1read 100read
2012年07月日本史14: ♪邪馬台国ドンと来い♪115 (267)
TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼 ▼
明智光秀はなんで皆から敵視されるのか (218)
戦前の日本は絶対悪。異論は認めない (394)
歴史オタク、歴女について (729)
サンカ (284)
小沢一郎を日本史上の権力者に例えると誰?2 (805)
小さなナポレオン山田顕義 (429)
♪邪馬台国ドンと来い♪115
- 1 :12/07 〜 最終レス :12/08
- どうだ
- 2 :
- ,,、_
[[ニ/ △ ヽ 前スレ
ノノl l ノ'''ヽ ! http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1337933728/
``! l|,,゚ヮ゚ノ|
jj,.ム ハソノ>っ
━U╋=(
<くノノノムゝ
- 3 :
- ┌┬┐
├┼┤
└┴┘
┌┬┐
├┼┤
└┴┘
┌┬┬┬┐
└┼┼┼┤
├┼┼┼┐
└┴┴┴┘
┌┬┬┬┐
├┼┼┼┤
├┼┼┼┤
├┼┼┼┤
└┴┴┴┘
- 4 :
- 邪馬台国は佐賀県小城市甘木です。
卑弥呼の墓は小城公園内桜ヶ岡(サクラオカ)です。
- 5 :
- 沙婆岡て これってホタテなのか?
http://maps.google.co.jp/maps?q=33.290476,130.196496
- 6 :
- http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=130.1963333334&latitude=33.290540180765
- 7 :
- ┌┬┐
├┼┤
└┴┘
┌┬┐
├┼┤
└┴┘
┌┬┬┬┐
└┼┼┼┤
├┼┼┼┐
└┴┴┴┘
┌┬┬┬┐
├┼┼┼┤
├┼┼┼┤
├┼┼┼┤
└┴┴┴┘
- 8 :
- ┌┬┐
├┼┤
└┴┘
┌┬┐
├┼┤
└┴┘
┌┬┬┰┐
└┼┼╂┤
├┼╂┼┐
└┴┸┴┘
┌┬┰┬┐
├┼╂┼┤
├┼╂┼┤
├┼╂┼┤
└┴┸┴┘
- 9 :
- ┌┬┐
├┼┤
┌┼┼┘
├┼┤
┝┿┿┰┐
└┼┼╂┤
├┼╂┼┐
┝┿╋┿┥
├┼╂┼┤
├┼╂┼┤
├┼╂┼┤
└┴┸┴┘
- 10 :
- ┌┬┐夫餘 在長城之北 去玄菟千里
├┼┤南與高句麗 東與挹婁 西與鮮卑接 北有弱水
└┴┘方可二千里 戸八萬
┌┬┐高句麗 在遼東之東千里
├┼┤南與朝鮮濊貊 東與沃沮 北與夫餘接
└┴┘都於丸都之下 方可二千里 戸三萬
┌┐東沃沮 在高句麗蓋馬大山之東 濱大海而居
┌┬┬╂┤其地形東北狹 西南長 可千里
└┼┼╂┥北與挹婁夫餘 南與濊貊接 戸五千
├┼╂┼┐濊 南與辰韓 北與高句麗沃沮接 東窮大海
└┴┸┴┘今朝鮮之東皆其地也 戸二萬
┌┬┰┬┐韓 在帶方之南
├┼╂┼┤東西以海爲限 南與倭接
├┼╂┼┤方可四千里
├┼╂┼┤馬韓在西 凡五十餘國 大國萬餘家 小國數千家 總十萬餘戸
└┴┸┴┘弁辰 合二十四國 大國四五千家 小國六七百家 總四五萬戸
- 11 :
- 南至投馬國(つまこく)水行二十日
官曰彌彌(みみ)
副曰彌彌那利(みみ・なり)
可五萬餘戸
5万戸だとこのくらいの面積はあるだろな
┌┬┐
├┼┤ ┌┬┬┬┐
└┴┘ └┴┴┴┘
生産性が良くないような立地条件だと
┌┬┬┬┬┬┐
└┴┴┴┴┴┘とかね
基点を郡としてあげればありそうも無いところ必死になって探さなくてもよいしね
- 12 :
- 九州の墓制がわりとごたまぜなのに対して、
畿内の墓制が統一されているのは、
畿内の豪族のルーツが少数氏族から始まり、それが
広がったものと考えられる。そして、支配の形跡が見て取れる。
これは、銅鐸文化の消滅、弥生時代の遺跡の少なさと、その後の
古墳時代の遺跡の増加からも推論できる。
九州は古くから各氏族が独立しており、支配という関係はなく、
せいぜい連合を組むというものである。各集落から、銅器、鉄器、土器の製作遺跡が
まんべんなく出てきており、集中してどこかがまとめて大規模に製作する体制ではなく、
それぞれの小国が小規模の製作工房をひと通り持つという形態になっている。
- 13 :
- 後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身
中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身
耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって
一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察
薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃
狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出
邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に
4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が
八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う
神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進
吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる
自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか
自らの事跡を誇るために海から見えるあの場所に陵を造らせたのではないか
- 14 :
- 証拠と無関係に「ないか」と言ったところで何にもならん。
- 15 :
- >>13
所謂「応神東遷説」かな?
