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2012年09月鉄道懐かし80: 【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】2A (932)
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【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】2A
- 1 :2009/02/14 〜 最終レス :2012/10/23
- かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。
かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。
新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。
流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、
今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。
このスレッドでは、食堂車、ビュフェにまつわる懐かしい話を楽しみましょう。
新幹線や九州ブルトレなど、JR化以降も営業していたものから、
新幹線開業までの東北本線、山陽本線、東海道本線等々の特急列車の食堂車から、
場合によっては戦前の食堂車の話まで、
皆様の記憶と知識等々披露しあいながら語り合いましょう
前スレ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1225114526/
- 2 :
- 同じ時間帯に151系・食堂車・急行型・姫路モノの各スレに連続書込みする奴は荒らし。
IDを確認のうえ、スルー推奨。
- 3 :
- 前スレはスレッドクラッシャーに壊されますた
- 4 :
- 前スレが埋められたので。
以前総合板の方に上げたが、家に有る古い本から。
ttp://www.42ch.net/UploaderSmall/source/1234527400.JPG
一R書きが有ったので修正しています。
真ん中が一部切れていますがサシ489-3でした。
- 5 :
- >>2
最近は
さくらはやぶさみずほ富士あさかぜ瀬戸出雲の時代
ttp://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220165746/
にも出没
- 6 :
- ゆとりR
- 7 :
- >>4
右3
- 8 :
- 前スレに光臨した元クルーの神、出てきてくだせぇ!
- 9 :
- 保全がてら35も37を中心に乗務していた1が通りますです。
とは言ってもNS→JDの初期くらいの話なので記憶違いスマソ。
あの当時は都 帝国 ビュフェ東京 日食が品川 名古屋 新大阪 大列 広島 博多で辞める直前にJ-WEST(丸玉給食)が参入したと。
新大阪から西では中国車販 山陽車販のおばちゃんが祭り寿司とか売り歩いていましたっけ。サンドは最初の10個 コーヒーはポット4本が基地持ち込み
だったかな。テーブル3級の講習は受けてマニュアルもまだ物置のどこかに
眠っているはず。実乗務でも2回くらいは乗った記憶がある。
退職の時にもらったコーヒーカップが今も私の愛用品です。
- 10 :
- 初の自動食器洗い器搭載はオシ14だったな
- 11 :
- そんな話はナシ20
- 12 :
- 今J-WAVEでしゃべってる女みんな知ってる?
俺は初めて聞いた
- 13 :
- オシになってくれナン20
- 14 :
- マヤとかオヤって屋台のヤだったらいいな
- 15 :
- オシ16の室内写真見たことあるけどなんかハイカラだよね
- 16 :
- >>9
時代を感じさせますね。
複数の業者が競っていたのも時代ですね。
新幹線も食堂車やビュッフェ、カフェテリアが連結されていたのは
今となっては過去の話で…さびしい…。
>>15
車両の真ん中に厨房があって、
両脇がスタンド形式の座席があって、
面白いデザインですよね。
当時の車両設計担当者の試行錯誤の結果なのではと…。
- 17 :
- ところで、オシ16で思い出したのですが、
