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2011年12月1期哲学42: マルテイン・ハイデガー 1889-1976 (293)
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マルテイン・ハイデガー 1889-1976
- 1 :11/11/01 〜 最終レス :11/12/06
- 1889年9月 メスキルヒに生まれる。
1919年 フライブルク大学哲学第一研究室にてフッサールの助手となる。
1920年 フッサール61歳の祝賀会でヤスパースと意気投合。哲学者として認め会う。二人
の書簡は『往復書簡』として遺される。ただ、ハイデガー思想がよく理解できなかったこともヤス
パースの自伝に打ち明けられている。
1927年 『存在と時間(有と時)』刊行。ターム:Dasein 現存在、現有。 In-der-Weit-sein
世界内存在、世界の内に有ること。 Seinsverstandniss 存在了解、有の理解。 Verfallen
頽落。
1933年4月 周囲の推薦でフライブルク大学学長になる。同時にナチス党に入党。
1934年3月 総長を辞任。
1936-1938年 論稿『哲学への寄与』執筆。生前は刊行を禁ずる。ターム:Seyn 有・、奥深い存在。
Ereignis 性起、呼び求める促し。 Ab-grund 底無しの深淵。
1946年 『「ヒューマニズム」に関する書簡』執筆。サルトルの命題《実存は本質に先立つ》を形而上
学の命題と断ずる。《併し、ある一つの形而上学的命題を転倒しても、その転倒は依然としてある
一つの形而上学的命題に留まっている。》
1961年 『ニーチェ』全2巻を刊行。遺稿「力への意志」をニーチェの最終到達点とし、その意義と問
題をみる。
1962年 『技術と転回』刊行。世界をあまねく算定し、役立つよう立たせ、かつ自分をもそれを確保
するよう立たせる対象と化す人間。
1975年ハイデガー全集ドイツで刊行開始。
1976年5月 心臓麻痺で去。
影響は現代思想ではサルトル、デリダ、フーコー、現代日本では木田元、福田和也、が有名
- 2 :
- スレタイ、きもいなー
なんだよ「マルティン」て。
「マルティン」とちゃんと書けないのかよ。
- 3 :
- >>2
ちゃうちゃう
「マルテイン」になっているわけよ
つまり単なる「半角カナ」の変換にしている(笑)
どういう変換を記憶させているのかねえ??
まあ「人生論」と「変換技術」は関係ないから
どうでもいいのかもしれないけれど
- 4 :
- こういう変な誤字は大抵波平の仕業
- 5 :
- 前スレの終わりで「ハイデガー思想は人生論」への懐疑を述べたんだけど。補足すると、「人生」と
いう語彙に付いた手垢があり、そしてその手垢というのは、生を物語化してしまう、で、そこで
物語化されえないものは排除されるという性格がある。オウム事件のとき、溢れ返ったのがまさ
に物語。麻原の出生、挫折、鍼灸院も失敗。オウム開設。権力志向。王国。重なる無法、犯罪。人。
という挫折と転落の物語ですね。それが合ってるところもないわけではないにせよ、そこに収ま
り切れないものもあったのかもしれない。しかしそれは見事に排除されてしまう。教義上の理由
とか、だからあの事件では捨象されてしまった。それが物語化の威力だと思う。「人生」という
場合、物語(因果性)に収まらないものはないのと一緒になる。ハイデガー思想の場合も、生をとら
える場合に物語に収まらないものも射程に入れていく。だからそこでも「人生」という語彙にはめ
ることには無理があると思うんですね。
- 6 :
- 人生論人生論って喚いているバカなんなんだ。
人間の実存の構造を問えば全部人生論かよw
ウィトゲンシュタイン読んでもそこに人生論しか読まなければ人生論だろう。
- 7 :
- ハイデッガーはどう考えても「一般的な意味での人生論」そのものだろう
- 8 :
- 「一般的な意味での人生論」だと、
人付き合いの仕方とか、幸福論とか、処世術とか
成功法とか、どうやったら自信が得られるかとか、
PHPの本みたいなものになるはずだが、
さすがにハイデガーの本にはそんな阿呆なことは書いてない。
- 9 :