どの道「ボクの考えた古代史ストーリー」で「造らせたのではないか」と言われてもリアクションもとれんっちゅう話やなwww
そもそも「後の大和朝廷の基礎」というなら大仙陵以前の奈良盆地の南北にある巨大古墳は一体なんなんだ?
…っちゅう話でもう少し練らないと採点対象にすらならない。
てか邪馬台国とどう繋がるんだ?
- 16 :
- >>12
>まんべんなく出てきており、集中してどこかがまとめて大規模に製作する体制ではなく、
>それぞれの小国が小規模の製作工房をひと通り持つという形態になっている。
これもやや理解し難い書き方だな。
例えば福岡市西区今山遺跡は北部九州一円に磨製太型石斧を分配したと考えられていて
福岡平野の奴国で生産された銅矛の分布は山陰なら荒神谷にも及んでいる。
群雄割拠・連合体という姿に合わせて均質な生産体制を描きすぎているのではないか?
- 17 :
- 最近思わぬところで「九州説」を見たのでネタ投下で書いておくwww
「ガイアチャンネル」というソフトがあってBC3000頃から現在まで
地球儀上で起きるイベントを眺めるというようなソフトなんだが…
http://www.benedict.co.jp/index.htm
例の239年の卑弥呼の朝貢まで時間を進めてみると明らかに邪馬台国は九州にあったことになっていた。
最初相当古い書籍かなんかに基づいたものかとも考えたが
どうやらこれを作った人間が『九州王朝説』の人間みたいだった。
http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-161.htm
邪馬台国の場所は九州北部に間違いないだろう。
さらに、卑弥呼が死んだ後も、邪馬台国または邪馬台国を継承した九州政権が存続し、中国に朝貢したことも確かである。
また、同じ頃(西暦300年)、奈良盆地に大規模な前方後円墳が出現する。
前方後円墳は大和朝廷の象徴なので、この頃、奈良に大和朝廷(ヤマト王権)が興ったことは間違いない。そして、この王権が飛鳥時代に継承され、今の王室につながっている。
ということで、日本の政権が、遅くとも7世紀までに、邪馬台国を継承する九州政権から、大和朝廷(ヤマト王権)に移ったことは確かだが、それがいつ、どのような形で起こったか分からない。
それどころか、邪馬台国と大和朝廷(ヤマト王権)の関係もはっきりしない。そこで、邪馬台国から大和朝廷(ヤマト王権)までの空白の4世紀を追う。時代は、290年〜650年。
ここで、
1.「奴国 → 邪馬台国」を継承する九州政権を「邪馬台国王統」
2.奈良で興った大和朝廷(ヤマト王権)を「大和朝廷」
と呼ぶことにする。
…意外と九州(王朝)説ってネットの世界じゃしぶとく生き残ってるんだなと実感した次第wwwwwwww
- 18 :
- >>17
結構いい読みしてるじゃんよ
だいたい当ってるだろ
- 19 :
- >奈良で興った大和朝廷(ヤマト王権)を「大和朝廷」
それが妄想だ。奈良では何も興ってはいない。古墳のもとをたどれば、大和の前は
吉備、吉備の前は出雲、出雲の前は九州となる。古墳に副葬されている鏡、腕輪、
甲冑、武器・・・みんな九州のものだ。
- 20 :
- >>19
更にその起源を半島大陸に求めようか?wwwwwwwww
- 21 :
- >>19
>みんな九州のものだ。
典型的なウリナラ起源説だなw
- 22 :
- 困った連中だ。今や考古学者の常識だぞ。
- 23 :
- 論争荒らしのテンプレコピペより
・違う話題がはじまっているのにしつこく蒸し返す→悔しかったのです。
・理詰めの反論ではなく人格攻撃をする→自分の意見に自信がないからです。
・相手を異常者認定する→ホントは自分も異常者ですが、そう言われないように先手を打っています。
・過去の事例をしつこく持ち出す→その時の当事者です。
・自分の意見をスレの総意だと主張しようとする→みんなは両方ウザがってます。
・自分で「スルー推奨」と書く→オマエがスルーしろよボケ。
- 24 :
- 畿内説にとっては、邪馬台国東遷説と騎馬民族征服王朝説はだいたい
同じようなニュアンスになるらしい。ある有名な畿内説の考古学者が
東遷説の話が出たとき、なぜか騎馬民族説を持ち出して批判していた。
九州起源を持ち出すと、なぜか決まって朝鮮半島起源説まで持ち出すのも
なんとなく似ている。関西人の意識にはやはり独特なものがある。
- 25 :
- 実例を提示すればいい それだけのこと
- 26 :
- >>24
>東遷説の話が出たとき、なぜか騎馬民族説を持ち出して批判していた。
本質的に似たような部分があるからな。
文化の急激な変化を王朝の交代劇、征服勢力の襲来とみなすという点においてはだいたい同じ。
そもそも「邪馬台国東遷説」と言うのならその邪馬台国が何処にあったのかきちんと確定してからにしろって話。
話はそれからだ。
- 27 :
- 畿内説論者にとっては、畿内説以外はどれもこれも似たようなものとしか
見えないんだよ。
- 28 :
- >>24
>関西人の意識にはやはり独特なものがある。
大体邪馬台国東遷説に関しての反応に関西人だけに特有のものがあるのか?
関西以外だと東遷説に対して扱いが違うのか?
