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2011年12月1期神社・仏閣11: 気多大社 其之2 (157) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼


気多大社 其之2


1 :10/09/18 〜 最終レス :11/12/03
9月上旬、kamomeサーバーに異変があったようで、能登国一宮スレ消失事態に
より、次スレを建てました。
能登国一宮 気多大社 祭神:大己貴命 http://www.keta.jp/honden/
旧スレ
気多大社
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1159078973/

2 :
旧々スレ
気多大社
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1159078973/
関連スレ
【巡拝】全国一の宮巡り【歴史】Part3
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1284426824/

3 :
>>221
>羽咋郡を開墾したのは、羽咋神社に祀られる羽咋君の祖磐衝別・磐城別王親子・・・
ヤマト王権に服従したこの地の原住民豪族羽咋君の祖先神を祀る羽咋神社が
川原町にあるのに、寺家町に出雲系国津神を祭る気多社が創建されたのだろ?
羽咋神社 羽咋市川原町 http://kamnavi.jp/en/hokuriku/hakusi.htm

4 :
>>1
旧スレ最終寄稿時刻が『2010/09/07(火) 06:05』とあるから、9/7から9/18の期間に
この神社仏閣板スレ一斉消失事故?事件?が、あったようですね。
気多大社
http://www.unkar.org/read/kamome.2ch.net/kyoto/1159078973/

5 :
>>193
>久麻加夫都阿良加志比古神社にも足を伸ばすのが普通・・・・
今年も明日が、別名“二十日祭り”とも呼ばれている近在の熊甲神社の秋祭りですね。
お熊甲祭 
http://www.ne.jp/asahi/maroudo/somin/contentsmatsurisaijiki/okumakabutomatsuri.html

6 :
>>5
この祭りですね。掲載写真は、2009年のようです。七尾市石崎などの
キリコがねり歩くのは夜夏祭りで、昼秋祭りには出ないのでは?
”お熊甲祭では能登の他の地域のキリコでは無く,全国的にも珍しい枠旗での
祭りになります。先頭で案内役を務める神様「猿田彦」は天狗のように・・・”
お熊甲祭(七尾市中島町)
http://kimassi.net/notomaturi/okumakabuto.html

7 :
>>5
全国メディア日テレNEWS24サイトに、動画付で報道されていますね。地元紙「北國新聞」
サイトには、何の報道記事もないのに。
”「お熊甲祭」は、七尾市中島町の久麻加夫都阿良加志比古神社に古くから伝わる秋祭りで、国の
重要文化財に指定されている。20日は太鼓やかねの音が鳴り響く中、各町から、神の使いと
される天狗(てんぐ)のような面をかぶった猿田彦の独特な踊りに先導されて、神輿(みこし)が
次々と神社に・・・・”
枠旗が勇壮に練り歩く…お熊甲祭行われる 2010年9月20日 
http://www.news24.jp/articles/2010/09/20/07167090.htm

8 :
>>196
>中能登町能登部の能登部神社・・・・
隣町の旧鹿西町能登部に能登部神社が坐すということは、羽咋君のライバル能登臣の
本貫地は七尾湾岸でなく、旧邑知潟北辺だったのだろうか。
能登部神社 http://kamnavi.jp/en/hokuriku/notobe.htm

9 :
>>8
能登部駅から東へ一駅行くと旧鳥屋町良川駅で、その旧鳥屋町には一青Hitotoや
黒氏Kurojiといった珍奇な地名や花見月という風雅な地名があるね。
おそらく一青は、一青窈の母親の本貫なんだろうな。更に一駅行くと能登
二宮駅なんだが、付近のどの神社が二宮なんだろうか?