電車急行のビュフェ車って、今から思えば短命であったことが、
改めて気づかされます。
サハシ153が営業開始したのが昭和36年3月で、
「せっつ」「なにわ」「金星」でデビューしました。
そして最後の電車急行ビュフェ営業列車が、
「アルプス」「妙高」「信州」で、
昭和51年11月末まででした。
その間、わずか15年と8か月という短い期間…。
で、その間にサハシ165、サハシ169、サハシ451、サハシ455がデビューしましたが、
(一部はサハシ153からの改造車があったとはいえ)
実際営業されていた期間は10年以内のものが多いのではと…。
それぞれ実働期間、どんなものだったのでしょう。
- 18 :
- 昭和51年GWの上り急行アルプス、
ビュッフェ営業の案内放送はあったものの立錐の余地もなく
近づくことすらできなかった
のも懐かしい。
- 19 :
- >>17
サハシ455は特に短命だろうな…
(東北がS48年秋、北陸・山陽も49年までに営業休止)
- 20 :
- >>17
手元に都合良く1976-10の時刻表があるので見てみます。
日豊本線ゆのか51号、52号(小倉-大分)が臨時列車ながら上下ともに
10/9〜10/11に限りビュフェの営業を行っています。
中央東線アルプスの他、信越本線の信州、妙高でも営業してますね。
- 21 :
- >>19
休止後も暫くは車販基地として使ってた筈。
- 22 :
- >>18
その半年後には営業をやめてしまいますが…。
連結だけはしばらく続きましたね。
>>19
昭和40年10月改正のころは、編成に2両連結されていたものが多かったのですが、
ヨンサントオの時点で、どの列車も編成に1両という形になり、
そして昭和48年10月改正以降…orz
その後昭和50年の改正をはさんで一気に営業列車が減少しますた。
で、東北も北陸も、昭和53年の改正まで「連結」だけはされていましたね。
半車でも輸送力を確保しようとしたのか、復活の可能性を残していたのか
そのあたりは定かではありませんが、
当時の国鉄の経営状況からすると、こうなってしまったのは…orz
>>20
ちょうど「はやぶさ」「富士」「出雲」に24系25形が導入され、
個室寝台車オロネ25形がデビューしたころの奴ですね。
で、まさにその時刻表が、電車急行ビュフェ営業の最後の時期ですね。
この2ヶ月後には、アルプス妙高信州からも、
コーヒーカップが消されてしまいます…orz
- 23 :
- 時刻を追ってみたら面白かったです。
ゆのか上り51号 大分 8:41→小倉11:28、52号 大分14:53→小倉17:27
ゆのか下り51号 小倉11:52→大分14:16、52号 小倉17:36→大分19:58
1編成を三日間の運用に合わせて整備?興味は尽きませんね。
- 24 :
- >>23
そうだとすれば、営業中止3年経過したサハシ455のビュフェを整備して営業した事になりますが、今までそういう話は
趣味誌上に一度も発表された事が無い様に思います。
他の季節や年度ではどうだったのか、気になりますね。
- 25 :
- >>24
一番しっくり来るのは誤植だろうけどね。
時刻表によっては博多熊本間の有明に食堂車マークあったしw
これが、何かのイベント列車を臨時列車にしたとかならビュフェマークも理解できるんだが。
- 26 :
- >>25
>博多熊本間の有明に食堂車マークあったしw
1976年当時の博多―熊本の有明は1往復のみだったし、博多―西鹿児島でも大半は営業休止だったから
それはないだろう。
- 27 :
- 営業休止だとコックさんやウエイトレスのおねいさんは車内ファックしていたのかな?
- 28 :
- >>23>>25
同じ時期の総ての市販の時刻表に載ってたら営業ということも考えられるけど、
時刻表制作の資料の出所はおなじだから、国鉄側の誤報なんじゃないだろか。
- 29 :
- 26がどう考えても意味不明なんだが
- 30 :
- >>26
復刻版時刻表の1978.10みてみそ。有明の食堂車は3往復のみしか営業してないのに
7、14号含めた7往復についてるw
もちろん別紙の訂正文ありね。
リアルなのを本屋で見た時は驚いたぞ、何が起こった国鉄wって。
- 31 :
- >>30
実売の昭和53年10月号にそれはなかった覚えがあるが、復刻版独自のミスかな?
>>29
鹿児島へ行く特急をつばめと思い込んでるのか?
