2011年11月2期13: 【第十五回】太平記 part.15 (56)
TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼 ▼
【第十五回】太平記 part.15
- 1 :日曜8時の名無しさん:2011/11/18(金) 23:15:50.66 ID:mSwtHEPi 〜 最終レス :日曜8時の名無しさん:2011/11/22(火) 02:20:38.50 ID:Z3B9h+Bd
- 放映年:1991年
原作:『私本太平記』(吉川英治)
脚本:池端俊策、仲倉重郎
音楽:三枝成彰
主演:真田広之
前スレ
【第十四回】太平記 part.14 【秋霧】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1317814241/
- 2 :
- これの翔んでる奴のとこ明らかに日野殿乗せるシーンと同じだよな
http://www.youtube.com/watch?v=iXpUSlPk2G8
つか人間扇風機て何?
- 3 :
- そういえば前スレの最後のほうの話だけど、「延喜・天暦」で一括りにする用法は、
「太平記」の時代には確実にあるでしょう。
そうでなきゃ後醍醐も、「延喜・天暦の御世に戻れ」なんて言わないはず。
- 4 :
- 出演 足利尊氏
歌唱 足利義昭
http://www.youtube.com/watch?v=r_W0cI39Oo0
- 5 :
- >>1おつ
- 6 :
- 乙
- 7 :
- >>1
大儀であった。
- 8 :
- >>4
なんだそりゃw
- 9 :
- これがマスコミの編集による矮小化
176 :七つの海の名無しさん:2011/11/17(木) 21:57:56.45 ID:gClQt5ed
【重要】 ブータン国王の演説の報道は、重要な部分がことごとく反日マスコミにカットされて報道されています
「世界史において、かくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国、(その)国会の中で、」 →★全部カット
「ブータン国民は、常に、日本に、強い、愛着の心を持ち、何十年もの間、偉大な日本の成功を →★全部カット
心情的に分かち合ってきました。」
「日本は、当時外国の領地(植民地)であったアジアに、自信とその進むべき道への自覚をもたらし
以降、日本のあとに続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くの(アジアの)国々に希望を与えてきました」 →★全部カット
「日本は、過去においても、現代においても、世界のリーダーであり続けます」
「このグローバル化した世界において、日本は、技術と革新の力、勤勉さと責務、強固な伝統的な価値における模範
であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。」 →★全部カット
「世界は、常に、日本のことを、大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、
不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることに願望を持って、何事にも取り組む国民、知行合一、兄弟愛や友人、
ゆるぎない強さと気丈さを併せ持つ国民、であると認識してまいりました」 →★全部カット
「他の国であれば、国家を打ちのめし、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に
日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、ここの強さを以って、対処されました」 →★全部カット
他にもカットシーンがたくさんあるので、元資料で↓確認してください
http://news.nicovideo.jp/watch/nw147415
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=FtxuPyRNszY
- 10 :
- >>4
しかも撮影地は京都(伏見稲荷大社)だな
- 11 :
- >>10
尊氏は本当に京都が好きなんだな
- 12 :
- 信長の親子関係は信秀→信長も信長→信忠もドメスティック感満載だったけど
太平記は貞氏も尊氏も過保護だったよね
尊氏登子義詮の夕食シーンとか
らしくて好きだな
- 13 :
- >>3
というか、「延喜」は醍醐天皇、「天暦」は村上天皇の代名詞というべき
ものだな。
奈良末期〜平安初期のあたりは、完全な一世一元とまではいかないものの、
新帝の即位以外での改元があまり行われないため、結果的にそれぞれの
天皇の治世が特定の元号でイメージされるようになる。
ドラマでも醍醐天皇のことを「延喜の帝」と言っている場面がある。
光仁天皇=宝亀の帝
桓武天皇=延暦の帝
平城天皇=大同の帝
嵯峨天皇=弘仁の帝
淳和天皇=天長の帝
仁明天皇=承和の帝
文徳天皇=?
清和天皇=貞観の帝
陽成天皇=元慶の帝
光孝天皇=仁和の帝
宇多天皇=寛平の帝
醍醐天皇=延喜の帝
朱雀天皇=?
