2012年09月野球殿堂32: 元近鉄のマイナーな選手を懐かしむスレ その3 (249) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
2008年までのドラマティック・サヨナラ賞を選考スレ (358)
湯口敏彦(オウオウオウオウジャイアンツ) (971)
〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.18〓 (679)
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元近鉄のマイナーな選手を懐かしむスレ その3


1 :2012/04/18 〜 最終レス :2012/10/28
《過去スレ》
1 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1092205288/
2 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1286690544/

2 :
2get

3 :
サード三宅

4 :
ウルフ

5 :
相撲にもウルフっていたよな

6 :
誰かよ。リアルタイムで、
上林成行
中野英明
尾西和夫
太田清春
観た事ある奴いる?

7 :
太田幸司ならリアルで見たことあるけど・・・

8 :
市橋秀彦はこのスレに相応しくないかい?

9 :
高校生の時甲子園に出られたは良いが、
投球中に足が痙攣してマウンド上でヒクヒクしてたエピソードしか知らない>市橋
プロ時代は何か実績残したのか

10 :
全国的に注目されてる甲子園で足が吊るなんてチョット格好悪いね。

11 :
>>3
ヘディングキャッチの元祖だな
当時に珍プレー大賞があったら間違いなく宇野勝みたいにメジャーになっていただろうにw

12 :
>>9
プロ入り12年目の初ホームランは当時としては記録ではなかったか

13 :
よくそこまで現役続けられたよね。
普通は6、7年でクビ宣告でしょうに。

14 :
守備要員なら11年間ホームラン無しでもプロとしてしがみつく道はあるよ。
市橋選手が実際に守備が上手かったかどうかは知らんけど。

15 :
普通。

16 :
足が速かったんじゃないかな?

17 :
近鉄5年間でピッチャーとして登板1試合。
ハム3年間野手で出番なし。
ロッテでは3年目に1軍に出場して翌年プロ12年目で初ホームランを放って、これからという所で解雇。
捕手は半分ブルペン捕手みたいな感じで、実績無くても現役が長いヤツがいるけどね。
市橋が長きに渡って現役を続け、しかも1番実績を残した年に解雇というのはわからない。
2軍の帝王か何かでクビを切るには惜しいと思わせるモノがあったのだろうか。

18 :
上林成行
カケと粘りの新入団
二十一日、近鉄入りした上林は過去三度もドラフトで指名されながら、拒否してきて
四度目の正直。四十二年(愛知・国府高三年)に南海、大学進学で、浪人中の四十三年は
広島に指名されたが「大学へ行きたい」念願から断り、昨年の太平洋は「野球の技術面で
もっと、しっかりした手ごたえをつかんでから」と、ソデにした。
法大に入学してすぐ肩を痛めて野球がいやになり、同時に大学生活にも魅力を感じなくなった。
しかし、粘り強い彼は、社会人野球にもう一度自分をかけてみようと、二年で中退し、
四十六年にクラレ岡山入りして主戦投手に成長したが、チームは十一月末に野球部を解散した。
この日入団した太田とは顔見知りで、互いに「いい投手」とお世辞のいい合い。

19 :
市橋秀彦・投手
フォーム・・・・入団時はオーバースローの本格派だったが、2年目の秋あたりに中原コーチの指導で、サイドスローに転向した。
この中原コーチは市橋の腰の回転がサイドスローに向いていると判断し、秋の教育リーグ「阪神、阪急戦」でテストした結果、
スピードも乗っているうえに、制球力不足も解消されつつあった。

球種・・・アウトコースへ入る重い球質のストレートが決め球だった。カーブはプロ入りしてから覚えた。

・プロ入り12年目にしての初ホームラン
1982年・5月29日・ロッテー阪急前期11回戦「川崎球場」観衆5千人・試合時間・3時間11分
急100000003・4
ロ000013000・4
本塁打・・・市橋1号・・・・・この日、9番サードでスタメン出場した市橋は6回ウラ、佐藤義投手からプロ入り初となる
1号スリーランホーマーを放ったがリリーフ陣が不調で勝ちには結びつかなかった

20 :
尾西和夫投手
1976年
今治(6日)
中日2−2近鉄
中日の先発星野は、三回、平野の大きな当たりを谷沢がフェンスを気にしてとれず三塁打としたあと、阪本に中前へ合わされ1点を失ったが、直球主体のピッOで
「いつもより早い仕上がり」という。打線は近鉄の先発柳田にてこずったが、六回、二死一塁でマーチンが右翼ボール際に打ち込んだ。高く上がって意外に伸びた。彼らしい
力の一発だった。近鉄の柳田は、真ん中に投込んでマーチンに打たれたものの、変化球に威力があり「開幕戦はOK」と好調そのもの。七回から登板した新人の尾西(新日鉄堺)
は「もう一つよくない」(西本監督)そうだが、安打されながらも二度け、けん制球で刺すなど落ち着いたピッO。打線は外角球を無理に引っ張るなど若さの目立つバッティング
の中で、阪本のコースにさからわないベテランらしい巧打が光った。

21 :
岡田光雄投手
フォーム・・・・右オーバースローの本格派
球種・・・ストレート、カーブ、決め球はシュート
制球力が課題だった。デビュー当時「1969年」はカミソリ・シュートを武器に将来のエースと期待されたが二年目頃から
右ひじ痛が悪化し不本意なプロ生活だった。

1970年の資料
・昨年、九勝を挙げながらオープン戦以来、調子の出なかった岡田も、ようやく一軍復帰へのメドがついた。
ウエスタンリーグ初登板の南海戦では5回を1安打無失点に抑えたが3四球、続く阪急戦では4回で2安打、
それに5四球の3失点と制球が乱れ、不安定な投球で首脳陣のまゆをひそめさせた。球威はあるのだから制球力さえよくなれば、
岡田は立派に一軍で通用する。その日が首を長くして待たれていたが、4月下旬の西鉄戦で、やっと見通しがついた。
この試合では先発して6回を3安打、無四球に抑えたばかりか、それまで奪えなかった三振5を記録した。
「カーブのすっぽ抜けはちょいちょいやるが、一軍入りのメドはついた」中原コーチ談
「投手陣に一枚加えることができそう」三原監督談・・・首脳陣も待っていた「助っ人」に期待をかけている。


22 :
>>18-21
素晴らしい。

23 :
このスレって意外に70年代位の昔の二軍戦とか観てる人おらんのね。

24 :
そのぐらい昔のことをしっかり覚えてるなら確実に50代半ば以上だろ
そんな年代の人がどれだけ2chやってるっていうんだよ・・・

25 :
在阪球団の二軍戦といえば浜田球場での阪神戦を
親に連れられて見に行った記憶はあるが
中身は全く覚えてないね。
近鉄の二軍戦ってどこでやってたんだ?
やっぱり藤井寺?

