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2011年12月2期日本史34: 官位について語るスレ (458) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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官位について語るスレ


1 :11/09/26 〜 最終レス :11/12/18
なんだか残り少ないので
※前スレ:
官位について語るスレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1285730195/ 
※前スレの前身&関連スレ:
武家の官位について語れ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1191035900/  
とにかく官位について語るスレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1211206280/  
※関連スレ:
太政大臣、摂政・関白、征夷大将軍 6
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1284376827/
ってこの程度で良いのでしょうか?  

2 :
あ〜、「2」を付け忘れた。なんたる凡ミス。消えます。

3 :
平成芋達にはまだまだ懐かし甘味なあじだぉ
http://www.youtube.com/watch?v=qqK1oxkdUsU&sns

4 :
江戸時代の武家の
○○守、○○介、○○卿などは、ものすごく不自然だけど、
当事者はよかったのかね?

5 :
何が不自然なのかくらい言えよ

6 :
それよりも門跡の坊官の「刑部卿」とかの方が不自然な気がする

7 :
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=3895920
NHK その時歴史が動いた 傑作DVDマガジン 戦国時代編(1)
徳川家康 編者: 講談社
総監修: 小和田哲男
発行年月日:2011/09/20
サイズ:B5判
ページ数:17
価格(税込):980円
内容紹介
--------------------------------------------------------------------------------
<番組タイトル>
「関白」対「源氏長者」〜家康・秀吉「姓」をめぐる知られざる攻防〜
謎の権威「源氏長者」とは? 家康、執念の天下取り全真相
●とことん「その時」
執念の築城レース 17世紀の江戸城vs.大坂城 再現パノラマ
●まるわかり「その時」歴史が動いた
官位 10位30階全図解
信長・秀吉・家康 官位取得年表

8 :
官位 10位30階全図解
なんだこりゃ
国語便覧でも読めば済む感じじゃないだろうな

9 :
小和田か・・単語丸暗記歴ジョには受けるかもしれん・・

10 :
前スレ996で落ちてるな

11 :
885 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2011/09/08(木) 20:44:22.76
喜連川家は徳川家との主従関係があるのかどうかはっきりとしない。
            ↑
          官位はどうだったのか?   

12 :
喜連川家当主は江戸時代は無位無官。代々が名乗る左馬頭などは
勝手名乗り。したがって江戸城中での装束は直垂・狩衣・大紋などではなく
素襖・・・。

13 :
席次は中将ノ格

14 :
前スレより
354 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2011/02/25(金) 14:58:28.96
>>352
それ関連で言えば喜連川は中将格なんだとさ
無位無官なので服装は平士同然の素襖だけど
なんかの席で加賀の殿様が「無位無官のくせにすぐ後ろに座ってる奴って何なの?」って怒ってたらしい
ついでに言うと加賀の嫡子は少将でも中将の上席だとか

15 :
現在でも位記には、総理大臣の氏名の後ろに「奉」や「宣」と
記するんだな。
>>http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9e/a5/purplekiyoaki/folder/888465/img_888465_31831881_0?1272282823

16 :
>>14
何で無位無官って分かったんだろ?
それに素襖が無位無官ってくらいの知識があるんなら、関東公方末裔の喜連川を知ってそうなものだけどなあ
喜連川を取り立てたのが秀吉だから・・・・

17 :
>>16
知らないわけないだろw
当然嫌味だろう。

18 :
>>14
> ついでに言うと加賀の嫡子は少将でも中将の上席だとか
これはどういうことだろ?理由がわからん。

19 :
例えばこういうことだろ
水戸中納言
加賀宰相 ←当主
加賀少将 ←嫡子
越前中将
理由と言ったって家の格式ってのは「そういう扱いだから」としか言えないことが多いよ

