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2012年1月1期中国英雄20: 【六朝】魏晋南北朝【五胡十六国】 (980)
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【六朝】魏晋南北朝【五胡十六国】
- 1 :06/10/24 〜 最終レス :12/01/06
- 楊大眼とか
- 2 :
- 初2GET チン軽視 南梁だっけ?
- 3 :
- 元凶劉劭だろ
- 4 :
- この時代の君主はドキュソだらけだね。
- 5 :
- 符堅から「我が孔明よ」と称された王猛についてでも語りましょうか
- 6 :
- じゃあ孫の王鎮悪でも語るか
- 7 :
- 王鎮悪って劉裕に粛清されたの?
- 8 :
- 石勒萌エス
- 9 :
- 劉娥のエピソードが好き
- 10 :
- 簒奪だらけ
- 11 :
- 酒乱皇帝
- 12 :
- 宇宙大将軍
- 13 :
- この時代のドキュソ順位をつけるのはどう
1位石虎
2位赫連勃勃
3位がむずいな・・・
冉閔
苻生
侯景
とか
- 14 :
- 元凶とかもかなりドキュソ
- 15 :
- DQNが多過ぎて迷ってしまうなw
個人的には石虎とかかなぁ
- 16 :
- >>13
その辺りは個別スレ立てても伸びそうだな
- 17 :
- 国を誤らせたDQNなら、俺は断然王衍を推す。
こいつの人生は、孔融とかデイコウに権力を持たせたらどうなるか、
という仮定に対する回答みたいなもんじゃないか?
しかし晋書の王衍伝、最後は石勒が王衍の威厳(笑)にビビッたかの
如く書いてるけど、絶対にありえんと思う…。
- 18 :
- 王衍はDQNとはちょっと違うような
正直生まれた時代が悪かった
- 19 :
- 乱世に老荘思想は不適格だと証明してくれただけでも功績と言っていいのでは?>王衍
- 20 :
- DQNなら、南斉の明帝はどうだろう。
いくら高帝・武帝系皇族の再簒奪を恐れたとはいえ、一族28名を
し尽くすのは…。
しかも害前に香を焚いて、害後に哭泣する態度、自分のような
凡人には、ちと理解できかねる。
- 21 :
- あいつも大変だったんだよ
- 22 :
- 劉宋の文帝は、前の皇帝である兄を廃して自分を皇帝に擁立してくれた
傅亮や徐羨之等を即位後に前帝を弑した謀反人として処刑している
名君とは言われているがなんかやる事が汚い
- 23 :
- >>22
と言っても、傅亮・徐羨之は打算抜きで擁立してくれたわけじゃないぞ。
長男の少帝と次男の劉義真(後秦滅亡後、長安留守になったあの人物)を
同時にした上で、三男の文帝を迎え入れている。
帝位につけた理由は、十中八九「劉義隆は病弱で操りやすい」という点と
思われるが。正直、「喰わなければ喰われる」危機感を常に抱いていたんじゃ
ないか?
皇親にしても、武名の高かった劉道規は東晋時代に死去していて、劉裕の
弟たちには側近に睨みをきかせられる人材がいなかったし。文帝の弟たちも
まだ未成年ばかりで、頼れない状況だったことも考慮に入れるべきでは。
ちなみに、檀道済がされた元嘉13年は、文帝の病が重篤になったため、
正月の宴が取りやめになっていたりする。檀道済を謝晦たちから遅れて
処刑したのは、個人的にはこれがきっかけだと思う。
兄二人をした過去を持つ、武力を持った将軍の存在に加えて、いつ死ぬかも
わからない不安が、今のうちに粛清してしまえ、という行為に走らせたのでは
ないかと。
勿論、文帝が荊州刺史時代から抱えたブレーンたち(王曇華ら)の意向・謀略も
考える必要はあるだろうけど。
個人的には、文帝を悪人と断罪するのは待った方がいい気がする。
少なくとも、田中●樹の説には賛同しがたい。「悲劇の名将」というものを
あまりに強調しすぎ。
- 24 :
- まぁ、説というか。
あれは物語ですから…
- 25 :
- 諒闇中に生まれたので誕生を隠された元凶劉劭
それがグレた原因か
- 26 :
- このスレカバーする範囲が広すぎゃしないかな
五胡十六国スレ立てようと思って検索したらここが出てきたんだけど
- 27 :
- 細分化しすぎて過疎化するよりかはいいんじゃない?
