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瀬古利彦総合スレッドPart3


1 :2012/01/12 〜 最終レス :2012/08/15
瀬古利彦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%8F%A4%E5%88%A9%E5%BD%A6
主な記録・成績
※歴代成績は2009年6月現在
トラック種目
5000m:13分24秒29(1986年7月11日、日本歴代10位)
10000m:27分42秒17(1985年7月2日、日本歴代5位)
15000m:43分38秒2 (1983年9月24日、日本記録)
20000m:57分48秒7 (1985年5月11日、日本記録)
25000m:1時間13分55秒8 (1981年3月22日、世界記録)
30000m:1時間29分18秒8(1981年3月22日、世界記録)
マラソン
自己最高記録…2時間08分27秒(1986年10月26日)
1977.02 京都マラソン 2:26:00 10位  新人賞獲得
1977.12 福岡国際マラソン 2:15:01 5位  日本人最上位
1978.12 福岡国際マラソン 2:10:21 優勝 当時世界歴代10位、当時日本学生最高記録
1979.04 ボストンマラソン 2:10:12 2位 当時世界歴代9位、当時日本学生最高記録
1979.12 福岡国際マラソン 2:10:35 優勝 モスクワ五輪代表権獲得、福岡日本人初の2連覇
1980.12 福岡国際マラソン 2:09:45 優勝 当時世界歴代8位、福岡日本人初の3連覇
1981.04 ボストンマラソン 2:09:26 優勝 当時世界歴代5位、当時大会記録
1983.02 東京国際マラソン 2:08:38 優勝 当時日本最高記録、当時世界歴代3位、当時大会記録
1983.12 福岡国際マラソン 2:08:52 優勝 ロサンゼルス五輪代表権獲得、当時世界歴代6位相当、福岡日本人初の4回制覇
1984.08 ロサンゼルスオリンピック 男子マラソン 2:14:13 14位
1986.04 ロンドンマラソン 2:10:02 優勝 ロンドン日本人初の優勝
1986.10 シカゴマラソン 2:08:27 優勝 自己最高記録、当時世界歴代10位、シカゴ日本人初の優勝
1987.04 ボストンマラソン 2:11:50 優勝 ボストン日本人初の複数回制覇
1988.03 びわ湖毎日マラソン 2:12:41 優勝 ソウル五輪代表権獲得、日本3大マラソン制覇
1988.10 ソウルオリンピック 男子マラソン 2:13:41 9位
(マラソン通算成績:15戦10勝)
1978年7月8日にイギリスのローカルマラソン・ミルトンケイネスマラソンに参加。調整と練習一環で出場した。 このときの68位 2時間53分17秒は瀬古自身の競技歴には記載していない。 国際陸連が発行する資料ではこのときの記録は瀬古のキャリアに記載されているそう。
前スレ
瀬古利彦総合スレッドPart2
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1266038111/

2 :
瀬古利彦/過去画像集
http://www.juanjosemartinez.com.mx/seko.html

3 :
瀬古―マラソン初優勝
第13回(当時)福岡国際マラソン レース展開
1978年12月3日(日) 平和台陸上競技場〜雁ノ巣折り返し
気温13度 湿度44% 北の風0.8m
出場89選手(招待9名) 完走80人
スタート〜フレミング(アメリカ)を先頭にロードへ
5km− 同年2月に世界歴代2位を樹立した優勝候補の宗茂(旭化成)がフレミングと
     ともに先頭に躍り出る。5km通過15分19秒。フレミングは宗茂より4秒遅れる。
後続集団は22名。主なランナーはもう一人の優勝候補ロジャース(アメリカ)、鎌田俊明(鐘紡)
ビヨクルンド(アメリカ)、ライト(イギリス)、瀬古利彦(早大)、伊藤国光(鐘紡)、喜多秀喜
(神戸製鋼)、大久保初男(大昭和製紙)、北原治(養命酒)、オルテガ(アメリカ)、モイセーエフ
(ソビエト)、ワードロー(オーストラリア)、マックスウェル(カナダ)、そして2年前の五輪を制した
チェルピンスキー(東ドイツ)ら、宗茂から8秒遅れ。
10km−宗茂はこの間の15分07秒。物凄いハイペースではないが、後続が自重気味のため
28秒の差がつく。フレミングはすでに集団に吸収された。相変わらず20人前後。
すでに優勝経験のあるドレイトン(カナダ)が大きく遅れる。
大ベテラン・メキシコ銀の君原健二(新日鉄)が第2集団の先頭で引っ張る。その
後ろにドレイトン。
15km−宗茂、45分36秒で通過。15分10秒。後続差はついに47秒に。
大集団では喜多が少し遅れがち。フレミングは飛び出しの影響か少しづつ後退。
集団の先頭にはロジャース、ワードローの外国勢が出てくる。
20km−宗茂がこの間15分14秒で通過。後続集団は11人に。
     瀬古、モイセーエフ、ロジャース、ワードロー、鎌田、伊藤、ラプテフ(ソビエト)
     チェルピンスキー、ビヨクルンド(アメリカ)、喜多、宗猛、
 
     外国勢のサンドバル(アメリカ)、ペンジン(ソビエト)、トーマス(アメリカ)、
     トロッペル(東ドイツ)、ヒューソン(カナダ)らが徐々に後退。
折り返しー宗茂が悠々と一人旅。後続はワードローが前にでて折り返し。続いてロジャース。
     瀬古が3番手。
     そのままワードローがペースアップで逃げ宗茂を追い始める。すかさず喜多が
その左後方に、瀬古は右後方につく。ロジャースの表情が険しい。ラプテフやライト
     と共に遅れ気味に。 君原は12位で5人の集団で折り返し。


4 :
25km−宗茂が疲れてきた。この間を15分25秒。ワードローと瀬古の二人がその差
     31秒差で通過。その50m後方に喜多。すぐ後ろにロジャースだが表情が苦しい。
     ラプテフがロジャースと並走。左太ももを痛めたチェルピンスキーはさらに後方。
30km−ワードロー、瀬古、喜多の前方、宗茂がかなり大きくなってくる。口をパクパク苦しい表情の
     宗茂。1時間31分48秒。この間は15分33秒。3人は28秒差で通過。
     宗猛、チェルピンスキー、鎌田もかなり遅れ始める。
32km−ワードローが疲れ2人から後退。瀬古はジリジリと喜多をも引き離しにかかった。
35km−宗茂が苦しい。15分42秒。瀬古が8秒差に縮めてきた。瀬古は15分22秒。
     
36.3km−ついに瀬古が宗茂に追いつき、すかさず前に出る。差はみるみる着き始める。
       後続は喜多―ワードロー −ライトーロジャースの順その後ろに伊藤。
40km−瀬古の独走態勢が始まる。15分46秒でカバー。唯一の15分台をお刻み、
     宗茂に追いついた喜多が2人で39秒差。ライトがワードローをかわして
     外国人トップに躍り出る。
ゴールー 瀬古が2時間10分21秒でマラソン初優勝。70年の宇佐美以来、福岡国際
     日本人2人目の快挙を達成した。学生日本新記録。
     2位には40km過ぎに宗茂を引き離した喜多が入り自己新記録。
     3位は後半で崩れた宗茂が入る。日本人のワンツースリーは史上初だった。
     前年優勝のロジャースは6位。引退をしている君原が日本人6位の17位に入った。

5 :
第13回(当時) 福岡国際マラソン 成績
1、2時間10分21秒0 瀬古利彦(早大)
2、2時間11分05秒0 喜多秀喜(神戸製鋼)
3、2時間11分41秒2 宗茂(旭化成)
4、2時間12分31秒7 ライト(イギリス)
5、2時間12分44秒0 モイセーエフ(ソビエト)
6、2時間12分51秒3 ロジャース(アメリカ)
7、2時間13分02秒0 ワードロー(オーストラリア)
8、2時間13分11秒0 トーマス(アメリカ)
9、2時間13分15秒0 ビヨクルンド(アメリカ)
10、2時間13分21秒0 ヒューソン(カナダ)
11、2時間14分13秒  伊藤国光(鐘紡)
12、2時間14分14秒  ラプテフ(ソビエト)
13、2時間15分31秒  マックスウェル(カナダ)
14、2時間15分40秒  ペンジン(ソビエト)
15、2時間16分08秒  宗猛(旭化成)
16、2時間17分07秒  君原健二(新日鉄)
17、2時間18分28秒  鎌田俊明(鐘紡)
18、2時間19分03秒  山本健一(佐々町役場)
19、2時間19分17秒  井上昭男(栃木陸協)
20、2時間19分19秒  鈴木三男(日本電気)
13回福岡国際マラソン 優勝 瀬古利彦 ラップタイム
5km 15分27秒
10km 30分54秒(15分27秒)
15km 46分23秒(15分29秒)
20km 1時間01分36秒(15分13秒)
中間点 1時間04分58秒
25km 1時間16分46秒(15分10秒)
30km 1時間32分16秒(15分30秒)
35km 1時間47分38秒(15分22秒)
40km 2時間03分24秒(15分46秒)
2.195km (6分57秒)
2時間10分21秒



6 :
1978年12月まで  男子マラソン世界歴代15傑 +パフォーマンス
1、 2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) 1969アントワープ
2、 2時間09分05秒6 宗茂(日本)         1978別府大分
3、 2時間09分12秒  トンプソン(イギリス)    1974クライストチャーチ
4、 2時間09分28秒  ヒル(イギリス)       1970エジンバラ
 (2時間09分36秒8)クレイトン          1967福岡
5、 2時間09分55秒  ロジャース(アメリカ)    1975ボストン
5、2時間09分55秒  チェルピンスキー(東ドイツ) 1976モントリオール
7、2時間10分08秒4 ドレイトン(カナダ)     1975福岡
 (2時間10分10秒) ロジャース          1976ニューヨーク
 (2時間10分13秒) ロジャース          1978ニューヨーク
8、2時間10分15秒  ウェルズ(アメリカ)     1978ボストン
9、2時間10分20秒  チェトル(オーストラリア)  1975福岡
10、2時間10分21秒  瀬古利彦(日本)       1978福岡
 (2時間10分30秒) ヒル             1970ボストン
11、2時間10分30秒  ショーター(アメリカ)    1972福岡
12、2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(日本)      1970福岡
 (2時間10分45秒) ショーター          1976モントリオール
13、2時間10分47秒8 アドコックス(イギリス)   1968福岡
 (2時間10分55秒3)ロジャース          1977福岡
14、2時間11分05秒  喜多秀喜(日本)       1978福岡
 (2時間11分07秒2)アドコックス         1969アテネ
 (2時間11分08秒8)クレイトン          1971ホバート
15、2時間11分12秒  オレイリー(アメリカ)    1970ボストン

7 :
瀬古、宗兄弟 死闘のレース モスクワ選考会 レース展開
第14回(当時) 福岡国際マラソン 兼 モスクワ五輪マラソン代表選考会
1979年12月2日(日) 正午スタート 
平和台陸上競技場〜雁ノ巣折り返し 気温11.5度 湿度47% 西北西1.9m
外国勢33人(一般参加含む)含む 112人参加
スタートー 宗猛(旭化成)、大久保初男(大昭和製紙)、コウシス(ギリシャ)が前に
      出てくる。競技場での最初の1kmは3分。宗猛が下がり、ロドウィック(アメリカ)
      が先頭でロードへ
2km− ロドウィック、大久保、古田匡彦(長居AC)が飛び出す。大集団を15mリード。
3km− 3人が後続集団を30m引き離す。
5km− 15分15秒で3人が同時に通過。後続集団はモスクワ行きの切符がかかっているため
     自重気味。集団はまだ40人前後。15分25秒で10秒差。
7km− 大久保が古田とロドウィックを引き離し始める。単独トップに立つ。
10km− 30分23秒で大久保。2位のロドウィックに100mの差をつける。3位はさらに
      30m後方で古田。大集団は30分58秒。スローな展開で36名。されに20m以内に
      22名と空前の大集団となる。
11km− 古田が後続に吸収され、13kmではロドウィックも吸収された。
15km− 大久保の独走が続く。45分38秒でこの間は15分15秒。後続の大集団では
      日本の中堅所、毛利泰文(九州電工)、福山長安(東京都庁)、菊地武彦(リッカー)、
      そして前半リードした古田が脱落。それでも32名。大久保とは41秒差で200m以上
      の差がついている。
20km− 大久保のペースが落ち始める。1時間01分10秒でこの間は15分32秒。
      後続集団の先頭にはバージン(アメリカ)、鎌田俊明(鐘紡)、渡辺康徳(九州電工)、
      ワードロー(オーストラリア)、宗茂(旭化成)の入賞候補が出てくる。
      大集団はスタートからほとんど変化のないペースで推移。15分21秒―33秒の
      間で収まるラップ。この間は1時間01分45秒で15分26秒。
      大集団の後方でマクスエウェル(カナダ)、ホウイソン(カナダ)が9秒遅れ。
      そのさらに後方はジュマナザロフ(ソビエト)、高(北朝鮮)、コウシスが通過。

23km− 大久保のペースがみるみるダウン。ついに集団に吸収された。集団の先頭には
      宗猛、チェ(北朝鮮)、サンドバル(アメリカ)、ワードロー、宗茂の顔が見える。
24km− バージンが足を引っ掛けて転倒。 集団のペースはなかなか上がらない。
      ついに大久保が脱落。高見健二(小西六)も後退。
25km− 1時間17分17秒で通過。集団は18名に。

8 :
26km− フォード(イギリス)、ワードロー、チェの外国勢が前に。日本の主力はまだまだ
      中間〜後方で自重し牽制している。 そのため、
29km− 一時期150m遅れていたジュマナザロフがペースをあげて再び集団に戻ってきた。 
30km− この間を15分52秒要する。ゴメス(メキシコ)が脱落し18名に。
      メンバーは宗茂、宗猛、瀬古利彦(早大)、鎌田、伊藤国光(鐘紡)、喜多秀喜(神戸製鋼)
      武富豊(神戸製鋼)、渡辺、弓削裕(旭化成)、フォード、チェルピンスキー(東ドイツ)
      ライアン(ニュージーランド)、マッカリー(アメリカ)、スコット(オーストラリア)、ジュマナザロフ
      チェ・チャンソプ、サンドバル、ワードロー
      30kmを過ぎて少しづつペースが上がってくる。
30.5km− 鎌田、弓削が脱落。 唯一の下り坂にかかり益々ペースがあがる。集団は次々に分裂。
        五輪覇者のチェルピンスキー脱落。
34km− 代表候補の喜多がついに脱落。そいて武富も力尽きる。ジュマナザロフは急ペースで追いついた
      疲れがでてはるか後方へ。続けざまにスコットとライアンも脱落。
35km− ついに集団は6名に。1時間48分32秒でこの間を15分23秒。30秒ほどペースが上がった。
      まだ2時間10分台の期待を残す。
      35km過ぎについに五輪候補の伊藤が遅れ始める。宗兄弟、瀬古、フォード、チェの5名。
      伊藤は苦しそうで徐々に離れる。フォードとチェが先頭で日本勢が後ろでつく展開に。
36km− 北朝鮮のチェが遅れ始める。ついに4名の優勝争い。フォードが先頭で逃げ始め、その左右に
      宗兄弟が並ぶ。瀬古は最後尾で伺う。
40km− 2時間03分55秒。ペースは同じ15分23秒。チェは200m後方。
40km過ぎー 宗猛がスパート。グイグイ前に出る。すぐに宗茂が反応し、背後に。1、2mとフォードが
       離されていく。瀬古はさらに後ろでスパートに反応ができない。5m、10mと置いていかれる。
       あと2km地点は2時間4分32秒。2時間11分を切るのは確実となった。
       宗兄弟のスパートが落ち着く。少しづく後方の瀬古がジワジワと差を詰め始める。フォードは
       瀬古の後ろに後退。
あと1km− ついに瀬古が宗兄弟の背後にピッタリとついた。そして平和台陸上競技場へ。
    
宗猛が先頭。茂―瀬古の順でホームストレートからあと1周。ラスト200mで瀬古が渾身のスパート。
      茂、猛を抜き先頭へ。ラスト100mでは茂も猛をかわす。
瀬古優勝。2位宗茂。3位宗猛。 宗猛は自己記録となった。4位はフォード。マラソン2回目で10分台の
快挙を達成。8位で日本人4位は伊藤。しかし自己記録となった。 前半リードした大久保は82位。
またモントリオール五輪覇者のチェルピンスキーは途中棄権。大ベテラン君原健二(新日鉄)は48位だった。
瀬古、宗兄弟は晴れてモスクワ五輪代表の切符を手にした。