そもそも邪馬台国東遷説なんて他でもない九州の考古学者が否定するだろう。
邪馬台国東遷説が成り立たなくなる現在の考古学の年代観は
結果から見れば元々は舶載品に恵まれた九州の考古学に合わせた形なのだから
- 29 :
- >>28
東遷説は記紀的にも根拠がある。神武東征という形で残っているといえる。
逆に、東遷説を否定するからには、それなりの別な説が必要になる。
しかし、畿内説の考え方には無理がある。もともとは自生説だったが、
これは自ら否定することになった。
で、代わりにできたのが『仲良し連合体』。しかし、記紀的には無理がある。
また、一大率によって九州の各国が検察されるような組織にはそぐわない。
つまり、倭人伝的にも無理がある。
で、結局、畿内説的には、記紀は勝手な創作、倭人伝は嘘ということになってしまう。
まあ、畿内説が間違っているとするだけで、全てがうまくいくのにね。
- 30 :
- >>29
>東遷説は記紀的にも根拠がある。神武東征という形で残っているといえる。
もう百回ぐらい同じ事を聞いたわ下らない。
神話は神話。
始祖が遠い地よりやってきたなんて話は世界中にゴマンとある。
むしろ始祖がその神話を伝える王朝の都のど真ん中に降臨したような神話を俺は知らない。
仮にそこに歴史的事実があるというのならその材料を添えて主張しろ。
神話に書いてあるから史実というのでは
聖書に書いてあるからこの世界は神が創りたもうたという宗教・原理主義と何ら変わらない。
- 31 :
- 九州経由で畿内に(というか関東までも)人が来たことは事実でしょ
神武東征を自説に都合のいい時代にもっていくやつが多すぎ
- 32 :
- そもそも東遷説論者が証明すべきは
東征神話が史実であるという材料を積み重ねることであり
その根拠に神話を持ち出すのは本末転倒
循環論法もいいところだ。
- 33 :
- 北部九州の副葬品文化を根拠にしたり、南九州の記紀神話を根拠にしたりするね
- 34 :
- >>33
>副葬品文化
文化は文化
それは伝播東進して当たり前だがそれが何か?
それを根拠にするのなら文化の伝播では追いつかないぐらいの共通性をあげろ。
例えば鏡なら統制勢力によって最初に持ち込まれた鏡はどれだ?
九州のどの鏡と畿内のどの鏡が繋がるんだ?
単純に「鏡」の一時で括って終わり。
- 35 :
- >>34
根拠にしてる奴に聞けw
- 36 :
- >>35
じゃあ鏡以外の「副葬品文化 」でどれがどのように根拠になりうるんだ?
最初からちゃんとした根拠を説明もできず単に文字を並べて
突っ込まれたらトンヅラという毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度のパターンかな?
- 37 :
- >>36
何言ってんだよお前はw
>>33をもう一度読め
- 38 :
- ついでに言っておくと
>>33
>南九州の記紀神話を根拠にしたりするね
所謂「日向神話」なんか海幸山幸に見る陸と海の大喧嘩とか
産屋を覗いたら嫁の正体は鰐だったとか比較神話学のネタの宝庫w
流石にこれらのネタを史実とするのは難しいのだろう
高天原や孫降臨を史実とし神武東征を史実としても
その間の日向神話を史実とするのはあまり聞かない。
仮にその部分は神話・フィクションとするなら
天孫降臨から神武東征が一連の史実として繋がる保証はなくなる
- 39 :
- 宮崎平野から高千穂の峰は遠く真西にきれいな三角にみえる。
「始祖が遠い地よりやってきた」というのは神武東征ではなく、
天孫降臨であって、神話にお決まりの前口上に過ぎない。
そして、近年知られてきた古墳時代の奈良と宮崎の共通性から
(1300年前の人たちが区別したように)神武のエピソードからは
何等かの史実の反映ではないかと思う。
- 40 :
- >>39
>奈良と宮崎の共通性
具体的になんの話だ?
ちなみに所謂「纏向型前方後円墳」なら
北部九州にもあるし関東北陸にもある
日向のものが最古であり大和のものを含めその最初のものであるというような話も聞いたこともない。
共通性があるからそれが何の根拠になるって?