昭和50年〜55年までの有明は博多〜西鹿児島運転が主流で10往復してた。
うち1往復は博多〜熊本の運転。また門司港・小倉〜西鹿児島の運転も存在した。
当時583系3往復と485系7往復のいずれも食堂車は連結されてたが、営業してたのは内3往復だけ。
昭和55年10月改正で有明の食堂車全面撤退。同時に急行全面格上げのため、この改正で博多〜熊本の有明が
やたらと増えた。
- 32 :
- >>31
>鹿児島へ行く特急をつばめと思い込んでるのか?
お前どこまで呆けてるんだ?
もともと時刻表の間違いについて話してるのに理解できないのか?
- 33 :
- >>31
日本交通公社の時刻表でリアルあったんだが。当時訂正文も同じ号に挿入されてたかまでは覚えてないけど
一緒に復刻されたんじゃないの?日付は昭和53年だったし。
ちなみに当方九州の人間。当然有明がほとんど食堂車営業休止してた事は
知ってたから、読んだ時のインパクトは復刻版買う前から覚えてたくらい。
もちろん、復刻版買う前だった時に1978.10かまではうろ覚えだったけどね。そのあたりの時刻表くらいで覚えてた。
- 34 :
- 3往復の有明の食堂車狙って当時乗ったことを思い出した
- 35 :
- 父は有明に乗るときは食堂車がいつも混んでいるから、と駅弁を買って乗ることが多かったようです
- 36 :
- >>35
昭和50年以降にその話なら、大半を営業休止してたのは勿体無かった。
- 37 :
- >>31
その代わりエース有明が設定されたんでしたよね。
- 38 :
- >>37
確かに博多―熊本ノンストップの有明が設定されたね。
オール特急化の先鞭を切ったから、ぎんなんモロ格上げの有明は批判的意見が多かった。
- 39 :
- 気動車の食堂車って保存例無いよね?
- 40 :
- 小樽交通館の隅で色褪せてたキシはすでに解体?
ってか現存する保存食堂車じたいどんだけあるのか…
- 41 :
- 三笠のキシ80(しかも1両は編成を組んでる)は無視ですか、そうですか
- 42 :
- おおっ有るのか よかった
- 43 :
- ビュフェ営業休止中の信州、妙高は格好のスキー板置場になっていたな。
- 44 :
- >>43
「アルプス」なんか、ビュフェのテーブルが最高の寝床だったとか。
(どこか(ピク?)に記されていた記憶が)
- 45 :
- >>44
おれ、夜行アルプスで新聞引いて寝たよ。
よく寝れた。
- 46 :
- >>45
寝相いいなぁ。俺はカウンターの中に新聞ひいて寝た。
- 47 :
- 休止ビュフェのカウンターに自身の身体を縄でグルグル巻きにして
寝ている人みたことあるぞ。
- 48 :
- >>47
何と言うM人間w
- 49 :
- >>48
地上ではそうなるのだろうが、車内ではずっと立ちっぱなしでいる方がM。
- 50 :
- 南海の喫茶室乗車経験者はさすがに存命者いないと思うが、満鉄や鮮鉄の食堂車の経験者はいるかな?
- 51 :
- >>50
0ではないだろうが、ここに書き込む可能性は限りなく0に近いだろうね
- 52 :
- 食堂車やビュフェの衰退って、
昭和48年ころから一気に始まったという感じですよね。
特に急行ビュフェは、昭和50年の新幹線博多開業を挟んで、
あっという間に衰退してしまった感がありますね。
いったいなぜこんなに短期間の間に衰退してしまったのでしょうか。
当時はまだまだビュフェも繁盛していたのではと推測しますが、
それでもやっぱりこの当時の急行ビュフェって、
「混んでいるのに赤字」
という、大変困った状況だったのでしょうか?
まあ、新幹線の食堂車営業開始時期が昭和49年9月からだから、
一概に全面的に衰退したとは言いませんが、
それにしてもさびしい感があります。
当時の国鉄の経営状況も絡めながら、
その理由について皆様の知る限りのことを教えていただければと思います。
- 53 :
- オイルショックで物価高騰 コスト増
食堂従業員は慢性的に求人不足
新幹線に人員を集中投入で設備と人員の稼動効率も上がるし、集客も見込める
(食堂関連の人員施設を新幹線駅のみに集中できるからね。在来線なら1往復の営業でも地方に拠点がいるし。)
これらが重なって在来線は事業としては旨味がなくなったのでは?