10 :
>>8
中能登町一青
http://maps.google.co.jp/maps?num=30&hl=ja&q=%E4%B8%AD%E8%83%BD%E7%99%BB%E7%94%BA%E4%B8%80%E9%9D%92&um=1&ie=UTF-8&hq=&hnear=%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E9%83%A1%E4%B8%AD%E8%83%BD%E7%99%BB%E7%94%BA%E4%B8%80%E9%9D%92&gl=jp

11 :
>>8
七尾線能登二宮駅南東の天日陰比盗_社が、能登二宮だね。
天日陰比盗_社 御祭神:屋船久久能智命 鹿島郡中能登町二宮子6
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/isikawa/kashimagun/amehikagehime/amehikagehime.html

12 :
>>11
こう読むのですね。天日陰比唐チて、誰?
「能登二宮駅」から2キロほど離れた所に、能登国二の宮「天日陰比刀iあめひかげひめ)
神社」が・・・・・この「能登二宮駅」は、「能登一宮駅跡」を訪ねたときに寄り・・・・
能登二宮駅 2010-09-10
http://08091160825.blog.so-net.ne.jp/2010-09-10

13 :
>>11
本来の能登二宮は、伊須流支比古神社のようですね。
祭神の屋船久久能智?屋舩久久能智って、何神なのだろ?
”本来は、その伊須流支比古神社が能登二宮であり、二宮鎮座の地として、二宮の地名になったと
思われるが、上記の理由により、天日陰比盗_社を二宮と称するようになった・・・・”
天日陰比盗_社 祭神 屋舩久久能智命
http://www.genbu.net/data/noto/amehikage_title.htm

14 :
>>9>>13
地名の二宮は、第2のお宮でなく、2つのお宮から?
”地名の二宮は天日陰比盗_社が能登二ノ宮だったからではなく、当地に天日陰比盗_社と
伊須流伎比古神社(いするぎひこじんじゃ)の2つのお宮さんがあったから二宮と・・・・”
ご朱印日記(041218) 12 18, 2004
http://emm.cocolog-nifty.com/memo/2004/12/041218.html

15 :
ホームページには境内の案内図をアップしてほしいね。

16 :
>>13
久久能智は、草木のうち樹木に宿る神霊のようですね。語尾の「チ」は、迦具土カグツチ、
大蛇オロチ同様 神霊などの超自然的なものを表わす言葉だろうが、「クク」は何なのだろ?
傀儡子クグツに通じる語か?アニミズムの信仰対象の一種なんだろうが。
久久能智神 http://www.loops.jp/~asukaclub/kami/kami_053.html

17 :
>>257
>国造羽咋君の領土は、南境は大海川流域、北境は高爪山、東境は眉丈山南端と
>碁石が峰を結ぶ線の地域・・・・
とすると、境界線上近くの旧七尾街道沿い旧御祖村に残る新王塚古墳の被葬者は、
羽咋君なの?能登臣なの?
小田中新王塚古墳 http://kofun.info/kofun/630

18 :
とにかく今日気多大社に行った。
小雨もときおり混じる中、結構な賑わいだった。
カップルは当然だし、女の子三人連れや男子三人連れといつもの風景。
一生懸命に恋みくじを読んでる様は必至さを感じた。
またそれがいまいちもてそうにない、今まで女性と話したことも無さそうな男が読んでるのが
ほほえましい。
本当にここは人気スポットだよ。
天の太玉命の社前の石や灯篭に小砂利が乗せてあるのは
何かのお呪いだろうか。

19 :
>>17
平家物語に「志保の山打ちこえて能登の新王の塚の前に」木曾義仲軍が陣張りしたとある
古墳ですね。
明治初期に被葬者に比定されたのが、崇神天皇皇子で能登臣遠祖とされる大入杵命で、
墳上に社殿があったとかいう親王社の後身が「能登臣祖神社」と称したのだから、
能登臣の墳墓なのでしょう。この古墳の築造推定年代の4世紀後葉の時代、この付近が
能登臣氏の支配地だった。
能登の古墳 
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/5161/TumulusesInNoto.htm

20 :
>>17
高爪山というのは、旧門前町と旧富来町の町境の山のことですね。
すると現羽咋郡・市全域を、羽咋君が支配していたことになりますね。
国造羽咋君でなく、郡司羽咋氏の時代なのだろうが。

21 :
>>20
旧能登国羽咋郡時代ということなら、現七尾市旧鹿島郡中島町内に坐す
久麻加夫都阿良加志比古神社・藤津比古神社が『延喜式』では羽咋郡に
分類されていることからみて、鹿島郡の一部も郡司羽咋氏の支配地域
だったと思われる。

22 :
皆さんは郷土研究家ですね。

23 :
気多大社の大黒様は誰が造ったんですか?