村上天皇=天暦の帝
- 14 :
- >>3
このドラマの時代考証を信用ってことか?
一般的には、ドラマにあったから史実とは限らんと思うが
- 15 :
- 「延喜・天暦の御世に戻れ」
「朕が新儀は未来の先例たるべし」
のような後醍醐の言葉(というか建武政権のスローガン)は、一応史料的根拠があるもので、
脚本家やドラマ製作陣の創作ではないはず。
- 16 :
- 何だ。
それならそうと(ry
- 17 :
- つうか後醍醐天皇の理想が延喜天暦だったなんてことは、
教科書とかに普通に載っているようなレベルの知識だろ。
- 18 :
- >>17
ごめん俺ゆとりだから知らねーわ
- 19 :
- いや、ゆとり世代の教科書にも普通に書かれていたぞw
- 20 :
- 教科書は何種類もあるんでな。
あと、そこまで常識ならそもそも「当時も言ってたのかな」なんて
言い争いにはならんだろ。
それと細かい話だが、後醍醐の理想がそれだったのか、ということじゃなくて
『「延喜・天暦」で一括りにする用法』があったのか、ということ
- 21 :
- 空気読めない友達少なそうなやつばっかりだな
- 22 :
- 大河でスルーされてる時代の一つが延喜・天暦年間だからやむをえまいて
皇統断絶の危機を迎えている今だからこそ傑作がのぞまれる時代なのだが
- 23 :
- >>19
つか俺教科書開いたことなかったわ
闘鶏のがおもしれーし
- 24 :
- >>22
『風と雲と虹と』の序盤は延喜年間ですよ。
- 25 :
- つまらんことで考えもなしに開き直るからゆとりって言われるんだよ
- 26 :
- >>20
一応ゆとり時代に出版された大学受験向け日本史用語集によると、
高校の日本史B教科書全19種類のうち、17種類に「延喜・天暦の治」の用語が載っている。
一応参考までに。
- 27 :
- >>26
疑問は「当時からそういう言い方をしたか」じゃないのか?
教科書の件は、情報ありがとう
- 28 :
- 延喜天暦でひとくくりの用例は古典太平記にある
延喜天暦「の治」が同時代の文書に用例があるかまではしらない
「延喜・天暦の治」は高校の授業で習う常識ではある
- 29 :
- 延喜天暦は鎌倉時代の文献でミタ記憶があるが思い出せない
貞永貞応も鎌倉時代の文献でみた記憶があるが思い出せない
おそらく、そんなに離れてない時代、元号の記憶が残ってる頃にはその言葉が生まれていたと思われる
時代がくだって当時から離れてしまうと、かえってそういう元号のくくりはしないものだ
- 30 :
- 「延喜・天暦の治」が固有名詞みたいなもんじゃないの?
それが、現在の視聴者にはある程度なじみのある概念だから
劇中で使用したってだけなんじゃないかなあ。
逆に、当時の人々が使用していたとされても
現代の人にとっては意味のよくわからん言葉を使われてもどうかと思うが。
程度の問題ではあるけど。
- 31 :
- >>28
延喜・天暦を一纏めにする用法は、古くは『大鏡』とか平安後期成立の文献で既にあると思う。
>>29
貞永と貞応って、貞応のほうが時期的に先だと思うけど、貞永・貞応の順でいいの?