20 :
「そういう扱いだから」の補足。家光親裁時の大広間下段の右側の列上席は
正四位参議松平忠昌、従四位下少将毛利秀就、正三位参議毛利秀元の順

21 :
>15
すごいね正七位が従三位に越階(だっけ)。

22 :
元大尉が何かの功績で叙位に与ったんだろうな

23 :
>>20
そういう実例は出典付きでどんどん書き込んでもらいたいものだ。

24 :
失敬。補足・訂正する。出典は山本博文『江戸城の宮廷政治』(講談社学術文庫)
寛永12年(1635年)3月、柳川一件親裁時のときの座配。
大広間中段右側は御三家に次いで、伊達政宗・前田利常・島津家久の従三位中納言三人、
下段の右側の列は「正四位下参議」松平忠昌、毛利秀就、毛利秀元、細川忠利、鍋島勝茂。
(中段左側は井伊直孝・松平忠明・土井利勝 従三位参議である細川忠興は隠居ゆえ列席せず)
家光の位置については上段とするものと、中段に座を進めていたとするものの二説あり。

25 :
都合によっては家格だとか家例とかで官位の上下を無視するくせに、
存在自体を完全には無視できなくて、高い官位は欲しがると言う、
律令制度崩壊後の官位と言うのものは、実に不可思議な存在。
と言うか官位に踊らされる人達が不可思議なのか。

26 :
>>24
>>23は別に出典出せよバカヤローとか言ってるわけじゃないからねw
為念

27 :
石高の割りに官位が高い大名というと誰がいるの?

28 :
>>27
高家の吉良なんかは少将。

29 :
大名は誰かという問いに吉良なんて頓珍漢な回答はやめてくれ。

30 :
丹羽長重とかは?

31 :
不祥事を起こすまでの織田家は国主なみの従四位まで

32 :
>>27
高須松平?

33 :
続日本後紀を見ていたら、
836年2月:遣唐使史生以下将従以上に位記を賜う。
ような記事が有ったけど、将従ってなに?
{従・{人程度かな。
はずれるのは水手長・水手・射手程度かな?

34 :
将従で検索したら、どこかのサイトでこんなのがあった
『正倉院文書』正集35・36・天平10年周防国正税帳(738)
(略)
国司巡行。壱拾参度。守四度。掾九度。目十度。史生十二度。将従陸拾弐人。
合玖拾漆人。単壱仟玖伯漆拾壱人。目已上四百五十人。史生二百七十人。将従一千二百五十一人。
食稲陸伯陸拾参束参把。酒陸斛陸斗陸升。塩参斗玖升肆合二夕。直稲陸束伍把壱分。以二一束一充二六升一。
食法。史生已上人別日稲四把。将従人別日稲三把。目已上人別日酒一升。史生日酒八合。将従已上人別日塩二夕。
(略)
従レ造二神宮駅一使。国司壱度。掾一人。目一人。史生一人。将従伍人。
合捌人。廿五日。単弐伯人。目已上五十人。史生廿五人。将従一百廿五人。食稲陸拾漆束伍把。酒漆斗。塩肆升。
やっぱり当時の行政用語で従者の類を言う言葉かな?

35 :
伊達や島津も三位に叙位されてたのに、何で前田以外の表大名は三位に叙任されなくなったのでしょうか?

36 :
序列化の都合でしょ
大名間の序列がつけば用が足りるから、
豊臣時代の武家官位のデフレを断行しただけ

37 :
島津は家久、伊達は政宗の叙位任官を先例として申し立てなかったのかな。
島津と伊達は家格の上下を競い合ったらしいし・・・・

38 :
前スレより
こういう判断がいちいちあったんだろうな
911 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 14:31:23.99
>>908
初代利長は豊臣家大老として権中納言、二代利常は幕藩体制下で権中納言、
三十一で亡くなった三代光高が左近衛権少将どまりだったのはしかたないとして、
従三位参議だった四代綱紀は、老年になれば先例どおり権中納言になれると思っていて、
吉宗もそのつもりだったが、老中たちが反対して吉宗が押し切られ、結果「前田家の極官
は参議」と最終的に確定したのは享保八年(1723年) の綱紀八十一歳の隠居時だったと
いう話。
十二代斉泰が権中納言に返り咲いたのが安政三年(1856年)だから、134年の有効期限
の定めだったわけだけど、こういう場合、「前田家の極官は参議」と簡単に言い切ってしま
っていいものかどうか?