24 :
>>21
>旧能登国羽咋郡時代ということなら・・・・
戦後まもなくに旧加賀郡の町と合併した大海川以南の旧羽咋郡南大海村、
河合谷村も郡司羽咋氏の支配地域だったのだろうか。

25 :
大黒様は立派ですよねぇ

26 :
>>180
>大国主命を祀る神社があるということは、出雲地方からの移民or交易民が、
>海路上陸したということか?大社近在に、出雲地方と同じ地名は・・・・・・
大社近辺には、出雲大社が坐す旧出雲国出雲郡杵築郷と同じ地名は、
見当たらないなあ。移住してきたのなら、旧若狭国高浜からの移民が
定住した集落の旧高浜町のように、踏襲地名があるはずなんだが。

27 :
気多大社の御本尊は誰ですか?

28 :
気多大社の近くにモーゼの墓というのがあるらしい。
もしそれが本当なら、気多大社と何らかの関係があるのでしょうか?
そうなると気多大社のご本尊はひょっとしてモーゼ様?

29 :
>>28
ありましぇん

30 :
>>27>>28
今も残る大社神宮寺真言宗『正覚院』御本尊なら阿弥陀如来だが、神仏分離令から
既に百有余年経過しているのに、何で神宮寺御本尊に拘泥するの?
江戸時代ならともかく現代では、大社御祭神大己貴命を参拝すればよいのでは?

31 :
>>7
久麻加夫都阿良加志比古神社近在の国道沿いの石川県には少ない
道の駅には、「お熊甲祭」枠幟レプリカがあるようですね。
道の駅 なかじまロマン峠 
http://www.hrr.mlit.go.jp/road/miti_eki/each_folder/nakajima/nakajima.html

32 :
大己貴は大国主と同一なんですがこの神社では大国主とは言わないのは単なる好みの問題?

33 :
>>30
気多大社が秘蔵する御神体は、御祭神大己貴命が害鳥を退治した際の
剣でしたっけ?

34 :
>>26
大国主は、出雲から能登小木港(珠洲郡内浦町)に漂着したとの説が、
あるようですね。
[629] 日本周遊紀行(212)羽咋 「気多大社」
http://www.c-player.com/ac79563/thread/1100084271030

35 :
やたらとおみくじがあるな

36 :
>>34
出雲から半島の内浦に漂着上陸は、海流からみて考え難いだろ。
この短大准教授の説のように、外浦輪島付近なら妥当だろうが。
”神格が、はじめに現在の輪島付近と思われる地に漂着し、奥能登を外浦から内浦へと、
土地毎の悪霊的なものを調伏したりしながら巡回する。次に、七尾所口へ再度漂着した
うえで、さらに口能登の悪霊的なものを調伏しながら、羽咋方向へ巡回する。そこで
社地を定めた・・・・”
漂着・巡回する神格の伝承とその時代性 1996年3月 小松短期大学 由谷裕哉准教授
http://www2.komatsu-c.ac.jp/~yositani/keta.htm

37 :
>>32
大和の古社大神神社の祭神が大物主・大己貴・少彦名の三神ということは、
大国主と大己貴とは、別人なのかも。
大神神社 祭神 大物主大神、配祀 大己貴神・少彦名神
http://www.oomiwa.or.jp/c02/c02_02.html

38 :
少なくとも大物主と大己貴は別人みたいね

39 :
>>13
この崇神天皇6年創建と伝える古社ですね。伊須留岐比古って誰?
伊須留岐比古神社 御祭神 伊須留岐比古 鹿島郡中能登町石動山子乙1
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/isikawa/kashimagun/isurugihiko/isurugi.html

