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2012年07月30代161: 三島由紀夫のオススメ作品@30代板 (490) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
30代が好きな特撮ヒロイン (686)
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深田恭子ちゃん (873)
●●● R時14cm短小連合 パート7 ●●● (343)
30女なぜ年下男が好きなのか (504)

三島由紀夫のオススメ作品@30代板


1 :11/01 〜 最終レス :12/07
ミシマワールドへどうぞ

2 :
皆さんは月に一つぺん位、大きな入道雲を御覧になるでせう。入道雲はおどけた人のやうな顔を
してゐます。あれは、淋しく弟と暮らしてゐるお母さんを笑はせてなぐさめるために、
月に一度来るときには必らずお面をかぶつて来る男の子の姿なのです。
一度あのお面をとつて見たいものですね。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳(推定)「大空のお婆さん」より
悲しみといふものを喜劇によそほはうとするのは人間の特権だ。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「彩絵硝子」より
死のもたらす不在はそのすみずみまでが、あらけない不吉な確信にみたされてゐる。それは
はげしい風のやうにすべてをそのなかに見失はせてしまふ。だがそこからは再びなにものも
生れてはこないのであらうか。それらのおもひでを耕す鍬を人はもう失くしてしまつたので
あらうか。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「青垣山の物語」より
ほんのつまらぬ動機からも、子供にありがちな移り気と飽きつぽさは、なにかおおきな意味を
みつけたがるものでございます。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「祈りの日記」より

3 :
女は愛するだけが最大の幸福だ――何といふ腹だゝしい定理であらう。
いかさま恋といふものは自分の想像も及ばないやうな深いところに現はれて来るものなのである。
真実の恋とは自分では気付かないものなのだ。恋の最初の身振はいささかの無理を伴つて来る。
人々は強ひて、自分の狂ほしい気持をその深い井戸のなかへもつて行かうとする。
恋は保護色であらゆる色のなかにしみいつてゐるものなのだ。すべての女たちのやうに
恋人に対してわれ知らず自分の印象をよく見せようにしてゐる天性が彼女のなかに果して
少しもなかつたか。恋といふものは決して裸かでは為されないものである。身につけあつてゐる
さまざまな鎧がいつか鎧ではなくなつて、それが攻撃の道具となり手引となり、身体の
一部と相手に思はせるやうになるものなのだ。
平岡公威(三島由紀夫)14歳「心のかゞやき」より

4 :
恋のはじめといふものは鞦韆(ぶらんこ)の下の花のやうなものである。自分で鞦韆を
うごかしておきながら、花をつむことの難しさに、わざと大きくゆらして花をとりたい気持を
自分自身に隠さうと見栄を張るのだ。
愛情の爆発でない嫉妬といつたら、形式的な虚栄(みえ)の混つたものではないだらうか。
わづかにのこつた薄い愛情からも嫉妬は炎え出すものであるが、愛情が薄ければうすいほど、
その形式的な気持や虚栄が濃くなつてくるものとはいへないだらうか。世の人の、
「最も激しい嫉妬」といふものこそ純粋な嫉妬の姿なのである。
恋敵への嫉妬は帰するところ、盗人への怒りである。恋人への嫉妬はそんな単純なものではない。
寛容と憤怒、失望と敗者の自己嫌悪、その他のあらゆるものが激し合ひ融け合ひ、彼あるひは
彼女の上に注ぎかゝる。
平岡公威(三島由紀夫)14歳「心のかゞやき」より

5 :
儂がまだまだずつと若い頃のことぢや。勿論、こんなに腰も曲つて居らんでな。白いひげなんか、
一つもなかつた時分ぢや。いつ頃のことか忘れて了うたが、その晩は全く妙な夜ぢやつた。
月はうまさうな朧月ぢやつたとおぼえとる。星が沢山々々儂の家の屋根にあつまつての、
まるで話しでもしとるやうぢや。
儂はひよんな事ぢやと思うたから、下駄をつつかけて庭へ出て、一生懸命星を見とつたが、
どうも不思議でならん。それでな、上を見て、ぼんやりしとつた所が、おやおや何と
気味の悪いことぢや、足下の叢から人の声が聞えてござらつしやる。
じーつと見て居つたらの。竜胆(りんだう)の葉のかげで、小人どもが踊つてゐるのぢや。
真中に、角力の土俵のやうなものが有つて、一人が踊ると、踊らん小人らは恰好をなほしたり、
注意したりして、まあ、やかましいのなんのつてお話にならんのぢやが、その中の一人が
こんなことを言ひよつたのぢや。
『今晩“萩ヶ丘”でやる舞踏会はな、十二時きつかり始まるで、それまでによう練習
しとかんといかん』
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「緑色の夜」より

6 :
なんというたらいゝぢやらうか。
その綺麗なことこと。錦の布の金糸、銀糸をほどいて、それを細う切り、ぱアーつと
散らばしたやうぢや。
気の早い連中がこんなにも多いと見えて、未だ一時間あるのにもう踊りのけいこをしとる。
大分長い間たつた。十二時十分前頃にな。ほれ、珍客どもが揃つてござつたわ。
湖底の洞にすむ竜の背中で暮してゐる小人は、竜のキラキラする鱗をつづつて作つた
甲冑のやうな洋服を着て来居つた。
橄欖(かんらん)の木に居る妖精は、葉の面を剥いで仕立てた、つやのある、天鵞絨
(ビロード)のやうなのを、大きな樹の叉に住まつて山蚕を飼つとる小人は、そのまゆで
こしらへた良い肌ざはりの絹の衣裳を着て来るのぢや。
水晶の沢山ある山に住んどる奴は赤い木の実をつぶして染めた紅衣裳に、水晶の粉を
ちりばめて来たが、まあ、その美しかつたことと云つたら。口では話せんわい。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「緑色の夜」より

7 :
自然に対する病的な、憧憬や、執着が子供にもある。否、それは、大人より強烈な場合がある。
彼は充分に笑つてから、まだお腹の隅で、くつくつと笑つてゐるのを押へて、ポケットから
白いボールを出し、空高く投げた。
青空だ。
青空が、ボールについて、上つて行く、そして恐ろしい勢で落ちてくる。彼はそのボールを
受けると、青空を我がものにしたやうに喜んだ。それから、彼は、思ひ切り切り空気を吸つた。
秋彦は、室内や町の中でこんな空気を吸つたことはなかつた。否吸つたと云ふより、
食べたのだ。不思議な味をし、香りをした空気を、青空を、それから、雲を、彼は口の中に
押し込んだ。その味や香りが、どこから湧き出て来るのかわからなかつた。併し彼は、
今その源がわかつたやうな気がする。再び、喜びが湧いて来た。空気の味と香りの源を
確かめたのは、最も大きな喜びであるに違ひない。
それから、秋彦は、大地の躍動を知つた。大地は心臓の鼓動の様に踊り始め、秋彦の足も
自然にそれに伴つた。森羅万象は音楽を奏し始めた。
平岡公威(三島由紀夫)13歳「酸模(すかんぽう)――秋彦の幼き思ひ出」より

8 :
――僧よお汝(まへ)は今まで他人をまねて悟りを開かうとした。併しそんないやしい考へで
得られよう筈がない。私はそこで痩せこけた老人に身を変へてお汝を悟りのいとぐちへ
導いたのだ。行きなさい、明日の朝、お前は悟りを得ることだらう――朝開が稲妻のやうに
迫つて来た。太陽は光を得五条の光が閃いた。
――そして坊主は悟りを得た。
それから坊主いや聖人のもとへ一人の小さな男の子がどこからともなく入つて来た。
坊主はそれを極端に可愛がつた。
翌々年聖人はねはんに入つた。聖人は男の子に苦しい息の下から遺言した。――庵の縁の下に
大きな函がある。それをあけなさい。私のお汝への遺産ぢや。お汝の子孫はその遺産を以て
栄え栄えるであらう――
男の子は泣き乍ら、函をあけて見た。中に大きな石があつた。石の上に墨黒々と信念の二字が
かいてあるのみだつた。男の子はいぶかしく思つて石の下をさぐつて見たが何もなかつた。
只石の下面に字があつた――この石にかじりつきて働き働くべし、怠ることなかれ――
平岡公威(三島由紀夫)13歳「座禅物語」より

9 :
「いつはりならぬ実在」なぞといふものは、ほんたうにこの世に在つてよいものだらうか。
おぞましくもそれは、「不在」の別なすがたにすぎないかもしれぬ。不在は天使だ。
また実在は天から堕ちて翼を失つた天使であらう、なにごとにもまして哀しいのは、
それが翼をもたないことだ。
そこはあまりにあかるくて、あたかもま夜なかのやうだつた。蜜蜂たちはそのまつ昼間の
よるのなかをとんでゐた。かれらの金色の印度の獣のやうな毛皮をきらめかせながら、
たくさんの夜光虫のやうに。
苧菟はあるいた。彼はあるいた。泡だつた軽快な海のやうに光つてゐる花々のむれに足を
すくはれて。……
彼は水いろのきれいな焔のやうな眩暈を感じてゐた。
ほんたうの生とは、もしやふたつの死のもつとも鞏(かた)い結び合ひだけからうまれ出る
ものかもしれない。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「苧菟と瑪耶」より

10 :
蓋をあけることは何らかの意味でひとつの解放だ。蓋のなかみをとりだすことよりも
なかみを蔵つておくことの方が本来だと人はおもつてゐるのだが、蓋にしてみれば
あけられた時の方がありのまゝの姿でなくてはならない。蓋の希みがそれをあけたとき
迸しるだらう。
ひとたび出逢つた魂が、もういちどもつと遥かな場所で出会ふためには、どれだけの苦悩や
痛みが必要とされることか。魂の経めぐるみちは荊棘(けいきよく)にみたされてゐるだらう。
まことや、あららかな影の思ひ出の死は、死がかなたの死のなかへ誘ひよせつゝいつか
それと結合してうみ出す至高の生にくらべれば、おろかしい偽りの姿にすぎぬかもしれぬ。
なぜなら死とは、この世に於てよりもより勁(つよ)くあの世にあつて結び合ふことが
たやすいから。……
平岡公威(三島由紀夫)17歳「苧菟と瑪耶」より

11 :
苧菟は手紙をかいた。彼はそれをふだんつかはない抽出(ひきだし)のおくふかく納れておいた。
なぜといつて無くなるはずのないものがなくなること、――あの神かくしとよばれてゐる神の
ふしぎな遊戯によつて、そんな品物は多分、それを必要としてゐるある死人のところへ
届けられるのにちがひない、と苧菟は幼ないころから信じて来たから。彼はそれを待つた、
この唯一の発信法を。
星をみてゐるとき、人の心のなかではにはかに香り高い夜風がわき立つだらう。しづかに
森や湖や街のうへを移つてゆく夜の雲がたゞよひだすだらう。そのとき星ははじめて、
すべてのものへ露のやうにしとゞに降りてくるだらう。あのみえない神の縄につながれた絵図の
あひだから、ひとつひとつの星座が、こよなく雅やかにつぎつぎと崩れだすだらう。
星はその日から人々のあらゆる胸に住まふだらう。かつて人々が神のやうにうつくしく
やさしかつた日が、そんな風にしてふたゝび還つてくるかもしれない。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「苧菟と瑪耶」より

12 :
追憶は「現在」のもつとも清純な証なのだ。愛だとかそれから献身だとか、そんな現実に
おくためにはあまりに清純すぎるやうな感情は、追憶なしにはそれを占つたり、それに
正しい意味を索(もと)めたりすることはできはしないのだ。それは落葉をかきわけて
さがした泉が、はじめて青空をうつすやうなものである。泉のうへにおちちらばつて
ゐたところで、落葉たちは決して空を映すことはできないのだから。
わたしたちには実におほぜいの祖先がゐる。かれらはちやうど美しい憧れのやうに
わたしたちのなかに住まふこともあれば、歯がゆく、きびしい距離のむかうに立つてゐる
こともすくなくない。
祖先はしばしば、ふしぎな方法でわれわれと邂逅する。ひとはそれを疑ふかもしれない。
だがそれは真実なのだ。
三島由紀夫16歳「花ざかりの森」より

