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2012年1月1期プロレス44: ニックボックウインクル (138)
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46: 【シュート】 不穏試合を語る Part.14【セメント】 (975)
48: UWFインターナショナル3 (243)
49: ■■■DRAGON GATE総合スレPart167■■■ (110)
50: 【子し】金沢克彦part2【元・新日本プロレス】 (502)
ニックボックウインクル
- 1 :11/12/20 〜 最終レス :12/01/06
- ニック・ボックウィンクル(Nick Bockwinkel)のリングネームで知られる
ウォーレン・ニコラス・ボックウィンクル(Warren Nicolas Bockwinkel、1934年12月6日 - )は、
アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミネソタ州セントポール出身。
生年は、1936年や1938年とされる場合もある。
『プロレスインハワイ』の曲と共に颯爽とリングへ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/458694
- 2 :
- 倉持さん風に言うとホップ・ステップ・ジャンプみたいな感じ
- 3 :
- 悪党王者で鳴らしながらも、ニックほど「颯爽」という言葉の似合うプロレスラーは
そういない。ガニア、ロビンソン、鶴田、ハンセン、ブロディ、ホーガン、アンドレ
など世界の強豪を相手にまわして名勝負を連打したが、ジョバーとかはるか格下を相手
にしてもキチンとまとまった試合を作れるのもすごいと思う
ネットのおかげで以前の日本では見れなかったニックの試合が視聴できるようになったが
善玉になって若き日のランディサベージ(ヒール)を迎え撃った試合が面白かった。サベージ
には悪いけど、ニックとでは格がちがう。サベージ渾身のトップロープからのスレッジハンマー
をニックが腹へのパンチ一発で簡単に撃墜しちゃうとことか。ヒールでシャープな試合ぶりを
見せつけたニックがベビーだとちょっとぎこちなくなるのがおかしかった。
- 4 :
- プロレススーパースター列伝読んで嫌いになった。卑怯な奴だよ!
- 5 :
- 肉棒ウィンクル
- 6 :
- ジルバ
- 7 :
- あの、両サイドの髪の毛をかき分けながら対峙する雄姿は
まさにチャンプの貫禄があった。
- 8 :
- まさにゴージャス
- 9 :
- >>4
列伝でのニック、レイス、サンマルチノの扱いはちょっと酷いよな T T
- 10 :
- ニックの使う技はいろいろあるけど、フロントヘッドロックが印象強い。デビュー
まもないころのブレット・ハートがニックとの一騎打ちでグランドでこれ決められて
動けなくされてた。あのアンドレですら押さえつけられてたほど。
- 11 :
- リック・フレアーに先駆け、バディ・ロジャースの流れを汲むヒールの「ダーティー・チャンプ」の
スタイルを貫いた。
劣勢になるとわざと凶器攻撃を見舞ったり、セコンドを乱入させて反則負けを選ぶことがほとんどだった(反則負けでは王座は移動しない)。
1980年代前半にAWAで頭角を現していたハルク・ホーガンを相手にしても、この戦術で寄せ付けなかった。
日本でのジャンボ鶴田との防衛戦も多くはこのパターンで逃げ切ったため「反則でも王座移動なら鶴田絶対有利」という声も
日本のファンやマスコミにはあったが(王座転落した試合の実況など)、1984年2月の鶴田との連戦では打って変わって本格派の実力を示し、
それまでの「単なるダーティー・チャンプ」という見方が過小評価であることを示した(もっとも、ファンに王者の実力を過小評価させ
「次にやれば地元のヒ−ローが勝つ」と思わせるのもダーティー・チャンプの在り方である)。
トリプルHは雑誌のインタビューで彼のスタイルをモチーフにしていることを公言していた。
ヒールのお手本的存在としても語られることの多いレスラーである。
非常に理詰めのレスリングをし、投げ技は上手いがほとんど使わなかった。
ジャイアント馬場はニックのことを「ダーティ王者と言われながらも根はオーソドックスなテクニシャン」と語っている。
「相手がワルツを踊れば私もワルツを踊り、ジルバを踊れば私もジルバを踊る(相手のスタイルに合わせてレスリングをする、
つまり相手の持ち味を十分に引き出すのが私の役目、という意)」というニックの言葉は、
プロレスの本質を余すところなく表現した名言とされている(もともとは父親ウォーレンから教えられた言葉である)。
ウィキペディア
- 12 :
- 時間がたって、これほど評価が高くなっていったレスラーも少ない。
それこそ80年代中期までは、僚友レイスチーブンスとどっこいどっこいの
中堅レスラーの評価じゃないか?