40 :
龍神様です。

41 :
違うでしょ

42 :
>>39
これらの御祭神と同様に、○○比古たちは弥生期にその土地を開拓した
土豪・部族の首長家のご先祖なのでしょう。
久て比古神社 御祭神:久延毘古神 鹿島郡中能登町久江ヘ66(2009年5月4日)
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/isikawa/kashimagun/kutehiko/kutehiko.html
鳥屋比古神社 御祭神:鳥屋比古神 鹿島郡中能登町春木ナ87(2009年5月4日)
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/isikawa/kashimagun/toriyahiko/toriyahiko.html
白比古神社 御祭神:白比古神 鹿島郡中能登町良川ト1(2009年5月4日)
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/isikawa/kashimagun/shirahiko/shirahiko.html
百沼比古神社 御祭神:百沼比古神 羽咋郡志賀町百浦ヘ48 (2009年7月12日)
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/isikawa/hakuigun/momonumahiko/momo.html

43 :
>>37
大国主は、八百万神の集合体?
67 :66:2010/10/07(木) 09:15:11
・・・大国主はあまりにも他の神と比べて多くの異名を持ち過ぎてるし、
本来は固有の神でなく、出雲やその周辺で信仰されていた
雑多な神の集合体に近い存在だったのかもね。
出雲大社 その10
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1284980554/66-67

44 :
>>7
熊甲社は旧鹿島郡熊木郷にあるが、意富加羅国王子と伝わる都怒我阿羅斯等を
祭神としているように、文化面から高句麗系でなく加羅・新羅系の人々が渡来
集住した地らしい。カラ・シラのつく地名も残存しておるのかな?
「新羅の神々と古代日本―新羅神社の語る世界―」 出羽弘明 同成社 2004.5 p68〜
http://homepage3.nifty.com/douseisha/rekisi/kodai/kodai.html#r1

45 :
気多大社にたどり着いた人は実はモーゼではないだろうか?
だから羽咋にモーゼの墓が実在するのかも。

46 :
>>45
モーゼに関連するなら気多大社にはダビデの星があるはずだ。
もしかして「入らずの森」の中にその証拠があるのかもしれないが、真偽の程は定かではない。
大国主命=モーゼという事はありえるだろうか?

47 :
>>32
大己貴は大国主の若い頃の呼び名です。

48 :
>>42
鹿島郡旧鳥屋町良川にも、白比古神社があるんですね。著名な旧田鶴浜町白浜の
白比古神社と祭神も同じということは、新羅国からの来住者が内陸部の鳥屋町にも
植民地を拓いたわけですね。
石川県の新羅神社(2)白比古神社/久麻加夫都阿良加志比古神社
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/116.htm

49 :
初詣の混み具合はいかがでしたか?

50 :
>>43
北國新聞1/3朝刊によれば、1/2珠洲神社では飯田高校の女子高生等が「朝日舞」を、
羽黒神社では同じく飯田高生が「浦安舞」を、それぞれ舞踏したらしいね。
巫女を務める女子高生に求められる資格要件は、何々なのだろう?

51 :
エロさじゃね?
今いるかわからんけど、3年まえに見た巫女はチョーエロ可愛かったぜ!!

52 :
>>51
妖艶度以前の基本資格が、これだろう。男性神の接遇取次ぎ役だから、
生娘でないとねえ。
4 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/19(日) 00:19:00
Q5 じゃなくてはダメ?
既婚女性は巫女なれない。ということは暗にであることが条件ともとれる。
が望ましいであろう・・・・
【七五三】 巫女さんのアルバイト3 【年末年始】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1292683009/4

53 :
>>49
ameblo初詣紀行文発見。blog主のみわわサンは、金沢市出身東京在住の
イベントMC稼業のようですね。
気多大社へ初詣♪ 2011-01-03
http://ameblo.jp/miwawas-room/entry-10757161099.html

54 :
>>40
龍神様ならぬ虎神様「伊達直人」様が、石川県にも降臨されたようですね。
「伊達直人」贈り物続々 宝達志水町ではゲーム機や遊具 小松市では宅配便 2011/01/12
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/E20110112002.htm

