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【成城】山崎喜陽氏【16番】


1 :2009/05/04 〜 最終レス :2012/08/12
16番ゲージを創始し、ミキストを書き続けた機芸社の編集長です。
既に亡くなられた故人なので、理由付きの客観的評価を書くなら生産的と思います。
話が紛糾した場合は、とにかく山崎氏の発言に戻って検討するようおながいします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E5%96%9C%E9%99%BD
↑ウィキペディア
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/gage/1227406476/l50x
↑機芸社そのものの話はこちらの方が良いかと。

2 :
今は語るべき時では無い、という超〜上から目線でしかモノを言わずに全てを明かさずヤキモキさせた御人。
知っているが今は未だ…とかなんとか。芯でくれて清々する。

3 :
以下資料集
1、 http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/modell/16bangauge_1.gif
↑16番ゲージ創始時代(1942年)
2、http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/modell/tms336_mixed1.gif
3、http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/modell/tms337_mixed1.gif
↑山崎ゲージ論(1976年)
以上は http://www.kk-net.com/~tabuchi/jscale.htm より
鉄道模型趣味、活版No1より
  1、目次
表紙       ED14とED10
スケールモデルとライブスティーム……末近久之  27
製作ED14………………………………………PFL生 29
0番タンクロコ………………………………祖父江欣平 33
5500とその列車…………………………………… 34
INTERURBAN……………………………中尾豊 37
FHL ……………………………………窪田保彦 40
聴こうそして作ろう…………………竹野正吉 42
省電モハ33の製作………………………酒井喜房 43
News & Topics…………………………酒井喜房 48
MIXT………………………………………山崎喜陽 50
読者から………………… 50
編集者の手帳………………… 52
  2、広告目次
フジモデル 
教育工作模型
高級趣味模型 
写真設計図
東京都新宿区諏訪町 32  富士板金模型研究所 
工場 神奈川県足柄郡南足柄町中沼210 富士写真フィルム株式会社内、富士板金工房
  3、奥付け
鉄道模型趣味 No2. 隔月発行
昭和22年4月5日 印刷
昭和22年4月30日 発行 定価20円 (〒1.50円 )
編集発行人  山崎喜陽 注 9
印刷所 東京都世田谷区松原町 4ノ430 
    松文堂印刷
発行所 東京都本郷区元町 1の15 
    機芸社

4 :
喜陽氏の読みは「きよう」でいいんだっけ?

5 :
>>4
TMS,1963年、11月号p663
蒸気機関車スタイルブック、第3版発売中の広告の中に、
米国MR誌にも紹介された、とその証拠コピーが掲載されてます。
「Steam Loco in Japan, Edited by Kiyou Yamazaki (中略) Kigei Publishing Co., Tokyo, Japan」
と。
著者はMRのウェストコット氏と思われます。
仮にMRが山崎氏の名前を書き間違えていたら、山崎氏はわざわざそのコピーを機芸社の広告文には載せないはず。
つまり山崎氏は「きよう」を自称していたと考えられます。
ウィキペディアが説明する、「よしあき」の根拠は私は知りません。

6 :
ミキスト
戦前のカワイの販促雑誌"模型鉄道"内のコラム、"サンドボックス"と同じ流れを考えて、
戦後の"鉄道模型趣味"で"ミキスト"(初期は"MIXT")として書かれた。
TMS特集シリーズ4、として1958年頃発売(TMSNo,67号までを収録、絶版)
TMS特集シリーズ12、として1962年頃発売(TMSNo,126号までを拡大収録、絶版)
その後の分は追加拡大収録して発売する、と予告されたが、今日に至っても実現していない。
"ミキスト"は1993年10月号、TMS,No.576、ミキスト540回をもって終わってる。
何故ミキストを止めたのかの読者に対する説明は全く無かった。
(翌月号、TMS,No.577の"編集者の手帳"に「なお、都合によりミキストは休載となった」とは書いてるが)
結局特集シリーズとして再版されたのは
約126回÷540回=約23% の部分に過ぎなくそれさえも久しく絶版です。

7 :

|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄鈴木軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鈴木は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鈴木は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
||  ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鈴木の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
||  エサを 与えないで下さい。             Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて   \ (゚ー゚*) キホン。
||  ゴミが溜まったら削除が一番です。       ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_      | ̄ ̄ ̄ ̄|
     (  ∧ ∧__ (   ∧ ∧__(   ∧ ∧     ̄ ̄ ̄
   〜(_(  ∧ ∧_ (  ∧ ∧_ (  ∧ ∧  
     〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
       〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ

8 :
>>1
乙です。
山崎主筆は「今はまだ語るべき時ではない」を連発してたけど、
今では「もう語るべき時は来ない」だろうな。
山崎主筆自身の「16番」→「HO」の変節を是非とも聞きたかった。

9 :
>>8
僅かながら弁護するなら、
その直前、つまり1976年ミキストのゲージ論で、変節前のゲージ論を精緻に展開していて、
最後に意見を募りたい、と言ってます。
しかし当時 (今も?) これをまともに論評できるだけの人が居なく沈黙同然だったのです。
だが、その後山崎主筆のTMSに於いて、
元来強調までして「16番」と呼んできた模型を「HO」と呼びだし、
その理由も読者に説明しなかったのは困ったことです。

10 :
>>7
よう!!!!
よう!!!!軌道にでもしてみろクズ!!