13 :
今日、祖先たちはわたしどもの心臓があまりにさまざまのもので囲まれてゐるので、
そのなかに住ひを索めることができない。かれらはかなしさうに、そはそはと時計のやうに
そのまはりをまはつてゐる。こんなにも厳しいものと美しいものとが離ればなれになつて
しまつた時代を、かれらは夢みることさへできなかつた。いま、かれらは、天と地がはじめて
別れあつた日のやうなこの別離を、心から哀しがつてゐる。厳しいものはもう粗鬆な
雑ぱくな岩石の性質をそなへてゐるにすぎない。それからまた、美は秀麗な奔馬である。
かつて霧ふりそそぐ朝のそらにむかつて、たけだけしく嘶くまゝに、それはじつと制せられ
抑へられてゐた。そんな時だけ、馬は無垢でたぐひなくやさしかつた。
真の矜恃はたけだけしくない。それは若笹のやうに小心だ。そんな自信や確信のなさを、
またしてもひとびとは非難するかもしれぬ。しかしいとも高貴なものはいとも強いものから、
すなはちこの世にある限りにおいて小さく、いうに美しいものから生れてくる。
三島由紀夫16歳「花ざかりの森」より

14 :
わたしはわたしの憧れの在処を知つてゐる。憧れはちやうど川のやうなものだ。川の
どの部分が川なのではない。なぜなら川はながれるから。きのふ川であつたものは
けふ川ではない。だが川は永遠にある。ひとはそれを指呼することができる。それについて
語ることはできない。わたしの憧れもちやうどこのやうなものだ、そして祖先たちのそれも。
ああ、あの川。わたしにはそれが解る。祖先たちからわたしにつづいたこのひとつの黙契。
その憧れはあるところでひそみ或るところで隠れてゐる。だが、死んでゐるのではない。
古い籬(まがき)の薔薇が、けふ尚生きてゐるやうに。祖母と母において、川は地下を
ながれた。父において、それはせせらぎになつた。わたしにおいて、――ああそれが
滔々とした大川にならないでなににならう、綾織るものゝやうに、神の祝唄(ほぎうた)のやうに。
三島由紀夫16歳「花ざかりの森」より

15 :
そこからは旧い町並がひとめにみわたされた。町のあちらに疎らな影絵の松林がみえ、
海が、うつくしく盆盤にたたへたやうにしづかに光つてゐた。小手鞠の花のやうなものが
二つ三つちらばつてゆるやかに移つてゆくとみえたのは白帆であつた。
老婦人は毅然としてゐた。白髪がこころもちたゆたうてゐる。おだやかな銀いろの縁をかがつて。
じつとだまつてたつたまま、……ああ涙ぐんでゐるのか。祈つてゐるのか。それすら
わからない。……
まらうどはふとふりむいて、風にゆれさわぐ樫の高みが、さあーつと退いてゆく際に、
眩ゆくのぞかれるまつ白な空をながめた。なぜともしれぬいらだたしい不安に胸がせまつて。
「死」にとなりあはせのやうにまらうどは感じたかもしれない、生(いのち)がきはまつて
独楽(こま)の澄むやうな静謐、いはば死に似た静謐ととなりあはせに。……
三島由紀夫16歳「花ざかりの森」より

16 :
「やあ子」が泊りに来るときはその八畳の中央に床をならべた。康子の「す」の音がうすつぺらな感じを与へるので、
「やあ子」といふ彼女の撫肩そつくりな発音の愛称を、私は好いた。風呂から上るとこの小さな女の子は、洋服を
きちんと畳んで枕許におくので、おまんはそれを模範として私にも所謂「いゝ癖」をつけさせようとした。
癪にさはつて私がいふのである。
「お床にいれる方があつたかくなるからボクがいれてあげよう、やあちやん」
気のいゝ彼女はこの親切にさからへない。翌朝、私の床のなかに筋目も何もなくなつたしわくちやな洋服を
見出だして、おまんは憤慨し、やあ子は泣き出すのだつた。
大人つぽく肱で頬つぺたを支へながら、やあ子は心臓を下にし、私は左肩を上にして向ひあひ、お互に床ふかく
埋つて千代紙みたいな会話を交はした。それは千代紙のやうに稚拙な色をもち、金粉をかけ、皺がより、断片的な、
子供特有のあの会話の型式なのだ。私は「天井の木目」がこはくなくてすむところから、かうした夜々を好きに思つた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「幼年時」より

17 :
ひどく心配さうな目附で彼女が云ふのである。「沙漠のね」
「沙漠の?」
「なんだつたかしら」
「え?……」
「ラクダにのつかつて」
「隊商!」
「隊商がね、ラクダでザックザックつてくるでせう。その音がとほくからきこえるの」
「ほんたう?」
「やめようとおもつてもきこえるの。上をむくときこえないけれど枕を耳にあてるときこえてよ。近くなつて
くるわよ、だんだん」
「きこえない」
「あらへんね。やあ子とおんなじ方むいたら?」
「きこえない」
「へんね、やあ子ずつときこえてゝよ。また近くなつた……こはあーい」
さう云ふなり彼女は耳をおさへて私の床へはひつてきた。私は強がらないわけにはいかなくなり、
「大丈夫」とおまんの口真似をするのだつた。
その幻聴はやあ子の貧血の前駆症状だつた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「幼年時」より

18 :
玩具をみるときの子供の目つきは、ちやうど美しくめづらしい石をみつけたときの原始人の目付に似てゐる。
子供が大人からその玩具の使用法をおそはつて暫く無意識に何度もねぢを廻しては殆ど目的のぼやけた「興味」を
傾けたのち、はじめて子供はその玩具の本当の使用法を知るに到るのだ。玩具は玩具函のなかにあるものではない。
玩具は子供のなかにゐるものなのだ。母親たちはわづか二、三日でその玩具の機械(からくり)をまはさなく
なつた子供に悲観してはならない。玩具がもつてゐる不変の機械作用は、ほんの外面のものに過ぎないのだ。
玩具を了解する瞬間に子供にとつてそれは有形のものではなくなり、無形の抽象物……即ち消極的に生活の一部を
支配し、ある重要なつとめを有(も)つものと変る。かくして私のまはりの透明体の城壁の一部――それを
見透かすときあらゆる生物が植物のやうにみえ、あらゆる事物が不自然に拡大されてみえる城壁の一部として、
その玩具があらたに加はつたのを、私はすぐさま感じた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「幼年時」より

19 :
召使たちの別棟は、塀近い御長屋風の二階建で、おまんは塀へむいた二階の二間を占有してゐた。私の部屋の傍から、
長い覆附の渡廊下が、その棟に続いてゐた。祭の日に行列の通る時刻を予め問ひ合はせ、その半時ばかり前から、
おまんが私を迎ひに来るのだつた。これといつて刺戟のない日々に引き比べて、その前の晩、私はなかなか
ねつかれなかつた。ことにおまんが自分の部屋を「仕度し」にいつてゐる小一時間、私はひとりでそこへ行つて
了つてはつまらない気がするので、あのお年玉を待つときそつくりな気持でおまんの迎ひを待ちこがれてゐた。
倦怠と焦慮の様子は、両者とも時間をもてあましてゐる点で大へんよく似てゐるものである。(中略)
おまんの袖に抱かれるやうにして、「御前様にみつかりなさると大変でございますよ」いふおまんの声に
せきたてられて、一気に駈けぬける廊下は長かつた。杜鵑花(さつき)の植込の、非常に赤いのが目に残つた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「幼年時」より

20 :
几帳面で綺麗好きなおまんは、自分の部屋へ私が来るといふので、女の部屋特有な調度類は皆片附けて、隅々まで
掃除したうへ、道路に面した窓を一杯にあけはなしておいてくれた。なかんづく懐かしかつたのは、その時
用意してくれるウエファースだつた。ふだんの「お茶」にはウエファースなぞあまりつかないのに、祭のたびに
おまんが揃へておいてくれるのは決つてウエファースだつた。それも子供じみた秘密な儀式の、たのしい
「しきたり」の一つになつた。
私は窓ぎはにちよこなんとすわつて、祭のさきぶれの、ひどくあけつぱなしな雑踏をながめながら、うすい
九重(ここのへ)に頻りにウエファースをひたしては喰べてゐた。さうしてゐる私は、また自分の背中いつぱいに
注がれてゐる、いとしくてたまらないといふおまんの目附をあたゝかく感じて幸福に思つた。
疎らな竹藪と丈の高いひばの並木は街道のざわめきをよく見せた。裏二階はどこも開け放され、物干は満員だつた。
乾物のいろどりの間に、人の顔がいつぱい詰つてゐるのがゴシック模様のやうだつた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「幼年時」より

21 :
ユッキーに俺の菊門をズンズン攻めて貰う夢を見た。

22 :
焼けた河原から河原へ大きな橋がかゝつてゐて、その下を清い多摩川の流れが、昨日の雨に水量を増して大速力で
走つて居ました。
私も河の中を海へ海へと走つてゐました。ところが“流れ”は私達“水”を海へ運んで行きはしませんでした。
陽はかんかんと照りつけて、私達の冷たい体も、ぽかぽかとあたゝかくなりました。両側の河岸では、麦藁帽子を
被つた人々が、呑気さうに、けれども如何にも暑さうに釣をして居ました。白いペンキで塗つた新らしいボートが
するすると水面をすべつて行くのも気持のよいものでしたが、古い昔からの渡船がのんびりと、ろを動かし動かし、
眠さうに走つて行くのも何となくいゝ気持になりました。
やがて、私達はごうごうといふ音を立てゝ、何やら暗い所へ入つて了ひました。
これは、かねがね噂に聞いた“海”といふものではなささうでした。第一、しほつからくもありませんし、
《常に頭の上にある》と云ふ太陽さへ、今はどこにも見出だせません。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「“水”の身の上話」より

23 :
体が何度か上へ押し上げられ、激しく落とされました。随分長い時間でしたが、やつと日の目を見ることが出来ました。
そこは、浄水池といふところでした。けれども、暫くの間でまた暗い暗い道に入らねばなりませんでした。
道は私達の前居た多摩川とは比べものにならない程窄(せま)くて、ひどく曲りくねつてゐるものですから、
体のもまれやうが大変でした。
やがて妙な音がして私達の体がぐぐつと押し上げられました。
そして、せまい器の中へ納まりました。
さて私達が浄水池へ行つて体を見た時にはあんなにすきとほつて美しかつたのが、今、水道の口金から出て、
器へ入つた拍子に、真白で、すきとほらなくなつて了ひました。
それは、お米をといでゐる女中さんが、お釜の中へ私達を入れたのでした。その為、ぬかにそまつてこんなに
なつて了つたのです。
私は絶えず掻きまはしてゐる女中さんの手の間から、台所の中を見まはしました。向側に瓦斯があつて、薬鑵が
のつかり、白い湯気を一杯出してゐました。私が湯気と云ふものを見たのは、これが始めてでした。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「“水”の身の上話」より

24 :
面白くなつて一生懸命覗いてゐますと、すぐ私達を、じやあつと捨てゝ了ひました。
捨てられた私達(水)は、白い体のまゝいやな臭ひのする下水へと急がねばなりませんでした。下水には、
黒い大きな泥溝鼠が、我物顔に走つてゐました。
泥溝鼠は新入の私達を迎へて、私達の流れる速さと同じにかけながら、白い私に話しかけました。
「君は多摩川で、鼠の死んだのを見かけなかつたかね」
私は多摩川をそんな汚ない所に思はれるのがいやでしたので、返事をしないで居ましたが、彼は更に云ひました。
「実は僕の弟が、三人とも居なくなつて了つたのでね」私達はそれを聞いて、少し可哀さうになつたとは云ふものゝ、
この下水と多摩川とがつながつてゐるやうに考へてゐる泥溝鼠を可笑しくもなりましたので「そのうちに、
さがし出して上げませう」と云つて別れました。
やがて下水は、大きな深い穴で終りました。そしてまた、暗い鉄管の中を通つて行きました。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「“水”の身の上話」より

25 :
闇の中にぽつんと明るい点が見えたと思つたのは、嬉しいこと、河へ注いでゐる出口でした。私達の流れは急に
早くなりました。そしてボシャンといふ音を立てゝ川に落ちこみました。
川は広かつた。そして水はきれいでした。ゆるやかにゆるやかに私達は動き、そして、ふつと自分の体を見たら、
多くの水が混り合つて、すつかり元のやうに美しく透通つてゐたではありませんか。
それからの毎日毎日は楽しい時がつゞきました。
ある時はかはいゝ鵞鳥の子が大勢で泳ぎました。
又、小さな子供が笹舟を、そのやはらかい紅葉(もみぢ)のやうな手で作つて、そつと水に浮ばせたときも
ありました。私はさゝぶねを乗せて、ごくゆつくりと歩いてあげました。
小さな子供は、赤いほゝをしてゐて、それはそれは可愛く、さゝぶねが流れるのを追つて面白さうにかけました。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「“水”の身の上話」より

