2011年12月1期古文・漢文22: 古典と古典講読の違いを教えてください (37)
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古典と古典講読の違いを教えてください
- 1 :11/02/13 〜 最終レス :11/11/22
- 二次試験で2つあります
- 2 :
- 戦の神様こと辻政信が華麗に2を奪取!我は神なり!我は神なり!我は神なり!
i ::: ,.-'"" ヽ, i ,'",v,..-_ ヽ ,.. i
i'"`.::::: i , i =、 `- ' i =- γ"ヽ
ヽ::::::::::. i ソl ヽ,_ ,.-" i
ヽ::::::::::::.."::::":::::i ヽ i
ヽ ::::::::::::::::::::::::...ヽ -,. ,/."
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ヽ ::::::::::::::::: ..:::: /,
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i :::::::::: ヽ、::: _,.-=" ヘ=-.,,__
_,..-='",;;;; .,_ i^" ,.-, _,.",;;;;;;;;;;,,ヽ
田中新>>1 総理にバカヤローとか短気すぎ(www
河村>>3郎 華僑虐の責任だけなすりつけられてやがんの(www
服部卓>>4郎 おぅ、また来世でも一緒にやろうぜ!
山本>>5十六 餓島が苦しいさなかに大和ホテルでおきらく生活か、おめでてーな(www
>>6た口廉也 「俺が支那事変と大東亜戦争を始めた」とか気負いすぎだから(www
>>7か村明人 人情司令官とか言われてるけど居眠りしてただけだろ(www
有末>>8どる お前がトロトロしてるからタムスク空襲してやったぞバーカ(www
川>>9ち清健 餓島の後の経歴パッとしなすぎ(www
堀井>>10み太郎 モレスビーに着けないで残念でしたねー(www
>>11-1000 お前らノモンハン、ガダルカナル、ニューギニア、ビルマ、好きなとこ行けや(
- 3 :
- 日本語で書き込んでくれ・・・
- 4 :
- ビックリ
- 5 :
- 古典講読は古典を通してものの見方を学ぶ科目
古典は古典の読み方を学ぶ科目
- 6 :
- >>5
逆
- 7 :
- どうでもいい
- 8 :
- うらやましい
- 9 :
- 生きる
- 10 :
-
_,、__________,,,、.
`y__////_jニニニニニfi =三[○○○⊃
〈_フソ ̄フ ,=-_,,,,-┴─'
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- 11 :
- iニニニi
/ ./ヽ_
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iニニニi
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|農||_
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- 12 :
- >>8
googleが1秒以内に検索結果を出してくるネット上で「そんなの知ってた」の後出しか…
ここまでの馬鹿は初めて見た
- 13 :
- 語ろうか
- 14 :
- 観察結果その1
- 15 :
- 人こないね
- 16 :
- すまんかった
- 17 :
- 子供
- 18 :
- へえ
- 19 :
- test
- 20 :
- test
- 21 :
- 文学史とは一体何なのか。千年前に書かれた作品でも、それが読まれてゐるあひだは、容赦なく現代の一定の
時間を占有する。
われわれは文学作品を、そもそも「見る」ことができるのであらうか。古典であらうが近代文学であらうが、
少くとも一定の長さを持つた文学作品は、どうしてもそこをくぐり抜けなければならぬ藪なのだ。自分のくぐり
抜けてゐる藪を、人は見ることができるであらうか。
それははつきりわれわれの外部にあるのか。それとも内部にあるのか。文学作品とは、体験によつてしか
つかまへられないものなのか。それとも名器の茶碗を見るやうに、外部からゆつくり鑑賞できるものなのか。
もちろん藪だつて、くぐり抜けたそのあとでは、遠眺めして客観的にその美しさを評価することができる。しかし、
時間をかけてくぐり抜けないことには、その形の美しさも決して掌握できないといふのが、時間芸術の特色である。
