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山田浅(朝)右衛門好きな人


1 :2012/06/25 〜 最終レス :2012/10/21
御様御用(試し斬り)の名人と言われた山田浅右衛門好きな人いる??
山田さんが実際試した刀持ってる人、彼が試した刀に関係する不思議な(怖い)体験した人、試し斬りした刀以外興味無いって人はどしどし語り合っちゃってくらはい!!
 
それじゃ始めーーーーー!!!!!!!!

2 :
大江戸死体考、大江戸残酷物語 この二冊はお薦め!!
是非是非読んでみて。
つーか民主党の売国政治家どもや凶悪な無差別殺人鬼、強姦魔とかに限って斬首処刑の後お試しを復活させたい!
こいつらは人間のクズ。
オラが平成の浅右衛門になってやる!!

3 :
民主党の売国政治家とか強姦魔でお試ししたいね。
こいつらは人間のクズ

4 :
>>1-3
ひょっとして馬鹿だろ

5 :
山田浅右衛門の試し銘は、どうもインチキ臭い。
銘の有る刀が矢鱈と多い。
いくら当時でも、スプラッター映画さながらに出来る死体は多くは無いだろうに。
大和之守安定や長曾根興里等に四つ胴裁断の銘が有るのも存在するが、あんな事すればタングの破損等も起こり得る。
日本刀はせいぜいロックウェル50前半でエッジホールド性は駄目だろうに。

だいたい死体から取り出した肝臓を薬として販売するとはモラルを疑う。

6 :
4>>お前よりはマシだから大丈夫
5>>当時は罪人は人以下で罪人の死体となれば単なる物扱いだったらしいからね。
  現代の価値観で当時のモラルがどうのと言うのはどうかと。
  時代が変われば常識が非常識になったりその逆もあるわけだから。

7 :
現在非常識なお前が言うのかよ

8 :
くまべえが好きな人居る?

9 :
マゴベエ探偵団なら好きだったが
http://m.youtube.com/watch?desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DfBu4EmbCjHw&v=fBu4EmbCjHw&gl=JP

10 :
えたひにんのおやびんだよね、ひそひそ

11 :
人斬り浅の刀持ってて酷い目に遭った人なら知り合いにいるが・・・

12 :
拝一刀と戦わされて斬られた人?

13 :
別作品じゃボケ

14 :
この人のカッティングコンペ紛いの業物表は、果たして目安になるのかね?
肝心のHRC測定に準ずる評価は皆無だし、古今多数のメーカーを全てテストしたのか疑わしい。

切れ味で人気を集めた興里虎徹や大和之守安定は、現在で云うと永田某や其の一味の提灯記事で人気を博したストライダーやマッドドッグみたいな物か。

永田某も山田某も、どうも胡散臭いんだよな。

15 :
一個中隊程度か、下手すりゃ一個小隊に無料で提供して「軍採用品」って謳ってる今のファンシーグッズと同じようなモンじゃねーの?

16 :
刀に纏わる伝説はファンタジー以外の何者でも無い。
ニッカリ青江や興里等の刀の中には石堂蝋を裁断したと云う話も有るし、2念仏兼元や兼光の鉄砲斬りなどインチキだろうよ。ビームサーベルじゃ無かろうに。
たとえ刀鍛冶屋がM2ハイスやCV134をストック&リムーバルで削り出し、八田やポール・ボスが熱処理しても不可能だろうよ。

現在は日本刀は法律上、玉鋼以外では作ってはいけない様だが、白紙や青紙やO1やL6で作った日本刀も見てみたいな。
古来の日本刀より切れる筈だ。
津田助広や水心子正秀や康継や井上など輸入した鋼材を使用し、現在も市場で評価されているのだから、現在の刀鍛冶にも鋼材の選択肢を与えて欲しいものだ。

17 :
>>16
切れ味はともかく強度的にはどうなんだろ?
造るからには鉄パイプとガンガン撃ち合えるくらいのを出してほしい

18 :
昔の首切り役人は強度的にはごつく重い刀を使用
首の骨と骨の間のジョイント部分に少々正確に入らなくても
強引に折る感じで隙間に入りこみ、ふっとばすよな太いタイプ
一回で切断しないと切られる方も惨いし、切る方の首切り役も体面とかあるから
念入りに重たいの選んだ希ガス

19 :
一回で上手く切れなかったんで泣き叫ぶのを数人で押さえつけてギコギコ切ったとか、罪人が動いたんで頭を半分割っちまったなんて事例も沢山あったみたいぬ

20 :
>>11
霊とかでしょうか?

21 :
19>>斬り損ねて激痛で暴れだした罪人を仕方無く滅多斬りにしたなんて事もあったようだんね。
20>>人斬り浅の試した刀身と柄を合わせて展示する計画を立てたある美術館で立て続けに悲惨な事が相次いだって話なら聞いたよ。
  従業員が怪我、事故続いて最後はそこの館長が美術館の前で変死したらしい。

22 :
斬首の失敗と言えば三島由紀夫が自決した時の介錯をしくじったのは有名だよな

23 :
22>>三島先生は三回目でようやく首落ちたらしいね。
  一緒に自決した森田烈士は一回で落とされたんだって。
  斬首がどんだけ難しいかって事だね。
  しかも介錯に使われた「関孫六」は刃毀れと曲がりが凄かったらしい
  

24 :
ttp://nanashi-unko.minidns.net/knife/img-box/img20120629214435.jpg
ttp://nanashi-unko.minidns.net/knife/img-box/img20120629214630.jpg
三島氏の作品は面白いのだが、「金閣寺」の最後がどうも物足りない。
晩年の作品はどうも・・・・・
自決の原因は満足のいく作品が書けなくなって絶望したと云う説もある。
氏の自決を当時、青島幸夫とか云う野郎が
「みんな悪酔いした様でいけないな〜。あれは単なるオカマのヒステリーだ」
と扱き下ろしたが許せんな。
オカマのヒステリーはテメエだろうが。
この様な物を貼り付けて三島氏には失礼だが・・・・・・
盾の会の方々は純粋だったんだなぁ。

25 :
カッコつけんと小銃か拳銃くわえた方がマシやろにな

26 :
>>24
二枚目の写真は確か映画のスチールだと思う。
まあ、近代日本で個人でクーデターを起こそうなんて時点で幼稚だ。

27 :
>>24
三島はヒステリーではなく誇大妄想に取り憑かれて死んだんじゃね?
楯の会の制服は厨房ニ病全開デザインだし、自決直前の駐屯地での演説は質の悪い笑えないギャグ

28 :
どうでもいいけど、三島由紀夫って顔が曲がってるよね

29 :
非常に品の良さそうな方に見える。
黛氏も同様だな。
ttp://www.youtube.com/watch?v=T28Qjre5IeE
三島氏と三輪氏は一体どのような関係か気になる。

しかしながら、篠山紀信が撮影した三島氏の褌ヌードは吐き気をもよおした事が有る。


30 :
ハンバーグ定食を頼むと、ハンバーグのプレートの上にご飯をぶちまけてグチャグチャに混ぜて食べてたそうだ。
どうもソレが男らしい食べ方だと思ってたらしい。

31 :
褌ヌードは見たことないが、本人が了解して撮影して発表したのではないか

32 :
かなりのナルシストで、裸の写真を沢山残してるからねぇ

33 :
>>21
立て続けに悲惨な事が相次いだって美術館ヒントだけでも教えて。


34 :
その柄ものすごく興味あるんだけど

35 :
何かで試斬の時は専用の柄に変えるみたいな事が書いてあったような
詳細はわからないけど

36 :
例の怖い話の関係だけどやっぱり山田浅の専用の斬り柄ってあったみたいだね。
33>>美術館は完全に匿名の話だったからヒントも出せないな・・・
  山田浅の試した刀身所持してた人の奥さんが美術館に寄贈したらしい。
  所持してた本人はその刀買って間も無く死んだらしい。
  で、奥さんがその刀見つけた時の保管のされ方がまた変で布(箱だったかな?)に入れられてさらに開けられないよう針金でグルグル巻きにされてたらしいよ。

37 :
>>36
供養しないと駄目だな

38 :
山田浅以外でも日本刀に関係する怖い話って結構聞くよね。
自決や殺しに使われた刀は本当にヤバいとか聞くな。
個人的には刀より実戦で使われた可能性が高い刃の短い槍のほうが嫌な感じするけど。

39 :
人を斬った刀じゃなくても
前の持ち主があまりにも思い入れが強い物だと
その念がこもっているらしいよ

40 :
信長が使った圧し切り長谷部は国宝になってる
名前の由来が人斬り・・・

41 :
こっ、こ〜わ〜い〜
ああっ、古刀を所有するあなたの背中に黒い影がぁぁ!

42 :
>>36
専用柄が割れないように斬首のとき金属の輪をはめるとかじゃなく
箱ごとはりがねでぐるぐる巻きだと
柄が勝手にあばれて箱のふた開けて出てこないためだろうな
近代的な病院の地下2FのMRI検査室横のトイレで
不審者を見つけたら連絡をとの張り紙で見ると
トイレットペーパーが不必要に出てたりそれをまた巻いたのか巻がゆるんでたり
そこ出るとその奥が霊安室のパターンと同じ希ガス

43 :
20数年前に病院の事務方として勤務してたが、その時の事務室が地下にある霊安室の向かい側
でも何も出なかった(真夜中に一人でいたこともあったが)

44 :
オカルトの人は面倒だから弄らない方が良い

45 :
後日、勤め先の同僚が知り合いにその病院に勤めてる看護婦がいるから聞いてきてやるよと
その看護婦の返答は「そんな話聞いたこともない」だったけど
地下2Fは他の外来患者が入りにくい場所でMRIは予約制で人少なく
張り紙はちゃんと印刷でプリントアウトされたもので同じ紙が2枚
内部の者が知らないというのも変 どう?面倒くさかった?

46 :
7代目山田浅右衛門も持っていたという刀あるけど
重量もありなるほどよく出来ている
振ると風切り音が凄い
2日後、背中の左あたりに鈍痛 首も痛い w

47 :
それは筋肉疲労でオカルトとは無関係だな

48 :
骨まで痛い 
斬る真似をしただけで自分の骨を砕いた
名刀かも
 

49 :
身体に無理をさせすぎだね
今日にでも整形外科を受診した方がいい

50 :
ご心配ありがとうございます
結果そうなんだけど
実際そんな無理もしていない感じだったのに
今は背中痛いが、直った時は逆に嬉しい
49もそんな刀試したくなった?


51 :
49だけど遠慮したい
仮に刀を持つなら現代の刀匠に発注したいな

52 :
現代刀匠のも重ねが厚く重く切れそうなのあるものね。

53 :
長さ74センチ以上 元幅3.2以上 先幅2.4以上 重ね8ミリ以上
重さ1000g以上
すえもの切りによさそうなのは、こんな感じでしょう。
でも居合い兼用だと
これより少し軽くて短いのがよさそうです。

54 :
>>36 
山田浅右衛門は代々それ専門で約200年近く
その間にいろいろ研究したんだろう
専用柄もそのなかで出来たものだし
そういうこともあるのかもね

55 :
http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/wazamono.htm
二枚の板を合わせて片端を鋲で止め、扇子のように開くようにしてあります。開いた状態で茎(なかご)を入れ、閉じて2個の鉄の環を通して固定します。
数個空けてある目釘穴に茎(なかご)の目釘穴を合わせて鉄の目釘を入れて固定します。刀身がぐらつく時は柄とのすき間にクサビを打ち込んで固定します。
とあり、ハバキをはずせばいろんな刀が取替え自由で便利。それでいろいろ古今東西の名刀を試したのかも

56 :
ただ7代目山田浅右衛門も持っていたという刀はでかくてハバキなく
目抜き穴は2つだが刷り上げて元の位置がずれて増えたのじゃなく
最初からナカゴの下隅に止めるために空けてあり
白鞘柄の下の部分にも目抜き穴があり2箇所止めで鉄の輪はないけど釘であちこち止めてあるし
専用柄でないにしろ30センチほどあり雰囲気は似ている。
所有者が某藩士で試し切りはないと思うけど斬首とか胴切り向きな刀だとすればガテンが行く。


57 :
>>55
試し柄(斬り柄とも)ですね。江戸期のものは図版でしか見たことありません。
大正〜昭和初期の試し柄は現物を見たことがあります。中山博道翁の遺愛品との話でしたが、真偽はわかりません。
軍刀試しが盛んでしたから、案外骨董屋に転がってるかも。
宮入昭平師が鍛冶押しして急刃をつけた刀で試し斬りしている写真がありました。布を巻いただけか分かりませんが、たぶん試し柄。
まだ宮入さんのところにあるかも知れません。
>>56
茎尻近くの目釘孔を忍び孔と呼んでます。目釘二本で耐久性を狙ってます。
幕末の刀は中茎が長いので、薙刀や槍の2つ孔辺りと似た感覚でしょう。
大抵お飾りなんですが、幕末の拵えに目釘孔がちゃんと2つあいているものがたまにあります。
ここ1、2年で刀屋で売りに出ていたものだと、柴Tにありました。加藤綱俊、是俊合作のいかにも重そうな刀の当時の拵えにあいてました。
大丸で見たから、正月か夏の催事のカタログ「現存の優品」に載ってると思います。刃にふくれ破れがあったのが惜しい刀でした。

58 :
よく人斬った刀持ってると毎日悪夢見る、血まみれの武士の幽霊が出たとか家に不幸続いたなんて聞くけど、本当にそんな事あんのかな?
実戦で使われた可能性の高い古刀や軍刀は所有しないほうが良いなんて本気で言ってる人いるけど、なんか嘘くさい・・・。
それじゃ日本刀趣味にしてる人はほとんどが霊体験や不幸せになるんかいな(笑
 家にも棟に刀疵のある軍刀あるが、別に何とも無いけどな。
 単に人斬ってないだけか?(笑
 
 これ系の話とは逆に古刀を枕元に置いて寝ると夢見が良いってのは本当っぽいが。

59 :
実戦に使われた刀で残ってるのは少数なんじゃない?
大半は消耗品として作られ、予定通り損耗していったと思う

60 :
ある種の霊感の強い人がたまたま超やばい刀に遭遇したとかw
粗末にせず大事に保管すればむしろお守りになるかもね。
ただ軍刀だとそれを所有していた爺さんの思いや
切られた人の念とかそうゆうのがどうしても気になる人は
現代刀の未使用なのがいいかも。
でも室町時代なんかのだとたいがい誉傷とかあって普通だから
それが逆に時代を経てきた証みたいなもんで
それはそれでよさげ。

61 :
山田浅右衛門の専用柄なんか特別クラスなのかも
よく昔の処刑場(首切り場)の土地は出るとかゆうし
以前住んでた近くにそうゆうがあり、たしかにくぐもったような変な雰囲気
2ノ切りの池とか地名だけでも怖い

62 :
こういう事ってさ、やっぱりそっち系と波長の合う合わないなんじゃない??
どんなに悲惨な事に使われた刀でも何ともない人には影響無くて、感じる人には近寄るのも無理とか。
自分なんか以前刑場跡に行った時もなんとも無かったな。 むしろ凄い歴史感じてしまった。
枕元に古刀がどうのって話あったから、昨夜軍刀(我が家にはこれ1振りしかないんで)枕元に置いて寝てみたが、なんか部屋の空気が妙にいつもと違い不思議な安堵感に包まれた。
まぁ気のせいだと思うが。