- 41 :
- 邪馬台国論争とは結局、決定打となる証拠が出ないから
畿内説・九州説・その他も現時点では仮説でしかない
と、理系の素人が言ってみる。
- 42 :
- 日向神話を史実とするための種もなくはないけどもういいかな
天孫降臨は糸島だか日向峠らしいから語ってもらったらいいと思う
要するに趣味や遊びや小説文学だしな
いや嫌味でなくもういいや
- 43 :
- 近畿地方あたりは、弥生時代の銅鐸社会から古墳時代の鏡社会に劇的に変化して
いる。文化的な変化というよりも政治的なものを含めた大きな変化と言える
わけで、これを単なる変化と言うような考古学者は存在する意味がない。
勝手な妄想を振りまくだけの考古学者は、邪馬台国論争から手を引くべき。
こんなつまらない考古学者の考えをまともに信じている畿内説の間抜け面が
目に浮かぶようだ。
- 44 :
- 間抜け面と言うよりはアホ面ですね。
畿内説などとうに考古学会のゾンビと化していますよ。
- 45 :
- 確かに畿内説の考古学者はもう手をひいてるよ。
だって畿内周辺しか有り得ないので今更する必要ないからなw
- 46 :
- 考古学によって考えるならば、邪馬台国を衷心とする国々は持衰の話からも明白なように
中国と通交していた。したがって、弥生時代の遺跡に中国との通交を裏付けるものがなけ
ればならない。
九州は各所にそれが出ており、特に南九州は玉璧がでているが、本州特に畿内はそのよう
な痕跡がまったくない。これは考古学的には致命的だね。
- 47 :
- そんなに無知を晒さなくても。
畿内周辺で中国と関連するもの何ていくらでも確認済み。
弥生期の円形周溝墓だって瀬戸内東部に集中してるよ。
- 48 :
- なら、具体的にあげてみたら。
- 49 :
- ブ〜メラン ブ〜メラン♪
- 50 :
- 出土品は九州説しか支持しないよね。
畿内説を支えてきた主要な根拠が皆、詐欺なので
考古学者たちはさすがに支持し切れなくなっているが
マスゴミや他の学者たちは、まだ畿内説信仰にどっぷりと
浸かっている。そのほうがプライドを維持できるし、
地位が保てるし儲かるからね。
- 51 :
- ●金官伽耶領域内の遺跡
2世紀から4世紀末頃にかけて営まれた金海の良洞里古墳群が狗邪韓国時代のもので、
日本系遺物は北部九州を中心とする弥生後期のものが主流。
一方、5〜6世紀に営まれた大成洞古墳群の日本系遺物は近畿地方と深い関連性を持っているという。
交流・交易の中心地が変わったということは、列島における対外交流の中心が変わったことを示唆している。
つまり、中枢機能が九州にあった時代(2〜4世紀)と、近畿地方に遷都したあと(5〜6世紀)の対外交流の中心が、
九州から近畿に変わったのである
●東遷を示唆する事実
・沖ノ島祭祀に近畿方面から大和政権が参加する時期。(4〜5世紀)
・近畿方面に鉄器が本格的に普及し始める時期。(4〜5世紀)
(古墳から出土する武器が鉄器に変わる時期。(4〜5世紀)
・近畿地方に大古墳が造営される始める時期。(4〜5世紀)
・九州地方に装飾古墳が展開し始める時期。(5世紀以降)
すべて4〜5世紀を境目にしている。
- 52 :
- ●九州勢力による「ゆるやかな支配」
東遷説への対処方便としては、「九州と瀬戸内・近畿のゆるやかな連合」などといったアイデアもあるが、
むしろ、東遷以前の日本列島は、「九州勢力によるゆるやかな支配」というのが現実だろう。
私は、そもそも畿内勢力・九州勢力といった対立勢力もなければ、
そうした二大勢力間の対立構造も存在しなかったとみている。
二大勢力の対立構造は、畿内説・九州説といった仮説が、その展開上必要とする故の産物にすぎない。
対立構造を前提にすれば、関門海峡を実力で封鎖した場合を想定しなければならない。
・先進の中国大陸との通交ルートが九州・壱岐・対馬・朝鮮半島の一つしかない現実。
・こうした、日本列島特有の地理・地形が規制する物理とこれによる力学の存在。
・「人・もの・文化」は入り口ほど濃厚で遠くなるにつれて希薄になるという事実。
入り口ほど先進的で、遠くなるにつれて後進的である。
・瀬戸内や近畿地方がこの通交ルートを使うには関門海峡を通過するしかない。
(仮にも敵対勢力があった場合には、当然ながら関門海峡の人・もの・文化の通交ルートを統制する)。
・通交統制された状態では、国力的にも文化的にも後進に甘んじるしかない。
(この状態で、瀬戸内の奥に敵対勢力や強大な勢力が独自に生まれることはない)。
だが、実際には封鎖などしておらず流量のコントロール程度だったろう。
現実問題として日本列島の勢力構図は、「九州勢力によるゆるやかな支配」である。
九州に派生した先進的勢力を頂点としたピラミッド構造だったものと私みている。
基本的には長江流域からの渡来人が主流となって住み分けていたのだから、
九州勢力に与したり融和したりで、九州勢力と友好的な倭人がほとんどで、
倭国政権中枢の遷都をさほどの抵抗もなく受容したものと思われる。
- 53 :
- まるで自分で自分の首を絞めるような理論ですねw
- 54 :
- 全部、森村伊作自身のサイトからの転載だよ。
- 55 :
- ワシが考えた古代史なんて妄想話を書かれてもなあ・・
- 56 :
- >>54
天才は「こういう発言をとっくにしている」というわけだ。
「九州・瀬戸内・近畿のゆるゆるの連合」というカラ詭弁に対抗して、
東遷以前は「九州勢力による・ゆるやかな列島支配」というのを立てた。
これが天才の片鱗よ。あとは論理勝負だ。どっちが潰れるか・好きにやれ。
- 57 :
- 天才は自称なんかしない、他が自発的に認める物だよ。
伊作程度の平凡な論理で天才?ナイナイw
- 58 :
- 相変わらず、頭の悪そうな天才だなw
ダブスタ、循環論法なんでもありだなw
- 59 :
- >>57
この馬鹿っぷりは平凡じゃないな