この時間といふことが、体験の質に関はつてくる。なぜなら、われわれがそれを読んだ時間は、まぎれもない
現代の時間だからである。
三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より
- 22 :
- 美、あるひは官能的魅惑の特色はその素速さにある。それは一瞬にして一望の下に見尽されねばならず、その速度は
光速に等しい。それなら、長篇小説のゆつくりした生成などは、どこで美と結ぶのであらうか。きらめくやうな
細部によつてであるか。あるひは、読みをはつたのち、記憶の中に徐々にうかび上る回想の像としてであるか。
(中略)文学史は言葉である。言葉だけである。しかし、耳から聴かれた言葉もあれば、目で見られることに
効果を集中した言葉もある。
文学史は、言葉が単なる意味伝達を越えて、現在のわれわれにも、ある形、ある美、ある更新可能な体験の質、
を与へてくれないことにははじまらない。私は思想や感情が古典を読むときの唯一の媒体であるとは信じない。
たとへば永福門院の次のやうな京極派風の叙景歌はどうだらうか。
「山もとの鳥の声より明けそめて
花もむらむら色ぞみえ行く」
ここにわれわれが感じるものは、思想でも感情でもない、論理でもない、いや、情緒ですらない、一連の日本語の
「すがた」の美しさではないだらうか。
三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より
- 23 :
- (中略)
われわれは文学史を書くときに、日本語のもつとも微妙な感覚を、読者と共有してゐるといふ信念なしには、
一歩も踏み出せないことはたしかであつて、それは至難の企てのやうだが、実はわれわれ小説家が、日々の仕事を
するときに、持たざるをえずして持たされてゐる信念と全く同種のものなのである。
かくて、文学史を書くこと自体が、芸術作品を書くことと同じだといふ結論へ、私はむりやり引張つてゆかうとして
ゐるのだ。なぜなら、日本語の或る「すがた」の絶妙な美しさを、何の説明も解説もなしに直観的に把握できる人を
相手にせずに、少くともさういふ人を想定せずに、小説を書くことも文学史を書くことも徒爾だからである。
享受はそれでよろしい。
しかしいかに作者不詳の古典といへども、誰か或る人間、或る日本人が書いたことだけはたしかであり、一つの
作品を生み出すには、どんな形ででもあれ、そこに一つの文化意志が働らいたといふことは明白である。
三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より
- 24 :
- (中略)
文化とは、創造的文化意志によつて定立されるものであるが、少くとも無意識の参与を、芸術上の恩寵として
許すだけで、意識的な決断と選択を基礎にしてゐる。ただし、その営為が近代の芸術作品のやうな個人的な
行為にだけ関はるのではなく、最初は一人のすぐれた個人の決断と選択にかかるものが、時を経るにつれて
大多数の人々を支配し、つひには、規範となつて無意識裡にすら人々を規制するものになる。私が武士道文献を
文学作品としてとりあげるときに、このことは明らかになるであらう。
文化とは、文化内成員の、ものの考へ方、感じ方、生き方、審美眼のすべてを、無意識裡にすら支配し、しかも
空気や水のやうにその文化共同体の必需品になり、ふだんは空気や水の有難味を意識せずにぞんざいに用ひて
ゐるものが、それなしには死なねばならぬといふ危機の発見に及んで、強く成員の行動を規制し、その行動を
様式化するところのものである。
三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より
- 25 :
- 今もなほ、私は、「古事記」を晴朗な無邪気な神話として読むことはできない。何か暗いものと悲痛なもの、
極度に猥褻なものと神聖なものとの、怖ろしい混淆を予感せずに再読することができない。少くとも、戦時中の
教育を以てしても、儒教道徳を背景にした教育勅語の精神と、古事記の精神とのあひだには、のりこえがたい亀裂が
露呈されてゐた。儒教道徳の偽善とかびくささにうんざりすればするほど、私は、日本人の真のフモールと、また、
真の悲劇感情と、この二つの相反するものの源泉が、「古事記」にこそあるといふ確信を深めた。日本文学の
もつともまばゆい光りと、もつとも深い闇とが、ふたつながら。……そして天皇家はそのいづれをも伝承して
ゐたのである。
(中略)
これ(教育勅語)に比べると、「古事記」の神々や人々は、父母に孝ならず、兄弟垣にせめぎ、夫婦相和せず、
