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2011年11月2期26: 1979年の新日本プロレス (812) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼

1979年の新日本プロレス


1 :お前名無しだろ:2009/09/13(日) 22:56:51 ID:l/oLu+Gq0 〜 最終レス :お前名無しだろ:2011/11/21(月) 23:40:37.06 ID:jHKkKjuG0
ローラン・ボック来日中止

2 :
関連スレ
1978年 http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/wres/1251844873/
1980年 http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/wres/1246503455/
1981年 http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/wres/1246755470/
1982年 http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/wres/1248943092/
1983年 http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/wres/1246722420/
1984年 http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/wres/1243768593/
1985年 http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/wres/1248601584/
1986年 http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/wres/1247844991/
1987年 http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/wres/1250444859/
1988年 http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/wres/1249701736/

3 :
>>1
乙!

4 :
この年の上田は国際が主戦場だったな

5 :
この年はオールスター戦。 第二回MSGでハンセンがブレイク。
闘魂シリーズに全米一の人気者ローデス登場。
猪木、日本人初のWWF奪取なんかが印象的だな

6 :
小さな巨人・グラン浜田の帰国もこの年

7 :
稲川を応援しているし青春をぶつけています。生きています。以上

8 :
稲川を応援する人は死んだのかな♪

9 :
>>8
そのキチガイ地味た尻穴の糞カスをこねくり回しながら>>7を徹夜で音読して
ショック療法で天才にでもなってろ

10 :
マサ斎藤が外人側についた年。
79年は全シリーズに参戦したはず。

11 :
ウルトラマン来日

12 :
猪木、坂口vsブリスコ、ハンセン
坂口がウエスタンラリアートで吐血

13 :
ハンセン30歳。全盛期の始まり

14 :
シンVSバックランド実現

15 :
新日は76年〜80年のうちこの年だけ武道館がなかったけど
オールスター戦の武道館は元々新日が押さえていた?

16 :
オイルデスマッチは失敗だった
滑りすぎてプロレスにならない

17 :
派生スレばっかりやな!!
いい加減うんざりだわ!

18 :
>>15
79年は分からないが、
 80年9月の武道館は猪木×馬場戦を目論んでた。
結局Kパテラとやるワケだが…

19 :
10月以降は、金八にかなり持っていかれたな

20 :
ヤマハがIWA世界タッグ奪取!

21 :
MSG最終戦蔵前
キムケン凱旋帰国試合
放送なし

22 :
闘魂シリーズでローデスとモラレスの夢のタッグ結成

23 :
闘魂シリーズはシンとパワーズのタッグもあったね。

24 :
>>23
闘魂シリーズはシン、パワーズに加え、
モラレス、バックランド、ローデスの新日本初登場なんかで、かなり豪華。
これが翌年の第三回MSGの史上空席の豪華メンバーにつながったな。

25 :
79年は豪華外人時代の幕開けだね。
それが80年で開花する流れだ。
81年には完全に超豪華外人時代到来。
でも82年にはシン、ハンセンが去る。
その後は日本人対決時代に転換。

26 :
俺は闘魂シリーズにパワーズが来た記憶が無いなあw
パターソンは覚えてるが

27 :
以前他のスレで話題になってたけど
パターソンってホモなの?

28 :
パターソンはガチホモ。
しかし紳士だし優しい人なんで、仲間内から人望はある。

29 :
業界での愛称は「パトリシア」だからなw
人格者だし「ノンケには手をださない」主義だから嫌われない
パターソン同様の地位についてホモセクハラしたブッカー(ジョニー・パワーズやテリー・ガービン)が
多い中でこれは特筆される。
だからオレゴンで同居してた猪木のケツも無事だと思うw

30 :
猪木は米国で修行していた時代、パターソンにかなり世話になってるからねw
猪木がホームシックだろうと気付かって、日本料理店に連れてってくれたり。
ホモでも普通に優しい人なんだよw