9 :
第14回(当時) 福岡国際マラソン 成績
1、2時間10分35秒 瀬古利彦(早大)
2、2時間10分37秒 宗茂(旭化成)
3、2時間10分40秒 宗猛(旭化成)
4、2時間10分51秒 フォード(イギリス)
5、2時間11分40秒 チェ・チャンソプ(北朝鮮)
6、2時間11分55秒 スコット(オーストラリア)
7、2時間11分55秒 ワードロー(オーストラリア)
8、2時間12分08秒 伊藤国光(鐘紡)
9、2時間12分33秒 ライアン(ニュージーランド)
10、2時間12分47秒 武富豊(神戸製鋼)
11、2時間14分05秒 ジュマナザロフ(ソビエト)
12、2時間14分12秒 弓削裕(旭化成)
13、2時間15分01秒 マッカリー(アメリカ)
14、2時間16分14秒 コウシス(ギリシャ)
15、2時間16分18秒 ゴメス(メキシコ)
16、2時間16分19秒 鈴木三男(日本電気)
17、2時間16分59秒 バージン(アメリカ)
18、2時間17分01秒 ロドウィック(アメリカ)
19、2時間17分04秒 リ・ジョン・ヒョン(北朝鮮)
20、2時間17分28秒 ホウイソン(カナダ)
21、2時間17分37秒 鎌田俊明(鐘紡)
41、2時間22分25秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
48、2時間23分52秒 君原健二(新日鉄)
82、2時間31分09秒 大久保初男(大昭和製紙)
1979年12月まで  男子マラソン世界歴代10傑
1、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア)1969.5.30
2、2時間09分05秒6 宗茂(日本)        1978.2.5
3、2時間09分12秒2 トンプソン(イギリス)   1974.1.31
4、2時間09分27秒0 ロジャース(アメリカ)   1979.4.21
5、2時間09分28秒0 ヒル(イギリス)      1970.7.23
6、2時間09分55秒0 チェルピンスキー(東ドイツ)1976.7.31
7、2時間10分00秒0 スメ(ベルギー)      1979.9.16
8、2時間10分08秒4 ドレイトン(カナダ)    1975.1.27
9、2時間10分12秒0 瀬古利彦(日本)      1979.4.21
10、2時間10分15秒0 ウェルズ(アメリカ)    1978.4.17


10 :
瀬古 VS モスクワ五輪覇者チェルピンスキー
第15回 福岡国際マラソン レース展開
1980年12月7日  晴れ 気温11度、湿度65% 北西の風1m
出場選手 130人 完走114人 
福岡平和台陸上競技場〜雁ノ巣折り返し

スタート〜5km 通過が15分27秒。30人余の先頭集団。互いに様子を伺う展開。
         
10km−ペースが上がるどころか、この間を15分38秒。明らかに自重。
     ほとんどの選手が「瀬古マーク」で進むため、集団のペースが上がらない。
     先頭集団、前方には宗茂(旭化成)、菅谷久ニ(電電東京)、弓削裕(旭化成)、
     松尾正雄(九州電工)、武富豊(神戸製鋼)ら日本人選手がでる。
そして15km−15分43秒、20km−15分53秒。福岡国際始まって以来の
スローペース。ほぼ記録の期待は潰えた。前年のラップより50秒遅れる。
折り返しー 雁ノ巣、カナダのブリトンが集団の先頭。
      伊藤国光(鐘紡)、、宗茂、宗猛(旭化成)、瀬古利彦(エスビー食品)、
      ド・キャステラ(オーストラリア)、今釘長敏(小西六)、エバーディング
      (東ドイツ)、喜多秀喜(神戸製鋼)、武富らが続く。
30km−ド・キャステラを先頭に集団は10人。1時間33分03秒で
     この間は15分08秒。徐々にペースが上がってくる。
31km−前半は先頭集団から遅れたり、追いついたりしていた
8月のモスクワ五輪で連続金メダルを獲得したチェルピンスキー(東ドイツ)
     がスパート。ピッチを速める。 ピッタリマークしていた瀬古が後ろにつく。
   
     ここで喜多、武富、キャステラが脱落。
32.5km− 瀬古が伊藤の足を引っ掛けてしまい、伊藤転倒。
        瀬古が走りながら伊藤に謝る。
33km−先頭はチェルピンスキー、ペファー(米国)、ヘンリー(豪州)、瀬古、
     宗猛、伊藤の6人。 宗茂が後退する。


11 :
33.7km− 伊藤が強めのスパート。転倒してすぐとは思えない余力。
        一気に外国招待3選手が交代。 瀬古がチェルピンスキーマークから
伊藤を追いかけ始める。
        ついに五輪王者・チェルピンスキーが遅れだす。
伊藤が瀬古、宗猛を振り切ろうと左、右にコースを変え、ジグザグを描く。
35km−1時間47分48秒(14分45秒)ハイペースに。
      伊藤の健闘が光る。瀬古と宗猛が伊藤に追いつき、3人で並走。
39km−橋の上がりかけで宗猛がスパート。伊藤国光が苦しい。
     少しずつ遅れ始める。ついに伊藤も後退。
40km−2時間03分08秒(15分08秒) 前半の遅れを完全に挽回して
     9分台の可能性が出てきた。
宗猛と瀬古の2人の優勝争いは平和台競技場の目の前に。
マラソンゲート50m先で瀬古が一気にスパート。みるみる宗猛に20mの差をつける。
スタンドは2万5千人の大歓声。
危なげない瀬古の走りで優勝。2時間09分45秒と瀬古自身初のサブテンを記録。
必死に食らいついた宗猛は4秒差で2位。宗猛もサブテンを記録した。
五輪優勝者・チェルピンスキーはゴール直前で宗茂にかわされ6位。
瀬古、宗兄弟のモスクワ五輪代表組は3人ともチェルピンスキーに勝つ結果になった。
15回 福岡国際マラソン 成績
1、2時間09分45秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、2時間09分49秒 宗猛(旭化成)
3、2時間10分05秒 伊藤国光(鐘紡)
4、2時間10分09秒 ヘンリー(オーストラリア)
5、2時間10分23秒 宗茂(旭化成)
6、2時間10分24秒 チェルピンスキー(東ドイツ)
7、2時間10分29秒 ペファー(アメリカ)
8、2時間10分44秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
9、2時間11分27秒 武富豊(神戸製鋼)
10、2時間11分35秒 キャノン(イギリス)
11、2時間12分35秒 ヘフナー(アメリカ)
12、2時間13分25秒 ダーデン(アメリカ)
13、2時間13分35秒 リスモン(ベルギー)
14、2時間13分56秒 弓削裕(旭化成)
15、2時間14分37秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
16、2時間14分38秒 エバーディング(東ドイツ)
17、2時間14分50秒 デュレンベヒャー(西ドイツ)
18、2時間15分15秒 川口孝志郎(中京大)
19、2時間15分19秒 引間金夫(新日鉄)
20、2時間15分23秒 ウイッティ(オーストラリア)



12 :
瀬古氏は50過ぎてる

13 :
瀬古ー海外初レース 学生日本新記録
第83回 ボストンマラソン  レース展開
1979年4月16日 気温5度 小雨  12:00(現地時間)スタート
7879人(女性517人)参加
(主な参加選手)
フランク・ショーター(アメリカ)72年ミュンヘン五輪金、76年モントリオール五輪銀
ビル・ロジャース(アメリカ)
E・チッカネン(フィンランド)
K・ライアン(ニュージーランド)
瀬古利彦(日本)
スタートー フレミング(アメリカ)が飛び出す。第一チェックポイントの
      フラミンガム(6.75マイル)では後続集団を400m引き離す。
第2チェックポイントーネイッック(10.5マイル)地点。相変わらずフレミングが
      単独首位。ラップタイムは50分08秒。
      後続集団は20人から13人へ
      ライアン、カードング(アメリカ)、マホニー(アメリカ)、ロジャース
      スチュアート(アメリカ)、ホッジ(カナダ)、ビヨクルンド(アメリカ)
      トーマス(アメリカ)ら。青梅マラソンから招待の高見健二(小西六)と
      瀬古の日本人は2人。
第3チェックポイントー ウェールズリー地点(13.75マイル)フレミングが先頭だがここまでで脱落。
      代わってビヨクルンドが先頭に出てくる。
      第4チェックポイントでラップを取ったビヨクルンドだが後続から
      瀬古とロジャースの優勝候補2人が抜け出し、ビヨクルンドに迫る。
心臓破りの坂に差しかかる。瀬古とロジャースの並走、そのすぐ後ろがビヨクルンド。
しかし3つ目の坂を登りきった直後の第5チェックポイント(30km過ぎ)でロジャースがスパート。
20mの差をつける。21.6マイルでは4年前に出した自らの大会記録に17秒遅れ。
ダウンヒルのスペシャリストといわれるロジャースのストライドの瀬古がついていけない。
ラスト7km− 最後のチェックポイント(クーリッジコーナー地点、24.12マイル)
        ロジャースは瀬古に100mの差をつける。
        大会記録に2秒差まで迫ってきた。 ロジャースは何度も後方を振り返り
        瀬古との差を確認する。差は少しずつ開いていく。
ゴールー ロジャースが2時間9分27秒 全米新記録 大会新記録 世界歴代4位でゴール。
     2位に瀬古。タイムは前年の福岡優勝で記録した2時間10分21秒を最新する
     2時間10分12秒。世界歴代8位、日本学生新記録だった。



14 :
83回 ボストンマラソン成績
1、2時間09分27秒 ロジャース(アメリカ) 大会新記録 世界歴代4位
2、2時間10分12秒 瀬古利彦(日本) 日本歴代2位、日本学生新、世界歴代8位
3、2時間12分30秒 ホッジ(カナダ)
4、2時間13分14秒 フレミング(アメリカ)
5、2時間13分14秒 ビヨクルンド(アメリカ)
6、2時間13分57秒 k・ライアン(ニュージーランド)
7、2時間14分04秒 ドイル(アメリカ)
8、2時間14分12秒 トーマス(アメリカ)
9、2時間14分36秒 アトキンス(アメリカ)
10、2時間14分36秒 マホニー(アメリカ)
41、2時間18分10秒 高見健二(日本)
79、2時間21分56秒 ショーター(アメリカ)


15 :
瀬古―海外初制覇
第85回 ボストンマラソン  レース展開
1981年4月21日  午前9時 スタート 気温9度 北西の風0.9m
6848人参加
参加日本人選手  瀬古利彦(エスビー食品)
         喜多秀喜(神戸製鋼)
         松尾正雄(九州電工)
スタートー ファネリー(アメリカ)が果敢に飛び出す。最初の1マイルを
      4分37秒。5kmは14分33秒で通過。
      瀬古、喜多、ロジャース(アメリカ)を含む集団40人は15分01秒。
10km−ファネリーが29分21秒。集団との差は約1分。後続集団ではタブ(アメリカ)が前に出てくる。
15km−ファネリー44分51秒。ペースが落ちてくる。しかし後続集団は約400m
     遅れの46分02秒で通過。
     ファネリーは観衆に手を上げたり、車椅子ランナーを追い抜くたびに肩を   
     叩いたりしてパフォーマンスが過剰。
20km−60分40秒。 後続とは45秒差。
中間点ー63分52秒。徐々に差が詰まり始め、300m差に。
        後続集団から喜多が遅れ始める。松尾はすでに脱落。
25km−1時間16分01秒。ファネリーの足取りが重い。ついに後続の差は100m。
26km−後続集団からアメリカのメイアーが出て集団をリードしてファネリーを
     抜き去る。ファネリーは降参したような表情。
     後続集団はすでに瀬古、ロジャース、バージン(アメリカ)、チェトル(オース         
     トラリア)、ペファー(アメリカ)、イースト(アメリカ)に絞られる。
27km−メイアーが後続6人を30mリード。 ペファーが集団から脱落。
28km−ついに優勝候補のロジャースが集団から後退し始める。イーストとともに脱落。
30km−メイヤー1時間31分32秒。 瀬古、バージン、チェトルが6秒差。



16 :
31km―メイヤーが3人に捕まり後退。3人の優勝争い。
ハートブレイク・ヒルに差し掛かる頃、チェトルが脱落。瀬古とバージンが並ぶ。
ヒルの中間でチェトルは50m差。ロジャースが後続で粘り、メイヤーを獲らえる。
その後ろ30mでイースト。
ついにバージンが先頭へ。瀬古がバージンの後ろへ。
ハートブレイク・ヒルの頂点から瀬古が前に出て、ペースを上げる。
ここで2人のスピードランナーによる強烈なスピードアップ。
35km−1時間46分54秒。
36km−バージンがスパート。瀬古がピッタリと背後につく。バージンの顔が苦しく
     なる。瀬古は無表情。
     ビーコン通りに出る90度の左折で瀬古が強烈なスパート。
     あわててバージンが追ったが、アッという間に差がつく。
     ロジャースがメイヤー、チェトルを抜き去り3位に浮上。
40km−2時間02分06秒。世界最高クレイトンとの差は11秒。  
     昨年、福岡のラストを換算すると2時間08分43秒に。世界最高の
     期待が高まる。しかし瀬古もかなり苦しい表情。アゴが上がってきた。
     あと1kmで2時間06分19秒。8分台の期待は消える。
ゴールー2時間09分26秒。瀬古海外で初優勝。79年ロジャースの大会記録
    2時間09分27秒を1秒最新する世界歴代5位。
    2位には同年1万m世界ランキング1位の新鋭・バージンが入り、
    3位にロジャース。


17 :
85回 ボストンマラソン  成績
優勝、2時間09分26秒 瀬古利彦(日本)(日本歴代2位、世界歴代5位)大会新
2位 2時間10分26秒 バージン(アメリカ)
3位 2時間10分34秒 ロジャース(アメリカ)
4位 2時間11分33秒 ロドウィック(アメリカ)
5位 2時間11分35秒 イースト(アメリカ)
6位 2時間11分52秒 トイボラ(フィンランド)
7位 2時間12分01秒 リンド(アメリカ)
8位 2時間12分23秒 チェトル(オーストラリア)
9位 2時間12分31秒 ヘフナー(アメリカ)
10位 2時間12分55秒 ガルシア(コロンビア)
50位 2時間18分45秒 松尾正雄(日本)
97位 2時間22分25秒 ファネリー(アメリカ)
620位 2時間36分59秒 喜多秀喜(日本)
優勝  瀬古利彦  ラップタイム
5km 15.01
10km 30.21(15.20)
15km 46・02(15.41)
20km 1.01.25(15.23)
25km 1.16.24(14.59)
30km 1.31.38(15.14)
35km 1.46.54(15.14)
40km 2.02.06(15.12)
2.195km(7.22)
2時間9分26秒


18 :
ロサンゼルス五輪選考会
第18回(当時) 福岡国際マラソン レース展開
1983年12月4日(日) 快晴(気温13.5度、湿度50% 風2.5m)  
平和台陸上競技場―雁ノ巣折り返し
          
外国招待17人、国内招待9人  総勢147人
(参加選手 ベスト8)
1、サラザール(アメリカ)   2時間08分13秒 世界記録(当時は公認扱い)
2、瀬古利彦(SB食品)    2時間08分38秒 日本記録
3、宗猛(旭化成)       2時間08分55秒
4、宗茂(旭化成)       2時間09分05秒6
5、イカンガー(タンザニア)  2時間09分30秒
6、伊藤国光(鐘紡)      2時間09分37秒
7、チェルピンスキー(東ドイツ)2時間09分55秒
8、バリンジャー(ニュージーランド) 2時間10分15秒
スタートー 400mを70秒で通過後、イカンガーを先頭にロードへ
15kmでは30人の大集団。
25kmではイカンガー(タンザニア)、ペーター(東ドイツ)、サラザール(東ドイツ)
瀬古利彦、宗茂、宗猛、伊藤国光、喜多秀喜、千葉正秋 の9人。
チェルピンスキー、ハイルマン(ともに東ドイツ)、エッジ(カナダ)、前年の覇者
バリンジャー(ニュージーランド)、川口孝志郎、西村義弘、武富豊が第2集団。
さらに後方の第3集団に須永宏、工藤一良、児玉泰介。
28km−千葉とペーターが後退。
ここで瀬古、宗兄弟、伊藤、喜多の五輪候補のみが残る。の先頭は
相変わらずイカンガー、続いてサラザール。
30km−1時間31分53秒(この間は15分13秒)
31km−喜多がついに遅れ始める。約50m遅れる。
33km−喜多が脅威の追い上げ。集団に返り咲き、また7人に。
35km−1時間47分11秒(15分18秒)
    ここで再び喜多が脱落。
先頭はイカンガー、続いてサラザール。そのサラザールをピッタリマークの
瀬古がその後ろ。宗茂が後方で口をパクパクし苦しそうな表情。
残り3kmを2時間0分4秒で通過の後、ついに宗茂が5m、10mと遅れ始める。
15mと差がつく。
39.8km−イカンガーがスパート。瀬古がサラザールマークからイカンガーに
     に切り換え、背後につく。その後方にサラザールと宗猛。その後方に
伊藤国光。伊藤の首が振れ始め苦しそう。その20m後方に宗茂。



