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2011年11月2期50: 天才・三島由紀夫 (494) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼

天才・三島由紀夫


1 :11/01/08 〜 最終レス :11/11/13
三島由紀夫(本名、平岡公威)
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2 :
ウワーッと両手で顔をおほつて、その指のあひだから、こはごはながめて「イヤだア」とかなんとか言つて
ゐる手合ひを野次馬といふ。
私に対する否定的意見は、すべてこの種の野次馬の意見で、私はともあれ、交通事故なのだ。
三島由紀夫「感想 広域重要人物きき込み捜査『エッ!三島由紀夫??』」より

3 :
伝播の速い世の中では、今日の独断も、明日の通念になる。あなたがロマンチストと言つて下さつた以上、明日から
私はロマンチストでとほりさうです。いづれにせよ、人がかぶれといふ帽子を、私は喜んでかぶるつもりです。
たとへそれが、あのルイ王がかぶらされたといふ三角帽子であつても。
ただ私の何とも度しがたい欠陥は、自分に関する最高の通念も、最低の通念も、同じやうに面白がることなのです。
これはほとんど私の病気です。おしまひにはいつもかう言ひたくなる。「何を言つてやがる。俺は実は俺ぢや
ないんだぞ」これが私の自負の根元であり、創作活動の根源です。そしてこれが、あらゆる通念を喜んで
受け入れる私の態度の原因なのです。
三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より

4 :
私は不断の遁走曲であり、しかも、いつも逃げ遅れてゐる者です。子供のころ、学校で集団でイタヅラをすると、
いつも逃げ遅れるのが、私ともう一人Kといふ生徒でした。そこで私とKはつかまつて、先生から、鉢合せの罰を
うけるのでした。こんな痛い刑罰はない。しかしKのオデコにはコブができないのに、私のオデコにだけは
コブができた。これが爾後、私の宿命となつたやうに思はれます。
三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より

5 :
聞くところによると、例の「風流夢譚」掲載のいきさつについて、中央公論の嶋中社長がその掲載を反対したにも
かかはらず、あたかもぼくが圧力かけて掲載させたやうに伝はつてゐるらしいんです。
これはとんでもない誤解で、推薦した事実さへない。第一、新人の原稿ならいざ知らず、深沢さんといへば
一本立ちの作家ですからね、だれそれの推薦なんてあり得ないぢやないですか。世間ではよく、ある出版社の
背後にはこれこれといふ作家がゐて、その作家の言ふことならきく、といふやうな考へを持つ人がゐるらしいが、
それは“編集権”の存在を知らない者の言ふことで、編集権を侵害しないといふモラルは、ぼく自身いつも
守つてきたはずだ。ただ例外があるとすれば、“文学賞”の審査員になつたときくらゐのものだらう。そのときだつて、
技術顧問的な役割で、作品の芸術的な判断以外の社会的な影響にまでは、タッチしないものだ。
三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない――三島由紀夫氏の声明」より

6 :
かういふ事情を知つてゐれば、ぼくが「風流夢譚」を掲載するやうに圧力をかけたなんていふことがナンセンスだと
いふことがよくわかるはず。しかし、それにもかかはらずぼくの名が使はれたとすれば、それは一部の者が
苦しまぎれの逃げ口上に使つたのではないか。さう思へば使つた者にも同情の余地があるのだが、迷惑うけるのは
こちらだからね。ともかくふりかかつた火の粉ははらひ落としたいといふのが本音だ。この際、次第に
大きくなる風説――新聞雑誌でもそんな書き方をされてゐるんで――の誤解をときたい……。
(談)
三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない――三島由紀夫氏の声明」より

7 :
少しでも自動車をころがしてみた人なら、白バイの存在を意識しなかつたといふ人はあるまい。それは、
ゐませんやうにと神に祈るほどの存在であり、しかも、どこかにゐてくれなくては物足らない存在である。だから
ますますそれは、小イキな服装と小イキな白いオートバイと共に、神秘化される。悪人の目から見たところの
鞍馬天狗のやうな存在、善良な市民にちよつぴり悪人の気持を味はせてくれる存在である。その威厳、その美しさ、
その神速、その権力、一つとして羨望の的ならざるはない。白バイを怖がつたことのある人なら、必ず一度は、
白バイになつてみたいと思ふだらう。
三島由紀夫「私はこれになりたかつた――それは白バイの警官です」より

8 :
…子供のころは、それでも銀座へ連れて行つてもらふことは、うれしいことであつた。(中略)
そのころマツダ・ビル楼上のニュー・グランドの部分が、赤、青、緑、黄に変幻して、サーチライトの光芒を
ひろびろと投げかけてゐた。
私は父母につれられて、そのニュー・グランドや、ローマイヤ・レストランへ行くとき、子供らしい虚栄心を
満足させられた。そのころケストネルの少年小説「点子ちやんとアントン」に夢中になつてゐて、その小説に
出てくる「泡雪クリーム」といふものを、何とかして喰べたいと憧れてゐた。しかし「泡雪クリーム」なるものは、
どこにも売つてゐなかつた。銀座へ行けは何でも売つてゐると思ふのはまちがひだ、といふことに気がついたのは
それがはじめである。今でも銀座で決して売つてゐないもので、私がもう一度喰べてみたいと思ふものが一つある。
それは戦争中、海軍の工場で、飯のおかずに喰はされて、こんなに旨いものはないと思つたところの、ポテト・
チョップのやうな形をした、大豆粕をいためた奴である。
三島由紀夫「わが銀座」より

9 :
学習院高等科(旧制高校)は文科乙類(ドイツ語)で、卒業の時は文科の首席だつた。(中略)
首席の賞品として、精工舎製銀メッキ懐中時計を宮内省から頂いた。裏に「御賜」と彫つてある。
又来賓のドイツ大使から乙類の僕に原書の小説を三冊、ナチのハーケン・クロイツが入つてるのをもらつた。
この後で宮中に御礼言上に、当時の院長山梨勝之進海軍大将と共に参内した。霞町の華族会館で謝恩会があり、
これで学習院の卒業行事が終つた。
三島由紀夫「学習院の卒業式」より

10 :
鶴田:ぼくはね、三島さん、民族祖国が基本であるという理(ことわり)ってものがちゃんとあると思うんです。
人間、この理をきちんと守っていけばまちがいない。
三島:そうなんだよ。きちんと自分のコトワリを守っていくことなんだよ。
鶴田:昭和維新ですね、今は。
三島:うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。
鶴田:三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。
三島:ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。
三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長――男の盟約」より

11 :
さしも世界に名高い日本の柔道も紅毛碧眼に名を成さしめる仕儀に相成つたが、剣道はまだまだ勝味がござる。
小生、先ごろ桑港(サンフランシスコ)に赴き、書肆(しよし)の一画に「柔道」と名付くる棚があつて、
数十冊の柔道書を並べたる一驚を喫したが、生憎剣道のはうは一冊もござらなんだ。もつとも加州大学には、
剣道四段の碧眼の偉丈夫あり、勝負を挑まれたが、いささか日本国の名誉を思うて、風邪にことよせ、試合は
御辞退申した。かかる例外あれど、概して泰西諸国においては、剣道の普及未だしの観あり、剣道はもつぱら
「羅生門」の名優三船敏郎氏の風車剣法によつてのみ名あり。
剣をたしなむときけば、泰西人はいささか畏怖の情をあらはし、時代錯誤的恐怖にからるるやと思(おぼし)く、
ここがつけ目と愚考いたしてござる。武士道は、禅と等しく、ますます神秘化されてこそ世界に活路もあれ、
ゆめゆめスポーツ化させることなかれ、といふが、小生の切なる忠言でござる。
三島由紀夫「剣、春風を切る――ただいま修業中」より

12 :
ボデービルに一週間に二、三回通ひ出してから、一年間で胃ケイレンがなほつてしまつた。(中略)
ボデービルは八十歳、九十歳になつてもやりたい。これだけは途中でやめるとからだによくないらしい。
地獄におちたと思つて抜けられぬ。自転車操業のやうなものかな。私などは執筆して頭を使ふ。神経がたとへば
10疲れても、肉体は3しか疲れない。格差の7を運動によつて疲れさす必要がある。
肉体を10まで疲れさせ、頭脳とバランスがとれたら休養する。疲労を0に戻してから改めて仕事にとりかかる
といふ寸法である。冬は日光浴をするが、夏はセーブしてあまりやらない。
三島由紀夫「私の健康法――まづボデービル」より

13 :
端的只今の一念より外はこれなく候
一念々々と重ねて一生なり(葉隠)
新年に想ふのは「葉隠」の一章。マスコミが作る「ものの見方」にとらはれず自分の考へ方で生きていく勇気を
もちたい。一念一念といふのは、さういふことだし、その積み重ねが、私を私らしくするのだから……
三島由紀夫「真(まこと)を胸に――若さに生きよう」より

14 :
新聞の持つてゐる社会的正義感といふものには、ときどき反撥を感じることがある。
だれでもみづから美徳の代表者を買つて出れば、サンザンな目に会ふのが当節で、新聞だけが、何の傷も負はずに
社会的正義の代表者たりうるはずがないからである。また、いろいろと虚偽の多い時代に、新聞が、子供も
読むものだといふので、ともすると家庭ダンラン趣味、事なかれの小市民趣味に美的倫理的基準を置くのも困る。
みにくいものは、みにくいままに報道してほしい。
戦争中の大本営発表以来、新聞は一たん信用をなくしたが、こんどあんなことがあるときは、新聞はこんどこそ、
最後までグヮンばつて抵抗するだらうといふことを我々は期待してゐる。この期待を裏切らないでほしい。
某紙の新聞批判に「新聞を愛すればこそ批判するのだ」と言訳がついてゐたが、いやしくも批評をするのに、
こんな言訳を要するやうな空気がもしあるならば、それを払拭されんことをのぞむ。
三島由紀夫「ありのままの報道を――私の新聞評」より

15 :
このごろは、デモ見物に歩くことが多くなつた。デモの当事者からすれば、弥次馬は唾棄すべき存在だらうが、
かういふときには、一人ぐらゐ「見る人間」も必要である。鴨長明が洛中の屍体の数まで、自分手で数へあげて
ゐる態度は、学ぶべきだと思ふ。
新聞を見てもテレビを見ても、どうしても報道そのものに主観的態度が入つてゐるやうに思はれる。写真や映画は
正に実物そのものの筈だが、必ず主観的なアナウンスが入つてゐて、印象を混濁させる。かうなつてくると、
いはゆるマス・コミは却つて不便で、どうせ主観なら自分の主観、どうせ目なら自分の目を信ずる他はなくなるのだ。
私の目だつて大したことはないが、カメラのレンズよりは少しばかり精巧であらう。
三島由紀夫「同人雑記」より

