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2011年11月2期36: 懐かしの寝台列車を語るスレ (730) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼

懐かしの寝台列車を語るスレ


1 :08/09/06 〜 最終レス :11/11/20
さくら

2 :
みずほ

3 :
>>2自分は>>1だが列車名だけを言うスレじゃないからw

4 :
新星

5 :
からまつ

6 :
明星

7 :
山陽鉄道名無し寝台列車。日清戦争勝利の勢いだな。

8 :
ブルートレイン学園

9 :
スレチなのだが、ふと思い立って調べてみると
あれだけあったSLホテルだが、
今なお営業してるのは小岩井農場だけなんだねぇ
(しかも毎日ではない)。
客車単体なら、国民宿舎関ロッジ(最寄り駅は関西線の関)
では今でも泊まれるらしい
(十数年以上前に行ったことを思い出した。
 俺らは畳部屋に泊まったが、
 客車の写真は撮りづらかった覚えがある)。

10 :
>>9何系?

11 :
ナハネ20だそうです

12 :
500系の試運転をやってた頃、
当時の小郡駅構内に停めてあった
ホリデーパル20系700番代(?)の車内で1泊したことがある。
動いてなかったケド・・・orz

13 :
>>12
どういう事情で、そんなところに泊まることができたの?

14 :
>13
ほんの行き掛かり上の、付き合いです。
別名、「クレーム処理」とも呼ばれていますが・・・

15 :
>>11そんなのあるんだ
>>14それどういう意味?

16 :
>>13
駅構内留置中の列車内で泊まるなんて結構できたもんだよ。
おれは郡山駅で始発磐東線のDC内で寝たことあるな。なぜか扉が手で開いた。

17 :
>>16
お前それは犯罪だろ。
全然寝台列車の話題がないな。

18 :
鈍行 ながさきの10系寝台
寝台灯が蛍光ではなく豆球だった。
長崎精霊流しの晩に乗ったが良い思い出だった。

19 :
>>17
需要は大体この辺で吸収してるね。
さくらはやぶさみずほ富士あさかぜ瀬戸出雲の時代
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220165746/
明星なは彗星あかつきの時代
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220237886/
【はやたま】紀州夜行【南紀】
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220576241/
【金星 きそ】名古屋発の夜行列車【のりくら 紀州】
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220854940/
あと、東北筋は乗り継ぎがらみでこのスレに吸収されているようなところがある。
青函連絡船
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220480795/

20 :
>>17だろうなw

21 :
じゃあ落ちる前に1つだけ・・・
大阪万博に新幹線で行く計画を立てようと、1970年3月号の
大きい時刻表を買った。
ピンクのページには、いくつかの個室?寝台車の
図解が載っていた。

22 :
>>21勝手に落とすなw

23 :
豊中市の履正社高校にあった、20系はまだあるの?

24 :
戦局が膠着状態にあった、
1943年の末。
山陽東海道筋で東京へ行く
優等列車は減りに減って、
辛うじて面目を保っていた
のが、博多⇔東京を走って
いた、第一種急行ふじ。
博多を19時丁度に発ち、
東京には翌17時06分に
著くダイヤだった。
1等寝台車と洋食堂車とを
連結した列車は、内地では
既にこの列車1往復のみに
なっており、落日のせまる
帝国に咲いた最後の徒花の
ように思えた。

25 :
>>24
失礼ですが、お年は?
最低でも75歳でしょうね。

26 :
>>24あんたいったい何歳だw
>>23豊中市が豊原市にみえたw

27 :
>>23
もうないけど、あった当時のこと教えてくれ。
ナハネ?ナロネ?

28 :
>>11
20年程前、ナロネ21に宿泊したが
今はもうないんだろうか?

29 :
>>28傷んでくるから重機のエサになったんじゃない?

30 :
鴨川の草むらの中にも20系客車があったなぁ。

31 :
>>30
20系だったけ?

32 :
>>31
これだね。
俺が見た時よりも、更に酷い状態になっている (´;ω;`)ブワッ
ttp://minamibousou.at.webry.info/200712/article_5.html
(心臓の弱い人は見ない方が吉)

33 :
>30
京都の鴨川に放置してあるかと思った

34 :
>>33
あんなトコに放置してたら物見高い京都人のことだ、すぐに人だかりになるぞw

35 :
>32 リアルトレインショーティーだな

36 :
>>32スマン20系だったな

37 :
回想774列車初登場!