しかし…みんな延喜・天暦だけでよくそんなに熱くなれるね。
- 32 :
- 「ワシは、いくさはせんぞ」
尊氏の、自信に裏打ちされた平和主義がカッコよかった
あられをボリボリ食べながら、余裕があった
- 33 :
- 貞永貞応はなんで逆になってるかしらんが、あいうえお順だったりしてw
これはどっちかというと義時泰時父子という言い方の方がその後の文献では
多くみられるように思われる
建武式目では義時泰時父子の言い方を使っていた
延喜天暦の方は恐れ多くも帝のことだから、諡号をいうのははばかられ
元号のいいまわしが広く使われたのか
- 34 :
- 昔の人は聞こえ方とかで字列決めてたらしいからな
士農工商とか
そういう小さいとこからウツクシキ世を目指してたんだ
- 35 :
- >>33
確かに『建武式目』の中に、
「遠くは延喜天暦両聖の徳化、近くは義時泰時父子の行状を以て近代の師と
なし、殊には万人帰仰の政道を施さるれば、四海安全の基たるべきか」
という部分があるね。
ただ延喜天暦は天皇の諡号を言うのが憚られたというより、>>13の
言うように、醍醐=延喜帝、村上=天暦帝というような天皇を元号で言う
概念があったからだろう。
(というか厳密には「醍醐」「村上」は追号であって諡号ではない)
なおこの大河ドラマの中でも、後醍醐帝が
「延喜の帝の御世はいかなるものか?」
と皇子(恒良)に質問し、それに対して恒良が
「摂政関白を置かず帝が自ら政を行う御世なり」
と答えている場面があった。
- 36 :
- なるほど
確かに、元号って天皇とくっついたもんだな
現代なんてその最たるものだしw
- 37 :
- 元号って本来は皇帝が空間だけでなく時間も支配するという思想のもとにあるのだから
猫の目のようにくるくる変えるほうが変なんだよな
古代だと××天皇のn年て呼んでるし
現代のように一世一元のが正しい
- 38 :
- >>2
こういうの見ると黒歴史としか思えないが
ここで鍛えられたからこその乗馬技術なんだよな
激走する馬上に刀くわえて立ち上がるってあり得ないシチュエーションだ
しかもこれジャッキーブームの影響でノースタントなんだよな
まあなんにせよ全裸になる必要は全くないな
- 39 :
- 本当の意味での暴れん坊将軍・モリナガ失脚!
尊氏との対面ではちょっとしゃべり過ぎだが、負けを認めて潔かったよ
- 40 :
- >>39
当時も思ったんだけど、ドラクエ3のゾーマっぽい内容の語りなんだよね。
- 41 :
- >>40
復刻版か?
ドラクエ3はやったが、まったく覚えてない
- 42 :
- >>41
FC版も同じですよ。
当時はSFC版ないです。
- 43 :
- >>37
安和の変以降の摂関全盛期あたりから、やたら改元の頻度が高くなっていく感じなんだよな。
ある意味これも、朝廷の運営が儀礼重視の形式的なものに変化した結果なのかも。
しかし南北朝合一後の応永年号以降は、再び改元の頻度が低くなる。
- 44 :
- あんなに勇ましい麿は今まで見たこと無かったな
すっきりしていて気分良かった
- 45 :
- そうそう麿がいっぱい出てきて戦いまくるなんて太平記だけだよな
- 46 :
- >あんなに勇ましい麿
時宗のときに一人いたけどなw
- 47 :
- 尊氏に力量を認めたからこそ倒そうと思った、と
ただの狂犬じゃないとこも見せたぜ
- 48 :
- 新・平家物語の藤原頼長=成田三樹夫も相当だったけど・・・
- 49 :
- 時宗のマロは勇ましいといえるのかw
堤の話し方、当時も今もなんかワラエルのだが、あれはあれで味があっていいな
- 50 :
- 「血気盛ん」を文字通り体現したよw
ずっと出てくるとうざいだろうが、そろそろ消えるんでちょうどいいw
- 51 :
- >>49
吹越のことじゃねーだろ
- 52 :
- >>50
最初は暑苦しくて尊氏に因縁つけて突っ掛かってきて嫌な奴だったのにな
敵こそが最大の理解者的な
- 53 :
- じゃあ誰? 切腹マロのこと?>>51
- 54 :
- しかし、ドラマみてるとやっぱ後醍醐って無能に思えるね
自分の足場を切り崩すことを自分でしてるというか
- 55 :
- 足場を切り崩すって具体的な何処よ?
- 56 :日曜8時の名無しさん:2011/11/22(火) 02:20:38.50 ID:Z3B9h+Bd
- 息子をなんで足利に渡すの?
TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼 ▲