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2012年07月ビートルズ82: 【bayfm78】ビートルズから始まる。8【小林克也】 (257) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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ビーチ・ボーイズの『オール・サマー・ロング』 (664)
ジョン・レノンの人格について語ろう (455)
@@後期ビートルズもジョンのおかげで持った@@ (821)
シラ・ブラックの魅力 (387)
ヤフー・ビートルズ 4 (834)

【bayfm78】ビートルズから始まる。8【小林克也】


1 :2012/07/03 〜 最終レス :8)
bayfm78 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組
番組内コーナー
・ビートルズ・ストーリー
・各種インタビュー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)

前スレ
7 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1320067779/
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1295841403/
5 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1268562055/
4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1242461057/
3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1213526085/
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/


2 :
※では改めて7月1日の最初から。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月1日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 7月1日)
 ・1969年(今から43年前の今日)
  ジョンとヨーコとジュリアン、ジュリアンはジョンと前の上さんとの子供ですね。
  それからキョーコ、これはヨーコの前の旦那との子供。
  この4人を乗せてスコットランドのゴルスピー(Golspie)という所にジョン・レノンが車を運転する途中。
  これはね、子供たちにね、自分が幼少に過ごしたスコットランドの知り合いの所へ行こうとしてたんですけど。
  もう、田舎道で、でっかい道じゃないんだって、細い道だって。
  それとジョンは、極度の運転ベタ、近眼でしょう、それから視野が普通の人より狭いと言われていましたね。
  でも、「あんたが運転して!」っていうことでw、そのころ鬼嫁のイメージがあったヨーコがジョンの尻を叩いて運転させて。
  結果、交通事故。
  落っこっちゃうんですよ、他の車を、対向車を避けようとして畑に落っこっちゃうわけですね。
  楽しいはずの旅行が悲劇になって、結果、ヨーコは14針顔を縫う、娘さんのキョーコは唇を4針、ジョンは頭を17針縫うと。
  で、ヨーコは悪い事に妊娠中で、安静を言い渡される と。
  だからアルバム「アビーロード」のスタジオに行ってベッドを持ち込んで、
  ベッドに入ってビートルズを眺めていた、という有名なエピソードはこの事故から来ているわけですね。
  それで、ちょっとヨーコは怒ったということで、この時の事故車をですね、自分たちの屋敷の庭に当分飾っていた、というw。
  ええw、そういう。
  ジョンとヨーコとキョーコの3人で暮らしていた時期もあるんですよね。
  で、1972年に親権が認められて、アンソニーというヨーコの昔の旦那です。
  まあ芸術家、ミュージシャンでもある、アンソニー・コックスがね。
  彼の元にキョーコが行く、ということになります。

3 :
  じゃあ、ちょっと季節外れっていうか、この季節に聴くからこの曲良いのかもわかりませんが。
  冒頭に、ジュリアンとキョーコへ(お父さんと)お母さんが呼びかけている、それも、ヒソヒソ声で呼びかけている、例の曲。
  これを聴いてみる。
  〜 John Lennon / Happy Xmas (War Is Over)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=yN4Uu0OlmTg  
  (小林)Happy Xmas カッコして War Is Over。
  War Is Over てのがこの曲のヘソというか、何というんでしょうね、今でもね不安な国なんかけっこうありますよね。
  だからこの曲ってのは、いつも何か感じさせて引っかかってくれるんですよね。
  ジョン・レノンそしてオノ・ヨーコの名曲を聴いていただきました。

4 :
□アリステア・テイラーの物語
 ・「若い制作スタッフをリバプールのキャバーンにまで来させたと思ったら、次は元日早々のロンドンでのオーディション。
  いやあ、いくらデッカレコードが業界の大手だと言っても、これはちょっと引っぱり過ぎだと思ったよ。
  連中はほんとにビートルズと契約する気が有るのか無いのか?。
  気の短いブライアンは心中穏やかではなかったと思うね。」
  こんな証言をするのは、ロック史上最も成功したマネージャー=ブライアン・エプスタインの右腕にして心を許せる友人=アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  ビートルズのデッカオーディションの実情、もう少し探ってみよう。

  いくら煮えきらない返事であろうとも、決定に時間がかかろうとも、当時まったくの無名バンドだったビートルズは、オーディションを受けさせて頂く立場。
  ブライアンもいら立つ気持ちをグッと押さえるしかなかった。
  ビートルズの4人と数人のスタッフの全員、不安を抱えながらも、皮肉な事にオーディションの日は翌日に迫って来た。
  1961年も大晦日である。
  大雪が降る中、ブライアンは列車でロンドンに向かった。
  ロンドンの北部の高級住宅街ハムステッドには、ブライアンを幼いころから可愛がってくれたフリーダ叔母さんの家が有り、
  そこに泊めてもらうことになっていたのである。
  一方、ビートルズのロードマネージャー兼運転手二ール・アスピノールが友人から借りたいつもより少し大きなバンは、
  アンプやドラムセットなどの楽器を荷台に詰め込み、メンバーを乗せリバプールを出発した。
  実はこの時まで二ールは、ただの一度もロンドンに行ったことが無かった。
  不安材料を満載したまま、オンボロ車はロンドンを目指すのであった。

5 :
  〜 The Beatles / Two of Us(Naked)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DFw914VZPDE
  
  〜 The Beatles / I've Got a Feeling (Anthology 3)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Jc8p7RLgG_I
  (小林)「Let It Be」のセッション I've Got a Feeling.
  これは「Let It Be」ではなくて「Anthology 3」に入っているバージョン。
  
  そしてその前は、有名な Two of Us。
  これはマッカートニーがプロデュースした「Let It Be...Naked」の中に入っている曲です。

6 :
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「いやあれは、すごい悪天候だったよ。よりによってデッカオーディションの前日。
  1961年の大晦日が猛吹雪。
  リバプールも一応は北国だから雪ぐらいは降るけど、あの時の雪は『何年に一度』とか、それぐらいの感じだったね。
  運が良いのか悪いのか、まったく不思議な運命に操られてたね。ビートルズは。」
  こうしたロックの史実をきちんと証言してくれるのは、アリステア・テイラー。
  彼はブライアンの右腕にして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  さて、デビューまでまだ時間を必要としているビートルズの物語、もう少し続けてみよう。

  ビートルズは大晦日の昼ごろ、ローディ兼運転手の二ール・アスピノールの運転する大型のバンでロンドンを目指して出発した。
  荷台には楽器が満載。車内は冷蔵庫のように冷え切っていた。
  しかし、運転手ががんばらないとメンバーも凹んでしまうと考えた二ールは、カラ元気を出してこう言った。
  『なあに!、ロンドンったって、たかだか600キロぐらいだろう。
  普通に走っていれば夕方には到着してホテルにチェックイン出来るさ。
  みんな!、寝てればいいよ!。目が覚めたらロンドンって寸法よ。』
  もちろん、この時点ではメンバー全員心配など少しもしてはいなかった。
  とりあえず、ひと眠りしようとしたが ヒーターが壊れているのか寒過ぎてとても寝られたものではなかった。
  おまけに運転手の二ールは、しょっちゅう車を路肩に止めてロードマップとにらめっこしている。
  たまりかねたジョンが問い詰めた。
  『おい、二ール。お前ほんとに道順が分かってるのか?。ロンドン行った事あるのか?。』
  二ールは答えた。
  『ああ、地図は何度も確認してきたけど、実はロンドンは初めてなんだ。
  おまけに、この吹雪でさっきの標識見失ったみたいだ。いったん戻るよ。』

7 :

http://www.youtube.com/watch?v=_RYJBwyTz9k

8 :
  〜 The Beatles / Helter Skelter
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Zz92iBUKvvw
  〜 Mary Hopkin / Those were the days(悲しき天使)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-9JOmU2jFUo
  (小林)これは(2曲目)もうすっごいヒットでしたね。
  イギリスではもちろんナンバーワン、アメリカでは2位。
  なぜ2位だったかというと Hey Jude が長い間1位を…w。1位になれなかったっていうw。
  だけどまあ、全世界で一千万枚以上売れた。ロシア民謡を基にした Those were the days。
  プロデュースがポール・マッカートニー。
  その前は「ホワイトアルバム(The BEATLES)」の中に入っている(1曲目)Helter Skelter。

9 :
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「おい、二ール!お前ほんとうに道順が分かっているのか?ロンドン行った事があるのか?」
  この苛立ったジョンの問いかけに、ローディ兼運転手の二ール・アスピノールは答えた。
  「ああ、地図は何度も確認はして来たけど、実はロンドンは初めてなんだ。
  おまけに、この吹雪でさっきの標識見失ったみたいだ。いったん戻るよ。」
  これは1961年の大晦日。
  翌日にデッカレコードでのオーディションを控えたビートルズが、リバプールからロンドンに向かう機材車の中でのやりとり。
  こんな調子のあと、どんな結末になったのか、もう少し様子を見てみよう。
  通常であれば、リバプールからロンドンまではおよそ※600q程度、一人で運転するのは少し厳しいにしても、途中休憩を入れても6時間ぐらいで到着する行程である。
  しかしこの日は事情が違っていた。ロンドンまでの道のりのほとんどが猛吹雪に見舞われていたのである。
  運転手の二ールは何度も地図を確認したが、それでも道路標識が雪で覆われていたため道を間違えてしまい、結局10時間以上もかかってやっとロンドンに到着した。
  時刻は、日付けが変わり、元日の0時過ぎ。
  とりあえずマネージャーのブライアン・エプスタインが予約してくれたホテルにチェックインし、冷えて疲れ切った体を休めることにした。
  それでも、初めてのロンドンは物珍しいものが多い。
  まだ20歳前後のビートルズにとって、この街は憧れの土地でもあった。
  とりあえず周辺をブラつき、ブライアンが知っているレストランで食事をとった。
  スープの値段がリバプールの3倍、これには全員驚いた。
  食事を終えてホテルに帰る途中、公園にいた不良連中に紙に巻かれたイケナイ物を勧められたが、
  4人とも経験が無かったためすっかり怖気付いてしまい、丁重にお断りすることにした。
  翌朝に運命のオーディションが待っている。
  ビートルズのロンドン初体験の夜は、こうして更けていくのであった。

  (※ロンドン〜リバプール間は直線距離で約300km。東京〜新潟ぐらい?。)

10 :
  〜 The Beatles / Across The Universe (No One's Gonna Change Our World Version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=hTgOVCTmzDg
 
  (小林)お馴染みのバージョンじゃ、ちょっとないと思いますけど。
  これは 「No One's Gonna Change Our World」“だれもが世界を変えちゃいけない”ていうチャリティアルバム。
  これは1969年世界自然保護基金のためにビートルズが出したアルバム、の中から、Across The Universe

11 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてお返しとして送っております。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  (千葉県市川市/男性)
  キース・リチャーズ(Keith Richards)の自伝「ライフ」最近読んでいます。
  その中にビートルズ関連のエピソードも多いんです。
  克也さんもおっしゃっていたように、ストーンズは初めは曲を作る気は無かった。
  マネージャーに「お前ら、もっと売れるように、ビートルズみたいに曲を作れ!」と言われて、イヤイヤ作るようになったとか。
  ビートルズは親たちにも愛されるクリーンなイメージ。
  だからストーンズは「あんな男たちを彼氏にするんじゃありません!」と、親から怒られるような不良のイメージで売り出して行った、とか。
  興味深いエピソードがいっぱいです。
  最近、ビートルズを聴いている十代の子たちのメールが番組内でよく読まれていますので、私からその子たちに、この本をお奨めします。
  ネットで調べると図書館にもあったりします。
  君たち!ローリングストーンズも いいよ!。
  かつて克也さんの番組とともに十代を過ごした41歳のおっさんから。
  リクエストは
  「キース自身はシングルにするのを嫌がっていたが、勝手に出されてしまい、結果、初の全米シングルチャートナンバーワンになった。」
  そんなことが書いてあるんですが。
  この Satisfaction !。  
  〜 Rolling Stones / Satisfaction
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3a7cHPy04s8&feature=related

12 :
  〜 The Beatles / Think For Yourself
  ttp://www.youtube.com/watch?v=asjgoEUtcR4
  (小林)
  というわけで、これは Think For Yourself ていう曲が流れましたけど。
  (中野区/女性)
  先日、ビートルズの「イエローサブマリン」ブルーレイ発売記念試写会に行きました。
  ビートルズおたくですが、実は初めて見ました。
  ストーリーも歌詞もすごく深く、味わいがあり、今こそ みんな見るべきだ、と思います。
  「大切な事を見失っていないかな?。地球上の生き物はみんな仲間。ここがどこなのか、自分が誰なのか?。
  それは誰かが勝手に決めただけ。全ては想像上のことだ。見たい物だけを見て、他の事はごまかすような生活でいいの?」
  こんなメッセージが伝わって来た気がします。
  タイトル曲の「イエローサブマリン」も能天気なふりをして、すごく重要な意味が込められている、と思います。
  ビートルズから始まって、いろんな音楽を聴いて、またビートルズに戻って来ました。
  やっぱり最高です。
  リクエストは、1曲選ぶのは難しいけど、私はジョージファンなので Think For Yourself。
  (小林)
  ジョージの歌声でお送りしました。

13 :
  (茨城県笠間市/男性)
  リクエスト Nod Your Head をお願いします。ポールのアルバム「Memory Almost Full」から。
  私はビートルズの解散後に「LetItBe」からファンになりました。
  その代わりにレノンとマッカートニーは最初からバリバリ現役で楽しんでました。 (小林)あー、ソロはね。
  今でもレノン・マッカートニーを中心に音楽人生を楽しんでいます。
  ほんとうに楽しかったです。(今もですが)
  特に、マッカートニーはもうすぐ70歳。まだ現役ですよ。すっごい人です。見習います。
  まだ行けるよ、小林さんがんばって!      (小林)って言うw
  そんな人が手掛けるとは思えないパワーがこの曲にはありますよね。
  今年はビートルズ生誕50周年の年。エリザベス女王60周年祭。布袋さんの移住も決まり、オリンピックもあります。
  もう心ウキウキしています。マッカートニー・布袋 共作なんて実現したらすごいじゃないですか。
  でも夢は楽しんでもいいと思うからね。さらに実現したらベスト。
  (小林)
  どうもありがとう。あなたのリクエストです。
  
  〜 Paul McCartney / Nod Your Head
  ttp://www.youtube.com/watch?v=shUHtmo6f2c
  〜 The Beatles / I'm a Loser
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LCV0YXXyuHc
  (小林)ポールからジョン・レノンへつながりましたね。
  (千葉市美浜区/男性)
  デッカレコードオーディションの話し、どんな話しが出てくるか楽しんでいます。
  じっくり聴かせて下さい。
  リクエストですが I'm a Loser をホワイトアルバムからお願いします。
  歌詞が、ちょっと今までとは違うかなぁ?と思って初めて聴いた時、そう思った記憶がある曲でした。
  あんまり リクエストが無い曲じゃないですか?

