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2011年11月2期4: 懐かしの常磐線 (528) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼

懐かしの常磐線


1 :11/03/13 〜 最終レス :11/11/21
東日本大震災で壊滅した常磐線の在りし日を語りましょう

2 :
三河島事故

3 :
ごめん間違えた
>>2双葉
>>3三河島事故

4 :
四倉

5 :
いわき〜岩沼は廃線になりそうだな…。

6 :
新しい特急列車はどうなる?

7 :
原ノ町駅はどうなったんだ?

8 :
>>5
おそらく復旧させずに廃線になるであろう路線、区間
仙石線、三陸鉄道、岩泉線、石巻線、気仙沼線、釜石線、ドラゴンレール大船渡線
山田線、八戸線、はまなすベイライン大湊線、八戸臨海鉄道
東北本線の一部、常磐線の一部
空港も仙台空港、花巻空港、八戸空港のうち、最低でも1つは廃港だろうね
茨城空港もいらんし

9 :
茨城は百人基地拡張の言い訳だからおk

10 :
>>8 福島臨海鉄道は?

11 :
常磐線 平行き

12 :
>>8
石巻線は石巻までは復旧させる代わり、仙石線の東塩釜以東は…(泣

13 :
エイエイオー\(^o^)/

14 :
山スカ借り入れの各停

15 :
最晩年の223レ
近距離切符大回りがはやった頃で、上野〜我孫子に乗った。

16 :
急行「ときわ」には乗車出来たが、「もりおか」には乗車出来ずなのが残念至極!

17 :
>>16
「そうま」は?

18 :
モハ72使用の快速。
わずかな期間であったが、1度乗ることが出来た。

19 :
小さい時にときわは乗ったわ
58系だっけ
デッキがある旧型客車もよく見たなあ
あとはつかりの寝台特急
懐かしいなあ

20 :
>>17
下りは水戸ー仙台、上りは仙台ー上野だったね。
後にEC化されたがDCの頃と同じ運用だった。
上りが上野に着くと折り返しは普通水戸行きとなった。
松戸に住んでいたが、都内から夜遅くなると時々乗った。
DCで通勤はよき思い出だが、成田線直通はDD51牽引の客車だった。
今のE231、E531はなんとも味気ない。

21 :
>>16
奥久慈は?

22 :
ひたち、もりおか、ときわでL特急みたいな感じでしたな。
上野ジャスト発のひたちがない時間帯は急行がジャスト発になり、
ジャスト発のひたちがある場合は大体20分頃発で設定。
しかしDCときわ二本だけはひたちの続行運転で03分発。
足が遅いからだったのだろうか?

23 :
上野発普通大津港行に何故か萌えた。
今は水戸発しかない。

24 :
>>23
上野発草野・四ツ倉 ・久ノ浜行きも一時期あったね

25 :
>>24
あったな。なんかそういう半端なところの行先が多かった。

26 :
上野発大洗直通の臨時特急に乗りたかった。
信楽の事故さえなければ・・・。

27 :

わたし〜星丸〜 あなた〜友達〜♪
つくば博 コスモ星丸CM 80年代
http://www.youtube.com/watch?v=Z0adcgUh_as&feature=related
科学万博 つくば'85 CM コスモ星丸 1985年
http://www.youtube.com/watch?v=UB6F2i66ZRY&feature=related

28 :
>>24 久ノ浜行きでなくて久ノ浜発ですね。
>>21 奥久慈は、1本は水戸行ときわ、もう1本が平行ときわ併結なので
12両近くで、全車両が真上に排気上げて発車してく姿は迫力があったが
速度が鈍いほど上がりませんでした。自らの排気の陽炎の中にだんだんに消えていくのを
いつまでも見ていました。
>>16>>20の「そうま」は、上野発着にしては妙に短い編成だったような気がします。
おそらく7両くらいではなかったでしょうか。
上野最終で、水戸着。それが翌朝水戸発仙台行そうま1号いわき1号となったわけですな。
それにしてもこのそうまの運用は仙台〜平の普通列車として原ノ町まで運用されたり、
地味な印象ですがとても働き者だったのですね。

