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2011年11月2期49: 【東洋の】女子オリンピックの歴史を語る【魔女】 (617)
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【東洋の】女子オリンピックの歴史を語る【魔女】
- 1 :名無し@チャチャチャ:2009/10/05(月) 00:41:08 ID:EBHUvHUC 〜 最終レス :名無し@チャチャチャ:2011/11/21(月) 21:17:55.65 ID:kV0s2M4r
- 女子バレーボール全日本のオリンピックの歴史を語りましょう。
1964年(東京)−1位
1968年(メキシコシティ)−2位
1972年(ミュンヘン)−2位
1976年(モントリオール)−1位
1980年(モスクワ)−ボイコットにより不参加
1984年(ロサンゼルス)−3位
1988年(ソウル)−4位
1992年(バルセロナ)−5位
1996年(アトランタ)−9位
2000年(シドニー)−OQT敗退
2004年(アテネ)−5位
2008年(北京)−5位
2012年(ロンドン)−??位
2016年(リオデジャネイロ)−??位
- 2 :
- 類似スレがあるけどこっちじゃダメだったのか?
【あの頃は】女子バレー昔話 第1話【よかった】
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/volley/1253088261/
- 3 :
- 俺的に日本の弱体化の原因となったのはソウルオリンピックだと思う
粘り弱さ踏ん張り弱さが染み付き現在にまで至る
- 4 :
- >>3
ソウル五輪落選した斉藤真由美おばちゃんね?
- 5 :
- ソウルは十分頑張ってたと思う。
ソ連には勝ったし、ペルー相手によく粘ってた。
荒木田さんも言ってたけど、ペルーは日本よりずっと完成度が上。
ストレート負けしてもおかしくない相手。よく頑張ってた。
- 6 :
- 中田はペルー戦は私たちの勝ち試合だったと言ってたな。
糞審判に負かされたってw
- 7 :
- バレー板も高齢者の書き込みが増えてきたな。
- 8 :
- オジサン達キモい
- 9 :
- ようつべで初めて見たがソウルのペルー戦は完全に勝ち試合
中田のトスと杉山の攻撃がひどい
- 10 :
- >>2
そこは実質的に あだしさん専用のスレになってますからw
- 11 :
- モスクワに出場していたら、金をとれていたのでは?
- 12 :
- 中国、米国もボイコットしてたからね。
当時、既に米中には押され気味だったから微妙。
- 13 :
- 東京大会がちょうちんブルマーでメキシコ大会からピッタリしたブルマーに
なった。そして二十一世紀に入ってボクサーになっちゃった。(^^:
- 14 :
- ハイソックス+長袖シャツをやめたのはいつ頃からですか?
- 15 :
- あげ
- 16 :
- >>2
そっちのスレは気持ちの悪い変なオカマが住み着いてるから
普通の人は書き込みする気が起きない。
- 17 :
- 長袖の前は、半袖のシャツでやっていたよね。東京オリンピックやサインはV
とかアタックbPの頃は。下はちょうちんブルマーからぴったりブルマーに進
化しても変わらなかった。それを長袖にしたのは、レシーブの時の衝撃をやわ
らげるためとか言っていなかったっけ。実際アザとか出来そうだし。
- 18 :
- >>17
>>14です。ご返信ありがとうございました。
なるほどです。
- 19 :
- >>9
その通り
>>11
あのときの出場チームならね
しかし日本が出場するならアメリカや中国も出ている
ということになる。そうだとしたらかなり厳しい
79年12月のアジア選手権以降83年アジア選手権まで日本は中国に
勝ててなかったから 及びこの頃からアメリカにも勝てない試合が多かったから
77-79年頃はキューバが本当に強くて80モスでは日本はキューバ打倒一本でやって
来て80年の春の南米遠征ではそのキューバと互角以上の試合をしたが
実はこの頃のキューバは落ち目で世界一の実力チームは中国だった。
優勝したソ連には勝てただろうが
- 20 :
- ソウルはペルーにさえ勝っていれば金か銀…
バルセロナは勝てるチームじゃないからしょうがないが
あのペルー戦が悔やまれるな
シドニーのクロアチア戦と同じ感じだ
- 21 :
- ペルーは、日本人の監督が育てちゃった。最近ではシンクロでも同じことや
っている。
- 22 :
- 日本人よりいい素材なんだろうね、どのチームの外国の選手も
そりゃそうよね
体格を見れば一目瞭然
背は高いし腕も長い
跳躍力もあるし
- 23 :
- ペルーを指導したのは加藤さんだったね。
- 24 :
- アトランタはなぜ勝てなかった?