ガニアより格が数段落ちると思ってたけどなあ。今ではガニアより遥かに上かな。
- 13 :
- レイスチーブンスも何回か来日したがパッとしなかったなあ。
ブリスコ対ニック見たかった。
- 14 :
- WWEが出したAWAのDVDを見るとニックとヒーナンって凄かったんだなと気づく。
関係者の証言でガニアはボロクソに言われてたな(笑)
- 15 :
- イケメンなのにダラダラとしたメリハリのないレスリングにパワーファイターもテクニシャンもいつも何か術中にはまってしまう。良かっよ。格闘技至上主義の連中に是非とも見てもらいたい。プロレスの奥義だな。
- 16 :
- 反則負けでは王座は移動しないww
プロレスの醍醐味
- 17 :
- ニックって地味にデカイんだよな。
- 18 :
- 俺の好きなレスラーの単独スレがwww
ニックとハーリーレイスとリックフレアーは最高のアメリカンプロレスラー
- 19 :
- なぜ、ニックの入場テーマは、ハワイなんだろう?
- 20 :
- 渋いな
- 21 :
- 久々の分かっている人間達の良スレ。
- 22 :
- あの、外人レスラーをめったに褒めない長州が、全日マットでニックとシングルで当たった後
「巧いよ、巧い・・・いいレスラーだなぁ。見た目は大した事ないけど、フレアーより巧い」
と絶賛していた。
フレアーには「なぜ世界王者なのか判らない男だな」
ゴディには「やっぱり外人相手は燃えないな」
マスカラス、ファンクスに対しても愛想なし・・・
と、ハンセンやキッドなど「新日マット出身外人」以外は扱き下ろしてきた長州が
全日系外人で手放しで褒めてたのってニック以外記憶にない。
俺もニック、レイス、フレアー大好きだけど、三人の中ではニックがベストだと思ってる。
- 23 :
- 長州に褒められたところで嬉しくないだろ
- 24 :
- まぁねw
- 25 :
- まあでも記憶に残ってるのは蔵前での鶴田戦だなぁ
- 26 :
- >>25
タイトルは失ったけどニックのレスリングの巧さが終始光った試合だよね。
前半はニックの多彩かつ執拗な腕攻めで鶴田はなにも出来ず子供扱いだった。
- 27 :
- 鶴田はあの頃最強だったしねw
でも金髪と黄色のがやけに記憶に残ってるわ
- 28 :
- 史上最高と言っても過言じゃ無い もうこんな選手は出て来ないだろうな ハーリーレイスと組んだ最強タッグはレイスとニックの存在感だけで凄かった 強さより品と嫌らしさが素晴らしかったな
- 29 :
- ニックはロジャースから引き継いだ手にタオル一本もっての入場が有名だけど
80年代の半ばくらいのころ鞭やステッキもっての入場に変えたことがあったな
なぜあの時期に変えたんだろう?ハンセンがAWA王者のときにニックが挑戦し
た試合で鞭をもって入場してきたニックがすげえ変に見えた
- 30 :
- 最初から仕組まれていたんだろうけれども
鶴田との試合には、レフリー2人だから
- 31 :
- >>30
あれは馬場とガニアの話し合いで、数ヶ月間鶴田にベルト巻かせて
全米サーキットさせるという、観客動員増を狙った商売上の戦略。
- 32 :
- おまいらダスティローデスが好きだった俺も仲間に入れてください(´・ω・)
- 33 :
- ニックといえばヒーナン、これが常識だった時代があったがちょうどそのころに
おこなわれたニックとローデスの一騎打ち。まさにアメプロ夢の対決。試合はおも
しろかったがラストはこのころのお約束ヒーナン乱入によるノーコンテスト、と
思ったら誰かもわからん兄ちゃんが入ってきておぼんみたいなもんでローデスを一撃、
試合を終わらせてしまった。なんでヒーナンじゃねーんだよ!この兄ちゃんがなにものか
いまだにわからん。
- 34 :
- ニックが入場で持ってるタオルをヒントにしたのがトリプルHのペットボトルだっけ?