16 :
私は大体笑ふことが好きであり、子供のころから「この子を映画へ連れてゆくと、突拍子もないところで
ケタケタ笑ひ出して、きまりわるい」とおとなにいはれた。徳大寺公英氏の思ひ出話によると、中学時代も、
教室でキャッキャッと一きは高い笑ひ声がするので、私がゐることがわかる、と先生がいつてゐたさうである。
おとなになつても、福田恆存氏の「キティ颱風」の招待日などには、拍手役ならぬ、笑声のサクラに狩り出された。
うしろのはうの席に、宮田重雄氏はじめ、笑ひの猛者がそろつてゐて、セリフの一言半句ごとに、声をそろへて
ゲラゲラ笑ふのである。するとそれにつられて笑ひ出すお客がある。福田氏は、新劇の観客層のシンネリムッツリを、
よほどおそれてゐたのである。
俳優のT君が、「君の貧弱な体格からすると、笑ひ声だけが大きくて不自然だから、後天的に自分で育成これ
つとめたものだらう」といつたが、これはマトをそれてゐる。私の肺活量はこれでも四千七百五十もある。
三島由紀夫「わが漫画」より

17 :
漫画は、かくて、私の生理衛生上必要不可欠のものである。をかしくない漫画はごめんだ。何が何でもをかしく
なくてはならぬ。おそろしく下品で、おそろしく知的、といふやうな漫画を私は愛する。
悩する、とか、笑する、とかいふ言葉は、実存主義ふうに解すると、相手を「物」にしていまふことだと思はれる。
「人を食ふ」といふのもこれに等しい。われわれは他人の人格を食ふことはできぬ。相手を単なる物、単なる
肉だと思ふから、食ふことができる。
漫画はだから「食はれる状態」をうまく作りあげねばならぬ。「物」になつてゐなければならぬ。
知的な漫画ほどこの即物性がいちじるしく、低級な漫画ほど、笑ひ話の物語性だの、教訓性だの、によりかかつてゐる。
下手な落語家は「をかしいお話」を語るにすぎないが、名人の落語家ほど、笑はれるべき対象を綿密に造形して、
話の中に「笑はれるべき物」を創造してゐるのである。
何もいはゆる、サイレント漫画が知的だといふのではない。
言葉がない代りに、社会の良風美俗に逆によりかかつてわからせてゐるやうな、不心得な漫画も散見する。
三島由紀夫「わが漫画」より

18 :
漫画は現代社会のもつともデスペレイトな部分、もつとも暗黒な部分につながつて、そこからダイナマイトを
仕入れて来なければならないのだ。あらゆる倒錯は漫画的であり、あらゆる漫画は幾分か倒錯的である。
そして倒錯的な漫画が、人を安心して笑はせるやうではまだ上等な漫画とはいへぬ。
日本の漫画がジャーナリズムにこびて、いはゆる社会的良識にドスンとあぐらをかいて、そこから風俗批評、
社会批評をやらかして、それを漫画家の使命だと思つてゐる人が少なくないのは、にがにがしいことである。
もつとも漫画的な状況とは、また永遠に漫画的状況とは、他人の家がダイナマイトで爆発するのをゲラゲラ笑つて
見てゐる人が、自分の家の床下でまさに別のダイナマイトが爆発しかかつてゐるのを、少しも知らないでゐる
といふ状況である。漫画は、この第二のダイナマイトを仕掛けるところに真の使命がある。
三島由紀夫「わが漫画」より

19 :
あんまりのんびりしてゐると、ほかならぬ漫画家自身が、右のやうな漫画を演じなければならぬことになりますぞ!
さて私も、かういふ商売をやつてゐて、何やかと漫画に描かれることが多い。この一文で、漫画家諸氏のお名前を
一つもあげなかつたのは、かかる職業上のおもんぱかりであるが、われわれ文士も「素人時評」といふやつは、
ほとほとにがにがしい、イヤ味なものだと思つてゐるのである。
小説書きでないやつに、小説なんてわかるものか!
漫画家でないやつに、漫画なんてわかつてたまるものか!
それでよろしい。
さて、一つの漫画は、小説家が、かういふ雑文をたのまれて、をかしくもない文章を、頭から湯気を立てて
書いてゐる、といふその状況である。
三島由紀夫「わが漫画」より

20 :
劇画や漫画の作者がどんな思想を持たうと自由であるが、啓蒙家や教育者や図式的風刺家になつたら、その時点で
もうおしまひである。かつて颯爽たる「鉄腕アトム」を想像した手塚治虫も、「火の鳥」では日教組の御用漫画家に
なり果て、「宇宙虫」ですばらしいニヒリズムを見せた水木しげるも「ガロ」の「こどもの国」や「武蔵」連作では
見るもむざんな政治主義に堕してゐる。
一体、今の若者は、図式化されたかういふ浅墓な政治主義の劇画・漫画を喜ぶのであらうか。「もーれつア太郎」の
スラップスティックスを喜ぶ精神と、それは相反するではないか。ヤングベ平連の高校生と話したとき、
「もーれつア太郎」の話になつて、その少年が、
「あれは本当に心から笑へますね」
と大人びた口調で言つた言葉が、いつまでも耳を離れない。大人はたとへ「ア太郎」を愛読してゐてもかうまで
含羞のない素直な賛辞を呈することはできぬだらう。赤塚不二夫は世にも幸福な作者である。
三島由紀夫「劇画における若者論」より

21 :
(中略)世の中といふのは困つたもので、劇画に飽きた若者が、そろそろいはゆる「教養」がほしくなつてきたとき、
与へられる教養といふものが、又しても古ぼけた大正教養主義のヒューマニズムやコスモポリタニズムであつては
たまらないのに、さうなりがちなことである。それはすでに漫画の作家の一部の教養主義になつて現はれてをり、
折角「お化け漫画」にみごとな才能を揮(ふる)ふ水木しげるが、偶像破壊の「新講談 宮本武蔵」(一九六五年)を
描くときは、芥川龍之介と同時代に逆行してしまふからである。若者は、突拍子もない劇画や漫画に飽きたのちも、
これらの与へたものを忘れず、自ら突拍子もない教養を開拓してほしいものである。すなはち決して大衆社会へ
巻き込まれることのない、貸本屋的な少数疎外者の鋭い荒々しい教養を。
三島由紀夫「劇画における若者論」より

22 :
政治問題に関する言論を規制しようとする動きがあるときには、必ず、これをカムフラージュするために、
道徳的偽装がとられ、あはせてエロティシズムや風俗一般に対する規制が行はれるのが通例である。(中略)
どんな保守的思想の持主である芸術家も、この観点から見られるときには、反体制的思想家と、五十歩百歩の目に
会はされることは、戦争中の記憶を想起すればすぐわかることである。
実際、国家が詩人を追放しようとするのは、きはめて賢明な政治判断であつて、プラトンはちやんとそれを知つてゐた。
政治に有効に利用できる芸術のエネルギー量はきはめて微弱であり、政治が効率百パーセント芸術を利用しえたと
考へるときには、もうその芸術は死物になつてゐて、何の効用も及ぼしてゐないといふ皮肉な現象は、ナチスのころも
見られたが、そんな微温的な手段をとるよりも、政治自体が芸術になり、(たとへ似而非芸術であつても、)
政治的行為が芸術的行為を完全に代用してしまへばすむことで、それが左右を問はず全体主義政治の核心である。
三島由紀夫「危険な芸術家」より

23 :
ただプラトンが完全に知つてをり、ナチスが不完全にしか知つてゐなかつたことは、次のやうな事実であり、
これはもちろん、日本の政治家が夢にも知らない事実である。
「(プラトンは、)芸術家を断罪する前に、まず彼にメリット勲章か何かのやうなできるだけ高い栄誉を
与へなければいけないと言つてゐる。すなはちプラトンは、今日ではほとんど誰も理解してゐないやうに
思はれること、つまり真に危険な芸術家とは『世にも稀な快い神聖な』偉大な芸術家であるといふことをはつきりと
理解してゐた。プラトンは、(中略)大きな悪は何らかの欠除に由来するのではなくてむしろ『本性の充実から
生じて来る』ものであり『弱い本性は、はなはだしく偉大な善も、はなはだしく偉大な悪も成し遂げることは
ほとんどできない』と信じてゐたのである」(「芸術と狂気」エドガー・ウィント著、高階秀爾訳)
三島由紀夫「危険な芸術家」より

24 :
何のことはない、日本の俚諺の「悪に強きは善にも」と変りがない考へだが、ここには政治と芸術との関係において、
非常に基本的な重要な考へが述べられてゐる。たとへばエレキは有害で、青少年に対して危険であり、
ベートーヴェンは有益で、何ら危険がないのみか人間性を高めるといふ考へは、近代的な文化主義の影響を
受けた考へであつて、ベートーヴェンのベの字もわからない俗物でも、かういふ議論は鵜呑みにするし、現代の
政府の文化政策もこの線を基本的に離れえないことは明白である。
しかし毒であり危険なのは音楽自体であつて、高尚なものほど毒も危険度も高いといふ考へは、ほとんど
理解されなくなつてゐる。政治と芸術の真の対立状況は実はそこにしかないのである。してみると日本には、
真の危険な芸術家は一人もゐないといふことになり、政府もそんなに心配する必要はなし、万事めでたしめでたし。
三島由紀夫「危険な芸術家」より

25 :
日本人の明治以来の重要な文化的偏見と思はれるのは、男色に関する偏見である。
江戸時代までにはかういふ偏見はなかつた。西欧では、男色といふ文化体験に宗教が対立して、宗教が人為的に、
永きにわたつてこの偏見を作り上げたのである。しかるに日本では明治時代に輸入されたピューリタニズムの
影響によつて、簡単に、ただその偏見が偏見として伝播して、奇妙な社会常識になつてしまつた。そして
元禄時代のその種の文化体験を簡単に忘れてしまつた。
男色は、男色にとどまるものでなく、文化の原体験ともいふべきもので、あらゆる文化あらゆる芸術には、
男色的なものが本質的にひそんでゐるのである。芸術におけるエローティッシュなものとは、男色的なものである。
そして宗教と芸術・文化の、もつとも先鋭な対立点がここにあるのに、それを忘れてしまつたのは、文化の
衰弱を招来する重要な原因の一つであつた。
三島由紀夫「偏見について思ふこと」より

26 :
ここまで読んだ。良スレだな。

27 :
>>26
ありがとう、また覗いてね。

28 :
女のまねをする女形は、女形芸術の墓穴を自ら掘つてゐるものだと思ふ。女形の範はあくまで能の鬘物の
シテにあるので、世にも高貴な美女の仮面をとほして、神秘的な、暗い男の声がひびいて来、美しい唐織の
衣装の袖から、無骨な男の手がむき出しになつてゐるべきなのだ。
といふことは、女形の真骨頂は仮面劇にあるのであつて、歌舞伎の女形といへども、変成男子の神秘感を失つては
ならないのだ。
といつて、私は、女形が日常生活でスポーツ・シャツを着てゴルフをしたり、「僕が」とか「僕が」とかいふ
一人称を使ふのを、推賞してゐるわけではない。ただ、女形美といふものが、女性美とは別の独自性を持つて
ゐることを忘れてはならない、といつてゐるのである。(中略)
三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より