中村とかいらなくないか?
- 25 :
- アトランタのメンバーって不可解すぎ。
山内、佐伯、大懸、中村、星野、坂本、レフトが6人。まったく意味不明。
スタメンがレシーブのいい佐伯に大懸だし、中村は確かに不要。
星野はワンポイントブロッカーとして起用されていたけど、
星野ってブロック良かったっけ?
坂本も国内じゃ攻守にバランスのとれた選手って感じだったけど、
世界レベルじゃ攻守とも物足りないって感じ。
もっともバルセロナ以降毎年監督交代、日立騒動もあったし、
ある意味この時期の選手は可哀想でもあったけどね。
- 26 :
- もうその頃はだれが全日本に選ばれても50歩100歩、だったということだけ
なんじゃないのかな
これの逆は、76モントリオールの頃だった
会田や永木に富士の須藤を代表にして入れても良かったもんね
江上をベテランの飯田の所に入れても良かったけど、76.4月入社でいきなり代表
というのは、少し早いかな
というだけで外れた感じだ
この時は前年に引退した飯田さんを山田監督が説き伏せて全日本のキャプテンとして
入れたくらいだから飯田を外してというのは考えられなかったが。
では矢野や加藤や高柳を外して、というわけにもいかなかった
なので江上はまだモスクワやロスもある、ということで代表候補にもならなかったという事
強いときってこんなもんよね
こんなのも80年代からなくなった
つまり、日本の女子は1980年以降は弱かった、ということです。
大懸だ、坂本だ、星野中村だってレスとてつもなく気色悪いっすっ
ついでに益子がどうしたってのもやめて欲しいっすっ
まだ、真方や北井のがいいwwww
大懸、坂本、中村、益子あたりって一番中途半端なのよね
- 27 :
-
>>26
おじさん、気持ち悪い。
- 28 :
- 監督がどの選手を選ぶかってのは本当に難しい問題ですね
昔からどうしてこんな子を選んだのかしらってのはあった
あだしが一番そう感じたのは
78世の時に山田監督がユニチカの石川を選んだときだった
あの時は人材不足だったから仕方がなかったのかな
とも思うのだけど
それにしても、だった。
石川は172とかのセンターで国内のそれもユニチカの小川とのコンビだけしか
知らない23-4の選手だったからね。
将来性がある選手でもなければ、全日本の経験もない、只の普通の選手だった
あだしなら富士の池知あたりを選んだな
石川はとにかく中途半端だった。
樹理の心の支えとして選んだ、としてもね。
- 29 :
- 確かにソウルはペルーに勝ってればメダル確定で、決勝の相手は予選で勝って当時相性が悪くなかったソ連だけに、もしかしたら金も行けたと思われがちだが、
東ドイツに惨敗したり、中国には全く歯が立たないチームだっただけに4位は妥当な順位だったのかもね。
- 30 :
- 東ドイツ戦は準決勝で中国と当たるのを避けるためにわざと負けという説もあるよ。
中国にだけは異常に弱かったからね。
- 31 :
- そんな余裕はないでしょ。
韓国に負ける可能性もあったし、東ドイツがソ連に勝つ可能性もあった。
東ドイツは86年世界選手権でも87年ヨーロッパ予選でもソ連に勝ってたしね。
東ドイツを過小評価してる人が結構いるけど、
当時、中国、ペルー、アメリカの監督は東ドイツ>日本って評価だったし、
日本にとってはソ連よりやりにくい相手だったはず。
- 32 :
- なんでこいつここにもいるんだよ
- 33 :
- >会田や永木に富士の須藤を代表にして入れても良かったもんね
適当に書いてない?