- それは書かれた当時の時代性といものもある
書いた人間が違えば「人生論」の中身だって当然違う
「ハイデガー人生論」ということだな
人生色々 人生論も色々
- 10 :
- 存在神学なんて最終的には人生論でしょ
主体的に行動しようが
存在と言う名の神に身をゆだねようが
人生論には変わりがない
- 11 :
- 仮にそうだとして、だから何なんだよ?何度も同じ事を書いて。
- 12 :
- じゃあお前の考える人生論でない真の哲学ってどんなものかいってみろ。
それでおまえのレベルを判断するから。
- 13 :
- 人生論だって哲学だろ
人生論ではマズイ何かでもあるのか
人生論で大いに結構ではないか
- 14 :
- でおまえは誰を哲学者として評価しているんだ。
- 15 :
- そりゃ
マルテイン・ハイデガーでしょ
波乱万丈の人世論哲学さ
- 16 :
- 本当のところいえよ。
恥ずかしくて言えないならべつにいいけど。
- 17 :
- まさかの竹田青嗣とか。
- 18 :
- あまりレベルのひくい解説書は読まないほうがいいよ。
- 19 :
- ハイデガーの場合、玉石混交で幾つも出てるものな。
- 20 :
- 『ヘタな人生論より「寅さん」のひと言』 河出文庫 吉村英夫 著
- 21 :
-
マルテインは ネ申がかっているぅ〜
- 22 :
- ハイデガーって、それを叩くことで無能が優越感に浸れる便利な存在なんだよな。
ここで粘着しているバカみたいに。理解しなくてもとりあえず政治がらみで叩けるからな。
そういう思想家もどきはこれまで無数にでてきた。
- 23 :
- で、もちろん皆、ドイツ語で読んでるんだよね?
- 24 :
- あまり レベルの ひくい 解説書うわぁ 読まにゃい ふぅおぐぅあ いぃいぃぃ にょおおおうおぅ。
- 25 :
- 生の物語性を人生と呼び、それを論ずれば人生論とすると、そのような物語性を成り立たせる地
平のことを、個体の生の担う歴史性または経歴だと考えて分析したのだと思う。で、歴史性として
既有的に将来する、とうのがそこでの時性のありかただから。そこの辺りの言い方から導けば、
『Sein und Zeit』のもつ性格ー個体の生の軌道や価値観や心の形、 それらの生じる根底を時
の地平から分析した、ということーが見えてくる。
- 26 :
- >>25
君の悪癖がもろに出た文章だな
人生論は人生論で八百屋のお父つぁんにも十分通じることばだ
もともとハイデガーはまどろっこしい表現ばかりなんだから
それを咀嚼して簡単に言うことに意味がある
それを読解というわけだろ
こねくり回したルービックキューブをさらにこねくり回してどうすんの?
- 27 :
- 人生論というのは〈私の人生〉とか〈山田さんの人生〉また〈昭和生まれの日本人の人生〉とか、です
ね。ところがそこにはある特徴があって、それが問題になる。というのは〈人生〉という場合に、前
提としてどうしても自我同一性というのを下敷きにしてしまう。その下敷きの上に〈人生〉を捉え
論じていく。それが人生論です。
ところがハイデガーの場合、人格というのは、現れる精神の深さで変容する。言い換えれば自我
同一性はそこでは問題にならない。これは昨今の凶悪事件で実は暗示されて、しかも無視されて
いる問題としてある。ハイデガー思想に存在(有)としてSeinとSeynの2つがあることは割合に
知られてる。その違いがそれです。ハイデガーの著書にも〈変容を堪え抜かねばならない〉といった
言い方がされている。人間性が変容するわけです。深さによって。これが『哲学への寄与』とかに
書かれていることで、謎めいた部分で、研究者の指摘にも出てこない。これからも出てこないかも
しれない。でも言ってます。それが〈Seynのもたらすいぶかしさだ〉としている。つまり自我同一性
は、成り立たない。ハイデガーの認識を取り入れたら、だから責任観念は成立しない。先のレスで
物語にならない要素が人生論では排除される、そこが問題だと書いた。あれはそういう意味なん
だよ。。そういう話は八百屋のオッサンには通じないだろう(笑)
- 28 :
- ネット上でハイデガーを社会と関連させて論じているとか言うサイトの
アドレス教えろよ
ハイデガーガー君よ
- 29 :
- 八百屋のオッサン差別する君はネット上でだけ天下国家論じるニートか?