29 :
女形芸のうちで悪婆(毒婦)や若衆方に接近した要素が、一等早く衰退の気配を見せてゐるのは、悪婆的女性や
若衆的女性がふえてきたからである。逆に女性的女性が減つてきたので、真女形の稀少価値が生じて珍重されるにつれ、
女形は女の模倣の方向へ傾きがちになり、女優と見紛ふやうな芸を見せる役者も出て来て、歌舞伎の女形の
セリフからは義太夫の暗い渋い律調が失はれてしまつた。先々代時蔵の最後の政岡を見たときに、私は哀惜の念に
耐へなかつた。(中略)
さて、その女形の将来であるが、今は万事にアメリカ風の、浅薄な健全第一主義の時代であるけれど、日本人の
血の澱みは、一朝一夕に浄化されるものではない。
女形を気味がわるいと思ふ観客がふえたこともたしかだが、そんならその気味のわるさに将来性がある筈で、
芸術の歴史はみんなさういふ試練を経て来たのである。
三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より

30 :
私はつねづねふしぎに思つてゐることがある。
前述したやうに、今はむしやうに女が強くなつて男性化した時代のやうにいはれながら、女の顔自体は、昔に比べて、
だんだん男性的威厳を失つてきてゐるのである。理想の美女は、現代では、イタチが猫か少年の顔にちかく、
明治時代の女性のやうに、むしろ男性的威厳を帯びた顔は、ゐなくなつたか、少なくとも、流行らなくなつて
ゐるのである。(中略)顔はますます小さくなる傾向にあり、髷の似合ひさうな顔は一つもない。明治時代の
名妓の面影はあとをとどめない。
女性が女性的であつた時代に、却つて、女形風な顔や美がもてはやされ、沢山生存してゐた、とはどういふこと
だらうか。あれこれ思ふと、現代の女優で片はづしのカツラの似合ふやうな人は一人もなく、過去の壮大な
悲劇に似合ふ舞台上の女性は、どうしても、男にカツラをかぶせるほかはなくなるのである。ブリジット・
バルドーみたいな顔をした八重垣姫なんか、どう考へてもをかしいではないか。
三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より

31 :
男が女に化けてゐるといふ芝居のウソの前提を、観客がもつと強く意識するやうになれば、女形の将来は
捨てたものではなく、また女形自身も、舞台では女、日常生活では男、などといふコセコセした枠を作らず、
舞台の上で女形であること自体に、堂々たる男性的威厳を発揮することに努めれば、世間の目も変つてくる
ことであらう。
重ねていふやうに、日本人の血の澱みの深さは、アメリカ人などとは比べものにならないのである。
女形のやうな、面白い、気味のわるい、エクストラオルディネール(異常)なものを、さうむやみに捨て去る
ことのできる日本人ではない。その点はもつと安心して、大悟徹底してゐるべきだと思ふのである。
三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より

32 :
アズジスタストレ

33 :
私は歌舞伎といふものは、もちろん台本も大切、心理描写も大切だけれども、一瞬間で人を酔はせることが
できなければ、歌舞伎ではないんだ、といふことがだんだん分るやうになつたんです。(中略)
お客が喜ぶのは、二人の人間が何か一所懸命ぶつかり合つてゐる、しかもただ言葉でぶつかり合つてゐるのでは
なくつて型でぶつかり合つてゐる、性格でぶつかり合つてゐるのではなくて、型でぶつかつてゐる、そこにみな
感動するんです。
そしてその型が一つ一つ見事に磨きぬかれてゐる、たとへば喧嘩でも見悪(みにく)い喧嘩ぢやない、
コノヤロウといふ喧嘩なら、どこでも見せられる。腕の振りあげ方一つ、殴り方一つにもちやんと型がある。
さういふふうに感覚的な魅惑といふものに訴へることなしには、どんなことも歌舞伎は我々に伝へてこない。
もし感覚的魅惑を抜きにして、歌舞伎を分れといつても無理だし、そしてその狭い感覚的な魅惑の道を通つて
歌舞伎といふものが、にゆつと飛び出してくるんです。
三島由紀夫「悪の華――歌舞伎」より

34 :
(中略)私は歌舞伎といふものは、いつでも昔が良かつたもんだ、と思ふんです。あらゆる時代で、昔の方が
良かつたから、歌舞伎といふこの変な生命が続いてゐるんです。
これをよく考へていただかないとね、歌舞伎は、だんだん進歩していくんだ、昔はこんなに原始的であつたのが、
良くなつていくんだと思ふと、大間違ひなんです。今が一番悪い、私で終りだといふ気持がないと、歌舞伎の
これからを支へて行くことはできない。
またうまいことに、歌舞伎といふものは、昔から滅亡論があつた。明治のころから歌舞伎滅亡論といふのが
何度あつたか分らないほどあつたんです。滅びる、滅びるといはれながら、こんな大きな劇場が建つちやつた。
これで歌舞伎が滅びないかといふと、まだいつでも滅びるんです。滅びる用意をしてゐる。
歌舞伎を滅ぼすやうな要因は、いつの時代にも、たくさんありました。あなた方は若いのに、これから歌舞伎を
始めるといふのは、滅びるものに忠誠を誓ふことになるんです。
三島由紀夫「悪の華――歌舞伎」より

35 :
あなた方の前には、もつと新しいものが、いくらでもる。たとえばコンピュータの仕事をしてもよろしい。
…今や日本ではますます新しい仕事は要求されてゐるんです。
滅びるに決つてゐるやうなものに自分が入つて行くといふのは、よほどの覚悟がなければできない。昔は良かつたが、
今は駄目だ、と絶えず言はれる。
ところがその昔は良かつたものに、いつか自分が近付いていつて、その中に溶け込むときが来る、そこが人間の
不思議なところで、歌舞伎は昔に書かれたものですから、もし昔の理想に自分がスーッと溶け込むことができ、
昔の俳優の持つてゐた魂が、自分の中にフゥァーと宿ることがあると、その時がどんな時代であらうと、
歌舞伎といふものは、また蘇つてくるんです。
三島由紀夫「悪の華――歌舞伎」より

36 :
(中略)私はあくまで歌舞伎を愛する、だけど私は観客として、あるひは演出家として、その出て来た華だけを
愛してゐたい。華の向う側に、どす黒いものがあるのは分つてゐるけれども、そのどす黒いものは、そのまま
大切な肥料としてそつとしておきたい、といふ気持が非常に強いんです。
もちろん私は歌舞伎の改良といふことを全然否定するわけではありませんけれども、歌舞伎といふものは、
悪に繋がつてゐるといふことを信じますから、ああ、いくらでもいくらでも綺麗にしてごらん、綺麗にしたら
何が失くなるか、よく考へてごらんといふより他にないんです。
あなた方、この歌舞伎の世界に入つて来たのには、よほどの覚悟がなくてはならんと思ふのは、その悪といふものを
是認するといふこと、そして不合理を是認するといふことです。不合理を自分の中に取り込まなければ、
歌舞伎といふ芝居を演る意味がない。(中略)
一番悪いものと、一番良いものとが結びついてゐるのが、歌舞伎の不思議なんです。それを切つたらば、生命が
なくなる。
三島由紀夫「悪の華――歌舞伎」より

37 :
一、二年前から、ミリタリー・ルックの流行を横目に見ながら、私は「今に見ていろ」と思つてゐた。男にとつて
最高のお洒落である軍服といふものを(もちろんそのパロディー《替唄》の意味でやつてゐることぐらゐは
私にもわかるが)およそ軍服には縁のないニヤけた長髪の、手足のひよろひよろした骨無しの蜘蛛男どもが、
得意げに着込んで、冒涜の限りを尽してゐるのが我慢ならなかつた。
本来、赤・金・緑などの派手な色調は、ピーコック・ルックを待つまでもなく、男の服飾の色彩である。しかし
それには条件がある。闘牛士の派手な服装が、もし彼らの男らしい死の職業といふ裏附がなかつたら、たちまち
世にもニヤけたものになるやうに、男が男本来の派手な色彩を身につけるには、それなりの条件や覚悟がある筈である。
その条件や覚悟のない男が、社会の一匹の羊であることを証明するグレイ・フランネル・スーツを身に着けるのである。
それは単に保身術、昆虫の保護色としての服装だ。しかるに軍服は昆虫で云へば警戒色で、色は原色で、まづ
目立たなければならないのである。
三島由紀夫「軍服を着る男の条件」より

38 :
そしてそれを着る条件とは、仕立てのよい軍服のなかにギッチリ詰つた、鍛へぬいた筋肉質の肉体であり、
それを着る覚悟とは、まさかのときは命を捨てる覚悟である。アメリカでは、将軍といへども、腹が出て来て
軍服が似合はなくなると免職になるさうだ。
自衛隊に一ヶ月みつちり体験入隊をして、心身共に鍛へた大学生の集まりであるわれわれの「楯の会」では、
その一ヶ月の卒業祝に、この制服を贈ることにしてゐる。まづ中味を調へ、次に制服といふわけだ。西武百貨店の
堤清二社長の厚意が得られて、ド・ゴール大統領の洋服をデザインした名デザイナー五十嵐九十九氏のデザインに
成るこの凛々しい軍服が「楯の会」の制服になつた。帽章は私自らがデザインした。町をこの制服を着た青年が
歩いてゐたら、どうかゆつくり目をとめて眺めていただきたい。
三島由紀夫「軍服を着る男の条件」より

39 :
男のおしやれがはやつて、男性化粧品がよく売れ、床屋でマニキュアさせる男がふえた、といふことだが、
男が柔弱になるのは泰平の世の常であつて、大正時代にもポンペアン・クリームなどといふものを頬に塗つて、
薄化粧する男が多かつたし、江戸時代の春信の浮世絵なんかを見れば、男と女がまるで見分けがつかぬやうに
描かれてゐる。男が手や爪の美容に気をつかふのは、スペインの貴族の習慣で、そこでは手の美しい男で
なければ、女にもてなかつた。
私はこんな風潮一切がまちがつてゐると考へる人間である。男は粗衣によつてはじめて男性美を発揮できる。
ボロを着せてみて、はじめて男の値打がわかる、といふのが、男のおしやれの基本だと考へてゐる。
三島由紀夫「男のおしやれ」より

40 :
といふのは、男の魅力はあくまで剛健素朴にあるのであつて、それを引立たせるおしやれは、ボロであつても、
華美であつても、あくまで同じ値打同じ効果をもたらさなければならぬ。指環ひとつをとつてみても、節くれ
立つた、毛むくぢやらの指をしてゐてこそ、男の指環も引立つのだが、東洋人特有のスンナリした指の男が、
指環をはめてゐれば、いやらしいだけだ。
多少我田引水だが、日本の男のもつとも美しい服装は、剣道着だと私は考へてゐる。これこそ、素朴であつて、
しかも華美を兼ねてゐる。学生服をイカさない、といふのも、一部デザイナーの柔弱な偏見であつて、学生服が
ピタリと似合ふ学生でなければ、学生の値打はない。あれも素朴にして華美なる服装である。背広なんか犬に
喰はれてしまへ。世の中にこんなにみにくい、あほらしい服はない。商人服をありがたがつて着てゐる情ない
世界的風潮よ。タキシードも犬に喰はれてしまへ。私はタキシードの似合ふ日本人といふものを、ただの一人も
見たことがないのである。
三島由紀夫「男のおしやれ」より

