2011年11月2期12: 院電・省電・国電について語ろうpart1 (47)
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院電・省電・国電について語ろうpart1
- 1 :11/10/11 〜 最終レス :11/11/20
- ナデ6141の運転が懐かしいな、主電動機も絶縁強化しモーターの
巻線まで巻き直したのに、とうとう最後まで本線には出なかったな。
ナデは単行だったが当時の山手線は何両編成だったのだろう?
まさか単行じゃあるまいな。
そんな、院電時代の電車から関西省電や国電の話題まで幅広く語りましょう。
国電の思い出と言えばラッシュにコイルバネ・非冷房、と101系103系301系401系
と惨酷・悲惨でしたな。
201系から快適に成りましたね。
- 2 :
- あ301系は空気バネ台車でしたね(汗
でも乗りごごちは103系1200番台とさほど変わらなかったような記憶があります
103系1200番台も晩年は桜井線などに転属しましたね。
- 3 :
- そういえば201系はデヴュー当時「省エネ201系」と大きなHM掲げて走ってましたね
ダブルパンタが183系などの特急電車の様でカッコ良かったですが、
量産車からはシングルパンタになり残念でした。
あれは帰電方式を変えたのでしょうか?
それと900番台はステンションポールがありましたね。
- 4 :
- 四季彩号にはじめて乗ったとき、前面展望もできるように改造したかと期待してたんだけど、
客室との仕切りはそのままだったのでひどくガッカリした記憶がある。
東海の211なんか助士席側は広窓に改造し夜間でもカーテン閉めなくなったというのに。
- 5 :
- 201の量産車は、パンタグラフの摺り板ささえが
三元バネ系とかの、PS21(だっけ?)になって、各ユニットにつき
1ヶでも大丈夫、となったのではなかったですっけ?
- 6 :
- そもそも103系って コイルバネ抵抗制御のままでなくても大量生産なんだし、地方ローカル線赤字垂れ流しで親方日の丸の当時国鉄が、何故ここで投資を惜しんだのか俺には理解に苦しむ。
組合(今の動労千葉みたいに現場が扱いが変わることに抵抗したとか・・・)
- 7 :
- >>6
地方私鉄が103系の払い下げを嫌がったのかも気になるな、
やはり鋼製車体だからか、
鋼製車体で払い下げをされなかったのが157系
あれは、窓下の腐食が相当激しかったらしい、伊豆箱根が打診したようだがな
主電動機などのメンテは現代のVVVF車よか構造が簡単だからやりやすいと思うよ
部品も保守部品の電子部品が無いなんて事少ないしね、
そこが抵抗制御の強みだね。
- 8 :
- 確たる理由はわからないけど、103系の電動車って、
車輪径が特殊だよね。それで嫌われたのかどうか…?
- 9 :
- >>8
もしかすると、MT54の爆音が嫌われたのかもね、ありゃ中・高速域での
爆音半端じゃ無いからなw
- 10 :
- >>8
直径910mmは新性能車では特殊だが、釣掛時代は電動車の定番。
>>9
103系はMT55ね。
MT54を積んだ通勤型は東海道緩行用に計画されていたよう
だが、結局実現しなかった。
- 11 :
- >>9
武蔵野線の西国分寺〜新秋津
非冷房窓全開の103に乗った日にゃ・・・
ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ぐぉ〜〜〜〜〜 Σ( `皿´;)ノノノ
- 12 :
- E電って言葉もう完全に使ってないの?
- 13 :
- 院電とか省電なんて初耳だな。
院線、省線なら聞いたことがあるが。
E電は論外w
- 14 :
- 省線電車略して、省電じゃまいかw
- 15 :
- >>12 渋谷の山手線内回りホーム南側の階段昇って銀座線乗り換えるところの細長い案内板ってもう無くなったの?
- 16 :
- ナデの頃は、山手線の単行もあり得たかも。
もう「の」の字運転になっていた頃?
- 17 :
- 山手線の単行運転って大正時代かな?