- 35 :
- そうなんだ
トリプルHはニックを手本としているらしいからあり得る話やね
- 36 :
- 子供時代、ルー・テーズにお守りをしてもらったことが自慢だった。
父ウォーレンとテーズはジョー・トラゴスのジムで一緒に練習した親友同士だった。
入場時に常に右手に持っていた白タオルは、バディ・ロジャースから受け継がれ、後にカート・ヘニングが受け継いだ。
1970年9月、日本プロレスの第1回NWAタッグリーグ戦にジョニー・クインと組んで参戦。
アントニオ猪木&星野勘太郎との決勝戦は延長戦となり、72分の死闘を展開した。
そのため、AWA世界ヘビー級王座防衛戦のため全日本プロレスに来日した際のインタビューで、「闘いたい相手は?」と聞かれ
「イノキ&ホシノ」と答え、記者を困惑させる一幕もあった。
- 37 :
- >>29
これね
http://www.youtube.com/watch?v=cK4yr6ZLMcs
- 38 :
- >>37
ありがとう 好勝負だ
ニックとジーンハックマンて顔似てるような 70年代顔というか
- 39 :
- プロレス イン ハワイは名曲
- 40 :
- ケーブルTVで見た馬場戦は驚きだった。
イメージと異なり最初から最後までハンセン張りに攻めまくり。
しかも結構迫力あった。
- 41 :
- 9分40秒あたりから
http://ghostmansion.net/color/nicohatena/watch/sm5587920
- 42 :
- 体型が明らかに猛者
なにげにきっちり鍛えてる感じがかっこよすぎ
- 43 :
- マサ斉藤とのタッグでロードウォリアーズ手玉に取ったという試合みたいな
- 44 :
- ニック・ボックウィンクルのスープレックス
http://www.showapuroresu.com/waza/nick.htm
- 45 :
- ブロディがニックとレイスどっちが上かって聞かれて
タフさでレイスって答えてたな。
- 46 :
- >>45
プロレスアルバムでも同じ質問に同じ答えを返していたな。
そこではインタビュアー(誰だったか失念、斎藤文彦か流智美か・・・)が
「最後に、筆者の意見は逆であることを付け加えておく」とあったっけな。
俺もレイスよりはニックの方が・・・と思うけど、レイスも凄いからなぁ・・・
- 47 :
- ニックとレイスとフレアー、この3人がいた頃の全日は豪華だね
- 48 :
- 受けのハデさはレイスだろうな あの相手の技をくらってふっとんで倒立状態
になる受け身はいま出来るレスラーいないだろ 身のこなしのシャープさはニック
だと思う。
- 49 :
- >>45 ブロディのプロレス観はある意味単純だから。
「いいチャンプとはパニッシュメント(懲らしめ=攻撃)を受けられるか
どうかで決まる。ゆえにレイスだ」みたいなことを言ってたな。
>>46 聞いたのは流さん。「筆者の意見はまったく逆だ」と。流さんは
いい加減なところが多いが、ここは同感。といってレイスが悪いわけ
ではない。ニックが素晴らし過ぎるってこと。
ニックの奥深さは異常。
- 50 :
- >>30
ニックと鶴田のAWA世界タイトルマッチ
今見ると、ニックのオーソドックスなテクニックがわかる
当時のニック50歳(近く)と知ってびっくり
- 51 :
- >>48
受けの派手さ華麗さについては、アドリアンアドニスを忘れないでくれ
延髄斬りや藤原の一本足頭突きを食らってあまりのダメージに空中で
一回転してから倒れたのはアドニスだけだ
- 52 :
- >>49
>>聞いたのは流さん
やはり流さんだったか、サンクス。
>>51
アドニスは'84年MSGタッグ優勝戦で、猪木にコーナーに振られて
思いっきり突っ込んでいってコーナーマットを飛び越え鉄柱に激突してたな。
とにかく破天荒でやられっぷりがいいレスラーだった。
- 53 :
- プロレスインハワイの入場曲
片手に白のタオル
ニックボックウインクル!の呼び名と共に両手をあげる雄姿。