- 30 :
- お言葉に甘えて宣伝させてもらいます。
タイトル:Seyn フォレスト
です。なんで、そのタイトルで検索してください。終わりに感想書き込めるコンテンツが
あるので、そこに出来れば書き込んでほしいですね。宜しくお願いします。
- 31 :
- 忘れてました。URLは以下の通りです。
http://id6.fm-p.jp/127/18891976/
- 32 :
- >>27
その「人間性が変容する」というところだけれどボスなんかの現存在分析においては
精神病についてやはり「変容」という形でしか捉えられていないんだよね
これは多くの学者が指摘していて「人間性の変容」としか捉えられないことに対して
多くの批判がなされた(実際そんなに単純なものではない)
そのけっか現存在分析はすぐに下火になって現在では完全に過去の遺物になってしまった
つまり自己主体の考え方があまいなわけですよ…と書いてもわからないか
- 33 :
- >>32
そこは確かにハイデガーの弱いところだね。
まあ人生論ではあっても主体論ではないから仕方ないけれども。
フロイトを読まなかったこともハイデガーのナチ思想と関係あるんだろうな。
フロイトはユダヤ人だったから。
- 34 :
- 人生楽ありゃ苦もあるさ。
ハイデガー
- 35 :
- 32というのはハイデガーに影響された精神科医などが考える人間分析が、実はハイデガーから
みると悉く誤解していた、という1例だと思うんですね。人間の概念の拡張、というところまでは
精神科医は行かない。しかしハイデガーの根本にはそれがある。そこが違う。また、フロイトも
当然読んでおり、ツオリコーンゼミナールにフロイトのことは語られている。事実が知られてない
ね。
- 36 :
- 精神分析がハイデガーのいう存在を捉え損なうのは当然で、
ハイデガーのそれは歴史的な展開=転回として捉えられるものだからな。
精神病理といううすっぺらい現象の底にそれは横たわっているってかんがえている。
フロイトの上澄みだけを頂戴しているカウンセラーにそれを論じろったって無理ってもの。
もし精神病っていうなら、「現代人」がすべて病なんだよ。
フロイトはそれを理解していただろ。単なる精神病理学者でないからだよ。
- 37 :
- 原発爆発して、今後奇形児でも生まれたら、それは存在の性起で好ましい事なの?
- 38 :
- 35に追加すると、例えばSeynということで、〈変容〉ということが一つ言われている、と私は書い
たけども。そうすると、早速そこを解釈されて、‘ああ、これは要するに統合失調症のことだ’とか、
‘それは妄想系の精神病の言い換えだ’とか、言われる可能性が高い。けども、それも違うので。と
いうのも、Seynの開ける時空としての現‐有 Da-sein というのは、〈いぶかしい‐変容〉だとされ
ている。〈いぶかしい〉という語彙はSeynの開け、として頻出してくる語の一つである。これをど
う取るか、も想像力が必要だけども、例えば〈変容〉というと、精神病に入れられる可能性が高いわ
けだから、精神病との関連性でいうなら、現‐有というのが、病気かそうでないか、判断しがたい
ということでは、思う。そこら辺で、精神病医学もそこまでで階段を外されてしまう。Seynの開け
というのがそういう意味合いになるとすれば。そこも非常に今的であると言えると思う。
- 39 :
- 「いぶかしい」ってなんというドイツ語の訳なん?