11 :
今でこそ知識が豊富にありゲージに関する見解を述べられるが、
30年前の1976年当時の俺様には無理だったよ。
当時はあのミキストの内容が理解できなかった。
TMS一誌独占時代の情報メディアとしての功罪もあるな。
米国偏重で欧州をないがしろにしていた。
ないがしろと言うよりも故意に欧州の情報を流さなかったようだ。
情報コントロールだな。
MOROPについて情報を流したのは石橋氏に代わった90年代だった。

12 :
>>10
兄貴、もしかして羨ましいのですか?

13 :

|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄鈴木軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鈴木は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鈴木は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
||  ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鈴木の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
||  エサを 与えないで下さい。             Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて   \ (゚ー゚*) キホン。
||  ゴミが溜まったら削除が一番です。       ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_      | ̄ ̄ ̄ ̄|
     (  ∧ ∧__ (   ∧ ∧__(   ∧ ∧     ̄ ̄ ̄
   〜(_(  ∧ ∧_ (  ∧ ∧_ (  ∧ ∧  
     〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
       〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ

14 :
>>11
>TMS一誌独占時代の情報メディアとしての功罪もあるな。
『米国偏重』はマツケソも似たり寄ったり、のような希ガス。
欧州の情報が乏しかったのを一社独占のせい、と断定するのはどうかと。

15 :
それは異な事を言う。
一誌独占時代のTMSは欧州に関してはMIBAと編集提携してた。
相互に月刊誌を交換していた仲だ。
MIBAを通じて欧州の情報は入っていた。まさかドイツ語が読めなかった・・・
と言うよりも当時のハイフランジのトイ的欧州製品が嫌いだったのかも?

16 :
>>15
めるく厘が嫌いという話は聞いたことがあります。これはおもちゃであって鉄模じゃないよ、と。
一応80年代にMIBAと提携したり、フルグレックスや不二商の広告を載せたりして欧州との融和を図ったかのように
見ることもできるかと。
ただ、60年代以降イギリスの鉄道の紹介は事欠かなかったので山崎氏としてはイギリス、特にPECOの代理店をして
いたため切るに切れなかったのではないかと思います。
そんな60年代でも欧州の製品の紹介は時たま掲載されていた事もあり、どういった基準で情報操作をしていたのか
不明瞭ではあります。

17 :
模型の場合、米国 : 欧州と言うより、
英米(自作) : 欧州大陸(完成品)、と言う図式が少なくとも1960年代までは濃かった気がします。
特に英国は、電動模型以前にライブ趣味が存在したこともあり、
自作の伝統が強くキットと言えども、部品同士の嵌め合い調整は買った人間の義務が普通でした。
http://www.tower-models.com/towermodels/ogauge/slaters/wheels/index.htm
↑は英国のSlaters模型会社のOゲージクランク付き動輪のメニューですが、多種の動輪が今日でも平然と売られてます。
山崎氏は若年時代のライブスチーム工作経験(完成はしなかったようですが)もあり、
「少なくとも自作の能力だけは保持している人の模型」を前提としてたと思います。
これが、メルクリンのコレクションや米国型ブラス製品コレクションの人を低く見る事になりました。
ただしこの面でも氏は、関水の9mmゲージ応援のあたりから、かなり「変節」してます。

18 :
>>17
Nゲージをレイアウトのゲージと見ていたのもそのせいでしょうか。
本来車両工作はあまり載せずレイアウト工作を中心にすえていましたよね。
70年代は。

19 :
山崎氏はパターナリズムが強すぎたという格調ある論評がある。
教養ある人の文章だね。
ttp://blog.livedoor.jp/dda40x/archives/cat_50040226.html

20 :
NでC59自作記事が出たときも、
「9mmで車両を自作するのは超ベテランがやった特殊なことであって、一般の人は車両をスクラツチはするべきではない」
とか解説してましたね。
下手だろうがベテランだろうが、自作したい人間はやればいいだけであって、編集者が規制するような事案ではない」
と当時も今も思います。

21 :
山崎氏の、功績だけを思い付く範囲で書きます。
1、1976年ミキストのゲージ論は、今だに立派
2、16.5mmの方向をドイツHO(メルクリン等)や英国OO(ホーンビー等)に依拠せず
   米国HO(NMRA)に依拠すべき、と見抜いていた。
3、記事配分で、実物鉄道プロ的有用価値を無視し、模型家の好みを優先した。
   実物では国鉄車が一番重要で次私鉄、次軽便のように続くのだが、こういう序列をやらなかった。
   そのため外国車も軽便も市電も同等に扱われた。
4、模型規格は沢山売ったり沢山作った方が勝ち、というのに疑義を書いていた。
5、趣味だからむずかしい議論は良くないというのは間違いで趣味だからこそ真面目に考えろ、と言った。
6、「鉄模趣味は子供の教育や能力増進とは無関係」と主張していた。
7、ライブスチーム製作作業の経験があるので、模型雑誌編集者の中ではこの方面に詳しく、
   それが平岡氏のライブ本出版につながってる。これはブラスコレクション派の人には出来ないこと。
8、雑誌編集者は私事を書かないこと、読者と編集者を無制限に混濁させないこと、を主張してた。   

22 :
>1976年ミキストのゲージ論で・・・・・
で結局やま氏はナローには
1/80・1/87のどちらが良いと云いたかったのだろうか。
今読んでも判らん。

23 :
22の返信
当時は理解出来なくて読み飛ばしていたが、今あらためて読むと、
山崎主筆は9mmナローに関しても16番と同様の展開を目論んでいた。
即ち、
ゲージ:9mm 車体縮尺:1/76(英),1/80(日),1/87(欧米)
を「16番ナロー」と位置づける。
今まで何の説明もなく誌上で使っていた「16番ナロー」の定義を
この時初めて明らかにした。