14 :
  (小林)
  そうですね。
  おそらく歌詞だとか雰囲気が違ったのは、間奏なんかがカントリーっぽく聴こえる、ちょっとカントリーぽいもんね。
  だから、ジョンがディランから影響受けたとか言われますけど。
  なんとなく「ジョンが珍らしいな、こんな曲をやるのは?」ていう。
  カントリーみたいなことは、やったことない人ですからね。ポールならいざ知らず。
  というわけで、ポール・マッカートニー、ジョン・レノンと歌声が続きました。

15 :

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  デッカレコードの有名な、ビートルズが落っこちるオーディションの話し。
  リバプールからロンドンへ行くんだよ。それも大晦日だよ。
  で、1月1日から仕事だからねえ。
  それも仕事ったって、受かるかどうか判らないオーディションを受けるわけで。
  で、大雪で、道を間違えて、着いたら正月、1月1日っていう、面白い話しですよ。これは、ねえ。
  僕は、もうほんとに自分勝手にね、古い人間ですから、討ち入りの話し、赤穂浪士の討ち入りの話しなんかw思い出したりするんですよw。
  まったく関係ないですが。
  
  リクエストお待ちしております。
  もし良かったら、自分なりのエピソード。これは自由ですからね。それを付け加えてください。
  あらゆる年齢の方がリクエストくれるんでね。
  よろしくお願いしますね。
  beatles@bayfm.co.jp

16 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月8日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 7月8日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  日本に来たちょっと後ですね。
  マネージャーのブライアン・エプスタインがロンドン空港に到着します。めちゃくちゃ怒っています。
  で、彼はすぐ発表します。
  「フィリピンでのうちのタレント、シーラ・ブラック(Cilla Black)たちのコンサートをキャンセルする。」
  と発表したのが、46年前の今日。
  これは実はですね、この頃の模様は、この番組で何年か前に詳しくお伝えしたことがあるんですが。
  日本に来たあと、ビートルズはマニラに行きますね、フィリピンへね。
  フィリピンの大統領は当時マルコス大統領。まあいちおう民主主義で選ばれた大統領ですけれども。
  何て言うんですかね、専制君主みたいな政治が始まるわけですよ。
  で、大統領夫人がイメルダ・マルコス。贅沢がかなり好きな夫人だったらしいんですが。
  ビートルズが来たということでね、金持ちの子弟だけを集めて特別のパーティをやる、と。
  で、ビートルズに「来てくれ」と言うわけです。
  ところがビートルズは疲れてて、「そんな。行けない」って断るんです。
  そのイメルダそしてマルコスの招待を断ったことで、ビートルズはフィリピンという国全体を敵にします。
  コンサートが終わって帰る時に、マニラの空港で、もう暴徒に襲われたり、ジョージ・ハリスンなんかぶっ飛ばされたり、
  ブライアンもぶっ飛ばされたり。
  ブライアンはビートルズの売上金なんかもほったらかしで命からがら飛行機に乗って帰るわけです。
  「もう、フィリピンみたいな所は絶対行かない。うちのタレントのコンサートなんか絶対やらせない」
  という発表があったのが、46年前の今日の事。

17 :
  実はですね、66年というのはビートルズ受難の年なんですけど。
  ちょうどこの日はですね、
  NEMSつまりブライアン・エプスタイン=ビートルズの会社のアメリカの付属アーティストが、アメリカ人のアーティストがですね、
  ポール・サイモン(Paul Simon)が曲を書いて、この曲が2位にランクされているんですよ。
  で、その頃もちろん1位はビートルズの Paperback Writerが1位。
  だから、この曲がひょっとしてビートルズの Paperback Writer がいなかったら、ビートルズの同じ事務所のタレントなんですけども、1位になっていたかもわからない。
  2位止まりだった。
  それをちょっと、いま改めて聴いていただきます。この時代の事がよく分かるよ。
  ポール・サイモンが作っています。アメリカのシンガーです。でも、イギリスの香りプンプンです。
  グループの名前は「Cyrkle」と言います。
  じゃあその、全米2位の、その当時の曲ですね。
  〜 The Cyrkle / Red Rubber Ball
  ttp://www.youtube.com/watch?v=a9aHrgtf2zY  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ThH9UrJiG4o&feature=related (TV Show)
  (小林)というわけで、グループは The Cyrkleの Red Rubber Ball。「赤いゴムまり」ですねw。
  こういうやっぱり十代を意識した曲をポール・サイモンたちは書いたわけですね。
  これをやっていたのはアメリカ人。
  Cyrkleの…えーと、サークルってCIRCLEなんだけど、そのIをYに変えたり、CをKに変えたりした。
  これは、ジョン・レノンが「普通のCircleだったらあれだから、ちょっと字を変えれば、ちょっと個性が出るから…。」
  見事成功します。
  で、ビートルズが1位をとっていたので、アメリカのチャートでは2位に終わった、という曲をお送りしました。

18 :
□アリステア・テイラーの物語
 ・「なーんだ?、そのボロアンプは?。リバプールみたいな田舎じゃわからんが、ロンドンじゃそんなもの使えねえな。
  ほら、グズグズすんなよ!。こっちのを使えよ、こっちのアンプを!。そう言ってんだよ!」
  ビートルズが初めてオーディションを受けようとしている、ロンドンのデッカレコードでのひとコマ。
  言葉の主は、スタジオ専属のエンジニアの一人。
  わざわざリバプールから車で運んで来たビートルズのアンプを散々けなされてしまった。
  スタジオのスタッフの雰囲気も、リバプールとは違う。
  ビートルズの四人はまるでケンカを売られている気分であった。
  血の気の多いジョンとジョージは完全に臨戦の態勢。
  ブライアン・エプスタインがマネージャーになってやっと漕ぎ着けたロンドンのメジャーレーベルのオーディション。
  リバプールからは道に迷いながらも、10時間かけてやっとロンドンにたどり着いた。
  ホテルで横になったにはなったが、四人とも充分な睡眠はとれていない。
  おまけに真冬の寒さのせいもあり、やはり全員の背中がゾクゾクする。これは間違いなく風邪の症状。
  こんな最悪のコンディションの中、朝早くスタジオにやって来たというのに、エンジニアからは冷たい仕打ちである。
  こんな最悪の状態ではあったが、1962年1月1日の時点でビートルズは、すでに数百回のライブを経験した百戦錬磨のバンドであった。
  イギリス国内のみならず、ドイツの港町でありヨーロッパ一の賑わいを見せるハンブルグにも何度か長期巡業に行った経験もある。
  オーディション演奏なんて文字どおり朝飯前のはずであったが、人間やはり体調が全て。
  この時ばかりは、ジョンもポールもすっかり緊張しまくっていた。
  それでも本番の時間はやって来た。
  まずは、ポールの持ち歌からスタートしたのである。

19 :
  〜 The Beatles / Searchin
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0FE4639lChw
  
  〜 The Beatles / Crying, Waiting, Hoping
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6wPRyGAQYdE 
  (小林)いかがですか? 2曲続きました。
  まず(1曲目)Searchin。これはビートルズの「アンソロジー1」に入っています。
  もちろん、あのデッカでオーディションをやった時の、そのままの音です。
  ポール・マッカートニーが歌っていました。Searchin。
  そしていまの(2曲目)Crying, Waiting, Hoping はバディ・ホリー(Buddy Holly)のヒット曲、それをジョージ・ハリスンがリードボーカルで歌っていました。
  デッカのオーディション、2曲聴いたところで。

20 :
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「あれ?おかしいいぞ?。俺、緊張してる。こんなの高校生の時以来だ。変だぞー。
  ボーカルの音程が甘すぎる。これじゃ、ただのヘタクソなアマチュアバンドだ。
  どうしたんだ?。たかだかデッカのオーディションだろ?。
  落ちつけ、落ちつくんだ!。」
  これは1962年1月1日、元旦のデッカレコードスタジオでの景色。
  今年70歳となった、あのポール・マッカートニーの、心の中のつぶやきである。
  いくらハンブルグで、一晩10回ステージという過酷な状況の中で鍛えられたとはいえ。
  この時のビートルズは、まだ本来の意味でのプロでは無かった。
  その最大の理由は「ロンドンを知らなかった」ということ。
  もちろんこの時点で、すでにビートルズはリバプールのトップバンドであった。
  本拠地であるクラブ・キャバーンは、常に満員御礼。
  失神状態で熱狂するファンの熱気のせいで、穴倉の天井からは水滴がしたたり落ちた。
  それに、千人以上を収容する大きなホールでのライブも何度となく経験していた。
  なのに、なぜ?。
  この緊張はポールだけではなかった。
  心臓に毛が生えたような男=ジョン・レノンもいつになく慌てている。
  やはり前日の10時間の移動と、ロンドンの寒さにやられて風邪にも影響を受けている。
  おかしい。これじゃ、いつも行く所敵無しのビートルズとは違う。
  数年前のアマチュアバンド=クオーリメンに逆戻りじゃないか。
  唯一いつもと同じ平常心を保っていたのは、最年少18歳の少年=ジョージ・ハリスン。
  ちょっと前までは、ジョン・レノンが率いる不良グループの舎弟扱かいだったジョージも、すっかり一人前になったのか。  
  それとも、まだまだ子供過ぎてオーディションの何たるかも理解出来ていなかったのか。
  いずれにしても、ブライアン・エプスタインの作戦どおり、リードシンガーを固定しないというスタイルでの演奏は続いた。
  次の曲もオリジナルではなく、酒場の客相手のアメリカのヒット曲であった。

21 :
  〜 The Beatles / Three Cool Cats
  http://www.youtube.com/watch?v=bCvf_RKQK0M
  〜 The Beatles / Take Good Care of my Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fMuNC2dm-Eo
  (小林)2曲続きました。
  いずれもデッカレコードでのオーディションでビートルズがやった、そのままの音ですけれども。 
  2曲ともジョージ・ハリスンがリードボーカルを珍しく録っていましたね。
  Take Good Care of my Baby てのは、知っていますかねえ、キャロル・キング(Carole King)。
  彼女が作曲家ソングライター時代に残した自分の旦那さんと書いた名曲。
  これをボビー・ビー(Bobby Vee)というシンガーが歌って、デッカオーディションの前の年、アメリカで1位の大ヒット曲。
  それをビートルズがカバーしました。
  そしてその前は、ジョージ・ハリスンが歌っていました Three Cool Cats。
  これは、ビートルズの「アンソロジー」に入っていますが、やっぱりデッカのオーディションの音であります

22 :
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「なんだよ、この曲。前にハンブルグでたった一回だけ、酔っ払い客相手にやっただけの曲じゃないか。
  こんなの営業用の歌だよ。俺たちのスタイルじゃない。
  ちっきしょう、ムッカつくなあ。
  早く終わんないかな、このクソオーディション!」
  これは当時21歳ジョン・レノンの心の中のつぶやきである。
  時は1962年1月1日、ビートルズはデッカオーディションの真っ最中。
  とにかくジョンは全てが気に入らなかった。
  先ずは選曲。
  それはみんな、新米マネージャー=ブライアン・エプスタインのアイデアだった。
  このオーディションを受けるに当たって、ビートルズとブライアンは幾度となく選曲ミーティングの場を設けた。
  「デッカのオーディションは絶対に失敗できない。
  ビートルズのロックバンドとしてのパフォーマンスは間違いなく素晴らしい。
  いままでのイギリスのどんなアーティストよりも上を行っている。
  これは自惚れではなく絶対的なものである。」
  という確固たる自信があった。
  しかし、問題は彼らが認められている地域がリバプールを中心とするマージーサイドと、すでに2回ばかり赴いているドイツのハンブルグだけ。
  ロンドンではいったい何が好まれるのか?。皆目見当がつかなかった。
  ジョンは発言した。
  「ロンドンだろうが、デッカだろうが、そんなの関係ねえよ。
  俺たちは最高のロックンロールとリズム&ブルースを持っているじゃないか。
  それにオリジナルだってもう何十曲もある。
  何ならそのオーディション、全部オリジナルで行ってもいいんだぜ。
  ロンドンの連中をびっくりさせてやろうじゃないか。」
  しかし、ジョンのこの勝気なアイデアは採用されることはなかった。
  ブライアンのアイデアどおり、曲はほとんどが当たり障りのない十数曲に決定したのである。

23 :
  〜 The Beatles / To Know Her is to Love Her
  ttp://www.youtube.com/watch?v=QSVQDJaktHc
  〜 The Beatles / Like Dreamers Do
  ttp://www.youtube.com/watch?v=d5iWVsVCupw
 
  (小林)2曲続きました。
  つまり、今までかかった6曲は全部デッカのオーディションの録音っていうことで。
  今の(2曲目)Like Dreamers Do、これはオリジナルですね。ポールが歌っていました。
  
  そしてその前の曲は(1曲目)To Know Her is to Love He。
  元歌はフィル・スペクター(Phillip Spector)。もう有名なプロデューサー。
  名前は聞いたことあると思いますが、彼が高校生の時作っていたバンドがこの曲をやって、全米で1位になりました。
  すごい才能だったんですね、フィル・スペクターはね。それをカバーしました。
  ジョン・レノンがボーカルを録っていました。
  デッカオーディションの模様からですね、6曲を聴いたわけです。