永木なんて日立でも補欠だったし
須藤も当時は未熟もいいところ
- 34 :
- 78世で山田監督はなぜ石川を代表に選んだのか、について語りましょうwww
これってとても奥が深いことだとあだしは思うのだけど。
- 35 :
- あなた邪魔だから来ないで
- 36 :
- あだしの書き込みはとても役にたってるくせにwww
照れ隠ししないで素直に喜びなさい。
- 37 :
- 78世の話題、74世の話題、ミュンヘン日本男子の身長の話題になると
どうしていつもこんなに暗くなるのかしらね。
何もお話できないじゃないの
たぶん、86世の事や84ロスに88ソウルもダメだと思うけどwwww
可哀相ね、ミュンヘン♪
- 38 :
- 須藤さんはあのときは社会人2年目でまだ全然キャリアがなく
ダメだったけど白井や前田がいる強いうちに全日本を経験させておく
必要があったのではなかったのか、とあだしは思うわけなんですよ。
将来のためにね
それになんといっても178の身長とあのパワーは魅力的だった。
結局はモスクワ前に引退してしまって中途半端な終わり方だったが
年功序列、計算のできる選手を選んでいるよりも日本のためになったと思ったな。
>>36
下手糞wあだしさんはそんなときはこう言うのです
↓
本当はとっても勉強になってるくせに
あだしは、ダッさいガセビアとは違うんだから
- 39 :
- ソウル五輪の時の全試合のスコア教えて下さい
- 40 :
- そのうちに
- 41 :
-
ここ異臭がするわね。
- 42 :
- 40才以下の子たちにはこの匂いは悪臭になるのかしらね
あだしにとってはいい香りに思えるのだけど
フローラルって感じなのよね
フローラル
ってどんな意味があだしは知らないけれど
- 43 :
- トリビアとか言ってる人って、未だにフィーバーしている感覚なんだろうね。
ご機嫌でイカスあだしはトリビアでフィーバーって感じ?
- 44 :
- あだしは昔からそのまったく逆にいた人間だったけどね
同世代のだっさいバレーファンを横目でばかみたい、といった風に見ていた。
1975年頃から日本の男女はあと2-3年もすればメダルが簡単には取れなくなるのだろう
と思って観ていた。
だからこの板であだしと同じ歳か少し上の世代の人間らが、益子とか佐藤志保とか平気で
書いてるのを見ると鳥肌が立ち気持ち悪くなる。
だってそいつって偉そうに色々書いてるわりには何も知らないんだもん
だからあだしが色々そいつに教えてあげてるわけなんですがね。
なのにこのあだしに向かって、上から目線だとか、コミュニケーションがとれないとか
生意気な奴だとかって言ってくるんですよね。
あだしから言わしめれば、その人間を下から見上げられないからそうしてるだけなんだけどね。
コミであだしはやってるだけでもないし、そういうことね。
それにそいつはあだしに憧れているからか、すぐにあだしの口調を真似て、
さもあだしが自演しているんだ、みたいに見せかけたりするし。
まぁこんなのもあだしが実力者だから仕方がない事なんだと最近は
覚悟してるからいいけどね、それにしても馬鹿野郎だわねwww
- 45 :
- このあだしと言う爺さんは練習見学してたってだけだから話はマジでつまらん。
80年代の全日本選手と親しい人がバレ板に来てた時は一瞬盛り上がったけど、
練習見学爺さんじゃさっぱり盛り上がらないね。気持ち悪いだけw
- 46 :
- ああ、いたね。
大谷と一緒にやった事があるよ、大谷は一見太っているように見えて、あれは筋肉なんだよね
と言っていたフカシのヲカマが。
やったって言ったって何を一緒にやったんだかwww
スーパーで買い物か
よくもまぁこんなこっぱずかしいことが書けたもんだとあだしは思ったね
いい加減にすればいいのにね
全然盛り上がらなかったわよ。。。。
飽きてあきれて、という感じだった
くやしけりゃ、盛り上がったとこ証拠にこの下に貼ってみぃ
↓
- 47 :
- 大谷?なんの話?