朋友相信ぜず、あるひは驕慢であり、自分本位であり、勉強ぎらひで、法を破り、大声で泣き、大声で笑つてゐた。
三島由紀夫「日本文学小史 第二章 古事記」より
- 26 :
- (中略)
戦時中の検閲が、「源氏物語」にはあれほど神経質に目を光らせながら、神典の故を以て、「古事記」には一指も
触れることができず、神々の放恣に委ねてゐたのは皮肉である。ともすると、さらに高い目があつて、教育勅語の
スタティックな徳目を補ふやうな、それとあらはに言ふことのできない神々のデモーニッシュな力を、国家は望み、
要請してゐたのかもしれない。古事記的な神々の力を最高度に発動させた日本は、しかし、当然その報いを受けた。
そのあとに来たものは、ふたたび古事記的な、身を引裂かれるやうな「神人分離」の悲劇の再現だつたのである。
(中略)
これ(倭建命〈やまとたけるのみこと〉の挿話)がおそらく、政治における神的なデモーニッシュなものと、
統治機能との、最初の分離であり、前者を規制し、前者に詩あるひは文化の役割を担はせようとする統治の意志の
あらはれであり、又、前者の立場からいへば、強ひられた文化意志の最初のあらはれである、と考へられる。
三島由紀夫「日本文学小史 第二章 古事記」より
- 27 :
- 古代において、集団的感情に属さないと認められた唯一のものこそ恋であつた。しかしそれがなほ、人間を
外部から規制し、やむなく、おそろしい力で錯乱へみちびくと考へられた間は、(たとへば軽王子説話)、なほ
それは神的な力に属し、一個の集団的感情から派生したものと感じられた。このことは、外在魂(たまふり)から
内在魂(みたましづめ)へと移りゆく霊魂観の推移と関連してゐる。万葉集は、(中略)夥しい相聞歌を載せてゐる。
相聞は人間感情の交流を意味し、親子・兄弟・友人・知人・夫婦・恋人・君臣の関係を含むが、恋愛感情がその
代表をなすことはいふまでもない。
記紀歌謡以来、恋の歌は、別れの歌であり遠くにあつて偲ぶ歌であつた。(中略)
別離と隔絶に、人間精神の醇乎としたものが湧き上るのであれば、統一と集中と協同による政治(統治)からは、
無限に遠いものになり、政治的に安全なものであるか、あるひはもし政治的に危険な衝動であつても、挫折し、
流謫されたものの中にのみ、神的な力の反映が迫ると考へられた。
三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より
- 28 :
- (中略)われわれは、ふしぎなことに、太古から、英雄類型として、政治的敗北者の怨念を、女性的類型として、
裏切られた女の嫉妬の怨念を、この二種の男女の怨念を、文化意志の源泉として認めてきたのであり、成功した英雄は
英雄とみとめられず、多幸な女性は文化に永い影を引くことがなかつた。政治的にも亦、天皇制は堂々たる
征服者として生きのびたのではなかつた。いかに成功した統治的天皇も、倭建命以来の「悲劇の天皇」のイメージを
背後に揺曳させることによつて、その原イメージのたえざる支持によつて、すなはち日本独特の挫折と流謫の
抒情の発生を促す文化的源泉の保持者として、成立して来たのである。
さて、相聞歌は、非政治性の文化意志の大きな開花になつた。それは、統治が集中的になればなるほど、そして、
「万葉集」のやうな文化的集大成が行はれれば行はれるほど、この求心性に対して、つねに遠心力として働らき、
拡散と距離と漂泊を代表した。
三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より
- 29 :
- (中略)
万葉集は、人が漠然と信じてゐるやうな、素朴で健康な抒情詩のアンソロジーなのではない。それは古代の巨大な
不安の表現であり、そのやうなものの美的集大成が、結果的に、このはなはだ特徴的な国民精神そのものの
文化意志となつたのである。それなくしては又、(文化に拠らずしては)、古代の神的な力の源泉が保たれない、
といふ厖大な危機意識が、文化意志を強めた考へられる。のちにもくりかへされるやうに、一時代のもつとも
強烈な文化意志は、必ず危機の意識化だからである。
(中略)
芸術行為は、「強ひられたもの」からの解放と自由への欲求なのであらうか。相聞歌のふしぎは、或る拘束状態に
おける情念を、そのままの形で吐露するといふ行為が、目的意識から完全に免かれてゐることである。「解決」の
ほかにもう一つの方法があるのだ、といふことが詩の発生の大きな要素であつたと思はれる。その「もう一つの
方法」の体系化が、相聞だつたのである。
三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より
- 30 :