19 :
40km−2時間02分30秒(15分19秒)
     勝負はイカンガーと瀬古に絞られる。
41km−40km地点で伊藤に20m差をつけられていた宗茂が脅威の追い上げ。
     伊藤をかわしてサラザール、宗猛と抜き去り3位へ。
平和台陸上競技場― 第4コーナーから瀬古が強烈なスパート。競技場は「ウォー」
         と地鳴りのような歓声。瀬古優勝。2位イカンガー。
  残り2.195kmを6分22秒。ラスト5kmを14分40秒でカバーし
 福岡4回目の優勝。優勝タイム2時間08分52秒は世界歴代6位相当の記録と
なった。宗茂が3位。猛が4位。世界最高記録保持者のサラザールは5位に終わる。
6位伊藤国光までがサブテンで当時としては最多サブテン記録レースとなる。
7位喜多秀喜も自己最高記録。
18回福岡国際マラソン レース結果
1、 2時間08分52秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、 2時間08分55秒 イカンガー(タンザニア)
3、 2時間09分11秒 宗茂(旭化成)
4、 2時間09分17秒 宗猛(旭化成)
5、 2時間09分21秒 サラザール(アメリカ)
6、 2時間09分35秒 伊藤国光(カネボウ)
7、 2時間10分30秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
8、 2時間11分48秒 エッジ(カナダ)
9、 2時間11分49秒 ハイルマン(東ドイツ)
10、2時間12分51秒 児玉泰介(旭化成)
11、2時間13分31秒 須永宏(日本電気HE)
14、2時間14分15秒 中山竹通(ダイエー)
15、2時間15分13秒 チェルピンスキー(東ドイツ)
17、2時間15分36秒 武富豊(神戸製鋼)
19、2時間16分14秒 工藤一良(リッカー)
21、2時間16分59秒 ペーター(東ドイツ)
22、2時間17分31秒 浜田安則(京セラ)
23、2時間17分38秒 渋谷俊浩(筑波大)
25、2時間17分43秒 仙内勇(ダイエー)


20 :
優勝 瀬古利彦 ラップタイム
5km―15分18秒
10km―30分37秒(15分19秒)
15km―45分53秒(15分16秒)
20km―1時間01分30秒(15分37秒)
中間点―1時間04分54秒
25km―1時間16分40秒(15分10秒)
30km−1時間31分55秒(15分15秒)
35km−1時間47分12秒(15分17秒)
40km−2時間02分30秒(15分18秒)
2.195km−6分22秒
ゴールー2時間08分52秒
残り5km地点通過−1時間54分12秒(ラスト5km 14分40秒)
残り3km地点通過―2時間00分04秒(ラスト3km 08分48秒)
1983年12月まで  男子マラソン世界歴代10傑
1、2時間08分18秒  ド・キャステラ(オーストラリア)81福岡
2、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア)  69アントワープ
3、2時間08分38秒  瀬古利彦(日本)        83東京
4、2時間08分39秒  ロペス(ポルトガル)      83ロッテルダム
5、2時間08分51秒  サラザール(アメリカ)     82ボストン
6、2時間08分53秒  ベアズレー(アメリカ)     82ボストン
7、2時間08分55秒  宗猛(日本)          83東京
7、2時間08分55秒  イカンガー(タンザニア)    83福岡
9、2時間08分59秒  ディクソン(ニュージーランド) 83ニューヨーク
10、2時間09分00秒  マイヤー(アメリカ)      83ボストン
(参考)2時間08分13秒 サラザール(アメリカ)    81ニューヨーク(後日距離不足のため末梢)  

21 :
>>3〜>>20
瀬古出場大会のまことに素晴らしいレース詳細を有り難うございます。
厚かましいお願いですが、1983年東京国際の模様をお書きいただけないでしょうか?
私はこのレースを見て瀬古の磐石の強さ、そしてマラソンの魅力の虜になった者でございます。

22 :

瀬古―惨敗 マラソン史上最高視聴率 48%
第23回 ロサンゼルス五輪  男子マラソン レース展開
1984年8月12日 午後5時スタート 出場58カ国 107人
NHK 午前9:00 衛星生中継
解説―高橋進  実況―羽佐間正雄
スタート(サンタモニカ大 グランド)− ゴール(メモリアルコロシアム)
(出場選手ベスト5)
1、 2時間08分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
2、 2時間08分38秒 瀬古利彦(日本)
3、 2時間08分39秒 ロペス(ポルトガル)
4、 2時間08分51秒 サラザール(アメリカ)
5、 2時間08分55秒 宗猛(日本)
5、2時間08分55秒 イカンガー(タンザニア)
(羽佐間)「真っ先に瀬古をとらえました。そしておなじみキャステラ。
     まずカメラは2人をとらえましたね。」
(高橋)  「やはり2人の対決が人気を呼んでいますよ。」
(羽佐間) 「マラソン史上もっとも自信をもって送り出した3人がスタートを
     切ります」
スタートー 宗猛がスーッと前に出てくる。イカンガーは早くも先頭。   
      2周半してロードへ。ウガンダのビューガが先頭。
2km−モスクワ五輪銀メダリストのネイブール(オランダ)が前に出て
    引っ張り始める。
(羽佐間) 「レース展開は?」
(高橋)「7kmまでは登りだから最初は15分20秒くらいでは。7−15km
    が下りになるので動きがあるかも。」
(羽佐間)「記録は?」
(高橋)「キャステラのコーチは、女子の記録を考えたら8分台が出てもおかしくない
    と言っていた。」


23 :
5km− オランダのランブレグトが先頭で15分33秒。集団は縦長で約50人。
前にはヌジェニー(ケニア)、イカンガー(タンザニア)、シャハンガ(タンザニア)、
サラ(ジブチ)のアフリカ勢に、パルマンチェ(ベルギー)、
ディクソン(ニュージーランド)、スミス(イギリス)、ザルツマン(西ドイツ)らがま前に。
8km−ふたたびネイブールが先頭に立ち、10mリード。アフリカ勢が続く。
カメラが初めて瀬古をとらえる。サラザール(アメリカ)がすぐ後ろ。先頭集団の後方部。
10km−ソマリアのイズマエルが先頭に出てくる。31分14秒。 約40人。
     気温が27度に上がる。
12km−宗兄弟が集団の最前列へ出てくる。
15km−イズマエルを集団が吸収。約20人の集団。
     イカンガー、シャハンガのタンザニア勢が前に。
19km−サラザールはすでに100m遅れ。第二集団。
(高橋)「(サラザールを見て)ちょっと精彩がないですね。」
(羽佐間)「フォームが全盛期に戻っていないといわれていますね。」
(高橋)「ストライドの伸びがまったくないですね。」
20km−イカンガー、ロペス(ポルトガル)、シャハンガ、ザルツマン、ジャマ(ジブチ)
     瀬古、宗兄弟、ネイブール、スペディング(イギリス)、サラ、テルジ(トルコ)
     トレーシー(アイルランド)、キャステラの14人に絞られる。
ハーフー1時間04分54秒。瀬古は11番手。宗茂は最後尾。
22km−後続からディクソンが追いつき15人。
(高橋)「2時間10分を切らないと優勝はできませんね。」
23km−ディクソンが先頭へ。ネイブール、テルジが脱落。
25km− 1時間17分11秒。 13人。宗茂が最後方。気温が29度に。
      フリーウェイに入ったため観客がいなくなる。
26km−ザルツマン、シャハンガが後退。


24 :
(高橋)「宗茂がちょっと遅れ始めましたよ。」
(羽佐間)「あ、そうですか。あー、ちょっと遅れています。」
(高橋)「ほんのちょっとですけどね。」
27km−宗茂が最後方で粘るも、5m遅れ。集団は10人。
28km−瀬古が被っていた帽子を沿道に投げ捨てる。
30km− 宗茂20m遅れ。アイルランドのキェルナンが
     後続から上がって来る。 依然、気温29度。
     サラザールは45秒遅れ。(高橋)「今日は気温が高いですね。」
(羽佐間)「だいたい10分前後の優勝タイム。日本の2人にも十分チャンスが
     あります。」
33km−(羽佐間)「キャステラがちょっと遅れましたよ。」
     (高橋)「足取りが重くなりましたね。」
34km−サラ、ジャマのジブチ勢、キェルナン、そしてキャステラが脱落。
 (羽佐間)「遅れたキャステラ・・・おっ(かなり)遅れましたね。」
 (高橋)「これで優勝圏外に去りましたねぇ。」
 先頭集団は8人。
 スペディング、瀬古、イカンガー、ロペス、トレーシー、宗猛、イカンガー、ヌザウ
34.8km−
 (羽佐間)「この集団の後ろ、瀬古がいますが・・ アッ!」
(高橋)「アッ!」 (羽佐間)「瀬古が遅れましたか??」
(高橋)「ちょっと遅れましたね。」(羽佐間)「瀬古が遅れました。」
(羽佐間)「意外な展開になりました。瀬古が遅れ始めています。ペースが上がったで
     しょうか。 どうした! 瀬古利彦。」
35km−1時間48分22秒。15分26秒 30秒ペースが上がる。
35.2km−スペディングがスパート。イカンガーが脱落。
       そしてついに宗猛が遅れ始める。
       スペディング、ロペス、トレーシー、ヌザウの4人。
ペースが一気に上がる。
キャステラが瀬古を一気に抜き去る。

25 :
(高橋)「(瀬古は)完全に疲れがでましたね。」
35.4km− ケニアのヌザウが脱落。
37km−ロペスが先頭に出てロングスパートをかける。
     ロペスースペディングートレーシーの順で縦長。
     ヌザウは20m遅れ。その後ろ、宗猛が50m遅れ。
38km−ロペス・スパート。2人に10m差をつける。
(高橋)2時間10分台は確実に出ると思いますよ。」
(初マラソン・トレーシーについて)
(羽佐間)「27歳。1978年世界クロスカントリー優勝で注目。モスクワ五輪
     5千、1万代表。アイルランド記録5千、13分16秒82の記録保持者」
40km−2時間02分56秒  14分34秒にペースが上がる。ロペス独走。
     トレーシー、スペディングとの差は30秒。
(高橋)「このままいくと2時間9分40秒台の五輪新記録がでるかもしれませんよ。」
2時間07分45秒―ロペスがメモリアルコロシアムに入ってくる。
後続ではトレーシーがスパート。スペディングを引き離し単独2位に。
(高橋)「2時間09分30秒を切るかもしれませんよ。」
(羽佐間)「瀬古は今、11位を走っています。」
ゴールー2時間09分21秒 五輪新記録
(羽佐間)「37歳。老雄というには、あまりにも元気なこの37歳。ポルトガルの
    英雄、カルロス・ロペスが今、ゴールインで優勝! ポルトガルに
    マラソンで初めての優勝をもたらしました。」
2位トレーシー。3位スペディング。日本勢は宗猛が4位に入る。
(羽佐間)「あ、瀬古がここにいます。まったく疲れている。こんな瀬古を  
     見たことがありません。思いもよらない瀬古の不調。」
(高橋)「私も初めてですねぇ」
瀬古14位。宗茂17位でゴール。

26 :
第23回 ロサンゼルス五輪  男子マラソン 成績
五輪記録 チェルピンスキー(東ドイツ) 2時間9分55秒 1976年
1、2時間09分21秒 ロペス(ポルトガル)五輪新
2、2時間09分56秒 トレーシー(アイルランド)
3、2時間09分58秒 スペディング(イギリス)
4、2時間10分55秒 宗猛(日本)
5、2時間11分09秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
6、2時間11分10秒 イカンガー(タンザニア)
7、2時間11分28秒 ヌザウ(ケニア)
8、2時間11分39秒 ロブレ・ジャマ(ジブチ)
9、2時間12分20秒 キェルナン(アイルランド)
10、2時間12分57秒 ディクソン(ニュージーランド)
11、2時間13分53秒 フィッKー(アメリカ)
12、2時間13分57秒 H・ジョーンズ(イギリス)
13、2時間14分00秒 ゴンザレス(プエルトリコ)
14、2時間14分13秒 瀬古利彦(日本)
15、2時間14分19秒 サラザール(アメリカ)
16、2時間14分20秒 テルジ(トルコ)
17、2時間14分38秒 宗茂(日本)
18、2時間15分29秒 ザルツマン(西ドイツ)
19、2時間15分55秒 ヨルゲンセン(デンマーク)
20、2時間15分59秒 アーメド・サラ(ジブチ)
1984年ロサンゼルス五輪終了時点  五輪男子マラソン歴代10傑
1、2時間09分21秒  ロペス(ポルトガル)    84ロサンゼルス優勝
2、2時間09分55秒0 チェルピンスキー(東ドイツ)76モントリオール優勝
3、2時間09分56秒  トレーシー(アイルランド) 84ロサンゼルス2位
4、2時間09分58秒  スペディング(イギリス)  84ロサンゼルス3位
5、2時間10分45秒0 ショーター(アメリカ)   76モントリオール2位
6、2時間10分55秒  宗猛(日本)        84ロサンゼルス4位
7、2時間11分03秒  チェルピンスキー(東ドイツ)80モスクワ優勝
8、2時間11分09秒  ド・キャステラ(オーストラリア)84ロサンゼルス5位
9、2時間11分10秒  イカンガー(タンザニア)  84ロサンゼルス6位
10、2時間11分12秒6 リスモン(ベルギー)    76モントリオール3位


27 :

瀬古 生涯自己記録
1986 シカゴ・アメリカズマラソン  レース展開
1986年10月26日 午前8時45分スタート 気温13度 湿度93%
約1万2000人参加
参加メンバー
瀬古利彦(日本)
サラ(ジブチ)(85年W杯広島, 87年W杯ソウル優勝、元世界歴代2位)
ゴメス(メキシコ)(モスクワ五輪6位)
スペディング(イギリス)(ロス五輪銅メダリスト)
ムショキ(ケニア)(ハーフマラソン世界記録保持者)
ロノ(ケニア)(元1万m世界記録保持者、3000m障害世界記録保持者)
バイニオ(フィンランド) (ロス五輪1万代表)
スタートー 前半からタンザニアのジョン・ブラが集団を引っ張り5kmを通過。
  
      瀬古以下先頭集団は8kmでブラを飲み込む。すでにスペディングは第二集団。
先頭集団は8人。瀬古、ホセ・ゴメス(メキシコ)、ロドルフォ・ゴメス(メキシコ)、サラ、
        アルカラ(メキシコ)、ブラ(タンザニア)、バイニオ、ムショキ。
ペースは15分をちょっとオーバーする程度。やや物足りないものの、それほど
遅いとも思わないペースで中盤へ。
20km−5人 通過は1時間00分21秒。世界最高のロペスに10秒遅いペース。
25km−15分21秒。ペースが遅くなり、たまらず瀬古がペースを上げる。
     その瀬古について来たのはサラのみ。2人の一騎打ちになる。
30kmは瀬古のペースアップにより15分01秒。サラが瀬古にぴったりつく。
しかしサラの表情が険しくなる。瀬古はサラを観察するしぐさが増える。
35kmで瀬古が再度ペースアップ。すでにサラはついていける余裕はなく脱落。
瀬古の独走が始まる。
35kmでロペスの世界最高から51秒遅れ。世界最高は苦しいがしきりに左腕の
時計を見るしぐさが多くなる。7分台が狙えるペース。
40km−ペースアップの影響で15分10秒。ここで瀬古の表情が苦しいものに変わる。
足取りはしっかりしているものの、ピッチとストライドがかなり落ちてくる。
26マイル表示板の前をすでに2時間7分台で通過。
ゴールー 2時間08分27秒  世界歴代10位でのゴール。
2位にサラ、3位には後半追い込んだスペディングが入った。



28 :
1986年 シカゴ・アメリカズマラソン 成績
1、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本)
2、2時間09分57秒 サラ(ジブチ)
3、2時間10分13秒 スペディング(イギリス)
4、2時間10分30秒 ムショキ(ケニア)
5、2時間11分17秒 ステファニー(西ドイツ)
6、2時間13分36秒 ブラ(タンザニア)
7、2時間13分59秒 ウイリアムス(アメリカ)
8、2時間14分27秒 ダハート(アメリカ)
9、2時間14分58秒 ホセ・ゴメス(メキシコ)
10、2時間15分02秒 ロドルフォ・ゴメス(メキシコ)
26、2時間19分12秒 ロノ(ケニア)
優勝  瀬古利彦  ラップタイム
5km−15分00秒
10km−30分07秒(15分07秒)
15km−45分16秒(15分09秒)
20km−1時間00分21秒(15分05秒)
25km−1時間15分43秒(15分22秒)
30km−1時間30分44秒(15分01秒)
35km−1時間46分06秒(15分22秒)
40km−2時間01分16秒(15分10秒)
2,195km−7分11秒
ゴールー2時間08分27秒(日本歴代4位、世界歴代10位)

