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2012年1月1期懐かしテレビ7: 欽ちゃんのどこまでやるの! (634)
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10: FNNニュースレポート・2 (541)
14: 検証・1991年のTV・2 (65)
欽ちゃんのどこまでやるの!
- 1 :02/05/02 〜 最終レス :12/01/07
- 提供:味覚糖、NEC他
- 2 :
- 2ゲット。大将には番組成功のため自分が持ち合わせた「運」という「運」
をすべて捨てられ去られました。彼女のマンションのカギも…。
- 3 :
- PC6001・・・
- 4 :
- 見栄晴の歴代マシン、歴代人間を教えてください。
- 5 :
- かなえ(鳥居かほり)が小堺一機と結婚して、「東京ロイヤルハイツ」とゆー名ばかりのアパートで暮らしている、というのをうろ覚えしております。
ちなみに、その頃のEDは、サンドイッチの「思い出して下さい」だったけど、サンドイッチ…小堺と、かなえと、あとひとりは誰だっけ?
- 6 :
- >>5
その設定も半年持たず。末期は悲惨だったねぇ。
あとひとりはテレ朝の藤井アナ。
- 7 :
- >>2
すめらぎさん、なつかしいねえ。
- 8 :
- >>2
それ欽ちゃんの自伝にも書いてました。
初期は視聴率が1ケタが続いて「こんなに頑張ってるのに視聴率が取れないのは
この番組スタッフに運のいいのがいる」ということで
欽ちゃんが行った荒療治だったとか。
あときれいな彼女のいるスタッフを一時的に外したり、
プロデューサーに辞表を書いてもらったりとかしたそうで。
その荒療治が効いたのか、その後視聴率が20%越えたという話でしたが。
- 9 :
- 「村の時間」の時間
- 10 :
- ゲストに食事をさせて、食う順番を予想するコーナーがあったね。
- 11 :
- ぼうや、目を閉じてごら〜ん
真屋順子のこの歌好きだった。夜景のセットでエンディング(電車の模型が
走っていたバージョンが懐かしい)。そして10時から特捜・・・
子どもの頃の懐かしい夜の思い出。
- 12 :
- 畦道カットで御馴染の甘栗坊やで御座います〜
- 13 :
- 関根勤もかなえの恋人役で出るはずだったが、「年齢が離れすぎている
だろう」と却下された
適当な役がなく、仕方なく「クロコとグレコ」に
しかしなぜか、それが当たった
- 14 :
- 200回記念ぐらいの特番で新沼謙治が作った八宝菜が忘れられん。
- 15 :
- >>1 提供:味覚糖、NEC他
あと丸八真綿と小林製薬もあった気がする。
- 16 :
- >>10
「推理ドラマ」だね。
欽ちゃんと谷啓が推理しあうという内容で、これがスゴい人気だったもんね。
- 17 :
- >>9
>>12
たよりないアナウンサー斉藤清六
- 18 :
- 「世界で一番短いドラマ」っていう写真の一発ギャグのコーナーがあった。
これに出すために飼い犬を生き埋めにしたヤツとかいたぞ。
またそれを採用するからどんどんエスカレートする。
- 19 :
- それでは皆さん、バイナラ!!
- 20 :
- 清六といえば「さすらいの刑事」
- 21 :
- ≫18
数年後の昼帯「欽ちゃんのどこまで笑うの!?」→「欽どこTV!!」で、
「欽どこ写真館」として復活。
- 22 :
- >>1、15
提供:味の素株式会社、NEC、小林製薬、丸八真綿、ヤクルト、ロッテだった。
ちなみにスタート時のスポンサーはサクラカラー、ピッカリコニカの小西六。
番組内で欽ちゃんのサクラカラー24のCMが流れていた。
- 23 :
- >22
そうだ、さくらカラーのCMに欽ちゃん出ていたな〜
「どっちが得か、よ〜く考えてみよう」
- 24 :
- 初期の頃、“いつものアナウンサー”役で北野英二さんが出演していたね。
このポジションは後に藤井暁アナや斉藤清六へと受け継がれていった。
ttp://www.all-wave.co.jp/talent/profile/131ke.htm
- 25 :
- 欽どこ時代のNECテレビは高橋英樹がCMに出ていなかった?