63 :
怖い話じゃないけど、女性って本能的に刀みたいな鋭利で大振りな刃物嫌うらしいよね。
家でも家族の女連中は、自分が以前クレーやりたいから散弾銃の許可取るって言った時はカッコイイだなんだ言って大賛成したのに日本刀は絶対嫌だって言うんだよね。
結局銃は乱射事件とか続いた影響で所持続けんのがメンドくなって辞めて刀買ったが(笑
もちろん刀持ってる事は未だに家族には内緒。

64 :
>>61
処刑場や墓場は湿地とか住むに適さない場所に作られるからな。
空気が悪いんだよ。

65 :
実戦に使われた刀がオカルトちっくな意味で危ないなら、実戦使用された戦闘車両や軍艦、軍用機で現存してるやつも危ない筈
でも博物館に‘出た’という話を聞いたことがない

66 :
そりゃあ、日本に軍事専門の博物館は無いからね

67 :
山田浅右衛門の写真?か像かで
刀差しているがそれは標準装備フォーマル用で
斬首用は別の重くてでかい専用のだと思う
まあそんな達人なら差しているそれでも切れただろうけど覗き小竜とか
普通自分用の刀は消耗したくないし、くすりで儲けてたなら
消耗してもいい仕事場専用刀を別に用意してた希ガス

68 :
>>62
枕刀が短刀なら葬式に死体の枕元に置く風習のことで
あんまり縁起が良い感じはしないけどw
>>64
本当に出る出ないは別にしてなんか空気が違うのはある。
それで噂は絶えない。

69 :
>>62
波長があえばお守りにもなりうるのかもね。
一人暮らしで病気になり入院してた爺さま
気になるのは自宅に置いてきた猫と軍刀だったそうな。
よく戦時中の大変だった話をしてもらったのを思い出した。
介護関係の人が家に行くと猫は留守中かわいそうに死んでしまっていた。
大事に保存してくださいね。

70 :
オカ板っぽいな。
人の血を間違いなく吸った刀が何振か家に伝わって手元にあるけど、特に何もない。金象篏試し銘の刀はその日に線香炊いてる。
>>67
あの写真は明治になってから公開処刑に臨む写真。首斬り朝の絵はこれがモデルだと思う。中身は兼元。
よく斬首に使っていたのは固山宗次と泰龍斎宗寛。無銘の刀を使っていた、なんて話を聞いたことあるけど、山田家と別の話だと思う。
覗き竜景光はお得意先の井伊家と仲違いして困っていたから、刀屋から買って献上という形でご機嫌伺い。
井伊家では扱う刀を本阿弥家と山田家に意見を求めてた。傷あるも宜しく候、傷に油を塗り候(傷位置を示すために)。といった具合。
やり取りは彦根城博物館の研究紀要で翻訳されてる。絶版だから国会図書館を使うか滋賀県立図書館へ行く事になる。古本には出てこない。
ともあれ井伊家は大喜びで、金子を下賜するだけでなく家臣にするという話になった。困って、では息子をと約束。
ところが桜田門外の変が起きて家臣の話はご破算。これまた上手く逃げきった。
これらは福永先生の首斬り浅右衛門押し形集の下巻に載ってるんだけど、貸し出し中だから間違ってたら訂正する。

71 :
人を斬った刀でも、どんな状況で斬ったかにより、意味は全然違うんじゃないか?
持ち主が襲われたところ、その剣で敵を返り討ちにして助かったなんて状況なら、むしろ名刀として名を残しそうだ
幕末の剣豪、上田馬之助は正当防衛が認められた戦いで襲ってきた相手を斬ってる(刀の銘は不明)

72 :
う〜んなんだ〜

73 :
死んだ罪人で試した刀ならまだ良いけど、生き試しだったら嫌だな・・・。
70>>以前テレビで人の血吸った刀を集めてるマニア見た事あるが、もしオカルトっぽい事が本当にあるならああいう趣味の人はとっくに死んでるか悲惨な目に遭ってなきゃおかしいよね(笑
    でも試しの日が分かるならその日に線香つけるのは供養になって良さそう。

74 :
昔話にゃ動物の祟りとかもあるが、それが本当だったら食肉工場とかの屠殺場なんか物凄い事になっとるぢゃろw

75 :
74>>そういや屠殺業やってる人ってロクな死に方しないとか奇形の子供産まれやすいとか聞いたがそんな事あんのかな。
  でも屠殺場も独特の雰囲気ありそう。
  行った事ある人に聞いたがとりあえずニオイは凄いらしい。

76 :
>>73
江戸期の試しは寛永から延宝頃の山野永久、久英親子、江戸後期から明治迄の山田家がそれぞれピーク。
山田家文書が国会図書館と静嘉堂に残ってるから死罪人の試し方法が判明してる。重ね試しは三ツ胴迄で据え方は奥伝。四ツ胴はない。
三ツ胴は二ツ胴の上に横向きで固定する。わざわざ横に寝かせて高さを最後に確保する辺りから、四ツ胴以上は偽試しだと思う。
虎徹の四ツ胴が東京国立博物館にあるけど、どうも金象篏銘が胡散臭い。山野永久にあんな篆書体の銘は他にない。
で、肝心の生き試しについては山野永久の時代にはあった模様。歩き袈裟(歩かせて斬る)と言った用語だけは残ってる。
永久は寛文七年に70で死ぬけど、その前年辺りから試しの供養にお寺へ寄付している。浅草の先、三ノ輪に永久寺がある。
実戦で人とやり合った武器だと刀ではなく、天草の乱までの槍が一番血を浴びてるはず。
斬りこみ傷だらけで、戦場で適当に荒砥で研いだと見られる、鎬筋が分からない位変形した笹穂槍を預かった事がある。
武家屋敷を解体したら天上裏から柄鞘付きで出てきた。詳しい奴という事で頼まれて、警察で発見届け。柄は抜けないから切った。
審査日迄に錆身を何とかせにゃ、と耐水ペーパーで2000番まで仕上げて内曇刃砥で刃を確認してから研師に持って行って地の窓開け。
銘は兼○。朽ちてて兼しか分からなかった。時代はケラ首から室町後期。笹穂槍。板目肌、直刃、刃長38センチ。誉れ傷多数あり。
屋敷の持ち主と相談して、研ぎ直さず白鞘頼んで終わり。先端はこんもり肉がついてた。表に出てこないこんな刀槍はまだあるんじゃないの?

77 :
>>71
祟り祟られか。思い出した。人を斬った刀で大人気になった刀がある。田沼意次の長男、意友を江戸城内で斬った一竿子忠綱。
佐野政言による刃傷事件を見ていた2人の幕閣は一部始終を見ていて、意友に致命傷を与えたと判断するや否や取り押さえた。
要はこの2人も田沼意次に不信感を抱いていた。刃傷事件以降、田沼家に不幸が続き、意次は失脚。
田沼失脚と並行して江戸の米価が下がったため、切腹した佐野政言は一躍大人気。この話を聞いたことある人は多いと思う。
今、その一竿子忠綱の脇差を誰が持ってるか分からないけど、持ち主が祟られる事はないと思う。

78 :
ちなみに上田馬之助の戦いの件だが、江戸市中の料亭の二階で食事中、子連れの町人に絡んでいる複数の侍を見た馬之助が仲裁に入った
当時から馬之助は高名で居合わせた客が、さすがは上田馬之助だと言ってるのを聞いた侍達が逆恨みして、食事を終えて降りようとした馬之助に階段の所で斬りかかり、それを馬之助は返り討ちにした
状況から正当防衛が成立し、馬之助にはおとがめなし

79 :
八年前から二つ銅試した金像篏入りの古刀持ってるが何も起きてないよ。
幽霊出るなら是非見てみたいもんだがw

80 :
>波長があえばお守りにもなりうるのかもね。
そう、見ず知らずの霊に四六時中傍らで守られても平気なんだ。強いんだね

81 :
46だけど首の痛いのは低い位置で刃を止めようとしたからだった。
薩摩示現流が低い位置に丸太を横に置き、上から長い木刀で打ち込む練習してたが
丸太の低い位置をヒットポイント、そこから地面までの短い距離をフォロスルー
なんにも置いてないので(置いていれば刃はそこで止まるが)
つっかえがなく急ブレーキ踏むようで首にきたということで霊とは関係ありませんでした。
軍刀術みたいに高い位置から上段で水月へ振りぬくフォロースルーだと痛くありません。
皆さんすいませんでした。



82 :
参考
http://pds.exblog.jp/pds/1/200608/11/30/b0087930_18145850.jpg
http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage430.html

83 :
>>70
山田浅右衛門の写真の差している兼元って
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E5%85%AD%E5%85%BC%E5%85%83
(棟の重ねが薄く2尺3寸前後)三島由紀夫の孫六2尺2寸と同じでしょうか?
それと別に斬首のとき多く使用した刀は固山宗次と泰龍斎宗寛
(重ねが厚く2尺4寸はありそう)ということですか。

84 :
なんか結構盛り上がってるね。色々興味深いお話してくれる人もいて見てておもしろい。
上田馬之助カッコよすぎです・・・。リアルでその返り討ちのシーン見てみたい。
80>>守ってもらえるなら良いんでない??

85 :
>>83
三島由紀夫の兼元じゃないよ。断言する。
あの兼元はかなり研ぎ減っていて、切腹と介錯の作法を教えて貰った際、この兼元はやせてるから使うな、と言われた物。
20年位前に作家と教えた武術家の対談が月刊小説誌に掲載されてた。文藝春秋だったかな?
三島は大きな過ちを2つ犯した。まず介錯で使う刀。兼元にこだわってぐにゃぐにゃに曲げてしまった。
次は介錯するタイミング。首が顎を引いて硬直して縮こまってる状態で振り下ろさせてしまった。だから刀が顎に入った。
一瞬棟を首筋に当てて、わざと硬直させる。しばらくすると首筋が緩んで伸びるからそこを斬る。教わったのに実践出来なかった。
誰が言ってたか失念したけど、切腹の前からドンチャン騒ぎしてた時点で切腹は失敗だったと言ってたな。
江戸時代は斬り役も切腹する側も平常心を保つべく、前日から心静かに過ごすのが掟だったそうな。確かにそうかもね。特に斬り役は責任重大だ。
山田家の刀については仕事柄?用が足せる刀を特に選んでる。金もあるから珍品の太刀銘の虎徹とかね。だから兼元の中でも至極健全な物だと思う。
山田家は諸侯の蔵刀から差料に相応しい刀を選んではアドバイスしていた。疲れあり不宜候、と書かれた古刀は結構あるよ。
首斬り御用の際の刀は分からない。宗次にしても宗寛にしても、実用本意の作刀だから、特に重くといった注文はなかったんじゃないかな?
しかも首斬りや試しを諸潘から学び(派遣)に来る侍に門弟として教授していたから、あくまで技本意だったんじゃないかな。
更に、わざわざ諸潘で門弟に首斬り専用刀を用意したかどうか。用意したなら注文含め記録に残ってると思うけど聞かない。
また、幕府お試し御用では色々な刀が出てくる。そんな刀に応じるには、首斬りにおいても技を重視していたんだと思う。
確か大江戸死体考にもあったけど、川越で罪人を処刑するのに山田家門弟が出張してる。それ位平和な時代が続いた、と言うべきなのかもね。

86 :
>>85 仮に兼元だとして
古刀最上作にして最上大業物だから標準装備?には最高
2尺3寸(三島氏のは2尺2寸5分)約69センチで重ね薄めイザというとき抜き打ちが早い
刀身重量は900gぐらいかな
http://www.hyozaemon.jp/juyo-munetugu.htm
固山宗次はこの例だと長い77.5センチ 他の作刀で重ね8ミリなんてザラだから
特に重くといった注文はなくても実際刀身重量1500gぐらいあるんじゃない
(うちのもそのくらいのサイズ)
斬首の技も達人だけど
フォーマルも仕事用も最高クラスのを目的に応じてをよく選んでいるんじゃないの


87 :
このブログ見たらいいけど、首斬り「山田浅右衛門」の回想  http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-d0b1.html この記録は、「報知新聞」に1908(明治41)年7 月連載された。
現在だと明治百話にのってる
首斬りの時に宗次、義次、宗寛の刀を使用してるし、兼元についても語ってるよ  
古今鍛冶備考はここで全部よめるし落とせる http://books.google.co.jp/books?id=gkneI2v2KR4C&dq=editions%3AKEIO10812564251&hl=ja&source=gbs_book_other_versions
鋏と刀鍛冶http://www.frkw.com/index055-2.html
キャッシュでみると画像が見れるhttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:-eeTxpS0rUMJ:www.frkw.com/index055-2.html+%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B5%85%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E3%80%80%E3%80%80%E9%8B%8F&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
義国が子供のころ浅右衛門宅(首切り)に泊まった時にボタボタという音で夜半目をさました。これが幽霊の足音かと思うとそれっ
きり眠れなかった。夜が明けて雨戸を開けると軒端に吊るされた袋からどす黒い血がしたたり落ちていた。袋に入っていたのは人
の肝だったそうです。(義国の師匠固山宗次と浅右衛門が懇意にしていた。)
両方共ファイルサイズでかくてゴメンね
高橋長信作 山田吉利の愛刀かなhttp://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3079.jpg 
大久保一翁と浅右衛門の手紙のやり取り
http://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3081.jpg
http://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3082.jpg

山田浅右衛門で関連する本でこれ読んどけよって本があれば教えて

88 :
>>87 
以外と長さは70センチ弱くらいので斬首していたのですね。
(うちのデカイのは何用なんだろう)
お詳しいので恐れ入りました。
半年ROMっときます。

89 :
ぽたぽたという音で起きてしまいました。強烈な豪雨。雨垂れですね。
>>87
おお、乙です。解説が楽になりました。刀の重さや長さをどう文章で説明しようか悩んでたから助かりました。
>>87
刀について理解してくれてありがとう。実はいつも聞かれる話です。酒飲みながら解説してると数時間軽く流れるレベル。
朝右衛門の注文打ちは常寸のごく普通の刀だ、と言っても理解しない人はいつまでも理解出来ない場合が多い。
三島由紀夫の兼元は重量と寸法から抜き打ちに良いだのの話ではない。芯鉄でる寸前の痩せた刀だったんだよ。
全部精査してないけど、ブログの元ネタは福永酔剣先生の「首斬り浅右衛門押し形集」。原文まんまの箇所がかなりある
上下巻で二冊。歴史好きは必読。売りに出てたら手にいれるべし。大抵買いたい時に見つからないから。
大江戸死体考ほか、江戸後期の武家風習を扱っている書籍の基本骨格を成しているのがこの本と言っても過言ではない。
ほとんど転載の記事をたまに見るけど仕方ないと思うよ。明治百話含め、当時の資料の元ネタは決して多くないから。
ちなみに結構高い。上下巻揃いで4万以下なら買う価値がある。ネット検索が得意な方には無用なアドバイスですね。
高いからといって、バラで探すと特に下巻が出てこない。作家が幕末物の参考書に使ってるんだよ。
上巻は試しの歴史と流儀を書いている。下巻は山田家文書をベースに当時の武家風俗と跡継ぎ騒動を書いてる。
下巻で季節毎、行事毎の進物のやり取り辺りを読むと身近な空気を感じる。鰹節に難癖つけられたり、前例にての一言で通ったり。
私の下巻は時代劇好きに貸出しているんだけど、まだ返って来そうにない。同じ土俵で話出来れば楽しいから構わないんですが。
この上下巻は名著です。試し斬り云々だけじゃなく、幕末のリアルな人間関係を堪能出来ます。まずは読んでみてください。