24 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくプレゼントしております。
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  (東京都江戸川区/男性)
  ビートルズは今年デビュー50周年ですが、もう一つ今年デビュー50周年のグループ、ビーチボーイズ(The Beach Boys)の新譜からタイトル曲をお願いします。
  (小林)ということで、そうなんです。
  ビーチボーイズはビートルズと良い競争関係にあったわけですが。
  今回は、50周年を記念しての世界ツアー、そしてオリジナルアルバムを出していますね。
  そのタイトル曲であります「神が創りしラジオ」ていう邦題が日本語のタイトルが付いています。
  〜 The Beach Boys / That's Why God Made the Radio
  ttp://www.youtube.com/watch?v=OGke6pnT1d0
  〜 The Lovin' Spoonful / Summer In The City
  ttp://www.youtube.com/watch?v=s1_8909dNJ0
  (小林)The Lovin' Spoonful の Summer In The Cityが流れました。
  (千葉市稲毛区/女性)
  先日、ヴィダル・サスーンのドキュメンタリー映画を観てきました。
  長年シャンプーを愛用していましたが、それが実在するスタイリストの名前だったとは全く知りませんでした。
  彼は「サスーンカット」と言われる斬新なカットと技術で、60年代のファッションシーンを牽引し、世界に革命を起こした美容界のビートルズだったんですねえ。      
                               (小林)僕もこれ、ちょっと観たことがありますねえ。
  リクエストは、Revolution(革命)にしようかと思いましたが、映画で使われていた曲がとてもカッコ良かったので、
  The Lovin' Spoonful の Summer In The Cityをお願いします。
  (小林)
  かけました。

25 :
  (東京都江東区/男性)
  今年はビートルズのデビュー50周年ということで、例年にも増してビートルズの話題が増えることを期待しています。
  ビートルズを聴き始めて35年。私も6月23日で50歳を迎えます。
  中学生だった自分が50歳になるとは、非常に驚きです。
  今後は10年単位で目標を決めていろいろな事を実行したいと思います。  (小林)いいことです。
  リクエストはジョン・レノンが「百年経っても飽きない何かがある」とインタビューで語っているこの曲をお願いします。
   
  〜 The Beatles / I'am The Walrus
  ttp://www.youtube.com/watch?v=pr1GukmGV0U

26 :
  〜 The Crusaders & Randy Crawford / Street Life (Extended album version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NSOQhIl_kXU 
  (小林)
  いかがですか? I'am The Walrus に引き続いて、いつもとは違う世界でしょう。
  これはクルセイダーズ(Crusaders)フィーチャーはランディ・クロフォード(Randy Crawford)という シンガーです。
  Street Life を聴きましたが。 
  
  (茅ヶ崎市/男性)50歳
  湘南からちょっとノイズ入りのBayFMを聴いています。
  ビートルズは一番聴きこんでいたのは たぶん高校時代。
  北海道の田舎の高校生だったので、誰かが大枚をはたいて買ったLPレコードを、お互いに貸し借りして聴き。
  山本泰三さんのライナーの訳詩も穴が開くほど眺め。
  当時文庫で出ていた片岡義男訳の日本語歌詞本も買って読み。
  そんなこんなが、ロクに英語も読めないくせに勢いだけでやってる今の海外関係の仕事にも何か影響しているのかな?
  ちなみに、このメールも出張先のマレーシアのクアラルンプールから書いています。
  そんな高校生活も終わりに近く、ビートルズ一辺倒だった私たちに「もっと別の曲も聴いてみれば?」と問いかけてくれたのが、
  その頃のフュージョンブームだったのかもしれません。
  いなか暮らしの高校生には、おしゃれな曲調。
  曲のタイトルが、まだ見ぬ都会への憧れとともにキラキラ輝いて見えました。
  実際はそんなに素敵な事を歌っているわけではないのに気付いたのは、ずっと後になってのことです。
  そんなわけで、ちょっと長い曲なんですが、出来れば完奏して欲しい。
  私のビートルズから始まった二歩目の曲です。
  (小林)
  ということで、クルセイダーズ。
  もし気に入った方は、クルセイダーズをチェック!。

27 :
□エンディング  
  (小林)
  というわけで、きょうはいかがでしたか?
  ビートルズの話しの方も、デッカオーディションの頃でね、一番ほんとに面白い頃だよね。
  
  それから、リクエスト。
  「ヴィダル・サスーンの話し」といい。
  「ビートルズから始まって、二歩目はフュージョンに入った」といい。
  やっぱり「ビートルズから始まって」なんかいろいろ動いている、ていう。
  やっぱり生きているっていう事を感じさせていただきました。
  そういう風なリクエストもお待ちしております。 
  もちろん初心者のリクエストも大歓迎です。
  よろしく。
  採用の方には(ry

28 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月15日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 7月15日)
 ・1964年(今から48年前の今日)
  ビートルズが世界的になった年。「A HARD DAY'S NIGHT」がイギリスでナンバーワンになりました。
  いきなり、発売と同時にナンバーワンです。
  これはイギリスのチャートは、今でもあるNMEのチャートです。New Musical Expressのチャート。
  で、その時点においてNMEのアルバムチャートで「WITH THE BEATLES」のアルバムは24周目のランクイン。トップ30の中で。
  もうビートルズの天下の時代ですよね。
  この「A HARD DAY'S NIGHT」なんですけど、もちろんアメリカの最初の1位ですが、イントロが衝撃的だ、ていう。
  まあイントロのチラッとした話しになるんですけど。
  一説にはですね、Dm7F ていうコードと D7sus4(onG) という二つのコードを同時にガーンと鳴らしてるって言われています。
  で、ギターが「リッケンバッカー・360/12」という12弦ギターがロックの音を塗り替えました、これが使われていて。
  全米制覇するまでは楽器は自前で月賦でビートルズは買っておりましたが。
  有名になってからはメーカーなんかから提供を受けることがしばしばありまして。
  ジョージのこの12弦は最初のアメリカに渡る際に、ミネアポリスのショップからもらった、プレゼントされました。
  これ以来12弦サウンドはジョージのトレードマークになります。
  最も影響を受けたのはバーズ(Byrds)のロジャー・マギン(Roger McGuinn)「Mr. Tambourine Man」ボブ・ディラン(Bob Dylan)のヒット曲でお馴染み。
  あと、ビーチボーイズ(Beach Boys)のカール・ウィルソン(Carl Wilson)は、
  ジョージ・ハリスンのポスターをビートルズのポスターを自分の部屋に飾ってて兄貴のブライアンから怒られていた、ていう。
  シングルヒットの「Dance, Dance, Dance」なんかにも取り入れていると。
  そのあとクロスビースティルスアンドナッシュ(Crosby, Stills & Nash)とか、トム・ペティ(Tom Petty)、REM、多くのアーティストが真似をしています。
  ジョージ・ハリスンから始まった、この曲から始まった。

29 :
  そして何と言っても、タイトルと歌詞はほんとに面白いですけど。
  リンゴ・スターが、もうビートルズが忙しくなって、「今日は忙しい日の夜だったよねー。」て言う。
  リンゴは時々、ほら、日本語じゃなくて、英語がおかしいわけですよね。
  「ああ、お前、面白いこと言うね。今日は忙しい日の夜だった?。なになに、それタイトルにしちゃおう。」
  ていうことで「A Hard Day's Night」てのが生まれたわけですよね。
  改めて聴いてみましょうか、イントロ、ちょっと注目して下さい。
  〜 The Beatles / A Hard Day's Night 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lutb5xOlqLc
  (小林)いかがですか? ビートルズの A Hard Day's Night。
  イントロすごかったでしょう?。
  で、今の終わりのアウトロって言うんですけども、チャララ、ラララララ♪っていうところは
  また転調しているという、けっこう、いろんなものが入っているんですね、ビートルズの傑作はね。

30 :
□アリステア・テイラーの物語
 ・「ロンドンだろうが、デッカだろうが、そんなの関係ねえよ。
  俺たちは最高のロックンロールとR&Bを持ってるじゃないか。
  それに、オリジナルだってもう何十曲もあるよ。
  なんならそのオーディション、全部オリジナルでもいいんだよ。
  ロンドンの連中をびっくりさせてやろうじゃないか。」
  これは、あの伝説的なデッカオーディションを受けるに際して、ジョン・レノンが語った言葉。
  マネージャーになったばかりのブライアンは、「このオーディションは全体に失敗できない」と考え、
  ロンドンのメジャーカンパニーであるデッカの制作スタッフに何としても気に入ってもらおうと作戦を練っていた。
  オーディションをクリアするため最も大切なのが、選曲。曲選びである。
  すっかり熱くなっているジョンに対し、ブライアンはなだめるように発言した。
  「そうだね、ジョン。君の言っていることは間違いない。
  確かにビートルズの魅力は、ハードなロックンロールとオリジナルの黒人にも負けていないイカしたR&Bにある。
  もちろん、ジョンとポールのコンビが書いたオリジナルナンバーもなかなかのものだ。
  だけどね、ジョン。ここからが肝心だ。
  ロンドンの連中を納得させるには、卓越した演奏力と、音楽性の幅広さを見せることが最優先だと思うんだよ。
  そして、契約さえしてしまえば、そりゃあもう、こっちのものだよ。
  次から次へとオリジナルをプレゼンして、さらにアルバムにはいつもの得意ナンバーであるロックンロールとR&Bのナンバーを収録すればいいだろう。
  そのためにはねえ、何度も言うけど、オーディションを通過するのが先決だ。
  ジョンもみんなも分かってもらえるかな?」
  
  最後まで納得のいかなかったジョンであったが、自分の得意ナンバーも入れてもらうという条件付きでやっと首を縦に振った。
  しかし、営業用の曲に交じって演奏されたロックな2曲は、どこか実力を発揮できないものに終わってしまったのである。

31 :
  〜 The Beatles / Money (That's What I Want) (Decca) 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ncxbe6pqIfw
 
  〜 The Beatles / Memphis (Decca)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=TB8VAtEiehE
 
  (小林)ジョンがやった2曲がつながりましたね。
  Money をやりました。これはモータウンのバレット・ストロング(Barrett Strong)ていう人のヒット曲のカバーです。
  で、Memphis っていうのはチャック・ベリー(Chuck Berry)の有名なヒットで、これもカバーです。
  でも、ちょっと実力が発揮できなかったかなあ?っていう感じ。

32 :
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「契約さえしてしまえば…。
  それにもうこっちのものになるだろう?
  次から次へとオリジナルをプレゼンして。
  さらにアルバムには、いつもの得意ナンバーであるロックンロールとR&Bナンバーを収録すれば良いじゃないか。
  そのためにはね、何度も言うけど、オーディションを通過するのが先決なんだ。
  ジョンもみんなも、分かってもらえるかな?」
  これは1961年の12月、ビートルズのマネージャーとなったブライアン・エプスタインの発言。
  年明け早々、元日にロンドンで行なわれるメジャーレーベル=デッカレコードのオーディションに臨む曲選びのミーティングの席でのことである。  
  
さすがイギリス北部で最大の利益を上げているレコードショップNEMSの経営者だけあって、ブライアンはそのバランスを良く考えて発言していた。
  当時のイギリスの音楽シーンは、ことロックに関しては発展途上であった。
  もちろん、アメリカで産声を上げたロックンロールがものすごい人気であったことは間違いない。  
  エルビス・プレスリー(Elvis Presley)の出すレコードは、軒並みイギリスチャートトップに輝き。
  もちろん、ビートルズが最も参考にしていたバディ・ホリー(Buddy Holly)にも本国アメリカ以上の支持が集まっていた。
  白人シンガーだけではない、ファッツ・ドミノ(Fats Domino)リトル・リチャード(Little Richard)といった黒人ロッカーの人気も凄まじいものがあった。
  しかし、自前のロック、つまり、イギリス人が演奏するオリジナルのロックとなると1962年1月の時点では、クリフ・リチャード(Cliff Richard )とシャドウズ(The Shadows)ぐらいしか存在していなかった。
  もちろんリバプールを中心とする、マージーサイドのライブハウスは盛り上がっていたし、ロンドンでもブルースの大流行。
  若き日のミック・ジャガー(Mick Jagger)やキース・リチャーズ(Keith Richards)エリック・クラプトン(Eric Clapton)などは、まだまだアマチュア修行中でメジャーデビューを夢見る少年であった。
  この“メジャーデビュー”という言葉、それはすなわち“レコードデビュー”を指していたことは言うまでも無い。

33 :
  〜 The Shadows / Shadoogie
  ttp://www.youtube.com/watch?v=cxGMrdo4C5Q
  〜 The Beatles / Everybody's Trying To Be My Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nXTZ9oJB2p4
  (小林)
  そうですねえ、ビートルズのデッカレコードのオーディションの頃は、
  やっぱりイギリスの音楽界というのは「ロックはみんなアメリカのもの」ていう。
  9割以上はアメリカのもの。
  「自分たちのやる音楽ていうのは二流」というふうな意識があって。
  まあ一流ぐらい、と目されていたのは、お送りしたシャドウズぐらい。
  で、シャドウズの(1曲目)Shadoogieていう曲です。
  シャドウとブギを組み合わせた Shadoogieていう、これは1961年の曲。
  そして今聴いたやつが、(2曲目)Everybody's Trying To Be My Baby。
  アメリカのカール・パーキンス(Carl Perkins)のカバーをビートルズが「ビートルズフォーセール」のアルバムでやっていたものです。

34 :
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ビートルズがデッカレコードのオーディションを受けた1962年1月の時点では、
  イギリスのメジャーなロックミュージシャンはクリフ・リチャードとシャドウズくらいしか存在しなかった。
  もちろん、リバプールを中心とするマージーサイドのライブハウスは盛り上がっていたし、ロンドンでもブルースが大流行。
  若き日のミック・ジャガーやキース・リチャーズ、エリック・クラプトンなどは、まだまだアマチュア修行中で、メジャーデビューを夢見る少年であった。
  とにかく誰もがライブハウスのステージに立ちたがり、メジャーなレコード会社からのレコードデビューを目指して日夜励んでいた時代である。
 