格好イイね。
ディックマードックやダスティーローデスとは一味違った輝きがあった。
- 54 :
- 以前、偶然にニックとテリー・アレン、のちのマグナムTAの試合の映像を見た。
まだそれほどキャリアのない時期の試合にもかかわらずニックを相手にかなりの
レベルの試合をやっててやはり非凡な選手だったんだなあと思った。
マグナムTAは10年に満たないキャリアでアメリカンプロレスの伝説になった。
やっぱり一度は来日してほしかったな。
- 55 :
- TAは事故に遭うまでは凄く評価高かったね。
フレアーとのタイトルマッチなどセカプロで見た記憶がある。
ただ、来日するならやはり全日だったろうけど、馬場の評価は芳しくなかったようだね。
二代目タイガーの「猛虎七番勝負」対戦相手をファンから公募した時
確かTAも上位にランクインしていたんだけど、馬場は「TAは評判ほど良い選手ではない」
とコメントし除外していた。
尤も、呼びたくてもスケジュールなどの面で無理だったのかも知れないが。
- 56 :
- >ニックの奥深さは異常
仰るとおりですな。しかし巷間語られているのは軸足をヒールに置いたニックのことだよね。
ベビーのニックってどうなんだろ。
スチーブンスとのAWAタッグ王者の頃はベビーだったのかなあ?
- 57 :
- 80年代アメプロの急激な時代の変化は実力者ニックにも容赦なく、WWFの
躍進でアメリカではプロレスの概念そのものが変わってしまった。ジェリー
ローラーに敗れてAWA王座を失ったあたりがニックのキャリアのピリオド
だったかな。ニック自身には力の衰えはあまり見られなかったんだが。
ただ80年代になってヒーナンがWWFでヒーナンファミリーとして自分の一時代
を築いたのはいま思えば皮肉、か?
90年代のニックはUインターでのロビンソン戦などエキシビジョン的試合が
多かったがWCWでドリー戦が実現したのはうれしかった。
- 58 :
- ニックはAWAエリアに転出する以前の60年代後半には
次期NWA世界王者候補って言われてた次期もあったけど
当時はまだバディ・ロジャースを彷彿させるヒールスタイルではなく
テーズに影響されたクラシカルなテクニシャンのベビーフェイスで
チャンピオンにするには地味過ぎるって受け止め方をされてたみたいだね。
またサーキットしていたのもハワイ、オレゴン、ジョージアと
当時のNWA内部でもそれほど重要性の高くない、ローカルマーケットを
主に歩いてきた選手だったので、有力プロモーターからの強力なュもなかったとか。
- 59 :
- 「プロレス・イン・ハワイ」はニックにピッタリでかっこいーけど
今はYouTubeでも聞けないね
- 60 :
- ニコ動でうpしてる人がいるぜ
しかも他にもナツイテーマ曲満載だったwww
- 61 :
- >>60
ニコニコにあった!やっと聞けたよ
ありがとうございます
- 62 :
- 「相手がワルツを踊ればワルツを踊り、ジルバを踊ればジルバを踊る」
本当のプロレスのチャンピオンというのはニックみたいな奴のことだろうな
- 63 :
- ユーチューブでフレアーとのシングル
見れるな。。。
- 64 :
- 現役時代のニックと変わらない年になった。
そう考えると
まだまだ頑張るよ
- 65 :
- 80年代初頭まではニックやレイスといった本物が偏ったファンやマスコミに
ボロんちょに酷評、目の敵にされて彼らの贔屓の団体に来てたバックランドが
思いっきり高評価されていてヒールチャンプを勤める以前のニックレイスを
知るファンを憤慨させたもんだ。
今日彼らが正当に評価されてるのは喜ばしいことだ。
- 66 :
- http://www.youtube.com/watch?v=7JCOf4gE1rk&feature=related
ホーガンvsニックボックウインクル
- 67 :
- 80年代後半にAWAと新日の提携がなって王者ローラーが来たりしたがローラー
じゃなくニックがAWA王者として新日に登場してたらどうだったかな?