- 40 :
- ドイツ語以前に、句読点の打ち方等から判断して、
まともな日本語教育受けたのかどうか心配になる
- 41 :
- いぶかしいって「zögernde」の訳だろうか。
- 42 :
- 最近の若い奴はそんな奴が多い。でも、大して若くもなさそうだなw
- 43 :
- いやハイデガーはフロイトを読んでいないも同然だ
ツォリコンゼミで出てくるとはいっても話題として出てくるのみで人間の意識・無意識という重要な視点
そしてフロイトが正しいかどうかということよりも新しい視点を提供している事実には言及してはいない
さらにフロイトは精神病についてその考察はシュレーバー症例のみであり基本的に神経症の研究をした人物
ヤスパースとのやり取りが続いていたのだからフロイトの精神分析を知らないはずは無いのだが
ほぼ無視したに等しい
ちなみに同時代人のウィトゲンシュタインはフロイトについては「師」であるとまで書いているがその思想には
激しくぶつかりかなりの影響を受けていた
ウィトはハイデガーについては「共感はする」という程度の感想を残しているだけ
つい最近になってウィトはソシュールも読んでいたというようなことを指摘している本が刊行されている
- 44 :
- ハイデガーがラカンの新著でたけど読むのが億劫だってアレントに書き送っていることがある。
- 45 :
- >>43
そうなんだろうけれども、ハイデッガーをフロイトやヴィトゲンシュタインと同系列に考えると無理があるよ。
ハイデッガーはやはり「人生論」だと思うから、分析的に細部を考えていく「精神分析」や「分析哲学」なんかとは、
ちょっと相性が悪いんじゃないのかな。
ハイデッガー人生論は歴史から顧みる、いわば歴史の集積から人生を考える手法だから、文献学や解釈学に親和性があると思う。
以前に、親鸞がどうたらこうたら…ということが出ていたけれども、そういうもっともらしい話題も、ハイデッガーが人生論を
考えていたからこそのことでしょ。
だから現存在分析にしても、現代では化石状態だし、「現象学的精神医学」は今でも続いて発展しているよね。
ハイデッガーも、精神分析を取り入れられれば取り入れた思考をしただろうけれど、先に書いたように親和性がないから組み込めない。
「人生論」という言葉に抵抗がある人がいるようだけれども、ニーチェもキェルケゴールも人生論だし。
かりに「人生論」を否定してしたとすると、大抵の有名哲学者を否定することにもなるしね。
- 46 :
- 38に続けると、学は因果性によって、論理によって行為を解析する。で、そこで解析されないも
のは無として排斥されていく。しかしハイデガーが掘削したのはまさにその無であり。いかなる
因果性からも外れていくもの、つまり無なわけで。現‐有という時空とは〈底無しの深淵 Ab-
grund〉だというところが、そこを、つまり根拠の〈底無し〉を言っている。それが行為に関する従
来の分析から外れていくところになる。
「訝しい」は原語では befremdlich になってますね。「意外な、不審な、訝しい」とあります。
- 47 :
- >>46
「根拠の〈底無し〉」といってもそれはやはり根拠はそれぞれの時点ではあるわけで
その〈底無し〉に思えることを追っていけばやはり何かに突き当たる
それが最終的なものではなくとも経験や欲望やDNAにまで行き着くことは当然だと思うし
ハイデガーとフッサールが決裂したのもフッサールは現象学でハイデガーは人生論を志向していた
という事実の部分ですれ違ってしまったというのが真相なんじゃないかと思う
ハイデガーは歴史でフッサールには歴史は重要ではなかったから
- 48 :
- 人生論というのは広すぎるんです。夏目漱石の文学も人生論。親鸞も人生論。サルトルも人生論。
長渕剛も人生論。宇多田ヒカルも人生論。クラプトンも人生論。寺山修司も人生論。柄谷行人も
人生論。ヘーゲルも人生論。小林秀雄も人生論。吉本隆明も人生論。福山雅治も人生論。岡林信康も
人生論。佐野元春も人生論。尾崎豊も人生論。浜田省吾も人生論。渋谷陽一も人生論。唐十郎も人
生論。ベルイマンも人生論。小林よしのりも人生論。カントも人生論。ジョン・レノンも人生論。
etc.
どんな思想家もシンガーソングライターも作家も、どっかで「どう生きるべきか」と問うし、「生き
るとはどういうことか」と問う。またはそういった問いを孕みながら独自性を表現する。それはそ
うだが、そこで纏めても何も言ったことにはならないし、どっかでその人生観が出てたり、してい
るからといって、また人の生死を語ったからといって、「彼らは結局人生論を語ったのだ」とか言
っても何も言ったことにはならない。生が結局主題だから、無関係ではないが、それを人生論で
纏めても無意味だと思います。ミソクソで粗雑だし、個々の方法論も無視したがる。関心できない
ですね。
- 49 :
- >ミソクソで粗雑だし、個々の方法論も無視したがる。関心できない
>ですね。
これはハーデガーガーのおっさんが典型だろう
- 50 :
- >>48
それをいったら哲学も同じでしょう
みんな哲学になるし
だいたい人生論をやっている人が多いということはいけないことなのかな?
