2012年09月戦国時代41: 【三法師】清洲会議を語る【天正十年】 (702) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【三法師】清洲会議を語る【天正十年】


1 :2007/10/17 〜 最終レス :2012/10/27
参加者に滝川一益がいないとか、格がない池田恒興が参加してるとか、
丹羽長秀は何故秀吉を支持したとか、三法師擁立は誰の策とか、
賤ヶ岳の戦いの前哨戦とか色々な要素がありますが、多面的に語りましょう。

■関連スレ
【義理人情】柴田勝家【現代で酷評】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157097383/
  丹羽長秀  
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164615623/
池田氏について語るスレ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1159083125/
織田信雄を語る
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【報いを待てや】織田信孝【羽柴筑前】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180257020/
賤ヶ岳の戦いを分析する
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152985790/

2 :
信雄や信孝の参加が許されなかった?って時点で、どうもアレなような。。。

3 :
丹羽長秀の馬鹿さ加減が際立つ会議

4 :
>>3
長秀は後に悔いて自害してるなw

5 :
まあ病死説もあるけどな。秀吉の策略がプンプンする会議なのは確か。

6 :
>>3
窓際だったのに宿老として参加できてヒャッホイじゃねえの?

7 :
>>6
窓際どころか、本能寺直前の時点では実務官僚として前途悠々だったぞ>丹羽
織田家内で既に武将の時代は過ぎ去り始めていた。秀吉も勝家も(勿論光秀も)中国と関東の
目処が付いた時点で暫時権力兵力を削がれていくことになっただろう。巨大な領土と兵力を持つ者は
織田家にとって脅威にこそなれ、もはや必要がなくなるからだ。
織田の天下がある程度確定すれば、権力を持つのは側近官僚のグループと、丹羽の様に築城や
城下町の整備など、平和な時代のインフラを構築できる能力を持った者たちですよ。

8 :
しかし、>>1にも書かれているが池田の参加をよく柴田が認めたな。
織田一族の、信雄・信孝・信包・長益は蚊帳の外だし。

9 :
お前らバカか
丹羽が後に秀吉恨んで死んだってのは完全に後世の創作だぞ

10 :
ソース出して言えよ

11 :
>>10
それは話が逆でしょう
逆に一次史料にあるという証拠が出せたら間違いだと言えるけど
貴方の言ってるのは悪魔の証明だよ


12 :
そもそも勝家が織田家を守るためにうんぬんというところから大嘘
信孝かついで、足利幕府でいう管領的立場を狙ったのは明白だろww 勝家にも己の保身と野望が無いといえば嘘になるだろうしな
そもそも担いだのが信孝というのが… 信孝でいいなら信雄でもいいという話になって争いの火種が増えるだけ、信孝が信雄に比べて能力が高いというわけでもない
信忠死んだ時点で織田家オワタ

13 :
長秀切腹のソースは「藩翰譜」(江戸中期)、「名将言行録」(江戸末期)だったりしてなw

14 :
>>12
> そもそも三成が豊臣家を守るためにうんぬんというところから大嘘
> 秀頼かついで、足利幕府でいう管領的立場を狙ったのは明白だろww 三成にも己の保身と野望が無いといえば嘘になるだろうしな
> そもそも担いだのが秀頼というのが… 秀頼でいいなら秀次でもいいという話になって争いの火種が増えるだけ、秀頼が秀次に比べて能力が高いというわけでもない
>
> 秀長死んだ時点で豊臣家オワタ
特に違和感は無いな。

15 :
秀吉に対して平伏しているのか、秀信に対して平伏しておりますのか曖昧であった

16 :
>>12
あそこで信忠が死んだのは痛いな。仮に生きていれば天下は取れただろうという可能性が高いだけに。
尤も、いきなり謀略の塊みたいな光秀に謀叛起こされりゃ、頭良いヤツは策を二重三重に張り巡らしているって考えるのもわかるけどね。

17 :
>>8 
あくまで三法師付ってことで秀吉の味方という気は 
さらさら無かったから柴田も認めたんじゃねーの? 
で、三法師付だから本人の意志関係なく自然と秀吉方に 
なっちゃっただけで。実際、池田は柴田攻めの時、 
適当に理由つけて?従軍してないしさ。 
 
それに清洲会議以降、秀吉って池田懐柔に何か必死じゃん。 
輝政を養子にしたり養徳院にまでごますってる感じの 
書簡を送っているしさ。通説どおり最初から秀吉方ならここまでするもんかなと。 
ただ、漠然とだから根拠を求められると困るけど 
俺は池田が本当に清洲会議の場にいたのかすら 
正直疑問に思ってる部分もあるよ。

18 :
>>8
身内が外されたのは家督の当事者だからじゃないかな?
舎弟はともかく信雄と信孝は家督を相続してもおかしくない立場だったから。

19 :
他の大名家では当主と後継者がいきなり死んだ時どうやってたのかね

20 :
>>19
死だけでなく似た状況を含めると、
諸分家入り乱れての後継合戦(南部氏)
重臣が傀儡の次男坊を立てる(能登畠山氏)
舎弟たちが雌伏して草の根でお家再興を頑張る(秋月氏)
舎弟たちが幼い当主をたてて盛り立てる(毛利氏・筒井氏ほか多数)
曾孫を引っ張り出して隠居が長生きする(龍造寺氏)

21 :
池田が入ってるのそんなに変かな?
出世はかなり遅かったけど荒木の後釜として摂津一職支配しているんだから
別格の5人(羽柴・明智・柴田・滝川・信忠)以外では一番身上が上
かつ明智討滅にも加わってる
この人抜いたらじゃあ誰がかわりに入るべきなのか教えて欲しい

22 :
ニワちゃんかわいいよニワちゃん

23 :
>>21
とりあえず滝川一益じゃね?

24 :
滝川はまだ帰ってきてないから

25 :
間に合っていたとしても上野失ってたら伊勢半国
池田より格下扱いされそうだ
丹羽よりは上だけど

26 :
上野を支配下に治めてまだ3ヶ月弱、関東・甲信の基盤もまだ脆弱な上
自軍2万に対して北条軍五万、信長・信忠親子の突然の死によって家中大混乱、
ついでに関東も大混乱と一益にとってマイナス要素だらけの状況で上野死守なんて信長でも無理だろうけどな

27 :
それでも信長なら、信長なら…
自軍は1万だろ しかもそれで突っ込んで負けたんだ
それなら守りに徹してたら相手の兵糧は勝手に尽きるし、勝手に引き上げてくれるだろう

28 :
>>27
信長ならそもそもそんな火りな状況で戦わない。軍を出さない。

29 :
>>28
火りってなんだよ、「不利」ねw
信長はとくだん戦闘戦争がうまいわけじゃ無い。そんなものより状況を有利に持っていく政治戦略が抜群に上手いから
天下取り直前までいけた。

30 :
まあ史実の信長を考えれば信長ならなんとか出きるかもしれないと言うのはあるな
劣勢の兵力であっても突っ込んで勝ってしまうという戦歴の持ち主だし。

31 :
>>19 
信長の死の二年後、当主とその世継ぎが死んだ例がある。
池田恒興&元助親子なんだけど。小牧長久手の戦いのとき両方とも戦死。
驚くべきことに、年齢も信長・信忠のときと同じ。親49歳、嫡子26歳で。
しかも元助には信忠とまったく同じように2人の息子がいたのに、秀吉は
あっさりと弟の輝政を後継者として認めている。

32 :
森長可も26歳で死んで、後を弟の忠政が継いでるよな?

池田元助の具体的な戦歴わかる人いる?1580年の摂津花隈城攻めを父親との共闘と、
1581年の由良城攻めの羽柴秀吉との共闘、そんで小牧長久手くらいしか知らないんだが。

33 :
>>28
だろうな、つーか別に信長じゃなくても、多少なりとも外交の心得のある奴なら
あの状勢で普通北条との和睦・・・というか、別に北条家はまだ敵対してないし、同盟国だし、上手く味方にするだろう。
北条から見てもいくら総合的な力では北条の方が上とは言え、上野のあの地がいかに攻めにくい場所かは
先代の氏康から争ってる北条家が一番良くわかってるわけで、無理押しするとは考えられない。
まして、信州を奪いに行ってる最中で、上杉・徳川とぶつかる事が必至な情勢、
無駄な争いは避けたいはず、普通に和睦できただろう。

34 :
柴田も滝川が戻ってくるまで、待てば良かったのに。
会議を開く時点では、滝川は生死不明の状態だったのかな?

35 :
>32 
元助はよく恒興にくっついてたらしいから 
年相応になってから以降は恒興が行ったあたりは 
一緒にいたんじゃね?確か松永攻めあたりが初陣で 
荒木攻めあたりの時や武田攻めにも行ってたらしい。 
 
あと摂津攻略時は恒興隊とは別に信長から直に兵を 
与えられているからかなり優秀だったんじゃないかな。 
 
関係ねーが天正8年あたりになると実質元助が池田家を 
継いでいたんじゃないかという話もある。 
この頃の恒興は病になっていてどうやら出家ないし 
隠居に近い感じだったらしい。確かに武田攻めの時も 
恒興はなぜか留守番だったみたいだからね。

36 :
>>34
滝川は結果的に柴田についたけど
柴田派ってわけでもなかったんじゃないの

37 :
秀吉主催の信長葬儀に参加しようとしていたしね、
ところが秀吉は拒絶、滝川なんていらねみたいな態度。
秀吉が滝川を敵陣営に追いやったような感があるが実際はどうだっただろ?
実際に戦争が起こってからは滝川に随分苦戦する羽目になるけど。

38 :
本能寺の変から数年で織田の重臣がいっきに死んだり引退したりしてるよね

39 :
あの辺は幹部連中総入れ替えで面白いよね

40 :
全員いい年だったから、代替わりするのが本来だったんだろうけどな。
幹部連中皆、嫡子がぱっとしないか、そもそもいないかだから。
変なところで共通項作りやがって。

41 :
勝家は信孝を立てて秀吉と争ったと一般にはされてるが、
その確証はないらしい。

42 :
>>40
>幹部連中皆、嫡子がぱっとしないか、そもそもいないかだから。
御家大事の時代に、後継者がいないって普通ありえないよな。
死後に遺領を収公するには、もってこいだとは思うが。
>>41
日独伊三国同盟みたいに、バラバラに戦ってたという感じか。
秀吉に各個撃破されてるし。

43 :
加久耕三氏が著書で言ってたことを思い出したんだけど、
信長によって取り立てられた秀吉はじめ、丹羽池田前田らと信長には
「同世代の共通価値観」みたいなものがあったんじゃないかと言ってたな。
(重臣の柴田・佐久間、
 もっと後に取り立てられた上に他国者の滝川・明智は例外)
あったら面白い的なネタでしかないけど、
この面子の名前を見てると、ひょっとすると……と思ってしまう。

44 :
勝家に「お市の方」を再嫁させたのは信孝だよね?
時系列的に見て、秀吉&信雄に対抗するための策と見て良いかな??

45 :
勝家から堀秀政に宛てた手紙で縁辺の儀は羽柴と申し合わせたとおりにしたと書いているから
お市再嫁も清洲会議の決定と見る方が自然じゃないかと

46 :
>>45
ということは、再嫁の件は秀吉も納得して決められたことか。
勝家を暴走させない為の鎖かな?

47 :
>>35
詳しい情報サンクス
そう考えると池田って織田政権が長期続けば組織の中枢にいたと思うな。
池田は信忠よりの人間で人脈的にも申し分ないだろうし。

48 :
>>47
信長・信忠が死なず織田政権が続けば、政権の中枢に参画するのは池田、森、蒲生、堀、あたりかな?
丹羽あたりも文官仕事が出来るから生き残るかも。
柴田や羽柴と言った方面軍司令官は、徐々に権限を剥奪されるか佐久間のように追放されるかになるだろうね。

49 :
>>48
でも秀勝が居る限り、秀吉はそんな事ないんじゃない?

50 :
前田みたいに地方でそこそこの領地貰って終わりになるだけじゃね

51 :
秀勝がいるからこそ、秀吉はより一層追放しやすいだろ。
信雄や信孝を養子として送り込んだ北畠や神戸がどうなったかを考えればすぐわかること。

52 :
あっ、そっか。
俺、馬鹿丸出しだvv

53 :
でもそうやって譜代を追放しまくった政権に未来なんかあるかね。
組織の結束に血縁は重要だけど、血縁ほど組織を分裂させやすい要素も無い。
そういうときに間に入るのが譜代なわけだが池田、森、蒲生、堀辺りで務まるとは思えない。
実績的にも微妙すぎる。

54 :
>>53
信長がそう言う事を考えるような人間なら、譜代もいい所の佐久間や林を追放なんてしないでしょ。
軍司令官の中で生き残りそうなのは信忠付きの滝川と信孝についてる丹羽、くらいじゃ無いかな?

55 :
>>54
佐久間と林だけで、全ての譜代に当てはめると言うのはいささか暴論じゃないか?
折檻状にあるように本当に無能だったのかもしれないし、
別の視点で見れば佐久間や林は信長以前からの織田家の譜代で、
他家を見ても関係が深すぎる譜代は逆に都合の悪い点がある事は多い、
その点で秀吉や光秀らとは存在の意味が全然違う。
なのに一緒くたに考えるのは違和感を感じる。

56 :
まあ徳川にしてもいくつか譜代を取り潰しているが
政権に未来が無いとはならなかったしな

57 :
というか佐久間やらって信秀パパの時代に力関係から被官化しただけで譜代でもなんでもないんじゃないのか?

58 :
それを言ったら徳川の井伊とかもそうなっちゃうし

59 :
>>57
逆だよ、譜代ってのは本来の文字通り言うなら「代々の家臣」だから
佐久間や林こそ譜代であって、秀吉や明智や滝川は本来譜代とは言わない。
そういう意味でも彼らと秀吉らの存在の意味は違うな。

60 :
織田家の家臣である勝家は織田家中でのトップを狙った
信長個人の家臣だった秀吉は織田家を越えてトップを狙った

61 :
清洲会議の時点で、秀吉は天下人になろうと思ってたのかな?

62 :
思ってたと思う。
これ以後の行動に迷いが見られない。

63 :
もし滝川が中国方面にいて羽柴が上野にいたらどうだったろうか。
滝川は毛利に攻めかかり羽柴は北条と友好関係を保ったまま
兵力を温存して撤退したのかな。

64 :
>>63
まぁIFだから断定は出来ないけど多分ね、
北条があの時点で無理に上野と衝突するのはリスク高すぎるし。
むこうから攻めてこなければ直接ぶつかる必要性のある組み合わせじゃない。

65 :
信長の死が伝われば、上野の国人達は浮き足立つだろうな。
滝川君みたいに、秀吉が人質を返すとは思わんがw

66 :
待っても内部崩壊必至
攻めても勝ち目は極薄
引こうにも退路も危険


67 :
会議後の方向性として、信長の全国統一事業を続けることは決められたのかな?
本能寺前より随分勢力図は変わってるけど。

68 :
織田家としての統一行動は想像できんな
徳川家康の甲信占領も相当動き速い
みんな抜け目ないからね

69 :
>>66
北条・上杉共に甲信にも兵を出しはじめているので、
座して内部崩壊を待つほど時間的余裕は無い。
篭られたら上野は簡単には落ちない地だし。
さらに徳川も混ざってくるのでどこも上野と争っている余裕は無い。
はっきり言って毛利といきなり和解して引き上げてくる事の方がよほど難しいように思う。
北条も徳川もいちおう同盟国だし。
そんな秀吉なら状勢の利を逆手にとって有利に運ぶくらいはやってのけると思う、
真田昌幸が実際にやってるし。

70 :
徳川や北条などが甲信上に進軍して占領した時に織田家から抗議しなかった
のでつか?

71 :
真田昌幸は「豊臣勢力」と言う大勢力をバックにしての身の処し方だ。
いくら秀吉でもバックが無ければあの情勢をどうにかするのは難しい。

72 :
>>71
秀吉の勢力を盾にしたのは最後だよ。
織田に臣従した後は最初は滝川、次は北条、その次は徳川、そして上杉を経て、豊臣を頼る流れ。
上杉と繋がるまでは秀吉と接点なんか無いし。

73 :
>>70
それ不思議だね。
清洲同盟が有効なら、保護占領でも文句言えると思うが。

74 :
>>73
既に織田家に、家康や北条に文句を言えるような実力はないだろ。
まだまだ戦国時代な訳ですよ。

75 :
織田家としてなら抗議できただろうけど
その織田家が分裂した状態で代表者もはっきりせず、家内で主導権を握るためには徳川に抗議するより味方にしたい意向が働いたんじゃない?
甲信の国主も死んじゃったしね

76 :
織田家は誰が相続するかで揉めていて家康の甲斐・信濃平定に抗議する余裕はなかったし、秀吉も勝家も信雄もいざというときは家康を味方にしたいと思っていただろうから見てみぬふりしたんじゃないかな

77 :
しかも混乱状態で上杉まで乱入してるもんだから、
「侵略に来たのではなく宿敵上杉を蹴散らしに来た」と言われてしまえば
それもウソじゃないし。
居座られてしまったらもう出て行かせる実力の無いとこがいくら吠えても無駄無駄。

78 :
毛利が宇喜田や南条を攻めなかったのは次は秀吉になると見越したから?

79 :
カワユス
http://ryohto00.exblog.jp/

80 :
>>78
約定など紙くず同然の乱世だが、毛利も攻める余力は無かったんじゃないか?
長年の織田家との抗争で、ジリジリ押されたし。

81 :
佐久間・林が飛ばされてなければ面白かった
譜代といえる家臣を信長がガンガン追放したのが
結果的に織田家衰退につながったと思ふ

82 :
佐久間・林を何で追放したんだろうな。
信忠軍団形成の為とかいう説もあったけど。

83 :
光秀にハメられた説から信忠の力を強化した説まであるけど…

84 :
秀吉は毛利の抑えに宇喜多を残して帰ってるから
毛利もそう簡単には動けなかったのは確かだね
毛利の本音がどこにあったかはわからないが
その後も秀吉に協力し続けたからこそ
毛利から五大老を二人も出すことが出来た

85 :
何で恒興が参加してかわからない。

86 :
普通に大身だし参加した方が秀吉が都合が良かったから

87 :
家康も参加しようと途中まで行ったらしい。

88 :
およびでない

89 :
>>87
「利家とまつ」だと途中まで行ったが結果を聞いて馬鹿らしくなって帰った
とか言ってたな。ソースは何処なんだ。

90 :
>>89
多分伊賀越えの後信長の弔い合戦に出陣したけど天王山の結果を知って引き返したって話を脚色しただけかと。

91 :
>>90
だよな。フツーに考えて同盟者が出るっていうのもな・・・
信長死後の家康の強かさが好き。

92 :
強かさってやっぱ大事だよな

93 :
>>81
同意。
数合わせの丹羽や池田なんかの影響力を低下できたろうから、
織田家の行く末もまた変わったと思われる。

94 :
林や佐久間が追放されてなかったら、たぶん本能寺の変は起こらない。

95 :
殺してしまえ、が仇になったか

96 :
遺領分配の件ですが、信長・信忠の旧領を分割し過ぎではないかな?
尾張→織田信雄
美濃→織田信孝(東美濃は争乱中)
伊勢・伊賀→織田信雄・織田信孝・織田信包・滝川一益
近江
 湖北三郡→柴田勝家(坂田郡は全域ではない)
 湖西二郡→丹羽長秀
 湖東・湖南は空白地(堀・蒲生・山岡など)のようです。
 近江坂田郡の一部&燃え落ちた安土城&→三法師
その他の遺領分配。
山城→羽柴秀吉
摂津→池田恒興・中川清秀・高山重友
和泉→蜂屋頼隆
河内→羽柴秀吉
大和→筒井順継
丹波→羽柴秀勝
柴田・羽柴・丹羽・池田は亡き主の所領を分割し、
自身の所領に組み込んで権力闘争に突き進んでいるように見える。


97 :
早いモン勝ちになったら・・・
いや誰も早いモン勝ちで盗ろうとはしないだろうね。
やっぱり話し合いで獲りたいだろうね。

98 :
>>96
素人な質問で申し訳ないんだけど、東美濃の争乱についてkwsk
遠山氏のこと?