- 54 :
- >>52
>>52
新幹線の影響もあるが急行ビュフェは元々経営がよろしくなかった上に
(そこそこ乗ってた中央・信越の列車でも赤字)
東北や北陸だと特急増発(≒食堂車営業列車増)で急行の面倒見切れなくなった。
まあ、これが53・10以降になると合理化や減量で特急食堂車も急激に衰退するが。
- 55 :
- >>53-54 ありがとうございます。
ということは、ビュフェ営業会社にとって、
人員が慢性的に不足しているだけでなく
ビュフェ営業そのものが赤字構造だったことがまず背後要因にあって、
その一方で昭和48年10月の上野発着特急大増発と、
昭和50年の山陽新幹線博多開業および北陸方面特急大増発などに伴い、
新幹線や特急に従業員をシフトさせなければならない事情があれば、
急行のビュフェ営業は難しくなるのは合点がいきますね。
かといって、国鉄がビュフェ営業会社に対して、
赤字を補てんできるような余裕があればよかったのですが、
当時の国鉄の経営状況…それこそ「混んでいるのに赤字」…では、
それを期待できる状況ではなかったでしょうし…。
で、最後までビュフェ営業が残ったのが、
特急の食堂車の営業(連結)を先にやめてしまった中央東線と、
もともと特急の食堂車を営業(連結)していない信越線というのも、
ちょっと不思議な感じがします。
ところで、ふと思ったのですが、国鉄は食堂車営業会社に対して、
食堂車やビュフェの「ショバ代」は徴収していたのでしょうか?
- 56 :
- 今でもそうだと思いますがが、昔は日本鉄道構内営業中央会に所属しないと国鉄(JR)駅構内での販売活動は出来ませんでしたから、かなり大きな利権だったはずです。
昭和50年度の外食産業最大の売上会社が日本食堂の時代ですからね。
日本食堂の場合、列車食堂が赤字でも、大きな駅構内には必ず直営のレストランがありましたから、トータルで見ると相当儲かっていたはずですよ。
今はJRがグループ子会社を通じて駅ナカビジネスを展開して、既存業者を圧迫してますから、最早JR系以外の会社が進出する旨味は無いでしょうが。
- 57 :
- いまでも峠駅の力餅屋へいくと
店の中に鑑札が掛けられている。
力餅屋は当時の峠駅長の口利きで
会員になれたとか。
- 58 :
- >>52
自由席車が増えていったのと、食堂車やビュッフェが衰退していったのとは
因果関係があるのかどうか気になります。
横から失礼しました。
- 59 :
- >>58
あるといえばあるが、必ずしもそうとは限らない。一番の要因は国鉄側の運用合理化。
例えばひばりが長期間エル特急にも関わらず廃止までほぼ食堂車連結してたのは、
他の東北特急と同じ編成だった要因が大きい。
一方181系ときや、上野発着時代のはくたか・白山は他に共通の列車がないのと、高崎線筋
の特急編成を共通化(これらの食堂車廃止と同時に189系あさまも12両化に)の影響があった。
また気動車特急の電車化で消えた、くろしお・やくも・しなの。
北海道では183系化で食堂車も廃止。
- 60 :
- >>52
寝台や一等以外では急行なんてほとんどが昔から自由席なんだが。
自由席が衰退の影響としたら自由席にあぶれた客が座席代わりに占拠して、新幹線のような営業時間の短い列車の食堂回転率が落ちたくらいだろ?