「その人の人生論」という意味で成り立つのだから問題ないと思うわけですよ
化学といったって高分子化学もあれば反応化学やら色々とある
しかしそれらをひとまとまりに「化学」と呼ぶ便宜性をとっている
人生論のも色々とあるけれど人生論というくくりで呼ぶと「そういうことか」と
理解がしやすいのは事実だしどの分野でもそうしていることは決して変なことではない
医学だって何種類もあるしね
>>48は考え方が偏狭過ぎるんじゃないのかなあ?
- 51 :
- まだ人生論バカがでてきた。
現象学もフッサールの人生論だよなw
- 52 :
- フロイトやマルクスなんてもろユダヤ的人生論の代表だろう。
レヴィナス以上にそうだよ。
彼らの理論を科学的とか客観的とかいうひといまいないよ。
- 53 :
- 〈底なし〉の人生論
これぞまさしく
ハイデガーの
真骨頂なり
『歴史から学ぶ〈底なし〉の人生論』ハイデガー著より
- 54 :
- >>47
フッサールもハイデガーも読んだことないの丸バレw
まさか僕とツンデレとハイデガーとかで哲学勉強している?
- 55 :
-
私の 人生 暗かったぁ〜〜♪
−這い出るゲロ−
- 56 :
- _,........._
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l (´ ` :ィtナ、"': .:r'ニ、l
ヽ ´' ::'`´ ,.l
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i:(i :. ,:' ‐,,、 ,:::: ./
/::::::::ヽ、 ,:'ー 'llllllllli;, / <確かに私は人生論者だよ ♥
,r'´::::::::::::::::::ヽ -‐‐ /
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- 57 :
- <ダイヤモンド社>
『人生を創る』 よしもと ばなな 著
税込価格 : \1680
- 58 :
- 『郵便的不安たち』の22頁で東浩紀がこう言っている。
《いまは「哲学」や「思想」というと、一方ではニーチェや現象学に依拠するいつも変わらない人生論
もの、他方でアカデミックには文化研究(カルチュラルスタデイーズ)やポストコロニアル批評
が主な流れになっている。僕にはこれは両方とも、何かのための哲学のようにみえる。つまりそこ
では哲学は、よく生きるための、あるいはよく社会を知るための一種の道具になっている。》
ここで東は持論の導入部として、ニーチェや現象学が人生論に使われていく状況というものを
指摘して、哲学の人生論化として指摘している。東がそのように指摘する前提に、東にとっての哲
学の在り方というのがあると思う。少なくとも東にとっては、ニーチェや現象学とはそのような
ものではない。だからこそここで上記のような批評が導入部として為された。ニーチェや現象学
が人生論に使われてく状況、というのが80年代以降、一般化して行っている。そこに東は気付いて
、その上で、自分はそうはならない、という方向を彼なりに決めたのだと思う。東と違いデリダは
私は高くは評価しないが、上記のような現在の哲学の使われ方への批判には共感するところが
あった。このスレでの‘ハイデガーは人生論だ’という読み方も、よき社会生活のために使える、
という当世で流行りの哲学入門の影響下にあるのではなかろうか。どうもそんな気がする。東に
言われるまでもなく、市民社会の次元まで平坦化するわけで、どうしようもないと思う。
- 59 :
- 東は市民社会のなかでうまく立ち回っているだろう
その東の言葉を真に受けているお前は単なるカモだよ
- 60 :
- ついでに言えば、昨今の哲学入門によくあるタイプの本はいずれも、哲学というのを何
らかの実効性に還元し、‘いかに役立つか’を強調する、哲学の機能性を基にしている。し
かもこの手の本を書く輩はおそらく自分のやっている行為の本質に疎いまま書いている
わけで、そういうところもこの手の本の特長だろう。間違っても現存する社会の土俵から
は出ていかない。
- 61 :
- >このスレでの‘ハイデガーは人生論だ’という読み方も、よき社会生活のために使える、
という当世で流行りの哲学入門の影響下にあるのではなかろうか。
どうも58は偏見に満ちているような気がする
「人生論」が悪いかのような書き方だ
そして大きな勘違いは「現象学」と「人生論」というのは相性がが悪いという事実に気づいていないこと
「現象学」はその後の発展継承をみても「論理学」の系譜でありだからこそ「分析哲学」へと受け継がれていった
「精神医学」や「オートポイエーシス」などにも導入されている
さらにいうとハイデガーはもともと「人生論」の学者であったしその差異は『ブリタニカ草稿』を読めば一目瞭然だ
ハイデガーは「木を竹で継いだ」ように「現象学」と「人生論」を強引に接合したことに無駄な難解さが表出してしまった
東浩紀の言説は・・・全然駄目な本ですよそれ(笑)
- 62 :
- そりゃなんだって人生論になるさ。w
- 63 :
- おまえらちゃんと、穿いでっがぁ?
