。
・現代の完全菜食主義者も生きていけてるんだから
動物たんぱくは意地でも取らなきゃいけないもんでもない(無論何が何でもとっちゃいけないわけでもない)
・穀物(主食)が有限である以上副食になりそうなものは色々漁る
てだけの話な気もするがなぁ。
それはそれとして川の管理権は合戦になるくらい強烈だったが川から取れる獲物の扱いは
どうだったんかね。
タニシ取ってて隣村の領域までいっちゃってとかあったんだろうか
- 73 :
- そりゃタニシは基本的に自分の管理する田から取るだろう。
ただ、それ以外にも下水や小川や貯水池、沼地などからもタニシは取れるからな。
それは基本的に五人組の範囲とか村の範囲なんだろう。
タニシの採取範囲でもめるって事はあったと思う。
- 74 :
- 昔の人が鳥やら獣やら魚食べるのがそんなに不思議なのかね
- 75 :
- >>74
別に不思議ともいえないが現代人みたいに
安定供給がなされてるわけでもないし、
食う量も少ないだろう。
- 76 :
- なんていうか「極点から極端」に走る奴が多すぎなんだよな。
確かに「昔は獣や鳥はほとんど食べられてなかった」という説は間違いだったろう。
だからといって、それが即座に「現代人なみに豊富に獣や鳥や魚を食べてた」になるのは違うだろう。
まあ、魚に関しては「漁業」というものがあるので、ある程度は安定供給されてたろう。
ただ、山奥とかは流通に難しいとこもある。まあ川魚という手もあるけどな。
しかし、獣や魚は当時の日本では安定供給はちと無理だろうと。
- 77 :
- >>70
>ていうかタニシを「ゲテ物料理」と決め付けるのが現代人ならでは。
上でゲテモノと言われているのは、テッポウムシとか、ゲンゴロウとか、蚕の蛹とかのこと。
100年ぐらいまでは、全国的にごく普通に食われていた質の高いタンパク源なのに。
田螺は戦国時代の農民にしたら、むしろご馳走の部類じゃないの?
稲刈りのシーズンに取れる恵みの食材だからね。
- 78 :
- >>68
>当時の食事は現代の感覚では超しょっぱい上に、
そうだっけ?
塩を味付けにたくさん使っているってこと?
- 79 :
- >>56
フロイスが日本人の食事についているのって、ほとんど武士についてだったと思ったけど。
一般庶民の食生活は、さらにだいぶ酷いでしょ。
- 80 :
- >>74
農民の食事の話をしているからでしょ。
そんなもの、ちょくちょく食えるわけがない。
- 81 :
- 今とは違って野山で天然の食材が入るので
そこまで酷くないよ
あと当時の最先端の料理技術を持っていた寺社が
信徒を集める為にお料理会などを開いて
積極的に料理法を広めた
もちろん精進料理だけどね
武士は食事すらも作法や縁起担ぎなどで厳しい取り決めがあって
庶民のような食生活はままならなかった
- 82 :
- ただ動物性たんぱく質はともかく
野菜類は今のような品種改良もされておらず
ほとんど流通もしていない
あと大豆が大変な貴重品だった
理由は馬の餌として使われていたからで
大豆で作った味噌などというものは
戦に参加しなければ口にする事などはできない贅沢品だった
- 83 :
- 信長がよく食べていたという湯漬けだが
これは白米に昆布でとった出汁をかけて食うもので
箸の先でご飯だけをつまんで食う公家や武家の食事だった
箸の中ほどまで濡らしたり
口をつけてすすったり
出汁を飲むなどは無作法とされ禁止されていた
- 84 :
- だから、不定期には取れるよ。
ただ、年間を通してみると、極めて不安定だったと思う。
農民の場合、親は農作業が忙しいので、狩猟的なことは子供が遊びの一種として
取ってくる分が多かったんじゃないかと思う。
この辺り、戦国時代の記録があるわけじゃないんで、あくまで推測しかできないんだけど、
幕末から明治初期の話を読むと、そんな感じなんで。
- 85 :
- >>79
まあ、フロイスが本当に豊かでない農民の食事まで見てたかどうかは疑問なんだが。
- 86 :
- 当たり前だが、フロイスは、毎食、または毎日魚が付くなんて一言も書いてないしね
- 87 :
- >>84
室町時代の一般的農家には弓と槍(害獣駆除目的)は常備されてたよ(罪人の押収記録にある)
田舎暮らしだと今でも年中動物はやってきて駆除しているわけで
手に入れる頻度はかなりあったと思えるけどね
つか昭和の時代でも、うなぎ(川魚)は取ってくる、ってな状況は田舎では普通だったわけで、
禁猟区(神域や鷹狩)以外狩猟権の設定がなかった時代に、
それをしなかった前提は無理があると思うよ
>>85、86
”珍しいこと”のほうが記録に残りやすいんだけど……日常だから「毎日」なんて言葉がないんだよ
つか「記述がないからない」って論法なら、平安時代は(記録がないから)イワシは食べてない、と極論できちゃう
あと「豊かでない農民」の定義をはっきりさせないと……
自作農が中心だった戦国時代でどこらがその階層当たるか、そしてそれは人口のどれくらいを占めたか
…をはっきり決めないと、水掛け論になる気がする
- 88 :
- しかしなあ。「武士は一汁一菜」とも言われてる。
これは質素倹約を表した言葉だが、
貧農や下級武士の食事に毎食魚がついたとは思いにくい。
- 89 :
- 当時は禿山ばかりなので
山の幸も豊富とは到底いえない状況だったのでは
- 90 :
- 毎食、魚がつくとしてその大きさも問題ではないか?