29 :
>「そうま」は、上野発着にしては妙に短い編成だったような気がします。
6両でしたね。
自由席が1・2・5・6号車、指定席3号車、G車4号車と本線急行と同じ配置でした。
上りそうまの折り返しが常磐線最終水戸行き普通(たしか土浦以北が快速運転)になるのですが、
これが6両編成というのが今では考えられませんね。しかも1両はキロ。
12月の週末なんか収拾つかなかったと思うんですが、増結してたのかなぁ、、、

30 :
平成二年に一度だけ土浦から常磐線で仙台まで日帰りで行ったことがある。
原ノ町まで特急で行きそこからは普通で仙台まで。
途中日立木か鹿島で上り電車とのすれ違い待ちを行い「日立木」を「にったき」と読むと初めて知った。
平日だったが11時前後の車内は山下辺りから混み始め、岩沼から先はかなり混雑していた記憶がある。
仙台の駅は当時通勤していた水戸駅より数倍大きく如何にも東北の中心といった佇まいだった。
帰りは東北新幹線で上野経由で土浦に戻った。

31 :
常磐線の急行のビュッフェで実際に営業してたのってどの程度だったんだろう?
あと車内販売の有無とか。

32 :
>>17
>>21
乗らずじまいorz

33 :
221レで松戸から長町まで乗ったことがあります。
マニ付きの11連でナハ10に席を確保。途中水戸でEF80からED75に換わり
高萩、大津港、草野なんて赤電の方向幕でしか知らない駅に停車。
広野あたりで海が見え、遺棄された旧線のレンガ造のトンネルをいくつも見
ました。原ノ町でも大休止でホッキ弁当を食べ、飽きることもなく長町に到着。
市電で市内に入りました。
あの道程を永遠に走ることができなくなるなんて胸がつまります。
14の夏、見上げてた福島の海と空は果てしなく青かった。

34 :
>>33
わざわざ水戸で機関車付け替えか。なんのための交直流機関車なんだよ。

35 :
柏通過してた頃は良かった
柏利用者のマナーが最悪なんでまた柏通過に戻して欲しい
柏人なんぞ各駅でも使ってろ

36 :
またそういうことを…。

37 :
>>35
複々線化当時は快速も通過だったんだから、「昭和47年のダイヤに戻ります」
ってキャッチフレーズのダイヤ改正を行えば全然OK。
そうすれば昼間の各停6分間隔可能。

38 :
昔は快速を抜く普通列車って無かった?
あと数年前までどっかの駅にあった、常磐線(列車・快速電車)って看板まだあるかな?

39 :
>>34
高価な交直両用機関車を沢山そろえるより経済的

40 :
>>33 221レですので、マニ[荷]でなくて、オユ[〒]ですね。
上りの仙台平230レ→平上野424レは[荷][〒]両方付いていました。

41 :
原ノ町まで415系が走っていたが、1500番台は鋼体車の晩年に原ノ町も見られるようになったような気がします。
平成6年当時の1500番台の運用は、いわきまでだった?
クハ415-1901の編成は、高萩までだった。

42 :
「ある機関助士」常磐線だね

43 :
>>38
それは多分無かったかと。それが取手以南の利用者は日中一時間一本の普通(赤電)には乗らず
快速(青電)にしか乗らなかった理由の一つだったような気がする。
現実的には「居酒屋列車の赤電」には乗りたくないっていうのが最大の理由だろうが。
逆に追い抜きが無いなら赤電も北千住等に停まればいいのにと思ったこともあった。

44 :
>>41
十数年前に上野発原ノ町行の415系1500番台を見た事あった気が…。
うろ覚えでスマソ。

45 :
>>44
それはなかった。四ツ倉が下りでは最遠。
上りでは原ノ町発上野行きが存在した。

46 :
懐かしいと言ったら通勤快速。
特別快速より速かったのでは。
確か高萩・勝田・水戸発があった。でも、下りは水戸行しか無かった。表示には通勤快速日立もあったのに…。

47 :
朝に仙台に到着した後ずっと仙センで昼寝してたニートレインの50系
あいつ何しに仙台に来たんだろ?