41 :
○ 私は眺める人間として生れたかのやうであり、幼時から行動を奪はれ、物事の観照と、人間の心理の分析に長じ、
静的な文体を作つたが、いつしか、その反対の行為者としての自分、抑圧されてゐた自分を発見した。しかし
言葉は全く身について、その感覚は幼時から養はれるものであるから、この新しい自分はほとんど言葉では
現はしやうがなかつた。それを私は肉体としてあらはしたのである。
行為者と存在者は別物であるけれど、観察者の目からは等価である。したがつて観察者の陥りやすい誤解は、
この二つを混同することである。私はのちになつてわかつた。しかし観察者の矜持は表現(言葉、知性)にあつて、
その目からは行為者は美しくはあるが、いつも粗雑に見える。そして行為者の矜持は存在形態あるひは運動形態の
終極的瞬間的な美にかかはるから、観察者はいつも卑しげな奉仕的なものと感じられる。この両者の間には
もちろん愛も成立するが、この両者に通暁することは人生の大切な知恵である。
三島由紀夫「魅死魔雪翁百八歳の遺言録――己惚れ」より

42 :
行為者と存在者はどちらが永遠でありうるか? これは肉体がほとんど抽象される迄に、純粋化された瞬間的行為と、
ただ存在する肉体美との、どちらが永遠かと問ふのと等しい。流れを中断した横断面が行為者であり、流れを
体現するものが存在者ともいへよう。しかしこの二つはいつも相交はり、行為者の最高の瞬間は、彫刻芸術のやうな
存在的芸術によつてあらはされ、存在者の最高の姿は、音楽のやうな流動的芸術、行為的芸術によつて
あらはされうる。肉体は自らの神殿である。魂はそこに収まつてゐる。肉体は心をこめて管理し磨き上げ、
魂も亦さうする。そしてうつろひやすい肉体はその瞬間々々を、言葉を用ひずに、能ふかぎり非分析的に、記録し、
保留し、記念すべきであり、魂の仕事にかまけて、これを怠つてはならぬのである。
三島由紀夫「魅死魔雪翁百八歳の遺言録――己惚れ」より

43 :
ベラフォンテがどんなにすばらしいかは、舞台を見なければ、本当のところはわからない。ここには熱帯の
太陽があり、カリブ海の貿易風があり、ドレイたちの悲痛な歴史があり、力と陽気さと同時に繊細さと悲哀があり、
素朴な人間の魂のありのままの表示がある。そして舞台の上のベラフォンテは、まさしく太陽のやうにかがやいてゐる。
彼は褐色のアポロであつて、大ていの白人女性が彼の前に拝跪するのも、むべなるかなと思はせる。
ベラフォンテには、衰弱したところが一つもない。それでゐて、ソクソクとせまる悲しみと叙情がある。
これは、言葉は悪いが「ドレイ芸術」とでもいふべきものの神髄で、たとへば「バナナ・ボート」で、彼が
悲痛な声をふるつて「デオ、ミゼデオ」と叫び歌つて、強い声がハタと中空に途切れるとき、そのあとの間に、
われわれは、力の悲哀といふやうなものを感じ、はりつめた筋肉からとび散る汗のやうなものを感じ……これらの
激しい労働を冷然とながめおろしてゐる植民地の港の朝空のひろがりまでも完全に感じとる。
三島由紀夫「ベラフォンテ讃」より

44 :
歌はれる歌には、リフレインが多い。全編ほとんどリフレインといふやうな歌がある。これは民謡的特色だが、
同時に呪術的特色でもある。わづかなバリエーションを伴ひながら「夏はもうあらかた過ぎた」(ダーン・
レイド・アラウンド)とか「夜ごと日の沈むとき」(スザンヌ)とかいふ詩句が、彼の甘いしはがれた声で、
何度となくくりかへされると、われわれは、ベラフォンテの特色である、暗い粘つこい叙情の中へ、だんだんに
ひき入れられる。声が褐色の幅広いリボンのやうにひらめく。われわれは、もうその声のほかには、世界中に
何も聞かないのである。
西印度諸島の黒人の声には、何といふ繊細さがあるのだらう、と私は、たびたびおどろかされたものだ。
黒人の皮膚のあの冷たいキメの細かさと、この繊細さとは、何か関係があるにちがひない。そして、あんな
激しい太陽と海風にさらされては、繊細な魂は、暗い涼しい体内の深部へ逃げ隠れ、わづかに声帯のすき間から、
外界をのぞかうとするのかもしれない。
三島由紀夫「ベラフォンテ讃」より

45 :
ベラフォンテの舞台を見た人なら、だれでも首肯すると思はれるのは、その強烈な官能性である。彼もまた、
十分演出にそれを意識してゐると思はれる。けがれのない、素朴な、健康なエロティシズムの表現において、
もちろんその恵まれた外見に負ふところが多いとしても、彼ほどのボピュラー歌手は空前絶後であらう。
そしてその官能性が、詩にまで高まつてゐるのは、まさしく彼に黒人の血が流れてゐるからである。白人の男の
官能性とは散文的なものであり、いつたん昇華しなければ使ひものにならぬ。ベラフォンテの叙情は、カリブ海の
太陽の下のファロスの叙情である。しかもそれが海風に清められてゐるから、少しもきたならしくならないのである。
官能的な激しさにもかかはらず、彼の舞台が清潔なゆゑんである。私は第一部では「オール・マイ・トライアルス」の
美しい哀傷、「ク・ク・ル・ク・ク・パロマ」の逸楽、第二部では「さらばジャマイカ」の哀切な叙情、そして
有名な「バナナ・ボート」や、たのしい「ラ・バンバ」をことに愛する。
三島由紀夫「ベラフォンテ讃」より

46 :
(神輿の)リズムある懸声と力の行使と、どちらが意識の近くにゐるかと云へば、ふしぎなことに、それは
むしろ後者のはうである。懸声をあげるわれわれは、力を行使してゐるわれわれより一そう無意識的であり、
一そう盲目である。神輿の逆説はそこにひそんでゐる。担ぎ手たちの声や動きやあらゆる身体的表現のうち、
秩序に近いものほど意識からは遠いのである。
神輿の担ぎ手たちの陶酔はそこにはじまる。彼らは一人一人、変幻する力の行使と懸声のリズムとの間の違和感を
感じてゐる。しかしこの違和感が克服され、結合されなければ、生命は出現しないのである。そして結合は
必ず到来する。われわれは生命の中に溺れる。懸声はわれわれの力の自由を保証し、力の行使はたえずわれわれの
陶酔を保証するのだ。肩の重みこそ、われわれの今味はつてゐるものが陶酔だと、不断に教へてくれるのであるから。
三島由紀夫「陶酔について」より

47 :
清洌な抒情といふやうなものは、人間精神のうちで、何か不快なグロテスクな怖ろしい負ひ目として現はれるので
なければ、本当の抒情でもなく、人の心も搏たないといふ考へが私の心を離れない。白面の、肺病の、
夭折抒情詩人といふものには、私は頭から信用が置けないのである。先生のやうに永い、暗い、怖ろしい生存の
恐怖に耐へた顔、そのために苔が生え、失礼なたとへだが化物のやうになつた顔の、抒情的な悲しみといふものを
私は信じる。
(中略)
古代の智者は、現代の科学者とちがつて、忌はしいものについての知識の専門家なのであつた。かれらは
人間生活をよりよくしたり、より快適により便宜にしたりするために貢献するのではなかつた。死に関する知識、
暗黒の血みどろの母胎に関する知識、さういふ知識は本来地上の白日の下における人間生活をおびやかすもので
あるから、一定の智者がそれを統括して、管理してゐなければならなかつた。
三島由紀夫「折口信夫氏の思ひ出」より

48 :
少年期の特長は残酷さです。どんなにセンチメンタルにみえる少年にも、植物的な
残酷さがそなはつてゐる。少女も残酷です。やさしさといふものは、大人のずるさと
一緒にしか成長しないものです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 教師を内心バカにすべし」より
ワシントンは子供心に、ウソをついた場合のイヤな気持まで知つてゐたので、正直に
白状したのかもしれません。たいてい勇気ある行動といふものは、別の或るものへの
怖れから来てゐるもので、全然恐怖心のない人には、勇気の生れる余地がなくて、
さういふ人はただ無茶をやつてのけるだけの話です。
三島由紀夫「不道徳教育講座 大いにウソをつくべし」より

49 :
お節介は人生の衛生術の一つです。
お節介焼きには、一つの長所があつて、「人をいやがらせて、自らたのしむ」ことができ、
しかも万古不易の正義感に乗つかつて、それを安全に行使することができるのです。
人をいつもいやがらせて、自分は少しも傷つかないといふ人の人生は永遠にバラ色です。
なぜならお節介や忠告は、もつとも不道徳な快楽の一つだからです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 うんとお節介を焼くべし」より
現代では何かスキャンダルを餌にして太らない光栄といふものはほとんどありません。
世間には、外貌と内側の全然一致しない人もある。
三島由紀夫「不道徳教育講座 醜聞を利用すべし」より

50 :
友人を裏切らないと、家来にされてしまふといふ場合が往々にしてある。大へん永つづきした
美しい友情などといふやつを、よくしらべてみると、一方が主人で一方が家来のことが多い。
三島由紀夫「不道徳教育講座 友人を裏切るべし」より
世間で謙遜な人とほめられてゐるのはたいてい犠牲者です。
己惚れ屋にとつては、他人はみんな、自分の己惚れのための餌なのです。
恋愛から己惚れを差引いたら、どんなに味気ないものになつてしまふことでせう。
三島由紀夫「不道徳教育講座 できるだけ己惚れよ」より

51 :
どうでもいいことは流行に従ふべきで、流行とは、「どうでもいいものだ」ともいへませう。
流行は無邪気なほどよく、「考へない」流行ほど本当の流行なのです。白痴的、痴呆的流行ほど、
あとになつて、その時代の、美しい色彩となつて残るのである。
三島由紀夫「不道徳教育講座 流行に従ふべし」より
世間に尽きない誤解は、
「人そのもの」と、
「つちまへと叫ぶこと」
と、この二つのものの間に、ただ程度の差しか見ないことで、そこには実は非常な質の
相違がある。
三島由紀夫「不道徳教育講座 『つちまへ』と叫ぶべし」より

52 :
洋食作法を知つてゐたつて、別段品性や思想が向上するわけはないのです。
エチケットなどといふものは、俗の俗なるもので、その人の偉さとは何の関係もないのである。
三島由紀夫「不道徳教育講座 スープは音を立てて吸ふべし」より
全く自力でやつたと思つたことでも、自らそれと知らずに誰かを利用して成功したのであり、
誰にも身を売らないつもりでも、それと知らずに身を売つてゐるのが、現代社会といふものです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 美人の妹を利用すべし」より