99 :
>>96
織田家の直轄地が殆どゼロだなw

100 :
丹羽が悪い

101 :
東美濃の争乱の主役は森氏

102 :
>>99
殆どは織田家直轄領の「代官」として支配する、って建前だったような。

103 :
>>102
自家に組み入れたわけじゃないんだな、一応は。

104 :
春秋末期の晋みたいだな。あれは3つに分裂してそれっきりだったが。

105 :
新発見の書状と「明智軍記」
新規収蔵資料を公開
=安土城考古博物館 今年度分=
http://www.bcap.co.jp/s-hochi/n080324.html#6

106 :
>>98
亀レスでスマソ。
しかも返レス。
101さんの仰る通りです。
森長可vs東美濃衆(木曾義昌も離反行動)


107 :
森長可が北信に転封
変わりに乱丸が領主になる
この時森軍の主力も北信に
新家臣団を整備する前に本能寺で乱丸死亡
一種の空白地帯になる
分捕り合戦開始
清洲会議で美濃は信孝領と決まったが
信孝に東濃を裁く実力がない
秀吉も勝家も中央で睨み合いの最中で兵を出す余裕は無い
最終勝者は帰還した森長可

108 :
96(106)です。
余談
遠山氏はこの東濃争乱で没落。
しかし関ヶ原合戦で遠山氏は東軍として参加。
西軍派を打倒した功績により東濃の地に返り咲いています。


109 :
丹羽は秀吉の真意を見抜けなかったのだろうが、池田はどうだったんだろ?
織田家よりも我が身大事で、協力したんだろうか?

110 :
>>109
池田はこの時期はもう、秀吉の共犯みたいなものだし。

111 :
丹羽は共犯ではないの?
本当に秀吉にやられた、などと後悔するほど馬鹿だったのか?

112 :
>>111
何が起こったか全部知っている、後世の人間の立場からなら何とでも言えるわな。

113 :
>>81
その二人は三方ヶ原の戦いで平手汎秀(平手政秀の子)を見殺しにした件で信長から目の敵にされてたからな
家康にも汎秀を返せといい当惑させてるし

114 :
林関係ねー

115 :
いや関係あるぞ

116 :
あったか

117 :
いや、なかった

118 :
三方ヶ原の戦いの援軍は滝川、佐久間、平手、林の4将

119 :
>>118
滝川はいなかったような? いるって書いてる資料って何?

120 :
>>118
wikiにはそれに水野が加わる
センゴクなら佐久間盛政も加わってたっけ

121 :
スレタイとは関係ないけど、川中島で何度も死闘演じて来てる武田と上杉に
織田や徳川がまともに当たって勝てる気はあまりせんよ。
浅井あたりまだ友軍として味方にいればまだしもさ。

122 :
織田秀信の生涯短すぎる

123 :
領国が美濃じゃね…どちらについても真っ先に狙われる
信孝のときもだけど岐阜は脆い印象が強い

124 :
長らく織田の城だったし、寄せ手もある程度構造は
把握してただろうからなあ。
関ヶ原のときには、旧城主の池田輝政もいたし。

125 :
秀吉は急ぎすぎだ。結果成功したが家康ならどうしてたか

126 :
行動の早さこそ秀吉の武器だからな

127 :
すばやく動かないと秀吉が主導権をとることは無理だからね。

128 :
秀吉は信長の仇を鮮やかに討ったが、それでも秀吉自身ではなく織田の嫡流?を
押し立てるという形でライバル達を抑えなきゃならなかったんだよな。
天下取りの手始めにはさ。
三法師の生涯の頂点がこの清洲会議で秀吉に抱かれて登場したあたりって気がする。

129 :
>>128
> 三法師の生涯の頂点がこの清洲会議で秀吉に抱かれて登場したあたり
その次が関ヶ原の前哨戦でフルボッコにされながら、平然と感状を書いてたあたりか。

130 :
本能寺の変から
わずか一年で織田家乗っ取り完了
秀吉嫌いな人も多いだろうけどこの時代の秀吉は冴えまくってると思うがどうか

131 :
まあ本能寺秀吉陰謀説を言いたくなるのもわからんでもないくらいの冴えと運だよね。

132 :
信長はあの世でどんな風に思ってただろうか…。

133 :
>>132
怒り狂うけどそのうちケロッとしそうなイメージ
知らんけど

134 :
>>132
「秀吉!お主を見ていると我子達が不憫でならぬ そろそろこっちへ来い」
と信長の声が聞こえた
「上様許してくだされ〜」と何回も叫んだが 信長に衣服を掴まれ引き摺られていった

太閤秀吉が目を覚ました時 布団から数メートル離れた床の上だったという

135 :
そりゃ幼い我が子が心配だわ、秀吉も。

136 :
普通にあの世で散々な目にあってるんじゃないかw
家康は信長と組んで一緒に秀吉いじめてそうだな

137 :
一益が会議に間に合ってたらどうだろう?
甲斐で河尻が死なずに帰還出来てたら、とかも。

138 :
NHK大河ドラマ『おんな太閤記』を見た感想だけど(っていうか史実度外視で)
勝家は雪国の越前から、冬でも軍事行動が可能な近江の一部を手に入れて清洲
会議ではそこそこ実益あったような感じだったが、なんで拠点を近江に移さな
かったの?ドラマでは、お市の方様が浅井領に拠点を移すのは勘弁って感じで
勝家が越前に帰ったけど実際そんな事は有り得ないよね?
もっとも近江も雪は多いよね。今でも滋賀と岐阜の境界辺り(関ヶ原辺り)で
新幹線が往生してる。

139 :
>>138
清洲会議から賤ヶ岳までどれだけ間が空いてると思っているんだよ?
あんな短期間に本拠地移動なんて、信長でも出来んわ。

140 :
>>139
お前さ宝寺城って知ってる?
山川出版の年表ばっかり見ずに、俺みたいに大河ドラマ見ろ大河ドラマ。
大河ドラマしか見ない俺の方が歴史に詳しいなんて悲しすぎるだろ。

141 :
>>140
お前は外で遊んでろ

142 :
>>136
わっはっは。
狸が猿いじめてるようでおもろいな〜、それ。
でも、猿は狸をうらんでるだろうし、低レベルのケンカ
みたいでマジおもろい。
家康はライバルの子を抹殺しただけだけど、秀吉は
主君の奥さんと子だから、秀吉のほうが少しエグいかな。
信長は兄弟とか叔父だからもっとエグいか。

143 :
>>139
本拠地を移したら賤ヶ岳が起こらなかったとか考えられないのかよ
お前こそ年表ばっか見て引きこもってないで外に出て世の中を見ろ

144 :
>>143
お前さあ、リアルに馬鹿なの?

145 :
>>144
リアル馬鹿はお前だろ
たとえ天変地異が起きても必ずその時賤ヶ岳合戦が起きたって年表通りに主張してんだからな

146 :
>>145
いやさあ、勝家が城を移ったらそれだけで「本拠地」も移ると思ってねえ?

147 :
>>146
誰も勝家が城を移ったらとか言ってないし書いてねぇ
お前の妄想には付き合いきれねえわ

148 :
猿マンセーな飛び地に移転なんかしたら詰みじゃん

149 :
八方塞がりの懲罰的転封

150 :
誰も飛び地(長浜)に拠点を移したらとは言ってないのに
夏休みだねー

151 :
>>150
つ 鏡

152 :
移動コマンド使えば解決なゲーム脳かwwww

153 :
言っとくけど俺をあまりナメないほうがいいよ
vipでコテハンやってるしこのスレ潰すくらいの影響力は持ってるから
くだらないことで刺激して後悔しないようにね

154 :
清洲会議について詳しく記述した本とかない?

155 :
面白いから潰してくれw

156 :
本拠地を長浜に移したら・・・
冬の間北陸とは断絶状態、小兵力で秀吉の大軍を相手にしなければならない、
秀吉は勝家さえ倒せばあとはバラバラだから全力で近江を攻めればいいだけ。
または丹羽細川辺りに敦賀に攻めこませて北陸と近江を分断させるとか。

157 :
>>1
>三法師擁立は誰の策とか、
誰の奇策なんだろうか?

158 :
宝寺城に秀吉が拠点を移したのは確かだろう
真田幸村が秀頼に天王山に本陣を移すよう進言した時にもそう言っている

159 :
当時から、清洲会議って名前で言われたの?

160 :
信包や有楽斎の存在感が皆無なのは何でだろ?

161 :
>>159
小山会議とかと一緒で後世につけられた名前。

162 :
いつ頃に名称が定着したんだろうか?

163 :
江戸時代だろ。

164 :
三法師擁立は信雄・信孝の対立激化を危惧した会議出席者によってスムーズに決定されたというのが最近の研究結果。

会議での秀吉と勝家の対立とかってのは角川太閤記の創作。

165 :
>>164
それだと秀吉と勝家の対立が説明できない

166 :
信雄と信孝の代理戦争ってのはどうだろう? 両者が煽ったとか。

167 :
>>165
清洲会議で秀吉が勝家と対立したとかやりこめたというのは武功夜話の創作

168 :
秀吉が会議をリードしたのは所領配分をみればわかる

169 :
光秀を討ったんだから所領配分で有利なのは当たり前。
信長の後継者擁立争いでの対立は創作。

170 :
四家老の人選が微妙過ぎ

171 :
池田は家老ではない

172 :
でも有利すぎだろ
京都を含む山城が秀吉の取り分

173 :
会議出席の選考基準って尾張時代からの古参ってところか

174 :
滝川が敗戦を理由に出席しないとかセレモニーすぎる。

175 :
>>165それは秀吉が織田家諸将に対して私的に誼を通じて味方につけていったからじゃないかな?
それと同じように家康が秀吉死後に豊臣恩顧の武将に誼を通じて味方につける工作をして、結果豊臣家を滅ぼしたのは因果応報な感じもするな。
賤ヶ岳の前田、関ヶ原の小早川を見ると家康様ちょっと狙いすぎだな。

176 :
>165
秀信を安土城に移したいけど、信孝が岐阜城から出そうとしない

だったら秀信が成人するまで、信雄が当主ってことで、と秀吉、長秀、恒興が決めてしまう
その結果として秀吉と勝家は対立した訳だ。

177 :
チヨス

178 :
>>174
誰か形式的でも誘ったのかな?

179 :
滝川は処罰されてもおかしくないほどの失態を犯したから
新当主を決める場に出席することはふさわしくない

180 :
池田よりはマシだと思うがな

181 :
北条が強すぎるだけだろ
滝川は上洛したがってたが北条がいてはそれが不可能だから一戦とげるのは普通な流れだ
つーか伊勢に帰ったら会議終わってただけだろ

182 :
滝川と池田が同席すると重臣のバランスが崩れるんだよな。
何せ二人は父方の従兄弟同士らしいから。
滝川が失態をおかしてその席に池田が座るのは
名分上とても自然な流れだったように思える。

183 :
滝川は失態なんてしてない。秀吉に無理やりこじつけられただけ。
秀吉みたいなゴミ武将が関東に派遣されてたら氏直の天才的采配で戦死してただろーな

184 :
秀吉は卑怯だからな
人格的にも能力的にも三傑どころか普通の地方大名の器ですらないだろ

185 :
織田家が当主の能力や運、状況に恵まれ拡張でき秀吉はあくまでその中の枠内で歯車のひとつとして働いていたにすぎない。
本能寺時点で大きな勢力持っていたのもひとえに織田が拡張したからであってその中で秀吉が果たした役割は
初期ではほんのわずか。後期でもあくまで軍司令官の一人、つまり一部分。
そこで光秀が運よく信長を討って逆賊の汚名も被ってくれたから逆賊打つという格好の名分を
おいしく頂いた。
まあ織田家にいなかったら埋もれてたのは確実だな

186 :
その過小評価はどうだろうか?
信長の人材登用政策もさすがだが、秀吉も信長の天下布武に大きく貢献した
軍司令官は多くいるが、秀吉が相手した毛利が最も兵力が多かったし

187 :
毛利は79年以降南条や宇喜多に足止め喰らわされてたしそもそも家中統制力が弱い原始的国人連合だからな
調略がうまくいったのもその毛利内で外様中の外様といえる
しかも秀吉は一夜城だの水攻めだのおお返しだの大げさな逸話が天下人になったことで過剰に伝わっただけの事だろう
あんなのは中身のないパフォーマンスみたいなもん。
おお返しなんて結局予めの準備あってやっとなせるわざだし
水攻めも時間や費用やらがやたらかかる上に紀伊太田や忍城、竹ヶ鼻城を正攻法で瞬殺できないのは終わってる
城の普請に関しても敵の眼前にすばやく拠点築くなんて特に珍しくもない
どこの大名でもやってる
貢献したといっても織田家中で考えるとごく一部分
織田が当主の能力や運、状況に恵まれたから拡張した要素の方が遥かに大きい

188 :
秀吉ははっきり言って過大どうこうのレベルじゃないな
下手したら凡将。よくて普通の良将。奥州で言えば石川昭光、二階堂盛義レベル

189 :
同意。ゴミみたいな武将だと思う。

190 :
毛利の戦線を播磨摂津から備中伯耆に押し戻しただけでも立派だと思うけどね
信長の能力こそ過大評価で、秀吉や光秀や勝家に支えられた面も大きいと思われ
水攻めは毛利の援軍と城方を遮断する意味の方が大きいだろう

191 :
秀吉が大苦戦した中国戦線【対毛利・両川】2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1226671606/
清洲会議自体の話題に戻らないか?

192 :
佐久間信盛が生きていたら、勝家の味方をしただろうなー。

193 :
どっちにしろ政治的に死んでる

194 :
秀吉なんざ石田三成と同等かそれ以下

195 :
光成のが遥かに上だろうな

196 :
秀吉を異様にこき下ろす書き込みをする人ってやっぱりあっち系の人かな。

197 :
>>193
いやいや、そうじゃなくて、重臣のままだったらって
意味だよ、もちろん。

198 :
佐久間が健在ならそもそも本能寺が起こらない

199 :
秀吉アンチさんID変えてまで乙です

200 :
秀吉は贔屓目に見ようが批判的に見ようが、有能な事だけは間違いないだろ
そのやり方とか考え方、方針が気にいらないとか思うのは勝手だけどさ

201 :
はぁ?
徳川家臣団でいえばせいぜい柴田康忠、保科正直レベルだろw
大久保兄弟や家康の支援受けつつも佐久を自力統一した松平康国には完敗だろ
葦名執政金上の方が有能かもしれんな
織田が当主の有能さや運、状況に恵まれたから家臣に過大なスポット当たってるだけ
実際有能な子飼登用なんて珍しくもなんともない。領地がどんどんふえればそいつらにやる知行も雪だるま式に増える。
大体有能な人材なんてどこにでも転がってるだろ。ある地域一辺倒に固まってるなんて妄想でしかないから。
はっきりいって運と口先だけの男。そういうなあなあ政権だから当人死んだらすぐ崩れた。

202 :
なんせできもしない朝鮮出兵などする馬鹿だからな
国内での平定戦も戦うたびに醜態さらしまくってるし。
ゴミだと思う。

203 :
なんで秀吉はここまで過大評価になってしまったんだろう。
ごくわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城や紀伊太田城、忍城も瞬殺できない雑魚なのに。
こんな糞武将歴史から抹殺した方がいいと思う

204 :
日本の恥だよな

205 :
秀吉が凄いとか言ってる奴は歴史理解する知能もてんただの馬鹿

206 :
朝日新聞のアク禁が解除されてから急にガラが悪くなったな。

207 :
そんな馬鹿で糞武将な秀吉の軍門に下った諸大名は、そうなると糞以下の存在だな。

208 :
単に圧倒的兵力差があったから勝てただけ。島津も先鋒勢蹴散らせたし
北条も支城に配した兵が少なかったからあっさり陥落したが本城は余力ありまくりの状態での降伏だった。
逆に秀吉側が兵站維持できるギリギリの所まで追い込まれてたくらいだった。
徳川に至っては北条氏政がたくらみが深い武将で家康留守中に背信して徳川領に侵攻するとのうわさが垂れ流されていた上
上杉も信濃方面へ侵入の構えを見せていたためかなりの兵力を本国に残したままだった。
家康が対秀吉時に四天王の他は大須賀康高、本多広孝、そしてその頃から秀吉に通じつつあり翌年に寝返った石川数正くらいで
数は8000程度。残りは信雄の軍に依存してた。しずヶ岳時も信雄味方で雪で勝家が出られない間美濃や伊勢で暴れ周り
勝家が出てきたら圧倒的兵力で襲えばよかっただけ(それでも柴田勝政らの撤退中を大軍で襲撃して持ち堪えられる始末)
山崎も兵力差圧倒的なのに光秀軍より多い被害だした。ただの雑魚

209 :
秀吉はパフォーマンスだけで中身のない馬鹿
そういう中身のない政権だと言う事が秀吉死後の豊臣没落ぶりで見事露呈した。

210 :
氏政は信長にはしたがったが秀吉には従わなかったのも秀吉の実力のなさを見抜いてたんだろうな
長年の経験と勘で本能的に理解できたんだろう

211 :
秀吉の実力って石川昭光、白川義親レベルだろ

212 :
スレタイを確認するんだ

213 :
ひどい自演というか工作員というか

214 :
秀吉って捏造や嘘ばかりする卑怯男

215 :
馬鹿織田厨の特徴
・基地外。資料もろくに示さず自分の妄想を一方的に語る
・低脳無知なくせにすぐ揚げ足をとる上に自分は平気で知ってる内容でも嘘をつく
・論破されてもまた日にちがたつと同じ内容繰り返す
・自演ファンネル総動員して基地外論理を展開する
・織田家の地理的条件や周辺状況、運を無視して実績などと言う馬鹿な物差しで強さを決めようとする
・大軍率いる恵まれた状況で戦ってた事を『大軍率いる能力がある』と都合よく置き換える
・好きな武将;信長、秀吉、前田、丹羽、毛利、信忠、立花
・嫌いな武将:武田、上杉、伊達、直江、柴田、滝川、石田三成

216 :
>>214
具体例挙げてみて。興味あるから。

217 :
83年に滝川が降ってない時期にもう城を明け渡したと嘘ついたり
84年に伊勢南半分すら完全には平定してないのに伊賀伊勢全て平定したと言ったり
紀州の敵勢が攻めて撃退しただけなのにもう既に国内に攻め込んで多数討ち取って平定目前だと言ったり
尾張の小幡城にノータッチなのに2の丸まで攻め落としたと言ったり奴のいう戦果は滅茶苦茶
秀吉が外様大名系にいう戦果ははじめから嘘っぱちと疑ってかかった方がいい。

218 :
秀吉の実力が3傑にふさわしいと本気で思ってる奴ってはっきり言って頭おかしいと思う

219 :
つーか語る価値もない。秀吉厨は論理的思考に欠けた馬鹿

220 :
葦名、佐竹>田村>伊達>相馬、白川、最上>石川、二階堂>猪苗代>大崎、葛西>>>>>>>>秀吉

221 :
そんな秀吉の軍門に下った理由を論理的思考で語る人間が誰もいない悲しさ。

222 :
結果として人を支配した人間はみな優秀なのであれば、
麻原彰晃もヒトラーも優秀な人間ってことになってしまうんだよな。

223 :
単に圧倒的兵力差があったから勝てただけ。島津も先鋒勢蹴散らせたし
北条も支城に配した兵が少なかったからあっさり陥落したが本城は余力ありまくりの状態での降伏だった。
逆に秀吉側が兵站維持できるギリギリの所まで追い込まれてたくらいだった。
徳川に至っては北条氏政がたくらみが深い武将で家康留守中に背信して徳川領に侵攻するとのうわさが垂れ流されていた上
上杉も信濃方面へ侵入の構えを見せていたためかなりの兵力を本国に残したままだった。
家康が対秀吉時に四天王の他は大須賀康高、本多広孝、そしてその頃から秀吉に通じつつあり翌年に寝返った石川数正くらいで
数は8000程度。残りは信雄の軍に依存してた。しずヶ岳時も信雄味方で雪で勝家が出られない間美濃や伊勢で暴れ周り
勝家が出てきたら圧倒的兵力で襲えばよかっただけ(それでも柴田勝政らの撤退中を大軍で襲撃して持ち堪えられる始末)
山崎も兵力差圧倒的なのに光秀軍より多い被害だした。ただの雑魚

224 :
そういう優位な状況は秀吉が実力で作ったわけじゃない。
織田家が当主の能力や運、状況に恵まれ拡張でき秀吉はあくまでその中の枠内で歯車のひとつとして働いていたにすぎない。
本能寺時点で大きな勢力持っていたのもひとえに織田が拡張したからであってその中で秀吉が果たした役割は
初期ではほんのわずか。後期でもあくまで軍司令官の一人、つまり一部分。
そこで光秀が運よく信長を討って逆賊の汚名も被ってくれたから逆賊打つという格好の名分を
おいしく頂いた。上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、真田
石川の場合は秀吉の威信が強大になっていたのが大きく小笠原は石川が小笠原の人質もって逃げたから寝返った。
水野は元々外様だし石川と同じく秀吉の威信が高まりすぎたのが原因だろうな。
どれも秀吉が自力で作ったというより運よく強大な勢力を持てたのと元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけ

225 :
よく秀吉は城攻めの達人とか人たらしの名人とか言われるがこれも間違い。
>>131にみられるようにどこの大名でも漁夫の利を狙うような芸当はやってるし
城攻めに関しても鮮やかと言われるのは対中国戦くらいだろう。しかも水攻めといい兵糧攻めといい
時間や金ばかり無駄に浪費した下策でこんなもんは織田家が経済的に圧倒的なものをもってるから
なせる芸当。少数しか兵のいない忍城や竹ヶ鼻城、紀州の城を正攻法で瞬殺できないのは終わってる。

226 :
>225
>時間や金ばかり無駄に浪費した下策
では何をすれば上策なんだ?

