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2011年11月2期25: 小田原の役で後北条軍が豊臣軍に勝利する方法 (675)
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小田原の役で後北条軍が豊臣軍に勝利する方法
- 1 :11/09/23 〜 最終レス :11/11/21
- かなりのムリゲーだけど徳川・伊達と組んでたら可能性はあるんじゃないかな
- 2 :
- >徳川と伊達と組んだら
そう思って負けたのが現実
- 3 :
- 小田原が包囲された時点じゃ詰みなのかな
包囲する豊臣方が遊び呆けてたって何かで読んでたけど
- 4 :
- ttp://image.space.rakuten.co.jp/lg01/22/0000448622/55/img753f8574zikfzj.jpeg
まず、あらかじめ潜ませて置いた原子力潜水艦からハープーンを秀吉本陣に叩き込む
指揮系統が混乱したところに、忠興・信包・秀家が布陣している場所を突破した機甲師団を
秀吉本陣の背後に回らせる
あとは小田原からアパッチ10機と海兵隊5000も繰り出せば、秀吉の首は討ち取れるだろう
- 5 :
- 戦力差をバックに打って出れない北条側をおちょくって遊び呆けたんだろ
- 6 :
- かなりリスク(ていうか普通の神経してちゃ無理)のあるやり方だが
全面降伏の書状を送り、頭首(当然影武者)の首を槍の穂先に下げ
全騎馬武者に鎧の上から白装束を着せて、
降伏するように走らせる。
豊臣方からの発砲を機に全軍一直線に豊臣本陣に突っ込む。
全滅が早いか秀吉の首が落ちるのが早いかの勝負。
成功すりゃ北条の勝ち。
- 7 :
- この時点で秀吉が死んでれば色々いいことがあっただろうなあ・・・
- 8 :
- 小田原城にはある程度持久ていきる兵を置き、江戸に主力を置いて機動戦を挑む
- 9 :
- 徳川に見捨てられた時点でもう
伊達だけで勝てただろうか
あとは上杉佐竹一派っ交渉するか
- 10 :
- >>4
もちろん小田原には塹壕と機関銃を置いてるよな
- 11 :
- そんなに無理ゲーだったかなあ、 なんかの小説読んでたらバテレン宣教師の記録に
もうちょっと北条ががんばれば確実に防衛出来てたし、秀吉政権もどうにかなってたのにって
書いてあるとかないとか
- 12 :
- 秀吉側は包囲してて資金も潤沢、北条側は篭城して徐々に衰えていくだけ
そしてアテにしてた徳川伊達も秀吉にジャンピング土下座で屈服し、外に頼れる勢力もない
何をどうやれば覆せるんだ
- 13 :
- あと小田原籠城を半年続ければで豊臣軍は兵糧部速で撤退していた。
秀吉が攻城が上手くいかないから偽和睦を行って、北条を滅亡させたってだけ。
- 14 :
- 北条以外日本中味方でそういう状況になるって秀吉の兵站能力っておかしいだろ
- 15 :
- うん
敵の資金力も周辺国の状況も上杉が攻めてきたときとわけが違うのに
何をどう考えれば半年程度でどうにかなるというんだか
- 16 :
- ああなった時点で北条は終わってたわけで
抗うなら武田上杉が息してる間にやるべきだった
- 17 :
- 半年で20万の飯を食わすのなんて無理でしょ当時の兵站考えても。
そうじゃなけりゃ偽和睦なんてするか。
文禄慶長の役ですら負担が半端なかったにそれを超える軍送ってたし不穏分子もうようよ。
- 18 :
- 関東の連れションしてる時に風魔小太郎が後ろから蹴り落とせば
- 19 :
- ぶっちゃけ大坂冬の陣とどっちのが勝算ある?
- 20 :
- 秀吉は、九州征伐で兵糧不足から瓦解寸前まで陥った経験を踏まえ、
小田原征伐ではかなり潤沢な兵站を構築してた
だけど、それでも1年も持たない状況だったので、
北条との交渉を始める予定だった
条件は、北条の伊豆・相模・武蔵の安堵だったが、
北条が勝手に瓦解し無条件降伏した
- 21 :
- 伊達が後詰めに来たら士気を保てたかな?
- 22 :
- >>20
何に書いてあったの?
