2011年12月1期古文・漢文41: 漢文、隋書訳 教えてください (44) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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漢文、隋書訳 教えてください


1 :11/02/07 〜 最終レス :11/12/05
北海松贇,性剛烈,重名義,為石門府隊正。大業末,有賊楊厚擁徒作亂,來攻北
海縣,贇從郡兵討之。贇輕騎覘賊,為厚所獲,厚令贇謂城中,雲郡兵已破,宜早歸降。
贇偽許之。既至城下,大呼曰:「我是松贇,為官軍覘賊,邂逅被執,非力屈也。今官
軍大來,並已至矣,賊徒寡弱,旦暮擒剪,不足為憂。」賊以刀築贇口,引之而去,毆
交下。贇罵厚曰:「老賊何敢致辱賢良,禍自及也!」言未卒,賊已斬斷其腰。城中
望之,莫不流涕扼腕,銳氣益倍。北海卒完。煬帝遣戶曹郎郭子賤討厚,破之,以贇亡
身殉節,嗟悼不已,上表奏之。優詔褒揚,贈朝散大夫、本郡通守。
この部分です

2 :
vipperと遊んでなさい

3 :
ここ専用の板だろ

4 :
vipでやれ

5 :
タダでやらせようってのかクズめ

6 :
注は

7 :
固有名詞や年号を[]、官職名などを〈〉で囲め。
名詞、動詞、副詞、形容詞、虚字などを切り分けていけば
自然に読解できるようになる。

8 :
>煬帝遣戶曹郎郭子賤討厚,破之,以贇亡身殉節,嗟悼不已,
この文の「以」の使い方って魏志倭人伝の
「卑彌呼以死」と雰囲気的に似てる気がするけど
「贇亡身殉節」は「以」の賓語になるの?
それとも「以贇亡身殉節」が「嗟悼」の意味上の賓語になるの?

9 :
贇 身を亡ぼして節に殉ずるを以て、怨悼やまず、上表して之を奏す。
贇が自分を犠牲にして節に準じたので、悼み悲しむ声がやまず、上表文をたてまつって上奏した。
倭人伝のは
「卑弥呼以て死す」と読むか「卑弥呼すでに死す」と読むか、
人によって意見が違うかもしれないけど、
上の文とは違うと思います。

10 :
そうすると「以」は原因、理由を表わし「悼み悲しむ声がやまず」の意味上の主語は煬帝の部下や一般民衆だろうね。
上表文をたてまつったのは郭子賤?それとも他の人物。

11 :
討厚,破之,以贇亡身殉節,嗟悼不已,上表奏之
までひとまとまりで子賤の行動だと思ったけど違うの?

12 :
おもしろそうなスレだね
がんばってください

13 :
嗟悼不已ってのは、城中望之,莫不流涕扼腕,銳氣益倍。で、城の中から見てて悲しむと同時に士気が上がった人たち。
戦が終わって、城中の人たちが、「俺たちはあの人の犠牲のおかげで籠城に耐えて勝てたんだ」と言い続けるので、
勝った将軍の郭子賤がその声をまとめて、代表して上表文を奉って報告し、官職の追贈をしてもらったということでしょう。

14 :
>>10
できるよ。
以上。
↓次どうぞ

15 :
王劭,字君懋,太原晉陽人也。父松年,齊通直散騎侍郎。劭少沈默,好讀書。
弱冠,齊尚書僕射魏收闢參開府軍事,累遷太子捨人,待詔文林館。
時祖孝徵、魏收、陽休之等嘗論古事,有所遺忘,討閱不能得,因呼劭問之。
劭具論所出,取書驗之,一無舛誤。自是大為時人所許,稱其博物。
後遷中書捨人。齊滅,入周,不得調。高祖受禪,授著作佐郎。以母憂去職,在家著《齊書》。
時制禁私撰史,為內史侍郎李元操所奏。上怒,遣使收其書,覽而ス之。
於是起為員外散騎侍郎,修起居注。劭以古有鑽燧改火之義,近代廢絕,於是上表請變火,
曰:“臣謹案《周官》,四時變火,以救時疾。明火不數變,時疾必興。聖人作法,豈徒然也!
在晉時,有以洛陽火渡江者,代代事之,相續不滅,火色變青。昔師曠食飯,雲是勞薪所爨。
晉平公使視之,果然車輞。今溫酒及炙肉,用石炭、柴火、竹火、草火、麻荄火,氣味各不同。
以此推之,新火舊火,理應有異。伏願遠遵先聖,於五時取五木以變火,用功甚少,救益方大。
縱使百姓習久,未能頓同,尚食內廚及東宮諸主食廚,不可不依古法。”上從之。
劭又言上有龍顏戴幹之表,指示群臣。上大ス,賜物數百段。