38 :
S50年頃下りの「さくら」が下関に差し掛かる辺りで山陰線の「さんべ6号」と並走して下関入線したのを覚えてる
特に印象的なのはさんべに連結されたオロハネ10が格好ヨカッタ

39 :
10系客車というのは垢抜けてる訳でもなく、
何というか急行列車の為に生まれてきた客車という気がするなw
つぅか特急に使われてたことってあるのかな?
20系の増備が間に合わなかった頃とかだろうか?

40 :
>>39
20系登場前は特急に使ってた
てかあさかぜ登場時は10系じゃなかった?

41 :
やっぱ、そうだったのか。
ありがとう|∀` )ノ

42 :
>>39
あさかぜ登場時とか
最期の客車つばめもスハ44、オシ17、ナロ10にマイテでしたね。

43 :
>>38
上り下りの列車が同じ駅に
同じ時刻に入線することを
「並走」と呼ぶのは無理が
あると思う。
「並走」とは、走行方向が
同じ方向の場合に限られた
表現方法である。
走行方向が違う場合には、
単なる「同時入線」だ。
下り「さくら」が半日以上
遅れていたのか、「さんべ
6号」が9時間近く遅れて
いたのか、私が見たのでは
ないので知る由もないが、
いずれにせよ規模の大きな
ダイヤの乱れだね。

44 :
86年、90年にはよくはやぶさに乗ったもんだが、博多から関門海峡を越えて
本州に上陸し下関の次の駅の幡生に差し掛かるとそこは山陰線と山陽線の
分岐点であるがいよいよ東京迄の長い旅が始まるってわくわくしたものだ。

45 :
>>43
幡生手前で並走したということじゃないかな?
どちらも下り(西行き)でしょうから、並走でいいと思うけど。
たぶん「さんべ」が1時間ちょっと遅れたからでしょう。

46 :
紀伊

47 :
金星

48 :
>>45
禿同!!

49 :
>>43
#45氏に同意。
おそらく#38さんが見たのは新下関〜幡生間の、山陰本線が山陽本線上り線をアンダークロス
して、上下線の間に顔を出す辺りだろうね。んで、「さくら」はそのまま幡生を通過して下り本
線を下関へ。「さんべ」の方は幡生で一旦抑止され、本線下りが開通したら続行で下関へ。おそ
らく「さくら」がカマ交換で停車中に「さんべ」が隣ホームに入線して来たんだろうね。

50 :
>>30
同じ千葉県の、小湊鉄道の車窓から、ボロボロになった
サシ581を見たのは何年前だろう。

51 :
>>43
正しいですね。
>>38,>>45,>>48,>>49
もはや「懐かし」「回想」列車ではなく、「妄想」「脳内」列車の域に達していますな。
博多→米子 さんべ6号
長崎・佐世保←東京 さくら
この2つの列車が、一体どうすれば 下関⇔幡生 で同じ方向に走るのか、理解できません。

52 :
>>51
>>38には「S50年頃」とあるから、号数が下り奇数上り偶数になる前の時代だ。
おそらく「さんべ3号」の間違いだろう。

53 :
「さんべ6号」でぐぐったら>>38とほとんど同じものをブログのコメントで見つけた。
色々調べているとさんべ3号とさくらは博多到着時刻で1時間半弱の差があるから、
たまたま遅れているのを目撃したひとがあっちこっちで同じ間違いを重ねてるってことか。

54 :
>>52
>>38本人が「さんべ6号」と書いているのですから、
3号や5号ではなく、6号だったのではないでしょうか?
昭和53年10月改正以降の旅行の思い出でも
「昭和50年ごろ」と表現する可能性は充分ありますし、
昔のことだから、たとえ乗り鉄と言えども
旅行したのが何年のことだったか、
記憶が曖昧になることは、よくあることです。
でも、3号や5号と6号を間違える可能性は
低いと思います。
さんべ6号が博多を夜に出発し、米子に翌朝到着する
列車であることは、乗り鉄ならば常識中の常識として
頭に染み付いているでしょうから。

55 :
>>54
> さんべ6号が博多を夜に出発し、米子に翌朝到着する
> 列車であることは、乗り鉄ならば常識中の常識として
> 頭に染み付いているでしょうから。
その列車と「下りさくら」が併走する可能性はない、ということは「乗り鉄ならば常識中の常識」ではないと
おっしゃるのですか?

56 :
>>55
簡潔な日本語で頼む

57 :
さくら

58 :
さくら

59 :
弥生の空は

60 :
あさかぜ
フルレンジ富士

61 :
急行時代(2〜3年しかなかった)の夕月。

62 :
>>61
夕月といえば489系でも運転された臨時特急

63 :
10系より前の旧客の急行が、日豊山陽を走っていた事があるのだよ。

64 :
新星

65 :
月光

66 :
知っているのか雷電

67 :
関取?