- 23 :
- >>19
篭城するだけの戦いに勝算などない
- 24 :
- >>23
敵の補給線次第では、余裕で追い返せることはあるけどな
まあ、小田原の役では山中城を突破された時点で勝負はついたと見る
逆に言えば山中・韮山といった東海道筋が粘れれば、
小田原城の兵で分進合撃策をぶっ潰す目はあったと思う
決戦用の兵が小田原城に封じ込められてちゃ世話ないぜ
- 25 :
- >>20
秀吉が北条降伏前に出した北条との講和条件は上総と下総の安堵だったよ。
だけど、秀吉が一方的に開城させたあと反故にしたわけで。
- 26 :
- >>24
でもその場合城下は放火され、田畑は刈り取られ
国主としての威厳は台無しになるけどね
北条の小田原篭城だって、上杉や武田を追い返しはしたけど、ダメージ回復に氏康は相当大変だった
- 27 :
- まぁ島津や長宗我部でも本拠までは攻め込まれていないのにいきなり小田原城を囲まれた時点で試合終了だわな
徳川に見捨てられた時点で戦略が破綻している
- 28 :
- 徳川に見捨てられたっていっても、だいぶ前から徳川は秀吉の臣下になってるし、
秀吉軍先鋒となって北条と戦うという状況なのになんで北条は徳川が味方だなんて
思い込んでたの? ありえねーじゃん なんでそんなに自分の都合のいいように
解釈できるの? 自分が宇宙の中心なの?
- 29 :
- 大阪の陣前の豊臣家と同じさ
- 30 :
- 篭城しっぱなしというのがそもそもオカシイわ
大阪の陣では野戦あるからまだいいNA
- 31 :
- >>30
籠城する城が無くて仕方なくだろ
- 32 :
- でもすごいよね。ピデヨシは。何度か山中城に行ってるけんど、
よくあれをたった半日で落としたよね。
- 33 :
- 箱は立派でも人手不足でスカスカだったからな
八王子城しかり
- 34 :
- やる気がないのよ 兵士たちがほんとに命を捨てて戦えばどんなしょぼい城でも
かんたんには落ちない
- 35 :
- >>32
初戦に難攻の城を力攻めで落とすのは、戦国時代にはよくある戦略だよ
そうすることで相手の士気を下げて、味方に誘いやすくなる
信長が何度かやってるから調べるといい
- 36 :
- 堀が死んだように疫病はやらせたら勝てるんじゃね?
何人か酷い病人を豊臣軍の中に放り込めばよかったのに
連中群れてるからあっという間に伝染するぞww
- 37 :
- 中国の春秋時代に晋の智氏が趙を囲んで魏と韓の裏切りで逆にクビを杯にされたっていう話があるけど
そんなんは日本では無理かね
- 38 :
- 豊臣に従った徳川・伊達と内通
- 39 :
- 白起がいたら勝てたんじゃね
- 40 :
- この時、徳川の井伊直政が秀吉陣営の手薄なのをみてとり
ここは秀吉を討ち取るチャンスだと家康に提案したという話もあったし
そこを考えるとやはり徳川などと内通しておくべきだった
井伊といえばその後に唯一、難攻不落の小田原城内に攻め込んできた男だしな
- 41 :
- 北条は死に体?
- 42 :
- 山中城には玉縄衆が応援に入ってるんだよ。人手不足とかやる気がないってのは
どうかな?
- 43 :
- 織田信雄と徳川家康が寝返ったら秀吉の首はとれたと思う。
その後が謀反した側も博打になるわけだけど。
家康が博打を嫌わなければ北条の勝利はあったかも。
- 44 :
- >>43
寝返るような状態に秀吉がするかどうか
- 45 :
- 例え秀吉を打ち取れたとしても
周りの大軍に今度は打ち取られるだけだろ
そんなの無意味だと思う20万人の軍勢で囲んでる訳だからな
秀吉以外にも敵は沢山いる訳で
小田原の陣で秀吉に刀抜いて生きて帰れる訳が無い
- 46 :
- 戦場での土壇場の寝返りは印象最悪だしなー
- 47 :
- そもそも、徳川・信雄が語らって秀吉本陣に切り込むなら
それは北条の勝利と言っていいのか?
- 48 :
- >>47
この場合、北条家が戦前の領国を維持出来たら勝利でしょう。
- 49 :
- 「家康なんか先鋒にしたら北条に寝返って謀反起こしまっせ」
って三成が秀吉に讒言してなかったか?
秀吉は笑って受け流したって言うが
- 50 :
- 秀吉は西日本平定後は家康の謀反を望んでいたんじゃないのかな。
北条征伐後の家康、信雄の国替えは二人して謀反起こしてもらってもう一回小牧長久手の戦いをやりたかったのかも。
- 51 :
- >>49
味方かどうか試すために先鋒にしてんだがな・・
戦国時代じゃ、国同士の対決はその境界線にいる大名・国衆が先鋒になるのが常識
その逸話は、石田三成が軍略に通じてないと貶めるための、数ある捏造話の一つだ
- 52 :
- >>25
伊豆相模じゃなくて?