音声多重パピプペポン
- 26 :
- ごくごく初期に「シバウラトラクタ」もスポンサーでした。
3ヶ月くらいで降板しましたが。
>シナモンさん
「英樹と植木(等さん)のパ〜ピプペ〜ポン」ですね。
途中から高橋英樹さん単独になりましたが。
- 27 :
- この番組は設定が結構時代によって変わってるので、
人によって思い出す場面が違うかも。
俺は「村の時間」内で放送された斉藤清六と叶和貴子のドラマシリーズ。
あと、清六が「遠山の金さん」に挑戦した回。お白洲でなかなか着物が
脱げなくて七転八倒する清六には笑った。しかもその回のゲストは当時、
金さんを演じていた高橋英樹。高橋も苦笑だった。
- 28 :
- >>16
谷啓さん大当たり〜
- 29 :
- >>24
その後にでた「不慣れなアナウンサー」(のち「少し慣れたアナウンサー」)
って誰だったっけ?
- 30 :
- 幼稚園児の見栄晴くんを演じていた男の子は
いま何歳ぐらいかな?
- 31 :
- >30
たぶん25歳前後じゃない?
- 32 :
- 欽ちゃん休養後、小堺と関根だけで欽ちゃんが戻ってくるまで細々とつないで
なかったか? この番組、最後結局どうなったの?
- 33 :
- どうもこうも欽のジが帰ってきてチョン。
男闘呼組も出てましたな。
設定コントにコサキンの神髄を見ましたな。
あのまま、コサキンで新番組になれば、「欽どこ」良い時終れたのに。
それでもテレビに欽ちゃんの需要があったのね。良い時代。
- 34 :
- 1985.3 見栄晴&かなえたまえシリーズ終了、欽ちゃん休養へ
1985.4 小堺と関根のつなぎ
1985.7 新シリーズ 鳥居かほり、萬田久子他 >>5 さんのレス参照
1986.1? 出演者変わらず 作文
1986.4 新シリーズ 堀内孝雄、倉橋ルイ子他
見栄晴&のぞみかなえたまえ(新キャスト)←時を戻した 無理ありすぎ
”特別企画”多し
1986.9? ひっそり終了
欽ちゃん休養復帰後は人気低下に歯止めがかからず、企画変更の
繰り返しという典型的番組末期症状に。スポンサーも大手が撤退。
こんな感じだったよ。
- 35 :
- 1985年の新シリーズは公開録画を廃してのスタジオ生放送が続いた。
観客のいない「欽どこ一家」は堀内孝雄と欽ちゃんの街頭(セット)コント
などまったりと展開。
この時期、話題作りか、坂上二郎芸能生活30周年を記念し、萩本家のセット
隣りに「コント55号記念館」を設置。二週に渡り「二郎さん特番」実施。
家セット前に広がった以前まで観客がいたであろうだだっ広い空間で、
コント55号による「結婚コンサルタント」、いわゆる「飛びます飛びます」という
フレーズが正式に入っているコントと「帽子屋」を披露。彼らの背後、萩本家居間の
セットに順子さん、コサキン、そのときに何故か西山浩次もいて、レギュラー
陣全員が正座して、コントを眺めていた。非常に張り詰めた空間で二郎さん、
アジの開き!