26 :
それは春のことでした。いつの間にか河底で生れた鮎の子は、元気にかろやかに泳ぎました。河辺には荻が茂つて、
私達はするすると、荻の間を進みました。
やがて朝の霧がうすくうすくわからないやうにはつてゐる向うに、土も、それから樹も、丘も山も何も見えないのに
気付いたのです。
そして、なんとなくしほつからくなつて来たやうに思へます。
海へ出たのでした。私は、あんなに多摩川からすぐ海へ行つた友達をうらやましがりましたが、海へ出るのに
こんな方法もあつたのでした。
春の日は、水面、もう海面である私達の頭に、金色のこてをあてました。こてにかゝつた髪のうねりは次第に
高まつて、始めて知つた波となつて、白砂の浜にうちつけました。
私は、気持よく、ゆりかごにのつたやうに、波打つてゐたのです。
平岡公威(三島由紀夫)10〜11歳「“水”の身の上話」より

27 :
http://s.ameblo.jp/midorinda/

28 :
川端やお堀端やどれもこれも同じ顔立をしてゐるところがふるさとのかなしい人々を思はせるゆがんだ軒並や、
築泥や舟板塀だのに沿うて走つてゐる電車は、ハンドルをまはしつゞけると何度も同じ汽車が鉄橋のうへに
出てくるあの玩具にも似て、かうした退屈な町ではどの電車も一台だと信じてうたがはぬだらうと思はれるほど、
みな同じにいたましくペンキが褪せ、いつしんにはしつてゐた。お客の影は、ものゝ二三人しかみえない。
凸凹なみどりのシイトが、まのびした長さでひろがつてゐる。わたしはかうした町へきてふるい空々(ガラガラ)な
電車にのるたびに、もう何年もあはぬなつかしい人にあへるやうな気がしてならない。稚ないころすでに
としとつてゐたそれらの人たちは、あるひはもうこの世にゐないのかもしれないけれど、昔よりもつと若い、
さうして古風な皃立(かほだち)に地味な小紋の着物をきた束髪の姿で、おせんかなにかの土産包を片手にしながら
よろよろと急な乗降口を、のぼつてくるやうな気がしてならない。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「でんしや」より

29 :
髪を高い「行方不明」に結ひあげたあの上品な吃りのお婆さんは、祖父時代の芸者あがりの富士見町の秋江さんは、
それからいつも植木をみやげにもつてくる昔道楽ものでならしたといふへうきんな小父さんは、いつたいどこへ
行つてしまつたのだらう。聞かぬ名前のひつそりとした停留所を、わき目もふらず電車がすぎてしまふと、
その停留所ちかくの町の一廓にあゝいふ人々の表札がのきごとにかけつらねてあるやうな気がする。生垣や
ひくい板塀ごしに、さういふひとたちのひいてゐるもう拙なくなつた三味線の音が、なにかおどけたものゝやうに
きこえてきはしないか。……だがその停留所をすーつとすぎてしまつたことに、悔いやのこり惜しさを感じつゝも、
何だかそれをみきはめずにおいたことが、ひどく安心なやうな気持がうまれてくる。と、それにしたがつて益々
つよい色彩でさうした空想がにじみ出てくるのであつた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「でんしや」より

30 :
ひとむかしまへ西片町時代の奉公人であつたのが、すこしへんになつて暇をやつてからといふもの、ちかごろは
大分よくなつたと毎年々々たづねてくるその男に、幼な心にも「まだヘンだ」といふ気持をすぐかんじた。
勝手口から女中連を大声でからかひながら、それでも小綺麗な唐草の棉風呂敷片手にはひつてきて、奥へ挨拶に
ゆくまではよいのだが。……
「けふらは大奥様のお好きな枝豆をうんともつてめえりやした」といふ。この寒さに枝豆もないものだと祖母が
おもつてゐると、すばやく兼さんは包をあけひろげてゐた。中味といふのが汚ない菜つ葉と小如露と、子供の
バイである。みるなり「そらいつもの兼さんがはじまつた」と祖母と女中が笑ひくづれるのへ「ほうれ女房め
いれまちがひしよつたわい」と頭をかきながら一旦調子をあはせるものゝ、またすぐけろりとして十五、六分
話しこんだすゑ、ふいにかへつてゆくのであつた。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「でんしや」より

31 :
落語の「堀之内」を地でゆくやうだと、奉公人たちは笑ひあつたが、その兼さんも、「死んだ」といふあやふやな
風聞(うはさ)ばかりのこして、祖母の死後つひぞ姿をみせなくなつてしまつた。
どこの河畔の何町だかすつかりわすれたあひかはらずガラ空きの電車に足をふみいれてぎくりとした。
古半纏(ふるはんてん)の兼さんがこつちむきにすわつてゐるのだ。妙なことにひとのかほさへみれば
「坊ッさ、大きなられましたなあ」と大声でいふ筈のが、目の前にみてゐながら声ひとつかけようとしない。
大体目のピントがすつかりはづれてゐるのだ。少々頬のあたりなど狂暴でうすきみわるかつた。前歯が一本
戸まどひして、唇の間からたれてゐた。胃癌になつた鷄といふ感じがした。車掌が前をとほると首にぶらさげた
合財袋から無意識的に小銭をとりだす。なれつこになつてゐるとみえて車掌はつりを袋のなかへおしこんだ。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「でんしや」より

32 :
終点で下車してわたしはしばらく尾(つ)けてやらうとおもつて、ちやうど同じ方向であるのをさいはひに川端を
あるいていつた。川に映つた空のなかには燻製のやうな太陽がいぶつて流れてゐた。空にうつつたその川のやうに、
曇天のなかにひときは濃い、ひとすぢの雲が澱んでゐた。半纏を柳と平行になびかせてうつむきながら狂人は
あるいた。それがふいに立ち止つたのでわたしはびつくりした。
川のなかをそはそはのぞきこんでゐる。
ときふに膝をたゝいて廻れ右をして、おどろくわたしを尻目にもかけず、すたすた目のまへをすどほりし、
折から今来た方向へ走つてゆくかへりの電車にとびのつて了つたのである。この一幅のカリカチュアのなかの自分に
苦笑してふりかへつたわたしの視界を、電車はいつもの暗い音をひゞかせながら、不器用にとほのいて行つた。……
平岡公威(三島由紀夫)15歳「でんしや」より

33 :
お父さんが大阪へ転任したので、それからちよいちよい関西旅行をするやうになつたある夏のこと、お父さんは
わたくしをお役所へつれていつてくれました。仔熊をみたいとせがんだからです。その仔熊は――若しおぼえて
いらしたら、大阪の新聞や、その社のコドモニュウス映画で、ごらんになつた方々も、ずいぶん多い筈だと思ひます。
お父さんは仔熊をうつした写真を、よく東京へもつてきました。お役所の女のひとだのお父さんだのが、
眩しいやうなコンクリイトの空地のうへで、熊にお菓子をやつてゐるところでした。さうしてどの写真の熊も
をして一寸首をかしげて、まだ小つぽけな両手の爪を、全部だらしなく出してゐました。
赤か、それとも派手な模様のリボンを、首につけてやりたいやうでした。
お役所のAさんは話してくれました。
「あんまり深い山でも有名な山でもありませんけど、大阪近県の山おくで、きこりが木をきつてゐたのです。
するとどつかで、コリッコリッといふ音がしてきました。…
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より

34 :
(中略)
ふいに明るいところへ来て眩しかつたものか、目をしよぼしよぼさせた仔熊が、耳だのあるかないかわからないほどな
尻尾だのをぴくぴくうごかして、両手でつかんだきいろい木片をコリッコリッと噛みながら出てまゐりました。
さきほどからの音はこの音だつたんです。
おいしくもなさゝうなその木片を、さも大事さうにカジつたりつたりなめたりしてゐるのをみると、
きこりはかはいらしくつてふきだしさうになる一方、大へんかはいさうにも思ひました。きつとたべるものが
なくなつたので空きぬいたお腹をだますために、そんなものをかじつてゐたのに相違ないのです。きこりは熊を
抱き上げました。すると真暗な、小さな革コップをかぶせたやうな鼻先を、しきりにきこりのえりだのふところだのに
つつこみました。手を出してやるとふんふんといひながら、ふざけるつもりか喰へ物と思つたのか、そつと
やはらかく指をかみます。
ありあはせの縄で傍らの木にひとまづつないでおき、お弁当なんぞを分けてやつたのち、仕事がすむとそれを抱へて、
村里へ下りてゆきました。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話

35 :
(中略)
営林署の大竹さんがあるいてきました。
『へ、だんな熊ッ子です』ときこりは、いちぶしじゆうつかまへた話をしました。どれどれとわらひながら
大竹さんは熊を抱かうとして手をのばしました。すると口にくはへてゐた煙草をおとしてしまひました。大竹さんが
ちよつと惜しさうにしてそれをみますと、熊も心配さうな顔をして、自分が落し物をしたやうに下をみました。
大竹さんはアハヽハと笑ひました……」
Aさんはそこまで話して自分もをかしさうに笑ひながら、
「営林署でゆづりうけてそれから大阪の、この営林局へつれてこられたんですよ……」といひました。
背のひくい女のひとゝAさんとの案内で、わたくしは熊を見に行きました。廊下の両側にはタイプライタアの音が
つつかゝるやうにやかましく響いてゐました。(中略)
小さいドアをあけて二三段下りると、地べたへぢかの屋根付廊下がまはりを囲み、バラックがみえてゐて、
ちよつとペンキの匂ひもする、一面セメントのたゝきのやゝ広い場処へ出ました。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より

36 :
仔熊はそのはじつこの岩乗な檻のなかでオォン・ウォンとないてゐました。営林局へ来てからといふもの世話を
一ト手に引き受けていちばん懐かれてゐる小使さんが、わたくしたちを待つてゐました。(中略)
やがて小使さんが小さな金だらひに御飯でつくつた糊をたんといれたのをもつてきて、をりの戸をあけますと、
熊はなれなれしく小使さんにすりつきました。それをいれてやるとみるまにパクパクたべてしまひましたが、
いよいよ手が要用になつて前脚でたらひを抱へ、顔をすつかりつつこんで隅から隅まできれいにしてしまひました。
お食後には林檎をひとつやりました。一寸爪先で皮をむくやうなまねをしましたけれども、思ひ直したやうに
ガブリとかみついて芯から何からみなたべてしまひました。
「熊を出しませう」と小使さんが云ひました。わたくしはもうちつとも熊がこはくなくなつてゐましたから、
ニコニコ笑ひました。
「あんよはお上手」なんぞと言はれながら小使さんに前脚を持たれると熊は困つたやうな顔をして立つたまんま
危なつかしげに出てきました。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より

37 :
足の裏のぶよぶよした灰色が、そのとき日に光つてまつしろに濡れてみえました。鎖をつけて小使さんが引つぱつて
あるきました。
「また梯子のぼりさせようぜ」と云つて別の小使さんが梯子をもつてきて屋根にかけました。満腹で御機嫌に
なつたので、熊は云ふとほりになりました。ウヴォオンと呟やいて梯子のまへにすると、屋根のうへの方を
まぶしげに眺めながら、手招きしつづけてゐるやうな前脚をそつと梯子にかけ、それからはすらすらと三四段
上りました。
もうそれ以上はのぼれないとわかると熊は恨めしさうにトタン屋根のまぶしい反射を見上げて、かへりはひどく
用心ぶかく下りてきました。
……そのときむかうの出口から給仕さんがやつてきました。「お父さんがお呼びですよ」
……わたくしは何度も何度も熊のはうを見ながら、のこりをしさうにその扉の前の段段を上つてゆきました。
熊はねぶられたやうな眩しい目付をして一寸わたくしを見ましたが、なんだつまらないと云つた顔付で、また
むかうを向いて歩いて行きました。……
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より

38 :
(中略)
あるときお父さんが大阪からかへつてきて夕食のときに申しました。
「あの仔熊は室垣さんとこへ払下げちやつたよ」
「まあ何につかふんでせう、まさか毛皮にするんぢやないんでせうね」とお母さんがいひました。(中略)
室垣さんといふのはお父さんの高等学校時代からのお友達で、温泉の会社をやつてゐました。その会社では
温泉地に宿屋なんぞを経営してゐるのださうで、そんなところへ仔熊は買はれて行つたものとみえます。
「こんどつから大阪行つてもつまんないな」とわたくしが言ひましたらお母さんは、
「熊の毛皮は冬ころしたんぢやないと毛がぬけてだめなんですつて」と別なことをいひ出しました。それをきくと
なんだかあの仔熊はどうしても皮をはがれなけりやならないやうな気がして来て可哀さうで御飯がたべられませんので、
水ばかりのんで流しこんでゐました。
お父さんは新聞に夢中になつて活字のうへにひとつごはん粒をこぼしました……。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より