ニックVS藤波、坂口、猪木らとの試合、またはニックVS前田らUWF勢との試合
が実現してたかも。また当時新日に来てたエリック兄弟たちとニックの試合も見れた
かもしれん。ニックとエリック一家はアメリカでもあまり縁がなかったみたいだし、もし
新日で対戦が実現してたら貴重だっただろう。
- 68 :
- パットパターソンなんかはニックに近いタイプだけど、かつてのNWF戦なんかで
執拗な足攻めから一気に攻守逆転、卍固めでフィニッシュとか・・。
まあ世界王者のニック相手にこのブックは無理かなw
- 69 :
- Uインターでのロビンソン戦のニックが凄すぎて痺れた。
- 70 :
- Bockwinkel and Hansen vs The Crusher and Dick The Bruiser
偶然みつけた 知らんかった
- 71 :
- >>65
列伝の影響も大きいと思われる
- 72 :
- アンドレを弓矢固めでギブアップさせた男か
- 73 :
- ホノルル・シビック・オーデトリアムに
プロレスインハワイの曲が流れると観客は総立ち
北斗の拳に出てくる皇帝サウザーみたいな感じだったね。
- 74 :
- フジテレビの報道に鑑みて、記憶するところ、滝川クリステル、安藤優子、木村太郎らは、風説の流布に関与していたものと思われます。
また、株主でなくとも、テレビ放送を見ていた者は、経済活動に大きな影響が、あったように思われます(例;アカウントの削除レベルですらオイルショック的な要素として考えうる点)対比的には、日興コーディアルの粉飾問題は、ほとんど報じられていませんでした。
27時間テレビで、明石家さんまが明らかに「キッコーマンの醤油」の瓶(意匠はあるのでしょうか?)をもって「しょうゆうこと」と宣伝していましたが、
その後CMの契約までこぎつけています。また、お礼があったと番組で放送してました。なお、フジテレビも広告主であるキッコーマンとの契約を成立している
これは、著しく公共性を損なっているでしょう。
また、トークの途中でも、醤油の瓶を画面に映し続
けている行為は、サブリミナル効果の観点からも番組放送基準を逸脱しているように思われます。
あるある大事典の頃、わたくし自身、全国規模でなく小規模なマーケットですら、ヨーグルトの売り切れに遭遇しています。
この時の、フジテレビ及びキッコーマンの株価は、どのように変動していたでしょうか?(返信無用)
明石家さんまこと杉本高文が、所属している吉本興業におけるフジテレビの持株比率は、およそ12%であり、株式を所有する他社の多くは、放送業界である点
を熟慮し、CMを視聴すると、広告業界も含めて、歪と言わざる負えないのではないでしょうか。
ちなみに、茂木友三郎は、キッコーマン株式会社の名誉取締役でありフジテレビの監査役です。
- 75 :
- ニックは入場する時の姿勢が良い
http://video.sina.com.cn/v/b/1839993-1153244620.html
http://www.dailymotion.com/video/x6fnv8_nick-bockwinkel-vs-magnum-ta_sport
http://www.411mania.com/wrestling/hall_of_fame/140639/411%5C%5Cs-Wrestling-Hall-of-Fame-Class-of-2010:-Nick-Bockwinkel.htm
- 76 :
- >>65
バックランド持ち上げ、レイスニック貶め、
というのはまったく「彼ら」の贔屓の仕事のなせるわざだろうね。
でももしニックがロビンソンのように国際から新日と来てのち
全日で何度も何度も来日していたら今のように評価されいたか?