55 :
>>24
旧羽咋郡大海郷宿の宿東山1号墳は、4世紀前葉築造の纒向型前方後円墳とされて
いるから、この地の当時の支配者はヤマト王権の文化を受容した土豪だった。
その当時の支配者羽咋君の祖とされる垂仁天皇の皇子石撞別王に仮託された
ヤマト王権の越地方侵攻軍勢に平伏したのだろう。
軍を率いる皇子に一族の女を供出し、生まれた男子を後継者に据えてヤマト王権へ
従属し一族の安泰を図ったのが、羽咋神社の祭神伝承なのだろう。

56 :
重要無形民俗文化財の「鵜祭り」って、景気卜占神事なの?
”神前に放たれた鵜(う)の動きで来年の運勢を占う鵜祭りが十六日未明、羽咋市の
気多大社であった。鵜捕部(うとりべ)が真っ暗な本殿に運んだ鵜はかごから放たれると、
一気に正面に飛び・・・・”
「来年は景気回復する」 気多大社で鵜祭り 2010年12月17日
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20101217/CK2010121702000150.html

57 :
>>56
大学入試センター試験の土日なのに、日本海側が年末に続き雪模様、当地も
20余cmの降雪に見舞われたのは、誰の今年の運勢やったのやろ。
【センター試験】2日目、雪や交通トラブルの遅刻14人に 岐阜で新たに1人 2011.1.16
http://sankei.jp.msn.com/life/education/110116/edc1101161256007-n1.htm

58 :
>>13>>16
こちらのスレが参考になるかと。
木の神 久久能智命 久々智命
http://www1.atchs.jp/test/read.cgi/tokyoblog/36/

59 :
>>4
気多社の宮司って、昨'10.11に兄から弟に世襲交代したの?大社と肩そびやかせても、
まるで同族経営企業なんだね。「社棟隆盛」というのも俗世間の新任社長のお定まり
標榜「社業繁盛」の猿真似か?
”羽咋市寺家町の気多大社は三十一日、松尾孝夫宮司(66)の就任報告祭をした。松尾
宮司は昨年十一月一日付で第二十一代宮司に就任。前任で松尾宮司の兄の三井秀夫氏(78)は
名誉職の大宮司となった。宮司就任報告祭は五十年以上前に行われて以来・・・・”
松尾宮司「社棟隆盛に努める」 気多大社で就任祭 2011年1月1日
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20110101/CK2011010102000128.html

60 :
>>59
この2010/11/01の人事異動ですね。
管理人 2010/11/03(Wed) 19:02 No.1016
新聞に出てましたね、気多の新しい宮司。
どうやって決めたのか分かりませんが、三井の弟松尾ですね、いきなり息子じゃ
余りにもえげつないからかな・・?・・・・・三井一族による世襲制のスタートか。
http://kota6.s19.coreserver.jp/ice/2/b.cgi?page=0&res%3A1014=+%95%D4%90M%82%B7%82%E9+

61 :
>>36
紀に記されたAD570年に沿岸に漂着した高句麗使節に、大王と偽称応対した
道君事件でも判るように、朝鮮半島からの来着者もあったのだろうね。
http://www.kanazawa-gu.ac.jp/university/bijyutu/bunkazai/kouza/h2011.pdf

62 :
>>34
気多という郡名が、因幡国気多郡、但馬国気多郡と沿海2国にみられるから、
このどちらからか漂着したのでは?

63 :
でかした!

64 :
>>62
大国主率いる出雲族が、隣国因幡国気多岬を経由して、越国のヌナカワヒメ妻問いの
途上に、能登国に立ち寄ったのでは?
128 :天之御名無主 :2008/12/31(水) 10:24:05
・・・”白兎海岸は、確かに沖合いの島といい、ワニの背中に見立てられる恋が島といい、
気多の前(けたのさき)といい、古事記神話の舞台にぴったりの場所だと思えます。
しかし、ここは高草郡であり・・・天穂日命が高天原より遣わされて出雲へ出向くときの
前哨基地として、湖山池辺りに拠点を置いたような形跡が、神社の分布から推測され・・・”
八上 白兎神社
http://blogs.dion.ne.jp/yakamihakuto/archives/5035571.html
因幡の白兎はシュモクザメに
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/998135412/84-128

65 :
  ∩∩
 (・ x ・)でしょ?