  肝心のビートルズのデッカオーディションであるが、
  実力を100%は発揮できないままに終わったとは言え、やるべき事は全てやったという充実感はあった。
  現場を担当したアシスタントディレクターのマイク・スミスは「お疲れ様!。素晴らしい演奏でしたよ!」と褒めてくれた。
  ロンドンのいわゆる業界人というものを知らなかったリバプールからの御一行は、このマイクの社交辞令を言葉通りに受け止め、みんな幸せな気分になった。
  マネージャーのブライアン・エプスタインは「このオーディション、間違いなく合格。」と思って疑わず、
  ビートルズの四人、ジョン・レノン、ポール、ジョージ、そしてドラマーのピート・ベスト、それにローディの二ール・アスピノールを引き連れてのレストランに入り、祝杯を挙げた。
  まったく、気が早くてオメデタイ話しである。
  実はこの日、ビートルズのオーディションを朝一番に入れたのは、全てデッカ側の都合であった。
  ランチタイムを挟んで午後にはもう一つのバンド、地元ロンドン出身のブライアン・プール&トレメローズ(Brian Poole and the Tremeroles )のオーディションが控えていた。
  そんな事とは露知らず、ハイボールで祝杯を挙げる“のん気で幸せなリバプール勢”であった。

35 :
なんかもう、アリステア・テイラーの証言話しではなくなってきている様子w。

36 :
  〜 Brian Poole and the Tremeroles / Twist And Shout
ttp://www.youtube.com/watch?v=iA-LMH5Fm00
  〜 The Beatles / Please Mr. Postman
ttp://www.youtube.com/watch?v=9BPQEmR6iCY
 
  (小林)2曲、初期のお馴染みの曲が続いたんですけど。
  これはビートルズの(2曲目)Please Mr. Postman。マーべレッツの曲のカバー1963年。
  その前の(1曲目)Twist And Shout はなんかビートルズっぽいけど違うなあ っていう。
  そうですよ、ビートルズじゃなくて…。
  ビートルズは午前オーディションを受けましたが、午後はロンドンの、結局こっちが採用になるんですけど、ブライアン・プール&トレメローズの Twist And Shout。
  ビートルズの Twist And Shoutに較べるとちょっとねえ。ジョン・レノンのシャウトが耳に慣れてるから、
  「あ、これ、ちょっと物足りない」と思われた方、正解です。

37 :
□リクエスト
  (小林)リクエストはメール・FAX・ハガキで受け付けています。
  ハガキの場合は 〒261-7127 BayFM「ビートルズから始まる」
  FAXもあります。043-351-8011
  その人の字の癖とかね、そういうの見ながら、その人のことを判断した時代が懐かしいです。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  リクエストする方、ちょっとがんばって、よろしくお願いします。
  (千葉市中央区/男性)40代、厄年
  克也さんこんばんは。最近のエピソードを聴いていると、ビートルズの誕生は危なっかしいですねえ。
  大成功後の姿しか知らない僕にとっては、話しがとても新鮮です。
  さて、MTV世代の僕には、ロックはアメリカ産と思い込んでる時期がありましたが、
  けっきょく好きなアーティストはほとんどがイギリス出身でした。
  エリック・クラプトン、スティング、ポリス、クイーン、そしてビリー・ジョエルも大のビートルズファン。
  ビリー・ジョエルはアメリカ人ですけど。
  みんな「ビートルズから始まる」ということですかねえ。 
  (小林)
  イギリスは、なんて言うんですかね、本家じゃないっていう意識がありますから、イギリスの中で屈折して出て来てるよね。
  そこが日本人なんかにも良く分かる、っていうことじゃないでしょうか。結果ですけど。
  「ビリー・ジョエルがソ連で歌ったという」そう、ビリー・ジョエルは共産圏でコンサートをやった比較的早い人でしたが、
  ポール・マッカートニーのあの曲をやっています。
  〜 Billy Joel / Back In The USSR
  ttp://www.youtube.com/watch?v=42Tah0DCubg
  〜 The Beatles / Help!
  ttp://www.youtube.com/watch?v=HkHvNz9tgzM
  (小林)やあ、ビリー・ジョエルからいきなりHelp!につながりました。

38 :
  (小林)
  ビリー・ジョエルはね、昔はね、僕がニューヨークに行って、ニューヨークのラジオスタジオにいて、
  東京のラジオスタジオに桑田佳祐がいて、で、ビリー・ジョエルが遊びに来る、っていう構図があった時にね。
  ビリー・ジョエルはビートルズの…「俺は、いつもビートルズの5番目のメンバーだと思ってた。」っていう風な事を言って、
  桑田佳祐が「ああ、自分もそう思ってたのに・・」という体験があったんですよ。
  だから、ビリー・ジョエルからビートルズへ上手く繋がりますよね。ビートルズはHelp!。
  (板橋区/男性)
  自分は今年41になるんですが、初めてレンタルレコードで借りたのがビートルズの「HELP!」でした、アルバム。
  あとで判ったんですが、アメリカ盤の派手なサントラでした。
  あの時は中学一年生で、1984年、何度も聴いて、自分がこの世の中でHelp!が一番多く聴いた曲です。
  5000回はHelp!を聴いたと思います。ビートルズの曲は飽きないですね。
  で、リクエストはHelp!
  (小林)ていうことでw

39 :
  (流山市/男性)50代
  今までずっとサイレントリスナーでしたが、初めてメールします。
  いつも一週間分のアイロンをかけながら、犬と散歩しながら拝聴しています。
  さて、8年越しの夢をかなえニューヨークに初出張しました。
  昔、克也さんにも「百万人の英語」を通して教わりましたが、私の努力不足で英会話というより英単語といったレベル。
  英文メールも真っ赤に添削されてしまう毎日です。が、幸い注文も取れ、実績も上がって来ているのが何よりの励みです。
  ニューヨークではセントラルパークに行って、ジョン・レノン・メモリアルで祈りを奉げてきました。
  心残りなのは、ジャズライブに行けなかったこと。 
  また出張機会があれば、ぜひ訪ねたいと、次の夢を追いながら50の手習い、もうすぐ60の英語に取り組んでいます。
                                           (小林)がんばってね。
  リクエストはそのジャズっぽいやつですね。マンハッタントランスファーの Birdland、これをよろしくお願いします。 
  (小林)
  さあそれじゃ、リクエストです。 
  〜 The Manhattan Transfer / Birdland
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6QOQr0gzS48

40 :
  〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band - With A Little Help From My Friends
  ttp://www.youtube.com/watch?v=yOTBL9dThOI (3曲メドレー)
  (小林)はい、ここまでお送りしましたよ。
  (江戸川区/女性)
  主人が高校生の時にビートルズのコピーバンドをしていて、ドラムスでした。
  その主人が毎週、晩御飯も食べずに聴いています。        (小林)うわあ、すごいね。
  主人のために大好きな、サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドをリクエストします。
  (小林)
  この気持ちはわかりますね。
  あのね、ご飯を食べるとね、ご飯を食べる音がするんですよ。
  例えば、ご飯ぐらいだったらね、普通のご飯だったら大したあれじゃないんだけどw
  固いものだとか、バリバリするものだとか、野菜だとかサラダだと、耳に響くんですよ。
  そうすると、それが邪魔になるんですよ。ねえ。わかりますよ。
  だから、そんな晩ご飯お預け状態で聴いているというw、御主人のために Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandから
  つながっているんだから、リンゴ・スターまで行っちゃえってことでw。
  今日は御主人のために、お預け状態の御主人のために特別サービスでWith A Little Help From My Friendsもかけました。ワン!。

41 :
□エンディング  
  (小林) 今日はいかがでしたでしょうか?
  「もうビートルズのこの頃の話しを聴いていると、危なっかしいですねぇ」ていうリクエスト、その通りだと思いますよ。
  結果は我々は知ってるわけですけども。
ほんとに、本人たちはどうなるかわかんないんですよね。
  で、ブライアン・プールとトレメローズの Twist And Shoutを聴いたけど、あれも良く出来ていたじゃないですか。
  だから、あっちが採用になるっていうのも分かりますよね。
  ねえ、運命っていうのは面白いもんです。
  みなさんも、ヒヤヒヤしながら、自分との関わり、音楽との関わり、ビートルズの関わりなんかをリクエストにしてお寄せ下さい。

42 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月22日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 7月22日)
 ・1963年(今から49年前の今日)
  何回も言いますが、1963年はイギリス国内でビートルズが、すごい人気になった年なんですが。
  49年前の今日、ビートルズはジェリー&ペイスメーカーズ(Gerry and the Pacemakers)と新人のトミー・クイックリー(Tommy Quickly)とツアーをスタート。
  ツアーと言っても、そんなにでっかいツアーじゃないらしいんですが。
  ウエストンスーパーメアー(Weston-super-Mare)ていう観光地のオデオンシネマていう所で、コンサートをやっています。
  面白いのはね、この日やるでしょう、それから5日後 同じ所でやるんですよ。
  その間の4日間はビートルズは何もしていない。
  ビートルズは4日間休んでいた、という推測が成り立つんです。
  というのは1963年は、ビートルズはほんとうに死に物狂いで仕事をしています。
  で、改革的な事が起きるのは、いろんなツアーをやってて、
  だいたい大きなツアーになると、中心というかトリというか最後に出て来るのはアメリカのロックスターなんですよ。
  春、この年ビートルズはもちろん前座ですよ。
  クリス・モンテンス(Chris Montez)という人、それとトミー・ロウ(Tommy Roe)ていうアメリカで売れている人たちが最後に出るわけだけども、
  ビートルズが前座だったんだけども、ビートルズの人気がすごいんで、最初はアメリカのアーティストが最後(トリ)なんだけど、
  ビートルズが逆転してトリになる、という。
  今までね、アメリカの連中の前座しかやっていなかったイギリスの連中ね、ビートルズが最初にトリになっちゃったっていう、その年であります。
  その年の今日は、観光地でライブをやっていた。ていう。
  で、一緒にやっていたのがジェリー&ペイスメーカーズ。
  これはまあ因縁がありますね。同じ事務所なんだけど、ライバル同士ですよね。

43 :
  それから、ジョージ・マーチンが「ビートルズは、まずオリジナルはちょっと無理じゃないか?」ということで、プロの作詞作曲家による「How Do You Do It?」
  これをやってくれって言う、ビートルズに頼みますよね。
  で、ジョン・レノンが「冗談じゃない!、自分たちはオリジナルをやるんだ!」って突っぱねますよね。 
  あの曲をジェリー&ペイスメーカーズはやって、イギリスで1位になるわけですよ。
  で、その次のシングルもイギリスで1位になるんですが。
  それじゃ今日はですね、その次のシングル、つまりビートルズのライバルだったジェリー&ペイスメーカーズはどんな音をしていたのか、どんなバンドだったのか。
  これはもう我々の耳の中では、ビートルズが“王様”になっちゃっているから、ジェリー&ペイスメーカーズなんて屁と思って聴いちゃうけど。
  正直な耳で聴くとね、なかなか良いバンドなんですよ。ビートルズと同じぐらい良いバンドです。
  それをちょっと確かめてください、ジェリー&ペイスメーカーズ I like it。
  〜 Gerry and the Pacemakers / I like it 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aoRcpbsD-Vk 
  (小林)Gerry and the Pacemakers の I like it。
  これが2枚目のシングル。これもイギリスでナンバーワンになっている。
  つまり、イギリスの2大バンドっていうか、ビートルズの人気っていうのは、「ビートルマニア」っていうね、
  ビートルズへのヒステリー状態っていう言葉が生まれるぐらいすごいんですけども。
  人気バンドが2本立てぐらいでツアーをやったのが、49年前の今日です。

44 :
□デッカオーディション
 ・「お疲れ様!素晴らしい演奏でしたよ!」という労(ねぎら)いの言葉主は、デッカレコードの制作マン=マイク・スミス。
  まだ20代のアシスタントディレクターが、1962年1月1日元旦のオーディションを担当した。
  まだ充分な経験も無い若いスタッフにオーディションを任せたこと自体、ビートルズは舐められていた、と考えても無理はなかった。
  しかし、ロンドンの業界人というものを知らなかったリバプールからの御一行は、このマイクの社交辞令を言葉通りに受けとめ、みんな幸せな気分になった。
  マネージャーのブライアン・エプスタインは「このオーディション、間違いなく合格!」と思って疑わず、
  ビートルズの4人、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、そしてドラマーのピート・ベスト、
  それにローディの二ール・アスピノールを引き連れてレストランに入り、ワインをボトルで注文し祝杯を挙げた。
  それはあまりに幸せでオメデタイ連中であった。
  正直なところ、ビートルズはこの日の自分たちの演奏に満足はしていなかった。
  マネージャーの意見を尊重して受け入れた曲選びにも、違和感は最後まで残っていた。
  ポールの声は緊張から何度もかすれて音程を外し、ジョージの指は重く、思うようなイカしたギタープレイには程遠いものだったし、
  チャック・ベリーのメンフィスを歌うジョンの存在は、どこか場違いなものに見えた。
  ピート・ベストのドラムスもリズムのノリにバリエーションが無く、ただ辛抱強くそこで叩いているかのような印象を与える結果となったのである。
  一応は大人の社交辞令として、ビートルズを労ったデッカレコードのスミスであったが、
  彼の考えは実のところ、すでにグラつき始めていた。
  というのも、ビートルズと同じ日の午後、やはりこのデッカでオーディションを受けたブライアン・プール&トレメローズ(Brian Poole and the Tremeroles )
  の方が、どこか洗練されていて印象が良かったから、であり、
  スミスの評価はトレメローズに移って行ったからであった。

45 :
  〜 Brian Poole and the Tremeroles / Do You Love Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xH5_Z46h-o4&feature=related
  〜 The Beatles / Till There Was You 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=qk4ohb870yU
 