昔のギャグマンガで「今日のオカズはメザシ一匹」みたいな表現がある。
まあメザシって事はないかもしれんが、小さな魚だった可能性はあるぞ。
ていうか「少量」って書いてあるし、指くらいの魚じゃね?
- 91 :
- >>56で示されてるのはフロイス自身が宿で出された質素な食事の例だっけ?
ほかに食事の話が出てる文献ていうと「おあむ物語」かな。佐和山城の300石の知行の武士の娘。
貧乏で朝夕雑炊が主、ときどき兄が鉄砲で猟に出かけ、その時は菜飯おにぎりが食べられて嬉しいとのこと。
ザビエルの報告集ではこんな感じ。
「日本人は彼らの飼う家畜を屠することも喰べることもしない。
彼らは時々魚を食膳に供し、米や麦を食べるのであるがそれも少量である。
しかし彼らの採る野菜は豊富であり、僅かではあるが、種々の果物もある」
「雑兵物語」で足軽に与えられている食料は水一升、米六合、塩が一勺、味噌が二勺。
(ただし戦場におもむくまで・短期戦においては手弁当が原則)
でも戦国時代って身分もそうだけど場所・細かな時期によって大きく食事内容変わると思うから
ある記述だけとってこうだ! って主張することもむずかしいね
- 92 :
- >>87
>自作農が中心だった戦国時代でどこらがその階層当たるか、そしてそれは人口のどれくらいを占めたか
>>91
>戦国時代って身分もそうだけど場所・細かな時期によって大きく食事内容変わると思うから
やっぱり簡単なマトリックスが無いと駄目かもね。
一次資料を参照にする場合でも、その資料が指しているのはどの部分、自分が実際に知りたいのは
どの部分、という風にずれがあることをまずは認識できてないと。
- 93 :
- >>82
>理由は馬の餌として使われていたからで
これは軍馬限定?
なんか人間より馬の方がいいもの食ってるって、変な気がしたんで。
- 94 :
- 基本的には荷馬も。足軽より人夫の方が多く食料をもらってように
力仕事させるにはいっぱい食わせねばならんのよ
人間より馬の方がいいもの食ってるように見えるが
人間の5倍の荷物運んでくれるなら投資も十分理にかなってる。
ついでに太平洋戦争でも荷馬は兵隊よりある意味待遇がよかった
まぁ人間と違って馬はストレスですぐ死んじゃうからなんだけど
- 95 :
- そうなのか。。
馬の餌は大豆と藁ぐらい?
- 96 :
- 戦国時代は小氷期だったから食えるだけマシ。
- 97 :
- >>95
戦国時代の馬糧は、蒸し大豆とヌカや藁や雑草の細かく裁断したものと塩の混合物、かな
オオムギも日本では盛んに栽培されてたけど、これはよそんちと違って人間用だったよ
余談だけど、大豆が西欧に伝わったのは17世紀くらい(イギリスに輸入されてた)
しかも栽培は18世紀になってから
もっと早く伝わっていたら、西欧でも大豆を馬に食わせてたかもね
- 98 :
- なんだ、「毎食、魚が出る」ってガセくたさいね。
- 99 :
- そもそも毎食なんて誰も言ってなかったんじゃない?
「魚はそこまで珍しくないわりとポピュラーなおかず」って説に対して
「魚は貴重でめったに食べられなかった」って説で反論が出た、っていうのが議論の流れじゃなかったか
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