その人は大林や吉原、永富と親しいとか言ってたよ。
だいたいそのスレにあんた来てなかったじゃんw
- 48 :
- あだしが知ってたのは大谷さんだけだったわけなんですよ
- 49 :
- 要するに「あだし」とか言ってる人は、頭のおかしいキモイ人なんですね。
分かります。
- 50 :
- アテネの5位はどうかと思うが。(中国、ロシア、アメリカ、ドミニカ、キューバ、ドイツ)の死のグループに日本が入っていれば日本は間違いなく予選敗退だった。ギリシャとケニアに勝って、韓国に負けたお粗末な大会だったからね。実質10位でしたね、アテネは。
- 51 :
- メンバー的には北京よりアテネだな
北京は控えの層が薄すぎ
- 52 :
-
あだしとか書いてるおじさんって、血液型B型で独身、身長158センチの58歳?
- 53 :
- あだしなる人物は45才、178cm、イギリス人との合いの子。
ロス五輪当時、中国チームの張蓉芳の分析を担当する元全日本スタッフ、
だったと本人は語っていたが、嘘だとばれてしまう。
その後も元全日本監督山田が故人なのをいいことに山田の茶のみ友達を自称するが、
これも大嘘w
山田にファンレターを送ったり、日立体育館に通い詰めたりしていただけで、
実際は果てしなく気持ちの悪い基地害ストーカーだっただけ。
和服姿の山田が掲載された雑誌を今も宝物のように保管してるらしい。
そう、こいつホモなんですよw
高校時代に中年男と3年間文通するも失恋したこともあるらしい。
こいつの正体はホモでアスペルガーでストーカー。
- 54 :
- >>53
イギリス人とのハーフ(クォーター?)ってまじ?
ソースあんの?
- 55 :
- >>54
本人がそう言ってた。
当然、基地害の言ってることだから信用はできないけどね。
- 56 :
- >>50
いずれにせよ日本は20世紀の終わりからずっと世界Cクラスであるということですね。
つまり世界ランキング10位前後ということ。大会によって、グループ分けその他で
うまいこと上位進出できる場合もあって5位以内になることもなくはないが、世界トップ
ベスト20位が総当り方式で戦ったら12-3位になるのではないのか。この場合、ベスト5のチームにも
1つくらい勝てるかも知れないが、15位以下のチームに全て負けることもありえる。
そもそも日本は世界ベスト20位にも入ってないかも知れないが。
日本が強かったときは、本当の意味での敵は1チームか2チームだけだったが、5位以下の成績を取るようになった
頃には敵は世界に10チーム以上あったからね。
つまり世界5位ということは下手すれば(しなくても)世界20位もありえるということ。
数字だけ見て5位だからあと少しで銅メダル、だなんて考えるのは素人だと言う事。
- 57 :
- あだしさんって気持ち悪い。。。
- 58 :
- 1962年〜1978年まで日本は1位か2位で敵はソ連のみだったが1977年頃からは急速に中国とキューバが台頭してきて1977年wcの予選で中国に負けた。(この頃からあだしが予想した通りになって来た)
1978年〜1984年までは、日本は2位から4位の実力で敵は中国とアメリカ。しかし他にもソ連、キューバ、ペルーそれに韓国もあった。
1985年〜1988年までは、日本は3位から8位の実力でこの頃は中国には全く勝てなくなっていた。そしてここいらからブラジルが台頭してきて現在に至る、ということになるのか。
1989年以降現在までは、毎年天敵が2つづつ増えているという感じですね。で、現在は世界10位前後の実力になるのか?
