2011年12月2期日本史48: 水野勝成 (90) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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水野勝成


1 :10/09/26 〜 最終レス :11/12/17
日本史的に見ても英雄だろ

2 :
◆水野勝成の華麗な戦歴◆ 前半生
・掛川対陣。○ 徳川家康VS武田勝頼。徳川家康の麾下、水野忠重の指揮下。武田勝頼戦わずして撤退。勝成、初陣の功名を上げられなかったとして涙を流した。
・第二次高天神城の戦い ○ 徳川家康VS岡部元信。織田信長の与力大名。徳川家康への援軍。朝比奈弥六、その外首十五。織田信長から左文字の名刀と感状を貰う
・武田征伐 ○ 織田信長VS武田勝頼。織田信忠の麾下。水野忠重の指揮下。
・本能寺の変 ? 水野忠重、信長の軍に属し、中国攻めのため宿陣中この変に遭う。忠重には明智に加担していた疑惑がある。
・黒駒の戦い 〇 鳥居元忠二千VS北条氏忠一万。鳥居元忠と喧嘩して勝手に先鋒を務め、自ら内藤某を打ち取る。
・星崎城の戦い 〇 水野忠重VS岡田善治。水野軍は二手に別れ、一方を指揮。
・長久手の戦い 〇 織田信雄、徳川家康VS三好秀次。勝成、三好軍に一番槍。重臣・白井備後(偽物)と一騎打ち。討ち取る。その後、井伊部隊に参加。麾下の杉山孫六は森長可を撃ちす。
・蟹江城の戦い ○ 織田信雄、徳川家康VS滝川一益、九鬼嘉隆。一益の息子滝川三九郎と一騎打ち。三九郎は逃亡。
・桑名の対陣 △ 水野忠重VS羽柴秀吉。この後、勝成、水野家勘定奉行の富永半兵衛を斬って奉公構にされる。
・浪人中、京都清水で喧嘩して、刃傷沙汰を起こす。
・紀州雑賀攻め ○ 羽柴秀長(筒井定次とも)軍として参加。秀吉から七百石。
・四国長宗我部攻め ○ 羽柴秀次軍として参加。秀吉から七百石。
・戸次川の戦い × 仙石秀久VS島津家久。帰還の船の中、同僚を斬りして出奔。秀吉に刺客を放たれる。虚無僧になって逃亡。

3 :
・美作流浪。野武士の安東国貞の娘婿になるが、身持ちの悪さを注意され逆切れ、国貞をして逃亡。
・九州攻め ○ 佐々成政の麾下として参加。
・肥後一揆 ○ 佐々から千石。
 隈本城救援軍の先鋒を任される。佐々家で千石。
 救援軍の立花宗茂に合力。十時連貞と合言葉を掛け合い、無事兵糧入れ作戦を成功。
 田中城攻め 一番槍。
 首謀者の隈部親子を討ち取ったという説あり。
・志岐・天草一揆 ○ 小西家で千石。
 志岐城攻め 先鋒を任された小西主殿介の補佐。
 天草城攻め 攻撃命令がでてないのに清正と呼応して攻略。自ら敵をす。女武者と戦った逸話あり。乱鎮圧後に出奔するわけだが、このとき、行長の本陣に首を投げつけたとか、行長の弟に手傷を負わせたとかの逸話あり。
・長岩城攻め ○ 黒田長政VS野中重兼。黒田家で千石。後藤又兵衛と並び評される活躍。黒田家からも出奔。長政から追っ手を駆けられる。
・朝鮮出兵 三村親成の麾下。十八石。三村家の姫を妻とする。たぶん、毛利麾下の三村軍として渡海したのでは? ちなみに三村家では茶坊主をして出奔するも、すぐに帰参。
・再度三村家出奔。上京途中で盗賊退治した逸話あり。