- 61 :
- >60
その当時は食堂車での食事というのは2等以上のもので
3等の乗客が食堂に列を成すと言うことは考えにくかったんだが。
- 62 :
- では、何故戦前の二・三等急行や準急、果ては長距離普通列車にまで食堂車が付いてたのやら。
- 63 :
- >>62
採算性はともかく編成中2、3割程度の二等客の需要だけで連結してたとは思えん罠
(それこそ丹那トンネル開通前の特急櫻、急行13・14列車は三等車のみの編成だし)
- 64 :
- 60なのだが、食堂の簡易化(電車急行のビュフェ)や斜陽化が進んだのは2等級制や等級制が廃止になる頃だと思うんだが?
戦前なんて列車種別や編成内容で客層も変わるから、それにより食堂車利用ターゲットも違うはずだからメニュー構成や価格も違うし、一律に論じるのは無理だと思うけど。
戦前で唯一目安となるのは、東海道限定だが、洋食堂→優等客指向 和食堂→大衆指向くらいかと。
- 65 :
- >>59
それだと「いなほ」の説明がつかない。<高崎線筋
「ひばり」は53-10まで485系だけでも9、12、13両と3通り、更に583系。受け持ちは青森・仙台とバラバラ状態。
これを「共通化」で説明するのは無理がありすぎる。
- 66 :
- 戦前〜昭和30年代はコンビニどころか駅近辺に売店すらない駅も多く、あっても早朝深夜は開店していなかったりするところがほとんど。
列車内に供食設備がある必要があったのだろう。
讃岐鉄道や南海・山陽などの食堂車もそのあたりのニーズも狙っていたのだろうな。
- 67 :
- >>65
いなほは東北特急と同じと捉えればいいだろう。はつかり・やまびこと同じ編成で青森受持ちだったし。
ひばりは昭和53年10月改正から全列車485系12両編成で、仙台・青森車も同一編成。
9両編成はひばりから昭和40年代で既に消えていて、その頃ひたちとあいづが共通運用を組んでいた。
53年10月改正でその485系9両編成ひたち・あいづやとき・はくたか・白山(ときは厳密に改正の3ヶ月前)
に食堂車が消え、奇しくもとき・あさま・白山・はくたかが食堂車なし12両の同一編成だった。
- 68 :
- たしかに、50年代に関して言えば、食堂車の有無は車両(運用)の都合だった感じがします。
53年当時、かなり長距離の「白山」「はくたか」が食堂車無しになりましたが、これは利用率低下というより
使用車両の編成内容を上野口の「あさま」「とき」と同じにした結果だったと思います。
同時期、名古屋〜金沢間の比較的短距離の「しらさぎ」などは「雷鳥」系統と共通の編成だったので食堂車がありました。
- 69 :
- 逆に「まつかぜ」などは、列車の格の観点から食堂車が残った例だと思う。
50年3月改正で、大ムコのキハ82系の食堂車が廃止され、「あさしお」「はまかぜ」から食堂車が消えましたが、
「まつかぜ」のみは別運用にしてまで食堂車を残しています。
- 70 :
- 国鉄の運用の都合がなかったら食堂車は今も大入りで
多くの路線で存続していたのでしょうかね?