1986年12月末まで   男子マラソン世界歴代10傑
1、2時間07分12秒 ロペス(ポルトガル)      85ロッテルダム
2、2時間07分13秒 Sジョーンズ(イギリス)     85シカゴ
3、2時間07分35秒 児玉泰介(日本)        86北京
4、2時間07分51秒 ド・キャステラ(オーストラリア)86ボストン
5、2時間07分57秒 伊藤国光(日本)        86北京
6、2時間08分04秒 シンク(南アフリカ)      86ポートエリザベス
7、2時間08分08秒 ジャマ・ロブレ(ジブチ)    85シカゴ
8、2時間08分09秒 アーメド・サラ(ジブチ)    85広島
9、2時間08分10秒 イカンガー(タンザニア)    86東京
10、2時間08分15秒 中山竹通(日本)        85広島
10、2時間08分15秒 プラーティエス(南アフリカ)  86ポートエリザベス
12、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本)        86シカゴ
13、2時間08分29秒 デンシモ(エチオピア)     86東京
14、2時間08分33秒 スペディング(イギリス)    85ロンドン
15、2時間08分33秒6クレイトン(オーストラリア)  69アンベルス




29 :
瀬古―ボストン2度目の優勝
1987年4月20日  第91回ボストンマラソン レース展開
気温12度、湿度95% 4−5mの向かい風  6279人参加
テレビ東京系 衛星生中継
(実況)土居壮 (解説)高橋進
(参加選手)
瀬古利彦(日本)
S・ジョーンズ(イギリス)(元世界記録保持者、当時世界歴代2位)
イカンガー(タンザニア)(84ロス五輪6位)
ド・キャステラ(オ-ストラリア)(90回大会優勝、83世界陸上優勝、84ロス五輪5位)
トレーシー(アイルランド)(78世界クロカン優勝、84ロス五輪銀メダリスト)
スミス(イギリス)(88、89回大会優勝)
ロジャース(アメリカ)(79,82,83,84回大会優勝)
ビックフォード(アメリカ)(85年度1万m世界ランキング1位)
アイストーン(アメリカ)(85年度1万m世界ランキング3位)
カマウ(ケニア)(84年シカゴ4位)
ヘルビック(ベルギー)(のちの90年びわ湖毎日優勝)
谷口伴之(エスビー食品)
喜多秀喜(神戸製鋼)
武田裕明(日大)
高橋養次(日立電線)
スタートー直後、キャステラが整理用ロープに足を引っ掛け転倒。
     メイダー(アメリカ)が飛び出す。1マイル4分45秒。
     イカンガーを先頭の大集団は50m差。
     メイダーに代わり、グレイ(アメリカ)が先頭に出る。
5km−60−70人の大集団は15分09秒。
 
強豪が牽制し、また向かい風の為、ペースがなかなか上がらない。
テレビ中継は濃霧のため、飛べず固定カメラのみの映像。
8km−アシュランド地点。道幅いっぱいに集団が広がる。ロジャースも集団の中。
10km−30分49秒。ラップが30秒遅くなる。
11km−グレイがリード。 100m後続で16−17人の集団。
15km−46分58秒。スピードのあるビックフォードが先頭も依然、膠着状態。
15分40−16分10秒の間のスローな展開が続く。
 スミス、ジョーンズのイギリス勢は会話を交わしたりし、余裕の表情。
ネイティック地点
集団には瀬古、ジョーンズ、イカンガー、キャステラ、スミス、トレーシー、谷口、喜多、
アブラファ(エチオピア)、ゴードン(アメリカ)、ビックフォード、カマウ、ウンバーグ(スイス)、ヘレビックなど。 喜多は最後方で遅れ気味。
(高橋)「せっかく世界の強豪が集まっているのにもったいないですね。
    期待の世界最高は望み薄になりましたね。」 


30 :
心臓破りの丘に差し掛かり始める。
32km−スルスルと瀬古が前に出て、集団は縦長の展開。ペースが上がる。
 (土居)「(画面が切り替わって)これは男子のトップですかね? 瀬古ですね これは!
 (高橋)「瀬古がね・・出ましたねぇ」    
(土居)「瀬古がついにトップに出ました。まもなく心臓破りの丘でしょう。」
300m後、再度、瀬古がギアチェンジ。上がり坂で後続は苦しい。
集団は解体。瀬古―スミスージョーンズの順。トレーシー、アブラファ、谷口あたりが
ジョーンズの後ろ。イカンガー、キャステラが遅れる。
34kmでスミス、遅れてジョーンズ2人に160m差をつける。
その100m後ろがトレーシー、アブラファ、谷口の集団。
30−35kmの上がり坂主体となる区間を14分58秒で走破。
38km地点。 ヘリコプターの回線が普及。移動中継が始まる。 瀬古の独走映像。
(高橋)「楽に走ってますね」
    「まぁ、このままいってせめて11分は切ってもらいたいですね」
40km−2時間04分48秒 この間15分08秒。
     沿道は3重4重の人垣。
谷口がゴードンと4位争いを展開。
ジョーンズがスミスに追いつき2位争いが激しくなる。
(高橋)「どうも2時間11分台に終わりそうですね。」
ゴール地点
(土居)「2時間11分台・・ まもなくゴールを迎えます。 瀬古!
    ゴールまですでに100mを切っています。変わらぬ足取り。
    表情ひとつ変えません。日本の瀬古。
    まもなくゴールを迎えます! ガッツポーズ!瀬古優勝です。
    91回ボストンマラソン2度目の優勝であります」
2時間11分50秒。ボストン2度目の優勝。
残り150mでジョーンズがスミスをかわして2位に上がる。スミスが3位。
日本勢では谷口が5位、喜多が9位。
瀬古は優勝賞金4万ドル(当時・580万円)、ベンツを獲得。

31 :
91回(1987年4月) ボストンマラソン 成績
1、2時間11分50秒 瀬古利彦(日本)
2、2時間12分37秒 S・ジョーンズ(イギリス)
3、2時間12分42秒 スミス(イギリス)
4、2時間13分30秒 ゴードン(アメリカ)
5、2時間13分40秒 谷口伴之(日本)
6、2時間14分24秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
7、2時間15分02秒 バンダーハーデン(ベルギー)
8、2時間15分16秒 ヘルビック(ベルギー)
9、2時間15分23秒 喜多秀喜(日本)
10、2時間15分41秒 マーチン(アメリカ)
11、2時間16分17秒 イカンガー(タンザニア)
14、2時間17分50秒 トレーシー(アイルランド)
15、2時間18分18秒 ロジャース(アメリカ)
18、2時間19分03秒 高橋養次(日本)

優勝  瀬古利彦  ラップタイム
5km 15分09秒
10km 30分49秒(15分40秒)
15km 46分58秒(16分09秒)
20km 1時間02分54秒(15分56秒)
25km 1時間18分56秒(16分02秒)
30km 1時間34分42秒(15分46秒)
35km 1時間49分40秒(14分58秒)
40km 2時間04分48秒(15分08秒)
2.195km 7分02秒
2時間11分50秒


32 :

ボストンマラソン日本人選手歴代優勝者
1951年 2時間27分45秒 田中茂樹(41.091km)
1953年 2時間18分51秒 山田敬蔵(41.091km)
1955年 2時間18分22秒 浜村秀雄(41.091km)
1965年 2時間16分33秒 重松森雄(42.195km)
1966年 2時間17分11秒 君原健二(42.195km)
1969年 2時間13分49秒 采谷義秋(42.195km)采谷(うねたに)
1981年 2時間09分26秒 瀬古利彦(42.195km)
1987年 2時間11分50秒 瀬古利彦(42.195km)

33 :

ボストンは瀬古以来日本選手勝ってないのか
87年は学生だったが録画したレースを朝見た
瀬古が世界の強豪を抑えて独走の画像に鳥肌立ったの覚えてるなぁ

34 :
>>33
霧でヘリコプター飛ばないで中継が途切れてたレースな
この豪華メンバーで優勝した瀬古だけど結局これが
最後の輝きだったよな ジョーンズ、キャステラ、イカンガー
トレーシーに勝ったんだからこの時はまさしく世界一だったろうよ

35 :
ボストン・マラソン(1987)/ ダイジェスト版
http://www.youtube.com/watch?v=0TljpYhjsmw

36 :
瀬古欠場― 中山2度目の福岡制覇
ソウル五輪男子マラソン代表選考会 視聴率41.0%(放送NHK総合)
1987年12月6日(日) 福岡市平和台陸上競技場〜和白丘折り返し
第41回(当時:22回)福岡国際マラソン レース展開
参加者152人 完走131人 
(天候)雨 (気温)7.6度 (風)北北東5.5m (湿度)80%
(世界最高記録)2時間07分12秒 C・ロペス(ポルトガル) 1985
(日本最高記録)2時間07分35秒 児玉泰介(旭化成)    1986
(参加選手ベスト5)
1、2時間07分35秒 児玉泰介(旭化成)
2、2時間07分57秒 伊藤国光(鐘紡)
3、2時間08分15秒 中山竹通(ダイエー)
4、2時間08分29秒 デンシモ(エチオピア)
5、2時間08分55秒 宗猛(旭化成)
(ソウル五輪強化指定選手8人)
2時間07分35秒  児玉泰介(旭化成)
2時間07分57秒  伊藤国光(鐘紡)
2時間08分15秒  中山竹通(ダイエー)
2時間08分27秒  瀬古利彦(エスビー食品)=欠場
2時間08分55秒  宗猛(旭化成)
2時間09分05秒6 宗茂(旭化成) =欠場(引退)
2時間09分50秒  谷口浩美(旭化成)
2時間09分51秒  新宅雅也(エスビー食品)

(実況)島村俊浩 (解説)宇佐美彰朗 (2号車解説)喜多秀喜

(島村)「福岡は雨と強い風です。(中略)福岡で勝つことはソウルで勝つよりも難しい。
    かつてない豪華メンバーで迎えたオリンピックトライアルの福岡国際マラソン。
    欠場の瀬古は今、どんな思いで過ごしているのでしょうか。」
   「世界が注目するマラソン。注目のスタート10秒前です。」
スタートー スタート直後、サイモン(タンザニア)が先頭に出る。競技場内で早くも
      縦長の展開。
(島村)「過去、福岡でもっとも気温が低く、もっとも風の強いレースです。」
(島村)「ちょっと厳しい条件ですね。」
(宇佐美)「風がいちばん困る。後半かなり影響するのでは。」
サイモンが後続を30mリードしてロードへ 飛び跳ねるような躍動感のあるフォーム。


37 :
1.5km− サイモンひとり飛び出す。後続集団とは50m差。集団は50人。
(喜多)「これだけの雨、風は(体が冷えるので)また選考会なので皆、牽制している。」
(島村)「レース展開は?」
(宇佐美)「このまま牽制の強いレースになるのでは。26kmの折り返しから(動きが)
    始まるのではないか。(主導権は)やはり中山君あたりが握らなければならない。」
(喜多)「中山君がどう出るか・・・ 中山君が前に出てきましたよ。」
3km− 8分43秒。サイモン先頭。中山(ダイエー)が集団を引っ張り始めて8分59秒。
     中山の後方にデンシモ(エチオピア)、西政幸(旭化成)。そのさらに後ろ10mに
     約20人。谷口浩美(旭化成)、新宅雅也(エスビー食品)、宗猛(旭化成)の
     五輪候補に須永宏(日本電気HE)、仙内勇(ダイエー)ら。
4.7km− 中山、デンシモが更に前に出てサイモンとの差30m。
5km− サイモンが14分29秒で通過。
     後続は5秒差。中山―デンシモ−谷口浩―西―新宅―仙内―宗猛の順。
(島村)「宇佐美さん、これは凄いペースですね。」
(宇佐美)「凄い飛び出しですね。このまま行くとはちょっと考えられないけれど、気候条件を
    無視してこのまま果敢に挑んでるというのは大変な意欲を感じる。」
5.7km− 中山がサイモンに追いつき先頭に出る。デンシモ、谷口浩、西、新宅、仙内も追随。
       しかし追いつかれたと同時にサイモンがペースアップ。また10mのリード。
(島村)「瀬古欠場ということでレース展開が変わるのではないか とは言われてましたが・・」
(宇佐美)「(今は)中山君の横綱レース。瀬古君が出ないので自分で自分のレースをしようと考えたのでは。」
6.5km− 集団は7人に。ペースが速く縦長の展開。中山が再度先頭に出る。後方50mに宗猛。
       宗猛から30mで12人の集団。
7.8km− 再びサイモンが集団から抜け出し15mほどのリードを奪う。
宗猛の後方(第2集団には)坂口泰(エスビー食品)、谷口伴之(エスビー食品)、トルスティコフ(ソビエト)
             金哲彦(リクルート)、ペーター(東ドイツ)、ハイルマン(東ドイツ)
             コリル(ケニア)、渋谷俊浩(雪印)、児玉泰介(旭化成)、伊藤国光(鐘紡)
             工藤一良(日産自動車)、バルチャ(エチオピア)、の12人
8.9km−サイモン吸収。中山―サイモンーデンシモー谷口浩―仙内―新宅―西の順で縦長。
      サイモン、デンシモのアフリカ勢が出たり入ったりと動き回る。
(島村)「宇佐美さん、レース前の展開予想とかなり違いますか。」
(宇佐美)「かなり違いますね。天候を考えたらもうちょっとスローペースと思いましたが。
     この状態だと天候なんのその といった感じですね。」
9.5km−西が集団から遅れだす。

38 :
10km−サイモンが先頭。29分02秒。中山―デンシモー谷口浩 10m遅れて新宅、仙内
(島村)「世界最高、日本最高を上回っていますね。」
(宇佐美)「遥かに上回ってますね。凄いペースです、今は。」
10.5km− サイモン、中山、デンシモ、谷口浩。20m後方―新宅、仙内。更に20m後方に西。
11km−谷口浩が3人から10m遅れだす。
11.7km−デンシモも後退。
       サイモン、中山― 20m後方デンシモ、40m後方谷口浩、新宅、仙内。
(喜多)「中山君のいちばん走りやすいパターンになってきた。谷口君がいかに粘れるか。   
    今までにないペースなので、自重しているかもしれない。」
13.2km−後方第2集団から宗猛が遅れ始める。遅れるときに同僚・児玉に一言二言、言葉を交わす。
       先頭の中山、サイモンからは35秒差。
14.5km−中山がサイモンを引き離しにかかる。サイモンとの差10m。
15km−中山通過。43分40秒。  サイモンは20m遅れ。
(島村)「宇佐美さん、43分40秒・・・」
(宇佐美)「もう、ちょっと・・予想もしなかったハイペースですね。充実した練習ができたという
     情報も得ているので、もしかしたら無理せず自分のペースなのかもしれない。」
15.5km−中山から20mでサイモン。谷口浩、新宅、デンシモ、仙内の4人は110m差。
雨が激しくなり、向かい風が強くなる。
17.1km−中山独走状態に。サイモンはすでに150m後退。
(宇佐美)「ここまで中山君に飛ばされた他の招待選手は戸惑っているのではないか。」
19km−4人の集団から新宅が抜け出しリードし始める。サイモンまであと20m。
20km− 中山58分36秒で通過。サイモンを吸収した第二集団5人は59分30秒。
(宇佐美)「(中山を見て)自分のスピードに乗って走っている。向かい風は今止んでるのでは。」