39 :
十二月のなかごろに室垣さんは久し振りにたづねてきました。そしてあしたから××といふ山の温泉へいきませうと
いひました。お正月もそこですごすつもりで、学校が早くお休みになつたわたくしはお父さんと室垣さんとで
さきに行き、妹や弟たちもお休みになつてから、お母さんといつしよにやつてくることになりました。(中略)
駅には宿の番頭さんや二、三人のひとが迎へに来てゐました。鈴蘭灯がつゞいてゐる町をぬけると、そのへんは
大へん静かでした。早くも梅のつぼみがふくらんでゐました。宿はまつしろい谷川をみおろして、古びた土橋の
よこにたつてゐました。
わたくしはお風呂にはひるまへに、熊をみにいきました。
「さあさあどうぞ、こちらですわ」とお女将さんが案内してくれました。いちど玄関においてお客さまにみせて
ゐたのですが、おびえてちゞこまつてばかりゐるので、人の少ないこつちの内庭へ、移したのだといつてゐました。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より

40 :
それは宿屋から渡り廊下でつゞいてゐるお女将さんたちの家の、ごく内輪な庭で、茶梅(ささんくわ)の白と
鴾(とき)いろの花が、落ちついた濃みどりの葉のあひだに、少しちりかけてゐました。文鳥がかつてありました。
三万を棟に囲まれた庭の隅に、営林局のころよりはずつとしやれた檻にいれられて熊はゐました。銅板に彫つた
トミィといふ名札がうちつけてあるところをみると、この仔熊も「トミィ君」になつたとみえます。わたくしが
トミィ、トミィや、と呼びますと、寄つてきて前とおんなじのクスンクスンフンフンをやりましたから、
かはいらしくてだつこしてみたくさへなりましたが、何分大へん大きくなつてゐてかみつかれる心配もなくは
なささうでした。
おかみさんは、
「オヤオヤはじめてン人には見向きもしないのにお坊ちやんばかりには大へんな甘つたれですわ」と云つてゐました。
わたくしがさいしよにそれを見たとき感じたのがほんとになつて、熊は首にまつ赤な絞りの首巻をしてゐました。
平岡公威(三島由紀夫)15歳「仔熊の話」より

41 :
祖母は神経痛のために風にあたるのを嫌つたので、障子は悉く閉め切られ、光は殆ど得られなかつた。
わたしは祖父のところへ行き、書籍をよみをはつたのをうかゞつて「おぢいさまはこんなに暖かいのに何故
こたつなんかに這入つていらつしやるの」と言ふと、祖父は小さく笑ひ乍ら私を見た。わたしは炬燵蒲団の上に
細々と砕けてこぼれてゐる正午に近い陽光を指さした。祖父とわたしとでゆつくりと庭へ下りる前にわたしは、
祖母の居間の障子をそうおつと明け放つた。風は草の葉を揺がす程もなく、祖母は徐ろに庭先を眺めた。そこには
新緑が春光に反射されて、さふあいやのやうな光を放ち、庭木は逞ましい腕をさしのべて蒼穹に向つて伸び
行きつゝあつた。その木の間に真赤なひらひらするものが、こまかい枝々をとほして見えた。祖母が何ときいたので、
山椿ですよ、と答へた。まあ、山椿! もう山椿が咲き出す時分になつたかねえ。
平岡公威(三島由紀夫)13歳「春光」より

42 :
わたしはその下に行つて、手頃な小枝を二三本手折つた。びろうどのやうな不透明な柔かさがしつとりと指先に
吸ひついた。――祖母は女中に一輪差を持つてこさして自分がさし、顔をそうーつと花のそばへ持つて行つた。
葩一枚一枚には、春光がすつかりしみ込んでゐた。祖母の面(おもて)は、眼(まなこ)は俄かに若々しくなり
再び一輪差の中からそれをとり出していつまでももてあそんだ。
祖父は涼亭(ちん)へ行つて了つたので、わたし一人芝生の上にとりのこされた。芝の匂ひはむせるやうに
激しくて、一匹の蟻がよたよたと嬰子のやうな恰好して歩いて来た。怪我をしてゐるらしかつた。わたしは急に
いとほしくなり、そうおつと掌にのせてやつて蠢(うご)めいてゐる小さな生物の生命のよろこびをたのしんだ。
祖父は涼亭の石段をことことと下りて来た。
平岡公威(三島由紀夫)13歳「春光」より

43 :
天地の混沌がわかたれてのちも懸橋はひとつ残つた。さうしてその懸橋は永くつづいて日本民族の上に永遠に
跨(またが)つてゐる。これが神(かん)ながらの道である。こと程さ様に神ながらの道は、日本人の
「いのち」の力が必然的に齎(もたら)した「まこと」の展開である。(中略)
神ながらの道に於ては神の世界への進出は、飛躍を伴はぬのである。そして地上の発展そのものがすでに神の
世界への「向上」となつてゐるのである。かるが故に「神ながらの道」は地上と高天原との懸橋であり得るのである。
神ながらの道の根本理念であるところの「まことごゝろ」は人間本然のものでありながら日本人に於て最も
顕著に見られる。それは豊葦原之邦(とよあしはらのくに)の創造の精神である。この「土」の創造は一点の
私心もない純粋な「まことごゝろ」を以てなされた。
平岡公威(三島由紀夫)16歳「惟神(かんながら)之道」より

44 :
「まことごゝろ」は又、古事記を貫ぬき万葉を貫ぬく精神である。鏡――天照大神(あまてらすおほみかみ)に
依つて象徴せられた精神である。すべての向上の土台たり得べき、強固にして美くしい「信ずる心」であり
「道を践(ふ)む心」である。虚心のうちにあはされた澎湃(はうはい)たる積極的なる心である。かゝる
積極と消極との融合がかもしだしたたぐひない「まことごゝろ」は、又わが国独特の愛国主義をつくり出した。
それは「忠」であつた。忠は積極のきはまりの白熱した宗教的心情であると同時に、虚心に通ずる消極の
きはまりであつた。
かゝる「忠」の精神が「神ながらの道」をよびだし、又「神ながらの道」が忠をよびだすのである。かくて
神ながらの道はすべての道のうちで最も雄大な、且つ最も純粋な宗教思想であり国家精神であつて、かくの如く
宗教と国家との合一した例は、わが国に於てはじめて見られるのである。
平岡公威(三島由紀夫)16歳「惟神(かんながら)之道」より

45 :
まことに小鳥の死はその飛翔の永生を妨げることはできない。中絶はたゞ散歩者が何気なく歩みを止めるやうに
意味のない刹那にすぎない。喪失がありありと証ししてみせるのは喪失それ自身ではなくして輝やかしい存在の
意義である。喪失はそれによつて最早単なる喪失ではなく喪失を獲得したものとして二重の喪失者となるのである。
それは再び中絶と死と別離と、すべて流転するものゝ運命をわが身に得て、欣然輪廻の行列に加はるのである。
別離が抑(そもそも)何であらうか。歴史は別離の夥しい集積であるにも不拘(かかはらず)、いつも逢着として、
生起として語られて来たではないか。会者必離とはその裏に更に生々たる喜びを隠した教へであつた。
別離はたゞ契機として、人がなほ深き場所に於て逢ひ、なほ深き地に於て行ずるために、例へていはゞ、池水が
前よりも更に深い静穏に還るやうにと刹那投ぜられた小石にすぎない。それはそれより前にあつたものゝ存在の意義を
比喩としつゝ、それより後に来るものゝ存在を築くのである。即ち別離それ自体が一層深い意味に於ける逢会であつた。
私は不朽を信ずる者である。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「別れ」より

46 :
ひとりひとりの胸にそんなにまで切ない憧れをのこして行つたかなしみは、その哀しみのゆゑに
はるかな、たとしへもなく美しい悔いを悼歌のやうにかなでた。だれが悔いる責を負ふ人で
あつたらう。さうした悔いのなかには、ねぎごとに似たふしぎな美しさが聳えだしたと、
そんな風に人はだれにむかつて云はう――。
三島由紀夫18歳「世々に残さん」より
年齢はいつも橋であると同時にそれの架る谷間でもある。昔の彼は谷底を見ずに飛越す。
今のエスガイは飛越さうとする時に谷底を見る。しかし可能性の限局ではないのだ。
エスガイは可能性の輪のなかへ入つたのだ。はじめて彼は可能性を己が所有とした。
昔の彼であつたなら、それを彼が、可能性の虜になつてゐる。としか信ぜぬやうな仕方で、
エスガイは輪へ踏み入ることにより、真に輪の外へ出るのではないのか。
三島由紀夫20歳「エスガイの狩」より

47 :
往時より、月を見て暮らした人、透視術にした人は、疲労困憊して狂気か死への途を
辿るといはれる。さやうな疲れは人間の能力を超えたものへの懲罰であり、同時に深く
人性の底に根ざした疲れである。
死すべき時は選びえずともどうして死所を選びえぬことがあらう。
三島由紀夫20歳「中世」より
夢想は私の飛翔を、一度だつて妨げはしなかつた。
夢想への耽溺から夢想への勇気へ私は出た。……とまれ耽溺といふ過程を経なければ
獲得できない或る種の勇気があるものである。

最早私には動かすことのできない不思議な満足があつた。水泳は覚えずにかへつて来て
しまつたものの、人間が容易に人に伝へ得ないあの一つの真実、後年私がそれを求めて
さすらひ、おそらくそれとひきかへでなら、命さへ惜しまぬであらう一つの真実を、私は
覚えて来たからである。
三島由紀夫20歳「岬にての物語」より

48 :
他者との距離、それから彼は遁れえない。距離がまづそこにある。そこから彼は始まるから。
距離とは世にも玄妙なものである。梅の香はあやない闇のなかにひろがる。薫こそは
距離なのである。しづかな昼を熟れてゆく果実は距離である。なぜなら熟れるとは距離だから。
年少であることは何といふ厳しい恩寵であらう。まして熟し得る機能を信ずるくらゐ、
宇宙的な、生命の苦しみがあらうか。
一つの薔薇が花咲くことは輪廻の大きな慰めである。これのみによつて殺人者は耐へる。
彼は未知へと飛ばぬ。彼の胸のところで、いつも何かが、その跳躍をさまたげる。
その跳躍を支へてゐる。やさしくまた無情に。恰かも花のさかりにも澄み切つた青さを
すてないあの蕚(うてな)のやうに。それは支へてゐる。花々が胡蝶のやうに飛び立たぬために。
三島由紀夫19歳「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」より

49 :
王子をゆりうごかした愛は、合(みあは)しせんと念(おも)ふ愛であつた。鹿が狩手の矢も
おそれずに牝鹿が姿をかくした谷間へと荊棘(いばら)をふみしだいて馳せ下りる愛であり、
つがひの鳩を死ぬまで森の小暗い塒(ねぐら)にむすびつける愛であつた。その愛の前に
死のおそれはなく、その愛の叶はぬときは手も下さずに死ぬことができた。王子も亦、
死が驟雨のやうにふりそそいでくるのを待つばかりである。どのみち徒らにわたしは死ぬ、
と王子は考へた。死をおそれぬものが何故罪をおそれるのか?
この世で愛を知りそめるとは、人の心の不幸を知りそめることでございませうか。
わが身の幸もわが身の不幸も忘れるほどに。
三島由紀夫21歳「軽王子と衣通姫」より

50 :
たとひ人の申しますやうに恋がうつろひやすいものでありませうとも、大和の群山(むらやま)に
のこる雪が、夏冬をたえずうつりかはりながら、仰ぐ人にはいつもかはらぬ雪とみえますやうに、
うつろひやすいものはうつろひやすいものへとうけつがれてゆくでございませう。
恋の中のうつろひやすいものは恋ではなく、人が恋ではないと思つてゐるうつろはぬものが
実は恋なのではないでせうか。
はげしい歓びに身も心も酔うてをります時ほど、もし二人のうちの一人が死にその歓びが
空しくなつたらと思ふ怖れが高まりました。二人の恋の久遠を希ふ時ほど、地の底で
みひらかれる暗いあやしい眼を二人ながら見ました。あなたさまはわたくし共が愛を
信じないとてお誡(いまし)め遊ばしませうが、時にはわれから愛を信じまいと
力(つと)めたことさへございました。せい一杯信じまいと力めましても、やはり恋は
わたくし共の目の前に立つてをりました。
三島由紀夫21歳「軽王子と衣通姫」より