26 :
>>19
でもこの年限りで引退したんだね。
一軍でホームランが打てて
もう思い残すことはなくなったんだろうか。

27 :
市橋のエピソード
何だか、哀しくなるね。

28 :
入団当初は結構期待されてたんだけど・・

29 :
もし大鉄が近鉄に合併されていなければ
藤井寺はバファローズの本拠地にはなってなかった。

30 :
市橋は、高3夏の甲子園での熱投がピークだったな。

31 :
フォーム改造して二軍では好投していたそうだよ。
なんで一軍に上げてもらえなかったんだろ。

32 :
上林とか有田二三男も2軍では良くても、なかなか上げてもらえなかったからな。
1軍と2軍の風通しがあまりよくなかったのかも。

33 :
有田二三男は期待外れの代表格だろうな。
甲子園での活躍があっただけに余計に
落差が大きい。

34 :
有田の甲子園って、格下相手のノーヒットノーランが目立つ程度。
選抜では完全に、対戦した江川(作新)の引き立て役だったな。
ストレート、変化球とも際立つものがなく、プロでは難しい投手に映った。

35 :
甲子園でノーノーを達成してなかったら指名されてなかったかもね。

36 :
江川世代の投手はどうしても影が薄くなったよ

37 :
73年の高校生投手は、江川を除けば甲子園出場組よりも、藤田学(南宇和→南海)、小鷹卓也(飯能→ロッテ)ら不出場組の方がドラフト前の評価は高かったな。
実際、江川世代の甲子園出場組投手の大半は、プロでは通用していない。

38 :
スカウト陣に眼力が無かったから
甲子園で名前を残したら構わず取っていこうという
スタンスだったのかな。
1966年に春夏連覇した中京商業の加藤英夫など、その典型。
威力のない変則投法で、スタミナだけはあったかも知れないが
伸びしろのない選手だった。当人としてはアマチュアで野球人生を全うしたかったかも知れない。

39 :
江川フィーバーの翌年は一転甲子園組のPが華やかになったね。
選抜で関東三羽烏の土屋・永川・工藤が揃い踏みしたのを筆頭に
夏には定岡という甲子園アイドルも誕生した。

40 :

ああっと、なんかスレチだな。<m(__)m>

41 :
>>38
それでいうと太田のコーちゃんは結構頑張った部類に入るのかな。

42 :
昔のスカウティングなんてテキトーで、実物は見ずに新聞報道だけで指名するなんてのは日常茶飯事だった。
近鉄は他にも、鈴木(育英)、橘(津久見)、仲根(日大桜丘)、久保(柳川商)、山口(智弁学園)ら、甲子園組の評判のピッチャーを好んで獲りにいく傾向が顕著だったな。

43 :
観客動員やマスコミへの露出も考えてるんだろ。
特に在阪パリーグは。
仲根なんてその最たるモノで、中日に素材で評価された鈴木孝政との差は歴然としてた。
吉田道も選抜準優勝投手という事で喜々として2位で指名したら、既にブッ壊れてた。
>>39
そんな年に、よりによってイの一番で福井だからな。
ただドラフト全体で言うと特に豊作という年ではなかった。
イの一番でおかしくないのは山口、土屋、ジャンボ古賀ぐらいだったかな。
人気面で言うと定岡もアリだったかと。

44 :
近鉄の60〜70年代のドラフトで、大成功だったと言い切れるのは71年のみ。
あとの年はビジョンも見えず、行き当たりバッタリ感満載で結果も…。

45 :
津久見の橘は一軍で使えるようになるまでに7、8年かかってる。
甲子園にエースとして2回出たという知名度(?)で評価したのかも知れんが
素材としては評価できるレベルじゃなかった。(あの「棒立ち」とも呼べる独特の投球動作)
だから79〜80年のV2期に先発で勝てるようになった時の指導者は
やっと労苦に報われたと感じたことだろうね。
>>43
福井指名は近鉄史上最大の汚点w、
プロ野球史でも屈指のイミフな指名だろうね。
契約金が高騰しそうな山口を諦めて代わりに同じ会社の無名投手を一位指名……
う〜ん、どう考えてもあり得ない。
この一件は球団だけで処理できなくなり図らずも本社が介入したという話を
どこかの書物で読んだことがある。

46 :
福井指名について
編成は当初山口高志を指名するつもりだったが、契約金が高額になるのを嫌がった本社(シブチン)の介入により球団社長が山口獲得を渋った
球団社長の顔を潰すわけにもいかず、困った編成部長が同じ会社の福井を推して、土壇場で福井指名になった
でも、最初のキャンプで福井の投げるボールを見て「どう見ても1位の器じゃない。これは失敗した」と西本御大は思った
と、生前に西本御大が言ってた(ソースは西本御大の書籍)

47 :
>>46
山口を諦めるのはいいとして、そこで何で同じ松下電器の福井にする必要があるわけ?!w
全く理解不能な思考回路だな、当時の近鉄フロントはwww

48 :
福井にしてみれば迷惑な話だな
アマチュアで野球を続け、引退後はリーマンとして定年まで、
という人生設計まで狂わされて。。。
近鉄一位指名の報に接した最初の感想は
「一位指名で光栄です」じゃなくて、
「何してくれてんねん!」じゃね?