39 :
中間点―1時間01分54秒。
    中山はまだ一度も給水しない。
(宇佐美)「今日のコンディションならあまり給水はいらない。」
第三集団からコリルが遅れだし、西を吸収し11人。
22.8km−(宇佐美)「(中山を見て)スピード感覚ではあまり落ちていないのでは。」
(喜多)「蹴りが少し鈍ってきた感じ。腕ふりもそれほどでもないが少し鈍くなってきた。
    前半のツケが出ているのではないか。」
25km− 中山通過。 1時間13分48秒
(島村)「ちょっとペースダウンと見てよいですか?」
(宇佐美)「ええ、完全にペースダウンですね。」
(島村)「初めて15分台になりましたね。」
24.8km−(後続は・・)新宅がペースアップ。サイモンが10m遅れだす。
        谷口浩が太ももを叩く仕草をする。
(宇佐美)「気になるのは谷口君が太ももを叩く仕草。」
(島村)「太もも叩きましたね。」
折り返し点(26.3km)− 中山トップで通過。折り返し点で後続を確認する。
(島村)「時計見ましたね。だいぶタイムを気にしてますね。」
(宇佐美)「自分がやはり疲れを感じているのでタイムがどうなっているいるのか気に
     なるんでしょう。」
新宅、デンシモの2人が1分32秒差、520m。7秒遅れて仙内、すぐ後ろに谷口浩。
2分1秒遅れて前半健闘したサイモンが通過で6位。
後続第3集団は坂口、工藤を先頭に10人で通過。金、ハイルマン、ペーター、渋谷、
トルスティコフ、谷口伴、児玉、西。
伊藤が集団から10m遅れ始める。児玉は集団の最後尾。かなり苦しい表情になっている。
中山から第3集団は3分05秒差。約1km。
27.5km−新宅スパート。デンシモを25m引き離す。デンシモの後ろに谷口浩、
       仙内は更に後方へ。
27.7km−谷口浩がデンシモを捕え3位に浮上。
30km−中山、1時間29分02秒で通過。
(島村)「また日本最高を22秒上回りました。」
(宇佐美)「(折り返して)いくぶん向かい風が追い風になっているので楽になったのでは。」
(喜多)「ペースアップというよりなんとか維持した感じ。ピッチは落ちていないが
    ストライドが落ちている。前半速いペースだからしょうがない。逆によくこの落ちで
    走れているのは感心している。」
32km−谷口浩、デンシモと2位新宅の差は90mに開く。
33km−トルスティコフ、工藤、ペーター、坂口の4人が6位争い。仙内を4人が吸収。
(折り返し地点リポーター)「宗猛が先頭と2000m遅れで通過。初マラソンで1万m世界記録
             保持者のマメーデ(ポルトガル)が折り返し前で棄権。」
35km−1時間44分24秒で中山。
(島村)「記録を狙っていくにはこれから先の走りだと思いますが・・」
(宇佐美)「ここから記録への正念場。今日は中山君の孤独との戦い。」
新宅は2分08秒差で35kmを通過。

40 :
(喜多)「(中山を見て)キックが流れ出した。コンディションはベストだと思う。
    ここまであれだけのハイペースでこのペースダウンだけで進んでいるのは驚異的。」
38km−2位新宅と3位谷口、デンシモの差は300m。
     谷口の後ろに工藤が上がってくる。谷口、デンシモの後ろ20m。
39km− 雨が激しく降り始める。
40km−2時間00分47秒。中山通過。
(島村)「ここでついに世界最高から13秒遅れだした。世界最高は難しい。」
(喜多)「(2時間)8分切るか、切らんかって感じですね。」
(宇佐美)「あと30秒頑張っていれば違ったんですが。。」
39km−(後続では・・)後方からペーター、工藤がデンシモ、谷口浩を抜き去る。   
     更にペーターがペースアップ。工藤を引き離す。工藤の表情が苦しい。
     ペーターー工藤―デンシモと等間隔。谷口浩がついに遅れ始める。ピッチがかなり鈍っている。
     2位新宅と3位ペーターまでは1分差。
中山のペースが明らかに落ちている。40km−41kmは3分22秒かかる。
あと1km− 2時間04分53秒
(島村)「日本最高は・・・難しいですねぇ。」「今の足取りは(2時間)8分かかりますか?」
(宇佐美)「自己ベストぎりぎり。もう少しかかるかも。1km3分20秒はかかりますでしょうから。」
平和台陸上競技場へー 中山の吐く息が真っ白。かなり雨が降っている。
(島村)「あと200mちょっと、進まなくなりましたね。」
(宇佐美)「体が言うことを聞いてくれません。進まないですね。本人ももがいているんでしょうけど。」
(宇佐美)「自己記録を破れるか! あーっ」
(島村)「自己ベストはちょっと難しいか?中山!3年ぶり2回目の優勝。ゴールイン!!」
新宅が競技場へ。 2位でゴール。  2人ともソウル五輪代表権を獲得。
(島村)「2位以下が(2時間)10分以上かかることを考えると中山の(2時間)8分台は価値があります。」
3位には後半追い上げたペーターが入り、日本人3番手には工藤一良が自己ベストで4位。
5位はデンシモ。代表候補有力だった谷口浩美は6位に沈んだ。

41 :
中山優勝者インタビュー
「記録も狙ったんですけど、途中で寒かったですし、あのー前半は飛ばしすぎってのもありますけど
寒かったです。(世界最高の期待もあったのですが・・について)そうですね。
やはり30km以降で(レースを)仕掛けても危なさそうだったので、最初から行った方が良いと思った。
途中で仕掛けるよりも最初からの方がいいと思った。もう少し他のランナーがついてくると思ったんですけど・・。
35kmからは(ラップが)落ちているのは分かっていましたし、
あまりに寒いんで筋肉が固くて走れなかった。競技場に近づくにつれて雨もひどかったですし、だいぶ
冷たい雨で体が冷えてしまって・・。
(2時間8分17秒ですが・・について)いつも8分台ばっかりだったので7分台を狙いたかったんですけど
40kmでかなり遅れていたので駄目だなぁって思ってました。(省略)」
44回 福岡国際マラソン 結果
1、2時間08分17秒 中山竹通(ダイエー)大会新記録 87年度世界ランキング1位。ソウル五輪代表決定
2、2時間10分34秒 新宅雅也(ヱスビー食品) ソウル五輪代表決定
3、2時間11分22秒 ペーター(東ドイツ)
4、2時間11分36秒 工藤一良(日産自動車)
5、2時間11分59秒 デンシモ(エチオピア)
6、2時間12分14秒 谷口浩美(旭化成)
7、2時間12分25秒 坂口泰(エスビー食品)
8、2時間12分31秒 トルスティコフ(ソビエト)
9、2時間13分12秒 カチャポフ(ソビエト)
10 , 2時間13分34秒 谷口伴之(ヱスビー食品)
11 , 2時間13分40秒 渋谷俊浩(雪印)
12 , 2時間14分10秒 末吉富夫(鐘紡)
13 , 2時間14分18秒 ハイルマン(東ドイツ)
14 , 2時間14分45秒 キャロル(オーストラリア)
15 , 2時間14分45秒 ニコシア(イタリア)
16 , 2時間14分46秒 ロズム(ソビエト)
17 , 2時間14分52秒 伊藤国光(鐘紡)
18 , 2時間14分55秒 西村義弘(新日鉄大分)
19 , 2時間14分59秒 高橋浩一(旭化成)
20 , 2時間15分07秒 金哲彦(リクルート)
22 , 2時間15分33秒 西政幸(旭化成)
24 , 2時間16分05秒 仙内勇(ダイエー)
31 , 2時間16分49秒 児玉泰介(旭化成)
42 , 2時間19分03秒 武富豊(神戸製鋼)
(棄権)サイモン(タンザニア)、宗猛(旭化成)、マメーデ(ポルトガル)
コリル(ケニア)


42 :
優勝 中山竹通 ラップタイム
5km 14分35秒
10km 29分05秒(14分30秒)
15km 43分40秒(14分35秒)
20km 58分37秒(14分57秒)
中間点 1時間01分55秒
25km 1時間13分48秒(15分11秒)
30km 1時間29分02秒(15分14秒)
35km 1時間44分25秒(15分23秒)
40km 2時間00分45秒(16分20秒)
2.195km(7分32秒)
2時間08分17秒
2位 新宅雅也 ラップタイム
5km 14分36秒
10km 29分09秒(14分33秒)
15km 44分03秒(14分54秒)
20km 59分31秒(15分28秒)
中間点 1時間02分57秒
25km 1時間15分17秒(15分46秒)
30km 1時間30分45秒(15分28秒)
35km 1時間46分36秒(15分51秒)
40km 2時間03分13秒(16分37秒)
2.195km(7分21秒)
2時間10分34秒

1987年12月まで 世界歴代10傑
1、2時間07分12秒 ロペス(ポルトガル) 1985ロッテルダム
2、2時間07分13秒 Sジョーンズ(イギリス) 1985シカゴ
3、2時間07分35秒 児玉泰介(日本)  1986北京
4、2時間07分51秒 ド・キャステラ(オーストラリア) 1986ボストン
5、2時間07分57秒 伊藤国光(日本) 1986北京
6、2時間08分08秒 ジャマ(ジブチ) 1985シカゴ
7、2時間08分09秒 サラ(ジブチ) 1985W杯広島
8、2時間08分10秒 イカンガー(タンンザニア) 1986東京
9、2時間08分15秒 中山竹通(日本) 1985W杯広島
10、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本) 1986シカゴ


43 :
瀬古―最後の優勝  ソウル五輪選考会
第43回 びわ湖毎日マラソン  レース展開
1988年3月13日(日)  午後12時15分  NHK生中継
(解説)宇佐美彰朗 (実況)羽佐間正雄
参加160人  気温16.5度、湿度35% 南南東の風1.3m
(参加選手ベスト5)
1、 2時間08分27秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、 2時間11分10秒 西正幸(旭化成)
3、 2時間12分02秒 春松千秋(池田製菓)
4、 2時間12分03秒 西村義弘(新日鉄大分)
5、 2時間12分48秒 坪正之(日本電気)
(羽佐間)―「瀬古が今、ソウルオリンピックへのたった一枚の切符
を求めて復活のスタートを切ろうとしています。
いまだかつて一人のランナーがこのように一身に注目を集めたレースは
ありません。激走!42.195km。しかも与えられたものは優勝。
彼にとっては4年前に惨敗を喫した屈辱を晴らす第一歩になります。」
スタートー皇子山陸上競技場からロードへ。 
内宮(長岡陸協)が先頭。瀬古は20番手くらいで競技場を後にする。
2km−瀬古が早くも集団の先頭へ出てくる。


44 :
羽佐間―「猛烈なプレッシャーを感じていると思いますが、どうしても優勝をしなくてはいけない。そしてタイムもそこそこではいけないと思いますが。」
宇佐美―「その課題をもってのレースですから、もっと緊張していると思いましたが、今までにない柔らかなフォームで(先頭に)出てきましたね。」
羽佐間―「気温は?」
宇佐美―「ちょっと・・・高めですね。」
羽佐間―「問題は、気温がどこまで上昇するかということですね。 記録は?」
宇佐美―「練習を見ていても2時間9分台が出てもおかしくない。」
5km−15分07秒  集団は約20人。
    瀬古を先頭に、西村、森本滋(日本電気HE)、西、らが続く。
気温が高めか、ほとんどの選手が汗で光っている。
宇佐美―「瀬古は15分10秒を設定しているのでまずまずではないか。」
8km−すでに集団は7人に絞られる。
    瀬古、西、西村、金子尚志(日本電気HE),篠原良房(新日鉄)、春松、森本
9km−春松、篠原が脱落。集団は5人へ。
10km−30分18秒(15分11秒) 瀬古が先頭。5人が縦長で通過。
宇佐美―「ほぼ出だしと同じくらい。遅れたのは力不足ということでしょう。」
10.6km−森本が後退。西村が後方で苦しい。
11.2km−西村が後退。瀬古―西―金子の順。20m後方で西村、80mで森本。
12.4km− 宇佐美―「あっ、ちょっと離れましたよ。」
      羽佐間―「瀬古がグイ、グイと力で引き離しにかかりました。」
第一放送・島村俊浩アナー「心配された風は感じない。むしろ今日の敵は暑さですね。  
             (瀬古から)離れました。」
瀬古が西、金子に5mの差をつける。
15km−45分15秒(14分57秒) 14分台のラップに。

45 :
羽佐間―「(今の)ペースは?」
 宇佐美―「速いです。でも予定通りではないか。10kmまで様子を見て、15kmでペースを上げてきた。」
気温が18度、湿度39%に上がる。
西、金子は瀬古から130m遅れ。4位に近藤龍二(旭化成)が浮上。西村が5位に後退。
20km−1時間00分25秒(15分10秒) 中山の国内最高タイムを上回るペース。
      瀬古は毎回、通過時に腕時計でラップを確認するしぐさをする。
(折り返し点)−瀬古が先頭で通過。快調なピッチを刻む。瀬古フィーバーにより
沿道は例年より多くの観衆が集まる。
2.3位の西、金子に近藤が追いつき3人で53秒差。5位には西村。1分26秒差。
後続集団は6位森本の後に、今村智治(ダイエー)、大八木弘明(ヤクルト)、篠原ら。
25km−1時間15分57秒(15分32秒)
   羽佐間―「15分33秒?ちょっと遅れました。」
   宇佐美―「(瀬古は)少し疲れが見えてきた感じ。」
島村―「ちょっと(瀬古の)ピッチが落ちてきた感じがする。例年の復路の向かい風はないように思う。」
27km−3人の2位争い。瀬古とは560m差。
    2位集団でも大会記録ペースより1分10秒速い。この間は16分14−15秒。
風より正面からの太陽の暑さとの戦いの模様。
30km−1時間31分44秒(15分47秒)
   羽佐間―「やはり暑さと、選手のみ感じている向かい風の影響か。
ちょっと落ちましたね。」
   宇佐美―「膝から下の伸びが悪くなってきている。
やはり疲れですかねぇ。ピッチは増しても歩幅が狭い。」
   羽佐間―「予想は2時間10分台になってきた。」
32km− 宇佐美「(瀬古は)スポンジの水分を飲んでいますから、かなり暑い。」
西が単独2位に。近藤が遅れて3位。金子は西村に抜かされ5位に後退。
瀬古とは2分30秒差。


46 :
35km−1時間47分44秒(16分00秒)
   宇佐美―「ちょっと・・・16分・・・も費やしてますよ。 
苦しいですね。あと7kmを押さなきゃならないのは、
大変ですよ。」
   羽佐間―「見た感じとしても落ちましたね。」
反対車線では青信号でも車を止めて、瀬古の応援をしている車が多い。
羽佐間―「これからどうでしょう?」
宇佐美―「ちょっと・・これからピッチは上がらないでしょうねぇ。」
38km−瀬古の表情が苦しくなり、歪みはじめる。
40km−2時間04分45秒(17分01秒)
     大会記録を30秒下回る。かなりピッチが鈍い。
羽佐間―「瀬古のピッチがこれほど鈍るとは思いもしませんでした。」
宇佐美―「予想外ですよ。」
西は900m遅れ、その西から3位近藤は200m後方。
瀬古の表情が苦痛でシワシワになる。
2時間10分27秒― 瀬古が皇子山陸上競技場に帰ってくる。 
まったくピッチが上がらない。
羽佐間―「いつもの瀬古のキレがありません。あのロケット弾の点火を
見るような瀬古のスパートはありません。 
(2時間)11分は無理ですね。」
宇佐美―「不可能ですね。12分かかってしまいますね。」
瀬古優勝―2時間12分41秒
     羽佐間―「これほど疲れたゴールとは瀬古自信も思ってなかったでしょう。
          しかし他の選手が大きく遅れていったことを思えば、この気象条件はかなり難しかったのかもしれませんね。」
結果として瀬古は国内最後のマラソンになり、最後の優勝となってしまった。
2位は西正幸。並行して開催された「第一回アジア選手権マラソン」の日本代表でもあったため初代優勝者となる。3位は近藤。
瀬古は1週間後の理事会でソウル五輪代表権を獲得する。

47 :
第43回 びわ湖毎日マラソン 成績
1、 2時間12分41秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、 2時間15分32秒 西正幸(旭化成)
3、 2時間16分15秒 近藤龍二(旭化成)
4、 2時間16分21秒 西村義弘(新日鉄大分)
5、 2時間16分32秒 岩永義次(自衛隊体育学校)
6、 2時間16分38秒 千葉照夫(東北日本電気)
7、 2時間16分58秒 磯貝助夫(自衛隊体育学校)
8、 2時間18分22秒 篠原良房(新日鉄)
9、 2時間20分15秒 久留猛(JR九州)
10、 2時間20分52秒 金子尚志(日本電気HE)
優勝  瀬古利彦  ラップタイム
5km 15分07秒
10km 30分18秒(15分11秒)
15km 45分15秒(14分57秒)
20km 1時間00分25秒(15分10秒)
中間点 1時間03分45秒
25km 1時間15分57秒(15分32秒)
30km 1時間31分44秒(15分47秒)
35km 1時間47分44秒(16分00秒)
40km 2時間04分45秒(17分01秒)
2.195km (7分56秒)
2時間12分41秒

毎日新聞3月14日付けコメント
宗茂・旭化成監督
「瀬古君のこんな苦しい表情を見たのは初めて。
僕自身は、気温18度はそう暑くないと思っていたが、
全員がベストより3−4分悪かったのをみると、
相当きつかったのだろう。福岡との比較はどだい無理。
勝ちっぷりはともかくとして、勝ちは勝ち。
僕は瀬古君が代表に選ばれるべきだと思う。(略)
中山竹通
「レースはテレビ観戦した。瀬古さんは琵琶湖特有の風、
18度という温度の中、また10km過ぎからの独走という中で、
ペース配分が難しかったのではないかと思う。五輪代表については、
まだ正式決定されていないので、コメントは避けたい。」

48 :

マラソン.駅伝  歴代視聴率10傑 (1977年以降)
1 第23回ロサンゼルス五輪・男子マラソン 1984年8月13日(月)   NHK総合  48.8%  ロペス
2 第24回ソウル五輪・男子マラソン    1988年10月2日(日)   NHK総合  43.4%  ボルディン
3 第26回アトランタ五輪・男子マラソン   1996年8月4日(日)   NHK総合  43.0%  チュグワネ
4 第22回福岡国際マラソン         1987年12月6日(日) NHK総合  41.0%  中山竹通
5 第27回シドニー五輪・女子マラソン    2000年9月24日(日) テレビ朝日  40.6%  高橋尚子
6 東京・ニューヨーク友好 '83東京マラソン 1983年2月13日(日) フジテレビ  37.5%  瀬古利彦
7 第2回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会 1984年1月22日(日) NHK総合  36.9%  京都府
8 第26回アトランタ五輪・女子マラソン   1996年7月28日(日) T B S  36.6%  ロバ
9 第18回福岡国際マラソン         1983年12月4日(日) NHK総合  36.5%  瀬古利彦
10 2001ベルリンマラソン         2001年9月30日(日) フジテレビ  36.4%  高橋尚子

49 :
>>41>>42
中山の優勝タイムは速報で2時間08分17秒とテレビに出たが、
2時間08分18秒と正式タイムが発表される。
81年でキャステラが出した2時間08分18秒を1秒破る大会新記録か
と思われたが大会タイ記録にとどまった。
しかしこのタイムは1987年度世界ランキング1位。
この年、世界で唯一の8分台となった。

50 :

瀬古利彦 全15レース 各5km区間最高ラップ表 と累積タイム
5km      15.00 (86シカゴ)
5−10km   14.44 (83東京)     29.44
10−15km  14.46 (83東京)     44.30
15−20km  14.47 (83東京)     59.17
20−25km  14.44 (83東京)   1.14.01
25ー30km  14.57 (83東京)   1.28.58
30−35km  14.45 (80福岡)   1.43.43
35−40km  15.08 (87ボストン) 1.58.51
2.195km   6.22 (83福岡)   2.05.13
合計 2時間05分13秒


51 :
>>50
最後の5km区間は14分台ないのか
80年代でここを14分台なんてラップはほぼなかったんだろう

52 :
今は走ってねぇだろう?