- 18 :
- デ963の頃は三連、ホデ(後ナデ)に変わってから単行になったな
- 19 :
- >>7
インドネシアに16両が海外譲渡された、
でも103系とは似ても似つかぬゲテモノに容姿が変身w
- 20 :
- >>7
混雑時に最適になるという、硬めのバネ定数が嫌がられた?
- 21 :
- インドネシアの103系はあの懐かしい爆音を今でも轟かせて走行しているのだろうか?
インドネシアは何気に日本の元車両多いよね?
確か営団6000系もそうだっけか?
- 22 :
- >>20 コイルバネなんて柔らかいものに交換すれば済むだけなんじゃないかな?
101系も秩父しか購入しなかった(101系更新の際 然程真新しくない103系は、購入はしないな。秩父しか購入しないと云う事は、
101系についても地方私鉄に購入を躊躇させる理由があったのではないだろうか?)
でも国鉄がただし、部品は豊富なのが利点なんだよな・・・。
あとは、西武、東急、京王がらみのアフターケアの充実した中古車のほうが、
幾ら大量に作られ予備部品調達に苦労しなくても旧態依然として作られ酷使された
売りっぱなし(恐らく)の国電より魅力的だったのかな?
- 23 :
- あとは、103系が余る頃には、何かの事情で売ってくれなかったとか、
高値をふっかけられたとか?
ちょっと待ってればオールステンレスが放出されるとわかってたからとかね?
- 24 :
- オールステンレスじゃ、VVVF車でしょw回生チョッパー車だと201系がそうだね
抵抗制御の方が地方私鉄は整備しやすい?
>>22
101・103系なんかは、上信電鉄や上毛電鉄辺りが買いそうだけどなぁ。
- 25 :
- 103系は改造しなければ最低3両連結…
- 26 :
- やはりそれは、西武の面倒見の良さ。
上毛あたりは、さんざん東武の古典中古で苦労してきた訳だから方針転換(西武がらみも期待薄)するなら
大幅に真新しい車とうい事になるんじゃないかな?
京王重機って西武所沢が無くなってから勢力のばしてきたけど、何気に
大きな仕事(車輌売却・改造)以前にまめに(アルナが西日本地方私鉄で行っていたみたいな)
小さな仕事を拾って地方私鉄の希望に応えてきたんだろうな。
- 27 :
- >>26
ほんと関東の中小私鉄は西武王国だなw
小田急・京王の車両も譲渡されないな、京王は5000系が最後だし。
6000系が売れなかったのも、理由が良くわからん。
小田急も5000系売れないなw
- 28 :
- 京王は二軸単車からグリーン車の頃まであちこち放出してるよ
ざっと横浜、城東、多摩湖、函館、広島、松本、長岡、庄内、呉、松山、福井、北京、大連、新京・・・
>>27
20m4ドアでステンレス全盛時代に鋼製じゃ売れない
さらに自社の5000系や3000系を売りすぎて売り先が無くなってしまった
- 29 :
- でもどこかで京王6000のワンハンドル・マスコンに会えるからいいや。
- 30 :
- 大阪環状線の森ノ宮駅の今のガード下に
貨物線の踏切があったの知ってる方いませんか?
昭和30〜40年代頃まであったと思うのですが。
- 31 :
- 貨物列車が玉造の地上駅まで運行されていたのは、30年代前半くらいまで。
線路はすぐに撤去されず、市電とのクロス部分も含めて40年代まで残っていた。
- 32 :
- >>31
ありがとうございます。
小さい頃、その踏切に貨物列車が走ってるのを見た記憶が
わずかに残っているんですよね。
ご指摘のように列車が通らなくなっても踏切が
残っていたのも何となく覚えています。
- 33 :
- 「ドアエンヂン」がつく前の省線電車の出発合図は
車内電鈴だったらしい。
- 34 :
- 省線の時代に、側面窓上に小さなガラス窓があって
客室側から方向板を差し替えていた電車があったと思いますが、
あの方向板?の材質は何だったのでしょう?