4 :
◆水野勝成の華麗な戦歴◆ 後半生
・関ヶ原の役 家康麾下。三万石。
 岐阜城攻め 勝成も参加していたという説もあるが、なにしていたか不明。2ちゃんねる情報だと、ミミズ食ってみせて諸大名をビビらせていたという。
 曽根城の戦い ○ 水野勝成VS島津義弘。曽根城を襲った島津に、援軍に駆けつけた勝成が鉄砲を撃つ。義弘はすぐに撤退。おそらく両軍とも死傷者なし。
 大垣城の戦い ○ 水野勝成三千余人VS福原長堯六千余人。関ヶ原の本戦が始まるまえに開戦。三の丸を占拠し、二の丸まで攻め込む。本戦から逃亡中の義弘は大垣城に入ろうとしたが、落城と誤認して方向転換。本戦後に内応工作を用いて攻略。
・大坂冬の陣
 博労淵砦の戦い 家康から大砲の用意を命じられる。勝成に手柄を独占されると心配した蜂須賀が抜けがけ。
 天満橋の戦い ○ 森忠政VS堀田盛高? 森忠政の軍監として救援に駆けつける。ちなみに前任の城昌茂を勝成は職務怠慢で叱責し改易。自らが後任になった経緯がある。
・大坂夏の陣
 大和の戦い ○ 水野勝成VS大野治房 治房軍は、奈良に勝成着陣に風聞に、四里退去。その後、追撃で数人討つ。
 道明寺の戦い ○ 水野勝成VS大野治長。大和口総大将は勝成だが、諸大名、特に伊達政宗はまったくいうことを聞かず、背後から鉄砲まで撃たれた。勝成が自ら槍を持って後藤又兵衛、薄田兼相を討ったという伝説あり。
 天王寺・岡山の合戦 ○ 徳川家康VS豊臣秀頼。真田信繁の寄騎・大谷吉胤を討ち取る。明石全登を撃破。勝成家人の汀三右衛門が全登を打ち取ったという説あり。大坂城桜門に一番旗。
・島原の乱 ○ 松平信綱の麾下。十万石。勝成が到着すると総攻撃決定。すぐに攻略される。このときも勝成自ら前線に立って首を取ったという伝説があるらしい。原城一番乗りを争う(戦後、水野と有馬のどちらが一番乗りかで騒動になったが、公式には決まらなかった)。

5 :

この人、変わりものだよな
遅れてきた青年
戦国時代の純粋培養
生き残っただけでエライよ

6 :
ほとんど何もなかったところに一から町を作った人間はいろいろいるけど、
徳川家康の名古屋(前身の那古野は砦と農村だけの小集落、清洲越えで短期間の急成長)
伊達政宗の仙台
毛利輝元の広島(前身は五箇荘村という太田川中洲の小村)
島津家久の鹿児島
水野勝成の福山(前身は野上村という一農村)は十分賞賛されていいレベル。

7 :
外様大名が密集するなかに備後福山に十万石の大封と福山城という巨城を任され、まさに日向守勝成こそが西国探題格と言ってよい

8 :
福山は三河出身の水野勝成によってほぼゼロから始まった街、
岡山や広島のように地元の中国地方人が切り開いた街ではないせいか、
近隣の尾道三原や倉敷と比べてもどこか独特な雰囲気がある。
尾張三河出身の大名が多かった中国地方の城下町の中でも、異彩を放っている。

9 :
家康の母方の実家の従兄弟ってわけか。

10 :
三河武将は多くいるが、多くは武辺一辺倒である。
しかし水野日向のごとき、戦のみならず城下街建築にも比類無いスキルを発揮する武将はおらぬ

11 :
>>9
徳川家康の母親は水野勝成の父親の姉。
二回り近く離れてはいるものの、一応従兄弟関係。
水野勝成は日本初の本格的な地域通貨である「藩札」を発行し、
同時に本格的なものとしてはこれまた日本初の公債制度も確立。
下水道も福山は中国地方では真っ先に整備された町のひとつ。
尾張三河出身の武将は脳筋肉的な印象が強いが、彼は文化振興でも都市経済でも
成果を挙げている、極めて特異な人物。
藩の領域はさして広くなかったが、水野家断絶の時には既に
表高の1.5倍の実高を計上していたという。

12 :
>>11
水野はそもそも松平家臣でもないしな。
本多、大久保なんかとは毛色が違って当然かなと。
西国・上方で活躍したこと、家康の閨閥という点で奥平信昌と似た立場だな。

13 :
水野氏は独立大名だったけど、知ってるやつほとんどいねえ。
三河刈谷ですら、誰それレベル。
知多半島ですら、知名度ないし。
空気みたいな存在っす

14 :
老中排出氏なのにな

15 :
老汁排出

16 :
水野氏はもともとの格でいけば松平・徳川氏とは城持ち領主という点で同格。
しかも領国は尾張・三河にかけて跨がっていたので、
尾張の野心的・功利主義的な気風も併せ持っている。