少なくともロビンソンがしたようにシリーズのエースが勤まったか?
当時は明らかに格、人気ともにロビンソンの方が上だったろ。
- 77 :
- 鶴田とのAWA戦も終始試合をコントロールして鶴田を手のひらで
遊ばせてる感じだったな。で、最後だけブックどおりしますよて感じで
あっさりピンゆるした感じ。
- 78 :
- >>77
ただの自己満足で選手権試合としてはオモシロくないな
- 79 :
- あの試合はいつものノラリクラリとしたダーティチャンプとしての防衛スタイルから豹変したように
アグレッシブな挑戦者のような戦い方だったことに深い意義があったよね。
レイスも同じだが日本でだけはタイトルマッチも常にあのスタイルでやっていたら当時の
日本での外人レスラー人気ランキングも違ったものになっていたよね。
ロビンソンも衰えてダメダメになっても全盛期60年代の国際での輝かしいイメージのお陰で
長きに渡ってエース級でいれたんだからね。
- 80 :
- ニックはただでさえ不器用な上に既にロートルの域に達していた
大木金太郎を相手にしても受けに回ってのらりくらりとした試合っぷりで
最後はお約束の反則負け防衛だったのに鶴田戦だけはまったく別物の試合だったな。
- 81 :
- 最強タッグで優勝争いしていたにもかかわらず、
レイス・ボックウィンクル組の試合がほとんど中継されなかったのは、
小学校ながらに苦々しく思ったもんだ
- 82 :
- ニック・レイス組はレイスがピンとる際、カットに入ろうとする相手の
パートナーがロープをまたぎ終らないうちにニックが猛スピードでリング
を突っ走って取り押さえてしまうのが大好きだった。
- 83 :
- >>81>>82
'84の最強タッグでは、レギュラー放送(当時福岡では、土曜午後5時30分からの
60分)で、vsハンセン・ブロディ、vs鶴田・天龍、vsファンクス(いずれも公式
リーグ戦)、特番枠の「土曜スぺシャル」(午後7時30分からの90分)で、vs石川敬士・
マイティ井上(特別試合)の計4試合だから、それほど少ないってほどじゃなかったけどね。
圧巻だったのは、vs石川・井上戦かな。「プロレス・イン・ハワイ」で両者揃って入場
して、ニックがレイスに「お先にどうぞ」とばかりに、さりげなくリングインの順番を譲り、
入場時のコスチュームのまま二人並んでいる姿には、得も言われぬ風格や大人のムードとも
云うべき佇まいを放っていた(当時の月刊ゴングの読者投稿欄には、「まるで息の合った
古夫婦をみているようだ」とか、週刊プロレスのピンナップには、「ミスター・・・
それは、彼らのための称号」というキャプションが付いてたり)。
その試合では、ニックがベアハッグで締め上げている相手にレイスがセカンドロープから
フライングラリアットを放つという、ダブル・インパクトをヘル・レイザーズに
先駆けてやってのけていた。
- 84 :
- 懐かしいプロレス バーン・ガニア vs ニック・ボックウィンクル AWA選手権
1980年7月18日、イリノイ州シカゴにおいて、AWAの帝王バーン・ガニアが最後にAWA選手権を奪取した試合
(選手権者:ニック・ボックウィンクル)。この時、ガニア57歳、ニック45歳。
翌年、バーン・ガニアはジャイアント馬場とAWA、PWFダブルタイトルで対戦し、1対1の引き分け。
http://www.nicozon.net/watch/sm9935478
- 85 :
-
ニック・ボックウィンクル×マイティ井上
http://www.nicozon.net/watch/sm15469066
- 86 :
- ファン「あなたはどうしていつも試合に乱入するのですか?」
ヒーナン「リングの向こうにホットドッグスタンドが見えたから近道しただけさ」
- 87 :
- ニックが現役最高のレスラーと認めたことがあるのがトリプルHじゃなくカート・アングルか
- 88 :
- >>77
本気を出せば鶴田程度こんなんですよ〜と伝えたかったんかね
- 89 :
- 80年代のニックの試合では、サージェントスローター戦がわりと印象に残っている。
日本ではあまり評価とかされんけど、長く下積みして軍曹キャラでようやく芽が出た
スローターはいい選手だったと思う。アイアンシークとの抗争や90年代WWFでの
ホーガン戦とかも面白かった。
- 90 :
- マイティ先生にサンセットフリップ教わったお( ^ω^)
- 91 :
- >>85
ニックボックウインクル 52歳の雄姿
- 92 :
- >>77
ジャンボ鶴田33歳
ニックボックウィンクル49歳
- 93 :
- >>88
プロレスはこういうものなんだよと王者が若者に教えながら闘ったんでしょ
- 94 :
- 札幌でやったテリー戦が見てみたい。
ダーティーチャンプと言われた時代でクリーンファイトだったみたいだし。
- 95 :
- 日本人レスラーでニック・ボック・ウィンクルに一番近いのは誰だろう?