49 :

福井保夫
投球フォーム・・・右スリークォーター「体格には恵まれていたが体の硬さが大きな欠点だった」
球種・・・外角への速球、スライダーには見るべきものがあった。他にシュート、フォーク
1975年の資料
・ドラフト「イの一番投手」福井がベンチ入りしたその日のロッテ7回戦に登板、
初めてファンの前にお見目えした。松下電器からプロ入りしたとき
「同僚の山口さんには絶対に負けたくない」と豪語した投手だが、開幕以来、
球威不足で二軍暮らし。やっと一軍に登用されはしたが、山口には大きく水を開けられている。
ロッテ戦は救援だったが、強力な打線に打ち込まれていいとこなし。
ロッテベンチから「まるでアマチュア」「へなちょこピッチャー」とヤジられていたが、
スリークォーターから投げ込む外角のストレートには威力があった。
杉浦ピッOコーチは「ウエスタンではよく投げていたが、
デビューは日頃の力が出せなかったようだ。当分はベンチで打者の
クセや先輩投手のかけひきを研究するように言っている」そうだ。
4イニング5安打2失点の福井はすまなそうな表情で
「打たれたのはコースの甘い球ばかり。これからは制球、
球威ともに磨きをかけてしっかり投げます。まだまだの感じですね」
と頭をかいてばかりだった。

50 :

有田二三男
フォーム・・・右オーバースロー
球種・・・伸びのあるストレートが武器、カーブ、シュート

・1973年ドラフト直前・有田は「どうせ入るのだったら、在京以外のセリーグのチームがいい。
満員の後楽園で王さん、長嶋さんを相手に投げてみたい気もする。
パリーグだったら絶対行きたくない。
もしプロに進むようだったら、2ストライク後の投球をじっくり研究していきたい」と語っていた。

51 :
仲根政裕
1973年
・ジャンボ仲根がしょげかえっている。オープン戦の後半は登板するたびにKOされ、
自信をなくしているのだ。3月15日のヤクルト戦「日生」で鮮やかなデビューを飾り、
20日の巨人戦「伊勢」でもクリーンアップを軽く料理した大物ルーキー。
威勢のよかったあの頃の面影はどこにもない。花々しいスタートを切っただけに
仲根は気負いすぎた面もあったようだ。「もっと力を出して投げていたらシャットアウト
も可能・・・」と目先の結果にとらわれ、登板が重なるにつれフォームがバラバラに
なってしまった。キャンプでの投げ込み不足がフォームを完全なものにしていなかった
のである。岩本監督は大物ルーキーの使い方について「オープン戦でのピッOを
みると先発はとても無理。公式戦は短いイニング、それも負け試合ということになるだろう」
という。だが、今年は2シーズン制。投手は質より量を要求される。そうなると弱点を克服
したジャンボにも出番は回ってくるはずだ。まれにみる逸材だけに何かのきっかけがあれば
思ってもみない立ち直りが期待できそうである。

52 :
福井といえば西本政権最終年の81年の後期に急に出番が増えて時々好投してた
この年は鈴木・井本の2本柱が揃いも揃って絶不調で投壊。
柳田と若手の久保の2人が先発・中継ぎ・抑えの大車輪だったがさすがにこれではもたないので
福井にお鉢が回ってきたという塩梅。
この他には先に名前が出てた橘も便利屋扱いされてたよ。
とにかく81年シーズンで目茶苦茶な投手起用してたのは近鉄と大洋だった。

53 :
もちろん、福井が柳田や久保の代役を勤められたというわけではなくて
ちょこちょことリリーフで投げてた、というだけですよ。

54 :
有田(北陽)にノーヒットノーランに封じられた高鍋・平田主将の談話
「6回頃から、これはやられるのではと、皆焦り始めた。有田君の球は速いとは思ったが、普段なら打てない球じゃないのに…。」
その翌日、有田に全員毎回の15安打を浴びせて快勝した今治西・田鍋主将の談話
「有田君がノーヒットノーラン投手のプライドで、力んで投げ込んでくる外角直球に絞って成功した。
彼を打ち込んだ自信は大きいですね。」

55 :
橘って引退後何してんの?

56 :
ノーヒットノーランや完全試合を達成した次の試合は打たれるというジンクスは
かなりあるね。
有田がそうだし、鉾田一の戸田、前橋の松本もそう。
例外が選手権決勝で達成した松坂だが、彼は例外中の例外だな。

57 :
>>44
71年の近鉄は最悪の12番クジだったが、佐々木恭、梨田、橘、羽田、平野と、後の黄金時代の礎を築く素晴らしいドラフトになったな。
7位指名の池谷公二郎を獲れてれば完璧だった。
ただ、このスレ的には、太田以外には神部、西村、石山、佐藤竹の69年あたりが渋めでgoodなのかなw

58 :
>>57
他球団でもこれだけの選手を一度に補強できる年なんてそうそうない。
近鉄は71年だけで運を使い果たしてしまったともいえるね。

59 :
>運を使い果たした・・
86年に阿波野、89年に野茂を引き当てたことを忘れてないか?

60 :
>>48
もしプロでやっていく自信がないとか、会社に残りたいという思いがあれば
指名を拒否すればいいだけじゃん。
福井が球団社長に義理立てする筋合いないし・・・・
ってのは門外漢だから言ってられるのかなw
社会人だから金銭面での見通しも立てられてるのでまさか契約金や年俸につられたわけでもあるまい。
やっぱりプロに一位指名されることで野球人として意気に感じるところがあったのかなと思う。

61 :
福井は当然、ここぞとばかりやる気満々だわな。
しかし、哀しいかな実力は全く伴ってなかった。
ただ、それだけのこと。

62 :
おっさんばかりで全然ついていけん orz

63 :
同じ1位でも予備抽選10番目位なら隠し玉とか秘密兵器と言い張れたのにな。
貧乏球団がイの一番を引いて、とんだ赤っ恥だ。
まだ村田辰美を1位に繰り上げた方が良かった。
そもそも他に福井を1位で考えてた球団があったのだろうか。

64 :
>>63
1位どころか、どこも指名自体考えてないだろうw
この年は高校生投手四天王なんかも評判だっただけに、近鉄得意の有名高校生狩りに切り替えれば済んだろうに。

65 :
>>63
うん、村田辰美なら1位でもおかしくなかった。
福井は西本監督から関口監督に代わって以降出番ゼロ。
その後広島にトレードに出されてる。
見切りをつけるタイミングが何度かあったんだけど
何だかんだいって10年もプロ選手を続けたことになる。

66 :
石本(80年滝川)、金村(81年報徳)、加藤(82年宮崎日大)、小野(83年創価)、桧山(85年東筑)・・・
80年代の高卒D1は桧山以外まずまず活躍したんじゃない?