24 :
16番本来の考え方は、
実物ゲージの狭軌〜広軌まで全部を車体縮尺に差を付ける事で調整して16.5mmという単一の模型ゲージで走らすということでしょう。
しかし、1970年代に至って軽便ファンが増えたため変更のきざし。
軽便は実物軽便ゲージ全部を車体縮尺に差を付ける事で調整して9mmという単一の模型ゲージで走らす、という
16番の「ナロー部門」増設を考えた思います。ただし意見を募る、という段階です。
これだと10.5mmゲージは居場所が無くなるのですが。

25 :
16番の定義が正しく読者に理解されていなかっため、
「16番ナロー」の言葉が使用された当時、1/80 9mmと
理解した読者が多かった。おれもその一人。

26 :
>>25
TMS初期の頃は米国型の記事や写真(1/87)もかなりあったのだが、
1970年にもなると、記事のほとんどが1/80模型で埋まってしまったので、
16番とは1/80,16.5mmゲージの事、と思っても自然な状態になってしまいました。
HOの理解は単純で、「全部を1/87で作る」なんですが、
16番の理解は複雑で面倒です。
だから入門書だけに任せず、TMS本体でも5年に一度くらいは中級にも浸透させるべく、解説するべきです。
山崎氏が1976年までそれをしなかったのは、中級以上にゲージ論もちかけると、
1、昨今の2ch模型ゲージ論みたいにケンカごしになってしまう。
2、16番ゲージそのものが、悪い規格だ、という意見が出てきたら嫌だ。
3、1/80,16.5mm近辺で、各人が異なる縮尺やゲージ(12mmだの13mmだの)を信奉して作られたら嫌だ。
あたりが、理由と思います。

27 :
日本でもある時期からHOn2 1/2の表記が主として広告でHOn30に変わってきた。
最初はHOn3の誤植かと思っていたが、米国で流行っていた表記だと後で分かった。
NMRAも21世紀になってOスケールに関してはOn30の表記を規格に入れた。
バックマンが企業努力でOn30の商品を流行らせたからだろう。
それにしてもOn30よりも歴史の古いHOn30は規格入りしていない。
米国でHOn30のまとまった商品が無いからだろう。

28 :
俺は『16番』が未だによくわからん。
米国・欧大陸→1/87、英国→1/76、
日本型は内地→1/80、鮮満等→1/90
とのことだが、だったら以下に挙げる1/87・16.5mm模型製品は
『16番』なのか?それとも『16番』じゃないHOなのか?
・近鉄10100系/PEMP
・京急230形/芋
・新幹線500系/天プラ
・新幹線0系、100系他/カツミ
・満鉄パシナ&あじあ号/カツミ
やま氏の提唱した本来の流儀に沿うなら、京急や近鉄は1/80・16.5mmで作ってこそ
『16番』だし、満鉄パシナは1/90・16.5mmで作ってこそ『16番』になるはず。
まぁ新幹線については当時は想定外であったろうが。
俺は今まで、1/76〜1/90の範囲でG=16.5mmなら総て『16番』だと思っていたが。
だから、アメリカのHOも、ヨーロッパ大陸のH0も、すべて『16番』であるように
日本型であっても、1/87・16.5mmは『HO』であり同時に『16番』だ、と思っていた。
さてどうなんだろう?違うのか?

29 :
16番は当時はともかく今となっては考えれば考えるほど分からなくなる。
その点、日本型Zは蟹股を採用し無理矢理Zを名乗った。この方が分かり易い。
車体スケールは1/220だしゲージは6.5mmだから曲がりなりにもZを名乗れる。
ところで日本型Zもいよいよ国鉄蒸機が出る。ひょっとしたらZが伸びるかも?
http://www.tenshodo-models.com/product/release/page11.html

30 :
>>28
山氏は最初16番の縮尺を地域別に考えたんじゃないでしょうか。
米国は車体が大きい
日本は車体が中くらい
英国は車体が小さい
そうしないと、山氏が16番と一体的に推進する、レイアウトで矛盾をきたします。
ストラクチャー等レイアウト建造物を何分の1にしたらいいか解らなくなるから。
山氏はG&Dレイアウトなどを模範にしてたから、ストラクチャーの縮尺をマゼコゼにする事は出来ないはずです。
勿論、16番レイアウトは英米日無国籍風景が望ましいとか言うなら別ですが。
当時
米国にも日本より車体が小さい車両があるがそれはドースル?
日本にも米国並みにより車体が大きい車両(シキ等)があるがそれはドースル?
の疑問もあったのでしょうが、
それらの数量は少ないので、問題にしなかったのでしょう。
しかし、1964年だか日本に新幹線が出来ましたが、これは米国車の大きさと同じ。
しかも数量が少ない特殊車両とは言ってられない標準車両。
だから、16番で、日本型精密レイアウトを目指すなら、新幹線も1/80,16.5mmにするべきなのです。
しかしながら山氏はここで、日本型に唐突に1/87を導入してしまいました。
メーカーの「新幹線は1/87で作れば米国にも輸出出来る」という思いも影響したかも知れません。
で、詰まるところ、16番の縮尺現状は、
○実物の大きさにより調整する。
×国別の平均の大きさにより調整する。
△もぅ解んないから各自適当にやってくれ。
あたりじゃないんでしょうか?