- 36 :
- 見栄晴が久々に番組復帰して「欽どこに出なくなって、仕事なくなっちゃったよ」
と言った時、小堺・関根の両名が
「もう君はネバーエンディングストーリーぐらいしか出られないよ、
ホラ、顔がファルコンにソックリ!」などとやってたのは覚えてる。
初代見栄晴くんからの「あんなカコワルイ人(=今の見栄晴)と僕を一緒にしないで!」
みたいな録音コメントが流れたのもこの時だったかな・・・
- 37 :
- >>11
「欽どこ→特捜」が八年半も続いたんだよね。
(「全員集合→Gメン」でも七年弱だった。)
- 38 :
- 作文!あったね。もうそのころはさすがに見なくなってたけど。
- 39 :
- 倉沢淳美、最近見ないけど、何しているの
欽どこ時代は超かわいかったけど、
- 40 :
- 「たまえ」は何故か関西のたかじん番組でよく見かける。
- 41 :
- >>39
結婚して海外在住(確かオーストラリアだったと思う)。
ただ事務所のHPにはプロフィールが掲載されていたので
「引退」ではなく「休業」といったところか。
- 42 :
- >>5-6
で、鳥居かおりは藤井アナと結婚したんだよね
- 43 :
- >>42
でも離婚した
- 44 :
- 「欽どこ」は欽ちゃん曰くドラマに対抗する笑いだったそうだ。
- 45 :
- 高部知子がスキャンダルで謹慎していた頃、
電話で、「声だけの出演」をしたことがあったね。
欽ちゃんが「のぞみ、元気にしてるか?」と話すのを聞いて、当時は泣いたな。
- 46 :
- ≫44
「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(フジテレビ)の成功があって、
当時は圧倒的にドラマの時間帯だった21時台への、欽ちゃん初進出作品が、
「欽どこ!」。
この成功が、19時30分にあった「欽ドン!」の21時枠移動が実現した。
- 47 :
- パート5?(78年)から大分後で良い子悪い子(80年?)になりましたね。
「やってみよう!」は事実上打ちきりでした。
- 48 :
- >>40
きょう偶然聴いたNHK「みんなのうた」で17年前の
「古いアルバム」がかかっていた。なんで今ごろ?
- 49 :
- >>45
例のニャンニャン写真報道で、いきなりあぼーん。二度と「欽どこ」
には復活できなかった。ちなみにのぞみ役自体も空位のままだった。
で、電話出演はあぼーんした週。かなえもたまえも泣いてたな。
- 50 :
- >16,28
谷啓が降りて一般視聴者参加になったとたんに全問正解がでた。
賞品はなんだっだっけ? 旅行?
- 51 :
- 誰も書いていないネタを。
・若原瞳と蟇目良は何で出ていたんでしたっけ?
・近江俊郎は何の役でしたっけ?
・マーガレットポーのその後を知っている人います?
・秋野大作と森昌子は兄妹の設定でしたっけ?
・下条アトムは何の役でしたっけ?
・川崎麻世は何の役でしたっけ?
・細川たかしは何で出ていたんでしたっけ?
・見栄晴の初代人間は西沢祐一朗君でよかったでしたっけ?
こんだけ書けば続くだろ(w
- 52 :
- >>45>>49
事件以降、エンディングのスタッフロールに、
「のぞみ ・・・」
って出るのが切なかった。
- 53 :
- 前川清も一時期出てませんでしたっけ。
そういえば毎週、お客さんとかいう設定でゲストが出ていて、
離婚後の前川清&藤圭子(ゲスト)が共演したことがあったの覚えてる人います?
何となくぎこちない会話してたのを覚えてる。
- 54 :
- 八宝〜菜ッ!!
- 55 :
- >>52
なんかそれうっすら記憶があるなあ
今なら役名ごとカットだろうけど
その後二人になったわらべが歌ってたのが「もしも明日が…」だったかな
これもヒットしたっけ
- 56 :
- めだかの兄妹 83年年間シングル売上げ 第3位
もしも明日が… 84年年間シングル売上げ 第1位
やっぱり、これはすごいよね。
- 57 :
- わらべ、「時計を止めて」ってのもありましたね。
ベストテンではさっぱりだったけど、トップテンでは一度だけランクインしたはず。
欽ちゃんの休養後って、物凄い勢いで各番組ともパワーダウンしましたね・・・。
誰かが、休養なんかしたらダメだ、って言ってたような気が。たけしだったかな?