あんまりこの時代に詳しい人多いとも思えないし。
- 28 :
- そうかじゃとりあえず行こうか
ちなみに当方は晋も南北朝も知識ゼロだが
五胡では慕容氏の燕は好き、特に慕容垂
この人前燕の王族、亡命→前秦の将軍として活躍、自立後燕の皇帝に
→死の直前北魏の都平城を陥とす
波乱万丈、かつ比較的平穏な終末
- 29 :
- 慕容垂は( ・∀・)イイ!!
苻堅が落魄れた後も義理を果たすし
- 30 :
- 昔慕容評に追われたとき、符堅は自分を受け入れた
王猛がすようにとすすめたときも聞かず、国士として優遇してくれた
と符堅に兵を預け、自分は関東に去っちゃうんだよね
- 31 :
- 念のため訂正 符→
>>29の苻堅が正解です
- 32 :
- 符堅の異民族優遇が最後に少し実ったな
- 33 :
- 宇宙大将軍>>>>>>>>>>劉邦>>>劉秀≧石勒>慕容垂>曹操
- 34 :
- 宇宙大将軍てかなり名前負けしてないか?
- 35 :
- だがそれがいい
- 36 :
- この時代は、おれの脳内ではリアル北斗の拳のイメージ
モヒカンの異民族がひゃーほー言いながら襲ってくる
- 37 :
- ああ… つまり正義は漢民族にあり、と?
- 38 :
- むしろこの時代は異民族の方が名君は多いけどね。
逆に漢族の中にもとんでもないDQNが結構いるし。
- 39 :
- 冉閔「それはもしかして俺のことを言っているのか?」
赫連勃勃「お前ほどひどいやつはそんなにいねーぞ」
- 40 :
- 劉劭「とんでもないDQNて誰のことだ?」
海昏侯「さあねえ」
- 41 :
- 石虎「やっぱりさ、みんな仏教に帰依しないからDQNになるんだよな」
- 42 :
- 蕭衍「禿同」
- 43 :
- 侯景「みんなスケールが小せえなあ」
- 44 :
- google earthで離石みたら、かなり狭いように見えるんだが、ここら辺で匈奴は遊牧してたの?
平陽って、本にある地図とかで見ると、太原と川でつながってて簡単に往来できるのかと思ったら、
けっこう難しいのか?
そんなこと思いながらwikipedia見てたら、劉淵が酷いことになってるorz
- 45 :
- 高緯「斛律光も蘭陵王も粛清したし、これで俺様の帝位も安泰だなwww」
- 46 :
- 北周が好き…
- 47 :
- >>45
宇文ヨウ「正直すまんかった」
- 48 :
- >>34
あれだけ好き勝手に暴れ回ったんだから名前負けはしてないでしょ。
- 49 :
- >>48
じゃあ、暴れん坊将軍の方がよくね?
- 50 :
-
東晋十六国と南北朝って、かなり雰囲気が違う気もするが
- 51 :
- 西秦萌え
- 52 :
- 柴栄萌え
- 53 :
- ごめん。誤爆した
- 54 :
- 慕容[皇光]の子は傑物ぞろいだね
儁は問題も多いけど後趙を滅ぼしているし
恪と垂は言うまでもないし
徳も戦は滅法強かった
評と[皇光]の孫たちが問題なんだよね
- 55 :
- 表がほしい。
国を並べたやつ
各国の即位と官職のやつ
主要人物の子孫のやつ
- 56 :
- >>55
51 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/09/12 09:05:38
>>26
こんな家系図は見たことあるよ。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03009.htm
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03008.htm
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03010.htm
- 57 :
- 魏晋南北朝と六朝は同じ意味と考えていいの?
- 58 :
- 宇宙大将軍のの宇宙って現在の宇宙とは別の意味があったんでない?