- それにしても、この歌は美しい。沈静で、優雅で、嫉妬に包まれた女性が、その嫉妬といふ衣裳の美しさに自ら
見惚れて、鏡の前に立つてゐるやうな趣がある。自己に属する情念が醜くからうなどとは、はじめから想像も
できない、といふ点では、女性は今も昔も変りはしない。(中略)一人の悩める女の姿を描き出すことで、
磐姫皇后は、卓抜な自画像の画家であつた。しかしそれは、何ら客観視を要しない肖像画であり、皇后は、一度も
自分の情念を、客体として見てゐるわけではないのである。
情念にとらはれた人間にとつて、解決のほかにもう一つの方法がある。しかもそれは諦念ではない。……これが詩、
ひいては芸術行為の発生形態であつたとすれば、「鎮魂」に強ひて濃い宗教的意識を認め、これを近代の個性的
芸術行為と峻別しようとする民俗学の方法は可笑しいのである。表現と鎮魂が一つのものであることは、人間的
表出と神的な力の残映とが一つのものであることを暗示する。それはもともと絶対アナーキーに属する情念に属し、
言語の秩序を借りて、はじめて表出をゆるされたものである。
三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より
- 31 :
- しかしこれを慰藉と呼んでは、十分でない。それは本来、言語による秩序(この世のものならぬ非現実の秩序)に
よつてしか救出されないところの無秩序の情念であるから、同時に、このやうな無秩序の情念は、現世的な
秩序による解決など望みはしないのである。相聞は、古代人が、政治的現世的秩序による解決の不可能な事象に、
はじめから目ざめてゐたことを語つてをり、その集大成は、おのづから言語の秩序(非現実の秩序)の最初の
規範になりえたのである。人はこの秩序が徐々に、現世の秩序と和解してゆく過程を「古今和歌集」に見、さらに
そのもつとも頽廃した現象形態として、ずつと後世、現世の権力を失つた公家たちが、言語の秩序を以て、現世の
政治権力に代替せしめようとする、「古今伝授」といふ奇怪な風習に触れるだらう。そして「古今和歌集」と
「古今伝授」の間には、言語的秩序の孤立と自律性にすべてを賭けようとした「新古今和歌集」の藤原定家の
おそるべき営為を見るであらう。
三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より
- 32 :
- はじめそれはもちろん一種のダンディズムだつた。ダンディズムは感情を隠すことを教へる。それから生な感情を
一定の規矩に仮託することによつて、個の情念から切り離し、それ自体の壮麗化を企てることができる。漢文による
表現が公的なものからはじまつたのは当然であり、公的生活の充実が男性のダンディズムを高めると共に、ますます
それが多用されたのも当然だが、政治的言語として採用されたそれが、次第に文学的言語を形成するにいたると、
支那古代詩の流れを汲む「政治詩」の萌芽が、はじめて日本文学史に生れたのだつた。
しかし「離騒」以来の慷慨詩の結晶は、「懐風藻」においては十分でなかつたのみならず、はるかはるか後代の
維新の志士たちの慷慨詩にいたるまで、その自然な発露の機会を見出すことができなかつた。きはめて例外的に、
又きはめてかすかに、それが窺はれるのは「懐風藻」の大津皇子の詩である。
三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より
- 33 :
- その数篇の詩に、「離騒」のやうな幾多の政治的寓喩を読むことも不可能ではないが、私はこれを読み取らうとは
思はぬ。しかし、ひとたび叛心を抱いた者の胸を吹き抜ける風のものさびしさは、千三百年後の今日のわれわれの
胸にも直ちに通ふのだ。この凄涼たる風がひとたび胸中に起つた以上、人は最終的実行を以てしか、つひにこれを
癒やす術を知らぬ。遊猟の一見賑やかな情景の中にも、自然の暗い息吹は吹き通うてゐる。恋によく似て非なる
この男の胸の悶えを、国風の歌は十分に表現する方法を持たなかつた。外来既成の形式を借り、これを仮面として、
男の暗い叛逆の情念を芸術化することは、もしその仮面が美的に完全であり、均衡を得てゐれば、人間感情の
もつとも不均衡な危機をよく写し出すものになるであらう。それはあの怖ろしい蘭陵王の仮面と、丁度反対の
意味を担つた仮面なのだ。
七世紀後半のこの叛乱の王子は、天武天皇の長子であつた。
三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より
- 34 :
- (中略)
支那の詩文学から日本人がいかなる詩情を探り出したかは、返り点を使つた日本的な読み下しといふ読み方の