31 :
>>30
>しかしながら山氏はここで、日本型に唐突に1/87を導入してしまいました。
>メーカーの「新幹線は1/87で作れば米国にも輸出出来る」という思いも影響したかも知れません。
カツミが0系を製品化するにあたって1/87を採用したのは、やま氏からカツミに
対してそういうアドバイスがあったからですか?
加糖が日本型Nを始めた時に1/150を薦めたという話は有名ですが。

32 :
>>31
>やま氏からカツミに対してそういうアドバイスがあったからですか?
私は無名の読者としてTMSを読んだだけなので、具体的なやりとりは知りません。
1/80の新幹線は米国人には売れないと思います。
「関水はTT日本型を作ろうとしたが、私は『TTは落ち目だからNにしろ』とアドバイスした」と山氏自身は言ってます。
ただ、加藤祐二氏はこの件に関してどこかで、ニュアンスの違うことを言ってるらしいです(←出典忘れ)

33 :
カトー関係で資料代わりに書くと
最初のTMS広告は、TMSNo.23、1950年8月号、P171。
住所は東京都世田谷区世田谷1-164 加藤金属
(9mmを売り出した頃の文京区ではない)
世田谷区世田谷という場所は祖師谷まで直線距離で3kmなので自転車許容距離です。
終戦直から成城の模型仲間としての付き合いはあったのか、
単に偶然近所に居ただけなのか? 
というのが今解らない事です。
加藤祐治氏のTMS記事で唯一確認出来るのは、16番モハ43(?)に装着された流体伝導器(ミシンオイル使用)でこれはハイテク。
記事名は"伝導方式のニュールック"執筆はTMS編集部
TMSNo.70、1954年6月号、P252。高級モデルノートP18

34 :
>>25
1/80 9mmは最近某クラブが1/80の系列化を図ってクラブ内で名称を JMk とした模様。
TMSで使用していた16番ナローなる誤名称が、一掃される時が来たのかも。

35 :
>>34
JMkの詳細って公開されてるの?プロトサーティーンのホムペには書いてないよ。
1/80の系列化なら、ずっと以前からJスケール規格で提唱されてるけど。
http://www.kk-net.com/~tabuchi/jscale.htm

36 :
>>35
西クズ乙

37 :
>>34
>TMSで使用していた16番ナローなる誤名称が、一掃される時が来たのかも。
一クラブが内部で名称を定めただけなのに何でそうなるのか不明。

38 :
クラブの思い上がりだろう。

39 :
やま氏の使っていた16番ナローが誤りであるのは明白。

40 :
>16番ナローが誤りであるのは明白
ならゲージが9mmだから9番ナローと表現するのか?
これも変。16番に対して9番と言うなら、それは9番=今のNゲージの事になるだろう。
そうなると、「16番」の名称自体が間違っていた事になる。
戦時中だったから堂々と「HO」と名乗れなかったのかもしれないが、
素直に日本型「HO」と命名すればよかった。
当時の山崎氏は「16番」命名以前は便宜的に「HO」と呼んでいたし書いていた。

41 :
やま氏の反省
1/80・18mmはEMによく似たゲージであるが、これを作るファンは実際にはあるまい。
それに反して1/80・9mmは既に一部にはキットもパーツもある。
そして、1/80・9mmは、一般に「16番ナロー」と呼ばれることが多い。
TMSでも数年前からのナローモデルの一般化とともに、解りやすい意味も
含めこう呼ぶことが多かった。
しかし、正確なゲージ論をする場合には困ることとなり、
そういう意味では、配慮に欠ける点があったかもしれない。

42 :
>>2
全てを明かさず、というのは間違いだな。ロクに氏の執筆した記事を漁らずに適当なことかくなや。
特集シリーズ最終版の後書きすら読んでねーのかよ。

43 :
山崎氏が自分の模型の師として公言した人は
 1、山北藤一郎氏 (東芝技師)
 2、伊東氏 (近所に住む、エンジン研究家)
 3、Edward Beal氏 (英国の牧師)
の三氏を確認してます。
今回 3、について。
Edward Beal氏への言及は1976年、6月、p68、と言うより既出だが下記URLに出ています。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/modell/tms336_mixed2.gif
Beal氏の鉄模本は1冊だけ、万世橋の博物館にあったが、
大宮の鉄道テーマパークに在るかどうかは解りません。
Beal氏はOOを車両模型でなく、レイアウトとして発展させた先駆です。
「機関車だけ作っちゃダメだ。編成として作れ。編成だけじゃダメだレイアウトの一部として作れ」
とTMSで散々ぱら指導したのは、この辺の影響です。(ただしBeal氏がそういう事を指導したかどうかは不明)
山崎氏はBeal氏の本を読んで、それまでのModel Engineer志向からModel Layout志向に変化していったのではないでしょうか。
なお、MRも戦後、TMSと同様な事を書いてました。
MRのウエスコット編集長はBeal氏に影響を受けた、と書く人もいます。
Beal氏のレイアウト写真が最近下記に出てます。
http://mikes.railhistory.railfan.net/r128.html
↑の1, 2番目の写真です。
「The gauge is 5/8 in」と写真説明がありますが、mm換算すると15.875mmゲージになります。
集電は外側第3レール。
(蛇足ですが、最後から2番目の4-6-2模型の作者「Mr. L. Lawrence」は英国ライブ本で頻発する「LBSC」の別名と思います)