- 59 :
- 六朝は呉をはじめに、東晋、劉宋、斉、梁、陳の建業を首都にした南朝の総意で使われることが多い
宇宙大将軍の宇宙は仏教用語(まあ、我らもスペースの意味で使ってる宇宙も、そこから来たんだが)
- 60 :
- じゃあ意味は一緒か。
何考えてこんなの名乗ったんだ候景ってやつは。
- 61 :
- >>60
>>59を誤読してないか?
この場合、宇は空間の広がり、宙は時間の広がりをそれぞれ意味する。
つまり全ての場所全ての時間を通じての大将軍であるぞという、ある意味時間には区切られる皇帝よりも凄まじい主張をしてるんだ。
- 62 :
- ゴメン勘違いしていた。
- 63 :
- コロコロ政権がかわってるけど国力そのものは三国や漢より
だいぶ落ちてるよね?
何か大事業やった政権ってあった?
- 64 :
- つ 梁
国力が落ちたのは北だけ(幾つも分裂してるし)。軍事力という面では上がってる
南は蝶裕福。文化も絢爛豪華。商人が台頭と
一世紀は先をいってた
- 65 :
- >>63
文化的事業だと、北魏とかは石窟をいっぱい作ってる(江南でもたくさん寺院建ててたな)
あと、国力に関しては確かに政府そのものの統制力の低下は見受けられるが
民間(と言うか荘園経済)の方は古代と比べ物にならないくらい向上している
江南の方ではクリークの発達が著しい(水稲の生産力向上はもう目前)
洛陽伽藍記とか見ると、華北も結構文化に爛熟しつつあったと思うけどね
そういう仏教文化興隆の嚆矢が石虎……だったような
- 66 :
- 東晋以降やたらに名前の最後に「之」がつく人物が増えるけど
これはなんか理由があるのかな?
- 67 :
- >>66
あくまで一説だけど、この時代の人の名前に「之」がついてるのは
五斗米道の信者だといわれてる。
- 68 :
- >>67
それが本当だとするとかなりの数の五斗米道信者がいたことになるね
- 69 :
- >>63
少なくとも三国よりは上じゃないの。
江南の開発も進んだし。
- 70 :
- このころ本格的にインドへの海路が開かれてるよね
- 71 :
- 仏教が本格的に広まり出したのもこの時代
仏教かぶれの皇帝も多数出現
- 72 :
- 買い戻された皇帝がいたね。
- 73 :
- 梁の武帝だったっけ?
- 74 :
- 仏教伝来は漢代だけど盛んになるのは仏図澄の来朝
来た310年は劉淵、劉和、劉聡と洛陽の主が替わってるけど
仏図澄を重用したのは石勒だね
- 75 :
- 一兵卒から皇帝にまで上り詰めた劉宋の高祖武帝、劉裕、南斉の太祖高帝、蕭道成
両人とも共通点が多いな。国も同じ様な運命をたどったし・・・
- 76 :
- 子孫達がDQN揃いってとこも似てるな
- 77 :
- 梁とかも武帝蕭衍は正面な皇帝なのだが(後に仏教狂いになるが)子孫達がDQN揃いで結局同じ結末になっちゃうし・・・
>>72は蕭衍だよね?
- 78 :
- >子孫たちがDQN揃い
せめて正史の帝紀とか皇族の列伝を読んでから語ってくれ。
- 79 :
- >>77
すみません、史書は読んで書き込みしてますが
>子孫たちがDQN揃いについては 南斉と勘違いしてました。
梁は明君が多いですよね?
- 80 :
- 劉邦>劉秀>劉裕>>>超えられる壁>>>劉淵>劉備
- 81 :
- >>78
親父が都で幽閉されてるのに、
その間ずーっと息子同士で縄張り争いだからなあ。
DQNの含有率が高いのは間違いないんじゃないかい?
まともそうなのは長男と三男くらい。
元帝もどうも名君とは呼びがたいし。
- 82 :
- 五胡十六国の幕を開けた意味では劉淵は存在感があると思うが
西晋を滅ぼしたのは劉聡だが
- 83 :
- 紅い毛が3本の劉曜も忘れないで!
- 84 :
- >>80
約裸一貫からの建国者
- 85 :
- >>84
劉淵はよくは知らんのでなんとも言えないが、劉秀以外みなほぼ裸一貫じゃね?