- 60 :
- >>51 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
>●東遷を示唆する事実
>すべて4〜5世紀を境目にしている。
相変わらずこの 森村チョン作大先生 の阿呆ぶりは酷いな。
誰が見ても直ぐに分かる話だが
挙げられた項目は東遷の根拠でも何でもない
単に「ヤマト王権の勢力が伸長した時期」を表しているに過ぎない(年代の数字は置いといて)
東遷があった事を証明できて「じゃあそれがいつだったか?」で初めて出てくる話。
この馬鹿の脳内では東遷があったことはもはや自明の理になっているんで
ヤマト王権の勢力伸長の時期を表す項目が何故か東遷の根拠になってしまう。
オレサマ脳内ストーリーで3世紀末だか4世紀初頭に九州熊本王朝の東遷があったことが確定している
だからそれに合わせてヤマト王権の勢力拡大があれば2つの事実は繋がるというキチガイ理論。
まあトンデモ歴史ファンタジー作家 森村伊作 の与太話は大体このパターン。
脳内ストーリーが先ずありき。
あとはそれに関連しそうなものをとにかく盛れるだけ盛るというwwwwwww
- 61 :
- >>46
>九州は各所にそれが出ており、特に南九州は玉璧がでている
これもこの板のゴミクズレベル九州説の典型的なゴマカシ論法
(まあこんなものに引っかかる奴も相当に馬鹿だが)
舶載遺物の出土といえば北部九州特に玄界灘周辺地域に集中する。
(鏡なんかを考えてみても宮崎なんて相当に寒い状態だったと思うが)
それでも『 九州 』という大きな括りでまるでそこにも潤沢にあったかのような印象を与えようとする。
で今度は絞って串間の壁を持ち出して潤沢にある舶載遺物の中で特に資料的価値の高いものという印象を与えようとするサギ論法。
(ご都合によって「大きな九州」と持論の比定地の「小さな九州」の使い分け)
璧に関しても仮に文政元年(1818)出土したという場所について伝承通りに信じたとして
じゃあいつそれがその石棺に入れられたか?なんてそれを示すものは何もない。
この日向厨の言う弥生時代なんてこいつの考えたお話にすぎない。なんの根拠もない。
例え石ころであろうと変哲もない土器片であろうとその出土状況によって考古資料の価値は変わってくる。
それ単品の価値、骨董品としての価値とは別の話だ。
(そりゃ俺だってタダでくれるというのなら三角縁神獣鏡より璧の方がいいわwww)
璧そのものの価値であれば三雲のガラス璧より更に上位だろうが
じゃあ宮崎に三雲に匹敵するような遺跡王墓群等々があるわけでも何でもない。
考古学がどうのこうの言う前に
てめえのトンデモコーコガクを何とかしろって話だなwwwwwwwwww
- 62 :
- ゴミクズレベルと言い出すなら、畿内説は全部、詐欺レベルだがな。
- 63 :
- >>62
所詮妬みだね、それはw
- 64 :
- 畿内説が詐欺なのは、嫉妬しもしなくても、事実だろ。
- 65 :
- 「キナイセツ、キナイセツ」「サギダ、サギダ」
今日もサイキバの鳴き声が虚しく響く…
- 66 :
- >>61
ほほう、必死に考えて一生懸命書いたようだが、レベルの低さを露呈しているな。
>舶載遺物の出土といえば北部九州特に玄界灘周辺地域に集中する。
当たり前の話だな。朝鮮半島に近いところにいた連中が半島でおもちゃを買い入れ
倭国内で売りさばき商売していたんだろう。玄界灘沿岸から舶載遺物が出土したから
といってたいした価値はないよ。それにそれは朝鮮半島から入ったものだろう、中国
本土からの物でなければ中国との通交の証にはならん。
その点、南九州は状況が違うんだ。南九州は朝鮮半島から入手することは難しい。
北九州と同じような遺物だって直接中国との通交を示すといえる。
璧が南九州から出たことは相当ショックのようだな。あれこれ因縁をつけようとが
んばってるが、作られたのは弥生時代だ。当然我が国に入ってきたのもその頃に決
まっている。墓に入れたのが仮に古墳時代になってからでも、そんなことはどうでも
いいことだ。弥生時代に南九州が中国と通交していたってことの証だよ。
それに素環頭太刀、有肩打製石斧なども証となるぜ。意味わかるかな?
- 67 :
- >弥生時代に南九州が中国と通交していたってことの証だよ。
古代海民集団ゴロ族が南九州にあったとか?
「岩屋天狗と千年王国」なる怪本?にあったけど?本当かな?
- 68 :
- 詐欺と言われて、脊髄反応する畿内説。
閻魔様に舌を抜かれる恐怖に怯えてますな。
- 69 :
- 北部九州でゴホウラの貝輪などが出ていて、沖縄なんかと交流があったと
考えられている。沖縄・奄美で貝輪の製品や半製品が出ているから。
しかし、北部九州が沖縄と交流するためには南九州を通っていく必要がある。
となると、むしろ。南九州が沖縄などと交流していて、得た品物を北部九州に
供給していた可能性もある。もちろん反対給付もあるわけだが。
こういう風に考えていくと、南九州は南西諸島経由で、もともと呉と関係があったと
考えても良いかもしれない。となると、南九州が狗奴国の可能性もある。
だいたい、魏から親魏倭王の詔書等を与えられても、ほとんどためらいなく
邪馬台国に戦争しかけたのは、呉の後ろ盾があったからかもしれない。
串間の穀璧や免田の鍍金鏡は呉の物だろうし。
- 70 :
- 九州は北も南も倭人だけしか住んでなかったよ。畿内みたいに毛人が
すんでいたわけではない。
- 71 :
- >>66 日向厨
>璧が南九州から出たことは相当ショックのようだな。あれこれ因縁をつけようとが
>んばってるが、作られたのは弥生時代だ。
>当然我が国に入ってきたのもその頃に決まっている。
「決まっている(キリ」と馬鹿に言われてもなwwwww
「作られた頃」と言うのなら劉勝の墓のものと酷似しているということから引っ張ってくれば紀元前2世紀だぞ?