発明と無縁ではないと思はれる。読み下し自体が一種の翻訳であり、原典の韻律はそれによつて破壊され、或る
舌足らずな翻訳文体のリズムは、そのまま日本語の文体として日本語の中へ融解されてしまふ。漢詩がかくて、
音楽化される極点が謡曲の文体である。
韻律は失はれても、一そう美しい廃墟のやうに、構造とシンメトリーは残つてゐた。大体、支那原典から見れば、日本人の漢詩鑑賞は、
廃墟の美の新らしい発見のやうにさへ思はれる。
(中略)
対句的表現によるシンメトリー自体が新らしい美の発見であり、詩のサロン化の大きな布石であつた。やがて
これが国風暗黒時代ともいふべき平安朝初期の、純支那風な官吏登庸制度に基づく官僚機構のシンメトリーを
用意するのである。すなはち詩を通じて、政治的言語と文学的言語は相補ひ、政治的言語は詩情を培ひ、培はれた
新らしい詩情は、さらに整然たる政治的言語の形成に参与するのであつた。
三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より
- 35 :
- もし秩序がなかつたら、何ら抒情の発想をもたらさぬものが、秩序の存在によつて焦燥や怒りや苦痛が生み出され、
それが詩の源泉になることを自覚するとき、われわれはすでに古今集の世界にゐるのである。
(中略)
われわれの文学史は、古今和歌集にいたつて、日本語といふものの完熟を成就した。文化の時計はそのやうにして、
あきらかな亭午を斥すのだ。ここにあるのは、すべて白昼、未熟も頽廃も知らぬ完全な均衡の勝利である。
日本語といふ悍馬は制せられて、だく足も並足も思ひのままの、自在で優美な馬になつた。されつくしたものの
美しさが、なほ力としての美しさを内包してゐるとき、それをわれわれは本当の意味の古典美と呼ぶことができる。
制御された力は芸術においては実に稀にしか見られない。(中略)そして古今集の歌は、人々の心を容易く
動かすことはない。これらの歌人と等しく、力を内に感じ、制御の意味を知つた人の心にしか愬へない。
これらの歌は、決して、衰へた末梢神経や疲れた官能や弱者の嘆きをくすぐるやうにはできてゐないからだ。
三島由紀夫「日本文学小史 第五章 古今和歌集」より
- 36 :
- 文化の白昼(まひる)を一度経験した民族は、その後何百年、いや千年にもわたつて、自分の創りつつある文化は
夕焼けにすぎないのではないかといふ疑念に悩まされる。明治維新ののち、日本文学史はこの永い疑念から
自らを解放するために、朝も真昼も夕方もない、或る無時間の世界へ漂ひ出た。この無時間の抽象世界こそ、
ヨーロッパ文学の誤解に充ちた移入によつて作り出されたものである。かくて明治以降の近代文学史は、一度として
その「総体としての爛熟」に達しないまま、一つとして様式らしい様式を生まぬまま、貧寒な書生流儀の卵の殻を
引きずつて歩く羽目になつた。
古今和歌集は決して芸術至上主義の産物ではなかつた。(中略)この勅撰和歌集を支へる最高の文化集団があり、
共通の文化意志を持ち、共通の生活の洗練をたのしみ、それらの集積の上に、千百十一首を成立たしめたのだつた。
或る疑ひやうのない「様式」といふものが、ここに生じたとてふしぎはない。一つの時代が声を合せて、しかも
嫋々たる声音を朗らかにふりしぼつて、宣言し、樹立した「様式」が。
三島由紀夫「日本文学小史 第五章 古今和歌集」より
- 37 :11/11/22
- 源氏物語の、ふと言ひさして止めるやうな文章、一つのセンテンスの中にいくつかの気の迷ひを同時に提示する文体、
必ず一つのことを表と裏から両様に説き明かす抒述、言葉が決断のためではなく不決断のために選ばれる態様、
……これらのことはすでに言ひ古されたことである。紫式部が主人公の光源氏を扱ふ扱ひ方には、皮肉も批判も
ないではないが、つねに、この世に稀な美貌の特権をあからさまに認めてゐる。他の人ならゆるされぬが、
他ならぬ源氏だから致し方がない、といふ口調なのである。何故なら、源氏にさへ委せておけば、どんな俗事も
醜聞も、たちどころに美と優雅と憂愁に姿を変へるからだ。手を触れるだけで鉛をたちまち金に変へる、この
感情と生活の錬金術、これこそ紫式部が、自らの文化意志とし矜持としたものだつた。
それは古今集が自然の事物に対して施した「詩の中央集権」を、人間の社会と人間の心に及ぼしたものだつたと
云へよう。実際、藤原道長が地上に極楽を実現しようとしたことは、日本文学史平安朝篇に詳しい。
三島由紀夫「日本文学小史 第六章 源氏物語」より
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