ヒール(ダーティ)チャンプということで蝶野かな?
絶対に藤波じゃない
- 96 :
- ニック以降のAWA王者はマーテルは力不足、ハンセンとローラーは本来AWAの人じゃない
ズビスコは論外、と正直人材に恵まれなかった印象だが、カートへニングが順調に芽を出して
いたらどうだったかな?ガニアがカートの父ラリーと仲が悪かったとかで王者にまで付けなが
らカートをあまり評価してなかったそうで、惜しい逸材をWWFに逃がしてしまった。80年代
のガニアはホーガン、アンドレ、ウォーリアーズとスター級につぎつぎ逃げられ、当時AWAに
在籍していたのちのベイダー、レオンホワイトやショーンマイケルズといった90年代以降の逸材
たちを使いこなせず、プロモーターとしては実質終わってた。体は大きくなくてもテク二カルな
試合ができるという点ではカートがもっともニック以降のAWAをまかせるにふさわしい選手だった
はずなんだけど・・・・・
- 97 :
- ブロディもAWAに参戦していたがどんなポジションだった?ガニアが好きなタイプじゃなさそうだが
ベンチェラ・アドニス・スローター・キマラにもAWAから逃げられてるな。
結果論だが思い切ってレイガンスにベルトを巻かせてもよかったかも。
マーテルのベルトの奪われ方が80年代アメプロとしては疑問に思う。
ハンセンはAWAのレスラーとはいえないしAWAだとヒールでマーテルは一応ベビーの王者なのに
逆エビでギブアップ負けとは。王者交代ならクイックで負けるべきだと思うのだが(輪島がこの形でハンセンに負けているよね)
これでマーテルのAWAでの役目(あるいは商品価値も)は終わってハンセンにも雪辱できなかったし。
ガニアと何かあったのか。
- 98 :
- 父ウォーレンとル―・テーズが親友同士で
子供時代、ルー・テーズにお守りをしてもらったことが自慢だったのに
なんでAWAに行ったのだろう。
ニックはNWAチャンプということもあり得たのかな?
>>97
ガニアの容貌とマーテルの容貌を見ればプロレススタイル以前のものを
感じますね。
- 99 :
- 87年ころのAWAでのニックとラリー・ズビスコの試合は面白かった。ニックは
ベビーだったがお客さんの湧きかたが凄くてヒール王者としてブーイング浴びてた
ころを見慣れてたからニックの人気にびっくりした。試合はニックが終始圧倒して
たがフィッニッシュが以外で、ニックがタイツからなにかを取り出してズビスコを
一撃KO,ベビーフェースが凶器攻撃で勝利という珍しいものだった。ニックが凶器
に使ったのは硬貨を筒状に紙でたばねたやつでニックは失神したズビスコのうえに硬貨
をばらまいていた。この試合はニックのオーラが圧倒的でズビスコは貧乏臭く見えた。
こんなのがのちに王者になるんだものそりゃAWAも潰れるわ。
- 100read 1read
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48: UWFインターナショナル3 (243)
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50: 【子し】金沢克彦part2【元・新日本プロレス】 (502)
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