- 86 :
- >>85
劉淵の出自は匈奴の単于。かなり恵まれている環境だな。
- 87 :
- 確かに劉淵は出自こそよかったが当時はその匈奴自体に往時の力はないよ
劉淵自体も魏によって五部に分割された匈奴の一部を率いてただけ
しかも晋に人質として送られ警戒されてた
その当時から武帝や王渾などに高く評価されていて
「劉淵を江東に派遣すれば呉を滅ぼすことは容易い」とまで言われていた
彼が大単于に推戴されたのは毛並みのよさもさることながら英主として部族から期待された為だろう
- 88 :
- あの頃の匈奴とか鮮卑ってどんな人種だったんだろうね。
- 89 :
- >>87
劉淵は子供の頃から、春秋左氏伝や孫子、史記などを諳んじた秀才
武芸にも相当秀でていたというから、只者ではない
南匈奴は相当漢化されてた証左だとも思う
王渾以外にも王済などにも呉の平定に推挙されたり、
匈奴である割には晋朝に重用されるものの、やっぱ匈奴の重用はまずいよの声で
帰郷して晋朝と対決するんですよね
成都王司馬穎へ義理立てしたりもしてる
- 90 :
- でも劉淵自体は大単于・漢王となって以後、ほとんど親征してないよな
もっぱら戦争で活躍したのは劉聡・石勅・王弥といった将軍連だな
劉聡も中国的教養を修め武勇にも優れた人物だな
後年は酒色に溺れて国政乱したのが惜しまれる
陳瞬臣だと思うけどこの頃の非漢民族の君主にこういう失敗が多いのは
酒色のほかに楽しみを知らない文化レベルによるってのを読んで妙に納得したもんだ
漢化すると逆に文弱な傾向に陥りやすいしな
- 91 :
- 時代が違うけど宋代の金王朝とかそうだよね。
言い方は悪いけど、元々は超野蛮人だったのに漢化して
いきなり文弱になるし
- 92 :
- >>87>>89
劉淵の従祖父、劉宣もなかなかの人物だね。
儒者に帥事し「毛詩」「左伝」を学び、晋の武王のとき右部都尉、匈奴の右賢王に任じられ
八王の乱が起こると劉淵を成都王から離石の右国城に召し帰して大単于に奉じ
劉淵が漢王になると丞相、都督中外諸軍事にとして
開国の元勲と特にして尊重されているし。
- 93 :
- 劉宣は劉淵が帝位についたのと同月の
永嘉二年(308年)十月に没してるんだね
この時までの劉淵の飛躍は、劉宣の知略に負うところが大きいと自分も思う
- 94 :
- >>91
同じ女真族の清もそうでしたね。
康熙帝の頃は、ロシアとネルXク条約を結んだりと、割と国際的だったのに、
孫の乾隆帝の頃には、中華思想に汚染されて文弱になって、国際的視野が
狭まって、かのアヘン戦争の悲劇へとつながって行くのですから。
- 95 :
- 非漢民族が中原の国家に変貌するには漢族の力を借りるしかなかった。
漢化されれば民族の本質を失う、しかし中原国家として政権を維持するためには漢化せざるおえない。
まさにジレンマだな・・・
例えば北魏の太武帝は崔シ告に国記を編集させ石碑に刻みつけた。
それを読んだ鮮卑族拓跋部の人たち自分たちはこんなに野蛮ではないと怒ったし拓跋部の人たちも精神的に漢化していたんだね。
宣武帝は禍根を絶つために皇太子の生母をす北魏のしきたりを「忌まわしき風習である」として廃している。
北魏の王室は漢化きわめて進んでいたし、漢の文明に傾倒しただけでなく、王室の血統もほとんど漢化していたようだ。
- 96 :
- 生母しは外戚の力を削ぐ為?
- 97 :
- >>96
外戚の力を削ぐ為の先人の知恵だろうな。
鮮卑族は漢王朝が外戚に後漢王朝は外戚と宦官が政治に介入して衰退していったのは知っていたのかは不明たが。
- 98 :
- オスマン朝で兄弟してたようなものか
- 99 :
- 生母しのしきたりは塞外民族に限ったことではなく
漢の武帝も皇太子を立てるとき、その生母鉤弋夫人をしている。
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