67 :
チーム自体が弱小球団から脱皮し、充実期を迎えたのが大きいわな。
若手が競争の中で育つ土壌が出来上がった。

68 :
加藤も例の爆弾発言がなかったら今頃記憶の彼方に消えていただろうに。

69 :
金村は優勝投手だが小野や桧山は甲子園では勝ってないし
加藤に至っては甲子園にさえ出られてないのに指名したんだね。

70 :
>>65
一位指名を受けて勇んでプロの世界に飛び込んだのだからクビを
宣告されない限り自分から進んで辞めようとは思わないだろう。

71 :
松下電器にいたら野球は続けられなくてもサラリーマンは続けられたであろうに。

72 :
>>69
小野と桧山を一緒に並べたらいかんよ。
モノが違う。

73 :
小野は江夏二世と言われていたが、全然似てないね

74 :
小野和義
江夏に似てるかどうかはともかく、打者の手元で伸びるストレートは確かに高校生離れしてた。
実は甲子園で実物を見てたんだが、一球一球投げるたびにスタンドがどよめいていた。
この年は水野、香田、仲田、桑田など後年プロで活躍する投手が多く登場したが
スカウト連の間では小野の評価が一番だったと聞いている。

75 :
>>73
高校時代のピッOフォームは、上げた右足を一旦一塁方向にピンと伸ばして間を取った後、ホーム方向に踏み出すところなんて、ちょっと江夏に似てるけどな。

76 :
小野は実績から見ても近鉄のマイナー選手じゃない(立派なメジャー選手)だと思うが
世間的な知名度では水野や桑田よりもずっと低くなってしまったね。
もし小野が在京セリーグに進んでいればまた違った野球人生になってただろうにね。

77 :
そういえば香田も近鉄に在籍していたんだなあ・・・

78 :
元巨人だと石毛もだね。
彼は最後が阪神だったから間の近鉄が意外と忘れられてるかも

79 :
三澤なんて結構近鉄のイメージが強かったりするけどね。
巨人はともかくヤクルトと中日では空気だった。

80 :
定岡は近鉄への放出を示唆されて先手を打つ意味で引退した。
今は何してんだろ?

81 :
>>80
TBSラジオ解説者

82 :
>>80
トレード拒否したら普通は引退するしかなくなるからな

83 :
佐伯、市橋が顔見せ
広島1−1近鉄 (九回引分け) 日生第一
高校ビッグ3のルーキー佐伯(広陵高)や市橋(九州工)らが顔見せした。試合は広島は四回、山本一の本塁打で1点をとっただけ、一
回、三村を一塁において今津が送りバントに失敗、四回山本一のあと、中前打の衣笠が二盗に失敗するなど歯車のかみ合わない攻撃を重ねた。
近鉄も土井一人がたより。しかし近鉄の新人市橋が速球、シュートに威力をみせ、大きな期待を持たせた。

84 :
期待はやがて失望に変わる・・・・・・

85 :
尾西和夫投手
近鉄対広島 オープン戦
近鉄の島本がいい感じで打っている。第一試合に二本塁打。
四回に外木場のシュートを右中間に。
八回は金城のカーブを右翼へ打ち込んだ。
球を捕らえるポイントと振りの鋭さが目についた。
第二試合は近鉄が尾西(中津工高)。
広島が北別府(都城農高)小林(広島工高)の新人投手を起用した。
尾西はシュートが鋭い。北別府は得意の速球をあまり投げなかったが、
大きなカーブがよく小林は制球の良さが見られた。


86 :
期待するのもいいけどしっかり育成してくれよといいたくなる
ろくに教えもしないで投げさせて打たれたらダメ、じゃ何人獲っても戦力にならん。
「プロだから技術は盗むものだ」とコーチが言うのは詭弁。

87 :
ハーマン・リベラ
一年限定のマイナー外国人

88 :
89年の4番で優勝メンバーじゃないか。近鉄ファン的には全然マイナーじゃないぞ・・・

89 :
>>87その前にいたドットソン(だったかな)の方がマイナーだな。

90 :
テリーリーの方がマイナーだよね

91 :
>>89
いやいやRやってない方のデービスだろやっぱ、片方が東尾パンチと
Rと強烈だったから

92 :
身辺調査とかやらないのかな
そういえば球審にブチ切れてボールを投げつけた巨人の投手もいたっけ
“不良外国人”対策にはどこも手を焼いていたってことか

93 :
>>91
アルビン・デービスだっけ?

94 :
>>76
小野は全盛時が80年中盤から90年前半ぐらいまでと、
阿波野・野茂っていう近鉄どころか球界のエースだった投手と被ったのがマイナーイメージになるんだろうね。
逆に山崎真太郎なんか小野より通算成績はるかに悪いのに、
野茂が怪我で抜けた94年とメジャー行った95年の2年間、エース扱いだったから小野より知名度高いと思う。

95 :
谷宏明って投手いたね。結構期待したけど。

96 :
谷真一のほうがすごかった

97 :
フリント
フリント
古池

98 :
>>94
仰木さんがこれまた新しいもの好きだから
地味でも着実に数字を残してる小野よりも鳴物入りで入った阿波野・野茂の方を
重用することで余計に印象を薄くしたのだと思う。

99 :
>>45
でも、橘のあの棒立ちフォームも味があって良かったよ。
いかにも近鉄らしくて、さ。
在阪チームでも阪急や阪神じゃ合わないよ(南海なら合うかも?)
また見てみたいものだ。

100 :
谷宏明といえばパンチパーマを思い出す。
つうかあのころは梨田とか平野とか羽田とか主力選手はみんなパンチだった。
梨田のパンチパーマは似合ってなかった。
一方、二軍選手はパーマかける金がないからスポーツ刈りだったんかな。
主力ではただ一人、草魂だけが丸刈り?にしてたか。
当時からこの人は群れることを潔しとしないタイプだったんだな。
男は外見より中身みたいなことを当時からコメントで言っていたようだし。

101 :
鈴木が言ったの?
中身っていうけどあれだけ自己中じゃあ誰も付いて来ん。
監督引き受けて身を以てそれを証明したじゃないか。

102 :
鳥坂九十九

103 :
元プロ野球選手の福井保夫氏が奈良県安堵町の町議会議員に当選と言う記事を以前新聞地方版でみたんだけど元野球選手で福井保夫と言うとここに出ている福井だよね。
プロに入ったためサラリーマンで定年までは無くなったが、町議辺りだと元プロ野球選手の肩書きは効くのかもしれん。

104 :
>>103
http://www.town.ando.nara.jp/contents_detail.php?frmId=78
本当だ、町議会議員になってる。
wikiでは、安堵町に住んでいるとの記述がある。
全然知らなかったわ。
でも、元阪急・中日の岩本なんかは今、町長やってるから、
上には上がいるってもんだ。