上総と下総(の南部)の安堵は里見氏だと思う
もっとも、こちらも惣無事令違反で反故にされたが
- 53 :
- >>52
伊豆相模じゃない
- 54 :
- 北条も頑張れば8万くらい動員できたんだろ?
越後、信濃、甲斐、駿河国境の険しい峠道に2万ずつくらい配置してれば
関東に入れずに戦えたんじゃないのか?
- 55 :
- この頃の秀吉は怪物で神がかってるからな
- 56 :
- >>54
北条家自体は相模・伊豆・武蔵・上総の一部にしか直轄領を持っていない、後は国衆
動員に応じない・豊臣方に寝返った国衆がおり、そうすればおのずと隣接する国衆も動けない
それと北条家は佐竹・宇都宮連合と交戦状態なので常陸・下野・上野周辺にも兵を置かねばならない
関東征伐に当たって北条家はかなり厳しい徴兵(少年や老人も引き抜く、まるで太平洋戦争末期のように)をしているが、
それでも足りなかった
- 57 :
- 中途半端に拡大路線とって、各地に兵力分散した挙句
全てを守りきるのは無理だから小田原に全員集合〜!って要衝捨てちゃったんだもんな
合戦に持ち込まれた時点でもうどうにもならない
合戦になる前に外交努力で何とかするべきだった。
まあ・・・北条もいろいろ外交やってんだけど、秀吉がそもそも降伏案を飲むつもりがなかったんだろうな
通説では秀吉が大幅に譲歩してるのに、北条がなかなか降伏しないから業を煮やしたみたいな書かれ方だけど
秀吉がやる気満々だったのは明白だもん
- 58 :
- >>56
南上野にも持ってる、沼尻でうまくせしめてたはず
それによって沼尻以前と以後では上野・下野に対する影響力も段違いになって、
横瀬・長尾、佐野、皆川、壬生といった諸氏に相当圧力かけて、宇都宮侵攻の基板になった
もっとも国衆中心というのはそのとおりだけどね
- 59 :
- 武田→上杉→北条は信長の元々の構想
なんで上杉すっとばして北条だけ残ったかはしらん
つか武田も北条も大名復帰寸前に病死とはどういう事だよ
- 60 :
- >>58
秀吉との手切れ直前は、かなり優勢だね。氏照中心に攻めて関東制覇も夢ではなかった。
それだけに関東征伐の報は悪夢だったろうね
氏照の八王子衆その他の配置転換・撤退に苦労したろう
- 61 :
- >>60
秀吉があと五年もたついてくれていれば、
あわよくば・・・って妄想ができるくらいにはな
それだけに本能寺以後の秀吉の速さには脱帽せざるを得ない
- 62 :
- つかそんな不穏な動きを止めなかったから見せしめにされたんだろうな
これ以降の九戸なんて根絶やしだし
奥州の連中が秀吉に逆らうと考えての籠城だろうが普通に見通しが甘かった
それは北条に限った事じゃないから、当時の情報伝達力の低さでも伝わるような合戦が必要だったんだろうな
秀吉側は22万の軍勢に70万石越えの兵糧
勝ち目がない
- 63 :
- 兵力差だけなら楠公の例もあるけど、やっぱロジスティックが勝利要因かね。
- 64 :
- 楠公だって天皇を担いでいた事と、全国で倒幕の気運が高まっていた事に後押しされていたから
時間を稼ぐ事が目的であっただけで楠公だけではどうやっても勝ち目はなかったよ
後北条氏の場合は何の後ろ楯もないし、時勢も後北条氏の方には向いてない
むしろ豊臣氏に朝廷の威光や時勢も向いていた
だから少しぐらい粘ってもどうにもならなかったよ
- 65 :
- じゃあ北条も朝廷の誰かか、それとはまったく別の何かを担ぎ上げていれば
そこそこにいい勝負になったわけだ。
北条はそういうことマジメにやってこなかったからなあ。
- 66 :
- ある意味朝廷と一線を引くメッセージで北条を名乗ってるんじゃないの?
- 67 :
- あっそうだ、時勢はなかったかもしんないけど、朝廷の威光だけなら、
新田義貞にもあったよ。でも箱根で負けたよ。
- 68 :
- 小和田先生の秀吉軍兵站限界説は?