48 :
>>34
従前の交直両用機関車は交流電化の利点が完全に
されてたから、基本は交直接点の跨ぎ用だった。
日本海縦貫線でのEF81の長距離運用は、どちらかと
言えば組合(争議)対策がキッカケ。

49 :
>>34>>48
おそらく蒸気機関車時代の名残。
旅客列車では既に少なくなっていたが、貨物列車では当時まだまだこのような運用がかなり残っていた。
一度機関区に入庫した機関車が2時間後、また同じ列車に連結して発車する事もあった。
蒸気時代はこの時間で石炭や水を積み、灰を落とした。
組合との協議ももちろんあった事だろう。
操車係や連結係、誘導係などの仕事が無くなってしまう事がないように、という事だと思う。

50 :
山形新幹線が工事中のころ、つばさとスーパーひたちの両方の上野行き
に接続する東京行きのやまびこがいたっけ。単線区間があって40kmくらい長い
常磐線を殆ど変わらない時間で走るSひたちを思うとごはん3杯いける。

51 :
>>42
あれを見るとやっぱりC62は平坦路線を高速でぶっ飛ばす機関車だと実感するね

52 :
>>42
映画に出てくる風景と最近の常磐線の風景を較べてみると感無量。
常磐線、早く全通すると良いね。「平」から北が心配。

53 :
平 行

54 :
低運クハ401-14を先頭にしたK955のエキスポライナーが懐しい。
低運にはこのほか、シールドビーム化のK853もあったが…
赤電の低運は、むしろ九州の421系でよく撮った
403系以降より非力ながらむしろモーター音は軽快で、平坦な常磐線で飛ばす時は快感だった
高運含めて401系は当初はMM’22ユニットぶん作られた
のちに151系の181系化によるMT46を含めた、余剰電装品を活用した増備車も登場している
MT46のモーター音を響かせながら、相棒のクハがオールグロベンではないのが特色だった
同様の増備は、101・155・421系などにみられ、421系に関してはサヤ421を種車として活用
この頃の常磐線は、59-2改正での上野口客車ドン行廃止、翌年のクハ481初期車赤スカートのまま転入(恐らく50Hz圏で最初で最後)や昼の急行廃止(DC列車はなくなり、451〜455系は常磐線北部ローカル用に)、EF80の置き換え進行など、激動期にあった

55 :
四ツ倉の駅は津波食らったのですか?
海岸ぞいのセブンイレブンはどうなってるんでしょう?

56 :
いわき以北自体が懐かしの常磐線確定かな?

57 :
確定は当分先だろうw
なんか、ネタ的に安直に常磐線がなくなるような噂が飛び交う傾向があるが、確かに原発問題もからんで元に戻すだけでも気の遠くなるような状態ではあるが、そんな結論は簡単には出ないものなのだ
確かに、原発問題が片付かないことには、いわき〜原ノ町間は当分手が着かないだろう
原ノ町〜岩沼は、レールまわりの被害の程度がどのくらいかという問題はあるが、放射能問題が大きくならなければ、復旧を視野に入れているはずである
放射能が無問題となれば北側は浪江、南側も四ツ倉くらいまでは伸ばせるかも知れない
ちなみに、岩沼以北の東北本線部分は仙台地区のベッドタウンだし、長距離輸送や貨物輸送の面でもいまだ動脈であり、急ピッチで復旧させるだろう
たとえば、水戸対仙台(茨城〜宮城)やいわき〜仙台(福島浜通〜宮城)の直通需要もある程度ありそうで、水郡線や磐越東線にいつまでも頼ることが現実的かどうかという視点もあるだろう
いずれにせよ、いくら東電がダダをこねても、さすがに福島第一原発全体の廃炉はまず間違いなさそうなので、順調に行っても何年かかかるかも知れないが、復活がありえないとはいえない
また、地元に戻れれば戻りたい被災者も相当数いることも事実である
注意しなければならないのは、復旧に関わる費用を、JR東日本だけでそのほぼ全体を負担しなくてはならない性質のものではないということ
多少政治もからんでくるかも知れないが、公的な事業として鉄道の復旧の要請が(特に地元から)あがる可能性もある
ちなみに、JRの廃線はたとえ巨額な赤字であっても、審査のうえで国交大臣の認可がなければできない
※民鉄でも基本的にこの点は同じであるが、JRは国が一定の株式を所有するうえ、民営化時に定められた様々な規定があるため、(地方行政も含めた)国策にある程度従わなければならない
なお、自分は常磐線とは東京近郊区間を除いてほぼ縁遠い関東人なので、何の肩入れもないことをお断りしておく