105 :
>>45
当時の指導者は野口二郎さんですね。

106 :
へぇ。町会議員か。
何があって政治の世界に飛び込もうとしたんだろうね。

107 :
球界と政界は意外に距離が近いんだよ。
バッジ付けてる(付けてた)元選手って思いつくだけでも簡単に5人は出てくる。。。
福井がそれに加わっただけ。

108 :
>>101
野球の鈴木(草)とサッカーの釜本、
このふたりは“名選手すなわち名監督にはあらず”の典型だよね

109 :
>>101
ジコチューというか、唯我独尊なんだよな。全てが。
プロ野球といっても一応チームという組織なんだし、指導者としてはどこかで折り合いをつけないといけないこともあるのに
それをしようとしない。選手が反発するのも当然か。有名なのは野茂がバックれた件だが、似たようなことはきっとこの時代に
ちょこちょこあったんだろうなあ。
鈴木の晩年にヤクルトから同姓の投手(康二朗)が入団したが、あまりのワンマンぶりに驚愕したらしい。
ヤクルトにはそんな選手がいなかったから。
で、問題になるのが落合(元中日監督)なんだが、あの人こそ唯我独尊の見本みたいなんだけど
監督としての実績は鈴木と天地ほどの差がついたよね。
何が違ったんだろう・・

110 :
参議院議員になった元近鉄の選手も居るからね。
最もマイナー選手ではないのでこのスレではズレるが…。

111 :
拝啓さんのことかw

112 :
>>109
落合が野茂みたいな部下を持ったらどうなってたか分からんよ。
落合時代の中日の選手っておとなしい人ばかりだったし。

113 :
恵まれない時代のパとはいえ入団時から球界エリートとして生きてきた鈴木と
プロに入ってから孤高の人として実績を築き上げた落合って、似て非なるものって気がするけどな。
草魂といっても、あくまで近鉄の選手として人気のセ(の同等の投手)に対するものでしょ。
鈴木自身の立場は決して雑草じゃなかったと思う。もちろん共通項はあるにせよ、
お山の大将と一匹狼の違いというか。野茂も騒がれてプロ入りしたとはいえ、
根底には落合に近いはみだし者の要素はあったから。それで単純に気が合うかどうかはわからない
(近親憎悪ってこともあるし)けど、鈴木と野茂のような険悪な関係になったかどうかもわからないね。
落合ってああ見えてけっこう人間臭い面もあるし、フロントやコミッショナーには頑なでも
選手に対しては情も見せて独特な人身掌握術の持ち主だったから。稲尾さんには一途だったしね。

114 :
野茂と草もトレーニングの方針で本格的にもめるまでは良好だっただろ。
1年目は草の方に遠慮もあり(最多勝のアシストまでしていた)野茂も気を使われていたから、そこまで仲が悪くなかった。
ただ、あまりの四球の多さから走り込み・投げ込み不足と判断されて、2年目のキャンプにそれを強要したこと、
それに従わなかったことで決定的に仲違いすることになった。
草が我慢して野茂の好きにさせるか、野茂が草の指示に従うかをすれば問題なく行っていたと思う。
そういう意味では、落合でも一緒だと思うけどね。
落合も野茂も草も、自分の考えを引かないであろう点において。 
落合が制球力不足で四球連発しても結果的に押さえれば文句無いだろうっていうタイプにも見えないし。
草以上に気を遣う(タイトルのアシストとかね)タイプにも見えない。

115 :
落合はタイトルのアシストにはかなり気を使うぞ?何言ってるの
取れそうならむしろ積極的にアシストしてる(特に投手タイトル)

116 :
佐藤文あたりはマイナーになるのかな?
短い期間だけどクローザーでセーブを稼いでた時期があったので微妙かな。
後に阪神に移って「同姓同名=漢字も同じの選手が2人在籍」と
話題になりましたけどw

117 :
佐藤といえば外野手の純一も

118 :
審判になった人か

119 :
あ、審判になった佐藤純一ねえ、いたね〜。

120 :
10・19で鈴木のライト前ヒットで走塁死した佐藤?

121 :
佐藤といえば住友との交換で阪神から来た佐藤秀もいたね。
89年の日シリでいい仕事してた左の中継ぎ役。
ABCアナウンサーで猛牛ファンでも有名だったアベロク氏によれば
とても寡黙な人だったらしい。そういえば現役時代はグラウンド外でのこれといった
エピソードを聞かなかった。引退後若くして急逝したとのこと。
合掌。

122 :
元近鉄で審判になったと言えば佐藤の他に良川や山村も居るね。
山村は息子もNPB審判になった様だが。

123 :
山村は西本監督の最後の年にちょこっとだけ出て来て次世代のエースかと思わせたが
伸び悩んだまま終わってしまった…

124 :
>>121
そうか。秀さん、亡くなってたのか・・・。
シリーズの第2戦。藤井寺の中継。
阿部さん、絶叫してたもんな。
「オレは阪神時代の佐藤ではないんだー!!みたかー!巨人!!」と。
悲しいです。

125 :
80年に林 って内野手いたな。
日本シリーズ第7戦で代打に出てきて見送り三振だった。
審判の判定に不満だったようで、TVに審判に文句を言っているかまたはそんな目を
してた。

126 :
>>124
いいなあ。その絶叫、いや実況。
近頃はこんな個性的な語りのアナウンサーもいなくなってしまった。
佐藤と住友のトレードは、ともに新天地でポジションを確保して活躍できたので
成功したといえるでしょうね。

127 :
良川は関口監督のときに重用された中継ぎ投手
西武時代にはなかなか一軍に上がれなくて、
近鉄でやっと花開いたと記事に書かれていた
苦労人の印象

128 :
佐藤秀明はバックがエラーした時でも顔色一つ変えず淡々と投げてた。
感情をもろに出して野手を凍りつけさせてたクサ魂とはえらい違い。

129 :
>>127
浪商ではなく淀商出身というのがまた…w

130 :
当時の淀商は力をつけ、大阪では公立のダークホース校だったな。
良川は、77年春の府大会でノーノーを記録し、夏の大会でも注目の好投手。
球速はさほどなかったが、三種類のキレのいいカーブを武器にしていた。