39 :
wikiでは、陪臣の官位は死没・隠居までになってる。
武家官位は名乗りでもあるから隠居で辞官するのではなく、官位は死没までのはずなのに。

40 :
隠居すれば普通は名乗りも変えると思うけど。

41 :
受領名は変わるけど、武家官位は変わらないだろう

42 :
贈官・贈位というものがある以上官位というものは死没までじゃなく死後も有効だよ。

43 :
御三家や前田家の家老の叙爵は定数あるけど、死没まで官位が有効だと
定数オーバー?叙爵者が死ぬまで叙爵待ち?

44 :
隠居したのだから、当該現任家職ではないので定員には含まない。
朝廷からの解官の措置が取られない以上、隠居後も官位はそのまま。
隠居後に官名を異動することもあるが、そのままの場合もある。
個々の実例に即して判断することになる。
因みに、官名の異動は、幕府の許可のみで成立し、
官名異動に伴う口宣案などは朝廷からあらためて発行されない。
例えば、大岡能登守忠相は江戸町奉行転出に伴い、
越前守に転任するが、越前守転任の口宣案は発行されていない。

45 :
「○○守」のような名乗りと武家官位は区別しないと
武家官位では辞退しなくても隠居すると「前権中納言」などになる

46 :
>>45
ん、御三家の当主だと大納言、中納言の官位以外に「○○守」のような名乗りを同時に名乗ってたんですか?

47 :
名乗ってないけど45が言ってるのはそういうことじゃないだろ

48 :
>>42
死後も有効?単に「なったことがある」というだけの扱いで
現任ではないでしょ?

49 :
武家官位では、上表をしない限り、
終身、現任のまま。
前中納言にはならない。

50 :
>>48
それでは贈官贈位や神階というものが根本的になりたたなくなるw
「称号」としては失効しないと考えるほかない。
そもそも武家の官位全般も本来の意味では「現任」ではないし。
まあつじつま的には退任した三条実美は「元」なのに岩倉具視は本日ただいまでも
「太政大臣」ということになったりするが、いまだに警察官が死後に
階級が上がったりするので仕方がないだろう。

51 :
警察官の階級は全然違う話だろ。
警察官を退職したら、階級なんてなくなるし、そもそも死後
に上がるのは殉職した時であって、その他に退職前日に上がる
程度。階級が上がれば退職金も変わるので、今までお勤め
ご苦労さんの意味で上がるだけ。

52 :
違わないよ。殉職は既に死んでる人間の階級を上げるんだぞ。
単に金の問題なら別に慰労金を積むなりすればいいだけのこと。
ちなみにこれは旧軍で戦死者の階級を上げる例があることに倣ってる。
栄誉としての称号贈与の意味を含んでる。

53 :
>>52
わかってないなあ。警察の階級は正式に退職扱いになるまでだよ。
死んだ時点ではまだ、警察官なんだから階級があるわけ。
そして殉職してそのことを考慮して退職金を上積みする為に
特別に2階級あげるんだよ。
上であるように、普通に退職した場合も前日に一階級あがる。
テレビでお馴染みの元警視庁捜査1課長の田宮さんは退職
前日に警視長から警視監に昇進している。ただし退職までの
1日だけの警視監だ。(この退職前日の昇進はお手盛り行為
だと非難されている)
死後も有効な位階とは全然違う。

54 :
警察官だけではなく、検察官も消防士や自衛官も在職者の階級で
あって退職後栄誉で使うことの法的根拠はない。
元検察官の弁護士(例えば日テレの御用弁護士の河村氏)が
テレビに出るとき、「弁護士○×検事正」とか検察官時代の
階級を出すと思うか?