58 :
正直、仙台口は亘理過ぎると客が極端に減るんだよなぁ。
あとは貨物需要がどれだけあるか…‥

59 :
水戸から福島方面に行くのに水郡線復旧の折には急行復活を熱望。

60 :
>>57
東日本って完全民営化されなかったか?
それに路線の廃止は聖域なき構造改革(笑)で地元と協議した上での、届け出制に変わってるぞ。
まぁ原発が落ち着くのが数年先になるかもとかだからそれどころじゃないが。

61 :
そりゃ廃止表明なんてしないさ
休止だよ
企業イメージ悪くなるもん
実質廃止なんだけど

62 :
四ツ倉ー原ノ町を内陸に迂回して復活することは無理だろうか?

63 :
北陸本線の直江津〜糸魚川〜魚津かいわいみたいに長大トンネルでぶち抜くパターン
内陸を行くことになる>新常磐線いわき〜岩沼

64 :
>>63
つか、同区間を復旧するなら、当然それも視野に入っているだろうし、転居者もある程度いるだろうから、区画整理や再開発事業などとセットになるかも知れない
ただ、そこまでいくには大きな壁があるし、とにかく時間はかなりかかるだろう
まあ、幹線扱いであり、安直に廃止はないという見解を支持

65 :
>>63
換気はどうするんだ?っていう話があるけど。
自動車トンネル程じゃないにしても、長大トンネル無換気という訳にもいくまい。
非常脱出路の設置もしなきゃならないし。
列車から焼け出されて非常階段上がったら汚染区域なんて洒落にならん。

66 :
>>65
青函トンネルを作った日本の技術力を考えれば不可能ではないと思う

67 :
>>57 >>60
>JRは国が一定の株式を所有するうえ、
本州三社は、政府保有の株式全て売却されて、完全民営化された。
残る、三島、貨物は、未だに政府が株式全部を保有。

68 :
急行が走っていた時分、福島県内のどこかの駅か車内で買った
折り詰めの「そば」を食べた覚えがある。

69 :
>>68
多分原ノ町のヤツと思う。
販売員の運用の関係で鈍行でも車内販売してた。

70 :
原ノ町の駅そばといなり、食べたい。
それほど、どうってことはないソバといなりだったけれど、無性に食べたい。

71 :
原ノ町の駅そばって別にどうって事はないけど何故か人気だったよな。
そばだけ食いに来る人とかいたくらい

72 :
JR東日本が全線復旧を表明しましたね。

73 :
>>72
夢はでっかく持ったほうが良いわな

74 :
仙台廻りでもいいから、原ノ町まで常磐線が復旧したら、まずはそばを食べに行きたい。l
でも、駅そばも再開できるのかな。駅そばのおばちゃんも無事でいるのかな。
それから、あと一か月もすれば、夜ノ森のつつじも満開になるのだが。

75 :
昔走ってた急行系気動車に乗ってみたかった。

76 :
乗ってみると、じれったいほど加速感がなく、スピード感もなく、
停車駅が少ないだけという感じでしたが、なくなってみると無性に乗りたくなりますね。
後々に、北海道でDCの北海、北斗、オホーツク、おおぞらに乗った時には、気持ち良い加速感と、スピード感があり
さすが特急だけのことはある、と感心しました。

77 :
>>34
途中につくば市が存在する為、色々な精密測量機器への影響を避けるた
め直流区間を確か取手くらいまでに制限されていいる様です。
最近は取手以北にも通勤圏が拡大されているので、交直流型の通勤電
車を使用しているらしい。多分その関係での機関車交換では?