17 :
関ヶ原直前に帰参したので、帝鑑間席ではなく、鴈之間席とされた

18 :
戦の采配、まちづくりのスキルなど、一流の武将であり、幕府が西日本の要地を委ねた理由も分かるというものです。

19 :
でも幕府の枢要からは外れてたわけだよね

20 :
でも、基地外の生好きだよね・・・

21 :
中枢より、西日本の最前線で多少好き勝手やらせるほうが勝成には性にあっている

22 :
もともと鬼日向のような武勇で鳴らす猛者タイプの人間は、
統治が難しい遠隔地をうまく制御する役目が向いてそうだな。
実際、周辺が毛利だの織豊系の雄藩だので緊張感漂う中、
見事に福山という新しい町をこしらえて地域経済に貢献し、
譜代の役目をも全うしたし。

23 :
従って、嗣子がいないという理由で下総結城に大減封した、当時の幕閣の政策は間違っていることは、明瞭ではありませんか

24 :
そりゃ、元禄期には当初の緊張感なんて無いもの。外様は単なる大名の格を
示すだけの物にすぎない。

25 :
ほしゅざえもん

26 :
aaaaa

27 :
すごい

28 :
徳川後期武将では勝成と成瀬正成が好き
アウトローの勝成と正統派の正成
正反対な生き様だがどちらも実力者でマイナー

29 :
小物
こいつの自画自賛伝記を真に受けた馬鹿が賞賛してるだけ

30 :
晩年は丸くなったよね

31 :
不思議だよな
若い時は自分の武勇とか楽しいことだけでお家のことなんか一片も考えてないのに
晩年は隠居料を注ぎ込んで家に貢献してるもんな
何が理由なんだろ

32 :
刈谷偉人伝作成事業 600万円
 刈谷市にゆかりのある人物の紹介と顕彰のため、関係史跡
の実写やアニメを使ってDVDを作成し、貴重な歴史を伝えま
す。平成22 年度は、初代刈谷藩主水野勝成を映像化します。
http://www.city.kariya.lg.jp/kakuka/zaimu/index/H22yosannoaramashi.pdf
う〜む、期待できるのか?

33 :
福山は今や馬鹿市長の歴史遺産破壊でしか話題になっていないが
結構、凄いまちなんだよね!

34 :
日向守勝成公の遺訓を守り

35 :
姉妹スレ
信長の野望の水野勝成の評価が低すぎる
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1284955789/

36 :
>>7
外様大名(薩摩・長州)が江戸に攻めてくることを想定した、
第一次防衛ラインだろ。北側が鉄板張りって、どんだけwww
幕末に薩長が江戸に攻める時も、福山から潰したらしいし。

37 :
>>36
池田とか浅野とか、外様と言ってもほとんど譜代じゃん

38 :
>>37
何度も何度も徳川家の血を入れられているよね。
池田家は岡山と鳥取を支配したけど、途中からどちらも
家康の外孫(家康の次女の息子たち)の血統になったはず。
浅野家も家康の外孫(家康の三女の息子)と豊臣家の血統。
中国地方は四国同様、強力な外様(毛利や長宗我部)が追いやられて
尾張・三河両国由来の武将が多く封じられているけど、それだけ
幕府からも重要視された地方だったんだろうな。
上にもあるけど、池田も浅野も半分親藩扱いみたいな面があるし(前田以上に)。

39 :
戦国艶武伝を原作に大河ドラマやったほうがマシだと思ふ、今日この頃

40 :
艶武伝はいいよね

41 :
まぁ、戦でも強いし、内政面での実績も素晴らしいが
微妙に過大評価され過ぎで、ちょっとどうなんだって気もする人

42 :
地味な印象がある

43 :
ヤンキーが先生になる漫画みたいで面白い人だな。
秀忠が関が原に遅れた事と、その後、勝成が西のおさえに転封された関係性の話や、
戦国時代を生き抜いて長生きして、戦国の世を知らない若者達への昔語りとか面白いね。
いつか大河ドラマになってほしいな。

44 :
丸くなった勝成も魅力的

45 :


46 :
あげ

47 :
>>41
ほとんど評価すらされていないと思うけど

48 :
水野無双とはいえば水野倫之さんの時代だしな

49 :
wiki見たら他の戦国武将に比べても桁違いに情報多いな
血槍三代で知ったけど、もっとその生涯を描いた小説があってもいいのにね

50 :
ファンが多いんでしょう

51 :
大河ドラマは今後、水野勝成や小堀遠州、古田織部みたいな戦国or幕末サブストーリーを取り上げて欲しいな。
今年の「江」のように資料が少なすぎて、作家兼脚本家の陳腐な妄想に陥る危険がない人物で。

52 :
>>48
NHKの解説委員の人?
あの人ポーカーフェイスで切るからいいねw
>>49
ここの人らが頑張って喧嘩しながら充実させたみたい

53 :

http://www.city.kariya.lg.jp/hp/page000301900/hpg000301831.htm

54 :
いちおう通販?もできるみたい。
http://www.city.kariya.lg.jp/hp/page000302800/hpg000302723.htm

55 :
age

56 :
>>54
勝成アニメ化かよ!