68 :
>>66
つ 民明書房刊「異世界の車窓から」より抜粋

69 :
北海道の瀬棚線直通で急行らいでん
ってのがあったような気がするが寝台ではないな。
相撲取りの名が由来の列車名といえば、あけぼのとかあさしおとか(/☆バキ

70 :
>>69
岩内線直通が「らいでん」
瀬棚線直通は「せたな」
あと、相撲取りが由来の列車名は「かいおう」だけじゃいw

71 :
天の川

72 :
特急用12系とは縁の無い、オハネ12、オハネフ12を繋いだ普通の寝台列車が、
全国の幹線亜幹線をトロトロ走り回ってなかった?
隣にスロ43とかくっつけて。

73 :
>>72
スロ43というと、オロ35を電暖化したヤツだっけ?

74 :
だったと思う。

75 :
>>54
蒸し返すようで悪いけど要は#38さんが並走と表現している、「さくら」と「さんべ6号」の関係が
字義通り同方向へ走ったのか或いは本来なら擦れ違ったと表現すべき状態だったのか?ってことかな?
下り奇数・上り偶数になったのは53−10以降、それ以前は下り列車でも偶数付番があった。
(でも「さんべ」が6往復あったかな?)
単純に下り「さんべ3号」を6号と間違えたのか?或いは、本当に上りの「さんべ6号」で、並走ではなく
擦れ違ったのか?そこは#38氏にもう1度降臨いただかないと判るまい。
(あ?上りが「さんべ6号」ならその時期の下り夜行は「さんべ5号」だ罠)
いや待てよ?夜行さんべのオロハネ10は確か50−3で外されたんだ。だから#38さんの見たのはそれ
以前のはず。新幹線博多開業前だ。だとしたら夜行さんべは上下とも3号だね。

76 :
>>39
20系登場以前の在来一般型客車にはそもそも特急形・急行形といった概念が無かった。
新しいものから順に優等列車に充当と言う発想。
ま、明らかに特急用を意識した車輛も少数ながらあったけど。
スハ33900(だっけ?)、オハ34、スハ44等々
また寝台車や食堂車、優等車(ロザ)等は基本的に急行列車に連結されるから
必然的に優等列車専用然とした存在だった。
(因みに急行列車には特急と準急を含む。いずれも急行列車の亜種。即ち普通急行列車
の上位に特別急行列車があり、下位に準急行列車がある)

77 :
>>75
いずれにせよ、>>38は嘘を書いている。
下り「さくら」と並走する
「さんべ6号」に
オロハネ10が連結
されている状態というのはあり得ない。
上り「さくら」と並走する
「さんべ6号」に
ナハネ20が連結
(ダイヤ乱れ)
下り「さくら」と並走する
「さんべ5号」に
オハ12が連結
下り「さくら」と並走する
「さんべ3号」に
オロハネ10が連結
下り「さくら」と同時入線する
「さんべ6号」に
マニ50が連結
(ダイヤ大幅に乱れ)
などはあり得る。
>>38は無茶苦茶だな。

78 :
まあ、好意的に考えるなら、積極的に嘘ついたつもりはなくとも、
いろいろ記憶違いがあるのかもしれない

79 :
記憶違いもあるだろうし何か特別な事情があったのかもしれない。
だいたい>77は一切そういうミスはしないのか?
他人にだけムチャに厳しくしてもいずれ自分に返ってくるぞ。もう少し人間を磨け。

80 :
銀河もここに入るんだよね…年に2回は使ってたから正直困った。
東京から朝一で京都入りするのに最高だったのに。
最初に乗った寝台列車が「あかつき」(直方→大阪)
最初に乗った寝台電車が「彗星」(宮崎→大阪)
最後に乗った20系が「雲仙」(臨時、新大阪→諫早)
最後に乗った大阪寝台が「なは」(博多→京都)
いろいろと思い出すなあ…

81 :
月光
新大阪から博多のばあちゃんちに行くとき乗った
中段でサイドに覗き窓から外が眺められたのが良き思い出

82 :
明星
S43.10まで東京ー大阪間の寝台急行だった。
父(故人)からS43.5に仕事で利用した1等寝台券をもらったが当時の編成や見取り図
でマロネ40の1等B寝台を利用したようだ。
その寝台券は今でも大事に保管している。

83 :
明星懐かしい。
20年位前にのったが、季節臨で新大阪―西鹿児島だった。
20系の特急運用としては最晩年だったと記憶してる。

84 :
「あけぼの」もそうだったけど、3段50cm級の詰め込み仕様は、
輸送力列車としてなかなか手放せなかったんだろうね。

85 :
単に14系、24系の置き換えが追いつかなかっただけでは?