- 35 :
- 千マリ クハ111-1111
- 36 :
- >>27
京王6000も小田急5000も20m車だろ。
中少私鉄は20m車ホーム対応、入線対応になって無い。
20m車入線には地盤から施設機器など色々と改良を迫られる。
- 37 :
- 京王3000系をどこかで購入して下さい<(_ _)>
- 38 :
- >>37
北陸、岳南に
松本、伊予、と書きかけて自分でウケてたが
松電は今はアルピコなのか?
新村の車庫にあったのは旧甲武鉄道のヤツだったな…
- 39 :
- 今は鉄道博物館にいってるな
今年で107歳か
- 40 :
- クモハ40に萌え〜
- 41 :
- 国鉄103系が(101系もそうだが)、地方私鉄に売れなかった理由は、
重い(冷房改造後のクモハ103が40.8t)、長い、太い(20m級で車体幅2800mmクラスが入れる路線は少ない)、最低3連だからだよ。
加えて、部品はJRS規格だし。
で、20m車入線できるところは既に出ているけど、西武が入っているからね。2連もあるし。
京王6000系を地方私鉄に売らなかったのは、外板が薄くて下降窓という悪条件が重なり、実はボロボロだったから。
- 42 :
- >>41 KEIO 6000 ボロボロというより初期車は廃車時グサグサだったらしいよ。
わざわざ1372mmを調達して足に工面するのも無意味だし・・・。
6000最終増備6D車なんかドア埋めたりしたヤツなんかタダでさえ錆易いのに熱加工して劣化が、促進されただろうね。
西武も一時社型の売却が、払底したあと淘汰した 純旧型国電タイプ(311・371.1411)はあまり売れなかったよな。
- 43 :
- >>42
旧国は、17m車といえども、車体幅2800mm級で、自重も40t超だったうえに
西武311の場合は、焼電再生車が多かったからだろうね。所沢で車体を作ったのはクハばっかりだし。
たしか、311は弘南と伊豆箱根に数両が行っただけで、371も最後まで残ったのが、栗原と大井川に行っただけだったんじゃないかな?
あとは、専ら小田急1600とか京急400の車体だけ買ってきて、311などの機器と組み合わせて地方へ売却。
ただ面白いのは、17m級旧国が入線できた伊豆箱根と三岐にも、自分のところの311じゃなくて、
相鉄の2000の車体更新車を買ってきて売却しているんだよね。
省線といえば木造の10も地方私鉄に行ったのは少数だったような。1は粗方売れたけど。
- 44 :
- でもけっこう青がえるは良く売れたよね、あれ現役時代乗った事あるけど
車体断面が傾いてるから、座りにくかったなあスタイルは好感持てるけど。
あっ今も熊本電鉄で1M化までもされて現役だね。あれが1M化出来るんなら
後継の5200系の方がステンレスだからいいかもよ、もしかして妻面の方の加工が
ステンレスだから難しいのかな?スキンレスステンレスの方がいいのかもな。
まあゴルゲートが取れたのが最近だからねぇ。
- 45 :
- 5200って1編成しかなかったじゃん…
- 46 :
- スレ脱に付き合ってくれて有難うございます。
院電?モハ1系?って 鶴見臨港や三信に払下られて買収で再度国鉄籍に戻っているよね。
戦時中の所為か国鉄番号(形式)に復していない。
機関車だとこの辺も結構かなり几帳面に行われているのに解せないよな。
院電で思い出したけど、モハ1系 と それ以前の6310形(最初 正面妻がR付きで後に改造されたヤツ)目蒲電鉄や池上電鉄が戦前に払い下げを受けた電車
って 性能面で1500V仕様と 600V仕様 で異なる以外 改造後は、あまり車体構造に相違ない気がするのだけど
何故に戦前に淘汰されたのですか?
- 47 :11/11/20
- >>46
いやいや、戦時買収車だと電気機関車も国鉄形式・番号が振られたのは1952年だよ。
モハ1で国鉄籍に復帰したのは、鶴見臨港(モハ311〜319)・三信(デハ306〜308)・宮電(モハ901)の3社13両だな。
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