66 :
>>57
つーかセンター試験と石川県の私立高入試の辺りって毎年寒波が来るし、暖冬の年でもその
時期だけはちょっと雪が降ったりするじゃん。大寒なんだし。

67 :
>>56
この3連休に開催されておるフードピアランド会場の伝統芸能舞台では、
「鵜祭り」も披露されているのかな?
フードピア金沢2011 フードピアランド
日時:2011年2月11日(金・祝)〜13日(日) 10:00〜18:00
場所:石川県中央公園 
http://www.kanazawa-cci.or.jp/food/index_03.htm

68 :
>>54
トキが羽咋市に飛来降臨したようですね。NHKの報道では、市内柳橋町の羽咋高校裏の
田圃に来臨したとか。生物クラブの諸君のレポを、期待しますよ。
1 :西独逸φ ★:2011/02/17(木) 16:51:30 ID:???0
新潟県佐渡市で08年に放鳥された雌のトキが17日、石川県羽咋市で確認された。頭や首が
黒く色づき、繁殖期を迎えたとみられる。
羽咋市によると、16日午後2時ごろ、市内の田んぼで農業の男性が見つけ、市に連絡した。
足輪の識別番号から、08年9月に佐渡島で放鳥された10羽のうち1羽で「トキメキ」の
愛称で親しまれる生後約5年の雌と確認された。羽の内側が薄いピンク色に変わり・・・・・
【いきもの】トキ、石川県羽咋市で目撃される 繁殖期を迎えたとみられる
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1297929090/

69 :
>>64
気多神社が、元越中一宮?
能登国一宮(気多神社)  2010/5/16(日)
http://blogs.yahoo.co.jp/arama_mkt/25738504.html

70 :
>>63
世上では先週3/11以来、東北地方太平洋沖地震が惹起した東電福島原発事故ニュース
一色ですが、気多大社も十数km北に志賀原発が稼動しておるからねえ。
2007年3月の能登半島地震の際は、たまたま休止中だったっけ?
528 :名無しさん@お腹いっぱい。(東京都):2011/03/15(火) 11:37:27.72
2号機が爆発して4号機に火災が発生しているそうだ。
人体に影響があるシーベルトが確認されたとのことだ・・・・・・
福島原発事故 被爆対処情報スレ
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1299980361/528

71 :
>>32
古事記の記す「稲羽の素兎」段で双方が同時に登場しますから、大國主神と
大穴牟遅神とは別人でしょうね。
”故、比大國主神之兄弟、八十神坐。然皆國者、避於大國主神。
所以避者、其八十神、各有欲婚稲羽之八上比賣之心、共行稲羽時、
於大穴牟遅神負 、為従者率往。
於是到氣多之前時、裸菟伏也・・・・・・・・・・・・・”

72 :
>>19
旧鹿嶋郡御祖村小田中集落に残る新王塚古墳は、言われるように能登国国造、能登臣の
祖とされる崇神天皇皇子、大入杵命の墓と伝承されています。能登臣氏の発祥地だから
御祖村という地名なんでしょうね。
とすると、邑知地溝帯の対辺北辺の旧鹿嶋郡能登部村に座す大入杵命と同じく能登臣の
祖能登比古を祭神とする能登部の能登部神社の所在は、後代の能登臣氏の発展を示唆
するのかな?
能登部神社 http://www.genbu.net/data/noto/notobe_title.htm
小田中親王塚古墳 http://isitabi.aikotoba.jp/nakanoto/haka1.html

73 :
>>71
>比大國主神之兄弟、八十神坐・・・・・・
大國主神と八十神とは記のいうような兄弟ではなく、後年の戦国時代の如く闘争相食む
近在邑の首長だった?
”スサノヲとヤマタノオロチ、オオクニヌシと八十神といった形で、神々の闘争が
あったことが読み取れるのです・・・・”
古代出雲『出雲の神々の多様性』の謎(その9) 2011/04/02
http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/61793443.html

74 :
>>72
能登部神社って、気多大社起点のこの口能登路・外浦寺社巡りプランに
加入されている神社ですね。
ほっと石川 奥能登路・外浦コース  気多大社 → 妙成寺 → 能登部神社 → 
神代神社 → 高爪神社 → 總持寺祖院・芳春院 → 蓮江寺
http://www.hot-ishikawa.jp/modelcourse/mc.php?mc_id=002-0004