そんな頃からお前の妄想しているような意味合いでそれが中国から与えられていたなら
もっと早くから南九州は開けているだろうし紀元前の大陸の遺物だって出土するだろう。
なんでも言ったら良いってもんじゃにぞ阿呆。
「古墳時代でもいい」と開き直ったとてそれが中国との直接の通行の証にもならない。
半島経由ではなく東シナ海経だという根拠がどこにあるんだ?
璧に流通データが付随でもしているのか?
馬鹿も休み休み言え馬鹿者。
- 72 :
- 羊と貝、羊は朝鮮半島に廻れや。
奄美、沖縄は貝の本場だ。
- 73 :
- まあ古代において日向が一番勢力を持つのは5世紀だろう。
巨大古墳が出現し日本が国策として導入した馬匹文化もいち早く現れている。
(石棺の中には鉄器もあったと伝えられているからその点も符合しやすい)
この頃に有力な首長がいて璧を入手してあるいはそれが東シナ海ルートだとして
邪馬台国にも東遷説にもなんにも関係ない。
5世紀の日向の勢力を表しているだけ。
- 74 :
- >劉勝の墓のものと酷似しているということから引っ張ってくれば紀元前2世紀だぞ?
単純だなあ。劉勝の墓のものと比べたか? 似ていたからといって、紀元前2世紀なんて
簡単にいえるか? どのくらいの期間似たものが作られていたか言えるか?
- 75 :
- >>74
じゃあそれ以上の基準となりうるものを言えよカス。
一体どこから弥生時代だのを引っ張ってきたんだ?
単なる自分の希望か?
- 76 :
- >それが中国から与えられていたならもっと早くから南九州は開けているだろうし
>紀元前の大陸の遺物だって出土するだろう。
畿内が中国と通交していたならもっと早くから畿内は開けている
だろうし大陸の遺物だって出土するだろう。だが、何にもでてないな。
- 77 :
- >>75
何だ、劉勝の墓の出土とく比べもせんで、知ったかぶりしただけだったのか。
- 78 :
- >>77
読んだ本には図版も出ていたし類似の指摘もなされていた。
お前の方が結局それがいつ作られたのかを推察する材料を何も持たず知らず知ったかぶりで
ほざいただけなんじゃないのか?(ゲラ
- 79 :
- 何の図版がでていたのかな? 本の名前と著者を言ってみろ。
- 80 :
- >>69
そういった南方ルートは存在したろうが
後の遣唐使の事例から考えて相当にリスクが高くそう頻繁に通交できたとも思えない。
心理的なものは別にして実際呉地のバックアップを頼れるほどに太いパイプだったとも思えない。
しかし不思議なのはじゃあ呉地から南方ルートで文物を仕入れるルートがあったとするのなら
神獣鏡は先ず南九州に現れていいはずだが・・・
- 81 :
- >>79
著者はゴミクズレベル九州説にも人気の森浩一
タイトルは忘れた探すのはめんどくさい。
お前が「それが作られた頃」「弥生時代」とほざいたのが何を根拠にしたのか言ったら探してくることも考えてやっていいぞクズw
- 82 :
- まあ日向厨の馬鹿が何を根拠に璧の年代を考えていたか知らないが
(そもそも」確たる根拠があったかも怪しいがw)
俺自身はその劉勝の墓から出たものぐらいしか知らない。
仮にこれとほぼ同年代だと紀元前に世紀日本に来て副葬される時間を考えても紀元前1世紀初頭か?
無論AD57、107の朝貢よりはるか前であるwwwwww
確かこの日向厨のオレサマストーリーではその璧を中國から戴いた日向の王は師升とかの後継者とかじゃなかったか?
時系列もむちゃくちゃになってしまうwwww
じゃあちょうどいい感じに2〜3世紀に落とし込もうとすると一体どんな材料があるのやらwwww
まあ馬鹿がお宝アイテムに飛びついて勝手に妄想広げただけの話だということだ下らない。
- 83 :
- 壁は時代によって模様が異なる。串間のは穀璧。その模様の精緻さから
弥生時代に間違いないんだよ。
- 84 :
- >>83
結局脳内ソースかw
一口に弥生時代といっても長いが何世紀頃になるんだ?w
つうか中国の璧の年代に直接的に「弥生時代」と言うのは笑えるな。
普通なら中国の○○時代それが日本の弥生時代なり古墳時代なりのいつ頃に当たるというのならともかく
ダイレクトに弥生時代というのはこの馬鹿が邪馬台国九州(日向?)説に頭イッパイイッパイになってる証左wwwwwwwww
- 85 :
- 璧を見て歩いていればだいたいのことはわかるんだよ。
私は誰かみたいに不用意に紀元前2世紀なんて口走らんだけさ。
ちゃんと幅を考えて書いているんだ。
- 86 :
- >璧を見て歩いていれば
wwwwww
- 87 :
- >>85の翻訳蒟蒻
日向厨
「ワシは璧に関しては大層な目利きじゃぞ!