90 :
>>76さんが言ってる虎徹はこれですよね 
東京国立博物館 http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0085877 長曽祢虎徹入道興里/(金象嵌銘)四胴 山野加右衛門六十八歳ニテ截断 于時寛文五年二月廿五日 
三島由紀夫さんに兼元を贈った舩坂弘さんの経歴がすごいよね
http://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2004/12nihontou12.html
首を落とすときの心得として,首筋に目を止めて斬ったら必ず仕損じる,顎と肩との隙間に刀を打ち込む様に喉の方に狙いを付けて斬れば間違いは無い,これが極意である。
そすれば,たとえ初心者であっても滅多に斬り損じるものでは無い,と秘伝書は云う。(懐宝剣尺)。
http://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2004/11nihontou11.html
>>85
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/ooedo.htmlこのサイトで川越藩据物師・浅右衛門の弟子長畑親子について詳しく書いてくれてる
しかし川越藩はケチで脱獄を許すわでいいとこなしだね
歳三の愛刀伝承によると、会津候からの拝領刀http://hobby.life.coocan.jp/bkmts/yamada2.htm
表銘:以南蛮鉄於武州江戸越前康継
裏銘:安政六年六月十一日於伝馬町雁金土壇払 山田佐吉試之
同年十一月廿三日於千住太々土壇払 山田吉豊試之
会津臣元興 於武州江戸金杉営作之 安政六年六月十一日http://www.samurai-nippon.net/V-721/
同じ年月の刀だけどこう言うのも会津藩から依頼されて試すんだろうか

東京国立博物館 固山宗次の蜻蛉切写し于時弘化四年丁未年八月_同年十月三日於千住眉間数多突通返良突手山田吉利
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0095275
古砥かな

91 :
出張帰路で携帯から打ってるので、足りない情報、誤りがあれば帰宅後に補足します。
>>90
>>76さんが言ってる虎徹はこれですよね 
> 東京国立博物館 http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0085877 長曽祢虎徹入道興里/(金象嵌銘)四胴 山野加右衛門六十八歳ニテ截断 于時寛文五年二月廿五日 
これですね。当時、金象篏銘を入れていたのは吉岡因幡介家だと思われます。本阿弥で金象篏銘を頼む先は吉岡因幡介家でした。
山野家の金象篏試し銘は、終止一貫して特徴ある太めの書体です。その中でこの銘だけが浮いてます。
金象篏銘は茎に入れる性質上、年数経つと下の錆に押し上げられて抜ける箇所が大抵数ヶ所あります。
好例を挙げれば、会津藩主の枕刀だった三善長道の三ツ胴銘(山野久英)はかなり抜けてます。
全く抜けてない金象篏試し銘は大抵後から補修されてます。元の金は鉄錆との年月の馴染みで新たな金とは違う味わいがあります。
ところが、尋常の書体ではなく、象篏抜けもなく、補修跡も見えないのに、刀身は結構減って見えます。
しかも後彫りで腰樋があります。虎徹は小さな樋でも彫りがあれば「彫同作」と銘に入れるのが常。
象篏の抜けがないよう茎を柄に入れず管理していたのでは?という意見もあります。
ですが、例がない篆書体、刀身の減り(現物は肌が結構荒れてます)と後樋を見ると、一意見として疑いの余地もありじゃないかと。
確たる文献がないから推測の域を越えませんが、山野家の流れをくむ山田家で三ツ胴が奥伝となれば、疑っても良いのでは?と考えてます。
> 首を落とすときの心得として,首筋に目を止めて斬ったら必ず仕損じる,顎と肩との隙間に刀を打ち込む様に喉の方に狙いを付けて斬れば間違いは無い,これが極意である。
> そすれば,たとえ初心者であっても滅多に斬り損じるものでは無い,と秘伝書は云う。(懐宝剣尺)。
だから首筋が硬直していない状況で斬らないといけないんです。首筋が伸びていれば顎と肩の間で肩寄りになる喉を狙いやすくなります。
棟を首筋にまず当てて見当をつけつつ、最高に硬直した状態を産み出し、徐々に力が抜けてくる頃合いを見て斬ります。
首筋に棟を当てられたら、これから斬られると分かっていても強張りますよね。ヒヤリとした感触。昔の人はよくよく考えてます。
>>85
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/ooedo.htmlこのサイトで川越藩据物師・浅右衛門の弟子長畑親子について詳しく書いてくれてる
> しかし川越藩はケチで脱獄を許すわでいいとこなしだね
この出張旅費から返礼の金子等、首斬り浅右衛門押し形集と大江戸死体考に書いてあります。これが元ネタなので読んでみて下さい。
各藩で切腹の作法、首斬りの作法を知らない侍ばかりで困ったから、山田家へ藩士を仕事として派遣してます。
そして公儀の据え物斬りに同席すると、我が藩の名誉であると山田家へ謝礼が送られ、山田家も返礼してました。
山田家の位置付けが見える、なかなか興味深いやり取りです。
> 歳三の愛刀伝承によると、会津候からの拝領刀http://hobby.life.coocan.jp/bkmts/yamada2.htm
> 表銘:以南蛮鉄於武州江戸越前康継
> 裏銘:安政六年六月十一日於伝馬町雁金土壇払 山田佐吉試之
> 同年十一月廿三日於千住太々土壇払 山田吉豊試之
> 会津臣元興 於武州江戸金杉営作之 安政六年六月十一日http://www.samurai-nippon.net/V-721/
> 同じ年月の刀だけどこう言うのも会津藩から依頼されて試すんだろうか
間違いなく会津藩からの依頼です。元興の作刀年期は下賜にあたって約束した日時に間に合うようにした結果でしょう。
ちなみに会津藩主の枕刀の長道と、戊辰戦争の責を取って切腹した草野権兵衛所持の長道の一ツ胴試し銘の日時の間隔は、ほんの数日。
推測するに、まとめて会津藩から山野久英に試し斬りを依頼したのでしょう。
会津藩の家老クラスで一ツ胴の試しです。試しと金象篏試し銘を入れる費用が如何に高額だったか分かります。
だから時代偽の金象篏試し銘が結構あります。大抵細い線の銘なので気づきますが、精巧な物になると現物を見ないと判定出来ません。
他スレで書いたかも知れませんが、そんな試し銘を山田朝衛門が見て、疑問を投げかけてます。
山野永久の時代に今時分の試し用語を使うのか、と。

92 :
続き
>>90
> 東京国立博物館 固山宗次の蜻蛉切写し于時弘化四年丁未年八月_同年十月三日於千住眉間数多突通返良突手山田吉利
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0095275
> 古砥かな
固山宗次一門と山田家は本当に親密だったのだと思います。除き竜景光の写しは2口あり、1口は磨上後。もう1口は磨上前を想像してです。
宗次は多作ですが、大名を始め、身分の高い侍の注文打ちを遺してます。この槍もそんな注文でしょう。そして大抵山田家が試して納品です。
後藤一乗とも親しかった辺りからも当時の名士だったのだと推測出来ます。山田家からの助言もあってより良い作を残せたのだと思います。
同じような関係が江戸初期にもあります。和泉守兼重一門と山野家の関係です。寛永期から年々と試し銘を入れました。
和泉守兼重の弟子と推測される虎徹、安定、法城寺正弘も兼重に倣ってか、山野家の試し銘が残ってます。
オーダーメイドのオプションに試し斬りを用意していたのか、レディメイドだったのかは分かりかねますが、当時の流行だったのは間違いないでしょう。

93 :
古山一門には裁断銘が多いけどライバルの
清麿一門に何故裁断銘あるの無いのだろうか。

94 :
補足しつつ付け足します。
>>91の補足
会津藩主の枕刀は三善長道で、金象嵌銘 延宝三年八月十一日 参ツ胴裁断 山野勘十郎久英花押
会津若松市の市指定文化財 号「面影」
戊辰戦争で切腹した萱野権兵衛の長道は、金象嵌銘 延宝三年八月十八日 山野勘十郎久英 一ノ胴片手に而切落
長道は山野久英から秘訣(多分姿)を授かった、とあります。「会津若松市史20-2会津刀剣の美」より
7日の間に試し胴を確保した、というところでしょうか。
>>93
固山宗次にとって、清麿一門はライバルではないと考えます。清麿自身の作刀数が少なく、評価したのは窪田清音。
清麿の評価は手元の書籍を数冊を見ても、藤代義雄の紹介に依るところが大きい、と評されています。
四ッ谷正宗という表現の起源も分かりません。四ッ谷に先に住んでた宗次との飲み比べ等の逸話も同様。
一番新しい書籍だと、佐野美術館の「虎徹と清麿」という図録+解説が分かり易いです。
>清麿一門に試し銘がない。
あります。宗次一門は作刀数も多く、山田家と親しい関係だから多いのです。幕末一は間違いないです。
次に多いのは会津刀でしょう。会津は試し斬りが流行っていたため、地元の何処そこで試したという銘が多いです。
清麿自身だと有名な刀が一口あります。嘉永七年正月日の刀を安政三年に山田家が試してます。
その試し銘を切ったのは固山宗次と言われてます。
断定してる方もいますが、ここで言葉を濁すのはあまりにも清麿の偽銘が多いからです。
清麿他、新々刀を多く見て、江戸三作の研究を出した藤代義雄氏の見解についても意見が別れます。
門人の試し銘は、固山一門を除いたら江戸を中心に活動した他一門と同程度残ってます。
どの一門が何口という集計は見たことありませんから、刀剣書籍上から得られた感覚です。
手近にある新々刀大鑑を見ると、清人の作で文久二年に山田家が試した押形が掲載されてます。

95 :
今どこかに山田銘のはいった
新々刀で出来のよいもの売ってないですか?

96 :
窪田清音と山田浅右衛門は交流がありそうなんだけどね

史蹟 小塚原回向院http://tukitodora.exblog.jp/i2/15/
この山田浅右衛門の刀!
これは 明治の中ごろ 当時の山田朝右衛門が先祖供養の法要を
行った時に 回向院に奉納したものだそうです
箱書きには「山田浅右衛門の刀 頭山満」と書かれていますが
これは 一時「小塚原烈士遺墳再建会」の会長をしていた頭山が
所持していたためだそうです
>>94日本の技と美と魂に載ってるんだけど
山野永久は対馬守貞重に試刀秘伝書と鉄鍛集という刀剣の鍛錬、焼刃に関する著者を貞重に伝授していると書いてある 
長道もこの本を貰ったんじゃないかな


97 :
>>96
> 窪田清音と山田浅右衛門は交流がありそうなんだけどね
清音が武器百講で募った中に、山田家の門弟がいてもおかしくないですね。固山一門経由で繋がりがあっても不思議じゃありません。
面白そうな話なので気にかけてみます。
> 史蹟 小塚原回向院http://tukitodora.exblog.jp/i2/15/
> この山田浅右衛門の刀!
> これは 明治の中ごろ 当時の山田朝右衛門が先祖供養の法要を
> 行った時に 回向院に奉納したものだそうです
山田家には当時の新作刀以外にも結構な質と量の蔵刀があったと想像しています。
山田家の刀剣台帳の存在をご存じでしたらご教示戴きたいです。
>>94日本の技と美と魂に載ってるんだけど
> 山野永久は対馬守貞重に試刀秘伝書と鉄鍛集という刀剣の鍛錬、焼刃に関する著者を貞重に伝授していると書いてある 
> 長道もこの本を貰ったんじゃないかな
初めて聞きました。勉強にになりました。どこかに原著残ってないかな?
山野永久と和泉守兼重は色々試行錯誤していたのだと思います。特に寛永期ですね。その成果をまとめたのでしょう。
兼重の作で特に評価が高いものは、焼きが低く、鍛えが実に強く明るく冴えている直湾れ調子の刀です。
試し銘と銘ぶり(特にタガネの太さが違います)から追いかけると、寛永期に集中してます。
これは大抵刃に焼きムラがありません。刃縁の小沸が均一で、刃中への匂いこみが深く、明るく冴えます。中々一本でとれない刀です。
兼重の焼き刃が年々高くなっていったのは、一定水準の鍛法を確立したからかも知れません。
焼きの高い乱れ刃は華やかですから今でも人気があります。そんな需用に応じたものでもあるのだと。
兼重の作風が虎徹だけでなく当時の江戸新刀鍛冶に垣間見えるのは、山野永久の書籍によるものかも知れませんね。

98 :
山田家の刀剣台帳の存在をご存じでしたらご教示戴きたいです。
あれば良いんですけどね
ずっと前のことだから記憶が曖昧だけど試刀秘伝書は書籍蔵キヌタ文庫で販売されてたと思うんだよね
間違ってたらごめんね
ただ山野加右衛門か山野勘十郎に関する何かが販売されてたのは確かだと思う
 
加藤綱俊鍛之 天保八(年)八月二十一日於千住 両車五ッ真向四ッ八
    巻四ッ伊賀四郎左衛門乗重裁断。
(裏) 両車五ッ真向四ッ八巻四ッ 山田五三郎 両車四ッ真向二ッ
    後藤為右衛門両車太々 長畑芳太郎 号 通抜
(棟) 天保八酉二月吉日作之
固山宗次にも同じ年月の同じ試しの刀が存在してる
 


99 :
試し斬りってただ斬ってはい終わりじゃなく、切り口に手突っ込んで骨の位置確認しなきゃならなかったみたいだね。
骨が元々の定位置なら斬れ味良く定位置からずれてれば刃が鈍いって事になったらしい。
その確認作業想像するとかなりグロいね。
でも試し銘の入ってる刀って魅力的だ。
数年前くらいまでは○レクション情報なんかで試し銘の入った刀かなりあった気がするが最近あまり見ないね。

100 :
>>98
> ずっと前のことだから記憶が曖昧だけど試刀秘伝書は書籍蔵キヌタ文庫で販売されてたと思うんだよね
情報ありがとうございます。この手の武家風俗に詳しい方々はご高齢の福永先生くらいしか居ませんから、情報整理に助かります。
大正辺りまでは江戸時代の生き残りや二世代目が結構居たので、古い刀剣会誌を読んでると突然話題がわいてきます。
> 加藤綱俊鍛之 天保八(年)八月二十一日於千住 両車五ッ真向四ッ八
>     巻四ッ伊賀四郎左衛門乗重裁断。
> (裏) 両車五ッ真向四ッ八巻四ッ 山田五三郎 両車四ッ真向二ッ
>     後藤為右衛門両車太々 長畑芳太郎 号 通抜
> (棟) 天保八酉二月吉日作之
> 固山宗次にも同じ年月の同じ試しの刀が存在してる
大鑑見てると、たまに長々とした切りつけ銘に出くわします。これは宗次と師匠の綱俊の刀を相当大身の武家が試させたのでしょう。
問題は切りつけ銘の真偽。一気に刀工が切ってるものなら比較的判断し易いですが、そうでないものもあるので難しいです。
江戸前期の金象篏試し銘は書体や素材、技術の巧稚で比較的分かりますが、、、平仮名入りはよくよく吟味しないと怪しいです。
>>99
八代吉宗公は直々に斬り口を調べていたと、首斬り浅右衛門押し形集にありました。
大江戸死体考に、九州の肝取り合戦の風俗が書いてあります。素手で死体をこじ開け肝を取る競争です。
死体になれなきゃ侍はやってられないという、当時の風俗がリアルに伝わってきます。
最近は金象篏試し銘の売りは見ないですね。怪しげな細工銘がかなりあるので、色々調べて実際に見て判断するといいですよ。
江戸期からありますから、時代ついた銘になると難しいものです。明治以降は比較的見破り易いです。周りの錆含め若い色が見えます。