53 :
(中山4位ー 瀬古・現役最後のマラソン)
第24回 ソウル五輪 男子マラソン レース展開
1988年10月2日 68カ国 124人参加 
気温24度 湿度36% 北北東1.5m
(出場選手ベスト5)
1、2時間07分07秒 サラ(ジブチ)     1988
2、2時間07分51秒 ド・キャステラ(豪州) 1986
3、2時間08分10秒 イカンガー(タンザニア)1986
4、2時間08分15秒 中山竹通(日本)    1985
5、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本)    1986
スタートーソウル・オリンピックスタジアムを周回。サラ(ジブチ)が前に出てくる。
     ウガンダのルグガが先頭で10mリードしてロードへ
2.3km−ザイールのコージが10mリード。中山が大集団の先頭に出てくる。
解説・宗茂「日本で一番の期待は中山。昨年(87年)の福岡のような攻めのレースが
      出来れば中山のもの」と話す。
4km−コージが集団に吸収される。中山、クベルンモ(ノルウェー)、ブラ(タンザニア)
    イカンガー(タンザニア)が前で集団を引っ張る。
5km−15分29秒
     実況.羽佐間「意外や意外。ペースがゆっくり」
         宗茂「予定より明らかにスロー。」  集団は約30人。
     
この年のボストンで2時間8分43秒を記録し優勝したフセイン(ケニア)が
前に出てくる。
「スローになると暑さに強いイタリア勢、特にボルディンは要注意。
 中山はタイムが良くなればなるほど優勝のチャンスがある。
 遅くなると、誰でもチャンスが広がるからきつくなるはず」宗茂
10km− 30分32秒(15分03秒)
      アフリカ勢が前に出てくる。
      ブラ、イカンガー、サラ、キプサング(ケニア)、フセインら
      中山は中段、新宅と瀬古は後方で集団につく。集団は依然30人前後。
「ペースが上がりましたが・・」羽佐間
「下り坂だけに14分40秒台で行くと思っていたが、やはり予想より遅い」宗茂
15km− 45分57秒(15分25秒)
      フセイン先頭。集団はダンゴ状態。イカンガー、ブラのタンザニア勢、
      エレラ(メキシコ)、モンドラゴン(メキシコ)のメキシコ勢が前に。
      漢江に出てフリーウェイを走行。観衆がいなくなる。
16.4km− 前回(ロス五輪)銀メダリスト・トレーシー(アイルランド)が脱落。
        重い足取りで不調が見てとれる。
羽佐間「中山の表情は?」
宗茂 「中山はかなり余裕を持って走っている。」

54 :
20km−1時間01分26秒(15分29秒)
      
     イカンガー先頭。集団約25人。ペースが上がらない。
     依然イカンガーとモンドラゴンが交互に先頭に出てくる。
21.9km−ペースは上がっていないが、サバイバルのように少しずつ
       集団から脱落者が出始める。
       フォスター(イギリス)、モンドラゴン、そしてついにフセインが後退。
集団は16人に
 イカンガー、サラ、エレラ、モネゲッティ(豪州)、ボルディン(イタリア)、スペディング(イギリス)
瀬古、新宅、中山、キプサング、ポリ(イタリア)、カシャポフ(ソビエト)、
ラモツ(ハイチ)、ペーター(東ドイツ)、ワキウリ(ケニア)
23.9km−フリーウェイの上り坂で新宅が最後尾から10m遅れる。
       苦しい表情に。カシャポフ、ラモツ、ポリ、が脱落。
24.3km−新宅が集団に復帰。合計13人に。
25km−1時間16分57秒(15分31秒)
     
      イカンガー先頭。中山が後方へ下がる。フリーウェイのため観衆の声援
がない。キャステラ、新宅が最後尾で苦しい。
「中山は余裕を持ちすぎ。ベストポジションを早くつかんだ方が良い」宗茂
26.3km−新宅が力尽きる。前半健闘したキプサングも脱落。
27km− 集団は11人。 新宅は後方50m。
29.2km−エレラが後退。前半健闘したメキシコの二人がいなくなる。
29.7km−ボルディンがペースアップ。先頭に出て集団を引っ張る。
       初めて集団が縦長の展開に。
        イカンガーースペディングーワキウリーサラー瀬古ー中山の順の列



55 :
30km−1時間32分49秒(15分52秒)
     キャステラの足取りが重く、ついに後退。集団は7人。
     サラ、中山、瀬古、イカンガー、スペディング、ワキウリ、ボルディン
「スパートに反応する中山の対応が鈍い。」宗茂
30.8km−ついに瀬古が先頭集団から後退。その差20m。
中山が先頭に出てくる。集団は6人。
31.5km−スペディングが脱落。 瀬古は先頭から50m差。瀬古の前にキャステラが出る。
32.3km−スペディングが集団に追いつく。後続は追い上げたモネゲッティが
       キャステラを捕らえ7位。キャステラ8位。瀬古9位。
「5kmが15分52秒かかってこれだけきつそうだから相当暑さが堪えている。」宗茂
35km−1時間48分25秒(15分36秒)
     
      サラ、中山が先頭。スペディングが給水で脱落。
35.5km−イカンガーも脱落。 ついに集団は4人へ。
羽佐間「放送前半でイタリア注意という意見がありましたね。」
宗茂 「イタリアの3人は実力がある。一人はまともに走ると思ってました。」
 瀬古は9位。新宅は13位で35kmを通過。
36.7km− 「中山、後ろに下げたのか!」羽佐間
        「あっ、中山遅れましたね。」宗茂
        「遅れた、遅れた」羽佐間
「今日は中山らしさが全然でていなかった。スローだったから前半に足を使って
だいぶ足にきているかもしれない。」 宗茂
37.7km− ボルディン脱落。 サラがロングスパートをかけている。
38km−ワキウリがサラから遅れる。サラ、スパートでトップに。
39.3km−サラからワキウリまで50m。ワキウリからボルディンまで20m差。
        中山は230m遅れで4位。

56 :
40km− 2時間03分35秒(15分10秒)
      ボルディンがワキウリを交わし2位へ。サラとの差は50m。
40.6km−サラの足取りがおかしい。まったくピッチが上がらない。
       ボルディンがサラを交わし先頭へ。サラはペースダウン。
40.9km−ワキウリがサラを抜き2位へ。サラは3位。
羽佐間「中山がサラを抜く可能性は?」
宗茂 「しかしあと残り1kmしかない。2kmくらいあれば・・」
2時間09分23秒ー ボルディンがソウルオリンピックスタジアムへ
ゴールーイタリアが五輪史上初、男子マラソンを制覇。2時間10分32秒。
    2位がワキウリで自己新記録。 3位はサラ。
    中山はサラに6秒遅れの4位でメダルを逸した。瀬古は9位。新宅は17位。

57 :
第24回 ソウル五輪 男子マラソン 成績
(五輪記録) 2時間09分21秒 ロペス(ポルトガル) 1984年
1、2時間10分32秒 ボルディン(イタリア)
2、2時間10分47秒 ワキウリ(ケニア)
3、2時間10分59秒 サラ(ジブチ)
4、2時間11分05秒 中山竹通(日本・ダイエー)
5、2時間11分49秒 モネゲッティ(オーストラリア)
6、2時間12分19秒 スペディング(イギリス)
7、2時間13分06秒 イカンガー(タンザニア)
8、2時間13分07秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
9、2時間13分41秒 瀬古利彦(日本・エスビー食品)
10、2時間13分49秒 カシャポフ(ソビエト)
11、2時間13分58秒 エレラ(メキシコ)
12、2時間14分08秒 キャンベル(ニュージーランド)
13、2時間14分40秒 ネイブール(オランダ)
14、2時間14分44秒 フィツィンガー(アメリカ)
15、2時間14分53秒 テンカテ(オランダ)
16、2時間15分20秒 ピッツォラート(イタリア)
17、2時間15分42秒 新宅永灯至(日本・エスビー食品)
18、2時間15分44秒 金元卓(韓国)
19、2時間16分07秒 ポリ(イタリア)
20、2時間16分15秒 ラモツ(ハイチ)
主な途中棄権
トレーシー(アイルランド)
フセイン(ケニア)


58 :

1988年ソウル五輪終了時点  五輪男子マラソン歴代10傑
1、2時間09分21秒  ロペス(ポルトガル)    84ロサンゼルス優勝
2、2時間09分55秒0 チェルピンスキー(東ドイツ)76モントリオール優勝
3、2時間09分56秒  トレーシー(アイルランド) 84ロサンゼルス2位
4、2時間09分58秒  スペディング(イギリス)  84ロサンゼルス3位
5、2時間10分32秒  ボルディン(イタリア)   88ソウル優勝
6、2時間10分45秒0 ショーター(アメリカ)   76モントリオール2位
7、2時間10分47秒  ワキウリ(ケニア)     88ソウル2位
8、2時間10分55秒  宗猛(日本)        84ロサンゼルス4位
9、2時間10分59秒  サラ(ジブチ)       88ソウル3位
10、2時間11分03秒  チェルピンスキー(東ドイツ)80モスクワ優勝
11、2時間11分05秒  中山竹通(日本)      88ソウル4位

59 :

瀬古.宗兄弟不参加
第22回(1980年) モスクワ五輪男子マラソン レース展開
(コース内容)
レーニン中央競技場を出てすぐモスクワ川左岸の川岸通りを川下へ走る。
赤の広場の南端にある聖ワシリー寺院の前で川を渡る。
対岸の出て、今度は川上へさかのぼり野外劇場や観覧車のある文化公園の中
の森陰のゆるい上がり坂を通ってキエフ駅の折り返し地点へ。
樹木の多い静かなコースではあるが、変化に乏しいコース。しかしアップダウン
がわずか10mの平坦コース。
オリンピック屈指のきわめて走りやすいコースになっている。
 1980年8月1日 午後5時16分スタート  37カ国 72人が参加
気温23度 湿度40% 快晴
スタートー 5月のソビエト国内予選で優勝したコトフ(ソビエト)を先頭に
      一団でレーニンスタジアムを後にする。
集団は50人の大人数。ペースはスロー。
5km− モスクワ川を右に見て、東に向かって坂を登る。
     ラウエンブルク(デンマーク)を先頭に15分48秒。そのすぐあとに
     大集団が続く。
8.5km− 集団がラウエンブルクを取れえる。
15km− 先頭集団は約20人。 コトフ、モセーエフ(ソビエト)、ビレン(フィンランド)
      コウシス(ギリシャ)、アレマエフ(エチオピア)らが互いを牽制した走り。
決してペースは速くないため、数段の先頭は立ち替わり入れ替わりで目まぐるしい状態。
フランス国内予選を2時間12分18秒で制したシャルボンネル(フランス)、マグナニ(イタリア)
ビレン、2連覇を目指すチェルピンスキー(東ドイツ)、コトフ、ネディ(エチオピア)、
ゴメス(メキシコ)、マダ(アルジェリア)、コウシスらが最前線に出たり入ったりしている。
折り返しー キエフ駅でコトフがややリードして折り返す。

20km− コトフを先頭に ズマナザロフ(ソビエト)、コウシス、ビレン、モセーエフ
      ゴメス(メキシコ)、ネイブール(オランダ)らが集団で通過。 集団はまだ24人。
      1時間3分42秒でプレ五輪より約20秒早いラップに。
23km− コトフが果敢に仕掛ける、一時期集団から30mリード。しかしすぐに集団は吸収。
24km− ゴメスが果敢に飛び出す。集団に50mの差をつける。
      後続集団は7人。チェルピンスキー、ビレン、モセーエフ(ソビエト)、
マグナニ、 ジュマナザロフ(ソビエト)、ネイブール、ネディ


60 :
25km− 1時間17分55秒。さらにゴメスが差をつける。
28km− ゴメスと集団の差は100mとなる。
30km過ぎー ゴメスのペースが鈍り始める。
        後続のネイブール、コトフ、チェルピンスキーらがその差を
        20mとつめてきた。
33km− 5000mの出場を取りやめ、マラソンに勝負を賭けてきたビレン、そしてマグナニ
      が集団から脱落。 ゴメスはほぼ集団に吸収される。集団は6人に絞られた。
35km−クレムリンの赤い壁を見る地。ゴメスが3秒リードで1時間49分47秒で通過。
     
36km−ネイブール(オランダ)がトップに立つ。
     チェルピンスキーとネイブールの2人がゴメスを交わして
     2人の争いに。 ネディ、ジュマナザロフ、モイセーエフ、ネディ、マグナニが
アッと言う間に脱落。
     しかしその1分後、チェルピンスキーがするすると先頭を奪うと
     ネイブールにじりじりと差を広げはじめる。
40km− 2位に上がってきたジュマナザロフに100m引き離す。
      このあたりからチェルピンスキーが独走態勢。
チェルピンスキーのリズミカルな走法が冴え渡る。モントリオールで見せた
後半の走りを再現。少しも崩れぬフォームでレーニンスタジアムに帰ってくる。
ゴールー 2時間11分03秒 五輪史上、アベベに続く2連覇を達成。

61 :
第22回(1980年) モスクワ五輪マラソン成績
1、チェルピンスキ−(東ドイツ)2.11.03
2、ネイブ−ル(オランダ)   2.11.20
3、ズマナザロフ(ソビエト)  2.11.35
4、コトフ(ソビエト)     2.12.05
5、モセーエフ(ソビエト)   2.12.14
6、ゴメス(メキシコ)     2.12.39
7、ネディ(エチオピア)    2.12.44
8、マグナニ(イタリア)    2.13.12
9、リスモン(ベルギー)     2. 13. 27
10、ド・キャステラ(オーストラリア)2.14.31
11、トルッペル(東ドイツ)   2.14.55
12、セケレス(ハンガリー)   2.15.18
13、スメ(ベルギー)      2.16.00
14、ニジェマンドイ(タンザニア)2.16.47
15、シャハンガ(タンザニア)  2.16.47
16、ピント(ポルトガル)    2.17.04
17、チバドイザ(コロンビア)  2.17.06
18、ショーフス(ベルギー)   2.17.28
19、スタール(スウェーデン)  2.17.44
20、コウシス(ギリシャ)    2.18.02


62 :
モスクワ終了後、高橋進(日本陸連終身コーチ・君原健二のコーチ) コメント
日本の3選手(瀬古、宗兄弟)、ロジャース(アメリカ)、クワックス(ニュージーランド)
がレースに加わっていたらどうだっただろうか。
中村清早大監督は、瀬古が出ていてもチェルピンスキーには勝てなかっただろうと
語っていた。これは控えめな発言であって、内心は90%まで瀬古の優勝を確信
できただろう。
私も日本人の優勝、3位までにもう一人メダルを取り、さらに5−6位までに
最後の一人も入れただろうと思う。おそらくチェルピンスキーとロジャースと
日本選手3人が36kmを過ぎてデットヒートを演じただろう。
あるいはレース展開は最初から様相が変わっていたかもしれない。
もっとハイペースでグングンとレースが進められ、中間点では先頭集団は
10名以下に絞られていたかもしれない。
このように死んだ子の年齢を数える愚を承知しつつ、かえすがえす不参加
が悔やまれる。いうところに千載一遇の好機を逃したとしか言いようがない。
3人とも入賞は確実できただけに釣り落とした魚は大きいの例え通り、残念
でならない。