55 :
>>52の理屈だと警視総監経験者は退任後も警視総監っと
名乗っても良いことになるな。

56 :
尾張家の相続騒動の時、前藩主斉朝は「前大納言様」と呼ばれている
ようだけど。

57 :
武家官位の場合だと正式に退任の手続きをしない限り退任はないが、隠居したら「前権大納言」などと「呼ばれる」ようになる。
公家だと普通に退任があるから、その場合には「前參議」などになる。
贈官は「その官職に就いていたという取扱をする」ということ。
いずれの場合にも歿後に現任と見なされるはずがない。
戦前の軍の階級は官等(官階)であり官名でもあるが、退役しても退役大佐などと名乗れる。
ちなみに戦前の警察官には厳密な階級はなく、ただ警視総監(勅任)・警視(奏任)・警部・警部補(ともに判任)などの官名があるだけだった。
軍の階級と比すれば警視は大佐〜少尉、警部・警部補は准尉〜伍長に相当する。
判事や検事に至っては親任も勅任も奏任も官名は単一の「判事」「検事」しか存在せず、職名として「大審院長」「検事総長」以下があった。
戦後の警察官は官名としての階級があるが、元警視正などとは名乗れるものの、警視正などとは名乗れない。

58 :
>>50
称号としてというより、単に呼び方として過去の最高官を使うだけだろう?
位階はともかく官には定員があるんで、贈官まで本来の意味で「有効」
だなんてことにしたら、生きている人間が就ける官なんてなくなってしまう。

59 :
>>54-55
誰も生きて退任した場合も同じだなどとは主張してないだろう。
故意に相手の話を捻じ曲げた上で否定するのはいかがなものか。
そんな主張してないことを否定するより三条実美(生前退任)と
岩倉具視(死後贈位)のどっちが今日時点で太政大臣なのかちゃんと説明すれば
いいだろうw
警察の場合は知らんが軍人の階級には栄誉称号としての位置づけもあるのは事実。
官職階級位階勲等功級爵位学位とちゃんと並べる順番も決まっている。
軍の場合は上の方は自動的に終身になるから問題も起きづらいかもな。

60 :
>>58
武家の官職は員数外じゃなかったっけ?
武家が員数外なら死んでる人が員数外でもそんなに不思議じゃない気がするが。

61 :
>三条実美(生前退任)と
>岩倉具視(死後贈位)のどっちが今日時点で太政大臣なのかちゃんと説明すれば
こいつただの馬鹿だな

62 :
出た、説明なしの馬鹿認定w
しかし本当にちゃんと整理がついて馬鹿認定しているかは疑わしいなw
神階みたいにどうしても理屈のつじつまが合わなくてやめちゃったものも
あるのにw

63 :
神階をやめちゃったって、何を言っているのやら。
そもそも神は死ぬことがないんだから、理屈のつじつまもへったくれも
ないし、維新まではやめていないと思ったが。

64 :
片方の言ってることがおかしすぎて議論の筋が理解しにくいんだけど、
>>50>>59の脳内では廃官になった官職でも「本日ただいまでも」「今日時点で」存在することになるということか。
そして贈官されたら現任とされると。
こいつの主張をまともに受け取ると現任の太政大臣がいたら贈官はないか贈官されたら現任の太政大臣は退くかということになる。
しかし例えば足利尊氏が太政大臣を贈られた康正3(1457)年4月28日には西園寺公名が現任として存在しており、異動どころか微動だにしていない。
そして何の留保もなく贈官贈位と神階とを一緒くたに論ずるという愚を犯している。
正一位稲荷大明神が現任一覧や公卿補任に掲載されるとでも思ってるのかなこの低能は。
それから得意げに
>官職階級位階勲等功級爵位学位
なんて並べてるけど、正しくは
「職」「官」位階勲等功級爵位学位
法令上は「階級」とは言わずに「陸軍武官官等及陸軍兵等級」「海軍武官官階及海軍兵職階」と言い、
いずれも士官・准士官・下士官の場合は「官」とされる。
「職」と「官」の区別がついてないようだ。