  (小林)いかがですか? いま聴いたのがビートルズの(2曲目)Till There Was You。
  これはブロードウェイのミュージカルから来た歌で、ペギー・リー(Peggy Lee)という女性のシンガーが歌ってヒットした曲なんですが。
  それをビートルズがカバーした。これがデッカのオーディションでビートルズがやったやつですよ。
  その前が、結果的にはビートルズに勝っちゃうやつなんですけどBrian Poole and the Tremeroles。
  ロンドンのバンドで (1曲目)Do You Love Me。
  どうですか?、どれを、皆さんが審査員ていうか、決定しなきゃだめな立場にいたら…。
  ビートルズにするかトレメローズにするか、ていうところですよねえ。

46 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「ビートルズ…うーん…。リバプールのキャバーンで見た時は、もっとワイルドでブルージーな印象だったんだけどなあ。
  今回のオーディション、なんか肩透かしを喰らった感じだな。
  こっちが期待してたのは、あんなチャラけた曲じゃないんだよなあ。
  ところで、ビートルズの次にオーディションを受けに来たトレメローズ、あれはまあまあ良かったな。
  さすがロンドンのバンド、洗練されていて卒が無い。
  いずれにしても、どちらか一つに絞らないといけない。
  さあ、どうすりゃいいんだろう?。」
  これは、1962年1月1日、ビートルズのオーディションに立ち会ったデッカレコードの制作マン=マイク・スミスのオーディションの後のつぶやき。
  この日のオーディションに関しては上司のディック・ロウから、その全てを一任されていた。
  自分の仕事ぶりを認めてもらい任されることは嬉しいことではあったが、今回の任務は少し荷が重かった。
  上司からの命令はこうである。
  「いいか、マイク。今回契約できるバンドは一つだけだ。
  いくらマネージャーのブライアン・エプスタインがデッカにとって大口のクライアントだからといっても、それとこれとは別だ。
  とにかく、君がプロの耳を持っているかどうか、その真価を問われるのが今回のオーディションだと思ってもらいたい。
  さあ、がんばってくれ。」
  スミスは迷いに迷っていた。確かにトレメローズはロンドンのバンドらしく洗練されていて、演奏も卒が無い。
  地元のバンドであれば連絡も取りやすいし、ビジネスとしては楽である。
  それに対して、ビートルズはリバプールのバンド。
  この頃のイギリスの音楽業界そのものが、リバプールの事をまだ何も理解していなかった。
  実はそこには、ビートルズに並ぶ魅力的なバンドやシンガーがひしめいていたのである。

47 :
  〜 The Swinging Blue Jeans / Hippy Hippy Shake
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1Ke8mzgex4U&feature=related
  〜 The Searchers / When You Walk In The Room
  ttp://www.youtube.com/watch?v=4XWQCLqab4o
  (小林)というわけで、また2曲続きましたけども。
  そうなんだよねえ。
  ビートルズがオーディション受けた時は、正月には、午前中が田舎のリバプール 午後が地元のロンドンのバンドだったわけですよ。
  リバプールのことは、ほんとに良く分かっていなかったんだけど。
  この番組で何回か、リバプールっていう港町はね、けっこうリズム&ブルースはロンドンなんかより早いよ、みたいな話もしましたけども。
  そのリバプールのグループです。
  スウィンギング・ブルー・ジーンズ(The Swinging Blue Jeans)がやっていた。いずれもカバーですよ、今日はね。
  (1曲目)Hippy Hippy Shake、有名なロックンロールのナンバー。
  そしてザ・サーチャーズ(The Searchers)の(2曲目)When You Walk In The Room。
  2曲続きました。

48 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「いいか、マイク。今回契約できるバンドは一つだけだ。
  いくらマネージャーのブライアン・エプスタインがデッカにとって大口のクライアントだからといっても、それとこれとは別だ。
  さあ、がんばってくれ。頼んだぞ!。」
  これは1962年の元旦早々、ビートルズのオーディションを担当したデッカレコードの若き制作マン=マイク・スミスが上司のディック・ロウから言い渡された業務命令である。
 
  この日は午前中にリバプールからやって来たビートルズ、そして午後が地元ロンドンのグループ=ブライアン・プール&トレメローズの2組のオーディションが行なわれた。
  優等生的なバンドであるトレメローズに比べると、ビートルズはプロっぽくは無い。
  だけど、オリジナリティという点では、どんなバンドにも負けていない。
  なのに、このオーディションでは本来の得意のナンバーはほとんど無く、広い音楽ファンに受けそうな曲を集め、それで勝負を賭けてきた。
  確かにビートルズの本来とは違った側面を見ることができて、担当したマイク・スミスも興味を持った事は確かである。
  しかし、数週間前にリバプールで見たビートルズとは少し“キャラ”が違っていた。
  ビートルズの持ち味であるハードなギターサウンドもブルージーな歌い方も、デッカのオーディションではすっかり封印されていたのである。
  スミスはいよいよ迷ってしまった。
  いや、迷ったというよりは、ビートルズが判らなくなった、と言った方が正しいのかもしれない。
  わざわざリバプールまで出張し、あの狭苦しいクラブ「キャバーン」で直接ライブ体験した時のビートルズには、もっとワイルドさがあったはずなのに。
  今回はそれは、ほとんど見受けられない。
  正直、演奏だけであれば、軍配はトレメローズに上げたくなる。
  こうして、ますます「新人バンド選びのスパイラル」に巻き込まれていくマイク・スミスであった。

49 :
いつもありがとう

50 :
  〜 The Beatles / Money(That's What I Want)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Ilnz6hyk3oU
  〜 The Beatles / In My Life
  ttp://www.youtube.com/watch?v=iE3LBM-Yw3o
 
  (小林)まあ「話し」としては、ビートルズがレコードを出す前の話しなんですがけども。
  レコードを出すようになってから。直後に出した、ビートルズの(1曲目)Money。
  これはモータウンのヒット曲のカバーですけれども。
  逞しくなってますよねえ、というか、もうすでに逞しかったんだと思いますけど。
  それから、この頃になるとソングライティングも深みが加わって来ます。
  1965年ジョンの傑作です、(2曲目)In My Life / The Beatles。
  

51 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  (草加市/女性)
  10代の頃から小林克也さんに影響されて洋楽好きになった30代の主婦です。 
                 (小林)責任重大ですw。どうですか?洋楽好きになって。人生は良い方に向かっていますか?w
  高校時代隣の席だった女の子がポールのファンで当時は私はマイケル・ジャクソンのファンだったので
  休み時間によく Say Say Sayや The Girl Is Mineをデュエットして歌っていました。  
                     (小林)やあ、レベル高いですねぇ。
  調べてみると他にもデュエット曲には The Manという曲があるみたいですね。この曲をリクエストします。
  (小林)あなたのリクエスト。 
  〜 Michael Jackson & Paul Mccartney / The Man
  http://www.youtube.com/watch?v=rXgim4YXLXk
  
  〜 Michael Jackson & Paul Mccartney / Say Say Say
  http://www.youtube.com/watch?v=b9jGSdGVNFI
  (小林)
  というわけでポール・マッカートニーとマイケル・ジャクソンのデュエットが2曲続きましたね。
  これは(2曲目)Say Say Say 80年代の大ヒットですが。
  (川崎市中原区/男性)
  先月はポールの誕生日とマイケル・ジャクソンの命日があったので二人が共演した Say Say Say をリクエストします。

52 :
  (小林)
  ポールとマイケルのデュエットは、もちろんマイケル・ジャクソンの方から仕掛けたわけですよね。
  住所とかいろいろ聞いてポールにいきなり電話をして「なんかやろうよ」っていう。
  で、この二人は仲良くなるんですけど、ただポール・マッカートニーによると、一つ後悔していることがあると。
  それはですね、マイケル・ジャクソンがメチャクチャお金がガンガン入って来て。 
  冗談半分に「おまえ、ビートルズの歌の権利を買えば?」ていうようなことを言って
  マイケルはサッと買っちゃったんですよね。
  だから、マイケル・ジャクソンがビートルズのほとんどの曲の権利を買ってる、ていうことはお馴染みだと思いますが。
  ポールが「買ったら?」って。「しまった!俺が買うんだった!」「ほんとだったら、買っとかなきゃだめなのに・・・」
  ていうような事をインタビューで言っております。

53 :
  (宇都宮市/男性)
  ビートルズチルドレンとも言える日本のバンド「チューリップ」が結成40周年を記念してツアーをすることになりました。
  少年の頃に好きだったバンドをまた見られるということで、娯楽に飢えている昨今、生活に張りが出てきました。
  この年になって聴くとなおさら深みを感じるフェイバリットソングの一つ The Love Map Shopをよろしくお願いします。
  
  〜 チューリップ / The Love Map Shop
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6trmvy0gD6k
  〜 The Beatles / I'll Follow the Sun
  ttp://www.youtube.com/watch?v=9N2FqdRl8ts
  (船橋市/男性)
  先日の放送で「フォーセール」のアルバムの何曲かかかって嬉しくて、そして懐かしく感じました。
  「フォーセール」は僕が初めて買ったビートルズのアルバムです。
  当時はジャケットが気に入り買った記憶があります。
           (小林)みんなどうだったろうwアルバムは買うのはジャケットが気に入って買ったよね。そうだよねw。
  他のアルバムに較べると埋もれた感は否めませんが、でも良い曲入っていると思います。

54 :

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?
  いろんなリクエストがあっていいですから。
  型にはまる必要はまったく無いですから。よろしく。
  (メール、FAX、ハガキも可です。)
  リクエストは、定番ていうような書き方があるとすれば、そういうのは破って下さい。
  それがビートルズの精神です。
  
  というわけで、ビートルズがオーディション受かるかどうかっていうことで。
  結局は、なんといのうか、妥協したわけですよね、ビートルズがね。
  ほんとうは、自分たちの好きなやつをやらせればよかったんだけど、「大人のやり方」でやって。
  結果ですけど、デッカはダメになるんですけど。
  だから、やっぱりジョン・レノンなんてのは一番ロック魂にあふれた人でしょう。
  そういう風なものがぜんぜん無かったんですよ。
  結果落ちるわけですが、この頃の話しは面白いです。
  また来週もお楽しみに。
  

55 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月29日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 7月29日)
 ・1968年(今から44年前の今日)
  ビートルズが「アップル」ていう会社を作ったのはご存知だと思います。
  これはですね、音楽ばっかりじゃなくて映画だとか、それからファッションで自分たちがいろいろチャレンジしていこう。
  それも、商売にしていこう、という会社なわけですね。
  で、その一環として「アップルストア」て言うと、今「えっ。その店なの?」って間違われるといけませんけどもね。
  実は正確に言うと「ブティックアップル」ていうのをロンドンに立ち上げるわけですよ。
  ところがビートルズはデザイナーじゃないし、野心は面白かったんだけどね、それを実際に服を集めたりする人間がダメだったわけで。
  もうアップルは結局「ダメな店」になって行くわけですよ。すぐ。
  ヒッピー連中に食い物にされるっていう。
  で、これがですね、今から44年前の今日、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが来て。
  「もうアップルを閉める」っていうんで、アップルストアの目ぼしい物を、ジョンとヨーコが持ってった、ていう。
  それが今日なんですよね。
  ちょっとこれ関係あるかもわかりませんが、
  ジョン・レノンを崇拝するリアム・ギャラガー(Liam Gallagher)っているじゃないですか。
  あれが、やっぱりファッションブランドをスタートさせて、青山の、東京のね、青山に自分のレーベル名の「プリティグーリン」てのをオープンして
  こないだ本人が来てパーティやったんですよね。そういう野心があったんですよね。
  そういったのは最近では、ヒップホップの連中なんかにも受け継がれているみたいですが。

56 :
  さて、今から44年前の今日は、スタジオでジョンとポールが、ポールが書いたあの名曲。
  実は、ジョンがオノ・ヨーコと一緒になっちゃって、ジョンの最初の子供がね「寂しい」って言うわけで、ポールがジュリアンを励ますために作った曲ですよね。
  ヘイ・ジュード(Hey Jude)。
  これを二人が手直しをしています。
  そこで、そのバージョンをちょっと聴いて頂きたいと思うんですが。
  これ何回も録ってるみたいなんですよね。
  で、今日聴くバージョンはですねえ、特に冒頭のジョンとポールのやり取りが面白い。
  ジョンとポールは打ち合わせでやるんじゃないんですよ。
  ジョンが何か言い出すとね、ポールがそれに付け加えて、面白くしてその曲に持って行くっていう。
  曲、何回も録ると、けっきょく面白くないじゃないですか。
  だからいかに彼らは何回テイクしても楽しむために、いろいろ工夫をしていたっていうのがわかります。
  ジョン・レノンが話し始めるんですよ、
  そうするとポールが「うん、そう、それはボストンでの物語。じつはその恋の物語は…」なんて事を言いながら、
  ちょうどいい所でヘイジュードに持って行くんですね。
  その模様を聴いていただきましょう。
  
  〜 The Beatles / Hey Jude (Short Version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=mhmXfyX-3-k 
  (小林)というわけで、今から44年前のきょう、スタジオで、やり直したっていう。ジョンとポールが作って。
  これはシンプルな編成ですけども、これは今日録ったやつは実は採用されないで、後で録り直したやつが採用されるという。
  でも、でもw、一つ一つ味があって面白いねえ、ビートルズはねえ・・・。

