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2011年12月2期神社・仏閣48: 諸国一宮 (304) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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53:      15万円君と河童行者について (129)

諸国一宮


1 :10/09/10 〜 最終レス :11/12/16
出雲の一宮って杵築じゃなくて熊野じゃね?

2 :
次回からはスレタイには
一宮 一の宮 一之宮 一ノ宮 って入れようぜ
って言ったろ
ボケカスラッパ

3 :
>>2
ざまぁw

4 :
出雲国一ノ宮は大昔、熊野大社とされていましたが、時代が下って次第に日隅宮。杵築大社(出雲大社)とされるようになり現在に至ります。
何等かの政治的動きや勢力図の変遷が有ったのかも知れません。
それは神代からの伝国の法灯(聖火)を守る熊野大社に出雲大社側がある重事の際、
借用に来る際の一連の決まりきった猿芝居、押し問答にも推し量れます。

5 :
一(番おっきくて有名なお)宮が一宮で問題ない

6 :
>>5
熱田神宮の扱いはどうする?
熱田神宮って明治の頃に伊勢神宮並の待遇を要求したらしいけど、
もっと大昔から自分達は伊勢神宮に劣らないという意識があったんだろうか?

7 :
伊勢神宮が伊勢の一宮でないように
熱田神宮も尾張の一宮でない
各国一宮以上の存在ということで

8 :
熱田風土記なるものは存在する様だが、尾張国風土記なる古記は存在しない。
尾張とは元来、尾張西北部を意味する。

9 :
>>7
熱田社には尾張の三宮の称号が与えられているのも事実。

10 :
>>8
熱田がまだ尾張じゃない頃に真清田が一宮となり、大縣が二宮になったと?
後に熱田近辺も尾張に組み込まれて熱田社は追加で三宮になったと?
そういう理解でいい?

11 :
>>10
尾張氏が係わった順。

12 :
熱田神宮はなんかインチキ臭いし、実際参拝しても感動は無かった
無理やり伊勢に近付きたがってる雰囲気が充満してる
二度と行くことは無いだろう

13 :
熱田は一般的には尾張を代表する神社だけど、尾張っぽさは残ってないよな
地域性や規模といった一宮らしさを併せ持つのは、やっぱり真清田神社

14 :
尾張造の方が独特で格好がええわー!

15 :
一の宮を名乗る宮大杉

16 :
あした雄山神社峰本社行ってきます

17 :
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1157804006

18 :
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1233230219/

19 :
18,19日で讃岐、淡路と阿波4社、計6社巡ってまいりました。

20 :
>19
年末に四国&淡路島の一宮巡りをしようかと検討中です。
出来れば、詳細レホカキコ゚をお願いします。

21 :
>>20
まずはアタナのこれまでのレポをカキコをお願いします。

22 :
鶴岡八幡宮行った

23 :
>>22
そこは一宮ではありません

24 :
全国一の宮会加盟の神社ということで・・

25 :
みなさんはどう行った手段でまわれてますか?

26 :
>>25
あなたの期待している「手段」って何?

27 :
小野神社も一宮だったのか

28 :
>>25
公共交通機関とレンタルサイクルと脚ですが
免許の必要性を実感して来年の春までには教習所通うと。

29 :
≫28
それで何カ所回られましたか?
公共交通機関等だときついところ多いですよね。

30 :
>>13
熱田神宮には残っていないという尾張っぽさって、どのような流儀・様式を
指すのですか?

31 :
>>29
まだ少なく関東から東海と山城だけです。
それから興味ある神社に参拝してます。
車だと四国や北陸、山陰など地方単位で回れて羨ましい。
こちらは静岡や千葉で一日が終わります。
スレチですが水郡線は本数少なくて静神社など諦めました
でも一日に一社か二社でいいなら難しくないかもしれませんね。

32 :
>>30
創建の由緒と祭神と社殿だと思う
熱田は尾張の一宮とか眼中になく、伊勢神宮のみを目指している
愛知県知事より総理大臣になりたいんだろう

33 :
>>30
創建の由緒は土着の社として建てられいたが尾張氏が移住してから繁栄した。
真清田の場合、天火明命の後裔が創建。尾張氏だと思うが。
社殿は熱田の場合、尾張造であったが伊勢の真似をして神明造にしている。
真清田の場合、尾張造の原型社殿。