- 71 :
- いやいや、国鉄には食堂車営業休止という選択もあったわけで。
ひばりと共通運用だったひたちとか運用の都合上連結されてた583系特急とかは営業休止してたぞよ。
- 72 :
- >>68
183、189系が8M4T、3MGで1ユニットカットでも走れるので、それに合わせたはず。
>>71
当時583系はサシ581を外せない様になってた。
- 73 :
- >>70
大阪−青森の白鳥はその典型だろうね。運用や電車特急食堂車全廃で末期16年間食堂車なしはいただけなかった。
>>71
ひたちの583系は臨時のみだったから、ひばりと共通運用は485系12両編成の間違いだろう。
ひたちは485系で食堂車営業してた時代でも何本か営業休止はあったが。
- 74 :
- >>70 >>73
北陸線特急の食堂車は国鉄の都合で廃止された典型例だったな…
北海道もキハ183化が結局食堂車全廃を導いたし。
- 75 :
- >73
日本海・白鳥の冷遇は異常。
きたぐにの事故が原因なのだろうか。
- 76 :
- 北海道側としては183系に食堂車が欲しかったらしいね。
だからキロ182には単なる売店ではなく調理可能な設備が付いたらしい。
- 77 :
- >>76
電子レンジに電気コンロと冷蔵庫が装備されていた。
- 78 :
- >>74
きたぐに事故が原因なら、長い間雷鳥・しらさぎに食堂車連結されていた説明がつかない。
- 79 :
- 「きたぐに」の葛西事故が、食堂車衰退のきっかけになったようによく言われていますが、
あれは当時の国鉄の陰謀だったという説もあります。もちろん事故そのものは偶発的なものでしたが、真の原因は配線のショートが原因だったらしいという話です。
ショートした車両がたまたま食堂車であっただけで、調理器具等との因果関係は無いらしいのです。
つまりその後の合理化に伴う食堂車廃止の大義名分に利用されたということです。
真偽の程はわかりませんが・・・・
もしそれが事実であれば、食堂車以外の車両で同じ火災が起こっていたらもっと悲惨な事故になっていかも知れません。
- 80 :
- 急行安芸も食堂車が火災事故を起こしたね
- 81 :
- >>79
電気系統のトラブルであったことは捜査や裁判関係の資料にも出てますがな。
(報道が国鉄叩きを絡めて散々に非難したものだから余計誤解を生んだ)
まあそれ以前に当時のオシ17使用列車自体きたぐにと十和田、
計2往復のみと化してたので廃止は時間の問題であったと思われ。
>>80
安芸のマシ38炎上は石炭の不始末ですね
- 82 :
- 話はまったく違うけど北陸トンネル絡みで、北陸トンネルの記念切手ってエラー図柄で有名でしょ?
何箇所か実際の北陸トンネル及び82系ディーゼルカーの使用と違うところがある
で昔ヒントデピントってクイズ番組でこの切手がクイズのネタになったのよ
その時おかしい点が「電化してるのにディーゼルカー」ってどいまさるが説明してたんだよ
でもあの当時の北陸本線の最上等の列車が白鳥だったんだからおかしくも何とも無いんだよね
結構こんなことで間違いが敷衍されるんだと逆に納得した記憶がある
- 83 :
- 初期の「白鳥」といえば、食堂車が二両もついていた。
- 84 :
- >>83
えっ?そんなんあるんですか?w
- 85 :
- 何を今さら
- 86 :
- >>84
80系気動車で行き先が2つある列車はそうだった。
白鳥以外に初期のかもめもそうだった。
- 87 :
- >>86
白鳥とかもめとつばさだけじゃない?