78 :
>>34
EF80が扱いにくい(ED75のほうが交流では扱いやすい)から

79 :
1980年代はEF80の故障で貨物がストップして、常磐線中電がよく遅延してたなあ。

80 :
>>76
でも最高速度95qを必死に維持して走る姿はいじらしかった。

81 :
12両編成の「奥久慈・ときわ」や「みちのく」が、その95qに達するまで
エンジンを全開にしてスピードを上げていく姿にはすさまじいものがあった。
しかし、惰行走行時は、タタタン、タタタンって軽快に走り去っていく。
だんだんにスピードを上げながら、宮古宮古宮古・・弘前弘前弘前・・鳴子鳴子・・という行先表示が
通過していくDC「みちのく」は、同じ車両形式の「奥久慈・ときわ」とは少し違って少しグレードが高いようにも見えた。

82 :
>>77
交流なのはつくばの研究施設のせいではなく
柿岡の地磁気観測所への影響のためだよ

83 :
>>27
懐かしいなあ
あと堀ちえみの歌(音頭調)に合わせて星まる君が踊ってた記憶がある。
昔の万博駅が、いまはひたち野うしく駅だっけかな?

84 :
>>81
いいなあ。
鳴子はともかく宮古、弘前は随分のロングランだよね。それも気動車で。

85 :
臨時では海水浴臨「あじがうら」「おおあらい」がキハ58系で運転されていたね。
他には12系客車で「かわらご」「大洗エメラルド」があった。

86 :
5月には雑系客車、後に12系で運転された「筑波」もあったね。

87 :
>>85
「あじがうら」はその名の通りの阿字ヶ浦行き。
「かわらご」は今では考えられない常陸多賀行き。
「おおあらい」はどこ行きだったのでしょう?

88 :
>>87
「おおあらい」は鹿島臨海鉄道の大洗です。
ちなみに「大洗エメラルド」は、水戸で鹿島臨海鉄道のディーゼル機関車に付け替えて大洗まで牽引しました。
確か、大宮が始発で東北線小山駅手前の短絡線で水戸線に入り水戸までやって来たと思います。

89 :
懐かしい
大洗エメラルド、廃車直前のEF80 63(ラストナンバー)のけん引だった日に新治〜岩瀬の沼アングルで撮った
厳密には水戸線だが、友部〜水戸は常磐線も走るということで…

90 :
>>88
ありがとう。鹿島臨海鉄道にも乗り入れがあったのですね。

91 :
>>90
ひと夏で終わってしまった。
理由は信楽高原鉄道での正面衝突事故。
それ以降、臨時列車のJR-私鉄の乗り入れはほとんど見られなくなってしまった。

92 :
>>83
科学博の時は西城秀樹もテーマソングを唄ってたよね。

93 :
>>91
3Q。納得。

94 :
>>92
確かタイトルが『1 なんたらかんたら』だったよな?

95 :
>>94
確かに。「1ウ年の愛」だ。
当方西日本在住につき、当時も今も何とも思わないがw

96 :
かつては関東鉄道筑波線乗り入れの臨時「つくば」や同じく鉾田線乗り入れの
団体臨時列車(遠足用)も存在した。

97 :
通勤快速があった。佐貫待避が多かった。ルーズソックスJKが多かった。
E501系のドラミ音♪。2階建て車両。485系ひたち。6000系初期車・・・

98 :
上野駅ホームの木製乗車口案内板は線区ごとに色分けされていて、常磐線方面は「水色」だったが個人的にお気に入りでした。
ちなみに、東北線方面「緑色」信越線方面「桃色」上越線方面「黄色」だったと思います。

99 :
>>45
平成12年くらいに一度復活した上野→原ノ町
上野が18時10分発で土浦と勝田で4両ずつ切り離して、原ノ町まで行くのは基本編成のみだった
翌日は原ノ町→水戸にその編成を運用した
普通列車で存在した行先は土浦、水戸、勝田、日立、高萩、大津港、平(いわき)、草野、四ツ倉、久ノ浜、原ノ町、仙台と上りの我孫子
急行車両普通列車は上り2番列車上野6時55分着(勝田始発)と上野7時31分(土浦始発)、下りは上野22時55分土浦行と23時27分勝田行(土浦から先通過駅あり)

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