227 :
便壺に忍んでRしてるとこをズブっと、これ最上策

228 :
どんだけ大軍でも大勢力でも負け続けたり、勢力が拡張できない大名はたくさんいたんだがな。
そりゃ確かに毛利や信長みたいに、少数で大軍を打ち破って拡大してきた奴はすごいよ。
しかし相手より大軍を擁してしっかり勝ちきる戦をしつづける奴も、十分大したものなんだよ。

229 :
信長は津島湊や知多南郡の木綿の生産地を掌握し、尾張でもダントツの経済力を
有していた信秀の子に生まれた。
信玄は国も貧困、山間で移動も大変、周辺は強国ばかり。領土面積当たりの石高が低い甲斐や信濃で 山之内上杉の大軍を破ったり村上、小笠原らとガチで
ぶつかり合い長尾も介入してくる 状況で信濃を取った点や
北条との抗争で駿河を取った事、距離的にさほど
攻め込みやすいと言えない徳川領を押しまくり追い詰め、東美濃も侵略した事
など見るにやはり軍略はピカイチだろう。負けがかなり少ないのも大きい。
上田原も板垣の敵陣のど真ん中での首実験が原因だし逆にその状況から反撃して
何人も討ち取っている。
信長は大軍で弱体化した小勢力に何回も負ける
斉藤、本願寺、伊勢長島一向一揆。姉川でも大軍で寡兵の浅井に
痛打を加えられず。 大良河原、14条、河野島、伊勢長島第一次、伊勢長島第2次、
屈服した志賀の陣、800の敵に数万の兵で一門を10人殺された伊勢長島第3次。
戦は大した事ない。その分調略や政略でカバーしてる。
版図拡張と言っても山間部出身で周りも強国、国も貧困で京への距離もある武田や
関東出兵や武田との対戦を余儀なくされ国内も反乱やら蘆名の介入やらで
大変、武田以上に京まで遠く雪による制約も大きく関東、信濃、奥州、北陸
多方面戦略を展開してた上杉とは条件が違いすぎる
織田は美濃、尾張で信玄の最大版図くらいになる国力。北伊勢含めばもっと上がる。
幼君でガタガタな斉藤はクーデター起こるぐらいだったし相当弱体化してた。
尾張は石高的にかなり条件の良い国
京から遠くも無く近くもない程よい位置でもある。
京の動乱に巻き込まれず濃尾両国を有すれば
思い立ったら上洛できる位置。 西は木曽・揖斐川の大河に守られ
東と結べば背後に敵無し。尾張、伊勢、畿内等は国高の高さの割りに
領土面積が狭く平野部が多く移動も楽。美濃も地形的に東から侵略されずらく
武田の本拠地も遠い。
周りの大名も今川義元は運良く戦死 跡継ぎの氏真は暗愚
松平家は独立 同盟で後方の安全を確保
斉藤家の義龍は早死して、跡継ぎの龍興は暗愚
朝倉家の朝倉義景は惰弱で暗愚の代名詞のような大名
六角家は観音寺騒動や対浅井の敗戦で弱体化しきっていた
三好家は分裂状態で統制が取れずバラバラ
織田と本格的に戦う前に信玄は病死 跡継ぎの勝頼は猪武者
織田と本格的に戦う前に謙信は病死 その後上杉家は内乱で自滅
足利義昭も信長の所に来た

230 :
秀吉の無能ぶりは平民から関白になった人物を挙げてからよそでやってくれ

231 :
>>229
秀吉個人の能力の話ですらスレ違い気味なのに、お前は一体何の話をしているんだ?

232 :
はいはい、誘導誘導
糞猿秀吉を三傑からはずすべきだ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179571458/
帰ってくんなよ

233 :
>>222
ヒトラーも麻原も優秀ですが何か?

234 :
>>233
君の優秀の基準は、おかしい。

235 :
ゆとりちゃんなんだろ。
あいつら日本語が不自由だし。

236 :
>>230
足軽から総理大臣になった奴なら。

237 :
千円?

238 :
信包が後見すれば良かったのに。

239 :
>>230
筵売りから皇帝になった人なら

240 :
あげ

241 :
亀レス
>>187
>おお返しなんて結局予めの準備あってやっとなせるわざだし

あらかじめっていつ兵糧用意した?
まさか本能寺の変のまえ?

242 :
>>241
光秀が何のために出陣することになったか、よーく考えてみよう。

243 :
>>242
毛利と交戦中の秀吉救援?

244 :
>>243
その救援軍の派遣のためには何が必要かな?

245 :
>>244
兵糧?

246 :
よくその兵糧が、大返しの途上の道々に人数分用意してあったな
あらかじめ早馬でも送っといたか?

247 :
そりゃあ信長自身が大軍を率いて向かう予定だったからな。兵糧の準備も万全だ。

248 :
>>247
その大軍てどこに用意してあったんだ?
本能寺には百人ぐらいしかいなかったんだろ?
信忠だって…

249 :
光秀が行く予定だった

250 :
あRほど

251 :
言いたいことはまとめて言えよ。チャットじゃないんだから。

252 :
俺は248じゃないからただの相槌だぞ

253 :


254 :
秀信が岐阜城に籠城したのって、あの局面で上策だと思うか?

255 :
関ヶ原スレの誤爆?

256 :
秀吉は兵力が沢山あり、金が沢山あるから強いだけと、言ってる人がいるけど、
戦争ってのは、そこら辺も含めて戦争なわけで、やっぱ秀吉は偉大だと思います。
戦国時代後半は、もう戦の準備がうまい人が勝つ時代。

257 :
逆に言えば、戦の準備が上手かっただけ、強かっただけ、とも言える。
秀吉にはそこから先の、統治、安定の役割も求められていたのに、そのあたりはからっきしだった。

258 :
結局は小荷駄・兵站の問題

259 :
そして大義名分

260 :
>>259
それは大きいと思う。

しかし山崎の戦いは野戦だったよな?

261 :
秀吉が体験した野戦って、どんなのがあったっけ?
桶狭間とか姉川か?

262 :
>>261
織田軍上洛戦や朝倉進攻作戦なんかでも野戦はあったと思う。

263 :
(大将ではなく配下としてだが)野戦経験の数の差が出たか。

264 :
光秀天王山に登っちゃったんだって?

265 :
テレビでやってたな

266 :
だな

267 :
なんにせよ戦国板のアンチってのは種類問わずカスだな

268 :
激しく尿意。

269 :
>>268
ワロタ

270 :
Wiki見て三法師の子孫も生きてるみたいで嬉しかった。

271 :
まあその三法師は、親の因果で野垂れ死にするんですけどね。

272 :
【尾張】池田恒利・恒興・元助・輝政らを語る
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1260099716/

273 :
谷口克広センセの卒論テーマが清洲会議だったらしいね

274 :

く  き  だ
れ て れ         _,,..-─.、.._
│    か      ,.‐´ミミ 彡シ'" ヽ
っ          r      __    レヽ
           / へ↓| レ´    | ア|        /      /
`‐、.        ├(,,・ )─( ・,,)-'"´( ノ        /      /
 ⌒ つ  ⊂  │u ヘ".ヽ`ヽ   │      /      /
    \     │ / │    \ u│  ⊃.| ̄     │ / 
      \    |./  │      ヽ│へヘ/   , ‐´ \|/
 ヽ.      `` ‐┤   ,‐' ⌒ ヽ   │          /
\ i、  │   /│\/     )  │ ‖   │ //
 \i   ‖.| / │⌒`` ‐-- ‐´   │ │   レ/
   \ ‖.|/  ゝ           / |    \/
     \Y| >   \.、 _____ノ /     i、
       i、\    ト   人入  /  │   i、
        i、 \  │\/ヽ_/\/|  │   ヽ
        ヽ   ヽ .│    | |   │ /     \
        │   ヽ│    |│   │/
        .│    │   ゝゝ   \
織田信成が織田信長の子孫って本当?【3代目】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/skate/1277120346/701-800

275 :
秀信の弟・秀則も信孝に引き取られてたのかな?

276 :
三法師ってキヨスク会議の後ってまったく出てこないよね読み物なんかだと。
野垂れ死にしたってマジっすか?

277 :
>>276
関ヶ原の時岐阜城には誰がいたと思ってるんだ?

278 :
>>277
まさか三法師君がおわしたんですか?
…勉強してきまつ。

279 :
家臣が止めるのに
「俺は信長の孫だぜ、戦うに決まってんじゃん」ってことで開戦
覚悟を決めた家臣が出陣を促すと
「俺は信長の孫だぜ、カッコイイ鎧を選ばせろよ」ってことで出遅れ
あっさり敗北で高野山で謹慎、のはずが
「お前の祖父さんは非道いことしたよね」ってことで受け入れてもらえず

280 :
>>279
> あっさり敗北で高野山で謹慎、のはずが
> 「お前の祖父さんは非道いことしたよね」ってことで受け入れてもらえず
その後本気で流浪し家臣団や親類集からも見放されたらしく、本当に野垂れ死に。

281 :
あげておこう

282 :
本能寺直前の信長体制の中での序列ってのはどんなものだったんでしょう。
@信長A信忠B家康C信雄D勝家E光秀F秀吉G信孝H一益…
ざっとこんな序列だったんではないかと推測。浅学なものでツッコミ所満載かもしれませんが。
独立大名の家康も「ほぼ信長配下」ということで、ランキングに加えてみました。

283 :
>>282
石高順で並べ直してみよう。

284 :
>>282
末期織田体制において権力で言えば柴田や秀吉なんてろくに持っていない。
前線指揮官なんて権力中枢から外された人間のやること
信長が生きていた頃は
信長-菅屋長頼(近習筆頭)-明智光秀(畿内軍総括)>>>>>>その他
このくらいだと考えたほうがいい。
のちの歴史から遡らないほうがいいよ。

285 :
信忠ェ〜

286 :
信長と菅家の間に信忠?

287 :
三谷幸喜「KIYOSU」楽しみだ

288 :
>>287
幻冬舎から小説を出すんだな。

289 :
>>284
ご指摘をいただきウィキで菅屋長頼を調べてみました。
名前すら知らない人物だったのですが本能寺さえ無ければ「越前府中を与えられる」
予定だったとのことで、かなり重職にあった人物だったんですね。
しかし織田家当主だった信忠や独立大名の家康を凌ぐほどの実質的権威というと
これは相当なものですよね。
現在は知名度すらかなり低い状況ですが、信長側近団の織田体制内での発言権は
相当に高かったんですね。

290 :
光秀を恨みながら死んだんだろうなー

291 :
本能寺直前くらいの織田政権を序列で言うとこんな感じかな
             織田信長━━┓
               ┃   織田信忠(嫡男)━━━┓
               ┃      ┃       織田家一門衆
               ┃    美濃以東の軍団
               ┃       (森、滝川など)
  ┏━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━┓
徳川家康       菅屋長頼          明智光秀
(配下大名筆頭)   (近習衆筆頭)       (畿内軍統括)
               ┃              ┃
            近習・奉行衆         柴田、羽柴など
             (行政官)           (軍事)

292 :
光秀って柴田より上だったんだ意外

293 :
>>292
そりゃあど真ん中の中央軍任されている将軍と、もはや政権の直接的驚異でもなんでもない
辺境の敵相手にドンパチやらされてる将軍のどっちが信任されてるかなんて言うまでもないだろ。

294 :
うーん・・・よく分からんが、そもそも発言力(の差)なんて
信長が居なくならないと(=居なくなって初めて)顕在化する性質のモノじゃないか?とも思ったりする
それまでは信長が強すぎて、各々が他の家臣との序列の高低を確認し合う機会が無いような気もするんだけど・・・
つうか・・・発言力って何?w

295 :
発言力なんて上の人間によって変わるだろ

296 :
そのあたりが面白いというか、不思議というか・・
そもそも本能寺の時、信長が数十、信忠が数百程度の兵を引き連れてただけ
信長本隊というか直卒の兵ってどれくらいのものだったんだろうと思ったりもする
あれだけ兵力握ってた佐久間をあっさり追放出来るっていうことは、
信長軍団全兵力がつまりは信長直卒ということなんだろうけど
当たり前っちゃ当たり前だけど、パワーバランス的には不思議な感じも受ける
実際に本能寺の変が起こっているのを知っているだけにね

297 :
>>296
佐久間は自分の兵や領地と引き離され、反乱できない状況にした上で折檻状→即追放

298 :
反乱されたらヤバイから考えるわな

299 :
>>293
織田家重臣で特定の戦線を任されてないなんて、閑職扱いじゃね。
実際羽柴の要請で、加勢させられてるし。
明智軍を温存できるほど、織田軍には充分余力があったってことなんだが。

300 :
>>291
四国政策の転換で、羽柴に完敗したのだから、
明智光秀 < 羽柴秀吉だろ。織田家中の序列は。



301 :
>>300
四国政策の転換が明智の敗北なんて、後世の想像でしか無いぞ?
それに対して光秀がどう関わったか、あるいは関わらなかったかなんてことは一切記録にない。
ましてや秀吉との関わりなんて。
小説的想像で考えるのは止めようや。

302 :
>>301
その記録って一体何?
具体名出してみ。

303 :
横槍だけど「記録にない記録」って何だw

304 :
>>302
記録に無いって言ってるのに記録を求められても困るがなw

305 :
>>301
明智が織田家の指揮系統に置いて柴田や羽柴の上位にいたという根拠はない
つうか逆に言うと誰がそういうことを主張してるの?
谷口克広氏は信長の直轄軍として
・津田信澄や菅屋長頼を代表とする側近衆
・西美濃衆
・近江衆
・越前衆
・池田元助を筆頭とする摂津衆
・明智光秀率いる畿内方面軍
・丹羽長秀を筆頭とする若狭衆
・蜂屋頼隆を筆頭とする和泉衆
それらに並行する形で柴田や羽柴、滝川らの方面軍司令官がいたという論説だけど

306 :
上のレスの宛先は>>301じゃなくて>>291

307 :
>>304
記録にないってしかと実見したのだそうだから、その記録とやらの名称を尋ねてるわけなんだが。
苦しい言い訳に失笑。

308 :
>>305
「指揮系統」ではなく「序列」な?
普通に考えて中央の一番重要なところの軍隊任されている人間が一番ランクが上でしょ?
>>307
君の言っていることはまるで訳がわからない。

309 :
>>284
子会社の社長(方面軍司令官)と本社社長(信長)の室長とどっちだ偉いかなんて、比べること自体ナンセンス。
専務・常務扱い執行役の子会社の社長が社長側近に気を使うのは当たり前。
だが身代も実力も子会社社長の方が遥かに上。
だから信長消滅後側近連中は無力化し、秀吉の家臣に成り下がり。
側近連中は権力中枢にいたといっても、単に方面軍と信長の連絡役にすぎず。
多少私見を申し述べるくらいのことはできたがな。
方面軍司令はそれを恐れていたわけだ。
信長に自身の悪口を吹き込まれたのではたまらんからな。

310 :
>>308
では日本語が拙い外国人が通う日本語学校で、一緒に初歩の日本語から勉強したまえ。

311 :
存在しないことの証明って「悪魔の証明」って言うんだっけ?

312 :
実見した記録とやらは厳然と存在してるんだがな。
その名称は何だと聞いてるんだが。
恥の上塗り。

313 :
桐野の本だったかな。
秀吉が中四国でコチャコチャやって信長がそれを採用して
光秀大弱りというんだったか。
ただそれを光秀の負けとか秀吉に光秀に対するなんかの腹のうちが
あったというのはどうなんだろう。
だとしたら光秀は信長じゃなく秀吉にウラミ持ちそうな
もんだしまあ丸ごとやっつけてやれということにはなったんだが。
秀吉がそこまで考えて大返しまで仕組んでいたというのは
小説でありそだな。

314 :
>>312
だからお前は何を求めてるの?
「無い」ということを証明しろとしか見えないんだけど。
それをやるなら先ずお前が、それに反証できる「史料」を提示するのが筋だろ。
日本語を勉強したほうがいいのはお前の方だそ?

315 :
>>308
別に「序列」でも構わないんだが、織田家において明智の序列が
柴田や羽柴のそれより明確に上だったという根拠がない
当時の武家社会で序列の高低は
官位が上もしくは昇叙が早かったり、同席した際の席次が高かったり、
連署する際の順番が上だったりと様々な点から類推できるものだが、
明智が他の方面軍司令官に対しはっきりと優遇されてたというのは自分は知らない
中央といっても京は村井貞勝が庶政を一手に引き受けてるし、
物流の中心堺や戦略的要地である大坂は光秀の管轄外で
実際に明智の影響が及んだのは意外に小さいわけで、
その一点だけで「一番ランクが上」つうのは微妙
畿内の領地で言ったら羽柴や滝川も持ってたしね
まあ君が考えてるほど普通じゃないとは言えると思う

316 :
>>314
四国政策に関する光秀の関与が一切記録にない。とある。>>301>>304で確認しとけ。
記録が載ってる史料がないのではない。
つまり実在しない史料を見て記録にないと確認したわけか。
つまり単なるホラ話にすぎないということだ。
見苦しい言い訳をだらだら続ける藤田達生信者の愚行。

317 :
>>316
だからそれに対する反論はお前が本能寺前後の四国政策における光秀の関与を表す
史料を提示すればそれで済むっての。
無いならお前は難癖を付けてるだけだ。黙ってろ。

318 :
>>315
光秀は近畿管領という要職にいた織田家重臣。
つまり畿内大名を傘下に置いてたわけだ。
が、配下与力は光秀の家臣ではなく、信長直轄。
だから信長の意向一つで、彼らを光秀から切り離し、勢力の減退可能。
荒木の謀反の時に、信長は実際に実行。
そこが足利将軍家や秀吉とは違う信長の優秀さ。
信長の晩年、最もお気に入りだったのは、最重要戦線を任されていた羽柴秀吉。
光秀は明らかに秀吉に風下にいた。
だから備中戦線に派遣させられたわけだ。
以前秀吉が柴田が指揮する北陸戦線に派遣させたのと同じ理屈。

319 :
>>317
自己の私見の根拠をつつかれると、それには一切答えず、相手に的外れな質問して言い逃れる毎度のパターン。
もう見飽きた。
史料実際に見たんなら、その名称明示するくらい簡単だろ。
それさえできんのだから、何を言わんかだ。
小一レベルの見え透いた法螺話。

320 :
>>318
それはどうだろう。
派遣させられるのが常に指揮下に入る下っ端とは限らない。
光秀の中国戦線派遣も、信長の応援前の様子見、で逆に
後見的なものだったかもとはよく言われる。
秀吉の北陸派遣も勝手に帰ってきちゃったが
叱られはすれ打ち首みたいに咎められてはいない。
他のカキコみても表面的な事象からおかしな解釈を
してるようなのが多いからもう少しいろんな本読んだほうがいいと思うよ。

321 :
悪人秀吉。
だから悪人家康に乗っ取られる因果応報。
家康は毛利・島津を始末しなかったため後年手痛いしっぺ返しの因果応報。

322 :
秀吉が野望を持たなければ、
信孝が三法師元服まで織田家陣代を務めることになったのかな?

323 :
兵の掌握さえできないカリスマ性皆無の信孝では天下は荷が重い。
重臣も信孝を軽んじて、織田家内紛で分裂。

324 :
江(少女)が実は清州会議に参加していて
秀吉の三法師擁立を防げなかったことを後悔していたらしいね
今やってる大河によると…

325 :
いろいろ考えたが清洲会議ってこうすればよかったんじゃね。
秀吉「お世継ぎは三法師さまじゃ(キリッ」
丹羽・池田「羽柴殿を支持します!」
勝家「……たしかにそれが筋じゃと気が付きましたわ。では其れがしも信孝さまを説得するわい」
勝家・丹羽・池田「では我らで力を合わせて簒奪者がでぬよう三法師さまを盛り立ていこうぞ!」
秀吉「え!?いや、そうですな……。みなさん分かっていただけてなにより。はは……(´・ω・`)」

326 :
>>325
実際にそんな感じだったらしいぞ。秀吉と勝家の対立は清洲会議の後、信孝信雄が
国境線紛争はじめてから

327 :
秀吉が播磨、秀長が但馬、秀勝が丹波
山城と河内は羽柴家の誰の領地になったんだ?
秀吉?