31 :
ホモで悪い人というと「オレはノンケでも食っちまう男なんだぜ」を地で行ってた
ジョニーパワーズかw
ウィリアム・ルスカは気持ち悪いと言ってぶん殴ったらしい

32 :
>>31
ルスカにせまるとは、チャレンジャーというか命知らずだなw

33 :
パターソンの趣味は若手の指導

34 :
この時代が一番面白かったな。
次はどんな外人が来るのかとか。
まだ見ぬ大物外人とか、夢がいっぱいあった時代だね
この年の4月から小鉄が正式に解説者として椅子に座ったんだが、かの
遠藤さんはいつまで解説席にいたんだろ?
小鉄と入れ替えってより、だいぶ前からフェードアウトしてたような・・・
鈴木庄一さんもいつの間にか消え去ったしね

35 :
遠藤は昭和52年夏ぐらいまで
長老はその前年

36 :
鈴木さんって長老って言われてるの?
確かに老け込んではいたが、遠藤さんと同い年なのに・・・
田鶴浜さんだったら十二分に納得だがな。
プロデューサーの栗山満夫が書いた本によると小鉄と遠藤さんは入れ替え
みたいな趣旨だったが、実際にはもっと前にフェードアウトしてたわけか。
とすると、その間は桜井さん一人だけだったの?

37 :
鈴木庄一の文章は悪文だったなー

38 :
ジャック・ブリスコ新日参戦

39 :
シン パワーズ組の対戦相手は?

40 :
シンとモラレスのタッグもあったね

41 :
>>39
猪木坂口組

42 :
闘魂シリーズのパワーズはそれまで見せてたファイトと打って変わって
妙な空手のポーズを取り入れたスタイルになってた希ガス(82年のSBグラハムみたく)。
そのパワーズというと坂口にNWF北米シングルを奪取され秋にはシンに移り、今度は
坂口は今度はパターソンからWWF北米を奪取。

43 :
あれ(WWF北米)はインターコンチネンタルに統一されてなくなったはずのタイトルだよなw

44 :
ビッグファイトSではシンとマツダという超異色タッグも実現w
弟分の斉藤が間に入っていたとはいえ、モラレス・シン以上に物凄い違和感w
斉藤は悪党・正統派どっちもこいのオールマイティタイプということもより
顕著に見える。狼軍団が事実上次のMSGシリーズでほぼ解体になったのも
シンとの絡みがどうしても避けられないとかいろいろあったのか?
ただ上田がシンとのギクシャクした関係からか、国際に主戦場を移したのも
同時期。いろいろな人間模様が見えてきて興味深いな

45 :
当時の熱戦譜改めて確認したら正式にはシン・マツダ・Jマンテルvs長州・
S小林・猪木だった。いくら狼軍でヒールだったとはいえ、これはないだろ
っていうマッチメイク。
因みにこの最終戦で坂口・小林がマツダ・斉藤に北米タッグを奪われ事実上
小林と長州の格が入れ替わる節目となったな。
不可思議なのは斉藤と上田の関係。狼軍では副将に斉藤がついて上田より
格上扱いだったのだが、当時の感覚ではどう見ても上田の方がリーダー格
だったような。ただ上田が国際に行ってしまってからは斉藤と上田が新日・
全日含めて同じシリーズで鉢合わせすることは二度となかったような。
仲違いしたんだろうか?

46 :
87年のIWGPと戦国合戦シリーズで一緒になってるね。
何試合か対戦もしてたはず。

47 :
>>46
プロレスから全く離れてた時期だな。
今考えると馬之助が最後にテレビマッチしてた貴重な時期だわ。
上田もシンとか悪党外人がいてこそ輝いていた感じで、その後の日本人対決路
線では多分全日に残ってても居場所がなかったんじゃないのかな(鶴見は国際
血盟軍に行っちゃったし)。
この年、上田は国際に主戦場を移してヤス藤井と組んでIWAタッグに挑戦したり
鶴見が造反して俺たちの仲間に入れ、と誘ったり日本人ヒールで手が合うのを
とにかく探しまくってたよな。だが後の日本人抗争路線は上田が真に望んだ
ものとはズレてたんだろう

48 :
上田とマサって国際で タッグ組まなかった?