- 64 :
- さすが東はドイツ語できないだけあって的外れすぎて意味がわからない。
現象学に依拠した人生論ものが流行ってるって、なんだそりゃw
- 65 :
- カルスタやポスコロ批評が哲学のアカデミズムで主流になったことなんかないしね。
馬鹿そうなオタクだし、批評空間とかがアカデミズムだとか思っちゃったのかなw
- 66 :
- >>62
そりゃなんだって人生論になるさ。w
そりゃなんだって文学になるさ。w
そりゃなんだって哲学になるさ。w
不毛な思考回路だな。w
- 67 :
- フッサールはマッハの認識論から刺激を受けて最初は心理学の改造みたいなところから始まった。
ハイデガーに接続して初めてかなり広い意味で人生論といえなくもない、という感じ。
現象学が人生論って竹田青嗣とかそういうのか?竹田さんの本は読んだことないけど。
- 68 :
- ハイデガー人生論は無駄が多いよな
- 69 :
-
━━━一 ポッキーでも喰えよ
- 70 :
- ハイデガーは人生論である。ハイデガーは人生論ではない。人生論の取り様でどっちも言えるの
で。真の人生論とは有の問いのことである。と言えばまた元に戻るわけで。または〈人生論の究極〉
=〈有の問い〉としてもいい。そうするとハイデガー思想の適切な形容にはなる。問題は有の問いは
人生論に入るか、にある。ハイデガーは人生論。という読みは当然それを肯定するだろうから、
それ以上で人生論という語彙に拘泥するのは無意味でしょう。
- 71 :
- ハイデガーはどう読んでも完全な「人生論」だろう
人生論と何かの境界線上にあるというわけでもなくて完全なる「人生論」
ハイデガーを「人生論」として読まないから意味がわからなくなる
ちゃんとキェルケゴール→ニーチェ→ヘルダーリンという人生劇場の流れがわかれば
自ずとハイデガーは読める
「有の問いは人生論に入るか」とか実に馬鹿馬鹿しいことを書いているが
ハイデガーは「人生論」に「存在論」を絡ませたが相性がことごとく悪かっただけのはなし
あんた本当に読む力が無い人だねw
- 72 :
-
━━━一 まあポッキーでも喰えよぉ・・・・・
- 73 :
- 存在と時間は本当の真実の正体ですよねー!?♪。
- 74 :
- 《跳躍とは、性起への聴従的帰属性の備えを跳躍的に‐開くことである。神々の到来と出奔との突発
的出現と欠在、すなわち性起は、思惟という尺度に合わせて強いて獲得することはできないが、お
そらく思索的に開けを用意することはできるであろう。その開けは、時‐空(瞬間場)として、有・
の裂け開けを現‐有の内で通路づけるように、そして持ちこたえ得るようにするのである。》
上は『哲学への寄与論稿』251-252頁をただなぞっただけのものだが、これを読んで、「いやあ、
これこそ人生論ですね!」と感心する人間がいたら、文意を把握してないまま適当に言ってるか、
でなければ単なる馬鹿か、どちらかだろう。いや、そうではない、これこそ人生論!というのが
72レスのような人だと思うので、できれば72の人に、《》内のどの辺が人生論なのか、うまく説明
してほしいが。無理ならいいけど(笑)
- 75 :
- 結局人生論の人って、ろくに読まないまま色々言ってる人だというのが真実で、適当に語彙や
名前を繋ぐのが達者なだけの人間なんだろうが。将来的に一大学派になるかもしれない。いや、
きっとなるだろう。多分天才バカボンのパパの大学ですけどね。ああいう暇人が変なことを言って
結構さまになるのが哲学板のいい加減さですね。まあ笑うしかないので。ああいうのでも対話の
ネタを提供してる人間に変わりはないから、その意味での意味はあると思うけど。しかし低いね
え。具体性がないからどうでも言えるんで。「…論」とか言っても意味ないですね。
- 76 :
-
寄与は断章形式で普通の著作とは意味合いが違うというのは常識ですよん?