101 :
新刀スレから試し御用について転載。オクに出品されてた怪しい金象嵌試し銘もご参考に。
試し斬りは発祥から諸説紛々。戦国末期に谷出羽守が始めて、中川左平太が体系化したのが定説。
戦国時代のように実用に供する機会が減ったため、刀の利鈍を知る手段と様々な書籍で書かれている。
でも、太平の世だからこそ、実用だけでは意味合いは片手落ちなんじゃないかな?
室町期の「奉公覚悟之事」等に書かれた進物、下賜に然るべき刀の選別と同じ意味合いもあるのではないか?
大名家の刀剣台帳を見てると、帯用に然るべきかどうか?本阿弥家以外に山田家が利鈍のアドバイスをしてる。
刀だからこそ、位列と同様に実用も勘案して総合価値を決めたのが江戸時代なのではないだろうか。
名物の大典太も研ぎの前に試刀している。具体的に試刀で利鈍の証拠を作った時代だったんだろうね。
特に新刀は当時の現代刀状態。位列が低かったのは間違いない。だからこそ試刀で価値を高めたのではないか?
康継には切りつけ銘や中川左平太の金象嵌試し銘がある。 http://www.tsuruginoya.com/mn1_3/f00053.html
康継に倣って、和泉守兼重と山野加右衛門永久が金象嵌試し銘を入れていった。
兼重の弟子と見られる虎徹も、山野永久、久英とタイアップして売り込んでいったんじゃないだろうか。
そんな試刀結果が、十数年前まで戦があった戦争を知らない侍にウケた。
試刀に意味があるとしたら新刀の価値上げが最初にくると思う。鑑定書みたいな物。
特に金象嵌試し銘は、細工の手間をかけても付加価値を分かり易く説明する手段だったのだと思う。
その感覚は、大磨上の刀に金象嵌極め銘を入れたり、無銘に朱銘を書くのと同じだったんだろうね。
金象嵌試し銘は、本阿弥鑑定と同様、埋忠家と吉岡因幡介家が細工したと思われる。
正真と思われる金象嵌試し銘は、色々比較すると細工に共通点が見えてくる。金の色、書体や太さなど。
で、細工で価値が上がるならと、今の偽鞘書きや偽折り紙のように偽試し銘も出てくる訳だ。
かなり怪しい金象嵌試し銘 http://www.bidders.co.jp/item/171058449
試し銘紹介サイト http://sakanazanmai.web.infoseek.co.jp/aitou_shashinkan_tameshimei.htm

102 :
新々刀によく見る切りつけ銘について。疑念がある刀、納得の刀があったので紹介。
山田家で試した刀は色々あるでしょうが、相応の出来と伝来が釣り合うのが常と改めて実感しました。
これは宗寛の作刀ですが、どうも上と茎が釣り合わなく感じます。試しにはまず金がかかります。
山田家の試しとあっても、信頼出来るか否か?の判断材料の好例になると思います。
http://www.iidakoendo.com/info/item/a404.htm
古河藩主の注文打ちとあります。宗寛の初期作で、お抱えであっても宗寛に注文するか?まず疑念がわきます。
出来を見るとハバキ元から荒い斑沸が地刃についてます。宗次にも斑沸は見られますが、これは光の鈍い荒沸です。
譜代藩主の差し料に相応しい出来でしょうか?
銘を珍重視して歴史的資料とするか?疑念がある銘と見るか?切りつけ試し銘に常につきまとう問題です。
試刀家として伊賀兎毛と山田家を比べると、山田家の御試御用の看板に分があります。
尾張藩の注文なら尾張藩士の伊賀兎毛に頼むかも知れませんが、古河藩なら山田家に頼むのが相応しい刀に見えます。
http://www.hyozaemon.jp/juyo-munetugu.htm
固山宗次の刀に山田家の試し銘です。茎味良く、銘も尋常、上の出来も試し銘と釣り合ってます。
有名な刀で一度拝見しました。地刃美しく、ズシッと重いです。山田家で試した事も伝来も納得がいく刀でした。
http://www.tsuruginoya.com/mn1_3/a00105.html
固山宗次の兄、宗平です。山田朝右衛門の試し銘に古い屋敷鞘なので、大名クラスの注文打ちでしょう。
宗次ほど垢抜けた作ではありませんが、低い焼き刃でムラっ気のない匂口。茎味上々で銘も尋常。
朝右衛門の解説が面白いです。山田家では刀を選び、また所持者に選ばれて試していたのでしょうね。

103 :
名物の大典太も研ぎの前に試刀している。具体的に試刀で利鈍の証拠を作った時代だったんだろうね。
前田家も確か試しの依頼をしたとなんかの本で読んだような記憶があるようなないような

古河藩主の注文打ちとあります。宗寛の初期作で、お抱えであっても宗寛に注文するか?
藩工になったんだから作らせた可能性もあると思うけど
古河藩主の土井利位は固山宗次に天保11年1月・大小の刀と翌年の6月に大小の刀を造らせてる
宗寛は藩主利興の古河帰城を記念して献上した明治年号の刀は存在してますね

104 :
>>103
>名物の大典太も研ぎの前に試刀している。具体的に試刀で利鈍の証拠を作った時代だったんだろうね。
首斬り浅右衛門押し形集以外でも読んだことあります。三ツ胴試しをやって二ツ胴と半分。これは正確な記録だと腑に落ちました。
御試しご用でのNGは刀身を痛める事。山田家でやったか記憶が曖昧なので間違ってたら訂正が、山田家がやったと思います。
加賀前田の家中では、江戸前期に試しが流行った様子です。山野家でも滅多にない三ツ胴試しが金象篏銘入れて残ってます。
加賀の試刀術は、谷→中川→山野→山田と続く技術継承外なので、どういった技術だったのか分かりません。
>>古河藩主の注文打ちとあります。宗寛の初期作で、お抱えであっても宗寛に注文するか?
>藩工になったんだから作らせた可能性もあると思うけど
可能性はご指摘どおりだと思います。お抱え記念に打った刀と考えれば特にあり得るでしょう。銘に出自を記しています。
半百にて云々の虎徹が特に有名ですが、初期作や記念作に出自や経歴を銘に切ってる刀工が多いです。
現代刀だと故・塚本起正が越後山村正信の末裔を名乗りにしてました。箔をつけるためだと眉唾に見る方もいます。
個人的には長い日本刀の歴史を象徴しているようで、興味深く感じます。
>古河藩主の土井利位は固山宗次に天保11年1月・大小の刀と翌年の6月に大小の刀を造らせてる
>宗寛は藩主利興の古河帰城を記念して献上した明治年号の刀は存在してますね
宗次の天保打ちは完成期だと思います。肌目を大きく鍛えた初期作(映りを出す備前伝にこだわったからでしょう)とは異質です。
宗寛も文久頃になると宗次に劣らない冴えた地刃を鍛えてます。宗次の推薦で古河潘工になったのでしょうが、見事大成しました。
固山の兄弟筋、門弟は作刀水準が高いと感じます。これも山田家との交流があったからではないでしょうか?
一ノ関潘の久保田宗明の刀は、機関銃を斬ったと戦時中に非常に有名になりました。今でも人気がありますね。彫りも達者です。
大名家の刀剣コンサルタントであり、信に足る試し切りつけ銘を残し、各潘へ処刑、切腹の作法と技術を教えた山田家。
浪人でありながら武家風俗に影響が大であるのは実に興味深く、知れば知るほど面白い一門です。

105 :
ってかやっぱり山浦一門は以上に試し銘が少ないな。
信秀や正雄、サネオ、見たこと無い。

106 :
会津臣元興 於武州江戸金杉営作之 安政六年六月十一日於傳馬町太々土壇拂 山田吉豊其刃二而両車九分切後藤利影試之 
これ売ってください。下取り出すよりいいでしょう!

107 :
>>89
半年ROMっとこうと思ったが
>朝右衛門の注文打ちは常寸のごく普通の刀だ、と言っても理解しない人はいつまでも理解出来ない場合が多い。
とありますが
常寸のごく普通の刀とは何センチぐらいの刀のことでしょうか?

108 :
朝右衛門ぐらい技術もあり熟れていれば68センチくらいでもうまく斬首できたかもしれないが
でも軍人さんが戦争中いろいろやってうまくいかなかったり三島氏のこととか聞くと
目標が動かないすえもの切りは、斧みたく打ち込む(テコや遠心力で先重で長い方が有利)
同時に引き切る(物打ちから先端まで長い方が有利)やはり基本的に重くて長いほうが有利じゃないの?
例は悪いがコールドスチールおじさんでもでかい刀ですえものをいろいろやすやす切っている。

109 :
http://www4.airnet.ne.jp/sakura/beniyabasi.html
二つ胴の上に横向きにもう一人乗せ、動かないよう縛って三人同時に斬ったり,さらにもっと多くの死体を重ねて斬る場合もあって,
まれに,七つ胴の鑑定をこなしたすごい刀があったという。
この場合は,脚立かはしごなどの上から飛び降りて斬ったり,刀に鉛の鍔を着けて、重みを増すなどしなければならなかった。

極端な話であるけど重ねて切る場合はある程度
打ち込みの重量と速さと距離(長さ)と引き切りの長さは必要じゃないかと思うのですがどうでしょうか。


110 :
名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2012/07/09(月) 16:56:57.39
>>158
多分、包丁の話を引き合いに出す人は、刀がどんな風に斬るかっていう極めて根本的なとこをスルーしてるんじゃないかな?
包丁は対象物に刃を当ててヨイショヨイショって切るけど、刀は振りかぶって一気に斬るからねw
ましてや、長さが2尺3〜4寸、あるいはそれ以上もある刀は、物打ちに生じる遠心力&衝突力たるや、包丁と比べること自体が何か間違ってるくらいのものになるし。
既出かもしれんけど、抜刀道五段の津本陽氏が豚肉の塊を刀で斬りまくったが、骨もろとも手応えなく切れて、また切れ味も変化なかったとか。
↓ソース
http://www.budotusin.net/no10.html
161 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2012/07/09(月) 17:20:23.91
>>160
津本氏が豚を切った件なら氏の随筆から原文引用できるよ。
まあ、日本刀否定派はこの日はじめて真剣切りを行った人が人間の胴より太い豚の肉を複数回切った後にできた
「チカッと光る0.1ミリほどの刃こぼれ」さえも日本刀の脆弱性の根拠とするかもしれないけどねw

『人生に定年なし』P178〜
 中村(泰三郎)先生は、十八キロの豚肉をまえに、身をわずかに右向きにして立った。
「こういうものは、まっすぐ斬るもんじゃない。体をわずかに斜めにして斬るんだ」
 先生は刀を抜き、ふりかぶる。
 気合もかけず、斬りこむと、切り口が大きくひらいた。白い骨が二本あらわれ、
血がタラタラと流れる。
 太い骨は直径十センチもあるように見える。
 「さあ、やってみろ」
 私は体をやや斜めにしえ、両足をひらいて踏んばり、刀身の棟を背筋につけると、
「やあっ」とかけ声もろともに打ちおろした。
 おどろいたことに、人間の胴よりも太い豚肉を斬った手応えは、まったくないに
ひとしかった。土壇の板を、パチーンと叩いた音だけが耳にのこり、骨も
きれいに斬れている。
「こりゃ、たいしたものだ。これまでまったく経験がなくて、これだけできる者は、
めったにいないよ。
 私は先生にすすめられ、それからさらに二度斬った。
 手応えはやはり、嘘のようになかった。
 先生が不意に歩み寄ってきて、私の持つ刀を取り、顔を近寄せあらためていたが、
やがて情けなさそうな声でいった。
「君は俺の愛刀を刃こぼれさせちまったな。手の内の締め方が足らないから、
こうなるんだよ」
 刀を倉庫の電灯に照らすと、たしかにチカッと光る0.1ミリほどの刃こぼれが
あった。
 肉から骨へ斬るとき、刀身のうける抵抗がかわるので、刃筋がうごき、刃こぼれができるのだ
そうである。

111 :
>>107
89さんじゃなないけど
吉亮愛刀が2尺3寸3分 幅1寸3分 反り6分半の刀ですね


112 :
>>107
大刀の常寸は2尺3寸前後をさす。
山田朝右衛門吉昌が固山宗次に注文した刀は、刃長2尺3寸1分、反り4分半、元身幅1寸3厘。新々刀大鑑から。重ねの記載はない。
>>108
江戸時代に行われていた事を文献に沿って書いてる。過去の話だ。試刀については豚斬りの話と同じ感想。
山田家の首斬りばかり強調されてるが、首斬りはアルバイト。
首斬り役は奉行所の侍にもいた。ただ、斬り損じで御役御免、切腹といった事態を回避出来る一介の浪人、山田家を主に使っていた。
山田家としても試し胴の確保というメリットがあったため引き受けていた。
これは福永先生の推理かも知れない。詳しく知りたいなら、首斬り浅右衛門刀剣押し形上下巻を読んでくれ。
山田家以前の山野永久、久英親子に首斬りの記録を今まで見受けないが、久英が活動していた元禄辺りまでの事情はわからない。
三島由紀夫の切腹についてはこれでもうネタ切れ。記憶が曖昧な部分は書けない。
談話が掲載されてた本は捨ててる。約20年前の月刊小説誌。定期購読頼んでた文春か新潮のどちらかだと思うが。
三島由紀夫が切腹を教わった時、数口持参した。三島は兼元にこだわったが、教えた人物(忘れた)は持参した中から慶長の同田貫と新刀を薦めた。
兼元が研ぎ減って痩せた刀だったのに対し、同田貫と新刀は健全だったのが理由。長短、身幅、重ねには言及してなかったと記憶してる。

113 :
単に重さ長さというより切る技術や錬度のほうが重要で
左小指と下腹でとかコツのようなのも聞きますし
単純にはかれないということのようですね。
三島氏はたぶん兼元の三本杉が気にいってたんじゃないかと思います。
詳しい資料の紹介ありがとうございました。


114 :
加藤綱俊は包丁鉄(割鉄)を卸し鉄をして作ってたみたいだけど
宗次はどんな方法で作刀してたんだろうね

115 :
専用柄には刃と柄の間に空きがあるとグラグラするので
くさび型の木を差し込むみぞがあるらしいが
うちのにもそんなみぞがあるお
ガクガクブルブル

116 :
>>115
>専用柄には刃と柄の間に空きがあるとグラグラするので
>くさび型の木を差し込むみぞがあるらしいが
おっ、それ見た事ある。鎬地付近に溝があるやつ。その柄には目釘穴が無かった。だから研ぎ柄とは違う事はすぐ分かった。
銘切りと銘釘穴あける前の試刀用なんだろうね。しかも長い試し銘用。
ただ、ハメ殺し状態だから、どうやって抜くのかが気になった。クサビをまず抜くはずだから、クサビに何か工夫があったはず。

117 :
くさびの元の方にみぞでも付けてつめで引っかけて取るとかの方法かも
くさびはすきまのガタガタを安定さす補助的なもので
目釘を入れとかなきゃ上段で振ると刀身が前へとび出るから危険
金属の輪やくさび付けてるのはでかい刀でおもいっきり衝撃力が大きいから
軍刀で試し切りしようとすると、ときどき柄が割れることがあるとか書いているし
(もっとも目釘の位置とにぎりの手の位置も関係あるとかも)
専用仕様風になってるのは、やはりなんか試したみたいだからw