そのうちケニアにも負けると思う。オリンピックの出場権を獲得するのもかなり厳しい状態だ。
- 59 :
- ケニアに負けることはありえないよ
あのチームは絶頂期は98年世界選手権
- 60 :
- そんなことをかつて言ってたがどんどん追い越されてきた全日本女子バレー
1972年頃、中国やキューバに負けることはない、1977年に中国とキューバに負けたよ
1976年頃、アメリカに負けることはない、1979年頃よりアメリカが常に優勢
1980年初頭、ブラジルやイタリアに負けることはない、1986世でブラジルに負けたし、イタリアにも1990年頃からは簡単に勝てなくなってる
タイや台湾に対してもつい最近まで負けることはない、しかしどうかな?
魔女という言葉が似合ったのは1976年までのこと
せいぜい1984年までだとあだしは思う
- 61 :
- あと5年もしたらアジア選手権で日本は1勝もできなくなる、なんて事はないよなwww
けど、どうなるかは、神のみぞ知る!!
- 62 :
- さすがにアフリカ勢の女子に負けるのはありえませんから。
どんだけ弱いと思ってるの。
- 63 :
- けど数年前の試合でケニアとやったとき、15点くらいとられたセットがあったよね
1983年に日本の福岡で行われたアジア選手権では台湾に3セットとも2-3点しか与えなかった
んだよね。
だけどルルルル〜ルルル〜ル〜ル♪
当時は解説で生沼さんが、台湾チームは日本の高校生レベルですね、とか言っていたんだよ
あだしはどこの国も安心できないんだわ
- 64 :
- ああそうそう1974メキシコ世界選手権では13位の中国と戦ったが
日本はその中国に1、3、4点で勝利した。
で、この大会で10年ぶりに優勝して76年の五輪と77wcで3冠を取ったものの
>>60の通り中国には予選で1-3で負けた。
そしてその年の春に行われた日本−キューバ戦ではキューバと2勝2敗だった。
だからあだしは、3冠3冠なんてバカみたいに浮かれてなんかいられなかったね。
中国とキューバに決勝リーグでボコボコにされて早く日本の女子バレーは弱かった
のだと、バレー関係者やマスコミや国民が気がつけばいいと思って観ていたんだね。
あだしは当時中2だったのだけど、学校へ行くとバレー素人のクラス仲間があだしに
駆け寄って来て、『日本優勝したね、よかったね』とか言ってた。
あだしはそんなん聞いて、こいつらばっかじゃねーの、と思っていたね。
そんなことよりキャンディーズがもうすぐ解散してしまうって、焦ってた。
アンドゥトロワ♪と罠を聴くと77wcのあった秋を思い出す。
- 65 :
- サイドアウト制と現代バレーはまったく別物。
- 66 :
- 76年頃に日立に来ていたアメリカチームが日立チームと練習試合をしているのをあだしは
その場で観ていたんだが、当時のアメリカは各セット3点くらいしか取れなかった。
なのにその2年後の78世では日本から2セットも取った。
フルセットでもつれた試合だったということですね
日本の辛勝というやつ
中国にもアメリカにも数年で日本は追いつかれてその後あっさりと追い越されてしまった。
いつまでも余裕ぶっこいてるからなんだよ
ということです。
- 67 :
- シドニーの悲劇はどうお思いで?
- 68 :
- 悲劇?