131 :
>>128
佐藤はワンポイント、草は先発完投型だから
野手の凡プレーに対するリアクションに違いが出るのは致し方ないかな

132 :
法政大 → バファローズ 真木将樹
1年目にライオンズから勝利したりして、一部のマスコミから「川上(ドラゴンズ)のライバル」と
書かれた逸材だった。順調に育っていれば左の投手の中心になれた・・・・・・・・・かも。

133 :
真木は、今は会社経営してるんだよね。
こんなブログがあった。元野球選手の取材なんかもしてて
第2の人生歩んでるみたいだ。
http://ameblo.jp/moto-pro/

134 :
良川は選手時代よりも審判になってからの方が名を遺してるね。
特にホークスには因縁があるみたいでw

135 :
ご乱審

136 :
>>127
>>西武時代にはなかなか一軍に上がれなくて、
>>近鉄でやっと花開いたと記事に書かれていた
>>苦労人の印象

二軍で長い間燻ぶっていたといえば
橘や谷宏明もそんな感じじゃなかったっけ?
すぐ結果を求められる昨今は2年で数字残せなきゃ速効クビだけど
昔は長期育成のスタンスも持っていたんだね。

137 :
育成というと聞こえがいいけど
その実は入団させてそのあとは放置プレーじゃないの
留学させるとか二軍で経験積ませるとかそんなことをやった
形跡もなし

138 :
柳田

139 :
>>133
真木はフォーム改造に失敗した典型例だったね。
自ら改造したのか、指導者の指示で改造したのか、よく知らないのだが、
目に見えて球速が落ち、かといって制球力がついたわけでもなかった。実にもったいない。

140 :
兼光は打者でプロに入団したが投手のほうが向いていたような気がする。

141 :
兼光は、プロで投手は無理。
あのピッOフォームで肩肘パンクしない方がおかしい……ってか、すでにやっちゃってたからな。

142 :
兼光が中学生の時は凄かった。高校生の時はサイドスローに近く
なっていたが肩を痛めていたのですか。

143 :
誰かファームのエース、上林の球種とフォーム教えてくれや

144 :
>>142
兼光は元々肩痛持ちだったが、74年秋の中国大会あたりから悪化。
翌75年のセンバツでは完全に騙し騙しの状態で、なおかつ風邪をひいてしまい、あの伝説の開幕戦、倉敷工16-15中京を演出!?してしまった。
次の東海大相模戦での好投は、もう意地だけだったな。

145 :
近鉄では、兼光らの75年ドラフト組と66年組が、大凶作の双璧w

146 :
兼光が中学生の投手で全国1と言われていたので
吉永中の試合を岡山まで見に行った。

147 :
倉敷工に居郷、兼光、塚岡。
岡山東商に土居、寒川、原。
この時代の岡山2強には、毎年いいPが育ったな。
近鉄の倉敷工出身者と言えば、兼光以外には秋山重雄とか中藤義雄あたりかな。
何れも野手だな。

148 :
65年前後にも星野、松岡、平松、森安と好投手が続出した。
岡山には特殊事情があるのかな。

149 :
倉敷工の武、藤井、松島
岡山県大会で15打数11安打だった選手、
岡山東商の四番の住吉?とかゆう選手、
岡山南の小野について教えてください。

150 :
他でやれや
近鉄スレじゃ

151 :
ここは近鉄のスレじゃ
同時代も同県も同校も無い
と言ったら懐かしいか?

152 :
>>139
改造というほど大きく変わったわけではないが
池上、小山といった高卒組が細かくフォームを弄られてたが
ことごとく失敗した。
小山なんか高校時代は躍動感あふれるフォームで
大きく伸びると思ったんだけどな。

153 :
あの頃の投手コーチは誰だったかな

154 :
権藤博

155 :
池上ってその後、横浜に行ったけど
その時も権藤さんがいたんだよな。
で、肩の故障を隠して投げてたらしい。権藤さんの顔に泥を塗る訳にはいかなかったそうだ・・・

156 :
で、上林は誰も分からんのか?

157 :
阿部成宏
知ってる人は少数だろう。

158 :
逆転サヨナラ満塁HR打ってなかったっけ?

159 :
>>157
「阿部成行」としての方が馴染み深いな。
64年夏の甲子園では優勝校の高知を、その投打で苦しめて注目された。

160 :
>>152
小山は球筋が素直で軽いとの評価であった。
これを克服するために、どんなフォームに変えたんだろうね。
全く記憶にないんだなあ。

161 :
>>158
それ、柳原じゃない?

162 :
>>161
満塁HRか、サヨナラHRか、どっちかはやってたはず

163 :
近鉄1の強打者土井も別当が監督にならなければ
ここに書かれるところだった。

164 :
松久保

165 :
渡辺麿史
名前の読み方が分からんかった。
「まろし」?
夏の甲子園で2勝もしてるとは知らなかった。

166 :
「まれふみ」な。
甲子園初出場での快進撃だったが、優勝した広島商にツーランスクイズ決められて敗退。

167 :
>>165
まろしワロタw
しかし読み難い名前の奴って昔からいたんだね。

168 :
>>165
日田林工甲子園デビューの立役者だな

169 :
コテコテの浪花球団の近鉄だけに、当然かつては西日本中心の選手補強だったが、何故か横浜高校の選手だけは何度かドラフト指名してて意外だった。
飯田幸夫
佐野勝稔
佐野クリスト

170 :
>>167
時代が全然違うが、日大三高から入った桑認という野手がいた。
この人も一見、何て読むのか戸惑った。

171 :
>>169
あと横浜じゃないけど吉田道。
これも普通じゃない名前だな。

172 :
で、上林リアルタイムで観た事ある人おらんのか?

173 :
吉田道も福井保夫と同様に近鉄ドラフト史に輝く失敗例じゃないかな。
本人に罪はないけど、もっと別の選手に補強費を使っていれば・・・
と思わずにはいられない。
故障持ちだったのに指名された本人の気持ちはどうだったんだろ。

174 :
スポーツ新聞の甲子園出場校一覧、日大三高の主な卒業生の欄に
野林大樹(元近鉄)
桑認(元近鉄)
って書いてあるかと期待したが書いてなかった。

175 :
新人獲得はバクチみたいなものだと
元職のスカウトが言っていたくらいだからねこのチームは。

176 :
そのいい加減さが近鉄なんだ、とも言えるが…
しかし野林っていつ見ても野放しかよ!って思ってしまう。

177 :
>>175
その割には、近鉄はドラフトでのミーハー指名が目立ったよなw
まぁそれだけ、編成ポリシーのない球団だったんだろうな。

178 :
だから上林成行観た事ある奴はおらんのか?