44 :
>>597
本の作り方なら猫社に聞いた方がいい。彼らはプロだから。

45 :
>>40の 2、山北氏の根拠は
TMS,No.400、1981年4月号ミキスト。
「伊東さんは(中略)模型全般について教えを受けた唯一の"先生"である。そして雑誌や本を通じて間接に教えを受けた山北藤一郎氏が, 私が先生とよばねばならないもう一人の方である」
山北氏と山崎氏の対談、
TMS,No.237、1968年3月号、TMS対談シリーズ第2回 "対談 むかしの模型電気機関車"を読むと
山崎氏がTMSで、模型機関車の牽引力について何度も書いてるのは山北氏の影響と思います。
山崎氏がルと評価する山北氏著書は1930年の"高級電気機関車の作り方"で、これは数年前に復刻版が売られました。
因みに山崎氏が牽引力コンクール一等賞になったのは、1936年。
牽引力の計算方法は山北氏がED42について書いた別の本に載っていて山崎氏はそれを参考したらしい。
戦後のTMS16番の記事の発展の原動力は模型車両の精密化と思います。
他に電気関係だのレイアウトだのあるが、これにはかないません。
で、その気になって調べたわけではないが、山崎氏は16番車両の精密化推進に関してほとんど書いてません。
そして「近頃の16番はその本来の使命忘れ細密化に走りすぎ」(スパイクから運転まで、p43)のような疑義が書かれたり、
精密化ばかりじゃなく、動力の高級化をもっと考えろ、とか書いてます。
TMSのその後の流れは、車両コンクール毎年開催とかになってくのですが、
読者や執筆者と違って山崎氏はその流れを余り好まなかったと思います。

46 :
>>45 の訂正
× >>40の 2、山北氏の根拠は
○ >>43の 2、山北藤一郎氏 の根拠は

47 :
連投恐縮ですが、山北氏の関係で書き忘れたことがありました。
TMS,No.11、1947年4月号MIXT。
戦後の山北著"少年電気工作"の論評。
この著書中で、山北氏の趣味論について、不徹底さを軽く揶揄してます。
戦時中に「模型の目的は軍国技術教育」と言って社会の上の方に食い込もうとしていた先達
を激しく非難し、自身の雑誌を"鉄道模型"でなく"鉄道模型趣味"と名づけたほどでした。
特に批判した相手は模型飛行機を学校教育の正課にしようとした人たちです。
山北氏がそれほどひどい事を戦時中にやっていた証拠は無いのですが、
ちょっとでもその臭いがすると若気の至りで、揶揄することに至ったのでしょう。
以上は山崎氏のちょっとした発作で、それ以外の場所では、
山北氏を尊敬する人、として書いてあります。
(上記のMIXTはTMS特集シリーズ12ミキストにも納められてます。
特集シリーズ内の文章は大幅に縮めて書き直されてますが文意は改変されてません)

48 :
      r;ァ'N;:::::::::::::,ィ/      >::::::::::ヽ
.      〃  ヽル1'´        ∠:::::::::::::::::i
       i′  ___, - ,. = -一   ̄l:::::::::::::::l
.      ! , -==、´r'          l::::::/,ニ.ヽ
      l        _,, -‐''二ゝ  l::::l f゙ヽ |、 ここはお前の日記帳じゃねえんだ
        レー-- 、ヽヾニ-ァ,ニ;=、_   !:::l ) } ト
       ヾ¨'7"ry、`   ー゙='ニ,,,`    }::ヽ(ノ  チラシの裏にでも書いてろ
:ーゝヽ、     !´ " ̄ 'l,;;;;,,,.、       ,i:::::::ミ
::::::::::::::::ヽ.-‐ ト、 r'_{   __)`ニゝ、  ,,iリ::::::::ミ
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49 :
>>48
それを言うなら、ここはお前の落書き帳でもないぞ。
揚げ足取られんじゃーねーよ、頭使って書けよ!

50 :
>>49
鱸さんってば、理屈で諭しても、ちっとも理解してくれないんだもの。
で、百聞は一見にしかず、っていうからさ。

51 :
>>43の 2、伊東氏 (近所に住む、エンジン研究家)について
この人はTMS,No.400、1981年4月号ミキストに出てる、伊東兵次郎氏。
このミキストで山氏は伊東氏の家に置いてある完成直前状態の89mmゲージライブNYC4-6-4の写真を載せてます。
89mmの4-6-4となると、大変な大きさであり、相応の工作機械や熱処理工作も必要なはず。
山崎氏はこれを作った、と言ってるが未成年がこれを作るのは相当な難物で、
内燃機関研究家の伊東氏がかなり助けたんじゃないだろうか? と思いますが、
大型ライブ自作に関わるような鉄模雑誌編集長は後続を知りません。
伊東氏に関しては
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00208/contents/004.htm
に、「東京モーターボートクラブ理事の伊東平次郎氏」とあり、
表中の砧内燃機(研)の呼称「キヌタ」エンジンは伊東氏の関係と思います。
因みに、"犬走志ん"第4号、p39で岩瀬清昭氏は、山崎氏の鉄模以外の趣味として
「モーターボートを葉山に持っていた」と書いてます。
伊東兵次郎氏は洋裁研究家として有名な伊東茂平氏の親類か弟だったか? の人です。
機芸社の図面集「スタイルブック」なる書名は、洋裁本と間違えそうな書名だが山崎氏の命名か?
また山崎氏は初期のTMSで"暮らしの手帳"を手本とするなど、婦人雑誌を日常的に読んでた人です。

52 :
お〜いしいシウマイ

53 :
http://blogs.yahoo.co.jp/garages600/47905721.html
上は一般的な日本の模型史ですが、
戦前の飛行機模型の学校教育正課運動の推移が見られ、
山崎氏はこれを批判したんだと思います。