118 :
どんな物かみたいからupしてくれませんか

119 :
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3265804.jpg
http://www.l-wise.co.jp/super-jsa/auction.cgi?num=8066&mode=detail

120 :
http://www.bidders.co.jp/item/175587679
これのナカゴのさびを見てもわかるように目釘ひとつだと
柄の内部で目釘を支点にして斜め下にモーメントがかかる
これだと柄を持つ手の間隔が広いと柄の前の下部分が割れる率が高い
そうならないように目釘を増やしたり金輪をはめたりくさび入れたりしてると
思う。

121 :
参考
http://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/gunto_062.htm
三式軍刀最大の改良点は目釘を2個に強化した点にある。
この対応には刀身茎は一定の長さが必要であり、刀身選択には自ずと制約を受ける為※、それに合わせた新作刀や造兵刀などが仕込まれた。
柄は一貫巻(実戦用天正拵え)に変更され、柄糸に漆を掛けて補強が図られた。
この他、目貫が旧来の太刀拵えから打ち刀拵えの位置に変更された。

122 :
なるほど、ありがとうございます 
柄は近藤勇や成瀬さんが言うように大事な部分ですね
大刀には良いものを選びたいと思います。
悪い刀では、実戦用として少しも役に立ちません。
そのうち機会があれば刀剣類を送ります。
見てみてください。柄に使う材料は柚の木か樫がおすすめです。
http://www.geocities.jp/r12_44104_b/letter/kondo2.htm

123 :
>>122
成瀬さんとは抜刀道師範だった故成瀬さんかな?
皮巻の柄は血が附くと滑るから糸巻の方がいいと聞いたことがある
また、昔日の闘いで武士が乾坤一擲の勝負に臨む時は目釘を文字通りの釘に替えて先を曲げ、茎が抜けないようにしたとか

124 :
>>123
>また、昔日の闘いで武士が乾坤一擲の勝負に臨む時は目釘を文字通りの釘に替えて先を曲げ、茎が抜けないようにしたとか
鎌倉〜南北朝期の長巻拵え付き、片山一文字極めの重文指定の長巻が上杉神社にある。
この長巻の目釘は1つなんだけど、これが太い金属製なんだ。素材を知りたいんだが、情報がない。
ちなみに鐔は鉄地菊透かしでハバキは素銅にちかい山銅。
柄は黒漆塗りだけど赤樫だと思う。槍や薙刀の柄は大抵赤樫。柄の強さが金属目釘でも耐え得るんだろうね。

125 :
>>124
素材をはじめとする釘の詳細については残念ながら聞いてないんだ
余談だが、いろんな物を試斬して手ごわかったのはグラスファイバー製のヘルメットで斬り込めなかったらしい

126 :
グラスファイバーが繊維状に何層重なってるし
伸びたりして弾力もあるんじゃ引き切りしにくいのかも
平板なら突きが効くかもしれないけど
ヘルメット形状は無理かも
http://www.arai.co.jp/jpn/fullface/rr5_s.htm
(ただ前面の風防は突きが効くかもw)


127 :
>>123
革巻きでも漆を塗ってると良い。
だから現在でも皮巻で漆を塗ってる拵えが
沢山残っている。

128 :
>>119だけど
これで素振りしてると普通の柄巻きが細く思えてきた
でも柄巻は細く凹凸しているから手に食い込みシャープに握れるのかな
薩摩示現流のデカイの
長脇差みたく軽量のと
それぞれに使い分けるといいかも

129 :
篠雪 大脇毛両度二ッ胴 前島八郎衛門 切落 http://www.bidders.co.jp/item/153585216
オクで出てた刀なんだけど評価はどれぐらいなんですか

130 :
>>129
越前関の初代包則の刀という評価が妥当じゃないかな?
茎を見ると切付銘ではあるけど、包則の銘とさほど変わらぬ錆がついている。
前島八郎の活躍期とも合致。切付銘の銘字の書体も時代相応。
当時主流の金象嵌銘ではなく、切付銘である事を考慮して、マイナスには見ないがプラスにも見ない。
問題は出来。刃が焼き崩れ気味だったと記憶にある。随分前に同じ質問受けて同じような返答をした気がする。

131 :
刃長:73.8センチ、2尺4寸3分強
反り:1.4センチ
元重:8ミリ
元幅:3.2センチ
先重:6ミリ
先幅:2.5センチ
ちょっとねむいような刃
簡単に首が取れる意味の銘

132 :
篠雪=笹の葉に積もった雪が簡単に落ちる様を表すってことか
たしかに古備前の袖の雪みたいな刃文じゃないものな。
でもそうなると袖の雪の意味も刃文じゃなく
ひとはらいで落ちるってこと?

133 :
130さん 131さん
ありがとうございます

134 :
>>133
補足 切付銘を±0と評価した理由に試し銘中にある「大脇毛」がある。
これは寛文頃には脇毛はあっても大脇毛(特に太い)とは表現しない。
朝右衛門が大脇毛との試し銘を見て「当時なかなか思いよらざる義」と皮肉ってる。
しかし、大脇毛と表現した試し銘が寛文頃に無いとは断言出来ない。
それに当時は金象嵌銘が主流だから参考程度の銘と判断しました。
気になって前島八郎の試し銘を探したら朝右衛門押し形にありました。
山野家と同様の金象嵌銘配置なので、前島八郎は永久の門人かも知れません。
そうなると前述の切付銘は益々参考程度と言わざるを得ないでしょう。
日刀保もあまりに下手くそな細工じゃなければ特にうるさくないので、
試し銘には日刀保の紙付きでも細工物もあるんだと覚えておけば良いんじゃないでしょうか?
何せ、山野加右衛門永久が門人に偽試し銘を禁じてる(横行したんですな)位です。
こんな下手くそな金象嵌銘もあるので、試し銘を見る時にはよくよく気をつけましょう。
http://www.bidders.co.jp/item/176002752

135 :
遠心力は質量と距離と速度であらわす
距離(刀の長さ)が同じで振るスピードもほぼ同じで
重ねが倍だと最初の押し切り時のクイコミも倍
そこからの引き切りは別としても
すえもの切りは重ね厚い方が有利ジャマイカ

136 :
>>135
ここはタイトル通り江戸期が話題のスレだ。〜が有利だの持論を披露したいなら、現行の斬れ味スレでやってくれ。

137 :
でもね重ね胴切は普通に長脇差クラスよりはヘビー級の打ち刀チョイスでしょう
>>134の刀(下手くそな金象嵌銘もあるので試し銘を見る時にはよくよく気をつけましょう)
刃長:63,1センチ
元幅:2.8センチ
元重:0.5センチ
先幅:2.0センチ
先重:0.4センチ
山野右衛門尉永久(花押)弐ツ胴切落
>>129の刀
刃長:73.8センチ、
元重:8ミリ
元幅:3.2センチ
先重:6ミリ
先幅:2.5センチ
篠雪 大脇毛両度二ッ胴 前島八郎衛門 切落
>>102
於牢鋪雁金土壇拂切手山田五三朗
長さ77.5センチ
元幅3.2センチ
先幅:2.5センチ

138 :
三島氏は孫六が気にいっていたが68,5センチ
その刀で自分で自分を介錯出来ないのでなれてない他人が使用
本人ボディビルダーで首周りの筋肉が太い
などの悪条件でうまくいかなかった
短刀腹に刺さったまま2回も仕損じ最後は舌を噛み切るなんてすごい
(でも>>102くらいの刀だと1回で済んだのかも)

139 :
http://www.hyozaemon.jp/juyo-munetugu.htm
固山宗次の刀に山田家の試し銘です。茎味良く、銘も尋常、上の出来も試し銘と釣り合ってます。
有名な刀で一度拝見しました。地刃美しく、ズシッと重いです。山田家で試した事も伝来も納得がいく刀でした

140 :
銘/無銘(末手掻)
表/金象嵌)於武州豊嶋郡淺茅原頭切割 慶安二巳丑暦十二月初五日 ○離手(以下切れ)
裏/朱銘)一ノ胴三ノ胴重二ノ胴裁断 寛文八戌申年十月五日 山野勘十郎久英(花押)
http://www.tokka.biz/sword/tegaitameshi.html
斬りすぎ
備前介藤原宗次
安政六年二月日 於傳馬町試之両車裁断切手山田源蔵
http://www.choshuya.co.jp/sale/gj/2012/1206/02_munetugu.html
地鉄は小板目肌が詰み、地景縦横に入って肌目細かに立ち、小粒の地沸が均一について地肌しっとりと潤い、鉄色冴える。
互の目丁子乱の刃文は淡雪の如き小沸が降り積もって匂口明るく冴え、
匂足長く柔らかく射し、刃中は匂立ち込めて霞立つように澄む
うむ、いい刀だ

141 :
>>140
鍔は銅製で600〜700g(通常の鍔は100g前後)のものを付けて刀身総重量を増す。
ググッても出ないんですが
どこか参考例みたいなものあります?

142 :
切り柄と呼ばれる長い柄にその鍔をつけたのですか(長巻か薙刀形状にした)


143 :
解説図はないんだけど、切れ味日本刀という本の中で鉛鍔を使用すると書いてあります
いちようupしますhttp://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3365.jpg

144 :
>>143
いろいろと疑問がはれました。
upありがとうございました。

145 :
刀の長短、切り柄、鉛鍔の話題を整理します。この三要素は各々試斬に連動しています。
基本的な考えは、刀の長短、重量の条件を出来るだけ均等にし、刃の斬れ味そのものを比較可能にする事です。
江戸初期の山野加右衛門永久の頃には、既に刀と切り柄の長さの掟を定めてます。
>>142 切り柄と呼ばれる長い柄、と表現しているのはまさにこの事です。
現物は数本見ただけなので寸方比較が出来ませんが、掟を見たら確かに長い。
2尺3寸の刀には、1尺1寸の切り柄。2尺2寸の刀には、1尺2寸の切り柄という具合。
薙刀なら、長い茎を切り柄の柄頭から茎先が出るように、刃長に応じて切り柄を決めます。
柄の長短で刃長を揃えれば刀と薙刀の刃味の比較も可能になります。これは「山野流両断之巻」にあります。
厳密に突っ込み入れれば、反り、鎬重ね、身幅が揃いませんが、公儀御試の場で立ち会う御腰物奉行ほか、
同席者が納得いく調整を、柄なり重量で調整していたものと考えます。
山田家で御用となる定期的な試しがあります。幕府お抱えの康次、法城寺国正の新作試しです。
この御用には刀工も立会います。刀、薙刀、槍の試しがあり、成績が悪いと隠居や自刃してます。
次に重量。これが難物で、何匁目の刀には何匁目という括りがアバウトです。
短刀や小脇差の試斬では軽すぎるために、必要に迫られて決めていったのでしょう。
根津流の「当流一流之巻」に、9寸5分には250〜300匁目の鍔をとあり、寸で重量を定めてます。
>>143の中に書かれている内容と手元資料でタブる部分は割愛します。
試し銘の中には、鍔なしであると刻んだ物が明治39年に乃木将軍が試した上総介兼重の脇差にあります。
山田家では成績を上げる秘伝の切り柄(無遍柄と呼ぶ)があり、柄内に1.2キロ位鉛を仕込んだそうです。
この切り柄は「人手にかけるべからず」とあり、高弟以上への秘伝だったのでしょう。
試し斬りでの刀の長短、重量については、「刃味の試し」ではある程度公平な条件だったと考えます。
ただ実戦ではどうか?となると直江兼続が面白い事を通達してます「作を好む事無かれ。云々」
要は技量、体力に応じた刀が実戦で最も適した刀槍になると書いてます。
幕末に急に長い刀が流行りますが、これは世相の反映でしょう。当時の武術事情については割愛します。
世相に応じて行われた、松代藩の荒試しを耐え抜くような刀(真雄)を要求されると重ねは厚くなるでしょう。
新撰組の差料を見ていると、新々刀特有の長い刀を使っている者をみません(城慶子正明の名前はありますが)
函館まで戦った伊庭八郎の差料は2尺3寸強。勤王刀のような茎も刃も長い刀は誰が使っていたのか?
ただ、名だたる武芸者にも好みがあったのは間違いないでしょう。
宮本武蔵は和泉守兼重の2尺6寸強の大刀を晩年の差料とし、柳生連也斎は1尺9寸の大刀を晩年の差料としました。
世相反映で象徴的なのは、破邪の御太刀。http://yoshiko2.web.fc2.com/hanaoka.html
三ツ胴について。これは山田家でも一番の奥伝です。
>>143では飛び降りて斬る、とありますが、山田流には飛び降りた試しはないようです。
二つ胴を平に重ねて三つ胴を側臥位(横向)にし、挟み竹だけでなく三つ胴を縫い合わせキツく締める。
刀には5.6〜7.5キロの鍔をつける。斬り柄に言及はないので掟通りでしょう。
鍔から3寸程度のところで斬りつけ、同時に手元へ引き斬りにする、とあります。
飛び降りて斬り込むなら、普段からの練習なりコツが必要だと感じますが、、、

146 :
>>140
銘/無銘(末手掻)
表/金象嵌)於武州豊嶋郡淺茅原頭切割 慶安二巳丑暦十二月初五日 ○離手(以下切れ)
裏/朱銘)一ノ胴三ノ胴重二ノ胴裁断 寛文八戌申年十月五日 山野勘十郎久英(花押)
http://www.tokka.biz/sword/tegaitameshi.html
多分現物(か、類似の茎)を見た記憶があります。判断に悩みました。
久英の試し銘は金象嵌を剥がして第二次大戦中に供出したのか?と感じる位、正確な彫りですが、
表には金象嵌銘が残っている。張り合わせ茎じゃないか?と疑いました。区際錆にムラがあります。
焼け身になると金象嵌や張り合わせは結構抜けたり剥がれると教わりました。

147 :
城慶子正明だと「試鹿角及甲札與棒」とかの試し銘があるけど
「甲札與棒」って何かわからないんですがわかりますか

148 :
甲札は鎧の小札を切った意
與棒というのは棒で叩いて強度を試したという意味かと

149 :
>>147
上手く漢文を訳せないけど、鹿角と甲札(鉄小札)を斬り、更に(與=与える)棒で試したという意味。
148の解釈で間違いないです。棒打ちは赤樫の木刀で左右と棟打ちが基本。
城慶子正明は、銘になくとも上述の3種類を自分で試して、合格品のみ納めたそうな。
正明の備前伝は比較的匂い口が締まっている一方、相州伝はボヤっとした物が多いかな。
焼き戻しをしっかりやって欠けにくい刃に工夫してたんだろうね。相州伝は特に地鉄が強いよ。
有名な松代藩の荒試しの模様 http://rekisizatugaku.web.fc2.com/page072.html
藁といった柔らかい試斬から始まり、堅物斬り、最後に折れ曲がりの限界へ。
直胤はこの荒試しの前迄は藩の上級武士の自慢だったのが一気にずっこけた。
新撰組の隊士使用刀一覧。http://web.kyoto-inet.or.jp/people/yokotat/page6.html
池田屋事件の損害図には無銘の脇差損害ばかり掲載されてたからこの表の信頼性は何とも言えない。
池田屋で一番長い刀は南海太郎朝尊の2尺5寸か。近藤勇が二尺二寸五分というのは実戦のリアリティを感じる。
書籍を漁ってたら、直江兼続の「五選(心がけ)」が見つかった。刀の箇所を抜粋。
いつの時代も同じような訓話(雑兵物語は分かり易い)を見るから、試刀の有用性を判断するのに良い指標だと思う。
・太刀は精神釣り合ふて骨を徹すを要とす。作を好むなかれ。
・たとえ業よしとも釣り合わざるを好む事なかれ。