328 :
>>326
信長の葬儀を誰が仕切るかで揉めたのは、それより後だったか。

329 :
>>324
もう江は爆発すればいいのに

330 :
丹羽長秀は清須会議で、秀吉の事を「おん大将!」と呼んでいました

331 :
信忠生存でも家臣団&体制所属大名の統制は難しかったという意見も根強くある
ましてや信雄・信孝では信長の巨大遺産を継承するのはハナから不可能
清州会議が開かれた段階で、織田体制の終了を確信していた人達は体制内部でも
かなりいたんじゃないか

332 :
強いものが天下を取る、というシンプルな発想にのっとって
秀吉が、じゃぁオレも、と思うのはいかにも普通。
織田家というか信長には悪いと思ったろうがもういない人だしね。
この会議自体が相当に不穏だし別に秀吉に天下取りの意思があった
としてもそんなにおかしくはないと思うけど
どうもそういう風に考えると陰謀論みたいに扱われて不思議だ。

333 :
考えすぎ

334 :
信忠まで横死したのは当時の織田家にとって致命打だった
彼が生きていれば織田家があそこまで没落することは無かったと思う
でも彼が天下一統できた器かとなると微妙な気がする
信長死後の体制維持のため、主旨は違うが清州会議のようなものを開いて
家臣団や同盟傘下大名の結束維持を訴える必要性に迫られたと思われる

335 :
         -‐―- 、
    /..::::::::::::::::::.丶  
 .  /..::::::::::::::::::::::::::: ヽ     
   i.::::::::::::」:::」:::」::」」i l
    ∞ / (●  (● ∞
   ‖|  ~"  ゝ~" |l 
   ‖八    З ./ |l 
   ‖ |ヽ\_ /ソ

336 :
>>335
ワロタ
お嬢ちゃんにも伯父さんの巨大遺産の相続権あったっけw
藁にもすがるというという言葉があるが、お江ちゃんにすがってもなぁ

337 :
>>336
現行法では死亡者に子供もしくは孫がいる場合は姪に相続権は発生しない

338 :
つーか妹がいるのにその娘に相続なんかありえねーしw

339 :
>>331
信忠は織田家の家督を継いだ、正式な信長の後継者。
他家に養子に出された信雄や信孝とは訳が違う。
数々の軍歴も積んで、家中における存在感は抜群。
信忠が明智の乱を切り抜けていたなら、
織田家中は何の問題も無く、信忠の下に再統合される。
信忠に逆らうことは、イコール明智光秀になることと同義。
そんな奴に誰も同調しない。

340 :
>>339
信長の傀儡のような信忠は威令をもって自己主張したりするタイプではないので、
織田親戚と家臣らが三好三人衆や松永久秀みたいになり
三好義継のような状態になるだろうね。

341 :
>>340
信長が消えれば傀儡ではなくなるな。
それに幼児の三法師でさえ秀吉が利用せざるを得ないほどの権威を持っていたのだから、
堂々たる青年男子の父信忠には、織田家中の誰も逆らえない。

342 :
>>341
ただ織田領国は信長在世中ですら離脱、分裂傾向が進行していたから、
信忠が生き残ったとしてもそのような傾向を押さえて統一を保てたか、ということは甚だ疑問だな。

343 :
>>342
離脱分裂云々は、一部の例外を全体にすりかえる詭弁。
そんな史実は無い。
それに秀吉の織田家簒奪の手段が、織田家の権威を借りた主家への忠義立てだった事を鑑みても、
信忠が健在なら彼への忠誠こそが織田家臣にとって絶対正義となる。
信忠に逆らえば、孤立して光秀のように袋叩きにあって抹殺されるだけ。

344 :
>>342
同意。柴田のように織田家第一と考える武将ばかりならともかく、光秀や信長・信忠横死後の
秀吉のように「あわよくばオレが!」と考える輩が他にもいる可能性がある
信忠健在であれば秀吉も内心の野心は隠して忠勤に励んだ可能性は大
しかしあまりに華々しい父親と比較すると、カリスマ性の面で信忠の手腕はあまりに未知数
(数年の織田家当主歴、武田征伐等の実績をふまえても)
信長不在の状況の中では仮に信忠健在でも、一つ二つのほころびから織田権力に
大きなゆらぎが生じる可能性は大だったと思う

345 :
初代の偉大な頭首が満を持して時代に譲っても
案外2〜3代でつぶれてしまうというのはそれこそ
歴史がいろんな角度から証明してる。
信長のカリスマ性を強調すればするほど逆に
それを受け継ぐ2代目はそのギャップが明確になる。
まんま信長の業績をそのまま信忠が受け継ぐというのも
仮定でしかないと思うしそんなに確定事項のように
考えるのもどうかとは思う。
信長が認めた跡継ぎというのを過大解釈してはいけないだろうし
なにか自分の判断でミスしたら逆に信長とは違うというのが
強調されるというマイナスもある。
結論として不明と言うしかないし少なくとも
信忠幕府が出きてたなんてのはさすがに妄想的だろう。

346 :
>>343
そんなゲームみたいに上手くはいかんよ。
ただでさえ織田家のシステムは家臣に巨大な権限と領土を与えて、半独立と言って良い状況に
なっているんだから。
そこからほんのちょっと踏み出せば、逆らう逆らわないみたいな二者択一じゃなく、
既成事実の積み上げで実質独立と変わらない状況にも持っていけるわけだし。
そういう従っているんだか従っていないんだかみたいな連中を取りまとめることが
信忠に出来たとは到底思えん。

347 :
せいぜいうまくいったとしても勝頼以下。
そもそも家臣らの発言力が増大するし
言うことをきかないから秀吉から播磨を召し上げとか
柴田から越前召し上げとかやろうとしたら
逆に信忠が破滅するだけ。
そもそも信忠が指揮した甲斐信濃が家康に取られて権威丸つぶれ。

348 :
本能寺の時点で織田の兵力っていわゆる5軍団以外に信長と信忠直属の兵力ってどの位あったの?
まさか織田のほとんどの戦力が各方面軍に割り当てられてたわけじゃないんでしょう?

349 :
>>344
自演(笑)
ま、それはそれとして、
織田の戦力はもはや圧倒的で、残存しているどの敵も織田の天下を覆すのは不可能。
明智の乱の再発防止のため、信忠はより警戒を強化し、自己の近衛師団を整備するであろうから、
もう二度と本能寺の変のような不測の事態は発生しない。
よって訳の分からないほころびなんぞ発生しない。
信長亡き後、織田家臣にとって信忠は主君以外の何者でもなく、
唯一天下に邪心を抱いていた秀吉も、明智討ちの戦功を独占できないのだから、手も足も出ない。
仮に秀吉が史実と同様明智討ちに絶大なる貢献をし、それに増長して主家を簒奪しようとしても、
信忠健在なら織田家中の誰も秀吉に与しない。


350 :
>>349
だからその織田宗家が絶対的な君主権を未だ確立していなかったんだって。
信長が絶対君主だみたいなこと信じているのなら、それを理解出来ないだろうけど。
織田家権力ってのは仕組みとして古く分権傾向が強かったんだよ。

351 :
>>345
懲りずに自演の愚(失笑)
そもそも信長はとっくの昔に家督を信忠に譲っているのだから、
信長の業績をそのまま信忠が受け継ぐのに何の問題もない。
確定事項だ。
信忠が何かの判断ミスを犯すという仮説こそ、仮定でしかない。

>>346
これも自演(爆笑)
織田の臣下で半独立とは単なる脳内妄想。
半独立なら、佐久間・林・安藤らの一斉放逐は不可能。
他の家臣らも致し方ないという傍観の構図。
つまり織田家には簡単に家臣の封土を取り上げ、身一つで放り出せる絶対権力があったわけだ。
既成事実積み上げとか実質独立とか、信長信忠の消滅下でしか有り得ない話。
勝家らが幼児の三法師にさえ逆らえなかったのに、信忠に敵対できる訳がないのは、小学生でも分かる話。
ま、書き込んでる当人が幼稚園児なら致し方ないがな。

352 :
>>350
分権ってそりゃ足利将軍と守護大名の関係。
織田家とは無関係。
なんなら、分権を証明できる分かりやすい事例挙げてくれよ。

353 :
>>347
信忠生存なら、織田家が真っ二つに割れた内紛など起きないのだから、
家康はドサクサ紛れの甲斐信濃併呑などできない。


354 :
>>352
それこそ織田家の機構は室町幕府の守護大名と殆ど変わらないんだが?
君が足利体制が分権的というならイコールで織田体制も分権的になるわけだ。
分権がどういう事かといえば、織田体制は領主の裁量が極端に大きく、
軍の基礎になる軍役さえもその領主の宰領の中に含まれていた。
検地によって支配地域の生産量を把握し、それを元に軍役の数字をはじき出し
配下領主をすら仕組みとして組織の中に取り込んだ北条、武田などの東国大名と比べて
非常におくれている。鎌倉時代から変わっていないと言ってもいいくらいだ。
こういっても君ははなから理解する気もないだろうけど、織田体制というのは
あくまで過渡的な形態でしか無く、新時代に対応していたとはとても言えないものだったんだよ。

355 :
>>352
足利将軍はたびたび有力守護大名の突き上げや圧力を受け、政策に多大なる影響を受けていた。
細川頼之罷免など枚挙に暇がない。
が、織田家では信長が絶対権力を有し、家臣らはただ命令に従う道具でしかない。
信長の命令に異を唱えるなど有り得ない。何故なら己が首が飛ぶからだ。
ま、こっちにも無知な部分があるかもしれないので、
織田家臣が信長に圧力加えて、政策を変更させた事例があるなら教えてくれないか。

356 :
>>355内の>>352>>354に訂正
ま、文脈から分かるだろうが、幼稚園児だったら理解できない可能性もあるので念のため

357 :
>>351
まあ後の秀吉の活躍を知ってるから妄想も湧くわけで、ご意見の通り信忠トップで
盤石の織田権力を確立していた可能性も大かもね
家康なんかは外様だけど同盟(配下)大名として奉公してくれただろうし、上杉・毛利ら
を早めの屈服させることで秀吉以下家中内の団結も高まったかもしれん
ただ信長在世時と比べると、権力運営の不安定感が増すのは否めないと思う

358 :
>>354
織田体制の領主の裁量って、領主として領土内を統治しているだけなのだから、そんなの当然。
素晴らしい大ボケだ。
本社から派遣された子会社の社長が、自社にて経営を裁量するのと全く同じ。
が、その子会社社長の人事権は本社(織田家)の社長(信長)にある。
何かにつけて国人と合議しなければ組織維持が困難だった武田、毛利らと織田家とは、
根本的に組織構造が違うのだがな、
そもそも検地で軍役の数字を算出している事自体旧態依然の軍制なんだがな。
織田は銭で雇った傭兵軍団だから、銭さえあれば幾らでも兵を補充増派可能。
銭が必要だから商業振興のため、関所廃止や楽市楽座を断行したんだが、
小学生でも知ってる知識さえないとはな。
ま、もし幼稚園児なのなら仕方ないがな。

359 :
>>358
>織田は銭で雇った傭兵軍団
両国経営の話は御意としても、
「兵農分離」に関しては根拠が無い妄想と各所で言われてますな。

【一領具足】戦国時代の兵農分離【郷士】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1267337010/
次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 4
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/

360 :
>>358
未だに兵農分離とか傭兵軍団とか、そんなファンタジーを信じているのか…。
なんというか、まあ、お大事にな。

361 :
いつもの精神病信長厨キチガイだから無視しとけ。

362 :
>>兵農分離とか傭兵軍団
ワロタw
コーエー本と歴史群像ネタを盲信とか頭が弱そうw

363 :
未だに兵農分離とかトンJンなことを言うのは信長アンチの仕業だろ
騙されるな

364 :
>>359-363
また脳内妄想で放言ですか
懲りない御方だ
しかも自演で

365 :
家督を譲られてた、と簡単に言うけどそれもゲーム的な
データ処理じゃないのかな。
信長生存時はそりゃ信長と同じような意味合いを持つ
家督自体の価値だろうがその信長がいなくなった時に
存命中と同じような権威とか権力維持の機構として
成立するかは検討しないといけないのじゃないかな。

366 :
続き。
355で信長が絶対権力を有しと言ってるけど
そんな恐怖政治的な権力の家督をもらったって
信長がいなくなった時点で逆に危険ですらあるでしょう。
そういう意味も含めて信忠のみの織田体制はそんなに
信長同様ではないだろうし未知数であるし
そのまま信長個人のカリスマ性や体制まで継承すると言うのが
どうもゲーム的な発想に思えるんだ。
気に障ったら悪いが。
秀忠だって単に家康から譲られた家督をそのまま継承して
はいオシマイではないことを自覚して各家臣の家を訪ねたり
次代の自分の家臣たちとの個人的信頼関係を築き上げようとしていた。
そういうのはやはり大事で重要でしょう。
信長の強大な存在を認めるならば同じように
信忠が各家臣たちとどのような信頼関係にあったか
各家臣が信長をどう考えていたかとかこういう視点が大事でしょう。
そして逆らったらクビが飛ぶ、なんて状態の織田家がどのぐらいの
ものだったかをよく吟味する必要があるのではないかな。
そうしないと単に分権とか足利とか比較してもやはり空論であって
ゲーム数値的データ的な感覚で考えすぎてるような気がする。
長文ごめん自演じゃないよ。

367 :
砂上の権力だからいつ崩壊してもおかしくなかったからな。
信長死亡→権力者争いの内紛なんて案の定って感じでしょ。
絶対権力者って例えば大友が二階崩れの変で父が殺された宗麟とか
大内義興の跡を継いだ義隆が陶のクーデターで殺されたりとか、
信虎は追放、為景も引退に追い込まれたりしてるわけで
結局は絶対多数の総意により行き詰まり君主権みたいなものは必ず後退する。
六角義賢の跡を継いだ義治も家臣団により権力制限を受けたし、
斎藤道三も家臣団に担がれた義龍によるクーデターで死んだ。
信玄や謙信は国人家臣団との合意を以て国を運営してたし、秀吉の五大老も同じようなもんでしょ。
信忠だけは信長のカリスマを継承できるわけが無い。

368 :
美濃岐阜を経営してて、手持ちの軍団を持ってるんだから
例え各方面軍が叛旗を翻してもそう簡単には消えないと思うぞ、信忠は

369 :
なんで滅びるか滅ぼすかの二択でしか考えられないかな?
例えば方面軍の連中が反旗なんか翻さなくても実質的に織田家中枢のコントロールから外れれば、
それは織田政権の崩壊になるんだよ。
海千山千の連中が簡単に討伐の大義名分になるような動きを見せるわけ無いだろ。
表面的におとなしく見せて実利を取り、相手の骨の髄までしゃぶるに決まってる。

370 :
だからその海千山千の連中の権力基盤が何かっていうと
分かり易く軍事力なんだよ。軍事力があるから、それを背景に発言力が生まれる
だから自分の直轄の兵力を持ってれば、簡単には織田家中枢から外れない

371 :
滅びるか滅ぼすか二択で考えてないのは>>369だろ
叛旗や消えるは権力闘争にも使える言葉だし、美濃岐阜を経営とも発言したぞ、俺は
勝手に軍事的な意味だととってかかってるのは、自分の意見を押し通すことしか考えてない証拠じゃないの?

372 :
過大評価しちゃいけない。
信長が佐久間や安藤を追放してやっと尾張や美濃の半国支配だし
それから2年も経ずに信忠死んでんじゃん。

373 :
上記で議論されてるように史実と異なり、信忠生存で織田権力がどうなったか?という
話は興味がつきない
信忠横死の場合のように一気に体制崩壊という事態は無かったように思うが
光秀征伐→家臣団・従属大名掌握→敵対大名征伐→天下統一とスムーズに進んだかどうか
織田政権が畿内地区掌握勢力として、統一事業が足踏み状態になるという可能性もあったんだはないか
信忠が父親ほど天下統一に執着心を持たなかったというケースも考えられると思う

374 :
岐阜や安土の信長直属軍がどのくらいかわからんが
秀吉軍とならそんなにかわらんのじゃないか。
秀吉が光秀討って摂津あたりも吸収したら
織田家最大の家臣ということになってやっぱり同じような
ことになってたかもね。

375 :
信忠の織田家全権掌握
秀吉の織田家簒奪
家康の甲斐信濃収奪
どれも簡単ではないよ、当たり前だけど
おまけに毛利、上杉、長曾可部等が息を噴き返す可能性も少なくないし、
距離的な意味からも秀吉、家康、一益らが信長在命中と同じ位置立場に留まるかは怪しいな
とにかく光秀は日本史ひいては世界史を変えた男だよw

376 :
世界史は変えてないだろw

377 :
朝鮮史

378 :
捏造ニダ

379 :
>>374
史実通り秀吉が行動したら詰むのは秀吉でしょ
史実でも反秀吉で柴田・滝川や信雄・徳川で結束して
それを切り崩して秀吉は勝っていったのに
信忠生きてたら、反秀吉に一本の芯が生まれてしまう
信忠が無能であっても、信忠を傀儡にして利を得るのは柴田や徳川で
秀吉は第二の佐久間や第二の明智になる算段の方が高いわ
信忠は戦争大好きっ子だから信長の路線を継続させるとして
信忠じゃ天下とれないよルートを考えるなら
秀吉、柴田、信忠(滝川)の三すくみ、あるいは徳川入れて四竦みで
gdgdになって瓦解する方が現実味あると思う

380 :
そもそも丹羽が協力してくれないと秀吉が天下取るの無理。

381 :
まあ秀吉軍の大半は結局、織田家からの与力だからな。
秀吉だけじゃ、秀長と合わせてもせいぜい播磨と但馬半国程度の勢力。
宇喜多を入れてそれに備前か。

382 :
その播磨が西国では豊後と並んで大国なわけだが。
そのまま摂津や河内も押さえられたら
戦と調略職人秀吉を抑えるのはまず無理だな。

383 :
尾張美濃近江も相当な大国だけどな
まあ秀吉が本気で信忠に歯向かうなら壮絶な跡目決戦にはなると思うが

384 :
毛利が秀吉を全力支援するだろうし
上杉とにらめっこの柴田が動けない冬季に秀吉が信忠をフルボッコだろうね。
現場叩き上げの秀吉に信忠が勝てる可能性などまったく無い。
何事も信長が決定を下してきたので信忠を軍略で支えられるような側近もいない。
いざ戦えば秀吉の調略で切り崩されるのが落ち。
関ヶ原での家康による西軍大量内応は秀吉の調略を学んだに過ぎん。

385 :
実際は尾張美濃系の武将切り崩されて羽柴勢崩壊だろうな

386 :
家康には甲斐信濃を切り取られて
信忠の前に出された川尻の首にお漏らしする信忠…
伊勢の弟まで信忠打倒に動くだろうね。

387 :
毛利は積極参加なんてリスクのでかい事しないだろ

388 :
>>384
信忠いるのに毛利が秀吉を全力支援するのか?
信忠と戦う秀吉を背後から襲うんじゃないの?
信忠と組んで

389 :
毛利はどちらかにある程度差がつくまでは動きそうにもないよな

390 :
信長と信忠が同時に死んで主従関係が曖昧になったから秀吉が台頭して来たわけで
信忠が生存していたら秀吉は独立するのすら困難だお( ^ω^)
大義名分が何もないもの( ^ω^)
史実通りに明智を討てたなら家中での地位は固まるから
信忠の権力を少しずつ削って傀儡化できればいい方だお( ^ω^)

391 :
毛利と上杉は程度の差はあれ、死に体だろ
まあそもそも三法師の擁立自体無いのに信孝でも担ぐのか?

392 :
60手ぐらい進んだ将棋で100手目を予想するようなもんだな
それも棋力不明の対局者の
判断材料が多過ぎるw

393 :
秀頼が家康に滅ぼされた同様に
信忠も秀吉に滅ぼされるな。
天下は実力ある者の持ち回りだからね。
将軍足利義昭様と信忠では正当性がまるで違う。
信忠が家康を威圧して強制的に甲斐信濃を返還させて川尻の一族や森を任地に戻し、
北条を威圧して滝川を上野に帰還させることができたら威信が保たれるがまず不可能。
凋落した信忠より実力ある家臣に人望が集まる。
それは>>367を読めば理解できること。
そもそも信忠は>>372のように地盤が弱い。
だいたい岐阜城なんてバカみたいに簡単に落城してる歴代城主を不幸にさせる城だし。

394 :
>>393
他家に養子に出された信雄や信孝でさえ表面的に立てていた秀吉が、
どうやって信忠を滅ぼせるのか、教えてくれないか。
象は空を飛べるという類の妄想を書き込むのは勝手だが、
説得力のある根拠を提示しないと寝小便の垂れ流しと同じ。
ここは一つ、シュミレーション頼むよ。

395 :
義隆を表面的に立ててた陶や内藤
陶を表面的に立ててた元就
信虎を表面的に立ててた武田家臣
古河公方を表面的に立ててた北条
義昭を表面的に立てて信長
秀頼を表面的に立ててた家康
が何をしたか理解できないの?