65 :
>>60によると「員数外」らしいよ。
いるんだよなたまに。
生半可な知識を元に独自に変な推論を展開しちゃった挙句、
推論過程をまともに検討もしないままその結論が真実だと疑わない類の馬鹿が。
>>57とかが贈官について説明してくれているのにそういう肝心なところは読まないんだな。
というか自説に都合の悪いところを読まなかったふりをしてるだけか。

66 :
>>59
「軍の場合は上の方は自動的に終身になる」とかさらっと嘘ついてるけど
終身現役は元帥の称号を賜った陸海軍大将だけだぞ
しかも「終身」ってことは死んだら終わりってことだぞ

67 :
また誰も言ってないことをやっきになって否定して得意になってるよw
>贈官されたら現任とされる
誰もこんなことは言ってないだろうにw
では岩倉具視への贈官はもう無効なのか?それも違うだろう。
はなから死んでる人に「太政大臣」の称が贈られるということはどういうことなのか?
最初から官名の称号としての有効性は現任や死亡と連動してない部分があるんじゃないか?
という疑問を呈しているわけなんだが?
貴殿の頭の中では贈官とは死人に「現任」を期待するものなのか?w
>「職」と「官」の区別がついてないようだ
いや、別に軍人限定の順番ではないので一般的な言葉を使っただけのつもりだがw
っていうか、つらつら書き連ねてるけどそれで順番が変わるわけでなし、
だいたい「職」と「官」は同一人に同時に並立しないんだから併記順序を
示すときあえて区別する方が変だろw
直接関係のない重箱の隅的知識をずらずら書き連ねてるだけで、
どっちが「得意げ」なんだかw

68 :
>>66
たしかに「自動的」は間違ってるな。予備役にも年限がある。
ただ軍人には警察官とは違う「終身」があると思ったが
>「終身」ってことは死んだら終わり
これはもっともだ、つまり軍人の階級は除籍処理時点で消滅ってことか。

69 :
おまえスベッてるよ

70 :
>>67
>>贈官されたら現任とされる
>誰もこんなことは言ってないだろうにw
なるほど現任とは一言も言っていないようだが、岩倉具視が「本日ただいまでも」「今日時点で」太政大臣だなんて言ってるようじゃ同じことだよ(しかも廃官なのに)。
逐語的にそういう言葉を使ったかどうかの問題ではないのに、言うに事欠いて「誰もそんなことは言ってない」なんて愚劣すぎて言い訳にもならない。
生前の任官と死後の贈官を同列に論じてるのも笑いのポイントだな。
それでは過去に何十例も贈太政大臣があったがそれらもすべて「本日ただいまでも」「今日時点で」太政大臣なのか?
生前に太政大臣だった者を差し置いて?それでは死亡時太政大臣だった者は?
死後に太政大臣を贈られた者は「本日ただいまでも」「今日時点で」太政大臣なのに生前に太政大臣だった者は停止されるという理屈がおかしいことに気づかないか?
どっちも「本日ただいまでも」「今日時点で」死んでいることに変わりはないんだぞ。
>>48>>57も説明してるが贈官は栄誉を称えるために「生前に任官したことがあるという扱いにする」というだけのことだ。
「故太政大臣」も「故前太政大臣」も「故贈太政大臣」も「今では死んでいるので官職は当然停止されている」という点では異ならない。
>貴殿の頭の中では贈官とは死人に「現任」を期待するものなのか?w
君の言ってることに辻褄を合わせようと思ったら支離滅裂で馬鹿丸出しの主張になるということをデモンストレートしただけなんだけど、頭が悪すぎて皮肉も通じないようだな。
君のレベルに合わせて草でも生やせば皮肉だと理解できたのかな?
そもそも君の「贈太政大臣は「本日ただいまでも」「今日時点で」太政大臣である」という結論がまずありきのトンデモ主張なんて、みんな馬鹿にしてるだけで最初から誰もまともに受け取ってないよ。