150 :
148さん 149さん
ありがとうございます
松代藩の荒試しは凄いよね
ただ藩士貸出用の長巻と刀の注文は最初は清麿になる予定だとなんかで読んだような記憶がある
あとは真雄が水心子に刀の注文してケチつけてそのあと弟子になったりしてて面白いですよね

151 :
記憶と書籍を整理しながら書いてますが、誤りがあったら訂正します。
研究時期によっては通説が今では覆されている話もあります。
※佐野美術館の「虎徹と清麿」が新しく分かり易い内容なので、清麿は転載状態になると思います。
>>150
>ただ藩士貸出用の長巻と刀の注文は最初は清麿になる予定だとなんかで読んだような記憶がある
その通りです。天保二年に兄の真雄の手伝いに松代へ出て来た折、藩主真田幸貫が城備刀百振鍛造を計画してました。
その任に正行(清麿の前名)を藩工として抱え、兄弟に打たせようとしました。正行は時に19歳。
そもそも真雄が刀工となった理由は納得いく刀が無かったという型破りな動機。正行も侍を目指してました。
そんな姿勢が幸貫公の琴線に触れたのでしょう。が、家老等の反対で著名だった直胤に打たせました。
その後の経緯〜嘉永6年の荒試しの結果は http://rekisizatugaku.web.fc2.com/page072.html
さて清麿の師は真雄である、という説が戦前から議論になってました。
大多数の意見は初期銘「秀寿」から真雄が入門した上田藩工の河村寿隆とされてきました。
ところが、河村寿隆は「秀寿」銘出現の一年八ヶ月前に死去。根拠となっていた短刀の銘にある「為寿斎主人」の
送り先は河村寿隆ではないと判明。
兄真雄の初期銘「寿昌」、祖父の「昌行」から正行は「秀寿」銘を切ったと山浦家文書から分かりました。
清麿が入門したのは真雄である、という説が今現在有力です。刀剣博物館にある重ね厚い左文字写し短刀がそれです。
清麿と真雄の決定的な共通点は地鉄の鍛えです。多少の粗さより強靭な鍛えを選択している点で虎徹と志向は同じです。
清麿、真雄の地鉄を見ると強く肌立って新々刀には見えません。虎徹の優作は匂い口が冴えても地は古く荒く見えます。
この強い鍛えの源流を遡ると、和泉守兼重と山野加右衛門永久の存在を感じます。
山野加右衛門が尾張の対馬守貞重に贈った「鉄鍛集」が一冊現存してますが、貞重一人の為の書とは考え難いです。
山野家、和泉守兼重一門を通じて秘伝として伝えられ、秘伝故に残してないのでしょう。
和泉守兼重の作刀に金象嵌試し銘を入れていった山野加右衛門永久。
兼重の完成期と思われる寛永15年頃の太タガネ銘の作を見ると、鍛えが強く、焼き刃にムラがありません。
鍛えが強い故か、匂い口こそ深く明るく冴えても、砂流しのような鍛えから生じる働きは抑えられてます。
弟子の虎徹の中期作頃迄は同様の傾向があります。そして試刀で良い成果を残しました。
清麿、真雄の作は少なく、清麿なら死後に山田家が試した刀が一口のみ。真雄は荒試しのみ。
試刀事例は少ないですが、用に足る業物だったと思います。
綺麗な地鉄を鍛える固山宗次含む加藤綱俊一門は作刀数も多く、試刀でも抜群の成果を残してますが、
虎徹や清麿一門とは違う特色を備えているのでしょう。

152 :
高橋長信も自身で試して銘をきったと書いてあります http://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3371.jpg.html
新撰組隊士と土佐藩士が斬り合いした刀
ハバキも切羽も刀もボロボロです
http://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3372.jpg.html
http://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3373.jpg.html
切り柄up http://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3375.jpg.html
真雄は業物だと思うけど、清麿はどうなんだろう保証書には強気なことを書いてるけどhttp://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3384.jpg.html
沸出来だし焼刃も高い作品もあるから結構危ないと思うんだけど、ただ清麿じゃないけど信秀の砥当たりは「極めて砥当りの良い鉄質で、”柔らかいが明るい”と言う南北朝期以前の刀との共通性を感じました。」
と研ぎ師のブログに書いてあるし肌も詰んでもいないし大丈夫かもしれませんね。
対馬守貞重の砥当たり
「貞重は作位を見てみると中作と揮わないのですが、刃味では大業物に選ばれておりなかなか興味の引かれる刀工です。
 本刀は重ね厚く平肉たっぷりで、地鉄大変よく詰んでいます。 研磨にお預かりした時は、よく詰んだ鉄ですので正直、「硬そうだなぁ・・」と思っていたのですが、
いざ内曇を引いてみると大変食いの良い鉄で、刃中もしゃりしゃりと掛かり良く、地艶でもヒケの入りにくい沸粒の立った良鉄。
どの刀もこういう質なら苦労は無いのですがやはり中には難しい刀もあります。 」

153 :
>>152
乙です。
出先なので誤りがあったら訂正入れます。
新撰組の場合、損害箇所を絵にしているから面白いですよね。次の真剣勝負に備えた心構えが伝わってきます。
よく見る帽子欠損の主原因は、大振りで地面を叩いているのではないか?と考えてます。鋒が着込み帷子に当たっても帽子は飛ばないでしょう。
沸出来、匂出来の話が出たので少々。焼きにムラがある場合、特に荒沸がムラについている刃物はバランスを欠きます。
部分的に硬軟の差があれば、歪んだ力が集中し、そこが急所(刃切れ、折れ)になります。特に荒沸は嫌われていますね。
真雄が沸出来の場合、焼きが硬くなるからと匂い出来を推しました。試しの結果を見ると、焼きムラをなくし、焼き戻しを適切にやった結果だと思います。
刃切れが一ヶ所に集中した様子がないから、本数を数えられたのでしょう。
一本残った直胤の匂い出来は、腰が延びたと書かれてますから、焼きは悪くなくとも地鉄の鍛えが弱かったのでしょう。
強い鍛えの地は、鍛え目がはっきりとして肌立って見えます。研師は肌を伏せて仕上げていますが、荒れた地肌に見えます。
清麿なら鍛え目がまま割れて白く見えます。清麿の沸出来の刃に耐えうるのではないでしょうか?
晩年作を山田家で試した刀には、太々(首下の肩甲骨含む一番の難所)土壇払と固山宗次が刻んでます。他の箇所の試しもやったうち、太々を刻んだのでしょう。
貞重の作位の話題がありましたが、例えば和泉守兼重なら、沸本位の出来なれども沸少なく働きに乏しい、と位列を下げて見られます。要は華が乏しい。
個人的には兼重と山野加右衛門永久が追求した試刀のピークは寛永15年〜20頃で、やや湾れた中直刃調の作だと考えています。
まず小沸出来で、匂い口の深さを見ると、見方によっては匂い出来にも見えます。
刃中へ匂いこむ=刃中に微細な匂いが充満してます。だから明るく冴えた刃に見えます。匂い口が沈み気味の刃は、焼き戻しを繰り返した結果か技量の違いでしょう。
虎徹も兼重も焼き戻しに何か秘伝のコツがあったのでしょうね。上総介兼重の上出来なら迫る作があります。
残念ながら寛永15年〜20年頃の太タガネ銘の和泉守兼重の作は滅多に見られません。
一番分かりやすい写真は藤代名刀図鑑の第十集です。この第十集は上総介兼重と和泉守兼重が別人である事を研究した集です。
兼重の晩年作には乱れ刃や焼きが高く砂流が見られる作がありますが、これは需要が華やかな刃を求めていたからだと考えます。
ただし、終始一貫して実に強い鍛えです。強い鍛えだからこそ刃は脆くなく、その流れが虎徹へ継承されたのでしょう。
和泉守兼重と虎徹の地鉄には、新刀には珍しく地斑が見られるものがあります。また兼重には沸映りのある作もあります。
肌立った強い地鉄の雰囲気は、堀川物より南紀重国に近い古い雰囲気です。
虎徹は南紀重国を目指していた、と論じている方がいますが、むしろ和泉守兼重に南紀重国と見える作があります。
ともあれ、康継のように後援者が特に無いにも関わらず、山野加右衛門との試刀結果で江戸新刀の潮流を作っただけあって、スケールのある面白い刀工です。
砥当たりについてですが、これを論ずるのは難しい課題です。
研師としての技量と経験、刀(同一工でも時期で異なる場合がある)と手持ちの砥石(人造砥か天然砥か?質はどうか?)との相性等、様々な要素が絡みます。
そしてベテランほど商売柄多くの砥石を収集していて、刀に応じて使い分けてます。
また、昔の砥石に上質のものが多い事は研師共通の感想だと思います。若手は日夜、残り少なくなったコッパ探しと切り出し、研ぎ試しに苦労してます。
だから砥当たりで厳密にこう、と決めがたい部分があります。似た感想はありますが、手仕事故に表現には微妙なニュアンスの違いがあります。
ブログやる研師なら若い方でしょう。その方の師匠に直接お話を伺う機会があれば、より参考になると思います。
砥当たりがどういう物かを知りたいなら、自分で一度試すと面白いと思いますよ。
研ぎに出す前に刃艶で遊ぶ程度なら、研ぎ減りも鎬筋をける事もなく問題ないでしょう。

154 :
鍛えの強い刀剣画像をアップしました。
南紀重国(藤代名刀図鑑第六集)
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南紀重国の大和伝。肌立って古刀風に見えます。焼きにムラはなく刃縁に小沸がちらちら働いてます。この雰囲気が虎徹まで続きます。
和泉守藤原兼重(藤代名刀図鑑第十集)
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個人的に完成期と考えている兼重の湾れ刃です。南紀と地の雰囲気は似てますが、更に叩き詰めたような印象。刃縁は刃先へ向けて小沸と匂いが混然としています。
この抑えた刃縁の働きを含め、地刃とも虎徹へ受け継がれます。
長曽祢興里入道虎徹(虎徹と清麿P20)
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刃長2尺3寸、反り2分6厘
寛文5年頃の虎徹。肌目がキリっと立ったいかにも強い地鉄です。刃縁の細かな働きは兼重に似てます。あくまで小沸出来で、刃中に小沸、匂いが入り込んでます。
江戸新刀黎明期の頂点といったところでしょうか。
一気に新々刀期へ。
山浦真雄(藤代名刀図鑑第二十六集)
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真田の荒試し前の作。新々刀の中でも地肌が立ち、古く見える地鉄です。兼重のように叩き詰めた感じがします。
清麿同様と藤代松雄師に評されてますが、太い沸筋(金筋)を指しているのでしょう。
これが真雄の匂い出来風だと思います。焼きを低めに働きを抑えた小沸と匂いが美しい刃です。こういう作が直胤の刀を駆逐するとは凄い物です。
源清麿(藤代名刀図鑑第4集)
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荒沸が豪快に働いて、ムラっ気のある作ではなく、小沸出来でムラのない落ち着いた清麿です。嘉永2年8月日の大小揃いもこのように落ち着いた作です。
真雄同様、叩き詰めたような強い地鉄です。この作なら真雄が受けた真田の荒試しにも耐え得るかもしれません。
清麿は作が少ない上に、太い沸筋とムラのある荒い沸(覇気があると表現する方もいます)が強調された重要美術品指定の窪田清音に贈った刀ばかり書籍で見ます。
現物を見る機会に乏しく(私が手にしたのは2振です)、荒い大出来作の印象を持つのは仕方ないかもしれません。
真雄が最初の師だけあって、強い鍛えとムラっ気のない小沸が働く作があることをアピールしてもいいのではないか?と感じます。
上に掲げた刀なら、山田家でも高い評価をすると思います。
実際に南紀、兼重、虎徹のこのような作に対して、試し切り付け銘こそありませんが、大名筋依頼の目利きで宜しく候と押し形に記しています。
お得意先の大名家、特に井伊家の刀剣台帳には新規拵え作成や、刀剣買い付け時に、山田家のコメントが記されています。
他大名家でも山田家目利きの資料があると思うのですが、まだ見たことがありません。
山田家目利きを体系的に整理したものが山田家手控えの押し形集掲載分しかなく、当時の試刀評価を知るには切り付け銘や押し形集掲載の類似作刀を探すこととなります。
江戸初期の山野家試しと評価が大きく異なるものは、今のところ未見です。江戸期を通じて試刀術は上手く継承されたのでしょう。

155 :
画像はどうやって見るんですか

156 :
>>155
すいません。画像のみ貼り直します。文章は>>154に同じです。
南紀重国(藤代名刀図鑑第六集)
http://iup.2ch-library.com/i/i0714017-1344671237.jpg
和泉守藤原兼重(藤代名刀図鑑第十集)
http://iup.2ch-library.com/i/i0714018-1344671237.jpg
長曽祢興里入道虎徹(虎徹と清麿P20)
http://iup.2ch-library.com/i/i0714019-1344671237.jpeg
一気に新々刀期へ。
山浦真雄(藤代名刀図鑑第二十六集)
http://iup.2ch-library.com/i/i0714020-1344671439.jpg
源清麿(藤代名刀図鑑第4集)
http://iup.2ch-library.com/i/i0714021-1344671439.jpg

157 :
>>156さん ありがとうございます 大変参考になりました


158 :
以前は上段振ると背中が痛くなったが
最近握りのコツなのか痛くなくなってきたw
じいさん連中はむかし
朝これに乾布摩擦だもの
低血圧で朝起きれないのとえらい違い


159 :
すえもの切りを想定して上段から振ると
適してるやはり反り少なく先の大きい打刀タイプ
先に重心がいきスピードも乗り重みが前腕にくる
反り大きく先細のタイプは向かない
重心が手元で先は軽く頼りない、そのくせ振り終えたころズッシリと重みが
上腕の2の腕にくる
そこから反りを使い引き切リ安い設計かも知れないが
カブトを割るような破壊力は無い

160 :
そこから湧いてくる疑問があるよね。
戦国時代の日本刀とはなんだったの。
兜の上からぶん殴って脳震盪を起こさせるための鈍器として使用される
ことが主だったんじゃないのか?