53 :
男といふものは、もし相手の女が、彼の肉体だけを求めてゐたのだとわかると、一等自尊心を
鼓舞されて、大得意になるといふ妙なケダモノであります。
女の人が自分の体に対して抱いてゐる考へは、男とはよほどちがふらしい。その房、
そのウェイスト、その脚の魅力は、すべて「女たること」の展覧会みたいなものである。
美しければ美しいほど、彼女はそれを自分個人に属するものと考へず、何かますます
普遍的な、女一般に属するものと考へる。この点で、どんなに化粧に身をやつし、どんなに
鏡を眺めて暮しても、女は本質的にナルシスにはならない。ギリシアのナルシスは男であります。
三島由紀夫「不道徳教育講座 痴漢を歓迎すべし」より
人に恩を施すときは、小川に花を流すやうに施すべきで、施されたはうも、淡々と
忘れるべきである。これこそ君子(くんし)の交はりといふものだ。
三島由紀夫「不道徳教育講座 人の恩は忘れるべし」より

54 :
若いくせにひたすら平和主義に沈潜したりしてゐるのは、たいてい失恋常習者である。
およそ自慢のなかで、喧嘩自慢ほど罪のないものはない。
三島由紀夫「不道徳教育講座 喧嘩の自慢をすべし」より
「洗練された紳士」といふ種族は、必ず不道徳でありますから、お世辞の大家であつて、
「人間の真実」とか「人生の真相」とかいふものは、めつたに持ち出してはいけないものだ、
といふことを知つてゐます。ダイアモンドの首飾などを持つてゐる貴婦人は、そのオリジナルは
銀行にあづけ、寸分たがはぬ硝子玉のコピイを首にかけて出かけるのが慣例です。
人生の真実もこれと同じで、本物が必要になるのは十年にいつぺんか二十年にいつぺんぐらい。
あとはニセモノで通用するのです。それが世の中といふもので、しよつちゆう火の玉を抱いて
突進してゐては、自分がヤケドするばかりである。
三島由紀夫「不道徳教育講座 空お世話を並べるべし」より

55 :
男と女の一等厄介なちがひは、男にとつては精神と肉体がはつきり区別して意識されてゐるのに、
女にとつては精神と肉体がどこまで行つてもまざり合つてゐることである。
女性の最も高い精神も、最も低い精神も、いづれも肉体と不即不離の関係に立つ点で、
男の精神とはつきりちがつてゐる。いや、精神だの肉体だのといふ区別は、男だけの
問題なのであつて、女にとつては、それは一つものなのだ。
五百人の男と交はつた女は、心をも切り売りした哀れな娼婦になり、五百人の女と
交はつた男は、単なる放蕩者に止(とど)まつて、精神の領域では立派な尊敬すべき
男であるといふ事態も起り得る。
三島由紀夫「不道徳教育講座 いはゆる『よろめき』について」より

56 :
精神と肉体をどうしても分けることのできない女性の特有そのものを、仮に「罪」と
呼んだと考へればよい。そして一等厄介なことは、女性の最高の美徳も、最低の悪徳も、
この同じ宿命、同じ罪、同じ根から出てゐて、結局同じ形式をとるといふことです。
崇高な母性愛も、良人に対する献身的な美しい愛も、……それから「よろめき」も、
御用聞きとの高笑いも、……みんな同じ宿命から出てゐるといふところに、女性の
女性たる所以があります。
虚栄心、自尊心、独占欲、男性たることの対社会的プライド、男性としての能力に関する自負、
……かういふものはみんな社会的性質を帯びてゐて、これがみんな根こそぎにされた悩みが、
男の嫉妬を形づくります。男の嫉妬の本当のギリギリのところは、体面を傷つけられた
怒りだと断言してもよろしい。
三島由紀夫「不道徳教育講座 いはゆる『よろめき』について」より

57 :
戦争も大事件も、必ずしも高尚な動機や思想的対立から起るのではなく、ほんのちよつとした
まちがひから、十分起りうるのです。そして大思想や大哲学は、概して大した事件も
ひきおこさずに、カビが生えたまま死んでしまひます。
運命はその重大な主題を、実につまらない小さいものにおしかぶせてゐる場合があります。
そしてわれわれは、あとになつてみなければ、小さな落度が重大な結果につながつてゐたか
どうかを知ることができません。
人間の意志のはたらかないところで起る小さなまちがひが、やがては人間とその一生を
支配するといふふしぎは、本当は罪や悪や不道徳よりも、本質的におそろしい問題なのであります。
三島由紀夫「不道徳教育講座 0の恐怖」より

58 :
死者に対する賞賛には、何か冷酷な非人間的なものがあります。死者に対する悪口は、
これに反して、いかにも人間的です。悪口は死者の思ひ出を、いつまでも生きてゐる人間の
間に温めておくからです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 死後に悪口を言ふべし」より
ケチな人と附合つて安心なのは、かういふ人には、まづ、やたらと友だちに「金を貸してくれ」
などと持ちかけるダラシのないヤカラはゐないことです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 ケチをモットーにすべし」より
利口であらうとすることも人生のワナなら、バカであらうとすることも人生のワナであります。
そんな風に人間は「何かであらう」とすることなど、本当は出来るものではないらしい。
利口であらうとすればバカのワナに落ち込み、バカであらうとすれば利口のワナに落ち込み、
果てしもない堂々めぐりをかうしてくりかへすのが、多分人生なのでありませう。
三島由紀夫「不道徳教育講座 馬鹿は死ななきや……」より

59 :
告白癖のある友人ほどうるさいものはない。もてた話、失恋した話を長々ときかせる。
やたらと人に弱味をさらけ出す人間のことを、私は躊躇なく「無礼者」と呼びます。
それは社会的無礼であつて、われわれは自分の弱さをいやがる気持から人の長所を
みとめるのに、人も同じやうに弱いといふことを証明してくれるのは、無礼千万なのであります。
どんなに醜悪であらうと、自分の真実の姿を告白して、それによつて真実の姿をみとめてもらひ、
あはよくば真実の姿のままで愛してもらはうと考へるのは、甘い考へで、人生をなめて
かかつた考へです。
三島由紀夫「不道徳教育講座 告白するなかれ」より

60 :
北欧諸国で老人の自が多いのは何が原因かね。社会保障が行き届きすぎて、老人が何も
することがなくなつて、希望を失つて自するのである。
青年男女の自といふのはママゴトのやうなもので、一種のオッチョコチョイであり、
人生に関する無智から来る。
大体、男女といふものは、色事以外は、別種類の動物であつて、興味の持ち方から何から
ちがふし、トコトンまでわかり合ふといふわけには行かないのであるから、どこへも
男女同伴夫婦同伴などといふのは、人間心理をわきまへぬ野蛮人の風習である。
三島由紀夫「不道徳教育講座 日本及び日本人をほめるべし」より

61 :
どんな功利主義者も、策謀家も、自分に何の利害関係もない他人の失敗を笑ふ瞬間には、
ひどく無邪気になり、純真になります。誰でも人の好さが丸出しになり、目は子供つぽい
光りに充たされます。
友情はすべて嘲り合ひから生れる。
三島由紀夫「不道徳教育講座 人の失敗を笑ふべし」より
三千人と恋愛をした人が、一人と恋愛をした人に比べて、より多くについて知つてゐるとは
いへないのが、人生の面白味ですが、同時に、小説家のはうが読者より人生をよく知つてゐて、
人に道標を与へることができる、などといふのも完全な迷信です。小説家自身が人生に
アップアップしてゐるのであつて、それから木片につかまつて、一息ついてゐる姿が、
すなはち彼の小説を書いてゐる姿です。
三島由紀夫「不道徳教育講座 小説家を尊敬するなかれ」より

62 :
神経が疲労してゐるとき病的に性欲が昂進するのは、われわれが、経験上よく知つてゐる
ことである。これを「強烈な原始的性欲」とか、「本能の嵐」とかに見まちがへる人がゐたら、
よつぽどどうかしてゐるのである。これはむしろ本能から一等遠い状態です。
三島由紀夫「不道徳教育講座 性的ノイローゼ」より
怪力乱神は、どうもどこかに実在するらしい、といふのが私のカンである。
仕事をしてゐるときでも、ふと自分が怪力乱神の虜になつてゐると感じることがある。
しかしこの世に知性で割り切れぬことがあるのは、少しも知性の恥ではない。
三島由紀夫「不道徳教育講座 お化けの季節」より

63 :
人間対人間では、いつも勝つのは、情熱を持たない側の人間です。
あるひは、より少なく情熱を持つ側の人間です。
セールスマンの秘訣は決して売りたがらぬことだと言はれてゐる。人が押売りからものを
買ひたがらぬのは、人間の本能で、敗北者に対して、敗北者の売る物に対して、
魅力を感じないからであります。
人を待たせる立場の人は、勝利者であり成功者だが、必ずしも幸福な人間とはいへない。
駅の前の待ち人たちは、欠乏による幸福といふ人間の姿を、一等よくあらはしてゐると
いへませう。
三島由紀夫「不道徳教育講座 人を待たせるべし」より

64 :
いくら禿頭でも、独身の男といふものは、女性にとつて、或る可能性の権化にみえるらしい。
男にとつていかに独身のはうがトクであるかは、言ふを俟ちません。かく言ふ私でも、
結婚したとたんに、女性の読者からの手紙が激減してしまひました。
孤独感こそ男のディグニティーの根源であつて、これを失くしたら男ではないと言つてもいい。
子供が十人あらうが、女房が三人あらうが、いや、それならばますます、男は身辺に
孤独感を漂はしてゐなければならん。
…男はどこかに、孤独な岩みたいなところを持つてゐなくてはならない。
このごろは、ベタベタ自分の子供の自慢をする若い男がふえて来たが、かういふのは
どうも不潔でやりきれない。アメリカ人の風習の影響だらうが、誰にでも、やたらむしやうに
自分の子供の写真を見せたがる。かういふ男を見ると、私は、こいつは何だつて男性の威厳を
自ら失つて、人間生活に首までドップリひたつてやがるのか、と思つて腹立たしくなる。
「自分の子供が可愛い」などといふ感情はワイセツな感情であつて、人に示すべき
ものではないらしい。
三島由紀夫「不道徳教育講座 子持ちを隠すべし」より

65 :
日本も三等国か四等国か知らないが、そんなに、「どうせ私なんぞ」式外交ばかりやらないで、
たまにはゴテてみたらどうだらう。さうすることによつて、自分の何ほどかの力が
確認されるといふものであります。
三島由紀夫「不道徳教育講座 何かにつけてゴテるべし」より
現代は一方から他方を見ればみんなキチガヒであり、他方から、一方を見ればみんな
キチガヒである。これが現代の特性だ。
三島由紀夫「不道徳教育講座 痴呆症と赤シャツ」より
男が持つてゐる癒やしがたいセンチメンタリズムは、いつも自分の港を持つてゐたい
といふことです。世界中の港をほつつき歩いても最後に帰つて身心を休める港は、
故里の港一つしかない。
三島由紀夫「不道徳教育講座 恋人を交換すべし」より