34 :
>>32
伊勢神宮のみを目指している。伊勢神宮(総理大臣)は伊勢と終身決まっている。
(副総理大臣候補)は畿内に多数そろっていますよ。

35 :
>>32
目指したのは明治時代の角田忠行宮司で、熱田神宮が伝統的に目指していたわけではないよ。

36 :
>>33
>土着の社として建てられいたが尾張氏が移住してから繁栄・・・
順序が逆なのでは?土着豪族の尾張氏が創建創祀したのが熱田社では?
尾張一宮の真清田社、名古屋市天白の針名社同様に。

37 :

古代の濃尾平野と創建期を調べろ。

38 :
>>33
火明命(尾張氏)は出雲、原大和から濃尾平野へと移住してきた天孫族ですよ。
稲作文化と製鉄文化を濃尾平野に持ち込み勢力を強固にしていった豪族ですよ。

39 :
>>33
針名神社・・・創建期約1100年前。
熱田社・・・創建期約1900年前。
真清田神社(一宮)・・創建期約2650年前。

40 :
ここは、出雲、熱田論争スレに変更されました。

41 :
トリビア。
熱田神宮の鎮座場所は創建当時は海に突き出た岬だったそうな。
この付近は海岸線。

42 :
訂正38→>>36

43 :
真清田神社(尾張一宮)の鎮座場所は伊勢湾入り海にある中島だったそうな。
この中島には倭姫命も鎮座した場所。

44 :
尾張は一宮が真清田神社で、総社が大國霊神社。でもって熱田は何かというと、これが鎮主。
祖神が一宮で、国霊が総社、外来の強力な神(草薙の剣)は鎮主と、みごとに住み分けてる。

45 :
>>38
火明命即ち物部一族の本貫が出雲って、何県の出雲だというの?
物部氏の本貫は河内国だし、尾張氏は大和国葛城高尾張邑から尾張国に
移住してきたのでは?

46 :
>>41>>43
尾張一宮、三宮とも創建時は、汀に建てられたということですね。
海路いずこから上陸した故地聖地だったのかな?
両社が創建されたと思われる弥生時代後期当時の海岸線の想像地図は、
どういう書物に掲載されていますか?

47 :
>>45
物部氏の祖は饒速日命の方が強いかなぁ
尾張氏の祖、天火明命は原大和即ち葛城降臨後濃尾平野か。

48 :
>>46
http://nazca-e.hp.infoseek.co.jp/kodai/ow-kozu.GIF

49 :

http://www.gakugei-pub.jp/judi/semina/s0601/ue009.htm

50 :
てs

51 :
>>46
1959年9月に襲来した伊勢湾台風による水害被災地図が、弥生期の海岸線位置の
手がかりになると思われます。
http://livedoor.2.blogimg.jp/jmcblog/imgs/3/8/38daa5b2.jpg

52 :
尾張国律令制の郡名の一つ。
中島郡〓郡名は古代の地形にちなむ。でも

53 :

訂正〓でも

54 :
熱田神宮内の断夫山古墳の被葬者は誰なの?
あと白鳥古墳も

55 :
>>54
断夫山古墳は神宮とは結構離れてるが、被葬者は継体天皇妃目子(めのこ)媛の父、尾張連草香(おわりのむらじくさか)で決着してる。
伝説が伝えるミヤズ媛ではない。
白鳥古墳はその倍塚(べいづか。付属の墳墓)。日本武尊ではない。

56 :
>>39
針名社・熱田社・真清田社ともに社家が尾張氏だのに、熱田社のみ御祭神に氏神でもない
天皇家の草薙神剣=熱田大神=を、AD113年からこのかた1900年余奉祭してきたのか?
ひょっとして熱田社は、神事の場でなく、日本武尊に具現される天皇家の東国征服の
前線基地だったの?
熱田神宮 http://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/history.html

57 :
>>54
断夫山古墳は6世紀に造営された前方後円墳ですね。
中島郡中島には2世紀に造営された前方後方墳丘墓。前方後方墳は濃尾平野が発祥。
前方後方墳≒天火明・饒速日その他を祖とする神別らが造営の感。