396 :
>>395
それ全部個々の状況が違うし、無理矢理一緒にされても困る。
まあ一つ共通項を認めるとすれば、それらは全て実質上の君主権を(大内はちょっと違うが)
失っていた、って事だな。

397 :
>>395
秀吉にとって信忠は表面的に臣従を装うのが可能な相手ではなく、絶対服従の主君。
ましてや信忠が難を逃れていたなら、明智討伐の中心は信忠であり、秀吉ではない。
秀吉は明智討ちの最大の功労者だったから、以後の政局を己の有利に展開できたわけで、
信忠が生きてれば、どう足掻いても秀吉の出る幕は無い。

398 :
まあ秀吉に出来るとすれば中国西部を有して、室町時代の山名みたいな勢力に
なることくらいだっただろうな。

399 :
本能寺変後のゴタゴタで寄騎を家臣化できるなら、それが一番だよな
わざわざ中央権力の争いに足をつっこんで疲労するより、足場固めて
外から幕府に影響力を与えられる力を持った方が賢い

400 :
1982年の武田征伐完了以降は信長はどこを主敵にしていたのかな?
中国地方 担当 秀吉 対象 毛利 状況 この時点で最も長期間対峙していた相手、徐々に織田が侵食しているもののやや苦戦か
北陸地方 担当 勝家・利家 対象 上杉 状況 越後本国侵攻寸前、勢い的には最も強かったと思われる。豪雪地帯なので雪との戦い?
四国地方 担当 長秀・信孝 対象 長宗我部 状況 侵攻計画最終段階 外交的手順が整えば侵攻していたか? 渡海戦というのがネック
関東地方 担当 一益 対象 北条 状況 とりあえずは同盟関係だ、しかし旧武田領を完全に安定させたあと圧力を強めていくと思われる。
やはり長期間対峙していた毛利をもっとも主力の敵としていたのかな?信長自身が援軍に向かおうとしていたのもそこだし
そうするとそれの担当をさせていた秀吉は、方面軍団長としてはすでにNO1に座にあった?と考えられる

401 :
秀吉は下手にあがいて潰す口実を与えるような馬鹿なマネしないだろ

402 :
>>400
上杉は新発田が国内で謀反し、上野から滝川が迫っており王手。
景勝も観念して、「全国を敵にして滅ぶのは武門の誉れ」と佐竹に手紙出してるよ。

403 :
>>402
そっか!滝川一益は対北条というよりも中越地方からの対上杉後方侵略という意味合いのほうが大きかったんだね。
本能寺がなければ信長は毛利攻めに参加する予定だったようだけど。これって秀吉の立場からすれば
「よっしゃ!お館さまが参陣されれば鬼に金棒!やはり最大の敵・毛利のところには殿みずから出陣なされる!
その主敵の先鋒につけたのはわしじゃから、わしのことを買ってくださっておるのじゃな!」という感じなのか、はたまた
「あー・・・お館さまの手を煩わせるはめになってしまった・・・北陸は柴田殿一人で切り取っているというのに・・・
出世争いに一歩後退じゃな・・・・」という感じなのか?

404 :
信忠が逃げのびても柴田がちゃんと従うとは限らないぞ。
かつては信長にも弓引いた男だからな。
信長を助けられずにただ逃げただけの信忠に天下人の器量無しとして
信孝と組んで信忠に対して謀反する可能性も十二分にある。

405 :
信長の有名な柴田勝家宛の「いついかなる時もオレを尊崇しろ」って言うのは、
つまりそんな事を書状に書かなきゃならないほど、柴田が信長を軽んじてたってことだ。
少なくとも信長からはそう見えたのだろうな。

406 :
時代劇では柴田を信長に忠義を尽くす人として書く傾向があるけど
過去の謀反を完全に無視してんだよな。
柴田にも秀吉同様天下簒奪の野望はあったはず。

407 :
>>400
そこで柴田に利家並べる必要がないし
四国方面に丹羽を含めるならちゃんと信澄も並べるべきだと思う
織田家の親族筆頭なのに信澄はスルーされること大杉
滝川を対上杉に入れるなら信忠の甲斐信濃ひっくるめて対上杉になっちゃうだろ。森も侵攻してるし
信長は自分が西で信忠は東って考えていただろうよ
その為に信忠と滝川をずっと組ませていたんだろうし
だから羽柴、柴田、信忠でグダるっつー話よ

408 :
柴田は信長に対して謀反したが、織田家に対して謀反したことはない

409 :
織田信忠軍→信濃甲斐でフルボッコされる。
織田信雄軍→明智討伐に向かうも伊賀の国人衆の謀反を危惧し伊勢へ逃亡。
織田信孝軍→集結した兵の逃亡が相次ぎ瓦解。
信忠を含めて信長の息子達の才覚と力量では
柴田勝家軍団と羽柴秀吉軍団を統御できるとは思えない。

410 :
結局、信長と言う権威が生きていて後ろ盾になってる条件があって始めて軍隊として機能してたに過ぎないんだよね。
信長が死んだとわかるや軍隊が瞬く間に動揺し離散するようじゃ乱世における将の将たる器なんてとても持ってないよね。
信忠の軍事力は旧武田領でほとんど壊滅してるから
結局は秀吉が信孝軍を合流させて明智を打ち破り
明智の丹波亀山や近江坂本を奪い取りながら安土にやってくるだろうね。
信忠は甲斐信濃を奪った家康に臆して返せと命じることもできず恐怖することになる。
さらに主君顔して命令でもした日には柴田も上杉と対峙や豪雪のためを口実に信忠支援には来ないだろう。
なんせ信忠配下に秀吉や柴田を討てるような力量ある将もいないので彼らにとって信忠ごときは驚異にも感じないし
信忠に対抗するために都合の良い後継者を立てて大義名分にすれば済むこと。

411 :
>信忠の軍事力は旧武田領でほとんど壊滅してるから
え?森、斉藤、団、河尻などの美濃尾張は日本から沈没した?

412 :
>>408
信長の弟信行(名前について諸説あるが無視)を擁して信長に謀反するのと、
信孝を擁して信忠に謀反するのとではあまり変わり無いだろ。

413 :
信孝を柴田が担ぐと秀吉の担ぐ神輿が無くなっちゃわないか?
信忠派のその他大勢になるか、柴田の旗下に入るか、別に信雄担ぐか

414 :
秀吉も信長の子を養子にしてるだろ…

415 :
信長の子の中でも秀勝は一段落ちるからなー
担いでも御輿として信雄信孝の対抗馬とするのは難しいでしょ
ましてや信忠の相手なんて無理じゃね

416 :
担げる神輿ではあるだろうが
なんつうか、長男健在の上、次男三男健在であるにも関わらず養子を担ぐって
これ以上となきいじきたなさを感じるよな

417 :
秀勝は用済みになったから、病死ということにして秀吉が暗殺したんでしょ。

418 :
信孝と信雄が力を合わすことを知らんアホだったことがすべての運命を決したんだろ?
秀吉は二人の対立を煽り立てて織田家の力を削っていった。
昔から繰り返されてきた主家乗っ取りのパターンじゃん。
勝家と一益はアホ兄弟に義理立てしてしまったのが失敗だった。
丹羽や前田や池田は歯がゆかっただろうな。

419 :
>>418
信忠が健在なら毛利3兄弟みたく結束して親父亡きあとの難局を乗り切る、てケースも
ありえたかも
信忠が家督で信雄・信孝がその両輪となり、柴田・滝川・その他らが補佐する形になれば
織田天下は完成継続できたかもしれん
もっともその逆で源頼朝−義経とか足利尊氏−直義とかみたいに、兄弟内紛して
家中がグチャグチャという可能性も大いに考えられるわけだが
その場合は史実通り、羽柴が台頭してくるだろうな

420 :
頼朝―義経じゃ格が違い過ぎて、実際大した内紛にはならなかったし
尊氏は直義(鎌倉派)と高師直(京都派)のバランスそのものが政治命題だったんだから
兄弟内紛でガタガタの例に用いるのは違う気がする

421 :
信孝の母は坂氏だから異母である時点で協調体制は無理だな。
しかも四国遠征軍が瓦解したとは言え、
光秀追討で中国大返しした秀吉に担がれて総大将として光秀打倒に貢献したであろうことは確実。
信忠と信雄の母は不明だが対立関係にはなるだろうね。
絶対に柴田の風下には立ちたくない秀吉は完全に操り人形にしてた信長の四男秀勝もいるし。
織田政権が内紛に突入するのは間違いない。

422 :
信忠と信孝の仲は良好だったとか言われてなかった?
むしろ信忠と信雄の仲の方が微妙とどこかで聞いた記憶があるんだが

423 :
信雄はどこをどうひっくり返しても無能という評価しか出てこない。
しかし有楽斎と並んでちゃっかり家名を残してるのはコイツなんだよな。。。

424 :
>>479
毛利三兄弟+五龍はガチでむちゃくちゃ仲が悪かったよ。
隆元が死んで良かったと言えるほどの険悪さで事実上シカト隆元はぶられ状態。

425 :
へ〜、それは知らなかった。意外だわ
実際の元就逝去後の毛利家は「3本の矢」とは程遠い状況だったてことね
よくそれで家中統一が計れたな。織田権力より規模は小さいが、毛利家は戦国後期の
中国地方の統治者なのに
小早川隆景が優れた人物だったのが救いだったのか。織田家には彼に該当する人物が
いなかったのが不運

426 :
元就がわざわざ三子教訓状を出さなければならないほどに
兄弟仲が険悪だったからね…それもまったく効果が無かったけど。

427 :
と、アンチ毛利がアホなミスリードを。
三子教訓状程度の親から兄弟仲良くしろって教訓はどこの家にもあるっつーの。
あの程度で済んだんだから時代的には各家の利害問題でちょっとギスギスしてたくらいだ。
いいか?本当に仲が悪けば兄弟同士で戦い合うんだよこの時代。
信雄と信孝みたいにな!「w

428 :
信雄は無理として、信孝がもう少し家臣団内部の空気が読めれば良かったのでは
例えば秀吉に先んじて甥の三法師を推戴して、自らが執政役となるとかね
他家に養子に出た自分の家督相続を軍団長&国持ち大名クラスはもろ手を挙げて
支持するわけが無い、という自覚を持つべきだった
自ら信長信忠直系の三法師を家督と推す度量が信孝にあれば、清州会議以降の
織田権力の凋落は無かったと思う

429 :
>>427
へぇ。他家でも三子教訓状みたいな書状があるなんて初耳だなw
だいたい隆元本人が弟たちがシカトするとか元就にチクってるわけだが。
元就も「隆景にはわしも怒っている。兄弟仲よく協力しなきゃならないのに困ったやつらだ。元春についてはもう諦めろ」とまで言ってるのも知らんのかね?

430 :
宇喜多忠家「マジで殺されるから兄上と喧嘩なんかできねーよ」

431 :
>>430
宇喜多直家「そんなことはないぞ。さ、茶でもどうだ?」

432 :
..__
│宇┃
│喜┃  ●
│多┃◆山◆
│直┃(   .)
│家┣(   つ◇.
  ̄ ̄      ;∵ パラパラ
        旦旦旦
    __
    ┃備│
  ●┃前│
◆岡◆ ̄
(・∀・;)∫ < >>430殿、粗茶ですが。ささ、かけつけ三杯
( つ旦旦旦 

433 :
弟が暗殺を警戒してたとか直家の話は後世のウソくせぇよな。
普通は出奔するか逆に兄を暗Rるだろ。
緊張を続けてたら精神狂うわ。

434 :
秀吉や家康の謀略で佐久間や林のような失脚狙いの調略があるな。
北陸から動けなかった本能寺後の怠慢を詰られ昔、父の信長に謀反した罪を持ち出され大身家臣の柴田を粛清し
信忠側近を取り立てるような動きになって信忠破滅。
権力闘争するアホ家臣団に惑わされ信雄や信孝同様に自滅。

435 :
光秀討って鼻高々になった秀吉が、家康からの失脚狙いの調略される可能性もあるな
しょっちゅう家臣粛清してるやつならいざ知らず
そうでもない信忠でそういう話をするなら何でもありだよな

436 :
膨張させた当主の跡を継ぐのは難しいよ。
当主側近や大身家臣や功臣達の扱いは特に厄介。
ほとんどがこの統御に失敗し代替わりで家臣への分権による君主権の後退が避けられない。
そして前当主派家臣が冷遇され現当主側近が重席に引き立てられるのも当たり前。
家康に対して岡崎派に担ぎ上げられた信康なんてのもあるし、
家康から秀忠になり本多正純が失脚したり、
越相同盟推進した氏康が倒れた後に氏政のことが一時的にわからなくなったが
少ししたら記憶が戻ったが少しして死んで甲相同盟が復活したのも怪しい流れ。
信玄と義信なんてのもあるし。
なかなか二代続けて優秀な当主は登場しない。

437 :
なぜ信忠だけは大丈夫だと言い張れるのか謎だよな・・・
それより信忠の首が発見されなかったことが不思議だわ。

438 :
>>437
場所は違えど信長と同じ様な死に方だし、信長の首が見つかっていないのなら信忠の首が見つからないのも不思議ではないと思う。
とはいえ後に信忠が控えてた信長と違って、信忠の首を捜す時間は充分にありそうだよね。
というわけで、信忠の介錯をした後に、鎌田新介が首を持ち出し密かに葬って、「縁の下に隠した」と嘘をついたと妄想してみるw
逃げたかったのなら戦闘が始まる前にさっさと逃げればいいのに、わざわざ居残って信忠の死を見届けてから逃げた鎌田新介が理解不能だったもので。ついw

439 :
本能寺も二条城も今考えられているような重囲ではなかったのでは。
けっこういろんな人が出入りしてるし。昔の戦争ってわりとゆるゆるだったんじゃあ。
本能寺にも阿弥陀寺の上人が駆けつけて、裏道から入って信長の遺体を運びだして埋葬したんでしょ。

440 :
細かいが二条御所または御新造だな。
二条城では義昭のヤツか家康の造ったのになってしまう。

441 :
消火関係の技術とか未発達だから
初期消火に失敗したら基本は破壊消火
一旦本格的に燃え出したら延焼しそうなもの破壊&撤去
後は燃え尽きるのを待つしかない
本能寺や二条御所クラスなら身元判別できないくらい焼けてもおかしくない
身体的特徴が分からない首だけならなおさら
現代だったら歯の治療記録とかで可能かもしれんけど

442 :
つーか、逃げずに信長の息子として討ち死することを選んだ時点で
首を渡す気なんてさらさらないだろ
もしそんな死んだ後に首を晒してもOKな思考してたら
どんな惨めな姿でバットエンド迎える可能性があっても逃げるだろ

443 :
無知で捲土重来と言う言葉を知らなかった…

444 :
>>443
上から目線で申し訳ないが、捲土重来ぐらいは知らないとさすがに恥ずかしいよ。
俺は、通ってた学校が黒板の両脇にそれを掲げられてたから、10代のうちに知ってたけどね。


445 :
あまり使わない四時熟語だから、知らなくても恥かかないんじゃね?

446 :
信忠がとっとと京を脱出してれば秀吉の天下は絶対100%なかったし、
三法師も秀信なんてダッサイ名前付けられずに済んだのに。
長じて、もう少しマトモな為政者になってたかも。

447 :
日本語が不自由な織田厨ワロタ
信忠が捲土重来と言う言葉の通りに
いったん退却してから
戦力を糾合して光秀を討てば良かったって意味だろwww

448 :
>>443は、信忠が無知で捲土重来という言葉を知らなかった・・・
という、まあ言わばギャグ的な意味でのレスなんじゃないのか

449 :
そういう意味か!!
一体誰が何処で捲土重来って言葉使っていたんだ?と疑問に思っていたがようやく納得出来たよ。

450 :
中途半端なボケで恐縮すけど、どなたか僕にも突っ込んで下さい…(;_;)

451 :
>>446
信忠生きてりゃ妾腹の三法師が嫡流継ぐなんてこと自体が起こらないっての

452 :
>>451
三法師以外に信長直系の孫がいるのか?
そもそも清洲会議にて三法師の織田家相続への異論は年齢だけだろ

453 :
信忠生きてればちゃんと正室迎えて、それが生んだ子が後継者だろって話だろ
信忠は25なのにまだ正室とってないんだぞ
だから政治的意図があったんではないかっても言われてるじゃんか

454 :
三法師も出自の悪さから織田家継承の正当性は薄かったと言われているね。
信雄や信孝より上だとは必ずしも認識されておらず、それも清須体制の
不安定さに繋がっていた、という。

455 :
信忠はいい齢なのに正室がいなかったってことは、存命してても正室迎える保証はないな
たとえ正室迎えても男子が生まれる保証もないし
三法師の生母の出自は信雄や信孝の生母と比べて別段劣ってはいないな
年齢を別にすれば、他家に出された信雄や信孝より三法師が織田宗家を継承するのは至極妥当
そもそも清洲体制は秀吉の主家簒奪の手段なのだから不安定なのは当たり前

456 :
>>455
君が何故そんなに熱心に三法師の正統性を今現在になって主張しているのか知らないが、
少なくとも当時の資料を見るかぎり、三法師は妾腹ということで年齢を別にしても
当初は後継候補にすら入っていない。完全なダークホースだった。
三法師は信忠が生前に、自分の嫡男だと認めていなかったからだ。
きちんと当時の資料を見れば、三法師の織田家継承に、年齢以外の面でも相当無理があると
思われていたことくらいわかると思うが。

457 :
>>447
信忠が討死してなかったら、間違いなく秀吉の天下はなかったな
秀吉が清洲会議で主導権取れた主因は、主君の仇討ちと信忠不在だからな
畿内諸将や丹羽や信孝信雄は、信忠の下で明智討伐軍として糾合される
これだけでも明智軍を上回るはず
時間が経てば続々方面軍が信忠軍に加わって、数で明智軍を圧倒
楽な戦だ
見事亡父の仇を討った信忠の権威は、史実の秀吉の如く急上昇
誰も逆らえない

458 :
信忠が三法師を嫡男だと認めていなかった物的証拠は?

459 :
>>458
そもそも正妻の子でないことが第一。
当時は母方のポジションも重大な要素。正妻の子でない以上それは嫡男にはならない。
そして三法師が嫡男でなかった事は幼名を見てもわかる。
信忠自身の「奇妙丸」でもなく信長の「吉法師」でもなく、「三法師」
信忠自身も妾腹であり、確かに将来的に、三法師が嫡男と認められた「可能性」はあった。
だがそれは、信忠が信長からそうされたように、信忠が三法師を後継者認定する必要があった。
それが行われていない以上、三法師の織田家継承の正当性は、信雄や信孝以上で
あったわけではない。

460 :
前田玄以が適当な事を言ってたのでなければの話だけど。
岐阜から清洲に移すように指示されたのも、形見に脇差を与えられたのも三法師で、三法師の弟の吉丸はスルーされてるんだな。
嫡男とそうじゃない子の違いなんじゃないだろうか。

461 :
>>459
信忠の幼名が父信長と違うが織田宗家の家督を継げたのだから、三法師という幼名は関係ないな
それに信忠自身妾腹の子なのに宗家の後継者なのだから、三法師もまた然りだな
三法師が長じてよほどの阿呆でもない限り、彼が宗家を継ぐのは道理
当然天下を担う家の当主としての英才教育や帝王学も施されるので、史実のような失態を演じることはない
信長が信雄や信孝を他家に出したのは後々家督争いの禍根を排除しておくため
よって信忠と信雄や信孝の間には主君と家臣という格段の差があり、
どう間違っても信雄や信孝が三法師を押しのけて宗家を継ぐのは不可能
こんなの誰でも知ってる史実で、要するに当時の資料云々はでまかせだと判明

462 :
織田信広なんか織田信秀の長男なのに妾腹だったんで家督スルーだったが

463 :
信忠に正妻いないし
それに秀信には武人より平時の文官の素養が求められる
二代将軍秀忠のように

464 :
でも信雄と信孝は他家の養子になっており、
遺言もなく織田家当主になるのは道理からしておかしい
やっぱり直系の血筋こそ重要だと思う
現に柴田も信孝も滝川も三法師当主に異議を唱えて秀吉と戦ったわけじゃない

465 :
妾腹の子だと言うが信雄と信孝も妾腹の子だ
しかも他家の養子

466 :
>>428
それは歴史の結末を知る我々だから言える話
秀吉の着想自体が奇想天外だったのであり、信雄を意識していた信孝にそれを求めるのは酷

467 :
>>461
信忠の弟達が野心を持って家督争いしただけで
三法師が家督を継ぐ方が道理だから
秀吉に丹羽や池田が同調したのは間違いないよな

468 :
少なくとも変が起きるまでは三法師は跡継ぎなんて思われてなかったろうし
それは確定でいいんじゃないかな。
問題はまったく想定外の状態になってしまったわけで
三法師も年齢や立場の問題も有るし弟たちも養子に出てる以上は
そんなに明解に織田家家督を名乗れる立場でもない。
このあたりは問題ないわな。
弟たちの野心だけどこれは見方を変えれば
秀吉の野心に気づいた信孝が織田家というか三法師を
守ろうとしたという言い方もできないか。
信雄はその秀吉と組もうとしてるし三法師は利用されるだけの存在。
これでは会議で決まったからといって三法師を手放すわけにはいかない。
秀吉視点だと、信孝謀反、みたいになるけど信孝や勝家からみれば
秀吉の恩知らずの悪行ということにもなる。
実力世界だから秀吉の野心を悪とか決定はできないけど
信孝のことを野心から家督争いして殺された自業自得の息子、
と言う評価に決定してしまうのはちとかわいそうな意味合いもあるかな。

469 :
>>460
今、自分が死ぬって時に、それまで嫡子認定してなくても他が居ないので
一番上の息子を後継者に認めるのは歴史を見てもよくあることで
死に際に三法師に形見分けしたからって、生前からずっと三法師が嫡子だった事にはならないんだが
三法師と吉丸、どっちも後継者じゃない場合、どっちかが継がなきゃならない場合優先されるのは長男の方だろ


470 :
>>468
確かに信長死後の秀吉の所業は悪人そのもの。
だが個人の悪行でも天下の視点から見れば善行だった。
反秀吉勢力が織田家の勝ち組になっていれば、豊臣の全国政権のような中央集権体制の確立はまず無理。
勝家は自ら天下人となる気は無く、せいぜい織田家の執権止まりで、信孝も天下を支える能力もカリスマもない。
とっくに賞味期限切れの足利義昭をまた引っ張り出すという愚行さえやりかねず、
織田家の天下統一は不徹底で中途半端に終わる。
なんのことはない。昔の不安定だった足利幕府への逆コースだ。
だから秀吉の所業は悪逆非道で、勝家ら反秀吉一派は明らかに正義の徒ではあったが、
天下の静謐という観点で見れば、秀吉の悪行は正しかった。
つまり個人の薄汚い野心からの悪徳悪行も、天下や時代の意に沿えば賞賛される栄光へと天下するわけだな。
これは秀吉死後の徳川家康の悪行にも言える事。


471 :
ふつうに嫡孫の三法師が後継だろうな
歴史的にみて例外的なのが幕末の徳川家で
国際的に多事多難なので幼君では乗り切れないと15代将軍が徳川慶喜になったくらいだろ。

472 :
正室の子である弟が妾腹の兄差し置いて家督継いだのなんかそれこそ信長がそうじゃねーか

473 :
>>470
なんだよな。結局勝てばなんとかにはなってしまう。
ただ、秀吉も家康も静謐という意味で見事な統一をしたから
称えられるけど、これが天下を私物化してさらにその後の混乱を
招いてたらボロクソだったろう。
注意しないといけないのは、信長が天下統一してたとして
それが秀吉家康みたいなものだったかは別問題ということ。
信長は後の2人から逆算して考えられやすいけど全部
タラレバなんだよね。
だから、明智、秀吉はそれを避けるために謀反をした
みたいに言うとちょっと小説になっちゃうか。


474 :
柴田は自分が信孝を推せば、秀吉は秀勝を推してくると想定していたんじゃないか
それが三法師を推してきたもんだからまったくの想定の範囲外でテンパってしまったんだろう
丹羽も三法師に賛成しちゃったし、
嫡孫で織田家に籍があるという道理も通っているから柴田も異論を唱えにくい

475 :
>>113
一人だけレベル低いレス

476 :
勝家と秀吉が個人的に仲悪かったとか完全に創作だよね?