86 :
>>83
平成6年ぐらいまでは20系の臨時寝台特急だったような。
その後2年ぐらい
東京―博多の「玄海」
新大阪―長崎の「雲仙」と一緒に
新大阪―西鹿児島の「桜島」
として20系急行で走っていたと思う。
結局20系には乗れずじまいだった・・・。

87 :
20系か・・・
87年10月に65PFに牽かれた「おが」を見たのが、最初で最後だったな。
JRマークこそ付いてたんだろうけど、「これが往年のあけぼのの姿なのかぁ」って
ワクワクした記憶があるなぁ。

88 :
>>86
西鹿児島急行の時は「霧島」名乗ってた平成6年夏に乗ったぞ。
翌年は南九州特急に「きりしま」が復活したんで臨時急行は「桜島」になった。
昭和40年代の東京−鹿児島急行と同じような名前の変遷で、
鹿児島県では、錦江湾のシンボルのような桜島より、もっと広域から見える名山の霧島山の方がステータスがあるのかな、と思った。
この平成6年夏は大学に入ってからだが、ナハネフ22に全区間乗り通した。
臨時急行のボックスはグループ客を除くと下段寝台ばかりが埋まってガラガラ。
切妻のナハネフ23でなく、丸妻の22が来たことに新大阪で喜び、
ロックの外れる音のした渋い手動ドアを、真ん中の継ぎ目で蹴飛ばして開けて乗り込んだものだ。
ベッドが狭いにもか変わらず、24系をしのぐ静粛性と揺れの少なさに感動。
様々なパーツの作り込みの丁寧さも素晴らしく、泣けた。
当時、高校時代から愛飲していたトリスウィスキー(笑)のポケット瓶(激ワラ)を通路の窓際に置いて
腰掛け引き出してラッパ飲みすると、気分は昭和40年代の出張サラリーマン。
52センチ寝台は恐ろしく狭いのに、実に静かでよく眠れた。
夜が明けてから午前中一杯使って鹿児島本線を南下していく。
「つばめ」に抜かれ、単線区間で対向列車をのんびり待ち、という優雅な旅。
何駅だったか忘れたけど、交換待ちで長く止まった駅のホームに降りた時のナハネフの貫禄……
あの夏は忘れない。無理して都合を付けて乗っておいて、良かった。
旧客の寝台には乗り損ねたが、14系、24系、583系、サンライズには乗っている。
14・24はうるさかったりちゃちだったりでスペース以外大していいところはなく、
583の下段、サンライズの個室はなかなかのものだったが、静粛性や空調の快適さ、寝床のクッションで、20系に軍配が上がる。

89 :
桜島だと明らかに鹿児島だけど、霧島だと宮崎のイメージだもんな。
焼酎の話だけど。

90 :
客車(93年改正前をさす)時代の能登。発車時の独特の揺れが忘れられない。まぁ,その揺れが災いしてか,電車化になったのかも。

91 :
みんな古い列車の話でもちきりだなw

92 :
20系のあけぼのは30年位前に乗った。
弘前から上野まで。
583系の下段に比べたら幅が半分位で狭いと思った。
雨で遅れて、朝起きたら山形県内だった。

93 :
「音戸」「安芸」呉線経由の寝台急行。
「那智」「伊勢」「大和」亀山で3分割。
「さぬき」四国連絡の寝台急行。

94 :
名古屋と博多を結んでいた「金星」
博多から帰ってきて、名古屋で降りて地元の駅まで向かう途中、朝の通勤時間帯の
電車の中で
「大平さん死んじゃったんだってな」とサラリーマン達が話してました。
金星に乗った日を答えろ、と言われてもすぐに出ませんが、
当時の大平総理が亡くなった日と言うのだけは強烈に覚えてます。

95 :
80年6月12日ということになるね。

96 :
>>95
日付有り難うです。
朝方だったのかな・・・現役の総理の急死はあれが初めてだったんで結構驚きました。

97 :
wikiより
6月12日午前5時過ぎ容態が急変し、志げ子夫人以下家族達、官僚時代からの盟友であり官房長官の伊東正義、田中六助自民党副幹事長に看取られながら5時54分死去。70歳3ヵ月、突然の死だった。

98 :
そうか。
ヘタレ自民党、勝ちたきゃ弔い合戦方式しかないなw
ヨコレスすまそ。

99 :
当夜の宿「ながさき」を待つため、早岐の駅前食堂で
皿うどんを食べていたら、とびこんできたのは
山口百恵引退のTVニュースだった。
俺はゼニがないので座席車…

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