16 :
王劭,字は君懋,太原晉陽の人也。父松年,齊の通直散騎侍郎なり。劭少にして沈默,書を讀を好む。
弱冠にして,齊の尚書僕射魏收闢參開府軍事,累ねて太子捨人に遷り,詔を文林館に待つ。
時に祖孝徵、魏收、陽休之等嘗て古事を論じ,遺忘する所有り,討閱するも得る能はず,因て劭を呼びて之を問ふ。
劭具さに出づる所を論じ,書を取つて之を驗し,一も舛誤無し。是より大にして時人許す所と爲り,其の博物を稱せらる。
後中書捨人に遷る。齊滅し,周に入り,調せらるを得ず。高祖禪を受け,著作佐郎を授かる。母の職に去るを憂ふるを以て,家に在つて《齊書》を著す。
時に制私に史を撰するを禁ず,內史侍郎李元操の奏する所と爲る。上怒り,使を遣はして其の書を收め,覽みて之をスぶ。
是に於て起つて員外散騎侍郎と爲り,起居を修めて注す。劭古に鑽燧改火之義有るも,近代廢絕するを以て,是に於て上表して變火を請ふ,
曰く:“臣謹んで《周官》を案ずるに,四時火を變へ,以て時疾を救ふ。明火數しば變へんば,時疾必ず興る。聖人の作法,豈に徒然たらん也!と。
晉時に在つて,洛陽の火を以て江に渡る者有り,代代之に事へ,相ひ續けて滅せず,火色青に變ず。昔師曠飯を食らひ,云ふ是れ薪を勞して爨する所と。
晉の平公之を視せしむるに,果然として車輞なり。今溫酒及び炙肉,石炭、柴火、竹火、草火、麻荄火を用ゐ,氣味各おの同からず。
此を以て之を推せば,新火舊火,理應に異有るべし。伏して願はくは遠く先聖に遵ひ,五時に於て五木を取りて以て火を變じ,用功は甚だ少きも,救益は方に大なるを。
縱ひ百姓をして習ふこと久からしむるは,未だ頓に同うする能はざるも,尚ほ食內廚及び東宮諸主の食廚,古法に依らざる可らざるをや。”上之に從ふ。
劭又言上して龍顏戴幹之表有り,群臣を指示す。上大いにスび,物數百段を賜ふ。

17 :
すごい字がいっぱい飛び出してびっくり

18 :
ここが分らない。
在晉時,有以洛陽火渡江者,代代事之,相續不滅,火色變青。昔師曠食飯,雲是勞薪所爨。
晉平公使視之,果然車輞。

19 :
昔,師曠食飯,雲是勞薪所爨。晉平公使視之,果然車輞。
師曠は盲人だが聴覚や嗅覚は人並み以上で飯を食べた時、車輪を燃やして
炊いた飯だと見抜いたということ。
【雲】は【云】の間違いか。
【師曠】人名。春秋晉楽師盲人。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AB%E6%9B%A0
【平公】春秋時代の晋の君主
【勞薪】晉書荀勗傳「又嘗在帝坐進飯、謂在坐人曰、此是勞薪所炊。鹹未之信。帝遣問膳夫、乃云、實用故車腳。」
【輞】《釋名》輞,网也,謂网羅周輪之外也。朝鮮には木を曲げる技術が無かったので
  朝鮮人は車輪すら作れなかったと2ちゃんねるで言われてる。
【爨】=炊
【勞薪所爨】=勞薪所炊=使い古した車の部品を焚き木にした。
http://members.ctknet.ne.jp/verdure/cyakyou/05.html#14
【所】は受身の助動詞としても用いられる。

20 :
在晉時,有以洛陽火渡江者,代代事之,相續不滅,火色變青。
《隋唐嘉話》
「江寧縣寺有晉長明燈。歲久,火色變青,而不熱。
  隋文帝平陳,已訝其古,至今猶存。」
【長明燈】=常夜灯。
日本之出雲大社,有地神氏時長明燈。至今幾乎三千年。
天壤之間,恐無有再久於此燈也。
【幾乎】將及也。近也。