75 :
>>74
神代神社に、旧羽咋郡徳田村の「おりん」という娘の藩主前田利家側室伝承?
江戸時代の采女制?
神代神社 羽咋郡志賀町神代コ1 御祭神:宇迦之御魂神
http://www.mirage-jp.com/~it-p/notonavi/cgi-bin/frames/cgi/detail_fr.cgi?seq= 265

76 :
>>75
1989年に再建されたらしく、こちらの写真が現在の社殿ですね。
神代神社 羽咋郡志賀町神代コ1
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/isikawa/hakuigun/kakumi/kakumi.html

77 :
>>3
羽咋神社は、羽咋七塚と呼ばれる古墳の脇に創建された社なのですね。
羽咋七塚・羽咋神社
http://inoues.net/ruins2/hakui7tuka.html

78 :
>>71
>於是到氣多之前時・・・・・
因幡国に氣多という地名があるのですね。そういえば気多郡というのがあった。

79 :
>>78
気多という地名は、因幡国気多郡以外にも主に日本海沿いに点在しておるのですね。
”「気多」という地名があるのは、意外に多く、遠江国(静岡県西部)山香郡気多郷、丹後国(京都府北部)加佐郡に気多保、
因幡国(鳥取県東部)にもかつて気多郡がありました。
 明治29年(1896)、鳥取県の旧気多郡は高草郡と合併して、気高郡となり・・・・気多の島という名は、『出雲風土記』の
出雲郡の条にも・・・・わが兵庫県気多郡も城崎郡と合併し明治23年(1890)に消滅・・・・
 「気多の名前が分布しているのは、出雲、因幡、但馬、能登と太平洋側の遠江の五ヶ所に限られる。但馬の気多神社も、
祭神は出雲国と濃い関係にある大己貴命(おおなむちのみこと)だというから、気多という名を負う気多氏は、出雲の国から
起こって、その一族の播居地に、気多という名前を残していたとも考えられはしないだろうか。」
と日高町史は記しています・・・・・・・
岐阜県飛騨市古川町上気多(飛騨国)、福島県河沼郡会津坂下町気多宮字宮ノ内(上野国)がありました。それぞれ
気多若宮神社、坂下町は地名の通り気多神社(宮)で神社が・・・・・・・・”
【新説但馬史】弥生3. 塗り替えられた気多の歴史 
http://koujiyama.at.webry.info/201005/article_1601.html

80 :
>>79
直江津に坐す越後国一宮の居多神社も、これらの一連でしょうね。
居多神社 御祭神:大国主命・奴奈川姫命・建御名方命 上越市五智6-1-11
http://www.geocities.jp/flow_and_stock/jisya-cyubu/kota.html

81 :
>>79
>気多の名前が分布しているのは、出雲、因幡、但馬、能登と・・・・・・
日本海沿いに点在とすると、丹後、若狭、越前、加賀の各地にも気多の地名なり
気多社が、往古には在ったのかな?

82 :
>>81
越前、加賀には、気多社があるようですね。
”「神名帳」によれば、気多神社と称するものが但島、能登、越中、越後(居多神社と称する)にあるほか、
加賀には気多御子神社があり、国史見在社として越前に気多神社がある。してみると、古代、気多の神は
日本海沿岸でひろく祀られていた神で・・・・・・・”
国幣大社気多本社 http://inoues.net/ruins2/keta_taisha.html

83 :
>>79
気多若宮神社というのは、例年、4月に高山祭と相前後して催される古川祭が、
大震災自粛で今年は中止されたこの神社ですね。
”東日本大震災が起き・・・・古川祭を行うか・・・・・中止が発表された・・・・”
高山祭・古川祭(上) 2011年04月05日
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000721104050001
気多若宮神社 吉城郡古川町上気多1297
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/gifu/hidasi/keta/keta.html

84 :
大国主は気が多い男じゃ!