161 :
戦国の馬上だと片手はたずなで片手しか使えず、
重心は手元のほうが方向転換や出が早い
反りあるほうは引き切りやすいので
狙いは防具のすきまの首頚動脈とかじゃないの
江戸くらいだとたいして馬にも乗らず両手つかえたから
先に重心が行きやすい打刀でよかったとか

162 :
コレ○ション情報でもたまに試し銘入った刀出るが、ソッコー売約になるよね。

163 :
>狙いは防具のすきまの首頚動脈とかじゃないの
動き回る相手の頚動脈狙いなんて実戦で可能かな?
具足師だって馬鹿じゃないだろうしね

164 :
平安時代のだといけそう
http://park11.wakwak.com/~moonlight/jenny/018tyakuso.html
http://kakitutei.gozaru.jp/kyoto05sep/ooyoroi.html
http://www.usagijuku.com/history.html
その他の飾り具足・・・面具・・・・・・咽喉輪と
フルアーマー装備な大将クラスは別だけどね

165 :
兜の上からぶん殴って脳震盪を起こさせる大技は西洋のほうかも
西洋鎧http://file.teodor.blog.shinobi.jp/5e3f2eab.JPG
バスターソード
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Espadon-Morges.jpg

166 :
大鎧は当初片籠手だった
騎射戦で敵に向ける左にしか籠手を着けていない(大袖は両側にあるが)
時代が新しくなって右にも籠手を着けるようになった
太刀もその昔は腰反りが多かった
源平合戦の頃と戦国時代は甲冑も刀も変化している(当然戦闘様式も)
西洋には鎧の上から効果的な打撃を与える為の武器(代表的なのはモーニングスターかな)が発達した

167 :
モーニングスターはいかにもドンキって感じw
日本の槍は薄い鎧なら貫通できるらしい
重ねが厚く新型新幹線の先みたいな形状
でも江戸時代の打刀で先幅があり重ねが厚いのは
諸手突きでズクッといきそうな強度ありなんだけどなぁ
でも槍とは突きの力の入り方が全然ちがうんだろうな

168 :
珍しいかな浪士組が試した刀http://www.samurai-nippon.net/V-745/
高橋長信作高木氏用刀山田宮司横山明平試之截鹿角 文久三年二月日
文久3年浪士組上洛名簿録http://www.bakusin.com/yushi.html

169 :
刀趣味に入ったばかりの頃は死体で試した刀ってかなり抵抗あったが、この趣味にハマればハマるほど魅力的になるのが怖い・・・
でも試し銘の入った刀って高価だなぁ

170 :
高価って話で思い出したけど試し銘の入った新刀で重文って無いよね?重美でも見たことがない。
後に重美以上に指定されるような特別な傑作は勿体無くて試さなかったのかな?


171 :
個人的には死体を斬った刀より兜を割った刀に惹かれる
本来斬れぬモノを斬るのは刀剣にとって最上の浪漫

172 :
>>170
今、手元に目録ないからカウント出来ないけど、初代康継にあるよ。覚えてる重要美術品の銘だと、
表銘 (葵紋)於武州江戸越前康継
裏銘 以南蛮鉄末世宝二胴本多五郎右衛門所持
所持者は前田家の家老、本多忠重で康継の後援者。忠重所持の康継の刀にはこんな試し銘がよくあるよ。
虎徹については試し銘をいれてないだけじゃないだろうか?
所有していた大名の御腰物台帳には、いつ誰が試してどういう成績だったか書いてある。尾張家の虎徹は前に書いた通り。
記録に残してあるから試し銘を入れなかっただけだと推察している。
珍しいケースだと、、、
重要美術品クラス(確か県文指定)で保科家の枕刀だった山野勘十郎久英が試した三善長道には、三つ胴の金象篏試し銘が入ってる。
大名家所有の刀には中川左平太の金象篏試し銘を見るけど、山野家は確かに見ないね。
新刀以降の重文、重美指定品は少ないから、売り立て目録調べて江戸時代の来歴を追いかけていけば、試しの実績が分かると思う。
大抵は注文打ちだから、大名家に納まるような新刀で全く試してない例はそんなにないと思う。
徳川吉宗は試し好きだったから、紀州家伝来の重文、加藤国廣や南紀あたりも試してるんじゃないかな?しかもご自身で。
出来が良いから試さなかったと仮定したなら、
前田家が江戸後期に行った大典太光世の三つ胴試しで、二つ胴と半分の成績だったなんてリアルな記録は残ってないんじゃないの?
実用の時代だったから、刀の利鈍を気にしている。これは間違いない認識だと思う。

173 :
裁断個所で最も固い個所から順に示すと
1、太々 2、両車 3、雁金 4、R割 5、脇毛 6、摺付 7、車先 8、一の胴9、二の胴 10、三の胴となります。
たとえば太々でどれぐらいの硬さなんだろう
また依頼された刀が斬れ味が悪かったら正直に悪いと言っていたんだろうか

174 :
>>171
雲藩柔道師範石原藤中従試冑切断及土壇
門人井上藤原敬之亦試甲佩之http://www.city.matsue.shimane.jp/jumin/bunka/bunka/bunkazai/syoukai.htm

175 :
普通に振るより憎たらしい相手をR気で振ると
気合の乗りのせいかきっ先の早さが12パーセント位早くなる
邪道なのかナ
無心の境地にほどとおい

176 :
>>171
ゴツい薩摩刀で示現流の一撃喰らって、受けた自分の刀もろとも身体にめり込んだ不可解な屍が、戊辰戦争で結構見られたらしい。
これは兜割りならぬ人割りだな。ただ、強い沸出来だからか厚目の蛤に研がないと、刃先が脆く欠けるそうな。ある意味で鈍器だね。

177 :
173>>裁断箇所の1〜7までの読み方教えて下さい!

178 :
1、太々たいたい 2、両車もろぐるま 3、雁金かりがね 4、R割ちちわり 5、脇毛わきげ 6、摺付すりつけ 7、車先 ぐるまさき 
かな 間違ってたらごめんね


179 :
http://iup.2ch-library.com/i/i0722270-1345474708.jpg
ほかの箇所の裁断図

180 :
>>177 
横レス失礼。時代によって呼ぶ箇所が変わります。
この>>173は山田家監修、柘植平助著「懐宝剣尺」の記載内容です。
内容がしっかりしてた以下リンク先※も、ご参照して下さい。
山田家の系譜付き http://www.tsuruginoya.com/mn1_6/mn6_5_18.html
よく本にある人体図 http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/wazamono.htm
※みんな元ネタが福永先生の首斬り浅右衛門刀剣押し形上下巻なので、入手しましょう。
これ以上の本はもう出ないと思う。
読み方
@太々 ふとふと
A両車 もろぐるま
B雁金 かりがね
CR割り ちちわり
D脇毛 わきげ
E摺付け すりつけ
F車先 くるまさき
G一の胴 いちのどう
H二の胴 にのどう
I三の胴 さんのどう
因みに、重ね胴の場合は、一つ胴、二つ胴、三つ胴と呼ぶので、G〜Iは読み方注意。
山田家の時代には重ね胴試しがまずない事を知っておいて下さい。死体確保が困難だった。
重ね胴のある山野家等で試す場合は、一つ胴以上は特記がない限りみぞおちを斬ります。
山田家では一の胴、山野家等古い呼称では本胴です。
↑これらも「首斬り浅右衛門刀剣押し形」を参照に書いてる。

181 :
皆さん、ありがとうです!!
R割りはちわりとも書いてる本ありますが正しくはちちわりですか?
あと太々はたいたい、ふとふとどちらでしょう?
もう一つ、よく裁断銘で土壇佛ってありますがこれ何て読んで、どういう意味なんでしょうか??
 それにしても御様御用ってグロい稼業ですがなぜか興味そそられるんですよね。
 とくに山田家一門にはすごく魅力感じます。
 

182 :
変わった試し銘の刀 立花圓龍子国秀 天保十己亥八月七枚鍛 http://www.leomax.co.jp/koramu/naka16.html
越後福島応関根道長需於宅鍛之
冑鹿角手鞠真綿髪毛道直自試之
越後福島の関根道直の求めに応じ
自宅においてこれを作る。冑(かぶと)・鹿角(しかのつの)・手毬(てまり)・真綿(まわた)・髪毛(かみのけ)道直自らこれを試す
手毬や髪毛は切りにくいのかな
>>180
福永酔剣氏犬養木堂注記本 古今鍛冶備考と首斬り浅右衛門刀剣押し形上下巻は同じ内容なんだろか?
首斬り浅右衛門刀剣押し形上下は再販してほしいな

183 :
土壇払 と 土壇佛があるね

184 :
西洋も同様な役回りの方と専用剣があるらしいです。
エクスキューショナーズソード
http://syunanleo.gooside.com/german/1.sword.htm
死刑執行人
http://syunanleo.gooside.com/german/3.exec.htm#3.死刑執行人
(ブログの方、借用感謝します)

185 :
>>182
> 越後福島の関根道直の求めに応じ
> 自宅においてこれを作る。冑(かぶと)・鹿角(しかのつの)・手毬(てまり)・真綿(まわた)・髪毛(かみのけ)道直自らこれを試す

> 手毬や髪毛は切りにくいのかな
堅物試しとそうでない物の両試し。剃刀のように薄い刃なら藁などが斬りやすい反面、堅物には負ける。
堅物斬る平肉よくつく刃なら柔らかいものは斬りにくい。
前にのせた真田の荒試しでも同じ事やってる。見れば意図が分かるよ。
>>180
> 福永酔剣氏犬養木堂注記本 古今鍛冶備考と首斬り浅右衛門刀剣押し形上下巻は同じ内容なんだろか?
内容はタイトルの通り違うもの。福永先生は文章うまいから楽しめるよ。
江戸期の試刀術と山田家の生々しい生活を総合的に読めるのは後者。前者はタイトル通り刀工や刀剣に絞ったスポット的な内容。
> 首斬り浅右衛門刀剣押し形上下は再販してほしいな
今の時代に期待出来ないから、古本を探して手に入れるべし。揃いで買いなよ。下巻はまず出てこないから。

186 :
>>183
土壇については>>180のリンク先に書いてある。
試し物を据える土壇まで刀が達した=試し物が完全に斬れたの意。

187 :
浅右衛門の業物最上位群に選ばれたのはほとんど新刀
古刀では三原正家と孫六以外は備前の南北朝あたりの2つだけで
見た目いい古雅な古備前や出来のいい末備前ではない
丈夫で堅物が切れる系の共通項があるような

188 :
「あまり古いものや切れ味ですでに有名なものは省いた」みたいな前書きなかったっけ?

189 :
>>188
あったかな? 三原正家と孫六も古くても有名だけどあるとして具体的にどんな銘柄ですか?

190 :
>>186 土壇まで刀が達する
必殺の滝田栄みたいに重い一撃なんだろうけどまねすると
背骨の痛みがましになったら今度は左手小指と右手首が痛い



191 :
http://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2004/12nihontou12.html
刀の斬れ味の列位は「古今鍛冶備考」(山田浅右衛門著)に4通りに定められており,最上大業物13工,大業物22工,良業物54工,業物91工,追加の部,66工で,合計246工でござる。
 これらの決め方は何回も死体を試し,かなり厳密なデーターによって決められており,後日その検証も何人もがいろいろな形でホローを致しております。
当時の基準としては骨の固くなった中年の男性のR割り以上の所が,サッーと気持ち良く切れる事が第一で,これを“大切れ物”と申し,
10刀の内で8〜9刀あれば「最上大業物」,7〜8刀が「大業物」,5〜7刀で「良業物」,2〜4刀が「業物」,との判定となっておりやす。
尚,この列位は新刀が主ですが,古名刀は既に度び〃〃実戦を経験していて,斬れ味は判っており,「唯一両度試ミタルハコレヲ省ク」,との基準により除外されております。
 よって昔より切れる事で有名な,備前の南北朝の「長義」や「兼光」は此の例ですが,濃州・関の「村正」の除外は徳川家への遠慮が主なる原因でありましょう。

192 :
斬れ味の列位で入ってないのは古刀の相州伝とか大和伝とか山城伝が入ってないかな
あとは兼光一門の基光とか

193 :
http://page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g112289748
首斬り浅右衛門刀剣押し形が上下で出てる。珍しい。欲しい人は予算決めて入れてみたら?

194 :
大業物22工,良業物54工のなかに残りの備前もかなりある
古刀で砥ぐと地金のやわらかい系はカミソリのような切れ味タイプだから
試しには不向きなのもあるんじゃないかな
細身で軽く鋭く頚動脈をなで斬りタイプで
重く首や胴体ごとナタのように断ち切るタイプでないのがかなりあるから

195 :
昔の人は1000回素振りするとか聞くけど真剣とかだろうか

196 :
居合 福沢諭吉で検索してみた
晩年まで健康のために、居合の鍛錬を続けており、福沢家に伝わる自筆の文書に残る居合の数抜きの記録では、明治26年1月17日に刃長2尺4寸9分(約75cm)という長めの日本刀を使い、
午前9時15分〜正午に620本・午後2時〜午後3時半に360本の計1000本抜きを行っています。
翌27年10月25日には午前9時15分〜正午に680本・午後2時〜午後4時に520本の計1200本を抜き、明治28年12月31日には午前8時半〜午後1時に休みなしで1000本抜きを達成しています。

197 :
居合の数抜きとは鞘から抜き打ちすることでしょうか?
70cmまでがいいとこで約75cmは抜きにくい
明治28年のデーターで1分あたり3.7回だから約4回として15秒平均に1回ペースで
4時間半連続やり続けたということですご
福沢諭吉って学者だと思ってましたので
やはり昔の人は集中力とかが違うのですね


198 :
上段の振りだけなら体力があれば努力すればそのうちにできるかも
でも居合いの抜き打ちだと指切りそうでだめ

199 :
銃社会アメリカでもこうゆの趣味なひとがいてうれしい
某知事が、今も大切にしている「剣」とは
http://laniusbucephalus.blog49.fc2.com/blog-entry-246.html

200 :
シュワさん早く俳優復帰しないかな

201 :
首斬り浅右衛門刀剣押形が上下揃いで25000円てどうよ?

202 :
ヤフオクの「首斬り浅押形」二万超えで落札されたな・・・

203 :
安い。最高に良い買い物。欲しい人にとっては何としても欲しい本だから、倍値でも売れてる。
刀剣専門書籍の中では一番引用されてる本には間違いない。江戸時代の武家風俗が赤裸々に綴られているからね。
短いながらも福永先生の一筆があったから、元の持ち主は刀苑の会員だったんじゃないかな?亡くなって遺族が処分したんだろうね。

204 :
簡単に売りに出てる値段を調べた。
@箱無し揃いで25,200円 http://item.rakuten.co.jp/katana-hon/10002162/
A箱有り揃いは50,000円 http://sobunkaku.jimbou.net/catalog/product_info.php/products_id/30666
B単品箱有り上下巻が各29,800円 http://www.amazon.co.jp/gp/aw/s/ref=is_s_stripbooks?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&k=%8E%F1%8Ea%82%E8%90%F3%89E%89q%96%E5%93%81%8C%95%89%9F%82%B5%8C%60&url=search-alias%3Dstripbooks
箱有り揃いのヤフオクは安かったんじゃないか?そもそも売り自体少ないな。
箱無しで構わない人は@へGO!でも古書って箱無しだと、、、orz

205 :
貴重な本なら別に箱無しでも良いんじゃない??
肝心なのは本そのものの状態だと思うけど。

206 :
家にも箱無しの首斬り浅押形上下あるんだけど、箱無しって価値無いの?
5年位前に古本屋で見つけて三万五千円で買ったんだけど、高かったかな(汗

207 :
>>206
数十年経っても箱があれば表紙が反ったり、タイトルが焼けたり擦れたりしないから、古書的には価値が高いんだよ。
でも読む側は内容だよね。自分のは貸し出したりするから全然気にしてない。
書き込みも古書的にはオリジナル性が下がるから評価が低い。
でも興味深い内容が書き込まれているものがあるから、これまた気にしない。むしろ、書き込みが面白くて買った戦前の刀剣書があるよ。
首斬り浅右衛門押し形は名著。時代劇や歴史好きまで借りたがる。そしてなかなか返さないから困ったもんだ。
福永先生が著作権にうるさくないから益々引用(丸写し状態)されて、この本の価値が下がる事はないよ。

208 :
楽天の上下揃い買いました。明日くらいに届くんで楽しみ。
きっと時間忘れて読みふけるだろうな。
同じショップに箱付きが21000円で出てたよ。

209 :
どうでもええわ
ボケえ

210 :
やっぱりこういう奴湧くね。
ボケ、R、クズ ネットの書き込みでしかいきがれない哀れなお方の決まり文句
209>>自分が情けなくならないか?