書きたいこと書いたというよりも書こうとしたしたことをインデックス的に並べた
スレ主がバカボンのパパの大学とか言っちゃうのってそうとうレベルが低いですねえ
正論を言っているだけの人を邪悪な嫉妬と魂胆の崇拝信仰心から出た悪辣なだけの言を弄するのでは
ハイデガー自信が邪悪なナチのレイシストであったようにスレ主自身も単なる誹謗中傷しか手がない
思想なきカルト廃出下痢餡という立場の表明しかできない気の毒な人 ━━━一 まあポッキーでもどうぞ下痢餡さん♪
- 77 :
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- 78 :
- フッサール「ハイデガー君、君と私が現象学だ!」
- 79 :
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~ `二~ _,-‐'´
- 80 :
- ハイデガー「師匠、人生論にかせてください!!」
- 81 :
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l ‐-/´ `y‐'´ ヽ__
!、__,...-'!、__,ノー ノ ``ー 、_ ,
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/ 有と時 `ー‐'´`-、 `ー-、 |
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⊂ニ メ' \\ 人生論 |___ ``7'´ | ヽ ,l | `' 、r''´)
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~ `二~ _,-‐'´
- 82 :
- >>74
しかし『寄与』は翻訳すると大変なことになるなw
この一文を理解するには、存在と時間は無論のこと、後期の思想にいたるまでを全体的に俯瞰していなくてはならない。
- 83 :
- 幸い『寄与』も日本では翻訳されているし、『寄与』についての論考・解説本も
何種類か出ている。
『寄与』を読むというよりも、他の講義や論文などを読みながら『寄与』を参照すべきだろう。
巷間コアなマニア学者が重要視しているが、実際はハイデガーの書式からいっても極めて異質。
書いてきたものの補填解説と、これから書かれるものの予告編と見るのが一般的な意見のようだ。
木田元なんかは『寄与』にはほとんど興味がないらしい。
というよりも、ハイデガーに対して過去の自分はかなりの過大評価をしていたというようなことを
よく書いたり、言ったりしているから、そういう類のものなんだろう。
- 84 :
- >巷間コアなマニア学者が重要視しているが
いや、最近渡邉二郎著作集が出てるんで少々読むと、第4巻は全てが『哲学への寄与』の読解にあ
てられている。晩年はあの論稿の読解に費やしていたのが分かる。渡邉はあれを相当重く受けとめ
ている。それは自分で書いているよ。これを読解しないことにはハイデガーは語れない、くらいの
重要性を見ている。むしろ、『寄与』は全体像の中で位置付けるべき、というのが私の見方だけどね
。あれは重要だけど、あれにハイデガーを収斂させるのもまた違うと思うので。
- 85 :
- たぶん『寄与』はハイデガー自身の思想的見取り図なんだろう。
しかしハイデガー自身が確かに人生論をベースにして思考しているのだから、あまり過大な意味を
持たせることにも疑問が残る。
存在や時間やそういう感覚についての問題は医学・脳科学・神経心理学などが得意な問題だから
これからもその分野が確実に成果を残していくだろうし。
哲学では心の哲学なんかがそうした科学の成果を受けて思考しているから、ハイデガーの入る隙間はない。
ハイデガーは残念ながら、生まれるのが100年遅かった。
それがフッサールの現象学が、医学や科学そして哲学など多岐の分野に接続できたにもかかわらず、ハイデガーは
早くも悪い意味で古典として扱われているという現状。
継承・進展・接続が行われない現代哲学ほど悲しいものはない。
- 86 :
- >>84
『寄与』にはその後発展させられなかったアイデアも書かれている。
それはハイデガーに代わって展開するとおもしろい。
しかしそこはまだまだ研究が進んでいないな。
- 87 :
- いまだまだ『寄与』はいわば解読の途上にある。
決定的な解釈はまだ出されていない。
それを出したひとが次のハイデガー研究をリードするはず。
- 88 :
- 若い哲学本読者層はかなりハイデガーから離れているからね
ジジイ層にしかハイデガーは受けない現状
いずれは化石と化すだろう 南無
- 89 :
- 『寄与』はハイデガーの時間への問題意識からでたものだろうな。
じつは『存在と時間』ではハイデガーは時間論を「まだ」展開していない。
このへんすらまだわかっていない層がいる。
- 90 :
- >>84
>第4巻は全てが『哲学への寄与』の読解にあてられている。
この読んでもいない嘘吐きめ!