57 :
□デッカオーディション
 ・「年末に、わざわざリバプールまで出張してあの狭苦しいクラブ・キャバーンで直接ライブ体験した時のビートルズには、もっとワイルドさがあった。
  今回のオーディションではそれが感じられないし、歌も演奏もいま一つ。あの曲選びのせいだろうか?
  うーん…彼らはもっと魅力的だったはずなんだけどなあ。」
  これは1962年1月1日、元旦のオーディションを担当した、デッカレコードの制作マン=マイク・スミスのつぶやき。
  まだ20代のアシスタントディレクターがオーディションを仕切り、契約するバンドの決定まで任されていたのである。
  同じ元日の午後には、デッカのオーディションを受けたのは、地元ロンドンで結成され活躍するブライアン・プール&トレメローズ
  彼らの演奏はとにかく卒が無い。
  つまり、トレメローズを不合格にしてビートルズと契約するための理由が見当たらないのである。
  マイクは自問自答した。
  「弱ったなあ、確かにビートルズはこのオーディションでは力を出し切っていないし。俺もどこか釈然としないことがある。
  でも、トレメローズよりすごいか、って言われると、それも決定的な結論は出ないなあ。
  よし、ビートルズのマネージャー=エプスタインさんには申し訳ないけど、今回はトレメローズと契約しよう。
  何てったってロンドンのバンドなら、連絡は取りやすいし、ビジネスプランも立てやすいしな。
  それにしても、あのリバプールのロックバンドムーブメント、すごいことだけは確かだ。
  キャバーンに出てるバンドもみんなパワーがあってセンスもいい。
  この先、どんなバンドがリバプールから出て来るのか、それだけは楽しみだなあ。」
  このように、スミスがリバプールの音楽シーンに興味を持ったのも無理はない。
  なんせ当時、リバプールだけでもバンドの数は500以上。
  このあといくつものバンドがリバプールからロンドンにやって来て、イギリスのロックシーンの中心となるのも、もはや時間の問題であった。

58 :
  〜 The Big Three / Some Other Guy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=5mbj6do2t6E
  
  〜 Gerry & The Pacemakers / Ferry Cross The Mersey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VEzMDPAV8MQ
 
  (小林)リバプールの音が、2曲続きました。
  ビックスリー(The Big Three)という、ビートルズのちょっと先輩のバンド、リバプールで人気があったそうです。
  (1曲目)Some Other Guy。
  そしていま聴いたのが、このところビートルズと一緒にコンサートをやった話しなんかお伝えしてますが、
  同じ事務所のジェリー&ペイスメイカーズ(Gerry & The Pacemakers)、この曲はジェリー・マースデン(Gerry Marsden)が書いた。
  これはなかなかいい曲でありまして、(2曲目)Ferry Cross The Mersey という有名な曲ですよね。
  イギリスで8位まで、アメリカで6位まで上がるヒットになります。Ferry Cross The Mersey ていう曲をお送りしました。

59 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「ロンドンのデッカレコードからまだ連絡はないのか?。
  元日にオーディションを受けてから、もう2ヵ月経つんだぞ!。
  一体全体どうなってるんだ?、あのデッカって会社は!」
  怒りまくっている声の主はブライアン・エプスタイン。
  この時1962年3月から2年足らずで、ビートルズを世界一のロックバンドに仕立て上げた伝説のマネージャーである。
  しかし、この時点ではまだビートルズのマネジメント事務所としては、ほとんど利益を出してはいなかった。
  収入源のほとんどは、父親から任されているレコードショップNEMSの売り上げ。
  1962年の元旦のデッカのオーディションを受けたあとも、ブライアンはしょっちゅうロンドンに出かけ、音楽業界の関係者を追いかけ回していたので、
  NEMSの創業者である父親の怒りも、そろそろ頂点に達する寸前であった。
  ブライアンは出来るだけ父親と顔を合わせないようにと、オフィスを構えるホワイトチャペルの店ではなく他のショップに出かけては何とか時間を稼いでいた。
  それにしても、「ロックバンドをロンドンのメジャーカンパニーと契約させてレコードデビューさせるのに、こんなに時間がかかるものか?。」
  ブライアンはそろそろキレる時期に差しかかっていた。
  
  そんな中、3月に入ってブライアンが最初に交渉したデッカの営業部長ピーチャー・スティーブンスから電話があった。
  その話の内容は
  「アーティストと契約し実際にレコードを制作する部署のプロデューサー=ディック・ロウから話しがあるので、ロンドンまでお越し頂けないでしょうか?」
  というもの。
  当然ブライアンは「ようし!ついに来たか!」と、一度は期待に胸を膨らませてはみたものの、それと同時に悲観的にもなった。
  なにしろ返事が遅すぎるのだ。
  しかし、どんな時でも「ビートルズは世界一になる」と信じて疑わないブライアンも、またそこにいた。
  この前向きな姿勢こそ、カリスママネージャーたる所以(ゆえん)だったのである。

60 :
  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6ibeqQA2_Yw
  〜 The Beatles / Baby You Can Drive My Car
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nVGcndog-yY
  (小林)2曲続きました。
  初期の、というか、これはEPレコードですよね。
  1964年6月に出たそうですが。
  ジョージ・マーチン・プロデューサーの元「じゃあ、このカバーを」ってやったら、テイクワンでOK!だったそうです。
  Long Tall Sally。
  ポール・マッカートニー得意中の得意の曲です。
  そして Drive My Car 「ラバーソウル(Rubber Soul)」に入っています。
  ポール・マッカートニーのリクエストで、
  ジョージは、スティーブ・クロッパー(Steve Cropper)つまり60年代のソウルミュージックで有名なギタリストですが、
  「そのように弾いてくれる?」ていうリクエストがあったそうです。
  Drive My Car。

61 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「あ、エプスタインさんですか? お正月はわざわざオーディションのためにロンドンまで御出で頂きありがとうございました。
  また、今日までお時間をいただいて、本当にお待たせいたしました。
  実はですね、そのビートルズに関して、以前エプスタインさんもお会いになっているかと思いますが。
  制作部のプロデューサー=ディック・ロウが、直接お会いしてお話しをしたいと申しております。
  それで、どうでしょう、ご足労をおかけしますが、近いうちにロンドンまでお越し頂けないでしょうか?。」
  この電話の主は、ビートルズの伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインが最初にコンタクトをとったデッカの営業部長ピーチャー・スティーブンス。
  ビートルズを最初に制作部に紹介してくれた人物である。
  当然ブライアンは「よし!ついに来たか!」と一度は胸に期待を膨らませてはみたものの、それと同時に悲観的にもなった。
  返事がおそ過ぎるのだ。
  どんなに車内で検討するのに時間がかかったといっても、2ヵ月は長過ぎる。
  「俺は、舐められているのか?」ブライアンはそう呟いてみた。
  もしそうだとしても、相手に背中を見せるわけには行かない。
  そして翌週、ブライアンはロンドンにいた。精神状態は不安定なままである。
  再びデッカレコードの門を叩き、通された部屋が、ビルの7階にある「アルバートエンバンクメント・エグゼクティブクラブ」という豪華な応接室。
  「このやろう、ハッタリで来るつもりか。上等だよ、望む所だ。」
ブライアンはそう呟き、臨戦態勢に入った。
  しかし、デッカの人間はみんな物腰が柔らかく、かなり豪華な昼食も用意されていた。
  たっぷりと時間をかけてランチを楽しんだ後、コーヒーを飲み終えたプロデューサーのディック・ロウが口を開いた。
  「それでですね、エプスタインさん。ビートルズの件なんですが・・・」
  部屋の温度が一気に5度下がったように感じたブライアンであった。

62 :
誤字誤文スマソ
×胸に期待を膨らませ
○期待に胸を膨らませ
×車内で検討
○社内で検討

63 :
  〜 The Beatles / For You Blue
  ttp://www.youtube.com/watch?v=e_UvXbKyPnk
  〜 The Beatles / If I Needed Someone
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Me4yCKIUt5o
 
  (小林)2曲続きました。渋い曲が続きましたね。
  If I Needed Someone、ジョージ・ハリスンの名曲というか。
  これ聴いて、音楽古いのを聴いてる方はね、
  バッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)とかクロスビースティルスナッシュ(Crosby, Stills, Nash & Young)とか思い出されたと思います。
  それをやってたんですよね、もうね、「ラバーソウル(Rubber Soul)」に入ってますからね。
  楽器によって、歌の明るさだとか表情がだいぶ変わりますけど、ジョージ・ハリスンはリッケンバッカー360/12っていうのを弾いていました。
  その前の曲は For You Blue。
  これは「レットイットビー(LET IT BE)」に入っている曲なんですけど。
  ジョン・レノンはフェンダーラップスティールっていう、膝に置いて弾くスティールギターですよね。
  ジョン・レノンがやっています。
  これもちょっとアメリカのカントリーブルースっぽい感じでしたね。
   For You Blue。

64 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送らせて頂きます。
  不採用の方、申し訳ないですけど…これに懲りずに…。
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  (三鷹市/男性)
  僕がビートルズに興味を持ったのは中一のころ、よく学校の英語の先生がビートルズの曲を流してくれたのでいつのまにか心惹かれてました。
  ちなみに先生が流してくれたのは「Yellow Submarine」「Let It Be」「Obladi Oblada」の3曲です。   (小林)先生が好きだったんだ。
  今僕の中で一番好きなビートルズのアルバムは「ホワイトアルバム(THE BEATLES)」。
  メンバーそれぞれの個性的な歌がとても大好きです。
  ここで僕はこの「ホワイトアルバム」の中から「Happiness Is A Warm Gun」をリクエストします。
  初めは静かに始まりますが、最後のあたりで激しくなるところが、とても大好きです。
  (小林)
  この曲はまいっちゃうよね。ジョン・レノンの作品ですけど。
  タイトルが「幸せは暖かい鉄砲」ていうか暖かいライフル。
  「おお、何の事を歌ってるんだ?」と、頭の中バーッっと脹らむけど、
  その脹らみ以上のことを体験させてくれる歌です。
  〜 The Beatles / Happiness Is A Warm Gun
  ttp://www.youtube.com/watch?v=GiYxCWPKqq8

65 :
  〜 パフィー / これが私の生きる道
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XRVShbxb87Q
  (小林)いやあw、ジョン・レノンの Happiness Is A Warm Gunからパフィーへ来たら、けっこう繋がりましたね。
  イイ感じになってきましたねえ。
  (千葉市美浜区/女性)
  ビートルズ結成50年ということで、いろいろ盛り上がっていますね。
  この番組も何かしら企画があるのでしょうか?
  でも、いつものように変わらないのが克也さんらしくて、いいかも。
  リクエストさせていただきます、パフィーの「これが私の生きる道」
  これは初めて聴いた時「あれ?どこかで聴いた事のあるメロディが出るなあ」と思っていたら、
  ビートルズのメロディが何曲も入っているので、パフィーもカッコいいと思いました。
  もし、ほかにもあったら教えてください。
  (小林)
  まあこれは、ビートルズ好きの井上陽水・奥田民生がw、もう本当に遊んだ、思う存分遊んだ。
  ビートルズをリスペクトするっていうかね、
  ビートルズにいかにやられているか、っていうことを見せつけた。
  そしてまたパフィーが、すごいイイ仕事しているわけですよね。パフィーの味がまたすごい。
  ほらだから、アニメの作品がアメリカで受けたっていうのも、ちょっと頷(うなず)けますよね。
  はい、14年前ですよ、これが。

66 :
  (四街道市/女性)
  先日NHKで海外ドラマ「グリー(GLEE)」が放送されていました。
  合唱部がダンスをしながら、ビートルズの「Don't say goodbye,I say hello」と歌っていました。
  オリジナルも良いんですけが、グリーも素敵で一緒に口ずさんでしまいました。リクエストします。
  (小林)
  あなたのリクエスト。
  〜 Glee Cast / Hello Goodbye
  ttp://www.youtube.com/watch?v=P26-9ee5gGg
  〜 The Beatles / All You Need Is Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=psuXzEIM05s
  (小林)
  All You Need Is Loveがかかっています。
  (神栖市/女性)
  いつも仕事中でメール出来ないんですが、
  今回旅行でニューヨークのセントラルパークにあるジョンのモニュメントに行って来たので、初メールさせて頂きます。
  私はビートルズには詳しくないんですが、ラジオを楽しみにしています。
  セントラルパークの中でも片隅にあり、判り辛い場所なんですが、たくさんの人が献花やロウソクを焚いていました。
  近くではビートルズの曲を奏でるバンドマンたちがいて、改めて広い世代と多くの人に愛されていたんだなと、実感しました。
  (小林)
  ニューヨークで、あの場所からですね、すぐ、路が近いじゃないですか、路に出るとその向かい辺りが“ダコタアパートメント”ですよ。
  今でもオノ・ヨーコさんたちが住んでいる、という。
  それも、見ました?見ましたかw?

67 :
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」きょうはいかがでしたでしょうか?
  ビートルズがデッカレコードという所でオーディションを受けて、2ヵ月も待たされてw。
  で、ロンドンに呼び出されるわけですよね。
  来週いよいよ、その答えがわかります。
  これはもう、名作を見るみたい。
  ストーリーは判ってるんだけども楽しみだ、っていうw。
  そんな感じじゃないかと、思います。
  でもねえ、やっぱりあのデッカの7階行くと、すっごい豪華なんだってね。
  そこで、偉い人がみんな集まって、むっつり昼ご飯を食べて、その後で言い渡されるんですよ。w
  ハイ、お楽しみに。
  
  リクエスト、今週は女性が多かったですね。
  女性の方の、それも20代30代の方なのかな、多かったですけど。
  全世代ウェルカムです。
  ひとつよろしく。
  採用の方には・・・(ry

68 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年8月5日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(8月5日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  あら?ちょっと俺の声おかしいな。そうなんです。風邪をひいています。ちょっと響きがちがう。
  イギリスで「リボルバー(Revolver)」のアルバムが、当時はLPとも言いました、「リボルバー」のLPが発売になります。
  そして同じ日、シングルで両A面で「エリナリグビー(Eleanor Rigby)」と「イエローサブマリン(Yellow submarine)」
  この組み合わせがまたすごいよねえw。
  エリナリグビー、今バックに流れてるのエリナリグビーですよ。
  ttp://www.youtube.com/watch?v=EwNr5fnq-d (Eleanor Rigby - String Alchemy)
  悲しい曲wなんですよ。
  悲しい曲と、ほんと能天気な曲がw、組み合わせ。
  両A面だってw、ファンも迷っちゃうよね。
  でこのアルバム「リボルバー」っていうのはですね、ちょっとビートルズの歴史を変える様なところがあります。
  実は1966年、今から46年前、ビートルズが日本に来てますよね。
  その時点では、もう「リボルバー」は録音してたんだけども、日本だとかいろんな国でコンサート奏るじゃない。
  ぜんぜんリボルバーの曲を奏らなかった。
  どうして奏らなかったのか、て言うと「生では再現できなかったんだ。」ていうようなことが言われています。
  例えばですね、最初に取りかかった「Tomorrow Never Knows」という曲、
  これはインド風のサイケデリックが聴こえたりするぶっ飛んだ曲ですけれども。
  この曲はジョン・レノンの曲ですが。
  ジョン・レノンが「ダライラマがヒマラヤの山の頂上から説教しているようなサウンドが欲しい」という注文をつけて、
  アシスタントから大抜擢されたジェフ・エメリック(Geoff Emerick)、これはエンジニアですが。
  彼がビートルズのメンバーの注文を聴くのに大活躍します。
  ジョンのボーカルをですね、
  回転式のスピーカーに通したりとか、テープの逆回転をやったりとか、ループていう同じ所をくり返すような、テープを切り刻んだり
  いろんな事をやっています。

69 :
  では、今から46年前の今日、イギリスで発売になった「リボルバー」の第1曲目、これはジョージ・ハリスンの作品です。
  ビートルズの歌は、ほとんどがラブソングがずっと多かったんですけど、これはラブソングじゃないんですよ。
  税務署員の、税務署がね、「なんと、95%も税を取って行くんだよ」というような事をいきなり歌いはじめる。
  これは、ファンはビックリしちゃいます、これ聴くと。
  で、これはねえ、まあいろいろ(音を)重ねて作ったと思われます。
  ジョージ・ハリスンの声でカウントがある中で、ポール・マッカートニーもカウントを出している。
  あのこれね、頭から注意して聴いて下さいw。面白いですからw、ビートルズのお馴染みの Taxman.