51 :
わたくし共の間にはいつも二人の仲人、恋と別れとが据つてをります。それは一人の仲人の
二つの顔かとも存ぜられます。別れを辛いものといたしますのも恋ゆゑ、その辛さに
耐へてゆけますのも恋ゆゑでございますから。
自在な力に誘はれて運命もわが手中にと感じる時、却つて人は運命のけはしい斜面を
快い速さで辷りおちつゝあるのである。
女性は悲しみを内に貯へ、時を得てはそれを悉く喜びの黄金や真珠に変へてしまふことも
できるといふ。しかし男子の悲しみはいつまで置いても悲しみである。
凡ては前に戻る。消え去つたと思はれるものも元在つた処へ還つて来る。
三島由紀夫21歳「軽王子と衣通姫」より

52 :
接吻をしようと決心した男が、恋文ひとつ書く勇気もないといふことほど滑稽な矛盾が
あらうかしら。事実僕は、小説を読んでも、一人の蕩児が手れん手くだを用ひて遂に女を
ものにする筋より、夢のやうな衝動に襲われた女が見も知らぬ男の頸にすがりつくやうな
場面の方に惹かれがちな年頃であつた。
小説の主人公は一度はかならずさういふ女にめぐりあつて仮の契を結ぶ。しかし実際の
人生で、男がまづめぐりあふ女は、そんな女であることは滅多にないのだ。若い女は
自分の清純をこそねがへ、相手の男の清純をそれほどねがひはしない。これは当然でもあり、
矛盾でもある。
三島由紀夫21歳「恋と別離と」より
お嬢さん方、詩人とお附き合ひなさい。何故つて詩人ほど安全な人種はありませんから。
三島由紀夫22歳「接吻」より
「彼女の死を選択したことは、よく考へてみると、俺自身の死を選択したことでもあつたのだ。
人生よ、さらば!」
――つまりこれが失恋自殺といふ奴である。
三島由紀夫22歳「哲学」より

53 :
やさしい心根をもつゆゑに、人の冷たい仕打にも誠実であらうとする。誠実は練磨された。
ほとんど虚偽と見まがふばかりに。
事件といふものは見事な秩序をもつてゐるものである。日常生活よりもはるかに見事な。
三島由紀夫20歳「サーカス」より
美しい女と二人きりで歩いてゐる男は頼もしげにみえるのだが、女二人にはさまれて
歩いてゐる男は道化じみる。
三島由紀夫22歳「春子」より
若い女といふものは誰かに見られてゐると知つてから窮屈になるのではない。ふいに体が
固くなるので、誰かに見詰められてゐることがわかるのだが。
三島由紀夫22歳「白鳥」より

54 :
抑々(そもそも)人間性の底には或るどうにもならない清純さが存在するのであります。
古代人がこれについて深く思ひを致したならば恐らく神性と名付けるでありませう。
かゝる清純さは、本能的なもの無意志的なものと固く結びついてをるのでありまして、
或る時は社会的拘束の凡て、――就中(なかんづく)道徳的準縄の凡てをも、やすやすと
超越し逸脱し得るやうに考へらるゝのであります。さればこそそれは恒常の人間生活の
評価の前に立つ時、殆んど清純と反対の評語――邪悪、破廉恥、厚顔、乱、等の汚名をば
浴びせらるゝことを寡(すくな)しとしませぬ。
実に純粋とは、青春の苦役でもあるのであります。
三島由紀夫21歳「贋ドン・ファン記」より

55 :
あの慌しい少年時代が私にはたのしいもの美しいものとして思ひ返すことができぬ。
「燦爛とここかしこ、陽の光洩れ落ちたれど」とボオドレエルは歌つてゐる。「わが青春は
おしなべて、晦闇の嵐なりけり」。少年時代の思ひ出は不思議なくらゐ悲劇化されてゐる。
なぜ成長してゆくことが、そして成長そのものの思ひ出が、悲劇でなければならないのか。
私には今もなほ、それがわからない。誰にもわかるまい。老年の謐かな智恵が、あの秋の末に
よくある乾いた明るさを伴つて、我々の上に落ちかゝることがある日には、ふとした加減で、
私にもわかるやうになるかもしれない。だがわかつても、その時には、何の意味も
なくなつてゐるであらう。
三島由紀夫21歳「煙草」より

56 :
われらが一ト度幸福のなかへ入ると、何をしようと幸福の方でわれらを捕へて放さぬやうに
みえる。しかしわれらの意識せぬ別の力が、いつのまにかわれらを幸福から放逐して
くれるのである。
花には心がある。万象の心の中でも人の心に最も触れやすい心は之である。人が花を
愛づる時、花がなぜその愛に応へ得ぬことがあらう。花の愛は人に愛の誠を教へた。
女には婦徳を、男には平和を。光源氏が世にありし頃、女はなほ花と分ちがたい名を
持ち心を持つてゐた。恋歌は花をうたふ風体の上乗なるものであつた。しかも四時の花は
天候や季節に左右されることなく、極寒の梅も手に触るればあたゝかに、大暑の百合も
人の心に涼風を通はす。
三島由紀夫20歳「菖蒲前」より

57 :
否、所謂(いはゆる)花の心は花にもなく人にもない。花を見、且つは触れ、且つは
そを愛でて歌詠む時、人の魂はあくがれ出で花のなかへはひつてゆく。花へはひつた人の心は
水に映れる月のやうに、漣が来れば砕けるが月が傾けば影も傾く。その間に目に見えぬ
糸があり、月と潮の満干のやうな黙契があると思ふのは、誤ち抱いた妄想にすぎぬ。
人の心が人の心のまゝになることに何の不思議があらう。鏡の影が像の儘(まま)に
動くとてなど怪しむことやある。花の心は人の心の分身である。人の心が立去るとき
花にも心は失はれる。
苦しみをはじめて得た人はなほその苦しみを味方に引入れて共に住むことを知らない。
その敵たらんと好んで力(つと)め、苦しみは益々耐へがたいものになる。
三島由紀夫20歳「菖蒲前」より

58 :
中世欧羅巴(ヨーロッパ)の騎士たちは戦争のみならず日常生活の随所に織り込まれる
決闘によつてたえず生命の危険にさらされてゐた。それは古今東西変はらない女たるものの
天賦の危険、即ち貞操の危険と相頡頏するものであつた。つまり男女の危険率が平等であつたのだ。
さういふ時、女は自分の貞操を、男が自分の生命を考へるやうに考へただらうと思はれる。
貞操は自分の意志では守りがたいもので、運命の力に委ねられてゐると感じたに相違ない。
また貞操は貞操なるが故に守らるべきものではなく、それ以上の目的の為には喜んで
投げ出されるべきであつた。と同時に、男がつまらない意地や賭事に生命を弄ぶことが
あるやうに、女もそれ以外に賭ける財産がないではないのに、一番見栄えのする貞操を、
軽い手慰みに賭けて悔いないこともあつたにちがひない。その勇敢、その勇気が、かくして
時には異様に荘厳な光輝を放つたことがあつたかもしれない。……
余裕は反省を絞め殺してしまふものだ。
三島由紀夫22歳「夜の仕度」より

59 :
極端に自分の感情を秘密にしたがる性格の持主は、一見どこまでも傷つかぬ第三者として
身を全うすることができるかとみえる。ところがかういふ人物の心の中にこそ、現代の
綺譚と神秘が住み、思ひがけない古風な悲劇へとそれらが彼を連れ込むのである。彼の
固く閉ざされた心の暗室は、古い物語にある古城や土牢の役割をつとめる。彼と他人との
間の心の溝は、古(いにし)への冒険者が泳ぎわたつた暗い危険な堀割ともなるであらう。
外的な事件からばかり成立つてゐた浪漫的悲劇が、その外的な事件の道具立を失つて、
心の内部に移されると、それは外部から見てはドン・キホーテ的喜劇にすぎなくなつた。
そこに悲劇の現代的意義があるのである。
確信がないといふ確信はいちばん動かしがたいものを持つてゐる。
三島由紀夫「盗賊」より

60 :
男には屡々(しばしば)見るが女にはきはめて稀なのが偽悪者である。と同時に真の偽善者も
亦、女の中にこれを見出だすのはむつかしい。女は自分以外のものにはなれないのである。
といふより実にお手軽に「自分自身」になりきるのだ。宗教が女性を収攬しやすい理由は
茲(ここ)にある。
彼は年齢の効用を弁へてゐなかつた。女の心に全く無智な者として振舞ひながらその心に
触れてゆくやり方は青年の特権であるべきなのに。
愛といふものは共有物の性質をもつてゐて所有の限界があいまいなばかりに多くの不幸を
巻き起すのであるらしい。彼は虔(つつ)ましく自分の愛だけを信じてゐるつもりだつた。
かくしてしらぬまに、彼が美子の中に存在すると仮定してゐる彼への愛の方を、もつと
多量に信じてゐたのだ。
ある人にあつては独占欲が嫉妬をあふり、ある人は嫉妬によつて独占欲を意識する。
三島由紀夫「盗賊」より

61 :
嫉妬こそ生きる力だ。だが魂が未熟なままに生ひ育つた人のなかには、苦しむことを知つて
嫉妬することを知らない人が往々ある。彼は嫉妬といふ見かけは危険でその実安全な感情を、
もつと微妙で高尚な、それだけ、はるかに、危険な感情と好んですりかへてしまふのだ。
我々が深部に於て用意されてゐる大きな変革に気附くまでには時間がかかる。夢心地の裡に
汽車を乗りかへる。窓の外に移る見知らぬ風景を見ることによつてはじめて我々は汽車を
乗りかへたことに気附くのである。……さうした意味の風景を今彼は見てゐるのではなからうか。
それは直接にのぞくよりも、もつと的確に内部をのぞかせる。否彼が見てゐるのは彼の
内部に他ならぬかもしれないのだ。
ある動機から盗賊になつたり死を決心したりする人間が、まるで別人のやうになつて
了ふのは確かに物語のまやかしだ。むしろ決心によつて彼は前よりも一段と本来の彼に
立還るのではないか。
三島由紀夫「盗賊」より

62 :
死を人は生の絵具を以てしか描きだすことができない。生の最も純粋な絵具を以てしか。
たとひ自殺の決心がどのやうな鞏固(きようこ)なものであらうと、人は生前に、一刹那でも
死者の眼でこの地上を見ることはできぬ筈だつた。どんなに厳密に死のためにのみ
計画された行為であつても、それは生の範疇をのがれることができぬ筈だつた。してみれば、
自殺とは錬金術のやうに、生といふ鉛から死といふ黄金を作り出さうとねがふ徒(あだ)な
のぞみであらうか。かつて世界に、本当の意味での自殺に成功した人間があるだらうか。
われわれの科学はまだ生命をつくりだすことができない。従つてまた死をつくりだすことも
できないわけだ。生ばかりを材料にして死を造らうとは、麻布や穀物やチーズをまぜて
三週間醗酵させれば鼠が出来ると考へた中世の学者にも、をさをさ劣らぬ頭のよさだ。
三島由紀夫「盗賊」より

63 :
皮肉な微笑は、かへつて屡々(しばしば)純潔な少女が、自分でもその微笑の意味を
知らずに、何の気なしに浮かべてゐることがあるものだ。
いかに純潔がそれ自身を守るために賦与した苦痛の属性が大きからうと、喜びの本質を
もつた行為のなかで、その喜びを裏切ることが出来るだらうか。清子が無知だからといふ
ことは言訳にならない。無知はこのやうな時にこそ本然の智恵のかがやきを放つ筈だ。
手を握られた清子の眉にあらはれたのは、前よりも確実な、およそ喜びのもたらす苦痛とは
縁のない苦痛だつた。もつとも端的に男の矜りを傷つけるやうな苦痛だつた。
周囲の人々は明秀をがんじがらめにしてゐるつもりで、彼の形骸をがんじがらめにして
ゐるのだつた。彼は別の場所に立つて、彼の宿命を彼自身の手で選んだのである。いはば
人は死を自らの手で選ぶことの他に、自己自身を選ぶ方法を持たないのである。生を
選ばうとして、人は夥しい「他」をしかつかまないではないか。
三島由紀夫「盗賊」より