おおぞらもおおとりもなは・日向も食堂車は1両のみ
やまばとなんて併結編成になって食堂車自体非連結になったし
- 88 :
- みずほ廃止後からはやぶさと併結運転されるまでの
さくらも編成共通化で食堂車2両体制だったな。
既に食堂は営業休止してたが編成だけは豪華だった。
- 89 :
- >>56
日本食堂は列車食堂としては赤字でも、
駅構内営業で大儲けしていたからOKだったと、そういうことですかぁ。
それだったら列車食堂から撤退して
構内営業だけで儲けまくろうと考えるような気もするが、
もしかして列車食堂の営業を条件に駅構内営業を認めていたとか…。
まあ、実際は、昭和50年台以降日本食堂はどんどん列車食堂から撤退し、
駅構内営業に特化した営業を進めてゆくことになりますが…。
駅構内営業も、国鉄がそれなりにショバ代を徴収していたように思いますが、
店子である日本食堂は、その利権ゆえ格安で借りることができたのかなぁ。
食堂車の場合、国鉄が食堂車営業会社に対してショバ代を徴収していたとすれば、
列車食堂はただでさえ赤字構造な上にショバ代まで…
となると、食堂車営業会社にとっては相当厳しい経営になるはずです。
一方ショバ代が格安かもしくはゼロだったりすると、
食堂車の代わりに一般の旅客車を連結したほうが収益力がうpするのに…という話になるし…。
そのあたりいかがな状況だったのかが気になるのです。
このあたりの事情の詳しい方、ぜひご披露願いたく存じます。
- 90 :
- >>89
日食は元々列車食堂の統制目的で民間業者から食堂車+関連部門を分離統合させた国策会社ですからね。
(価格統一や物資確保に目途が付き戦局が悪化するまで営業を続けられた点など悪い面ばかりでもないが)
なので営業形態はともかく列車内で食事を提供することが前提の集団だったわけです。
(このため駅構内食堂は全部が日食に統合されたわけではなく旧食堂業者や弁当業者がそのまま営業継続した例もある)
そして戦後帝国ホテル・都ホテル以下民間業者が食堂車に参入したのも
日食独占に対する批判やサービス改善の要求、業者側のステータス的側面が強かったわけで。
その経緯上国鉄側から金銭的な要求はあれどそう極端なものでなかったかと。
ただ食堂営業自体は業者問わず昭和40年代以前の在来特急・急行全盛期でも
経費や設備面が馬鹿に出来ない以上そう儲かるものでもなかったわけだったし
次第に国鉄の経営も悪化、同時期に理由は何であれ食堂車利用者も減少傾向となると
「食堂車の代わりに一般の旅客車を連結したほうが…」という話が当然になったわけですな。
(東海道・山陽新幹線の食堂車も利用客数の割に儲かってなかったし)
- 91 :
- 儲かる部門に特化して儲けるという発想は、如何にも今日的な殺伐とした発想で、昔は公共工事の業界談合がその典型のように、
社会の要請として儲かっていない物も継続するのが当たり前だったんですな。
その代わり儲かる利権とセットで引き受けて内部補助で収支を償うというのが一般的です。
- 92 :
- >>90
ありがとうございます。
食堂車が鉄道のサービスの一環としてとらえるのであれば、
ショバ代をタダあるいは格安にしてまで食堂車営業会社に
営業を依頼するのが筋という感じですね。
となると、鉄道事業者からすれば、
食堂車より旅客車にしたほうが収益が上がるという風になってしまいますね。
顧客の志向が「食堂車が営業されていないならば乗らないよ」
という風にでもならない限り…。
東海道・山陽新幹線ともなれば尚更そうなってしまいますね。
もしや、食堂車の営業をやめたおかげで、
東京〜博多を乗りとおす旅客が減ったとか、
そんな話は…。
>>91
なるほど。
これで帳尻を合わせていたってことですね。
- 93 :
- バブルの頃、新幹線の、グリーン車から指定席が埋まるという現象と
食堂車を無くす動きと関係があったりしそうでしね。
横レスすまそ&懐かしい話でもないし(汗
- 94 :
- >>91
こういうやり方がドンブリ勘定だと非難されてから世の中がどんどん世知辛くなってきた。
- 95 :
- >>92
新幹線は食堂車の有無に関わらず東京〜博多を乗り通す客は、繁忙期を除き昔から少ない。
>>93
その影響でできたのが100系のG編成。それまで食堂車1両とグリーン車2両がひかり号の標準編成だったのを