477 :
唐突な質問になるけど、なんでお市は親子くらい年齢が離れてる
ヒゲもじゃの勝家と結婚しようなんて考えたのかな?
アンチ秀吉で対抗できる勢力に輿入れする腹積もりなら
徳川家康に保護を求めてもよかったんじゃない?

478 :
清洲会議当時、家康はすでに天正壬午の乱の真っ最中で動けない

479 :
天正壬午の乱というと現代では天敵扱いの真田と徳川が
手を組んで北条と一戦交えたレアな戦ですね。
この乱の存在を初めて知ったのは戦国無双で甲斐姫を
プレーしてたときという・・・

480 :
清州会議は秀吉の完全勝利と言うけれど、
当主三法師の身柄は信孝がいる岐阜城に置かれたんでしょ
大河ドラマでも放送してたけど
つまり三法師は柴田側にあったわけだ
柴田が三法師の名義で森や蒲生や池田に命令書を出しまくっとけば良かったのに
やっぱりはかりごと多きは勝ち 少なきは負けだな

481 :
>>436
偉大な父とそれを支えた功臣は
若き当主とその側近にとっては邪魔な存在でしかないから権力闘争が始まるからね。
龍造寺政家・大内義統・島津忠恒
大内義隆・尼子義久・毛利輝元
六角義賢・朝倉義景・斎藤龍興・今川氏真
武田勝頼・上杉景勝・佐竹義宣・葦名義隆など
ほとんどの大名家が偉大な父の死を契機に最盛期を終わらせ不安定になり致命的な事態になってるからね。
信忠とてその運命から逃れられるわけがない。

482 :
>>480
実際問題、秀吉と勝家の対立が深刻化し清洲体制が崩壊すると、
秀吉、丹羽長秀、池田恒興は三法師擁立を諦め織田信雄を織田家家督に据える。
どうも三法師擁立は、柴田側の政治的勝利だった可能性がある。

483 :
勝家にも野心は少なからずあったはず。

484 :
しょっぼいなー

485 :
>>481>>483
まぁ秀頼の補佐をした大老筆頭の家康みたいに
秀忠の補佐をした柴田が下克上しただろうね。
なんせ柴田は信勝を奉じて信長に謀反したこともある男だからね。
信勝の息子の津田信澄は光秀の娘と婚姻しており
柴田・光秀・信澄ラインを疑った信孝と丹羽長秀によって信澄は殺されてるからね。

486 :
幼少だった信澄って勝家に養育されてんだよな。
初陣は越前一向一揆掃討作戦だっけ
信澄って武将として優秀で信長からも高く評価されて家中からも人望あったから殺されたのは残念だよな。

487 :
【瀧川】滝川一益ら滝川氏を語る【忍者】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1301249331/
招待されないけど、押しかけてきてやったw

488 :
津田信澄はおそらく信忠より優秀。
しかも柴田の後見を受けて丹波侵攻では光秀から
軍略を学んだというし第一線級の将才になる素質はあった。

489 :
清洲会議の時には死んでる2人の優劣をこのスレで語っても仕方あるまい

490 :
信澄をブチ殺した以上
丹羽にしてみれば秀吉を応援しないと
あとから柴田からの報復が怖いよな…清洲会議で秀吉に賛意を示したと

491 :
まあ信澄が生き残って信長の跡を継いでいたら
幼少の頃から養育して我が子同然と言われた
織田家中No.1の勝家の専横も統制して織田家を守りきれたかも知れんね。

492 :
>>491
親族として当主を補佐する立場にはなったかもしれないけど跡を継ぐは
飛躍しすぎじゃね?少なくとも信澄より席次が上であったであろう信包の
名前も会議では出てないし。本能寺の変で信雄も信孝も死んでたってのなら
分からなくもないけど。

493 :
織田を存続拡大させるだけの実力があるものが継ぐなら誰も文句は言わないだろ。
信澄にはその力量があったのは謀反した弟の子でありながら
信長が高く評価し異常に厚遇しているのをみても明らか。
しかも光秀の娘との婚姻を命じてるのは朝廷と信澄の関係を強化しようとしてる信長の戦略

494 :
ろくに自己勢力持たない信澄が実力だけで家督が取れるかよアホが。
仮に実力と野望があったら何年も合従連衡の内戦する羽目になって、そのあいだに
織田勢力圏は自滅するっつーの。
最低限勝家秀吉程度の自己勢力と配下与力を持った上で言え。

495 :
信長からレールを敷かれて
その上を走ってただけでおんぶに抱っこの信忠よか
信澄の方がマシなのは同意
蘭奢待切り取りの奉行やったり
近江高島郡を知行をもらって独自軍を編成してたし
柴田や明智との共同戦線やっており
「一段の逸物」「甚だ勇敢だが残酷」と『多聞院日記』や『耶蘇年報』記されているって言うし。
信長の子ではないので実力でちゃんと世間に評価されてる。

496 :
織田信勝(信行/勘十郎)と津田信澄
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1300721441/

497 :
娘婿なのに光秀に声も掛けられず
長秀、信孝に襲撃されてぶっ殺される程度のやつになに期待してるの

498 :
そもそも声がかけられたか
かけられてないかは永遠の謎だろ…
信澄の妻子はうまく藤堂高虎の元に逃げのびたんだしさ。
光秀は自爆覚悟で自分の娘婿とその配下としての柴田に天下を握って欲しかったかもな

499 :
声掛けられていようがいまいが、光秀謀反の段階であの位置で何もせずは駄目じゃね?
加担して長秀・信孝をぶっRか、光秀討ち取るしかねーよな

500 :
所詮その程度の器だったってことだ

501 :
信澄は別スレあるんだからそっちで やらないか?

502 :
信忠も所詮その程度の器だったってことだ

503 :
>>502
その理論だと信忠は信長と同じく光秀に殺されたわけで
つまり信長と同程度の器ってことだな
信孝に殺されるようなやつとは格が違うな

504 :
>>498
>声がかけられたか
どうしてこういう議論になるのかわからない。
光秀が謀反を重臣たちに打ち明けたのが事件前日の夜。
重臣たちすら知らないことを外部の人間と連絡できるわけがあるまい。

505 :
>>504
つうかチャンスが巡ってきたら信長暗Rると
かねがね打ち明けられてたかもしれんじゃん。
信澄にとっては父の仇討ちなんだから。

506 :
>>505
>父の仇討ち
こんな意識が信澄にあったかが疑わしい。
信長はたしかに父の仇だが、子である自分は殺さずに
取り立ててくれている。
馬揃えでは信孝と並ぶ地位であることもわかる。
>かねがね打ち明けられてた
こうして失敗したのが松永、荒木なのでは?
つまり事前に謀反が信長の耳に届いている。
そんなことを聞かされた者のなかに信長に密告する者がいたら
光秀は即刻誅伐だぞ。
情報が漏れることを考慮しているのか?

507 :
>>506
お前は両親が殺されても平気な情が薄い人間なだけ。
そもそも直接謀反の約束して回るわけないじゃんw
和歌に隠語を入れたりにおわせるだけで証拠なんて提供するかよ
松永は失敗じゃなくて謙信が死ぬとは思ってなかったから。
荒木に至っては領民が上司の池田勝正を追放するわ、本願寺内通の嫌疑はかけられれるわ、領民は荒木を担ぐわで荒木の意志なんて存在しない。
だから最後は家族まで捨てて領民達から脱走しただけ。

508 :
うーん、
懲りずに二度も謀叛起こそうとした挙げ句に誅される実父と、そんな甥に目をかけて厚遇した伯父とどっちに恩を感じるかねえ。
しかも暗殺時に十代くらいならともかく、二歳とかそこらなんだから顔も覚えちゃいないだろうし。

509 :
知らされててあのざまは無いだろ
光秀に協力するでもなし
周りから見れば光秀に組してると思われて当然なのに逃亡する気配もないしな

510 :
信長公記自体が信長を正当化してるとしか思えないけどな。
信勝に限らず清洲城主織田信友や岩倉城主織田信賢なんかも明らかに信長側による工作・罠・挑発などで挙兵させてるだろ。
兵力も信長側を常に寡少に書いてる。

511 :
そりゃあ信長公記は信長の「公式発表集」みたいなもんだからな。
プロパガンダ大本営発表よ

512 :
信長公記は明らかに捏造してるね。
だいたい斉藤道三と信長の圧倒的戦力による挟撃を恐れず
信勝を擁立しようと挙兵する織田信友とかありえない展開だしなw

513 :
斉藤道三なんか約束していてもどちらにつくかわからん
チャンスとみたんだろう

514 :
普通に娘婿に付くだろ。

515 :
日本三大会議
 清州会議
 小山評定
 小田原評定

516 :
世界三大会議
ウィーン会議
ポツダム会議
パリ講和会議

517 :
>>507
松永は謙信が死ぬ前に自爆してるんだが。
荒木の謀反は本人の意思以外の何物でもないだろ。正気か。

518 :
>>517
事態推移の経緯を知らない中途半端な浅い知識乙

519 :
↑どっちも言ってること変よ

520 :
>>518
リアルとバーチャルの区別がつかない御方に事態推移の経緯を語られてもな

521 :
スレタイと無関係な話は自重しなされ。

522 :
丹羽長秀はちょっと可哀想だな。
120万石まで知行地増えたものの息子は繰り返し難癖つけられても関ヶ原では西軍側で頑張って戦後知行地没収。
織田家の先輩格は結局目の上のコブだったか

523 :
>>517
備後国の鞆にいた足利義昭の求めに応じて
上洛戦を開始した謙信の能登侵攻に呼応してるわけだが。

524 :
>>523
チョン並みのウリナラ史観のコーエー教科書を史実だと洗脳されてる織田厨にマジレスしても無駄。

525 :
>>522
言っている意味が判らん
丹羽長秀本人は秀吉と組んで大きく加増されて万々歳だろ
息子の事も
長重が秀吉に冷遇されたのは確かだが知行地没収したのは家康であり秀吉とは関係ない

526 :
>>525
えっ?秀吉による越前加賀召上は無視?
さすがだなw

527 :
>>525
関ヶ原に至るまでにすでに5万石程度に削封されてる
西軍についたから戦後大名格奪われ徳川の旗本

528 :
信長の家来ではあった
織田家の家臣ではなかった

529 :
まあ現実問題としてそういう、信長とはつながっていても「織田家」には
リンクしていない勢力がわんさか居たのが信長権力の構造的問題。

530 :
たまたま織田がそうなっちゃったけど
実権を持つ前当主と相続後の現当主がそろって死んじゃったわけで
三方ヶ原で信玄勝頼とか大阪で家康秀忠討ち死にが発生すれば
勢力減は避けられなかっただろう

531 :
>>522の文章が支離滅裂であるのは確かだな

532 :
>>528
良い意味でも悪い意味でも信長がカリスマ過ぎた
例えば前田利家は死ぬまで信長を尊敬していたし、信長の為にRと言われれば
喜んで命を投げ出したろうけど、そんな彼も織田家没落に際しては何もしていない
>>530
徳川で言えば家康、秀忠だけではなく土井利勝等の高級官僚も多数死んだのだから
どうしてもガタガタになる

533 :
ただ単に内政や組織整備をまったくしてない信長が原因
自分に降伏した現地の国人に安堵を与えてを戦に動員しまくり
派遣された現地司令官の与力として与えており
現地軍政司令官は自らのカリスマ性に頼る指揮に依存していたために大幅裁量権が与えられた丸投げ方式なために
信長への恐怖や謀反心が募るにつれて現地司令官への依存と斡旋と保護を求めるようになる。
信長の旧体制ぶりは言わば
信長が将軍であり、柴田らが守護であり、その下の現地有力国人や豪族が守護代になり戦に駆り立てていただけ。
ロクに内政も統治体制も整備せずに戦争マニアやってた信長死後に守護がそれぞれ管領となったりと各地で群雄割拠化する下克上化したのも当たり前。

534 :
↑ 必死の釣りが露骨過ぎて、逆に哀れさを誘う

535 :
>>534
ならば信長による各地への
具体例付きでの内政や整備について御教示願おう。

536 :
リアルとバーチャルの区別がつかない夢遊病者は、まず精神科で診察してもらおうな。
妄想の羅列では論外。

537 :
で、信長による各地の内政や整備の具体例は?

538 :
小学生どころか誰でも知ってる有名な施策知らんのか。
呆れたわ。
学校行ってないのがもろバレだ。

539 :
>>538
チョンには日本語が通じないようだわ

540 :
無知を誤魔化すなら、もっとマシな文を考えたらどうだ

541 :
>>533
信長は勢力拡大を主眼にしていたので内政や組織整備にまで
手がまわらんかったのは仕方ないと言えば仕方ないけどね。
ワンマンで自分一人であらゆる事を担っていたので幾ら有能でも
限界はある。
ただもう少し足元を固める方にも意識は向けるべきだったとは思う。
本能寺前は一揆や謀反などの色々ひずみが表面化していたし。

542 :
内政や組織整備が未整備なら、あれほどの大版図を得られる訳もなかろう。
本能寺の変は過去の一揆や謀反とは関連ないし、当時何一つひずみなんて表面化していない。
あるなら具体例出してくれないとな。

543 :
またスレタイと無関係な雑談やってるし

544 :
秀吉厨お得意のセリフ
秀吉厨「信長の家来ではあったが、織田家の家臣ではなかった。」

545 :
晩年近くの信長は家臣によく謀反起されている。

546 :
秀吉は誰がなんと言おうと「織田家」の家臣だが、信長や信忠の場合同盟者や服属大名に、
後に秀吉や家康がやったような、公的に臣従させる手続きをやらないまま死んだので、
そのへん信長の支配体制には曖昧な部分が非常に大きかったのは確かだな。
「事実上」「現実的には」という言葉が異常に多いのが信長の体制の特徴。

547 :
Tug5M9ir←こいつ具体例なにひとつ出せないアホ
やっぱ織田厨ってキチガイだわ

548 :
そいつ明智光秀スレで
無知な知識をひけらかして
見事に捕捉されて墓穴掘ってたぞw

549 :
信長にすれば天下統一が見えた時点で
下手に公的なお墨付き与えて後で面倒なことになるより
全て片付いた後にそっくり全部刷新しようって気じゃなかったかな

550 :
>>549
四方八方へ挑発してまわり、人々を殺戮に煽り追いたててたのが信長
なんら戦略も統治機構や政策も考えていない。

551 :
もう思いっきりスレ違いだが、安土城発掘などの研究成果から、安土城が露骨に
天皇の行幸を意識して作られた城だ、ということが解ってきている。
よって信長は、後に秀吉が天皇の聚楽行幸でやったのと同じように、天皇の安土行幸の際
配下の諸大名をそれに従わせ、「天皇を補佐する信長・信忠親子に忠誠を誓う」という
と言う形で誓詞を出させ従属化させるプランだった、というのが今の信長研究では、ほぼ
定説になっているな。

552 :
自分に従わないやつはぜんぶ敵であり攻め滅ぼす。
日本の神々への祭祀王でもある天皇も天主から見下げようとする傲慢さで
近江安土城へ動座させて拉致って脅迫するような
まるで自分が神にでもなったかのような無道な暴虐は許されない。
もはや信長は自らを統御し自制することもできないキチガイDQNだった。

553 :
本能寺の変当時から清洲会議に至る過程での、織田家直属軍・勢力の状況、
全容が、どうもつかめない。

554 :
清洲会議
連肢
織田三法師
織田茶筅信雄
織田三七信孝
織田家幹部会委員
羽柴筑前守秀吉
柴田修理亮勝家
丹羽五郎左衛門長秀
池田勝入恒興
委員外の出席者

555 :
なんか重役会議というよりは柴田勝家が秀吉を呼び出して
どういうことになってんねん!と詰問した感じじゃねーかって気がする
秀吉は光秀を討った後、勝手に政権活動してたんじゃねーかなあ
それに怒ったお市さまが織田家代表として勝家をうごかして秀吉を呼び出した・・・
清洲会議が秀吉の勝ちで終わった後、お市さまが勝家に嫁いだのは
自分が言いだしっぺだったからケジメをつけたんだろうな 中立を保つのは卑怯と
思ったのか・・・・

556 :
あろうことか清洲会議の席上、惟住長秀と池田恒興が羽柴に対して「おん大将!」と叫んで突如臣従を誓ったために、柴田勝家は、男泣きに泣いて会議の敗北を悟り、長浜六万石を得たのみで北之庄に引き上げたのである。

557 :
清洲会議の勝者は柴田勝家側だわな。
三法師の身柄も自分たちの方に確保しているし、勝家とお市の結婚で織田家内部における正当性も
勝家のほうがはるかに強固なことも示した。当時の秀吉の政治力ではこの追認しか出来なかった。
秀吉はこの政治的敗北を覆すため、清洲会議後、会議において決まっていた新規築城の停止を
破り山崎城を建設するなど畿内を固めつつ柴田側に挑発を行い、自由にならない三法師に変わり、
与党の丹羽長秀、池田勝入斎らと一方的に三法師の織田家家督を廃し信雄を新家督として擁立した。
これは秀吉による清須体制へのクーデターといえる。
清須体制は秀吉が克服すべき軛であって、後世秀吉が宣伝したような、秀吉の政治的勝利では全くない。

558 :
ニヤニヤ

559 :
勝家と長秀の関係ってどうだったんだろ?
勝家はてっきり長秀は自分の味方をしてくれるものと思ってた節がある。
それが秀吉の味方をしたものだから目論見が大きく外れたと。

560 :
端的な話秀吉の側が提示した条件のほうが良かったから秀吉に付いた、ってだけのことでしょ>長秀
そういう損得勘定の部分で、正当性の強かった勝家のほうは、その分守るべきものが多く
過大な条件提示が出来なかった。