64 :
自殺しようとする人間は往々死を不真面目に考へてゐるやうにみられる。否、彼は死を
自分の理解しうる幅で割切つてしまふことに熟練するのだ。かかる浅墓さは不真面目とは
紙一重の差であらう。しかし紙一重であれ、混同してはならない差別だ。――生きて
ゆかうとする常人は、自己の理解しうる限界にαを加へたものとして死を了解する。
このαは単なる安全弁にすぎないのだが、彼はそこに正に深淵が介在するのだと思つてゐる。
むしろ深淵は、自殺しようとする人間の思考の浮薄さと浅墓さにこそ潜むものかもしれないのに。
人間の想像力の展開には永い時間を要するもので、咄嗟の場合には、人は想像力の貧しさに
苦しむものだつた。直感といふものは人との交渉によつてしか養はれぬものだつた。
それは本来想像力とは無縁のものだつた。
私は生きてゐるうちはあの人を愛することを止めることはできません。この愛の貴重さが
はつきりとわかるだけに、私はもう、生きてゐることの夥しい浪費に耐へられなくなりました。
死といふことは生の浪費ではありませんわね。死は倹(つま)しいものです。
三島由紀夫「盗賊」より

65 :
「何のために生きてゐるかわからないから生きてゐられるんだわ」――彼女は寧ろ
かう言ひたかつたのだ。『私と藤村さんとは何のために生きてゐるかはつきり知つて
しまつたから死ぬのだが、もしかしたらそれが現在の刻々を一番よく生きてゐる生き方かも
しれない』と。
ふと目をあげて明秀が見たのは、柔らかに白い清子の咽喉元だ。さすがに明秀も胸の
をのゝきを止めえなかつた。清子に別れに来たあの日、彼はそれを美しと見たではないか。
解けない算術を彼は繰り返した。その白い咽喉+銀の短刀。それが=血潮と死、といふ風に
どうしてならうか。白と銀とからいかにして赤が生れえよう。彼女はこの算術を誤つたのでは
なからうか。
勝気な眉をあげて清子は明秀の愕いた様子をにこやかに眺めてゐた。彼女は殉教者のやうに
矜り高くみえた。彼女のなかには明秀が今まで知らずにゐたもう一つの建築が聳えだした。
夕日の地平線にけだかい伽藍が立ち現はれて来るやうに。
三島由紀夫「盗賊」より

66 :
清子をしてこのやうな優雅な凶器を自分の咽喉へあてがはうとさせた殆ど原始的な諸力こそ
明秀が冀(こひねが)ひ待ち希んでゐたものではなかつたか。その力を何の気なしに
すらすらと己が身に宿してゐる清子その人が、彼には嫉(ねた)ましくさへ思はれた。
所詮清子は女なのだ。何気なく何物かを宿し、その宿したものに対して忠実なのは女だ。
彼女の矜りの表情は彼女の知らないところに由来してゐる。
夏は、退屈な近代人に僅かながら物語的な熱情をよびさます。一時の仮のそれにせよ、
別離は物語的感情である。もう一寸のところで可能になりさうな事柄を可能にして
くれる作用が潜んでゐるやうに感じられる。
必要に迫られて、人は孤独を愛するやうになるらしい。孤独の美しさも、必要であることの
美しさに他ならないかもしれないのだ。
三島由紀夫「盗賊」より

67 :
地球といふ天体は喋りながらまはつてゐる月だつた。喋りつづけてゐるおかげで、人間は
地球がもうすつかり冷却して月とかはりなくなつてゐることに気附かない。しかも
地球といふ天体は洒落気のある奴で、皆が気附かなければそれなりに、そしらぬ顔をして
廻りつづけてゐるのだつた。
彼らがひつきりなしに喋つてゐるのも、畢竟、生からのがれようとしての悪あがきだ。
彼らは正に生きてゐる。しかもたえず生の偸安をしか思ひめぐらさない。生を避けることに
よつて生に媚態を呈してゐるこんな生き方は、時としてあの古代の牧歌に歌はれた少女の
媚態のやうに、うひうひしく美しく見えることがないではない。
決して生をのがれまいとする生き方は、自ら死へ歩み入る他はないのだらうか。生への
媚態なしにわれわれは生きえぬのだらうか。丁度眠りをとらぬこと七日に及べば死が
訪れると謂はれてゐるやうに、たえざる生の覚醒と生の意識とは早晩人を死へ送り込まずには
措かぬものだらうか。
莫迦げ切つた目的のために死ぬことが出来るのも若さの一つの特権である。
三島由紀夫22歳「盗賊」より

68 :
少年といふものが彼らの年齢特有の脆弱さを意識して反対の「粗雑さ」に憧れる傾向を、
亘理は冷眼視してゐるやうに思はれるのだつた。彼はむしろ脆弱さを守らうとしてゐた。
自分自身であらうとする青年は青年同士の間で尊敬される。しかし自分自身であらうと
する少年は少年たちの迫害に会ふのである。少年は一刻でも他の何物かであらうと
努力すべきであつた。
三島由紀夫23歳「殉教」より
下手な恋文しか書けない人に、『恋文を書く必要がない』といふ幸福を一生あたへ
つづけること、それが結婚生活といふものなのですからね。
男は女と別れたら、よし御夫婦でも、女を自分の『昔の女』とか『別れた妻』とか
『昔の恋人』とかいふ別の新鮮な偶像に仕立てて、そのコッピーをちやんと自分のところに
とつておかうとする甘つたるい欲望から脱けきれないものです。
三島由紀夫22歳「親切な男」より
不安は奇体に人の顔つきを若々しくする。
三島由紀夫23歳「毒薬の社会的効用について」より

69 :
女を知らない体がどうして不幸なものですか。わたしの体を知つた男はみんな不幸になる
ばかりだわ。わたしお兄様をお可哀想になんて言へないことよ。
三島由紀夫22歳「家族合せ」より
精力はともすると物憂げな外見を装ひたがるものである。
同情といふ感情は一種の恐怖心で、自分に大して関係のないものが関係をもちさうに
なるのを惧(おそ)れるあまり、先手を打つて、同情といふ不良導体でつながれた関係を
もたうとする感情だ。
事件といふものが一種の古典的性格をもつてゐることは、古典といふものが年月の経過と
共に一種の事件的性格を帯びるのと似通つてゐる。事件も古典と同じやうに、さまざまの
語り変へが可能である。
三島由紀夫24歳「親切な機械」より

どんな卑近な情熱でも、そこには何らかの自己放棄を伴ふものだ。

良心は人を眠らせないが、罪は熟睡させるのである。
三島由紀夫24歳「孝経」より

70 :
絶望は卑怯な方法である。目前の不幸なり困難なりにぶつかつて絶望するとき、人は
もし絶望しなかつたら更にぶつかつたであらう一層大きな不幸や困難から身を守るのだ。
絶望する者は結局、不幸や困難を愛することを知らないのだ。そして絶望と妥協した範囲だけの
不幸や困難を愛するのだ。そのとき彼は、絶望そのものにだけは絶望しえない自分を
見出だすだらう。なぜなら絶望といふ前提をとり除いたら彼の現在の存在理由はなく、
また同時に絶望によつてしか現在の存在理由を失はしめえないと考へるとき、彼は新たな
第二の絶望のために何らかの行動の原理をたのまざるをえないだらう。それが他ならぬ
希望ではあるまいか。
この世のありとあらゆる不幸と困難を心から愛し、あらゆる不幸と困難に対して扉を
とざすことのないものこそ、希望と憧憬、この生への意慾の二つの美しい支柱である。
人間もまた向日葵のやうにたえず太陽のはうへ顔を向けてゐたいと希ふものだ。夜のあひだ
向日葵は夢みてゐる。それは夜になれば太陽の光が彼の内面にだけ差し入つて来るからだ。
三島由紀夫「人間喜劇」より

71 :
目前の汚れた小さな水たまりに目を奪はれて、お前も海の水の青さを疑つてはならないぞ。
どんな世の中にならうとも、女の美しさは操の高さの他にはないのだ。男の値打も、
醜く低い心の人たちに屈しない高い潔らかな精神を保つか否かにあるのだ。さういふ
磨き上げられた高い心が、結局永い目で見れば、世のため人のために何ものよりも役立つのだ。
人の心はいつかは太陽へ向ふやうに、神がお定め下すつたのだからな。
不幸や悲しみの滅びないことを信じる人だけが、幸福も滅びないことを知ることができる
わけなのね。
何もかも失くした時こそ、何もかも在りうる時なのです。
人が自分のことでない喜びをよろこんでゐる表情ほど美しいものはありませんね。
三島由紀夫「人間喜劇」より

72 :
自分の不幸だけを忘れようとするのは烏滸(をこ)のわざですよ。もしあなたが不幸に
会はれたら世界中の不幸を忘れてしまふ覚悟をなさることです。私のことなんぞ当分
お考へになるには及びません。又いつかきつとお考へになる時は来るのですから。そして
一旦世界中の不幸を忘れる必要に迫られた人だけが、世界中の不幸の慰め手になることが
できるのです。それを不幸への愛と呼びませうかね。愛するためにはまづ忘れることが必要です。
あなたは希望をお忘れにならぬ。これは若い人として美しいことです。しかし希望を
お忘れになつたときに、あなたの希望への愛も本当に生きてくるでせう。それは絶望を
忘れた人の、絶望への愛と似通つて来ます。ともかくお生きなさい。そしてお忘れなさい。
それが愛するといふことです。
どんな世の中が来ようとも誠実と愛とは貴く、情熱は美しいものだと頑固に疑はない。
そのどれもが人間にだけ出来るものなのだから。
三島由紀夫23歳「人間喜劇」より

73 :
郁子の死は法会に集つた人々の心のなかに広野の景観に似たゆたかな眺めを与へはじめてゐた。
死といふ事実は、いつも目の前に突然あらはれた山壁のやうに、あとに残された人たちには
思はれる。その人たちの不安が、できる限り短時日に山壁の頂きを究めてしまはうと
その人たちをかり立てる。かれらは頂きへ、かれらの観念のなかの「死の山」の頂きへ
かけ上る。そこで人たちは山のむかうにひろがる野の景観に心くつろぎ、あの突然目の前に
そそり立つた死の影響からのがれえたことを喜ぶのだ。しかし死はほんたうはそこからこそ
はじまるものだつた。死の眺めはそこではじめて展(ひら)けて来る筈だつた。光に
あふれた野の花と野生の果樹となだらかな起伏の景観を、人々はこれこそ死の眺めとは
思はず眺めてゐるのだつた。
三島由紀夫23歳「罪びと」より

74 :
繁子は明けがたまでこの二つの床のどちらにも落着けず、たえず枕と寝床とをとりかへながら
眠りを待つた。しかし一人で二つの床に寝ることはだれにもできない。目をさまして繁子が
毎朝かたはらに見出すものが、寝乱れた、しかも墓のやうに冷たく空しい「もう一つの床」で
あつても致方はなかつた。
不快な予感のやうな目覚めである。朝は怖ろしかつた。それは病人にとつての夜のやうな
朝だつた。繁子は残酷な忌はしい夢からさめた。口の中が血の匂ひでいつぱいのやうに
感じられた。悪夢の中の流血の印象が口にのこつたのではあるまいか。さうではなかつた。
月のもののその日には、繁子はさういふ感じがして目をさますのが常だつた。その日一日は
何を喰べても血の味がした。
――引揚の酸鼻な光景を目にして以来、自分の部屋には赤いものを一切置かせぬほど
過敏になつた繁子なのに、夢の中での流血は容赦もなかつた。奉天で際会した終戦から
内地へかへるまでの異様な情景を、夢は執拗にくりかへした。
三島由紀夫「獅子」より

75 :
八月末にソヴィエトの軍隊が入つて来た。(中略)寿雄夫妻は親雄を抱いて安奉線に乗つて引き揚げの旅についた。
その列車が匪賊に襲はれたのが、宮原といふ駅の附近だ。逃げ場を失つた乗客たちは、
荒野のそこかしこに水を湛へてゐる窪地へ下りた。それらの沼には葦に似て丈の高い草が
群生して水面一米突(メートル)の叢を諸所に浮かべてゐるので、水に体をひたせば
身は隠せた。(中略)
沼は依然森閑としてゐた。しかしおそらく水面から首だけ出してゐた数人の死傷者は声を
立てるひまもなしに沈んだのである。五十米足らず離れた向うの叢から荒い波紋がひろがり、
そのあたりの水が紅潮したのでもそれがわかる。雨に濡れた煉瓦の色だ。――そのとき
沼の遠い周辺に三四人の狙撃兵が姿をあらはした。次の銃声のまへに笑ひ声に似た鋭い悲鳴が
遠くで起つた。こんな風にして鴨猟のスポーツが、それこそ本物の阿鼻叫喚がはじまつた。
襲撃がをはつて、朝まだきに走り出した列車の一隅に腰を下ろして、あの惨劇の行はれた
沼沢地のかがやきを背後に見たとき繁子は失神した。
三島由紀夫「獅子」より