21 :
「然」は「燃=もえる」に通じる。つまり代用することができる。
例:山花欲然 山青くして花然えんとす。杜甫「絶句」
http://www.iuk.ac.jp/~yamamomo/kansi.htm
訓読は

晉の平公之を視せしむるに,果たして車輞を然(燃)やしたり。

22 :
ありがたい。
勞薪の労は形容詞的か。同賓構造かと思ってた…。成程。
ああ、然の繁文が燃だったね。
何でこんなとこに車の部品が出てくるかと思ってたけど納得した。
そして「有以洛陽火渡江者」がまだちょっと分らない。
首都の火で長江を渡った→だから、どこそこには昔の首都の火がまだあるんだよ
てことか。ああ何か混乱してきた。あああ分かんねえええ

23 :
「昔師曠食飯,」と「昔,師曠食飯,」とで句読の切り方が違うけど、何故。
これでどういう違いが生ずる。支那人が日本漢文出版したとき、原文の句読を無視して
新しく切ることあるとか。句読ってまじ一体何なん…。

24 :
「有・・・者」で「・・・」という人物がある(いる)というパターン、意味。
「楚人有鬻楯與矛者」も同じ構造だ。
http://kanbun.info/koji/mujun.html
【鬻】余六切,音育。賣也。
「有」の前に範囲(集合)を示す「楚人(=集合の名称)」置かれている。
「鬻楯與矛=盾と矛をひさぐ=楚人の一人=集合のエレメント」の属性をもった者が居た。
「有、以洛陽火、渡江、者」
→「以」の賓語は「洛陽の火」
→「渡」の賓語は「江」
→「有」の賓語は「者」
→「以洛陽火」と「渡江」は「者」を限定(換言説「修飾」是也)する。
洛陽の火をもって、江(川、揚子江)を渡った、者が、ある。
「有」は後続する不特定のものを導き出す機能がある。
有人来=人が有り、来た=誰かが来る(来た)
有朋自遠方来=朋が有り、遠方より(自)来た=遠方より来た友がいる。
有個学堂很有名=一個の学校がある、非常に有名だ=非常に有名な学校がある。
高橋君平著《中国語文法》が現代文の文法と雖どもこの点を詳しく説明している。

25 :
>どこそこには昔の首都の火がまだあるんだよ
その「どこそこ」とは「江寧縣寺」ではないか?
その寺には晉の常夜灯といわれる物があって、隋の文帝が、陳を平らげた時にも
その古さにびっくりした。《隋唐嘉話》
出雲大社には三千年も灯し続けられた常夜灯がある。
「代代事之,相續不滅」は「その火が消えないように守り続けた」ぐらいの意味だろう。

26 :
有難う御座います
ただ文法的な構造は余裕で分ってますよ
「以」は【一】そのまま手に持ってか、【二】火を利用してか
【二】なら、火で川を渡るってなんなん。夜舟で渡ったってこと? て思ってたが、
どうもここは【一】で、つまりここの意味は、都の火を持出して相伝えてる奴等がいる、という風に
理解しましたが、合ってますか。
で、大きく看ると、王劭が上奏中で火に関する昔の話に触れてる中の一つと。
ただ何故変火を説得する中に此の事を述べる必要があるのかが分らない
江寧県寺では火をずっと続けてますよ→変火復活しましょう
この論理が分らない。
江寧県寺では火をずっと続けてますよ→つまり火は大切なんですよ→変火復活しましょう
てことか

27 :
>都の火を持出して相伝えてる奴等がいる
それでOKだと思う。
「四季折々の木で火を起こして煮炊きするのが古来の風習。
それが廃れて久しい。晋の火を隋の文帝の時代まで守り続けたなんて
素晴らしいじゃありませんか。
季節ごとに薪の木を換えるのは"用功甚少"=たいして手間の掛かるものでは
ございません。復活しましょうよ」ということ。
史記仲尼弟子列傳第七三家注に
http://www.godist.cn/book/Detail_20132.html
「於五時取五木以變火」=集解馬融曰:「周書月令有更火之文。春取榆柳之火,
夏取棗杏之火,季夏取桑柘之火,秋取柞楢之火,冬取槐檀之火。一年之中,鑽火各異木,故曰「改火」。」
http://ks.cn.yahoo.com/question/1590000791049.html
変火=更火=改火