561 :
557さんのクーデター規定に同意。
清洲会議から両陣営の武力対立に至る過程での重大結節点は信長葬儀だが、これは、
秀吉が、三法師、信雄、信孝を差し置いて、秀吉の養子(信長の子)の秀勝を立てて
一方的に強行している。
通例言われるように、もし、清洲会議で秀吉派が支配的になったのなら、この信長葬儀の位置は不明瞭になる。
ただ、清洲会議で、勝家派が勝利したという557さんと評価とは少し違う。
清洲会議は、四家老が織田家(織田一門、直属勢力)に対抗して「天下の政道」の実質を獲得することが眼目で、この課題で四家老の利害はほぼ一致していた。
秀吉は、噂に出ていた養子秀勝の織田家党首候補を自ら取り下げ(これは、不明瞭なところもあるが、この可能性が高い)、柴田勢がのどから手の出るほど欲しい近江への進出拠点長浜城を譲り、お市の方と勝家を結び付けている。
秀吉は、勝家に妥協しながら、京畿の重要地域を手中にした。
勝家は、長浜獲得、お市の方獲得で、これまで他の重臣と比べて欠けていた近江の居城と(勝家の正妻の死後?)弱まった織田一門との姻戚関係の双方を獲得して、この結果に満足したはずである。
また、信孝は、三法師を(信雄のもとではなく)自分の下に置くことで、これも満足な
結果であった(このとき、信孝と信雄とは軍事衝突の直前まで行っている)。これは、信雄ではなく、信孝が当主後見として、実質、織田家当主になった意味を持つ。
秀吉は、勝家、信孝に、こうしたことを与えながら、京畿の主要地域を手にしている。
秀吉は、結局、京畿の経済力と、朝廷との関係を抑えて、この力を基に、信長葬儀で
みずから清洲体制に亀裂を持ち込み、勝家―信孝派に喧嘩を売って、これを倒した。
朝廷に対しては、清洲会議では、信孝、勝家なども代官を出すことになっていたが、余裕がなく秀吉にまかせている。最初から対立があったら、こんなことはしない。
清洲会議で秀吉の下心があったかもしれないが、実際、秀吉が、勝家―信孝に対する
クーデターを決断するのは、京畿の経済的掌握が進み、朝廷対策が進み、他方、
信孝、勝家は(これは、本能寺の変の余波などで)地元領地掌握に精力をとられている
という両者の差が開いたためであったと考えられる。
勝家、信孝にとっては、予期しない対立に突然引き込まれた形である。

562 :
信秀葬儀から始まる辺は谷口本の影響かな。
要は秀吉の意思がいつからあったかということだろうけど
清須会議で自分が「全て勝ち」みたいになるとさすがに自分が謀反人
みたいになってしまう。
だから市を嫁に取らせたり譲っていい部分はかなり譲ってるんだろう。
結果的にはそれが「負け」みたいには見えるが。
そしていったん権六が田舎に引っ込めばあとは二人を懐柔して
うまいこといろいろ考えたんだろな。
信孝は言われるほどバカ殿じゃなくて逆に一番最初に
秀吉の腹黒さに気づいた賢い子じゃなかったんだろか。
邪魔ものだから消されたというか。
秀吉から見たら「織田家の家督争いを押さえた大忠臣」に
なるのが理想なんだがまさにアホ殿信雄という絶好の存在がいた。
これが織田家と信孝最大の不幸だったとは思ってる。

563 :
つーか秀吉は信孝の美濃と信雄の尾張の国境紛争につけこんだわけで。

564 :
この対立をめぐって、秀吉がすごいと思うことがあります。秀吉(陣営)
は、信孝と信雄の対立(信雄の信孝へのねたみを含めて)を利用して、信
長葬儀の際に、信雄を喪主に担ぐことで、最も安全確実に、両者(織田家)
を分断し、信雄を引き入れることが可能でした。しかし、三法師、信孝、
信雄を実質上叩き出して信長葬儀を行うことで、この三者にかかわりなく
織田家中の最重要儀式を撮り行う力を秀吉は周囲にアピールしました。そ
の後に、このとき叩き出した信雄を「当主」にするといって(清州会議の
合意からすれば「非合法」ですが)陣営に引き入れています。こうして、
秀吉は、信雄に、織田家当主の権威をあたえることなしに、三法師―信孝
政権に対する自己の正当化のため、信雄をかざりとして使い切ることに成
功しました。

565 :
ここまでの流れまったく読まずにレスするけど
ウィキペディアのノートに、柴田勝家が信孝を推したという話は資料性に乏しいみたいな話があったんだけど
これって実際のとこどうなの?
後々の結果論ではなく、「清州会議」で勝家が信孝を推したってのは事実なんでしょうか?

566 :
>>563
もちろんそうだがつけこんだということはそこに
秀吉の意思はあるわけでしょう。
だから結局なんだかんだ火のないところに煙を立てて
ちょっかいかけたとは思うのだよね。
実際に二人の息子が仲が悪かったらそれを諌めるのが忠臣
だわなぁ、つけこんでどうするって。
秀吉史観だとアホ息子二人だから代わりに自分が働いた
ちゃんと織田の血は残ってる、記録もそう、となるんだが
結局信雄に関白譲ったり臣下としての態度はとってない。
信雄がアホなのはそうだろうがならば信孝とか信秀に
臣下の礼をとればいいんだが。
>>565
太閤記によれば、なんだがこれ自体秀吉の立場だもんねぇ。
すぐ後に勝家はお手紙出すがこれは結構真面目に織田家のこと
考えてる。
多門院日記もいろいろ記しているがどういう情報ルートだったのかね。
伝聞だとしたら秀吉が普通に噂流したんじゃないかやっぱり。
勝家としたら家督が誰でも織田家が安泰ならいい。
だから信孝押しても多数決で秀信ならそれはそれでいいよ
というとこだったんじゃないか。
会議の時点で秀吉の「お腹真っ黒」まではさすがに疑ってなかったんでしょ。

567 :
山崎の合戦のときに、秀吉は「信孝使えねー、俺が乗っ取っちゃおう」と考えたと思う。

568 :
>>565
清洲会議の時点では信孝と勝家はまだ接近していないとも考えられるんだよな。
だから三法師家督相続もすんなり決まったと。

569 :
乗っ取るのはいいんだが、自分が新謀反人にならないようにする
というのは並大抵じゃないわな。家康もだが。

570 :
 清州会議で織田家当主となった三法師の「後見人」がだれであるのか、
良く分からない。
 たとえば、次のような解説もよく目にしたことがある。
 「(清洲会談
で………引)三法師を織田家の継承者とし、秀吉がその後見役を務める―
―その決定は事実上、織田政権を秀吉に譲渡した瞬間であったと言える」
(『新・歴史群像シリーズH本能寺の変』(学習研究社)P137)
 しかし、これまで見てきた解説書など(初心者向けの文庫本なども含め
て)では、「後見人」について、上の「秀吉」ほか、「信孝」「信孝と信
雄」「堀秀政」と四通りがあった。
 清洲会議が、三法師を当主にして秀
吉が実権を握ろうとしたのならば、誰が幼少の三法師の後見人になるのか
が、最重大事の一つになる。ところが、この後見人について、見た範囲で
も、「秀吉」「信孝」「信孝と信雄」「堀秀政」と4通りの記述がある。
そして、いずれも、論争的に、それぞれの説を主張しているのではなく、
ごく当たり前の如く、説明もなしに、「○○が後見になった」と書いてあ
るだけである。これほど重大問題が、なんの説明もなしに、これほど解説
がバラバラであるなら、一体、清洲会議の解説全般がどれほど信用できる
のか、どれほどのことが確かめられているのか。
 この中で、「堀秀政」
については、『多聞院日記』に出典が求められる。ただ、秀政にしても
「守り役」となっていて、これを後見として良いのかどうか疑問はある。
 このほかについては、出典がなんであるのか、清洲会議の合意としての
直接の資料・根拠があるのか、その後の事例からの逆算なのか、これほど
重大なことなのに、具体的な根拠がつかめない。
 実は、都立図書館のレ
ファレンスに問い合わせたとき、この質問も加えたことがある。各項目に
ついて、史料の指示と内容説明まで含む非常に丁寧な回答をいただいたが、
この件については、『多聞院日記』と『川角太閤記』の指摘があったくら
いだった。
 この「後見人」について、知識のある方に是非、教授をお願いしたい。

571 :
清洲会議議事録みたいなものが残っていないものか

572 :
>>565
天正記、甫庵太閤記両方に載ってないですからね。
柴田が信孝を推してるっていうのが出始めたのが江戸時代に成立した川角太閤記だった気がします。

573 :
>>572
川角太閤記なら
わりと信憑性高いじゃん。

574 :
>>573
あくまでわりと、程度しかない。
実際問題、信孝と信雄が濃尾の国境問題で対立した時、勝家は中立の立場で和解を進めている。
この時期勝家自身は三法師の下の織田家中の立場として動いていたということだろう。
むしろ信孝と対立した信雄が秀吉と結びついたことにより、信孝は勝家の方に行った、ということであろう。
また三法師については、秀吉たちが最終的にこれを廃嫡して信雄を織田家家督に据えているところからも、
その家督が秀吉の望んだものだったとは言いがたく、いわんや「後見人」などとは、構成の創作の産物
以外の何者でもなかろう。

575 :
>>573
川角太閤記も別に何か違った話をしてるわけではないのですよ
ただ、本来清洲会議の後に行われた対立が、川角では清洲会議に行われた対立のように書かれているだけですね。
>>574
そうそう、信雄が家督相続したというソースはあるんですか?
仮に三法師が廃嫡されていて、もう織田家当主でもなんでもなかったのなら、
大名として取り立てる必要も、高位に列する必要はないわけですが

576 :
>>575
天正11年の秀吉書状
「(信雄は)御家督に居られ候」

577 :
>>576
せめて陣代かと思ってた

578 :
>>575
天正10年11月1日付秀吉書状で、家康に対し信雄擁立を通達し、同意を求めているとのこと

579 :
576さん、578さん指摘の通りと思います。
ただし、小牧の戦いに際しては、秀吉はどのように言っているのか? 以前、このときは、また三法師当主を言いだした史料を見たような気がするのですが、今、見つけられずすみません。
小牧の戦い終了直後、12月に、三法師を、安土城から丹羽長秀の坂本城に移しましたが、これは、三法師からも、安土の「天下人」としての最後の装いをはぎ取るものと思いました。

580 :
天下人?って誰かが決めるものなのか?

581 :
>>580
誰かが認識する物です。

582 :
谷口さんの清洲同盟本を読むと、清洲会議は秀吉ペースで進んだと書かれてるな。

583 :
秀吉ペースというか、三法師秀信を当主にすることに誰も反対しなかった。
概ね>>325みたいな展開でトントン拍子に決まっている。
講談だとさも信孝を勝家が擁立したことになってるが、両者に繋がりなんぞあるわけなく、
むしろ山崎を軸にしたいんなら秀吉が信孝擁立してもおかしくないくらいの接点のなさ

584 :
秀吉の本音としては秀吉の養子であり信長の子でもある秀勝を推したかっただろう。

585 :
三方師を抱っこする秀吉

586 :
つーか誰からも受け入れられる案は、誰が考えたって三法師擁立しかなかった、って話なわけだしな。

587 :
三法師を岐阜で拉致ってる信孝が悪いよな
本来、堀が安土で後継のはずなんだから。
長浜を持つ柴田にしても
安土なら悪くないはず

588 :
>>578
対立する信孝でなく信雄を支持するように言ったのか、
三法師を廃嫡して信雄を家督継承者にすることの同意要求なのかどっち?

589 :
そうじゃないんだよ。三法師が家督するが、信雄には後見人、織田家の執権のような役回りだと秀吉が頼んだんだよ

590 :
実質信雄の家督代行に近いけど

591 :
信孝や信雄が家督代行を実際にしていた事を示す一次史料ってあんの?

592 :
実際に代行なんてしてないだろ。

593 :
幼児の三法師に不覚人の信雄をつけたことで織田家を骨抜きにし、実は羽柴が得る

594 :
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など
【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10

595 :
信孝自刃のあとになんで
三法師か信雄ではなく、
池田親子が美濃領国を与えられたんかねぇ。

596 :
そこしか空きがない。

597 :
岐阜が織田氏から失われた時点で
実質、織田宗家滅亡。

598 :
>>590
実質代行が信雄である意味がわからないのだが。
清洲会議後、信雄軍と信孝軍は一触触発だった。
その中で、四家老が三法師を岐阜城に連れて行ったことは、信雄に対する
信孝の圧倒的優位を意味している。
岐阜城で、織田家家督候補にもなった信孝が織田家当主の三法師をつかん
でいる。この時点で、政権の所在は岐阜城にしかない。実質信孝政権と言
ってもいい。
たしかに、信孝の支配は美濃に限られているが、これは、後に、秀吉が信
雄を担いで一時期、信雄を当主に仕立てた時も、信雄の支配が尾張にしか
及んでいなかったことと変わりない。
秀吉は、勝家や信孝が秀吉にまかせたことを良いことに朝廷を握り、京畿
の経済力を手中にして、一方的に信孝、勝家を攻撃し打倒した。
>>597
同意。
>>596
同意だが、秀吉からすると、恒興を美濃に移動させて畿内を完全掌握する
ことができた。ただ、恒興にしても、美濃は縁が深いので喜んで応じたの
ではないか。
567さんが言う通り、尾張、美濃、安土と言う織田家の直轄領をこの時
点で公然と崩したことで、織田家(この時点では信雄)への秀吉の優位が
決定づけられた。



599 :
清洲会議に織田家が排除され参加させてもらえず
権臣だけで重要な信長死後体制が決められる時点で
完全に専横されて織田家に主体性や指導性は奪われたから
清洲会議の時点で織田は当主権が奪われて傀儡政権にされ下克上された。

600 :
その後織田信孝がやりたい放題している時点で・・・
まあすぐ秀吉と信雄に負けて死んだけど

601 :
織田専横家臣団によって
信孝に美濃を加増してやっただけ。
信孝には柴田や羽柴や丹羽らに対する指揮権は無い。

602 :
肝心の当主秀信が信孝の居城である岐阜城にいる。
羽柴丹羽がシカトしているだけで信孝には指揮権がある。
つか柴田は一貫して信孝に従っているんだがw

603 :
柴田が信孝に従っていたとするソースは?

604 :
え、わざわざ出す必要ある?
賤ヶ岳でも見計らったように同時挙兵していて、
しかも当の秀吉が「勝家、信孝らと決戦する」と書状で明記。
それ以前にも信孝が岐阜に三法師をかくまって実権握っているさなかに
秀吉に対して行状を批判したりしている。
秀吉と別サイドで動いていて、かつ織田準一門となった勝家が
当主を擁していた信孝に従っていたのは明らかだろ。

605 :
アスペルガーだが>>603ってどんな人?
その名の通り、アスペルガー症候群に見られる、頑固・執拗・妄想の激しい人物です。
武田信玄を信奉していて信玄なら天下を取れたと信じ込んでいます。一方で織田信長が大嫌い、徹底的にこき下ろしています。
ちょっとでも武田を叩いたり信長を持ち上げたりする書き込みは絶対に許さないのがだがの信条。
だがは織田厨という人物を目の敵にしています。織田厨は一人しかおらず、武田を叩いたり信長を持ち上げるのは 全て一人の織田厨によるもの と信じ込んでいます。
もちろんあなたも武田を叩いたり信長を持ち上げたりする書き込みをすれば、だがから織田厨の認定を授けてもらえます。
こんなにたくさんの書き込み、一人で書き込むなんて物理的に無理だし、互いに異なる意見をかわしあっているのに同一人物による書き込みとするのは辻褄が合わないのでは…?そんな常識はだがには通用しません。全部織田厨の自演だそうです。
一応社会人のようです。
忙しい合間をぬって織田厨叩きの活動を続けています。大変な執念の持ち主です。

アスペルガーだがはどこに現れるの?
巨大掲示板2chの織田信長、武田信玄に関連するスレに出没します。
板は問いません。主な出没板は戦国板・歴史ゲーム板・日本史板ですが、他にも世界史板や歴史難民板、漫画板など あらゆる板の織田武田関連の話題のあるスレに出没します。
そしてそれらのスレでの都合の悪い書き込みは全て一人の織田厨によるものと思い込んでいます。

アスペルガーだがの書き込みの特徴は?
織田厨と見られる書き込みに対して、全てに反論レスします。律儀にレスアンカー付きで。
例え何ヶ月も前の書き込みであろうと、掘り起こしてレスします。亀レスなどまったく気にしません。
口調はいつも上から目線。とても偉そうな態度で書き込みます。
だがの名前の由来は、「〜だが。」で終わる自己顕示欲の激しい文章を書くことが多いから。
暴言雑言当たり前です。モラルやマナーというものは持ち合わせていません。
強迫性障害と見られ、 レスしなかったら負け と考えています。
まともな議論の時でも、苦しくなると揚げ足取りや知能障害を起こして有耶無耶にしようとします。
別の話題の時でも、「信長はもっと負けてるけどな」などと無理矢理信長の話題に逸らそうとします。そして信長の話になればお決まりの織田厨認定が待っています。
苦しくなると無理な要求を突きつけて自論を正当化しようとするのもだがの常套手段。「武田が負けたって?具体的に武田が負けたと書かれている資料を出せ」etc.

アスペルガーだがはどこに住んでるの?
神奈川県
でも地元の北条は嫌い。

アスペルガーだが まとめWIKI
http://www26.atwiki.jp/dagamatome/

606 :
>>604
>>603

607 :
>>604
>>信孝が岐阜に三法師をかくまって
約定違反の逆賊になったアホ孝さんw
おかげで堀さんまで敵に回すアホ

608 :
>>607
秀吉が作った「通説」ですね

609 :
>>608
そう主張する根拠は?
どの学者がそう指摘してんの?

610 :
>>608
607が根拠あるとするならば、信孝が「違反」した「約定」の存在が史
料で裏付けられなければならない。「約定」が何であって、信孝が、それ
をどのように「違反」したのか。それを示す史料をいままで見たことがな
いので、示していただければ有難い。


611 :
>>606
柴田は元から織田家の家臣。
よって謀反したという史料がない限り、柴田は織田家に従っていたと判断するしかない。
賎ヶ岳の戦いでは三法師・織田信雄、ともに敵側だからね。
残りは信孝しかいないわけ。
>>609
秀吉がそう言ってるからだよ。
秀吉以外にそう言ってる奴がいるというのなら史料を提示してくれ。

612 :
秀吉が信長葬儀を執り行った時点で、三法師、信雄、信孝、勝家は葬儀
不参加。
秀吉は養子の秀勝を喪主に葬儀を行っている(この喪主=秀勝は、史料的
に完全に証明できるかどうか、少し不安もあるが、三法師、信孝、信雄の
いずれかを喪主にしていないことは間違いない)。
謀反と言うなら、三法師、信孝、信雄とともに葬儀に参加しなかった勝家
と、織田一門の中心、および四家老の一人を除外して葬儀を強行した秀吉
と、どちらが謀反度合いが強いか明らか。
ここで秀吉によって決定的にされた亀裂が元で、軍事衝突→賤ヶ岳合戦に
進んでゆく。
その間、秀吉は(三家老は)根拠なく信雄を当主(党首貢献?)にすると
いいだし、ここでも「違反」を強行している。
信孝は、この急進展の意味を理解できず、家臣間(勝家と秀吉)の軋轢と
勘違いし、両者の和解を勧めるという見当違いのことをやっている。美濃
の足元の統治に精力を取られていた信孝としては、仕方ない誤解とも言え
るかもしれない。

613 :
幼少の織田信吉ら信長の息子たちが参加していたという史料もあるね。
織田に対する謀叛というより、信孝体制に対する反発という見方の方が正しいようにも思う。
信雄の当主擁立は信孝のもとにいる秀信を取り返すことができなかったから新しい当主を擁立したといったところか。
信孝の例にもあるように、派閥対立を主家の織田家がこうと決められなかった、抑えられなかったことが最大の原因

614 :
話の流れがよくわからないのだが…
清須会議に参加した武将は、柴田、羽柴、丹羽、池田の四人。
議題は「織田家の家督相続」と「欠国の分配」
この時点で信雄・信孝兄弟は「名代」をめぐり対立していた。(『金井文書』『多聞院日記』)
会議の結果、織田家の家督は信忠の長男三法師に決まり、後見人として信雄・信孝の叔父、
安土にて三法師の博役を務めるのは堀秀政と決まる。
会議に参加した四人の武将は「宿老」として「天下の政道を行う」ことになり、京都の行政も四人の宿老から
それぞれ奉行を出して行う事がきまる。(『天正記』『丹羽家譜』ほか)
この認識で合ってる?