黙って眺めればその年代もピタリと分かる!
串間の璧は弥生時代で間違いないのじゃ!」
- 88 :
- 当たり前だろうが。常識のない奴だな。
- 89 :
- ランダムに横チャリ
>>43
>近畿地方あたりは、弥生時代の銅鐸社会から古墳時代の鏡社会に劇的に変化して いる。
>文化的な変化というよりも政治的なものを含めた大きな変化と言える。
その通り。後漢末は現世利益をうたう宗教の登場で、一大宗教改革の時代である。
その信仰宗教が神宝とし、呪具としたのが神獣鏡だ。
銅鐸の出土数すら少ない大和盆地で突然、明器(副葬呪具)としての鏡と古墳がセットで大流行する。
民心をコントロールするほどの精神文化の大変革だ。
民心のコントロールは効果的な政治手法として機能する。
「政治と文化の大きな変化」というの正しい。
>>45 >確かに畿内説の考古学者はもう手をひいてるよ。
歴博のヒモつき考古学者が先頭に立って機内説を推進してるが。
>>50 >マスゴミや他の学者たちは、まだ畿内説信仰にどっぷりと浸かっている。
官僚主導のせいもあるかな? 彼らが畿内説なんだろ。
>>66 >弥生時代に南九州が中国と通交していたってことの証だよ。
その可能性が高い。
@ホケノ山古墳(3世紀前半築造)
画紋帯同向式神獣鏡1枚、画紋帯神獣鏡の銅鏡片、内行花文鏡片、
銅鏃 約60本、鉄鏃 約60本、素環頭大刀 1口、鉄製刀剣類 10口、鉄製農工具
A椿井大塚山古墳(3世紀末築造)
三角縁神獣鏡32枚、内行花文鏡2枚、方格規矩鏡1枚、画文帯神獣鏡1枚など計36枚以上。
・鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、銅鏃17本、鉄製甲冑1領。
・鉄鎌3本、鉄斧10個、鉄刀17本、鉄製やりかんな7本以上、鉄錐8本以上、鉄のみ3本以上。
・鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本。
武器・武具・農耕具・大工道具・漁具と、あらゆる鉄製品が副葬されているが、これは本当に3世紀築造の墓か?
画紋帯神獣鏡は中国由来の本物で貴重だったらしく1枚ずつしか副葬されていない。
比して後者は三角縁神獣鏡32枚。国産品が相当に出回るようになった時代の築造だろう。
- 90 :
- ●画紋帯神獣鏡は鬼道が盛んだった呉地域の鏡らしく、中国でも呉地域で多く出土している。
●画紋帯神獣鏡が呉地域から九州を経由してもたらされた事実は揺るがない。
>>69 >南九州は南西諸島経由で、もともと呉と関係があったと考えても良いかもしれない。
遥か石器時代に、佐賀県腰岳産の黒曜石が朝鮮半島から、南は沖縄本島まで運ばれている。
>となると、南九州が狗奴国の可能性もある。
当然。
>免田の鍍金鏡は呉の物だろうし。
これは(ある鏡の現物コレクターの見立てでは)「画紋帯神獣鏡」らしい。
魏に朝献する前、すなわち卑弥呼が女王になってから魏に朝献するまでの3〜40年間は、
倭国は(非公式にしろ)呉地域と文化的にも交流があった可能性も考えられる。
そう考えた場合、卑弥呼が呉地域とつながりの深い鬼道をマスターしていたことともつながる。
『倭人伝』は体制側の歴史書だから呉については書きたくなかったらしく、
倭人の文身の習俗についても越との関係を匂わせただけで、呉との関係にはまったく触れず、
太伯の末裔の話も載せていない。意図的に書かなかった節がある。
妄想すれば、呉地域とつながりの深かった倭国が、
女国側と狗奴国側に割れて対立したことで、女王国側が魏に軍事支援を求めたのか。
>>76 >畿内が中国と通交していたならもっと早くから畿内は開けている
そういうこと。「人・もの・文化・知識・技術は西から東へ」。
いうまでもない常識。出土遺物もそう証言している。
「どこを・どう通ってやってきたのか」……畿内説がいつも返答に苦しむ問題だ。
>>80 >神獣鏡は先ず南九州に現れていいはずだが・・・
神獣鏡をありがたがるのは東の田舎者だけ。田舎者を手なづけるためのツールだから。
デキのよしあしを見極める目を持たない田舎者は、粗末なものでも有り難がった。
で・色んな所で・色んな奴が三角縁神獣鏡を造った。技術や品質にバラつきが出るのも当然。
- 91 :
- 地理的に考えても倭は呉と通交していたでしょうね。
東シナ海をまっすぐ行けば大陸に着くわけですから。
遠回りして、波が高く危険な対馬海峡をわざわざ渡海する必要もないわけです。
魏に使者を送ったタイミングから見ても卑弥呼は大陸情勢をよくつかんでいたと思われます。
- 92 :
- 邪馬台国とは、和歌山県伊都郡かつらぎ町から紀伊山田にかけての地域なんじゃないかな?