179 :
>>177
不人気球団が、実力や将来性或いはチーム事情よりもミーハー人気を最優先して指名するのは
正しい戦略とまでは言えないが間違った戦略じゃない。
80年代ヤクルトなんかもその辺(ミーハー人気最優先)は徹底していた。

180 :
在阪パリーグという、人気面で厳しい状況だったからな。
特に太田幸司の場合は観客動員やマスコミの扱いだけでなく、巨人がオープン戦を組んでくれるという波及効果があったから。
人気、実力共に劣る近鉄とは何処もオープン戦を組みたがらず、似た状況の広島とばかりやってた。
太田の入団で、やっと他球団並に扱ってもらえる様になったという有様だった。

181 :
在阪パリーグという、人気面で厳しい状況だったからな。
特に太田幸司の場合は観客動員やマスコミの扱いだけでなく、巨人がオープン戦を組んでくれるという波及効果があったから。
人気、実力共に劣る近鉄とは何処もオープン戦を組みたがらず、似た状況の広島とばかりやってた。
太田の入団で、やっと他球団並に扱ってもらえる様になったという有様だった。

182 :
>>172
上林は速球投手で年をとってからの入団ですでに衰えていた
印象があったが、24才で入団なので力不足ということですか?
>>173
山口を指名しなかった時は驚いた。

183 :
>>182
上林は、進学希望、所属会社への恩返し等の事情でプロ入りが遅れ、結局4回目のドラフト指名で入団。
結果論で言えば、高校時代の1回目の指名で入ってれば…と悔やまれる素材だったな。

184 :
皆さんありがとう
上林のフォーム、球種知ってる人居ます

185 :
上林のフォーム球種知ってる方には金一封差し上げます

186 :
>>185
おい! 瀬戸和則の時の金一封、未受領だぞ!

187 :
>>175
本社もそれには気づいていたから、この先活躍するかどうかわからん若造にバカ高い契約金を払うことを嫌がり、
スカウト陣には極力契約金を値切るよう指示していたという噂があったw
考え方としては間違いじゃないと思うが、選手にケチと思われたらソッポ向かれるのは当たり前だ罠ww

188 :
先行投資と思えばいいんじゃないかな。
まあ鉄道業にとって球団経営が何ら収益上プラスになってないことは
すでに70年代には明らかになっていたのだが

189 :
サード三宅

190 :
>>188
それじゃあ投資の意味ないじゃんw

191 :
>>173
別の球団で、「自分はケガしてるからプロではやっていけない」と固辞してるのに
スカウトから「入団してから治せばよい」と甘言を弄され、信じて入団したところ放置プレーに遭い
人生を狂わされた甲子園優勝投手もいる。

192 :
中村良って外野手いたな。天理かどっか高校出で甲子園に出場し左投右打ちの長距離砲って期待されてたけど、
伸びなかった。当時右の大砲不足だった広島も狙ってたか指名候補に挙がってたらしい。

193 :
>>192
中村良二氏は現在、天理大野球部監督。

194 :
巨人の小山を育てたりしてるな。
阪神でも結構オープン戦に出てたが平塚、八木とのファースト争いに敗れてしまった。
松久保、中村良二、中濱、吉川、万年2軍の帝王。

195 :
中浜は外野手の層が薄いチームに入れていればもっと違ったプロ野球人生があったかもしれないな
近鉄、巨人ともに外野手の層が厚すぎた

196 :
市原圭もマイナーだな。少し活躍したけど。
その前の2球団でもマイナー選手だった。
親父の縁で採用されたみたいだけどな。

197 :
>>190
スペイン村よりは良いんじゃないかな。
社名を知らしめる媒体としては球団は今なお効果的。
まあ北海道や九州に知らしめる意味があるとは思えんけどね。
スペイン村じゃ見向きもされんでしょ。
TDLやUSJに勝てますか?

198 :
民鉄協の会合で、近鉄阪急南海の三社は「あれ(球団)は大丈夫ですか?」と
球団を持たない会社から挨拶されるのが恒例になっていたそうだ。

199 :
河西さんがチーフスカウトに就任したのはいつからだっけ?

200 :
最初の年だけ活躍して後の年はサッパリだった
香川正人

201 :
親父も野球選手だったような。

202 :
活躍といっても5勝しただけだし>香川

203 :
>>198
こういう挨拶をしてたのって、おそらく京阪か山陽だろうな。

204 :
運賃値上げ申請の時に球団経営のことをネチネチと運輸省の役人に言われてたというのは
本当らしい。
値上げする前に足元を整理する必要があるでしょ、という意味なんだな。

205 :
佐藤純一
山村達也
良川昌美
柳田昌夫

206 :
1992年に来たほうのデービス

207 :
本社の屋台骨を揺るがすぐらいの赤字だったんかね?

208 :
少なくとも90年代までは揺るがしてなかった。
本業が伸びなくなってきてから球団がお荷物視され始めたのでは・・・

209 :
>>173
故障を癒して戦線復帰させれば力を発揮できる素材だと
見込んでの指名だったのでは?

210 :
故障の程度による罠

211 :
>>208
大阪ドーム(藤井寺は自前)、年俸高騰、逆指名(含裏金)、
これらが複合的に重なって80年代年10億ぐらいだった赤字が2000年代には40億まで膨れ上がった。

212 :
40億はデカいねえ

213 :
年俸云々はまだしも、大阪ドーム借りたらそうなる事くらい見積もれないのかね。
近鉄って新しく始めた商売殆ど失敗してるだろ。
根本的な商才が欠如してたとしか思えん。

214 :
>>213
東京ドームバブルに沸いた日ハムを見ながら計画したからね。

215 :
>>212
年40億を借金の返済に回すと考えたら15年の長期融資で500億以上借りられる。
ハルカス阿倍野の一部になったな…バファローズを売ったことで浮いた経費。