- 58 :
- >>57
そう、たけしです。
「時計を止めて」は好きだったよ
エンディングは星空にゆらゆら浮かぶ萩本家の映像にこの曲がかかってて
バラエティなのにちょっと切ない終わり方だった
- 59 :
- >>51
蟇目良!! めちゃくちゃ懐かしいぞ! (ちなみに「ひきめ」と読みます)
何かのドラマで大当たりしたヒトでしたねぇ・・・何だっけ?
公開番組、舞台上にお茶の間、って事で「だれかがやらねば」と記憶が
被ってしまう・・・ 菅井きんは・・・ やれやれ、歳は取りたくないもんだ・・・・
- 60 :
- 近江トーシロー君の詰襟姿、なつかしい〜。
- 61 :
- 同居人で怖い顔の人って覚えてる人います?
たしか悪役商会の八名信夫さんか山本昌男?さんだったかな〜?
- 62 :
- >>61
い、いたな〜。誰だったっけ?
石橋雅史だったような気が・・・・はっきり思いだせん。
- 63 :
- 細川たかし…
役柄は忘れましたけど、何しか当時、細川さんは病気か怪我かで休養されていて、
ゲストとして最初に活動再開したのが、「欽どこ」。
で、収録後、しみじみと「テレビに出られるって、本当にいいなぁ」と改めて
欽ちゃんに語り返す言葉で「じゃあ、毎週出れば」とレギュラーになった。
復帰第1弾の新曲が「北酒場」で、番組で欽ちゃんにいじられながら替え歌とか
ヘンな振付で歌っているうちに曲はヒット。何せ高視聴率番組で毎週歌えば、
インパクトは強いわけで、その年の暮れには「レコード大賞」を受賞してしまい
ました。
レコ大で、細川さんが熱唱している途中に欽ちゃんが駆け付けると、それはもう、
歌にならないくらいに涙が滂沱したのが子供心に感動的でした。
- 64 :
- >>51
太川陽介が抜けているのは、あまりにも面白くなかったから?
- 65 :
- >>62
正解。言われるまで忘れていた漏れを許せ。
>>63
ちょと違うぞ。「北酒場」は当初題名さえなく「欽どこ」で使われ、
あとから題名とレコード発売が決まった…ことになっている。
>>64
これも単なる忘れ。
- 66 :
- >>63
翌年も同じ手法で「矢切の渡し」をヒットさせ、初の2年連続
レコ大受賞歌手となった。
- 67 :
- これ覚えてます〜?
真野順子が入院した時のお手伝いさん。けんな・おこ
旦那さん食事にします?御風呂にします?それともねる〜ぅ!?
- 68 :
- 佐藤あさみだっけな。覚えていない?
推理ドラマ(食べ物の順番を当てる)のアシスタント。
テレビじゃ太目に見えたが、池袋西武で実物みたらすごい綺麗だったよ。
- 69 :
- ≫67
忘れてたなぁ。
志村とのコントみたいだけど、「寝る〜ぅ?」に欽ちゃんは
どんな対処をしたのかな?
欽ちゃんと研ナオコは日劇でもよく共演していたな。
- 70 :
- >>67
♪湯どーふー 冷めたーらー 冷奴
ってのもあった。
>>68
「世界で一番短いドラマ」(写真の一発ギャグのコーナー)のアシスタント
- 71 :
- >>66
漏れ、末期(倉橋ルイ子と堀内孝雄がハンリーラ歌う頃)まで
ほぼ毎週みてたはずだが、欽どこで「矢切の渡し」歌ってた記憶ないぞ。
- 72 :
- >>71
確かに毎週歌ってたよ。
その翌年の「新宿情話」は不発だったけど(w
- 73 :
- >>72
「矢切の渡し」のときには、すでに番組がリニューアルされて
「めだかの兄妹」を売る態勢になっていたから、それはない
と思うよ。単発ゲストならあったかもしれないけど。
- 74 :
- >>73
同意。
そも、細川たかしは番組中で、毎週何かテーマを決めて蘊蓄を語りにきて、
北酒場のイントロが流れると話を収束させつついきなり歌う、というスタイル
だったと思う。わらべ体制になってからそのコーナー自体がなくなったはず。
>>72 に聞きたいが、番組中どのタイミングで歌っていた?