2階をグリーン車、階下をカフェテリアにしてグリーン車の座席増を実施した。
現在300系以降の16両編成がグリーン車3両なのも、そんなバブル時代の名残り。
- 96 :
- >>92
業界団体とか談合と言うのは、マスコミのおかげで、閉鎖的、高コスト体質、
税金泥棒といった面ばかり強調するけど、
鉄道輸送に付帯するサービス全般を、業界全体で維持していこうという共通目的があり、
そのためには組合参加企業の利益確保が大前提な訳で。
不採算部門とドル箱部門をバランス良く割り振りして業界全体が潤うようにするのは、
社会の要請で不可欠でありながら採算性が低いサービスを維持するための生活の知恵みたいなもので。
最近のサービス業の不振は、そう言う内部補助の陰の効用を否定し、儲かる部門、いわゆる美味しい部門にだけでも参入を許すという、
歪な自由化が根源なんだと思う。
例えばツアーバスの乱立で、高速バスの収益で辛うじて維持できていた路線バスが維持できなくなって廃止され、
行政が税金を投入して福祉バスを走らせるというのがその典型。
業界談合は一見高コスト体質の元凶に見えるが、バスツアー会社みたいに一方的に利益を貪るだけという業者が存在しないので、
長い目でみたら業界だけでなくサービスを受ける利用者(特に社会的弱者)の利益になる。
- 97 :
- >>95
>新幹線は食堂車の有無に関わらず東京〜博多を乗り通す客は、繁忙期を除き昔から少ない。
おっしゃる通りなのですが、食堂車の営業をやめたおかげで、
ただでさえ少ないのに拍車をかけてはいまいかという意味でした…。
食堂車が旅客の定着や引き留めに寄与しないのであれば、
食堂車を連結せずに一般の旅客車を連結したほうがいいという考え方になってしまいますね。
やはり食堂車は廃止される運命だったと…orz
>>94 >>96
最近このことについても考えさせられますね。
交通運輸部門だけに絞ってみても、東海道新幹線や東名・名神高速道路、
あるいは航空の羽田〜新千歳線のような「ドル箱路線」の運賃・料金水準に対する
ユーザー側の不満をあおりたて、変な自由競争の市場を生み出しているのは、
まったくもっておっしゃる通りなのではないでしょうか。
航空の場合、最後まで責任をもって輸送しているのは日本航空と全日空だけで、
スカイマークなんぞは、まったくもっておいしいところ取りだけをやっているように感じますね。
これにより日本航空と全日空が不採算路線を高い運賃で運航するはめになり、
結果として両航空会社とも経営状況が悪化し、
かつ不採算路線のユーザーは、
高い運賃を支払わざるを得ない状況に追い詰められているのが…。
食堂車の「複権」をもし実現させるのであれば、
最低でも高い利益を上げられる部門と抱き合わせるようにして、
内部補助を認めることが求められましょう。
ということは、やっぱり食堂車の復活は極めて困難…orz
- 98 :
- >>97
>おっしゃる通りなのですが、食堂車の営業をやめたおかげで、
スピードアップで所要時間が縮まったので、やらなくなった一面があるだろう。
のぞみメイン区間の東京―新大阪、新大阪―博多で2時間台。
やや長距離の東京―広島、名古屋―博多でも3時間台だから。
- 99 :
- 国鉄が民営化してなかったら、或いは東海道と山陽が一つの会社だったなら、
食堂車は残っていたかもしれませんね。
食堂車の廃止も、要するに出入り業者に貴重な収益スペースを貸すくらいなら、
自社のより多くの収益に寄与するように使った方が良い。と言う考えですから。
新幹線の駅でも既存業者の物販や飲食施設に対抗してJR系列の同業店を出店するのも、
その流れでしょうね。
名古屋駅の立ち食いスタンドなんて露骨ですしね。
そんな会社の姿勢を考えたら多様なサービスより確実な収益を重視する現旅客会社では、
食堂車の復活はムリでしょう。
可能性があるとしたらカシオペアやトワイライトみたいに、
列車に乗るという行為が移動目的だけでなく、
旅の楽しみやアイテムの一つとして、パッケージングされたツアーなり、
旅行プランとして販売されるような列車だけでしょうね。
資本の外資参入が進み、収益重視 配当重視で内部補助というのが容認され難くなった
世知辛い窮屈な世の中も如何な物かと思いますが。
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