216 :
広島から半年だけきた捕手の吉本。
トレードの相手だった入来とまたトレードで戻っていった。

217 :
ハルカスだってどうなるか分からんよね〜
アベノにあんなの造っても流行らないでしょうに。

218 :
ハコモノ作ったら資産になりますから。
そこが球団との大きな違い

219 :
でも半分もテナント埋まらないでしょ。
お荷物になるよ。ハルカスのために阿倍野に行きたいと思わないもん。

220 :
日本鉱業日立から入団して、西武にトレードされて南海で終焉を迎えた
左腕高木はこのスレに合いますよね。
西武(正確には当時はクラウンライター)への移籍はシーズンイン直前の慌ただしい時期に決まった。
二軍では不動のエースなのに一軍ではよく打たれるという典型的な内弁慶タイプの投手だった。

221 :
南海時代には二軍でシーズン12勝したこともあったんだな。
当時の南海といえば投手の台所事情が苦しかったはずだから
二軍でそれだけ勝てたなら一軍に上げてやってもいいのに
それほど投げてないんだね。監督はブレイザーだったかな。

222 :
>>221
記録を調べたらファーム最多勝は81年。
この年南海は前期5位・後期最下位だったが
投手陣は、三山内と言われた新一・孝徳・和宏、藤田学、上田、森口、水谷、金城。
金城は病気で出遅れ、森口は不調だったが他はどうにかこうにか一シーズンやりくりできるくらいの
頭数は揃っていた。低迷の原因は貧弱打線にあったと思う。

223 :
高木は打撃投手として入団した阪神で左投手不足という事でオープン戦で投げてた。
黄色のチームカラーの阪神で南海時代から着けてた緑のグラブが合わず、変な感じだった。

224 :
高木は引退後阪神でバッピやってたのか。
知らなかった・・在阪球団に縁の深い選手だったんだね。

225 :
>>219
アベノから出てる近鉄の線路は元々は近鉄本社でなくて大鉄というライバル社の線で、
アベノはそのライバル社の牙城だから、熱の入れようが今一つ・・
実は球団も本拠地の藤井寺が大鉄沿線だから赤字が嵩んだときにもっと早く売却しても
おかしくなかったともいわれてる。2001年の劇的リーグVがわずかに延命効果を発揮したくらいで。

226 :
> 大鉄というライバル社の線…
もう合併してから半世紀以上、優に超えてますが。
まだそんな蟠りがあるんですかね。
私はもうないと思いますけど。

227 :
>>204
松下電器の山口を獲得する時に争った阪急と近鉄がそのようなコトを言われたんだって。
今このタイミングで値上げすると契約金や年俸がのために値上げしたと思われますよ、
みたいな。

228 :
そりゃイチャモンのレベルだな。
役人の考えることってその程度なのかい。
山口にもとっても迷惑千万な話だな。

229 :
阪急も西京極にホームを移転してたらもうすこし人気でたんじゃないかって
いわれるけど京都線は京阪から買い取った線だから無理だったのかも。

230 :
西宮は大阪と神戸の真ん中にあって両地区からのファンを動員できるけど
西京極じゃ京都市からしか動員できないと思うので現実的じゃないね。
でも別リーグとはいえ、人気球団である阪神との違いを際立たせるためには
京都をフランチャイズにすることは経営的にはアリだったかもね。

231 :
続きは阪急スレで・・・

232 :
>>227
当時の国鉄のハチャメチャな運賃設定と比べると
大手私鉄の値上げなんかカワイイものだよ。
なんで運輸省?はそんなに阻止したかったのかな

233 :
近鉄スレで山口の名前が連呼されてるから
智弁から来た哲治の話か思ったら
阪急に行った高志の方なのね。

234 :
山口哲治は一応タイトル獲得者だけど
メジャーかマイナーかのボーダーライン上にいる選手と見ていい?

235 :
辛うじてメジャーw

236 :
山口は最初だけ華々しくてあとはどんどん落ちていくパターンだったね。
大事な所でストレートがシュート回転して痛打されるシーンが
年を追うごとに増えていき、それに反比例して出番が減っていった。
コーチに指導してもらえなかったのかな

237 :
高卒2年目で他球団にほとんど研究されてなかったから、
ポッと出でも抑えられたのではないかと言われていた。
まぐれとは言わないけど、防御率1位のタイトルは実力以上の評価を彼に背負わせることになってしまった。
プレーオフでは大活躍だったが、日シリでは広島に打たれたのが
何よりの証左。

238 :
プレーオフの相手は阪急

239 :
>コーチに指導してもらえなかったのかな
それはない。

240 :
ガキの頃藤井寺へウエスタン見に行ってた時、上宮出身の岡田耕司が
よくホームラン打ってた。

241 :
岡田選手
中日にトレードされた後もぱっとしなかったね

242 :
今中日でスタッフしてる善村一仁(天理→愛工大)も、近鉄から中日に掛けては中々一軍に上がれなかったな。
対照的に中日から来た益田大介(瀧川二高)は、龍・牛の一軍でもそこそこ活躍したけど、球団合併の時に分配で楽天に出されちゃったな。

243 :
>>237
山口哲といえば一目みたら忘れられない髪型が懐かしい。
投球動作もどことなくぎこちなさが残る(要するに洗練されてない)感じで
長くは活躍できないだろうなーと思ったものだ。

244 :
フォーム変えたら大抵ダメになるらしいから
変えなくて良かったんじゃない?

245 :
変えても変えなくても同じだったかもね

246 :
活躍期間は短かったがタイトル取れただけでも凄いと思うよ。

247 :
山口哲治は活躍してテングになり、「近鉄は俺がしょってたってる」と思っていた。
態度も横柄になり、球場の食堂で「うどんはよ持って来い!」って怒鳴ったりしていたらしい。
しかし、今となってはそれを反省し、「若い選手には自分のような失敗はしないように教育している」とのこと。
ソースは佐野正幸氏の本。
テングになってなければ長く活躍できたかも。1つ先輩の久保は途中阪神に移籍したが大阪ドーム時代まで活躍したのだし。

248 :
当時の投手陣には草魂という良くも悪くも分かりやすいテングの見本みたいな選手が蜷局を巻いていた。
草魂の処遇は西本監督は投手コーチ一任だったみたいだし当時のコーチ(誰?)は口が出せず。
それを見て山口哲治も「俺もタイトル取ったしこれくらいは・・」と思ったことは想像に難くない。

249 :2012/10/28
防御率一位になってチームのリーグ優勝に貢献して、、、
といっても一年草なんだけどね。
それでも天狗になれるものなのか。
阪神みたいにマスコミがチヤホヤする空気があれば
勘違いするのも分からなくもないが、いかんせん近鉄でしょ。
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