- 69 :
- シドニーは仮に出場しても予選敗退
- 70 :
- ブラジルがあんなに強いのが不思議
どういう強化してんだろ
- 71 :
- ソウル五輪は学校で昼飯食いながら観てたわ
予選でソ連にフルセットで勝ったのは忘れられん
- 72 :
- ブラジルはインドア以前からビーチバレーの人気があって底辺が広い。
インドアもサッカー程ではないがそこそこ人気があり、バレー選手が
CMに出ていたりする。ある意味では日本より底辺広い。
- 73 :
- あだしはあの試合は職場にあったテレビでひとりで観ていた記憶があった
職場の経営者はいつも夕方にならないと事務所に来なかったから堂々と
灰皿とお茶をテーブルに置いて観戦していたね
経営者もあだしがバレーファンであることを知っていてあだしがその試合を
観ていることなど分かっていたから、夕方オフィスに来た時は
『いい試合だったな、観ただろう』とあだしに言ってたよwww
自宅で観てから経営者は来たのね
あの頃は昭和天皇が重篤だったから、テロップに何度も『天皇陛下、容態悪化』
と出ていた。
「ソウルオリンピック中継の途中ですが・・・・」も多かった。
で、あの試合のときはあだしは朝にビデオの録画予約をして家を出たのだが、予定時刻より
少しだけ早く放開始になったせいで1セット目がカットされてしまったんだよね
NHKだったかな
オギエンコがピンクのバンダナを巻いていたな
- 74 :
- おばさんwww
ソウルの藤田はどうだったの?控えの山下は出たの?
- 75 :
- あの173の低身の割にはまぁまぁ頑張っていたんではないかなぁ〜
左藤伊知子も168でレフトだったしね
杉山が180あったけど今一頼りない選手だった。
山下は162?164だったっけ
本当にあのときの人選は狂ってたね
というか大きいレフトの選手は全滅だったからね
大谷、宮島、梅津に小高
みーんなまとめて使えなかった。
160台170そこそこなんてメキシコ五輪のときよりもちっさいのではないのか、
とあだしは思ってたよ。それが大きい選手好き、新しい者好きの山田監督が
ちっさいのをこれだけ選んだわけだから。
- 76 :
- あだしがバレーを見始めたのはソウル五輪あたりからだけど、
その頃日本が中国になかなか勝てなくてくやしかったね。
李月明、李国君なんかが居た頃だよ。
あだしが見た試合で中国に勝ったのは一度だけ。
米田一典が監督やってて大林素子、佐藤伊知子、福田記代子、名取知恵、鈴木晶子あたりがレギュラーだったね。
対する中国は許新、座丹、李国君、頼亜文、蘓立群(セッター)、周紅なんかが居たね。
その試合の解説は山田重雄と荒木田裕子。久しぶりに中国に勝って荒木田が喜んでたね。
セットカウント3-1だったけど、第1セットは日本が15-1と圧倒的展開、
逆に第2セットは1-15と中国が圧倒。第3第4セットは接戦だったよ。
- 77 :
- >>76
ちなみにこの試合があったのは織田裕二の永尾カンチ、
鈴木保奈美の赤名リカ「東京ラブストーリー」最終回放送日に近い日付だったよ。
当時、あだしは小学校6年生だった。東京ラブストーリー最終回も、
日本が中国に勝った試合も、あだしは泣いたね。泣いた泣いた。
- 78 :
-
>>76
その試合って1990年のワールドトップ4という大会でしょ
坂本清美とかが出ていたね。
福田が活躍した試合でもあった
解説をやっていたのが山田重雄で
2セット目にその山田が
「この試合、3-1で日本の勝ち」と言った。そして当たった。
もしかして八百長?とかってあだしは思いましたぜ
だって1983年のアジア選手権以来だったんだもの、日本が中国に勝てたのは
そのアジア選手権のときだって4年ぶりだったから10年間以上もほとんど日本は
中国に勝ててなかったということでしたからね
- 79 :
- 80年代は1回
90年代は3回しか中国に勝ててないのよね。
- 80 :
- 日立の石田、武内のセンターがいた全日本はいつ?