49 :
アニマル浜口は田中忠治と組んでたのか

50 :
>>48
ビッグチャレンジSで組んでIWAタッグにもチャレンジしたはず。
それが最後のタッグだったんじゃね?
年末のバックランド猪木戦にシンとともに乱入したけどそれは公式にタッグ
を組んだわけじゃないし。
ただ同時参加してたMr.ヒトが上田をガチで嫌っていたらしく国際版狼軍は
一度っきりだった上、上田が常連参加するようになってからヒトが国際から
消えたってのもあったな

51 :
国際に参戦したマサ斎藤、「おまいら弱っちいんだよ」

52 :
>>49
アニマル浜口・鶴見五郎VS田中忠治・ミスター珍のタッグマッチがTV中継されたのを覚えている・・76年だったはず

53 :
この年、木戸が短期間だけど黒のロングタイツを履いてた。

54 :
>>50
井上・浜口vs上田・斉藤のタッグマッチのレフリーがMヒトだったよね。
井上組有利のレフリングをして、一時ヒトと上田がつかみ合いになりそうだったんだが、
解説で「ヒトも上田も斉藤も一匹狼なんですが、ヒトはこの2人と考え方が違うんですよ。
(ヒトは)『オマエら(上田)は海外での一匹狼を日本で気取っているけど、力道山がいたら日本にいるんだろ?・・
こういう考えなのでヒトと上田は仲が悪いんですよ・・」と言っていた。
今思うと、日プロ時代からのことを引きずっていたのでは?
上田とヒトはほぼ同年代だけど、上田は力道山存命時代にデビューだがヒトのデビューはそのかなり後だもんな。

55 :
ヒト(安達)って死んだっけ? 生きてたら失礼

56 :
上田はMSGシリーズ予選落ちで決勝リーグに進出出来なかったね

57 :
ハリウッドブロンドスが来日した最後の年

58 :
>>57
バディ・ロバーツの方は一度フリーバーズのメンバーというかプレイング・マネージャーとして
来たけどね
年長のジェリー・ブラウンの方はすぐ引退したのかな

59 :
ローデスが初来日したってのが画期的だったらしいな。
オールスター直後だったこともあって正に新日全盛時代への幕開け。

60 :
>>59
ローデスの新日本初登場は本当にデカく、時代の変化を感じさせた。
掛け値なしで、この時代の全米No.1の超人気レスラーだったから。
それが全日本ではなく、新日本に来る。
新日本で「豪華な外人メンバー」なんて言葉を使えるようになるなんてw

61 :
闘魂シリーズ開幕戦
猪木、藤波VSローデス、モラレス

62 :
この年のMSGシリーズにジャックブリスコが初参戦して以来、フロリダ(エディ
グラハム)地区ともパイプが繋がったしな。しかし南部地区では日本じゃ
超人気のファンクスがモーストヘイト(不人気)の代表格でローデスやブリスコと
抗争してたのが信じ難かったっけ。

63 :
この頃からNWAメンバー内で、反主流派が力をつけてくよね。
NYのVマクマホン、フロリダのEグラハム、LAのMラベール、トロントのFタニー、そして新日本。
LAを除いて、興行的には主流派を圧倒してた。
「本当に、いま、全米で客を呼べるスター」ってのが新日本に来るようになった。
その象徴がローデス。