54 :
      _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
    /(((///ノ/ンヽ,,
   f ミ"""'''''''"""ヘ ニヽ     
   ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ|     
   ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_  ;ミミ| 
   f|.-=・=H-=・=~iー6)リ  
    'ヒ______.ハ、_____ノ !!|     
    f' __,-ムー、_  ` ノ  <今ま未だシウマイを食べるべき時ではない。     
    ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人     
     \,____,// /~丶_
      人,_____/ /   \
     /|_/又 \ /      |

55 :
      _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
    /(((///ノ/ンヽ,,
   f ミ"""'''''''"""ヘ ニヽ     
   ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ|     
   ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_  ;ミミ| 
   f|.-=・=H-=・=~iー6)リ  
    'ヒ______.ハ、_____ノ !!|     
    f' __,-ムー、_  ` ノ  <鱸くん、スレを保守するべき時が来た。     
    ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人     
     \,____,// /~丶_
      人,_____/ /   \
     /|_/又 \ /      |

56 :

♪東大出てても馬鹿は馬鹿

57 :
鈴木氏が東大卒であろうがなかろうが趣味に学歴は関係ない。

58 :
私の場合、山崎氏が東大出、と知ったのは特集シリーズ"ミキスト"でした。
"TMS100号に寄せて"の文でこの部分の筆者は山崎氏でなく宍戸氏です。
俗な言い方をすれば、山崎氏は東大出たのに、落ちこぼれて零細出版業者になった人です。
世の中には、有名な人の名前を挙げて、「あの有名人は大学時代のオレの友達で今でも」とか言う人もいる。
山崎氏は大学関係でそういう人はいそうだが、それを全然やってない。
自分から東大出と言った事もほとんどない。大学時代の思い出も一切書いてないです。
地理学を勉強していた、と聞いてます。だったらレイアウトの情景論くらい、
ここぞとばかり地理学的見地から書いても良いはずだが、
書いてない。せいぜい岩肌の作り方を書いた程度。

59 :
確かに、理学部を出たと言っていたが、英語、物理、化学、数学どれも全く強くない。
炭鉱主の息子で、東京の学校にやってもらったが、学業は振るわなかったようだ。
戦争中だから勉強できなかったというのはやや怪しい。優秀な人は当時でもたくさんいる。
戦前は金があればある程度のところには行けたからね。
 

60 :
炭鉱主?実家は医者じゃなかったっけ。

61 :
医者は実兄だか義兄じゃないか?
山崎氏は卒業後、大学の研究室に残って助手みたいなことやってた。
その時にTMS第1号を創刊したので、やむを得ず他人名義を借りて発行した。

62 :
>>61
助手をやってた、という話はミキストで読んだことがあるが、この当時だと、
東京帝国大学に残って助手になる=有名大学の教員ポストが約束されていた、
ってことの婉曲的な表現ではないの?

63 :
それは穿った見方かもしれない。
もともと食うに困らない生活環境みたいだったから、定職に就く意思はなかったのかも知れない。
それよりも日本の16番を立ち上げて普及させることに使命感を強く感じていたのだろう。

64 :
>その時にTMS第1号を創刊したので、やむを得ず他人名義を借りて発行した。
本業が東大助手だつたから、副業の出版には堂々と名前を出せなかったということですかね。

65 :
地図と空中写真、見聞談:敗戦時とその後(続)
佐藤 久(東京大学名誉教授)
抜粋
「判読資料」の素材が多いうえに、現場からの質問や依頼もあり、
隔日勤務では捌き切れず、宿題お持ち帰りの日々も増えました。
そこで、武田班長に助手の採用をお願いし、後期生の山崎喜陽君20)
をアルバイターに雇って貰い、判読班に地理屋不在の時間が少なくなる
ように、二人の勤務をなるべく交互の時間帯に調整しました。
年度が替わって間も無い、たぶん4月末か5月初旬の頃です。
20)高校在学中の病気休学で遅れたが、水路部に就職した長谷ながたに実君の
元同級生で、私とも同年。空中写真には大いに関心を抱いていたが、卒業後間もなく、
少年時代からの夢を生かして「鉄道模型趣味社」を起こし、同名の雑誌ほかを出版して
業界に名を馳せた。この社名・誌名は、戦前の「鉄道趣味社」のコピー。

66 :
>>65
おやおや出てきましたね。これがテキストで入手可能であるとは思わなかったよ。
うちにしかないだろうと思っていた。爺さんの書庫で見つけた物と同じだ。
そのあたりの本はすべて調べたが、これくらいしかなかった。
そのうち、うpしようと思っていた。

67 :
地図と空中写真、見聞談:敗戦時とその後
http://www.let.osaka-u.ac.jp/geography/gaihouzu/newsletter3/pdf/n3_s3_3.pdf
地図と空中写真、見聞談:敗戦時とその後(続)
http://www.let.osaka-u.ac.jp/geography/gaihouzu/newsletter4/pdf/n4_s3_1.pdf

68 :
>>67
貴重な資料が出てきましたね。
山氏が実生活で地理学の研究者を目指したことと、
戦後の鉄模界で、16番の目標はレイアウト、と言ったことは、
関連性があるのか、関係ない偶然の事なのか興味が出ます。
山氏はこれに関しては何も書いてません。
何号かのミキストで
ドイツの偉い軍人の家庭の鉄模レイアウトに関して、
「さすが偉い軍人は家に帰っても模型を使って軍事の研究に余念が無い」
と書いた戦前の新聞記事に関して、
「趣味と研究の混同記事だ」と、笑い飛ばしたことはありました。