他の番組と勘違いしていないか?
- 75 :
- では、正解をお教えしましょう。
「矢切の渡し」は「村の時間の時間」の中のさらに1コーナー、
斎藤清六の主演する「さすらいの渡り鳥」の主題歌として流れていました。
よって「毎週」は正解だが「歌っていた」のは間違い。
- 76 :
- >>75
しつこくてすまんが、斉藤清六主演、叶和貴子出演のドラマのことなら、
この2人が歌った主題歌あったぞ。漏れ、歌詞も部分的に覚えてる。
ということで「毎週」も怪しいと思われ。
- 77 :
- そうか。「矢切の渡し」も売れたから、てっきり歌いに来てたと思ってた。
鬱だ。
- 78 :
- >>76
それは細川たかしがレギュラーの時にやってた「さすらいの刑事」と思われ。
この時期は毎週見てなかったから正確ではないかも。
- 79 :
- この時期=わらべ登場前
- 80 :
- つまり、見栄晴が幼稚園児で3つ子はぬいぐるみだった時代か?
- 81 :
- ただのぬいぐるみではなく、メカ入りぬいぐるみ。
でもそのあと、人間の三つ子姉妹が出ていた。
- 82 :
- 初期には「おーい中村クン!」という歌をうたってた
若山なんとかが、となりの学生役で出てた。
- 83 :
- 見栄晴も最初はラジコンだったよね
高速移動して何処かにぶつかるの
- 84 :
- >82
若山一郎ちなみに若山瞳の父
- 85 :
- >>81
見栄晴は小学生、三つ子も人間になっていた。
>>82>>84
「若原一郎」「若原瞳」だよ!
- 86 :
- 來來軒のはっぽぉ〜〜さいっ。
- 87 :
- >84
あっ、すいません〜打ち間違いですー
- 88 :
- sage
- 89 :
- 時計をとめーて、このまーまそーと。すぎーゆくいまーがさびしがるから。
- 90 :
- 前川清が、村の青年団の団長だっけ?
- 91 :
- かしまし娘の中の誰かが、一時期レギュラーで
出てませんでしたっけ?
- 92 :
- >>13
学生服着て何回か(1回だけ?)ボーイフレンド役で出てきた。
関根さんまだストレートヘアだった。
- 93 :
- >>92
ラビット関根から本名の関根勤に改名したんですよよね、
「欽どこ」レギュラー出演を機に。
- 94 :
- >>91
三女の花江さんかな?
>>92
名付け親が桂三枝なのは有名。
- 95 :
- >>93
その年に結婚したのもあったけど
欽ちゃんに「ラビット関根という芸名は捨てろ。
『欽どこ』にそういう名前の出演者は入ってほしくない」と言ったそうだ
欽ちゃんとしてはラビット関根という芸名は
人の家に土足で入ってくるような感じがしてイヤだったらしい。
あといかにもあざとい事やりそうなイメージのあるラビット関根という芸名が
芸を身につけた関根自身にもよくないと思って言った部分もあったそうだが。
- 96 :
- ばいなら
- 97 :
- らないば
- 98 :
- 確かに「ラビット関根」じゃカマキリ拳法のイメージが付きまとうもんなあ。
- 99 :
- >>61、62
怖い顔の石橋雅史は中学の先生役だった。
生徒の役に倉田まり子がいた。
>>94
正司花江の婿養子?役に、悪役専門の人がいたと思うのだが、思い出せない。
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8: 【おから、豆腐】マネーの虎 107【ひじき、グルテン】 (213)
9: 志村けんのだいじょうぶだぁ★11 (904)
10: FNNニュースレポート・2 (541)
14: 検証・1991年のTV・2 (65)
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