  〜 The Beatles / Taxman
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ZrNKxmmb_9A  
  (小林)
  いかがですか。これが46年前の今日発売になった「リボルバー」の1曲目 Taxman。
  税務署がw…、いきなりお前すごいなあwっていう感じですよねえw。
  これ20分の一しか残らないわけですよ、ビートルズ。
  一億稼ぐと、500万しか残らないわけですよ。
  あと9500万、税務署が持って行くっていう。
  こりゃあもう歌にしなきゃって、ジョージがw怒ってやったんでしょうね。
  で、ジョージの作品だけど、ポールのギターが大活躍ですよ。ポールですよ、ギターがね。

70 :
□デッカオーディション
 ・1962年3月、イギリスはリバプール、きちんとした身なりの男の心中は穏やかではなかった。
  男の名はブライアン・エプスタイン。
  彼はイングランド北部はもとより、今やロンドンの業界でも有名なレコードショップNEMS(North End Music Stores)の支配人であり、
  さらにはこの時点ではまだ無名のロックバンド「ビートルズ」のマネージャーでもあった。
  もちろん、この2年後ブライアンはビートルズを全世界で大ブレイクさせ「音楽の歴史上最も成功したロックバンドのマネージャー」の称号を頂くことになる。
  そのブライアンの心中がなぜ穏やかではなかったのか?  
  それは、2ヵ月前の1962年の元旦、ビートルズがロンドンの大手レコード会社デッカの新人オーディションを受けたことに原因があった。
  そのオーディションは、ビートルズの得意とするワイルドなロックンロールやリズム&ブルースのレパートリーは極力外し、
  ポップ路線で行ったおかげで、オーディション担当者の受けは良かった。
  と、ブライアンはそう信じていた。
  「音楽のビジネスに関して、俺は失敗をしたことが無い。ビートルズだって絶対上手くいくに決まってる。」
  そう信じて疑わなかったブライアンではあったが、今回は少し事情が違っていた。
  なんせデッカからの連絡が無いのである。
  そして2カ月が過ぎたある日、そのデッカから電話が入った。
  翌週、再びデッカレコードの門を叩き、通された部屋がビルの7階にある「アルバートエンバンクメント・エグゼクティブクラブ」という豪華な応接室。
  「このやろう、ハッタリで来るつもりか?。上等だ、望むところだ!」
  ブライアンはそう呟き、臨戦体制に入った。
  しかし、デッカの人間はみんな物腰は柔らかく、かなり豪華な昼食も用意されていた。
  たっぷりと時間をかけてランチを楽しんだ後、コーヒーを飲み終えたプロデューサーのディック・ロウが口を開いた。
  「それでですね、エプスタインさん。ビートルズの件なんですが・・・・」
  ブライアンは神妙な面持ちで、その言葉に耳を傾けたのである。

71 :
熱さで録音データのあるメインPCが
物故割れましたので
しばらくお休みします。

72 :
夏は自分よりもボロPC優先に扇風機当ててやらないと壊れるよな。

73 :
きょうは聞けなかったけど、どこまで話し行ったの?
先週は、不合格と告げられるところだったけど

74 :
  〜 The Beatles / Think For Yourself
  ttp://www.youtube.com/watch?v=asjgoEUtcR4
  〜 The Beatles / Fixing a Hole
  http://www.youtube.com/watch?v=xJZehOcygi0  

  (小林)2曲続きました。
  Fixing a Hole(2曲目)これは「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」に入っている曲。
  奇妙な曲ですよねえw。1967年。
  
  そしてその前は、これはジョージ・ハリスンの作品、(1曲目)Think For You Self。
  ポールはファズをかけたベースを弾いておりました。

75 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「このやろう、ハッタリで来るつもりか?。上等だ。望むところだ。」
  これは1962年の3月、ロンドンのデッカレコードの本社ビルに呼び出された時の、ブライアン・エプスタインの心の中の呟き。
  もちろん、この時ブライアンは事実上のビートルズのマネージャーであり、2ヶ月以上前に受けたオーディションの結果通知を、
  「まだか、まだか」と待たされていたのである。
  デッカレコードに到着し、ブライアンが通されたのは「アルバートエンバンクメント・エグゼクティブクラブ」という豪華な応接室。
  リバプールでビジネスに成功した裕福なユダヤ人家庭に生まれ、何不自由なく育ったブライアンではあったが、さすがにこの部屋にはビックリした。
  自分の父親の自己資本だけで一代で叩き上げたNEMSに較べると、まるで規模が違った。
  やはりここでも、貴族を中心とした資本者階級と労働者階級のはっきりとした棲み分けがある。
  イギリスの階級制度、もっと簡単に言うと「身分制度」を目の当たりにした。

76 :
  豪華なランチが済むと、ビートルズのオーディションには立ち会わなかったものの、決定権のある責任者=ディック・ロウが無表情で話し始めた。
  豪華な応接室に緊張が走る。
  「率直に申し上げますが、エプスタインさん。私どもはあなたのバンド“ビートルズ”の音楽に興味を持ちませんでした。
  バンドの時代はもう終わりです。特にギターリストが二人いる四人組みはもう流行りません。
  バディ・ホリーだってもう亡くなっているんです。」
  ブライアンは煮えたぎる怒りを顔に出さないようにして、こう答えた。
  「あなたのお考えは、理解できません。ビートルズがテレビに出演すれば、一躍注目されるのは明らかです。
  シャドウズの人気は簡単に超えるでしょう。
  私には、いつか彼らがエルビスより大物になるという絶対的な自信があるんです。」
  
  ブライアンの執拗な食い下がりに、デッカの面々は顔にこそ出さなかったものの辟易としていた。
  オーディションを受けに来る若いミュージシャンなんて掃いて捨てるほどいる。
  こういう類の人間はアーティストを商売道具、つまり金としか考えていないのが見え見えであった。

77 :
  〜 The Beatles / You Never Give Me Your Money
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LbOBHk3Wogg
  〜 The Beatles / Something (Anthology 3)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=gp935slKcVE
  (小林)いやあ、これはジョージ・ハリスンのみんなよく知っている最高傑作のひとつ(2曲目) Something。
  でもこれは「アンソロジー3」に入っている。
  で、録音ていうのは1969年の2月25日、ジョージ・ハリスンの誕生日に録音されたっていう。
  これは別の曲に聴こえるぐらい。
  面白いですねえ、これねえ。
  もう一回聴きたいでしょうw。
  その前が有名な曲(1曲目) Give Me Your Money。ポール・マッカートニーの曲で。
  これは、またw、今日はビートルズの金の歌がw2曲続けられたからw、あの Taxmanねw。
  それからこれもw、お金の歌があるんだね。まだ他にも お金の歌あるからねえw。

78 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「あなたのお考えは理解できません。
  ビートルズがテレビに出演すれば、一躍注目されるのは明らかです。 
  シャドウズの人気は簡単に超えるでしょう。
  私には、いつか彼らがエルビスより大物になる、という絶対的な自信があるんです。」
  これは、ビートルズの伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタインが、オーディションを受けたデッカレコードに呼び出され
  不合格を言い渡された後の発言。
  男一代ブライアンの啖呵であった。
  
  しかし、ブライアンはこの日は何とか平静を装ってデッカを後にしたものの、後日この不合格の決定を覆そうと、何度もデッカを訪れている。
  出来る限りの努力をしようと、一人でロンドンに出向いては、
  決定の判断を下したプロデューサー=ディック・ロウにアポイントメントを取っては執拗に食い下がった。
  ロウがだめなら、ブライアンが最初に話を持ちかけた営業セクションのピーチャー・スティーブンスを説き伏せようとした。
  さらには、小売部門にまで足を運び、自分が大手レコードショップの経営陣であることを武器に話を進めようともした。
  当事者であるデッカのプロデューサー=ディック・ロウは、こう語ってくれた。
  「あとで聞いた話なんですが、
  ブライアンは『もしビートルズと契約してくれるのであれば、シングルが発売されるごとに3千枚のレコードを仕入れる』
  という条件を出したそうなんです。
  どうやらこの交渉条件は、うちのデッカの営業セクションで留まっていたらしく、私の部署までは聞こえてきませんでした。
  もし彼が直接私のところに交渉に来てくれていたら、ストーリーは変わっていたと思うんです。
  なんせ、当時のイギリスの音楽業界の状況を考えたら、3千枚の売り上げなんてすでに『ヒット曲』ということになりますからねえ。
  運命というものは、面白いものであると同時に、実に残酷なものなんですねえ。」

79 :
  〜 The Beatles / Besame Mucho(Decca Demo)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xaLlA7GeQZ4

  〜 The Beatles / Medley: Rip it up/Shake, Rattle and Roll/Blue Suede Shoes(Anthology 3)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=l8PeVr_GmoA
 
  (小林)古いやつのカバーが続きましたね。
  最初はデッカオーディションで奏ったやつですよ。
  きっとハンブルグ時代に覚えたんじゃないかと思いますが、Besame Mucho。
  すっごい速いテンポですよねえ。
  
  で、(2曲目)これは1969年、アップルスタジオで録音をしたやつです。
  Shake, Rattle and Rollはポールが歌って、
  Blue Suede Shoes のジョン・レノンのちょっと気が抜けたアレがちょっとパンクっぽくて良いんですよね、ボーカルがね。
  ピアノがビリー・プレストンが奏っておりました。
  「アンソロジー3」に入っております。

80 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールでやる方は beatles@bayfm.co.jp
  ハガキなんかでもいいですよ、〒216-7127 BAYFM「ビートルズから始まる」
  FAXは 043-351-8011
  FAXは個性が出ますからねえ。絵を描いたりすることも出来からねえw。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  (習志野市/女性)
  先日の放送で、克也さんは「みなさん、ジャケットでアルバム買ったんですねえ」っておっしゃってましたが。
  ジャケットはいいですよねえ。
  実家の壁には母の趣味でサイモンとガーファンクル、エルビス・プレスリーなどのアルバムジャケットがたくさん飾られていました。
  今のCDのジャケットも、いいものがたくさんありますよね。レコードサイズじゃなくて残念。
  リクエストは、音楽が気に入ってジャケットで買ったやつ。
  (小林)
  そうかあ、まあだけど、音楽はもともと気に入っていたんだね。
  昔はレコード屋さん行くと興奮するんですよ。特にお金を多めに持ってたら、ちょっと要注意です。
  まるで、デパ地下に腹を減らして行くようなもので、もう必要以上に買っちゃうんだよね。うんw。
  あなたが「音楽が気に入ってジャケットで買った」のはノエル・ギャラガー(Noel Gallagher)のハイファインバーズ(High Flying Birds)ていうグループです。
  曲は AKA... What A Life!
    
  〜 Noel Gallagher's High Flying Birds / AKA... What A Life!
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lwHpLDgWonM

81 :
  〜 The Beatles / Blackbird
  ttp://www.youtube.com/watch?v=J6JaUplB5JE
  (小林)
  Black Bird かかりましたよ。
  前の(1曲目)ノエルの曲もすごかったですよね。
  だけど、オアシスみたいな、ほんとオアシスみたいな感じがするんだよねw。
  まあ兄弟別れ別れでやっているっていう。 
  (千葉県鎌ヶ谷市/女性)
  テレビはあまり見ないので「ビートルズから始まる」を聴くと「明日からまた一週間が始まるなあ」という気持ちが締まります。
  大学を卒業して一年と余りフリーター生活をしていましたが、このたびやっと就職が決まり、明日からやっと社会人になります。
  少し遅れをとったけど「このフリーター生活も無駄じゃなかった」と胸を張って言えます。
  素敵な人たちにR、素敵な思い出がたくさん出来ました。
  そんな充実したアルバイト先で毎日のように聴いていた、思い出の曲。(Black Bird)
  (小林)
  やあ、これは良い曲が思い出の曲だねえ。
  これが好きだって言う人いるよ。
  最近も、あなた、ファン(Fun)て知ってる?、アメリカの3人組の「We are young」っていうのがすごいヒットしてる。
  あのリードボーカル、名前は忘れたけど。彼が「Black Birdが一番好きだ」って言ってたから。

82 :
  (鹿沼市/女性)
  初めて読まれたときのあの衝撃。夢のようでした。  (小林)こないだ、読んだんですね。
  克也さんはビートルズにリアルタイムで会ったことはありますか?
                             (小林)リアルタイムで会ったことは・・・
                             リアルタイムは、リンゴと、電話で話をしたことがあるんですけどねえ。
                             ビートルズの頃ねえ。
                             あと、ポールには実際にテレビのインタビューで会いました。
  私はポールに会いたい。 
                        (小林)ていうような事を、書いています。Night Befor なんですが、リクエスト。
  この曲の好きな部分は基本的に全部ですけど、特にポールの声が響いてる感じが爽やかで風を感じる感じ?
  これが最高なんです。
  (小林)
  じゃあ、あなたのリクエストで、ポールが歌っています。       
  
  〜 The Beatles / Night Befor
  ttp://www.youtube.com/watch?v=u0mQGH7cq4Y
  〜 The Beatles / Yesterday
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rxY1KQvQsAU
  (鎌ヶ谷市/男性)
  仕事が運送なのでなかなかメールできなくて、今回初メールです。
  現在34歳で、ビートルズを知ったのは中学校の音楽の授業です。
  そこからビートルズのCDをいろいろ買って聴いて嵌りました。
  克也さんのビートルズの歴史を聴いていて興味をそそられて、自分でも調べたりもしています。
  初めて聴いた曲 Yesterdayをリクエストします。
  (小林)
  かかりましたよ。

83 :
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  
  「話」は、ほんとうに面白いでしょう?
  あのビートルズが不採用、不合格、っていうw。
  結果がわかっているのにw、なんであんなに面白いんだろうねw。
  なんていうの、ビートルズが後々になって大成功するっていうの わかってるから面白いんだろうね。
  
  リクエストの方もよろしくお願いします。
  採用の方には…(ry

84 :
随分頑張ったな。

85 :
ありがとう

86 :
毎回ありがとうございます!