63 :
瀬古利彦 「我が道」 スポニチ12年1月17日付け 引用
(前略)
モスクワ不参加が決まり、代わる目標は
1、トラック長距離で日本新
2、不参加組を含め強豪が集まる福岡国際
3、ボストンマラソン
でした。狙い通り1万、2万で日本新を樹立し、12月の福岡国際では五輪V2
のチェルピンスキーを破って3連覇を果たしました。チェルピンスキーとは話して
いませんが、五輪から4カ月後に走っているのですから私に勝ちたかったはずです。
最後は81年(昭和56)4月のボストンです。
(中略)
ボストンっ子で人気のビル・ロジャースに、日本ではなくアウェーで勝ちたかったのです。
レースは30km過ぎでロジャースが脱落。36kmのスパートで2時間09分26秒
で優勝。世界記録には及びませんでしたが大会新を応援に来てくれた両親にプレゼントできました。
レース後、ロジャースが「セコは世界No,1だ」と称えてくれたのはうれしかったですね。
「世界一は自分」を実感できました。自分の全盛期は22歳から26歳の間と思いますが
80年から81年にかけては一番勢いがありましたし、負ける気がしない時期でした。
体が自分の意思通りに動き、走りたいと思った通りにはしれるんです。
42km走っても、ほとんど「苦しい」と感じたことはなかったです。

64 :

http://www.youtube.com/watch?v=2wxgu_5XQUk&feature=results_main&playnext=1&list=PL7E0E3AAAF3252BA4
この記事は86ロンドン優勝のもののようだ。


65 :
http://www.youtube.com/watch?v=nTPFDZ5zMts
83年福岡国際実況。
ラスト2.195kmの走りは最高ラップと共に日本人歴代最高のパフォーマンスだろう。

66 :
http://www.youtube.com/watch?v=crMEjmZSZ5Q&feature=related
当時・世界一決定レースと云われた 87年ボストンの後半部。
スパートで抜け出した瀬古の映像を現地放送局が伝える。

67 :
http://www.youtube.com/watch?v=hgeETfn0LeI&feature=related
瀬古が生涯最高記録で優勝した86シカゴマラソン。
後先、シカゴを制した日本人は瀬古だけ。2002年高岡はもう少しだったが、、

68 :
瀬古利彦(四日市工) 高校時代主な成績
1972年(高校1年)
800m  2位 2.00.4 三重高校 6月
1500m 3位 4.11.4 三重高校 6月
800m  3位 1.57.3 東海高校 6月
800m  3位 1.54.6 山形インターハイ 8月
1500m    4.07.5      9月
3000m 2位 8.44.6 ジュニア 11月
1973年(高校2年)
1500m 5位 4.04.1 沖縄国体 5月
800m  1位 1.58.5 三重高校 6月
1500m 1位 4.08.1 三重高校 6月
5000m 1位15.57.4 三重高校 6月
800m  1位 1.57.0 東海高校 6月
1500m 1位 4.04.8 東海高校 6月
5000m 1位15.22.6 東海高校 6月
800m  1位 1.55.4 三重インターハイ 8月
1500m 1位 4.05.3 三重インターハイ 8月
1500m 1位 3.58.2 三重高校新人 9月
1500m 1位 3.55.5 千葉国体  10月
5000m 1位14.37.0 千葉国体  10月


69 :
1974年(高校3年)
1500m 7位 3.53.3 兵庫リレーカーニバル 5月
800m  1位 1.55.8 三重高校  6月
1500m 1位 3.58.4 三重高校  6月
5000m 1位15.10.6 三重高校  6月
800m  1位 1.56.6 東海高校  6月
1500m 1位 4.04.5 東海高校  6月
5000m 1位15.18.6 東海高校  6月
800m  1位 1.55.2 福岡インターハイ 8月
1500m 1位 4.01.8 福岡インターハイ 8月
5000m 2位14.56.2 福岡インターハイ 8月
800m     1.54.8 記録会   9月
1500m 1位 3.53.4 茨城国体 10月(高校新記録)
5000m 1位14.33.0 茨城国体 10月
(全国高校駅伝)
1972年 1区 10km 10位 31分38秒
1973年 1区 10km  1位 29分28秒
1974年 1区 10km  4位 30分46秒  
瀬古利彦(早稲田大学) 主なトラック成績
1975年(浪人・アメリカ留学)
目立った記録なし
1976年(大学1年)
5000m     14.29.0 九大学記録会 5月
5000m     14.22.2 関東学連クラス別記録会 6月
1500m  1位  3.55.9 三重県選手権 7月
5000m  1位 14.48.8 三重県選手権 7月
1500m  1位  3.59.6 東海選手権  8月
5000m  1位 14.50.8 東海選手権  8月
1500m  1位  3.51.3 早慶対抗   9月
10000m 6位 31.04.2 インカレ  10月
5000m  1位 14.29.8 インカレ  10月
 800m  3位  1.51.7 佐賀国体  10月
5000m  2位 14.23.6 佐賀国体  10月

70 :
1977年(大学2年)
5000m  1位 14.17.1 関東学生   5月
10000m 1位 29.21.2 関東学生   5月
10000m 2位 30.15.0 実業団対学生 7月
1500m  1位  3.51.9 三重県選手権 7月
5000m  1位 14.28.6 三重県選手権 7月
5000m  1位 14.12.3 東海選手権  8月
10000m 1位 30.04.7 東海選手権  8月
1500m  1位  3.51.3 早慶対抗   9月
5000m  1位 14.20.6 青森国体  10月
5000m  1位 13.56.5 インカレ  10月
10000m 1位 29.37.4 インカレ  10月
10000m 4位 28.34.8 日本選手権 10月
5000m  2位 13.49.3 日本選手権 10月
1978年(大学3年)
5000m  1位 14.20.5  東京六大学 4月
10000m 2位 28.56.1  東京選手権 4月
5000m  3位 14.16.3  東京選手権 4月
10000m 2位 28.32.5  スポニチ陸上 5月
10000m 1位 29.39.7  関東学生  5月
1500m  6位  4.03.3  関東学生  5月
5000m  2位 14.05.5  関東学生  5月
5000m  1位 13.35.8  ケルン国際(ケルン) 6月
10000m 9位 28.12.2  ワールドゲームス(ヘルシンキ)6月
10000m 1位 27.51.61 DNガラン(ストックホルム)7月
5000m  11位 13.40.49 DNガラン(ストックホルム)7月
5000m  1位 14.13.8  日中対抗  9月
1500m  1位  3.50.6  早慶対抗  9月
5000m  2位 13.57.6  日中親善  9月
10000m 2位 29.20.8  8カ国対抗 9月
5000m  1位 13.49.5  インカレ 10月
10000m 1位 28.57.0  インカレ 10月

71 :
1979年(大学4年)
5000m  1位 14.26.5  六大学対抗 4月
10000m 2位 29.34.1  関東学生  5月
5000m  3位 14.07.9  関東学生  5月
10000m 1位 28.59.2  アジア陸上 6月
10000m 1位 28.02.59 ワールドゲームス(ヘルシンキ)6月
5000m  3位 13.34.4  4カ国対抗(ブレーメン)6月
3000m  7位  7.54.9(日本新記録) 4カ国対抗(ブレーメン)6月
5000m  3位 13.37.6  オスロ国際(オスロ)
5000m  1位 13.46.8  早慶対抗  9月
5000m  2位 13.43.4  インカレ 10月
10000m 1位 28.40.6  インカレ 10月
1000m  3位 28.41.8  日本選手権 10月

  瀬古利彦(早稲田大学) 主なロード・マラソン成績
1976年(大学1年)
20kmロード  3位 1時間02分40秒  箱根駅伝予選会 11月
1977年(大学2年)
マラソン    10位 2時間26分00秒  京都マラソン 2月
30kmロード 13位 1時間37分22秒  中日30kmロード 3月
20kmロード  1位 1時間01分18秒  箱根駅伝予選会 11月
マラソン     5位 2時間15分00秒1 福岡国際マラソン 12月

1978年(大学3年)
20kmロード  1位    59分40秒0  新潟20kmロード
20kmロード  1位    59分21秒8  府中多摩川20kmロード 11月
マラソン     1位 2時間10分21秒0  福岡国際マラソン 12月

1979年(大学4年)
マラソン     2位 2時間10分12秒   ボストンマラソン 4月
20kmロード  1位    59分25秒   新潟20kmロード 11月
20kmロード  1位    58分07秒1(道路日本新)府中多摩川20kmロード11月
マラソン     1位 2時間10分35秒   福岡国際マラソン

箱根駅伝
第53回大会(1977年) 2区 11位 1時間16分58秒
第54回大会(1978年) 2区  2位 1時間13分54秒
第55回大会(1979年) 2区  1位 1時間12分18秒(区間新記録)
第56回大会(1980年) 2区  1位 1時間11分37秒(区間新記録)
2区=24.4km(当時)


72 :
瀬古利彦(社会人1年目・エスビー食品) 全成績
1980年
04月27日 優勝 10000m 28分46秒9  群馬リレーカーニバル
05月05日 優勝 10000m 28分18秒6  スポニチ国際
05月17日 優勝 20000m 58分46秒0(日本新)東日本実業団対抗
07月01日 2位  5000m 13分30秒94 ビスレットゲームス
07月07日 優勝 10000m 27分43秒44(日本新)DNガラン
07月09日 3位 10000m 28分09秒42 ワールドゲームス
09月06日 優勝  5000m 13分50秒5  日中対抗
09月15日 優勝  5000m 13分46秒7  早慶戦(オープン)
09月20日 優勝 10000m 28分38秒7  八カ国陸上
09月27日 優勝 20000m 58分51秒9  全日本実業団対抗
09月28日 優勝 10000m 28分24秒6  全日本実業団対抗
11月03秒 優勝 20kmロード 59分03秒   中条ロード
11月23日 優勝 20kmロード 57分48秒5(日本最高)府中多摩川20km
12月07日 優勝 マラソン   2時間09分45秒 福岡国際マラソン
(社会人2年目・エスビー食品)
1981年
02月15日 優勝 30kmロード 1時間29分32秒 青梅マラソン(30km)
03月22日 優勝 30000m 1時間29分18秒8(世界新) 3万m記録会(ニュージーランド)
04月12日 優勝  5000m 13分58秒2   東京六大学対抗(オープン)
04月20日 優勝 マラソン   2時間09分26秒 ボストンマラソン
05月17日 優勝 10000m 28分18秒1   東日本実業団対抗
06月06日 優勝 10000m 28分44秒98  アジア陸上
06月14日 優勝 10000m 28分53秒1   神奈川選手権
07月09日 2位 10000m 27分51秒93  DNガラン
10月24日 優勝 10000m 29分37秒6   群馬秋季大会

(社会人3年目・エスビー食品)
1982年
09月15日 優勝  5000m 13分36秒1   早慶戦(オープン)
10月16日 優勝 20000m 58分29秒6(日本新)全日本実業団対抗
10月17日 2位 10000m 28分38秒9   全日本実業団対抗


73 :
(社会人4年目・エスビー食品)
1983年
02月13日 優勝 マラソン   2時間08分38秒(日本最高)東京国際マラソン
09月24日 優勝 20000m 58分18秒1(日本新)   全日本実業団対抗
11月13日 途中棄権 20kmロード 高島平ロード
12月04日 優勝 マラソン   2時間08分52秒      福岡国際マラソン
(社会人5年目・エスビー食品)
1984年
04月28日 優勝 10000m 28分48秒7  東京選手権
05月12日 優勝 20000m 58分43秒0  東日本実業団対抗
05月29日 優勝 20000m 59分41秒1  記録会
08月12日 14位 マラソン   2時間14分13秒 ロサンゼルス五輪
10月21日 3位 10000m 28分32秒49 日本選手権
11月03日 2位 10000m 28分11秒25 韓国選手権
11月18日 区間1位 6区(23km) 1時間08分08秒 東日本実業団駅伝
12月18日 区間1位 6区(23.2km)1時間08分30秒 全日本実業団駅伝

(社会人6年目・エスビー食品)
1985年
05月06日 2位 10000m 28分27秒55 スポニチ国際
06月01日 優勝 20000m 57分48秒7(日本新) 東日本実業団対抗
06月22日 優勝  5000m 13分35秒4  記録会
07月02日 4位 10000m 27分42秒17(日本新)DNガラン
07月10日 優勝 10000m 27分45秒89 ローザンヌ国際
07月13日 2位  5000m 13分36秒28 パリ国際





74 :
(社会人7年目・エスビー食品)
1986年
03月16日 優勝 30kmロード 1時間29分21秒 広島平和マラソン
04月20日 優勝 マラソン   2時間10分02秒 ロンドンマラソン
06月01日 2位 10000m 28分29秒14  日本選手権
06月28日 優勝  5000m 13分33秒33  ベルシェロゲーム
07月05日 6位 10000m 27分45秒45  ビスレットゲーム
07月11日 優勝  5000m 13分24秒29(日本新)プジョー・タルボットゲーム
08月23日 優勝 10kmロード 28分56秒    パパクラ10kmロードレース
09月29日 3位 10000m 29分31秒90  ソウルアジア大会
10月26日 優勝 マラソン   2時間08分27秒 シカゴマラソン
11月16日 区間1位 7区13.8km 40分12秒 東日本実業団駅伝
12月21日 区間1位 5区17.7km 51分15秒 全日本実業団駅伝
(社会人8年目・エスビー食品)
1987年
03月08日 優勝 30kmロード 1時間28分52秒 名古屋30kmロード
04月21日 優勝 マラソン   2時間11分50秒 ボストンマラソン
05月31日 2位  5000m 13分44秒9   水戸市立競技場オープン記念
06月30日 途中棄権 10000m  DNガラン
07月10日 6位  3000m  7分56秒47  プジョー・タルボットゲーム
11月15日 区間1位 4区10.45km 29分40秒 東日本実業団駅伝

(社会人9年目・エスビー食品)
1988年
03月13日 優勝 マラソン 2時間12分41秒 びわ湖毎日マラソン
10月02日 9位 マラソン 2時間13分41秒 ソウル五輪
12月18日 区間2位 5区12.95km 35分24秒 千葉国際駅伝
引退


75 :
瀬古利彦 トラック欧州遠征 全成績
1978.6.22 ケルン国際(ケルン)(5000m 優勝) 13.35.8
1978.6.28 ワールドゲームス(ヘルシンキ)(10000m 9位)28.12.2
1978.7.03 DNガラン(ストックホルム)(10000m 優勝)27.51.61
1978.7.04 DNガラン(ストックホルム)(5000m 11位)13.40.49
1979.6.20 ワールドゲームス(ヘルシンキ)(10000m 優勝)28.02.59
1979.6.23 4カ国対抗(ブレーメン)(5000m 3位)13.34.4
1979.6.24 4カ国対抗(ブレーメン)(3000m 7位)7.54.9 (日本新)
1979.7.05 オスロ国際(オスロ)(5000m 5位)13.37.6
1980.7.01 ビスレット国際(オスロ)(5000m 2位)13.30.94
1980.7.07 DNガラン(ストックホルム)(10000m 優勝)27.43.44(日本新)
1980.7.09 ワールドゲームス(ヘルシンキ)(10000m 3位)28.09.42
1981.7.09 DNガラン(ストックホルム)(10000m 2位)27.51.93
1985.7.02 DNガラン(ストックホルム)(10000m 4位)27.42.17(日本新)
1985.7.10 ローザンヌ国際(ローザンヌ)(10000m 優勝)27.45.89
1985.7.13 パリ国際(パリ)(5000m 2位)13.36.28
1986.6.28 ベルシェロ・ゲーム(5000m 優勝)13.33.33
1986.7.05 ビスレットゲームス(オスロ)(10000m 6位)27.45.45
1986.7.11 プジョー.タルボット.ゲームス(ロンドン)(5000m 優勝)13.24.29(日本新)
1987.6.30 DNガラン(ストックホルム)(10000m 途中棄権)
1987.7.04 ビスレットゲームス(オスロ)(5000m 12位)13.38.65
1987.7.10 プジョー.タルボット.ゲームス(ロンドン)(3000m 6位)7.56.47  
トラック欧州遠征結果
優勝7回、2位3回、3位2回


76 :
10,000m パフォーマンス10位
瀬古利彦(エスビー食品) 平均27.55.60
1、27.42.17 (1985)DNガラン 4位
2、27.43.44 (1980)DNガラン 優勝
3、27.45.45 (1986)オスロ   6位
4、27.45.89 (1985)ローザンヌ 優勝
5、27.51.61 (1978)DNガラン 優勝
6、27.51.93 (1979)DNガラン 2位
7、28.02.59 (1979)ワールドゲームス 優勝
8、28.09.42 (1980)ワールドゲームス 3位
9、28.11.25 (1984)韓国選手権 2位
10、28.12.2  (1978)ワールドゲームス 9位

77 :
NYマラソン(1982)/ サラザール vs ゴメス
http://www.youtube.com/watch?v=-Fyftq_1_1g&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=mSRiZCuDOIQ&feature=related

78 :
サラザールは80年後半から82年いっぱいまでが全盛期
83年はロッテルダムで敗れ、同年福岡は瀬古に完敗
84年はやっと五輪選考で代表になり、五輪は惨敗。そこから消えていった。
80年代にアメリカではボストンの呪いみたいなこと書かれていて
ボストンで活躍したものはダウンヒルのコースで必ず脚を怪我して
競技から消えているというもの。
このサラザールしかり、バージン、ベアーズレー、マイヤー、ペファー、トーマスなど
例外はボストンっ子で複数回勝っているロジャース。
アメリカではショーターと並ぶ偉大なランナー。

79 :
A・サラザールの現況
http://www.youtube.com/watch?v=x49Uci31cgw&feature=related
R・ゴメスの現況
http://www.youtube.com/watch?v=0I18DZZba-U&feature=related

80 :
ゴメスも一時期、世界のトップクラスにいたな
82年だっけ? ゴールデンマラソンで伊藤国光と一騎打ちに勝った辺りがピークかな
83年東京は瀬古と勝負は見応えあった。もし腹痛起こしてなかったら
瀬古のタイムはもう10秒くらい縮まったかな。
ゴメスが8分台ではしってないのは意外だ。

81 :
イカンガー
ゴメス
ロジャース
キャステラ
この辺りは瀬古とのライバル関係で日本で有名になった
83年までの瀬古は負かしたライバルを光らせるレースができた

82 :
いつ日本代表監督に就任するか?