64 :
国際にはエローデスが来たけどな

65 :
エローデスは、
生まれたばかりのイエス・キリストをそうとする
古代ローマのヘロデ王のスペイン語読み
豆知識な。

66 :
確かに全日本はいつも豪華メンバーで、名前のある外人選手がいっぱい来てた。
しかし、実際にその時のアメリカで客を呼べる選手となると、ある時期の
新日本は全日本を超えていたと思う。
特に80年のMSGシリーズ。アンドレ、ローデスというガチで全米1、2位の
人気と観客動員力を持つスターがリーグ戦に参戦して、ホーガンというホープも
特別参加。チャボ、ガレア、サンタナといったところも日本では人気ないが、
アメリカではモストポピュラーランキングの常連。そこにハンセン(日本のみ人気)、
バックランド(日米とも今いちだがw)も加わったんだから。
同時期の全日本では名前だけでなくリアルにアメリカでの動員力があった選手と
いえばレイス(フレアー)、ニックというチャンプ連中と、かろうじてブロディ、
リッキー、スヌーカくらいじゃないか? ファンクスとマスカラスは日本での人気こそ凄かったが
アメリカでは既に過去の人扱いだったしな。

67 :
70年代後半から、
アメリカマット界は不景気に見舞われ、そんな中でも観客動員が好調だったのが
NY、フロリダ、ジョージア、MSWA、ダラス、ヒューストン、ミネアポリス、
ノースカロライナ、トロント(カナダ)といった地区。
 ジョージアとノースカロライナを除けば、ほとんどがNWAの反主流派か
AWAなどのオポジッションだからな。

68 :
この時代は日本人対決がなかったから外人を呼ぶのが当たり前の時代だった。
国際も含めて、それなりの外人が来日していたよな。

69 :
グラン浜田凱旋帰国

70 :
>>69
浜田の空中法も十分に衝撃的だったけど、初代タイガーのような
センセーションは起きなかったな。ルックスとアングルの差か?

71 :
79年11月19日 主な試合
M斎藤vs小林邦
S小林vs木戸
木村健vsパワーズ
坂口vs星野
藤波vsボルコフ
猪木&長州&藤原vsシン&モラレス&バレンタイン
藤原とシンが対戦してる!

72 :
>>71
>M斎藤vs小林邦
この頃の小林邦はまだ前座だろ?
M斉藤と一体どんな試合だったんだ?

73 :
小林邦は、若い頃からスティッフなレスラーだったよね。
初代タイガーとの戦いは、それが奇跡的にいい方向に出たけど
生涯、堅いファイトしかできなかった。

74 :
>>71
そういう試合をテレビで流して欲しいと思った。でもそれはノーテレかな。
藤原とシンって意外な程接点がなかったよな。
新日時代は立場が全然違ったし、高田とシンは後々ハッスルで接点があった。
やはり新日時代は立場が全然違った。シンは高田にとって雲の上の存在だった。
しかし時代を経てハッスルではその高田がシンを使う立場になったのだ。

75 :
そういうのは生きていれば何が起こるかわからないっとガチの部分だね。
高田もシンも30年後の自分の状況なんか想像できなかったろうから。
もっともレスラーに限らず人間なら30年後なんてわからないからなあ。

76 :
グリーンボーイがメーンエベンターになって、かつての大先輩たちを
食わせるって構図はアメリカでもよくあるよな。
グリーン時代の武藤だっけかな? その素質を見抜いた先輩(星野だったかなぁ?)が
「俺たちは、いずれコイツに食わせてもらうことになるよ」
と語ったことがあったという。

77 :
上田がハンセンのウェスタン・ラリアート(こう呼びたいw)で
ぶっ倒されたのは衝撃だった。

78 :
>>77
あの試合は凄まじかったよね。
竹刀片手に上田が先にリングに登場するやいつものように花束嬢をけちらす。
この時点でいつもと違い「上田、がんばれ〜!」の大声援。
ブルロープを振り回してハンセンがリングに登場すると2人はすぐにつかみ合いとなり場外にもつれこむ、そこでゴング。
上田が竹刀でハンセンに襲いかかるがハンセンはものともせず、上田を引きずり回し、ボコボコに・・