28 :
>>26
「火色變青」とあるのが理由だとおもう。
本来赤というかだいだい色というか、普通の火はそういう色だけど、ずっと絶やさなかったことで青色になった。
つまり、火の性質か変化しているのだという論法。
火を変えずに付け続けることで、火の性質か変わる。・・・これが第一点。
飯の味から車輪で炊いたことが分かった。
石炭・柴・竹・草・麻荄でも味に違いがでる。
つまり、何を燃やすかも影響を与える。・・・これが第二点。
この二つの理由から、「新火舊火,理應に異有るべし。」
だから、「伏して願はくは遠く先聖に遵ひ,五時に於て五木を取りて(第二点の理由)以て火を變ぜんことを(第一点の理由)」
となります。

29 :
>>28
>火を変えずに付け続けることで、火の性質か変わる。・・・これが第一点。
付け続けるって変だね。燃やし続ける、灯し続けるということです。

30 :
連投すみません。
つまり、火を絶やさずに燃やし続けることを良いことと思って読むと意味が分からなくなります。
燃やし続けて変質した火を宮廷で用いることを不吉と考えたのでしょう。
お寺の燈明とかだったら尊いってことになるけど。

31 :
ありがとうございます
ええと、大雑把に言うと、
>>27さんは、同じ火を代々伝えててすばらしい
>>28-30さんは、同じ火を使い続けると性質が変化してしまうので駄目
という事ですね
後者で解釈した方がいいみたいですね

32 :
列傳第六 高熲
(前略)熲少明敏,有器局,略涉書史,尤善詞令。(後略)
http://www.angelibrary.com/oldies/duoshu/041.htm
「詞令」とは何でしょうか。また「書史」については、
著者はどういうものをイメージしたものと
考えられるのでしょうか。

33 :
>>32
書史はhttp://kotobank.jp/word/%E6%9B%B8%E5%8F%B2によれば、
経書と史籍。
経書はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%9B%B8によれば、
七経、すなわち易経・書経・詩経・礼記・春秋・論語・考経あたりか。
史籍は史記〜三国志他、二十四史のうち成立年代次第では、
見たものもあるのかも知れない。

34 :
隋书 卷七十一 列传第三十六_百度国学

35 :
test

36 :
test

37 :
太祖承天廣運聖コ神功肇紀立極仁孝睿武端毅欽安弘文定業高皇帝,
姓愛新覺羅氏,諱努爾哈齊。其先蓋金遺部。始祖布庫裡雍順,母曰佛庫倫,
相傳感硃果而孕。稍長,定三姓之亂,眾奉為貝勒,居長白山東俄漠惠之野俄朵裡城,
號其部族曰滿洲。滿洲自此始。元於其地置軍民萬戶府,明初置建州衞。
太祖承天廣運聖コ神功肇紀立極仁孝睿武端毅欽安弘文定業高皇帝,姓は愛新覺羅氏,
諱は努爾哈齊。其の先は蓋し金遺部なり。始祖は布庫裏雍順,母を佛庫倫と曰ふ,
感硃を相ひ傳へて果して孕む。稍や長じて,三姓之亂を定め,衆奉じて貝勒と爲す,
長白山東俄漠惠の野俄朵裏城に居し,其の部族を號して滿洲と曰ふ。
滿洲此より始まる。元其の地に於て軍民萬戶の府を置く,明初建州の衞を置く。

38 :
訂正
感硃を相ひ傳へて果して孕む。

相傳ふ硃果に感じて孕むと。

39 :
http://2ch-dc.mine.nu/v2/src/1312507112808.jpg
昭和初期の掛け軸に書いてあった文が全く読めません。
なんて書いてあるのか分かる人いますか?

40 :
>>39
歳在昭和丙子冬月竜集写於高世居南窓之下茶已熟香気満室時青雲迂人公周
かな

41 :
>>40
どういう意味ですか?

42 :
>>40 貴重なレスありがとうございます。
>>http://2ch-dc.mine.nu/v2/src/1312897974012.jpg
この掛け軸の左上の文なんですが、どうやら絵の説明をしてる文見たいですね。

43 :
歳昭和丙子□□竜集に在り、高世居南窓の下、茶已に熟し香気室に満つる時に写す。青雲迂人公周。

44 :
死木元式外間

45 :11/12/05
小舌曰𦧢。
これって「𦧢とはのどである」ってことでいいんすか
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