66 :
僕はキラキラした安つぽい挑発的な儚い華奢なものすべて愛した。サーカスの人々をみて僕は独言した。
「ああいふ人たちは」と僕は思つた。「音楽のやうに果敢で自分の命を塵芥かなぞのやうに思ひ、浪費と放蕩の影に
やゝ面窶(おもやつ)れし、粗暴な美しさに満ちた短い会話を交はし、口論に頬を紅潮させながらすぐさま手は
兇器に触れ、平気で命のやりとりするであらう。彼らは浪漫的な放埒な恋愛をし、多くの女を失意に泣かせ、竟には
必らずや、路上に横はつて死ぬであらう」と。僕は又、天勝の奇術舞踏に出てくる大ぜいの薔薇の騎士たちを愛した。
彼女達は、楽屋でも、日々の生活の上でも、あの危険な、胡麻化しにみちた、侘びしく絢爛な、表情と身振りとを、
決して忘れまいと思はれた。そこには僕の幼時にとつて禁断の書物であつた講談倶楽部やキングや新青年に出てくる
血みどろの挿絵のやうな、美しい生き方がされてゐるのだと僕は疑はなかつた。長い剣が触れ合ふたびごとに本当に
紫や赤の火花がとびちり、銀紙や色ブリキで作られた衣装が肉惑的にゆすぶれ乍らキラキラきらめきわたるのをみて、
僕は自分の胸がどうしてこんなに高鳴るのかわからなかつた。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「扮装狂」より

67 :
僕が何かになつてみたいなあと思ふとき、それは大抵派手な制服であつた。僕の幼な友達もそれに心から同感した。
即ちエレヴェータア・ボーイであり花電車の運転手であり地下鉄の改札掛である。地下鉄の構内には一種の
やうな匂ひがある。日もすがらさういふ匂ひを吸ひ眩ゆい電灯の白光にその多くの金釦をかゞやかせてくらして
ゐるといふことが、彼等を尚更のこと神秘の人種めかしてみせる。僕には到底ああはなれまいと幼な心にも思はれた。
それで一そう憧れは険しくなる。――ホテルのエレヴェータア・ボーイや花電車の運転手といふ職業ほど、此世に
危険な悲劇的なやけつぱちな職業はないといふ風に感ぜられる。僕はホテルなどで彼等に話しかけられると、
不良少年によびとめられたやうに我しらずドギマギした。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「扮装狂」より

68 :
僕は少年期に入る。ブラと仇名された四つ五つも年上の少年。彼は落第してきて僕らのクラスで暴君のやうに振舞ふ。
僕はすぐさま彼に英雄を発見した。言ひかへればサーカスの人を。彼を不良だと呼ぶことは実にすばらしい信仰である。
僕は彼と対等な口をきゝながら息がつまりさうな気がした。それほどまでに僕は無理を犯した。彼の白い絹の
マフラーは、派手な沓下はまことに好かつた。(中略)
ブラの魂は人には言へぬ暗い汚濁のために哭きつゞけてゐる。――僕はさう思つて同情に惑溺した。そしてその同情が
扮装欲のわづかな変形であることには気附かないでゐた。……ブラはしばしば学校を欠席しはじめた。それでも
偶には来る。あるとき用事で遅くなつて僕は夕日のほの明るいロッカア室へカバンをとりにゆくために入らうとした。
すると学生監室のドアが陰気に開いてブラが出てくる。ブラは無理に笑ふ。おおでも目の赤いこと。君でも泣くのかと
僕は責めたいやうな気持だつた。僕はだまつてゐた。ブラは学生監の悪口を二言三言云つた。僕は悪口をいふブラが
好きである。一緒にかへらうと誘つたところが、珍らしくもブラは承引した。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「扮装狂」より

69 :
(中略)桜のトンネルを出たときにブラは僕の顔をみないで軽蔑したやうな口調で言つた。――「平岡! 
貴様接吻したことある?」僕は後から来ていきなり目をふさがれたやうな気持であつた。僕はもうドキドキが
止まらなくなつてしまつた。上ずつた声で僕は返事をせずにはゐられなかつた。「いや、ないんだ、一度も」
「フン」とブラは感興がなささうに云つた。「面白くもなんともないぜ。やつてみりやあね」――二人は赤い
煉瓦造のボイラア室のそばをとほつた。蝶々がうるさく足にからんだ。
「もう、俺、いゝところへいつちやふんだ」
「ぢやもう逢へないかもしれないね」
「逢いたかないや」
僕にはこんな露骨な愛情の表現ははじめてだつた。なんといふ粗暴な美しい話術。僕は一瞬、僕も亦サーカスの人々の
絵の中にゐると感じた。僕は返事ができなかつた。僕は耳傾けた。その言葉がもう一度くりかへされるやうにと。……
だがブラはだまつたまゝ歩きつゞけ、いつのまにか僕らは裏門から、灯のつき初めた町の一劃へ出てゐた。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「扮装狂」より

70 :
軽蔑とは、女の男に対する永遠の批評なのであります。
女性の特徴は、人の作つた夢に忠実に従ふことでせうが、何よりも多数決に弱いので、
夫の意見よりも、つねに世間の大多数の夢のはうを尊重し、しかもその「視聴率の高い夢」は
大企業の作つた罠であることを、ほとんど直視しようとしません。
「だつて私の幸福は私の問題だもの」
たしかにさうです。しかし、あなたの、その半分ノイローゼ的な、幸福への夢への
たえざる飢ゑと渇きは、実は大企業が、赤の他人が作つてゐるものなのです。
一から十まで完全に良い趣味の男といふのは、大てい女性的な男ですし、ニヒリズムを
持たない男といふのは、大てい脳天パアです。
三島由紀夫「反貞女大学」より

71 :
貞女とは、多くのばあひ、世間の評判であり、その世間をカサに着た女の鎧であります。
芸術および芸術家といふものは、かれら自身にとつては大事な仕事であるものが、女性からは
暇つぶしに使はれるといふ宿命を持つてゐる。モーツァルトがどんなにえらからうと、
トルストイがどんなに天才だらうと、暇がなければ「戦争と平和」なんて読めたものではない。
芸術家といふのは自然の変種です。
角の生えた豚は、一般の豚から見れば、たしかに魅力的かもしれませんが、何も可愛い
わが豚娘に、わざわざ角を生やしてやるには及ばない。
三島由紀夫「反貞女大学」より

72 :
ある女は心で、ある女は肉体で、ある女は脂肪で夫を裏切るのである。
女性はそもそも、いろんな点でお月さまに似てをり、お月さまの影響を受けてゐるが、
男に比して、すぐ肥つたりすぐやせたりしやすいところもお月さまそつくりである。
愛から嫉妬が生まれるやうに、嫉妬から愛が生まれることもある。
ちやうど年寄りの盆栽趣味のやうに、美といふものは洗練されるにつれて、一種の畸型を
求めるやうになる。
…そして、さういふ奇妙な流行を作るのは、たいてい男の側からの要求であり、パリの
デザイナーもほとんど男ですし、ほかのことでは何でも男性に楯つくことの好きな女性が、
流行についてだけは、素直に男の命令に従ひます。
三島由紀夫「反貞女大学」より

73 :
清潔なものは必ず汚され、白いシャツは必ず鼠色になる。人々は、残酷にも、この世の中では、
新鮮、清潔、真白、などといふものが永保ちしないことを知つてゐる。
どんな浅薄な流行でも、それがをはるとき、人々は自分の青春と熱狂の一部分を、
その流行と一緒に、時間の墓穴へ埋めてしまふ。二度とかへらぬのは流行ばかりでなく、
それに熱狂した自分も二度とかへらない。
三島由紀夫「をはりの美学 流行のをはり」より
男にとつては生へぶつかつてゆくのは、死へぶつかつてゆくのと同じことだ。
三島由紀夫「をはりの美学 のをはり」より

74 :
学校をでて十年たつて、その間、テレビと週刊誌しか見たことがないのに、「大学をでたから
私はインテリだ」と、いまだに思つてゐる人は、いまだに頭がヘンなのであり、したがつて
彼または彼女にとつて、学校は一向に終つてゐないのだ、といふよりほかはありません。
三島由紀夫「をはりの美学 学校のをはり」より
美女と醜女とのひどい階級差は、美男と醜男との階級差とは比べものにならない。
美女は一生に二度死ななければならない。美貌の死と肉体の死と。一度目の死のはうが
恐ろしい本当の死で、彼女だけがその日付を知つてゐるのです。
「元美貌」といふ女性には、しかし、荒れ果てた名所旧跡のやうな風情がないではありません。
三島由紀夫「をはりの美学 美貌のをはり」より

75 :
手紙は遠くからやつてきた一つの小舟です。
三島由紀夫「をはりの美学 手紙のをはり」より
人生は音楽ではない。最上のクライマックスで、巧い具合に終つてくれないのが
人生といふものである。
三島由紀夫「をはりの美学 旅行のをはり」より
個性とは何か?
弱味を知り、これを強味に転じる居直りです。
私は「私の鼻は大きくて魅力的でしよ」などと頑張つてゐる女の子より、美の規格を
外れた鼻に絶望して、人生を呪つてゐる女の子のはうを愛します。それが「生きてゐる」
といふことだからです。
三島由紀夫「をはりの美学 個性のをはり」より

76 :
自然は黙つてゐる。自然は事実を示すだけだ。自然は決して「宣言」なんかやらかさない。
三島由紀夫「をはりの美学 梅雨のをはり」より
何も形の残らないもののために、勲章と銅像の存在理由があるのです。なぜなら英雄とは、
本来行動の人物にだけつけられる名称で、文化的英雄などといふものは、言葉の誤用だからです。
三島由紀夫「をはりの美学 英雄のをはり」より
悲しみとは精神的なものであり、笑ひとは知的なものである。
肉体関係があつたあとに、おくればせに、精神的恋愛がやつてくるといふことだつてある。
日本では、恋とは肉の結合のことであり、そのあとに来るものは「もののあはれ」であつた。
三島由紀夫「をはりの美学 動物のをはり」より

77 :
この本は私の年来愛読してゐる本で、面白い個所は何度もくりかへし読んだが、特に右の(寅吉がわが身の
宿命について言ふ)一節は山人天狗をそのまま「芸術家」と置き換へて読むほどに興趣を増すのである。
わけても「山人天狗などは自由自在があるといふばかり」といふ一行は美しい。ここに語られた天狗道の無償性は、
なぜ天狗が存在するか、なぜ存在しなければならぬか、といふ根本義に触れてゐる。天狗は人間とちがつて
空を自由に飛行(ひぎやう)することができる。こちらの峰からあちらの峰へ、月下に千里を飛ぶこともできる。
しかもこの超自然的能力は、それ自体が幸福でなければならず、彼には何か、世間普通の幸福を味はふ能力が
欠けてゐるのである。
これを裏から言へば、「自由自在」は羨むべき能力かも知れないが、本来市民的幸福には属さない。それは
生活を快適にする能力ではなく、日常生活にとつては邪魔になるもので、むしろそれがあるために日常生活は
円滑を欠くであらう。
三島由紀夫「天狗道」より