71 :
>だいたい「職」と「官」は同一人に同時に並立しないんだから併記順序を
>示すときあえて区別する方が変だろw
日本語もだんだんと怪しくなってきてるな。
結局「職」と「官」の区別が理解できていないようだし本格的な低能か。
例えば「師団長」は職であり「陸軍中将」は官であるから同一人が同時に補せられ任ぜられるものだぞ。
>いや、別に軍人限定の順番ではないので一般的な言葉を使っただけのつもりだがw
>>57がちょうどいい例として職としての「大審院長」と官としての「判事」を挙げているように、「官」と「職」の区別は軍人限定ではない。
他にも官としての「××書記官」と職としての「○○課長」などがある。
一方で君が>>59でズラズラと並べ立てているうちの「階級」は軍人限定であり、むしろこちらが>>64でより一般的に書き直したことになるんだけど、君の頭は本当に大丈夫か?
>直接関係のない重箱の隅的知識をずらずら書き連ねてるだけで、
自分のレスも読み返せないほど知能が低いのか。
>>59
>官職階級位階勲等功級爵位学位とちゃんと並べる順番も決まっている。
なんて最初に「直接関係のない重箱の隅的知識をずらずら書き連ね」て「得意げ」になってたのは君の方だよ。

72 :
>>292
>大河ドラマの武田信玄で毎回最後に言うセリフって
>「楯無しご照覧あれ?、今宵はここまでです?」
>だったっけ?
「御旗楯無、御照覧あれ」
「今宵はここまでに致しとうござりまする」
>このセリフを言っていた女性の名前を教えてください。
大井の方役の若尾文子さん

73 :
お〜っとこれは届かない

74 :
キチガイは相手にするなよ

75 :
>>72
1988年の大河ドラマか
懐かしい

76 :
>>52は官位と警察官の階級が違うと言う指摘に「違わないだろ」
っと啖呵を切っているのに>>59にて「警察の場合は知らんが」っと
平気で言うやつだからなあ。

77 :
馬鹿が知ったかぶりするとこういう浅ましいことになるといういい見本だな

78 :









79 :
源朝臣定の従三位直叙は、なぜか叔父淳和天皇に寵愛されて猶子となり、
親王に成る代わりだったらしいけど、
源朝臣常の急激な昇進はなぜ?
格別有能だったとも特に伝えられて居ないようだけど。

80 :
そう言えば嵯峨天皇は藤原良房のどこがそんなに気に入ったんだろう。
正直見る目がなかったと思うけど。

81 :
で、結局、武家官位というのは隠居すれば辞職して散位にならなくても前官礼遇扱い?

82 :
>>80
能力はあっただろ。
藤原北家嫡流を確立した人なんだから。
嵯峨・淳和の世では藤原氏による国政掌握なんて心配はしてなかっただろうし
功臣の優秀な子供に娘をやったってだけじゃね?
常も人物評としてはべた褒めされてるんだから、それなりの人物だったんだろう。

83 :
武家官位では隠居は単に「前」をつけて、
「前大納言」「前中納言」「前宰相」「前中将」「前少将」「前侍従」と“呼ばれる”というだけで、
別に前官礼遇というものではない。
「○○守」などの名乗りは通称と同じ扱いなので「前」はつかない。
ただし他に遷任して名乗りを跡継ぎに譲ることがある。
例えば上杉治憲の場合だと、当主の時は「上杉弾正大弼」(米沢侍従)と名乗るが、
隠居したら「弾正大弼」を嫡子治廣に譲り「上杉越前守」(米沢前侍従)と名乗り、
更に出家剃髪して「上杉鷹山」と名乗る。