69 :
最初の妻は仲緒氏の妹だったそうだね。

70 :
>>68  >ドイツのエライ軍人
といえばゲーリングの私邸にあったレイアウトで、
列車が走ると、スツーカ爆撃機が現れ、急降下爆撃
するというレイアウト、
 残っているとは思えないけど、写真は見てみたい・・・

71 :
>>70
ミキストで書かれていたのがゲーリングだったかどうかは確認できないのだが、
ゲーリングと言えば普通は
http://www.bills-bunker.privat.t-online.de/113101.html
↑これですね。
ゲーリングは戦争中、スイス経由で英国か米国の鉄模雑誌を講読してたと聞いてます。

72 :
第二次世界大戦中、
ドイツ軍人のヘルマン・ゲーリング空軍元帥がメルクリンおたなら、
イギリスのチャーチル首相はミニカーコレクションおただったことは有名。

73 :
ミニカーのシュコーはゲシュタポの親分のハインリッヒ・ミュラーが作った会社。
戦争が無ければチャーチルとミュラーでミニカー談義とかしてたかもねえ。

74 :
>>69
私事を書かない人にしては再婚の時はミキストに書いたね。
自宅の改築の時も蒸機の動輪を他人に譲ったことも書いたね。

75 :
帝国ホテルの16号室を会員として借りてたとは書いていたが、
サントリーの「山崎」を愛飲してたとは書いていなかった。

76 :
>>74
その数年前に妻が病没した為に、数ヶ月無断でミキストを休載してしまった。
再開する時に休載の理由を簡単に書いた。
だから、その関係で再婚した時に簡単に再婚の報告をしただけ。
再婚相手は「○○子」と書いた程度で彼女の具体的な関係などは書いてないです。
自宅の庭に動輪据付は、当時の蒸気機関車撮り鉄基地外を批判する中で書いた。
私生活報告と言えば報告だが、
当時の基地外撮り鉄と
それを煽ったり、ケガ人が出たから、と言って反省を促したりする
実物雑誌記事を暗に批判するアンチ意見として書かれました。
子供が撮影に夢中になって事故を起こしたりするのは、
親の教育の問題であって、鉄道趣味者一般の責任では無い、とまで言ったのは鉄道係の雑誌でミキストだけだと思いますよ。
実物雑誌ほとんど読んでないので、多分、ですが。
自宅の庭の動輪売却の報告の件は、
湯山氏が"犬走り志ん3号"p33で
「普段私事をあまり書かない人ですからチョット変だなとは思ってましたが」言ったように、
年食って無断引退する直前です。

77 :
絶筆となった最後のミキストは、ME誌の抜き刷りばかりで「おかしい」と思わせる内容だった。
それから数年後に、とれいんの松謙主筆がパイプスモーキングで病床であることを暴露して、
TMS読者は初めてミキスト休載・主筆不在の理由を知るに至った。

78 :
山崎主筆の好きな職業は医者と写真家であった。
また東大卒の後輩が作品発表した時は、編集者の手帳で
それとなく執筆者の略歴を紹介したりした。

79 :
それに反し、東大卒OBの赤門鉄路クラブについては一言も言及がなかった。

80 :
山さんは帝国でニッカだろ

81 :
ニッカかトリスだろう。サントリー山崎はギャグっぽい。

82 :
再婚直後にあった人の話では、ずいぶん嬉しそうだったという。
わざわざ呼び出して紹介したらしいね。
そのあたりから、パートナーとの不仲がささやかれたと言う話もあった。
最後に放り出されてしまったね。

83 :
>>51
あのライブスチームは見事なものですね。

84 :
>>83
山崎氏はあれを作った、と書いてるが、本当に一人で全部作ったとは言えないような言い方も残してます。
テンダー込みで全長1.5mくらいですから、
ボイラーで行き詰まったのかも知れませんが、エアで動かせただけでも大変なものです。
製作方法は戦前のME誌か何かで発見出来れば大よその規模が解ります。
「戦前米国の鉄道会社に『おたくの何々形の図面を下さい』と金を同封して手紙を出したら、ちゃんと立派な図面を送ってきた。
  今の国鉄がこんな良いサービスをするだろうか?」
「蒸気機関車のベーカー型弁装置の理解はむずかしいが、高校生の頃ボール紙で動作模型を作って理解した」
等は、もっと古いミキストにチラチラ書かれていたのですが、NYC4-6-4のライブ写真を見てやっと、この事だったのか、と知りました。

85 :

|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
||  ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
||  エサを 与えないで下さい。             Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて   \ (゚ー゚*) キホン。
||  ゴミが溜まったら削除が一番です。       ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_      | ̄ ̄ ̄ ̄|
     (  ∧ ∧__ (   ∧ ∧__(   ∧ ∧     ̄ ̄ ̄
   〜(_(  ∧ ∧_ (  ∧ ∧_ (  ∧ ∧  
     〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
       〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ

86 :
山師は英語が(も)できなかった。
でも格好をつけなければいけないから、分かっているふりをする必要があった。
ある翻訳家にいつも助けてもらっていた。外国に行くときはいつも同行してもらっていたそうだ。
戦前の高校は語学教育しかしていないはずなのに、どうしてこういうことになったのだろう。
たてまえ通りなら卒業できないはずだ。