85 :
ケタというのは古代の言葉ではサメ
タカミムスビの命をうけてオオナチとスクナヒコナが北陸を制する時に実行部隊として働いた部族がケタ族
べつにたいしたことはないから掘り下げて考えることはない

86 :
>>83
出雲国島根半島気多嶋を原住地とする海洋民気多族が、日本海を東上し沿岸各地に
植民したのは首肯されるのだが、海路から懸隔した飛騨国山間地まで進出した動機は
何だったのだろ?
水産物の他に、玉石鉱物の類の何かを追い求めていたのだろうか?

87 :
>>86
北部九州原住の海人族安曇族が、飛騨国の隣国信濃安曇野まで進出した例もありますね。
安曇族は、何を追って安曇野まで北上したのかな?

88 :
>>87
福士幸次郎の「原日本考―古代日本と鉄の文化」によれば、阿曇族は鉄を求めて信濃国山中まで、
海岸から南下或いは北上したとありますね。鹿島川、高瀬川等の流域松本平は砂鉄の産地だったと。 

89 :
あと、船の材料になる木材とかは駄目?
高い山や特徴のある山は航海上の目印になるから重要だったりして?

90 :
>>89
なるほど船材入手目的ですか。古代人はどういう造船術と航海術を会得していたの
でしょうね?
AD4世紀の遺跡とされる但馬国出石町袴狭遺跡で出土した船団の線刻画には、
丸木舟から進歩した準構造船が描かれているそうですが。
http://kamnavi.web.fc2.com/log/yumv0706.htm

91 :
船の材料じゃねぇよ
鉱脈が目的に決まってるじゃねぇか

92 :
金が出るのか

93 :
鉱脈=金 という考えが単純すぎるw
船の材料とかいうのも話にならん
もっとも気多大社も気多神社も宮司が欲深い奴らばかりで神社としての体がなっていないのだが
こんなところを語る奴らは何らかの意図がないと語らない
大方>>1は気多大社の色呆け欲深宮司の仕業だろうな

94 :
>>92
西洋人やスキタイ人と違って古代の倭人には、黄金を珍重する価値観はなかったらしい。
黄金を尊ぶようになったのは、金ピカ仏教文化が舶来されてから。
それ以前の古代のコガネは、黄金でなく粉金即ち砂鉄を指していたらしい。
明治期まで、世界各国と違い本邦では装身具といえば勾玉や簪くらいしかみられない
屈指の装身具嫌いというか未発達文化と通底した国民性だった。
装身といえば、文身だったのかな?

95 :
>>94
万葉集所収の山於億良詠「銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母」
とあるぞ。詠まれた8世紀中葉では、黄金は尊い金属の2番手に位置づけられていた。黒鉄は、
貴金属だったのかもしれぬが、当時はコガネでなくクガネと呼ばれた黄金よりは下等だった。

96 :
>>88
海人族阿曇族は、信濃国安曇郡だけでなく信濃国筑摩郡吾妻村、更に東方の上野国吾妻郡、
下野国足利郡吾妻村、陸奥国安積郡などの何れも沿岸でない山中の地名に足跡を
遺していますね。

97 :
金が目当てなんだ

98 :
>>96
山間地の他にも、羽咋市北隣志賀町の旧福野潟北岸に安津見という
地名が残されていますね。
”奈豆美比刀iなずみ姫)は、志賀町安津見(あづみ)の奈豆美比盗_社に・・・・”
能登半島(石川県)の安曇氏 2010/01/14
http://rokujigen.iza.ne.jp/blog/entry/1412604/

99 :
>>98
これらの安曇氏の足跡の一つですね。
830 :名無しさん@京都板じゃないよ:2009/10/03(土) 08:35:07
・・・谷川健一の「日本の地名」p42で、奈豆美比盗_社が鎮座し古代海人族安曇氏の
居住地として取上げられている安津見地区のある羽咋郡志賀町のことですね。
同書によれば、安曇氏の本貫は筑前国糟屋郡で、足跡を示す地名が、阿波、淡路、
播磨、摂津、河内、近江、三河、美濃、伯耆、信濃の各地に存在するようですね。
【神社】寺社から古代を語りませう【仏閣】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1158458412/830

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