84 :
越前福井の松平家は当初国名をとって「越前少将」などと呼ばれていたのが
無嗣だか不行跡だかで減封されたときに城地名をとって「福井侍従」などと呼ばれるようになったというのを聞いたことがあるんだが
(ちなみにこのとき幕府が「福居」を「福井」と書き間違えたために「福井」で定着したとか)
その後「越前中将」「越前少将」などに復したのだろうか
復したのだとしたらいつ?
それとその他の侍従以上の大名はそれぞれ何と呼ばれていたのか
「水戸中納言」や「会津中将」は有名だけど

85 :
>>83
御三家、御三卿のように大中納言に任官していた当主は通称をどう名乗っていたのでしょう
常陸介とか一応初任に受領名もあるようですが、それを通じて名乗っていたのでしょうか?

86 :
>>45
> 「○○守」のような名乗りと武家官位は区別しないと
>
> 武家官位では辞退しなくても隠居すると「前権中納言」などになる
徳川光圀は、隠居翌日に権中納言に任じられているのだが。

87 :
>>85
横レスだけど
参議以上は○○守とか名乗らなくなると思う
三位中将だと名乗るけど

88 :
>>86
>>83
「「前権中納言」などになる」という言い方が気に食わないなら、
「「前権中納言」と呼ばれるようになる」に脳内変換してください。
そもそも「呼び方」の問題に口宣案等の日付なんて関係ないし(任官前や口宣案等の発給前から名乗りを許されることもある)、
単に隠居は「前」をつけて呼ぶというだけなんだからそんなツッコミされてもな。

89 :
光圀は任命された当日から前中納言を名乗っていたということでしょうか

90 :
隠居と現当主(藩主)との区別あるいは藩主を憚って
敢えて「前」の字を添えているにしか過ぎない。
現実には、隠居でも現任の中納言なり大納言である。
徳川光圀が隠居後に権中納言に転任したとしても
隠居だからといって現実には、前官にはならない。
因みに、浅野内匠頭長矩の墓所には
冷光院殿前少府朝散大夫吹毛玄利大居士
といった戒名が刻されているが、前少府の
少府は内匠頭の唐名であり、前内匠頭と翻訳される。
戒名には、前官の表示もある。

91 :
“前中納言”って、読みはやっぱり皆さんご存じの“さきのちゅうなごん”ですかね?

92 :
秀吉、徳川将軍は准三宮には興味なかったのかな・・・

93 :
>>92
過去スレにもあったようなのですが、徳川将軍は上皇の格式を得たので准三宮の地位に拘らなかったと・・・

94 :
>>90
>徳川光圀が隠居後に権中納言に転任したとしても
昇任ならわかるけど、転任?

95 :
新たな徳川を発見!
http://www.youtube.com/watch?v=KdZkYrY5DKk

96 :
>>94
横レスだけど
例えば少将→中将、中納言→大納言と順序通りに昇進していくことを「転任」と言い
玄蕃頭→掃部頭、右京大夫→讃岐守、若狭守→肥後守と部署を異動することを「遷任」と言う
位階については「昇叙」などと言うが官職に関して「昇任」などとは言わない

97 :
武家官位で辞官はなかったようですが
武家官位で官位を剥奪されたのは、朝敵となった禁門の変の毛利父子と最後の将軍慶喜だけかな?
他に解官、官位剥奪された者はいないのかな・・・

98 :
>>97
慶応元年九月、阿部豊後守、松前伊豆守の二老中が、独断で兵庫開港を承認しようと
した廉により、「退職・官位召し放ち・在所において謹慎」の処分を受けている。
(毛利の末家当主や、慶喜の「共犯者」の扱いはどうだったか覚えてない)

99 :
基経って本当に良房の養子なの?
後継者のなのは間違いないんだろうけど、
正式に養子になってるの?

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