渡邊二郎著作集4・目次
1 ハイデッガーの「第二の主著」『哲学への寄与試論集』研究覚え書き(導入的小考探索的考究)
2 『「ヒューマニズム」について』より(ハイデッガー『「ヒューマニズム」について』解説
ハイデッガー新訳の試み ほか)
3 遺稿論文三篇(限界状況歴史的現代の特徴づけとしての技術時代について ほか)
4 「呼び求める促し」の思索から(“Ereignis”についてハイデッガー論のためのメモ)
★遺著『ハイデッガーの「第二の主著」「哲学への寄与試論集」研究覚え書き』ほか、
著者晩年の重要な論文、哲学的思索の結晶八篇を収録。
- 91 :
- Zeit-Raumという概念がでてくるのが『寄与』
その後一貫してこの概念をハイデガーは使う。Zeit-Spiel-Raumとか。
「瞬間場Augenblicksstätte」というのもこれに関係している。
- 92 :
- Zeit-Raumに関連して、後期思想は一般に「場所Ort」の思想という体裁をとるが、
しかしそれは時間思想を秘めた場所思想であることを理解しなければならない。
- 93 :
- 「Zeit-Raum」なら「時−空」とでもいたところなんだけれど
ドイツでは一般的に「時間」かな
しかも「始まりと終のある時間」という意味で使っている
しかしハイデガーの語の意味に翻弄されては駄目だと思う
そうするとかえって読み難い
- 94 :
- >しかしハイデガー自身が確かに人生論をベースにして思考しているのだから
いや、ハイデガーにおいてはそこには重心はないよ。人生といえばそうだけど、生を成立
させる地平が問題視されるのだ。論じることのウェイトが何処に置かれているか、でズレ
ている。だから存在(有)がその地平として、問われていくのだ。無関係とは言わないけど
ね。そこで単なる世界観の問題にも違和感を持ったのだから。ハイデガーからすると、〈
人生としてみたら壊れ物〉というところにむしろ意義を見ている。人生としては無価値、
または廃人、というところに最高の存在(有)はあるかもしれない、そういうことも書いて
る。「人生」というタームだと使い途として不足してるんだよ。『哲学への寄与』の内蔵する
問とはそういうものでもあるんだよ。
- 95 :
- 『寄与』では時間と空間が分離してくるところを捉えようとする野心的な議論があるが、
これは難解過ぎて誰も理解できていないところ。
ハイデガーもその後その議論を展開することなかったのは残念。
- 96 :
- >>94
そいつかまってちゃんだから相手にすんな。
発言からして、全くハイデガーを読んだ形跡がないw
たぶん竹田青嗣の本でかじったんだろ。
- 97 :
- >>94
渡邊二郎著作集12〈全12巻〉
ハイデッガーを超えて
『人生の哲学』
『自己を見つめる』
★生きがいとは何か、幸福とは? 真摯な哲学的思索から紡ぎ出される人生論。
『人生の哲学』『自己を見つめる』ほか、詳細な「年譜」を収録。
二郎さんも最後にまとめて「ズバリそのもの」を書いちゃっているじゃないか
ハイデガーは「人生論の哲学者」なんだよ
文句は亡くなった二郎さんに言ってくれw
- 98 :
- 寄与の時間論の問題意識がおそらく『時間と存在』という最晩年の論考で若干もういちど問われている。
ただこれも講演の原稿だからあまり立ち入って論じたものでない。
時間の第4次元としての現前が問われている。
- 99 :
- >>97
思っくそ人生論やん(笑
渡邊二郎がいうんやからそうなんやろな
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