211 :
どうでもええわ ボケえさんは刀好きな人ですか?
こんなダサい事する人が同じ日本刀好きとは思いたくないが(笑

212 :
>>208
良かった!このスレの人に買って欲しかったんだ。無い時はなかなか出てこないから。
去年辺りから動かなかった刀剣専門書籍が動き出してた。所有者がちょうど亡くなり始めてるのが理由。
動かないのは限定販売だったり、非売の限定物が多いから。要は数が少ない。だからチャンスを逃すとなかなか手に入らなくなる。
首斬り浅右衛門押し形は刀剣書籍としてだけでなく、武家社会の小説を読んでるようなものだから時代小説好きも楽しめるよ。

213 :
国立国会図書館デジタル化資料 http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?pageNo=1&searchWord=%E6%B5%85%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80&facetOpenedNodeIds=
山田浅右衛門刀剣押形

214 :
やはり今日届いた。思ってたより分厚くてさらに上下巻だからかなり読み応えありそう。
巻頭の残酷な生き試しの図に少し圧倒されたが、読み進むうちにどんどん引き込まれてた。
表紙は二冊とも結構焼けた色だけど中身はかなり状態良い。
所有してる日本刀同様、この二冊も一生の宝物にしようと思う。
安月給の身にはちと辛い値段だったが、買って良かった。

215 :
>>214
おめでとう。
良い買い物をされましたね。

216 :
215>>はい、ありがとうございます。

217 :
当時の押型って油性の墨?
せっかぼくなんて明治中期からだよね?

218 :
>>217
桃山期から江戸後期までは基本的に手描き。茎のラインに細い竹串をしならせて、極力近いラインを出してから竹串に墨をつけて紙に採った物が光山押形。
江戸後期からは水拓という方法が出てくる。茎を濡らして薄い紙を貼る。薄い紙を濡らすと、伸びて銘の内側や茎のラインに沿いやすくなる。
やや紙が乾いた頃合いで、固形墨の粉末を打ち粉のようにして、紙を打つ。すると伸びて生じた凹凸に墨がつく。銘は凹んでいるから白く、茎の外形は黒くでる。
ただし、打ち粉状の墨を乗せただけだから薄いという欠点がある。山田家はこの方式。
山田家の押し形を見ればわかるように、銘部分を念入りに叩いて銘のコントラストを出していた。各藩の押し形も似てる。
同時並行的に流行ったのが魚拓のように茎へ墨を塗って紙を貼る方法。想像通り非常に簡便。
ただし墨を均一かつ薄く塗らないとムラが出たり、真っ黒になる欠点がある。魚拓でも見るよね。
この魚拓式の発展系が藤代式。墨ではなく、印刷用の油性インクを塗るのが特徴で、ムラになりにくく、かつクッキリと紙に写る。
ただし、茎をインクまみれにするから、ヤスリ目や銘の中まで入り込んだ油性のインクを拭き取る手間がかかる。
更に茎から油性インクを除く過程で、長年かけて馴染んできていた茎の時代味が損なわれやすい。
藤代式の第2段階は、茎の上に紙を敷いてカーボン紙を乗せ、ゴムローラーで擦る方法。だから藤代ローラー式なんて今では呼んでる。現役では一番鮮明だと思う。
ようやく石華墨の話。
石華墨自体は石碑の拓本用に中国で使われてきた。いつ石華墨が生まれたかは分からないが、少なくとも江戸時代以前だと推測する。
石碑の彫りは深くて角が鋭利になっているものが多いため、紙を痛めぬよう柔らかい石華墨で刷っていた。今でもあるよ、柔らかい石華墨。
事情は分からないが、幕末頃から硬めの石華墨が登場。ただし非常に高価だったそうで、安価になってきた大正頃まで流行らない。
水戸家に脇差程度の長さ迄の所蔵刀の全身押し形を集約した冊子がある。これは石華墨で刷っている。刃形は御抱え絵師が描いたそうで、実に上手い。
戦後だと推測するが、日本で刀剣用の石華墨を作る努力をした人が数名が出てくる。しかし、沢山売れる性質のものではないから、今は何れも廃業。
一軒だけ孫がレシピを見つけて再現している。名古屋の河村さん。生産数は少ない様子。

219 :
山田浅右衛門の試し銘の入っている刀一振り欲しいと思っているんですが、今の取引相場は大体どれくらいなんでしょうか?
やはり斬った部位によっても刀の価格は変わるんですか?
二ノ胴より両車裁断のほうが高価とかあるんでしょうか??

220 :
於東武金営源元興精鍛焉安政六未年十月十三日於千住(1859年) 
三ッ胴土壇拂 山田源蔵吉豊試之http://www.samurai-nippon.net/V-929/
奥州会津住藤原兼定 安政二二年十二月十三日東都於千住両車払土段 山田源蔵試之 小川郷左衛門見届
http://www.geocities.jp/ntooma/ka-kanei7.jpg
表銘 陸奥士 和泉守藤原朝臣兼定       同年九月廿七日於千住両車士壇拂切手山田源蔵    裏銘 慶応三 為木嶋重平抽鍛錬精       同年同日於同所二ツ胴土壇拂切手木嶋勇太郎
http://www.geocities.jp/ntooma/ka-3kijiman.jpg  http://www.geocities.jp/ntooma/ka-3kijimat.jpg 

221 :
一番上のしか画像見れませんが70センチ弱で
目立たないけど身幅重ねともがっしりしている。
>>219は居合いや試し切りするのですか?

222 :
ここから引用しました 会津兼定の作品http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/9135/kanesadasakuhin.html

223 :
221>>山田一門に凄く興味あって色々本読んだりしてるうちに浅右衛門が試した刀をどうしても所有してみたくなりました。
  できればR割り、脇毛、両車いずれかの裁断銘が入ってる刀が希望です。
 御様に使われた人の幽霊とか出ないですよね??(笑

224 :
>>223
>御様に使われた人の幽霊とか出ないですよね??(笑
世の中幽霊だらけになってしまうと思いますw
最近の工事でも大量の人骨が出てきますが、江戸回向院に
埋葬される死罪人が年間約1000人。それが江戸期全域に渡る
のですから、すべて御様にされなかったとしても、22万程の
幽霊がいることになります。これは千住側のみ。南の鈴ヶ森
の分など入れたら一体何十万の人が死罪になったか。全員が
幽霊君となって出てきたら、そこら中幽霊だらけですし詰め
満員電車状態になるのではないでしょうかw
まあ、幽霊君が出てきたら「未練な奴」とまた切り捨てて
成仏させてあげましょうw
死罪人は回向されて成仏しているので、幽霊で再来はしないと
は思いますが、念のため、ネタとしてw

225 :
224>>ネタに乗っかってくれてありがとうです。感謝感謝
     
   まぁでも所有した刀にもし御様の日付が刻んであったら、その日には線香焚いてお茶と団子かなんかお供えして御供養しようかとは思ってるんですが。

226 :
死体で試した刀はいいですが、さすがに生き試しは気持ち悪いですね・・・。
浅右衛門は分かりませんが、山野親子の特に永久はかなり生き試しをやったとか聞きますが。
斬られる罪人の苦痛や恐怖も想像に耐えがたいものあります。
山田家でも初代の頃なんかは生き試しをもしやかなりやってたんですかね?
そういや試し銘で生き試しか死体での試しか見分けられるんでしょうか??

227 :
>>226
>そういや試し銘で生き試しか死体での試しか見分けられるんでしょうか??
まずは「首斬り浅右衛門刀剣押し形(上下巻)を読め。時代毎の試しの実態や胴確保の苦労が学べる。
試し銘からはほとんど状況が分からない。そもそも他の試しをやったのかも分からん。
代表的な試しを銘に入れたと解釈すればいい。

228 :
近江守法城寺橘正弘
(金象嵌)寛文六年丙午七月廿六日
山野勘十郎久英(花押)
雁金脇毛切落 http://katananokura.jp/SHOP/1205-K01.html
近江守藤原継平http://www.tsuruginoya.com/mn1_3/a00220.html
(金象嵌) 雷電 三ツ胴両三度落 天和元年辛酉十一月十九日
冨田弥一左衞門尉断之重綱(花押)

雷電ちゃんのほうがいいかな

229 :
しかしクソ高いな・・・
この値段なんとかならんか・・・

230 :
そういや粉レ区ション情報で山野勘十郎の試し銘入った刀60万ちょいで出てたな
山田浅の試し銘入りは安くてもほとんど100万超えるよね
一つのブランドみたいなもんか?
ちょくちょく見るのが前嶋八郎?(平八郎だったかも)とかいう人の試しが入ってる刀だけど、この人物について詳しく知ってる人いない?

231 :
もし今の時代にまた御様御用って職業が復活したとしたら御様に使う胴にしたい奴っている?
ワシならまずは北チョン大好き国賊野郎管直人(カンチョクト)だな(笑
あとはその他大勢の腐敗政治家ども、通り魔、強姦魔、詐欺師、無差別殺人犯とこんなとこか。
てかリアル御様の光景ってやっぱり凄まじいのかな?
でも場数踏めばやっぱり感覚麻痺して何とも思わなくなるんだろうか??

232 :
アイウエオタメシー!! 
♪役立たず管でオタ〜メシ〜 腐った国賊でオタ〜メシ〜
 斬るぜ!ワンツー三四!オタ〜メシ〜♪ イェイ♪
 唄 モモイロオタメシー
(戦国鍋TVのガギグゲゴタイローの替え歌)

233 :
>>230
金象篏試し銘には新しい細工の偽物がかなりある。残念ながら実物を見る機会が少ないけど、色々比較して勉強した方がいい。
ポイントは書体、太さ、金の質。精巧な細工物になると金の質が頼り。そして金の質だけは実物を見ないと分からないと思う。
パチもんの金無垢ロレックスを見破るのに金の色を見る感覚と同じ。
パチもんロレックスなら時計屋が見馴れているように、金象篏ならベテランの研師が見馴れてる。
山野家の時代なら、茎の錆と金が馴染んでるのが本物の第一条件。若い錆ならすぐに光る。
三田光剣さんが面白い事言ってたな。一字幾らで細工したら細工代の倍値で売れたと。安定や法城寺は細工する刀の数があるから要注意。
山田家の時代だと、試してから銘を刀工が切ってる場合が多い。だから固山辺りなら見破りやすい。その一方で怪しい切りつけ銘もあるから、これも要注意。

234 :
231>>大阪の無差別児童殺傷の宅間とかなら目隠しさせずに生き試しにしてぇな。
     ああいう卑劣なクズが絞首刑とか甘過ぎる。

235 :
>>233
新しい金象嵌というのはこういう物だろ?昭和30年に入れても若すぎるw
http://www.bidders.co.jp/item/177411636

236 :
脇毛、R割り、両車の試し銘入りはたまに見るが、太々、雁金、車先はまず見ないよね。

237 :
235>>これはあんまりだな・・・

238 :
>>235
自分に分かるかどうかちょっとドキドキして開いたら失笑したww

239 :
>>235
この細工は酷いな。雉股風に少し削って酸で焼いていかにも古そうに化かしてる。
刃は焼き落としならぬ焼き直しじゃないか?。茎の痛み具合と上が釣り合わない。
反りを見ると室町前期に見える。ひょっとすると焼け身の焼き直しかもしれない。
前レス>>101が面白い。流石に235よりはマシだけど、つい飛びつく人もいるんだろうな。
かなり怪しい金象嵌試し銘 http://www.bidders.co.jp/item/171058449
試し銘紹介サイト http://sakanazanmai.web.infoseek.co.jp/aitou_shashinkan_tameshimei.htm

240 :
偽金象篏試し銘には鍛冶平の細工もあるようだね。一度、鍛冶平細工の偽金象篏試し銘の現物を見てみたい。

241 :
どぞ
http://www.arsvi.com/d/c0134c.htm

242 :
福永先生の著書で「首斬り浅押形」以外に何か面白い本てありんすか?

243 :
綱淵謙錠『斬』

244 :
福永に限れば、面白本は『刀鍛冶の生活』

245 :
福永先生の書き物は面白い。分かりやすく書くだけじゃなく、古文書なりの裏づけをした上で、現実的な解釈をするから説得力がある。
どんな内容を求めているか分からないけど、読物としてなら日本刀物語がウケると思う。
たぶん最後の著書になる本阿弥家の人々も面白かった。折紙に捺す秀吉から貰った銅印に秘められた歴史解釈は斬新。

246 :
山田吉昌注文の固山宗次刀が売りに出たね。280万円也
この刀見たことあるが刃は明るいが地鉄が鏡肌で清麿一派に比べて
全く面白みがなかった。
同時に見た清人や信秀のほうがはるかに地刃ともによかったが
値段が300万円代だった。。。

247 :
地は水心子系備前伝の特徴じゃん。ごくごく真面目な刀だよ。作り肌の相州伝より好感もてるけどな。

248 :
宗次でも微塵に地鉄が詰んで細かい地景がでているものは多いよ。
清人とか信秀の積んだ地鉄のように。
清麿はちょっと暴れすぎの地鉄だけど。鍛え割れも多いしね。

249 :
新々刀に備前伝も相州伝もおおげさに言ったら無いよ。
匂い出来か沸出来、地鉄も刃紋にあった地鉄とか関係ない。
地鉄、沸出来・無地風・肌物。
刃紋、もうミックス。

250 :
清麿と宗次の合作が出てきたとかいう話を聞いたけど本当?


251 :
新々刀
地鉄 微塵小沸・無地風・肌物
刃紋 丁子・直刃・のたれ・互の目

252 :
この原著を教えて貰えませんか?↓
>>152 :名前なカッター(ノ∀`):2012/08/11(土) 07:22:09.63 ID:Df/6/G32
高橋長信も自身で試して銘をきったと書いてあります http://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3371.jpg.html
新撰組隊士と土佐藩士が斬り合いした刀
ハバキも切羽も刀もボロボロです
http://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3372.jpg.html
http://www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up3373.jpg.html

253 :
雄山閣の『日本刀講座』15巻に載ってますよ
戦前の本です。

254 :
>>253
助かりました。後は日本刀講座15巻の元ネタを探します。

255 :
元ネタ?
宮本武蔵(吉川英治(創価 → 大山倍達(空手バカ一代 みたいな〜?


256 :

これはイカン過疎ってるな

257 :
なんか柄の部分だけのおもちゃで振ると
切るときの効果音が出るのがあるけど
売れているのだろうか?

258 :
だいたい形状自体折られた状態
映画切腹では丹波哲郎にすぐ投げつけられて
サブウエポンの脇差にチェンジされてる

259 :
25回振るとキメぜりふがでるそうな
100回振れば
キャリーパムパミャムの声で
日本人死んだ〜もういないとか

260 :2012/10/21
柄の形状だけど昔のはよい
中へこみで目抜きまわりごつごつしてるが
それはそれでフィットするようなっている
それでなれると、こんど白鞘の柄とかだと振りにくい
日本人はこうゆう細かいのは得意だが
今風のは太めのキューテイハニー的になんか丸いwwwww
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