- 69 :
- 3ヶ月しか篭城出来なかったのは城内の裏切りが原因だろうな
松田が裏切るとは・・・
- 70 :
- 小和田って武田関連だとある程度参考になるが、それ以外だとてんでダメな人じゃん
- 71 :
- >>69
松田憲秀は裏切り者の代名詞みたいな事に秀吉方にされてるけど
実際は明確に裏切ったわけじゃない。
(息子の方は真っ黒だけど)
- 72 :
- 大道寺のほうが可哀想
- 73 :
- 下野の連中や佐竹、里見がやっかいだね。
作戦を立てようにも魚の骨のように喉に引っかかる。
- 74 :
- 歴群関係のだと思うわけのわからん単行本を引っ張り出してきて読んだ。
先の先で、1、伊達と組んで越後侵攻。2、伊達に越後けん制してもらい全軍で
駿河甲斐信濃の3方向へ侵攻。3、全力で駿河に侵攻して、駿河東部を確保して
西方防壁(山中韮山足柄)の前に防御地帯を構築という氏邦さんの戦略が披露されてた。
おれは伊達は嫌いだから、3、しか選択しない気がするけどこれは意味ないよな。
- 75 :
- 箱根の山絶対防衛線を構築って仮想戦記もあったな。
現実にやると北国連合軍に小田原を叩かれると思うけど。
- 76 :
- どっかで決戦挑んで勝って伊達に動いてもらわないとジリ貧
- 77 :
- 白装束「土下座の準備はできておるが?」
- 78 :
- >>74
てか、どの方法とるにしても佐竹達完全スルーされててかわいそうだw
- 79 :
- >>74
1.越後に戦力を割いたところで、箱根経由の豊臣軍を阻止できない
2.少ない戦力で西に戦端開いても詮ない
3.防御地帯を確保しつつ終戦工作は悪くないけど、徳川に喧嘩売って誰に仲介して貰うのか
- 80 :
- 勝利条件を低くして、例えば半年籠城に耐えて豊臣軍と少し良い講和条約を結ぶ、
ということにすれば勝ち目はあったのではあるまいか
よく考えれば関ヶ原の負け組でさえ30万石ぐらいで生き残ったのだから、北条も
最低でも伊豆一国もらって生き残ることはできそうな話だが・・・
- 81 :
- 相模一国安堵されるも信雄みたいに転封でゴネて改易
- 82 :
- どうやっても裏切り者はでるだろ
そこは秀吉が一枚上手
- 83 :
- 伊豆一国ってしょぼすぎだろ・・・
- 84 :
- 温泉以外なんもないところだからな
- 85 :
- 早く頭下げてりゃ所領安堵だったのにな、
家康が屈服する前に頭下げてりゃ家康領切り取って加増だったかも知れん
5大老の座もあったぞ、北条はアホ過ぎる
- 86 :
- 頭までは下げなくても協力的な姿勢を見せるだけでも全然違ったよね
背後から家康を警戒するから、早く畿内をまとめろ〜とか
縁談を申し込むとか、なんか手はあったべ
- 87 :
- 伊達は貴種として名門のプライドがあったその境遇ゆえに判断が遅れてしまったのだろう
恐らく秀吉と交渉する時には一門が滅ぶ覚悟があったと思う
百姓のドゲザムライになるくらいなら誇りある死を選ぶ
利己的な考え方しか出来ない現代人には理解し難いとは思うがその生き様は戦国のラストサムライと言える
- 88 :
- そう言えば島津も伊達も北条もすんなり降伏はしなかったよな、家康もだけども
すんなり降伏したのは大友宗麟くらいか?
あれは降伏じゃないと思うけど
- 89 :
- >>83
伊豆国は律令制度でも下国
- 90 :
- >>87
土下座しまくったじゃないか
- 91 :
- 佐竹もあっさり臣従
伊達と北条に挟まれてたら仕方ないけど
- 92 :
- >>87
どんだけ迷ったって結果土下座してんだから、なんだろうその情状酌量。
おれ的には伊達は活きがった中途半端な不良が、喧嘩寸前でビビって侘び入れた感じ。
- 93 :
- 小牧長久手の時の家康って小田原の役の北条の半分くらいの勢力だし
兵力も大したことなかったのになんで秀吉はアッサリ兵を引いたんだろ?
もちろん西にも北にも敵が残ってたのもあるけどあんな厄介な奴こそ潰したほうがよかったし
頑張れば潰せたんじゃないの?
- 94 :
- >>87は後北条だった何か書き間違えた
- 95 :
- こら
- 96 :
- >>93
天下がどう転ぶか予断を許さない状況だったから
- 97 :
- あれ以上徳川と長引かせてると、四国や九州がいつまでも平定できない。
とにかく西を固めて経済的な優位を確立させるまでは我慢するしか無い。
- 98 :
- 信雄を擁してたってのが1番大きいかな
実際、小牧長久手役の終結は信雄との講和だし
- 99 :
- >>94
なんだそうか。
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