78 :
自由自在は詩的概念であつて、市民的自由とは別物である。精神がそのやうな無償の自由を味はふといふことは、
辛うじて芸術にだけ許されてゐることで、一般社会では禁止されてゐる。
しかもこの魔的に自由な精神も、たえず「人間の幸福」を羨んでゐるのである。
天狗がこんなに自在であるにかかはらず、人間の生活に本当に感情移入ができず、「その道に入りて見」ることが
できないのは、ふしぎと言はねばならない。
相手方への完全な感情移入の不可能といふ点では、天狗も人間も同等同質なのであり、そこに相互の羨望が生れる。
私にとつては、天狗におけるこの「人間的」限界が甚だ興味がある。天狗はこの点では、「饗宴」篇中で
ディオティマの語るエロスに似てゐるのかもしれない。
天狗の自在な飛行は、もちろん天狗道の使命に従つて行はれるが、人間の目からはこの使命は見えず、従つて
飛行自体が戯れと見える。
三島由紀夫「天狗道」より

79 :
寅吉はなほ人間時代の記憶を留めてゐるから、その戯れを人間的倫理で以て考察しようとするが、「善事か悪事か」
さつぱり分からないのである。
人間は楽でいい、と言つて羨んでみせるときの天狗には、もちろん多大のエリート意識があるが、そのエリート意識を
支へるものは、自在の飛行それ自体でなくて、日々種々の苦しい行である。これがなくては、天狗はたちまち
墜落して天狗でなくなる。
かくて天狗は、どうしても存在するために、日夜存在の努力を払ふ必要があり、このやうな存在学的努力は、
人間には本来不要なものである。
天狗にとつて人間は明らかに存在してゐるからであり、天狗のはうが分が悪いのは、或る人間たちにとつては
天狗は存在してゐる必要がないからである。
三島由紀夫「天狗道」より

80 :
ここにいたつて、天狗の存在の問題は、そのまま天狗の倫理になる。天狗にとつて、天狗はどうしても存在
しなければならない。それでなければ、天狗はマイノングのいはゆる存在外(アウセルザイン)にとどまるであらう。
そして天狗を存在せしめるものこそ、「日々種々」の苦しい行であり、その発現としての自在な飛行の戯れである。
後段の天狗たることの宿命について語られた一節では、その「我師」といふ一句に、川端康成氏の名を当てはめたい
誘惑にかられるが、それでは私も天狗の端くれを自ら名乗ることになつて、不遜のそしりを免れまい。むしろ、
目を泰西文学に放つて、たとへば「トニオ・クレエゲル」の美しく踊るハンスとインゲボルクの姿を、暗い
ヴェランダから硝子ごしにじつと見つめてゐる奇怪なトニオの鼻――それは又作者トオマス・マンの鼻――が、
しらぬ間に長々と伸びて来て、他ならぬ天狗の鼻に変貌してゐたりするところを、想像してゐたはうが無事かもしれない。
三島由紀夫「天狗道」より

81 :
音楽は生活必需品かといふと、人によつてちがふだらうが、私にとつては必ずしもさうではない。それは思考を
妨げるからだ。私には、音楽の鳴つてゐる部屋で物を考へるなど、狂気の沙汰としか思はれない。このごろの
青少年がジャズをききながら試験勉強をしてゐるのを見ると、私と別人種の感を新たにする。
では、音楽は休息の楽しみとして必要だらうか。私にとつては必ずしもさうではない。机に向かふのが仕事の私には、
休息とは、体を動かすことである。運動にはそれ自体のリズムがあつて、音楽を要しない。アメリカのジムなどで、
ムード・ミュージックを流してゐるところがあつたが、何だか運動に力が入らなくて困つた。
では、私にとつて音楽とは何なのだらうか。それは生活必需品でもなければ、休息の楽しみでもない。それは
誘惑なのである。
三島由紀夫「誘惑――音楽のとびら」より

82 :
むかし米軍占領時代に、家から三丁ばかり離れた大きな邸が接収されてゐて、週末といふと舞踏会が催ほされる
らしく、夜風に乗つてダンス音楽がかすかに流れてきて、食糧難時代の新米文士の仕事を攪乱したものだつた。
しかし、その音楽には、今そこにないものへの強烈な誘惑があつた。「今そこにないもの」を、音楽ほど強烈に
暗示し、そこへ向つて人を惹き寄せるものはない。もちろんただの幻である映画だつてさうかもしれない。
が、音楽のこの誘惑の力を借りてゐない映画はきはめて稀である。
「今そこにないもの」にもピンからキリまである。ピンは天国から、キリはつまらない観光的な熱帯の小島まである。
ピンは、人間精神の絶顛から、キリは性慾の満足まである。それに従つて、音楽にもピンからキリまであるわけだが、
かう考へると、音楽は生活必需品でなくても、人生の必需品、むしろその本質的なものとも思はれる。
「今そこにないものへの誘惑」にこそ、生の本質があるからである。
三島由紀夫「誘惑――音楽のとびら」より

83 :
蕗谷虹児氏の作品は幼ないころから親しんで来たものであるが、今度私の二十歳のときの作品「岬にての物語」を
出版するに当り、氏の画風ほど、この小説にふさはしいものはないと思はれたので、お願ひをして快諾を得た。
殊に口絵の百合の花束の少女像は、今や老境にをられるこの画家が、心の中深く秘めた美の幻を具現して
あますところがない。その少女のもつはかない美しさ、憂愁、時代遅れの気品、うつろひやすい清純、そして
どこかに漂ふかすかな「この世への拒絶」、「人間への拒絶」ほど、「岬にての物語」の女性像としてふさはしい
ものはないばかりでなく、おそらく蕗谷氏の遠い少年の日の原体験に基づいてゐるにちがひないこの美の
わがままな映像が、あたかも一人の画家が生涯忘れることのなかつた清らかさの記念として、私に深い感動を
与へたのである。
三島由紀夫「蕗谷虹児氏の少女像」より

84 :
アメリカのミュージカルも数多く、中には新派悲劇を歌入り芝居にしたやうなものもあるけれど、
「マイ・フェア・レディ」とこの「ウエストサイド物語」とは、文句なしに傑作であつて、日生劇場の初日は、
興奮の渦に巻き込まれたといつても過言ではない。もともと舞台のものであるし、乱闘シーンなど映画よりずつと
迫力があり、生きのいい魚市場で魚がはねあがつてゐるやうな趣があつて、刺し身好きの日本人には、この生の風味は
こたへられないものがあるにちがひない。
わたくしは一九五七年の初演も見てゐるし、一九六〇年にも見てゐるし、これで三度目だが、少しも飽きなかつた。
のみならず、つぎでどういふ曲どういふ歌どういふダンスが出てくるかわかつてゐながら、それがたのしみで
道具代はりのたびにワクワクした。これで見てもわかるとほり、なん年にわたるながい続演のシステムでも、
好きな人はなん度でも見にくるだらうことが想像される。
三島由紀夫「迫力ある『ウエストサイド物語』――初日を見て」より

85 :
(中略)
わたくしの好みでは、このミュージカルでもつとも小気味のいいのは、第一場の乱闘シーンやジムのダンス・
パーティーのシーンなどの群舞の場面と、女ばかりの「アメリカ」と男ばかりの「ジー・オフィサー・クラプキ」の
二つの歌である。とくにジー・オフィサー・クラプキのおもしろさは全編の白眉であつて、大宅壮一氏の社会時評の
最良のものを、歌と踊りで表現したやうなものだ。わたくしにはかういふ風刺的要素が、全編を貫流してゐないのが
ものたりないが、それはインテリの偏屈好みといふもので、恋物語の糖衣がなければ、ここまで成功しなかつたに
ちがひない。しかしなんとなく恋物語がよけいだといふ印象はおほひがたく、このミュージカルにかぎつて、
主役ふたりはいつも割りを食ふことになる。
現代の若者を扱つたミュージカルを作らうと思へば、共産中国を除いて、ほとんどの国の青年層は、アメリカ風の服装、
風習、言語動作に染つてゐるわけであるから、だれがどこでなにを作らうと、この本家本元の「ウエストサイド物語」に
かなふわけはない。
三島由紀夫「迫力ある『ウエストサイド物語』――初日を見て」より

86 :
サルヴァドル・ダリの「最後の晩餐」を見た人は、卓上に置かれたパンと、グラスを夕日に射抜かれた赤葡萄酒の
紅玉のやうな煌めきとを、永く忘れぬにちがひない。それは官能的なほどたしかな実在で、その葡萄酒は、
カンヴァスを舐めれば酔ひさうなほどに実在的に描かれてゐる。それならカラー写真の広告でも同じだと
云はれさうだが、実在の模写の背後に、あの神聖な、遍満する光りの主題があるところが、写真とはちがつてゐる。
その光りの下で、はじめてダリの葡萄酒はキリストの葡萄酒たりえてゐるのである。
吉田健一氏の或る小品を読むたびに、私はこのダリの葡萄酒を思ひ出す。単に主題や思想のためだけなら、
葡萄酒はこれほど官能的これほど実在的である必要がないのに、「文学は言葉である」がゆゑに、又、文学は
言葉であることを証明するために、氏の文章は一盞の葡萄酒たりえてゐるのである。
三島由紀夫「ダリの葡萄酒」より

87 :
Q――五社英雄監督の印象は?
三島:ぼくは、非常にこの人物が好きになつた。会つたのは初めてですけど、いい人です。映画監督特有の、
もつて回つたやうな芸術家気取りがない。そして好きなものは好き、きらひなものはきらひとして、なんら
映画界の権威を認めてゐない。自分の好きにとつちやふんだ。映画界からみれば、こんなに腹の立つ男はゐないと思ふ。
Q――映画に出演するといふこと、三島さんがおつしやつてる「行動」とか、「肉体」とかを結びつけると……
三島:世間では、みんな結びつけたがるから、何もかも結びつけちやふんだけど、ぼくは人間を、さういふふうに
一元的に統一しようといふのは、現代の悪い傾向だと思ふ。なるべく、ワクからはづれることが、人間にとつて
大事だといふ考へをもつてゐる。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より

88 :
たとへば、いちばん崇高でもあり、つぎの瞬間にいちばん下劣でもあるのが人間なんですよ。ぼくは、さういふ
人間を考へる。崇高なだけであつてもウソに決まつてゐる。また下劣なのが人間の本当の姿だ、といふ考へ方も
大きらひなんですよ。それは自然主義的な考へ方で、十九世紀に、ごく一部にできた迷信ですよ。人間は崇高であると
同時に下劣。だから、ぼくのことを下劣だと思ふ人があれば、それでもかまはない。ぼくの中にだつて、
「一寸の虫にも五分の魂」で、崇高なものもある。それを、ぼくは自分でぼくだと思ふ。
むりやりに結びつけて、論理的に統一しようつたつて、できるものではない。ただ思想的には節操は大切だと
思ひますけど、それと人間の行動の一つ一つ。つまり節操の正しい人は、どんなクソの仕方をするのか。いつも
まつすぐなクソがでてくるかといふと、そんなものぢやない。節操の正しい人でも、トグロを巻いちやふ。
節操の曲がつた人でも、まつすぐなクソが出るかもしれない。そんなこと関係ないですよ。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より