58 :
>>56
相殿の神として尾張氏の祖神も入ってるけど、基本外来の神だね。
尾張氏と皇室の結びつきの象徴だよ。

59 :
>>56
>東国征服の前線基地・・・・
には、伊勢が好適との考察がありました。
”濃尾平野に東国経営の軍事拠点を置くよりも、伊勢においたほうが、
ずっと有利・・・”
1.開拓者としての尾張氏 http://www2.plala.or.jp/cygnus/k5.html

60 :

それの製作者の人、名古屋の人だから名古屋中心に書かれている。

61 :
>>60>>47
ニギハヤヒが上陸した地は、丹波国与謝郡でなく枚岡神社の坐す河内国だろ。
”ニギハヤヒが・・・天磐船(あめのいわふね)に乗って、「田庭の
真名井」(たにわのまない)に天降った・・・・”
神社伝承学から見た古代史 http://www2.plala.or.jp/cygnus/k1.html

62 :
ニギハヤヒが河内国じゃないとは言ってない。

63 :
>>61
先代旧事本紀のいう「饒速日尊天磐船に乗り、河内国河上哮峯に天降り」は、
後世の粉飾で、実際は河内潟べりの何処かに水路上陸したのだろうが、その地は
河内国一宮枚岡神社付近でなく、饒速日を祀る石切剣箭命神社か天の川流域
交野の磐船神社付近だろう。
饒速日尊 筑紫から大和に東遷
http://www.syamashita.net/history/ootoshi/tousen.html

64 :
天背男命(あまのせなをのみこと):尾張中嶋海部直等祖(をはりなかじまのあまべのあたひらのみおや
は中島に上陸しているからなぁ。後の尾張国海部郡に。

65 :
やっとこさ近畿、山陰、中国は回りきりました。
大阪府内(摂津・河内等々)の一宮は胡散臭いのが多い…
諏訪大社や椿大社みたいな荘厳な雰囲気の一宮って思ったより少ない。
観光地化してるところが多いって言うか…
鎮守の森が健在だったり山岳信仰でうっそうとした中にあるような神社が好きなんですが
次の目的地を決めあぐねてます。
お勧めがあったら教えてください。

66 :
>>65
一の宮巡礼の話題なら、下のスレの方が良いよ。
このスレの実態は、出雲大社、熱田神宮が伊勢神宮にケチを付けるスレだから・・
【巡拝】全国一の宮巡り【歴史】Part3
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1284426824/

67 :
ありゃま…誘導ありがとうございます。
そちらも見てみます。

68 :
ニギハヤヒの別名=天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊

69 :
>>61
ホアカリ天火明命=天照大神説有りでぉK?

70 :
神社・国造・社家の歴史 弐
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1175392563/

71 :
>>61
、『記紀』以前で創建年の古い神社の祭神を調べてみると原大和などは
『天照国照』を祀る神社が多いですね。

72 :
>>63
>饒速日を祀る石切剣箭命神社・・・・
AD280年頃に、ワカミケヌ(神武天皇)兄弟率いる九州からの東遷軍が上陸した
河内湖べりの孔舎衛(現東大阪市日下町)近くの古社ですね。
石切剣箭命神社 大阪府東大阪市東石切町1-1-1
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/kiya33a.htm

73 :
>>71
原大和の古社大神神社の御祭神が大物主・大己貴・少彦名の三神ということは、
大物主と大己貴(=大国主)とは、別人なの?
大神神社 祭神 大物主大神、配祀 大己貴神・少彦名神
http://www.oomiwa.or.jp/frame/f02.html

74 :
尾張とは本来、尾張西北地域を指し、国府も置かれ
尾張南東地域は吾湯市県(あゆちのあがた)が置かれていた地域。

75 :
>>74
その尾張西北と南東の境界は、どの地域なのですか?
尾張西北地域の県名は、何と?

76 :
現在の木曽川、岐阜県南部地域は昔は尾張地域だった。

77 :
>>75
境界はどの地域なのですか?昔の境界は自然境だから「川」だろう。
庄内川といった所か。
吾湯市村は
則武一楊庄あたりから星崎庄富部村あたりまでをかけていったものであろうかと思われる。

78 :
>>74
>吾湯市県(あゆちのあがた)が置かれ・・・・
今も残る「阿由知通り」は、県でなく名古屋市南部の入り江名「年魚市潟(あゆち
がた)」が発祥では?
熱田神宮の所在地名は、もともとは年魚市田(あゆちた)?