615 :
それであってるよ。

616 :
>>614
かなり正確と思いますが、一つ分からないのは、信雄・信孝が後見人になったことを示す史料。わかればよろしく。

617 :
つまり本来、堀の補佐で織田当主として、安土城にいて、
柴田や秀吉に京の政治を委任しないと約定違反になる三法師を岐阜に拉致って返さない信孝が謀反状態。
秀吉はその信孝の謀反に対抗して京都に近い地に築城開始し京を専横。
さらに信長の葬儀を執行して謀反人集団に対抗。
もちろん信孝なんぞに従うつもりは毛頭無い秀吉。
柴田はその謀反状態を咎めないで事実上の容認。
秀吉が傀儡三法師を手元から離さ無いで専横するつもりだなと!と反発すると柴田と秀吉の仲裁をして自分を正当化しようとするバカな信孝。
信孝や柴田らの清州会議順守違反に怒り、
つか大義名分が手に入る。
木造氏の傀儡政権信雄を三法師の後見役にするから認めるように家康に書状を出して同意を求めた。
そして三法師の補佐するはずだった堀らも信孝に反感を持ち、
秀吉を長浜城攻略などで支援したと。
最初から三法師を当主にし傀儡政権にするつもりで織田一族を排除した清州会議の決定に
信孝や柴田らが無視したことが破綻原因だな。
そこで秀吉が京を支配して対抗。

618 :
>>616
たしか柴田勝家の堀秀政宛書状にそういったことが書かれていたはず

619 :

清洲城は下津守護所(下津城)の別格(離れ屋敷)にすぎなかった。
織田家内紛で下津城焼失で移ったにすぎない。
国衙領(斯波領)はあくまでも中島郡が中心。

620 :
あの兄弟の仲が良くて、どちらかがどちらかを立てれば秀吉の天下はなかったってことだね。

621 :

国庁、国衙領だった中島郡下津。尾張国織田一族の原点地。すべてはここから
始まる。http://kotobank.jp/word/%E4%B8%8B%E6%B4%A5

622 :
岐阜城をなぜ信孝が継ぐことになったんだ?
信忠の城なのだから三法師が継げばよいではないか
つか、信忠の跡継ぎは三法師で良いが信長の跡継ぎは信雄でも良いのではないか?

623 :
>>622
織田家当主の座を信雄と信孝が争ったため、清須会議では
信忠の子と決まった。
一般には柴田勝家が信孝を推薦したといわれるが誤りらしい。
当主に決まった三法師は安土に入った。
信雄が尾張、信孝が美濃と決まったのも清須会議の結果。

624 :
思ったより若いんだよね 信雄と信孝は 
ハタチそこそこじゃどうにもなんねーわ しかも状況がわからずモロに秀吉と
対立しちゃうし ぜんぜんだめ いい子いい子にして地味に力をつけ、
ある日いきなり秀吉ぶっ殺してぜんぶひっくり返すべきだった

625 :
>>623
うん、だからなぜそう決まったんだろうねってことよ

626 :
>>625
幼児で政治的に、誰にとっても一番都合が良かったからだよ。

627 :
>>624
秀忠「せやな」

628 :
そもそも清洲会議の発端は信雄と信孝の対立問題にあるから
この2人じゃなければ早い話誰でもよかった。
ただこの2人が納得するくらい血筋を優先できる人間ということで
嫡男信忠の遺児である三法師秀信にあっさり決まった。

629 :
信孝が文句言えるほど偉いのか?
信雄でいいやん

630 :
明智討ちに参加したから増長したんだらう

631 :
本能寺前でも信孝は参戦経験も多かったから、信雄とは兄弟の差でしか劣っているところはないと思っている節はあったのかもな。
信忠生前はそれでも問題なかったけど、信忠死んで一気に野心を露わにしだした感

632 :
信孝に文句言わせずに信雄に継がせば良かったんだ

633 :
信孝は弔い合戦に参加
信雄・信孝は兄弟とはいえ同い年
これが話をややこしくしたんだろうな。

634 :
清洲会議では信雄・信孝兄弟の対立を収めるために、
二人を三法師の後見人と決め、旧信忠領の美濃・尾張を分け合った事が、
逆に信孝の自信につながった、という事かも。

635 :
幼君を傀儡として擁立して
実力ある者が専横しようとするのは
古来からよくある事例。
織田は1500年代前半に相次いだ下克上ブームも
とっくに終わったはずなのに
まぬけにも光秀・秀吉とダブルで起こされた稀有な事例

636 :
信長公ってほんとにsラ社長だったんだろうな
ブラック企業もいいとこだよ 信長公死んで社員みんなホッとしてる

637 :
ほっとしたわりには随分長続きしてるね、戦国に適応できずに滅んだカス武田とは大違い

638 :
信雄が織田姓に戻る時期はいったいいつからなのか。
一次史料を見る限り、本能寺の変前後から
ずっと信雄と署名してるだけで
織田に復姓した証拠は見られない。
信孝には織田に復姓した書状がある。
その後、羽柴侍従となってるために
織田に復姓したのは
秀吉に改易させられて
出家した後に織田に復姓したと見るべきだろう。

639 :
きたは゛たけさま はんけ゛きをくらった

640 :
>>638
常識的に考えれば、賤ヶ岳の前の「織田家家督」に就任した段階で、織田姓に戻っていたと考えるべきだろう。

641 :
>>640
お前の願望妄想など聞いてはいない。
ちなみに信孝は天正10年8/26の木曽宛書状で
織田三七郎信
と署名して復姓しているのが確認できる。
しかし信雄は一切、復姓した証拠がない。
秀吉に祭り上げられただけで
北畠から織田への復姓は許されなかったと見るべき。

642 :
>>640
だがに正論は通じない。

643 :
復姓したかしてないかなんてどうでもいいな。
ただえさえ野心ありありの信孝と違って信雄なんて忘れ去られていた、
本人もガンスルーしてたというやる気のなさだし

644 :
そもそも信孝を降伏させて三法師を秀吉が人質に取ってから
三法師2歳が一次史料からいっさい行方不明になる。
突然史料上に現れるのが天正16年4月で9歳の時。
はたして7歳も成長した三法師が信忠の息子と同一人物だと
自信をもって答えられる者などおらず誰もわからないだろう。
丹波亀山城を与えられた秀吉の養子だった信長の息子の秀勝も小牧長久手の戦いまでは確認できるが
その後行方不明どころか、いつのまにか丹波亀山城主が秀勝(木下秀勝)にすり替わってる。
それが判明するのが天正13年10月に浅井江(お市の娘)と婚姻した事実から別人だとわかる。

645 :
信孝が織田に復姓した事実が
秀吉の逆上となり破滅したのであろう。
それゆえ信雄は織田に復姓する勇気がなかった。

646 :
たしかに秀信ってなぜか関が原で織田を簒奪した豊臣の味方になる謎行動をとっていたり、
織田旧臣に対する影響力も一切ないどころか、付き合いがまるでない。
それどころか関が原後に織田信雄などから助命活動すらしてもらえず野垂れ死んでんだよな。
宇喜多秀家すら島津に匿われて、家康にバレたあとに
死罪を免除されて遠島送りで済んだんだから
織田家が秀信をあれほど冷酷に扱うのは
明らかに秀信が三法師とは別人なのを知っていたからだろうね。

647 :
織田秀信は羽柴一門なんだから当然だろ。
そもそも秀信除いて関ヶ原での織田家はほとんどが西軍より。
いたかどうかもわからん信長息子の信高信貞達を除いたら
東軍についた織田家一門は信長弟の有楽だけ。
秀信の助命嘆願なんて無理に決まってる。
自分たちも西軍について処罰されてんのに「秀信公はお助けください」なんて通ると思ってんのが凄い。
その前に高野山追放されて完全に行方不明状態なのにな。

648 :
東軍についた信長弟に織田信照とかいるの知らんの?有楽や彼らが助命嘆願すればいいじゃん。
西軍についた信包は丹後攻めしても信長の血縁だからと不問にされてるから、
本当に織田嫡流なら秀信だって不問にされてもいいはず。
1万7000石の隠居料の身分の信雄は戦力にすら数えられず
結局旗幟を鮮明にしてないのに不問だったし。
ちなみに天正11年生まれの信雄の子も三法師と名づけられていて
北畠信雄にしてみたら、信忠の子の三法師は邪魔な存在でしかなく、
北畠家による織田家簒奪の目的からしたら
秀吉と共同して信忠の子の三法師を亡き者にしていたとしてもおかしくない。

649 :
織田信照なんてそれこそもう完全に徳川家臣化しているだろ。
そもそも助命嘆願って何言ってんだ、助命はもうされとるw
むしろ織田秀信なんて秀吉の一門衆だし家康に毅然と反抗している時点で殺されてもおかしくない存在。
>>ちなみに天正11年生まれの信雄の子も三法師と名づけられていて
秀雄だろ、ただ幼名なんていくらでも被るからアテにならんぞw
ましてや織田秀信なんて幼名の「三法師」の時点で織田信長や信忠から後継者扱いされてないのが見え見え。
たまたま両方死んで遺児として残っていたから織田家当主に擁立されただけで別に正嫡でもなんでもない、
三法師を消すんなら替え玉なんて用意する必要ないだろ。赤の他人の替え玉に実権握られたらどうすんのよwww

650 :
三法師だとなんで後継者じゃないって分かるの
竹千代じゃあるまいに

651 :
三法師は母親すらわかっていないし、
信忠は正室取ってないから三法師は側室の子で嫡男ではなく庶子。
幼名の件だけでは確かに断定はできんかもしれんな

652 :
三法師救出の話にまで行くと、物語じみては来るが、本能寺の変の際に、
1、信忠が前田玄以に三法師を逃すよう命じて二条御所から退去させた
2、信忠が前田玄以に、岐阜城の三法師を清洲城に移すよう命じて二条御
所から退去させた
―――という二つの話がある。
このどちらの話も疑問符がついてしまうが、この二つの話が流れたという
ことになると、さらに大きい疑問符が付いてしまう。
1については、玄以に幼児を連れて送り出せるような状況なら、何で自分
が逃げなかったのか(城塞化されていた二条御所から外に送り出すのは、
荒波に幼児を放り出すようなもので、そうしたとすると、二条御所がかな
り落城間近のときになる。こんなときに、外に幼児を送り出せるのか、ま
たは送り出す気になれるのか)
2については、いきなり明智の大軍に取り囲まれた信忠にとって、岐阜が
どうか、清洲がどうかなど判断する余地があったのか、この謀反に加担し
ている勢力がどこにあるかもわからず、どこがどうなっているかなど判断
つかない状況だったのではないのか。なんで、岐阜より清洲と断定できる
のか。そして、こんな危険な状況なら、幼児を場外に出して移動させるこ
とが危険でもある。信忠が、こんな判断をして玄以に命じたという実感が
もてない。
1,2について
もし、2であれば、三法師が岐阜城にいたことを多くの家臣が知っていた
ことになる。1の話など出てくるだろうか(玄以が逃亡を正当化するため
としても、すぐに底が割れる)
もし、1であれば、2の話が生まれる意味があったのか
・・・と疑問だらけですが、これは単なる物語的考察です。

653 :
毛利元就と隆元が二人同時に戦死したら輝元(幼児)に家督が上手く継承されるかっていうとどうだろう?

654 :
隆元が死んだ時期に元就も死んでたら完全に信雄信孝の二の舞

655 :
森さん家と池田さん家は弟が継いだけど大名と家臣じゃ違うわな

656 :
>>645
だれが秀吉になるの?

657 :
秀吉になれそうなのって誰だろうなあ、立場だけで言えば宍戸隆家?福原貞俊?

658 :
暗黒寺衛刑

659 :
織田とは別の形になってたんじゃないか?
吉川と小早川の争いが勃発して勝った方が輝元を傀儡として扱う。

660 :
史実でも実質傀儡のような…

661 :
信忠が生きてたら秀信はきっと有能な武将になっていたはず、
性格体格は祖父譲りだったしね。名前すら違かったと思う。


662 :
信忠が生きてたら相当戦下手になっただろうな
父や祖父の影響で

663 :
勝頼は父以上の戦上手だよな

664 :
五十歩百歩じゃね。
両方ともあまり褒められたもんじゃない

665 :
清州会議の出席者を4人としたドラマは「利家とまつ」ともうひとつ(忘れた)

666 :
池田が出席出来て滝川不可の理由が分からん

667 :
間に合わなかったから

668 :
>>666
動員兵力=発言権
打とすれば
池田>滝川
だけどな

669 :
上野信濃加増後は伊勢の領地は召し上げ?

670 :
召し上げでない

671 :
【三谷幸喜】清須会議【2013年秋公開予定】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1340745015/
【映画】三谷幸喜、最新作で天下取り宣言!自身初の歴史小説「清須会議」が映画化決定
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1340741267/
三谷幸喜の新作映画「清洲会議」が楽しみすぎでおしっこもらすわ!!!
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1340767051/

672 :
配役予想
秀吉・・・小日向
柴田勝家・・・中尾彬
丹羽・・・市村正親
信孝・・・要淳
信雄・・・梶原善
お市の方・・・吉瀬美智子
前田利家・・・唐沢敏明
滝川・・・生瀬
信長(回想)・・・渡辺謙

673 :
清洲会議関連ドラマで見たくない場面
1、柴田勝家が近江に出てきて光秀がすでに倒れていたことを知って「サ
ルに先を越されたか」と悔しがる場面
2、清洲会議後、三法師を抱いて出てくる秀吉に拝礼する形になって勝家
がくやしがる場面
理由。どちらもありえない。あまりにつくりものめいている。
(自分は勝家ファンではない)
勝家が近江に出てきたとき、明智がすでに滅んでいて喜ばないはずはない。
会議後も、秀吉は、信孝を立てて、三法師を岐阜城で改めて引き渡している。
三法師を抱いて、他の家臣に拝礼させた形にするなど、どこから考えても
ありえない。
秀吉が信孝、勝家に牙をむき出すのはその後である。

674 :
というか、清洲会議は柴田勝家の政治的勝利だしなあ

675 :
>>674
どこがだよw
秀吉と同心した池田や丹羽に徒党を組まれて
興福寺の日記にも概ね秀吉の思うがままに進んだとか
書かれてんのにwww

676 :
勝家の勝利だとは思わないが、674さんの見解には興味がある。
というのは、清洲会議は、勝家にとって満足行く結果だからだ。
勝家は、他の重臣、秀吉、長秀、光秀と比べて、
1,織田権力の中枢である近江・琵琶湖周辺に代を持たない。
2,(以前はいたとしても)この時点で織田一門との有力な姻戚関係が
ない(秀吉=養子、長秀=妻および子息の嫁、光秀=娘を信澄に嫁がす)。
の二つで差を付けられていた。清洲会議(あるいはその前後)で秀吉か
ら長浜を譲られ、お市との婚姻を勧められて、この差がなくなった。
無論、秀吉は、その見返りに、京畿の広大な領地を得ている。
たしかに675さん指摘のように、『多聞院日記』に秀吉の思うがまま
という記述がある。これは、全体を読めば、三法師のことではなく、獲
得した領地の大きさを意味していることと推測される。
三法師は、この後、秀吉が、岐阜城であたらめて信孝に渡している。信
孝が実質当主(当主後見)で、信雄に差を付けたもので、勝家にとって
も問題ない結論のはずである。
清洲会議の政治的勝利を敢えていえば、織田家に対して4家老が(信雄、
信孝の対立に乗ずるなどして)「天下の政道」を握ったことである。

677 :
清洲会議は全員が妥協し合ったシャンシャン会議だった、というのがよく解るな

678 :
長浜は冬季になればいつでも奪回できると踏んでいる秀吉の遠謀でしょ。
市の再婚の話がいつ出た話だったのかそもそも不明で
清洲会議で提案されたとも思えない。
安土城の再興がなるまで堀が補佐して三法師が岐阜にいただけで
別に信孝は当主後見でもなければ、
信雄と差をつけていたわけでもない。
むしろ信雄と信孝が仲違いしていたために後見役に両者はなれなかった。
むしろ後見してんのは堀。
そんで堀は光秀を討った織田重臣組の秀吉・池田・丹羽ら寄り。
信雄も秀吉を父と思うように恭しく接していた。
そのため美濃・尾張の国境を信雄有利に決しようとしていた。
それに対して信孝が三法師を拉致って安土に帰さなかっただけ。
そして柴田もそれに同意して秀吉らと対抗してる構図。
清洲会議での秀吉の思うがままの裁定がこのような結果を導いた。

679 :
そもそも清洲会議においてキリシタンの記録に清洲会議前夜において
秀吉に父の如く仕えたとまで書かれた信雄は
尾張・伊賀・南伊勢など100万石以上継承し(織田三河領はのちに家康が信雄を支持する見返りに譲渡したっぽい)
信孝は美濃ですら50万石以下だったんじゃなかったか。
しかも美濃東部は信長が与えた団の領土を横領して、
しかもそれを認めた秀吉に通じてる森領。

680 :
池田丹羽が秀吉についた時点で勝負は決しているともいえる。
いくら勝家でも味方がバラバラでは戦えん

681 :
どう考えたって勝家大敗北だろ。。

682 :
三法師って、もし信忠と武田の松姫の婚姻が成立して嫡男が生まれた場合、織田信広みたいに嫡流から
外れたのかな?

683 :
そもそも信忠から嫡男認定されてない>三法師
なので厳密には彼は織田家の嫡流ではない。

684 :
小沢派(勝家)に対抗して徒党をくんで野田(秀吉)を担いだような感じか

685 :
>>682
正室の子供で無いからただの長男。但し現時点での後継者候補ではある。
今後信忠に男子が生まれなかったりしたら嫡子として扱われると思う。

686 :
そもそも6/14の美濃の佐藤宛の家康書状には
若君様がいるので奉って供をして上洛し
逆臣の明智を討ち果たす覚悟。
今日14日に愛知郡鳴海へ出馬し、
其の地の日根野や金森と相談すると書いていて
すでに安土天守で臣下の礼を取り
信長を上様と呼び織田家臣となっていた家康も
秀信を織田家の後継者と見ていたのがわかり、
秀吉同様に織田家臣一般には
信孝や信雄を排除して
傀儡幼君を擁立することに
織田家臣団の中に
暗黙の合意があったのがわかる。
この幼君を後継にするとする織田家臣の合意は、
15日に光秀が討ち取られたのを徳川が知った以前の話であり
明らかに光秀が生存していた時点から一円的な同意があったように思える。
さて、いつ形成されたのだろうか。
信長親子生前から光秀と秀吉と家康は若君擁立の打ち合わせをしていたのだろうか。
本能寺後の7/11に清洲会議の結果を無視して
私的に徒党を組んだ
秀吉→幽斎・忠興への血判起請文と同日で
秀吉独断で丹後国安堵書状も出してるんだよな。
丹波でも明智の城の2つを知行するとか書いてるし。
その文中で織田の名なんて一文字も出てこず、
畿内を支配する秀吉が新たに持ち出した「公儀」を前面に押し立ててる。
8/8秀吉書状だと、どうも忠興も摂津三嶋で秀吉と折衝してたようだし。
忠興も信長個人への気持ちは別として、
明らかに織田家を見限って秀吉についていってるんだよな。

687 :
織田家の機構なんて信長有喜で作られてるからなあ。
信長いなくなりゃそりゃその時の実力者に頼らざるを得なくなる

688 :
変な変換ミスした
×信長有喜
◯信長ありき

689 :
そもそも3歳の秀信はともかくとして信雄や信孝には他に直臣がいる。
彼らが家督を継げば先代の家臣なんて邪魔以外の何物でもないからな。
排除されるくらいなら秀信を新たに据えた方が恩を売れると考えるのは普通。

690 :
>>689
相当重要なポイントをついた意見です。
このことを念頭に置かないで論じている説があまりに多い。
戦国時代、親子の相克が多い理由の一つも、当主世代交代にまつわる家臣間の利害関係が重大です(警鐘の仕方によって、先代家臣の家中での位置が大きく異なることなど)

691 :
いや、そもそも清洲会議前の時点で
信雄が秀吉を父信長に接するような態度で接していた。
この時点ですでに秀吉が圧倒的勢力だったからであろう。

692 :
山崎の戦いはかなり大きい
信長信忠を討ち取られて混乱状態にあった織田をまとめたのは秀吉
織田家の求心力低下にかなり繋がってる。

693 :
山崎の戦いに参加した池田と丹羽まで秀吉と徒党を組んで
織田家宿老柴田を圧迫してる時点で織田家は積み。
本願寺降伏の大功を持つ織田家No2佐久間信盛が生きていたら
秀吉らに下克上させられるようなことはなかった。

694 :
ねーよw

695 :
>>689
ああ、なるほど。確かにそうだ。

696 :
>>689
秀吉が三法師を廃絶して信雄を織田家当主に据えたが
信雄の政治も秀吉の息がかかったヤツらが専断してて
信雄がぶっ殺してるんだが。
当主の側近と言えど、派閥があるわけで
そう単純じゃないよ。

697 :
>>696
単純じゃないからめんどくさいってことだよ

698 :
信雄の当主期間なんてわかってるだけでも相当短い
明らかに柴田信孝潰すためだけの当主

699 :
1

700 :
>>309
ヨタ本社の部長>デンソ、車体、紡織などの副本部長

701 :
映画やるらしい

702 :2012/10/27
信盛は柴田より地位は上で、家臣団を擁護代表して信長に意見できる立場を持っていたからな。
信盛が生きていたら清洲会議において織田家臣団の支持を秀吉は得られなかっただろう。
時に耳が痛い諫言をする者を遠ざけ、甘言を
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