57 :
>>47
日本史的に英雄とか言ってる奴は過大評価してるだろ、当時の人間に英雄扱いされなかったんだから英雄な訳ない

58 :
当時の人間に英雄扱いというと、加藤清正ッスか?

59 :
>>57
道明寺で、伊達政宗も討っていれば間違いなく英雄だったのに惜しいことをした。

60 :
>>58
信長や秀吉じゃないの

61 :
>>57
誰もそこまで大げさに言ってないよ>日本史的に英雄
知名度あがって評価されとも、徳川四天王クラスで終わりそう

62 :
>>1以外は

63 :
こいつ性格異常者だよな
孫や子孫の代で血が断絶したのも納得

64 :
十六神将に入らないのは正信や数正とは違って単純にそこまで貢献してないから

65 :
単純に世代が違うからだと思うぜ
上杉二十五将に直江兼続が入っていないのと同じ。
兼続は、景勝の家臣だ
勝成は、秀忠の家臣だ
という扱いなんだと思う

66 :
ぼくのかんがえたオリジナル武将
・天下人の従兄弟
・多数の有名武将に仕官しながら放浪
・成功あり失敗ありロマンスあり
・関ヶ原、大阪の陣、島原でも活躍
・最後は名君

67 :
>>65
信者はそうでも思わないと自分を納得させられないからな
正直にこいつ外して勝成入れろと言ってみろよ

68 :
>>67は16神将の面子も知らない無知
天正壬午や小牧・長久手くらいまで活躍した人間しか入ってない
まあ徳川家にとっては一番苦しい時にフラフラしてたようなやつを入れるはずもないがなw
むしろ長篠以降常に奮戦した上に家康の娘婿でもある奥平信昌が入ってないのが不当

69 :
そもそももっとも基本的なこととして
こいつはいつらか徳川家臣なんだ?
天正壬午や小牧長久手とのときは、織田信雄の家臣水野忠重の嫡子
関ヶ原のときはいつのまにか徳川譜代の扱いだが、よく考えると
豊臣麾下の独立大名水野忠重の後を継いだだけ
関ヶ原のあとも、特に加増もされてない以上、徳川から新恩を受けてない
徳川から目にみえる恩賞を貰ったのは大坂の後だ
それまで徳川から特に恩はない。それなのに徳川の譜代扱い
つくづく不思議な経歴をしたやつだ
ややこしすぎるから後世なかったことにされたんじゃなかろうか?

70 :
>>69
水野家は先代忠重の時代には一度足りとて徳川家臣になってないよ。
お説の通り天正壬午や小牧長久手の時期はあくまで寄騎、あるいは信雄からつけられた援軍兼目付。
小牧長久手の後は早々と秀吉に寝返ってる。
その後、豊臣政権下では旧知と言うことで再び徳川家の組下となるけど、この時には藩祖数正の代に
徳川家を離反した石川家や、仇敵とすらいえる真田家、それも信幸の沼田真田家でなく昌幸の本家も
寄騎として家康の指揮下に組み入れられてるからね。
あくまで「豊臣軍関東東海甲信方面軍団」であって別に徳川軍団入りしたわけではない。
一方勝成個人が家康の家臣になったのは関ヶ原の数年前らしいが年代がはっきりしない。
奉公構えの連続でいよいよ苦しくなって意地を捨てて旧知の家康を頼ったものと思われる。
ただ扶持はもらってたのに何もせず京に逗留してた。
勝成が家康の密偵だったという話はこの時期があるからかもしれない。
旗本として招集されたのが上杉征伐の時で、その後親父がされて電撃的に水野家の跡目を襲う。
家康の家臣になってた勝成が跡を継いだことで、名実ともに水野家は徳川家の傘下に。
そしてこれがまさにギリギリ関ヶ原本戦の前だったので、この戦いの前後で譜代と外様を区別する分類に
従い水野家も譜代としてカウントされることに。
また母親絡みの親類なので血族なのに親戚ではなく縁戚扱いとなって親藩にもなってない。