87 :
OSが(Win7に)変わったら、環境激変、なんかいろいろ不調。(´・ω・`)
WAVEデバイスがどうとかで、留守録を拒否されたりw
新しいメディアプレーヤーも使いづらくなったw
Janeも連投規制とか長文規制とか出たしw 
こまったw

88 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年8月12日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー 
は録音に失敗しました。

89 :
□デッカオーディション
 ・「あとで聞いた話ですが、ブライアンは
  『もしビートルズと契約してくれるのであれば、シングルが発売されるごとに3千枚のレコードを仕入れる』という
  条件を出したそうなんです。
  どうやらこの交渉条件は、うちのデッカの営業セクションで留まっていたらしく、
  私の部署までは聞こえてきませんでした。
  もし彼が直接私のところに交渉に来ていてくれたら、ストーリは変わっていたと思うんです。
  なんせ当時のイギリスの音楽業界の状況を考えたら、3千枚の売り上げなんてすでに『ヒット曲』ということになりますからねえ。
  運命というものは面白いものであると同時に、残酷なものなんですねえ。」
  
  これはビートルズがはじめて受けたオーディション、通称「デッカオーディション」を審査し、
  不合格の烙印を押したデッカのプロデューサー=ディック・ロウの発言。
  とても興味深いものである。

90 :
  ロックの歴史を振り返って見ると、そこには必ず「ビートルズ以前」と「ビートルズ以後」というキーワードにぶち当たる。
  つまり、ロックが発明されたのはアメリカ。
  もちろんロック以前のジャズやリズム&ブルースといった黒人音楽をルーツとする音楽はアメリカが本国。
  つまり、本場。
  これに対してイギリスは、その輸入国ということになる。
  「ビートルズ以前」には、イギリス産の音楽はイギリス国内やその周辺の国だけで聴かれ、ビジネス的にもそれほど大きいものではなかった。
  しかし「ビートルズ以降」、特に1964年2月にビートルズがアメリカ大陸に上陸して以来、それは急変する。
  イギリスとはまるで人口が違い、エンターテイメント大国であるアメリカでは、レコードの売り上げ枚数がまるで違う、
  エルビス・プレスリーに至っては、デビューしてすぐ百万枚の売り上げ、ミリオンセラーを連発していた。
  これに対してイギリスでは、数千枚の売り上げでも充分にビジネスとして成立したのである。
  もし、ビートルズがシングルを出すごとに3千枚のレコードを買い取るという提案が受け入れられ、デッカと契約していたら・・・。
  今となっては、すべて仮定ではあるが、ロックの歴史は「違ったビートルズ以降」になっていたことは、間違いないのである。

91 :
  〜 Elvis Presley / One Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=e8-hAM8tdr0
  〜 The Beatles / Oh! Darling  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lG3sgOJuugM
 
  (小林)いやあ、プレスリーとポール・マッカートニーの勝負ですよねえ。
  ロッカバラードって言いますけどね、こういうのね。
  二連ちゃん聴き比べを、特にボーカルの聴き比べ。
  プレスリーは(1曲目)One Night、1958年ですよ。
  ポールやジョンが高校生の頃ヒット曲で。
  で、(2曲目)これは69年、約10年経ったあとのポール・マッカートニーの Oh! Darling。
  どうですか?、僕はプレスリーなんかよく聴いてますから、プレスリーのファンの間では、さっきの話じゃないけど
  「ビートルズ以前」じゃないけど、プレスリーは兵隊に行くんですよね。
  「兵役前」「兵役後」ていうのがあって、兵役前のボーカルはおそらくジョンもポールも大好きなんですよ。w
  兵役後はちょっと変わるんですよね。エルビスは。もう、大御所っぽい感じ。
  で、Oh! Darlingは、どっちかって言うと兵役後っぽいエルビスの声っぽいですよね。ポール・マッカートニーはね。
  そんなことはどうでもいいかもわかりませんけども。

92 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「ビートルズがシングルを出すたびに3千枚のレコードを買い取る。」
  このブライアンの提案はデッカの営業部でストップしていた。
  アーティストとの契約に関しての決定権を持つプロデューサー=ディック・ロウの耳には届いていなかった。
  これはデッカが大企業であるせいで、横の伝達・コミニュケーションが上手くできていなかったせいなのか。
  あるいは、営業セクションが「これ以上ビートルズとかいうリバプールから来た分けのわかんないバンドに関わりたくなかった」ためなのか。
  今となっては、原因などはわからない。
  とにかく、デッカのプロデューサー=ディック・ロウはビートルズではなく、地元ロンドンのグループ「ブライアンプール&トレメローズ」を選んだ。
  この事実は数年たってビートルズの耳にも届いた。
  もちろん、彼らはすでに世界制覇を果たしていたが、これに関してポールはこうコメントした。
  「あのディック・なんとかっていうプロデューサー、後悔してもしきれないだろうなあ。」
  ジョンはもっと辛辣だった。
  「あんなやつ、後悔しすぎて死んじまえばいいんだよ。」
  マネージャーのブライアン・エプスタインが「ビートルズはエルビスよりも偉大な存在になる」という発言をした時、
  デッカのディック・ロウと営業部のピーチャー・スティーブンスは目を丸くして驚いた。
  連中は年がら年中 新人アーティストの売り込みを受けていたのであるが、
  その中でもブライアンほど理性的で紳士的なマネージャーはいなかった。
  「最も評判の良いマネージャー」として通っていたのである。
  そのブライアンが、「あんな感情に走った大人気ない発言をするなんて・・・。」
  同じ部屋にいた人間は、みんなそう解釈し理解た。
  しかし彼らは間違っていた。
  それはビートルズが世界的にブレイクした1964年から解散する1970年までにEMIパーロフォンから発売された全てのレコードを聴けば
  誰でも判る事実であることは言うまでもない。

93 :
  〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand
  ttp://www.youtube.com/watch?v=yuSo60w0K_I
  〜 The Beatles / The Long & Winding Road
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fUO7N-zSMYc
  (小林)わかりましたかね。ビートルズのアメリカデビューから最後のシングル2曲。
  こんな並び方で、かけたの初めてですよね。
  I Want To Hold Your Hand 1964年1月に出て、アメリカでは本当に大ヒットでした。
  そして1970年の5月、アメリカでの最後のシングル The Long & Winding Road。
  これも大ヒットしました。

94 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「エプスタインさん、あいにく我々デッカレコードはビートルズと契約は出来ません。
  私の経験上あのバンドは売れないと思いますよ。
  私たちは音楽業界のプロです。
  ヒットするものしないもの、その業界でのウラ事情などなど、何でもわかります。
  あなたはリバプールでNEMSという素晴らしいレコード店を経営しておられる。
  それで 充分賞賛に値します。
  ですから、マネージメント業からは早く手を引いて、本来のビジネスに専念すべきです。」
  この言葉の主は、オーディションの結果ビートルズを不合格、不採用にした張本人、デッカレコードのプロデューサー=ディック・ロウ。
  最初の不合格通達にどうしても納得のいかないブライアンは、何度もロンドンに足を運びディック・ロウを説得しようと頑張った。
  しかし、ビートルズが不合格であれば、同じ日にオーディションを受け、運良く合格となったバンドもある。
  デッカはすでにそのバンドと正式なレコーディング契約を結んでいたため、ビートルズの不合格を取り消し契約するということは
  会社の規定上どうしても無理なことであった。
  普段ならスマートで清潔感があり最も紳士的なマネージャーとして有名だったブライアンが、こうも粘着質な男だった、なんて。
  ディック・ロウもいいかげん辟易していた。
  ブライアンも落胆はしていたが、顔には出さなかった。
  ビートルズを信じて、いつか絶対にチャンスは訪れると、四人のメンバーを励まし続けた。
  リバプールの若者をあれだけ熱狂させているバンドに、将来全国的なブレイクの可能性が無いなんて、どうしても信じられない。
  じゃあなんで、デッカの連中はビートルズにオーディションを受けさせたのか?
  ブライアンにはその理由が理解できなかった。
  そこには業界に在りがちな「大人の事情」が存在していたのである。

95 :
  〜 The Beatles / Don't Let Me Down ("Let It Be... Naked" version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=02RB3rEghDA
  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=GlpMs_R3P6U
  (小林)I Feel Fine、これは1964年アメリカでもナンバーワン、もちろん日本でも他の国でも大ヒット。
  そしてその前は、Dont Let Me Down 実は2003年にポール・マッカートニーが中心になって、やり直したようなアルバムがありましたね。
  「ネイキッド(Let It Be...Naked)」あの中に入っているバージョンです。 Dont Let Me Down。

96 :
□リクエスト
  (小林)
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  FAXやハガキでも受け付けています。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送っております。
  (?不明/女性)
  ビートルズ初心者です。高校生の甥っ子もビートルズ初心者なんですが。
  年代を超えて話せるミュージシャンの方は少ないので、先ずどんなCDを買えば良いですかねえ。
  初心者入門編という感じで入りやすいアルバムを教えてください。よろしくお願いします。
  (小林)
  やっぱり、いわゆるベストアルバムから入る、ていうのが良いかと思います。
  ビートルズの場合「赤盤」「青盤」ていうのがあってね。初期のベストを集めた「赤盤」これをお勧めします。
  それじゃ、曲目の指定が無いので「赤盤」の中で、僕の一番好きな曲w、というか申し訳ない、
  これです!。
  〜 The Beatles / She Loves You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AW-h8OPkGO4

  〜 The Beatles / Birthday
  ttp://www.youtube.com/watch?v=m_Nz9B1XFio
  (小林)
  いやあ Birthdayがかかっちゃいました。She Loves You + Birthday。
  (船橋市/男性)
  「ホワイトアルバム」は大好きなアルバムで、この中からリクエストさせてください。
  たぶん「レボリューション9」なんかリクエストしてもかかりそうも無いので、Birthdayをリクエストします。
  ちょっと早いけど妻と子供が8月誕生日なのでよろしくお願いしまーす。
  (小林)
  レボリューション… うーん「レボリューション9(Revolution #9)」ね、この番組でかけたもんねーw。知らないんだもんねーw。

97 :
  (府中市/男性)独身に戻った男。
  親父の米寿の祝いで8月末、故郷の沖縄に一緒に帰ります。
  高校までそこで暮らして、そこでビートルズの音楽にもRました。
  沖縄の白い砂浜で学生時代に聴いていた、スーパートランプ(Supertramp)の Breakfast in Americaをぜひ。
  ところでオンエアーされているんでしょうか?(一部音声不明瞭)
  なんといっても娘と私をつなげる大事な架け橋なのですから。
  (小林)
  ビートルズぽいよね、考えてみると、スーパートランプはね。
   Breakfast in America 大ヒットでした。
    
  〜 Supertramp / Breakfast in America
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aJH83DkNd9Q
  〜 The Rolling Stones / Sympathy for the Devil
  ttp://www.youtube.com/watch?v=vBecM3CQVD8
  (小林)お聴きのサウンドは、ローリングストーンズの有名な「悪魔を哀れむ歌=Sympathy for the Devil」。
  よく、ビートルズとローリングストーンズは較べられるけど、ビートルズにはこんな世界は無いね。 
  (千葉県八千代市/男性)
  イギリスのローリングストーンズが1962年にロンドンで初演奏してから、7月12日で50年を迎えます。
  これまで、メンバーの脱退加入などいろいろありますが、人気バンドが一度も解散せずに半世紀も続いていることはすごいと思います。
  ミック・ジャガーはBBC放送のインタビューで、
  「音楽界で最も偉大なのは、エルビス・プレスリーとビートルズだ。でもエルビスは10年間ぐらいしか持たなかった。」
  と感慨深げに答えたそうです。
  いずれにしても、ストーンズもビートルズに引けをとらないスーパーバンドだと、改めて思いました。
  おいらがストーンズの楽曲で一番好きな Sympathy for the Devil リクエストします。
  (小林)
  いや、これはストーンズらしくて、ねえ、いい曲ですよ。
  どうもリクエストありがとう。

98 :
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  最後のストーンズなんかがかかって、ビートルズのファンはどういう風に感じたでしょうかね。
  ビートルズに無い世界だからね。
  ほんとね、ストーンズはビートルズの影でビートルズの真似っこをしながら、途中で自分たちを発見して、すごいグループになるんですけど。
  まあ、ビートルズばっかりじゃなくて、いろんなものを平等に聴くってのが いいんじゃないでしょうかw。
  もし良かったら、いろんな曲かけますからね、リクエストください。
  beatles@bayfm.co.jp

  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

99 :
また、トニー・バーロウの話に戻ってしまった

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