79 :
上田は予選落ちで決勝リーグに進めなかったね。

80 :
>>67
70年代のNWA会長のお膝元のダラスとフロリダのどこが反主流派なんだ?
エデイ・グラハムは79年から80年にかけて新日と提携してたことがあったせいで当時のプロレスマスコミから
NYやロスと同一視されることはあったけど
>>71
一流レスラーには珍しい生涯ベビーフェイスだったモラレスとシン組ませるのも無茶だなw

81 :
>>80
それは70年代の話で、80年代に入ってからはフロリダのエディ・グラハム
は明らかに、マクマホンと接近してNWAの主流であるカンザスの一派とは
距離を置くようになってたと思うが。
グラハムに比べればずっとエリックがずっとNWA主流派だったのは
仰る通りだが、これも80年代中盤からはどんどん独立色を強めていったのは
事実だと思いますよ。

82 :
>>81
グラハムは81年にはもう新日との提携を切って全日に再接近したし。
(ヒロ・マツダがフロリダ系のレスラーを新日に送り続けたけど)
NWA王者も優先的に来てたよ。
ファンクスも常連だったし、それこそカンザスのエースであるレイス
がNWA王座を陥落した後にサーキットしてたし。
あとマクマホンとの交流は何も反主流派に限ったことじゃない。
総本山のセントルイスにはWWFでのサーキットを控えたレスラーや
逆に一段落終えたレスラーがあがってたし。
エリックに関しては、ワールドクラスが独立団体になったのはNWAが
実体を失い、タイトルがクロケットプロに独占された後の話だから。
NWAの内部対立じゃなく、空中分解だよあれは。

83 :
>>82
まあ日本で言うほど米マットがきっちりと「主流派・反主流派」に
分かれていたわけじゃないってのは、そうですね。
全日本と新日本のサヤ当てを米プロモーターも巻き込んでやっていただけで。
向こうにしてみれば、「日本での争いなんて、あんまり俺たちに関係ねえんだ
けどな。まあレスリングウォーで、それぞれの団体から高いブッキング料を
取れればいいか」ぐらいの感覚だったかも。

84 :
木村健ひっそりと凱旋帰国

85 :
健吾、帰国第一戦を卍固めで飾る

86 :
シンが猪木とインディアンデスマッチをやったけど、この時の猪木の足元、
ソックスが普通のじゃなくサポーター付きのハイソックスだった。

87 :
あのハイソックス、同時オレの使ってたアシックス・タイガーのに似ていたのでちょっと嬉しかったのを覚えている。

88 :
連投すまん
×同時→○当時

89 :
>>83
>それぞれの団体から高いブッキング料を
取れればいいか
全日と新日を両天秤にかけてたエディ・グラハムは典型だな

90 :
>>86-87
いや、実際あのソックスってアシックスのバスケ用のソックスじゃない?
柄からして。
普段、猪木はシューズからソックスを絶対に見せない美意識の人だから、
あれは(オイルを拭くためだろうが)新鮮だったね。
あと猪木とソックスといえば、LFデイトン戦で平たい靴にソックスを
合わせた格好が印象的だね。

91 :
シン戦の後の韓国でのルスカ戦もソックス姿だった

92 :
あと格闘技戦のレフトフック・デイトン戦では
珍しく足首までのショートシューズにソックス姿だったね。
猪木は派手なコスチュームは着ないが、こういう細部へのこだわりや
お洒落がやっぱりカッコ良かった。

93 :
呪術師二世
バットバット・レロイ・ブラウンwwww

94 :
長州二世 平田淳二

95 :
ルパン三世

96 :
原田知世

97 :
この年はオールスターに尽きるだろ

98 :
荒川真vsスネーク奄美

99 :
>>98
「鹿児島ヘビー級選手権」として、メーンなみに話題(ちょっと大袈裟)
になったよな、その第一試合。
オールスター戦のカードって、当時は不満もあったけど、今考えると
結構バランスが取れたいいカードが多い。誰が考えたんだろ?
東スポ・・・なワケないし。どっかの団体のブッカーが考えて、他団体の
OKをもらったのかな。

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