71 :
ただ面倒なのは勝成だけでなく親父の忠重も個人としては家康に仕えていた時期があったこと
親類と言うことで客分のようなものではあったが、家康から扶持をもらってたことは事実。
兄の信元が粛正されて六桁の石高を誇った「大水野家」は消滅。
三万石程度に縮小され、織田家の同盟者ではなく、完全な家臣としての「小水野家」が忠重に
よって立てられて家康とは君臣関係はなくなったけど。
その前の家臣時代を勘案すれば「譜代」と強弁できなくもない。
後は謎なのが勝成の水野家継承。
後年、忠重と勝成は家康の取りなしで和解したと言うけど真偽は不明だし。
親子として和解したとしても、刈谷に戻ってない以上は廃嫡されたままとしか思えない。
本来後つぐはずだったのは忠清だったのでは?
名目はともかく実質的に徳川の傘下になってた水野家が家康の意志に逆らえるはずはないけど。
跡目を奪われたかもしれない忠清は一万石で別家を立ててもらったけど、ある意味でこの一万石が
水野家に対する徳川からの恩賞だったのかもね。

72 :
>>小牧長久手の後は早々と秀吉に寝返ってる。
たまにこれを主張する人がいるけど、間違いらしいよ
「織田信雄分限帳」(天正13-14年成立)よると、忠重は刈谷7000貫文、緒川領内に約6000貫文となっている。
つまり、十三万石近い
それが小田原の役の直後、信雄の失脚に伴い秀吉の家臣となり、伊勢神戸四万石
さらに文禄三年に刈谷に戻された。当代記によると二万石
参考文献は「織田信長家臣人名辞典」

73 :
跡を継ぐつもりだったのは忠清ではなく、忠胤では?

74 :
密偵説は明らかに放浪時代だし

75 :
大名の御曹司が放浪?
そんな水戸黄門か長七郎江戸日記みたいな奴、いるわけなry

76 :
>>30
>立花宗茂と水野勝成って面白いね
立花宗茂    水野勝成
有名な人格者   有名な犯罪者
飢えても我慢   飢えたら強盗
喧嘩は冷静に傍観 喧嘩に興奮して加担
多くの大名の客分の話が 多くの大名から出奔
主君に忠節    主君から刺客
無礼者は諭す   無礼者はその場です
困った人には金を貸す 困ったら借金
二人の父を尊敬  父を見たら怒り爆発
秀吉から絶賛   秀吉から刺客
関ヶ原では親の仇をかばう 関ヶ原では親の仇をリンチ
島原の乱では総大将を補佐 島原の乱では独断専行
子孫は繁栄 家督は断絶

77 :
>>76
なんでこんな個人の感想をコピペとして、いろいろなところに貼りまくっているのか理解できない
悪意と偏見に満ちすぎていて、間違いを指摘する気にもなれないんだが
つまり、あれか、これだけ人格に違いがあっても、
死後の評価は同じ、贈従三位
勝成の実力すげぇ、といいたいのか?

78 :
>>74
畿内でフラフラしてたのに家康から扶持もらってたという事実があって
そこから放浪時代も家康から援助受けて密偵していたのではという憶測が生まれたってことだろ

79 :
歴史ものではよくある逆算推定ってやつね
秀吉が淀君を側室にしたという事実から、その母親の市に惚れてたという何の根拠もない
憶測が史実のように一人歩きしてるのなんてその典型

80 :
>>76
勝成、魅力ありすぎだろw

81 :
>>80
はっきり言ってマイナス指標を全部魅力と言うのは信者らしい
華麗な戦歴も殆どは勝ち馬に乗ってるだけ

82 :
コピペをバカにしてるだけだと思うけど

83 :
子孫は元気でいるのかな?

84 :
駆けろ、鬼日向 水野勝成 [単行本(ソフトカバー)]
黒川 十蔵 (著), ねなし (イラスト)
明智光秀の朱槍を手に、戦国の世を、己の思うがまま暴れまわった鬼日向。福山城初代城主、波乱の生涯を描く。
 16才で勘当され、仙石秀久、豊臣秀吉、佐々成政、小西行長、加藤清正、黒田長政に仕え、出雲の阿国と恋をして、服部半蔵とともに風魔小太郎と戦い、雑賀の孫一の親友で徳川家康の従弟……気性は激しく、直情型で、気に入らない者には服従しない。
くよくよ考え込まず、愚痴を言わない、艱難辛苦を舐めても立ち直りが早く、情に厚い男……名城福山城を築き、民からも臣からも愛された良将の中の良将、水野勝成の生涯。
なんかすげぇ

85 :
Wikipedia酷すぎ

86 :
なにが酷いの

87 :
忠重がされた原因って何だったんだ

88 :
>>76
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89 :
>>76
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90 :11/12/17
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