87 :
>格好をつけなければいけないから、分かっているふりをする必要があった。
山崎氏は自分は英会話は苦手だ、とはっきり言ってます。
日本人は日本語で書かれた鉄道書や模型書より
英語で書かれた鉄道書や模型書の方が高い水準にあるから、英語を読むわけでしょう。
ModelRailroadersやModelEngineer等をどれだけ読めるかが、模鉄英語の評価です。
アメリカ人とチャラチャラやる事だけが英語の評価なら、そこいらの軽薄なバイリンガル女にもかなわないです。
戦後の日本の大勢だった
32mmゲージ、AC運転、3線式給電に抗し、
16.5mmゲージ、DC運転、2線式給電を推進したのは、米書読まずに独自に思い付いた方針とは考えられません。

88 :
ModelRailroaders誌に日本人が記事を投稿する時はウチを通して投稿するようにと
いったらしいですね。また発行元のKalmbach Publishingとは特約も何も
無かったそうですが如何でしょう?あたかも特約であるかのように振るまっていた
そうですが。

89 :
昔の話だが、いまは亡きメーカーのフライング・ズーの井上氏?が
渡米した時のガゼット編集長ボブ・ブラウン氏との会話を思い出す。
井上氏の渡米に先立ち、山崎主筆はボブ・ブラウン編集長に忠告の
手紙を出した。それをボブは井上氏に見せて「何やこれ?」と言ったとか。

90 :
TMSとしては日本を代表する鉄道模型誌の自負があったのだろう。
とれいん経由でMR誌に発表された伊東氏の品川営林と古橋氏のロギングは、
日本人として快挙であったにも関わらず完全にTMS誌上では黙殺された。
ただMIBA誌に日本人初としてNレイアウトを発表した田淵氏はTMS誌上で
アナウンスされた。あれはTMSからの転載だったからであろう。

91 :
MRは学術誌じゃないんだからさ、自社経由ならともかく他社を介して
掲載されたものを殊更に喧伝する方が不自然だろ、世間一般の常識として。

92 :
勿論そうだが、鉄道模型後進国だった日本の模型作品が漸く世界で
認められた事は素直に喜ぶべき内容である。
今で言えばメディアチェックに書く内容である。
当時ならミキストあるいは編集者の手帳だろう。
米国鉄道模型信奉者だった山崎主筆がそれを黙殺したのはメンツを潰されたからだろう。

93 :
例えば、とれいん誌が創刊された昭和50年にも
TMSは第二の鉄道模型誌の誕生を黙殺した。
ライバルと思わず、趣味界発展のためにエールを
送るくらいの度量の大きさが欲しかった。

94 :
>>88 
「日本人が記事を投稿する時はウチを通して投稿するようにと いったらしいですね。」
↑は何かの事実根拠がある話なんでしょうか?
米国MRに投稿したい、と言う人が面前に居れば、日本鉄模雑誌編集者としては、
米国MR編集長と面識があるから、推薦状書こうか? とか、MRの投稿採用のカン所知ってる、
とか親切に言って不思議はない。
また、日本鉄模雑誌編集者として、ウチを通してくれると助かる、という営業口上は商売上当然なんら問題ない。
>>88 は事実根拠不明だが、下記のブログに依拠して書いてるるみたいですね?
http://blog.livedoor.jp/dda40x/archives/51126660.html#comments
>>89
「フライング・ズーの井上氏?が渡米した時のガゼット編集長ボブ・ブラウン氏との会話を思い出す。」
これは>>89氏が井上氏しボブ・ブラウン氏の会話に直接立ち会って憶えている、という意味に取れますが?
>>93
「とれいん誌が創刊された昭和50年にもTMSは第二の鉄道模型誌の誕生を黙殺」
商業雑誌が一々ライバル雑誌発行に、御祝儀記事書く義務は無いです。
ライバル雑誌に対してコメントが必要と感じたときにだけ書く自由があるだけです。

95 :
TMS一誌独占時代は、海外情報等はTMSからの一方通行で読者に伝えられた。
今ではインターネットで独自に海外情報が取得できるので読者は自身で判断できる。
一誌独占でしかもネットがない時代だからいかようにも情報コントロールができた時代だ。

96 :
このスレは鱸君がヤマ氏を弁護するためのスレのようだね。
間違った指導者が天下を取るとどうなるかは、NKと同じだ。
もしヤマ氏がいなかったら、この国の鉄道模型はもう少しまともになっていただろう。
ほかの分野の模型界の様子を見ればよく分かる。
どなたかが書いているパターナリズムなんてやさしいものではない。
単なる独裁者。チャップリンの映画と同じ。

97 :
>>95
>TMS一誌独占時代は、海外情報等はTMSからの一方通行で読者に伝えられた
ミキストは開始以来英米の情報を多量に伝えたが、その際「MRの○○号より」と典拠を書いてる。
これはMRの○○号を買って読めば、もっと詳しい、と言ってるようなものです。
実際ミキストでは何回か米国雑誌を読め、と言ってます。
海外情報を独占したければ、典拠はボかすはず。
雑誌"模型とラジオ"などは、DC2線式についても説明してるが、それが米国から教わった知識なのか、
雑誌編集者独自の発明なのかも、明記してないですよ。
TMS一誌独占時代から、
MRを直接読みたい人は、天賞堂に行けば簡単に月極め購読手続きが出来た。
ミキストを読んでいればその程度の事は知れていました。

98 :
>>96
>この国の鉄道模型はもう少しまともになっていただろう。
そうかなあ?むしろ発展していなかったような気もするが。

99 :
>>96
山崎氏がいなくなったおかげで、どういう風に
「この国の鉄道模型はもう少しまともになっ」たかを説明できれば
正しい意見になると思います。

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