初期葛城王朝こそ、邪馬台国だと思われます。
- 93 :
- >神獣鏡をありがたがるのは東の田舎者だけ。田舎者は、粗末なものでも有り難がった。
そのとおりだろう。△が多くでたところに邪馬台国があったと考えたのは畿内説論者の
まちがい。それを攻撃するために、△は邪馬台国の鏡ではないと主張したのは九州説論者の
まちがい。△は卑弥呼の遣使と関連した邪馬台国の鏡だね。
九州にあった邪馬台国が田舎者をてなづけるために畿内などでばらまいたんだな。
- 94 :
- 東の田舎者に象徴として銅鐸を捨てさせ、鏡を与えたのが始まり。
するとどうだろう、銅鐸なんて時代遅れ、これからは鏡の時代!
と競って銅鐸を捨て始めたではないか。
今と変わらない東の愚かしさであった。
- 95 :
- 新羅に呉人が入っていたことは度々紹介したが、こういう記事もあるぞ。
五月 月奈君石風 浮海遇風 而漂不知去處 實相請立吳人爲其君 許之
先是 吳人母吳女 立國於西海 石人征服之 以爲妻生吳人
未幾 石人之長子石風 奪吳女 而逐石人于扶余 吳女又生石風子禹風
至是 其臣方方 通吳女 而欲立禹風 吳女欲立吳人 實相以吳人有功于我立之
二月 發車遣古厚等 獻吳國宝貨
阿羅反與野人 伐月奈 吳人降 于野人 A.D.440
<訥祇>献<太山郡>穀禾. 禾自<吳>入<加耶>及<羅>而未及我邦者. 地味有所不合者也.AD452
この吳人、吳女は人名かもしれないが、他にも呉の記事はかなりある。
呉人が南方ルートばかりから倭に来たと考えてはいけない。
呉人も朝鮮ルートで倭に来たのである。
- 96 :
- むかで男とかむかで女とかむかで車かもしれんよね
- 97 :
- 上の記事で野人とあるのは倭人のことである。
ネットの朝鮮史では、倭、倭人は、野、野人と書かれている。
ただし倭、倭人と書かれている場合もある。
月奈は国名。發車は人名か国名である。
- 98 :
-
2chの九州説は卑弥呼時代まで倭国は九州限定なんだから、
2世紀の瀬戸内、畿内の祭祀の変化とは無縁だろ
- 99 :
- 神功前紀 秋九月庚午朔己卯。令諸國集船舶練兵甲。時軍卒難集。
神功前紀 冬十月己亥朔辛丑。從和珥津發之。 新羅王常以八十船之調。貢于日本國。其是之縁也。
この記事は、274年渡海とその後を語る事実である。
9月に兵を募集し10月に渡海する。その縁で新羅は、毎年、調(税)を倭に支払うようになる。
これを事実とするにはどのような状況が必要であり、考古学はどうか?
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。[274年神功渡海]
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
考古: 纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山 308年永嘉の乱
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 [313年仁徳元年]
仁徳天皇十二年(甲申三二四)七月 高麗國貢鐵盾。鐵的。
纏向5類(中 後 )渋谷向山 五社神古墳 316年晋滅亡、兵の引き上げ
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 [323年神功49年]
考古:北部九州から半島の土器(居住区)が消える。
△鏡は、神功渡海から50年、七支刀までの時空が与えられる
- 100read 1read
1read 100read
TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼 ▲
奇跡の解法●森村伊作邪馬台国を語る●大和の揺籃 (705)
聖徳太子って (466)
【つはもの】武士の起源と成立2【もののふ】 (313)
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話 (812)
南部氏(・><・)巻之七 (405)
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 15 (833)
--log9.info------------------
【そうだ】BLEACH阿散井恋次アンチスレ1ワン【俺は負け犬だ!】 (509)
【パジャマな彼女】白井雪姫に萌えるスレ【白雪フェイス】 (884)
【めだかボックス】『球磨川禊を語るスレ』【−13組】 (416)
ハヤテのごとく!桂ヒナギク萌えスレ37 (415)
【めだかボックス】赤青黄さん【保健委員長】 (565)
To LOVEる-とらぶる-の御門先生はエロい Part8 (594)
【作者公認】ワンピースのモリア様はタフカワイイ7【しぶとい男】 (714)
【らき☆すた】柊家総合 part13 (760)
黒子のバスケの主人公に萌えるスレ (810)
【HUNTER×HUNTER】ヒソカ Part6 (469)
【幽白】蔵馬アンチスレ【頭脳派どころか馬鹿】 (213)
【NARUTO】日向ヒナタを応援するスレ15 (959)
【灼眼のシャナ】シャナちゃん萌えスレpart21【メロンパン】 (286)
【廃棄】BLEACHの井上織姫に萌えるスレ3【じゃないよ】 (323)
【マギ】モルジアナに萌えるスレ【ムスーン】 (516)
【トリコ】ホテルグルメ料理長・小松を語るスレ5ツ星 (557)
--log55.com------------------
まぼろしパンティをやらしく語るスレ
【大今良時】聲の形 Part127【マガジン】
小山田いく【ここからは君自身の手で!!】 7
小池一夫総合スレ2
がきデカ〜山上たつひこ15
横山光輝について語るスレ 鉄人18号
監獄学園 プリズンスクール 99時限目
つげ義春 総合スレ14 [転載禁止](c)2ch.net