76 :
彼は何らかの情熱が働らかないところではおそろしく不手際になる男だつた。繁子に
冷たくなるにつれて彼の不手際な一面が押し出されて来るので、繁子はむしろさういふ
八方破れの彼に愛を感じだした。それは矛盾にみちた悲劇的な愛だつた。彼の巧みな
手れん手くだに乗ぜられた女が、やがて彼の愛が冷め、その冷めた愛を糊塗しようとする
彼の手くだの巧みさを見たとしたら、おそらく興ざめて別離はたやすくなるにちがひない。
しかし愛の冷却に伴ふさまざまな困難を一つとして切抜けかねる彼の意外な不器用さが、
女のなかに母性的な別種の愛をめざめさせ、それがますます別離を困難にすることは
ありうることだ。
嫉妬は透視する力だ。
「君にとつて大事なことは僕が恒子さんを愛してゐるかどうかといふ問題だらう。それに
比べれば一緒の宿に泊つたといふ事実が一体何だらう」
「愛の問題ではないのです。女には事実のはうがもつと大切です」
三島由紀夫「獅子」より

77 :
「…奥さん、あなたの悩みも亦季節のやうなものであります。烈しい夏のやうなものです。
夏の日照が秋の稔りを約束します。そして稲の一ト穂一ト穂は、自分一人がさうした
烈しい日光に焼かれてゐると思つてゐるが、実は誰もがさうなのです。この季節の中では
人は凡て不幸になります。あなたの悩みもその稔りある不幸の一つの形にすぎないのです」
「でもこの苦しみは私のものです。他の誰のものでもありません」
「御自分の苦しみをそんなに大事にしてはなりません」
「それは私に『生きてゐる勿(な)』と仰言ることでございます」
皮肉は何といふ美味なつまみものであらう。殊に酒精分の強い洋酒の場合は。
凡て悪への悲しげな意慾が完全に欠如してゐるこのやうな人間、(それこそ悪それ自体)が
地上から滅び去るとはどんなによいことであらう。さういふ善意が滅びることは、どれほど
地上の明るさを増すことだらう。
三島由紀夫「獅子」より

78 :
椅子から体がずり落ちて床に倒れた。生きてゐる間は巧く隠し了せてゐたこの女の地声が
いよいよ聴かれるのだ。それはゲエといつたりウーフといつたりウギャアといつたりする
声である。房や頬や胴を猫のやうに椅子の脚や卓の脚にすりつける。顔に塗りたくつた
真蒼な白粉が彼女によく似合ふ。彼女は頭を怖ろしい音を立てて床へぶつける。白い太腿が
蜘蛛のやうな動きで這ひまはつてゐる。そこにじつとりとにじみ出た汗は、目のさめる
やうな平静さだ。
――彼女と卓一つへだてて彼女の父も、熱心に同じ踊りを踊り狂つてゐるのだつた。彼の
呻き声は笑ひ声と同様に無意味である。「苦悩する人」といふ凡そ場ちがひの役処を彼が
引受けてゐるのは気の毒だ。仔犬のやうな目を必死にあいたりつぶつたりしてゐるが、
一体何が見えるといふのか。彼自身の苦悩でさへもう見えはせぬ。彼は口から善意の
固まりのやうな大きな血反吐をやつとのことで吐き出して眠りにつく。さうでもしなければ
安眠できまいといふことを彼はやうやく覚つたのである。
――繁子は毒の及ぼす効力をこのやうにまざまざと想像することができた。
三島由紀夫「獅子」より

79 :
「良人を苦しめる」といふことが、いつしかその原因も目的も忘れられて、彼女にとつては
生れながらにもつてゐた一つの思考のやうに思はれた。だからそれは容易に彼女の自己抛棄を
可能にした。道徳的な顧慮も亦、きはめて愛とよく似た構造をもつこの自己抛棄の前に
崩れ去つた。良人を苦しめるためになら、彼女自身のあらゆる喜び(そのなかには良人から
何らかの形で今尚享けてゐる喜びも入るのだが)を犠牲にしても悔いてはならない。
それは一種の道徳律に似てゐるのだ。なぜならそれは平気で彼女の本然の欲求を踏み躙つて
ゆくからだつた。
しかしこのやうな繁子の不埒な生き方は、見やうによつては最も危険のすくないそれかも
しれぬのである。危険なのは「幸福」の思考ではあるまいか。この世に戦争をもたらし、
悪しき希望を、偽物の明日を、夜鳴き鶏を、残虐きはまる侵略をもたらすものこそ
「幸福」の思考なのである。繁子は幸福には目もくれなかつた。その意味で彼女は
もう一つの高度の安寧秩序に奉仕してゐたのかもしれなかつた。
三島由紀夫23歳「獅子」より

80 :
待つといふ感情は微妙なものです。それは人の生活に、落着かない不満足な感じと同時に、
待つことそれ自身の言ふにいはれぬ甘美な満足をもたらすからです。
明日の遠足がよいお天気であるやうにとねがふ子供は、その明日がお天気であつただけで、
もはや遠足そのものの与へる愉しみの十中八九を味はひつくしてゐるのです。よいお天気の
朝を見ただけで、彼の満足の大半は、成就されたも同じことです。
仏の花を買ひにゆくといふ殊勝な用事を彼にうちあけることが、私には何故かしら
嬉しかつたのです。私は悪戯をする子供の気持よりも、修身のお点のよいことをねがふ
子供の気持のはうが、ずつと恋心に近いことを知るのでした。まして恋といふものは、
そつのない調和よりも、むしろ情緒のある不釣合のはうを好くものです。
三島由紀夫23歳「不実な洋傘」より

81 :
女が生活に介入してくることによつて、人は煩瑣(はんさ)を愛するやうになる。
男女関係は或る意味では極めて事務的なたのしみだ。
男を事務的な目附で眺めることができるのは既婚の女の特権である。公私混同には
持つてこいの特権だ。
幸福の話題は罪のやうに人を疲らせる。
悪徳の虚栄心が悪徳そのものの邪魔立てをする。「魂の純潔」なるものを保たせようと
するならば、少くとも青年には、美徳の虚栄心よりも悪徳の虚栄心の方が有効なのである。
曇つた空を見てゐると、人間の習慣とか因襲とか規則とかいふものはあそこから落ちて
来たのではないかと思はれるのである。曇つた日は曇つた他の日と寸分ちがはない。
何が似てゐると云つて、人間の世界にはこれほど似てゐるものはない。人はこんな残酷な
相似に耐へられたものではない。
三島由紀夫「慈善」より

82 :
いちばん高貴で美しい「忘却」といふ作用がいちばん醜くて愚劣な「習慣」といふ作用と
いつも結びついてゐること以上の不合理はない。
戦争が道徳を失はせたといふのは嘘だ。道徳はいつどこにでもころがつてゐる。しかし
運動をするものに運動神経が必要とされるやうに、道徳的な神経がなくては道徳は
つかまらない。戦争が失はせたのは道徳的神経だ。この神経なしには人は道徳的な行為を
することができぬ。従つてまた真の意味の不徳に到達することもできぬ筈だつた。
絶対に無道徳な貞節といふものが可能ではあるまいか。絶対に道徳を知らないで道徳に
奉仕することができはすまいか。無道徳といふ無限定が、その無限定のために、やすやすと
不徳乃至(ないし)道徳といふ限定に包まれうるものならば、象が大きすぎるといふ理由で
鼠に負けるならば。
三島由紀夫23歳「慈善」より

83 :
不吉な宝石によつて投げかけられる凶運の翳といふものを人々はもはや信じまい。尤も
さういふ不信が現代の誤謬でないとは誰も言へまい。現代人は自分の外部に、すべて内部の
観念の対応物をしかみとめない。宝石などといふ純粋物質の存在をみとめない。しかし
人間の内部と全く対応しない一物質を、古代の人たちは物質と呼ばずに運命と呼んだのでは
なからうか。精神のうちでも決して具象化されない純粋な精神が、外部に存在して、
ただ一つの純粋物質としてわれわれの内部を脅やかすに至つたのではあるまいか。
死、生、社会、戦争、愛、すべてをわれわれは内部を通じて理解する。しかし決して
われわれの内部を通過しないところの精神の「原形」が、外部からただ一つの純粋物質として
われわれを支配するのではあるまいか。ともすると宝石は、精神の唯一の実質ではなからうか。
三島由紀夫「宝石売買」より

84 :
報いとは何だらう。そんなものがあつてよいだらうか。報いといふ考へ方は、いま悪果を
うけてゐる者が、むかしの悪因の花々しさに思ひを通はす、殊勝らしい身振にすぎぬではないか。
貴族とは没落といふ一つの観念を誰よりも鮮やかに生きる類ひの人間であつた。たとへば
「出世」といふ行為を離れてはありえぬ「出世」といふ観念を人は純粋に生きることが
できないが、そこへゆくと、没落といふ観念はもともと没落といふ行為とは縁もゆかりも
ないものなのである。没落を生きてゐるのではなく、「失敗した出世」を生きてゐることに
ならう。没落といふ観念を全的に生きるためには、決して没落してはならなかつた。
落下の危険なしにサーカスは考へられないが、本当に落ちてしまつたらそれはもはや
サーカスではなくて、一つの椿事にすぎないのと同じやうに。
三島由紀夫「宝石売買」より

85 :
女性のもつ人道的感情はきはめて麗はしいもので、多くの場合、審美的でさへあるのである。
「素敵な指環ですね」――指環に見入つてゐる彼の顔を何の気なしに見上げた久子は、
それかあらぬか、居たゝまれない羞恥を感じた。女の宝石をほめるのは、面と向つて
その体をほめるやうなものではなからうか。宝石への誉め言葉が時あつてふしぎな官能の
歓びを女に与へるのはそのためだ。
この青年が持してゐる幸子の男友達にふさはしい軽薄な態度は、決して真底から軽薄に
なる筈もないといふ自信をもつた人間のそれかもしれない。さう久子は考へてみた。
そのせゐでこの人は自分の軽薄さを実に軽薄に扱ふ術を心得てゐる。真底から軽薄な人間の
遠く及ばない完全無欠な軽薄さだ。つまり真底から軽薄な人間は自分の軽薄さの自己弁護に
ついてだけは真剣にならざるをえないのだから。その範囲で彼の軽薄さは不完全なものに
ならざるをえないのだから。
三島由紀夫「宝石売買」より

86 :
「僕にはね、観崇寺さん、五千円といふ名の方がずつと美しく感じられるのです。値踏み
といふ行為が、人間にできるいちばん打算のない行為だとわかつて来ましたのでね。
打算のない愛情とよく言ひますが、打算のないことを証明するものは、打算を証明する
ものと同様に、『お金』の他にはありません。打算があつてこそ『打算のない行為』も
あるのですから、いちばん純粋な『打算のない行為』は打算の中にしかありえないわけです。
夜があつてこそ昼があるのだから、昼といふ観念には『夜でない』といふ観念が含まれ、
その観念の最も純粋な生ける形態は夜の只中にしかないやうに、又いはば、深海魚が陸地に
引き揚げられて形がかはつてゐるのに、さういふ深海魚をしか見ることのできない人間が、
夜の中になく夜の外にある昼のみを昼と呼び、打算の中になく打算の外にある『打算なき行為』
だけを『打算なき行為』とよぶ誤ちを犯してゐるわけなのです」
三島由紀夫「宝石売買」より

87 :
「さうして値踏みといへば、五千円といふまちがへやうもない名前をつけてやる行為です。
世間一般でよぶ鷲の剥製といふ名の代りに、値踏みをする人は五千円といふ特別誂への名で
よびかけます。すると鷲の剥製は、魔法の名で呼ばれたつかはしめの鳥のやうに歩き出して
彼に近づいてくるのです。
動機は何でも結構。たはむれの動機でも、自分の財布と睨めつくらをした上でも、明日の
利潤を胸算用したあげくでも、何でも結構。ただ五千円といふ名はあらゆる動機を離れて
鷲の剥製の属性になつてしまつたのです。人形に魂を吹き入れて『立て!』といふとき、
魔女たちはこれに似た感情を味はひはしないでせうか。人は値踏みによつてのみ対象に
生命を賦与(あた)へることができるのです。これ以上打算のない行為があるでせうか」
三島由紀夫「宝石売買」より