あと、江上が丸山で復帰した時の対角はユニチカの松下?
- 81 :
- >>80
上→85WC
下→87年頃、廣さん
- 82 :
- 上、ありがとうございました。ちなみに松下が全日本にいた頃はいつだったのでしょう?
- 83 :
- >>82
90年頃
- 84 :
- 松下が全日本選ばれた時は感動しました。なんせあの頃は有力新人は日立やダイエーに取られてた時代でしたから。
ユニチカもようやく180越えの選手が入ったと思ったら無名だし、下手くそだし……。けど、日本リーグでブロック賞受賞してようやく全日本入りした松下。さすがに世界には全く歯がたちませんでしたが。ユニチカの低迷時代を支えた一人だと思ってます。
- 85 :
- あら、そうだったかな
日本リーグでは松下さんはあんまり目立たなかったけど国際試合では
まぁまぁやるやん、とあだいは思いましたがね
もっと早く全日本に入れても良かった選手だったと思ったぜ、あだしさんは。
- 86 :
- 松下が全日本に選ばれたのは89年だけ。
90年は塩田が選ばれてましたが世界選手権前には外れてた。
89wcでは松下はスタメンで頑張ってましたね。
宗内監督が中田に「松下と川瀬のどっちでいく?」と尋ねたら、
中田は「ウルさんで」と即答したらしい。
- 87 :
- >>86
89WCは同じユニチカの樫野も頑張ってたね。
- 88 :
- >>82
タラコスパさんでしょ?
- 89 :
- ウルって松下?
- 90 :
- >>89
そう!!元ユニチカのキャプテンで
今じゃコアフィットの発案者として注目されてる
気鋭のアスレチックトレーナーだよ現姓稲葉さんです。
- 91 :
- ヲカマの今井の自演って本当にいつもつまらんな
- 92 :
- ほら、やめた。
意気地がないのね、ヲカマの今井さんは
- 93 :
- 松下は良かったよ 中西に年上なのに怒られていたけど…引退後も大学行ったりアメリカ?いったり。向上心があった。でもあの時代のユニチカが一番好きだった。
- 94 :
- あの頃はエリート集団日立に、エリートではないにしろ素質ある選手を大量に獲得したダイエー、大学出のNEC、高校で活躍した選手が日立を選ばずに入社したヨーカ堂の中でユニチカは選手揃えるのに苦労した時代じゃないかな。
- 95 :
- 川瀬は伸びなかったね。
竹下に打たされてる宝来を見てると、中田に打たされてた川瀬を思い出す。
江藤や江越の方がブロックが良かった分、川瀬より使えたね。
- 96 :
- 樫野、松下、中西らがいたときのユニチカって本当に田舎臭かったね
大昔からユニチカは田舎臭い、芋臭い感じがするチームだったけど
平成に年号が変わっても相変わらずだなってあだしさんは当時思ったものだった。
- 97 :
- ユニチカは黒鷲旗になると強かったね。地元開催だし、準決勝で強豪日立を破りそのまま優勝したときは感動した。なにより応援団はチームを愛していたのがよく伝わった。その日立破った試合は応援団の人泣いていたもん。
- 98 :
- ユニチカは守備のチームなんだけど攻撃型のチームだった日立の攻撃を一旦
拾いだすと勢いづいてどんどんポイントを重ねていきチームも応援団も
盛り上がってラテンバレーみたいになることが多かった。
そう、82世の日本−ペルーの試合でペルーが勝ったのとか88ソウルでペルーが日本に
粘り勝ちしたときみたいな勝ち方なんですよね。
反対に日立の勝ちパターンはいつも先行逃げ切りだった
つまりあまり逆転勝ちというのはなかった。
- 99 :
- 川瀬のプレーを見たいんだが、youtubeで動画ないかな?
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