89 :
Q――かなり全共闘に共鳴するところがあつたんぢやないですか。
三島:それは共鳴するところもあるし、反発するところもある。自民党の人間と会つたつて、それは同じことだ。
Q――全共闘の立ち場を幕末でいふと……。
三島:幕末にはないよ。幕末は一人でやれなければいけない。みんなからだを張つてゐますね。一人でやれると
いふことは、サムラヒの根本条件ですよ。一人でやれるやつは、全共闘に一人もゐないぢやないですか。みんな
集団の力を組まなければ、何もできない。一人で連れてきて胸ぐらをつかんだら、みんなペコペコするだけですよ。
そんなのサムラヒぢやない。したがつて、明治維新に類型を求めることはできませんね。
Q――サムラヒといふことについて、もう少し詳しく説明をしてください。
三島:要するにサムラヒといふのは、一人でやれるといふことですよ。その精神だね。それしかないと思ふ。
外人の中で、よく全共闘を幕末の志士にたとへるやつがゐるんだけれども、とてもぼくは怒るんですよ。
とんでもない。精神が違ひますよ。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より

90 :
Q――文学者としての三島さんが、時務の文章を書くのは……。
三島:つまり文学といふものは、死んだものぢやない。生きて動いてゐるものだ。お茶器みたいに、きれいなものを
作つて、戸だなにしまつておくものぢやない。動いてゐるものだ。一方で、美しい文学を書くためには、喜んで
ドロ沼の中へ手を突つ込まなければダメだと思ふ。手を汚さないことばかり考へたんぢや、文学はダメになつちやふ。
たまたま病気でサナトリウムにはひつてゐる、といふなら、それはいいよ。運命だからね。
Q――その人にとつては、それがドロ沼の中に手をつつ込んだことになるわけですね。
三島:その人にとつてはさうだ。病気といふものはさうだらう。宿命だから……。だけど、からだが丈夫で、
生きて動いてゐる人間が、ドロ沼のそばを着物が汚れるからと、よけて通るのは作家ぢやない。ぼくはさう思ふ。
ドロ沼にはひつて、おぼれるかもしれないけれど、おぼれる危険を冒して、生きてゐなきや小説は書けない。
ドロ沼にはひつたとき、どういふふうに表現するか。人間だから考へますね。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より

91 :
それは、濾過されて文学になる部分もあり、いくら濾過しても文学にならん部分もある。ドロ水を飲料水にするための
濾過装置があるでせう。濾過装置の中で、残つたドロと飲料水になる水とあるけど、残つたドロがいらないもので、
捨てちやつていいものかといふと、ぼくはさうぢやない。それが現実なんだ。現実を避けることはできないね。
現実を避けて自分が象牙の塔に閉ぢこもるときには、象牙の塔の純粋性が保たれなければ死んでしまふ。
ぼくは、文学を象牙の塔だと考へてゐる。水晶のお城だと考へてゐる。それを大事にしておくためには、作家が
ドロ沼へはひらなければ、といふパラドックスがある。ぼくはさうだと思ふ。
三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より

92 :
男が女に化ける日本演劇の伝統様式を丸山はみごとに受けついでゐる。その伝統が時代に密着して花開いたのが
“丸山ブーム”の原因と考へる。女形は、わづかにかぶきのジャンルにみられるだけで、新派でも早晩衰徴して
いくだらう。そのなかで現代女形――丸山明宏の誕生は心づよい。西洋では“フィーメン・イン・パーソナリティー”
といふ完全な道化役者はゐるが、日本のやうな女形は、シェークスピア時代からさびれた。だから女形は日本の
ほこりで、女形がなくなったらかぶきは消えてしまふとさへ断言できる。
中村歌右衛門でもさうだが、丸山には女形特有の我の強さ、意思の強さを猛烈に持つてゐる。よくいへば
根性があるといふのか……。それだから彼の可能性は、まだまだ発掘されるにちがひない。
三島由紀夫「可能性はまだまだ――現代の女形―丸山明宏」より

93 :
私は「擬制の終焉」から、はつきりと吉本氏のファンの一人になつたが、読みながら一種の性的興奮を感じる
批評といふものは、めつたにあるものではない。読者は観念の闘牛場の観客の一人になつて、闘牛士のしなやかな
身のこなしと、猛牛の首から流れる血潮に恍惚とする。
本書に収められてゐる批評の傑作「丸山真男論」をはじめ、氏の批評には、認識の運動が逞しく働らいてつひには
赤裸々な現実の真姿が現はれてくるときのスリルが充満し、三文小説でイカモノの現実ばかりつかまされて
困つてゐる人は、吉本氏の著書を読むがいい。それでゐて、氏の批評には、かよわい美食家など到底及ばぬ
文学的グルメの犀利な味覚がひらめいてゐる。谷崎潤一郎の「風癲老人日記」の末尾のカナ文字日記体を、
長歌に対する反歌の役割だ、といふ卓見などそのほんの一例である。
三島由紀夫「吉本隆明著『模写と鏡』推薦文」より

94 :
日沼氏と私は、ほとんど死についてしか語り合はなかつたやうな気がする。氏は、今から考へれば死の近い人特有の
鋭い洞察力で、私の文学の目ざす方向の危険について、掌(たなごころ)を斥すやうによく承知してゐた。
氏は会ふたびに、私に即刻自することをすすめてゐたのである。もちろん買被りに決つてゐるが、氏は私が
今すぐ自すれば、それはキリーロフのやうな論理的自であつて、私の文学はそれによつてのみ完成する、と
主張し、勧告するのであつた。その当人に突然死なれた私の愕きは云ふまでもあるまい。電話で訃音に接したとき、
咄嗟にその死を、私が自と思ひちがへたのも無理はあるまい。しかし病死であればあるほど、生きてゐる同士なら
酒間の冗談でも済ませられるものが、済ませられなくなつたといふ重荷は私の肩に残る。いかなる意味でも、
それは冗談ではなくなつたのである。
三島由紀夫「日沼氏と死」より

95 :
氏といへども、もちろん私について誤解はしてゐた。私が文学者として自なんか決してしない人間であることは、
夙に自ら公言してきた通りである。私の理窟は簡単であつて、文学には最終的な責任といふものがないから、
文学者は自の真のモラーリッシュな契機を見出すことはできない。私はモラーリッシュな自しかみとめない。
すなはち、武士の自刃しかみとめない。そんな男に、文学者としての「論理的自」をすすめてやまなかつた氏は、
あるひは私を誤解してゐたのかもしれないが、あるひは実は、私なんか眼中になく、私に託して、自らの夢を
語つてゐたのかもしれないのである。人からきいた話だが、ある雑誌の「私のなりたい職業」といふ問ひに、
「隠亡」と答へた氏であつたさうである。
三島由紀夫「日沼氏と死」より

96 :
近代日本文学史において、はじめて、「芸術としての批評」を定立した人。
批評を、真に自分の言葉、自分の文体、自分の肉感を以て創造した人。
もつとも繊細な事柄をもつとも雄々しく語り、もつとも強烈な行為をもつとも微妙に描いた人。
美を少しも信用しない美の最高の目きき。獲物のをののきを知悉した狩人。
あらゆるばかげた近代的先入観から自由である結果、近代精神の最奥の暗部へ、づかづかと素足で
踏み込むことのできた人物。
行為の精髄を言葉に、言葉の精髄を行動に転化できる接点に立ちつづけた人。
認識における魔的なものと、感覚における無垢なものとを兼ねそなへた人。
知性の向う側に肉感を発見し、肉感の向う側に精神を発見するX光線。
遅疑のない世界、後悔のない世界、もつとも感じ易く、しかも感じ易さから生ずるあらゆる病気を免かれた世界。
一個の野蛮人としての知性。
一人の大常識人としての天才。
三島由紀夫「小林秀雄頌」より

97 :
Q――あなたはブルジョアですか。
三島:日本にはブルジョアはゐない。サムラヒの末裔と百姓の末裔と商人の末裔だけだ。私は血すぢでは百姓と
サムラヒの末裔だが、仕事の仕方はもつとも勤勉な百姓であり、生活のモラルではサムラヒである。
Q――あなたはまじめですか。サルバドール・ダリに近いと思ふか。
三島:何ごとにもまじめなことが私の欠点であり、また私の滑稽さの根源である。ダリは少しも滑稽ではない。
彼は崇高である。
Q――あなたは連帯的ですか、孤独を好みますか。あるひはこの両極端の間に平凡とは思はれない中庸がありえますか。
三島:孤独と連帯性は決して両極端ではない。孤独を知らぬ作家の連帯責任など信用できぬ。われわれは水晶の
数珠のやうにつなぎ合はされてゐるが、一粒一粒でもそれは水晶なのだ。しかし一粒の水晶と一連の数珠との間には
中庸などといふものはありえない。バラバラだからつなげることができ、つながつてゐるからこそバラバラになりうる。
三島由紀夫「フランスのテレビに初主演――文壇の若大将 三島由紀夫氏」より

98 :
「友達」は、安部公房氏の傑作である。
この戯曲は、何といふ完全な布置、自然な呼吸、みごとなダイヤローグ、何といふ恐怖に充ちたユーモア、
微笑にあふれた残酷さを持つてゐることだらう。
一つの主題の提示が、坂をころがる雪の玉のやうに累積して、のつぴきならない結末へ向つてゆく姿は、
古典悲劇を思はせるが、さういふ戯曲の形式上のきびしさを、氏は何と余裕を持つて、洒々落々と、観客の鼻面を
引きずり廻しながら、自ら楽しんでゐることだらう。
まことに羨望に堪へぬ作品である。
かういふ純粋な作品については、あまり暗喩に心をわづらはされぬはうがいいだらう。連帯の思想が孤独の思想を
駆逐し、まつたくの親切気からこれをしてしまふ物語は、現代のどこにでもころがつてゐる寓話であるが、
この社会的連帯の怪物どもは、日本的ゲマインシャフトの臭気を放つことによつて、一そう醜く、又、一そう
美しくなる。大詰の幕切れの、光りを浴びて次の犠牲を求めに出発する家族像は、ほとんど聖家族の面影を
そなへてゐる。
三島由紀夫「安部公房『友達』について」より

99 :
これは動いてゐる小説である。動いて、動いて、時々おどろくほど鮮明な映像があらはれながら、却つて現実の謎は
深まつてゆく。たえざるサスペンス、そして卓抜な会話が社会の投影図法を描き、犯罪の匂ひと、尾行と襲撃と、
……その結果、イリュージョンがつひに現実に打ち克ち、そこから見た現実自体の構造が、突然すみずみまで
明晰になる。ラストのモノロオグが、この小説の怖ろしい解決篇であり、作品全体の再構築であるところに、
一篇の主題がこもつてゐる。失踪者の前にのみ、未来が姿をあらはすのだ。安倍氏がその小説の中に、会話の天才を
みごとに活かし、「砂の女」よりも「他人の顔」よりも、はるかに迅速に疾走してみせた小説である。
三島由紀夫「安部公房著『燃えつきた地図』推薦文」より

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