83 :
しなくていいよw

84 :

理由は?

85 :

かもりが就任するから

86 :
NHKラジオ深夜便で瀬古さん喋ってます、笑えますw

87 :
>>78
この中で瀬古が対決してないのはディック・ベアーズレーだけだね。
81年の別大で宗兄弟と好勝負した。茂が脱落して猛とベアーズレーが
風よけのためジグザグ走行して走っているうちにいつの間にか茂が追いつき
最後は茂が優勝したレース。このレースで自己記録2時間12分台で走った
ベアーズレーは翌年のボストンでサラザールと競って2時間8分53秒の
世界歴代4位の大記録を樹立した。しかしこの影響で故障し消えていった。
アメリカはこういう選手が多かったのも事実だね。

88 :
サラザールも83年に入って急に勝てなくなったね。
ロッテルダムでキャステラ、ロペス、ゴメスに敗れ
福岡でも5位がやっと。
ロス五輪選考会で辛くも3位に入り米国代表に選出されるも
本大会で15位と惨敗。
こう考えると、5年以上も無敵性を誇った瀬古はまさに驚異的だ・・・

89 :
87年福岡での代表選考会は瀬古欠場で物議を醸したが
同じソウルの選考でイギリスも揉めた。
原因はSジョーンズ。義務づけられたロンドンマラソンのイギリス
選考レースをパスし、高額レースのボストンの結果で代表権を獲得
したいと言い出した。世界最高を出したころのジョーンズであれば
周りは何もいえなかったらしいが、このころは下り坂の頃、
86年欧州で失敗し、87年ボストンは瀬古に負け2位。暮れの
福岡国際に出場を表明するが風邪でエントリー前にキャンセル。
他のランナーからは「同じレースで代表を決めるべき。まるで裏口から
入ろうとしているようだ。」と批判された。
 なにせイギリスは前回のロス五輪(84年)でもロンドン2位の
ケビン・フォスターを落選させ、ボストンで好タイムをだした
ジェフ・スミスを代表にしている。
ジョーンズは強引にボストン出場を決め、代表権を目指したが
もう往年の力はなく優勝のフセインから5分以上遅れの
9位 2時間14分7秒で代表を逃した。
 ケニヤも毎回お家騒動があるし、強豪国のマラソン代表の選考は頭を痛めて
いるようだ。

90 :
9回(1977年) 京都マラソン   初マラソン 瀬古レース展開
正午、西京極陸上競技場スタート。
5km ロジャース(米国)ら先頭集団10人は15'45"で通過。
スローペースにかかわらず瀬古は100m遅れ。
10kmを過ぎたあたりからピッチをあげ、15kmで8位にあがる。
トップはロジャース、続いて染谷(入間市役所)、その後方に瀬古ら6人の集団。
瀬古は15から20kmにかけてペースをあげ、集団から離脱。
25kmを過ぎると染谷に並び2位へ。
しかし30km手前、瀬古のスタミナが切れたのをみた染谷がスパート。
35km以降、後続のランナーに次々に抜かれる。
「練習不足で辛いレースだった」とコメントを残したロジャースが2゚14'26"2 で貫禄の独走勝ち。
瀬古は「前半はまずまずだったが最後の10kmは前が黄色く見えるほど
苦しかった。マラソンがこんなにきついものとは思わなかった」 とコメント。
10位 2゚26'00" で新人賞を獲得した。

91 :
京都マラソンは昭和44年に発足し毎年2月に開催された。
コースは京都定番の全国駅伝コース。
毎年海外招待を初め、中堅どころが参加した。
第1回は大昭和の深田清次が2時間17分43秒8で優勝。3位がローマ五輪代表の貞永
第2回内野幸吉(東洋工業)2時間16分55秒8
そして第3回(1971)が国際マラソンでも活躍した谷村隼美(クラレ)が2時間13分45秒2の好タイムで優勝。
2位 フェアクロス(イギリス)2時間14分58秒6
3位 フィリップ(西ドイツ)2時間16分39秒0
4回はのちの中山の監督・佐藤進(旭化成)が2時間17分39秒0
5回 フォスター(ニュージーランド)2時間14分53秒4
2位 ミュンヘン五輪代表の采谷義秋(竹原高校教員)2時間18分30秒6
6回 ボーレマン(フィンランド)2時間15分10秒6
7回はのちにアジア大会で優勝する阪本峰照(日立造船)2時間17分15秒4

92 :
>>32
ボストンマラソンは第1回アテネ五輪コースを真似たような設定にした。
最初は39.75km。1898年と1907年にスタート地点の変更をしているが距離は変わらず。
1921年、22年にフランク・ズナとデ・マーの両選手が2時間18分57秒と18分10秒の驚異的な記録をだした為、
翌1924年にスタート地点を下げて42.034kmにした。
1927年に初めて42.195kmに改正。その時、5度目の優勝をしたデ・マーのタイムは2時間40分22秒だった。
この距離は1952年まで続いたが山田敬三の優勝した1953年から短くなって41.091kmに縮められた。
これは故意ではなく道路の改善工事がもたらした偶然の結果だった。
山田、浜村秀雄が立て続けに世界記録を連発し、さらに1955年にビスカリ(フィンランド)
が当時として信じられない2時間14分14秒を出して、はじめて距離に対する不信が生まれた。
すでに日本では距離に疑問を抱いて再三の再計測を申し入れていたが、当局は
「昔からこのコースで開催しているのだからよいではないか」と一顧をも与えなかった。
やっと重い腰をあげ再計測したところ短いことが判明。1957年から正規の距離に修正される。
1965年からスタートはホプキントン、ゴールはプルデンシャルセンターに固定される

93 :
>>36-42
87年の福岡はNHKで候補者の特集を組んだ番組を放送したりして凄い注目度だった。
なにせまだサブテンが貴重な時代、日本で8人記録した選手が全員現役で
一堂に会して選考会にでるのは歴代でも屈指といわれてたからだ。
のちに宗茂の引退と瀬古欠場があったが日本中が注目した。
そんな中、いちばん勢いがあったのが谷口。その年2勝(東京、ロンドン)し、なかなか切れなかった10分を突破。
ここまで87年度の世界ランク1位をキープしていた。(87年度はレベルが低かったが)
中山はいろいろな経緯で渋々出た東京で谷口に負け、評価を落としていたが夏の欧州での1万日本記録で
評価を挽回していた。
伊藤は北京以来、福岡までマラソン走らず不気味な存在感をキープ。
児玉は北京後、w杯2位で及第点だったが、一発屋だけに良いか悪いかという評価だった。
いちばん地味だったのが新宅。宗は難しいだろうという評価。
だから谷口が日本人3位に入っていたらどうなっていただろうとは当時囁かれた。

94 :
1986年 ロンドン国際陸上(プジョータルボットゲームス) 5000m レース展開
スタート。イギリスのクラルクとロバーツが集団を引っ張る。
新宅が4−5番手、瀬古は少し後ろの8番手。
1周63−64秒ペースで推移。2000m過ぎに同じくイギリスの
スミスが先頭に出てくる。
3000m−8分07秒。 日本記録を1秒上回る展開。
ビンス(イギリス)が先頭に立ち新宅が2番手に。
マラソン世界歴代2位(2.07.13)を持つS・ジョーンズが
新宅の後ろへ。 ペースが一時期66秒に落ちる。
 瀬古と初対決だけにお互いが近くで様子を見ながら走っている
印象が残る。
4000m付近ーロス五輪5000m代表のワイグワ(ケニア)が
2番手に上がってくる。それと同時にジョーンズが後退。
ワイグワ、新宅、ビンス、瀬古の4人の争いとなる。
4300mでワイグワが先頭で逃げ始める。瀬古が2番手に上がる。
4500mワイグワがロングスパートで3人との間が少し開く。
ラスト1周ー 瀬古がワイグワの背後に追いつく
       中国の張国偉が5番手に上がっている。
残り300m− 瀬古の強烈なスパート。ワイグワが白い歯を見せながら
        懸命に瀬古にくらいつくが瀬古との差が開く。
 ラスト直線ー 新宅がビンスを交し3位に上がってくる。 瀬古も歯を食いしばって
        懸命にスピードをキープ。ワイグワとの差が10m前後
        開く。
        13.24.29ー 瀬古自身の記録を6秒最新し
        新宅の日本記録を0.4秒再新するものになった。

95 :
85年ローザンヌ国際 10000m 記事
「セコ、セコ!!ジャポネ!」 絶叫する場内アナウンサーに呼応し、1万7千人の観衆からどよめきが起こる。
レマン湖のほとり、クーベルタン・スタジアムは「セコ・コール」で揺れた。
ゴール後、80年DNガラン大会以来、欧州で5年ぶりのウイニングラン。手を振る瀬古にまた観衆は沸いた。
「記録と優勝の両方を狙っていた。前半の5千mがこの前のDNガランより10秒速かったので27分30秒台が
出るかと思ったが…7千m過ぎて競り合う相手がいたら…」
5千mのラップが13分47秒26の好ペース。しかし7千m手前でスパートすると、ロス五輪銀メダリストのリューフェル(スイス)
が必死に追ったが、瀬古のスピードについていけなかった。楽勝の展開だったが、後半の独走が記録
の最新をはばんだ。タイムは27分45秒89だった。

96 :
85年DNガラン 10000m 記事
前半はワイサッキ(アメリカ)が引っ張ったが5千mの通過ラップが13分54秒20とスローペース。
瀬古は「このままでは記録が出ないのでは…」の焦りがあった。マークしていた
世界記録保持者のマメーデ、ロス五輪と世界選手権優勝のコバの強豪マークに見切りをつけ、
先頭を走るビックフォード、ネノウ(共にアメリカ)を追って後方から飛び出していったのも、
この焦りが布石となっていた。ただ、第二集団から飛び出して先頭を追った見返りとして、
ラスト50mでマメーデに抜かれて4位。「記録が出たし順位は…。練習が不十分な割に良いタイムが出たと満足してます。」
27分42秒17の日本記録をマークして4位に入賞。瀬古自身が持つ日本記録を5年ぶりに1秒27短縮した。

97 :
1985年7月10日  ローザンヌ国際 男子10000m 結果
1、27.45.89 瀬古利彦(日本)
2、27.54.29 リューフェル(スイス)
3、28.03.80 新宅雅也(日本)
4、28.05.23 ド・キャステラ(オーストラリア)
5、28.06.02 金井豊(日本)
12、28.31.82 ワキウリ(ケニア)
19、28.56.04 中村孝生(日本)
1985年7月2日 DNガラン大会 男子 10000m 結果
1、27.37.17 ビックフォード(アメリカ)
2,27.40.85 ネノウ(アメリカ)
3、27.41.09 マメーデ(ポルトガル)
4、27.42.17 瀬古利彦(日本)  日本新記録
5、27.44.65 パネッタ(イタリア)
6、27.49.36 コバ(イタリア)
7、27.50.05 新宅雅也(日本)
11、27.55.05 金井豊(日本)



98 :
1986年 ビスレット・ゲームス 10000m 記事
男子1万mは凄まじいレースになった。世界の超一線級が好位置争いでもみ合いを続けた。
3千m過ぎ、ロス五輪金メダリストのコバ(イタリア)が転倒。世界記録保持者マメーデが5千m過ぎに棄権。
瀬古もこの揉み合いで「余分なエネルギーを使ってしまった」ため結局、目標の27分35秒より10秒遅い
タイムで6位に終わった。レースを制したアウイタ(モロッコ)も競り合いでスパイクされ、足から血を流してのゴールイン。
担架で運ばれるほどだった。優勝タイムは27分26秒11の好タイム。
瀬古は27分45秒45。新宅15位、金井は22位だった。
1986年 ビスレット・ゲームス 10000m 結果
1、27.26.11 アウイタ(モロッコ)
2、27.28.80 ネナウ(アメリカ)
3、27.39.52 アンティボ(イタリア)
4、27.43.97 メイ(イタリア)
5、27.44.57 バイニオ(フィンランド)
6、27.45.45 瀬古利彦(日本)
15、28.09.47 新宅雅也(日本)
22、28.42.58 金井豊(日本)

99 :
>>78
>>88
アルベルト・サラザール
1959年8月7日 キューバのハバナ出身
父親は元キューバ政府官僚、母親は元ローマ皇帝につながる誇り高き家系の出
2歳の時、両親とともにアメリカへ移住し、アメリカ国民となる。
走り始めたのは12歳。とにかく走るのが好きで小さいころから街中や野山を
駆け回っていた。
18歳の1977年、早くも1万mで全米10位(29分03秒4)で走りランクインしている。
大学は名門・オレゴン大(経営学専攻)
ここで東京五輪5千m銅メダリストである名コーチ ウイリアム・バリンジャー
と知り合う。その後メキメキ成長。
1978年 1万m(28分46秒55)全米7位
1979年 1万m(28分06秒12)全米2位
1980年 1万m(27分49秒30)全米2位
80年にはモスクワ五輪米国予選1万mで3位に入り代表権を得る(米国 不参加)
また同年 ワールドカップ陸上 1万m 3位
マラソンに挑戦したのは1980年。大学4年の時。
ニューヨークシティーマラソンに出場し、いきなり初マラソン初優勝の快挙を演じる。
そのタイムは当時の世界歴代7位 2時間09分41秒。76年にビル・ロジャースが
作った2時間10分09秒の大会記録も最新した。
翌81年、2度目のマラソンもニューヨークシティーを選ぶ。
大会前日「今度は2時間9分を切って世界最高を出す。2時間8分台、うまくいけば
2時間7分台の世界最高で優勝する。」と宣言。その発言通り、世界最高で優勝
2時間08分13秒は「難攻不落」といわれたクレイトンの2時間08分33秒6を実に
12年ぶりに塗り替えるものだった(後世、距離不足が判明、世界最高記録は抹消になる)
1982年も三たびニューヨークで2時間09分29秒で三連覇。
春のボストンも2時間08分51秒で勝ち、ここまで4戦4勝、全部サブテンという
歴代ランナーでは最高のキャリアを作った。「サラザール時代」が到来した。
しかし1983年に入ると異変が生じた。4月のロッテルダムはキャステラらに破れ
5位(2時間10分08秒)。ついに連勝がストップした。
そして1万mでは第1回世界陸上(ヘルシンキ)に出場したものの決勝最下位(17位)
に沈んだ。
サラザールももうピークは過ぎたのかとまで言われたが、ロッテルダムは
体調不調、世界陸上は風邪をこじらせて気管支炎を起こしながらのレースだったと
発言。
そして12月、突然の福岡国際マラソン参加表明。打倒瀬古を目指して一番乗りで福岡に
来日し調整する。結果は瀬古、イカンガー、宗兄弟に敗れ5位と惜敗。
その後、サラザールは浮上することはなかった。(ロサンゼルス五輪 マラソン15位)

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