79 :

「尾張」とは、土地を開墾するという意味。

80 :
>>79
「尾張」=お墾り説ですね。でも、それなら弥生時代に各地で水田開墾が
行われたのだから、もっと各地に「ヲハリ」地名が頻出してもよいはずだが?

81 :
>>80
名古屋市郊外には、「平針」、「高針」があるがね。三河・美濃にはあったかな?
針名神社 祭神:尾治針名根連命 名古屋市天白区天白町平針大根ケ越175
http://www.harina3.or.jp/history/

82 :
>>78
熱田は諸説あるけど、『日本地名辞典』には「岸の崩れたところ」という意味の「あずた」とある。
>>80
直接的には大和の高尾張村から来た尾張氏が治めた土地だからでは?

83 :
>>82
尾張氏が大和葛城山麓の高尾張邑出身?丹後海部氏や住吉神社宮司津守氏と
同族で、尾張国に蕃居した海人族の首長尾張氏が、そんな山里が本貫の訳が
なかろう。
私見では、尾張氏は天皇家の大和東遷に協力同伴してきた北九州の海人族の後裔。

84 :
尾張国初代首府(行政機関)は中島府(中島郡)
奈良時代〜室町時代の尾張国の行政機関は旧尾張郡のひとつ
中島府(中島郡)にあり。国府、一宮、総社、国分寺、守護所、屯倉跡、
は中島郡にあり。古代から原大和ととの繋がった末裔の影響。

85 :
>>83
北九州の海人族の後裔に尾張と言う名に通ずるものは何?
この地方へ如何言った経路でいつ頃、何処へ来たのですか?

86 :
尾張族の祖でもある天火明命は原大和に降臨説があり
尾張の名、大和葛城高尾張邑は無視できないなぁ。

87 :
「天照国照彦天火明命櫛玉饒速日命」(皇祖大王)
別称・・・
天照国照彦大御神。
天照魂大御神。
天祖大神。
天火明命。
櫛玉饒速日命(ニギハヤヒ命)。
大和大国魂大神。
大物主大神。
ほか・・・

88 :
>>83
一族の発祥地≠氏族の発祥地≠氏族名の由来の土地
尾張氏が尾張氏を名乗ったのは、後の尾張国に来てからなので、
「尾張氏」の発祥地はあくまで尾張。
尾張国と尾張氏の名の由来は高尾張邑にあると見るのが妥当。
氏族名と地名のどちらが先かは分からないが、
「尾張」という地域名が存在しないことから、氏族名が先と思われる。

89 :
と思ったら小牧に小針ってあったから、どっちが先かはやっぱりわからない。
ただ国名の尾張はもっと後。

90 :
「大治」も「オハリ」とも読めそう。

91 :
小針=ヲハリと違って大治は「オ」だから尾張とは発音が違う。

92 :
尾張国初代首府(行政機関)は中島府(中島郡)
奈良時代〜室町時代の尾張国の行政機関は旧尾張郡のひとつ
中島府(中島郡)にあり。国府、一宮、総社、国分寺、守護所、屯倉跡、
は中島郡にあり。古代から原大和ととの繋がった後裔達の「力」の影響。

93 :

後に守護斯波氏の領でもあった中島郡。

94 :

天正14(1586)年6月24日のいわゆる「天正の大洪水」以前は、現在の境川(岐阜県内)
までは尾張国。尾張は北に広かった。

95 :
天叢雲剣。別名、天のオハバリ神剣=草薙剣
オハバリ(尾羽(刃)張)・・・・・オハリ(尾張)

96 :
>>95
天叢雲剣と天之尾羽張は別物だ。

97 :
>>95
ヤマタノオロチの尾を割って見つけた剣が『草薙剣』であったから、尾張
 の語源となったように記しているが、これは、まあこじつけであろう。

98 :

天正14(1586)年6月24日のいわゆる「天正の大洪水」以前は、現在の境川(岐阜県内)
までは尾張国。尾張は北に広かった。

99 :

濃尾平野は高天王朝の範囲。

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50: 四国八十八ヵ所で1番よかった寺 (61)
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