88 :
「何度失敗してもまた未練らしく試みられて際限がないあの錬金術同様に、打算のない
行為といふものは、何度失敗しても飽きることなく求められて来ました。はじめそれは
精神の世界で探されました。宗教がさうですね。お互ひが真に孤独でなければ出来ない行為は、
精神の世界では、愛がその最高のものであり、もしかしたら唯一のものかもしれません。
そこで打算のない行為の原型が愛に求められました。しかし残念なことに、愛は対象の
属性には決してなりえないといふ法則が発見されたのです。これがつまり基督の昇天です。
彼の愛は人間の属性になるには耐へなかつた。孤独の属性になるには耐へなかつた。
そこで人々は精神に代つて『打算のない行為』を演じてくれるものを鉦や太鼓で探し
まはりました。ある古伝説の残してくれた証拠によれば、それは物質だといふのですが、
誰もまだそれがお金だといふことははづかしくて言へないのです。尊敬してゐるものを
褒めるといふ芸当はなかなか出来るものではありませんからね」
三島由紀夫「宝石売買」より

89 :
「どうしてそんなにお儲けになりたいの」
「儲けるといふことはお金から『必要さ』といふ弱点を除いてくれますから」
「『必要さ』はお金の弱点ではございませんわ」
「…わたくし共は子供のときから、この世のお金といふものが、たつた一つの宝石を
買ふためにあるのだといふことを知つてをりました。宝石を買ふために、どんな僅かな
お金もわたくし共には必要で、その必要なことがお金を美しくしてゐると考へてゐました。
ですからこの宝石を売ることは、世の中からもう一度あの美しいお金をとりもどす
ためなのよ。…」
「もつとお怒りなさい。牧原君が許婚だなんて嘘でせう」
「あら、あたくしそんなに嘘つきにみえまして? 嘘つきにみえる方が正直にみえるより
得ではなくつて? だつて安心して本当のことが言へますもの。…」
三島由紀夫23歳「宝石売買」より

90 :
神さまが仰言いました。
「ここまで他人に荒されちや大変だ。わしはだから人間世界へ電報を打たうと思ふんぢやよ。
『わしはもう居ない。わしはもう決してどこにも存在しない』とね」
三島由紀夫24歳「天国に結ぶ恋」より
野外演習の払暁戦で、富士の裾野に身を伏せてながめやつた箱根の山々の稜線の薄明を
思ひ出した。明星が消え残つてゐた。それは事実、ふしぎに大きく、ふしぎにかがやかしく
見えた。ピタゴラスが言つたといふ「天体の奏でる微妙な音楽」の、最後までかすかに
尾を引く嚠喨(りうりやう)たる笛の音のやうなかがやきであつた。
名人は演能のさなかにも、幾度かこの星のやうな笛の音を美しい仮面の下からきくのであらう。
それは薄明の山上にあるやうに、老いた名人の感官に、大きな、身近な、手をのばせば
とどく星の存在を、たえず触知させてゐるにちがひない。
三島由紀夫24歳「星」より
堕落したつもりで彼は一向に堕落してゐなかつた。一人の女しか知らないことがどうして
堕落であらう。
三島由紀夫24歳「退屈な旅」より

91 :
夥しい薔薇は衰へた高貴な詩人の顔へ花冠を向けてゐた。彼らの本質を歌ひ、彼らの存在の
核心を透視した不朽の詩人の顔に向つてゐた。被造物のうちでも最も精妙な最も神秘な
美しい存在が、この詩人の何ものも希はない深い無為の瞳の澄明の前に、われにもあらず
嘗て己れの秘密を売つたのであつた。薔薇はリルケの美しい詩のなかで裏返された
いたましい喪失の存在に化した。それは認識の手によつてではなく、運命を共有する一つの
宇宙的な魂の手で、あばかれた羞恥と苦痛なのである。苦痛の思ひ出は、微風のやうに繁みを
ゆるがした。薔薇は詩人にその名を呼ばれたものの受苦の上に、詩人をも誘はうと試みた。
リルケの瞳は、恰かもまどろんでゐると見える見事な一輪の薔薇にとどまつた。
葉は蝕まれてゐず、咲具合も頃合である。花弁は深く包まれてゐてしかも艶やかに
倦(たゆ)げである。心もち重みにうなだれ、リルケの目に対してゐた。
三島由紀夫24歳「薔薇」より

92 :
矜りのない人間に自殺は出来ない。同様に傷つけられた自負心は人をたやすく死へ
みちびき入れるものである。
「幸福」などといふ怖るべき観念が人心に宿つて殺人罪を使嗾(しそう)する結果にならぬやう、
私は一社会人の立場に立つて衷心より切望する次第である。
三島由紀夫24歳「幸福といふ病気の療法」より
人生といふものはまるで脈絡もない条理もない感動に充ちてゐる、感動は私たちの心の
トンネルを通過する急行列車のやうに過ぎてゐるのだ、何も残らない、永久に感動する心は
永久に純潔な心だ。
心の共有とはなんといふ容易な事柄でせう。黙つてさへゐれば人間の心は永久に一人一人の
共有物でありませう。黙つてさへゐれば思ふままに相手を創造することができます。
相手は私の中で創造られ、私に似て来ます。本当の真実は孤独なものです。愛のためなら
何故真実が要りませう。愛はいつでも真実を敵に廻すべきではないでせうか。
三島由紀夫24歳「舞台稽古」より

93 :
世間といふものは、女と似てゐて案外母性的なところを持つてゐるのである。それは
自分にむけられる外々(よそよそ)しい謙遜よりも、自分を傷つけない程度に中和された
無邪気な腕白のはうを好むものである。
巌(いはほ)のやうな顔が愛くるしい笑ひ方をした。強欲な人間は、よくこんな愛くるしい
笑ひ方をするものである。強欲といふものは童心の一種だからであらうか。
残り惜しさの理由は、使ひ慣れたといふ点にしかない。しかしかけがへのない感じは、
これだけの理由で十分であつた。おそらくこれ以上の理由は見つかるまい。
田舎の有力者ほどひがみやすい人種はないのである。

よく眠る人間には不眠をこぼす人間はいつでも多少芝居がかつた滑稽なものに映る。

死のしらせは同情より先に連帯的な或る種の感動で人を結ぶものである。
三島由紀夫24歳「訃音」より

94 :
「莫迦な女ですね」――伊原を殊更薄暗い壁際の椅子へ導きながら曽我が言つた。彼の
煙草を持つ指は脂(やに)のためにほとんど瑪瑙いろになつて、しじゆう繊細に慄へてゐた。
「自分を莫迦だと知つてゐるだけになほ始末がわるい。女といふものは、自分を莫迦だと
知る瞬間に、それがわかるくらゐ自分は利巧な女だといふ循環論法に陥るのですね」
かういふ小説風な物言ひに伊原は苛々した。下手な絵描きに限つて絵描きらしく見えることを
好むものである。
そのさなかにゐては軽蔑をしか彼に教へなかつたあの人たちの身の持ち崩し方が、かうして
思ひ出すと、古代彫刻のトルソオの美しさだけは確かに保つてゐたやうに思はれて来る。
闊葉樹の落葉をさはやかに踏みしだきながら、彼は靴底の舗道に崩れる枯葉の音に
焔のやうな・何かしら燃え上るものの響を聞いた。しかし彼の意固地な厚い脣が抵抗して
呟いた。
『いや、あそこには魔がゐる。魔はやさしい面持でわれわれに誘ひをかける。だが彼らが
住むことのできるのは夜に於てだけだ……』
三島由紀夫「魔群の通過」より

95 :
中年の女といふものは若い女を見るのに苛酷な道学者の目しか持たぬ点に於て女学校の
修身の先生も奔放な生活を送つてゐる富裕な有閑マダムもかはりはない。
「厭世的な作家?」――伊原には自分を楽天的な事業家と言はれたやうにそれが響いて
聞き咎めた。「そんなものはありはしないよ。認められない作家はみんな厭世家だし、
認められた作家は長寿の秘訣として厭世主義を信奉するだけだ。とりたてて厭世的な
作家なんてありはしない。彼らとてオレンヂは好きなんだ。オレンヂの滓(かす)が
きらひなだけだ。この点で厭世家でない人間があるものかね」
曽我はいかにも俗物を嘲笑ふらしいヒロイックな表情で伊原の顔を見つめてゐたが、
その濡れた脣の少年のやうな紅さが、今はじめて見るもののやうに伊原の目を見張らせた。
それはこの間接照明の思はせぶりな暗さの中で、何か紅い貴重な宝石のやうに燦めいてゐた。
三島由紀夫24歳「魔群の通過」より

96 :
頽廃した純潔は、世の凡ゆる頽廃のうちでも、いちばん悪質の頽廃だ。
愛の奥処には、寸分たがはず相手に似たいといふ不可能な熱望が流れてゐはしないだらうか? 
この熱望が人を駆つて、不可能を反対の極から可能にしようとねがふあの悲劇的な離反に
みちびくのではなからうか? つまり相愛のものが完全に相似のものになりえぬ以上、
むしろお互ひに些かも似まいと力め、かうした離反をそのまま媚態に役立てるやうな心の
組織(システム)があるのではないか? しかも悲しむべきことに、相似は瞬間の幻影のまま
終るのである。なぜなら愛する少女は果敢になり、愛する少年は内気になるにせよ、
かれらは似ようとしていつかお互ひの存在をとほりぬけ、彼方へ、――もはや対象のない
彼方へ、飛び去るほかはないからである。
旅の仕度に忙殺されてゐる時ほど、われわれが旅を隅々まで完全に所有してゐる時はない。
三島由紀夫「仮面の告白」より

97 :
……下手なピアノの音を私はきいた。
(中略)
そのピアノの音色には、手帖を見ながら作つた不出来なお菓子のやうな心易さがあり、
私は私で、かう訊ねずにはゐられなかつた。
「年は?」
「十八。僕のすぐ下の妹だ」
と草野がこたへた。
――きけばきくほど、十八歳の、夢みがちな、しかもまだ自分の美しさをそれと知らない、
指さきにまだ稚なさの残つたピアノの音である。私はそのおさらひがいつまでもつづけ
られることをねがつた。願事は叶へられた。私の心の中にこのピアノの音はそれから五年後の
今日までつづいたのである。何度私はそれを錯覚だと信じようとしたことか。何度私の理性が
この錯覚を嘲つたことか。何度私の弱さが私の自己欺瞞を笑つたことか。それにもかかはらず、
ピアノの音は私を支配し、もし宿命といふ言葉から厭味な持味が省かれうるとすれば、
この音は正しく私にとつて宿命的なものとなつた。
三島由紀夫「仮面の告白」より

98 :
想像しうる限りの事態が平気で起るやうな毎日なので、却つてわれわれの空想力が貧しく
されてしまつてゐた。たとへば一家全滅の想像は、銀座の店頭に洋酒の罎がズラリと並んだり、
銀座の夜空にネオンサインが明滅したりすることを想像するよりもずつと容易いので、
易きに就くだけのことだつた。抵抗を感じない想像力といふものは、たとひそれがどんなに
冷酷な相貌を帯びようと、心の冷たさとは無縁のものである。それは怠惰ななまぬるい精神の
一つのあらはれにすぎなかつた。
かへりの汽車は憂鬱だつた。駅で落ち合つた大庭氏も、打つてかはつて沈黙を守つた。
皆が例の「骨肉の情愛」といふもの、ふだんは隠れた内側が裏返しにされてひりひり
痛むやうな感想の虜になつた体だつた。おそらくお互ひに会へばそれ以外に示しやうのない
裸かの心で、かれらは息子や兄や孫や弟に会つたあげく、その裸かの心がお互ひの無益な
出血を誇示するにすぎない空しさに気づいたのだつた。
三島由紀夫「仮面の告白」より

99 :
驟雨がやみ、夕日が室内へさし入つた。
園子の目と唇がかがやいた。その美しさが私自身の無力感に飜訳されて私にのしかかつた。
するとこの苦しい思ひが逆に彼女の存在をはかなげに見せた。
「僕たちだつて」――と私が言ひ出すのだつた。「いつまで生きてゐられるかわからない。
今警報が鳴るとするでせう。その飛行機は、僕たちに当る直撃弾を積んでゐるのかも
しれないんです」
「どんなにいいかしら」――彼女はスコッチ縞のスカアトの襞を戯れに折り重ねてゐたが、
かう言ひながら顔をあげたとき、かすかな生毛(うぶげ)の光りが頬をふちどつた。
「何かかう……、音のしない飛行機が来て、かうしてゐるとき、直撃弾を落してくれたら、
……さうお思ひにならない?」
これは言つてゐる園子自身も気のつかない愛の告白だつた。
三島由紀夫「仮面の告白」より

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